2010年4月30日金曜日

(719)きらく会会報 私が編集長

(2010年4月30日)
  私は ビルマ関連のエッセイをいくつかの雑誌に投稿しているが、私自身が編集に携わっている雑誌にももちろん掲載している。その雑誌の名は「きらく会会報」。きらく会というのは、私がライオン油脂(ライオンの前身)の研究部にいた頃の有志メンバーが定年を期して結成した会で、現在会員は12名、当時20歳代であった青年化学者も今では皆80歳代。主な行事は情報交換会と称した年数回の飲み会であるが、タイライオンや台湾ライオンとの交流会など海外遠征も実施した。当初会報作成の話が出て私が編集担当に。会報の創刊号は、16年前の平成6年9月、以後19号までは年2回発行、20号以降は年1回の発行を続け、先週26号を発行したばかり。私は毎回ビルマ関係の話題を掲載しており、最新号では「勝負の見えてきたビルマ問題」を掲載した。発行部数は23部、60頁、エッセイ数23編、オールカラー。

2010年4月29日木曜日

(718)ビルマ今週のニュース(1016号)

(2010年4月29日)
  BURMAINFOのニュース(1016号)から抜粋。 ★EUはビルマに対する制裁措置の一年間延長を決めた。武器禁輸措置や特定分野への新規投資の禁止、軍政関係者へのビザ発給禁止、資金凍結など。 ★モン民族の武装勢力新モン州党が国境警備隊への改編を拒否したため、住民がモン州からタイ国境へ逃げ始めた。同じくワ州連合軍が拠点を置くシャン州から住民がタイに渡っている由。 ★カチン州にあるミッソン水力発電所建設現場で爆弾が爆発、中国人作業員4人が死亡。 ★ペグー管区のトーイエガー水力発電所建設現場で27日手榴弾が投げ込まれ作業員4人が負傷。 ★米上院議員7人がオバマ政権の対ビルマ政策の評価と見直しを求めたが、政府は直接対話と制裁の二本立ての政策を続けると表明。 ★元ノルウエー首相らはヤダナ天然ガス田に投資しているトタル社に収入の透明性を要求。

2010年4月28日水曜日

(717)ビルマ 総選挙出馬準備か

(2010年4月28日)
  ビルマでの総選挙は今年の10月と噂されているがあと残りは6ヶ月、準備は少しずつ進んでいるようだ。今朝の朝日によれば、テイン・セイン首相ら閣僚23人は26日に軍を退役した。このたび発表された選挙関連法では公務員の被選挙権は認めておらず、立候補するには軍籍を離れる必要がある。今回退役した23人のうち何人が立候補するかは不明だが、立候補する場合は閣僚職も辞めると見られる。また省庁幹部も辞職し、軍政の翼賛組織である連邦団結発展協会(USDA)が作る政党から立候補する見込み。憲法の規定で上下両院の4分の1は自動的に軍人に割り当てられるが、残りの議席についても多くの軍・政府出身者を当選させることで、選挙後の議会を実質的に支配する思惑があると見られる。NLD はじめ各民主化団体が選挙に不参加を表明する中、ビルマ国民に夢のない聡選挙が進行中だ。

2010年4月27日火曜日

(716)悲鳴の上がる入管 収容が長期化

(2010年4月27日)
  以前から毎週水曜日は東京入管訪問日と決めていたが、きょう火曜日に訪問した。というのは、あす水曜日の午前中は収容者の居室検査のため面会休止となり、あす午後は大勢の面会者が殺到することが予想されるためである。きょうは早めの番号を取るために12時に入管に到着し、12時40分の番号札配布を待ち、8人分の面会申請書を提出した。係官は素早くチェックをしてくれたが、全員が面会OK。ここで私はがっかりした。先週来、誰一人仮放免で出た人がいないのだ。しかもこの状態が5週続いている。こんなことは今まで例がない。2008年以降2~4ヶ月の収容が普通であったのに、最近は5ヶ月と2週間経過した人もいる。牛久の状況も同じであり、6ヶ月収容が一般化したようだ。なぜ収容期間が大幅に延長されたのか、入管側は説明すべきだ。 彼女らは早く出たいと涙声で訴えているのに。

