2011年12月31日土曜日

(1327)読了64冊目:「ビルマの日々」

  著者はジョージ・オーウェル、訳者は大石健太郎、1997年10月新装版・彩流社発行、386頁、定価2500円+税。本書は1930年代の英国を代表する作家、ジョージ・オーウェル(1903-1950)の処女小説。ビルマが英領印度の一部であったころ、数人の英国人が政府から派遣されてこの村に住んでいた。長年これらの英国人によって運営されてきた白人クラブに、現地人を1名参加させよという政府指令が出て、全員が反対した。しかし一人の会員がこの村で開業してるビルマ人医師を推挙したことから話が始まる。このビルマ人医師が失脚すれば自分がクラブ会員になれると目論んだ地区判事補のビルマ人が、いろいろ画策し、いくつかの恋愛事件や暴動事件を起こし、最終的にはこの策略が成功。数多くの場面で手に汗を握る事件が頻発、さすがオーウェル。

2011年12月30日金曜日

(1326)全難蓮による2011年難民10大ニュース

   全国難民弁護団連絡会(全難連)から、2011年の難民十大ニュースが発表された。以下の通り。①日本の難民条約加入30周年、1951年難民条約採択60周年、衆参両院で難民関連決議が全会一致で可決。②東日本大震災・・・難民らが被災地支援ボランティア活動。③第三国定住パイロット・プロジェクト、課題に直面。④スリランカ難民、勝訴確定するも難民不認定・在特。⑤一次難民認定審査期間が大幅に短縮、異議手続に未済案件の山(平均で2年以上)。⑥難民申請数過去最高の見込み(過去最高は2008年の1599人)。⑦難民高等教育プログラム、受け入れ拡大、英語枠を導入。⑧難民研究フォーラムが「難民研究ジャーナル」を創刊。⑨難民への国籍を理由にした東工大の入学拒否について、東京地裁が違憲判決。⑩難民支援の「平和茶会」開催。

2011年12月29日木曜日

(1325)読了63冊目:「森の回廊」

   副題は「ビルマ辺境 民族解放区の1300日」、著者は吉田敏浩、1995年9月・日本放送出版協会発行、494頁、定価2500円。1985年3月から88年11月までの1300日の間、ビルマ北部のシャン州、カチン州の森を民族民主戦線の兵士とともに行動を共にした。軍服を着ていたが、武器は持たず、従軍記者の立場だ。タイ北部のメホンソンからビルマに入り、シャン州の山岳地帯を北上してカチン州に入った。プーターオ近くまで山林の中を徒歩やゾウに乗って北上、各地の民族民主戦線の部隊と合流しながらビルマ政府軍と戦闘を交えた。単なる戦記ものではなく、カチン人、パラウン人、カレニ人、カレン人、シャン人、パオ人らが、それぞれ山の民の誇りを抱き、氏族社会の枠組みの中、焼畑に糧を求め、精霊を敬い、独自の文化を守り、心豊かに暮らしていた。

2011年12月28日水曜日

(1324)スーチーさん 少数民族との交渉を危惧

 12月24日の毎日新聞の記事によれば、スーチーさんはテインセイン政権が早急に進めている少数民族武装組織との停戦交渉について「恒久和平には相互信頼と理解が必要」と述べ、交渉の先行きに疑問を投げかけた。また、スーチーさんは、「国会議員当選後は少数民族と協力する」と強調したが、依然政府軍との戦闘状態が続く少数民族の側には、多数派ビルマ族のスーチーさんに対しても不信感が残る。少数民族との問題で現在最大の焦点となっているのが北部カチン州を拠点とする「カチン独立軍」と政府軍の停戦交渉だ。テインセイン大統領は今月10日、軍に独立軍への攻撃停止を命じたが、大統領は軍司令官ではないので、国防安全理事会の開催が必要との意見も出ている。カイン州のカレン民族同盟も中央政府の支配下に入ることに強く抵抗中。

2011年12月27日火曜日

(1323)スーチーさん 訪日意向

  27日の朝日新聞によると、玄葉外相がヤンゴンでスーチーさんと会見し、日本政府のODA再開や投資協定交渉入りを決めた野田政権の方針を説明、「投資は大事だが民主化が前進することが必要」と伝えた。スーチーさんは、「日本が支援する場合は、民主主義が堅固であるという視点を持ってほしい」と注文をつけた。会談後玄葉氏は来日を要請、スーチーさんは「希望は持っている」と応じた。なお、3日前の24日の毎日新聞でも、スーチーさんが訪日の意向があることを報じていた。日本政府は、来日時期を補選後と考え、NLD議員団らと一緒に招待する意向。スーチーさんは補選では「48議席全部を取りたい」と抱負を語った。なお従来スーチーさんは外国に出ると再入国ができなくなる不安があったが、テインセイン政権は出入国に障害はないと考えているようだ(以上概要)。実現すれば嬉しい話題だ。

2011年12月26日月曜日

(1322)ミャンマーのイスラム

  今朝の朝日の「アジアのイスラム③」という欄に、ミャンマーのイスラムについて、「民主化 地位向上に期待」、「軍政下 モスク新設許されず」の見出しの下、状況が記載されていた。ミャンマーでは仏教徒が8割以上を占めるが、8世紀頃からアラビア半島から流れ着いたり、バングラデシュから移住するイスラム教徒が現れ、北部からは中国系のイスラム教徒も移住した。政府統計ではイスラム教徒は4%とあるが、実際には10%以上と見られている。1886年に英領インドの一部となった際、インドから多くのイスラム教徒が流入。1948年に独立して、ビルマ族主体の国づくりが始まると、イスラム教徒はビルマ族の一部として生きることを選んだ。しかしビルマ族に比べて出世は遅い。今彼らが望んでいるのはアセアン議長国就任だ。イスラム人口の多いインドネシアなど3か国からの地位向上支援を期待してる。

2011年12月25日日曜日

(1321)読了62冊目:宇宙樹の森

  標記の著者は吉田敏浩、副題は「北ビルマの自然と人間の生と死」、1997年11月・現代書館発行、241頁、2200円+税。著者は今回と同じくカチン州とシャン州の長期取材による著書「森の回廊」があり、96年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。今回は生々しい人間関係など一切表に出さずに、同じ旅で出会った樹木、動物、焼畑、鉄、民家、食物、文様、歌と踊り、伝説、精霊など、個々のテーマついて書き上げ、自然と人間の繋がり、あるいは人と草、樹、虫、魚、鳥、獣の生き死ににおける結び付きを描いている。著者は密林の中で巨大なラガット樹を見たが、マラリヤに罹ったとき、幻想で月の中のラガット樹を見た。このような巨木が万物の基、すべての生物の母になっていると考え、表題を「宇宙樹」と名づけた。私は人間が主人公でないこのような小説を読んだのは初めてだが、考えさせられた。

2011年12月24日土曜日

(1320)玄葉外相への要請文 アムネスティ

  昨日の朝日に、玄葉外相が当初25~29日のミャンマー、タイ、カンボジア訪問の予定を短縮して、ミャンマーだけを訪問し、27日朝に帰国すると発表、これは北朝鮮の情勢が見通せないため早く帰国することにした。外相のミャンマー訪問についてアムネスティー日本は下記のような公開書簡を発表した。ミャンマーでは今年に入って310人以上の政治囚が釈放されたが、いまだに1000人以上の政治囚が囚われている。彼らは「良心の囚人」であると考えられる。残された政治囚は、抗議のため10月26日からハンストを開始したが、当局はこれら政治囚に水を与えず、また犬舎に閉じ込めたとの報告もある。①政治囚全員の無条件釈放、②裁判は公正であること、③政治囚に拷問などないことの保証、④少数民族への残虐行為の禁止、⑤ODAの実施の際の人権の保障。以上を大統領に強く訴えることを要請。

2011年12月23日金曜日

(1319)読了61冊目 「少数民族の生活と文化」

  本書は「21世紀の民族と国家」の第11巻に相当し、学術的である。編者は片岡弘次、発行は1998年3月・未来社、276頁、2800円+税。第1章から7章まであるが、ミャンマー関係は第1章のみで、題目は「孤児はいかにして民族の象徴となったか(カレン人の孤児伝承)」(11頁~45頁)、この章の著者は吉松久美子。カレン人はミャンマー国内に286万人(93年)居住し、スゴーカレンが38%、ポーカレン(36%)、両者間の言語は異なり、意思疎通は困難。スゴーカレンでは「孤児はカレン民族の隠喩」といわれており、伝承には孤児と老婆の組み合わせが多く、孤児の修飾語としては「怠け者」「いたずらもの」などが多い。本書では多くの孤児伝説が語られているが、カレン人が英国の撤退とともに報復され劣位民族に再転落することとなり、1950年以降「カレン民族は孤児である」としきりに提唱されている。

2011年12月22日木曜日

(1318)難民審査参与員

  いま私の手元に難民審査参与員の55名の名簿がある。難民認定制度は昭和56年に創設されたが、より公平・中立な手続きを図るため、平成17年5月に難民審査参与員制度を設けた。難民不認定処分に不服がある外国人からの異議申し立てに対して、参与員の意見を聞かなければならないとされている。このことは、取り締まり目的の入管当局が、同時に判定を下す立場にあるのはおかしいという多くの難民支援者からの声に対する対抗措置であろう。何もないよりはこの参与員制度は一歩前進ではあるが、かつて民主党が言ってたように入管から独立した難民保護庁的なものを作るべきと思う。さて、この55名の名簿を眺めると、大学教授、裁判所判事・検事、弁護士、NPO法人などの関係者が多い。3人で一つの班を作り、東京入管に15班、大阪入管に3班を設け、参与員は非常勤国家公務員となる。

2011年12月21日水曜日

(1317)読了60冊目 「カチン族の首かご」

  「カチン族の首かご」、副題は「人食い人種の王様となった日本兵の記録」。著者は妹尾隆彦、昭和32年11月・文芸春秋新社発行、295頁、定価280円。内容の大部分はビルマ戦争初期の戦記ものであり、著者は中隊の一等兵としてカチン州のミッチナーよりさらに北部のサンプラバム方面まで進出、英印軍は既に壊滅状態であり、新たに中国・重慶軍と戦うこととなる。彼は英語ができるため、カチンの状況を探る諜報員として選ばれ、カチン人のザオパンと協力してジャングルに入る。このザオパンの活躍で作戦は大成功を収め、日本軍が転進するときもジャングルに単身残り、諜報活動を続けた。そのときカチンには王様が不在で、5人の酋長から懇願され王様に就任、ザオパンが首相に。その直後軍から隊に戻れと命令されジャングルを離れた。王様になれたのは実はザオパンの周到な策略であった。傑作。

2011年12月20日火曜日

(1316)タナカの思い出

  昨日の朝日に「いくらですか」という欄があり、ミャンマーの「木の皮から万能化粧品」と次のように紹介されていた。美白が好まれるミャンマーで、昔から女性たちが手放さないのが「タナカ」という木の皮をすった化粧品。名産地、中部ザガインにあるパゴダの境内で実演販売していた。直径8cm、長さ10㎝の木片を、水でぬらした石板上でゴシゴシこする。肌色になった液体を顔やうなじに薄く、最後はほっぺに色濃くつける。どんな形に塗るかがセンスの見せ所だ。8本セットで約500円(以上概要)。16年前初めてミャンマーに行ったとき興味本位で境内の店で若い女性に塗ってもらったことがある。そのときの印象が強烈だったのか、以後毎年東京の水かけ祭りになると塗ってもらっている。あるとき洗顔しないで帰ったので、山手線の電車の中で乗客からじろじろ見られ、途中の駅で慌てて顔を洗ったことがある。

2011年12月19日月曜日

(1315)ワッハッハ 楽しきかな忘年会

  きのうの日曜日はミンガラ日本語教室の忘年会、先生と生徒約50人が集まり、懐かしい顔がいっぱい、私は健康上夜間の外出は控えているが、1年に1回だけ、この忘年会には夜間出席している。教室は96年創立、この年は年末に有志でビルマ研修旅行に行ったためか、忘年会開催の記録はない。記録に出ているのは、97年12月7日の日本語能力試験受験のあと開催したお疲れ様会兼忘年会、これが第1回となろう。だから忘年会は今年で15回目。第1回は、神田駅そばのビルマ料理店「神田市場」で開催、生徒28人が参集、店が狭くて入りきれず、はみ出したビルマ人生徒たちは2階の店にも分散した。この後毎年忘年会が、都内のいろいろな店で開かれ現在に至っている。昨夜の忘年会に出席しての第一印象は子どもたちが多くなったことだ。子供たちよ、この日本が第二の祖国、互いに頑張ろうね。

2011年12月18日日曜日

(1314)お正月の過ごし方

お正月の過ごし方といっても、我々の年代では普段とあまり変わらない。そもそも毎日がお正月のようなものであり、足腰の悪い私は、連日パソコンに取り組む以外、これといったテーマもない・・・・。しかし今度のお正月はちょっと違いそうだ、「ビルマ関係図書100冊の書評集」の作成計画が待ち受けている。 このため、ビルマ関係図書をせっせと読まなくては。今までに59冊を読み終え、書き終えて、このブログで紹介してきた。図書の入手方法は、私の書棚と、友人宅の書棚と、習志野図書館の書棚から掻き集めている。最初のうちは100冊なんて、日本にあるのかしらと心配していたが、それなりに探してみると、100冊以上読めることは確実だ。きょうも習志野図書館から9冊を入手、これがお正月に読む材料となる。9冊を読めばあとは32冊。今からなんとなくワクワクしてくる。幸い目の方は問題がないようだ。

2011年12月17日土曜日

(1313)読了59冊目 「風ともに」

  標題の「風とともに」の作者はルドゥウーフラ、訳者は河東田静雄、勁草書房・1982年10月発行、235頁、定価1494円。著者は作家、新聞(ルドゥ)社主。彼自身が刑務所にいて、多くの囚人たちに取材した話を、刑務所入り絶無を願いつつ小説化したもの。話はイギリス統治時代から、日本軍の占領時代、戦後のイギリス軍政、独立後の内乱という、ビルマの歴史の中でもっとも苦難に満ちた時代に少年期・青年期を迎えた主人公マウンニョーの半生を描いている。彼が1942年4月、14歳のとき日本軍のマンダレー空襲に遭遇したり、最愛の妻が溺死したことが一つずつきっかけとなり、彼は刑務所に何回も入ったり出たりした。そして常に迷いながら一見陽気に振舞う。その時々のビルマの社会風景、家族関係もよく表現されており、そして、全般にわたり、「何が彼を窃盗常習犯にしたのか」を問いかけている。

2011年12月16日金曜日

(1312)少数民族と次々停戦 和解路線へ

  今朝の朝日新聞には、標記の見出しのもと、テイン・セイン政権が、独立や自治を求める少数民族の武装勢力と次々に停戦合意を結んでいると報じた。軍政時代から続く対立解消をはかる国民全体の「和解」だ。恒久的平和に向けた交渉が今後の課題となる。テインセイン大統領はミンアウンフライン国軍最高司令官に、カチン独立軍(KIA)への攻撃を、自衛の戦闘を除いて停止するよう命じた。数千の兵力を持つKIAは、今年6月以降国軍との武力衝突で多数の死傷者が出ていた。憲法では国軍を「唯一の軍」とし、少数民族の武装勢力を国軍参加の国境警備隊に編入するよう求めて関係が悪化したためだが、これを政府の側から見直し譲歩する。政権側は編入要求をいったん取り下げ、少数民族地域の経済発展推進を約束し、国民融和策を続ける。しかし、独立や自治を望む少数民族との溝はなお大きい。

2011年12月15日木曜日

(1311)門司にある世界平和パゴダの存続

  12月11日BURMAINFOからの情報。現在、北九州市門司区にある「世界平和パゴダ」が閉鎖の危機にあり、ビルマ人僧侶2人が12月25日までに建物から退去することが求められている。このパゴダと僧院は、1957年、当時のビルマ首相ウーヌのもと、ビルマ仏教会と日本側の寄付により、門司港を望む和布刈公園内に建立され、設立以来ビルマ本国から高僧が派遣され、第2次世界大戦の戦没者の供養と世界平和を祈念する場として、50年以上も日緬民間交流の象徴として続いている。しかし、宗教法人の役員会内部に、施設の閉鎖を主張する強い意見があり、またウーヌ政権の仏教信仰政策に対する評価も一様ではない。だがこの世界平和パゴダは日緬両国のかけがえのない財産であり、それを守るために日緬両政府及び関係者のご尽力を賜りたい。馬島浄圭(僧侶)、守屋友江(阪南大学教授)。

2011年12月14日水曜日

(1310)ビルマ新政府の「民主化」はどこまで本物か

 岩波書店発行の雑誌「世界」1月号の314頁に根本敬氏(上智大学教授)の論説が標記の題目で掲載されていたので概要を記す。新政権が発足して8ヶ月、スーチー氏との対話、ミッソンダムの工事中止、NLDの政党登録、検閲体制の緩和など表面的な変化は大きい。しかし、①アセアンとしては独自に議長国就任を早期に決定し、米国の今後の介入を防ぐ。また、米国はビルマと中国、北朝鮮の関係を封じ込めたい意向。②2008年憲法によって国軍による新しい形の国家支配体制が完成しており、軍支配は揺るがない。③公職から引退したはずのタンシュエ元議長が、「軍評議会」を組織し、影響力を行使している。④少数民族への人権侵害が続いている。⑤スーチーさんが選挙で当選した場合は党籍を離脱しなければならず、国会審議内容の公表も無理。⑥日本からの経済援助も中断されるリスクがある。

2011年12月13日火曜日

(1309)「23年度出入国管理」備忘録②

  難民条約でいう難民とは「・・・を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有する・・・」と規定されている。ここで問題になるのが迫害の解釈であり、従来、私自身もモヤモヤしていた。この資料113頁には主な裁判例が記載されており、平成23年2月4日の東京地方裁判所の判例が紹介されている。この判決によると次のように説明されている。迫害とは「生命または自由」の侵害または抑圧であり、この「自由」の内容については、主として生命活動に関する自由、すなわち身体の自由を意味する。難民条約上の「迫害」には、経済活動の自由などは含まれないと解釈されている。そして当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに、通常人が当該人の立場に置かれた場合にも、迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要としている。

2011年12月12日月曜日

(1308))「23年度出入国管理」備忘録①

  (1305)に記したように、124頁に及ぶ膨大な標記資料を入手したが、内容はこの1年間の問題点をまとめたものであり、多くの項目はそれとなく理解できた。ただ、私が見落としていた項目もあるので、それを備忘録の形でフォローする。第2部第1章であるが、その第1節の「国際医療交流の推進について」の改正である。わが国で医療を受けようとする外国人は、従来「短期ビザ」を取得して在留資格「短期滞在」により入国していたが、長期間日本に滞在する外国人患者と、その付添人に関する規定を設け、在留資格「特定活動」により入国・在留ができることを明確にした。在留期間は原則として6ヶ月。なお、短期間の医療を目的とする外国人については、従来どおり在留資格「短期滞在」による入国となる。平成22年12月17日に改正された(以上概要)。アジア富裕層への対応と思われるが、貧困層へは?

