2008年9月30日火曜日

(142)NLDの力は弱まったか

(2008年9月30日)
  一昨日の読売新聞に「スーチーさん不在のNLD結成20年」「民主化ムード停滞」という見出しで、サフラン革命1年後のNLDの状況が報じられていた。最近解放されたNLDの元幹部ウィンティン氏が「スーチーさんによる指導を支持する」と発言したが、肝心のスーチーさんは自宅軟禁中。軍政側とスーチーさんの対話は行き詰まり、軍政側は自分達に都合のよい憲法を国民投票で成立させた。このまま行けば総選挙でも軍政側政党が勝つであろう。一方国連はこの憲法をなんとなく容認した形となり、スーチーさんは怒り心頭、ガンバリ氏との面会を拒否した。市民の間でも「スーチーさんは好きだが政治家ではない」とか「NLDがいう90年総選挙で選出された国会の召集は非現実」という意見も多い。さらには「完全な自由は混乱を来たすだけ」との意見も若者の間で出だしているという。NLDはまさに八方塞がりの様相だ。

2008年9月29日月曜日

(141)日曜日は ご多忙

(2008年9月29日)
  昨日午前はミンガラ日本語教室に顔を出し、ビルマ人女性に仮放免延長書類を手渡すと共に深夜勤務について相談。午後2時からはBRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)の役員会が巣鴨の大瀧会長邸で開催された。新たに通訳としてビルマ人女性が参加し、てきぱきと日本人、ビルマ人の間を取り持ち、会議が以前よりスムースに進行した感じ。議題としては、バス旅行の際の利益と、ダジンジュ出店の際の利益が報告され、これらは助合い基金に充当する旨決定。次にサイクロン被害に対する寄付金の残余金32万円をビルマ人僧侶経由で再度寄贈することとした。次に、入管収容者の仮放免保証金貸与後の返金期間を決めた。最後に10月12日(日)に、半年間の成果報告会を開催することにして5時終了。5時半から巣鴨ルノアールで別のビルマ人女性と入管提出資料の扱いについて打合わせて帰路に。

2008年9月28日日曜日

(140)またまた掲載されちゃったぁ!

(2008年9月28日)
  またまた掲載されちゃったぁ! (135)で「ビルマ国境ニュース」(熊切拓氏編集)に私のブログ「U MINGALARのつぶやき」が掲載されたことを報じたばかりだが、昨日届いた「ミャンマーフォーカス」誌(2008年2号、ミャンマー総合研究所発行)にミャンマーと日本をつなぐ人第4回として、ウー・ミンガラ(西田敦)さん「東京に暮らすビルマ人とともに」という表題で舟橋左斗子さんの取材文が載っていた。彼女とはビルマ語を一緒に勉強した仲間であり、ともによく飲んだり、だべったり、ビルマに行ったりしたので、ビルマ語がさっぱり上達しなかった間柄。でも彼女の文章力は大したもの、私の言いたいことが上手に表現されていた。内容は、「ビルマが好きになった理由」、「ミンガラ日本語教室の思い出」、「警察・入管通い」、「私にとってミャンマーとは」と続いている。こそばゆいが嬉しい。例によって、興味のある方はコメントで。

2008年9月27日土曜日

(139)負けるな! 在日ビルマ人

(2008年8月27日)

  昨日の朝日夕刊の「窓」という欄に、水野論説委員が「日本のシュエバ」というエッセーを書いていた。ビルマのシュエバといえば著名な映画俳優で、悪人に立ち向かうヒーロー役を演じていた。「日本のシュエバ」といえばもちろん田辺寿夫さん(65)。私もウーシュエバとの付合いは長い。1998年頃、ミンガラ日本語教室に取材に見え、当時の生徒一人一人にビルマ語で取材していた姿を思い出す。その後、生徒10人を引き連れ渋谷のNHKを見学、彼の案内でビルマ語放送部門を紹介していただき、海外放送というものを始めて理解できた。その後もビルマ人の結婚式や、裁判、イベントなどでもウーシュエバとしばしばご一緒できた。このたび、彼が在日ビルマ人を支援してきた記録「負けるな!在日ビルマ人」(梨の木舎、1785円)を発行した。とても分かりやすい言葉で書かれており、ビルマ問題関係者必読の本だ。

