2010年9月30日木曜日

(871)水曜日のデート 初めて杖使用

(2010年9月30日)

  昨日は恒例水曜デートの日、ここ2週間左足のふくらはぎが痛くて、歩くのが辛かった。4日前に医者に診てもらい薬を服用していたが、心配なので杖をつくことにした。この杖は昨年秋、私の誕生日祝いの際、お祝いの品として皆からいただいたもの。今まで使うチャンスがなかったが、昨日は家から杖をついて出発、左足に違和感があるもののそれほど痛くはない。東京入管では3人の女性と面会、3級の漢字教科書を渡した。そのお礼というか、初歩のビルマ語を教えてくれた。帰路、今度は杖なしで歩いてみたが、往路同様あまり痛みは感じなかった。バンザイ! 途中錦糸町駅で下車、Sさんとコーヒーを飲む。いろいろ彼女の悩みを聞いてあげた。さて今日はこれから津田沼中央病院に行き、先日行った針生検による前立腺jガンの結果を家内と一緒に聞きに行く。白と出るか、黒と出るか。明日のブログお楽しみに。

2010年9月29日水曜日

(870)ようこそ3家族18人 でも心配

(2019年9月29日)
  28日カレンの3家族18人が第三国定住の第一陣として成田に到着した。空港には在日カレン人が前日からの宿泊者を含め約50人がそれぞれ民族服を着て出迎えた。参加したNさんからの報告によれば、子どもたちはとても緊張していたという。生まれてからずっと山の中のキャンプで育った彼らが、突然大都会に放り出された感じであり、いま暫くは緊張の連続であろう。報道によれば、親たちは笑顔が溢れていて「不安よりも日本に来られた嬉しさの方が大きい」と語っていたという。先日も指摘したように、受け入れ側は情報不足で支援しようにも動きが取れないようだ。きょうの朝日新聞によれば「難民の身の安全やプライバシーを守る」ため年齢、氏名、研修場所などすべて非公開と外務省人権人道課は言う。何かおかしい。外務省は支援団体の協力をあまり望まないのか。一部極右の嫌がらせが怖いのかも。

2010年9月28日火曜日

(869)異郷に生きる難民はいま②

(2010年9月28日)
  昨日に続き27日の記事概要。◎94年に来日したトルコ系クルド人、今年5月に在特を取得したが、難民に認定されたクルド人は皆無。トルコと日本は友好関係にあり、難民と認めることは日本がトルコ政府の迫害を認めることになると弁護士は言う。◎中国・ウイグル族の一人は難民申請しようとしたが仲間は「「危険だ」という。日中国交正常化以降難民認定を受けた中国人は3人(以上)。次はきょう28日の記事で第三国定住を実施してる海外の様子だ。◎オランダでは毎年500人のミャンマー人などの定住難民を受け入れているが、最初の4-6ヶ月はセンターで過ごす。センターを出るとき、難民は定住地を選ぶことはできないが、自治体が任命した人物が日々の手助けをする。入国5年以内にオランダ語やオランダ社会に関する試験を受け合格すれば永住権がもらえる(以上)。今朝カレンの18人が成田に到着する。

2010年9月27日月曜日

(868)異郷に生きる難民はいま①

(2010年9月27日)
 明日(28日)にはいよいよ第三国定住のためにビルマ・カレン人5家族が成田に来るが、それにあわせて昨日(9月26日)から朝日新聞38面で「異郷に生きる難民はいま」という3日間の連載が始まった。第1回目の記事の概要は以下の通り。◎タイ難民キャンプから来たラオス難民Aさんは3ヶ月間定住促進センターで日本語を習っただけ、定住28年になるが日本語が壁となり、仕事や暮らしが困っている。◎81年にボートピープルとして来日したベトナム人のBさん、仕事を紹介され丸亀市に転居したが、同郷の人はおらず心細くなり、多くのベトナム人の暮らす神戸に戻ってきた。◎カンボジア難民のCさんは昨年12月松本市で行われた難民受け入れのシンポジウムで「生活が苦しい外国人労働者が多いのにさらに難民を受入れるのか」との冷たい反応が(以上概要)。今回の受入れ態勢が心配、改善してほしい。

