2011年8月31日水曜日

(1205)ヤンゴンタクシーはメーター制?

  ミャンマー日本語教室(中西校長)のブログはいつも面白い。今回は8月24日のブログを紹介しよう。彼は8月22日のWEEKLY ELEVEN NEWSを紹介していた。ヤンゴン市内で営業しているタクシーはすべてメーターにより利用者から運賃を徴収することになっており、9月1日からメーターを使用しているかどうかを検査して、使用してない場合は処分するという。09年末までにガソリン使用からCNG天然ガス使用に改造されたタクシーは全てにメーターを取り付けたが、その台数は11973台に上る。メーター制度の定着のためにはタクシー運転手も利用者もお互いに理解が必要であると専門家は述べている。以上が新聞の論説であるが、これに対して中西校長は、現在の交渉制のタクシー料金の相場より、メーター料金の方がかなり安いので、こんな制度は普及する筈がないとずばり言う。はてさてどうなるかな。

2011年8月30日火曜日

(1204)来年7月からは「在留カード」を貰えない

 私はいまアリンヤウン誌(PFB機関誌)の原稿を執筆中だ。最近数ヶ月の間に入手した情報をもとに、「ここがちょっとヘンだよ、難民問題」というタイトルで、私が気付いた点を列挙してみた。このように難民問題を取り上げていくと、行き着く先に大きな障害があることに気付く。それは2年前に国会で確定した新入管法と新住基法の存在だ。来年7月から施行されるが、外国人管理の面が目立ち、外国人と仲良く共生しようという雰囲気は大幅に減退する。特にビルマ人に多い難民認定申請中で仮放免の不法残留者への処遇は微妙で、「在留カード」は所持できない。住民基本台帳に記載する件については、辛うじて付帯決議で、「仮放免され一定期間経過したものについては、その居住地、身分関係等を市町村に迅速に通知し必要な措置を講ずる」ことになっている。在留カードが所持できないということは惨めだ。

2011年8月29日月曜日

(1203)ユニクロ 古着を無料で回収 難民に

 8月26日の日経によれば、 ファーストリテイリングは22日、衣料品専門店「ユニクロ」で販売した商品を再利用するため、消費者から無料で回収するサービスを9月から、米国、英国、フランスの店舗でも実施すると発表した。回収した衣料は世界各国の難民などに無料で提供、企業の社会的責任(CSR)の一環として活動を拡大する。同サービスは2006年に日本で開始し、11年3月からは韓国にも広げた。米国では日本と同様、回収した衣料はUNHCRなどを通じて、世界各地の難民などに届ける。英仏では現地のNGOを通じて、ホームレスへの支援に使う(以上概要)。私はビルマ人が難民・在特を認められても就職が難しいことを知り、大企業が率先して難民支援活動を展開してくれることを願っている。日本の3つの大学のように難民枠を設け、業務と並行して日本語教育を進める体制作りはいかがかしら。

2011年8月28日日曜日

(1202)ビルマ今週のニュース(1129)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★スーチー氏が19日、政府の招待で経済改革会議に出席するためネピドーを訪れた際、テインセイン大統領と初めて会談した。会談の内容は不明だが、氏は24日、「大統領は本物の改革の実現を目指している」と述べた。会談について日本外務省は、「民主化および国民和解に資する前向きの動きとして評価する」と発表した。 ★ビルマの人権状況に関する国連特別報告者のキンタナ氏が、25日まで同国の調査を行った。氏は10年2月の国内調査後、紛争地域で人道に対する罪が起きている疑いを調べる国連調査団を設置するべきと勧告し、その後入国許可が出ていなかった。今回はスーチー氏や刑務所内の政治囚とも面会、「深刻な人権問題が未解決のまま」などと述べた。 ★米政府のビルマ特別代表・政策調査官(大使級)デレク・ミッチェル氏が業務を開始した。

2011年8月27日土曜日

(1201)ミャンマー難民 定住環境整わず

  8月27日の朝日によれば、「厳しい選考基準、住宅・就労に不満の声」、「ミャンマー難民定住環境整わず」、「2陣、来月来日」という見出しのもとに、第三国定住の現地の情報が報道された。第2陣は6家族26人で、事前研修がメラ難民キャンプで終了した。しかし多くの課題が指摘されている。1・2回ともメラキャンプに限って採用してきたが、日本の選考基準が厳しいため、申請者数は受け入れ目標とほぼ同数程度しかない。このため法務省職員が、別の2箇所のキャンプを視察するなど、条件緩和の検討をはじめている。昨年来日した5家族についても、老朽化した住宅や長時間の通勤、通園時間、労働条件の不透明さなど、事前説明と異なる待遇だとして不満の声が上がっている。背景には、外務省を中心とする関係者の情報共有や、受け入れ先となる自治体を管轄する総務省の関与不足などを指摘している。