2010年4月26日月曜日

(715)平和の翼ジャーナル

(2010年4月26日)
  この雑誌は2007年10月に発行され、ビルマの民主化問題、難民問題について広く日本人に知らせようという意図で在日ビルマ人が発行したもの。編集長のアウンミャッウイン氏は苦難の末難民として認められ、最初「ミンガラ日本語教室」に通っていたが、その後関西学院大学(兵庫県)に難民枠で入学。同時に、有志を募って標記の雑誌を発行した。この雑誌は日本語とビルマ語の両方で記されており、両国人にとって読みやすい。彼は、総選挙関連5法が出た直後、「スーチー氏無しではNLDの勝利はありえない」、「NLDはスーチー氏だけに頼り過ぎている」、「スーチー氏のような指導者を多く作ることが大切」、「NLDは国民の前に出て国民を動かすべきだ」と誌上で論じている。今回の号には、この他、熊切拓氏、田中喜美子氏、キンマウンラッ氏、そして私もブログで問題点を指摘した。この雑誌の成長を祈る。

2010年4月25日日曜日

(714)軍政と少数民族 軍編入交渉で緊迫

(2010年4月25日)
  軍事政権が、独自の武装組織を持つ少数民族に、政府軍の国境警備隊への編入を求めていた交渉が大詰めを迎えた。2008年制定の新憲法で、政府軍が唯一の国軍と規定されたことを受け、軍政は、1989年以降に停戦合意を結んだ17の少数民族勢力に対し、武装組織を国境警備隊に編入させる交渉を本格化させた。パオ族など複数の少数民族は、特権維持などを重視して合意した。ただワ族(兵力2万)などとは交渉が難航、軍政は年内総選挙を控えこれ以上の延長は困難と判断した。軍政はスーチーさん問題よりも少数民族による武装蜂起、爆弾テロの危険性を懸念している。軍政は今月28日までに最終期限を設定。合意しなければ「違法組織」に指定し、停戦合意を一方的に破棄、武力鎮圧に入る予定。カチン族(兵力6千)、モン族(同数千)はワ族の対応を注視している。平和裏に解決してほしい。

2010年4月24日土曜日

(713)今野東議が強い調子で千葉法相に

(2010年4月24日)
4月21日(710)で、民主党参議院議員今野東氏の難民政策を論じたが、同日同氏の事務所からメール・マガジン№16が私のパソコンに入り「22日に参院法務委員会で入管問題について質問するからhttp://www.webtv.sangiin.go.jp/ webtv/index.phpを見てほしいというもの。どうやらメールに今野東氏と書くと自動的に同氏事務所に届くシステムがあるようだ。その晩私は上記ウエブテレビを見た。画面は鮮明であり、法務委員会でのやり取りが手に取る様にわかった。この日今野議員は本ブログ(681)でも書いたが、ガーナのスラジさんを強制送還で飛行機に乗せる際死亡させたと言う事件を取り上げ、「10人もの入管職員が付いていながら死亡させたのは犯罪ではないか。タオルで猿轡したのは法律外の措置だと千葉法相と入管局長を厳しく追求、迫力に満ちた質問であった。急に民主党が頼もしく感じた。

