2010年10月31日日曜日

(902)ロヒンギャ民族に難民性認められず

(2010年10月31日)
  全難連からの情報によれば、29日東京と大阪でロヒンギャ集団訴訟があり結果は2人勝訴、21人敗訴。弁護団側の主張であったロヒンギャであることによる難民性は認められず、法的に無国籍状態にされていることでの退去命令(送還先ビルマ)の違法性についても認められなかった。ロヒンギャであることによる難民該当性を否定する理由としては、●「迫害」の解釈が従来どおりの狭義の「生命と身体の自由への侵害または抑圧」としてること。●92年に25万人流出したときも、50万人はビルマに残っていたこと。●強制労働などの経験をしていないロヒンギャもいるなど、迫害に該当する程度の不利益を受けないロヒンギャも存在すること(以上概要)。問題は「迫害」の解釈が厳しすぎることであり、強制労働や、棒で殴られることも「迫害」とは認められないようだ。この狭義の解釈はビルマ人にも適用されている。

2010年10月30日土曜日

(901)ビルマ今週のニュース(1040号)

(2010年10月30日)
  BURMAINFOの今週のニュース(1040号)から抜粋。 ★サイクロン「ギリ」がアラカン州に上陸し17万人が影響を受け、7万人が居住地を失った。 ★アセアン外相の非公式会議で、軍政のニャンウイン外相が、スーチー氏の解放が11月の選挙後になる旨示唆した。現在自宅軟禁されているスーチー氏の拘束期限は11月13日だが具体的な期日には言及しなかった。また外相はタンシュエ上級大将は選挙に出馬しないと述べた。 ★アセアン国会議員によるミャンマー議連は、アセアンは選挙結果を承認すべきではないと訴えた。 ★27日、在日ビルマ人民主化活動家や支援者400人が、総選挙の実施に抗議し、日本政府は選挙結果を認めないよう要望を発表。 ★2010年の腐敗認識指数は178か国中ビルマが176位。 ★クリントン米国務長官はビルマでの人権侵害調査委員会設置に努力すると発表した。

2010年10月29日金曜日

(900)昨日もビルマの選挙情勢の記事が

(2010年10月29日)  
 一昨日に引き続きビルマの選挙情勢の新聞記事が掲載されていた。見出しは「対抗馬は元独裁政党」、「NUP(国民統一党) 軍政批判の受け皿狙う」とあった。以前はUSDP(連邦団結発展党)の圧勝かと思われていたが、ここに来てNUPが軍政への批判票を集める政党と報じている。NUPはUSDPとほぼ同数の候補者を擁立しており、民主化政党とは異なるが、軍政と異なる政策も掲げている。有権者にとって選択肢が乏しい今回の選挙で、軍政批判票の受け皿になる可能性がある。NUPは1962年のクーデーターで政権を握った故ネ・ウイン将軍がつくったビルマ社会主義計画党(BSPP)が母体。独裁政権時代に蓄えた資金を使ってUSDPに迫る勢いという。議会内に軍政と別の勢力が生まれることが、ビルマでは変化であるとの指摘もある(以上概要)。選挙まであと10日もないが、ビルマ国民の選択に注目だ。

2010年10月28日木曜日

(899)修士論文執筆中の日本人女性と共に

(2010年10月28日)
  昨日は水曜日、珍しく日本人女性と一緒に品川入管を訪問した。彼女は某大学院で学んでおり、修士論文に在日ビルマ人を取り上げたという。彼女は在日ビルマ人の考え方を中心にインタビューをしたいというので、同行することになった。入所している女性ビルマ人4人のうち、2人はこれから難民申請したいというので、私が担当して難民申請上の問題点をレクチャーし、彼女は残り2人の入所者にインタビューを試みていた。何しろ面会時間は15分、彼女のほうは時間不足で次回再度面会したい由。終わって受付に行くと顔なじみみのビルマ人夫婦に出会った。2人は今日特定活動を貰えたと大喜び、私も大喜び。帰途バス停でこれまた顔なじみのビルマ人男性に会い、喫茶店で修士の彼女がインタビュー、その後私にインタビュー、私は論文記述のポイントを教えてあげた。彼女にとり結構充実した半日のようだった。

