2009年11月30日月曜日

(568)噂 来年はもっとギスギスするか

(2009年11月30日)
  ビルマ問題の正念場は来年だとよく言われる。来年になるとビルマにも形だけの民主化政府が誕生し、日本を始め多くの国が承認することになろう。最近、入管に収容されているビルマ人にも「来年民主化政府に変わるのだから早く帰れ」と入管職員にいじめられているとの噂も出ている。私はこの噂の真偽を確かめるべく入管を訪問して難民申請関係の担当部署を訪問、受付にいた女性職員がいったん中に入り、少し偉そうな男性職員が現れた。話の筋を伝えると「来年ビルマに民主化政府ができるなんて確認もされていないのに、早く帰れなど言う筈がない」と否定された。また知人のビルマ人が収容されたとき、入管職員3・4人に長時間囲まれ何回も脅迫的な言動で帰国を促され、帰国する欄に署名してしまったと話したことがある。これらが単なる噂なのかどうか、来年になるともっとギスギスして来る予感がする。

2009年11月29日日曜日

(567)楽しく嬉しい またまた「感謝する会」 

(2009年11月29日)
  11月はビルマ人からの提案で「感謝する会」がいろいろ開催された。まず11月1日はミンガラ日本語教室で行われたサヤガドーボエ、出席したビルマ人生徒全員がひざまずき我々先生方に合掌礼拝し、その後生徒の手料理が振舞われた。同15日には、牛久入管に収容された女性ビルマ人と、BRSAメンバー合同で私の誕生日会が本本郷のイタリヤ料理店で開催された。次に20日にはAPFSメンバーによる同じく誕生日会が駒込で行われ、そしてきょう、牛久入管卒業生による「感謝する会」が新宿消費生活センターで行われた。来賓として私のほか、山村先生、田中さん、大滝さん代理(中野さん)、田辺さん(ウシュエバ、通訳兼任)らが出席し、それぞれが挨拶した。これらの挨拶の中で、このように組織だって感謝してくれるのはビルマ人だけだという話と、感謝するのは実は我々の方であるという話に私は感動した。

2009年11月28日土曜日

(566)ビルマ今週のニュース(44号)

(2009年11月28日)
  BURMAINFOからのニュース44号の抜粋。 ★ビルマ民主化への道筋を話し合う国際シンポジウムが23日東京で開かれ、4月にNLDにより発表された「シュエゴンダイン宣言」を日本を含む国際社会に支持してほしいと訴えた。 ★「ミャンマーの民主化を支援する議員連盟」は役員の改選を行い、会長に末松義規議員、事務局長に今野東議員が就任。 ★鳩山総理はブラウン英国首相と電話会談を行い、鳩山総理はビルマが民主化を一層進めることが重要とし、来年予定の総選挙が重要だというブラウン首相に同意した。 ★国連総会第三委員会は「組織的な人権侵害が起きている」としてビルマ軍政を強く非難した。 ★ビルマ中央部のイェユワ水力発電所がまもなく完成し、12月中にも試運転を開始、出力は790メガワットで国内最大で国内で消費する。 ★タイの189団体がサルウイン川のダム建設に反対。

2009年11月27日金曜日

(565)ミンガラ日本語教室 初期のイベント①

(2009年11月27日)
  みんがらネットワーク会報第30号がまもなく発行されるという。第1号の発行が1998年6月だから11年経過したことになる。いま振り返ってみると初めの頃はいろんなイベントを実施していた。98年3月には浅草見学を兼ねて浅草撮影会を実施、27名が参加してビルマの写真で著名な後藤修身氏が撮影を指導し、後日最優秀写真賞始め数多くの賞品授与式を行った。同年4月には中野公園で行われた水掛祭りに始めて出品し5万8千円の純益を得た。同年5月にはNHK見学会を開催、ビルマ向け放送の田辺氏(ウーシュエバ)の説明と案内で、現場を見学、22名が参加した。6月には30人で上野公園を訪れ、国立博物館や東照宮、動物園(パンダがいた)見学後、アメヤ横丁やアジア食品店を覗いた。また、教室に図書センターを作ったり、活動推進会議を毎週開催したりで、思えば充実した懐かしき時代であった。