2008年9月26日金曜日

(138)サフラン革命1周年

(2008年9月26日)
  昨年秋の僧侶らによる10万人規模の反政府デモを欧米では「サフラン革命」という。僧侶が着ている僧衣の色からこの名前がついたといわれる。しかしサフランの花は薄い紫色だから、むしろ食用の着色料に使うめしべの色かなと思う。閑話休題、軍政は僧侶や市民に対する圧力をますます強めており、一方物価上昇はそのまま続き、25日にはヤンゴン市庁舎前で爆弾が爆発するなど、市民の間には絶望感が広がっているようだ。最近ミンガラ日本語教室に来るビルマ人が増えているのも、あるいはこの絶望感と関係があるのかもしれない。国際社会も軍政の強い姿勢に打つ手がなく、スーチー女史がガンバリ特使との面会を拒否した。軍政に強く出ない国連に不満があるのだろう。日本は資源豊富な親日国ビルマの軍政と手を切れない。日本で流行ってる言葉「国民の目線」についてタンシュエ将軍のご意見は?

2008年9月25日木曜日

(137)変な微妙なニュース 

(2008年8月25日)
  長井健司カメラマンが最後まで持っていたビデオのテープを提供すると言って、APF通信社の社員を脅迫したビルマ人M容疑者を逮捕した旨9月23日の各紙が報道した。とんでもないビルマ人がいたもんだ。知能レベルが相当低い人物のようだ。軽はずみな彼の行動によって、ビルマ人は真面目で礼節を重んじるという評判がガタガタと崩れ去る恐れがある。周辺に彼を助ける友人がいなかったのか。BRSAに相談するのも一つの方法ではなかったかしら。一方、24日の各紙には、ビルマの政治犯ら9002人が釈放され、その中には、NLD幹部で著名なジャーナリスト、ウイン・ティン氏や同党国会議員らが含まれており、2千人といわれている政治犯の釈放を求める国際世論を和らげる思惑があるとされている。一応朗報といえるが、こんなことは何回も繰り返しており、最終的にはスーチー女史の解放があるのか見極めたい。

2008年9月24日水曜日

(136)忙しかった 今日一日

(2008年9月24日)
  今日はいろいろなことがあった。午前中に品川入管を訪問、書類上疑問点があったので、総務課訪問、担当課が違うということで係官がわざわざ付き添って1階下の難民審査部門に連れて行ってくれ恐縮した。その課では、本人でなければ話せないの一点張りなので、やむを得ず退散、廊下で10年間会っていなかったビルマ人女性に偶然会う。午後は1階の待合室で、顔馴染みのビルマ語の上手な某宗教グループの7~8人に会い、保証人になってくれるよう依頼。この後ビルマ知人と一緒に収容中の女性8人と面会、うち1人の仮放免の手続きを進める。面会室を出た所でBRSAの事務局2名と会い、いま面会したばかりの一女性が仮放免で今から出所とのこと、嬉しい。帰途、ビルマ人男性が急病で南大塚病院に入ったと聞き、大塚に寄ったが本人は比較的元気、この後ビルマ女性と会って翻訳を手伝う。疲れたよ。

2008年9月23日火曜日

(135)面白い、ビルマ国境ニュース

(2008年9月23日)
  待ちに待った「ビルマ国境ニュース(11号)」を入手、嬉しい! この雑誌は、非ビルマ民族の政治活動を軸にビルマ民主化運動の現状を伝え、その活動と取り巻く状況を批評するA-4判12頁の小冊子。編集・執筆者はもちろんBRSA副会長の熊切拓氏。私もビルマの民主化は、軍政対民主化グループという構図では解決困難で、少数民族問題がどうしても絡んでくるという立場。この点先輩格の熊切氏がどう考えているのか、教わる所が多い。さて、今号はBRSAの特集号で、「会のキーパーソン2氏のインタビュー」、「会の案内」、「難民ソーシャルワークの可能性の話」、「ミョーアウンさんの漫画」、「パダン・シガより」、「モウニーさん頑張れ」などが続く。一つ落としたが、私のブログ「U MINGALARのつぶやき」も3頁にわたって抜粋、紹介されている。ご希望の方は、コメントいただければ無料で手配します。ためになりますよ。