2010年10月27日水曜日

(898)けさの朝日新聞に選挙情勢が

(2010年10月27日)
  11月7日、ビルマの総選挙の日が近づいてきた。きょうの朝日には「力と金 ゆがむ選挙運動」という大見出しが飛び込み、「軍政が利益誘導」、「規制 動けぬ他党」と続いていた。軍事政権が母体の連邦団結発展党(USDP)が権力と資金を使って大掛かりな選挙運動を進める一方、軍政と距離を置く政党は様々な規制と資金難で四苦八苦している。既に「自由で公正な選挙」とは程遠い実態があらわになっている。例えば、ヤンゴン市内の道路はこれまで顧みられなかった細い路地まで次々とアスファルトで舗装されている。市長はUSDPのバッジをちらりと見せ「誰のおかげかを覚えておきなさい」と。今回の選挙には37政党が登録しているが、USDPと国民統一党(NUP)が突出している(以上概要)。たまたまきょうは、在日ビルマ人民主化団体によって、2010年総選挙ボイコットのためのデモ行進が行われるという。

2010年10月26日火曜日

(897)ビルマの若い二人とお会いして

(2010年10月26日)
  昨日は若いビルマ人男女と長時間話しをする機会がもてた。一人は2006年末ごろから私が牛久入管で面会活動をしていたときに出会ったしとやかな女性で、その後教室にも顔を出していた。男性のほうは昨日初めて会った好青年。私の足が悪いことを知っていた彼らは、車の運転ができるのでどこにでも出向くという。その言葉に甘えて私の住む津田沼まで来てもらうことにした。彼らは私にビルマ流に床に膝まずいてお祈りをしたいというので、私は個室のある店を探し、結局津田沼駅そばの中華料理店に決めた。ビルマ流の拝礼は、日本人の習慣にはなく、厳粛さの中に敬老の気持ちが満ち溢れる素晴らしい儀式であった。胸が熱くなった私は「ありがとう、お互い元気に頑張りましょう」とだけ述べたが、もっと励ましの言葉をかけるべきであったかと反省している。その後約3時間に亘り近況など愉快に話し合った。

2010年10月25日月曜日

(896)「特定活動」から「定住者」への資格変更

(2010年10月25日)
  在日ビルマ人が難民申請しても「難民」資格はほとんどもらえない。このため入管は救済策として、難民とは認められないが人道配慮の立場から「在留特別許可」制度を設け、資格として「定住」と「特定活動」を認めている。ただ「特定活動」では、家族を呼べないとか、生活保護が受けられないなど不利な点がある。最近入手した全国難民弁護団連絡会議よりの情報によれば、①入国後10年を経過してること、②在留資格「特定活動」を付与されてから3年を経過してること のいずれかに該当する場合は「定住者」への変更が可能である。なお家族のうち1人が上記①ないし②を満たしていれば、その家族全員に「定住者」変更が許可される。必要な書類としては、①在留資格変更許可申請書、②身元保証書、③外国人登録証明書の写し、④在留資格証明書となっている(以上概要)。もっともっと法体系を整備してほしい。

2010年10月24日日曜日

(895)ビルマ今週のニュース(1039号)

(2010年10月24日)
  BURMAINFのニュース1039号から抜粋。 ★ビルマ選挙管理委員会は11月7日の総選挙に関し、国際選挙監視団は不要、外国人記者も受け入れないことを表明、当日、駐在外交官や国連職員の投票所ツアーは実施。 ★国境なき記者団は2010年「報道の自由度」ランキングを発表。ビルマは178か国中174位。 ★国連特別報告者キンタナ氏の報告書が19日公表され、人道に関する罪が起きている疑いについて氏は「ビルマで起きている犯罪について責任追及がなければ犯罪者を勇気づける」と述べ、また国連総会第3委員会でも「選挙プロセスに深刻な欠陥がある」と発表。 ★スーチー氏は昨年受けた有罪判決を不服とし再審を求めていたが、最高裁をこれを受理し、29日に審理を開く。 ★ビルマ医療協会(BMA)は東部紛争地域での保健・人権状況について報告、住民の3分の1が強制労働に。