2010年9月26日日曜日

(867)ビルマ今週のニュース(1035号)

(2010年9月26日)
BURMAINFOのニュース1035号から抜粋。 ★国連によるビルマ「人道に対する罪」調査委の設置に関し、フランス、オランダ、ニュージーランドなど数カ国が新たに支持して計10カ国に。 ★カレン民族同盟(KNU)など8つの少数民族武装勢力は22日国連調査委設置の支持を発表、委員会が設置されればこれら武装勢力の行為も調査対象となる。軍政代表は「わが国で人権侵害は起こっていないので調査の必要はない」と発表。 ★投票日を前にしてビルマでは多数の総選挙関連の人権侵害が発生、ビルマ人権記録ネットワークでは60件の状況を発表(市民に対しUSDPに寄付するように脅迫した事例など)。 ★第三国定住制度のもとで日本に来るビルマ難民5家族が22日メーラ難民キャンプを出発、28日に日本に到着する。 ★国際危機グループ(ICG)が21日中国のビルマ戦略について報告書を発表した。

2010年9月25日土曜日

(866)ある母親(Nさん)のお葬式

(2010年9月25日)
  5月~8月ごろ品川入管で面会していたMさんから昨夜電話が入った。彼女のお母さんNさんが肝臓がんのため亡くなったという悲しい報せだ(788参照)。相当以前から肝臓がんを患っていたNさんは、ずっとMさん夫婦と一緒に暮らしていたが、5月のある日、夫婦ともに突然入管に収容され、病弱のNさんは独りだけの生活を余儀なくされてしまった。実に血も涙もない入管の仕打ちだ。面会の際彼女と話していても、母親の様子がとても気にかかっていたようだ。実は面会していたとき、Nさんの話が出て10年ぐらい前に私は何回も彼女にお会いしていたことが初めて分かった。きょうそのNさんの葬儀が幕張本郷の葬議場で行われた。参列者は6・70人、皆ビルマ人で、私の知人も大勢いた。花に囲まれたNさんの顔はとても美しく幸せそうに見えた。今後は天国から在日ビルマ人を温かく見守ってくれるに違いない。合掌。

2010年9月24日金曜日

(865)難民が暮らしたい国に??

(2010年9月24日)
  今朝の朝日に「第三国定住 難民が暮らしたい国に」という社説が掲載されていた。「28日にタイの難民キャンプで暮らしていたカレン族の5家族27人が来日する。彼らは都内のアパートから研修センターに通って日本語や習慣などを学ぶ。しかし半年程度の研修では不十分であり、在日ミャンマー人社会の助けがあるとしても自立は難しい。自治体やNGO、企業、教育機関が連携して一人ひとりの能力を開花させる「人づくり」の視点での支援態勢を築くべきだ。民主党政権の中に難民受け入れに取り組む司令塔が必要。少子化が進む日本は外からどんな人たちを受け入れ環境を整えるのか国家戦略が不在だ」と。(以上概要)。いずれももっともな指摘だ。ただ在日ビルマ人社会は自分たちの生活を守るのが精一杯であり、新旧難民の格差発生も心配だ。受入れ自治体が未定なのはなぜか? 情報発信も少なすぎる。

