2010年1月31日日曜日

(630)読みやすい! 熊切さんのブログ①

(2010年1月31日)
  熊切拓さんも、ビルマ人仲間では著名な存在だ。ビルマ人は彼のことを「タクさん」と愛称で呼ぶ。私と彼とは3年前に牛久入管で出会ったのが最初であり、以降「在日ビルマ難民助けあいの会」で私は顧問、彼は副会長としてしばしば同席した。何を隠そう、私のこのブログは熊切氏に設定してもらったものだ。今年の彼のブログ、「BURMA BORDERLINES NEWS」は、1月1日の「年賀状」で始まり、「カレン新年祭①~③」、「民主化席次}、「乾杯音頭」と続いた。昭和一桁の私のブログと違い、彼の文章は実に上手だ。ところどころユーモアをまじえ、ちゃんと落ちがついている。さすが某大学の文学部言語学科の博士課程の単位を取得した実力がにじみ出ている。そして、カレン民族をはじめ少数民族の事情に詳しく、この面での第一人者といえよう。ビルマに関心のある方にはぜひ見ていただきたいブログだ。

2010年1月30日土曜日

(629)ビルマ今週のニュース(1004号)

(2010年1月30日)
  BURMAINFOのニュース(1004号)から抜粋。 ★軍政の内相が21日スーチー氏が今年11月に解放されると述べた。昨年5月の拘束時から起算すると11月が拘束期限となるとも解釈できるが、スーチー氏の弁護人は大臣の発言を不当だと非難、氏は現在の自宅軟禁の根拠である有罪判決を不服として最高裁に上告しており、大臣の発言が判決に影響を与えることを懸念。 ★クローリー米国務次官補は総選挙が10月に行われるとすれば軍政にとって都合よく総選挙後にスーチー氏が解放される事になり残念、今後とも氏の解放をビルマ政府に働きかけると。 ★シャン州に拠点を置き、軍政と停戦協定を結んでいる民族民主同盟軍(NDAA、別名モンラ軍)のミンエイン事務総長が27日何者かに銃殺され死亡。軍政は停戦協定を結んだ武装組織に国軍指揮下に入るよう要求していたがNDAAは拒否していた。 

2010年1月29日金曜日

(628)Gotoさんのブログ すごい行動力

(2010年1月28日)
  ビルキチ仲間では彼の名前を知らない人はいないだろう。私は10年以上前に、彼と机を並べてビルマ語を勉強し、時にビールを並べてビルマを語り合った。それ以来の畏友であり、ビルマについては驚くほど詳しいし、行動力も抜群。彼の最近のブログ【エーヤーワディ ブログ】を見るとなんと彼はインドのラトナギリやムンバイに飛んでいた。そしてビルマ最後の王、ティーボー王とその娘パヤージー王女の子孫に会うために飛びたち、何人かの王子様に会って来たという。このようにGoto氏は第3次英緬戦争(1985年)で敗れたティーボー王とその家族の消息を調べ上げ、このロイヤルファミリーの消滅と、その子孫の現況について詳しく分析し纏め上げている。この行動力にはほとほと感心している。私はいま在日ビルマ人が直面している個々の問題で頭がいっぱいだが、彼はビルマ人の歴史を壮大に描いているのだ。

2010年1月28日木曜日

(627)またまたコーラーハーラー(うわさ)の話

(2010年1月28日)
  軍事政権下でのビルマ人社会は監視社会であり、他人を信用しない風習が自然と身についてる人が多い。その結果、自然とうわさ話が流れる社会となっている。在日ビルマ人の間でも「あの人はスパイだ」という強烈な言葉を時々耳にする。なんとも悲しい社会ではないか。昨日もビルマ人女性から電話があり、「今後入管に収容されると1年間出られなくなるってホント?」という質問があり、「そんなことないはず、品川の東京入管では長くて4ヶ月前後だよ」と答えた。ただ今回の質問には多少裏がある。品川の東京入管に収容された人は、保証人が仮放免申請書を出してないと約4ヵ月後に今度は牛久入管に移送され、ここでさらに数ヶ月出られず、結局合計10ヶ月ぐらい出られなくなる。私も現実にそのような人を知っており、収容される恐れのある人は、平生から保証人(できれば日本人)を探しておくことが大切である。