2011年8月26日金曜日

(1200)反政府勢力に歩み寄るビルマ政権 真意は

  08年5月から毎日毎日発信し続けてきたこのブログは今日で1200回。わーい、わーいと騒ぐほどのことはないが、ひとつの節目ではある。実は800回、1000回という節目でも自己満足的にささやかに祝ったことがある。今回の節目に際し、ビルマではテインセイン大統領とスーチー氏の和解?ともとれる大ニュースが連日飛び込んでいる。周辺のビルマ人からは、「新政府の単なるパフォーマンス」、「順序が逆だ、まず2千人の政治囚を釈放しろ」など相変わらず手厳しい声が聞こえる。8月23日のAFPニュースは、スーチーさんとの会談はテインセイン大統領側からの申し出であり、スーチー氏自身も驚いたという。政府側の一連の行動は、「新たな門出なのか、空虚なジェスチャーなのか」判断に迷うとし、「新政権は反政府勢力の活動の一部を容認し、地域や国際社会に受け入れられたい」と考えているとしている。

2011年8月25日木曜日

(1199)スーチー氏 大統領を高く評価

  今日(8月25日)の朝日新聞によると、ビルマのスーチー氏は24日ヤンゴンで19日に初会談したテインセイン大統領について、「真の肯定的な変化を望んでいる」と述べ、高く評価する考えを示した。AFP通信によると、スーチーさんは、自宅で国連人権理事会のキンタナ特別報告者との会談後、集まった報道陣に語った。ミャンマーを21日から訪問しているキンタナ氏は、昨年2月の訪問の際は、当時の軍事政権からスーチーさんとの面会を拒否されていた。今回は「ミャンマー政府の協力を得られている」と述べた(以上概要)。最近両者の蜜月ぶりが目に付くようになってきた。私も当初は信じられず、何か落とし穴があるはずと思っていたが、そうでもないなと感じ始めた。両者の協力で「政治囚2千人の釈放問題」と「少数民族問題」を解決できるかもしれないと言い出すビルマの友人もいた。歴史は動いている。

2011年8月24日水曜日

(1198)スーチー氏と政府の接近 現地では

  久しぶりにミャンマー・日本語教室(中西先生)のブログを読んでみた。最近スーチーさんとテインセイン政府が協調する姿勢を見せており、本ブログでも(1187)(91)(94)(95)で驚きを交えながら書いたが、現地の反応はどうなのか。彼の8月23日のブログでは、8月22日のWEEKLY ELEVEN NEWSの記事を取り上げていた。19日の経済改革国民会議後、テインセイン大統領とスーチー氏が穏やかな雰囲気で会談を行ない、二日目の会議では、スーチー氏はオブザーバーとして出席、会議の前半が終わったとき、大臣ら出席者と懇談、退場する前には皆とティータイムを楽しんだ・・・・・。中西氏は「ミャンマーも様変わりし、変革している証拠、22日からは国会も始まっており、こんなによい雰囲気は15年の滞在生活で初めて。いいぞ、いいぞ、ミャンマー! 行け、行け、ミャンマー、希望の光が見えてきた」と。

2011年8月23日火曜日

(1197)スーチーさんの「イラワディ・アピール」

  スーチー氏は11年8月11日、「イラワディ・アピール」と題する文書を発表したと、ビルマ情報ネットワークが発表した。ビルマ北部カチン州を流れるイラワディ川に建設または計画されている8ヶ所の水力発電ダムについて、深刻な社会・環境的悪影響が起きる可能性があると懸念を表明した。中でも大規模で、イラワディ川が生まれる地点に建設が進んでいるミッソンダムについては「関係者は建設計画を見直し、望ましくない事態が起きるのを防ぐ解決策を見つけるために協力するべきだ」と述べた(以上概要)。今でも停電の続くビルマでは、この水力発電建設が大切なインフラ建設となろう。しかし発生した電力は全量中国に送られるとの噂も出ているが、もし事実ならとんでもない話だ。日本では水力発電に関する環境アセスメントの経験が豊富であり、その知識、技術をこのダム建設に生かしてあげればと思う。