2010年10月23日土曜日

(894)ミャンマーの国旗 変わったよ

(2010年10月23日)
  22日の朝日新聞は21日午後3時よりミャンマーが新国旗を採用した旨を伝えたので、早速インターネットで調べてみた。1941年から45年まで(日本占領期)は、上から黄、緑、赤の3色で中央に孔雀の絵がデザインされていた。48年から74年までは赤地の左上が青く四角に区切られ、その中に大きな白星とそれを取り囲む小さな五つの白星のデザインだった。74年から10年までは、その青枠の中が歯車の上に稲穂がかかったデザインで周囲の14の星は7つの管区と7つの州を表している。そして今回変わった新国旗は41年ー45年に使われた三色旗の中央の孔雀の模様が白い星に変わっただけである。黄色は国民の団結を、緑は平和と豊かな自然環境を、赤は勇気と決断力を象徴する(以上概要)。政権への批判をかわそうとしているのか。我が書斎には今までの国旗が飾られているが、さてどうしよう。

2010年10月22日金曜日

(893)読みました 「戦地に生きる人々」

(2010年10月22日)

  日本ビジュアル・ジャーナリスト協会編【「戦地」に生きる人々】、集英社新書、237頁を読んだ。この協会は02年に発足したフリーランスのフォット+ビデオジャーナリストの集団。内容は、①チベット、②ビルマ、③マーシャル諸島、④ハイチ、⑤チェチェン、⑥レバノン、⑦パレスチナ・ガザの7章に分かれ私は勿論第2章のビルマ(山本宗補著、27頁)に飛びついた。概要次の通り。軍事政権のブラックリストに載った彼は、タイとビルマの国境の街メーソットから難民キャンプに入り、国軍に追われて逃げてきたカレン人を取材し、またビルマに潜入してスーチー氏と4回も面会したため国外追放となった。またKNU(カレン民族同盟)のマンシャー書記長がメーソットで暗殺された事件を詳しく解説し、最後に第三国定住に触れ先日成田に着いた夫(エッラー24歳)と妻(ラメポ22歳)、子ども4歳・2歳の出発前の写真が眩しい。

2010年10月21日木曜日

(892)品川訪問 新人とも会えて嬉しい

(2010年10月21日)
  きのうは恒例品川デートの日、気になっていた足の痛みはすっかりなくなっていた。しかし足取りは相変わらず重く、松葉杖のおばちゃんにも追い抜かれる始末。12時15分に入管に到着、しばらくして時々同行してくれ通訳をかって出てくれるAさんも到着。きょうは女性4人と男性1人に面会した。この男性はAさんの知人で、私は全く知らないビルマ人だったがBURMA CAMPAIGN JAPAN という反政府サイドのネット情報番組製作グループの一員だといっていた。なお、新たに収容されたCさんは落ち着いた感じの女性だった。帰途Dさん(品川の東京入管に2回収容され現在は特定活動の資格取得)と品川駅で落ち合い、雑談し大笑いした。なお、帰宅してからパソコンでBURMA CAMPAIGN JAPANの画面を見たが、英語、ビルマ語、日本語でそれぞれニュースを伝えていた。皆さんも一度覗いてみてはいかが。

2010年10月20日水曜日

(891)根本教授が最近のビルマ問題を解説

(2010年10月20日)
  昨日夜10時50分からNHK教育テレビで上智大の根本教授のビルマ問題の解説があった。その概要は以下の通り。●来月、軍事政権は18年ぶりに総選挙を実施する。●2100人の政治囚が刑務所にいるが、政治囚は立候補できないシステムで、結局NLDは解党された。●政党党員は1人当たり約4万円の資金が必要で、翼賛政治団体USDP以外の政党はまともな選挙活動ができない状態だ。●選挙をボイコットする言動も違法。●少数民族の強い地区では、反軍政の立候補者が当選しないように選挙そのもの中止した。●マスコミの取材も不自由である。●スーチー氏の解放は選挙後だ。●上院・下院とも25%は国軍最高司令官が決める。●今回の選挙は民主化の第一歩とは考えられない。●選挙に中国は前向き、アセアンは消極的賛成、欧米は反対、日本は穏健に批判的、日本は正確な意思表示が望まれる。

