2012年7月31日火曜日

(1540)ミャンマー・サッカーチーム応援の思い出

  ロンドンオリンピックが始まり、日本選手もほどほどの活躍をしている。私が力を入れて応援している種目は男女のサッカー、どちらも決勝リーグに進出すると聞く。ところで私は2003年5月のオリンピック予選で日本と対戦したミャンマーチームを2回応援に出向いた。5月1日は国立競技場、5月3日は味の素スタジアムで、ミャンマー側の応援席に陣取った。この席には、在留ミャンマー人とミャンマー大好き日本人が集まり、2回とも数百人が集まっていた。成績は1回目は3;0、2回目は5:0で日本チームの楽勝であったが、我々はミャンマー側のゴールのすぐ後ろにいたため、特にゴールキーパーをみんな大声で応援した。「アウン・アウン・ウー!」、「アウン・アウン・ウー!」と。ロンドンオリンピックのサッカーをTVで見ながら、今頃、彼は何を考えているのだろうか?

2012年7月30日月曜日

(1539)ASEAN会議、紛糾の背景には中国の存在感

  7月30日の朝日新聞の「風」欄に、同社アジア総局長の藤谷健氏が、標記のような見出しで書いていた。今月半ばアセアン会議がカンボジア・プノンペンの平和宮殿で開催された。焦点は南シナ海だった。フィリピンとベトナムが中国と対峙した岩礁や排他的経済水域問題の言及を要求したのに対し、議長国カンボジアが2国間問題であると反対し紛糾した。日本や中国、米国が参加した12日の東アジアサミット外相会議、ここでも米国と安保協定を結ぶフィリピンが、中国批判を繰り返した。カンボジアには中国の代弁者との疑惑の目が向けられる(以上概要)。太平洋国家を自認する米国と海洋進出を強める中国。アセアンの内部はこの2国間のパワーバランスに揺れており、将来、議長国となるミャンマーは、どのように対応するのであろうか。推移を注目したい。

2012年7月29日日曜日

(1538)ミャンマーの新聞一覧

  ウィキペディアで「ミャンマーの新聞一覧」を調べてみたが、日刊紙は下記の4紙。チェーモン(鏡):国営日刊新聞(ビルマ語)、ミャンマー・アリン(ミャンマーの光):国営日刊新聞(ビルマ語)、ニューライト・オブ・ミャンマー(国営日刊新聞(英語)、ヤダナボン(マンダレーの旧名で国営日刊新聞)(ビルマ語)マンダレーおよび上ビルマ地域の地方紙。一方、週刊もしくはジャーナル誌はアミィンティ(内務省特務局発行週刊新聞)(ビルマ語)初め19紙誌が紹介されている。さらに国外で発行されているミャンマー関連新聞としては、ミッツマニュース(Mizzima News)(亡命ビルマ人ジャーナリストによるマルティメディア紙(本部インド・デリー)他3紙が紹介されていた(以上概要)。国内発行の新聞・雑誌の検閲が今年3月に廃止され、民主化がスタートした印象が強い。

2012年7月28日土曜日

(1537)スーチー氏排除の規定あだ

  世の中こんなこともあるんだなあ。7月26日の朝日新聞によれば、標記の見出しとともに「副大統領人事決まらず」の見出しが飛び込んできた。健康上の問題で辞任したティンアウンミンウー氏は守旧派の代表格で、テインセイン大統領と意見が合わないとされていたが、その後任としてやはり守旧派でヤンゴン管区首席大臣のミンスエ氏が推薦されていた。ところが彼の娘婿がオーストラリア国籍を取得していたことが判明。正副大統領の資格要件として、配偶者や子、子の配偶者は外国人または外国の影響があってはならないと憲法で規定されている。この規定は、夫や子供が英国籍のスーチー氏を正副大統領に就任させないために、設けられたと言われている。このような憲法項目を知らない議員が大勢いることには驚きだ。どのように決着がつくのか要注目。

