2011年11月30日水曜日

(1296)「難民研究ジャーナル」 創刊される

 日本における初の難民専門の研究誌として、『難民研究ジャーナル』創刊号の案内書を入手した。様々な学問分野の研究者、実務家が執筆しており、特集は「第三国定住」、定価:2100円、送料:290円 B5判、160ページ △論文:わが国のインドシナ難民受入の経験と第三国定住受入制度の理論的諸問題 本間浩、△第三国定住の復権?(保護、恒久的解決と負担分担) 小泉康一、△日本は変わったか:第三国定住制度導入に関する一考察 小池克憲 △報告:第三国定住の概要と課題 入山由紀子、△タイ・メラキャンプにおけるビルマ出身難民の現状と第三国定住制度に関する認識調査 松岡佳奈子、△日本における難民の第三国定住に関する論点 石川えり、その他となっている。私の興味がある「第三国定住(ぐちゃぐちゃの)」問題だ、難しそうだが、読まざるを得ないだろう。覚悟を決めて発注。

2011年11月29日火曜日

(1295)カチン州での戦闘続く

 ミャンマー問題は、ほぼ民主化の方向へ進みだしているが、まだ取り残された問題も多い。政治囚の解放問題は11月14日に予告があったのに、理由不明のまま延期されている。もう一つが少数民族との交戦の問題だ。11月17日の毎日新聞によれば、ビルマ政府軍は自治権を求める少数民族への弾圧を強め、国境地帯では避難民が2万人を超えてるという。カチン州のナムサンヤ村では、教会に政府軍兵士が突然乱入し、牧師が額をコンクリートの床に叩きつけられた。カチン戦闘員を探すため、無差別に家宅捜査する兵士は容赦なかった。カチン軍の一人は「スーチーさんは民主化勢力の指導者だが、少数民族の指導者ではない」。スーチさんに取材すると「少数民族指導者と話したいが、うまく連絡が取れない」と。14日のロイター通信はミッチナの孤児施設で爆発があり、10人が死亡、27人が負傷した由。

2011年11月28日月曜日

(1294)読了56冊目 「欠けている所を埋めて下さい」

  著者はマ・サンダー、訳者は堀田桂子 1986年7月 井村文化事業社発行 279頁 定価1854円。主人公のコートゥが13歳、妹が12歳、大人になりきれない二人の兄妹を中心にした比較的裕福な家庭の物語、隣家に少々頭がおかしくなったおじさんが住み始め、コートゥを木から落ちて死んだ自分の息子と間違え溺愛する。ある日コートゥたちが親の誤解で強く叱られ、木に上り、妹はコートウが探していたジグソーパズルの真ん中の一枚を彼に渡すべく追いかけるが、彼は誤って木から落下し死亡、結局パズルは完成しなかった。この出来事が題名となる。もちろん欠けている所はパズルだけではなく、家族の中心にいたコートゥの心でもあろう。私はこの最終章で目がウルウルし一気に読み終えた。実に面白い小説だ。なおこの書籍にはもう一つ「ラングーン駅14時35分発」という短編も掲載されている。

2011年11月27日日曜日

(1293)ワッハッハ×3.1 宝くじの当選番号

  私は11年11月11日の11時11分に東習志野駅そばの宝くじ売り場で、100枚の宝くじを購入、13日にあった誕生日パーティーの際、その中の77枚を出席者(約50人)全員に配布した。全員 1から11枚の宝くじを持っていることになる。これだけの数の宝くじだ、誰かしら高額当選者が出ているはずと思いつつ25日の当選発表を待った。当選発表番号と配布した宝くじの控え番号を見比べる。この時が心が一番高揚する。しかも普通に買ったのではなく、1111111111という100年に1回の瞬間を選んで買ったのだ、高額賞金が当たらないはずはない。一枚一枚番号を丁寧に照らし合わせる。やっぱり信じていた通りだ、高額当選者が10人も出たのだ。神様・仏様っているんだなあ。さて高額当選番号は下一桁番号が9番 当選金額200円、11月30日以降、近くの宝くじ売り場で換金して下さい。おめでとう。

