2011年1月31日月曜日

(993)高まる声「経済制裁解除を」

(2011年1月31日)
  昨日の朝日に「『制裁解除を』高まる声、ミャンマーあす新議会、スーチー氏は慎重」という見出しできょう開催される初議会が「軍政による見せかけの民政移管」との批判は強いものの、国際社会が軍政に課してきた経済制裁の解除を求める声も内外から広がり始めたと論じていた。しかし民主化勢力にとっては、制裁は軍政との数少ない交渉材料である。スーチーさんは慎重な態度だ。アセアンは今月16日に開催された外相会議で経済制裁の解除を訴えた。NLDから分かれたNDFも制裁解除を求めた。議会に参加する多くの政党も賛意を示している。制裁解除派は経済制裁は国民の生活を苦しめるばかりで効果は薄いと批判している。スーチーさんは、「制裁が人々を苦しめるだけならば再検討する必要がある」としているが態度を明らかにしていない(以上概要)。あとはオバマ大統領の決断だがまだ明確ではない。

2011年1月30日日曜日

(992)ビルマ今週のニュース(1104号)

(2011年1月30日)

  BURMAINFOの情報から抜粋。 ★31日の議会召集を前に、昨年11月の総選挙の当選者が首都ネピドーに集まり始めた。この議会で大統領一人副大統領二人が選出される。また軍政は21日軍人枠議員の名簿(上院65人、下院110人)を発表。残りの議席の76%をUSDPが占める。 ★スーチー氏自宅のインターネットが開通した。氏が直接インターネットを使うのは初めて。政府による監視には「気にしない」と。 ★27日の国連人権委員会でビルマについて初めての定期審査が行われ、欧米諸国は人権状況を批判したが、軍政は「組織的で広範な人権侵害は起こっていない」と反論。 ★前原外相は、24日外交演説で「民主化・国民和解が一層進むよう同国との対話を強化する」と述べた。 ★22・23日タイ南部に船に乗ったロヒンギャ民族158人が漂着、タイ当局に拘束された。UNHCRが面会を要求した。

2011年1月29日土曜日

(991)ヤンゴンの話題二つ(中西氏ブログより)

(2011年1月29日)
  先ほど、中西先生の「ミャンマー・日本語教室ブログ」を覗いてみた。(1)学校のすぐ近くの大通りに一週間前から焼き鳥の店がオープンしている。店といっても完全な屋台である。店の名前はずばり「YAKITORI」。店主が東京の焼き鳥店で10年働いていたというだけあって、焼き方も上手だし、タレも抜群にうまい。一回食べてみてもう病みつきになった。焼き鳥一本400チャット(約40円)より。ぜひ日本の焼き鳥をミャンマーではやらせてほしい。 (2)チャイナタウンを歩いていると「あじさい」という看板が目に入った。ここは日本のラーメン屋をイメージした店で、日本人が経営しているそうだ。店頭で作業していたミャンマー青年は中西先生の教え子であり、日本留学経験者、とんこつラーメンセット(ライス付き)で1800チャット、カレーうどん(ライス付き)2700チャット、翌朝3時まで営業は珍しい。(1)(2)とも楽しい情報だ。
  

2011年1月28日金曜日

(990)難民認定審査の処理期間は6ヶ月

(2011年1月28日)
  最近の法務省の発表によれば、難民申請案件について、平成23年3月末までに、原則的にはすべての案件が、6ヶ月(標準処理期間)で処理できるように努めることとした。平成22年7月から4半期ごとに難民認定審査案件についての平均処理(審査)期間は次の通り。第3四半期(22年7月~9月)は12.6ヶ月、第4四半期(22年10月~12月)は14.4ヶ月、(参考:22年1月~6月は13.4ヶ月)(以上概要)。この発表によれば、この1年間の処理期間(難民認定申請してから決定までの期間)はだいたい12~14ヶ月かかっているが、今年4月以降は6ヶ月に短縮しようというもの。これらの数字を見る限り無理と思えるが、果たして本当に可能なのかしら。難民認定申請中は就労不可であり、その間、彼らの生活は惨めだ。短縮されることは喜ばしいのだが、何かヘンな奥の手が使われるのでないか、気にかかる。