2011年12月11日日曜日

(1307)読了58冊目 「地球の歩き方:ミャンマー」

  この本「地球の歩き方 D-24  ミャンマー(ビルマ) 2011年~2012年版」は典型的なミャンマー旅行指南書、制作は鈴木達也氏、発行はダイヤモンド・ビッグ社、2011年3月発行(初版は1986年12月発行)、245頁、定価1900円+税。内容は、ヤンゴン周辺、パガン周辺、マンダレー周辺、インレー湖周辺と続き、それぞれ名所やホテルなどを丁寧に紹介している。写真も多く、随所に見られるビルマ料理や、旅の技術などの解説も親切だ。ただ残念ながら、今年3月から始まった民政化の動きには触れていない。この本で、私が特に注目したのは、最終頁近くに掲載されていた「ミャンマー関連書籍ガイド」のコーナー、18冊が簡潔に紹介されていた。その半数は私がすでに読み終わった書籍だが、残りの半数は私も知らなかった書籍名であった。これらは早速習志野市図書館にあるか調べてみよう。

2011年12月10日土曜日

(1306)ビルマ今週のニュース(1137号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★NLDの政党登録(11月25日)、 ★日本とビルマとの経済協力に関する政策協議の開催(28日ネピードーで)、 ★スーチー氏の補選出馬声明(30日、補選日程は未定)、 ★ミンアウンフライン国軍司令官の中国訪問(28~2日)、 ★クリントン米国務長官のビルマ訪問(30日~2日)、 ★世界銀行や国際通貨基金(IMF)によるビルマでのニーズアセスメント調査の可能性(1日にクリントン長官が表明)、 ★米政府のミッチェル特別代表・政策調整官の韓国、日本、中国訪問(8日~13日)、 ★カチン州で続く戦闘や、国軍による民間人に対する残虐行為(6月以降、避難民数約3万人)、★根本敬(上智大教授)が「ビルマの民主化はどこまで本物か」岩波書店「世界」1月号、 ★シャン州北部のタアン学生青年団体が水力発電開発事業による土地の収奪を訴えた。

2011年12月9日金曜日

(1305)「平成23年版出入国管理」発刊

  法務省入国管理局が標記の資料を発表した。平成16年以降は毎年の発行である(それ以前は5年毎の発行)。第1部では、「出入国管理を巡る近年の状況」、「外国人の入国・在留等の状況」、「人身取引・外国人DV関連」、「外国人登録の実施状況」などが紹介されている。第2部では、「新成長戦略」、「新在留管理制度等の円滑な導入に向けた取組」、「円滑かつ厳格な入国審査の実施」、「新技能実習制度の開始」、「留学生の適正かつ円滑な受入れ」、「在留期間の特例」、「東日本大震災に対する入国管理局の取組」、「国内に不法滞在・偽装滞在する者への対策」、「在留特別許可の適正な運用」、「難民の適正かつ迅速な庇護の推進」、「国際社会への対応」、「広報活動と行政サービスの向上」などが紹介されている。資料編では、最近の主な出来事が記載されている。124頁もの大作であり十分留意したい。

2011年12月8日木曜日

(1304)民主化ミャンマーに帰る人が出だした

  12月8日の朝日新聞には、「戻ろう故郷ミャンマーへ」、「亡命政府元外相21年ぶりに帰国」、「不安はある、でも国を変えたい」という見出しが並ぶ。軍事政権下のミャンマーから亡命していた人たちが、相次いで帰国し始めている。「民政移管」で発足した新政府の呼びかけに応じた動きだ。急激な変化に戸惑いながらも、新しい国づくりを担う意欲を燃やしている。米国に拠点を置く亡命政府「ビルマ連邦国民連合政府」の初代外相だったピーター・リンビンさん(70)は9月19日9に21年ぶりに祖国の土を踏んだ。事前に家族にも連絡せず、ヤンゴンの空港に立った後娘に電話。今後モウラミャインで若者を育てる私塾を設けるという。人気喜劇団の「ティーレイティー」の7人も帰国し、ザガナ氏と共に劇団活動を再開する。リンビンさんは「大統領とスーチーさんに任せきりにしないで、全員が力を合わせることが必要」と。

2011年12月7日水曜日

(1303)読了57冊目 「ビルマ現代政治史」

  正式には「ビルマ(ミャンマー)現代政治史・増補版」(第三世界研究シリーズ)という。著者は佐久間平喜(ひらよし)氏。1993年8月増補版、勁草書房発行、255頁、定価2472円。著者は(1273)の「ビルマに暮らして」でも紹介したように、十四年間もビルマの日本大使館に勤務しており、ビルマの政治に詳しい。前回の書評では「至福の書」と書いたが、今回のは一転して学術論文的な書き方である。第1章:ビルマ国軍の歩み、第2章:ビルマ式社会主義路線、第3章:ビルマの非同盟・中立政策とあり、それぞれがさらに数項目ずつに細分されている。日本とビルマの関係は、軍事政権時代といえども良好であり、親しみを感ずる国であるが、その根本的な政治的関わりを著者はよく解説している。多くの参考資料も記載されており、民主化時代を迎えるビルマの現代史を語る上で、最高級の参考書といえるだろう。

2011年12月6日火曜日

(1302)政治囚の定義と人数の調査委員会を

  私はミャンマーの政治囚が実際に何人いるのか知りたい(1290)。アムネスティ日本の10月12日のニュースによると、8月、内務大臣は国連特別報告者に対し良心の囚人と言われる『100人以上もの囚人』は犯罪者であると述べた。11月29日のニュースでは、今年少なくとも318人の政治囚が釈放されたが、まだ1000人以上の政治囚が囚われている。大統領の上級政治顧問コーコーラインは10月19日、約600人の良心の囚人が獄中にいると発表したが、8日後には「正確な数字は知らない」と訂正した上で「良心の囚人と一般の囚人の定義が必要」という。アムネスティは以前多くの政治囚が「一般犯罪者」に分類されている可能性があると懸念を表明。そこで、アムネスティは数と定義の違いを整理する委員会を招集するようビルマ政府に要請、その際同委員会にNLDを含め、国連の援助も必要と。

2011年12月5日月曜日

(1301)ビルマからの手紙(11)

 スーチーさんの「ビルマからの手紙」の11号は11月27日(日)、毎日新聞の3頁に載っていた。見出しは「『パゴダ』描いた絵画展を訪れて」、「ただ見つめていたい」。オックスフォード大学時代、いくつかの博物館に通い、魅了させられた。最近絵画展に足を運んだが、博物館に行くのと全く異なる経験だが、かつての懐かしい感覚にとらわれたことに気づいた。ただひたすら見つめていたい、というあの素朴な欲求だ。今回の絵画展は、5人の画家によるシュエダゴンとチャイティーヨーの二つの仏塔の作品だ(このあとそれぞれの絵画に対するスーチーさんなりの評価が続く)。純粋で真なる芸術的才能や資質とは何かについて深く考えさせられるためだからと気がついた。展覧会で私をすっかり魅了したものの正体は、芸術が持つ変革の力だったのだ。これらの絵画を通じてそれを悟り、とても幸せな気持ちになった。

2011年12月4日日曜日

(1300)「きらく会」の忘年会

 「 きらく会」とはライオン研究所時代の同期の仲間12人からなる、ささやかだが超うるさい集団、平均年齢81歳、私の定年間際から続いており、現役時代と合わせると実に60年も親交の続くグループだ。年間数回顔を合わせており、先日の忘年会には7人が銀座に集合、例により皆が言いたいことをがやがや喋っていた。連中は老人とは言いがたい若々しさを持ち合わせてる。今の沈滞している日本の政治は、我々80歳代に任してほしい。少なくとも今の民主党政権よりは数段ましだろう。会の冒頭に全員で記念写真を撮ったが、30分後には出来上がり配られた。その写真には、7人中1人が特に若々しくイケメンに写っていた。さて、今回のブログが1300回目、毎日毎日コツコツと継続した成果であろう。特に感謝しているのが、「きらく会」メンバーのk.a.さん、私のつたないブログに毎回コメントを戴き嬉しい。

2011年12月3日土曜日

(1299)クリントン長官 ミャンマー訪問

  米国のクリントン国務長官がミャンマーを訪問、テインセイン大統領と会談後、スーチーさんと会談した。米国が示した関係改善策としては、大使の派遣、貧困対策などの調査開始、麻薬取締りの協力再開、マイクロファイナンスによる貧困者支援、留学や英語教育の支援などで、援助の総額は9360万円程度。経済制裁で疲弊した市民生活の向上を狙う。12月3日の朝日社説では、今回の訪問はアジア太平洋地域を最優先とする米国の安保新戦略の第一歩であり、またミャンマーで影響力を増す中国を牽制する狙いもある。民主化が定着したというには、政治犯の全員釈放のほか、少数民族との和解、軍の支配構造を支える憲法の改正問題などがあり、新政権には大胆な妥協を要望。日本からも、玄葉外相、枝野経済産業相が相次いで現地入りするが、民主化の着実な進展の見極めが必要と指摘している。

2011年12月2日金曜日

(1298)アウンチョージンさんがテレビに

  (1206)で書いたように、親友アウンチョージンさんは、弟のネイミョージンを救うべく必死に動いている。その成果か、今朝のNHK・BS-1で2分ほど彼の言い分が放映された。ただ予告では8時台となっていたが、7時台に変更されていたので見た人は少ないと思う。テレビは彼が自宅のドアを開けて「ただいま」というところから始まり、娘さんとの会話が続く、ユキちゃんが夕食に何を食べたか忘れちゃった光景が微笑ましい。彼は髪を短く刈り上げ、赤系統のセーターだったので、どう見てもバリバリのポンジー風だ。最初に「軍が主導する現在の政府体制はおかしい」、「弟がどうして掴まっているのか未だに信じられない」、「弟の腰の痛みの原因についても、家族に配慮して弟は本当のことを言ってないようだ」。途中でビルマの父親に電話する場面もあったが、その光景も極めて自然で良かった。早い解放を祈る。

2011年12月1日木曜日

(1297) ビルマと北朝鮮の関係

  昨日の朝日夕刊に「国家の犯罪(北朝鮮2)」、「孤立国家に武器で再接近」という記事があった。内容は、1983年9月、北朝鮮の工作員3人が乗っていた東建愛国号がラングーンに入港、。韓国大統領の全斗煥のビルマ訪問の1ヶ月前で、3人の目的は全の暗殺。10月9日午前、全の到着3分前にアウンサン廟で爆発が起き、韓国政府の閣僚ら21人が死亡。ビルマ政府は北朝鮮工作員3人のうち一人を射殺、2人を逮捕、その1人がソウル市民と称したため、北朝鮮の犯行か、韓国の自作自演か、当時の社会の見方は真っ二つに割れたが、結局北朝鮮側の犯行と判明。ビルマは北朝鮮と断交し大使館員に退去を命じた。それから24年、北朝鮮は国交を回復、核兵器などの販路を求めてビルマに再接近、今年5月には米艦艇が公海上で北朝鮮船舶を監視し、結局船は北朝鮮に戻った。米国は今も懸念。

2011年11月30日水曜日

(1296)「難民研究ジャーナル」 創刊される

 日本における初の難民専門の研究誌として、『難民研究ジャーナル』創刊号の案内書を入手した。様々な学問分野の研究者、実務家が執筆しており、特集は「第三国定住」、定価:2100円、送料:290円 B5判、160ページ △論文:わが国のインドシナ難民受入の経験と第三国定住受入制度の理論的諸問題 本間浩、△第三国定住の復権?(保護、恒久的解決と負担分担) 小泉康一、△日本は変わったか:第三国定住制度導入に関する一考察 小池克憲 △報告:第三国定住の概要と課題 入山由紀子、△タイ・メラキャンプにおけるビルマ出身難民の現状と第三国定住制度に関する認識調査 松岡佳奈子、△日本における難民の第三国定住に関する論点 石川えり、その他となっている。私の興味がある「第三国定住(ぐちゃぐちゃの)」問題だ、難しそうだが、読まざるを得ないだろう。覚悟を決めて発注。

2011年11月29日火曜日

(1295)カチン州での戦闘続く

 ミャンマー問題は、ほぼ民主化の方向へ進みだしているが、まだ取り残された問題も多い。政治囚の解放問題は11月14日に予告があったのに、理由不明のまま延期されている。もう一つが少数民族との交戦の問題だ。11月17日の毎日新聞によれば、ビルマ政府軍は自治権を求める少数民族への弾圧を強め、国境地帯では避難民が2万人を超えてるという。カチン州のナムサンヤ村では、教会に政府軍兵士が突然乱入し、牧師が額をコンクリートの床に叩きつけられた。カチン戦闘員を探すため、無差別に家宅捜査する兵士は容赦なかった。カチン軍の一人は「スーチーさんは民主化勢力の指導者だが、少数民族の指導者ではない」。スーチさんに取材すると「少数民族指導者と話したいが、うまく連絡が取れない」と。14日のロイター通信はミッチナの孤児施設で爆発があり、10人が死亡、27人が負傷した由。

2011年11月28日月曜日

(1294)読了56冊目 「欠けている所を埋めて下さい」

  著者はマ・サンダー、訳者は堀田桂子 1986年7月 井村文化事業社発行 279頁 定価1854円。主人公のコートゥが13歳、妹が12歳、大人になりきれない二人の兄妹を中心にした比較的裕福な家庭の物語、隣家に少々頭がおかしくなったおじさんが住み始め、コートゥを木から落ちて死んだ自分の息子と間違え溺愛する。ある日コートゥたちが親の誤解で強く叱られ、木に上り、妹はコートウが探していたジグソーパズルの真ん中の一枚を彼に渡すべく追いかけるが、彼は誤って木から落下し死亡、結局パズルは完成しなかった。この出来事が題名となる。もちろん欠けている所はパズルだけではなく、家族の中心にいたコートゥの心でもあろう。私はこの最終章で目がウルウルし一気に読み終えた。実に面白い小説だ。なおこの書籍にはもう一つ「ラングーン駅14時35分発」という短編も掲載されている。

2011年11月27日日曜日

(1293)ワッハッハ×3.1 宝くじの当選番号

  私は11年11月11日の11時11分に東習志野駅そばの宝くじ売り場で、100枚の宝くじを購入、13日にあった誕生日パーティーの際、その中の77枚を出席者(約50人)全員に配布した。全員 1から11枚の宝くじを持っていることになる。これだけの数の宝くじだ、誰かしら高額当選者が出ているはずと思いつつ25日の当選発表を待った。当選発表番号と配布した宝くじの控え番号を見比べる。この時が心が一番高揚する。しかも普通に買ったのではなく、1111111111という100年に1回の瞬間を選んで買ったのだ、高額賞金が当たらないはずはない。一枚一枚番号を丁寧に照らし合わせる。やっぱり信じていた通りだ、高額当選者が10人も出たのだ。神様・仏様っているんだなあ。さて高額当選番号は下一桁番号が9番 当選金額200円、11月30日以降、近くの宝くじ売り場で換金して下さい。おめでとう。

2011年11月26日土曜日

(1292)ザガナ氏 「ミャンマーの夜明けだ」

  11月22日の朝日記事から。ミャンマーの有名コメディアンで、先月恩赦により釈放された政治犯の一人だったザガナさんが、テインセイン大統領の民主化への取り組みを評価し、「わが国は夜明けを迎えている」と語る一方で、全政治犯の早期釈放を訴えた。彼は88年、90年、07年、08年の4回投獄されたが、「刑務所の待遇は素晴らしいと言えるぐらい改善されていた、これは責任者(軍高官)が高い人権意識を持つ人に代わったため」という。釈放後会った軍出身の閣僚は「自分も一党独裁や軍政はよくないと思い続けていた」という。また彼は「若い世代の軍人には民主的な考えや、人権感覚を持った人が多い。我々は軍人を仲間として迎え、彼らを変えて行かねばならない」、「全員釈放されれば、国の問題の半分は解決できる」とも発言(以上概要)。ミャンマーの刑務所の待遇が改善されたとは嬉しい。

2011年11月25日金曜日

(1291)読みました55冊目 「ビルマ戦線の死角」

  副題は「菊兵団」メークテーラに潰ゆ。(ここで言うメークテーラは現在のメイティーラ)、著者は三浦徳平氏(1918年生)、1992年8月 葦書房発行。323頁、定価1700円。ビルマ戦線での記録は数多く読んだが、本書も敗色濃くなってからの戦記ものだ。ビルマ最北部(カチン州)まで進出していた菊兵団が、北からの中国軍、西からの英印軍(空挺部隊及び大型戦車部隊)と激戦を繰り返し、最後の拠点メークテーラでの接近戦で壊滅状態になった状況が、著者及び戦友の手記や談話をもとに書き上げられている。制空権が奪われ、補給方法のない前線で、日本軍は常に玉砕覚悟で戦った。敗走途中歩けなくなり、最後の武器、手榴弾で自決する光景が壮絶だ。なお、戦中戦後に誰も言えなかった「捕虜」の話もあり、英印軍による手厚い看護も紹介されている。本書を読んで戦争は絶対してはいけないと痛感。

2011年11月24日木曜日

(1290)ミャンマーの政治犯は何人なのか?

  ビルマ問題の中で、次の大きなテーマは政治犯全員の解放問題であろう。欧米も日本もこの一点を凝視している。ここで問題となるのが、政治犯全員とは何人のことであろうか。10月10日の朝日社説では2千人とあり、11月21日の社説では500人以上とある。あまりにも差が大き過ぎるので、朝日新聞社に問合わせてみた。回答は新政権が公表していないので正確にはわからないという。2つの社説の人数の違いは、AAPPとスーチーさんという取材源の違いとのことで、この点は予想通りの回答であった。この他、最近、朝日新聞に掲載された政治犯の人数は、11月8日⇒数百~1千人、11月14日夕刊⇒300人、11月15日⇒収監中は1245人、収監されている可能性があるのは654人、11月15日⇒591人と見事にバラバラであった。一概に何人とは言えないようだ。もう少し様子を見ることにする。

2011年11月23日水曜日

(1289)衆院で難民保護を決議

  衆院は17日の本会議で、難民保護への国を挙げた取り組みをうたった決議を全会一致で採択した。概要以下のとおり。2011年は「難民の地位に関する条約」採択から60周年、また日本の同条約加入から30周年という節目の年。特に日本はこの30年間、国際社会の一員として世界中の難民や避難民の支援に臨み、人間の安全保障の概念を強調することによって、難民それぞれについて人道支援と平和構築を中心に裾えた取り組みを行ってきた。2010年にはパイロットケースとしてタイからミャンマー難民を受け入れるプログラムも開始した。また日本は国内における包括的な庇護制度の確立、第三国定住プログラムの更なる充実にまい進する」(中略)。「世界の難民問題の恒久的な解決と、難民の保護の質的向上に向けアジアそして世界で主導的な役割を担うべく、右決議する。(第179回決議第2号)。

2011年11月22日火曜日

(1288)ビルマ今週のニュース(1136号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★ミャンマー国家人権委員会が大統領に「良心の囚人」の釈放を求める公開書簡を出し、13日に国営紙が掲載。14日にも新たな恩赦があるとの見方が広がったが実施されなかった。16日には一部の政治囚の移送が始まったが、移送された政治囚が近く解放される見込みは低い。 ★17日のASEAN首脳会議でミャンマーが議長国になることが決定。 ★スーチーさん率いるNLDは改正された政党登録法に基づき改めて政党として登録することを決めた。スーチー氏も補選に出る候補者となる可能性が高い。 ★オバマ大統領は、来月クリントン長官をビルマに派遣すると発表、国務長官の訪緬は50年ぶり。 ★18日のASEAN首脳会議で野田首相はビルマの「経済特区の開発等の総合開発調査の実施」に協力し、「経済協力に係る実務協議を早急に実施したい」と。

2011年11月21日月曜日

(1287)アジアに民主化の風を 朝日社説

  今朝の朝日社説に「動くミャンマー アジアに民主化の風を」という社説が載っていた。ASEANは同国の議長就任を認め、米国は国務長官を派遣し、日本はODA再開を表明した。NLDは政治に再参加を決め、スーチーさんも補欠選挙立候補を示唆。新政権は、メディア、集会規制の緩和、ダム建設の凍結という施策を相次いで打ち出した。議長国になれば、軍政が強引に遷都した新首都ネピドーに米国の大統領ら主要国の首脳が東アジアサミットなどで集うことになる。外国報道機関を拒むこともできない。またASEANは民主化の定着を連帯保証する立場にある。10月の恩赦で釈放された政治犯は約200人に過ぎず、500人以上がまだ牢獄につながれている。対立が続く少数民族との和解交渉も進まない。何よりも、国会議席の8割は軍関係者で軍が国家を支配する構造に変化がないことに留意が必要。

2011年11月20日日曜日

(1286)インセイン刑務所での政治囚のハンスト

 アムネスティ・インターナショナルは11月4日、ビルマ当局は、インセイン刑務所にいる約15人の政治囚に対する劣悪な待遇を中止するよう、即座に行動を起こさねばならないと述べた。一部囚人に与えられた減刑が、自分たちに適用されないことに対して抗議するため、彼らは10月26日にハンストを決行、その翌日から刑務所当局はこの囚人たちに飲料水を与えることを中止し、これが11月2日まで続いたため、一部政治囚は脱水状態で死亡しかけない状況となった。この政治囚のうち2人は病院に送られ、8人は犬を収容するための独房に入れられた。アムネスティのドナ・ゲスト氏は、当局に対し独立した調査を要求した。ビルマの収容所の状態は多くの国際基準から考えて、とうてい十分とは言いがたい。3百人以上の政治囚が今年釈放されたが多くはまだ刑務所に残されている。追加釈放はどうなったか。