2011年8月22日月曜日

(1196)ビルマ今週のニュース(1128号)

  BURMAINFOのニュース、他から抜粋。 ★ビルマ北部や東部で国軍と少数民族武装勢力との間の戦闘が断続的に起きている。カレン州やシャン州に接するタイのターク県とチェンマイ県では17日、タイ軍が住民を対象に避難訓練を行った。乾季の到来に伴う戦闘の激化を予想したもの。 ★スーチー氏は11日カチン州のイラワディ川に建設中のミッソンダムについて、計画の見直しなどを呼びかける声明「イラワディ・アピール」を発表した。 ★スーチー氏は14日にペグー(バゴー)を訪れて演説、政治活動としての地方訪問は昨年11月の自宅軟禁解除後初めて。多数の市民が歓迎した。 ★チャット高が続く中、ビルマ政府はコメなどの主要産品7品目について、15日から半年間輸出税を免除すると発表した。 ★第65回ビルマ市民フォーラム、9月10日18時より池袋(ECOとしま)にて、内容:第三国定住他。

2011年8月21日日曜日

(1195)政権側主催の会議で談笑 スーチーさん

  最近、スーチーさんと政権側との接近の様子が頻繁に伝わってくる。今日の朝日には、スーチーさんとテインセイン大統領が並んでいる写真の下に「大統領と並んだ日」とのキャプションがあり、「政権主催の会議で談笑」、「スーチーさん連日協調の姿」との見出しが並んでいた。この写真は19日に開催された経済改革会議に出席した時のものであり、スーチさんは「会談は非常に嬉しく、勇気付けられた」と述べた。会議では貧困対策などについて有識者や政府高官が議論した。スーチーさんはオブザーバーとして参加、閣僚らとともに最前列に座り、周囲の人たちと談笑していたという。スーチーさんは「会議も興味深かった」と語った(以上概要)。この写真が将来どのように評価されるのかわからないが、ビルマでは政治が動いていることは確かである。なお、在日ビルマ人の民主化団体はどう受け止めるのか要注目。

2011年8月20日土曜日

(1194)スーチーさんと大統領 1時間会談

  日本の政治は停滞したままであるが、最近のビルマはどんどん変わってきている。今朝の朝日新聞には、「スーチー氏と大統領会談」、「ミャンマー大統領府で1時間」との見出しが。首都ネピドーの大統領府でテインセイン大統領とスーチーさんが初めて1時間会談した。政権トップとの会談は2002年以来。政府側は7月に労働相と初めて対話して以降、柔軟姿勢を打ち出している。大統領が直接スーチーさんと会うことで改革姿勢を国際社会によりアピールしたい狙いがある。一方スーチーさん側も、自ら率いるNLDが総選挙をボイコット、解党扱いとなって政治活動は制限されたので、対話する以外に打つ手がない状況(以上概要)。私は両者の力関係は100:1、スーチーさんが何を発言しても政府は安泰とみくびられているとしか思えない。もしかしたら少数民族による武力抵抗の平和解決に利用されるのでは。

2011年8月19日金曜日

(1193)テインセイン大統領 亡命者に帰国促す

先日来、テインセイン大統領側がスーチー氏に急接近している状況が続いている(1191)が、さらに8月18日の朝日新聞には、「亡命者に帰国促す、ミャンマー大統領恩赦を示唆」の記事が出ていた。この発言はネピドーでの実業家を集めた会合で大統領から出た言葉であり、現地NLDの広報担当は「大統領の発言を歓迎する」とコメントしている。亡命者を巡っては、1990年代に当時のキンニュン第1書記も帰国を呼びかけたことがあるが、キンニュンを更迭した後は、政府側が言及したことはない(以上概要)。この記事は在日ビルマ人民主化グループにも直接関係しており、当面は約2千人の政治囚の釈放、少数民族との停戦・人権問題で恩赦説を跳ね返すであろうが、かつて在日反政府団体のリーダーであった、トゥンエイ、ミャミャウイン、ウインナインらが政府側に寝返りを打った例もあり、注目していきたい。