2009年11月26日木曜日

(564)きらく会の集い ビルマ問題の質疑も

(2009年11月26日)
  私は洗剤や歯磨きで有名なライオン(株)で40年近く働いてきた。最初の配属が研究所だが、私が技術系だというと驚く人が多い。この研究所で働いていた同士12名が退職後も気楽に集まろうということで「きらく会」という名のグループを結成し、現在まで20年以上続いている。当然多くのメンバーの年齢は私と同じ80歳前後であるが元気な人が多い。今日その会合が錦糸町のホテルで開かれ8名が参加した。私のブログ「U MINGALARのつぶやき」を見てる人が多く、私と目が合うとビルマ問題の話題に移る。みなの関心はやはりスーチーさんの動きであり、彼女の気持ちが最近軍政側に接近しだしたことに関心が集まっていた。もう一つ、私がなぜビルマ人を助けるのかという点にも質問が集中した。私はビルマ人の性格がとてもよいことと、軍政下で困っている人が多いので助けてあげたいだけだと簡潔に答えた。

2009年11月25日水曜日

(563)品川入管面会記 嬉しかったこと

(2009年11月25日)
  今日は水曜日、なんとなくわくわくするデートの日だ。家を出て一路品川へ。総武快速線に乗れば45分で品川駅だ。品川駅からは頻繁に入管行きのバスが出ており、10分もすれば到着する。面会受付には30個ほどの椅子が並べてあり、面会者は到着順に座り、番号札は係官が一人ひとりに手で配る。いままでは適当な時間に並び始めるので、要領のよい私がいつも1番、多少気にはなっていたのだが・・・・。先週からは到着順なので、きわめて公正であり、今までのように要領のよい人が得をするということはなくなった。このため今日は20番、でも文句の言いようがなかった。たまたまその場で旧知のビルマ人女性と会ったが、彼女は3時から仕事があり間に合うか心配していたので、その人に順番を譲り結局私は32番、彼女が先に面会室にはいるのを確認したが、なんとなく嬉しかった。10人との面会は無事終了。

2009年11月24日火曜日

(562)第三国定住制 配慮すべき点

(2009年11月24日)
  政府は、他国で一時的に保護された難民を日本に受け入れる「第三国定住」制度の試行として、タイに逃れたミャンマー難民の受け入れを2010年秋から行うことを決めた。政府は将来の本格実施をにらみ、試行期間とする10年度から3年間にミャンマー難民を年30人ずつ計90人程度受け入れる計画だ。来年2月ごろ、UNHCRから候補者リストの提供を受けて面接調査を行い、第一陣となる30人を決めるという。私はこの制度を大歓迎する。国軍に理不尽に追われて命からがらタイ側に逃れたビルマ人があまりにも気の毒であり、救いの手を差し伸べるのは当然の義務であろう。ただこの人たちは、日本政府から180日間手厚い支援を受けることができるが、現在日本で難民申請しているビルマ人、あるいは既に定住資格を得たビルマ人との間の差別によって無用なトラブルが発生しないような配慮が必要である。

2009年11月23日月曜日

(561)家庭経営チェックの第6弾 書斎整理、

(2009年11月23日)
  我が家には5畳前後のささやかな書斎があり、そこが私の仕事場だ。前々から気になっていたのだが書類や書籍が天井までいっぱい、おまけに多くのビルマ人からいただいた記念品が飾られている。書類や書籍の多くは捨てられない「思い出の品」的な性格のもので、当然のことながら実用上不必要なものが多いし、地震も怖い。そこで必殺仕分け人が颯爽と登場、次のようなルールを考案した。①特例を除き5年間開かなかった書籍は廃棄、②特例を除き思い出の品的性格の書籍は表紙、目次、奥付をコピーして廃棄。③ビルマ人からいただいた記念品は大切に保存する。この3つの大原則でスタートしたが整理は遅々として進まない。あれも特例、これも特例となって元の場所に再び鎮座する羽目に。でも何とか努力して、やっと棚1個分を空にすることができ、家内の部屋に移動、家内からはほんの少し喜ばれた。