2012年7月27日金曜日

(1536)船中八策 ⑦「ビザ」か「在留資格」か

  いま朝日新聞の社説欄で、ミャンマー問題(1996年~2012年)に関連している記事を収集しており、現在のところ42件が得られている。その中で一つ気になるタイトルを見つけた。1999年4月7日の「ビザと命、どちらが重い」という外国人医療に関する社説。内容は日本に在留する正規の滞在資格を持たない外国人が、病気になった場合、国民健康保険に加入できないため、症状が悪化してから診察を受けるため、重症化し費用もかさむ。患者の足はますます遠のくが、「ビザ」よりも大切なものはあるというもの。文脈から見て、ここで「ビザ」を使うのは間違いであり、文中にある「在留資格」を使うべきと思う。本件は今日朝日新聞社の相談室に問い合わせ、返事をいただくことをお願いした。なおこの問題は今年7月改定の「在留カード」の問題にも関連している。

2012年7月26日木曜日

(1535)久しぶりのきらく会ビアナイター

  「きらく会」というのは私が勤めていたライオン研究部のほぼ同期の集まりで、約60年間付き合ってきた仲間だ。平均年齢82歳ぐらいか、12人中4人が欠席、残り8人が極暑の中「ビアステーション恵比寿」に集合した。ここは恵比寿ビールの工場の跡地であり、子供のころ山手線に乗ってビール瓶の木箱を山のように積んであった風景を思い出す。恵比寿駅から会場までは「動く歩道」で繋がっており、足の悪い私には最高のもてなし。この「動く歩道」の管理者は誰だろうとの質問も出たが、誰もわからない。80代の老人の会合では、鳩山元首相や各大臣へのバカ呼ばわりに始まり、オスプレイの配置賛成とか、原発再開絶対反対など、あまり進歩は見られない。最後の方で、海外旅行(特にタイ・ミャンマー)の話が出たが、恵比寿でフウフウ言ってる私には無理だ。

2012年7月25日水曜日

(1534)テレビ放映 アジア最後のフロンティア

  昨日夜7時のテレビで、アジア最後のフロンティア・ミャンマーという番組が放映されていた。出席者はハニーズ江尻社長と日経記者、最初はミャンマーの紹介で、高田馬場のビルマ料理店「ヤンゴン」も紹介されていた。最近軍政が民主化に舵を切り替えたため、日本を含む世界の企業も続々ミャンマーに進出し始めている。ハニーズは婦人服の店舗を世界に1200も有しており、従来中国が主な生産地であったが、人件費が高騰してるためミャンマー進出を決めた。いま従業員は370人だが、9月には千人、3年後に3千人を予定。従業員は真面目で識字率も高く、高品質の製品を出荷できる。日経記者は、ミャンマーはチャオピュー、ティラワなどの経済特区構想があり、地理的には欧州に近く輸出に便利。問題はインフラが未整備で、許認可に時間がかかる点。

2012年7月24日火曜日

(1533)私の船中八策 ⑥「真の自治か真の融和か」

  ミャンマー問題を論ずる場合、民主化が最大の争点ではあるが、もう一つの争点に少数民族問題がある。各少数民族は「真の自治」を目指しているが、これも一つの見識であろう。しかし、同一国内に目標の違う民族が存在し、資源も偏在している現状を見れば、「真の自治」は将来トラブルが発生する引き金になる恐れが十分予測できる。この際各少数民族は、「真の自治」を目指すよりも、「各民族間の真の相互融和」を目指したほうが、百年後のミャンマー社会を夢見るうえでも合理的ではなかろうか。どちらも難しい問題だが、各民族がにらみ合うのではなく、相互に助け合う環境づくりにミャンマー政府もスーチー女史も、日本をはじめ世界各国も、知恵を出してほしい。【注】この項を掲載したため、(1527)の内容はロヒンギャ問題に特化するよう内容を変更する。

2012年7月23日月曜日

(1532)リーダーたちの群像 スーチー氏

  7月23の朝日新聞の「リーダーたちの群像」欄にスーチー氏が登場、「妥協受入れ前進」と紹介されていた。スーチー氏は今月10日、国会議事堂の前でUSDP幹事長のテーウー氏と出くわした。2003年のスーチー氏襲撃事件への関与が疑われている人物だ。反目してきた二人も、これからは日常的に国会で顔を合わす。「互いに協力することが物事の成功につながる」(テーウー氏)、「皆が国民和解と民主化の実現のために努力することが重要」(スーチー氏)。またスーチー氏は、議員の就任宣誓文拒否は自分のミスと認め、「軍政を利するだけ」と批判していた外国からの援助や投資も「人権や民主化に資するなら」と呼びかけに変更。一方テインセイン大統領も「15年までにGDPを3倍に」と目標を口にした。立場の異なる二人が、ミャンマーを前に進めている。