2011年8月18日木曜日

(1192))「ライオンきらく会」の名前が朝日新聞に

  みんな気がつかなかっただろうな。「ライオンきらく会」の文字が7月28日の朝日新聞(千葉版)に小さく載っていた。当の私だって見落としていたのだから、気のついた人はまずいない筈。見出しは東日本大震災救援募金(朝日新聞厚生文化事業団受け付け)とあり、10万円の項に習志野市・「ライオンきらく会」の8文字が。当初私のほうから出した掲載希望名は「ライオンきらく会・西田敦」だったが、西田敦は見事にちょん切られていた。まあいいか。私が出した10万円の中には、きらく会会報の制作費として会から毎年いただいている分も入っている。それらをごちゃ混ぜにしての10万円だ。寄付者名の掲載は今は月に2回ぐらいに減り、金額も減りつつあるので、たぶん寄付金額のトップかと思ったが、残念ながら2番目だった。きらく会の皆さん、事後報告でごめんね。それにしても東日本の復興が遅いと思わない?

2011年8月17日水曜日

(1191)対立したり、協調したり

  7月に入ってからスーチーさんと政府側との関係が分かりにくくなってきた。7月25日には政府側のアウンチー労働相(兼社会福祉相)が昨年11月の自宅軟禁解除後初めてスーチーさんと会談、8月4日、政府側が経済改革に関する協議会にスーチーさんを招待、8月12日、アウンチー労働相とスーチーさんが「協力する」旨の初の共同声明を発表、スーチーさんは8月14日にはバゴーを訪れて数千人の聴衆の前で演説、「政治活動に最善を尽くしてきた、これからもできる限りのことは続ける」と述べた。政府側の一連の姿勢について「14年のアセアン議長国問題に関して欧米に向けたアピ-ル」、「テインセイン大統領が改革を進めようとしている兆候」など、いろいろな説が飛び交っている(以上概要)。ただ力関係からすれば100:1ぐらいか。残念ながらタンシュエの手のひらで弄ばれている感じが、多少する。

2011年8月16日火曜日

(1190)基金訓練⇒求職者支援制度

  難民認定申請して、もし難民か在留特別許可(定住か特定活動)に認定されたら誰でも大喜び、今までできなかった仕事が大っぴらにできるようになる。さあ就職活動だと張り切ってハローワークに行く。ここで望む仕事にたどり着ける人は少ない。日本の若者でも仕事が見つからない時代なので、言葉にハンデのある外国人には冷たい環境なのだ。そこで何か特技を身に着けたいと思う人も多いだろう。日本には「基金訓練」という制度があり、条件を満たせば生活支援給付金(月10~12万円)を受け取りながら、パソコン、介護、WEBデザインなどの訓練を受けられる。この基金訓練が終わると「求職者支援制度」に移る。条件を満たせば月10万円の職業訓練受講手当と訓練施設への交通費が出る。ビルマ人の友人2人も既にホ-ムヘルパー2級の資格を取っている。なお訓練をサボったりすると手当は出ない。

2011年8月15日月曜日

(1189)スラジュさん死亡、遺族が提訴

  8月5日の時事通信によれば、2010年3月22日、成田空港で強制送還されそうになったガーナ国籍の男性スラジュさん(45歳)が、入管職員の制圧行為によって死亡した事件で、遺族が国と護送した入管職員9人を相手取り、約1億3600万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。訴状によると、警備官らは、抵抗する男性を飛行機に乗せる際、使用が禁止されてた大型手錠などで手足を固定した上、、結束バンドで両手とズボンのベルトも連結、タオルを猿ぐつわ代わりに口にかませて首を押さえつけ、窒息死させたとされる。男性の死亡をめぐっては、遺族の告訴を受けた千葉県警が昨年12月入国警備官10人を書類送検、その後弁護団が入手した証拠により損害賠償責任を問えると判断したというもの。第1回期日は9月か10月(以上概要)。入管職員による暴行事件であり、真相の解明が大切。

2011年8月14日日曜日

(1188)ビルマ今週のニュース(1127号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★シャン民族の亡命者組織の発表によれば、3月から連続的に戦闘が続いているシャン州北部で、約3万人が国内避難民となっている。食料、水、薬等が不足し死者も出ている。 ★米国では女性上院議員13人がクリントン国務長官に手紙を出し、国軍が紛争地域で強姦を戦争の武器として使用するのを止めるよう、また国連調査団を設置するよう働きかけた。 ★1988年の民主化蜂起から23年目の8日、世界各地で記念行事が行われ、ヤンゴンの僧院では、スーチー氏を始め数百人が訪問。 ★米議会上院は、2日デレク・ミッチェル国防筆頭副次官補をビルマに関する特別代表・政策調査官として承認。 ★ビルマ政府が国際通貨基金(IMF)に、為替制度の近代化や国際送金等への制限の解除に向けた支援を要請、IMFは10月に同国に技術チームを送る予定。