2010年1月27日水曜日

(626)我がマニフェストに欠落ありき

(2010年1月27日)
  私のマニフェストの内容は慎重に考えた積もりだったが、抜けがあることに気がついた。それは「フレッツ光」の導入問題。私の入管訪問は毎週水曜日と決めていたが、今週は特別に火曜日(昨日)に訪問した。というのも、今日(水)は埼玉にいる息子がわざわざ有給休暇を取って我が家にある新旧3台のパソコンと4台のテレビをチェックしてくれるというので、そちらを優先することにしたのだ。実は我が家ではテレビの地デジ対策と、パソコンの高速化を図るために、「フレッツ光」の導入を検討しており、近日契約するための前調査を息子に頼んだ次第である。結論として、古いパソコンは2台とも処分して新しいものを1台購入、テレビは4台とも光配線とし、うち2台のアナログを1年後に地デジ対応型に変更すること、またその際、無線ランを活用していくことにした。このように考えると、マニフェストにはまだ欠落がありそうだ。

2010年1月26日火曜日

(625)囚われの孔雀 アウンサンスーチー

(2010年1月26日)

  いま私は「囚われの孔雀 アウンサンスーチー」という単行本を読んでいる。著者は三上義一氏(1956年東京生まれ、作家、ジャーナリスト)、講談社文庫、1995年第1刷、講談社発行。ビルマ建国の英雄・アウンサン将軍の娘に生まれ、オックスフォードに学び、英国人と幸せな結婚をする。良妻賢母にして賢明な主婦、政治嫌いの彼女が、なぜ非暴力の民主化運動にのめり込んでいったのか? 1991年度ノーベル平和賞を受賞した「宿命」の女性の知られざる素顔とビルマ民主化運動を描いた406頁の文庫本。第1章:崩壊するビルマ民主主義、第2章:宿命の女性、第3章:ビルマと日本、第4章:闇将軍の素顔、第5章:怒りと叫びと銃声、第6章:すべて崩れる、第7章:ファイティング・ピーコック、第8章:飛べない孔雀、終章:幻の女性宰相 と続く。今年はビルマで選挙があるが20年前の選挙の状況も興味津津だ。

2010年1月25日月曜日

(624)いよいよ自分史の執筆スタート

(2010年1月25日)
  昨年10月に作成した自己流マニフェスト(521参照)のうち、最初に取り組んだ家庭経営チェックは「切手整理」を除いてほぼ初期の目標を達成。「切手整理」は今後合間をみて続行し、とりあえず5月を目処に進めたい。さて今日からはマニフェストの第2弾、「自分史」の発行を目指してスタート。いま頭に描いているのは、誕生日の新聞記事、西田家の家系、幼少時代から始まって、最近の「ミンガラ日本語教室」や「在日ビルマ難民たすけあいの会」までの活動記録、約30項目を1~3頁ずつに分けて記述しようと考えている。頁数は多くても100頁以内、体裁はB-5判、部数はせいぜい50部ぐらい。最近新聞や雑誌に「自分史発行のお手伝いをします」とかの広告が掲載されているが、数十万円取られるようだ。私は「みんがらネットワーク」や「きらく会会報」の出版を10年以上続けているので自信はある、ほんの少し。

2010年1月24日日曜日

(623)ビルマ今週のニュース(1003号)