2010年4月23日金曜日

(712)早すぎるビルマ人パパの死

(2010年4月23日)
  昨日、チーモーさんという在日ビルマ人男性が心不全で亡くなった。享年33歳。私は「ミンガラ日本語教室」を主宰していた関係もあって、日本人と結婚したビルマ人は20組近く知っている。その多くは言語、習慣、文化の違いを乗り越えて日本で仲良く暮らしているが彼はその中の一人だった。「みんがらネットワーク」会報については昨日述べたが、その11号に生まれたばかりの長男を抱く彼のにこやかな横顔が掲載されており、その次の頁には遠路はるばる日本にやってきた彼を思いやる日本人奥様の胸の中が素晴らしい文章で書かれていた。そのご主人が急に亡くなったのだ。奥様のご心痛はいかばかりかと案ぜられる。ご子息は9歳と7歳、長男の名前は望君、次男は宝君、名前を聞いただけでお父さんの夢がわかるような気がする。私は足腰が痛いので葬儀には参列せず、先ほど奥様にお手紙を出しておいた。

2010年4月22日木曜日

(711)みんがらネットワーク会報

(2010年4月22日)
  「みんがらネットワーク」は1995年から始まったチェリー・マーラー・トゥインさんのビルマ語教室有志と、96年に始まったミンガラ日本語教室の有志を中心に、98年からスタートした会である。既に10年以上の歴史があり、今でも活発に活動中。その会報は当初私とチェリーさんが中心となって続けてきたが、途中から、私が責任者として編集を担当し、最近は鈴木貴子さんが腕を振るっている、2002年ごろ発行が一時ストップしたが、その後は順調に発行されており、いま私が手にしているのが31号。この会報の特徴はビルマが大好きな日本人と在日ビルマ人が協力して作り上げている点で、日本語とビルマ語が併記されている。表紙はビルマの写真では著名な後藤修身氏が全号担当している。今号では、特集として最近大きく変わった日本語能力試験制度の内容をビルマ語で紹介している他、多くのエッセイが楽しい。

2010年4月21日水曜日

(710)民主党今野東議員の難民政策

(2010年4月21日)
  ネットサーフィンしていると、たまたま「今野東の難民政策」というテーマが目に飛び込んできた。私はビルマ難民(申請者)と接触する機会が多いが、自民党の外国人管理政策にうんざりし、前回選挙では外国人との共生をうたう民主党に一票を入れたが、その後の民主党の難民政策に何も進歩がなくがっかりしている。今野東氏は参議院法務委員会の筆頭理事であり、難民・外国人の人権問題検討チーム主査でもある。彼の言う難民政策は次の通り。①故郷を逃れてきた難民が、日本で適切に保護される制度を作る。②難民認定手続きの透明化を図り、審査期間を6ヶ月と設定し乱用を防ぐ。③出入国を管理する法務省から難民審査を独立させ、難民認定委員会を設置する。④難民の生活を安定させるため生活支援体制を実現する。⑤難民等の保護に関する法律を成立させる。言葉だけでなくぜひ実現してほしい。

2010年4月20日火曜日

(709)狭心症のビルマ人を救う 京都の病院

(2010年4月20日)
  先日(674)で脳出血で意識不明のビルマ人のことを書いた。結局は家族が来日し、日本で治療を続けているようだ。たまたま4月18日の京都新聞を見ると、ビルマで重度の狭心症を患ったビルマ人女性ミェンミェンタンさん(63)がタイでバイパス手術を受けたが、その後狭心症が重症化し、ビルマでは治療が難しくなった。このため主治医のタンテイ医師が留学時代に世話になった京都の専門病院と連携することになり来日、14日に手術が成功し、20日には感謝しながら夫婦揃って帰国するという。タンテイ医師は「難しい症例を受け入れ成功したことに感謝します」と話し、日本側医師も「ビルマで苦しんでいる人を救えたのは医者冥利に尽きる」、「今後も医学の面で国際貢献したい」と述べた。日本の医療技術は世界のトップクラスであり、在日ビルマ人は重症の場合、帰国よりも日本での治療に専念したらいかが。