2011年11月26日土曜日

(1292)ザガナ氏 「ミャンマーの夜明けだ」

  11月22日の朝日記事から。ミャンマーの有名コメディアンで、先月恩赦により釈放された政治犯の一人だったザガナさんが、テインセイン大統領の民主化への取り組みを評価し、「わが国は夜明けを迎えている」と語る一方で、全政治犯の早期釈放を訴えた。彼は88年、90年、07年、08年の4回投獄されたが、「刑務所の待遇は素晴らしいと言えるぐらい改善されていた、これは責任者(軍高官)が高い人権意識を持つ人に代わったため」という。釈放後会った軍出身の閣僚は「自分も一党独裁や軍政はよくないと思い続けていた」という。また彼は「若い世代の軍人には民主的な考えや、人権感覚を持った人が多い。我々は軍人を仲間として迎え、彼らを変えて行かねばならない」、「全員釈放されれば、国の問題の半分は解決できる」とも発言(以上概要)。ミャンマーの刑務所の待遇が改善されたとは嬉しい。

2011年11月25日金曜日

(1291)読みました55冊目 「ビルマ戦線の死角」

  副題は「菊兵団」メークテーラに潰ゆ。(ここで言うメークテーラは現在のメイティーラ)、著者は三浦徳平氏(1918年生)、1992年8月 葦書房発行。323頁、定価1700円。ビルマ戦線での記録は数多く読んだが、本書も敗色濃くなってからの戦記ものだ。ビルマ最北部(カチン州)まで進出していた菊兵団が、北からの中国軍、西からの英印軍(空挺部隊及び大型戦車部隊)と激戦を繰り返し、最後の拠点メークテーラでの接近戦で壊滅状態になった状況が、著者及び戦友の手記や談話をもとに書き上げられている。制空権が奪われ、補給方法のない前線で、日本軍は常に玉砕覚悟で戦った。敗走途中歩けなくなり、最後の武器、手榴弾で自決する光景が壮絶だ。なお、戦中戦後に誰も言えなかった「捕虜」の話もあり、英印軍による手厚い看護も紹介されている。本書を読んで戦争は絶対してはいけないと痛感。

2011年11月24日木曜日

(1290)ミャンマーの政治犯は何人なのか?

  ビルマ問題の中で、次の大きなテーマは政治犯全員の解放問題であろう。欧米も日本もこの一点を凝視している。ここで問題となるのが、政治犯全員とは何人のことであろうか。10月10日の朝日社説では2千人とあり、11月21日の社説では500人以上とある。あまりにも差が大き過ぎるので、朝日新聞社に問合わせてみた。回答は新政権が公表していないので正確にはわからないという。2つの社説の人数の違いは、AAPPとスーチーさんという取材源の違いとのことで、この点は予想通りの回答であった。この他、最近、朝日新聞に掲載された政治犯の人数は、11月8日⇒数百~1千人、11月14日夕刊⇒300人、11月15日⇒収監中は1245人、収監されている可能性があるのは654人、11月15日⇒591人と見事にバラバラであった。一概に何人とは言えないようだ。もう少し様子を見ることにする。

2011年11月23日水曜日

(1289)衆院で難民保護を決議

  衆院は17日の本会議で、難民保護への国を挙げた取り組みをうたった決議を全会一致で採択した。概要以下のとおり。2011年は「難民の地位に関する条約」採択から60周年、また日本の同条約加入から30周年という節目の年。特に日本はこの30年間、国際社会の一員として世界中の難民や避難民の支援に臨み、人間の安全保障の概念を強調することによって、難民それぞれについて人道支援と平和構築を中心に裾えた取り組みを行ってきた。2010年にはパイロットケースとしてタイからミャンマー難民を受け入れるプログラムも開始した。また日本は国内における包括的な庇護制度の確立、第三国定住プログラムの更なる充実にまい進する」(中略)。「世界の難民問題の恒久的な解決と、難民の保護の質的向上に向けアジアそして世界で主導的な役割を担うべく、右決議する。(第179回決議第2号)。

2011年11月22日火曜日

(1288)ビルマ今週のニュース(1136号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★ミャンマー国家人権委員会が大統領に「良心の囚人」の釈放を求める公開書簡を出し、13日に国営紙が掲載。14日にも新たな恩赦があるとの見方が広がったが実施されなかった。16日には一部の政治囚の移送が始まったが、移送された政治囚が近く解放される見込みは低い。 ★17日のASEAN首脳会議でミャンマーが議長国になることが決定。 ★スーチーさん率いるNLDは改正された政党登録法に基づき改めて政党として登録することを決めた。スーチー氏も補選に出る候補者となる可能性が高い。 ★オバマ大統領は、来月クリントン長官をビルマに派遣すると発表、国務長官の訪緬は50年ぶり。 ★18日のASEAN首脳会議で野田首相はビルマの「経済特区の開発等の総合開発調査の実施」に協力し、「経済協力に係る実務協議を早急に実施したい」と。