2010年10月19日火曜日

(890)進めてる製本化準備 私のブログ集

(2010年10月19日)
  いま私は自分のブログ「U MINGALARのつぶやき」の製本化(といっても自家製本)を考えている。このブログは2008年5月にスタートしてから約2年半の間、毎日毎日約370字の字数で発信し続けてきた。世の中ブログだらけだが、字数を決め、毎日1回発信しているブログはそれほど多くはないのでは。発信数はきょう現在890回を数えており、内容的にはビルマ問題(279件)、入管関連(188件)、難民関連(110件)、関連する書籍(69件)、BRSA(66件)、ブログ関連(53件)、私のマニフェスト(42件)、ミンガラ日本語教室(36件)、その他(41件)と続いている。最初はこの8種類のテーマでそれぞれの分類に従って製本し、それらを11月末までにまとめてみたい。その後、それぞれを土台にして、私の日常生活での喜怒哀楽を8冊のエッセイ集としてまとめてみたい。さあこれから「柳腰」で頑張らなくちゃあ。

2010年10月18日月曜日

(889)ビルマ今週のニュース(1038号)

(2010年10月18日)
  BURMAINFOのニュース1038号より抜粋。 ★スーチー氏は弁護人を通して総選挙で投票するつもりはないと発言。禁固刑に服している人に投票権はないが、氏に関しては軍政が投票を認めていた。 ★タイのアピシット首相が11日にビルマを訪問、タンシュエ将軍、テインセイン首相と会談、ビルマ南部のダウエーでの港湾建設を共同で進めることは一致したが、総選挙の支援については軍政側が断った。 ★第三国定住難民のうち出発を延期していた9人が13日成田に到着。 ★アムネスティは13日前原外相宛の署名を提出。内容は、「総選挙実施に当たり、基本的人権の保障や全政治囚の釈放を軍政が行うよう一層の努力を政府に求める」もの。なお、山花政務官は人道の罪に対する国連調査委員会設置に付いては慎重に検討すると発言。 ★国連事務総長は「軍政は約束を果たしていない」と発言。

2010年10月17日日曜日

(888)教室のサヤガドーボエ

(2010年10月17日)
  きょうは11時過ぎからアキバのミンガラ日本語教室でサヤガドーボエ(ビルマでの学校儀式の一つ、生徒が先生に額づき合掌礼拝する)が行われた。集まった生徒は約70人、15人の教師は椅子に腰掛け、その前の冷たく固い床に生徒全員が直に座った。つい生徒たちに申し訳ないと思ってしまう。お経はビルマ語と日本語でリーダーが一小節ずつ唱え全員が復唱する。その後各先生が立ち上がり生徒に訓示を伝えるのだが、私は「継続」の大切さを喋った。その後、各クラス代表生徒から感謝の言葉が続いた。会場には豪華な「打掛」が2枚飾られ、生徒たちは写真を撮ったり、試着したりしていた。一段落したところで生徒たちが腕を振るって作ってくれたご馳走が並び、私はシャンのそばを食べたが実に美味しかった。最後に大きな花束を頂き、足取りも軽く帰途についたが、心配していた足の痛みは消散していた。