2010年4月19日月曜日

(708)水牛 融資します ミャンマー支援

(2010年4月19日)
  17日の朝日夕刊に「水牛、融資します」、「農畜産銀行、物で取引」、「佐賀のJAミャンマーを支援」という大きな見出しが並んでいた。「水牛銀行」、「ニンニク銀行」、「養豚銀行」など農畜産物を現物で貸し付ける「農畜産銀行」がビルマで好評。農家は銀行から借りた雌牛や種ニンニクを元手に増産し、銀行は返却された作物や家畜を別の農家に再び貸し出す仕組みが日本の支援で6年前に作られた。事業は3月でいったん終わったが、支援してきたNPO(地球市民の会)や佐賀農協は今年度以降も続ける方針という。実施しているのはシャン州で、24村に水牛銀行、17村にニンニク銀行、14村に養豚銀行が設立され、特に好評なのは水牛銀行。ビルマでは水牛はトラクターに代わる重要な動力、生まれた子牛は自分の持ち物にでき、子牛が乳離れした段階で母牛と利息相当の現金を銀行に返す。成功を祈る。

2010年4月18日日曜日

(707)ビルマの今週のニュース(1015号)

(2010年4月18日)
  BURMAINFOのニュース(1015号)から抜粋。 ★ヤンゴンで15日新年を迎え祝う「水かけ祭り」会場で爆弾が数回爆発し、8人が死亡、94人が負傷、国営メディアはテロリストによる犯行としたが、具体的な容疑者名などは出していない。ビルマでは過去数年に数回の爆弾事件が起きている。 ★キャンベル米国務次官補は、15日、ビルマとの対話というプロセスを続けていくには軍政側が政治改革に向けて何らかの行動をとる必要があると述べ、民主化改革が進まなければ対話路線を見直す可能性を示唆。 ★米国ペンクラブでは政治囚として収容されているネーポーンラット氏(NLD党員、詩人・ブロガー)に「言論の自由賞」を授与する。2007年秋の民主化運動弾圧について国内から情報を発信し、現在刑務所に収容中。 ★スーチーさんは11日ヤンゴン総合病院で心臓の検査を受け、同日帰宅、詳細は不明。

2010年4月17日土曜日

(706)少数民族の自治 したたか

(2010年4月17日)
  軍事政権への批判勢力は、スーチー氏に代表される民主化グループの他に、各地の少数民族グループがある。軍政側の圧倒的な力によって、民主化グループは壊滅しそうだが、一方の少数民族の動きは今ひとつ明らかではなかった。16日の朝日新聞は、軍政側が少数民族側と停戦協定を結び、その見返りに限定的な自治や武装を認め、経済的利権を与え懐柔を図っている例として、パオ族を紹介している。パオ族は人口百万人、インレー湖を南下してリメン村に着くとパオ民族機構(PNO)の民兵組織(PNA)が銃を持っており、通行料を払わないと入れない。事件やトラブルなど行政はPNOが担い、水力発電施設も自前で造っている。PNOの兵力は千2百人、ルビーの採掘、ホテルの経営、飼料の輸出も行っている。しかし、ビルマ各地には停戦に応じない小規模な武装勢力も数多くあり、軍政が締め付けている。

2010年4月16日金曜日

(705)水かけ祭り会場で連続爆弾 ヤンゴン

(2010年4月16日)
  今朝の朝日新聞にはびっくりするニュースが大きく掲載されていた。ヤンゴンでは13日から16日まで新年を祝う水かけ祭りの行事が行われ多くの人で賑わっていた。爆発が起きたのは15日の午後3時、カンドージ湖近くに設けた祭り用のステージで3回連続して爆発があったことから、組織的な犯行との見方が強い。今まで爆弾事件がある度に反政府系の少数民族グループの犯行とされてきたが、今回は言及していない。国営放送は死者8人、負傷者94人と伝えた。カンドージ湖は日本大使館やシュエダゴンパゴダに近い。先日発表された総選挙関連5法が、野党や少数民族政党にとってはきわめて不利な内容であり、今回の連続爆発事件がこの法案に関連していることを匂わせている。以上が朝日新聞の記事の概要だが、平和好きのビルマ人をここまで追い詰めたのは明らかに軍政であり、悲しい事件である。