2011年1月27日木曜日

(989)難民申請中のビルマ人女性の動静

(2011年1月27日)
  昨日は恒例の品川デートの日、面会受付で懐かしいビルマ人女性Aさんに会った。牛久に収容されている彼女の知人Bさんが、品川入管でインタビューを受けるので、その機会を利用して面会するという。牛久と品川間はたぶん車での移送で、手錠、腰縄での往復であろう。インタビューが必要な収容者をなぜ品川入管から遠くの牛久入管に移したのか一度聞いてみたい。さて、昨日面会を予定していた6人のうち1人(Cさん)が体調不良で面会できなかった。聞けば血圧が190まで上がったようで心配だ。よっぽどストレスがたまっているのだろう。帰途4階の会計窓口に行き、Dさんの仮放免保証金30万円の小切手を貰った。帰宅途中電話が鳴り、牛久入管に収容されているEさんから、彼女宛に贈った日本語テキストが到着したとのお礼の電話だった。帰宅するとFさんからの電話、マンションの保証人を依頼された。

2011年1月26日水曜日

(988)最近ビルマ人からの悲鳴が多い

(2011年1月26日)
 最近、在日ビルマ人からいろんな疑問や悲鳴が聞こえて来る。「スーチーさんは今後どうなるの?」 「日本政府はビルマへの経済制裁をどう考えているの?」 「日本政府はビルマの新政権を認めるの?」 「ビルマは将来軍事大国を目指しているの?」 といった政治的な問題や、「私は品川の東京入管から、牛久入管に移されたけどどうしてなの?」 「私は入管に二回収容されたが今後どうなるの?」 「品川入管に収容されてもうじき4ヶ月になるけど仮放免はいつ認められるの?」 「難民認定申請書や異議申立書に何を書いたらいいの?」 というような具体的な難民申請関連のもの。あるいは「難民の子はいつまでも難民なの?」 「難民の子はサッカーの日本代表にはなれないの?」 「難民事業本部や難民支援協会は何するところなの?」 以上さまざまであるが、適切な情報が彼らに届くような努力が今後も必要。 

2011年1月25日火曜日

(987)タンジンウーさんに深い敬意を

(2011年1月25日)
  日本のNLDのリーダーというか、日本でのビルマ民主化運動のリーダーであったタンジンウーさんが、このたび議長職を辞められたと聞く。彼の父上は、ビルマNLDの副議長であり、場所は違うが、父と子でビルマ民主化のために戦ってこられたことに深い敬意を表したい。私は彼とは、水かけ祭りやビルマ人同士の結婚式などでときどきお話をしてきた。これまで数々の難局にあたり毅然とした態度で処理して来たのは見事だった。実は私は奥さんともいろいろ話したことがある。というのは、奥さんはミンガラ日本語教室の最初のころの生徒であり、少々お茶目なところがあって楽しい方だった。いま98年6月の写真を見ているが、彼女をはじめ30人のビルマ人生徒が上野公園を散策して、動物園のパンダやビルマから寄贈されたパゴダを見学したり、アメヤ横丁で買い物をしたり、楽しいひと時を過ごした思い出がある。

2011年1月24日月曜日

(986)ビルマ今週のニュース(1103号)

(2011年1月24日)

  BURMAINFOのニュース1103号から抜粋。 ★インドネシアで開かれたアセアン非公式外相会議でビルマに対する制裁の解除・緩和を欧米に求めることで一致した。また、国民民主勢力(NDF)や複数の少数民族政党なども制裁解除が望ましいとの見解を表明。 ★NLDのウィンティン氏は軍政高官を対象とした金融制裁はこれまで通り支持し続けるがその他の制裁はまず国民への影響を調査すると発言。 ★クリントン米国務長官は電話でスーチー氏と会談、民主化を求める氏を応援すると約束した。 ★入管が難民不認定を不服として裁判中の在日ビルマ人原告に対して「裁判を取り下げ難民認定の再申請をすれば在特を与える」と弁護人を通さず打診、在特には難民認定より生活上の制約が多いものがある。 ★「人権のための医師団」はチン州での人権侵害状況について発表。92%が強制労働の由。