2011年11月21日月曜日

(1287)アジアに民主化の風を 朝日社説

  今朝の朝日社説に「動くミャンマー アジアに民主化の風を」という社説が載っていた。ASEANは同国の議長就任を認め、米国は国務長官を派遣し、日本はODA再開を表明した。NLDは政治に再参加を決め、スーチーさんも補欠選挙立候補を示唆。新政権は、メディア、集会規制の緩和、ダム建設の凍結という施策を相次いで打ち出した。議長国になれば、軍政が強引に遷都した新首都ネピドーに米国の大統領ら主要国の首脳が東アジアサミットなどで集うことになる。外国報道機関を拒むこともできない。またASEANは民主化の定着を連帯保証する立場にある。10月の恩赦で釈放された政治犯は約200人に過ぎず、500人以上がまだ牢獄につながれている。対立が続く少数民族との和解交渉も進まない。何よりも、国会議席の8割は軍関係者で軍が国家を支配する構造に変化がないことに留意が必要。

2011年11月20日日曜日

(1286)インセイン刑務所での政治囚のハンスト

 アムネスティ・インターナショナルは11月4日、ビルマ当局は、インセイン刑務所にいる約15人の政治囚に対する劣悪な待遇を中止するよう、即座に行動を起こさねばならないと述べた。一部囚人に与えられた減刑が、自分たちに適用されないことに対して抗議するため、彼らは10月26日にハンストを決行、その翌日から刑務所当局はこの囚人たちに飲料水を与えることを中止し、これが11月2日まで続いたため、一部政治囚は脱水状態で死亡しかけない状況となった。この政治囚のうち2人は病院に送られ、8人は犬を収容するための独房に入れられた。アムネスティのドナ・ゲスト氏は、当局に対し独立した調査を要求した。ビルマの収容所の状態は多くの国際基準から考えて、とうてい十分とは言いがたい。3百人以上の政治囚が今年釈放されたが多くはまだ刑務所に残されている。追加釈放はどうなったか。

2011年11月19日土曜日

(1285)スーチー氏国政出馬へ

  今朝(11月19日)の朝日新聞は、1面、2面にビルマの転換を大きく報じている。1面のトップニュースとして、標記の見出しとともに、「ミャンマー政党、再登録を決定」の小見出しも。NLDは18日中央執行委員会を開き、政党として再登録し、来年初めにも予定される上下両院の補欠選挙に参加することを決めた。スーチー氏の政治参加は、欧米が経済制裁解除の条件の一つとしてきたことから、今後国際社会のミャンマー政策が大きく動くと見られる。なお米国は、クリントン長官を12月1、2日に派遣するという。補欠選挙は約50議席で争われる。次に2面であるが、「ミャンマー転換点」、「スーチー氏再び活動」、「政権、援助狙い正当性強調」、「米国務長官が来月訪問」、「民主化後押し、新たな関係」、「日本、影響力強化へ支援」と大きな見出しが並ぶ(以上概要)。私もこんな急激な変化は想定外だった。

2011年11月18日金曜日

(1284)アセアン首脳会議 議長国に決定

  17日、バリ島で行われたアセアン首脳会議でミャンマーが2014年の議長国になることが決定、チョーサン政府報道官(情報相)は、「わが国の政治は名実ともに変化している。議長国を努め、変化を続けることで民主化も進むだろう」と言う。今年の議長国のインドネシアのマルティ外相は「14年にはいまより進歩していなければならない」と。NLD報道官のニャンウイン氏は、「政府の改革の勢いに弾みをつける」と就任を歓迎。ミャンマー政府は10月に政治犯約300人を釈放したが、NLDはいまも591人が獄中にいると主張し、全員の釈放を求めている。米国オバマ大統領は改革を進めていることを認めた上で「人権侵害は今も続いている」と指摘(以上概要)。アセアン各国がミャンマー新政権の改革努力を認めだしたことは喜ばしい。ただ獄中の政治囚がまだ591人というが、AAPPと調整済みなのか気になる。