2008年9月22日月曜日

(134)雨でも賑やかダディンジュ

(2008年9月22日)
 昨日はビルマ人のお祭りダディンジュ、火祭りともいい、春の水かけ祭りと並ぶ盛大なお祭りだ。場所はいつもと同じ王子の飛鳥山公園、私は秋葉原のミンガラ日本語教室に顔を出してから、生徒と一緒に王子に向かった。すでに小雨が降ったり止んだりの天気、今日は参加者が少ないかなと心配しながら1時半ごろ会場へ。我々BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)のブースはすぐ見つかり、大瀧会長をはじめ大勢のメンバーが手羽先のフライとバナナジュースをガンガン売っていた。私はその間会場を一周、実に大勢のビルマの友人と挨拶を交わした。また、どのテントにも私がかつて面会したビルマ人女性がいて、手作り料理を勧めてくれた。私はもともと少食なので断るのが大変、でも好意には深く感謝。3時前には会場はいっぱいになったが、3時を過ぎると雨が激しくなり、後ろ髪を引かれる思いで会場をあとにした。

2008年9月21日日曜日

(133)日本語能力試験に大勢受験

2008年9月21日)
  私は秋葉原にある『ミンガラ日本語教室』に設立当初から12年間関係している。毎週日曜日、ビルマ人だけを対象とした日本語教室であり、最近は生徒が延べ50人から60人も毎週集って熱心に勉強している。クラスはアイウエオクラスから1級クラスまで6クラスあり、先生は私以外に17人、全員日本人(有資格者)であり、毎週交代で教えている。今年の日本語能力試験は12月7日に世界各都市で行われる。私たちの教室からも、30人近い生徒が挑戦する。今後日本に在留するビルマ人、特に難民や難民申請者は、日本の社会に馴染むためにも日本語の習得が必要だ。ぜひ世界で通用する公的な資格を取って欲しい。教室の場所は秋葉原駅中央口からから3分、関心のある方は、中尾先生(090-2414-5763)、またはニーニーリンさん(080-2092-7282)に連絡してください。みんな一緒に頑張ろうね!

2008年9月20日土曜日

(132)ヒャー 千人突破だ

(2008年9月20日)
  8月4日からこのブログにACCESS COUNTERを取り付けてもらった。ブログの読者が何人いるかを自動的にカウントする便利な装置だ。実はこの装置を付けるに当たって、ずいぶん躊躇した。一日に何万人という読者がいるブログがあるというのに、もし3人とか5人だったら恥ずかしい。でも付けなければ反応が分からない。えーい、ままよとばかりブログ番号(85)番から取り付けることにした。今日のブログは(132)番だから47回(47日目)のブログに1030人、1日平均22人が見たことになる。私のブログはビルマ問題、難民(申請者)問題を中心としている極めて特異な分野に限定したブログであり、そう考えると1日22人は予想を超えた人数だ。時々私の知らない人からも、「ブログを見た」旨の電話がかかってくる。ブログは日本語を理解できれば、世界中の誰でも見ることができる。これからも、心して続行したい。

2008年9月19日金曜日

(131)見て見て BRSAのホーム頁

(2008年9月19日)
  先日BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)のホームページが更新された。当会副会長の熊切さんがこの仕事を担当されたが、内容がますます充実してきている。例えば、明後日のダジンジュ祭り(飛鳥山公園)に当会が出店して、手羽先餃子とバナナのデザートを販売する旨の予告、9月9日、国連大学前でのハンスト支援(1万円寄付)の様子、幹部会と有志委員会(8月31日)の様子、平和の翼ジャーナルの記事紹介、役員会(8月24日)の報告、バス旅行(8月17日、水戸偕楽園、大洗サンビーチ)の紹介、8888デモ参加(8月8日)の様子など実に盛りだくさん、いずれも写真を多用していて理解しやすい。特に最後の二つの行事は、写真をクリックすると次から次へと写真が現れ、まさに行事に参加している気持ちになる。当会の活動は、ホームページを含めて、ビルマ関連団体の中でもトップクラスであろう。

2008年9月18日木曜日

(130)1回目と2回目の収容期間

(2008年9月18日)
  警察や入管によって不法残留などの理由で入管に収容され、かつ難民申請をしたビルマ人は、いったいどのくらいの期間収容施設に入っているのだろうか。 昨年秋までは、1年前後というのが普通であったが、その後は、4ヶ月前後と変わってきた。このように初めて入管に収容された人を1回目の収容者としよう。その他にいまから2.3年前に2ヶ月間収容されたビルマ人難民申請者が、最近少しずつ品川入管に再入所している。2.3年前の収容時は保証金の支払いもなく出られたので、2回目の収容では、仮放免申請書を出し、保証人を立て、30万円の保証金を提出しなければ出られない。入管サイドが、1回目の収容者とバランスを取っているように思える。このような2回目の収容期間は大体1ヶ月前後で、合計約3ヶ月となる。短くなったとはいえ、3ヶ月~4ヶ月という長期間の拘留は、人権問題に絡んでこよう。