2011年1月23日日曜日

(985)江田法相の難民・入管問題に関する考え

(2011年1月23日)
  菅内閣の法相は柳田法相から仙石官房長官の兼任、そして今回の内閣改造で江田五月氏(前参議院議長)という大物に代わった。全難連経由西中氏の連絡によれば、1月18日と21日の法相の記者会見では以下のように発言。◎日本は難民に対して大きく門戸を開く国になりたい。一方厳正な審査も必要。◎毎日新聞報道の「難民認定訴訟、入管が在留取引打診」について、裁判が嫌だから横から手を入れるのは正道ではないが「在特」で救済できる場面があるかもしれない。◎昨年10月に民主党内に作られた「難民問題プロジェクトチーム」については、いま、どういう議論がされているのか承知していないし、党の方と調整する予定もない・・・と。西中氏は再収容、仮放免、在特基準の見直しなどの難民・入管問題には切迫した意識が弱いので、弁護団やNGOは、2・3月中に働きかける方がよいと提言した。

2011年1月22日土曜日

(984)徴兵制ってホント?(後藤氏ブログ)

(2011年1月22日)
  現在、ビルマでも日本でも、ビルマ人の関心は「徴兵制」にあるようだ。この話題は本ブログ(980)でも取り上げたが、私が品川入管で面会していてもこの話題で喧々諤々、彼らの年齢はだいたい徴兵適齢期に合致しており、自分自身のこととして気にしている。そこで友人後藤修身氏のブログを覗いてみた。それによると、一般の軍務の場合、男性は18~34歳、女性は18~26歳で最長2年間、技術系の軍務(医者や技術者)の場合男性18~44歳、女性18~33歳で最長3年間、免除される人は、宗教関係者、主婦など、延期できる人は、公務員、学生、囚人など。ビルマの場合、実際に国内で少数民族と戦っており、彼らのショックは大きい(以上概要)。私の場合、あと2・3年早く生まれていたら「赤紙」で徴兵され、どこかで戦死していたかもしれない。幸い板橋の造兵廠で鍛造工をしてるとき終戦を迎えた。

2011年1月21日金曜日

(983)ビルマ議会は押しボタン式(中西氏ブログ)

(2011年1月21日)
  中西さん(ウイン日本語学校)のブログが面白い。1月20日のブログには「ビルマ議会は押しボタン式投票」、出典はヤンゴンタイムスとあった。それによれば1月31日から始まるビルマの新議会(国民議会、民族議会)では法案などの採決の際、押しボタン式の秘密投票を採用するとあった。各議員は手元にある緑、黄色、赤の三つのボタンから一つを選んで投票する。賛成の場合は緑色、反対は赤、保留は黄色。投票時間は30秒で、議事堂正面の緑のランプが点灯している間にボタンを押す。もし間違ったボタンを押しても投票時間内であれば何度でも訂正でき、最後に押したボタンが有効となる。賛成、反対などの投票数は自動的に計算され、電光掲示板に表示される。この方式について中西氏は「誰がどう投票したか分からないから、日本のように政党による縛りがなくなる点ではより民主的といえる」と評価。

2011年1月20日木曜日

(982)裁判取下げ条件にビルマ人被告に「在特」打診」

(2011年1月20日)
  毎日新聞がきょう発信したニュースによれば、入国管理局が00年代初め以降、難民不認定を不服として各地の入管を相手に係争中のビルマ人原告に対し、代理人弁護士を介さずに「難民認定を再申請すれば、在留特別許可(在特)を与える」などと裁判外の交渉を打診していたことが、元原告やビルマ人団体などの話で分かった。「裁判取り下げが前提だった」、「弁護士に言わないように口止めされた」との証言も複数ある。日本は難民認定基準が厳しすぎるとの批判が従来からあり、弁護士らは「難民認定の判例を増やさないための不透明な取引だ」と反発している。ビルマ民主化同盟(LDB)の幹部によれば、06年ごろまでに原告4人に再申請させ、裁判を取り下げたが、いずれも難民は不認定、在特を得ている。全難連(全国難民弁護団連絡会議では、ビルマ人の勝訴率は他国人より高く、3割を超えるという。
 