2012年7月22日日曜日

(1531)読了113冊目:「白衣の天使」

  副題は「ビルマ最前線 従軍看護婦死闘の手記」、宮部一三編、1982年・叢文社発行、319頁、1600円。本書は数十人のビルマ派遣従軍看護婦生存者の手記を集めて一冊にまとめたもの。終戦の2年前、敗色濃い状況の中、日本赤十字社のうら若き看護婦2百余名が、出身地別に分かれてビルマに派遣された。静岡、岐阜、石川、広島、和歌山、愛媛、佐賀、熊本(各20人編成)の各班で、ラングーン、メーミョー、カロー、メイクテーラなど各戦線に配属された。無謀なインパール作戦の結果、敗残兵となった兵隊が食料の無いまま山を越え川を渡り、タイ側に敗走、蛆の湧く傷病兵を看護しながら、従軍看護婦も敗走を続けた。終戦後捕虜となっても、看護活動を続けていたという。この手記集は何人もが同じ場面を書いており、真実そのものと言えよう。感動だ。

2012年7月21日土曜日

(1530)私の船中八策 ⑤難民保護庁を設立せよ

  2009年8月、日本の総選挙の際、当時の自民党は「仮放免申請者や難民認定申請者を、我が国にいて欲しくない人間」と決めつけ、この件で私は自民党が大嫌いになった。私は日本に住む住民として、当然共生の考え方で進むべきと考えている。一方民主党は、10年10月28日に、黒岩法務大臣政務官が「民主党のインデックスでは、先進国中最も冷たく厳しいといわれる日本の入管・難民認定行政を改めるために、難民認定行政を法務省から切り離し、内閣府外局に難民認定委員会を設置するとともに、彼らの生活支援の法的規定を整備する」と明言。8か月後の11年6月21日のジャパンタイムス紙上にも、同氏による同じ発言が掲載されている。北村入国管理局認定室長も、「政府は基本的に与党民主党と同じ方向」とコメント。政府は実行して欲しい。

2012年7月20日金曜日

(1529)船中八策 ④大麻の栽培を中止せよ

  最近麻薬に関連する事件が多い。今日も麻薬を服用して自動車事故を引き起こした事件が報じられていた。麻薬と言えば、アフガニスタンと並んで、ミャンマーが有名である。例のゴールデントライアングルでの大麻の栽培は、毎年撲滅したといわれるが、暗黒の世界は今も続いているようだ。少数民族であるワ族の民兵が武器を持って管理してると聞く。原住民の収入は僅からしいが、いったん国外に出ると価格は急騰するという。大麻栽培は麻薬患者を増やすだけであり、悪徳業者=闇の社会をのさばらすだけだ。百害あって一利なしだ。ミャンマーの新政権は、掛け声だけでなく、大麻栽培の根絶に力を入れるべきだ。全世界の人類の健康のために。必要なら国連の力を借りたらよい。以前、日本も大麻の代替物として、蕎麦を植えたことがあったが、失敗している。

2012年7月19日木曜日

(1528)私の船中八策 ③アムネスティの実施を

  ミャンマーの友人(難民申請中)が、私に仮放免許可証を見せてくれた。3か月ごとに入管に出頭して、許可の判を貰うのだが、すでにその判は20個ほど並んでいた。ということは、すでに5年も経過し、その間は就労不可という厳しい状況だ。現在、一次審査段階で800人、異議段階で2600人、ビルマ人に限れば合計1700人前後が未決の状態だ。私の知人だけでも、数人がこのような悲惨な状態のまま在留している。法務省に聞いてみても、そのような外国人の存在を認めており、支援は知人に頼むか、難民事業本部に頼むかなど、常識的な回答しか得られない。外国人が日本の法律を忠実に守って生活すると、餓死するかもしれないのだ。人道・人権問題として許されることではない。異議申し立て以降の迅速な審査、およびアムネスティ(恩赦)の実施を望む。

