2010年11月29日月曜日

(931)ぶれていないか スーチーさん

(2010年11月29日)
  スーチーさん(65)は今月行われた総選挙を受け、来年2月にも発足する新国会について「本当に国の変革に取り組むかを見守らねばならない」と述べ、国会の存在を直ちに否定しない考えを示した。スーチーさんはさらに「選挙はボイコットしたが、それは新たに発足する国会を認めないという意味ではない」とも語っていた(以上阿部氏提供の毎日新聞11月28日号より)。これは従来からの主張を変え、選挙結果を認めるということになる。なるべくぶれないように。またスーチーさんは「少数民族と協調、民主勢力の再結束が課題」としている(以上関口氏提供の読売新聞11月25日号より)。スーチーさんが今まで一緒に戦ってきたNDFを見限ったのは間違いであったと思う。早急に再結束を図るべきであろう。なおブログに連日コメントを戴いている阿部さんはじめ、ST さん、戦車ツマさん、皆々さまにお礼申し上げます。

2010年11月28日日曜日

(930)「抵抗と協力のはざま」 読みました

(2010年11月28日)

  昨日に続き最近読んだ書籍を紹介する。「抵抗と協力のはざま」(近代ビルマ史の中のイギリスと日本)、根本敬著、2010年6月、岩波書店発行、276頁、2800円。著者は東京外国語大学教授を経て上智大学教授、専門はビルマ近現代史。著書多数でテレビや講演会などでも活躍中。植民地時代のビルマに生きた政治・行政のエリートたちは、宗主国であるイギリスや、占領者日本にどう向き合い、いかに独立を達成したのか。「抵抗と協力のはざま」から近代ビルマ史を論じなおしている。通常の歴史書であれば、日本やイギリスに対し、いかに抵抗して独立に成功したかを書くことが多いが、本書では同時に日本やイギリスに協力した人物をも大胆に描いている。この手法は読者に深い共鳴を与えている。なお、著者の父上は駐ビルマ大使館参事官を歴任したビルマ一家である。多少学術的だが信頼できる内容だ。

2010年11月27日土曜日

(929)「難民への旅」 読みました

(2010年11月27日)

  山村淳平さんが書かれた「難民への旅」(2010年10月、現代企画室発行)、333頁、定価2500円を読んだ。私も著者とは牛久入管や東京での講演会などで何度もお会いした。著者は横浜の診療所に勤務する内科医で、バングラデシュ、タイ、ザイール、パキスタン、そして日本で難民(特にビルマ人)の医療支援や調査を続けており、各国で難民が発生する原因や社会背景を探り、難民保護及び人道支援の本質や、在日難民に立ちはだかる壁や思い込みの援助などに鋭く切り込んでいる。また難民申請者の長期収容は精神的拷問であるとし、さらに難民申請者の就労禁止は権利剥奪の極めつけと断じているが全く同感である。本書は単なるエッセイ集ではない。数多くの文献を読みこなし、難民とは何か、民族とは、そして国家とは・・・・と本質に迫った名著である。前編の「壁の涙」とともに問題提起の書といえる。


2010年11月26日金曜日

(928)金曜日だけど 品川入管行き

(2010年11月26日)
  昨日ビルマ人男性のA君から電話が入った。BRSAで頑張っているBさんが収容されたらしいとのこと。彼女は私が署名した仮放免延長申請書を持って、昨日入管に提出したところ延長を認められずそのまま収容されたようだ。何しろ突然の収容であり、周辺のビルマ人もビックリして、彼女の保証人である私のところに電話したようだ。ダメと分かってはいたが念のため入管の仮放免の部署に電話を入れたが、電話では私が何者か分からないため入所してるか否かは教えられないとのこと。このため一昨日入管に行ったばかりだが、再度入管に行くこととなった。彼女のほかに2人も新たに収容されていたので合計3人に面会、そのうちCさんも私がよく知っている女性だったので話が弾み、みんな元気で15分間笑い声が絶えなかった。しかしこんなに明るい難民申請者を長期間収容しておくのは無駄では?蓮舫さんよ。