2010年10月16日土曜日

(887)東日本入管センターの状況

(2010年10月16日)
  少し古い情報だが、10月4日の毎日新聞に東日本入国管理センター(通称牛久入管)での収容状況が報じられていた。ここの収容定員は700人、ハンスト直前の5月7日現在で394人が収容されていた。当時の収容期間の内訳は、2年以上4人、1年以上2年未満46人、1年未満344人。9月末には約270人に減った。入管法では収容期間を定めていないため、国連の拷問禁止委員会は07年5月、上限を明記するよう勧告した。また日弁連は10年3月、意見書を提出、その中で「難民認定申請中の者の法的地位の安定が、その生活の保障と並ぶ喫緊の問題」とし、審査中の難民申請者は収容しないように求めた。入管も7月に「収容長期化をできるだけ回避するよう取り組む」との方針を出している(以上概要)。入管の制度はゆっくりと改善してるようだ。難民申請者への支援活動は引き続き続けて行くつもりだ。

2010年10月15日金曜日

(886)要介護認定の申請をしました

(2010年10月15日)
  最近緑色の介護保険証を見てちょっとビックリした。年間数万円という大金を毎年支払っているのだ。しかも第1号被保険者というありがたい資格付きなのだが、不覚にも全然気がつかなかった。こんな素晴らしい制度を利用しない手はない、何しろこちらは黄色靱帯骨化症という難病を患っており、通常のベッドには寝られない身であり、おまけに最近杖をつきはじめた。そこで掛かりつけの病院に相談したところ、近くのヘルスステーションに相談してみたらと教えてくれた。きょうその相談員が来宅。彼女は既に病院情報は手に入れていたようで、黄色靱帯骨化症の件も知っていた。質問は日常生活の過ごし方と、簡単な手足の動きなど。私は医療用ベッド導入の必要性を力説しておいた。認定は1ヶ月後くらいで今のところ要支援1か2を狙っている。健康保険にはずいぶんお世話になっているが、これからはプラス介護保険だ。

2010年10月14日木曜日

(885)水曜日のワクワクデー

(2010年10月14日)
  昨日は例のワクワクデー、念のために杖をカバンに入れて品川の入管に向かった。足の痛みは完全になくなり、行きも帰りも杖は不要、重いだけ。ビルマ人女性3人に面会したが、その中の一人、日本人との結婚希望のMさんが涙ぐんでいた。入管から帰国した方がいいといわれた模様、彼女の場合難民認定申請をしていないので、そういわれてもしかたないので来週いろいろアドバイスしてあげよう。帰途友人のビルマ男性2人と女性2人と偶然会い、品川駅そばのラーメン屋で懇談した。女性の一人は昨年私の誕生会の席上「杖」を寄贈してくれた人。その「杖」を持っていたので彼女も喜んでくれたみたい。話は3年前、牛久入管で毎週面会していたメンバーの動静に移り、40人中27人が在留資格をもらったことが分かった。今年の誕生会の日程は11月14日を中心に進める由。1年に1回私にとり一番楽しい日だ。

2010年10月13日水曜日

(884)第三国定住 残り2家族着いたはず 

(2010年10月13日)
  きょうの朝日夕刊には第三国定住第一陣の残り2家族9人が13日朝バンコク空国を出発、同日午後成田に到着する予定と書いてあった。早速インターネットで調べてみたが、朝日記事以外は見当たらなかった。ということは外務省が徹底した情報管理をしているとしか思えない。第一陣先着組の場合は成田空港で多くのカレン人が出迎え、その光景を多くの報道陣が流していたが、今回の9人は幽霊のように入国したのか。(追記:14日の朝刊にも短い記事で2家族9人の到着を伝えていた)。外務省が彼ら難民とその家族の安全を守るために情報管理を行っているのは、なんとなく理解できるが、支援者の立場からすると極めて不満足である。彼らが今どこにいるのかも分からない現状では、いったい支援者はどう行動すればよいのか、6ヵ月間は政府の責任期間といわれているが、情報管理のツケは大きいはずだ。

2010年10月12日火曜日

(883)ビルマ今週のニュース(1037号)