2010年9月23日木曜日

(864)水曜日、いつもは意気揚々 だが

(2019年9月23日)
  昨日は水曜日、いつもだと意気揚々と品川に出かけるのだが、昨日はちょっと悲壮な感じで出かけた。家の中にいるときは、左足のふくらはぎの痛みはたいしたことなく、さすが湿布薬のインドメダシンさまさまだと感謝していた。しかし玄関に立つと、果たして入管までたどり着けるか不安がよぎる。家を出て10メートルぐらいは無事なんとか歩けたが、その後は先週同様痛み出した。バスに乗り、津田沼駅構内を歩くときはたぶん必死の形相だったろう。品川までの電車はいつも優先席に座れるのだが、昨日は6席とも先客がありがっくりしたが、見かねたのだろう、中年女性が席を譲ってくれた。昨日ぐらい嬉しく感じたことはない。腰掛けていれば痛みは消える。品川駅構内は通路が長くまたまた苦行難行の連続。やっと入管にたどり着き美女3人と面会、ここで痛みが吹っ飛んだが、帰路はまたまた同じように辛かった。

2010年9月22日水曜日

(863)ロヒンギャー族 世にも不思議な物語②

(2010年9月22日)
  引き続きロヒンギャー問題について述べる。ビルマ・アラカン地方に住んでいるビルマ人(仏教徒)の知らないうちに、数十万人単位の外国人(イスラム教徒)が忽然と現れるということは住民にとって脅威な出来事であった。正式にロヒンギャー族という名前が出たのは僅か60年前の出来事である。上智大学の根本教授は、①アラカン王国時代(14~17世紀)にベンガルやペルシャなどからの移住者の子孫、 ②19世紀の英領期以降のベンガル(チッタゴン)からの移住者の子孫、③1948年独立以降のベンガルからの移住者とその子孫 の三つの系譜があるとして、それぞれが結婚などで重なり合い、最終的にその一部が現在のロヒンギャーと名乗る民族になったのではと推測してる。ビルマ人の多くは①を除外して考えているようだが、果たして真実は? なお日本の裁判ではビルマ・ロヒンギャー族と称している。

2010年9月21日火曜日

(862)ロヒンギャー族 世にも不思議な物語①

(2010年9月21日)
  ビルマ人と話していて、全く話が通じない話題がある。ビルマのロヒンギャー族の話だ。日本人はビルマの少数民族と解釈してる人が多いが、ビルマ人はバングラデシュからの難民であり、ビルマ人ではないと言い張る。数年前、ロヒンギャー族の歴史的背景を説明する講演会があったが、その講演が始まると同時に聴衆のビルマ人が一斉に会場から出てしまったことがある。最近でもロヒンギャーの話題を出すと顔を背けるビルマ人が多い。ロヒンギャー族はビルマ西部のアラカン地方、及び国境を接してその隣のバングラデシュのベンガル地方に多く住み、人口は百万前後といわれ、宗教は全員イスラム教。両国政府ともロヒンギャー族は自国民ではなく不法移民として差別、虐待している。在日ビルマ人の多くは日本に来て初めて彼らの存在を知ったようだ。軍政と在日ビルマ難民の言い分が一致してる珍しい事例だ。

2010年9月20日月曜日

(861)ミャンマーの人権問題 国連の調査委で

(2010年9月20日)
  9月14日の朝日新聞の「私の視点」欄にヒューマンライツウオッチ日本代表の土井香苗氏が、「ミャンマー問題・人権確立を国連調査委で」と書いていた。ミャンマーでは半世紀以上にわたって国軍が深刻な人権侵害を犯してきた。民間人に対する意図的な攻撃、女性や少女への性暴力、拷問、少年兵の徴用、強制追放や強制移住、対人地雷の使用などだ。一方、カレン族、カレンニー族、シャン族、ワ族などの反政府武装組織も強制労働、少年兵徴用、地雷使用など、深刻な人権侵害に手を染めてきた。国連総会で19回も非難決議が出されたがミャンマー当局はやめる様子はない。国連特別報告者のキンタナ氏は国際法に違反する恐れがあるとして国連調査委員会設立を提案、既に欧米が支持している。日本政府も今こそ国連のミャンマー調査委員会への支持を表明し、人権問題でリーダーシップを発揮すべきだ。