2010年11月25日木曜日

(927)同一民族なのになぜ銃を放つのか

(2010年11月25日)
  (925)に続きこの問題を取り上げてみよう。ビルマの場合135もの少数民族が共存して一つの国家を作り上げている。大きく分けてもビルマ民族の他に、シャン民族、カチン民族、カレン民族、モン民族、チン民族、アラカン民族などがあり、典型的な多民族国家である。宗教も仏教のほかにキリスト教、イスラム教などがあり、言語もバラバラだ。(925)では同じカレン民族の中でも更に細分化された民族間の鬱々とした諍いが記述されていた。在日ビルマ人は異民族でも仲良く暮らしている例が多いが、それぞれの民族の上部団体が存在し毎週日曜日にはその会合に出席するようだ。なお英領時代にはカレン族やモン族が政府の仕事に携わっていたと聞くが、現在は圧倒的にビルマ族がリードしているようだ。日本でも昔は同一民族同士の争いもあったが、近代化後はない筈。この点北朝鮮もビルマも遅れている。

2010年11月24日水曜日

(926)水曜日のデート Aさんは出所

(2010年11月24日)
  きょうは秋晴れの水曜日、いそいそと品川入管に向かう。足の痛みは無くなっているが、いかんせん重たい。皆より足が長い分だけ重いのは仕方ないか。きょうは5人と面会する予定だったが、一人Aさんが4ヶ月足らずできのう仮放免で出所、面会する際通常は暗い感じになるものだが、彼女はユーモアを交えて明るく振舞い、周囲のビルマ人女性入所者を明るいムードにしてくれている。一方日本語の勉強もすさまじいものがあり、部厚い3級の試験問題を要求し、一週間後には返却してくれるが、成績はいつも85点以上、これからはN3級に挑戦するそうだ。帰途3階の難民審査の係りを訪問、ビルマに民主化政府と称する新政権ができた場合、難民申請者に帰国するよう勧めるのか聞いてみたが、難民申請をした人が帰国すると危ないので従来どおりの方針は変えないと明言。在日ビルマ人よ、噂を信じないでね。

2010年11月23日火曜日

(925)「国境に宿る魂」を読みました

(2010年11月23日)

  最近ビルマ関係の本を7冊読み耽っている。いま読んだのは「国境に宿る魂」(黒岩搖光著)、世織書房発行、254頁、2400円、2010年10月発行。著者は1981年生まれで若い。オランダのユトレヒト大学大学院での修士論文作成のためタイ・ビルマ国境に半年間滞在してカレン民族やカチン民族の民族意識を調査した成果をまとめたものである。その中で、タイ・ビルマ国境にあるカレン青年の学校で講師として赴任、カレンの青年と寝食を共にし彼らと議論を続けた。カレン民族の場合、ポーカレン、スコーカレン、デルタカレンなどお互いの言葉の通じないカレン人もいるので、彼らはその民族ごとに集まる習性があり、民族間に隠然とした葛藤のあることを紹介している。もちろんビルマ族に対しては心の底に怨念があるようだ。民族とはいったい何だろう。きょう韓国・北朝鮮では同一民族同士の砲撃戦があったが。

2010年11月22日月曜日

(924)ミンガラ日本語教室の先輩たち

(2010年11月22日)
  台湾の台北で日本そば屋を経営しているニーゲーさん兄弟から久しぶりにメールが飛び込んできた。お二人の活動はすでに(422)、(620)、(805)でも紹介したが、ミンガラ日本語教室で勉強したあと台湾に帰国し、台湾で大成功を収めたビルマ人青年実業家である。彼からのメールには、日本そば屋の売り上げが今年夏には新記録を挙げ、いま今年冬に向かってラーメンも加えて売り上げが落ちないように頑張っているとのこと。彼らが在籍していた1998年ごろ同じクラスにいたM.Sさんはビルマで大型養鶏場を、M.Nさんはホテル業を、S.Hさんは建築業を経営して、いずれも成功しているらしい。在日ビルマ人の中にはいま日本の経済が沈滞してるため、将来を悲観してる人もいるやに聞くが、あなた方の先輩は強い精神力と、同僚との協調性で成功しているようだ。先輩たちに負けないよう頑張ろうではないか。

2010年11月21日日曜日

(923)ビルマ今週のニュース(1043号)