2011年11月19日土曜日

(1285)スーチー氏国政出馬へ

  今朝(11月19日)の朝日新聞は、1面、2面にビルマの転換を大きく報じている。1面のトップニュースとして、標記の見出しとともに、「ミャンマー政党、再登録を決定」の小見出しも。NLDは18日中央執行委員会を開き、政党として再登録し、来年初めにも予定される上下両院の補欠選挙に参加することを決めた。スーチー氏の政治参加は、欧米が経済制裁解除の条件の一つとしてきたことから、今後国際社会のミャンマー政策が大きく動くと見られる。なお米国は、クリントン長官を12月1、2日に派遣するという。補欠選挙は約50議席で争われる。次に2面であるが、「ミャンマー転換点」、「スーチー氏再び活動」、「政権、援助狙い正当性強調」、「米国務長官が来月訪問」、「民主化後押し、新たな関係」、「日本、影響力強化へ支援」と大きな見出しが並ぶ(以上概要)。私もこんな急激な変化は想定外だった。

2011年11月18日金曜日

(1284)アセアン首脳会議 議長国に決定

  17日、バリ島で行われたアセアン首脳会議でミャンマーが2014年の議長国になることが決定、チョーサン政府報道官(情報相)は、「わが国の政治は名実ともに変化している。議長国を努め、変化を続けることで民主化も進むだろう」と言う。今年の議長国のインドネシアのマルティ外相は「14年にはいまより進歩していなければならない」と。NLD報道官のニャンウイン氏は、「政府の改革の勢いに弾みをつける」と就任を歓迎。ミャンマー政府は10月に政治犯約300人を釈放したが、NLDはいまも591人が獄中にいると主張し、全員の釈放を求めている。米国オバマ大統領は改革を進めていることを認めた上で「人権侵害は今も続いている」と指摘(以上概要)。アセアン各国がミャンマー新政権の改革努力を認めだしたことは喜ばしい。ただ獄中の政治囚がまだ591人というが、AAPPと調整済みなのか気になる。

2011年11月17日木曜日

(1283)ワッハッハ×3 YOU-TUBEで世界に発信

  11月13日、新宿で行われた私の83歳の誕生パーティの光景が、YOU-TUBEを通じて、14日世界に発信された。グーグル⇒YOU-TUBE(上の方にあります)⇒U MINGALAR BIRTHDAYで見られます。直接グーグル⇒U MINGALAR BIRTHDAYでも見られますが、YAHOO⇒U MINGALAR BIRTHDAYでは「ユーザーの都合で削除」と出ます。ですからYOU-TUBEを利用した方が確実でしょう。いま見ると再生回数が30回、他の多くは大体1万―30万回、負けないように見てください。撮影・編集はゼーヤーさん、KSMさんご夫婦。最近YOU-TUBEがミャンマーでも見られようになったので、あるいはご家族が見ているかも。なおパーティの席上宝くじの説明が不十分だったのでここで補足。1等1億円、前後賞5千万円、抽選日は11月25日、配布数77枚、私の予想では、今回1億円が二人出るはず。

2011年11月16日水曜日

(1282)ミャンマー14年アセアン議長国に

  今朝の朝日新聞はミャンマーが3年後の2014年にアセアン議長国になる旨、アセアン外相会議で合意したと伝えた。外相会議は、インドネシアのバリ島で開催され、17日の首脳会議で正式に決定するとみられる。これによって、新政権が進める民主化改革で焦点となっている政治犯の釈放などの動きが、加速するのか、後退するのかが注目される。現議長国のインドネシアのマルティ外相は、「ここ数ヶ月ミャンマーでは議長国の就任を可能とさせる積極的な条件がつくられ、我々はこの勢いが続くことを願う」と合意の理由を説明。ミャンマーを国際社会に引き込み、改革の継続を促すことを狙ったものとみられる(以上概要)。新政権が望む一つの大きな目標が達成できたが、もう一つの経済制裁解除のほうはまだはっきりしていない。こちらが残っている以上、ミャンマー政府は民主化改革を続行すると思うが。

2011年11月15日火曜日

(1281)スーチーさん 政治犯全員の釈放を!

  昨日(10月14日)の朝日夕刊には、国営各紙は国家人権委員会が政治犯の新たな釈放を求める公開書簡を大統領に送ったと報じ、政治囚を含む受刑者を14日に釈放するとのニュースが流れた。、しかしきょう(15日)の朝日朝刊には、政府当局者が「延期」と述べたと報じた。政府は同委に対し、500人の「良心の囚人」がおり、前回の釈放後、300人が現在も獄中にいる事を明らかにした。一方、スーチさんは軟禁解除1年を機に記者会見し、「まだ591人が釈放されていない、全員釈放は米国の経済制裁解除の条件」と述べた。なおスーチーさんはNLDの政治参加が可能になったことに関し、NLD中央執行委員会が18日に決定すると述べた。関係者の話によると、スーチーさん自身が立候補する意思とのこと(以上概要)。現在未釈放の政治犯数をスーチーさんは591人と発言、AAPP発表に比べ少ない点注意。

2011年11月14日月曜日

(1280)ワッハッハ×2 楽しかった「誕生会」

  きのうは一年で一番ワクワクする行事、私の「誕生祝賀パーティー」が新宿歌舞伎町のカチカチ山で行われた。集まっていただいたのは50人弱、ほぼ全員牛久入管に1年近く収容されていた人たちで、女性が圧倒的に多かった。これもたぶん私がイケメンだったせいだろう。パーティーは恒例の挨拶から始まったと思ったら、いきなり「アポジーオーオー」や「モーユワイン」の大合唱、さらには「アイウオントユー」や「会いたかった会いたかった」に変わる。次に漢字クイズ、「緬甸」の文字は誰も読めなかった。私の本当の誕生日は11年11月11日、この日の11時11分に買った100枚の宝くじを日ごろのお礼にと思い、くじ引きに利用、いやいや盛り上がったなあ。いつもしとやかに微笑を浮かべている彼女らも、昨日は騒々しく、時に物凄い歓声や悲鳴を上げていた。2007年から続いており、来年11月が楽しみだ。

2011年11月13日日曜日

(1279)日緬外相会議へのヒューマンライツウオッチの提言

  先日来の政治囚の釈放について、きょうはヒューマン・ライツ・ウオッチの見解を。「今回のビルマ外相訪日は、通商問題を論議するだけでなく、人権状況改善を求める重要な機会、日本政府は全政治囚の即時無条件釈放を行い、少数民族への戦争法違反行為を停止するよう強く要請する。NLDに政党としての再登録と、候補者の擁立を認めて欲しい。また、人道援助の実施に当たっては、少数民族が住む地域ではビルマ国内へのアクセスを改善することを確約させるべきだ。天然資源採掘への投資は、人権状況の著しい改善を前提にして欲しい。国内紛争地域での国軍による民間人への攻撃はカレン州、カチン州で続いており、約5万人が国内避難民となった。ビルマ政府からの援助拡大の要請に対して、日本政府は、人権侵害が停止し、責任者が処罰されることによって始めて傾聴されることを伝えるべきだ。

2011年11月12日土曜日

(1278)ミャンマー改革 消えぬ警戒

  ミャンマー政府の突然の民主化改革で世論は揺れており、日本や海外の反応も様々だ。11月11日の朝日新聞は、標記の見出しの下、「冷めた市民 『見極めたい』」という小見出しで、ヤンゴン市民の反応をまとめている。軍政は5人以上の集会を禁じていたが、先月末「平和的デモ集会法」が上下院を通過、警察は十分かつ正当な理由がない限り、デモを禁じることはできなくなる。労働組合の組織や労働者の団体交渉権、スト権を認める「労働団体法」も先月施行された。在ヤンゴンの知識人や外交官は「新政権に改革が可能なのは軍政時代のように利権におぼれた経験のある人が少ないからだと見る。政党登録法の改正でNLDの政治参加も可能になった。「NLDが補欠選で大勝しても全体の議席の一部、15年の総選挙まで政権は安泰、この間に国際社会で地位を高め経済制裁を早く解除したいのでは」。

2011年11月11日金曜日

(1277)ワッハッハ 83歳になりました。

 きょうは2011年11月11日、1が6つ並ぶ珍しい日だ、これで11時11分になったら10個も並んでしまう。このような めでたい日は2111年まではない。私はこの珍しい日に83歳の誕生日を迎えた。この「いい」日を利用すべく、きょうの11時11分に新習志野駅そばの宝くじ売店で、200円の宝くじを50枚買った。たまたま、あさっての13日(日)には、ビルマ人有志が私のために「誕生日祝賀パーティー」を開いてくれるという。この有志というのは、2006年ごろ、牛久の入管で10ヶ月前後も収容されていた難民申請中のビルマ人女性が中心となっている。あの時、私は毎週一回朝6時台に家を出て、茨城県牛久まで通い面会活動を続けていた時を思い出す。またBRSAの有志(大瀧さんはじめ牛久入管に収容されていた男性グループ)にも声がかかっているみたいだ。その宴席でこの目出度い宝くじを配布したい。

2011年11月10日木曜日

(1276)元政治犯トゥイン リン アウンさん

 ミャンマー軍政下で民主化運動に加わり、獄中生活を送ったトゥインリン アウンさんが来日し、11月8日の朝日新聞にインタビューの内容が報じられた。彼はヤンゴン工科大学の学生だった1988年、反政府デモに参加、タイに逃れたが、帰国後の97年に逮捕され、中部のミンジャン刑務所に送られた。ここには約100人の政治犯が収容され、多くは独房、運動は許されず食事もわずか、他人との会話は禁じられ、孤独で正気を失う人、病気で亡くなる人もいた。本人は2002年に釈放。08年にタイに逃れ、現在はメソトを拠点に民主化運動を続けている。「全政治犯が釈放されない限り民主化の前進はない」、「一度釈放してもいつでも再逮捕できることを忘れてはいけない」。と(以上概要)。私も同感であり、(1206)、(1208)、(1208)で述べたネイミョージン氏の逮捕と絡め、全政治囚の釈放を期待する。

2011年11月9日水曜日

(1275)読みました、「イラワジ川河畔会戦」

 著者は河田槌太郎氏、編者は河原六蔵氏と大塚雅彦氏。1995年3月、朝文社発行、165頁、定価2000円。インパール作戦の際牟田口軍司令官の命に反し、自己の判断で撤退するという「抗命」により解任された佐藤師団長の後任が河田氏であり、第31師団「別称「烈」師団長として活躍、常に部下の人命を大切にしていた。河田氏は昭和39年に逝去したが、彼の遺稿(手記)を世に著さんと部下であった河原氏と大塚氏が中心となり、この本を編集した。インパール作戦の失敗により、日本軍は敗退を続けたが、イラワジ川河畔に陣地を作り、敗走兵を吸収して陣容を立て直し、ここで追跡してくる英印軍と一戦を交え、さらに敗走を繰り返した。その間の作戦計画が詳細に師団長の手記に残されていた。河田師団長は明治25年生まれ、このため文章には難解な漢語や軍隊用語が多く、却って真実感が湧く。

2011年11月8日火曜日

(1274)聖書を読むのに許可が必要??

  ミャンマー政府は、最近同国におけるキリスト教徒らの自由な宗教活動を制限する新しい規制を発表した。カチン州ファカント郡に住むキリスト教徒らは、聖書を読むには少なくとも15日前に文書で申請することが制定された旨、10月31日クリスチャンポスト紙が報じた。カチン州北部には多数のキリスト教徒が在住しており、彼らは今回の規制に強く反対している。10月始めには軍部がカトリック教会の牧師を含む5人を拘束、暴行を加えたという。6月にカチン独立組織(KIO)とミャンマー軍部の対立が始まって以来、3万人以上のカチン民族が強制移住させられた。米政府は、ミャンマーの他、中国、エリトリア、イラン、北朝鮮、サウジアラビア、ウズベキスタンを最も懸念すべき宗教迫害国とみなしている。政府の干渉や規制なしに何を信じるかを決める権利は、人間の尊厳において欠くことができない要素である。

2011年11月7日月曜日

(1273)読みました、「ビルマに暮らして」

  副題は「閉ざされた国の人々と生活」、著者は佐久間平喜氏(14年間在ビルマ日本大使館勤務)、1994年8月、勁草書房発行、187頁、2200円+税。外交官として勤務した歳月を振り返りつつ、政界トップの横顔、遭遇した事件の数々、愛すべき人々の知られざる生き様を浮き彫りにしている。特に、ネーウイン元将軍の経歴、人となり、私生活と家庭、政権長期化の理由、ネーウイン以外の政治指導者たち、日本商社員のスパイ事件、韓国大統領の爆殺未遂、紙幣流通停止措置、医療事情と迷医の活躍、ビルマ生活展望などが続く。この本には、私の知りたかった内容が随所にあり、まるで私のために書いた書籍といった感じ、私がビルメロになったのが1995年、このため、それ以前の状況はよく理解できていなかったが、94年発行のこの一冊を読んで問題点が次々と解明できた。私にとって至福の一冊。

2011年11月6日日曜日

(1272)バルーチャウン発電所再開 現地から反対の声

  メコンウオッチからの情報(11月4日付)。10月21日、日本政府はローピタ(バルーチャウン)第二水力発電所の改修のために、政府開発援助(ODA)を行うことを発表、ビルマ政府が民主化に向けて前進していると日本政府が評価したことを受けてのことだ。なお、同発電所は第二次大戦後に日本の戦後補償によって建設された。この発電所建設時には1万2千人以上が強制的に移住させられ、また数千人のビルマ国軍が地域に入り、住民は強制労働、性暴力、処刑などの残虐行為を受けた。水も水力発電に優先的に回されるために、周辺の住民は水不足に直面。また周辺には1万8千個の地雷が埋設されている。一方、周辺住民の80%は電気のない生活だ。ビルマの水力開発事業は周辺住民に恩恵をもたらすどころか、人権侵害を引き起こしている。日本政府はまず周辺の人権侵害から調査するべきだ。

2011年11月5日土曜日

(1271)松本で難民定住を支援 来年受入れ目指す

  都内で研修中のミャンマー難民の松本市内への受入れを目指す市民団体「松本地域難民定住支援連絡協議会」が14日発足した。研修が終わる来年3月にも2家族を受け入れ、農業に従事してもらうことを検討している。就労には、ミャンマーに農業支援に出向いた経験のある市内の農業生産法人が全面的に協力する。協議会の米倉会長は「受け入れには地元町会や市などの理解が必要、地域を巻き込みながら難民を受け入れられる環境を作りたい」と。(以上中日新聞10月15日、信濃毎日11月3日)。なお10月19日発行の「週間金曜日」には、9月29日、成田空港にカレン人4家族18人が到着した旨報じた。男性(33歳)はできる仕事があれば何でもやりたい、農業の勉強もしたい」、「子供は3人、早く日本語を覚えて、ビルマのことを伝えたい」と語った。政府は受入れ態勢のネットワークの構築を早く!

2011年11月4日金曜日

(1270)先進国における庇護申請数が17%増加

  10月18日のUNHCRの発表によれば、先進44カ国において2011年上半期に受理された庇護申請数は、19万8300件で前年同期に比べて17%増加しているという。例年後期のほうが増大するので、年間では過去最大の42万件に達すると予測している。特に西アフリカ、北アフリカ、東アフリカにおける大規模な強制移動が確認されている。その一方で、これらの強制移動が先進国の庇護申請数にもたらした影響は少ない。今回調査対象になった44カ国において、庇護申請者の出身国はアフガニスタン(1万5千件)、中国(1万2千件)、セルビア・コソボ(1万件)、イラク(1万件)、イラン(8千件)であった。国別では、アメリカ(3万6千件)、フランス(2万6千件)、ドイツ(2万件)、スウェーデン(1万3千件)、イギリス(1万2千件)と続いた。日本・韓国は前期の600件に比し1300件。難民の80%は途上国に。

2011年11月3日木曜日

(1269)ミャンマー中部で洪水被害

  最近はタイの洪水の様子がニュースで毎日のように放映されているが、PFBの情報によれば、10月19日ベンガル湾からミャンマーとバングラデシュの国境地域に上陸したサイクロンの影響による豪雨で、ミャンマー中部でも大規模な洪水被害があったという。現地の報道によれば、ミャンマー政府当局者は、215人の死亡を確認、さらに増える見込みとのこと。被害はマグウェ管区、マンダレー管区、サガイン管区に及び、約35000人が被災、NGO団体のブリッジ・エイシア・ジャパン(BAJ)は100万円を目標に緊急募金活動を開始している。一方、やや古い情報だが、8月3日タイとの国境にあるメラウ・メラマルアン難民キャンプで洪水が発生し、338戸と図書館が被災、NGOのシャンティ国際ボランティア会(SVA)が支援を呼びかけている。地球温暖化の影響か、いまや世界中が異常気象に悩まされている。

2011年11月2日水曜日

(1268)入国者収容所視察委員会の意見と措置

  標記委員会の提出意見と各入国者収容所所長が講じた措置の概要が6月30日に発表されていた。本ブログ(1242)では東日本地区の概要を論じたが、今回のは西日本地区を含む総合的な発表である。委員会から提出された意見は96件、内、組織・職員関連14件、建物・設備関連31件、食事・物品関連19件、衛生・医療関連27件、面会・通信関連7件、その他23件であった。私が注目したのは組織・職員関連の中の、被収容者に対する適切な処遇の確保を目的として職員の増員云々という項目である。前回も述べたが、難民申請者の場合、いつ出所できるかも分からない長期の収容は、人権蹂躙であり精神的拷問であろう。長くても6ヶ月以内に短縮してほしい。そうすれば、職員の負担も大幅に軽減され、職員数を減らすことも可能、入所者のために支払う費用も減る。いずれも我々が支払う税金だ。

2011年11月1日火曜日

(1267)第三国定住の失敗

  10月23日の神奈川新聞に第三国定住制度の問題点について、かながわ難民定住援助協会会長・桜井ひろ子氏のエッセイが掲載されていた。「ああ、やっぱり」、それが第一印象だった。30年間、この国は同じ過ちを繰り返している。新たな犠牲者を出してしまった。定住支援策のモデルは、約30年にわたるインドシナ難民の暮らし振りだ。だが自立とは言い難い生活から、手本とは決してなり得ないことは明らかだ。ミャンマー難民には、初期の集中的な日本語教育と、働きながら継続的に学べる環境整備が必要。地域を含めた支援体制の確立は、受け入れを決断した日本の責任と断じた(以上概要)。今回の失敗の原因を全国難民弁護団連絡会議から玄葉外務大臣宛に申入れを行ったが、回答はまだ聞こえてこない、一刻も早く関係各機関との議論の場を設置してほしい。「難民鎖国」の嘲笑を聞きたくない。

2011年10月31日月曜日

(1266)ビルマ今週のニュース(1134号)

  BURMAINFOからのニュースの抜粋。 ★ミャンマーで政党登録法の改正案が議会両院で承認された。大統領の承認を得て発効すれば、現在は法的には政党と認められていないNLD(国民民主連盟)が合法な政党として登録する道が開ける。NLDは来週の中央執行委員会の会議で決めるとしている。 ★ビルマ中央部で20日、豪雨により大きな被害が出ている。パコックでは22日、215人の死者を確認、行方不明者も多数いるため死者数は増える見込み。このほか数千人が僧院などに避難している。 ★日本政府は、洪水被害に対し1000万円相当の緊急援助物資の供与を決定。 ★ミッチェル米政府特別代表・政策調整官が24日ビルマを訪問、9月に続き二回目、外相や下院議長、スーチー氏らと会談。 ★インドネシアのマルティ外相が28日、民主化改革の進捗状況を調べるためにビルマに到着。 

2011年10月30日日曜日

(1265)ビルマ式「敬老」の集い

  今朝9時半より新宿区戸塚地域センター(高田馬場より2分)で、ビルマのよき習慣を東京でもということで、有志により盛大な「敬老会」が開催された。私は定刻10分前(9:20分)に到着したが、実際には10時にスタート、さすがビルマの習慣は維持されていた。数十人のビルマ人に囲まれ礼拝を受けた長老は8人、日本人は田辺氏(ウーシュエバ)と私の二人。こういうときには田辺さんがそばにいてくれると心強い。ビルマ僧侶の説教の後、全員が我々に対し読経、拝礼、しばらくして長寿者一同を代表して私に挨拶するようにとの司会の声、私は、例によって「笑顔」、「感謝」、「継続」、「青春」の文字を書いた紙を掲げて、私自身のモットーを説明した。終わると食事会、皆さん手作りのビルマ料理がふんだんに並び豪華そのもの、少食の私は全部食べきれず残念、しかしビルマ人からの好意は全部体に入れた。