2009年11月22日日曜日

(560)ビルマ今週のニュース(43号)

  (2009年11月22日)
  BURMAINFOのニュース43号から抜粋。 ★オバマ大統領は14日東京で演説「民主化改革に向けた具体的な進展が無ければ制裁を続ける」と発言。また15日にはビルマのテインセイン首相を含むアセアン10カ国の首脳と会談、スーチー氏の解放を求めた。 ★スーチー氏がタンシュエ議長に手紙を出し「NLD執行委員会を自宅で開催したり、体調不良の執行委員を見舞いたいと述べ、これらをタンシュエ議長と直接話し合いたいとした。  ★チャットの実勢相場が1ドル1000チャットを切り990チャット、原因は中国国境でのアヘン・覚せい剤取引で数百万ドルが入ったためと言われてる。 ★軍政当局に支援活動が制限され撤退していた「エイズ・マラリア・結核対策基金」がビルマへの支援を再開。 ★鳩山総理はグテーレス国連難民高等弁務官と会談、来年第3国定住難民300人の受入れについて協力を依頼。  

2009年11月21日土曜日

(559)またまた誕生日会 今度は

(2009年11月21日)
  先週大勢のビルマ人が私の81歳の誕生日会を開催していただき、幸せ感でいっぱいだったが、今回はAPFSの吉成さんと吉田さん、それに10年前に生徒だったチーハンさんのお三方、吉成さんはご存知のようにアジア系外国人の支援に全力を挙げ、特に最近は長期在日の外国人家族の在留特別許可取得のために活躍されマスコミにもしばしば登場されている。また前回のダジンジュでは地元との交渉にご尽力いただいた。また前回の健康診断ではビルマ人の参加が一番多かったという。私は10年前からの知人で、ミンガラ日本語教室の忘年会には2回出席いただいたことがある。一方チーハンさんは、教室のサヤガドーボエの創始者であり、生徒の兄貴分として活躍、一時APFSにも勤務された。現在駒込でビルマ語を教えると同時に翻訳などで活躍中。旧交を温めることができ、昨日も幸せな一日であった。

2009年11月20日金曜日

(558)スーチーさんの書簡 吉か凶か

(2009年11月20日)
  スーチーさんは11月11日付でタンシュエ議長に書簡を送り、その内容をNLDが17日に公表し18日の新聞記事となった。主な内容は次の通り。「米国によるビルマ制裁の解除問題などを挙げ、国益にかなう事案でSPDC(国家平和発展評議会)との協力について協議したい」。「協力への前提条件として、NLD幹部全員と自宅で面会できるようにすることや、体調を崩しているNLD幹部らの見舞いを認めることを要求」、「具体的な協力の形についてはタンシュエ議長と会って話したい」とした。私が想像していたよりは進展していない感じだ。そもそも経済制裁に反対していたスーチーさんの変わりようをビルマ国民はどう思うのであろうか。今回タンシュエ議長と会談したとしても、スーチー氏のほうが妥協せざるを得ない状況の追い込まれるとの見方も出ている。まさに正念場だが、日本政府の無策も気になるところだ。