(2010年1月24日)
  BURMAINFOのニュース(1003号)から抜粋。 ★ビルマの最高裁で18日スーチー氏の最終弁論が行われ、1ヶ月以内に判決が出る見込み。上告は湖を泳いで自宅に入った米国人を泊めた事件ですでに有罪判決を受けたことに対するもの。 ★キャンベル米国務次官補はビルマに対して新しい政策で行動してるが、辛抱には限界がある。ビルマ軍政は民主化や人権保護に向けた道筋をはっきり示してもらいたいと発言。 ★岡田外相は来日したビルマのニャンウイン外相と17日に会談し、スーチー氏を含む全政治囚の解放、全関係者が含まれる自由、公正な総選挙の実施を期待すると同時に、総選挙のあり方次第ではビルマに対して一層大きな経済協力が出来ると述べた。これに対してニャンウイン外相は、まもなく制定される選挙関連法に則り、NLDはじめどの政党も、どの個人も参加できるようにすると回答。 

2010年1月23日土曜日

(622)切手整理はお手上げ マニフェストあ~ぁ

(2010年1月23日)
  民主党のマニフェストにはだいぶケチがついた。当初は格好良かったが、いざ実行という段階で歳入不足のためかボロが出始めている。さらには小沢、鳩山のカネ問題の勃発で、マニフェストなんか宙ぶらりんの感じ。ところで、私のマニフェストも同じような傾向が出始めた。我がマニフェストの目玉の一つであった切手整理⇒処分が立ち往生している。理由は枚数が多すぎるので、整理に十分な時間が必要なこと、処分するにも額面以下のものが多く、全然ファイトが出ないこと・・・・などである。とりあえず、最新の切手カタログを手に入れて、暇を見つけては整理を続ける一方、処分方法も検討するという段取りで、今年10月に整理・処分完了というスケジュールに変更したい。そのかわり、次の課題、「自分史作成」のほうに力を入れていくことにした。頭の中で大体の構想は出来てるので、早速目次作りからスタートしよう。

2010年1月22日金曜日

(621)今日も嬉しかった 特定活動1年

(2009年1月22日)
  昨日に引き続き今日も喜びの話題を提供したい。数日前Mさんから電話があり、「22日に入管に呼ばれているが再収容されるかもしれない、胸がドキドキしてる」との悲痛な叫び。最近再収容が増えているので私も心配、しかし聞いているうちに入管からの手紙には写真を持ってくるように書いてあったとのこと。「それはいいニュースだよ」と伝えたが、確証はないので私も気になり、今日3時に入管3階を訪問した。すでにMさんが保証人と一緒に来ており順番を待っていた。その間ビルマ人が続々と集まり、みんな神妙な顔つきで座っていた。そのうち、Mさんが呼ばれて室内に入り、待つこと10分、ドアが開きにこやかな顔のMさんが「特定活動1年」の紙を持って現れた。私はその笑顔が見たくて今日入管に来たのだ。牛久入管で私が面会した40人のうち21人目がMさん、他の19人も早く在留資格が取れればいいなあ。

2010年1月21日木曜日

(620)嬉しかった 台湾からの珍客

(2010年1月21日)
  「先生こんにちは」、背後からあの懐かしい声が聞こえてきた。私は秋葉原駅で台湾から来たNGさんを待っていたのだ。NGさんは昨年7月に見えたTさん(本ブログ422)の弟さんで、彼ら兄弟は1998年ごろから数年間、ミンガラ日本語教室で学んだビルマ人生徒であった。特に今回来日したNG さんは当時数少なかった1級合格者である。現在は台北で長寿三好庵と言う著名な日本そば屋を兄弟2人で経営しており、手打ちしているそば屋としては台湾では唯一の店とのこと。数年前に北京に出店したが、失敗に終わり再び台北で店を開き、やっとここ1・2年で利益が増えてきた由。アルバイト店員には台北大学で日本語が堪能な女子学生を使っており、従業員の会話はすべて日本語にしているとのこと、顧客には日本からの駐在員(会社幹部クラス)が多いとのこと。その後教室の同窓生の消息など話は尽きなかった。