2011年11月17日木曜日

(1283)ワッハッハ×3 YOU-TUBEで世界に発信

  11月13日、新宿で行われた私の83歳の誕生パーティの光景が、YOU-TUBEを通じて、14日世界に発信された。グーグル⇒YOU-TUBE(上の方にあります)⇒U MINGALAR BIRTHDAYで見られます。直接グーグル⇒U MINGALAR BIRTHDAYでも見られますが、YAHOO⇒U MINGALAR BIRTHDAYでは「ユーザーの都合で削除」と出ます。ですからYOU-TUBEを利用した方が確実でしょう。いま見ると再生回数が30回、他の多くは大体1万―30万回、負けないように見てください。撮影・編集はゼーヤーさん、KSMさんご夫婦。最近YOU-TUBEがミャンマーでも見られようになったので、あるいはご家族が見ているかも。なおパーティの席上宝くじの説明が不十分だったのでここで補足。1等1億円、前後賞5千万円、抽選日は11月25日、配布数77枚、私の予想では、今回1億円が二人出るはず。

2011年11月16日水曜日

(1282)ミャンマー14年アセアン議長国に

  今朝の朝日新聞はミャンマーが3年後の2014年にアセアン議長国になる旨、アセアン外相会議で合意したと伝えた。外相会議は、インドネシアのバリ島で開催され、17日の首脳会議で正式に決定するとみられる。これによって、新政権が進める民主化改革で焦点となっている政治犯の釈放などの動きが、加速するのか、後退するのかが注目される。現議長国のインドネシアのマルティ外相は、「ここ数ヶ月ミャンマーでは議長国の就任を可能とさせる積極的な条件がつくられ、我々はこの勢いが続くことを願う」と合意の理由を説明。ミャンマーを国際社会に引き込み、改革の継続を促すことを狙ったものとみられる(以上概要)。新政権が望む一つの大きな目標が達成できたが、もう一つの経済制裁解除のほうはまだはっきりしていない。こちらが残っている以上、ミャンマー政府は民主化改革を続行すると思うが。

2011年11月15日火曜日

(1281)スーチーさん 政治犯全員の釈放を!

  昨日(10月14日)の朝日夕刊には、国営各紙は国家人権委員会が政治犯の新たな釈放を求める公開書簡を大統領に送ったと報じ、政治囚を含む受刑者を14日に釈放するとのニュースが流れた。、しかしきょう(15日)の朝日朝刊には、政府当局者が「延期」と述べたと報じた。政府は同委に対し、500人の「良心の囚人」がおり、前回の釈放後、300人が現在も獄中にいる事を明らかにした。一方、スーチさんは軟禁解除1年を機に記者会見し、「まだ591人が釈放されていない、全員釈放は米国の経済制裁解除の条件」と述べた。なおスーチーさんはNLDの政治参加が可能になったことに関し、NLD中央執行委員会が18日に決定すると述べた。関係者の話によると、スーチーさん自身が立候補する意思とのこと(以上概要)。現在未釈放の政治犯数をスーチーさんは591人と発言、AAPP発表に比べ少ない点注意。

2011年11月14日月曜日

(1280)ワッハッハ×2 楽しかった「誕生会」

  きのうは一年で一番ワクワクする行事、私の「誕生祝賀パーティー」が新宿歌舞伎町のカチカチ山で行われた。集まっていただいたのは50人弱、ほぼ全員牛久入管に1年近く収容されていた人たちで、女性が圧倒的に多かった。これもたぶん私がイケメンだったせいだろう。パーティーは恒例の挨拶から始まったと思ったら、いきなり「アポジーオーオー」や「モーユワイン」の大合唱、さらには「アイウオントユー」や「会いたかった会いたかった」に変わる。次に漢字クイズ、「緬甸」の文字は誰も読めなかった。私の本当の誕生日は11年11月11日、この日の11時11分に買った100枚の宝くじを日ごろのお礼にと思い、くじ引きに利用、いやいや盛り上がったなあ。いつもしとやかに微笑を浮かべている彼女らも、昨日は騒々しく、時に物凄い歓声や悲鳴を上げていた。2007年から続いており、来年11月が楽しみだ。