2009年11月19日木曜日

(557)入管の中からの叫び声

(2009年11月19日)
  私は入管で面会を重ねているが、収容者からは担当官(皆は「先生」と呼んでいる)は親切だという声が圧倒的に多い。私にはちょっと意外に思えたがどうも事実らしい。しかし時に収容者からいくつかの苦情が聞こえてくる。一番多いのが「いつまで収容されているのか。凡その目安を入管は教えて欲しい」というもの。私も同感でありガイドラインが欲しい。特に全然調べがないのに拘束されることへの不満が多いようだ。また、品川と牛久で収容期間が違うのも気になる。そのほか、「同室の〇国人同士が就寝時間に大きな声で喋り続けていて寝られない」。「医務室に3週間前から申し込んでも診てもらえない、その間病状が悪化した」等々。牛久入管の面会者待合室には意見申込用紙があって、苦情等書けるシステムがあったが、品川入管にも欲しい。また来年には入国者収容所等視察委員会が発足するので期待する。

2009年11月18日水曜日

(556)品川入管で面会できる人数は?

(2009年11月18日)
  今日は水曜日、品川入管での面会日だ。1日に面会できる人数は10人と決められているが、今日10人の面会申出書を係官に出したところ、面会者が多く混雑しているので週3回ぐらい来て分散して欲しいという。ちょっとだけカチンと来た。こちらは千葉県在住だし、81歳だし、黄色靭帯骨化症だしとブツブツ言うと、それでは週1回でいいけれど5人ずつ2回の面会で済ませて欲しいという。いままでは3人、3人、4人の3回に分けて10分ずつ面会していたのだが、これでも時間不足で意思伝達が不十分だ。5人一度の面会なんて想像もできないが、まあ長いものには巻かれろの心境でしぶしぶ了承。でも実際にはいままでどおり3人、3人、4人の面会となった。難民申請者は圧倒的にビルマ人が多く、また支援体制も整っているので、面会者が多いのは当然、問題解決にはビルマ人収容者を減らすことが一番の早道では。

2009年11月17日火曜日

(555)オバマ氏とミャンマー 日本政府は?

(2009年11月17日)
  昨日の各紙は、シンガポールで開催されたオバマ大統領とアセアン10カ国の首脳同士の会談の様子を大きく報じていた。その中で注目されたのがビルマに対するアメリカの姿勢の変化だ。朝日新聞の見出しは「オバマ氏、軍政に直談判 スーチーさん解放を要求」とあり、テインセイン首相は何も返答せず、米国の関与政策を歓迎するとの発言にとどまったと報じた。一方読売新聞は「米スーチーさん解放要求も ビルマ歩み寄らず」とあり、軍政の出方は依然として曖昧で、米国の思惑通りに進むかは不透明としている。同時に「中国の後ろ盾がある限りスーチーさんを含む様々なカードを簡単には切らない」との見方を紹介していた。私はこの両者の主張のぶつかり合いの結果に興味を抱く。しかし、最近アメリカばかりが出しゃばっているが、我が日本政府もビルマ問題をリードするチャンスだと思う。最近政治が面白いな。

2009年11月16日月曜日

(554)まさに至福のとき 誕生日会

(2009年11月16日)
  こんなに楽しい時間を過ごすことができて、本当に嬉しかった。昨日私の誕生日会をビルマ人30余人が祝ってくれたのだ。場所は本駒込の近くで私が中学・高校時代に学んだ小石川高校のすぐそばのイタリア料理店、集まってくれたのは牛久入管に収容されていたビルマ人、そのうち女性は私が嘗て毎週面会していたメンバーが中心で、男性の多くはBRSAの幹部だ。幹事の計らいで料理・飲み物が続々テーブルに並び、参加者一同も楽しそう。私も本格的イタリヤ料理を食べたのは久しぶりであり堪能できた。みなでハッピーバースデーを歌って頂き、デコレーションケーキのろうそくの灯を消し、記念品を戴く。この記念品の袋を開けてビックリ、私が欲しかったもの、「杖」が見えた。歩くのが辛い私が探していた品だ。嬉しさのあまり会場内をこの杖を突いて「アポージーオーオー」を歌いながら歩いた。皆さんありがとう。

2009年11月15日日曜日

(553)ビルマ今週のニュース(42号)