2010年9月19日日曜日

(860)ビルマ総選挙 少数民族を排除

(2010年9月19日)
  昨日の週間ニュースでもお知らせしたが、朝日17日夕刊は、「少数民族を排除へ」、「総選挙への妨害を警戒」という見出しで選挙前の状況を報道していた。それによれば武装勢力を有する一部の州の一部の地域では「自由で公正な選挙を実施する見込みがない」として、投開票そのものを実施しないというもの。対象地域は、カチン、カヤー、カレン、モン、シャンの5州にある複数の地区とされ、ワ、モン、カチン族やカレン民族同盟が住む地域のようだ。軍政が各民族の武装組織を国境警備隊に編入するよう要請したが反発が強く、このまま総選挙に踏み切れば、妨害行為が起きかねないと軍政側が判断した模様だ。私は選挙前に国軍側が一斉に各民族の武装組織の掃討に動くものと予想していたが、総選挙前に紛争を広げることは軍政側に不利とみて、軍政側が降りた感じだ。公正で自由な総選挙は絶望的である。

2010年9月18日土曜日

(859)ビルマ今週のニュース(1034号)

(2010年9月18日)
  BURMAINFOのニュース1034号から抜粋。 ★選管委は8月に軍を退役したテインセイン首相や軍政ナンバー3のシュエマン氏らをUSDPの候補者として認めた。両氏の選挙区は首都ネピドーで、USDPと親軍政派の民族統一党(NUP)しか出ていない。 ★選管委はNLDなど政党登録手続きをしなかった、あるいは完了しなかった10の政党が解党されたと発表。国連事務総長は参加型の選挙を実施する環境を確保するよう軍政に呼びかけた。 ★国営メディアは16日少数民族が多く住むカチン、カレン、モン、シャン州の複数の選挙区で投票を実施しないことを発表。 ★選菅委はカチン州進歩党員14人が無所属候補としての出馬を認めないと発表。KSPP創設者が以前KIOの副議長であり、国境警備隊編入問題の報復と見られている。 ★カレン民族同盟(KNU)は国連平和デーの21日に一日停戦を発表。

2010年9月17日金曜日

(858)初めて見た シンシア・マウン医師の顔

(2010年9月17日)
  15日の朝日新聞の「ひと」欄で初めてシンシア・マウン医師の顔写真を見た。彼女の名前はビルマ関連では超有名人であり、「もう一人のスーチーさん」とも呼ばれており、私も10年前から名前は聞いていた。しかし恥ずかしいことにシンシアという名前から西欧系の人物かと思ったこともあったが、今回の写真で彼女は典型的なカレン女性(50歳)であることを知った。ビルマ・タイ国境のメータオ・クリニックの代表として、20年間ビルマ難民など貧困者を無料で診てきた。昨年は15万人以上が来院したという。彼女は語る。「軍政主導のビルマ総選挙の結果は皆分かっている、犠牲になるのはいつも貧しい人たちだけ、国民に選挙への期待はない。軍服を脱ぎ、組織の名前を変えても軍政は何も変わらない」と(以上概要)。選挙は11月7日、その前もその後もタイ側にあるこの診療所に来る患者が減ることを望むのだが。

2010年9月16日木曜日

(857)難民申請者を排除しないで!

(2010年9月16日)
  あと10日あまりでタイのメラ難民キャンプから5家族27人のカレン族の一行が成田にやってくる。9月7日の朝日新聞によれば、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日代表のヨハン・セルス氏は、「第三国定住は難民への適切な保護と人としての権利を与える『人間の安全保障』として重要な事業だ。今回日本が行うの第三国定住は3年間で約90名受け入れる予定だが、難民のための強力、かつ持続的な社会支援ネットワークが必要だ。第三国定住者の社会統合プログラムは、日本における難民の包括的な社会統合プログラムの発展を促す。日本では条約難民、再定住難民、在特者がいるが、例えば言語教育(6ヶ月間)は前二者に限られる。これらの人々のためになる社会統合政策が重要である」と(以上概要)。いま一番苦しんでいるのは難民申請者である。そこまで広げた社会統合政策を策定してほしい。