2008年9月17日水曜日

(129)今日は楽しい水曜日

(2008年9月17日)
  今日は水曜日、品川入管に面会に行く日だ。朝から何故か心がワクワクする。先週は男性ビルマ人の仮放免、出所に立ち会ったため、面会活動はできなかったので、なおさら気分が高揚する。牛久入管面会活動から品川入管に鞍替えしたのが昨年12月6日、約10ヶ月間この活動を続けてきたがいつもワクワクの気分。今日の面会者は女性7人で、初めての人が3人いた。一人体調の悪い人がいたが、そのほかは皆元気で明るく、しばしば笑い声に包まれた。面会室を出ると、顔なじみのビルマ人数人がいてしばし雑談した。これも私の面会活動の一環であり楽しい。その中の一人の要望で、彼の疑問点を確かめるべく4階の総務課や、2階の特定活動担当窓口を訪ねたところ、6ヶ月経てばビザがもらえるという説明を受け、一応納得した。このように、入管当局と話し合うことも私の面会活動の目的の一つであろう。

2008年9月16日火曜日

(128)パオ族って どんな民族?

(2008年9月16日)
  近日、パオ族のミャンマー人と東京で会う。私は今まで多くの少数民族の人々と会ってきたが、パオ族はたぶん始めて会う少数民族だ。ミャンマー人は大きく分けると8民族からなるといわれているが、言語などからすると135の少数民族に分類できるらしい。パオ族はミャンマーの東部シャン州のインレー湖周辺に住んでいる民族で、黒か紺色の服を着て、タオルを頭に巻いている。彼らが住んでいる地域には、カックパゴダというバガン王朝時代に建てられた2500基ものパゴタが林立しているので観光地としても有名だ。彼らはみな熱心な仏教信者である。私が興味があるのは、このような少数民族が、軍事政権に対してどのように考えているのか、そして将来どのようなビルマを夢見ているのかという点だ。もしかしたら、パオ族による自治独立を考えているのかしら? そのとき近隣のシャン民族との軋轢はないのかな?

2008年9月15日月曜日

(127)条約難民って なんだ? 

(2008年9月15日)
  ビルマ人の難民申請者は、2005年は212人、06年は626人、07年は500人、そして今年は1000人近くに増えるのではなかろうか? 今年増える理由の一つとして、昨年秋の僧侶、市民の平和的デモ行進に対する軍政側の発砲事件が上げられる。もちろん長井カメラマンの射殺事件も影響していよう。①軍事政権による政治体制に不満があって日本で難民申請する人、あるいは、②ビルマ国内での戦火、内乱、風水害などを理由に、日本に来て難民申請する人、このようなビルマ人が多いようだ。しかしこれらの理由は、①②共に条約で定める難民とは認められないと思う。条約難民とは、あくまでも人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員、政治的意見に基づく迫害を受ける恐れがあることが要件だ。①②は拡大マンデート難民といわれ、条約難民とは異なっている。在日ビルマ人は理解してるかしら?

2008年9月14日日曜日

(126)風穴広がるか『難民鎖国』

(2008年9月14日)
  今日の朝日新聞に「風穴広がる難民鎖国」との表題で、日本の難民受け入れ問題が大きく出ていた。就労を禁止されたまま認定審査に2年間かかり、その後やっと在留特別許可が得られたビルマ人の実情が掲載されていた。国連難民高等弁務官事務所の発表では、07年末現在で、世界に1140万人の難民がいるという。難民認定数は日本が41人に対し、米国17979人、フランス12928人、英国7866人、ドイツ7197人と続く。一方、難民保護数は米国の17979人を筆頭に、スエーデン、フランス、イタリア、英国がいずれも1万人以上受け入れている。日本の難民の審査期間はいままで平均600日であったが、法務省は今後は6ヶ月を目指すと明言した。また、難民受け入れに関し、諸外国では、生活費の支給や、言語の教育に力を入れている。さて日本は難民鎖国に風穴を広げることができるのだろうか?

2008年9月13日土曜日

(125)スーチーさんのガンバリ勝ち?