2012年7月18日水曜日

(1527)私の船中八策 ②少数民族問題の解決を

  大阪の維新の会が元気だ。綱領の「船中八策」も輝いて見える。私も橋下市長と年齢が近いので負けてはいられない。昨日から「ミャンマー問題・船中八策」に挑戦中だ。ミャンマーの場合、民主化問題はよい方向に進みつつあるが、もう一つの問題である少数民族問題が見えてこない。ビルマ族と非ビルマ族との格差是正など、難しい問題がある。現在上院でどのような審議がされているのか、伝わって来ない。この点が解決できないと、真の連邦制と言えず、将来に禍根を残す。今や軍政側と、NLD側が協力し合う時代、この機会に「民族平等」を徹底的に議論してほしい。なおもう一つ、ロヒンギャ問題も解決してほしい。しかしこの問題は、スーチーさんも触れることが難しい問題だ。あるいはイスラム教徒の多いアセアンとして、第三国定住の形で解決できないか。

2012年7月17日火曜日

(1526)私の船中八策 ①ミャンマー大使館よ

  きょうも暑い。思考能力がますます低下している。そんな中、ミャンマーが民主化に進んでいることは嬉しい。知人のミャンマー人の多くは、反軍事政権の立場の人が多いが、そろそろ帰国を考えだしている人もちらほら。本国では、スーチーさん初めNLDのメンバーが、自由に発言できる環境に変わってきた。内心警戒しながらも、母国の家族のもとに帰りたい人が増えて当たり前だ。しかし彼らの前に大きく立ちはだかっているのが、通称【税金】問題、1か月1万円の割で在日月数に従って大使館に支払わねば、帰国事務は進めてくれないという。日本に10年(120か月)いた人は120万円となる。最近は【寄付金】に性格が変わり値引き可能と聞くが、真実は闇の中。ミャンマー大使館さんよ、本国政府と同じように、在日難民に対しても、扉を大きく開いたらいかが。

2012年7月16日月曜日

(1525)膨大な資料の活用法

  いま私の手元には朝日新聞の1996年以降のビルマ・ミャンマー関係の記事がほぼ完全にスクラップされている。その見出し集は「みんがらネットワーク会報」の創刊号から最近発行予定の38号まで毎号掲載されており、総件数は2500件に及ぶ。近くその第1集を例のごとく自費出版の形で出版する予定だ。ただ集めるだけではあまり意味がないことに思い付いた。何かテーマを作ってまとめてみたい。そこで気が付いたのが、ビルマ・ミャンマーに関する16年間の朝日の社説集だ。集めてみると42件もあった。民主化に向かって突然走り出した同国の政治を予見できたのか? 民主化だけでなく、もう一つの「少数民族問題」に朝日はどう考えていたのか、現時点では失敗と思われる「第三国定住問題」にどのような展望があるのかなど、社説から調べてみたい。

2012年7月15日日曜日

(1524)読了112冊目:「ビルマ独立への道」

  副題は「バモオ博士とアウンサン将軍」、著者は根本敬(上智大学教授)、2012年4月・彩流社発行、209頁、1800円+税、なおこの書籍は、「15歳からの伝記で知るアジアの近現代史シリーズの第2巻に該当。プロローグ(時代背景)、第1部バモオ博士(ビルマ初の博士が歩んだ苦難の道)、第2部アウンサン将軍(32歳で散った悲劇の英雄)、第3部(戦後のビルマと日本)、さらにアウンサンスーチーの思想、エピローグと続く。この本は中高生向きとあるが、やさしくきれいな日本語で書かれており、読みやすい。著者の得意な「抵抗と協力のはざま」(拙著「ミャンマー関連書籍101冊紹介・あらすじ集」のA-3参考)によって、それぞれの人物、歴史が「抵抗」と「協力」の両面から解析されており、よく理解できる。民政ビルマ、いまこそ日本との歴史を振り返る時だ。

2012年7月14日土曜日

(1523)在留管理制度スタート 自治体で差が

  7月9日から新制度がスタートしたが、地方自治体にはあまり徹底してないようだ。群馬県の場合(毎日新聞7月10日)、伊勢崎市はこれまで不法滞在でも所持できた外国人登録証を持っている人を対象に、母子手帳の交付や予防接種を行ってきたが、今後はサービス提供は困難という。高崎市でも、今後は何もなければ受けられないとしている。一方共同通信社(7月14日)も不法滞在者はサービスの対象外と誤解している自治体が少なくないという。市民団体が行った調査では、住民登録がなければ不可とする回答が46%に達している。このままでは市町村窓口で、不当なサービス拒否が起こるのは避けられないと悲観的に述べていた。最近私の周辺でも、入管から予備調査の書類が送られているようだが、その取扱いに戸惑うミャンマー人の声が聞こえてくる。