(2010年10月12日)
  BURMAINFOのニュース1037号から抜粋。 ★スーチー女史はNLDが解党処分にされたことを不当として訴え、最高裁はこれを受理した。軍政は総選挙に参加するための政党登録を行わなかったことを理由に、9月に同党の解党を正式に発表した。 ★豊田通商が、ビルマで自動車等を生産するジョイントベンチャーから撤退していた。ビルマの人権状況を理由に数年前から米国の複数の社会的投資ファンドが豊田通商の撤退を求めていた。 ★第8回アジア欧州会合(ASEM8)がブリュッセルで開かれ、参加国首脳はビルマの選挙が自由、公正、包括的であるために必要な措置を講じるよう軍政に求めた。 ★政治囚支援協会(AAPP)によればビルマには2193人の政治囚がおり、うち4百人がNLD党員。 ★横田洋三氏(元国連人権特別報告者)はEUに対し人道に対する罪で国連調査委員会設置を提案。

2010年10月11日月曜日

(882)第三国定住問題 NHKで放映

(2010年10月11日)
  今朝7時の「おはようニッポン」でカレン難民の第三国定住の話題を放映。その概要は次の通り。タイ国境のメーラキャンプには5万人の難民が生活しているが、ここには希望がない。エツラー(24歳)は教育を受けて普通の生活をしたいという。食料は寄贈されるコメ、豆、油に頼っており、家族は30人、日本人は暖かく不安はない。これからは日本が祖国であり、日本のよき市民になりたい。彼を含む残り2家族も明後日来日する。バイオリニストの川井郁子氏は「キャンプでは電気のない暮らしで大人は無気力だが子どもは元気、第三国定住はとにかく良かった。大人たちは皆子どもにいい教育を受けさせたいと言ってる。次いで在日難民のカラヤさん夫婦が登場、夫のマウンさんは肺を切除し働けない。自分も働くには日本語が重要。次いで松本市の農協、収入が不安定だと。外務省担当課長は身近な人が暖かくと説く。

2010年10月10日日曜日

(881)ビルマ難民関連の映画

(2010年10月10日)
  先ほどきらく会(ライオン研究部のOB会)の関口兄から、きょう読売新聞武蔵野版に掲載されたミャンマー難民の映画紹介の記事を送っていただいた。ありがたいことだ。ご承知のように我が家では朝日新聞しかとっていないので、この種の情報はとても助かる。さて記事の内容であるが、タイ在住の女性映画監督・直井里子さんがタイのビルマ難民の暮らしを追った「OUR LIFE 僕らの難民キャンプの日々」が千代田区のイタリヤ文化会館で上映されたという。直井監督は「小学校入学前の子どもですら自らの境遇を理解し、将来の生き方を考える姿は衝撃的だ」と。今までにもビルマ難民関連の映画はいくつかある。例えば、「ピユア ビルマ難民キャンプの子どもたち」、「花と兵隊」(429、498で紹介)、「悲しみと涙の川・エヤワディ」(同575)、ランボー最後の戦場」(同18)など。来日ビルマ難民を暖かく迎えたい。

2010年10月9日土曜日

(880)スーチー女史と劉暁波氏

(2010年10月9日)
  きょうの朝日によれば、中国の劉暁波(リウシアオポー)氏が今年のノーベル平和賞を受賞した旨報じていた。同氏は中国共産党による一党独裁の見直しや言論・宗教の自由などを求めた「08憲章」を起草した中国人人権活動家で作家、今年2月「国家政権転覆扇動罪」(懲役11年)で服役中。中国での党独裁を非難し、基本人権を求める非暴力活動が評価された。この受賞について中国外務省は強く反発している。なお「08憲章」は2008年12月に発表され、当初303人が署名したが、現在は12000人に達している。(以上概要)。なんだかビルマのアウンサンスーチー女史の例と似ている。スーチーさんも91年にノーベル平和賞を受賞したが受賞理由は、非暴力で軍事政権反対、民主化運動に活躍したためで、現在自宅軟禁中だ。両政府の対応も似ている。日本では74年に佐藤栄作元首相が受賞している。