2011年10月29日土曜日

(1264)ガーナ人の死、問われる入管

 昨日の朝日夕刊に「ガーナ人の死 問われる入管」、「強制送還での経緯 徐々に判明」、「バンド使用、違反か」との見出しのもと、昨年3月22日に成田空港から強制送還されようとしていたガーナ人の男性が、出発前の飛行機の中で亡くなった。この事件は当ブログの(661)、(713)でも報じた。その後1年7ヶ月たって、その状況が明らかになってきた。死亡したのはアブバカル・アウドゥ・スラジュさん(当時45歳)。手錠と縄で拘束されたスラジュさんは、複数の入国警備官が抱きかかえ、両足首にも手錠して機内に運び、最後列の座席に座らせた。プラスティック製の「結束バンド」4本を使って両手首とズボンのベルトを固定、口にタオルを猿ぐつわのようにして結んだ。そのまま首を押さえて前かがみにさせたところ死亡したという。訴訟の口頭弁論は31日、APFSは傍聴を勧誘。強制送還されたビルマ人も多い。

2011年10月28日金曜日

(1263)ヤンゴンでの日本語コンテスト

  久しぶりに「ミャンマー日本語教室ブログ」から。10月26日にヤンゴン市内のホテルで共立国際交流奨学財団主催の「第1回日本語体験コンテスト」が開催された。まず予選会で日本に関するクイズ。★今年世界遺産に登録された場所は、小笠原諸島・富士山・沖縄、★日本で一番食べられている果物は、みかん・バナナ・もも、★日本では男性は18歳から結婚してもいいが、女性は、20歳・18歳・16歳、★1590年に日本全国統一したさむらいの名前は、豊臣秀吉・徳川家康・織田信長、★AKB48の総選挙で一番に選ばれたのは、前田敦子・大島優子・柏木ゆき、さらには、足が棒になる、おなかがぺこぺこ、ねこの手も借りたい、の意味、この予選会に合格すると今度は本選会、例えば「ミャンマー人の長所」というテーマで3分間の日本語スピーチ、準備時間は15分、優秀な生徒5人が1週間の日本旅行だ。

2011年10月27日木曜日

(1262)読みました 「アラカンの墓標」

 「アラカンの墓標」、副題は「私のインパール作戦記」、著者は吉村秀雄氏(大正8年生)、1987年10月、葦書房発行、242頁、1500円+税。インパールは印度領にあり、援蒋ルートの拠点といわれ、日本軍は無理を承知でここを攻撃することを決めた。ビルマの各地方を占領した日本軍は、勢いに乗じてほぼ全部隊が北から南からインパール奪取を目指した。しかし制空権を米英軍に握られ、武器・食料の補給が圧倒的に少ない中、日本軍は無茶苦茶に前進し、インパール北部のコヒマまで一部が到達した。2ヶ月の戦闘のあと撤退、それからは圧倒的な英印軍の軍事力により敗退を続け、終戦を迎えた。本書でいうアラカン(山脈)は印度領であり、伝染病や食料不足のため痩せ衰えた兵隊は次々と倒れ、まさに地獄のような光景の連続であった。もしここに戦争賛美者がいたら、ぜひこの本を読んでいただきたい。

2011年10月26日水曜日

(1261)NAY MYO ZINを釈放して!

  彼のことは既に(1206)、(1208)でも紹介したが、2011年4月2日に電子通信法違反で逮捕され、その後8月26日に禁固10年の判決を受けた。罪状は知人に反政府的な情報をインターネットで送信したというもの。ここで問題なのは4月2日という日付、その3日前の3月30日にテインセイン大統領が就任し、新しい民政政権が発足したばかりなのだ。彼は新政権下で初めての政治囚なのだ。現在のミャンマーは反政府的な情報もインターネットで誰もが検索できる時代なのだ。もしいまであれば彼の逮捕はありえない。また彼は退役後、NLDグループの青年たちと献血運動を全国的に広めている最中であり、一方、サイクロン「ナルギス」の被災者救援活動にも力を尽くした青年である。このような好青年をなぜ禁固10年の刑に処するのか。昨日私は東京在住の実兄と共に専門家を訪問、彼は満足していた。

2011年10月25日火曜日

(1260)ビルマからの手紙⑩ (毎日新聞10月23日)

  「仏塔の都パガン 尽きない魅力」、「最大の財産は人」という見出しで、スーチーさんのビルマからの手紙は続く。今回はパガン近郊で生じたバイクタクシーの運転手による日本人女性殺害事件に触れ、深い哀悼の意を示した。次いで、パガン近郊のポゥパー山の伝説を紹介、スーチーさんの一行は山に登らずに裾野の国立公園を訪れた。ここには珍しいランやチョウが豊富で、あたりはひんやりしていて、壮大な火山と植物学者を恍惚とさせる緑の絶景を望むことができた。パガンは歴史、建築、芸術、自然美などを通じて多くのものを与えてくれるが、最大の財産は人だ。住民らは優しく礼儀正しく、人当たりがよい。この地のタラバの木陰にある「タラバ3」での食事は安く大変美味しい。パガン旅行の話はそろそろ終わりだが、この素晴らしい料理の話より良い終わりはあるだろうか。日本の皆さんパガンへどうぞ。

2011年10月24日月曜日

(1259)ビルマ政治囚の釈放いまだ不十分

  10月12日、アムネスティインターナショナルジャパンが発表した国際ニュースに、標記の話題が記載されていた。ビルマ政府は10月11日に少なくとも120人(後日の発表では220人)の政治囚を釈放した。このニュースを聞いたアムネスティは、「当局は直ちに残されたすべての良心の囚人たちを無条件に釈放しなければならない」と。2007年後半から、約2000人もの人々がビルマの政治的理由で投獄された。「今回釈放された政治囚の多くは、釈放後再び政治活動を続けるでしょう。彼らが再び刑務所に放り込まれることがないように」という。ビルマにおける刑務所の環境は、国際基準から程遠い。ブーティータウン刑務所は2.4M×3Mの独房で、食事、水、医療対策が不十分。アムネスティは「ビルマにおける深刻な国際法上の重大犯罪について、国際調査委員会の設置を要請し続けている」と結んだ。

2011年10月23日日曜日

(1258)ビルマ今週のニュース(1133号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★ビルマの人権状況に関する国連特別報告者のキンタナ氏が19日、国連総会第三委員会で報告。少数民族との武力紛争が続く地域で、強制労働や、超法規的処刑など深刻な人権侵害が起きている。また年末に予定される補選の実施までにすべての政治囚を解放することを呼びかけた。 ★ビルマに関する米政府代表ミッチェル氏は17日、国務省で「民主主義実現を目指すならば全政治囚の無条件釈放を」、「少数民族住民に対する人権侵害が続く限り、米国との関係が完全に正常化することはない」と。 ★ワナマウンルウィン外相が16年ぶりに20日来日、玄葉外相と会談、バルーチャウン水力発電所の補修工事と、人材開発センター建設に、調査団を派遣する意向。 ★IMF技術チームがビルマに到着。 ★ミッソンダム現場で作業続行中国側指示の可能性も。

2011年10月22日土曜日

(1257)日緬外相会談 ODA再開を表明

  10月22日の朝日新聞から。玄葉外相はミャンマーのワナ・マウン・ルウィン外相と都内で会談、玄葉外相は、民主化を支援するとして、ODAの再開など協力強化を表明、欧米諸国に先駆けて、野田政権はミャンマー支援を鮮明にした。ミャンマー外相の公式訪問は16年ぶり。日本は「民政移管」で新政権が発足した3月以降に支援の体制を強め、中国とミャンマーの関係が深まるなかで、親日国だったミャンマーとの関係を再構築する狙いもある。ODAではバルーチャン第2水力発電所など2件の援助再開のほか、新規案件の検討でも合意した。ただ、新政権の民主化への取り組みは評価が定まっておらず、特に政治犯の恩赦が少な過ぎるとの声が拡大してる。ミャンマー外相は、引き続き適切な時期に恩赦を続けることを表明した(以上概要)。人間関係と同じように国と国が仲良くなる方向はいいこと思うが。

(1256)日本はやはり難民鎖国なのか

 10月19日の読売新聞の論点欄に滝沢三郎氏(元国連難民高等弁務官事務所駐日代表)の「ミャンマーから受け入れ 難民自立へ受け皿必要」とのタイトルで、投稿記事が掲載されていた。その内容は、難民の自立が難しい現況とその原因をいろいろな観点から分析し、今後日本政府が進むべき方向を示唆している。例えば、受け入れ対象者の厳密化、日本語教育、職業訓練の不備、外務省から難民事業本部だけへの業務の丸投げ、地域住民と自治体の関与が蚊帳の外であること、そして情報を流さず外部との接触を遮断していることなどを指摘。同氏はこれらの反省に立って今後の方向付けを提言している。その上で同氏は、「日本は数十人の難民も受け入れない国」という国際的なイメージが傷つく、としている(以上概要)。私は同氏の見解に全面的に賛同する。関係者はこの問題をうやむやにしないように。

2011年10月20日木曜日

(1255)国連難民高等弁務官事務所への要請

  西日本各地のNGO4団体が参加している「公正・的確な難民審査を求めるNGO s」というグループが10月15日、国連難民高等弁務官事務所のヨハン・セルス駐日代表に「難民審査に関するUNHCRの法務省への速やかな改善要請」を依頼した。その内容は、①難民審査参与員制度に重大な支障があること、②法務省入国管理局が難民申請の立証基準は民事訴訟の立証基準によると断言していること、この2点である。①については、難民申請の1次審査は半年以内に処理(本年7月~9月の処理期間は4.7ヶ月)されたというが、そのしわ寄せが異議申立に来ている。この点については私もブログ(1159)で取り上げた。②については、UNHCRは「申請者には灰色の利益」との姿勢だが、実際にはほど遠い状況だ。この点も私は「アリンヤウン誌37号」で触れた。UNHCRの適切なる措置を期待する。

2011年10月19日水曜日

(1254)読みました 「12のルビー」

  副題は「ビルマ女性作家選」、編者はマウン・ターヤ(1931年生、1953年投獄、ビルマ文学界の実力派作家の一人)、訳者:土橋泰子(東京外大ビルマ語科講師)、南田みどり(大阪外大ビルマ語科助教授)、堀田桂子(大阪外大ビルマ語科講師)(肩書きは発行当時)、1989年11月、段々社発行、294頁、定価1700円。軍事政権下という厳しい社会状況の中で、ミャンマー人庶民のたくましい生活ぶりを描き出す12人の作家による12編が並ぶ。1974年から85年の作品だが、いずれもどこにでもあるような家族関係や恋愛関係をしっかりした筆致で描いており、読んでいて時に目が潤む。そして、日本の大正、昭和初期の暮らしを思い浮かべてしまう。ミャンマーの女性作家たちの精神はしなやかに強靭で、読者に希望を与えてくれる。同時に翻訳者もそうそうたるメンバーであり、いずれもすらすら読める。

2011年10月18日火曜日

(1253)「ここがちょっとヘンだよ 難民問題」

  先ほど「アリンヤウン」誌37号が郵送されてきた。同誌は「ビルマ市民フォーラム」(PFB)の機関誌で、アリンヤウンとはビルマ語で「光」を意味する。同会には渡邉彰悟弁護士や根本敬教授、ウーシュエバなど、ビルマ関係の錚々たる知識人が多数揃っている。この機関誌についてはすでに(1160)で紹介した。今回の37号には、実は、私が寄稿した小論文「ここがちょっとヘンだよ 難民問題」が掲載されている。内容は第三国定住プログラムで来日したビルマ難民が日本になじめない問題、法務省が難民認定審査期間が短縮されたというがその疑問点、民主党は難民認定行政を新機関でと主張するがその現実などを取り上げた。関心のある方はご一読いただければと思う。私がこの号で感動したのはウシュエバの「木村妙子さんのこと」。私も十数年前から存じ上げていた方なので悲しい。ご冥福をお祈りする。

2011年10月17日月曜日

(1252)サヤガドーボエに出席しました

  昨日の日曜日、私はミンガラ日本語教室のサヤガドーボエ(先生に感謝する仏教儀式)に参加した。教室は秋葉原駅から徒歩3分、1年前までは毎週通っていたところだ。11時開会というのに、なぜか遅刻気味、ちょうど11時に到着、先生方十数人、生徒50人ぐらいが集まり、先生に向かって皆が合掌礼拝、ことしで10回目の儀式であるが、いつも緊張する瞬間だ。その後、先生方全員から教育的な言葉が話され、それを受けて生徒のほうから感謝の一言があった。私は例によって「感謝」、「笑顔」、「継続」をしゃべった。儀式終了後は、一転して賑やかな会食の時間、生徒がそれぞれ持ち寄った料理やデザートで腹づつみを打った。その間、私のもう一つの例会予定を会員2人と相談した。私の体調から、今回が最後のサヤガドーボエかなと思っていたが、皆さんと出会ったらあと1回ぐらいは大丈夫かなと思うよ。

2011年10月16日日曜日

(1251)ビルマ今週のニュース(1132号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★ビルマ政府は12日、恩赦により約6300人の受刑者を釈放、約2000人いるとされる政治囚のうち、コメディアンのザーガナー氏ら約220人が解放された。2007年9月の民主化要求デモを指揮した全ビルマ僧侶連盟(ABMA)のガンビラ氏や「88世代学生グループ」を率いるミンコーナイン氏、コーコージー氏らの著名な活動家は解放されず。NLDなどの民主化運動団体は不満を表明。 ★テインセイン大統領は、12日からインドを訪問、またミッソンダム建設凍結について、ワナ・マウン・ルウィン外相は大統領特使として訪中、習近平国家副主席らと会談、適切に解決することで合意。 ★連邦選挙管理委員会が5日、政党登録法の修正案を上院に提出、もし可決されればNLD(国民民主連盟)が登録手続きを行い合法政党となることが理論上可能となる(以上概要)。

2011年10月15日土曜日

(1250)ミャンマー民主化の大きなうねりが

  今朝の朝日には、ミャンマー関係がいろいろ記載されていた。先日ミャンマー新政府が発表した恩赦該当者は6359人、このうち政治犯は14日の時点で220人、有名人はザガナル氏のみ。スーチー氏は引き続き全員の釈放を求めている。ヤンゴンの外交筋は、第2、第3の恩赦を考えているとみる。日本の玄葉外相は、ワナ・マウン・ルウィン外相と21日に東京で会談する。会談では、人的交流、ODA、経済関係、文化交流について協力強化を打ち出す。ODAではバルーチャン第2水力発電所の補修や人材育成開発センターの再開を表明、一方、慎重論も強い。なお、インドのシン首相はテインセイン大統領とニューデリーで会い、天然ガスや石油の開発で協力を確認、中国をけん制してる(以上概要)。ミッソンダムの建設凍結問題で、中国側の反発は必至であり、ミャンマー民主化問題はいま大きく動き出している。

2011年10月14日金曜日

(1249)読みました 「ミャンマー東西南北・辺境の旅」

  著者は伊藤京子氏(米国ジョージア州短大卒、ご主人はミャンマー人で、ミャンマーに1年半滞在。フリーライター・フリーカメラマンとして活躍中)、2002年11月、株式会社メコン発行、158頁、定価1500円+税。この書籍は一種のミャンマーの旅行案内書であり、南部ミャンマーとしてはヤンゴン、モーラミャイン、他9ヶ所、東部ミャンマーでは、インレー、タウンジー、チャイントン他2ヶ所、中部ミャンマーではマンダレー、バガン他9ヶ所、北部ミャンマーでは、ミッチーナ他1ヶ所、そして西部ミャンマーでは、ガパリ他1ヶ所を紹介。すべて著者が実際に訪問したところであり、アクセス方法、ホテル、レストラン、近辺の名所等を綺麗な文章で丹念に記している。そして、各訪問先で著者が撮った豊富な写真や、6つのコラムも読者を楽しませてくれる。これからミャンマー旅行を予定している方々には、必見の書籍であろう。

2011年10月13日木曜日

(1248)政治犯の釈放開始

  昨日に引き続き、今日(10月13日)の朝日新聞に、標記の見出しとともに、コメディアンのザガナル氏の喜び溢れる笑顔が掲載されていた。記事によると、恩赦を受ける受刑者は6359人で、この中に政治囚が含まれている。NLD関係者は、約100人の政治囚が確認されたという。釈放者の名前などは公表されていないが、2008年に当時の軍事政権を批判したとして拘束された、人気コメディアンのザガナル氏も含まれていたという。同氏は釈放後「私の経験から言えば、ビルマが正しい方向に進んでいるとはまだ信じない」と述べ、政府への強い警戒感をにじませたという。なおスーチー氏は、「すべての政治犯が釈放されることを望む」と語った(以上概要)。私が個人的に心配している NAY MYO ZIN氏の名前が、この名簿の中にあるのかどうかまだはっきりしてないが、彼をぜひとも早期に釈放してもらいたい。

2011年10月12日水曜日

(1247)政治犯釈放へ 恩赦6300人に含める

  またまたミャンマーから大ニュースが飛び込んできた。今朝(10月12日)の朝日新聞1面と11面によれば、標記の見出しのほか、「釈放、制裁解除狙いか」、「ミャンマー国民和解も模索」と並んでいた。テインセイン大統領は、次から次へと新しい政策を発表して、世界を驚かしているが、ついに最後の切り札といわれる政治犯釈放を12日から実施することに踏み切った。人気コメディアンのザガナル氏や女性活動家スースーヌエイ氏も含まれるようだ。今回政治犯が多数含まれれば米国やEUへの強力なアピールになる。一方戦闘が続く少数民族の指導者らも投獄されており、釈放されれば国民和解という面でも前進しそうだ。スーチーさんは政府とも協力しつつ、欧米との間に立つ難しい立場だ。そのほか政府は労働組合の結成を認めた(以上概要)。先日国会風景で見た緑色の軍服を着た議員の顔が気になる。

2011年10月11日火曜日

(1246)ミッソンダムの工事凍結の流れ

  当ブログでは、ミッソンダムの工事について何回か取り上げた。(1197)8月11日、スーチー氏が「イラワジ・アピール」の中で、ミッソンダムについて社会・環境的悪影響の懸念を表明。(1228)9月1日、新国会議員5人が原告となり、ダム建設の正確な情報を求めて政府を告訴。(1233)9月12日、ウーゾーミン第一電力相が反論「この計画は絶対進める、環境調査には第三者であるBANCAに1億円支払い依頼しており3年は必要。我々は一銭も使わないで総発電量の10%の電力と、8%の商業税が入る」と。(1236)、テインセイン大統領は9月30日、ミッソンダムの工事を5年間凍結すると発表した。以上であるが、9月30日に、ビルマ河川ネットワークは、イラワジ川のすべての水力ダムについて、中国電力投資公司(CPI)による正式な工事中止を求める文書を提出。今度は中国の度量が問われる番だ。

2011年10月10日月曜日

(1245)社説:民主化を見極めたい

 10月10日の朝日社説だ。総選挙が昨年11月に行われ「民政移管」が宣言された。しかし国会議員の8割以上は軍人や軍出身者が占め、実質的には軍政だ。テインセイン大統領は、スーチー氏との面談、ミッソンダムの工事凍結、亡命活動家の帰国促進、外国人記者の国会取材を認めた。街にはスーチーさんの写真が掲載された新聞や雑誌が出回り、反政府団体のサイトが閲覧できるようになった。しかし政府・軍内部で改革派と守旧派の争いがあると推測されており、民主化が定着する保障はない。3年後のアセアン議長国が決まるまでのポーズだとの見方もある。変革が本物と認めるには、2千人の政治犯の釈放や、少数民族との対話も必要。日本政府は早速、人道部門に限っていた援助を人材育成などに広げ、日本企業の現地視察も始まった。改革を見極めながら、民主化を後押しする姿勢で臨みたい。