(2010年11月21日)
  BURMAINFOのニュース1043号から抜粋。 ★13日スーチー氏の自宅軟禁が解除された。前原外相は「一歩前進と受け止めている」という談話を発表。 ★スーチー氏は14日にヤンゴンのNLD本部で演説を行い、以後NLD幹部との会合や外国メディアとの会見、16日にはNLDの解党処分を不当とし、同党の存続を求める訴訟の宣誓供述書に署名、18日には国連事務総長と電話で会談。 ★北朝鮮が核兵器や弾道ミサイル関連の物品や技術をイランやビルマに提供しているとの報告書が公表された。この公表は中国が反対したため半年間遅れた。 ★7日に行われた総選挙で、USDPが全体の76.52%となる883議席を獲得した模様、NDFは16議席と新華社が伝えた。 ★前原外相は、「ミャンマーなりに一歩踏み出したが、日本はもっと先に歩くよう促す立場に立つべきだ、注意深く見て判断したい」と。

2010年11月20日土曜日

(922)「ならしの朝日」に載っちゃった

(2010年11月20日)
  「ならしの朝日」という朝日新聞系列の習志野市民向けのタブロイド紙があり、先日取材を受けたが、きょう(11月20日号)に私の活動が掲載されていた。見出しは「ミャンマー人支援に奔走 西田敦さん 足跡まとめる」とあり、分厚いファイルを前にした私の顔が大きく掲載されていたが、私の笑顔はなかなかいい。記事の内容も我ながら素晴らしいと思った。まず、ビルマが好きになった経緯、ミンガラ日本語教室では私からの持ち出しが多かったこと、在日ビルマ難民たすけあいの会への資金援助は生き甲斐であること、ビルマ人からの身の上相談が多いこと、入管に収容されたビルマ人への面会活動は12年間続いていること、ビルマ関連記事のクリッピング、ビルマ・入管・難民関連のブログの連日発信、ビルマ関係書籍の紹介など。私の言いたいことはだいたいこの記事で要約されている。頑張れ在日ビルマ人。

2010年11月19日金曜日

(921)またまた広がった「噂」

(2010年11月19日)
 ビルマ軍政は、90%以上の民意で成立した憲法に則り、今回の総選挙を実施したので、新政府は「文民民政政権」であると言い張るだろう。形としてはその通りだが、実態は従前の軍事政権となんら変わるところなく、むしろ悪質化してるといえよう。しかしすでに中国、ロシア、インド、アセアン各国はこの選挙結果を認めるようである。最近、難民申請中のビルマ人から「入管はビルマに民主化政権ができたのだから早く帰国せよ」と強く言われているとの噂が広まってる。同じようなことを本ブログの(568)にも書いておいた。彼らの多くは難民認定申請書や異議申立てに係る申述書に、「ビルマが民主国家に変わるときまで日本在留を認めてほしい」と訴えているようだが、この点誤解を生じる可能性がある。難民認定申請者は「民主化政権とは認めない」、「帰国したくない」とはっきり入管に伝えるべきであり「噂」も控えよう。

(920)急遽入院だ

(2010年11月18日)
  昨日のブログで膀胱結石の内視鏡検査のことに触れたが、いよいよきょう午後津田沼中央総合病院の泌尿器科で検査を受けることになった。検査は先端の穴から内視鏡を挿入して膀胱内の結石の状況を調べるというもの。既に結石が存在してることはレントゲンで確認済み。いよいよ検査開始、まず先端の穴から麻酔薬を注入したがそのとき痛みと同時に出血、そのまま5分ほど経ってから内視鏡を挿入・・・・というときに急に体が熱くなりガタガタ足が震えだした。さらに数分すると今度は寒気に変わりいわゆる悪寒戦慄の状態、これには医師もビックリ、急遽検査は中止となりそのままストレッチャーで6階の個室に入院、医師の入院計画表を見ると数日間と記載されていた。私は麻酔によるアレルギー反応の経験はなく、医師ともども首を傾げるしかなかった。看護師はみな親切で病室からはスカイツリーが見えた。