2010年10月8日金曜日

(879)難民おしゃれに自立

(2010年10月8日)
  今朝の朝日新聞には首都圏の欄に「難民おしゃれに自立」という大きな見出しのもとに、難民によるネイルケアとレース編みの仕事の内容が掲載されていた。第三国定住が始まって今後難民が増えるに従い、地域に溶け込み、自立を目指す動きが広がっている。まずネイルケアのほうは、虎ノ門のマンションの一室で店を構えているビルマ難民がネイリストのサロン「アルーシャ」、経営者の岩瀬香夏子さん(35)は1日5時間の研修を3週間開き17人の難民を指導してきた。レース編みのほうは蕨市周辺に住むクルド人難民が伝統的なレース編み技術を生かした携帯ストラップなどを展示販売している。両者とも日本人とのコミュニケーションの広がりを喜んでいる(以上概要)。私の携帯ストラップはビーズ編みで模様がかわいい。これは私の知人のビルマ人難民が作ってくれたもので市価1500円と聞く。頑張れ難民たち。

2010年10月7日木曜日

(878)しらけるミャンマー 悲しみは続く

(2010年10月7日)
  きょうの朝日に「しらけるミャンマー」、「選挙運動規制」、「反軍政は排除」という大きな見出しが並んでいた。1ヵ月後の総選挙には37政党が参加する。軍政は民主化勢力や、反軍政色の強い少数民族を事実上選挙から締め出し、国民の選択肢を著しく狭めた。投票まで1ヶ月になっても、国の将来を決めようという熱気はほとんど感じられない。軍政の翼賛組織であるUSDP(連邦団結発展党)の候補者は1100人、60~80年代に同国を支配していたNUP(ビルマ社会主義計画党)も豊富な資金力を背景に約1000人を立てたのに対し、NLDから別れた国民民主勢力(NDF)は160人、ヤンゴンの市民は、「関心がない」、「投票には行かない」という声が目立つ(以上概要)。このような国を祖国とせざるを得ないビルマ人は気の毒だ。彼らがいくら頑張っても、銃口を前にしては何も言えない。今後とも悲しみは続くだろう。

2010年10月6日水曜日

(877)トワチンデーネーヤシーデー

(2010年10月6日)
  きょうの水曜デートの日は久しぶりにAさんと一緒になった。3人の女性に面会、話題は日本語能力試験問題となった。先週差し入れた3級の試験問題について、 Bさんの点数は83点(合格は60点以上)で立派な成績であった。他の2人は来週宅下げする由。日本語授業のお礼なのか私宛にやさしいビルマ語で質問が飛んできた。シャワーを浴びたか、風呂桶に入るのか、風呂桶でおぼれなかったか、先生は独身か、などなど。異性に対する質問にしてはちょっとアブナイ質問だった。もっとも81歳では異性なんていう感覚は全くないみたい。私の答えが奇妙なのか3人とも大声で笑っていた。面会室を出たら急に下のほうが催してきた。いつもだと「トイレに行きたくなった」というのだが、妙齢の女性には言いにくい。恐る恐るAさんに聞いたら「トワチンデーネーヤーシーデー(行きたいところがある)」で分かると言う。勉強だ。

2010年10月5日火曜日

(876)中国とビルマの関係は

(2010年10月5日)
  ちょっと古いが手元にヒューマン・ライツ・ウオッチからの9月8日のニュースリリースがある。一部概要は次の通り。ビルマは11月7日に20年ぶりの選挙を行うが、選挙に至るプロセスを懸念する声が各国の間で広がっている。タンシュエ議長の訪中は国際社会の支持を取り付けると同時に、両国間の経済・安全保障の面での関係を強化することが目的だ。中国は国連の場でビルマの有利になるように影響力を行使してきた。その一方で、ビルマが持つ豊富な天然資源とインド洋への戦略的な出口へのアクセスを手にしてきた。中国はビルマに艦艇、戦闘機、大砲などの武器を供給し、そのほか水力発電や石油開発プロジェクトなどにも協力し、中緬貿易は30億ドルに近い。アラカン沖のシュエガス田からの天然ガス購入も契約し、ビルマを横断する2本のパイプライン建設も着工。支援対象はビルマ国民にすべきだ。