2011年10月9日日曜日

(1244)読みました 「マハボテ」

  「マハボテ」、副題は「神秘のビルマ曜日占い」。監修はジョンラック・アジャーン・ダラニー、著者は宇佐美百合子氏、1994年8月、成星出版発行。245頁、定価1000円。「マハボテ」とはビルマ語で「小さな鍵」という意味で、30年ほど前にタイのチェンマイにある寺院から一冊の古書が発見されたが、それが古代ビルマの占星術書「マハボテ」だった。著者は深層心理学と東洋哲学の研究を続け、92年にチェンマイでジョンラック・アジャーン・ダラニー師と出会い、この「マハボテ」の研究が始まった。ビルマ人はみな自分の誕生曜日を知っており、その曜日によって占うのだ。私は日曜日生まれなので恐る恐る日曜日の頁を覗いてみた。イヤー参った。参った。責任感が強い、行動力がある、善行を求めている、リーダー的な存在、弱い者を助ける・・・・ほとんど当たっているみたい。私の勘違いもあるけどさ。お薦めする。

2011年10月8日土曜日

(1243)ビルマからの手紙⑨

  スーチーさんは前回に続いて、バガン訪問の思い出を綴っていた。三番目に訪れたタッピンニュ寺院は、古代仏教建造物の中で最も高くそびえ、建物のバランスがよく、積み重なった露段がひときわ美しい。しかし、内部の壁画には石灰が上塗りされているだけで、文化的、歴史的な遺跡の保全としては、あまりにも嘆かわしい状況だ。小さな遺跡の多くは、いまだに修復されないまま放置されている。世界の文化遺産の一つとして、パガンの保全意識を高めねばならないとつくづく思う。助けを必要とするのは遺跡だけではない。車で一時間ほどのところに、インジンという木が密生するオアシスがあり、村民にとり一番大切なのは「水」。日本のNPO (ブリッジ・エーシア・ジャパン) が、かつてこの森の中に井戸を掘り村民の生活は楽になったが、みんなまだまだ貧しい暮らし、でもこの村民の中に大学を出た人も現れた。

2011年10月7日金曜日

(1242)入国者収容所等視察委員会の活動内容

  今まで知りたかった標記内容が、やっと報じられるようになった。5月25日の同委員会(東日本地区)から出された意見書に対する入管側の回答である。意見書と回答書は、札幌、仙台、東日本、東京、横浜、成田、羽田の7箇所から得られている。意見書は、①処遇担当職員の適正な配置等②開放処遇の検討、③収容者の不安への対策、④強制送還の際の危害の防止策、⑤診察所への不満の改善、⑥診断書の交付、⑦開放時間外の電話使用 ⑧収容者からの不服の申し出への対応、⑨面会時に乳幼児を抱ける方策、⑩運動場での安全性の確保、⑪歯科医師による診療、⑫その他。それぞれについて回答書もつけられており、改善されてるところもいくつか見られる。まあまあの成果とは思えるが、私が面会してみて最多の苦情は長期間収容の問題、これは人権問題であり、同時に①の解決策でもある。

2011年10月6日木曜日

(1241)ミャンマー経済の近況(10月3日:BS-1より)

  ミャンマーは23年ぶりの民政化であり、カメラは新首都ネピドーに入り、大統領府、国会議事堂、31の役所の整然とした広大な街を映し出した。一方ヤンゴンでは、スーチーさんの写真入の週刊誌が売られており、インターネットも反政府側のサイトが見られるようになった。ミャンマーの人件費は東南アジアで最も安く中国臨海部の約5分の1。政府はこれを利用して各国の視察団を呼び込んでおり、日本人視察団の一人はインスタントらーめんに興味を示していた。しかしビジネス基盤はすでに韓国、中国、タイに取られており、日本は出遅れ状態、民政化のいまこそ全力を出すチャンスだ。ミャンマーは疲弊した経済を立て直し、再来年のアセアン議長国も狙っている。鍵を握っているのがスーチーさん、いまは慎重に意味のある対話を続けたいという。政治囚2000人の釈放問題も残り、問題山積、まだこれからだ、と。

2011年10月5日水曜日

(1240)定住制度第1陣の夫婦会見に思う

  私は私なりにこの問題の根源を探ってみた。難民認定の所管は法務省であるが、今回の第三国定住の難民の所管は外務省。法務省は難民認定の条件の一つに反軍事政権の集会やデモに積極的に参加しているか否かがある。いわゆる「顔を売る」ことが必要だ。しかし、外務省官僚(外交官)は、海外に行けば日本国の代表であり時に尊厳と思える姿勢も必要なのだ。また、外交上秘密事項が多く、情報管理の大切さを理解している。今回の定住難民に対しても外務省は目立つことは一切してくれるなという姿勢で、厳しい緘口令を敷いて関係者を近づけない。今回直接担当したのは、外務省の外郭団体「難民事業本部」だ。外務省の尊厳かつ機密保持を得意とする性格は決して悪くないが、本件では負の面が出た感じ。ビルマ難民と同じ目線に立ち、彼らが自治体やNGO、在日カレン人たちと談笑する雰囲気を!

2011年10月4日火曜日

(1239)全難連から外務大臣宛の申入書

  第三国定住の第一陣2家族が、難民事業本部の定めたスケジュールを離脱した件で、全国難民弁護団連絡会議は、渡邉彰悟代表の名前で玄葉光一郎外務大臣宛に9月26日、A‐4判7頁に及ぶ申入書を提出。その概要は①訓練作業時間の契約不徹底、②2歳児の保育園通い(往復2時間)による疲労、③同じく2歳児の39度発熱時でも休むこと不可、④生活保護の申請不可、⑤難民事業本部の通訳以外との連絡不可、NGOも両家族との連絡不可、⑥7月1日に明日は4時半から訓練と言われ2日から訓練を断念、⑦5人家族の長男は夜間中学に通っていたが往復2時間半で断念。この後も記述は続くが省略。弁護団側は問題点として①訓練という名の労働、②困窮した生活、③他者との連絡遮断、④子どもの教育、⑤通訳の能力を取上げ、それぞれ提案し関係各機関との議論の場の設置を申入れた。

2011年10月3日月曜日

(1238)読みました 「ビルマの鳥の木」

   著者は多田富雄氏(東大医学部名誉教授、文化功労者)、平成10年6月 新潮社発行(新潮文庫)、269頁、438円+税。世界的な免疫学者である著者が、旅、学問、芸術、そして人々とのふれあいを通じて、「感動」を発見していく。香り高き38章に亘るエッセイ集で、本の題名になった「ビルマの鳥の木」はその中の13頁にわたる一つの章。おそらく著者の代表作を全体の題名にしたのであろう。著者は伝染病対策の研究協力でヤンゴンに来たが、宿舎のインヤーレークホテルの前に白い幹の大木があり、その奥には黒々とした森が広がっていた。毎日夕方5時を回ったころ、どこからともなくカラスのような黒い鳥の大群がこれらの木々止まり、30分も鳴いたかと思うと瞬間的に飛び去る。著者はこの現象を眺めながら、強烈な生命の営みに隠れている死についていろいろ考えた。面白くきれいなエッセイだ。

2011年10月2日日曜日

(1237)ビルマ今週のニュース(1131号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★ビルマ外相は27日国連総会で演説し「近い将来適切な時期に受刑者を釈放する」と述べ、経済制裁の解除を求めた。 ★シャン州北部で23日から国軍がカチン独立軍(KIA)に対し激しい攻撃を加え、数千人の住民が避難、中国が難民流入を恐れ、国境を閉鎖したとの情報も。 ★テインセイン大統領は30日、イラワディ川上流のミッソンダム建設を一時停止する提案を議会で読み上げた。 ★2007年に起きた「サフラン革命」の4周年を記念し、26日にヤンゴンで行進や集会があった。約200人の行進は途中で警察に止められた。 ★第三国定住制度によりタイ国境の難民キャンプから日本が受け入れるカレン民族4家族18人が29日成田に到着、今後半年間定住支援研修を東京で受ける。 ★日本政府はレアアースなどの鉱物資源をビルマと共同開発する方針。

2011年10月1日土曜日

(1236)ミッソンダム 工事凍結 改革アピール

  私はいま「みんがらネットワーク35号」の表紙を見つめている。後藤修身氏が12年前に撮影したカチン州ミッソン地区のエヤワディ川源流のきれいな風景である。同氏が懸念してるように、ここに大きな発電用ダムができ、この美しいミッソン地区はダム湖の底に沈んでしまう。しかもここで発電した電力の大部分は中国で使われてしまうという。私もこの懸念を、(1228)、(1233)で取り上げた。しかし、今朝(10月1日)の朝日新聞を見て、びっくりした。信じられないような見出しが目に飛び込んできた。「環境破壊、人権侵害批判のダム、ミャンマー工事凍結」。テインセイン大統領は、自分の任期の5年間は工事を凍結するよう指示したという。DVBは「大規模なデモが起こる可能性もあった。中国が作るダムにNOと言えることを国民に示したかったのだろう」と話す。ミャンマーの民主化はどこかの国より進んでるかも。

2011年9月30日金曜日

(1235)ビルマ関連書籍11冊が到着

  先日、親友STさんからドサッと荷物が届いた。開けてみるとビルマ関係の書籍11冊だった。私が「ビルマ関連100冊の書評」完成を目指していることを知って、わざわざ送っていただいたもの。1998年ごろのチェリービルマ語教室は、ミンガラ日本語教室と共同で「みんがらネットワーク」を作り、両教室の生徒が和気藹々、皆で都内見学会や、写真撮影会、飲み会などで楽しんだ。その一つが「みんがら文庫」であり、当時44冊の書籍が集まっていた。貸出票も作り、誰もが自由に持ち帰れるシステムで好評。当時、私も書籍のナンバリングを担当した覚えがある。あるときチェリー教室が急遽移転せざるを得なくなり、STさんのアパートにこの図書類を緊急移動した。こんな状況なので、これらの書籍と10年ぶりの対面、私が貼り付けた番号ラベルもそのまま健在だった。これから読み始めよう。STさんに感謝!感激!

2011年9月29日木曜日

(1234)ミャンマー難民 遠い安住

  9月29日の朝日新聞には、標記の見出しのほか、「日本になじめず 仕事なく生活費心配」、「就労ニーズあわず」、「定住制度第一陣の夫婦会見」、「増えぬ希望者 辞退も」などの見出しが紙面を覆っていた。昨年来日した第三国定住難民第一陣の夫婦が28日記者会見した内容である。夫はもはや八街の農業法人に戻る気はなく、「仕事がなく家賃、食べ物、子どもの学費が心配」、妻は「一番困ることは日本語ができないこと」、2人の代理人の渡邉彰悟弁護士は、事前にRHQから聞いた労働条件と異なっている点を指摘、外務省に申し入れた。農業法人側は「季節や作業によっては朝早いのは当然、理解しているのだろうか」と戸惑う。滝沢三郎氏は「政府が受け入れ先や自治体などに丁寧に説明すること」と指摘(以上概要)。日本人として全く恥ずかしく申し訳ない話だ。諸悪の根源は「厳しい情報規制」だ。

2011年9月28日水曜日

(1233)ミッソンダム建設の可否 自由活発な発言

 最近、エヤワディ川のミッソン地区のダム建設反対運動が盛り上がりつつある。本ブログでも(1228)でビルマ国会での一部議員の声を紹介した。ミャンマー日本語教室ブログには、ウーゾーミン第一電力相の反論(9月12日、WEEKLY ELEVEN NEWSの記事)が紹介されていた。「どんな反対意見があろうとこの計画は続けます。国内問題であり国連は関係ありません。ダム建設には地質、水質、環境調査など3年が必要で、環境調査には第三者であるBANCAに1億円支払っています。我々は一銭も使わないで、総発電量の10%の電力を得ます。残りを中国に売った時に8%の商業税が入ります」と。ところがこの雑誌の会長は「利益の配分は中国が70、ミャンマーが20、中間業者が10と定めている」と反論(以上概論)。スーチーさんは反対意見を表明しており、ミャンマーの言論自由化は進み出した。

2011年9月27日火曜日

(1232)ミャンマー200人デモ 政府強攻策とらず

  今日(9月27日)の朝日には、標記のような見出しで、ヤンゴンで26日民主化運動の支持者約200人が集まり、軍事政権の弾圧で多数の死者を出した2007年の反政府デモから4年を迎えたことを記念する行進をした。政府はデモに一定の規制をかけつつも、逮捕者は出なかった模様。3月に発足した新政権は、国内外の評価を一気に失うような強攻策を避けたと見られる。参加者はNLDのメンバーらで、約2千人いるとされる政治囚の釈放を訴える標語が書かれた揃いのシャツを着て、郊外からスーレーパゴダを目指した。周辺には多数の警官が配置されており、行進を中断させられた参加者もいた。約60人はパゴタにたどり着き祈りをささげた。07年のデモでは日本人カメラマンが撃たれて亡くなった(以上概要)。今回はマスコミ取材も自由であったようだが、これ以上規模が大きくなると、どうなるか不安だ。

2011年9月26日月曜日

(1231)日本企業ミャンマー視察ラッシュ

  9月22日の読売新聞の記事。ミャンマー政府は最近景気テコ入れ策を打ち出したほか、外資導入で工業国を目指すとして、経済改革に積極的な動きを見せている。日本政府は、民主化のほか、こうした市場経済体制の構築も支援する方針だ。ミャンマーではチャットのレートが対ドルで急上昇したため、輸出産業が打撃を受け、景気が減速気味。このため政府は8月に輸出に課せられる税金の一部の免除や、法人税引き下げを実施、市民は政府の変化を歓迎してる。一方超円高に苦しむ日本は、人件費がベトナムの半分程度と東南アジアでも特に安いミャンマーの魅力は大きい。経団連は、今月ヤンゴン、ネピドーに視察団を派遣し、経済同友会や日本商工会議所も近く派遣する予定。ジェトロでは「日本企業の視察は数え切れないほど」といってる(以上概要)。視察に行く各社は、ビルマの歴史をよく学んで欲しい。

2011年9月25日日曜日

(1230)読みました 「白骨街道」

  「白骨街道」、副題は「英軍に救われたビルマ戦線捕虜の記」、著者は島野敬二氏、(大正8年生)、1992年5月、同時代社発行、159頁、定価1200円。前半は通常の戦記ものであり、カチン州のサモウ、インジゴン周辺で大兵力の英印軍と激烈な戦闘を続けたが、力の差ははっきりとしており、周辺には日本軍兵士の白骨が累々と続いていた。著者も最前線で一時意識不明となったが、幸い英軍の赤十字部隊に発見され、直ちに戦闘機に載せられレドの野戦病院へ運ばれ、手厚い看護を受けた。その後、さらにピネカールの捕虜収容所に移送され、3千人の日本兵捕虜と一緒に2年を過ごした。終戦の詔勅で武装解除された者と、その前に捕虜になった者との間には、明らかな断層があった。恥辱と考えていたここの3千人は、互いに本名を明かすことなく2年を過ごし、帰国後も連絡を取り合っていないようだ。

2011年9月24日土曜日

(1229)第三国定住難民第2陣 日本へ出発

  今朝の朝日新聞によると、「ミャンマー難民が日本に出発」との見出しで、「第三国定住制度」に基づき、日本が受け入れるミャンマー難民(カレン族)4家族18人が23日タイ北西部にあるメラ難民キャンプを出発した。29日に日本に到着予定。3月に発足したテインセイン政権は難民に帰国を呼びかけているが、同キャンプのトゥントゥン委員長は「信じる人はほとんどいないし、国境を越えてくる難民も減らない」と。日本に向かう20代の男性は「自由と子どもの教育のために平和のない祖国には戻れない」と話した(以上概要)。第1陣は昨年9月末に5家族27人で来日したが、ご存知の通り日本側の受け入れ態勢は滅茶苦茶、来日難民に大分迷惑をかけたようだ。今回の第2陣も、この情報は入手していたようで、すでに2家族8人が来日を辞退している。情報規制をやめ、自治体やNGOを活用したらいかがかしら。

2011年9月23日金曜日

(1228)国を相手に訴訟を ダム建設事実の公表を

  チートゥシェイン氏のブログ「ミャンマーのタイムリー情報」を見ていると、「国を相手に訴訴を ダムの影響・事実の公表を!」というのがあった。エヤワディ川源流のメイカ川とマリカ川が合流する地点、ミィッソウンに建設計画中のダムに関する正確な情報の公表を求めて、今回の選挙に出馬した議員ら5人が原告として政府を起訴するという。2008年憲法によれば、国民は連邦最高裁判所を通して、自らの権利について国に訴訟を起こす権利があるとしている。建設は中国エネルギー投資公司が投資しリードしており、6000メガワット発電でき中国側に輸出される。既に1600人の署名を集め、9月1日にテインセイン大統領宛に郵送してある(以上概要)。この計画は軍事政権時代に中国と協定して進めているもので、いまになって反対運動を起こしても、中止は無理であろうが、民主化政治への一歩ともいえよう。

2011年9月22日木曜日

(1227) ツイッターで第三国定住問題が

 ツイッターに入会はしたものの有効な利用法が分からなかった。きょう「Dream For Children」:代表亀田浩史氏からフォローする旨メールが飛び込み、その内容を見ているとビルマ問題も結構取り上げていた。ツイッターであるからいろんな方からの情報が飛び交っている。その中で、山本宗補氏のツイッターが目に留まった。昨年来日本に来た第三国定住難民に関する報告会に出席したときの報告者の発言概要である。「外務省がアクセスさせず報道が皆無に等しい」、「5家族は5ヶ月弱の日本語研修のみ」、「長時間の慣れない農作業、雇用主が労働条件を改善しないため抗議の職場放棄をしたことも」、「外務省から委託された難民事業本部が責任を果たさず取材も拒否」、「市民やNGOとの連帯を規制した」、「問題点ばかりということがようやく明らかになった」。もし私が付け加えると「自治体は何してた?」

2011年9月21日水曜日

(1226)読みました 「ビルマ戦記」(自動車隊)

 副題は「自動車大隊小隊長の陣中日誌」、著者は阿部幸助氏、1995年(平成7年)12月、戦誌刊行会発行、279頁、定価2000円。著者は早大卒と同時に入隊、見習士官としてビルマ戦線に赴任、昭和18年4月の出陣より同20年12月までの壮絶な戦いの間に丹念に綴った日誌。自動車小隊はトヨタの貨物自動車を使っていたが、すでに部品はなく、皆自己流に修理していた。制空権のない戦場では、昼間の運行はできず、もっぱら夜間の活動を強いられ、前進よりも後進が多かった。英印軍と対峙して敵の銃弾で部下が次々と倒れる様子はまさに壮絶そのもの。最後は食料がなく、軍服もないままの姿で終戦を迎え、英印軍の捕虜となった。その間、同僚や部下たちの日本軍人としてあってはならない浅ましい姿に何度も接し、悔しさにしばしば泣き崩れていた。彼には「天皇の軍隊」という意識が強すぎた。

2011年9月20日火曜日

(1225)ビルマ情報規制緩和 ユーチューブもOK

  18日の朝日新聞によれば、ビルマの軍事政権下ではアクセスできなかった英BBCや亡命ビルマ人らによるメディアDVB(ビルマ民主の声)、あるいは動画投稿サイト「ユーチューブ」などのインターネットサイトが15日ごろから突然閲覧可能になった。2週間前にも一時的に閲覧可能になったことがあり、今回が恒久的な措置なのかは不明。BBCやDVBに対しては国営メディアが連日「憎悪の種をまく」{殺人的」などと批判していたが、現在は姿を消している。民政移管後の新政府は民間メディアに対する政治的な記事以外は検閲を廃止、 テインセイン大統領とスーチー女史が会談した8月中旬からは、スーチー女史の写真や記事の掲載も一部認めた(以上概要)。 最近新政権が相次いで民政化の方向を大胆に示しているが、これらが本物か否かは今しばらく時間が必要で、慎重に見守る姿勢が大切だと思う。

2011年9月19日月曜日

(1224)思い出した 脱北者9人日本に漂流

  9月13日、各マスコミは一斉に脱北者9人が乗った小型木造船が、石川県能登半島近くに漂着したことを報道した。彼らのリーダーは北朝鮮の軍人であると名乗り、生活苦のため韓国を目指していたという。現在は長崎県大村の入国管理センターに収容されている模様だが、ここで思い出すことがある。2007年の6月に同じく北朝鮮の男女4人が小型木造船で青森県深浦港に漂着し、牛久の入国管理センターで一時的に保護された後、韓国に移送された事件があった。たまたま私は収容されてるビルマ人女性に面会するため同入国管理センターを訪問していたのだ。入り口にはパトカーが2台止まっており、上空にはヘリコプターが旋回していた。北朝鮮の4人は、通常の外国人収容施設でなく、本館の入管職員の研修施設にいるらしく、その前後の通路を多くの警察官が歩き回っていた。今回も同じかな?