2011年1月19日水曜日

(981)ホンダがビルマに進出か

(2011年1月19日)
  昨日に続き中西先生のブログ(1月16日)から。NEWS WATCH誌によれば、ホンダを始めとする鈴鹿商工会議所の自動車工業部会に所属する17社の代表者がビルマを訪問し、自動車工場の建設、販売、部品製造販売、板金塗装、整備などの事業の可能性についてビルマ側実業者と協議を行う由。他にもニッサンからも引き合いがあるという。そこで中西氏はビルマ国産車(正確には中国企業との合弁)の特売会を見学。10%オフということもあって展示してあった6台のピカピカの新車は全部売却済みの張り紙が。値段は、7人乗り348万円、12人乗り338万円、8人乗り148万円、12人乗り278万円。新車でこれほど安いのはビルマで始めてみたという。今回の特売会はビルマの車事情の大きな転換点になりそうだ(以上概要)。私はビルマの産業の発展に目を見張るばかりだ。軍事大国にはならないで!

2011年1月18日火曜日

(980)ビルマの徴兵制(中西氏ブログから)

(2011年1月18日)
  ビルマ人の集まりで自己紹介するとき「私はチョーヘイ(ビルマのかっこいい俳優の名前)です」というと、皆笑ってくれる。ところできょうはそんな甘い話ではなく、ビルマの徴兵制についてだ。本ブログでも(971)、(977)で簡単に触れたが、中西氏のブログによれば、この話はヤンゴン市内でも巷に溢れていて、喧しいとのこと。中西氏の生徒たちも動揺しているらしい。そこで中西氏が自ら翻訳した新憲法を読み直してみると、第8章「国籍と国民の権利・義務」の386項に「国民はすべて法律の規定に従い、軍事教育を受けることと、国家を防衛するための兵役の義務がある」と規定されていたという。彼の調べによると、アジアで徴兵制のある国は、韓国、北朝鮮、台湾、マレーシア、シンガポール、カンボジア、ベトナム、タイ、中国(実際には志願兵制)。今まで徴兵制の無かったビルマのほうが特殊だったのか、と。

2011年1月17日月曜日

(979)全国難民弁護団連絡会議の活動

(2011年1月17日)
  ビルマ人難民の多くがお世話になっているのが在日ビルマ難民申請弁護団(事務局長:渡辺彰悟弁護士)であり、1992年の設立以来取り扱った難民申請者は約600名にものぼり、このうち約180人が難民認定、約260名が在留特別許可を得ており、また地裁において35件、高裁でも16件の勝訴判決を得ている(昨年6月末現在)。この他にクルド難民弁護団、アフガニスタン難民弁護団、西日本弁護団、福岡難民弁護団、アフリカ連絡会などがあり、各団体をまとめて1997年に全国難民弁護団連絡会(略称:JLNR、代表事務局長:渡辺彰悟弁護士)が誕生した。昨年の活動としてはそのほかに政治的な活動も行っており、岡田外務大臣あてに「難民申請者の生活保障」について申入れ、千葉法務大臣宛に「難民認定申請者の収容」について他の7団体と一緒に声明を発表。難民申請者にとって心強い味方だ。

2011年1月16日日曜日

(978)スーチーさんの動向は

(2011年1月16日)
  スーチーさんが解放されて2ヶ月になるが、自身がリーダーであったNLDは解体され、総選挙をボイコットしたことで新政府を認めるわけにいかず、政治的には孤立状態だ。選挙でNLDと喧嘩別れしたNDFの幹部と先日会談して関係修復を図ったが結果は明らかではない。私は、(931)でNDFを見限ったスーチーさんに懸念を抱く旨記した。さらに、経済制裁緩和の方向に方針を変えるオバマ政権のブレを指摘し(943)、この姿勢に同調するスーチーさんのブレも気になる。政治というものは、場面場面で方針を変更することも大事ではあるが、どこかの政府と同じような朝令暮改では気持ちがすっきりしない。元旦の毎日新聞には、スーチー氏の今後の活動として、少数民族問題に関して軍政側との仲介を論じ、第2回パンロン会議の開催を模索しているという。第1回は47年に父アウンサン将軍が提案している。