2010年1月20日水曜日

(619)たまには中国人からの依頼も

(2010年1月20日)
  今日は1月なのにぽかぽか陽気、私は東京入管に行き10人のうら若きビルマ人美女たちとデートした。我々の間にあった厚手のガラス板がちょっと邪魔だったが。彼女たちから要望などを聞いて約1時間で無事終了、実はその前後に中国人女性から相談を受けたいたのだ。彼女の親戚が近く退去強制命令を受ける羽目となりそうなので、ナンとか助けたいというのだ。私のほうから「再審情願」を出したらどうかというと、それについて何もわからないので、詳しく教えてほしいという。そのため、ビルマ人との面会終了後一緒に4階の総務課、6階の審査部門に顔を出したところ、結論としては近く入管としての結論が出るから、その後、裁判を起こすなり、再審情願を出すなりしたらとのこと。その後すぐ知人の行政書士に本件の概要を連絡したところ同様な意見だったので、今後どうするか、家族で決めておくよう頼んで別れた。

2010年1月19日火曜日

(618)ビルマ今週のニュース(1002号)

(2010年1月19日)
  BURMAINFOのニュース(1002号)から抜粋。 ★NLDは中央執行委員に新たに9名を追加して20人に。9名全員が1990年の選挙の当選者で60-70代、NLDは今のところ選挙には参加しないとの立場。 ★ビルマ民主党(軍政とも民主化グループとも提携してない第三勢力)は選挙関連法案の公表が遅れた場合、準備が間に合わないので、選挙への参加を見直す由。 ★アラカン民主連盟のターバン議長代行らは全政治囚の解放や、2008年の憲法の見直しがなければ選挙に参加しないと再表明。 ★米国の市民団体フリーダム・ハウスが世界194カ国14地域での政治的自由度を発表、ビルマの自由度は北朝鮮同様「最悪中の最悪」。 ★岡田外相は12日クリントン米国務長官と会談、ビルマ問題について「緊密に連携する」と。 このブログの愛読者数がきょう20000人を突破する、どなたが踏むかな。

2010年1月18日月曜日

(617)楽しみのはずが しょんぼりと

(2010年1月18日)
  切手の整理、これは家庭経営チェックの最後のテーマであり、楽しみにしていた作業だ。何しろ30年間2つのダンボールに入れて納戸の一番上に置きっぱなしなので、どんなものがどのように入れられてるのかすっかり忘れていた。脚立に上がり取り出そうとしたが何しろ重い。仕方なく外側のダンボール箱をカッターナイフで開け、スタンプアルバムを一冊ずつ取り出したが全部で約30冊、たぶん祖父の時代から集めていたものであろう。30年前までは私も記念切手を少しずつ買い集めていたが、そのうち切手ブームが終わり自然と縁遠くなっていた。ここで気になるのが財産的価値。早速インターネットで調べると私の期待は見る見るしぼんでしょんぼり。なにしろ買い入れ価格は額面の60~80%とか、そのままユーパックの郵送料としてべたべた貼って使うのが最善とか。いまの私の気持は、JALの株主と同じだと思う。

2010年1月17日日曜日

(616)まもなく20000人ですよ。

(2010年1月17日)
  アクセスカウンターを横目で覗くと19900を越えた。この数は私のブログを読んでいただいてる延べ人数である。残念ながらこの数字は第1号(2008年5月19日)からのものではなく同年8月4日にこのカウンターを設置した以降の数字なのだ。当初カウントできなかった2ヶ月余の間の読者数は定かではないが、せいぜい1500人程度と推測しカウントからは除外している。過去の推移を示すと、5000人が09年2月4日、10000人が同年6月14日、15000人が10月17日、そして20000人が10年1月20日前後(予測)に達成している。最近の読者増加傾向が顕著であり、徐々にではあるが皆様から関心を寄せられていることがわかる。一日一回の発信を守り続け、字数も360字前後に決めたこのブログをいつまで続けられるであろうか。今年後半には、このブログを元にしたエッセイ集の発行も夢見ているのだが。