2010年11月17日水曜日

(919)最近の体の調子 ネーマカウンブー

(2010年11月17日)
  最近ビルマ人と会う機会が多い。彼らは必ずといっていいくらい「先生お元気?」と聞くがその際私は「元気マシーブー(元気はありません)」と答えることにしている。またあるビルマ人は「ネーカウンイエラー(お元気ですか)」と挨拶する。その際も「ネーネーネーマカウンブー(体調はちょっと悪いよ)」と笑って返事する。昨年の黄色靱帯骨化症発表以来、彼らは私の健康状態をとても心配してくれている。ありがたいことだ。おかげさまでまだ発症はしていない感じだ。でも歩くと疲れる。(851)(852)で書いたように、前立腺がんの結果はシロで一安心したが、その際見つかった膀胱結石が気になる。あしたこの検査があるが、内視鏡を膀胱まで挿入して石の状態を見る様だ。事前情報では痛いらしいが、まあしょうがないか。終わるといつか結石の破壊と排除の手術が待ち受けている。せめて看護師さんと仲良くしよっと。

2010年11月16日火曜日

(918)スーチーさん解放に思う

(2010年11月16日)
  13日スーチーさん(65歳)が7年半ぶりに解放され、自宅前で集まった数百人の市民の前で「有難う」と挨拶し、団結を訴えた。また翌日はNLD本部前で軍政との対話の準備があると訴え、さらに「国民の皆さんと一緒に行動する」と4万人の聴衆に向かって演説した。このように彼女を歓迎するムードは依然として高いが、彼女の復帰で民主化が進むか否かは悲観的だ。軍政側が20年間かけて作り上げたロードマップを打破する方策がないからだ。軍政側はスーチーさんに対して4回目の逮捕に踏み切れるし、NLDとNDFの分断にも成功している。第一、新憲法を92%の国民が賛同しているので、軍政による「自称民主化文民政権」の樹立も確実であり、中国やインド、アセアン各国も選挙結果を歓迎する意向。ビルマ経済も天然ガスの輸出で上向いている。私はスーチーさん解放を一応は歓迎するが前途は多難と思う。

2010年11月15日月曜日

(917)総選挙 ヒューマン・ライツ・ウオッチの見方

(2010年11月15日)
  ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HUMAN RIGHTS WATCH)は、アメリカに基盤を持つ国際人権NGOの一つでニューヨークに本部を置く。 そこから2010年ビルマ総選挙について興味ある分析がなされている。長文なのでその極一部、「選挙後のビルマ国軍の役割について」を紹介する。ビルマ国軍は新議会と文民民政政権も支配する。上院、下院の四分の一を現役の国軍将校に割り当てているため、将来的な憲法改正に対して拒否権を行使できる。また憲法は国軍に対しいかなる立法と司法に拘束されないとし、自らの権限を独断で解釈することができる。つまり議会は国軍の予算と経済活動に異議を唱えることはできない。憲法は国軍最高司令官に国防、内務、国境問題の各大臣を任命する権限を与えている。仮に議会が国軍に抵抗しようとしても、最高司令官は非常事態を宣言し議会を解散する権利がある。

2010年11月14日日曜日

(916)最高に至福のとき 誕生日会

(2010年11月14日)
  きょうは私の82歳のタンパー(誕生日パーティー)。場所は文京区本富士のグリーンシティーの中の瀟洒なイタリヤ料理店、ここにはメンバー2人が働いており、昨年も利用した場所だ。集まったメンバーは牛久入管で2006年から07年にかけて毎週面会していたビルマ人女性と、その後BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)で一緒に活動した幹部連中、更に最近品川入管で面会した女性たちで、全員が顔なじみの合計30数人。パーティーはハッピーバースデイの大合唱のうちに開催され、ワインを飲み、美味しく、美麗なイタリヤ料理を頬張り、私の挨拶と近況報告、記念品(おしゃれで私が大好きな色の帽子)を戴き、牛久全メンバーの動向を把握、次いで11月11日は何の日の説明(ポッキーの日、もやしの日、折り紙の日、電池の日など)、そして全員でビルマ童謡の合唱を3回繰り返した。まさに至福のときだ。

2010年11月13日土曜日

(915)ビルマ今週のニュース(1042号)