(2008年9月13日)
  このブログでは、何回もスーチーさんのハンスト問題を取り上げたが、昨日の朝日夕刊に、「スーチー氏に軍政側 『譲歩』案 食料拒否受け」と出ていた。スーチーさんの軍政側に対する抗議内容は「軟禁に法的根拠がない」、「使用人の外出制限」、「医者の往診回数の減少」などであったが、今回の軍政側の回答は、「英国に住む息子からの手紙の受取りや英文雑誌の講読」、「使用人2人の行動の自由」など。ちょっと食い違っているようだがまあ軍政側が国際世論に配慮して一部譲歩した形。これを受けてスーチーさんは食料の受け渡しに応じる考えを示しているという。しかし肝心の「軟禁」状態の解決はなく、更には「国連への抗議」すなわち軍政側が作った憲法案を国連が認めたがごとき発言に対する解決はなされていない。東京でもスーチーさんのためのハンストが続いており、もう少し頑張って欲しいと思うが。

2008年9月12日金曜日

(124)今日は一日二善

(2008年9月12日)
  今日はA警察署に11時に行くことになり、JR水道橋駅で乗り換えた。と、そこに欧米系の外国婦人がホームを右に行ったり左に行ったりして思案の様子、ちょっと気になったので「何かお困りですか」と聞いてみた。水道橋の東口はどちらかというので教えてあげたら感謝された。後で考えると、日本語が通じたから良かったものの、もし通じなかったらどうなったかしら。このあと地下鉄三田線に乗り換えてA警察署に到着、留置中のビルマ人男性の保証人と一緒に彼と面会し、釈放のための30万円を差し入れた。本人がこのお金を持って検察庁の担当検事のところへ持っていけば万事終了するはず。ただ運悪く明日から3連休なので、彼が正式に自由になれるのは来週火曜日、でも何とか彼を助ける目処はついた。帰途食べたランチがとても美味しかった。今日は二人の外国人にいいことをしてあげたので気分が快適だ。

2008年9月11日木曜日

(123)独裁国トップ2人の病状は?

(2008年9月11日)
  今日の朝日には北朝鮮の金正日総書記の健康不安説が大きく報道されていた。なにぶん閉鎖された独裁国家だから事実は分からない。一方、ビルマでも同じことが起こっている。野党NLDのスーチー書記長の動向が一切分からなくなってきた。このため9月8日から東京のビルマ人民主化活動家5人が国連大学前で72時間のハンストを実行し、今日から新しい6人がさらに72時間ハンストを続行するという。ハンストの目的は「国連総長および日本政府は直ちにビルマを訪問し、スーチーさんの健康状態と真意を確認して欲しい」というもの。このブログでもたびたび取り上げたが、今朝の朝日には、このハンスト決行の記事も掲載されていた。アジアの2つの独裁国家の政治家トップの健康状況が分からないという、奇妙なニュースが共に消化不良のまま重なり合った。私は今しばらくスーチーさんの動向に注目しよう。

2008年9月10日水曜日

(122)今日は嬉しい日

2008年9月10日)

  昨日は警察訪問で暗い気持ちだったが、今日は一転して嬉しい日だ。私の親友、ビルマ人のA君が品川入管から29日ぶりに仮放免で出所する日だ。私は時にそわそわする日があることに気がついた。12時に入管に入り、先に来ていたBさん、Cさんに面会のほうをお願いし、私は1時に6階の仮放免担当課、更に4階の会計課で書類に記入後、田町の指定銀行までタクシーを飛ばし(片道千4百円)、保証金30万円を支払った。銀行で証明書にハンを貰ってからまたタクシーで戻った。30分ほど待った後、私たち3人の前に元気なAさんが現れ、皆で硬い握手を交わした。彼はこの1ヶ月、食欲がなかったというけど、体重は83Kgもあり、サッカーやトランプなどで部屋の各国の人たちをリードして、インターナショナルな交流を続けたようだ。彼は疲れてると思うが、明日さっそく同室の皆に挨拶するため、面会に行くという。