2010年1月16日土曜日

(615)ビルマの民主政党が態勢強化

(2010年1月16日)
  昨日の読売新聞によれば「ビルマの民主政党が態勢強化、総選挙にらみ執行委メンバー9人増」という記事が出ていた。記事によると、スーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)は14日に党の最高意思決定機関「中央執行委員会」のメンバーに新たに9名を指名し、計20人態勢とすると発表した。今年予定される総選挙への参加をにらんだ態勢強化と見られる。中央執行委は過去20年間ほぼ同じメンバーで、アウンシュエ議長(91歳)を筆頭にほとんどが80-90歳代、新メンバーの平均年齢は60歳代で、最も若いのは50歳代のウインナイン氏。ここで私の目はとまった。ウインナインさんは日本にいて、1997年前後に帰国したウインナインさんとは違う人なのか。どなたかわかったら教えていただきたい。なおNLDは総選挙への対応を明確にしていないが、若手の間では総選挙に参加すべきとの声が強いようだ。

2010年1月15日金曜日

(614)「在日『外国人』読本』を読んで②

(2010年1月15日)
  昨日に続き「在日『外国人』読本」について述べる。この本はそもそも在日外国人とはどんな人を指すのかという素朴な疑問から始まり、36件の疑問に対してそれぞれ詳細に説明している。私は、日本では少子高齢化が進んでおり、今後はどうしても「外国人との共生」が政治の重要課題になると考えるが、その一環として外国人選挙権法案が18日からの国会に提出される。その中心的な問題点は在日韓国・朝鮮人への地方参政権の付与の問題であるが、それ以外の国の永住者はどう考えているのだろうか。例えば私が関係しているビルマ人の永住者は賛成なのか反対なのか声が聞こえてこない。それからもう一つ、本書の付録で、入管法、住基法改正案に触れ、その中で、私が日ごろから懸念している「見えない人間」と言われる仮放免中の難民申請者など外国人弱者を日本から排除しようとしているなどの記載がある。

2010年1月14日木曜日

(613)「在日『外国人』読本」を読んで①

(2010年1月14日)
  最近外国人選挙権法案の話題が多い。永住者の多い在日韓国、朝鮮人を主な対象にした制度であるが、もちろんその他の国から来た永住者も含まれ、数は少ないがビルマ人も関係する。ただこの法案が成立するか否かは微妙。連立与党の国民新党は強く反対しており、亀井静香代表は帰化してから投票すればよいとの姿勢。そこで、私は標題の「在日『外国人』読本」を習志野図書館から借りて読んでみた。副題には「ボーダレス社会の基礎知識」とあり、著者は佐藤文明氏、緑風出版発行、定価1890円。日本には今65万人近い韓国・朝鮮人が住んでいるが、これは1910年に日本が朝鮮半島を侵略し植民地にしたことに始まっており、日本にはこのような負の遺産が残っているのだ。私は、日本で平和に暮らしている永住者に選挙権を与えてもいいのではないかと思っているが、もう少し論議を続けて欲しい(続く)。

2010年1月13日水曜日

(612)今年初めて東京入管で面会

(2010年1月13日)
  今年初めて東京入管に行き、ビルマ人女性に対する面会活動を行ってきた。通常階段の上り下りの際、右膝が少し痛むが、我が家から入管まではエスカレーターとエレベーターを利用すれば全くのバリアフリー、途中階段がないのでノロノロだが痛むことなく行き来できる。バリアフリーにはすごく感謝している。ところで、入管には現在12名のビルマ人女性が収容されているが、きょう訪問してみると年末年始に新しく4人増え、16名となっていた。一人を除きみな元気だったが、収容期間が4ヶ月前後となるため、みな「早く出たい」と悲痛な声が上がる。しかし私には何も出来ず、せめて収容中に少しでも有益に楽しく過ごせるよう、きょうは日本語学習の一助になるよう手製の日本語、ビルマ語、英語の辞書(私は牛久・品川辞書と命名)を差入れ、また同室の外国人と話し合うきっかけ作りのために世界地図を差し入れた。

2010年1月12日火曜日

(611)ビルマ人永住者にも選挙権が?