(2010年11月13日)
  BURMAINFOのニュース1042号から抜粋。 ★総選挙の投票は行われたが、全体の結果の公式発表はない。USDPが圧勝の見込み、全体の投票率は不明。 ★USDPへの投票を確保するための脅迫や買収などの不正が全国から相次いでいる。NDFも不正について選挙管理委員会が説明するまでは選挙結果を認めないよう他党に呼びかけた。 ★今回の選挙について国連事務総長は「透明性が不十分」。米大統領は「プロセスに根本的な欠陥」。日本は「日本の働きかけに関わらず自由、公正でなく残念」、アセアン議長国のベトナムは「民主化に向けたロードマップは意義深い」。中国は「平穏で順調、歓迎する」と。 ★タイ国境近くのミャワデーとパヤートンズーで国軍と少数民族の勢力が交戦、国境の情勢は不安定なまま。 ★スーチー氏解放の可能性大、釈放にどのような条件がついてるか詳細不明。

2010年11月12日金曜日

(914)投票日にメソトへ続々避難

(2010年11月12日)
  2・3日前、私のパソコンのインターネットに友人からメソトの広い通りを並んで歩く大勢のビルマ人の写真が送られてきた。写真の説明はどこにもない。彼らはみな荷物はなく、こざっぱりした服装だったので、まさかカレン難民とは思わなかった。しかし、11月10日の読売新聞は投票日(11月7日)の直後からカレン人を中心としたミャンマー人約2万人が国境の川を渡り、難民となってタイ国境の街メソトになだれ込んだ状況を伝えていた。投票どころでなく命からがらミャワディーの街から逃げてきたという。新聞にはメソトの国境警備隊駐屯地でトラックに乗せられる難民の様子が大きく掲載されていた。国軍は近く少数民族の武装組織に対する大規模制圧作戦を行うという。シャン州の少数民族ワ族を中心とするワ州連合軍は、隣のカチン独立軍と同盟を結んだとの情報もある。友人のカレン人は涙が出そうな事件という。

2010年11月11日木曜日

(913)ひっきりなしの電話 82歳の誕生日 

(2010年11月11日)
  きょうは朝からひっきりなしの電話だ。「先生!誕生日おめでとうございます」、「120歳までお元気で!」、「いつまでも私たちを守ってください!」、「また14日にお会いましょう」。朝9時から11時までの2時間、このようなお祝い電話が延々と続いた。一人と電話してるとその電話中にプープーと他の人の通話音が入って来る。昼の仕事が始まる前を利用しての電話のようだ。10人のビルマ人女性から暖かいお祝いの言葉を戴いた。こんなに嬉しいことはめったにない。過去のブログで11月11日を見ると、2008年は、家内と豪勢(?)にかっぱ寿司へ出向いて昼食を摂ったとあり、2009年の誕生日は、たまたま水曜日だったので品川入管に行き面会後、我が家で夕食の際極上(?)のすしを食べたと記録されていた。さて2010年はどうしよう。これから家内と相談してみるが、スーパーでお赤飯を買ってくるような気配だ。

2010年11月10日水曜日

(912)水曜日 入管の日本語教室は順調

(2010年11月10日)
  きょうは先々週同行してくれた早稲田大学院修士の日本人Aさんと一緒に品川入管を訪問、収容されている4人のうち2人にいろいろ質問を重ねていた。15分という短時間を見かねた1人が、後刻所内から手紙で返事をする由、友情溢れるやり取りだった。なお先日4人に日本語の試験問題を渡しておいたが、そのうち2人から解答が戻ってきた。一人は4級、もう一人は3級と2級、まだ結果を見ていないがたぶんいい成績だろう。4人とも難民申請をしているが、難民認定を貰うのは困難であり、在留特別許可を貰うためには日本語に挑戦する姿勢が大切である。面会が終わって受付に戻るとBRSAの4人に出会った。今日は男性に面会し、明日は女性に面会するとのことなので、保証人など懸案事項を頼んだ。帰途品川駅の喫茶店でビルマ人Bさんと会い、ここでも修士嬢がいろいろ質問。良い論文が出来るだろう。

(911)ビルマ今週のニュース(1041号)