2010年9月15日水曜日

(856)ありゃ ふくらはぎが痛い

(2010年9月15日)
  きょうは恒例の品川デートの日、喜び勇んで東京入管に向かった。品川駅で降りてしばらく駅構内を歩いていると左足のふくらはぎに軽い痛みを感じた。まあ大したことは無さそうなので左足を引きずりながらそのままバス停に向かった。歩くときはビッコを引いていたので、見られた姿ではなかった筈だ。座っていれば痛いとは感じないから軽い筋肉痛と思う。ビルマ人女性4人に日本語問題集を差し入れて無事面会を終えたが、その中の一人は明日仮放免で出所するという。5ヶ月近い収容生活まことにご苦労様というほかない。帰途品川駅で2人のビルマ人と待ち合わせをしていたが、時間があったので駅構内のコクミン薬局でバンテリンパットを880円で買って店頭ですぐ左足に貼り付けた。2人との用件も無事終わり帰宅、さらにこのパットを貼り足したので少し痛みが和らいだかな。我が左足よ、明日は完治だよね。

2010年9月14日火曜日

(855)ビルマ今週のニュース(1033号)

(2010年9月14日)
  BURMAINFOのニュース1033号から抜粋。 ★中国を訪問中のタンシュエ上級大将は、8日胡錦濤国家主席と会談、胡主席は総選挙実施への支持を表明した。 ★軍政はワ州連合軍(UWSA)の支配地域があるシャン州東部に国軍兵士を派遣し、同地域から政府職員を撤退させた。 ★カチン独立機構(KIO)は国境警備隊問題が解決しない限り総選挙の投票所を設置させないと表明。 ★ビルマで「人権に対する罪」などが起きていることに関し、ハンガリー政府が国連による調査委員会設置を支持すると表明。 ★ビルマ人権記録ネットワークの報告書によれば、軍政は公式レートを使った会計操作によって財政赤字であるように発表しているが、実勢レートによって計上すれば対GDP比15%の財政黒字になると発表。 ★米政府は国連総会開催に合わせて24日に第2回目の米アセアン首脳会議を開催。

2010年9月13日月曜日

(854)活気消え漂う緊迫感 メソトの街

(2010年9月13日)
  朝日新聞によると、タイ北西部のビルマとの国境地帯(ビルマ側:ミャワディーの街、タイ側:メソトの街)の閉鎖が異例の1ヵ月半続いており、二つの街は活気が消え緊迫感が漂っているという。今まで短時間なら相互の街に行き来できたが、11月の総選挙を前に少数民族勢力への大規模な掃討作戦の準備と見られている。同紙にはメソトの街の風景写真も掲載されていたが、確かに国境の往来が途絶えていた。両国の交易がストップしたため、ヤンゴンでは日用品が値上がりしている由。もし掃討作戦が実施されれば、ビルマ難民がタイ側に流出して国境地帯の混乱が拡大する恐れがある(以上概要)。在日ビルマ人が難民申請をして特定活動の資格を得た人は、ご家族と会うために双方がこの国境地点まで出向き、涙の再会を果たしている有名な地点だ。今までと同様に平和で両国人で雑踏する街の再現を望む。

2010年9月12日日曜日

(853)日本難民調整委員会

(2010年9月12日)
  先日JLNR経由で、日本難民調整委員会(Refugees  Coordination Committee Japan/RCCJ)という団体から、9月26日に東京大学駒場キャンパスで難民円卓会議を開催する旨の案内状を受け取った。この団体がどんな団体であるのか興味があり、インターネットで調べたが、よく分からなかった。案内状には、日本に在留する難民と在留特別許可を得た人々によって構成され、彼らを代表していると書かれていた。代表するという言葉は重い言葉であり、在日難民+在特者はこの委員会の存在を全員理解しているのだろうか? 難民と聞くと私などはすぐビルマ難民を想像してしまうが、この円卓会議にはたぶん各国からの難民も入っているはずである。今月28日にはカレンの5家族27人が第三国定住として日本にやってくる予定だが、日本の難民政策向上のためにも在日難民の皆さん、頑張ってほしいな。