2010年4月15日木曜日

(704)「不法就労外国人対策等関係局長連絡会議」

(2010年4月15日)
  なんとも長たらしい名前の会議である。これは法務省、警察庁、厚生労働省の3省庁の担当7部局長による合同会議であり、平成4年から毎年開催されている。特に記憶に残るのは、平成16年から5年計画で始められた不法滞在外国人の半減政策で、平成20年末までにほぼ半減に成功したことであろう。今回の会議では、3省庁が一層連携を強化して不法就労問題に取り組むことを確認している。今年の主テーマは次の通り。①就労活動を巡る偽装滞在事案の取り締まり強化、②不法滞在者の摘発強化、③事業主団体等への指導、啓発の強化、④不法就労外国人、ブローカー、雇用主に関する情報交換、⑤国内・海外広報の実施。以上であるが、難民申請者は審査に2年近くかかる例があり、その間働くことは許可されていない。祖国に帰れない彼らはどうやって生きていけばよいのか。これは人道問題である。 

2010年4月14日水曜日

(703)不法残留者は9万2千人

(2010年4月14日)
 法務省入国管理局の発表によれば、平成22年1月1日現在の不法残留者(オーバーステイ)総数は9万2千人で、昨年に比べて2万1千人(19%)減少している。男女比はほぼ同数(50%:50%)。国籍別に見ると、1位が韓国(2万2千人:構成比24%)、2位が中国(1万3千人:14%)、3位がフィリピン(1万3千人:14%)、以下中国(台湾)、タイ、マレーシア、ペルー、シンガポール、スリランカ、インドネシア(千8百人、2%)と続く。ビルマは11位以下であり、インドネシアの数字よりは低くホッとする。一方、年別の総数で見ると、平成17年1月1日には20万7千人、18年19万4千人、19年17万1千人、20年15万人、21年11万3千人、22年9万2千人と着実に減少を続けている。なお在留資格別に見ると、1位は「短期滞在」で6万3千人で構成比69%を占め、2位が「興行」で4千人:5%となっている。他は省略。

2010年4月13日火曜日

(702)水かけ祭り 新年を迎えるお祝い

(2010年4月13日)
  4月11日はビルマ人の「水かけ祭り」、今年も吉祥寺駅そばの井の頭公園の競技場で開催。会場が駅から結構遠いのと、私は膝が痛いので、行きは駅から710円払ってタクシーで、帰りは210円払ってバスを利用した。若い人たちに笑われるかもネ。会場には正面に演台があり、三方にビルマ料理などを販売する店が20軒あまりか。各グループが自慢の手料理を大声で販売していた。私の関係している「ミンガラ日本語教室」の店も、BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)の店も大勢の人が集まっていた。私は全部の店に顔を出したが、どの店にも私の知人が大勢いて、いろいろサービスしようとしてくれていたが、いちいち対応してるとすぐ荷物が増える一方なので、ワービー(お腹がいっぱい)といってすり抜けた。本国では軍政が茶番選挙を進めようとしているが、このビルマの友人たちは幸せになってほしい。

2010年4月12日月曜日

(701)ビルマ今週のニュース(1014号)

(2010年4月12日)
  BURMAINFOのニュース(1014号)から抜粋。 ★NLDは6日国民に向けたメッセージを発表、「民主主義と国民和解のために奮闘してきたが、当局による一方的な抑圧のために努力は実らなかった。NLDは国民のために心から謝りたい。これからもスーチー氏の指導の下非暴力な方法を通じて民主化を目指し続ける」と約束。 ★スーチー氏はNLDが総選挙に参加しないことを決めたことを歓迎した。 ★ハノイで8・9日アセアン首脳会議が行われ、ビルマからテインセイン首相が出席、議長声明では総選挙が自由・公正に行われることが重要だとしたが、軍政の批判は避けた。この首脳会議にあわせ、インドネシアなど加盟5カ国の国会議員105名が「アセアンからのビルマ除名検討」などの請願書を発表。以上。 おやおや、いつの間にかこのブログも700回を超えた。いつもだと大騒ぎをするのだが、まあいいか。