(2009年11月15日)
  BURMAINFOのニュース42号から抜粋。 ★7日、鳩山首相はテインセイン首相と会談、軍政はスーチー氏とNLDとの間で対話を進め、氏とその他の政治囚の釈放、言論、集会の自由、NLD地方支部の活動許可、少数民族との対話実施を期待するとし、日本としては支援を段階的に拡大すると述べた。 ★ウラン濃縮に使用可能な遠心分離機をビルマに不正輸出して起訴された社長に有罪判決。 ★オバマ大統領は15日アセアン首脳会談の際ビルマのテインセイン首相との公式会談は予定なし。 ★クリントン米国務長官は、ビルマの近隣国やアセアン諸国はビルマ民主化に重要な役割を持っており、ビルマが実質的な進展を見せない限り制裁を解除しないと発表。 ★ウインアウン元外相が刑務所で獄中死。 ★スーチー氏が17日に「重大発表」の予定。 ★軍政ナンバー4のティンアウンミンウー将軍が突然引退。

2009年11月14日土曜日

(552)家庭経営チェックの第5弾 健康

(2009年11月14日)
  歳をとると健康問題が切実な課題となる。私の場合、例の背骨の「黄色靭帯骨化症」がどうしても気になる。この背中の痛みは去年の11月から続いたので、この対策のためにニトリで電動式リクライングソファーを7月に購入し、使ってみると痛みは嘘のように消えた。このソファーは背もたれが後ろに倒れ、足の部分がどんどん前に飛び出し、ほぼ水平の状態に。昨日のニュースでANAの1等席にはこの種のリクライングソファーが装備されたと報じており、まさに1等席気分。ただ、このソファーの欠点は大の字で寝られないこと。そこで前々から目をつけていた背もたれが上がる電動リクライングべッド(一見通常のベッド)を購入。一昨日我が家に納入されたので、喜び勇んで一晩使ってみると背中が痛い、昨晩も就寝直後から痛みを感じ、結局もとの木阿弥でソファータイプのほうを使って寝た。痛みは感じない!良かったっ!

2009年11月13日金曜日

(551)今日ひとり仮放免 保証人は私

(2009年11月13日)
  一昨日の11日に入管の仮放免担当課から一人のビルマ人女性を13日に仮放免で出所させるが保証人である私の都合はいいかとの問い合わせがあり、私はOKと返事した。その際担当者は本人には仮放免OKとは言わないようにと釘をさされた。以前はこんなことは言われなかったが、何か事故でもあったのかしらと気にかかる。私は今日午後1時に担当部署に顔を出し、会計課で書類をもらい田町の日本銀行代理店へ、そこで保証金30万円を支払ってその領収書を受け取り、再び会計課、仮放免担当課へ。約2時間待たされ、4時近くにやっと彼女が大きな荷物を持って現れた。その際担当官から仮放免許可証が渡されいくつかの注意事項が言い渡された。その後私は雨の中彼女のアパートのある上中里駅まで送り届け、彼女の知人にバトンタッチ、私は帰途についた。このような仮放免の仕事は後2人残っている。

2009年11月12日木曜日

(550)品川入管での日本語教室

(2009年11月12日)
  品川入管には現在19人のビルマ人女性がおり、2ヶ月~4ヶ月前後収容され、出る人、入る人で日々交錯している。私は本年1月以降86名と接しているが多くの人が時間をもてあましている。そこで私は彼女らに日本語の学習を勧めており、通常のコースは、①日英緬辞書の差入、②漢字テキスト3級、4級の差入、③3級・4級の日本語能力試験問題の差入れ、④同解答結果の宅下げ(返却)、⑤同採点結果の差入れを実施中。このほか要望に応じて、あいうえおテキストや2級、1級問題を差し入れている。いま6人から3級と4級の試験問題が戻ってきて採点中だが、6人はいずれも90点以上の好成績。早めに返却する人は自信のある人であり、この好成績は当然といえば当然。ただ当方の悩みはバラバラに入所し、バラバラに出所すること。いま誰に何を渡したか提供教材の配布一覧表を作成している最中だ。

2009年11月11日水曜日

(549)今日は誕生日 81歳だ!