2010年9月11日土曜日

(852)あれれ おしっこが

(2010年9月11日)
  昨日に引き続き前立腺癌の検査(組織培養による生検)のその後を紹介しよう。14本の針を刺して組織を採取するので、副作用として「尿閉」が起こることは予測されていた。夜中の2時ごろ尿意を催しトイレに入ったが尿が一滴も出ない。経験したことのない人には分からないだろうが、実に苦しい。やむを得ずつい先ほどまでいた津田沼中央総合病院に飛び込み導尿、約10分で終わったが尿がパイプを伝わって流れ出るにつれ、苦しさもぐんぐん減っていく。心も軽く帰宅してベッドに入ったが朝5時ごろまたまたトイレで出ない。苦しい。再度津田沼中央総合病院で2度目の導尿、2回も続いたことは初めてなので、昨日14本もの針を刺した医師の意見を聞こうと待っていたが、医師も忙しく結局意見を聞けたのは夕方5時「西田さんの前立腺は巨大だ、いい薬があるのでそれを服用しよう!」と。今夜はちゃんと出てね。

2010年9月10日金曜日

(851)前立腺がんの検査

(2010年9月10日)
  すでに(830)で「癌かな? それとも単なる・・・・」で私の前立腺(女性にはない)のPSA値が30と異常に高いため、がん検診を行うことを述べたが、その日が今日だ。昨日から津田沼総合中央病院に2泊3日の予定で入院したが、実際には外泊、外泊で夜間は家に戻っていた。きょうは朝9時から全身麻酔のもと、前立腺に左右7本ずつ全部で14本の針を打ち込み、組織を採取した。何しろ眠っているのだから痛くも痒くもなかった。所要時間は約40分。なお私が一番気になっていた黄色靱帯骨化症による痛みもなく、病院のベッド(パラマウントベッド製)で問題なく過ごせることを発見したのは大きな収穫だった。さて癌か否かの発表は9月30日の予定、今も「どっちでもいいや」といった心境、それより(846)に記載した台形に並んだダイヤモンド状の膀胱結石の方が気になる。歳をとるということはいろいろ病気も出てくるな。

2010年9月9日木曜日

(850)共同通信社の力作「ニッポンに生きる」

(2010年9月9日
  共同通信社では今年の4月から「ニッポンに生きる」というテーマで、在日外国人の生き様を詳しく報道している。第1部:隣の外国人(6回連載)、第2部:隣の日本人(6回連載)、第3部:「働いて働いて」(5回連載)、第4部:「併合100年の韓国・朝鮮人」」(8回連載)、第5部:「難民鎖国」(5回連載)。現在は第5部が全国の地方紙に配信されているようだ。この連載記事には、カンボジア人、ブラジル人、パキスタン人、フィリピン人、韓国人、朝鮮人、中国人、エジプト人、バングラデシュ人、ペルー人、インドネシア人、インド人、ビルマ人、クルド人、ウガンダ人・・・・・・と各国から来日した外国人を広く取り上げている。私は「日本に生きる外国人」といえばビルマ人を思い浮かべてしまうが、この共同通信社の大作を読むとまさに「井の中の蛙」であることに気付く。しかし私は高齢過ぎるので今後もビルマ人に注目していく。

2010年9月8日水曜日

(849)品川駅前のデモ隊

(2010年9月8日)
  きょうは水曜日、品川デートの日だ。全然予測してなかったが朝から台風、激しい雨が降り続きビックリした。風雨は強いがおかげで涼しく、昨日までの酷暑はウソのよう、熱中症対策用のお茶入りボトルはきょうは必要なかった。実はAさんが仮放免延長の日だが書類がないというので、私が朝10時半から入管に行き書類を渡す。その後ビルマ人女性4人との面会も無事終わり、Aさんと品川駅に着いたとき、バス停の前の広場には外国人の人だかり、ゼッケンを見ると牛久の会などと書かれており、日本人のTさん、Kさん、Mさんら懐かしい顔が揃っていた。これから東京入管までデモ行進をするという。激しい風雨の中、まことにご苦労さまである。ビラには、入管は再収容をやめろ! 長期収容を許さないぞ!  外国人への人権侵害をやめろ! 医療体制を改善しろ! 重病人を解放しろ!などなど。尤もな内容だと思う。