2011年9月18日日曜日

(1223)読みました 「ビルマ戦記」後勝著

 副題は「方面軍参謀悲劇の回想」、著者は後(うしろ)勝(まさる)氏、2010年7月、光人社発行、326頁、1800円+税。著者は大正3年生まれ、陸軍士官学校、陸軍大学卒業、昭和19年ビルマ方面軍参謀(後方担当)となり、ビルマ作戦の要務に参画。ビルマ方面軍は20余万人の将兵を抱え、補給、交通、通信、経理、衛生、現地生産、労務などの状況を各師団の本部と連絡を取りながら、実情を方面軍司令部に報告する業務で、彼の場合は自ら各師団本部に赴き、目で確認していた。昭和19年といえば終戦の1年前であり、日本軍はインパールはじめ各地の戦いで敗色が強くなり、退却を続けていた。退却しながらも後方基地を策定し、そこに兵員、資材、食料、車両を集積し、前線から逃げてくる兵士を一時的に受け止める場所を計画的に作っていた。参謀だけあって、広範な「ビルマ敗戦記」を緻密に紹介。

2011年9月17日土曜日

(1222)ビルマ今週のニュース(1130)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★外国メディアサイト等の閲覧禁止が解除、 ★スーチー氏の寄稿文が23年ぶりに国内雑誌に掲載された、 ★国家人権委員会が発足(元官僚など15人で構成)、 ★2010年に禁固8年の有罪判決を受け収容中の亡命メディアDVB記者シトゥゼヤー氏(21)に新たに禁固10年の刑が追加された(14日DVB)、 ★AAPP(政治囚支援協会)によれば8月末現在政治囚は1998人、 ★デレク・ミッチェル米政府ビルマ特別代表・政策調査官が14日までビルマを訪問、外相やスーチー氏らと会談した。訪問後、「国民和解に向けて、政治囚の解放など具体的な行動を早期にとるよう政府に提案した」、「改革にはスーチー氏の参加が不可欠だと感じた」と述べた。 ★クリントン長官も同様に「ビルマ政府が具体的な行動を取ることを望む」と発言。(14日国務省、16日AFP)

2011年9月16日金曜日

(1221)ミャンマー難民8人が来日辞退

  今朝の朝日新聞に「ミャンマー難民8人が来日辞退、第三国定住制度」のベタ記事が載っていた。それによると、9月末に来日予定だった6家族26人のうち、2家族8人が来日を辞退した。「日本での生活が不安」などと理由を説明しているという。出発まで半月を切っており、追加募集は困難。2010年度からの試験期間3年で約30人ずつを受け入れる計画だったが、今年度は4家族18人にとどまる。初年度は5家族27人だった。関係者によると、辞退した家族には乳児がいたり、出産予定があったりで、日本での暮らしに不安を抱いているという(以上概要)。ここに来て日本の「難民鎖国」体質はますますはっきりしてきた。日本農業の少子高齢化は急速に進んでおり、若い彼らに定着してもらうことが国策としても重要だ。思い切った優遇策で彼らを迎えてほしい。そして情報を開示し皆が笑顔で暮らせるように。

2011年9月15日木曜日

(1220)ビルマ国会の現状は意外と・・・②

  テインセイン大統領は8月19日スーチーさんと会談、スーチーさんは「大統領は真の肯定的な変化を臨んでいる」と評価した。両者の会談後、街中にスーチーさんのポスターが貼られるようになった。軍政に反対する立場を明確にしてきた亡命ビルマ人らを中心としてきたメディアですら、議会を部分的に評価している。USDPヤンゴン支部長のアウンテインリン議員は、我々はミャンマー式「規律ある民主主義」を目指すと語ったが、SPDCのスローガンと同じだ。タンシュエ氏については「完全に引退している」と。米国のミッチェル特別代表は民主化を「口だけでなく実行するかで判断する」とし、日本政府は「新政権との関係を築き民主化の進展を促す」との姿勢。一部に限定している政府の途上国援助の本格再開に向け、農業、保健、教育といった分野での新規案件を検討。一部からは慎重な対応を求める声もある。

2011年9月14日水曜日

(1219)ビルマ国会の現状は意外と・・・①

  9月14日の朝日新聞1面・13面にビルマ国会の様子が掲載されていた。先月22日に始まった第二回国会の取材が、一部メディアに初めて許可されたのだ。下院議員の議席は440、総選挙で選ばれた4分の3は各出身民族の伝統衣装姿で、残りはカーキ色の軍人枠の議員。政府に批判的な発言でも議場で拍手が起きた。ビルマ人ディレクターも「これだけ自由に討論するとは」と驚く。市民も「政治の記事がずいぶん増えよい変化だ」とコメント、さらに質問しようとすると警察官が近づいてきた、監視の目は続いている。ある無所属議員が「大統領に囚人への恩赦を求めるべきだ」と発言、以前なら逮捕の可能性もある発言だが、トゥラシュエマン議長は「賛同者はいるか」と問いかけ、軍人議員からも2人が賛成した。内務相は議長に促され、大統領へ提案内容を報告すると約束、内容はマスコミで流れた(続く)。

2011年9月13日火曜日

(1218)ヤンゴンに戻った後に拘留

  9月6日のイラワディ紙によれば、8月17日テインセイン大統領は、亡命者に帰国を促す声明を出したが(1193)、その後帰国したセインチョーライン氏(BBCビルマ語担当、ラジオフリーアジア勤務)がヤンゴンで拘留された。彼は、メソットでビルマ当局者と帰国について相談し、入国を実施したといわれている。一方テインセイン大統領の発言は、「国軍支配に抵抗して海外に亡命したビルマ人に対して、彼らがいかなる犯罪も犯さなかったならば、帰国できることを確認するために我々はチェックする」というもので、ここで言う「犯罪」の定義は未確認のままである(以上概要)。テインセイン大統領の発言は、在日ビルマ難民にも大きな影響を与えたが、今回のセインチョーライン氏の拘留や、先のネイミョージン元国軍大佐が献血運動に尽力したのに、禁固10年の刑を受けたこと(1206)は軍政時代と変っていない。

2011年9月12日月曜日

(1217)汚職国家 ビルマは最下位から2番目

  各国の汚職行為を監視するドイツの非営利団体「トランスペアレンシー・インターナショナル」は9月3日までに最新報告書をまとめた。ここで言う汚職とは、公的権限を悪用して私利を得る行為と規定している。178カ国・地域の公共部門を対象に0(非常な汚職体質)から10(極めて清潔)までの汚職指数を基にまとめたもので、首位のソマリアは1.1、以下アフガニスタンとビルマが1.4、イラク1.5、スーダン、トルクメニスタン、ウズベキスタンが1.6。逆に汚職と最も縁遠いとされたのはデンマーク、ニュージーランド、シンガポールの9.3、以下スエーデンとフィンランドの9.2、カナダ8.9、オランダ8.8、スイス8.7などと続いた。米国は7.1で、22位、日本は7.8だった。中東、北アフリカ諸国では、リビアが2.2、シリアが2.5、イエメン2.2、エジプト3.1、チュニジア4.3だった(以上)。日本は威張れないな。

2011年9月11日日曜日

(1216)平岡新法務大臣がやること

  昨日鉢呂経産大臣が急に辞任し、どじょう内閣の前途が早くも懸念されている。ところで私は新法務大臣の名前をここで初めて知った。新大臣は、首相から指示された次の6つの重要テーマを取り上げるという。①司法制度改革の推進、②検察改革、取調べの可視化など刑事司法制度の構築、③新たな人権救済機関の設置、④ハーグ条約加盟に向けた検討、⑤行政事件訴訟法の検討、⑥会社法制の整備についての検討となっていた。その後記者との質疑応答があったが、内容は、朝鮮学校の無償化、A級戦犯、小沢元代表の党員資格停止処分、死刑問題、被災地の復興など。私が期待した入管問題、難民問題などには全く触れられておらず、がっくりするのみ。今年6月20日難民の日に民主党黒岩議員が「難民認定行政を新機関で」とぶち上げたが、平岡新大臣は忘れてしまったようだ。やる気あるのかしら。

2011年9月10日土曜日

(1215)「学校と私」欄にマリップ・センブさんが

  9月5日の毎日新聞の「学校と私」欄にマリップ・センブさんの談話が載っていた。要約以下の通り。私はシャン州で生まれたカチン族です。両親は公務員で5人兄弟の4人目でした。学校にはあまりいい思い出がありません。母に無理やり行かせられましたが、どうしても勉強が好きになれず、成績も悪かったです。しかし中学時代に転機が訪れました。それは祖母の村に遊びに行ったときのこと、国軍が突然中学校に来て、その学校で唯一ビルマ語が喋れる先生を殺したという話を聞いたのです。どうしてこんな理不尽な目に遭わなくてはならないのか、このままでは軍のやりたい放題ではないか。この現状を世界の人々に知ってもらおうと、国際機関への就職を目指して中学3年から猛勉強、大学進学もしました。今は母があれほど厳しく勉強しなさいといったのか理解できます。学校は人生を学ぶ重要な場所です。

2011年9月9日金曜日

(1214)読みました 「ビルマ戦線従軍物語」

  著者は石毛比呂志氏、発行:千葉交友倶楽部、発売:新風舎、2006年1月発行、135頁、1300円+税。著者は1924年生まれ、昭和18年武蔵野高等無線電信学校卒業、陸軍高空本部嘱託、南方航空輸送部隊勤務となりビルマ戦線に従軍、昭和21年に帰国、千葉県庁に勤務した。私は多くのビルマ戦記を読んだが、本書は少し変わっている。通常の戦記ものは、ビルマ上陸から帰国まで、時系列的に書いていくが、この書では、インパール作戦の話題の次に突然「ビルマの竪琴」の話題に飛び、泰緬鉄道の話の後に東京の日本ミャンマー協会の話題に変わる、おそらく思いついたテーマを自由自在に記載している感じだ。しかし読み終えると比較的気軽な戦記ものにまとまっているから不思議だ。文中、私の親戚の名前も出てくるので著者に親近感を覚える。ビルマ人の親日的感情も随所に紹介されている。

2011年9月8日木曜日

(1213)読みました 「はじめてのミャンマー語」

 著者はチェリー・マーラー・トゥィン、副題に「街・観光地で簡単な会話ができる」、「ミャンマー文字が読める」、「すぐに使える基本会話フレーズと現地の少数民族の7言語も掲載」とたくさん並んでおり、おまけにCD付だ。2004年11月、明日香出版社発行、206頁、定価2415円。国民の7割を占めるビルマ族の言葉がミャンマーの公用語となっており、8割の国民が理解できるという。通常のミャンマー語(ビルマ語)のテキストや参考書は、ビルマ語だけの説明に終わっているが、本書にはビルマ族以外の少数民族の7言語にも触れており、あえて「ミャンマー語」とうたっている。ところで著者は、私が1995年にビルマ語を習った時の先生であり、当時は学習院大学や早稲田大学院の学生であった。ビルマ人女性はお酒を飲まないが、彼女は我々とよく居酒屋で討論(?)していた。あの時もっと勉強していればと後悔。

2011年9月7日水曜日

(1212)読みました 旅名人ブックス「ミャンマー」

  この書籍の副題は「仏教遺跡の宝庫を歩く」、旅名人ブックスの63番目、著者は邸景一(文)・武田和秀(写真)、日経BP社、2003年12月発行、220頁、1800円+税。ミャンマーの旅行案内書は数多くあるが、この本はテーマをはっきりさせた上で、カラー写真を豊富に使って心が洗われ、癒される旅を紹介している。見ただけで旅行したくなるような編集である。第1章:ミャンマーを知る、第2章:ヤンゴンとバゴー、第3章:バガンとポッパ山、第4章:マンダレー、第5章:インレー湖とその周辺、第6章:ミャンマーのホテル、第7章:旅の便利帳と続く。何しろたくさんの美しいカラー写真が目に飛び込み、おそらく誰が読んでもミャンマーへ行きたくなるであろう。私は10数年前に4回各地を回っただけだが、いま読み直してみて、どの頁からも懐かしさがあふれ出てくる。巻末のビルマ王朝の歴史もよく整理されている。

2011年9月6日火曜日

(1211)ミャンマー関連書籍 100冊書評集の夢

 ビルマ問題に首を突っ込んで16年、ささやかでもいいから、後世に残せる事業をしてみたいと考えるようになった。まもなく迎えるであろう人生の最終章、何かいいテーマはないかしら・・・いろいろ考えているが、手っ取り早くできそうなのが、 このミャンマー関連書籍・100冊読破と、それに基づく「書評集」の作成。というのは、既に数十冊の書評は「みんがらネットワーク会報」や、「きらく会会報」に掲載しているので、それらを基に追加していけば無理なく出来上がりそうだ。行きつけの習志野市図書館で、ビルマ(ミャンマー)で検索してみると、180冊出てきた。もっともこの中には、比留間とかビル・マッキンレー、ビル・マーチン、手作りビールマニュアルなど、ビルマと読み取れる無関係書籍もあった。また、なぜか全然関係なさそうな書籍名も散見したが、これらを除いても百冊以上はありそうだ。さあ頑張らなきゃ。

2011年9月5日月曜日

(1210)ビルマからの手紙⑧

  8月22日の毎日新聞を家内が新聞販売店から買ってきてくれた。古新聞なのに130円取られたと家内がぶつぶつ言うが、私にとっては、1300円の価値だ。この新聞には、スーチーさんの「ビルマからの手紙⑧」が掲載されている。見出しには「休暇が休暇でなくなった寺院への参拝」、「王朝の君主に学ぶ」とあった。前回の予告(1173)どおり、彼女と息子はたまの休暇を親子で過ごすべくバガンの遺跡を訪問した。遺跡は、形あるものの無常と衰退の例証となっている。バガンを治めたたくさんの王の中で、スーチーさんの心を捉えたのは、チャンシッター王であり、彼が建立したアナンダ寺院は、まさに精神的遺産を見つめる感じだ。マヌーハ寺院では、モン族の王が建てたとされており、囚われの重苦しい雰囲気を醸し出している。ここで民族間の調和と全政治囚の解放を勝ち取る・・・休暇は休暇でなくなる。

2011年9月4日日曜日

(1209)結果待ちの難民申請者は2000人

  8月27日の読売オンライン(関西発)によると、日本への難民申請者のうち、結果待ちは2000人。昨年難民申請した外国人は1202人であり、10年前の5倍、難民申請中の外国人の就労は認められず、法務省は申請者の生活困窮が治安悪化にもつながりかねないとして対応を検討している。昨年の申請者は、ミャンマー人が最多の342人、次がスリランカの171人、07年以降両国で政情が悪化し、同じアジアの日本に頼る傾向が高まっている。一方認定審査の期間は母国での迫害の有無を慎重に見極めるために、1-2年かかるという。このような結果待ちの申請者は2000人、生活保護も受けられない。法務省は08年以降ミャンマー人を中心に、毎年300人以上の在留を人道的措置として特別に許可、さらには第三国定住制度も導入している。スリランカの一人は、「日本にいても、帰っても地獄」となげく。

2011年9月3日土曜日

(1208)いろいろあった土曜日

  久しぶりにA君と四谷駅で会った。かれは(1206)で紹介した元国軍大佐の実兄である。弟がヤンゴンの刑務所に収監されたため、居ても立ってもいられず、何とかその不当性を世に訴えたいという。兄弟愛としては当然のことと思うが、時間も十分あり、行動は慎重にと伝えた。帰宅後周辺の人にも聞いてみて、いろいろ参考になる意見を沢山いただいた。この場を借りて御礼を申し上げたい。会合場所をなぜ四ッ谷駅と指名したのか、実は友人の勤める職場の近くということだったが、なんと今日が土曜日ということをすっかり忘れ、もちろん友人と会うことはできなかった。82歳の老人が、毎日自宅にいると曜日の観念がすっかりなくなり、とんでもないミスを犯してしまった。今日はこのほか、難民と認定されたビルマ人女性より、就職の難しさを聞かされた。日本人でも超氷河期なので、難民への「就活」が必要だ。

2011年9月2日金曜日

(1207)ルポ:未知なるミャンマー

  8月30日の毎日新聞6面に、「ルポ:未知なるミャンマー」が掲載されていた。今回の見出しは「軍政幹部、女装で厄払い」、「占師がお告げ:女性政権誕生」、「スーチーさんにおびえ」、「国父将軍も人気衰えず」と沢山並んでいる。占師が「近く女性による政権が誕生する」と政権幹部に告げ、それを信じた幹部らがロンジー姿で女装し、いったん女性政権ができたことにして、「厄払い:ヤダヤ」が済んだということらしい(注:ちょっと信じられないがホントらしい)。街を歩いてもスーチーさんのポスターも、書物も見られない。でも国父でありスーチーさんの父でもあるアウンサン将軍の人気は高い。書店街を覗くと、将軍の伝記が露店でも一日100冊は売れるという。一方で、政府は紙幣に印刷されている将軍の写真を別の絵柄に変えだした。娘のスーチー女史におびえてる。 このシリーズは今後も随時掲載されるようだ。

2011年9月1日木曜日

(1206)元国軍将校、電子通信法違反で禁固10年

  8月30日付のアジアプレスネットワークによれば、ビルマ国内でボランティア活動を行っていた元国軍将校ネーミョージン氏(35)が26日、電子通信法違反で禁固10年の判決を受けた。ネーミョージン氏は、元国軍大尉(大佐?)で、2005年に退役、、インターネットカフェを経営しながら、NLDの青年らが09年に結成したボランティアグループとともに、貧困にあえぐ人々を支援する活動を行ってきた。4月2日ヤンゴンの自宅で警察公安部に逮捕され、同氏の電子メールにNLDのウインティン書記宛の文書も含まれていたという。裁判所で判決を読み上げられたとき、同氏は「国のためを思っている青年に対しまったく不当なもの、控訴もしない」と述べたという。タイ国境で活動するビルマ政治囚支援協会(AAPP)によれば、1995人の政治囚が拘束されたまま。同氏はテインセイン大統領になって最初の政治囚。

2011年8月31日水曜日

(1205)ヤンゴンタクシーはメーター制?