(2010年1月12日)
  今朝の朝日新聞一面トップに「外国人選挙権法案提出へ」の記事が掲載されていた。日本に住んでいる永住外国人に地方選挙権を与えるという法案だ。なお地方参政権のうち、首長や議員に立候補する被選挙権は見送られる見通し。この問題はビルマ人永住者にも関係があり、以前から注目していたテーマだ。法案が提出されれば、かねてから選挙権付与を求めていた公明、共産の両党は賛成する見通しだ。また社民党も賛成と思われるが、民主党内部には根強い慎重論があるうえ国民新党が反対しており、法案提出を巡っては連立与党内で議論になる可能性もある。民主党が昨年議員立法で準備していた段階では「わが国と外交関係のある国や地域を出身地とする者」としていて、北朝鮮籍の者は適用外となる可能性が高い。外国人との「共生」を望む私としては、良識ある形でこの法案を成立させて欲しい。

2010年1月11日月曜日

(610)ビルマ今週のニュース(1001号)

(2010年1月11日)
  BURMAINFOのニュース(1001号)から抜粋。 ★タンシュエ将軍は4日の独立記念日にメッセージを発表、今年予定されている総選挙で「正しい選択」をするよう国民に呼びかけた。日程は未公表であるが、4月前後に選挙法や政党法を公表、10月10日に投票との説がある。 ★岡田外相は12月29日の記者会見で、スーチー氏が選挙前に解放されることは「公正で開かれた選挙という一つの具体的な話だ」とビルマ政府に伝えてあると発言。 ★軍政が1月31日から下中級の公務員の給与を一律2万チャット(約1900円)引き上げると発表、選挙前に軍政への支持取り付けを狙ったとの見方もある。 ★ビルマの携帯電話の通話料が1分25チャット(2.3円)から50チャットに上がり、国民の間に不満が出ている。 ★北朝鮮がビルマで建設した地下施設について情報を外部に漏らした被告に死刑の判決が。

2010年1月10日日曜日

(609)移民と築く街の将来

(2010年1月10日)
  昨日の朝日には「移民と築く街の将来」という大見出しの下に、「様々な人・文化の流入」、「迫られる新たな開国」、「社会の構成員が多様化」などの見出しが躍っていた。例えば外国人が住民の1割を超える新宿区、その中の小学校では3割を超える外国籍児童が学んでおり、片親が外国人の場合と合わせると約7割に上る。中山弘子区長は「子供たちをきちんと受け入れないと本人も不幸、社会も大きな負担を抱える」という。また同区の大久保では4人に1人が外国人、1丁目ではそれが半数に増える。また新大久保駅付近にはモスクがあり、東南アジア人など200人近く集まる。地元の経済はいまや外国人抜きでは考えられない。ここ15年ほどで韓国・朝鮮や中国の出身者を中心に毎年1万5千人が日本国籍を取得、日本社会を構成するのはもはや日本人だけではない。民主党政権は外国人との共生に力を!

2010年1月9日土曜日

(608)特別在留許可は広がったのか

(2010年1月9日)
  今朝の朝日新聞に「特別在留の基準明確化半年 『許可広がった』 評価の声、不法入国は厳格判断」という見出しが。東京入管などにいるビルマ人難民申請者の多くは、不法滞在などで退去強制命令が出ているが難民申請をしているため、実際には施行されない。もし難民申請が不認定だと2度、3度と申請を繰り返している。私はこの4年間で120人のビルマ人女性収容者に接してきたが、最近『許可が広がった』という実感はない。新聞によれば08年には8522件が許可されたとあるが、ビルマ人の場合は中国人、韓国人などに比べ日本在留が短期間のためであろう。一方新聞には『不法入国は厳格判断』とあるが、ビルマ人の場合は以前に比べて不法入国は激減しており、焦点ではない。難民申請しているのに入管収容が2回、3回と続くこと、仮放免中に就労できないことなどの改善をむしろ急いでもらいたい。