2010年4月11日日曜日

(700)「新体制」へ 軍政突き進む②

(2010年4月11日)
  総選挙に向けて軍政が選挙関連5法を明らかにして新体制へ突き進んでいることを昨日述べた。その進め方はあまりにも過激であり、民主化勢力に有無を言わせぬ傲慢な態度であり、我々の嫌軍政の気持ちをさらに増大させた。一方、軍政はヤンゴンからネピドーへ巨額の国費を注ぎ込んで遷都を行ない、各省庁や国会議事堂、大統領府などの建設を強引に進め7月には完成の予定。また、外国からの客の増加を見込んで、ホテル地区には8つの高級ホテルがオープンし、また5つの大型スーパーが開店する。ネピドーに住むことができるのは、軍人と役人に限られ、スーパーの従業員らは隣町のピンマナから通うことになる。道路工事をしていた20歳の男性の日当は日本円で220円だ。国民の多くは仕事がなく貧しい生活をしているが、それに引き換え莫大な国家予算を遷都に投ずる軍政、国民は幸せなのかしら。

2010年4月10日土曜日

(699)「新体制」へ 軍政突き進む①

(2010年4月10日)
  インターネットで4月1日の産経新聞を読んだ。見出しはミャンマー、「新体制」へ軍政突き進む 政党登録が本格化、反対派も準備、というもの。スーチー氏が率いる同国最大の野党、国民民主連盟(NLD)が選挙への不参加を表明する中、他の政党による政党登録が本格化。既に親軍政の3党(88年青年学生党、国民政治同盟、国民統一党)が登録し、最終的には十数党が参加する見込み。さらに、軍政系市民団体(公称2千4百万人)の連邦連帯開発協会(USDA)による政党化の情報もある。軍政はスーチーさんら政治犯の釈放など国際社会の要求には耳を貸さず、新政権樹立まで突き進む構えのようだ。一方反軍政とされるのが「民主党」、ネ・ウイン将軍のクーデターで追放されたウ・ヌ首相の娘タンタンヌさんや、バ・スエ元首相の娘ネ・イ・バ・スエさんらが属している。しばらくはビルマ情勢に目が離せられない。

2010年4月9日金曜日

(698)最近のヤンゴン風景・中西ブログから②

(2010年4月9日)
  昨日に続き中西先生の「ミャンマー・日本語教室ブログ」を紹介する。●日本政府は18歳以下の青年8人と引率役の教師2人を東アジア青年交流会に招待するが、応募資格が英語が堪能なこととあり、日本語教師の中西氏は悲憤慷慨。●噂によると総選挙は10月10日説が浮上。これは10年10月10日が覚えやすいから・・・・だそうです。●ヤンゴン市の周りを大きく回る環状線の鉄道は、停車時間が1秒もない。列車のスピードが落ちて一瞬止まったと思うと次の瞬間には動き出しており、乗客は飛び乗り、飛び降りをしている。「世界一停車時間が短い鉄道」としてギネスブックに登録してはどうか。またチャイナタウンからインセイン地区までの運賃はたったの10チャット(1円以下)。この安さもギネスものでは?●芸能人似ている(と思う)シリーズ モーヘーコーさんと真矢みきさん、ウッモンシュエイーさんと松浦亜弥さん。