(2009年11月11日)
  1928年11月11日生まれ、今日は81歳の誕生日だ。ただ今日は水曜日なので、恒例の品川入管面会日でもある。10時半に家を出て一路品川へ、12時過ぎに受付に到着したが、場所取りの意味で受付台の前の床に各自のカバンや傘が並んでいた。私も前の人に習ってカバンと傘を並べ、後ろの椅子に座って順番を待った。面会そのものは順調に進み、予定の10人と面会、体調を崩していた2人も今日は笑顔だった。帰途、3階により、「来年ビルマに民政政権ができたら 多くのビルマ人は帰国させられる」という噂について聞くと一笑に付された。そのあと6階によったところ私が保証人をしている某女史は明後日仮放免OKとのこと、喜んでその旨を彼女の友人に連絡、とても喜んでくれた。帰途ケイタイを見ると「誕生日おめでとう」のメールがたくさん入っていた、家に帰ると妻の笑顔と極上の寿司が待っていた。

2009年11月10日火曜日

(548)平和の翼 大空高く舞って

(2009年11月10日)
  今日アウンミャッウインさんから中尾先生を通して「平和の翼」(2009年11月号・Vol.7)を戴いた。この雑誌は、以前牛久の入管に収容され、難民として認められたあとミンガラ日本語教室で勉学し、さらにその後兵庫県の関西学院大学の難民枠で入学されたアウンミャッウインさんが創刊したもので、いまや30人前後のスタッフを擁するしっかりした出版グループに成長している。今回の特集を見ると、「牛久(品川)入管で起きていること」を牛久入管収容所問題を考える会の田中代表がまとめ、「難民と言わないで」というテーマを大村入管被収容者を支える会の野崎代表がまとめている。一方、私は「U MINGALARのつぶやき」というタイトルで、毎日発信しているブログから抜粋して入管問題や、難民問題を論じた。1冊で牛久、品川、大村の主要3箇所の入管問題が論じられており、読み甲斐のある貴重な雑誌だ

2009年11月9日月曜日

(547)面白かった 「ビルマ万華鏡」②

(2009年11月9日)


  昨日に続き土橋康子氏が書いた「ビルマ万華鏡」について。たまたま目が「ナガの新年祭」のタイトルに移ったとき、私の目が釘付けになった。「・・・・写真家Gさん・・・・」。ビルマで写真家でGさんとくれば私の親友の後藤さんしかいない筈、でも自信はなかったので以降の頁をぐんぐんと読み飛ばしていった。そして「2006年2月再びナガ丘陵へ」という項目では「・・・・G先生とご一緒に」、「・・・・お気の毒にもG先生は階段を踏み外し」とあった。なぜかこの辺でG先生というのは後藤さんに違いないと確信できた。早速彼に電話してみたところ間違いなかった。そういえば、彼は「みんがらネットワーク」の会報の表紙を12年間毎号提供しており、このブログ読者も大勢彼の写真を知っている筈である。私は今この会報の全号の表紙を見ているが、11号をはじめナガの写真の多いのに気がついた(ナガはビルマ北西部の僻地)。

2009年11月8日日曜日

(546)面白かった 「ビルマ万華鏡」①

(2009年11月8日)

  先に(537)で新刊の「東洋の真珠ヤンゴン」を紹介したが、今日は「ビルマ万華鏡」。著者は土橋泰子氏で連合出版発行、表題の通り内容はビルマ関連の話題がいっぱい、ラングーン大学在学中の身近な話、ビルマのことわざや歳時記、少数民族の紹介、ヤンゴンの紹介、ナガ族の新年祭、国連事務総長ウ・タンとの出会いなど軽妙なタッチでエッセー風にまとめている。特に私が注目したのはビルマ人の名前、私は過去2000人に近いビルマ人と接してきたが、名前の意味やつけ方がよく理解できなかった。今回のこの土橋先生の書を読んで懸案はずばり氷解。例えば、AYE、MYINT、SHWE、HLA、SEIN、MYA、KYI、KYAW、HTIN、YIN、THANT、KHIN、NAING、AUNG、NU、など私の頭にある名前の多くが説明されており、今度会った時に使ってみたい。なお書中に某氏の名前が出てきたので本編明日も続ける。