2008年9月9日火曜日

(121)まずまず合格 A警察署

(2008年9月9日)
  今日はひょんなことから軽犯罪を犯し、3日前から留置されているビルマ人男性に面会するため、都内のA警察署に出向いた。ここは5年前には頻繁に通った思い出があり、私にとって久し振りのA警察署訪問だ。私と顔馴染みだった受付の担当官の姿はもちろんない。今回の受付担当者の態度は5年前と同じく丁重でありホッとする。次に応接室で担当刑事に会った。40歳ぐらいの係長だ。こちらが訊かないのに、事件の内容を明るい口調で説明しだした。問題点を要領よく話してくれる。いままで刑事から事件の説明を受けたことは数回あったが、いずれも我々市民に接する態度は良好といえる。次に面会室に入る際の受付だが、5年前と異なり、年配の婦人警官がいて私を丁重に迎えてくれた。20分間の面会時、同席していた白髪の担当官も威圧感がなく感じが良い。我々市民と接触するA警察署はまあ合格点だ。

2008年9月8日月曜日

(120)20年前の今日 ビルマでは

(2008年9月8日)
  ここ何回かスーチーさんのハンスト問題を同時進行形で論じてきた。スーチーさんのハンストの狙いはいまだ不明確であるが、結局の所、国連からの真の協力を期待し、かつ、軍政への不満、特に自身の自由を訴えているようだ。このようなスーチーさんの行動に同調して、東京渋谷の国連大学前で5人のビルマ人が、今日(9月8日)から72時間のハンストを実施するとのニュースが飛び込んできた。9月8日といえばいまから20年前、スーチーさんが時のマウンマウン大統領に対して、複数政党制の樹立を訴え、回答がなければゼネストに突入するとした日である。当日の日本の各紙は大きな見出しで、「国軍に大きな動揺、今日最大のゼネスト」、「国軍が騒乱誘導」、「再び大規模流血も」、「軍、警察に発砲命令」、「日本人家族帰国へ」、「首都で数十万人集会」など。軍事政権はこの20年間、何も学習していないようだ。

2008年9月7日日曜日

(119)悩む 祖国への送金

(2008年9月7日)
  毎週日曜日、朝日新聞には「国を開く」という欄があり、今日は「祖国への送金、正しい道は」というもの。送り手の意見として、ビルマ人のMさんが登場している。Mさんは89年に来日、95年にビルマ雑貨店を都内に開き、そこで在日ビルマ人から頼まれたお金を本国に送っていたが、07年秋に銀行法違反で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決が確定した。手数料は9千円につき2百円で比較的安い。この件に関し弁護士は、「特にビルマ人のように庶民が合法的に送金する手段がほぼ道を閉ざされているケースもあり、犯罪者組織と決め付けるのは的はずれだ」といっている。また、貧しい国から来日して、母国に送金することは、結果的には「途上国に貢献」することになる。一方、日本の銀行も送金ビジネスの研究を始めているようだ。ビルマにいる家族に合法的かつ安く、安全に送金できる方法を早く考えて欲しい。

2008年9月6日土曜日

(118)ハンスト問題 やっと朝日に

(2008年9月6日)
  今朝の朝日新聞に「スーチー氏の食料受け取り3週間拒否、軍政に不当軟禁と抗議」との見出で、前々から懸念していたニュースが大新聞に出現。我が家では朝日新聞とテレビしか見てないので、ほかの新聞報道は分からない。このブログ(110)と(115)で、インターネット情報を紹介してきたが、今朝の新聞と内容がどうも違う。インターネット情報では、スーチー氏が国連の対応を批判して食料の受け取りを拒否との主旨だったが、今朝の朝日では、自宅軟禁に法的根拠がないなど不当軟禁を軍政に抗議するためだという。どちらが真実なのか、あるいは、どちらも真実なのか、スーチー氏に面会した顧問弁護士がもし内容を話せば刑務所行きという過酷な状況下での報道、我々も心して、紙面の背後にある事実を掴まなければならない。ともあれ、自宅にある食料を細々と食べているスーチー氏は一応元気なようだ。

2008年9月5日金曜日

(117)Myanmar Focusって?