2012年7月13日金曜日

(1522)ミャンマー進出追い風

  7月13日の朝日は、表題の見出しのほか、「米の投資解禁で懸念減」と報じた。米企業によるミャンマーへの投資が、11日原則として解禁された。有望市場を巡る競争が激しさを増す一方、ミャンマーが米政府のお墨付きを得たことで、日本企業もビジネスがしやすくなる利点がある。2011年度末における国別の直接投資残高は、中国202億ドル(50%)、タイ104億ドル(26%)、韓国(29億ドル(7%)、英国19億ドル(5%)。米企業としてはコカコーラやGEが進出を検討しており、米欧企業が参入すれば、競争は一気に激しくなる。日本企業としては、ローソンや、NTTデータなど進出を狙う企業にとっては脅威だが、米国に気兼ねせずにビジネスができる利点は大きい。ただ、まだ法整備が不十分であり、進出に躊躇してる企業も多い。法整備が急務だ!

2012年7月12日木曜日

(1521)スーチー氏 議員活動本格化

  7月10日の朝日には、標記見出しのもと写真入りで紹介されていた。ミャンマーの野党NLDのアウンサンスーチー党首が、9日国会審議に初めて出席し、議員活動を本格的に開始した。この日は議場での発言はなく、他の議員の質疑や法案に関する説明に耳を傾けていた。国会内の記者団に「国のために全力を尽くしたい」と語った。スーチー氏はNLDが圧勝した4月の国会補欠選挙で下院議員に当選、5月に国会で宣誓して議員に就任したが、会期最終日だったため、今国会が実質的な議員活動開始となる(以上)。私はこの紙面を見て、何かそぐわない感じを覚えた。野党議員はまだごく少数、多数与党である軍人やUSDP議員に囲まれて、どこまで意見が通るのだろうか。一歩前進と言えばその通りだが、NLDが過半数を占める迄には長い時間が必要だ。

2012年7月11日水曜日

(1520)在留管理国に一元化 無資格者の人権配慮課題

  7月9日の朝日新聞夕刊は、改正入管法が施行された旨報じた。60年続いた自治体発行の外国人登録証明書が廃止され、国が発行する「在留カード」に切り替える。国が情報を一元的に管理することで、不法滞在者を減らす狙いがある。一方で在留資格のない外国人が、人権上の配慮で認められてきた教育や医療から排除されかねないとの懸念も指摘されている(以上概要)。私は3年前、この制度が国会で審議された時、難民申請中の仮放免者(不法滞在者)が、見えなくなる法律には反対である旨、国会の民主党議員室を回り訴えた。しかし結局は民主党議員は役に立たないことを理解できた。入管は不法滞在者の一掃を図るが、難民申請者は母国に帰国できない。難民申請してから3年以上経過しても、入管から連絡のない人が多い、就労不可のままだ。

2012年7月10日火曜日

(1519)読了111冊目:「ビルマの風鐸」

  副題は「日赤従軍看護婦が見たビルマ最後の日」、「太平洋戦争深発掘」、著者は福田哲子(元日赤ビルマ従軍看護婦広島班婦長)、1996年11月・叢文社発行、271頁、1800円。この本は、「重傷は捨てて逃げよとの命令を聞きつつ背負いき足なき兵と」という短歌に始まる。第1部は和歌山日赤救護班、第2部は同広島班の苦難の退却の様子をまとめ上げたドキュメントである。一班は二〇人の看護婦から編成されている。医療設備がなく、武器もなく、食料もない状態での逃避行であり、かつ、制空権が完全に英軍側に奪われ、連日のような空爆、そして豪雨との戦いでもあった。現地で終戦を迎え、英軍の施設で手厚い介護を受けた状況も明らかに描かれている。また現地ビルマ人が親日的であったことにも救われる。今の若い女性たちに読ませたい一冊。