2011年8月13日土曜日

(1187)スーチー氏と政府「協力」 初の共同声明

  こんなのアリか。ビルマ政府の閣僚(アウンチー労働相)とスーチー氏が12日ヤンゴンで会談し、国の平和や安定、民主主義の進展などに向けて「双方が協力していく」との共同声明を出した。ただ、双方の思惑には隔たりが大きく、民主化の進展には懐疑的な見方が強い。スーチー氏が率いるNLDは政府に少数民族との停戦を求め、14日には地方での会合も計画するなど、徐々に政治活動の幅を広げつつある。チョーサン情報相も解党扱いになっているNLDに政党登録を勧めている。政府の対応の変化は、2014年にアセアン議長国就任問題があり、「さらなる民主化が必要とする欧米に向けたアピール」との見方も。スーチー氏側も、政府との接点を見つけることで実を取りたい意向がしかし政治犯の釈放や、少数民族地域での人権弾圧の停止などの課題に踏み込めば、双方はすぐにぶつかるとの指摘も。

2011年8月12日金曜日

(1186)新たな人権救済機関の設置

  先日法務省政務三役から「新たな人権救済機関の設置についての基本方針が公表された。1 法案の名称(法案の内容を端的に示す名称とする)、2 人権救済委員会(人権委員会)の設置(政府からの独立性を有する人権委員会を法務省に設置する)、3 人権委員会(目的と人事)、4 地方組織、5 人権擁護委員、6 報道関係条項、7 特別調査、8 救済措置(調停、仲裁を利用し訴訟や差止請求訴訟は当面導入しない)、9 その他 と続く(以上概要)。難民問題に関わっていると、例えば、難民申請者に対する長期間(数ヶ月以上)の収容、あるいは長期間(2年以上)の不認定・就労禁止は法務省による人権侵害だと思っている。同じ法務省に人権救済機関を設けることはいかがなものか。むしろ黒岩宇洋法務政務官のいう「難民認定委員会」を内閣府外局に設置する(1139)方を急いだらいかがか。

2011年8月11日木曜日

(1185)在日難民への大学教育

  8月10日、国連難民高等弁務官駐日事務所(UNHCR)から、「難民高等教育プログラム」について発表があった。昨年度は、関西学院大学、青山学院大学、明治大学の3大学で合計5名の難民を受け入れたが、2012年度は、関西学院大学で日本語授業2名、英語授業1名、青山学院大学では日本語授業1名、明治大学では日本語または英語授業2名、合計6名に事業を拡大する。応募書類はパートナーNGO(アムネスティーインターナショナル日本東京事務所、カトリック東京国際センター、さぽうと21、全国難民弁護団連絡会議、難民事業本部、難民支援協会、日本国際社会事業団、日本福音ルーテル社団)でも入手できる。応募期間は8月10日から9月10日、対象者は難民及び難民類似の在留資格を有し、学業に専念できる者(以上概要)。UNHCR及び3大学の好意であり、希望者は挑戦してみては。

2011年8月10日水曜日

(1184)日本での不法残留者数は約8万人

  法務省入国管理局は4月5日、日本における不法残留者数は、78488人で男女比はほぼ1:1、前回調査時(平成22年1月1日)に比べて13290人(14.5%)減少していると発表した。不法残留者の多い国は、韓国1万9千人(25%)、中国1万人(13%)、フィリピン9千人(12%)、中国台湾5千人(6%)、タイ4千人(5%)、以下マレーシア、ペルー、シンガポール、ブラジル、スリランカと続く。国籍別に見た場合も、近年いずれの国も大幅に減少している。次に、不法残留となった時点での在留資格は、短期滞在:5万4千人(69%)、留学:4千人(6%)、興行:3千人(4%)、研修:1千人(2%)と続いている(以上概要)。懸念されたビルマ人は、国別ワーストテンに入っていないのでホッとするが、祖国が軍事政権であるため、帰国を望まずに難民申請する例が多いので、これも不法残留者が少ない理由の一つ。