(2008年9月5日)
  いま手元に「Myanmar Focus」という日本語で書かれたミャンマー経済情報雑誌がある。A-4判で20頁、発行元はNPOミャンマー総合研究所(略称MEMI)、Vol.15とある。内容を見ると、どうやらサイクロン被害の特集のようだ。在日ミャンマー大使館ウ・ミン・トン公使が、サイクロン被害状況、復興状況に触れており、外務省東南アジア第一課主席事務官と、ヤンゴン在住商社マン、および「みんがらネットワーク」の会報でも活躍中のチートゥシェインさんが各々の立場でサイクロン問題を書いている。私が興味を引いたのは、被害の甚大さと共に、その救援、復興状況だ。国内、国外からの支援体制が次第に整っていき、特に民間ボランティア団体の献身的努力がよく読み取れた。私が入っている「BRSA」からの支援金70万円をはじめ、「ミンガラ日本語教室」や多くの友人たちからの支援金も大いに役立っているのだろう。

2008年9月4日木曜日

(116)品川入管でミンガラバー

(2008年9月4日)
  私は、入管に収容されているビルマ人への面会活動を続けて既に12年、十条入管、品川入管、牛久入管と変わり、牛久にビルマ人がいなくなったのを機に、品川入管に戻ってきた。昨日も品川入管を訪問したが、先週入ったばかりの人も、4か月ぐらい過ぎた人もいる。誰が収容されているのか分からないので、面会の都度、新しい収容者の名前と部屋番号を聞きだす。もちろん初対面の人ばかりだが、幸い日本に長く滞在している人が多く、日本語での会話であまり不自由は感じない。彼らの最大の希望は当然のことながら早く外に出ることだが、我々の力ではどうすることもできない。1回目の収容者は大体4ヶ月前後、2回目の収容者は1ヶ月前後収用されている。取調べや、必要書類を提出した後の時間は、寝て、食べて、ごろごろしてるぐらいだ。その間の彼らの衣食住の経費はすべて我々の税金だ。空しさを感じる。

2008年9月3日水曜日

(115)ハンスト まだ不確実??

(2008年9月3日)
  最近インターネット情報として、8月16日以降のスーチーさんのハンスト事件が錯綜している。すでに2週間経過しており、もし事実なら大変な事態だ(ブログ110参照)。日本の新聞もテレビも取り上げないので、私は一部の人にはガセネタらしいと伝えてしまった。しかしそうでもないらしい。昨日のインターネット情報によれば、スーチーさんの顧問弁護士チーウイン氏が9月1日にスーチー氏の自宅を訪問、スーチー氏は「少し痩せたけど元気です」と話したという。ハンストを行っているのか否かは同氏はコメントを避けたという。面会を許されているのは、顧問弁護士と主治医だけで、政治的メッセージを流すと、逮捕、投獄される。一方、東京では9月1日から5日まで国連大学前で、国連事務総長がスーチー氏を訪問するよう要請行動を開始している。NLD側の情報戦略かも知れないが、スーチーさんよいつまでもお元気で。

2008年9月2日火曜日

(114)まさか またか

2008年9月2日)
  今日はこの話題を書かざるを得ない。安倍首相に続いての福田首相辞任問題だ。情けない! 2代続けていとも簡単に投げ出すなんて! 我々世代が築きあげた日本はこのまま凋落していくのか? 誰に文句を言えばよいのか。自民党なのか? 公明党なのか? 小泉元首相なのか? 民主党小沢代表なのか? それとも・・・・? まあまあ怒りはこのくらいにして、福田首相はミャンマー問題にどのように発信しただろうか。まず5月10日には、ミャンマーの軍事政権がサイクロン被災者への人的支援を拒否している問題について「国連にもっと積極的な介入を」と訴えた。7月9日のサミット総括説明では、「ミャンマー当局は国際援助に対し、サイクロンの被害地域に搬入される援助の透明性と高めること、ミャンマーが正当性を有し、民主的な文民政府への平和的な移行を促進すること」を求めた。こんなところか。

2008年9月1日月曜日

(113)内容が豊富 この雑誌

(2008年9月1日)
  いま一冊の雑誌を手にしている。「みんがらネットワーク会報 26号」だ。B-5判69頁、ビルマ関連の雑誌で日本語、ビルマ語で書かれており、表紙も内容も素晴らしい。気になっていたサイクロン被災地の復興の様子や、最近のヤンゴンの状況がよく分かる。また、いまの日本の様子を30年前に来日した時と比較して、我々日本人の気がつかない視点から観察していて面白い。最近ミンガラ日本語教室では日本語能力試験の準備に忙しいが、外国人のための日本語試験について6頁に渡り詳述しており、関係者も助かるだろう。日本で生まれた在日ビルマ人の幼い子供に親がどうやってビルマ語やビルマ文化を教えるのかという悩みも聞こえてくる。数多くのエッセイも楽しい。この雑誌は、98年6月に創刊され、途中休刊の時期もあったが、日本人、ビルマ人メンバーの努力で10年続いた。興味のある方はコメントを!