2011年1月15日土曜日

(977)ビルマ今週のニュース(1102)

(2011年1月15日)

  BURMAINFOのニュース1102号から抜粋。 ★軍政は2010年11月に行われた総選挙結果に基づき人民代表院、民族代表院、及び地方議会を1月31日8時55分に召集すると発表、さらに15日以内に連邦議会が召集され、そこで選出された大統領が内閣を組織する。 ★軍政が徴兵制を実施、18歳から35歳~45歳までの男女が対象で、拒否すれば禁固刑、現在は志願兵制で約40万人の兵力を有する。 ★政治囚支援協会によれば、2010年12月末現在の政治囚の数は2189人、12月には16人が満期で釈放され、僧侶1人が獄中で死亡、1988年以降獄中で死亡した政治囚は146人。 ★カレン州で民主カイン仏教徒軍(DKBA)と戦った国軍が、刑務所から数百人の受刑者を動員して荷物の運搬や地雷原を先に歩かせた。 ★8日から11日にかけて国軍とDKBAが交戦、タイ側にも着弾。

2011年1月14日金曜日

(976)悲しみと涙の川エヤーワディー

(2011年1月14日)
  母国の圧政を逃れ、日本で暮らすビルマ人の手による軍政告発の映画「悲しみと涙の川エヤーワディー」が完成し、インターネットでの無料公開が始まっている。軍政下の母国へは二度と帰国できなくなることを覚悟した上での労作だ。監督はティッ・ター氏、舞台は08年5月のサイクロンで10万人以上の犠牲者を出したエヤワディー川流域だが、この地と似ている千葉県流山市で撮影。私はあるビルマ人からこのDVDを戴き一生懸命見た。出演、スタッフは74人、出演者はみんな素人で、完成に1年4ヶ月かかり、制作費は86万円・・・信じられない安さだ。ストーリーもよかったが、それとは別に私が注目したのは出演者たち。画面に現れる多くの人とは旧知の間柄であり、日ごろの立ち居振る舞いを知っているだけに、俳優としての素質があることに目を見張った。実に新鮮な驚きであった。多くの方に見て貰いたい。

2011年1月13日木曜日

(975)圧政のテーマパーク

(2011年1月13日)
  朝日新聞夕刊に「窓」という欄があり「論説委員室から」という副題がついている。きょうの見出しは「圧政のテーマパーク」というもの。ビルマでは今月末に国会が召集される。昨年11月、20年ぶりに実施された総選挙を受けて、軍事政権の翼賛政党が約8割の議席を占める。選挙区と当選者名を見て苦笑した。トゥラ・シュエ・マン大将ら軍政序列3位~5位の元軍人が立候補した選挙区がいずれもネピドーだったからだ。この新首都の住民は約20万人、そのほとんどが軍人か公務員、つまり軍の候補者は絶対に落選しない選挙区なのだ。ほとんど車の通らない8車線の道路が24時間照明され、巨大なパゴダや宝石博物館、動物園が建造され、さながら圧政のテーマパークだ。国名をビルマからミャンマーに変え、首都も国旗も変えた。この際指導部も変えて、人心を一新すれば3代世襲の国よりはまし、と言われよう。