2011年8月9日火曜日

(1183)遅まきながら「フェイスブック」に入会

 8月5日の(1179)では、ツイッターに入会したことを書いたが、今日はフェイスブック入会について書いてみる。私はMIXIにはすでに入会し、ときどき投稿しているが、フェイスブックも同じようなSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)であり、世界で7億5000万人(国内で380万人)ものユーザーを有する超巨大グループ。新しい情報インフラの誕生といえる。フェイスブックの最大の特徴は、実名登録が推奨されていることだ。このように、リアルな友達とのつながりが大きな魅力であり、「いいね」ボタンをクリックすれば、情報共有の輪が広がる。また、自分たちだけのコミュニティを作ることも可能である。例えば私が参加している「きらく会」(12名、平均年齢82歳)なんかで試してみてはいかがかしら。もっともこの年齢層は、雑多な情報をどんどん減らそうと努力してる最中なので、フェイスブックの開設は無理か。

2011年8月8日月曜日

(1182)在特許可された事例、されなかった事例

  インターネットをあちこち動かしていたら、4月14日に法務省が発表した「在留特別許可された事例及び在留許可されなかった事例について」を探し当てた。この事例集は平成16年以降毎年発表されており、今回は平成22年中の事例で、透明性、公平性は高まっている。なおこの例は、難民申請に伴う在特は含まれておらず、今後同じような公表が望まれる。さて今回の一覧表を見ると、配偶者が日本人の場合、配偶者が正規に在留する外国人の場合、外国人家族の場合などと類型化されている。事情が各々異なっているが、許可される、あるいは許可されない場合の理由は大体理解できる。要は長年日本でまじめに暮らし、入管に出頭した場合は大体OK、犯罪を犯していたら大体不許可というところか。もしここで許可がもらえなければ強制送還となるので、不法残留の外国人は今後十分に注意すべきであろう。

2011年8月7日日曜日

(1181)とうとう記事に カレン難民日本になじめず②

  昨日に続く。私も農家に嫁いだ何人かのビルマ人に聞いてみたが、いずれも農業では一家の生活は無理との返事。しかし担当者は、農業法人で研修制度を利用すれば生活可能と考えたのか、難民たちはいつの間にか農業法人で働いていた。ここで見落とせないのが、幼児を含む子供の存在。親子とも日本語研修が不十分で、ストレスが溜まるばかりであろう、学校まで2時間というが、誰がこんな生活環境を選んだのか。就労の面だけに留意して、家族全員の暮らしのことまで頭が回らなかったのでは? 今回難民の彼らは、長時間労働を嫌ったと指摘する人がいるが、そうではなく、幼い子供たちの幸せを願い、世話をする時間がほしいということのようだ。結局作業時間短縮などで、一応解決したが、やがて第2陣がやってくる。特に情報はオープンにし、在日ビルマ人や日本人と交歓できる雰囲気を皆で作りたい。

2011年8月6日土曜日

(1180)とうとう記事に カレン難民日本になじめず①

  昨日の読売新聞によれば、「ミャンマー難民 日本になじめず」との見出しで、彼らの暮らしぶりが紹介されていた。 昨年華々しく打ち上げた第三国定住難民の日本への招へいは、いま霧の中に埋没しそうだ。外務省(難民事業本部)の当初の発想では、3年間に30人ずつ3年計画で合計90人をテスト的に呼ぶはずであった。第一次の27人は、本年春から、千葉県八街市と三重県鈴鹿市に分かれて各々農業法人で働くことになった・・・・というニュースを最後に彼らに関する情報は皆無の状態となった。見事な情報規制であった。私は情報規制の理由を難民事業本部に聞いたことがあったが、そのときは、留守家族の安全確保のためといっていた。家族全員で来日するのに「留守家族の安全?」、当時ヘンだなと思った。また「彼らは農業を望んでいるが」と聞くと、農業では端境期に生活できない との返事が(続く)。

2011年8月5日金曜日

(1179)遅まきながら「ツイッター」に入会

  私のブログはすでに連続1200回近く発信しており、延べ読者数は4万人を突破した。毎日、朝一番で作成しており、完成して初めてその日が始まる感じ。ところが最近、ツイッターとかフェイスブックという新手(旧手?)が伸びてきた。ともにそれぞれが企業であり、個人情報の発信・収集を競いあっている。ツイッターの特徴は、140文字という制限があるおかげで、情報を気軽に送受信でき、ゆるいコミュニケーションができる点である、また情報の共有がより簡単になり、世の中の動向がリアルタイムに把握できる長所もある。私がツイッターに入会したのはつい先日のこと。始めに迷ったのがツイッター本部から返信がなかなか来ず、何か入会手続きの入力にミスがあったのかウロウロしたこと。翌朝になって私のメールにカルフォルニア・サンディエゴから無事着信、晴れて世界のツィッターになれた。さて、どうしようか。