2010年4月8日木曜日

(697)最近のヤンゴン風景・中西ブログから①

(2010年4月8日)
  久しぶりにウイン日本語学校の中西先生の「ミャンマー日本語学校ブログ」を読んだ。私同様連日書いており、ヤンゴンの情景を楽しく面白く発信し続けている。日本語教師が日本語の文章が上手とは限らないが、彼の場合は本当に楽しく上手に書いている。1日の訪問者は70人ぐらい。今朝彼が書いたブログは、怪奇現象「電気が消えると明るくなります」というもの。ヤンゴンでは相変わらず停電が続き、通電しても電圧が150~190ボルトと薄暗いのに対し、停電すると変圧器を動かすので220ボルトの電流が流れ明るくなるというもの。4月6日のブログには近所にできた新しい寿司屋のことを紹介しており、サーモンの握りが2000チャット、アジにぎり500チャット、ハマグリの味噌汁1000チャット、秋刀魚の塩焼き2500チャットとのこと。そのほか私立の中学・高校で中国語が選択科目に決まり彼は嘆いていた。

2010年4月7日水曜日

(696)ハンストの成果? 仮放免続々

(2010年4月7日)
  法務省の西日本管理センター(大阪府茨木市)で体調の悪い収容者の仮放免などを求め、収容者が3月に集団でハンガーストライキをしたことは、(675)の本ブログでも報じた。その後、支援団体のビラには、ハンストを主導したリーダーが当局から激しい取調べを受けているとのニュースが記載されていた。しかし一昨日の新聞報道は、同入管ではそれまでなかなか認められなかった仮放免が相次いで許可されているという。センター側はハンストとの関連は否定しているが、ハンストの成果と考える方が自然であろう。この騒動は参院法務委員会でも取り上げられたが、その支援の結果とも考えられる。このような現象は2007年秋の「サフラン革命」のとき国会議員が動き、ビルマ人が続々仮放免され、牛久入管にはビルマ人が誰もいなくなったことがある。国会の力は大きい。議員先生たちよ、これからも頑張って!

2010年4月6日火曜日

(695)ネピドー 巨大な首都中枢

(2010年4月6日)
  今朝の朝日にネピドーでは連邦議会や大統領府の建設工事が大詰めを迎え、その巨大な施設が写真で紹介されている。5月ごろにはすべての政府関係施設が完成する見込みで、年内に予定されている総選挙後の新しい政府を迎え入れる準備は着々と進んでいる。軍事政権は国軍記念日の3月27日、初めて外国人記者団を迎え入れ、連邦議会を公開した。権勢を誇るためか建物はすべて巨大、人民代表院(下院)と民族代表院(上院)が入る連邦議会の外装はほぼ完成。議会前の道路は10車線もある。工事をしていた男性(20)の給料は日当2300チャット(日本円で220円)。完成間近の大統領府は公開されなかった。政府中枢地区はフェンスで囲まれ一般人の立ち入りは禁止の予定。なおネピドーには80万人が暮らすという。ところで私は4月1日のブログでネピドーのことを書いたがスーレーパゴダはウソ。

2010年4月5日月曜日

(694)NLDがもし選挙に参加していたら

(2010年4月5日)
  先に(689)でNLDが選挙に参加しなかった場合、NLDは壊滅的な打撃を受けるであろうと論じた。では選挙に参加すると決めたとすると、どうなるのであろうか。スーチー氏は新選挙法によって NLDの活動に参加できず、過去の人となる。現在刑務所に収監されている2100人もの民主化活動家もNLDに関与できない只の人となる。また、立候補したとしても、一人も当選しない最悪の事態も考えられる。現在400人いるといわれているNLD党員も軍や警察はもちろん、JSDA党員に監視され、事実上何もできない筈だし、混乱が生じたらすぐ刑務所行きだろう。国民の間で刺々しい争いも頻発するであろう。軍政側はNLDも参加した開かれた選挙であると胸を張って宣伝するに違いない。頼みの国際社会も内政不干渉という金科玉条の下では手も足も出せない。NLDは選挙に参加してもしなくても壊滅の道しかない。