  ミャンマー日本語教室(中西校長)のブログはいつも面白い。今回は8月24日のブログを紹介しよう。彼は8月22日のWEEKLY ELEVEN NEWSを紹介していた。ヤンゴン市内で営業しているタクシーはすべてメーターにより利用者から運賃を徴収することになっており、9月1日からメーターを使用しているかどうかを検査して、使用してない場合は処分するという。09年末までにガソリン使用からCNG天然ガス使用に改造されたタクシーは全てにメーターを取り付けたが、その台数は11973台に上る。メーター制度の定着のためにはタクシー運転手も利用者もお互いに理解が必要であると専門家は述べている。以上が新聞の論説であるが、これに対して中西校長は、現在の交渉制のタクシー料金の相場より、メーター料金の方がかなり安いので、こんな制度は普及する筈がないとずばり言う。はてさてどうなるかな。

2011年8月30日火曜日

(1204)来年7月からは「在留カード」を貰えない

 私はいまアリンヤウン誌(PFB機関誌)の原稿を執筆中だ。最近数ヶ月の間に入手した情報をもとに、「ここがちょっとヘンだよ、難民問題」というタイトルで、私が気付いた点を列挙してみた。このように難民問題を取り上げていくと、行き着く先に大きな障害があることに気付く。それは2年前に国会で確定した新入管法と新住基法の存在だ。来年7月から施行されるが、外国人管理の面が目立ち、外国人と仲良く共生しようという雰囲気は大幅に減退する。特にビルマ人に多い難民認定申請中で仮放免の不法残留者への処遇は微妙で、「在留カード」は所持できない。住民基本台帳に記載する件については、辛うじて付帯決議で、「仮放免され一定期間経過したものについては、その居住地、身分関係等を市町村に迅速に通知し必要な措置を講ずる」ことになっている。在留カードが所持できないということは惨めだ。

2011年8月29日月曜日

(1203)ユニクロ 古着を無料で回収 難民に

 8月26日の日経によれば、 ファーストリテイリングは22日、衣料品専門店「ユニクロ」で販売した商品を再利用するため、消費者から無料で回収するサービスを9月から、米国、英国、フランスの店舗でも実施すると発表した。回収した衣料は世界各国の難民などに無料で提供、企業の社会的責任(CSR)の一環として活動を拡大する。同サービスは2006年に日本で開始し、11年3月からは韓国にも広げた。米国では日本と同様、回収した衣料はUNHCRなどを通じて、世界各地の難民などに届ける。英仏では現地のNGOを通じて、ホームレスへの支援に使う(以上概要)。私はビルマ人が難民・在特を認められても就職が難しいことを知り、大企業が率先して難民支援活動を展開してくれることを願っている。日本の3つの大学のように難民枠を設け、業務と並行して日本語教育を進める体制作りはいかがかしら。

2011年8月28日日曜日

(1202)ビルマ今週のニュース(1129)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★スーチー氏が19日、政府の招待で経済改革会議に出席するためネピドーを訪れた際、テインセイン大統領と初めて会談した。会談の内容は不明だが、氏は24日、「大統領は本物の改革の実現を目指している」と述べた。会談について日本外務省は、「民主化および国民和解に資する前向きの動きとして評価する」と発表した。 ★ビルマの人権状況に関する国連特別報告者のキンタナ氏が、25日まで同国の調査を行った。氏は10年2月の国内調査後、紛争地域で人道に対する罪が起きている疑いを調べる国連調査団を設置するべきと勧告し、その後入国許可が出ていなかった。今回はスーチー氏や刑務所内の政治囚とも面会、「深刻な人権問題が未解決のまま」などと述べた。 ★米政府のビルマ特別代表・政策調査官(大使級)デレク・ミッチェル氏が業務を開始した。

2011年8月27日土曜日

(1201)ミャンマー難民 定住環境整わず

  8月27日の朝日によれば、「厳しい選考基準、住宅・就労に不満の声」、「ミャンマー難民定住環境整わず」、「2陣、来月来日」という見出しのもとに、第三国定住の現地の情報が報道された。第2陣は6家族26人で、事前研修がメラ難民キャンプで終了した。しかし多くの課題が指摘されている。1・2回ともメラキャンプに限って採用してきたが、日本の選考基準が厳しいため、申請者数は受け入れ目標とほぼ同数程度しかない。このため法務省職員が、別の2箇所のキャンプを視察するなど、条件緩和の検討をはじめている。昨年来日した5家族についても、老朽化した住宅や長時間の通勤、通園時間、労働条件の不透明さなど、事前説明と異なる待遇だとして不満の声が上がっている。背景には、外務省を中心とする関係者の情報共有や、受け入れ先となる自治体を管轄する総務省の関与不足などを指摘している。

2011年8月26日金曜日

(1200)反政府勢力に歩み寄るビルマ政権 真意は

  08年5月から毎日毎日発信し続けてきたこのブログは今日で1200回。わーい、わーいと騒ぐほどのことはないが、ひとつの節目ではある。実は800回、1000回という節目でも自己満足的にささやかに祝ったことがある。今回の節目に際し、ビルマではテインセイン大統領とスーチー氏の和解?ともとれる大ニュースが連日飛び込んでいる。周辺のビルマ人からは、「新政府の単なるパフォーマンス」、「順序が逆だ、まず2千人の政治囚を釈放しろ」など相変わらず手厳しい声が聞こえる。8月23日のAFPニュースは、スーチーさんとの会談はテインセイン大統領側からの申し出であり、スーチー氏自身も驚いたという。政府側の一連の行動は、「新たな門出なのか、空虚なジェスチャーなのか」判断に迷うとし、「新政権は反政府勢力の活動の一部を容認し、地域や国際社会に受け入れられたい」と考えているとしている。

2011年8月25日木曜日

(1199)スーチー氏 大統領を高く評価

  今日(8月25日)の朝日新聞によると、ビルマのスーチー氏は24日ヤンゴンで19日に初会談したテインセイン大統領について、「真の肯定的な変化を望んでいる」と述べ、高く評価する考えを示した。AFP通信によると、スーチーさんは、自宅で国連人権理事会のキンタナ特別報告者との会談後、集まった報道陣に語った。ミャンマーを21日から訪問しているキンタナ氏は、昨年2月の訪問の際は、当時の軍事政権からスーチーさんとの面会を拒否されていた。今回は「ミャンマー政府の協力を得られている」と述べた(以上概要)。最近両者の蜜月ぶりが目に付くようになってきた。私も当初は信じられず、何か落とし穴があるはずと思っていたが、そうでもないなと感じ始めた。両者の協力で「政治囚2千人の釈放問題」と「少数民族問題」を解決できるかもしれないと言い出すビルマの友人もいた。歴史は動いている。

2011年8月24日水曜日

(1198)スーチー氏と政府の接近 現地では

  久しぶりにミャンマー・日本語教室(中西先生)のブログを読んでみた。最近スーチーさんとテインセイン政府が協調する姿勢を見せており、本ブログでも(1187)(91)(94)(95)で驚きを交えながら書いたが、現地の反応はどうなのか。彼の8月23日のブログでは、8月22日のWEEKLY ELEVEN NEWSの記事を取り上げていた。19日の経済改革国民会議後、テインセイン大統領とスーチー氏が穏やかな雰囲気で会談を行ない、二日目の会議では、スーチー氏はオブザーバーとして出席、会議の前半が終わったとき、大臣ら出席者と懇談、退場する前には皆とティータイムを楽しんだ・・・・・。中西氏は「ミャンマーも様変わりし、変革している証拠、22日からは国会も始まっており、こんなによい雰囲気は15年の滞在生活で初めて。いいぞ、いいぞ、ミャンマー! 行け、行け、ミャンマー、希望の光が見えてきた」と。

2011年8月23日火曜日

(1197)スーチーさんの「イラワディ・アピール」

  スーチー氏は11年8月11日、「イラワディ・アピール」と題する文書を発表したと、ビルマ情報ネットワークが発表した。ビルマ北部カチン州を流れるイラワディ川に建設または計画されている8ヶ所の水力発電ダムについて、深刻な社会・環境的悪影響が起きる可能性があると懸念を表明した。中でも大規模で、イラワディ川が生まれる地点に建設が進んでいるミッソンダムについては「関係者は建設計画を見直し、望ましくない事態が起きるのを防ぐ解決策を見つけるために協力するべきだ」と述べた(以上概要)。今でも停電の続くビルマでは、この水力発電建設が大切なインフラ建設となろう。しかし発生した電力は全量中国に送られるとの噂も出ているが、もし事実ならとんでもない話だ。日本では水力発電に関する環境アセスメントの経験が豊富であり、その知識、技術をこのダム建設に生かしてあげればと思う。

2011年8月22日月曜日

(1196)ビルマ今週のニュース(1128号)

  BURMAINFOのニュース、他から抜粋。 ★ビルマ北部や東部で国軍と少数民族武装勢力との間の戦闘が断続的に起きている。カレン州やシャン州に接するタイのターク県とチェンマイ県では17日、タイ軍が住民を対象に避難訓練を行った。乾季の到来に伴う戦闘の激化を予想したもの。 ★スーチー氏は11日カチン州のイラワディ川に建設中のミッソンダムについて、計画の見直しなどを呼びかける声明「イラワディ・アピール」を発表した。 ★スーチー氏は14日にペグー(バゴー)を訪れて演説、政治活動としての地方訪問は昨年11月の自宅軟禁解除後初めて。多数の市民が歓迎した。 ★チャット高が続く中、ビルマ政府はコメなどの主要産品7品目について、15日から半年間輸出税を免除すると発表した。 ★第65回ビルマ市民フォーラム、9月10日18時より池袋(ECOとしま)にて、内容:第三国定住他。

2011年8月21日日曜日

(1195)政権側主催の会議で談笑 スーチーさん

  最近、スーチーさんと政権側との接近の様子が頻繁に伝わってくる。今日の朝日には、スーチーさんとテインセイン大統領が並んでいる写真の下に「大統領と並んだ日」とのキャプションがあり、「政権主催の会議で談笑」、「スーチーさん連日協調の姿」との見出しが並んでいた。この写真は19日に開催された経済改革会議に出席した時のものであり、スーチさんは「会談は非常に嬉しく、勇気付けられた」と述べた。会議では貧困対策などについて有識者や政府高官が議論した。スーチーさんはオブザーバーとして参加、閣僚らとともに最前列に座り、周囲の人たちと談笑していたという。スーチーさんは「会議も興味深かった」と語った(以上概要)。この写真が将来どのように評価されるのかわからないが、ビルマでは政治が動いていることは確かである。なお、在日ビルマ人の民主化団体はどう受け止めるのか要注目。

2011年8月20日土曜日

(1194)スーチーさんと大統領 1時間会談

  日本の政治は停滞したままであるが、最近のビルマはどんどん変わってきている。今朝の朝日新聞には、「スーチー氏と大統領会談」、「ミャンマー大統領府で1時間」との見出しが。首都ネピドーの大統領府でテインセイン大統領とスーチーさんが初めて1時間会談した。政権トップとの会談は2002年以来。政府側は7月に労働相と初めて対話して以降、柔軟姿勢を打ち出している。大統領が直接スーチーさんと会うことで改革姿勢を国際社会によりアピールしたい狙いがある。一方スーチーさん側も、自ら率いるNLDが総選挙をボイコット、解党扱いとなって政治活動は制限されたので、対話する以外に打つ手がない状況(以上概要)。私は両者の力関係は100:1、スーチーさんが何を発言しても政府は安泰とみくびられているとしか思えない。もしかしたら少数民族による武力抵抗の平和解決に利用されるのでは。

2011年8月19日金曜日

(1193)テインセイン大統領 亡命者に帰国促す

先日来、テインセイン大統領側がスーチー氏に急接近している状況が続いている(1191)が、さらに8月18日の朝日新聞には、「亡命者に帰国促す、ミャンマー大統領恩赦を示唆」の記事が出ていた。この発言はネピドーでの実業家を集めた会合で大統領から出た言葉であり、現地NLDの広報担当は「大統領の発言を歓迎する」とコメントしている。亡命者を巡っては、1990年代に当時のキンニュン第1書記も帰国を呼びかけたことがあるが、キンニュンを更迭した後は、政府側が言及したことはない(以上概要)。この記事は在日ビルマ人民主化グループにも直接関係しており、当面は約2千人の政治囚の釈放、少数民族との停戦・人権問題で恩赦説を跳ね返すであろうが、かつて在日反政府団体のリーダーであった、トゥンエイ、ミャミャウイン、ウインナインらが政府側に寝返りを打った例もあり、注目していきたい。

2011年8月18日木曜日

(1192))「ライオンきらく会」の名前が朝日新聞に

  みんな気がつかなかっただろうな。「ライオンきらく会」の文字が7月28日の朝日新聞(千葉版)に小さく載っていた。当の私だって見落としていたのだから、気のついた人はまずいない筈。見出しは東日本大震災救援募金(朝日新聞厚生文化事業団受け付け)とあり、10万円の項に習志野市・「ライオンきらく会」の8文字が。当初私のほうから出した掲載希望名は「ライオンきらく会・西田敦」だったが、西田敦は見事にちょん切られていた。まあいいか。私が出した10万円の中には、きらく会会報の制作費として会から毎年いただいている分も入っている。それらをごちゃ混ぜにしての10万円だ。寄付者名の掲載は今は月に2回ぐらいに減り、金額も減りつつあるので、たぶん寄付金額のトップかと思ったが、残念ながら2番目だった。きらく会の皆さん、事後報告でごめんね。それにしても東日本の復興が遅いと思わない?

2011年8月17日水曜日

(1191)対立したり、協調したり

  7月に入ってからスーチーさんと政府側との関係が分かりにくくなってきた。7月25日には政府側のアウンチー労働相(兼社会福祉相)が昨年11月の自宅軟禁解除後初めてスーチーさんと会談、8月4日、政府側が経済改革に関する協議会にスーチーさんを招待、8月12日、アウンチー労働相とスーチーさんが「協力する」旨の初の共同声明を発表、スーチーさんは8月14日にはバゴーを訪れて数千人の聴衆の前で演説、「政治活動に最善を尽くしてきた、これからもできる限りのことは続ける」と述べた。政府側の一連の姿勢について「14年のアセアン議長国問題に関して欧米に向けたアピ-ル」、「テインセイン大統領が改革を進めようとしている兆候」など、いろいろな説が飛び交っている(以上概要)。ただ力関係からすれば100:1ぐらいか。残念ながらタンシュエの手のひらで弄ばれている感じが、多少する。

2011年8月16日火曜日

(1190)基金訓練⇒求職者支援制度

  難民認定申請して、もし難民か在留特別許可(定住か特定活動)に認定されたら誰でも大喜び、今までできなかった仕事が大っぴらにできるようになる。さあ就職活動だと張り切ってハローワークに行く。ここで望む仕事にたどり着ける人は少ない。日本の若者でも仕事が見つからない時代なので、言葉にハンデのある外国人には冷たい環境なのだ。そこで何か特技を身に着けたいと思う人も多いだろう。日本には「基金訓練」という制度があり、条件を満たせば生活支援給付金(月10~12万円)を受け取りながら、パソコン、介護、WEBデザインなどの訓練を受けられる。この基金訓練が終わると「求職者支援制度」に移る。条件を満たせば月10万円の職業訓練受講手当と訓練施設への交通費が出る。ビルマ人の友人2人も既にホ-ムヘルパー2級の資格を取っている。なお訓練をサボったりすると手当は出ない。

2011年8月15日月曜日

(1189)スラジュさん死亡、遺族が提訴

  8月5日の時事通信によれば、2010年3月22日、成田空港で強制送還されそうになったガーナ国籍の男性スラジュさん(45歳)が、入管職員の制圧行為によって死亡した事件で、遺族が国と護送した入管職員9人を相手取り、約1億3600万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。訴状によると、警備官らは、抵抗する男性を飛行機に乗せる際、使用が禁止されてた大型手錠などで手足を固定した上、、結束バンドで両手とズボンのベルトも連結、タオルを猿ぐつわ代わりに口にかませて首を押さえつけ、窒息死させたとされる。男性の死亡をめぐっては、遺族の告訴を受けた千葉県警が昨年12月入国警備官10人を書類送検、その後弁護団が入手した証拠により損害賠償責任を問えると判断したというもの。第1回期日は9月か10月(以上概要)。入管職員による暴行事件であり、真相の解明が大切。

2011年8月14日日曜日

(1188)ビルマ今週のニュース(1127号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★シャン民族の亡命者組織の発表によれば、3月から連続的に戦闘が続いているシャン州北部で、約3万人が国内避難民となっている。食料、水、薬等が不足し死者も出ている。 ★米国では女性上院議員13人がクリントン国務長官に手紙を出し、国軍が紛争地域で強姦を戦争の武器として使用するのを止めるよう、また国連調査団を設置するよう働きかけた。 ★1988年の民主化蜂起から23年目の8日、世界各地で記念行事が行われ、ヤンゴンの僧院では、スーチー氏を始め数百人が訪問。 ★米議会上院は、2日デレク・ミッチェル国防筆頭副次官補をビルマに関する特別代表・政策調査官として承認。 ★ビルマ政府が国際通貨基金(IMF)に、為替制度の近代化や国際送金等への制限の解除に向けた支援を要請、IMFは10月に同国に技術チームを送る予定。

2011年8月13日土曜日

(1187)スーチー氏と政府「協力」 初の共同声明

  こんなのアリか。ビルマ政府の閣僚(アウンチー労働相)とスーチー氏が12日ヤンゴンで会談し、国の平和や安定、民主主義の進展などに向けて「双方が協力していく」との共同声明を出した。ただ、双方の思惑には隔たりが大きく、民主化の進展には懐疑的な見方が強い。スーチー氏が率いるNLDは政府に少数民族との停戦を求め、14日には地方での会合も計画するなど、徐々に政治活動の幅を広げつつある。チョーサン情報相も解党扱いになっているNLDに政党登録を勧めている。政府の対応の変化は、2014年にアセアン議長国就任問題があり、「さらなる民主化が必要とする欧米に向けたアピール」との見方も。スーチー氏側も、政府との接点を見つけることで実を取りたい意向がしかし政治犯の釈放や、少数民族地域での人権弾圧の停止などの課題に踏み込めば、双方はすぐにぶつかるとの指摘も。

2011年8月12日金曜日

(1186)新たな人権救済機関の設置

  先日法務省政務三役から「新たな人権救済機関の設置についての基本方針が公表された。1 法案の名称(法案の内容を端的に示す名称とする)、2 人権救済委員会(人権委員会)の設置(政府からの独立性を有する人権委員会を法務省に設置する)、3 人権委員会(目的と人事)、4 地方組織、5 人権擁護委員、6 報道関係条項、7 特別調査、8 救済措置(調停、仲裁を利用し訴訟や差止請求訴訟は当面導入しない)、9 その他 と続く(以上概要)。難民問題に関わっていると、例えば、難民申請者に対する長期間(数ヶ月以上)の収容、あるいは長期間(2年以上)の不認定・就労禁止は法務省による人権侵害だと思っている。同じ法務省に人権救済機関を設けることはいかがなものか。むしろ黒岩宇洋法務政務官のいう「難民認定委員会」を内閣府外局に設置する(1139)方を急いだらいかがか。

2011年8月11日木曜日

(1185)在日難民への大学教育

  8月10日、国連難民高等弁務官駐日事務所(UNHCR)から、「難民高等教育プログラム」について発表があった。昨年度は、関西学院大学、青山学院大学、明治大学の3大学で合計5名の難民を受け入れたが、2012年度は、関西学院大学で日本語授業2名、英語授業1名、青山学院大学では日本語授業1名、明治大学では日本語または英語授業2名、合計6名に事業を拡大する。応募書類はパートナーNGO(アムネスティーインターナショナル日本東京事務所、カトリック東京国際センター、さぽうと21、全国難民弁護団連絡会議、難民事業本部、難民支援協会、日本国際社会事業団、日本福音ルーテル社団)でも入手できる。応募期間は8月10日から9月10日、対象者は難民及び難民類似の在留資格を有し、学業に専念できる者(以上概要)。UNHCR及び3大学の好意であり、希望者は挑戦してみては。

2011年8月10日水曜日

(1184)日本での不法残留者数は約8万人

  法務省入国管理局は4月5日、日本における不法残留者数は、78488人で男女比はほぼ1:1、前回調査時(平成22年1月1日)に比べて13290人(14.5%)減少していると発表した。不法残留者の多い国は、韓国1万9千人(25%)、中国1万人(13%)、フィリピン9千人(12%)、中国台湾5千人(6%)、タイ4千人(5%)、以下マレーシア、ペルー、シンガポール、ブラジル、スリランカと続く。国籍別に見た場合も、近年いずれの国も大幅に減少している。次に、不法残留となった時点での在留資格は、短期滞在:5万4千人(69%)、留学:4千人(6%)、興行:3千人(4%)、研修:1千人(2%)と続いている(以上概要)。懸念されたビルマ人は、国別ワーストテンに入っていないのでホッとするが、祖国が軍事政権であるため、帰国を望まずに難民申請する例が多いので、これも不法残留者が少ない理由の一つ。

2011年8月9日火曜日

(1183)遅まきながら「フェイスブック」に入会

 8月5日の(1179)では、ツイッターに入会したことを書いたが、今日はフェイスブック入会について書いてみる。私はMIXIにはすでに入会し、ときどき投稿しているが、フェイスブックも同じようなSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)であり、世界で7億5000万人(国内で380万人)ものユーザーを有する超巨大グループ。新しい情報インフラの誕生といえる。フェイスブックの最大の特徴は、実名登録が推奨されていることだ。このように、リアルな友達とのつながりが大きな魅力であり、「いいね」ボタンをクリックすれば、情報共有の輪が広がる。また、自分たちだけのコミュニティを作ることも可能である。例えば私が参加している「きらく会」(12名、平均年齢82歳)なんかで試してみてはいかがかしら。もっともこの年齢層は、雑多な情報をどんどん減らそうと努力してる最中なので、フェイスブックの開設は無理か。