2011年8月4日木曜日

(1178)日本語能力試験に挑戦してみれば

  ミンガラ日本語教室の中尾先生の連絡によれば、そろそろ2011年度2回目の日本語能力試験の受付が始まるという。試験日は12月4日(日)12時半からだ。試験案内書は、8月中旬から一部500円で主要書店で販売する。受験料は5500円、受付期間は8月26日から9月30日まで。レベルはN1級~N5級の5段階(以上概要)。在日ビルマ人は毎年大勢受験しており、合格者も多い。特に難民申請者の場合、帰国はまずできないので、日本語学習の重要性は一般外国人よりも大きい。もし定住以上の在留資格を貰えば、日本人と同等の処遇を受けられるが、日本語が不十分なため、目指す職業に就けないのも現実である。将来、日本で成功するために、日本語N1級に挑戦してはいかが。ミンガラ日本語教室への連絡は、中尾さん(090-2414-5763)、ニーニーソーさん(080-2092-7389)へ電話。

2011年8月3日水曜日

(1177)書きました ビルマ関連書籍14冊の書評

  私が執筆・編集した会報類はいままでに何種類もあるが、現在執筆・編集しているものに「きらく会会報」が、また執筆だけしているものに「みんがらネットワーク会報」がある。前者は私の出身会社であるライオン(株)研究部の同期入社の十数人からなる同人誌であり、平成6年9月以降17年続いている。後者は私が勉強したビルマ語教室と、私が主宰した「ミンガラ日本語教室」の先生・生徒が中心になって創った日緬友好のための会であり、会報発行は平成10年以降13年続いていて、当初は編集も引き受けていた。これら二つの会報には、ときどきビルマ関連のニュースを掲載している。一番新しいのが、近く発行予定の「みんがらネットワーク会報35号」に掲載する「ビルマ関連書籍14冊を読みました」というもの。既に22冊紹介しているので全部で36冊となる。ビルマ関連はまだ多数あり百冊読破が目標。

2011年8月2日火曜日

(1176)ビルマ今週のニュース(1126号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★ビルマ北部や東部で断続的に戦闘が続いている。スーチー氏は28日、政府とカチン、シャン、カレン、モン各民族の武装勢力に対し公開書簡を出し、即時停戦と紛争の平和的解決を呼びかけ、協力を申し出た。 ★スーチー女史は政府からの要請に応じ、アウンチー労相と会談、氏と政府代表との公式会談は始めて、今回の会談も、制裁解除やアセアン議長国就任を狙う政府側の演出だという見方が大勢。 ★松本外相はアセアン関連会合の参加国のビルマに対する評価について、「総選挙や民政移管の評価が全くゼロだという国は必ずしも大勢ではない、日本がそんなに異なる方向の判断をしているとは理解していない」と述べた。またビルマへの支援については「人的交流は既に始まっている、ビルマの複数の政党の若い党員が日本を訪問し、既に帰国した旨発言。

2011年8月1日月曜日

(1175)ビルマ国会議員たちが日本視察旅行

  引き続き「ミャンマー・日本語教室ブログ」より抜粋。7月19日のNEWS WEEK誌によれば、日本外務省のプログラムに基づき、総選挙で当選し、現在ビルマの国会議員を務めている35歳以下の青年議員たち20人が、7月13日から来日。構成はUSDP(連邦団結発展党)10人、NDF(国民民主勢力)、NUP(国民統一党)、ヤカイン、シャン、モン各民族の代表2人ずつ。一行は東京、大阪、京都の各都市を視察し、国会議事堂などの見学も含んでいるという。将来のミャンマーを担うであろう青年議員を日本に招待して、視野を広げてもらおうという意図で、日本外務省が招聘したものである(以上概要)。中西氏もつぶやいていたが、修学旅行の見学レベルのような気もする。まあそれでもいいが、日本をしっかり見てもらいたい、一方、来日に反対する在日ビルマ人グループのいることも、しっかり頭に入れて欲しい。