2009年11月7日土曜日

(545)ビルマ今週のニュース(41号)

(2009年11月7日)
  BURMAINFOからのニュース41号を抜粋。 ★日メコン首脳会議が6・7日東京で開催、ビルマ軍政からはテインセイン首相が出席、7日には鳩山首相との首脳会談を行う。 ★この会議に先立ち18の日本の市民団体が見直しを求める要請書を首相他に提出した。ビルマに関しては難民や国内避難民に対する安定した人道支援、人権保護・民主化関連事業への支援、天然ガス開発事業に権益を持つ日本企業への出資の引き上げを求めた。 ★中国はビルマから雲南省に通じる石油天然ガスのパイプラインの建設に着工した、現在中国が輸入する原油の8割がマラッカ海峡経由で運ばれるが、完成すれば陸路での輸送が可能。 ★キャンベル国務次官補が米政府高官としては14年ぶりにビルマを訪問、軍政との直接対話開始などの新政策を説明。 ★国連総会に提出された核兵器廃絶決議案にビルマは棄権。

2009年11月6日金曜日

(544)家庭経営チェックの第4弾 保証金

(2009年11月6日)
  ビルマ人が入管に収容されると、原則強制退去となる。しかし難民申請や結婚などの特別な理由があれば強制退去は施行されない。難民申請の審査には平均2年はかかるので、長期収容を防ぐ方法として仮放免制度がある。確実な保証人がいて入管に払う保証金(30万~50万円)を用意できれば、社会に出られる。しかし、この保証金が戻ってくるのは、難民として認められたときか、再収容されたときなどである。私は現在までビルマ人12人の保証人を引き受けており、うち2名は認定されて保証金は法務省から戻ってきており、6人は本人が立替えて支払い、4人は私が支払った。問題は何年か後に保証金が法務省から私に戻ってきた場合、本人が立て替えた6人にはそれぞれ返却しなければならない。そのとき私が生存していれば問題ないが、もしバイバイしていたら面倒なので今日書類を整理した。もう80歳だ。

2009年11月5日木曜日

(543)米高官の動き 対ビルマ政策転換の予兆

(2009年11月5日)
  オバマ政権のビルマに対する動きが徐々に明らかになってきた。訪緬中のキャンベル米国務次官補が3日NLD幹部や、軍政の翼賛組織USDA幹部と会談、4日はネピドーでテインセイン首相と会談し、スーチー氏らの解放と民主化に向けた「具体的努力」を要求し、その後ヤンゴンのホテルでスーチ氏と初会談した。一連の会談では、従来の制裁に加えて軍政との直接対話も進めるとする米国の新政策を説明し、会談相手の意見を聞いた模様。スーチー氏はこれまで制裁を支持していたが、先日軍政に対し制裁解除の意向を示したので、それに関しての突っ込んだ話し合いがされた可能性がある。軍政はスーチ氏らの解放はできないが、NLDが総選挙に参加することは認める可能性はある。しかし両者の意見の相違は大き過ぎるので、お互い大幅な妥協が必要。米国リード型でいまその困難な第一歩を踏み出したのだ。