2011年1月12日水曜日

(974)水曜日 時間間違えたけどいいことも

(2011年1月12日)
  きょうは水曜日、朝、メールで翻訳チェックの依頼が飛び込んできた。一応チェックは済んだが、返信する時点でパソコンが突然動かなくなった。入管に行く時間が刻々迫ってくる、なんだかんだでやっと返信できたが、バスの時間にはあと5分しかない。マフラーを首に巻きコートを着てバス停に。やっと津田沼駅に到着したが、なんだか様子がヘン、いつもより1時間も早く津田沼駅を発車したのだ。当然のことながら入管にも1時間早く11時に着いてしまった。トシはとりたくないと悔やんでいると、「西田先生」と声をかけるビルマ人女性が。Aさんといって10年以上前に私の職場の1階にあった「レストランビルマ」の従業員だった。幸い私は1時間も余裕があったので積もる話を続け、実に嬉しかった。もし、1時間早く来なければ彼女との出会いはなかった筈だ。この後7人のビルマ人女性と面会し、悩みごとを聞いてあげた。

2011年1月11日火曜日

(973)スーチーさん 「ビルマからの手紙」寄稿

(2011年1月11日)
  スーチーさん(65歳)は7年半ぶりに自宅軟禁を解かれたのを機に、毎日新聞に「ビルマからの手紙」を寄稿し、連載が13年ぶりに再開される。 「手紙」はスーチーさんが軟禁解除後初めての長期エッセーで、大きな試練に直面した民主化運動をどう進めていくのかを示唆する記録にもなる。1回目では、軟禁中の1年ほど前から始まった自宅の補修を引き合いに、思うように進まない当局側とのやり取りや、今日を懸命に生きることの大切さなどにも触れている。毎日新聞は、1995年11月~96年12月に「ビルマからの手紙」(52回)、97年1月~98年6月に「新・ビルマからの手紙」(16回)を連載した。この「手紙」は世界各国で翻訳され、国外に住むビルマ人社会で「祖国の文化と伝統を子どもに教える教材」としても利用されてきた。今後月に1回のペースで寄稿が続く予定。ビルマが今後どう変わるか興味が沸く。

2011年1月10日月曜日

(972)ビルマの「選挙」とメディアの危うさ

(2011年1月10日)
  「すばる」2月号に秋元由紀さん(上智大学卒、ニューヨーク州弁護士資格取得、ビルマ情報ネットワークディレクター)が標記のタイトルでエッセイを寄稿していた。軍政は実に巧みにメディアを利用しているというのだ。総選挙の実施に続きスーチー氏を7年ぶりに解放するという二つの重大な動きがあリ、日本でも大きく取り上げられた。軍政が国民に選ばれたという儀式を通過したかったからだ。統治者としての正当性を手に入れれば安泰と考えたのだろう。「選挙」といえるか怪しい手続きで「選挙した」という既成事実を作り上げたのだ。スーチー氏の解放も軍政の柔軟化や妥協を示すものではない。それなのに前日までは選挙が自由公正でなかったことを批判していたメディアが、一転してスーチー氏の一挙一動を追いかけ選挙を過去のものとした。今後軍政は「選ばれた政府」として体制作りを進めていくとしている。

2011年1月9日日曜日

(971)ビルマ今週のニュース(1101号)

(2011年1月9日)

 BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★タンシュエ上級大将はビルマの支配を狙う外国勢力に警戒するよう国民に呼びかけた。 ★昨年11月の総選挙結果に基づく議会の召集は1月中旬から下旬との非公式情報。 ★マグウェ管区ガンゴー郡で天然ガスが見つかったと国営紙が発表(中国企業シノペックとの共同開発)。 ★NLDは外国投資を受け入れる場合の指針を発表、社会・環境影響への配慮、労働者の権利の尊重、雇用の創出、最新技術を使った投資、の四つ。 ★カレン州南部やシャン州南部で国軍と少数民族武装勢力との散発的衝突が続く。 ★アラカン州ではアラカン解放軍と国軍が衝突、双方で5人が死亡。 ★昨年末にタイに避難していたカレン民族166人にタイ当局が帰国を強制、UNHCRが懸念を表明した。以上、このほかにビルマ軍事政権が男女全国民に徴兵制を決めた(阿部氏提供)。