2010年1月8日金曜日

(607)私の夢の達成のために

(2010年1月8日)
  いま誰かが私にプレゼントをくれるとしよう。その際彼は何が欲しいかと訊くだろうが私は即座に答える筈だ。「いま私が欲しいのは、『マイナス21歳』という年齢です」と。まあ無理か。最近右足の膝関節が痛く、階段を上るのがますます困難になってきた。その上疲労感をひしひしと感じる。いま81歳だからマイナス21歳でちょうど60歳、もし仮に私がいま60歳の若さだとすれば、ビルマ問題にもっともっと活動ができる筈である。残念でならない。特に「在日ビルマ難民たすけあいの会」は黄色靭帯骨化症との診断を受けて以来、手を引かざるを得なかった。一番大切な時期に退会したことはすごく心苦しい。皆さんが汗水たらして難民支援のために働いているのに私は何もできない。そこで私が出来る唯一の方法、寄付金の提供を考え昨日大滝氏に。額は少ないが在日ビルマ難民のために少しでもお役に立てばと思う。

2010年1月7日木曜日

(606)日緬揃って選挙投票誘導策

(2010年1月7日)
  小沢一郎率いる民主党政権は、露骨な選挙投票誘導策を発表している。例えば、いままで自民党の票田であった農村部に手厚い補助政策を実施し、地方の要望事項はすべて小沢幹事長を通すようにし、小沢チルドレンには街頭に立つよう指示し、中国詣での時には大勢の議員を引き連れ、世の中をアッといわせた。一方、昨日の読売新聞によればビルマの軍事政権は公務員給与を6割も増やし、平均給料は1万5千チャット(1840円)から3万5千チャットにしたという。総人口約4900万人のうち100万人前後が対象になるという。軍人には公務員を上回る昇給があった模様だが公にしていない。同国では今年20年ぶりの総選挙が行われるが、今回の昇給は軍政が結成を目指す軍新党か、親軍政党に投票するよう誘導しているという見方も出ている。日緬両国とも少し露骨過ぎないか。頑張れ!自民党とNLD。

2010年1月6日水曜日

(605)てこずっている写真の整理

(2010年1月6日)
  自称マニフェストによる「家庭経営」も予定を若干オーバーしてはいるが、最終コーナーに差し掛かっている。いま手がけているのが「写真」の整理。1996年ごろからのもので、それ以前のものは全部アルバムに整理済み、この後の14年間といえばちょうどミンガラ日本語教室創立以後となり、ビルマ人関係のものが多い。自分で写した最近のものはパソコンで整理できるが、友人から戴いたものなどはそのまま無造作にダンボールに押し込んでいた。枚数にして2千枚以上あったろう、それを一枚一枚分類していくのだが、何しろ感傷に浸る時間が多く、能率が上がらない。事業仕分け人のようにはいかないのだ。二日半かけてやっと分類、整理が終わり、新たな小型ダンボールに収めた。ところで皆さん方は、戴いた写真の整理はどうやっているの? お知恵を拝借したい。さて後残っているのが切手の整理、楽しみでだ。

2010年1月5日火曜日

(604)スーチーさん 笑顔で冗談、ほんと?

(2010年1月5日)
  昨日の朝日の(Beトーク)欄では、スーチー氏とキャンベル米国務次官補の会談の際の毎日記者の対応について、毎日の編集委員が皮肉って書いたコラムを取り上げて、今度は朝日が皮肉っている。これには私もビックリした。新聞社が他社の新聞を皮肉るとは大事件だと思う。内容は、毎日記者が「私(スーチー氏)、笑ったほうがきれいかしらと冗談を言ってホテルを後にした」と書いているが、編集委員の受け方は、写真の雰囲気とは違っており、本当にスーチー氏がこんな冗談を言ったのか疑問、このような書き方をしてるのは毎日だけで朝日、読売は書いていない。AP通信社の記事を写したのではないかというもの。私もすぐこの記事(朝日)を読み返したが写真にはスーチー氏とキャンベル氏のにこやかな顔が掲載され、記事にも「笑顔なら美しく見えるかしら」と冗談を飛ばしたと書いてある。私の脳は混乱中。