2010年4月4日日曜日

(693)朝日新聞の社説に思う

(2010年4月4日)
  今日の朝日にビルマ関連の社説が載っていた。見出しは「ミャンマー 茶番選挙は許されない」。10月頃と見られる総選挙に最大野党の国民民主連盟( NLD)が参加しない方針を決めたが、その一番の理由はスーチー氏が選挙に参加できないことだ。5月初めまでに名ばかりの野党を含む親軍政党を多く作り、10月の総選挙で圧勝する。こんなシナリオを描いているに違いないが、こんなのは茶番に過ぎない。国会の両院では四分の一は軍人で占められ、大統領になれるのは事実上軍経験者に限られる。NLDは今後の戦略を立て直し、国際社会からの働きかけも大切、特に中国は軍政の延命に手を貸すべきではない。鳩山政権は中国やアセアンとの協議を深めるなど踏み込んだ対応が必要。茶番の総選挙は自由を奪われている5千万の国民にとって余りにも過酷だ。以上、この社説が茶番ではないことを祈る。

2010年4月3日土曜日

(692)ビルマ今週のニュース(1013号)

(2010年4月3日)
  BURMAINFOのニュース(1013号)から抜粋。 ★スーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)は29日中央委員会を開き、軍政が発表した選挙関連法が不公平であることを理由に、政党としての登録手続きを行わないことを全会一致で決めた。 ★岡田外相は「日本が期待している、すべての関係者が参加できる開かれた選挙とは明らかに異なる。極めて遺憾であり再考してもらいたい」と述べた。 ★3月29・30日に行われたG8外相会議で総選挙が透明で完全に開かれ、自由・公正であることを求め、スーチー氏を含むすべての政治囚を解放するよう軍政に呼びかけた。 ★岡田外相は、「昨年11月に可能性が示された」本格的な経済支援は、今の状況ではそうはならない」と。【背景】昨年11月の日緬首脳会談で、鳩山首相は「総選挙が我々の期待する方向で行われれば、日本は様々な支援を強めていく」と。

2010年4月2日金曜日

(691)入管前でのシュプレヒコール

(2010年4月2日)
  一昨日は水曜日、例によって東京入管を訪問したが、バスを降りると騒然としていた。数十人の外国人が入管の玄関前でシュプレヒコールを繰り返していた。配られたビラを見ると、主催はSYI(収容者友人有志一同)と書いてあった。あまり聞いたことが無いグループだが、既に5回この種の活動を行っているらしい。内容は収容者への非人道的な対応に反対し、収容者を激励するとあり、大音量の拡声器で怒鳴っていた。子供も大勢いて、「私のお父さんを返してください!」と泣き声で訴えており、私の胸にぐぐっと刺さった。中には中国人の一団が10人ぐらいたが、中国人のデモなんて始めて見た。彼らSYIは新聞にも取り上げられた西日本入管センターでのハンスト問題や、ガーナ人の成田空港での突然死の問題も取り上げていた。なおこのビラの見出しは10カ国語で書かれていたが、ビルマ語は無くホッとした。

2010年4月1日木曜日

(690)ネピドーにスーレーパゴダも建設

(2010年4月1日)
  今朝親しいビルマ在住の友人からメールを戴いた。ビルマからのメールは日本語もあるが多くは日本語をローマ字で表記したものだ。だからすらすらとは読めないが、ゆっくり読めば何とか理解できる。発信者はいつも政治問題には触れることなく、もっぱら日常的な話題を知らせてくれる。例えば、ヤンゴン市内での女性のファッションの変化や、小学校での授業のあり方など、平和なニュースが多い。今朝のメールには、ネピドーの街の様子が書かれており、ネピドーに建設された第2のシュエダゴンパゴダの大きさなどに触れていた。ヤンゴンの本物よりも1メートルほど低いという。私もテレビでこの第2のシュエダゴンパゴダを見たが、黄金色に輝き立派なものだった。彼はネピドーにもう一つ、第2のスーレーパゴダを建設するための設計が始まっておりこちらも実物より1メートル低いと言う。二つ揃えば立派な首都になる。