2010年9月7日火曜日

(848)正真正銘の「正夢」だった。

(2010年9月7日)
 先日Aさんが見せてくれた入管からの呼び出し状の件で、「正夢であってほしい」と9月1日のブログ(842)に書いたが、昨日朝10時に彼女から電話が入り、弾んだ声で「先生! 1年の特定活動を貰いました。ありがとうございました」と。私は彼女から呼び出し状を見せて貰った瞬間、99%在留特別許可は貰えるなと思ったが、1%の不安は残っていた。この夢のような嬉しさが、正真正銘の「正夢」になったのだ。彼女は日本に数少ないP族の出身であり、今後は在特者として日緬融和を目指すであろう。それから私自身にとっても嬉しいことに保証金30万円が法務省から戻ってくるのだ。現在私はビルマ人十数人の保証人を引き受けているが、約半数は私が保証金を支払っている。ただ私も体調が万全でないので今後新規の保証人は残念ながら引き受けられない。私が保証人をしているビルマ人の皆さん、頑張って。
  

2010年9月6日月曜日

(847)面白い! 中西先生のブログ ②

(2010年9月6日)
  昨日に続きウイン日本語学校の中西先生のブログを紹介しよう。彼が久しぶりに帰国したときの感想だ。「日本に帰国して感じることは何でも安くなったなあ~ってこと。カレーライス(ビーフ入り)200円、牛丼280円、天丼500円(大きなエビが入っている)、石鹸3つで100円、Tシャツ、パンツ、下着類なんでも100円、コミックの古本10円(最初100円だと勘違いした)。自分の大学時代吉野家の牛丼は450円、なんでこんなに安くなったんだろう」と(以上概要)。いま日本はデフレで苦しんでいる。ダイソーとかキャンドゥーの店に入ると、誰もがビックリする安さだ。私は日本のデフレの元凶の一因は、牛丼屋はじめ、上記の店にありと思い込んでいる。ユニクロもかっぱ寿司もそうだな。日本のデフレ脱却のために安物を買うのをやめよう!と叫びたいが、我が家の食卓に並ぶご馳走も半額品が多いのでやはり無理か。

2010年9月5日日曜日

(846)面白い! 中西先生のブログ

(2010年9月5日)
  ヤンゴンのウイン日本語学校で活躍してる中西先生のブログを久しぶりに覗いてみた。相変わらず面白い。その中で「腎臓結石破砕装置がヤンゴンに登場」という日記が目に飛び込んだ。中西先生はご自身の腎臓に結石が残っていると書いていたが、実は私も結石の持ち主である。先日前立腺がんの予備検査の段階で、下腹部のレントゲン写真に20個ぐらいのダイヤモンド状の数ミリの物体がきれいに並んで写し出されていた。半透明であり、まさに輝くダイヤモンドそっくり、それらが台形をなして整列していた。最近テレビで体内の様子がよく写し出されるが、イメージとしてはグニャグニャした感じであり、幾何学的なダイヤモンド風、台形風なんて考えられなかった。私は唖然としてこの異質生体のレントゲン写真を眺めていたが、医者は膀胱結石だと言い前立腺がん検査後に処理しようという。破砕しては勿体ないな。

2010年9月4日土曜日

(845)選挙後の軍政の体制は?