2010年1月4日月曜日

(603)初期の講師連絡会の中身②

(2010年1月4日)
  昨日は「ミンガラ日本語教室」の初期の講師連絡会の内容を書いた。その直後から日本財団から助成金(半年間で48万円)を受け出した。この助成金は5年間に4回支給され、教室の財政に大いに役立った。しかし2005年からはこの助成が打ち切られ、当教室も大きな影響を受け、加えて生徒数も平均20人まで減少した。先生方からもいろいろ案が出たがこのダブルパンチを跳ね返す名案はついに出なかった。そこで私の方から「H氏助成金」なる窮余の策を提案した。この内容は2005年の残り9か月分に60万円を助成、2006年度も60万円助成した。その間懸念された生徒数も徐々に回復すると共に2007年7月からは難民事業本部(RHQ)から30万円前後の補助金をいただくことができ今日に至っている。ではH氏とは何者だったのか。今ここで始めて明かすが彼は現在「黄色靱帯骨化症」で悩んでいる。

2010年1月3日日曜日

(602)初期の講師連絡会の中身①

(2010年1月3日)
  いまだに書類の整理を続けている。新しい書類だけを残して古いのは捨ててしまえばよいのだが、実際にはそうもいかない。むしろ古いほうに興味があり、特に10年前の創設時代の記録に注目してしまう。こんな調子だから書類整理は遅々として進まない。ミンガラ日本語教室の創設は1996年だが、今でも続いている講師連絡会の第1号は2000年8月26日のようだ。当時は日曜クラスと金曜クラスがあり、講師の名前は私のほか、平田、藤田、安国、鈴木、石丸、福本、吉雄、渋谷、前田、奥田、平沢の12人、このうち現在も活躍されている先生が2人。学習時間は日曜日が10時~20時半、金曜日が12時~16時。クラスは二つのアイウエオクラス、三つの4級クラス、二つの3級クラス、そして1・2級クラスの8クラス。生徒数は月平均65人、月謝は1500円、収支は若干のプラス。当時も結構充実していた(続く)。

2010年1月2日土曜日

(601)縁起がいいな 新年早々600号の大台に

(2010年1月2日)  
 1月1日というめでたい日にこのブログもちょうど600号を記録した。どうも今年はついていそうな気がする。読者数のほうもきょうのアクセスカウンターによれば、延べ19126人、あと900人弱で20000人に到達する。900人ということは1日の読者数を40人とすると22日で達成する。このブログでも昨年の10月17日の(524)で2万人達成は1月下旬と予言していたが、そろそろそれが実現しそう、感謝感謝だ。このブログは本来は日本人に読んでもらうためであるが、最近街でビルマ人と会話していると、「先生のブログ時々見てますよ」という人が意外と多い。私のブログは少々古く硬い日本語を使っているので、日本人には理解できても、ビルマ人にはちょっと難しいかも。今ちょっと反省している。明日から少しやさしい日本文にして、ビルマ人読者にも読んでもらわなくちゃ。これからもこのブログを広く愛してね。よろしく。

2010年1月1日金曜日

(600)新年を迎えて ご挨拶

(2010年1月1日)
  きょうは2010年の1月1日、寒さ厳しいと天気予報では報じていたが今の東京の気温は8度、天気は快晴でまさに正月日より、我が家には朝から孫たちが集まり賑やかなお正月だった。さて今年はビルマ総選挙の年であり、軍事政権から民政政権に変わる節目の年、その激動を身をもって感じ取れる貴重な年ともいえよう。私自身も妙な難病に取り付かれたようだが、これに負けることなく前進して行きたい。家庭経営のチェックは切手、写真類の整理(1月中に完了予定)を除き順調に進行、自分史の作成発行を5月とし、入管、難民、ビルマ問題の3部作となるエッセイ集の発行を12月と考え、現在構想を練っている。このほか、毎週水曜日には入管に収容されている女性ビルマ人の難民申請者を慰める訪問活動を実施し、またブログ活動は今までどおり毎日発信する予定でいる。わがマニフェストはうまくいくかな。