2012年7月9日月曜日

(1518)ミャンマー 音楽も解放

  7月7日の朝日夕刊に、 「ミャンマー音楽も解放」、「国立交響楽団復活コンサート」、「指揮者の福村さん指導」との見出しが並んでいた。軍事政権の権力争いから、対外活動の休止に追い込まれていたミャンマー国立交響楽団が、今月復活公演を計画している。指導するのは日本人指揮者の福村芳一さん(66)、「名実ともに国を代表するオーケストラに育てたい」と意気込む。交響楽団の設立は、2001年9月、軍政の実力者キンニュン第一書記が発案、主導し演奏会などを開いていた。だが3年後にキンニュン氏が失脚し、自宅軟禁されて以来、公的活動はできなくなり、存在自体がタブー視された。今年1月、政治犯の多数釈放に合わせキンニュン氏の軟禁も解除、福村さん指導のもと、交響楽団の活動も再開された。7月13日にはヤンゴンで演奏会が開かれる。

2012年7月8日日曜日

(1517)在日ビルマ・ロヒンギャ協会からのデモの案内

  ビルマ市民フォーラム経由でBRAJ(在日ビルマ・ロヒンギャ協会)より、明日、デモ開催の案内が流れた。「アラカン州でのあらゆる衝突をやめ、避難民を守れ」という趣旨で、概要は以下の通り。日時:2012年7月9日、①13時~14時半、在日ビルマ大使館前、②15時~16時 国連大学前。5月28日にアラカン州で、アラカン族の少女がムスリムの少年3人に暴行、殺害されたことをきっかけに、アラカン州各地で襲撃や放火、殺人などが起きている。テインセイン大統領は、6月10日に非常事態宣言を出した。ビルマ政府は6月24日の時点で、死者78人、負傷者87人と発表、多くの住民は恐怖と飢えに苦しんでいる。要望は、①即時の衝突の停止、②国連調査団の受け入れ、③避難民への支援(以上)。在日ロヒンギャグループによる抗議行動は珍しい。

2012年7月7日土曜日

(1516)読了110冊目:「移民・難民の病を防ぐ」

  著者は港町診療所の山村淳平先生、2012年6月発行、注文先はCTIC(カトリック東京国際センター)、前半が日本語版で71頁、後半が英語版で73頁、英語版は裏表紙から読むように工夫されている。定価がまた面白い。日本語版の最初の頁に頒価500円と印刷してあるが、英語版には記載がない。移民・難民には無料でもよいという趣旨と聞く。内容は、第1章:あなたも医療相談の支援を、第2章:移民・難民の病、第3章:次世代に健康をつなぐとある。著者は長年にわたり難民への面会(診療)活動を続けており、私も牛久の入管ではしばしばお目にかかる機会があり、その都度感動を受けていた。面会を受けた難民らもその後一様に感謝の言葉を述べていた。本書はそれらの活動をもとにしたものであり、前作「壁の涙」、「難民への旅」と共にお勧めしたい。

2012年7月6日金曜日

(1515)ラカイン州 民族対立 報復の嵐

  7月6日の朝日に、標記の見出しのほか、「襲撃や放火、死者78人}の見出しが並んでいた。ミャンマー西部ラカイン州(前のアラカン州)でイスラム系と仏教系の民族対立が激化してから1か月になる。非常事態宣言が出されたものの、治安回復のめどは立っていない。5月28日に州中部の村で、ロヒンギャ族3人がアラカン族の仏教徒女性に暴行し殺害した事件をきっかけに、襲撃や放火などが州内各地に広がった。6月3日にはアラカン族がロヒンギャ族が乗ったバスを襲撃し10人を殺害、テインセイン大統領は10日に非常事態宣言を発表、報道を規制した。6月24日時点での死者は78人、3千棟の住宅が焼き討ちなどで破壊、5万2千人が家を失った。ロヒンギャ族はラカイン州に80万人、バングラデシュに20万人いるとされる(以上)。第3者の介入が必要だ。

2012年7月5日木曜日

(1514)改正入管法施行(毎日新聞)

  7月5日の毎日新聞の「記者の目」欄に、同社西部報道部の河津啓介記者が書いた、改正入管法に関する問題点を読んだ。見出しには、「『管理』より『共生』で受け入れを」、「罰則厳しく出国処分も」、「『非正規』排除制度の死角に」というフレーズが並んでいた。4日後の7月9日にこの法律が施行される。問題として取り上げているのは、①住所の無届期間が90日を超えると出国処分を受ける点、しかし自治体に登録した住所と現住所が異なっている例が多く、5月以降あて先不明で戻ってきたのは20政令都市で約7%という、猶予期間として3年は必要であろう。②国は非正規在留者にも最低限の権利は保証するという。ならばなぜ住民登録から排除するのか。③日本は単純労働者は受け入れないとしているが、「実習生」はよろしいというごまかしを続けてる。