2010年10月4日月曜日

(875)第三国定住 共同通信の論調

(2019年10月4日)
  第三国定住のカレン人来日について共同通信は次の様な連載用の記事を地方紙に流している。①ミャンマー難民18人が来日、第三国定住の第一陣、アジア初、語学習得が鍵、救済先進国への試金石 ②バランス欠く難民政策 ③笑顔で「初めまして」難民日本での将来に期待 ④「先輩」難民、後輩を心配 支援不十分で苦労多く ⑤政府に都合の良い制度 ⑥難民が望む「土壌」を ⑦難民受け入れの経過 ⑧貢献示す大きな一歩 ⑨ミャンマー難民 ⑨第三国定住制度 ⑩法相「最大限協力」 ⑪外相「支援に全力」 第三国受け入れで ⑫批判回避か国際貢献か 試される日本の「本気度」。以上であるが中には地方紙向けサービスとしてコラム記事も含まれている。気になるのが日本到着以降の彼らの動静がぴたり出てこないことだ。65年以上前の日本軍事政権による情報統制時代の暗さを思い出す。

2010年10月3日日曜日

(874)ビルマ今週のニュース(1036号)

(2010年10月3日)
  BURMAINFOのニュース1036号から抜粋。 ★ビルマで「人道に対する罪」が起きている疑いついて、新たにアイルランドとリトアニアが国連による調査委員会設置を支持すると表明、すでに米、英、豪12カ国が支持。 ★ビルマ経済専門家のショーン・ターネル氏(マッコーリー大学準教授)が来日、軍政は天然ガス輸出等による収入を適切に計上せずに財政赤字であるように発表しているが、実際は対GDP比約15%の財政黒字になることや、外貨準備高が60億ドル以上に上がることを指摘。また政府支出のうち防衛費が占める割合が医療・教育費を合わせた割合よりも大きいことを説明、更に11月7日の総選挙以降に米国が金融取引制裁を強化する可能性についても述べた。 ★2007年9月の反軍政デモ3周年記念日の27日、ビルマ民主の声(DVB)など亡命メディアのウエブサイトがサイバー攻撃を受けた。

2010年10月2日土曜日

(873)第三国定住 情報を流さない日本政府

(2010年10月2日)
  ビルマ・カレン族の難民18人が東京に到着したが、外務省は安全とプライバシーを理由に情報を流してくれない(昨日のブログ参照)。歓迎すべく手ぐすねを引いていた関係者は肩透かしを食らった感じ、実務機関の担当者は以下のように解説する。「自分たちは半年間の契約であり、研修終了後、あるいは来年以降については何も分からぬ立場、長期契約がほしい。政府の立場はプライバシー保護であるが、UNHCRの言動は政府とは無関係、政府はマスコミにプライバシー保護を訴えており、もし問題が生じたらその責任はマスコミにある、6ヶ月過ぎると政府の手を離れ自治体や民間団体の責任に、その際は氏名などはオープンになる。就職や居住地はあくまでも自己責任であり、研修期間中に斡旋努力する、家族数人を養える給料が必要で、会社となろう。皆さんも会社を紹介してほしい」と。皆さんどう考える?

2010年10月1日金曜日

(872)情報がほしい第三国定住、そしてガンは?

(2010年10月1日)

  第三国定住について、マスコミは一斉に「情報不足」を唱え出した。私も気になり昨日外務省の人権人道課に電話してみた。担当者は「来日する難民と残された家族の身の安全を図り、またプライバシーを守るために難民の名前、年齢、研修場所などすべて非公開にしてる」という。この説明には頭を傾げざるを得ない。UNHCRからのニュースには。来日する難民の中で一番年上の人はネイミンさん(45歳)と記されている。家族の顔写真だってマスコミに大きく報道され、インターネットで世界中に流されており、そもそも家族は今東京に来ているのだ。外務省の言うプライバシー説はちょっと違うように感じる。もっと情報を発信した方が良いと思う。さて昨日約束した前立腺がんの検査結果は結局「シロ」、お騒がせして申し訳なかった。長年支払い続けてきたアフラックのがん保険は、結局今回も使い損ねてしまいちょっと残念。