2011年1月8日土曜日

(970)ヤンゴン おつりはボールペン

(2011年1月8日)
  今朝の朝日にヤンゴンのレストランで食事をして料金を払うと「お釣りがないので、これで」とボールペンを1本渡されたという記事が載っていた。流通している500チャット以下の小額紙幣はいずれもいくらの札が分からないほど手垢で汚れている。レストランの女性店員は「今年に入って小額紙幣がさらに少なくなった」と話す。苦肉の策としてお釣りが50チャットならティッシュ1個、100チャットならボールペン1本を客に渡している。大変なのがバスだ。客に終点まで乗ってもらい、事務所の金庫から小額紙幣をかき集めておつりを渡すこともあるらしい。「この国はいずれ物々交換に逆戻りするかもね」市民からそんなボヤキが上がる(以上概要)。私が十数年前ヤンゴンを訪れたときも小額紙幣の汚さにビックリしたことがある。手垢が染付いており触るのも躊躇したくなるほどだったがこの状況がまだ続いているとは。

2011年1月7日金曜日

(969)U MINGALARそして西田敦という名前

(2011年1月7日)
  私の名前は西田敦だが、ビルマの名前はU MINGALAR。ビルマ人には圧倒的にU MINGALARの方が有名だ。顔は知らなくても、名前を聞いたことがあるというビルマ人は驚くほど多い。嬉しいことだ。インターネットでU MINNGALARで検索すると、私のブログ「U MINGALARのつぶやき」が次々と現れる、これまた嬉しい。それでは日本語の名前はどうだろう。敦は一般的には使われない漢字であり、同姓同名なんかいないものと思っていた。インターネットで西田敦を検索すると、あにはからんや同姓同名がウジャウジャ。真の私の名前も数箇所で発見したが、例えば大阪の弁護士、どこかの右利き投手、09年いなさゴルフクラブの優勝者、西田製菓の社長、耳鼻咽喉科医師、東大化学システム工学修士、大分県水泳競技大会参加者、北大資源化学研究室、奈良の写真家、乃村工藝社社員、その他多数。

2011年1月6日木曜日

(968)今年初めての面会活動 相変わらず・・・

(2011年1月6日)
  昨日は今年初めての水曜日、ということは今年初めての面会活動日、いつもより早く11時に入管に到着、所用をすませて1時に面会控え室に。その際70歳前後と思われる婦人を背負った40歳ぐらいの婦人が入って来た。聞くと腰が痛くて歩けないという。私はすぐ係官に車椅子を用意してあげたらと伝えたが、そういう前例がなく車椅子はないという。あたりはほとんど外国人であり、日本人としてとても恥ずかしく思った。さて昨日の面会は7人、いろいろ頼まれたが、その中で、同室のケニア人がなにも分からないので助けてあげてほしいという訴えもあった。面会終了後、いろんなビルマ人と会い情報を交換し合った。帰途錦糸町駅でビルマ女性と落ち合う約束だったが、うっかり居眠りしてしまい二駅乗り越し、慌てて戻って15分遅刻、仮放免延長の書類にサインして渡し、エビバーガーを食べながら楽しく雑談した。

2011年1月5日水曜日

(967)日本企業もミャンマーへ

(2011年1月5日)
  昨日、一昨日と立て続けにミャンマー経済についての新聞記事を紹介したが、きょうは読売新聞朝刊に標記の見出しが目に付いた。民政移管後の規制緩和をにらんで、各国が進出を活発化させる中、日本勢も今年、ビルマ市場の本格開拓に乗り出す。日本貿易振興会(ジェトロ)バンコクセンターが中心となって、手始めに、隣国タイに集積する日本企業による物産展やミッション派遣、消費調査を実施し、「未開市場」への浸透を図るというもの。ビルマは一人当たりのGDBは約600ドルしかないが人口は5000万人と多く内需の潜在力は高い。日本勢の第一弾は、1月中旬、調味料や加工食品など在タイ十数社による「販路開拓ミッション」を派遣し、ミャンマー企業との商談会などを行う。4月以降はヤンゴンで「ジャパンフェスティバル」を開きテレビや冷蔵庫など家電を中心に地場取引先を開拓する。頑張れ日本!