2011年11月13日日曜日

(1279)日緬外相会議へのヒューマンライツウオッチの提言

  先日来の政治囚の釈放について、きょうはヒューマン・ライツ・ウオッチの見解を。「今回のビルマ外相訪日は、通商問題を論議するだけでなく、人権状況改善を求める重要な機会、日本政府は全政治囚の即時無条件釈放を行い、少数民族への戦争法違反行為を停止するよう強く要請する。NLDに政党としての再登録と、候補者の擁立を認めて欲しい。また、人道援助の実施に当たっては、少数民族が住む地域ではビルマ国内へのアクセスを改善することを確約させるべきだ。天然資源採掘への投資は、人権状況の著しい改善を前提にして欲しい。国内紛争地域での国軍による民間人への攻撃はカレン州、カチン州で続いており、約5万人が国内避難民となった。ビルマ政府からの援助拡大の要請に対して、日本政府は、人権侵害が停止し、責任者が処罰されることによって始めて傾聴されることを伝えるべきだ。

2011年11月12日土曜日

(1278)ミャンマー改革 消えぬ警戒

  ミャンマー政府の突然の民主化改革で世論は揺れており、日本や海外の反応も様々だ。11月11日の朝日新聞は、標記の見出しの下、「冷めた市民 『見極めたい』」という小見出しで、ヤンゴン市民の反応をまとめている。軍政は5人以上の集会を禁じていたが、先月末「平和的デモ集会法」が上下院を通過、警察は十分かつ正当な理由がない限り、デモを禁じることはできなくなる。労働組合の組織や労働者の団体交渉権、スト権を認める「労働団体法」も先月施行された。在ヤンゴンの知識人や外交官は「新政権に改革が可能なのは軍政時代のように利権におぼれた経験のある人が少ないからだと見る。政党登録法の改正でNLDの政治参加も可能になった。「NLDが補欠選で大勝しても全体の議席の一部、15年の総選挙まで政権は安泰、この間に国際社会で地位を高め経済制裁を早く解除したいのでは」。

2011年11月11日金曜日

(1277)ワッハッハ 83歳になりました。

 きょうは2011年11月11日、1が6つ並ぶ珍しい日だ、これで11時11分になったら10個も並んでしまう。このような めでたい日は2111年まではない。私はこの珍しい日に83歳の誕生日を迎えた。この「いい」日を利用すべく、きょうの11時11分に新習志野駅そばの宝くじ売店で、200円の宝くじを50枚買った。たまたま、あさっての13日(日)には、ビルマ人有志が私のために「誕生日祝賀パーティー」を開いてくれるという。この有志というのは、2006年ごろ、牛久の入管で10ヶ月前後も収容されていた難民申請中のビルマ人女性が中心となっている。あの時、私は毎週一回朝6時台に家を出て、茨城県牛久まで通い面会活動を続けていた時を思い出す。またBRSAの有志(大瀧さんはじめ牛久入管に収容されていた男性グループ)にも声がかかっているみたいだ。その宴席でこの目出度い宝くじを配布したい。

2011年11月10日木曜日

(1276)元政治犯トゥイン リン アウンさん

 ミャンマー軍政下で民主化運動に加わり、獄中生活を送ったトゥインリン アウンさんが来日し、11月8日の朝日新聞にインタビューの内容が報じられた。彼はヤンゴン工科大学の学生だった1988年、反政府デモに参加、タイに逃れたが、帰国後の97年に逮捕され、中部のミンジャン刑務所に送られた。ここには約100人の政治犯が収容され、多くは独房、運動は許されず食事もわずか、他人との会話は禁じられ、孤独で正気を失う人、病気で亡くなる人もいた。本人は2002年に釈放。08年にタイに逃れ、現在はメソトを拠点に民主化運動を続けている。「全政治犯が釈放されない限り民主化の前進はない」、「一度釈放してもいつでも再逮捕できることを忘れてはいけない」。と(以上概要)。私も同感であり、(1206)、(1208)、(1208)で述べたネイミョージン氏の逮捕と絡め、全政治囚の釈放を期待する。