2009年11月4日水曜日

(542)ビルマ国軍と少数武装勢力の争い

(2009年11月4日)
  ビルマの民主化問題が、米国の態度豹変により最終局面に近づきつつある。米国のキャンベル国務次官補が昨日ネピドーに到着、軍政高官やスーチー氏と会談するという。現地NLDも軍政側が譲歩するならば選挙に参加してもいいと言い出した。軍政側がNLD側の要求を簡単に呑む筈はないが、もし米側から強力な支援宣言がでれば、あるいは和解が成立するかもしれない。以上は軍政対民主化グループの対立問題であるが、ビルマにはもう一つ、軍政対少数武装勢力の問題がある。89年以降、軍政との和解が成立し、現在は少数民族で唯一停戦を拒むKNU(カレン民族同盟)との軋轢が強まり、6月以降KNUへの攻撃が強化され、この結果カレン住民4千人がタイ領へ逃げ出した。その他各地の武装勢力も国軍直属の国境警備隊に編入を迫られて反発を強めている。来年の総選挙を前にゴタゴタしてる。

2009年11月3日火曜日

(541)家庭経営チェック第3弾 遺言と遺産

(2009年11月3日)
  第1弾:保険(522)、第2段:株と投信(528)、そして今日は第3弾:遺言と遺産だ。といっても貧乏人の私には僅かな資産しか残りそうに無く、遺言だってなくてもよいようなものだ。ただご主人を亡くした老齢の奥さん方に聞くと、葬儀が済んだあとの公的、私的手続きが大変だと異口同音に言う。そのような家内の労苦を減らすために私の生存中に準備を済ませておこうという単純な発想だ。そのため3年前に三菱UFJ信託銀行に頼んで、遺言の公正証書を船橋にある公証人役場で作成するとともに、その遺言書の継承業務をお願いしてある。今回はそれらの見直し作業だ。私は妻より先にバイバイすることを確信しており、今のところその方向で推移している(ようだ)。また、私たちのお墓は20年ほど前に、近くの海浜公園内の墓地に建立してあり、毎年、お盆のときにはお参りをしているのだが、なんだかヘンな感じだ。

2009年11月2日月曜日

(540)来日する定住難民に親身ある支援を

(2008年11月2日)
  10月31日の朝日に「障害者の自立、日本人が支援」という見出しで、ヤンゴンに視覚障害のあるビルマ人19人が働くマッサージ店「GENKY」が開店、好評で客足が途切れないとのこと。彼らの月収は3万円で、工場労働者の10倍、この店の開店に尽力したのが西垣充さん(38歳)、さらに視覚障害者のマッサージ師の養成コースを近く開設するという。その他、ビルマ人の聾唖者のための「手話・会話集」をJICAの支援でNHKの手話番組の制作に関わった小川美都子さん(39歳)らが作成し、役所や病院に配られているという。このように日本人がビルマ人障害者の自立のために頑張っているが、ここで気になるのが来年から3年間30人ずつ来日するタイ・ビルマ国境に定住するビルマ難民の受け入れ態勢である。うわさによれば日本の果樹栽培の仕事をするといわれるが、日本側の親身ある支援を期待している。

2009年11月1日日曜日

(539)サヤガドーボエでお別れの言葉を

(2009年11月1日)
  今日はミンガラ日本語教室のサヤガドーボエ(ビルマ式謝恩会)の日、私は先月から体調不良のため教室を休んでいたので久しぶりの教室だ。会場にはビルマ人生徒が50人以上、日本人先生も14人集合した。式典は11時に始まり、司会者がまずビルマ語でお経を唱え、そのあとビルマ人生徒全員が唱和した。次に日本語にも訳され、同様に生徒全員で唱和してくれたので、参加した先生方も内容はよく理解できた。そのあと各先生から感想が述べられ、最後に各クラスの代表から日本語やビルマ語で先生への感謝の言葉が続いた。12時からは会場内の光景ががらりと変わり、机の上にはビルマ料理がずらり、生徒の皆さんの手作り料理が並んだ。おそらく昨日から一生懸命に作ったものだろう。私はモヒンガーや煮物を戴き、感謝しながら舌鼓を打った。この席で私はミンガラ日本語教室とのお別れの辞を述べた。