2011年1月4日火曜日

(966)ビルマ投資 中韓急増 悩む日本企業

(2011年1月4日)
  昨日はネットサーフィンで見つけた「チャイナプラス1」なる言葉を紹介したが、今朝の朝日にも同じ言葉が載っていた。軍事政権の独裁が続くビルマに、中国や韓国などからの投資が増大しているが、日本企業は新たな投資に及び腰、しかし既に進出した企業は現地生産を拡大しているという。投資は軍政を助けることになりかねないが、他国に遅れを取れば機会を逃してしまうというジレンマがある。昨年4~8月のビルマへの海外投資は1兆3千億円で88年から09年までの総額をこの5ヶ月間で受け入れた計算になる。天然ガスなど資源関連が目立ち、特に中国、香港、韓国、タイからが多かった。日本は約50社が進出しているが、安定しない電力や突然変わる政策などを嫌い、01年以降新規の投資はない。なお阿部さんから受信した1月1日の日経新聞も、ビルマが経済に軸足を移してる旨を伝えていた。

2011年1月3日月曜日

(965)アジア最後の未開拓市場

(2011年1月3日)
  ネットサーフィンをしていたら「ミャンマー『秘密首都』を歩く」という時事通信の9回連続のルポがあり、そのなかに標記の見出しでビルマの経済状況をを紹介する記事が目に飛び込んだ。ビルマはチャイナリスクを嫌う企業にとり、中国市場を補完、代替する「チャイナ・プラスワン」候補地として存在感を増している。ビルマは人口約5700万人、国土は日本の1.8倍。チーク材や天然ガス、ルビー、サファイヤなど天然資源が豊富だ。在ビルマの日本人駐在員は「ビルマはタイやベトナムに追随できる潜在力があるという。「世界の工場」中国への過度の集中が進んだ結果、反日デモや尖閣諸島問題といった問題が起こると生産計画が麻痺するというチャイ・ナリスクに曝されやすくなる。ビルマの工場労働者の労賃は月約3千円でベトナムの約3分の一。民間レベルでの対日感情の良さと仏教徒の価値観もプラスだ。

2011年1月2日日曜日

(964)「天声人語」をもじった「天声新語」に挑戦

(2011年1月2日)
  朝日新聞の「天声人語」欄はあまりにも有名な随筆欄であり、過去大学入試にも多数応用されている。最近朝日新聞社は「天声人語」欄と全く同じスタイルで、一般から随筆を募集しており、名づけて「天声新語」という。応募のルールは620字から628字と決められており、現在の課題は「ごちそう」。応募作品は、天声人語欄のベテラン記者が読んで優秀作品を選び発表するという。私は2011年元旦というよき日に書き上げ送信してみた。私のブログ「U MINGALARのつぶやき」は字数370字前後の随筆であり、腕だめしにはもってこいの企画であった。今回私が発信した内容は「難民申請中の貧しいビルマ人夫婦の自宅に招待されたとき、一杯のモヒンガーをご馳走になり、その上お二人のおのろけ話を聞かされて、帰り際についご馳走様と言ってしまった」という話。募集は年数回あるのでその都度挑戦したい。
  

2011年1月1日土曜日

(963)1年の計 昨年と比べると

(2011年1月1日)
  1年の計は元旦にあり、さてさて昨年はどうだったかな。2010年元旦のブログ(600)を見ると、総選挙によって民政政権誕生を体験できる貴重な年であり、私自身の難病との対決の年と書かれていた。5月に「自分史」の発行、12月に「入管」、「難民」、「ビルマ問題」のテーマ別ブログ集の3部作の発行、毎週水曜日の東京入管でのビルマ女性難民への面会活動、さらには毎日のブログ発信などもちゃんと書いてあった。この中で3部作の発行は実際には5部作に増えており、新聞見出し集の作成を含め、昨年元旦の計はほぼ完了している。さて今年の計画はどうであろうか。まず難病との対決であるが、背中の痛みは確実に増大しており留意したい。3月までにテーマ別ブログ集は7部作とし主要関係者に贈呈したい。ブログの連日発信、毎週の入管訪問活動は継続する。以上戦線を順次縮小整理していく。