2011年11月9日水曜日

(1275)読みました、「イラワジ川河畔会戦」

 著者は河田槌太郎氏、編者は河原六蔵氏と大塚雅彦氏。1995年3月、朝文社発行、165頁、定価2000円。インパール作戦の際牟田口軍司令官の命に反し、自己の判断で撤退するという「抗命」により解任された佐藤師団長の後任が河田氏であり、第31師団「別称「烈」師団長として活躍、常に部下の人命を大切にしていた。河田氏は昭和39年に逝去したが、彼の遺稿(手記)を世に著さんと部下であった河原氏と大塚氏が中心となり、この本を編集した。インパール作戦の失敗により、日本軍は敗退を続けたが、イラワジ川河畔に陣地を作り、敗走兵を吸収して陣容を立て直し、ここで追跡してくる英印軍と一戦を交え、さらに敗走を繰り返した。その間の作戦計画が詳細に師団長の手記に残されていた。河田師団長は明治25年生まれ、このため文章には難解な漢語や軍隊用語が多く、却って真実感が湧く。

2011年11月8日火曜日

(1274)聖書を読むのに許可が必要??

  ミャンマー政府は、最近同国におけるキリスト教徒らの自由な宗教活動を制限する新しい規制を発表した。カチン州ファカント郡に住むキリスト教徒らは、聖書を読むには少なくとも15日前に文書で申請することが制定された旨、10月31日クリスチャンポスト紙が報じた。カチン州北部には多数のキリスト教徒が在住しており、彼らは今回の規制に強く反対している。10月始めには軍部がカトリック教会の牧師を含む5人を拘束、暴行を加えたという。6月にカチン独立組織(KIO)とミャンマー軍部の対立が始まって以来、3万人以上のカチン民族が強制移住させられた。米政府は、ミャンマーの他、中国、エリトリア、イラン、北朝鮮、サウジアラビア、ウズベキスタンを最も懸念すべき宗教迫害国とみなしている。政府の干渉や規制なしに何を信じるかを決める権利は、人間の尊厳において欠くことができない要素である。

2011年11月7日月曜日

(1273)読みました、「ビルマに暮らして」

  副題は「閉ざされた国の人々と生活」、著者は佐久間平喜氏(14年間在ビルマ日本大使館勤務)、1994年8月、勁草書房発行、187頁、2200円+税。外交官として勤務した歳月を振り返りつつ、政界トップの横顔、遭遇した事件の数々、愛すべき人々の知られざる生き様を浮き彫りにしている。特に、ネーウイン元将軍の経歴、人となり、私生活と家庭、政権長期化の理由、ネーウイン以外の政治指導者たち、日本商社員のスパイ事件、韓国大統領の爆殺未遂、紙幣流通停止措置、医療事情と迷医の活躍、ビルマ生活展望などが続く。この本には、私の知りたかった内容が随所にあり、まるで私のために書いた書籍といった感じ、私がビルメロになったのが1995年、このため、それ以前の状況はよく理解できていなかったが、94年発行のこの一冊を読んで問題点が次々と解明できた。私にとって至福の一冊。

2011年11月6日日曜日

(1272)バルーチャウン発電所再開 現地から反対の声

  メコンウオッチからの情報(11月4日付)。10月21日、日本政府はローピタ(バルーチャウン)第二水力発電所の改修のために、政府開発援助(ODA)を行うことを発表、ビルマ政府が民主化に向けて前進していると日本政府が評価したことを受けてのことだ。なお、同発電所は第二次大戦後に日本の戦後補償によって建設された。この発電所建設時には1万2千人以上が強制的に移住させられ、また数千人のビルマ国軍が地域に入り、住民は強制労働、性暴力、処刑などの残虐行為を受けた。水も水力発電に優先的に回されるために、周辺の住民は水不足に直面。また周辺には1万8千個の地雷が埋設されている。一方、周辺住民の80%は電気のない生活だ。ビルマの水力開発事業は周辺住民に恩恵をもたらすどころか、人権侵害を引き起こしている。日本政府はまず周辺の人権侵害から調査するべきだ。

2011年11月5日土曜日

(1271)松本で難民定住を支援 来年受入れ目指す

  都内で研修中のミャンマー難民の松本市内への受入れを目指す市民団体「松本地域難民定住支援連絡協議会」が14日発足した。研修が終わる来年3月にも2家族を受け入れ、農業に従事してもらうことを検討している。就労には、ミャンマーに農業支援に出向いた経験のある市内の農業生産法人が全面的に協力する。協議会の米倉会長は「受け入れには地元町会や市などの理解が必要、地域を巻き込みながら難民を受け入れられる環境を作りたい」と。(以上中日新聞10月15日、信濃毎日11月3日)。なお10月19日発行の「週間金曜日」には、9月29日、成田空港にカレン人4家族18人が到着した旨報じた。男性(33歳)はできる仕事があれば何でもやりたい、農業の勉強もしたい」、「子供は3人、早く日本語を覚えて、ビルマのことを伝えたい」と語った。政府は受入れ態勢のネットワークの構築を早く!