2011年8月8日月曜日

(1182)在特許可された事例、されなかった事例

  インターネットをあちこち動かしていたら、4月14日に法務省が発表した「在留特別許可された事例及び在留許可されなかった事例について」を探し当てた。この事例集は平成16年以降毎年発表されており、今回は平成22年中の事例で、透明性、公平性は高まっている。なおこの例は、難民申請に伴う在特は含まれておらず、今後同じような公表が望まれる。さて今回の一覧表を見ると、配偶者が日本人の場合、配偶者が正規に在留する外国人の場合、外国人家族の場合などと類型化されている。事情が各々異なっているが、許可される、あるいは許可されない場合の理由は大体理解できる。要は長年日本でまじめに暮らし、入管に出頭した場合は大体OK、犯罪を犯していたら大体不許可というところか。もしここで許可がもらえなければ強制送還となるので、不法残留の外国人は今後十分に注意すべきであろう。

2011年8月7日日曜日

(1181)とうとう記事に カレン難民日本になじめず②

  昨日に続く。私も農家に嫁いだ何人かのビルマ人に聞いてみたが、いずれも農業では一家の生活は無理との返事。しかし担当者は、農業法人で研修制度を利用すれば生活可能と考えたのか、難民たちはいつの間にか農業法人で働いていた。ここで見落とせないのが、幼児を含む子供の存在。親子とも日本語研修が不十分で、ストレスが溜まるばかりであろう、学校まで2時間というが、誰がこんな生活環境を選んだのか。就労の面だけに留意して、家族全員の暮らしのことまで頭が回らなかったのでは? 今回難民の彼らは、長時間労働を嫌ったと指摘する人がいるが、そうではなく、幼い子供たちの幸せを願い、世話をする時間がほしいということのようだ。結局作業時間短縮などで、一応解決したが、やがて第2陣がやってくる。特に情報はオープンにし、在日ビルマ人や日本人と交歓できる雰囲気を皆で作りたい。

2011年8月6日土曜日

(1180)とうとう記事に カレン難民日本になじめず①

  昨日の読売新聞によれば、「ミャンマー難民 日本になじめず」との見出しで、彼らの暮らしぶりが紹介されていた。 昨年華々しく打ち上げた第三国定住難民の日本への招へいは、いま霧の中に埋没しそうだ。外務省(難民事業本部)の当初の発想では、3年間に30人ずつ3年計画で合計90人をテスト的に呼ぶはずであった。第一次の27人は、本年春から、千葉県八街市と三重県鈴鹿市に分かれて各々農業法人で働くことになった・・・・というニュースを最後に彼らに関する情報は皆無の状態となった。見事な情報規制であった。私は情報規制の理由を難民事業本部に聞いたことがあったが、そのときは、留守家族の安全確保のためといっていた。家族全員で来日するのに「留守家族の安全?」、当時ヘンだなと思った。また「彼らは農業を望んでいるが」と聞くと、農業では端境期に生活できない との返事が(続く)。

2011年8月5日金曜日

(1179)遅まきながら「ツイッター」に入会

  私のブログはすでに連続1200回近く発信しており、延べ読者数は4万人を突破した。毎日、朝一番で作成しており、完成して初めてその日が始まる感じ。ところが最近、ツイッターとかフェイスブックという新手(旧手?)が伸びてきた。ともにそれぞれが企業であり、個人情報の発信・収集を競いあっている。ツイッターの特徴は、140文字という制限があるおかげで、情報を気軽に送受信でき、ゆるいコミュニケーションができる点である、また情報の共有がより簡単になり、世の中の動向がリアルタイムに把握できる長所もある。私がツイッターに入会したのはつい先日のこと。始めに迷ったのがツイッター本部から返信がなかなか来ず、何か入会手続きの入力にミスがあったのかウロウロしたこと。翌朝になって私のメールにカルフォルニア・サンディエゴから無事着信、晴れて世界のツィッターになれた。さて、どうしようか。

2011年8月4日木曜日

(1178)日本語能力試験に挑戦してみれば

  ミンガラ日本語教室の中尾先生の連絡によれば、そろそろ2011年度2回目の日本語能力試験の受付が始まるという。試験日は12月4日(日)12時半からだ。試験案内書は、8月中旬から一部500円で主要書店で販売する。受験料は5500円、受付期間は8月26日から9月30日まで。レベルはN1級~N5級の5段階(以上概要)。在日ビルマ人は毎年大勢受験しており、合格者も多い。特に難民申請者の場合、帰国はまずできないので、日本語学習の重要性は一般外国人よりも大きい。もし定住以上の在留資格を貰えば、日本人と同等の処遇を受けられるが、日本語が不十分なため、目指す職業に就けないのも現実である。将来、日本で成功するために、日本語N1級に挑戦してはいかが。ミンガラ日本語教室への連絡は、中尾さん(090-2414-5763)、ニーニーソーさん(080-2092-7389)へ電話。

2011年8月3日水曜日

(1177)書きました ビルマ関連書籍14冊の書評

  私が執筆・編集した会報類はいままでに何種類もあるが、現在執筆・編集しているものに「きらく会会報」が、また執筆だけしているものに「みんがらネットワーク会報」がある。前者は私の出身会社であるライオン(株)研究部の同期入社の十数人からなる同人誌であり、平成6年9月以降17年続いている。後者は私が勉強したビルマ語教室と、私が主宰した「ミンガラ日本語教室」の先生・生徒が中心になって創った日緬友好のための会であり、会報発行は平成10年以降13年続いていて、当初は編集も引き受けていた。これら二つの会報には、ときどきビルマ関連のニュースを掲載している。一番新しいのが、近く発行予定の「みんがらネットワーク会報35号」に掲載する「ビルマ関連書籍14冊を読みました」というもの。既に22冊紹介しているので全部で36冊となる。ビルマ関連はまだ多数あり百冊読破が目標。

2011年8月2日火曜日

(1176)ビルマ今週のニュース(1126号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★ビルマ北部や東部で断続的に戦闘が続いている。スーチー氏は28日、政府とカチン、シャン、カレン、モン各民族の武装勢力に対し公開書簡を出し、即時停戦と紛争の平和的解決を呼びかけ、協力を申し出た。 ★スーチー女史は政府からの要請に応じ、アウンチー労相と会談、氏と政府代表との公式会談は始めて、今回の会談も、制裁解除やアセアン議長国就任を狙う政府側の演出だという見方が大勢。 ★松本外相はアセアン関連会合の参加国のビルマに対する評価について、「総選挙や民政移管の評価が全くゼロだという国は必ずしも大勢ではない、日本がそんなに異なる方向の判断をしているとは理解していない」と述べた。またビルマへの支援については「人的交流は既に始まっている、ビルマの複数の政党の若い党員が日本を訪問し、既に帰国した旨発言。

2011年8月1日月曜日

(1175)ビルマ国会議員たちが日本視察旅行

  引き続き「ミャンマー・日本語教室ブログ」より抜粋。7月19日のNEWS WEEK誌によれば、日本外務省のプログラムに基づき、総選挙で当選し、現在ビルマの国会議員を務めている35歳以下の青年議員たち20人が、7月13日から来日。構成はUSDP(連邦団結発展党)10人、NDF(国民民主勢力)、NUP(国民統一党)、ヤカイン、シャン、モン各民族の代表2人ずつ。一行は東京、大阪、京都の各都市を視察し、国会議事堂などの見学も含んでいるという。将来のミャンマーを担うであろう青年議員を日本に招待して、視野を広げてもらおうという意図で、日本外務省が招聘したものである(以上概要)。中西氏もつぶやいていたが、修学旅行の見学レベルのような気もする。まあそれでもいいが、日本をしっかり見てもらいたい、一方、来日に反対する在日ビルマ人グループのいることも、しっかり頭に入れて欲しい。

2011年7月31日日曜日

(1174)読みました 「ミャンマー現代女性短編集」

 本書はアジアの現代文芸集の第5集(ミャンマー編)に該当しており、他にタイ、パキスタン、マレーシア、インドネシア、インド、ベトナム、ラオス、フィリピンン、カンボジア等がある。編訳は南田みどり氏、2001年10月、大同生命国際文化基金発行、314頁、内容は第1章:娘たち、第2章:妻たち、第3章母たち、第4章:女たち、第5章:男たちとあり、各章は3つから6つの短編で成り立っている。本書は1985年から99年、とりわけ軍事政権によって市場経済が導入された現代に書かれた作品を中心に据えている。編訳者はいう。これらの文章に難解な表現が多くあったが、これは現代ビルマ女性と文学界が抱える困難が存在し、むしろ行間に潜む描きだされていない膨大な事実の重みを真摯に受け止め、その痛みと絶望を共有したいと論じていた。自由に書ける時代はまだ先のようだが、私はその日を待っている。

2011年7月30日土曜日

(1173)ビルマからの手紙⑦

  スーチーさんが書いた「ビルマからの手紙⑦」(毎日新聞)のコピーが友人STさんから贈られて来た。見出しは「古い友情の恩恵受け」、「二十数年ぶりに休日 古都パガンへ」とあった。今回は以前経験した休日の思い出から始まっている。ヒマラヤ、カトマンズ、インド北東部、スイス、イングランド、スコットランド・・・・など。息子のキムが6月の誕生日にビルマにやってきたとき「休日なんだからどこかへ連れて行く」と約束、20年以上で初めての休日だから、他人に文句を言われる筋合いもない。気候などを考えパガン旅行を決めた。パガンにはいにしえの栄華を目撃した数千のパゴダが残っている。この理想の場所を見つけてくれたのは父の友人の息子、自宅の修理も引き受けてくれた建築家だ。私たち16人のグループをパガンホテルに宿泊させた彼の選択は最高であった。こうして家族旅行は無事に終了した。

2011年7月29日金曜日

(1172)携帯電話の5カ年計画(ビルマ)

  引き続き中西先生のブログを紹介する。今回は7月23日発行のVOICE 誌とNEWS WATCH誌より抜粋したもの。ビルマ通信公社と民間企業10社が共同して携帯電話3000万台普及5カ年計画の初年度として、2011年度中に400万台を販売することになっているが、現在の500万チャットより安い価格で販売を計画しているとビルマ通信公社の幹部が述べた。3000万台を達成するためには政府だけでなく、多くの民間会社、国民が一体となって進めることが肝心であると連邦大臣も述べている。5カ年計画の内訳は、11年度:400万台、12年度:500万台、13年度:600万台、14年度:700万台、15年度:800万台、合計3000万台(以上中西ブログ終了)。通信に困っていた国民にとっては朗報だが、待てよ、こんなに携帯を増やしたら、国民同士の連絡が簡単になり、政府が困ることにならないかしら。

2011年7月28日木曜日

(1171)土地相場のバブル 手が出ない

 昨日に引き続き、中西先生の「ミャンマー・日本語教室ブログ」から転載する。今日はヤンゴンの土地相場の変遷で、7月14日発行のBI WEEKLY ELEVEN誌の紹介だ。法外な土地相場の値上がりにより、公務員や一般庶民にとって自分の家を購入できないことが問題になっている。土地バブルの原因は、国内や海外の投機筋によるマネーゲームのせいで、今の土地価格ではマイホーム(一戸建て)を所有することは全く不可能であり、賃貸でも困難、郊外の不便なところでも家賃は4-6万チャット(一般サラリーマンの給料は10万チャット前後)、例えば、1平方フィートあたりの06年⇒10年の相場は、インヤー表通りは7万チャット⇒40万チャット、ダゴン表通りは8万チャット⇒50万チャット、ピー通り(6マイル)は9万チャット⇒35万チャット、バブルは今も猛烈な勢いで膨らんでおり、いつはじけても不思議でない。

2011年7月27日水曜日

(1170)ビルマでは1ドル何チャット?

  久しぶりに中西先生の「ミャンマー・日本語教室ブログ」を覗いてみた。ヤンゴンの今の様子を探るにはこのブログが最適だ。7月18日のこのブログには、7月16日発行のVOICE誌の「米ドル・FECの15年間の推移」の要約が掲載されていた。以前はこの種の記事を掲載するだけで検閲に引っかかったといい、貴重なデータだ。米ドルとチャットのレートは1996年:173チャット、98年383チャット、2000年:407チャット、02年:1240チャット、04年:957チャット、06年:1422チャット、08年:1250チャット、10年:1020チャット、11年6月まで:887チャット。96年以降、政府の外貨不足、市場経済の不明確さのため、インフレが加速し、チャットの価値がどんどん下がっていった。しかし08年頃から天然ガスの輸出や中国などからの大規模な投資が入り込んで、チャット安からチャット高に転じさらに進む、と。

2011年7月26日火曜日

(1169)スーチー氏 政府と対話 軟禁解除後初めて

  今朝の朝日新聞によると、ビルマ政府の閣僚が25日、スーチー氏とヤンゴンで会談したが、これは昨年11月の自宅軟禁解除後では初めて。政府はこれまでスーチー氏の会談要求に応じなかったが、欧米が続ける経済制裁の解除へ、局面打開を目指したとみられる。スーチー氏は国立迎賓館で、軟禁時に連絡調整担当相だったアウンチー労働相兼社会福祉相と約1時間20分会談した。会談の内容は明らかにされなかった(以上概要)。このような会見が行われたことは、両者和解に向けての第一歩とみられているが、その次の難問、即ち約2000人とされる政治犯の釈放や、スーチー氏(NLD)の政治活動を政府が認める問題、さらに各地で勃発している少数民族との戦闘停止と人権問題など、両者の間には巨大な壁が幾重にも存在している。今回の会談で意見を交換しただけでは、民政政権とはいえない。

2011年7月25日月曜日

(1168)ビルマ今週のニュース(1125号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★カチン州では国軍がカチン独立軍(KIA)本部のあるライザに迫っている。カレン州ミャワディ近くでは19・20日国軍が民主カイン仏教徒軍(DKBA)を砲撃。 ★スーチー氏の父アウンサン将軍の命日の19日(殉難者の日)ヤンゴンのアウンサン廟で行われた政府主催の追悼式典に参加、その後NLD本部での式典に出た後、アウンサン廟に再訪。その際支持者ら3千人もついて歩いた。 ★キャンベル米国務次官補が朝日新聞の質問に答え、「米国では正式な呼称はビルマ、外交儀礼としてビルマ/ミャンマーを使うこともある。これは何年も前からそうしている」。 ★21日、インドネシアバリで第12回ASEAN+3外相会議が開かれ、松本外相が出席、「総選挙は前進であるとした上で、人的交流、経済協力、経済関係、文化交流の4分野での協力を提案した」と表明した。

2011年7月24日日曜日

(1167)明らかになってきた印緬国境

  ビルマとタイ国境のニュースはしばしば耳に入るが、ビルマとインド国境の話題については初めて7月19日から朝日に連載。いままで情報がなかっただけに貴重だ。たまたまインド側のこの地区、ナガランド、マニプール、ミゾラムの3州が今年全面的に開放されたので、記者が現地を取材した。ナガランド州モコクチュンの村は以前「首狩り」の風習があり、有名だったが今はない。19世紀以降キリスト教の布教が進み、9割以上が教会に通うという。この地区で忘れていけないのが、マニプール州のインパール、近くの山に旧日本軍の一部が頂上付近に陣地を築いたが、たちまち全滅した。インパールには4回日本軍の空爆があったという。「日本は戦後豊かになったが、私たちの生活は当時とあまり変わらない」との現地人の声が心に刺さる。国境にまたがるモレーの町、両国民はフリーパスで1日数千人が行き来する。

2011年7月23日土曜日

(1166)ビルマ国軍 少数民族へ人権侵害

  7月13日の産経ニュースによれば、標記のような見出しの下、ビルマ政府軍による人権侵害の実態が「シャン人権財団」の調査で明らかになってきた。シャン州では4月11日から7月12日までの3ヶ月間に、シャン族の反政府武装勢力「北部シャン州軍」と、政府軍の交戦が47回あり、政府軍兵士の略奪や村人の拉致、拘束、殺害が47件あった。例えば、モンスの14家族から470万円相当が奪われた。シーボーでは70歳の老女と13歳の孫娘が理由もなく射殺された。女性への暴行は7件。最北部のカチン州では、6月、カチン族の女性への暴行が18件あった。国際労働機関(ILO)は、子どもが強制的に従軍させられた事例もこの5ヶ月間で424件に上るとしている(以上概要)。政府軍は各民族の軍隊組織を国境守備軍に編入しようとしているが、各少数民族は自治を目指して反対、戦闘は今後も続く模様。

2011年7月22日金曜日

(1165)対ビルマ対話もじわり

  今朝の朝日新聞には、「対ミャンマー対話もじわり、日米欧、探る距離感」という見出しで、ビルマ新政権発足後の情勢変化を見定めつつ、これまでの経済制裁に柔軟な対応も織り交ぜ始めた。米政府は、インドネシア・バリ島で22日に主催する「メコン下流域友好国閣僚会議」にビルマを招き、ミャンマーの表記を容認、キャンベル国務次官補は「以前の軍事政権との決別を期待する」と話す。欧州連合(EU)は経済制裁を1年延長する一方、外相らに対するビザ発給停止などを一部緩和、6月にビルマを訪れたロバート・クーパー欧州対外活動庁顧問は、制裁解除を視野に入れた姿勢を示した。日本も政策変更を表明、人道支援に限定してきたODAを農業・医療・保健分野に拡大させることを検討してる。しかし中国からの対ビルマ援助などが増える中「このままでは中国の影響力が強まるだけ」との懸念もある。

2011年7月21日木曜日

(1164)記者探求:環状線に乗ってみた

  朝日新聞の藤谷アジア総局長が「ヤンゴンの環状線に乗ってみた」というエッセイを書いていた(7月18日)。環状運行は38駅45キロを3時間で一周。外回り、内回りでそれぞれ7便、外国人は1ドル(80円)で、地元の人は20チャット(2円)、車両は日本製のディーゼル機関車とインド製の客車6両、座席は木製の長いすで、警官が乗り込むスペースもあった。途中駅で市場で売るアスパラガスやマンゴーなどを担いだ女性たちが次々乗り込んできた。中部なまりのビルマ語や、カレン語が飛び交う。列車は時速20キロほどで、途中で名古屋鉄道の中古客車とすれ違う(以上概要)。実は私が15年前にヤンゴンを訪れたとき、東京の山手線と比べるため面白半分にこの電車に乗ったことがある。この記事を興味津々読んだが15年間全然変わっていない感じがした。ビルマという国はゆっくりゆっくり時間が進むようだ。

2011年7月20日水曜日

(1163)米、「ミャンマー」表記容認

  今朝の朝日にオバマ米政権がミャンマー(ビルマ)政府の要請に応え、国際会議の会場で従来の「ビルマ」に加えて「ミャンマー」との国名標記も容認する方針に転じたとあった。ミャンマー軍事政権発足の正当性を認めない立場は維持しつつ、昨年の総選挙を経た現在の政府には一定の敬意を示すことで、直接対話を進め、民主化を促す狙いがあるとみられる(以上概要)。私の場合はビルマとミャンマーは単に口語体と文語体の違いなので、どちらでもいいやと思い、多くの友人が使っている「ビルマ」を愛用している。第一よその国の国名をとやかく言う前に、各国便覧なる小冊子をみると、私の住んでる国は「日本国」となっているではないか。さらに調べると「日本」なのか、「日本国」なのか、明確に規定した法令はないという。発音も日本(にほん)共産党であったり日本(にっぽん)社会党であったり。何でもいいや。

2011年7月19日火曜日

(1162)ビルマ今週のニュース(1124号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★カチン州では10日、国軍がターペインダム周辺でカチン独立軍(KIA)を砲撃、シャン州中央部では13日、国軍がシャン州軍(SSA)を空から爆撃、同州では国軍兵士が女性・少女を強姦したとの報告も。 ★米国ビルマキャンペーンによれば、駐米ビルマ大使館の一等書記官が13日、米政府に庇護を求めた。同大使館からは首席公使が4日に亡命したばかりで、同公使の亡命について尋問されることを恐れていた。 ★「ミャンマーの民主化を支援する議員連盟」の十数人と、多数の在日ビルマ人らが出席、国軍とカチン独立軍(KIA)との戦闘の背景などを論議。 ★菊田外務大臣政務官は13日、来日中のティンサン・ホテル観光大臣と会談、ビルマ政府の動きが、不十分ながらも、民主化と国民和解に向け一歩前進と評価。 ★ビルマの政治囚は6月末現在で1994人。