2012年7月4日水曜日

(1513)人権侵害に苦しむ雲南省のカチン難民

  ヒューマン・ライツ・ウオッチの6月27日の情報によれば、ビルマから逃れたカチン難民数千人が中国雲南省で孤立している。中国政府は、直ちに一時的保護を提供するとともに、これら難民への制限なきアクセスを認めるべきである。中国は、難民を強制送還したり、食料や住居を提供せずに、放置してはならない。雲南省のカチン難民は、十分な避難所や食料、飲料水、衛生設備がなく、大半の子供は学校に通えない。2011年6月、カチン州にある中国が建設する水力発電ダム付近で、ビルマ国軍とカチン独立軍(KIA)との戦闘が始まり、約7万5千人が土地を追い出された。国連は3月から6月にかけて、3回輸送隊を派遣したが、中国政府は一切支援していない。カチン難民が平和に帰宅できる日まで、中国政府は、難民の安全と福祉を保障する義務がある。

2012年7月3日火曜日

(1512)ミャンマー投資拡大へ官民委設置提案へ

  7月2日の日経電子版は、標記の件を日緬外相会議で提案すると報じた。政府はミャンマーへの民間投資を増やすため、両政府関係者や産業界の代表者が集う委員会を立ち上げる。玄葉光一郎外相が2日午後にミャンマーのワナマウンルウイン外相と会談し、委員会設置を提案する。産業界の要望をくみ上げ、ミャンマーへの投資環境を整える狙いがある。新たに設置するのは、「日本・ミャンマー共同イニシアティブ」。日本側は外務・経済産業両省など関係省庁のほか、日本貿易振興機構(ジェトロ)、国際協力機構(JICA)など政府系機関、民間からは現地の商工会議所の代表が参加する。ミャンマーは民主化の進展に伴い、発電所や道路などインフラ需要が高まる見通しで、米国や韓国などが投資の強化を急いでいる。日本も投資協定の今秋締結を目指す。

2012年7月2日月曜日

(1511)読了109冊目:「アウンサンスーチー」

  副題は「変化するビルマの現状と課題」、根本敬・田辺寿夫共著、2012年6月・角川書店発行、239頁、781円+税。内容は第1部と第2部に分かれており、第1部は「アウンサンスーチーとビルマの政治」(根本敬著)で、「ビルマの変化とアウンサンスーチー」、「アウンサンスーチーの歩みと思想」、「アウンサンスーチーとビルマの未来」がやさしく解説されている。第2部は「ビルマ人と日本人」(田辺寿夫著)で、「日本に生きるビルマ人」、「日本から見たビルマ、ビルマから見た日本」、「東日本大震災と在日ビルマ人」、「日本とビルマの未来」がウ・シュエバ流に描かれており分かりやすい。最近ミャンマー政府が民主化に大きく舵を切ったが、大勢が半信半疑で変化の行方を見つめている。この時期に本書が出版されたことは、タイミングがよく、一読をお勧めする。

2012年7月1日日曜日

(1510)在日ミャンマー難民の揺れ動く思い

  6月28日のFNNニュースは、「日本に暮らすミャンマー難民の揺れ動く思い」を流した。ミャンマーで動き出した民主化を複雑な思いで見つめる難民の声だ。その一人、ナン・センさんは、父がKIAのスパイと思われ軍事政権に殺され、いまもカチンでは紛争が続いている。彼女は今の状況ではまだ帰れないという。一方、タンスエさんは、中学2年生の長女と、小学2年生の次男がいる。タンスエさんはいつかミャンマーに帰りたいというが、長女は「言葉が通じないので、日本に残りたい」と話す。タンスエさんは「家族がまたバラバラになっちゃうかな・・・」と。そして「軍事政権が昔のように戻ってこないように日本も力を入れて、世界と一緒に、ビルマの民主化を応援してほしい」と続けた(以上概要)。ミャンマー大使館はまず在日ミャンマー人の悩みに応えるのが筋と思う。