2011年11月4日金曜日

(1270)先進国における庇護申請数が17%増加

  10月18日のUNHCRの発表によれば、先進44カ国において2011年上半期に受理された庇護申請数は、19万8300件で前年同期に比べて17%増加しているという。例年後期のほうが増大するので、年間では過去最大の42万件に達すると予測している。特に西アフリカ、北アフリカ、東アフリカにおける大規模な強制移動が確認されている。その一方で、これらの強制移動が先進国の庇護申請数にもたらした影響は少ない。今回調査対象になった44カ国において、庇護申請者の出身国はアフガニスタン(1万5千件)、中国(1万2千件)、セルビア・コソボ(1万件)、イラク(1万件)、イラン(8千件)であった。国別では、アメリカ(3万6千件)、フランス(2万6千件)、ドイツ(2万件)、スウェーデン(1万3千件)、イギリス(1万2千件)と続いた。日本・韓国は前期の600件に比し1300件。難民の80%は途上国に。

2011年11月3日木曜日

(1269)ミャンマー中部で洪水被害

  最近はタイの洪水の様子がニュースで毎日のように放映されているが、PFBの情報によれば、10月19日ベンガル湾からミャンマーとバングラデシュの国境地域に上陸したサイクロンの影響による豪雨で、ミャンマー中部でも大規模な洪水被害があったという。現地の報道によれば、ミャンマー政府当局者は、215人の死亡を確認、さらに増える見込みとのこと。被害はマグウェ管区、マンダレー管区、サガイン管区に及び、約35000人が被災、NGO団体のブリッジ・エイシア・ジャパン(BAJ)は100万円を目標に緊急募金活動を開始している。一方、やや古い情報だが、8月3日タイとの国境にあるメラウ・メラマルアン難民キャンプで洪水が発生し、338戸と図書館が被災、NGOのシャンティ国際ボランティア会(SVA)が支援を呼びかけている。地球温暖化の影響か、いまや世界中が異常気象に悩まされている。

2011年11月2日水曜日

(1268)入国者収容所視察委員会の意見と措置

  標記委員会の提出意見と各入国者収容所所長が講じた措置の概要が6月30日に発表されていた。本ブログ(1242)では東日本地区の概要を論じたが、今回のは西日本地区を含む総合的な発表である。委員会から提出された意見は96件、内、組織・職員関連14件、建物・設備関連31件、食事・物品関連19件、衛生・医療関連27件、面会・通信関連7件、その他23件であった。私が注目したのは組織・職員関連の中の、被収容者に対する適切な処遇の確保を目的として職員の増員云々という項目である。前回も述べたが、難民申請者の場合、いつ出所できるかも分からない長期の収容は、人権蹂躙であり精神的拷問であろう。長くても6ヶ月以内に短縮してほしい。そうすれば、職員の負担も大幅に軽減され、職員数を減らすことも可能、入所者のために支払う費用も減る。いずれも我々が支払う税金だ。

2011年11月1日火曜日

(1267)第三国定住の失敗

  10月23日の神奈川新聞に第三国定住制度の問題点について、かながわ難民定住援助協会会長・桜井ひろ子氏のエッセイが掲載されていた。「ああ、やっぱり」、それが第一印象だった。30年間、この国は同じ過ちを繰り返している。新たな犠牲者を出してしまった。定住支援策のモデルは、約30年にわたるインドシナ難民の暮らし振りだ。だが自立とは言い難い生活から、手本とは決してなり得ないことは明らかだ。ミャンマー難民には、初期の集中的な日本語教育と、働きながら継続的に学べる環境整備が必要。地域を含めた支援体制の確立は、受け入れを決断した日本の責任と断じた(以上概要)。今回の失敗の原因を全国難民弁護団連絡会議から玄葉外務大臣宛に申入れを行ったが、回答はまだ聞こえてこない、一刻も早く関係各機関との議論の場を設置してほしい。「難民鎖国」の嘲笑を聞きたくない。