(2010年9月4日)
  11月に行われる総選挙についていろいろな憶測が飛んでいる。8月31日の毎日新聞には、「軍政トップ院政敷く?総選挙後に」という見出しで選挙後の体制について興味深い推測記事を掲げていた。今回の選挙法では、現役軍人の立候補を認めていないが、タンシュエ将軍(国家平和発展評議会議長)は依然軍籍にとどまっている。このため、選挙後も事実上の院政を敷こうとしているとの見方が強い。軍政ナンバー2のマウンエイ氏も同様に軍籍にとどまっているので、事実上の国の最高機関となる国家防衛安保評議会(NDNC)のトップとナンバー2につくと思われている。一方ナンバー3のトゥラシュエマン参謀総長、ナンバー4のテインセイン首相は退役し立候補した。総選挙はUSDPの勝利は濃厚で大統領にはトゥラシュエマン氏が有力(以上概要)。背広に着替えた大統領の上にさらに2人の軍人がいるなんて。

2010年9月3日金曜日

(844)ヒューマンライツウオッチによる選挙批判

(2010年9月3日)
  国際的な人権団体ヒューマンライツウオッチのアジア局長代理エレーンピアソン氏は11月7日のビルマ総選挙について、次のように批判した(BURMAINNFOの情報より)。「選挙日程の発表を軍政は自分たちの筋書き通りだと思っているだろうが、これで深刻な欠陥のあるプロセスが正当化されることはない。両院の総議席数の四分の一が現役軍人に割り当てられており、4月には首相のテインセイン将軍と内閣を構成する20人以上の軍幹部が、一斉に退役し、USDPに入党した。国軍幹部は軍服から平服に着替えることは出来るが、総選挙は権力を引き続き軍政の手中に収めることを目的とした周到に用意された計画の一部に過ぎない。関係各国政府は根本的に欠陥のあるプロセスでも、何もないよりはましだとか、選挙を通して今後何らかの進展が期待できるなど誤った考え方に陥るべきではない」と一刀両断。

2010年9月2日木曜日

(843)「悲しみと涙の川「エヤーワディー」、話題豊富

(2010年9月2日)
  1991年ビルマ人難民として来日したティッ・ター監督の標記の映画の上映会が南大塚ホールで行われたという。私は見ていないが聞くところによると、出演者は皆在日ビルマ人で、ナルギス・サイクロンの悲惨さと、軍事政権の無能さを訴えているらしい。撮影は東京近郊の江戸川河川敷で行われたが、エヤーワディー川とイメージがよく似ており、約70人の出演者も好演したと聞く。ところが最近出演者の中から金銭上のことで楽しくない噂が流れてきた。ビルマ人社会の噂好きはよく知られているが、軍事政権が正しい情報を国民に流さないから、どうしても国民は噂に頼らねばならない。それからもう一つ、軍事政権は他人を信用することを教えていない。このため在日ビルマ人の間でも、「彼はスパイだ」というような声を時々聞く。暖かく優しい目で他人を認めてあげる雅量が必要だ。もちろん日本人にも当てはまるのだが。

2010年9月1日水曜日

(842)正夢であってほしい

(2010年9月1日)
  きょうは水曜日、品川入管での恒例のデートの日、いつものように4人のビルマ人女性と面会、終了したのが2時過ぎ、そのアトAさん(私が保証人)と待ち合わせを約束した品川駅に向かった。実はAさんから昨夜電話があり、お話したいことがあるという。用件を聞いたがはっきり言わなかった。仮放免の延長は既に終わっており、何のためにわざわざ私に会うのかさっぱり分からない。こういう時ってちょっと緊張する。もしかしたらミンガラサウン(結婚)の告白・・・・かな。さて約束の時間の3時に彼女が現れ、駅構内の喫茶店で用件を聞く。彼女はおもむろに入管からの呼び出し状を見せてくれた。〇月〇日写真を持って入管に来るようにという内容であった。バンザイ、「写真を持って」と書いてあれば在留特別許可を貰える可能性が極めて高い。私も嬉しいが、永らく頑張った彼女はもっと嬉しいに違いない。正夢であれ!