(2010年11月9日)
  BURMAINFOのニュース1041号から抜粋。 ★カレン民族解放軍(KNLA)やカチン独立軍(KIA)など、国境警備隊への編入を拒否した6つの少数民族武装勢力が、10月末に軍事相互協定を締結。いずれかの勢力が国軍から攻撃を受けた場合には互いに支援する。 ★先月アラカン州を直撃したサイクロン「ギリ」により20万人が被災し、約7万人が住居を失った。 ★日緬外相会議で前原外相は総選挙が十分開かれたものではないとし、スーチー氏を含む政治囚の釈放や民主化勢力との対話を希望し、北朝鮮に関する一連の国連安保決議にも言及、軍政のニャンウイン外相は、核兵器開発を行う意思はない旨述べた。 ★在日ビルマ人民主化活動30団体及び連合は4日選挙を受け入れることはできないとの統一見解を発表。 ★タイの建設最大手イタリアンタイ・デベロップメントは7千億円の大型事業を受注。

2010年11月8日月曜日

(910)習志野朝日からの取材

(2010年11月8日)
  習志野朝日から取材の申し込みがあった。同社は朝日新聞の系列の会社で、地域密着型のタブロイド紙だ。主に習志野市内での出来事を取り上げており、市内小中学校の野球大会のような記事が多い。今回は、先日私が朝日新聞の「人・ひと・ヒト」欄に習志野市民として取り上げられたので、そのフォローのための取材のようだ。前回は、14年間に亘り朝日新聞に掲載されたミャンマー(ビルマ)関連の新聞記事見出し一覧表が主テーマであったので、今回は趣向をちょっと変えて、ミャンマー人の難民問題や、入管に収容されたビルマ人との面会活動を中心に喋った。テーブルの上には、12年間(98年~10年)の面会記録をまとめた分厚いファイルをドスンと4冊おいたが、我ながらよく面会活動を続けたものと感心する。予定としては11月20日発行の「習志野朝日」に掲載されるらしい。果たしてどんな記事かしら。

2010年11月7日日曜日

(909)きょうは何の日 選挙の日

(2010年11月7日)
  きょうの朝日には「軍政、過半数に自信 一矢期す民主化勢力」、「どうせ軍政 熱気欠く街」、「きょう投票」の見出しが並んでいた。連邦議会は民族代表院(上院)224人、人民代表院(下院)440人からなるが、そのほかに14の地域・州議会888人の選挙も行われる。それぞれ25%は選挙なしで軍人枠に当てられる。軍政は連邦団結発展党(USDP・立候補者443人)による過半数獲得に自信を見せる。次いで国民統一党(NUP・元ビルマ社会主義統一党・141人)が有力であるが、選挙結果によってはUSDPとの連立政権を目指すとの観測もある。なおカレン人民党(12人)も軍政寄りとされている。これに対し民主化勢力と考えられるのが国民民主勢力(NDF・141人)、シャン民族民主党(60人)、民主党(31人)があるが力は弱い(以上概要)。民主化勢力の中に第2のスーチーさんが出現することを望みたい。

(909)きょうは選挙の日 

(2010年11月7日)

2010年11月6日土曜日

(908)不公正きわまる総選挙 朝日社説

(2010年11月6日)
  明日の総選挙を控え朝日新聞は社説で「不公正きわまる総選挙」とこき下ろした。要点は次の通り。軍政は「民政移管への仕上げ」と位置づけるが国中で盛り上がりはない。軍政の翼賛政党がほぼ全選挙区に候補を立てたが、彼らは軍服を脱いだばかり、資金力や利益誘導などで圧勝する見込みだ。スーチー氏が率いるNLDは解党に追い込まれボイコットを呼びかけている。1990年の総選挙の結果をほごにし、スーチーさんらを選挙から排除した。また軍政に抵抗してきた少数民族の多い地域では選挙を中止した。外国からの選挙監視団を断り、外国メディアの入国も認めない。公正な選挙を求める最大の壁は中国であり、インド、タイも追随している。日本政府は「自由で公正」な選挙とは認められないと指摘してきたが、新政府に対して厳しい姿勢で望まなければならない(以上概要)。今の民主党政権では無理かな。

2010年11月5日金曜日

(907)質問主意書 複数回申請者の難民認定状況

(2010年11月5日)
  質問主意書というのは私がライオン広報部にいたころ(20年以上前)洗剤問題で泣き笑いした経験があり懐かしい。さて標記のテーマで衆院山内康一議員から10月25日に提出され、11月2日に菅総理名で回答が出された。その内容は、①平成17年から21年まで5年間に難民と認定された208名中2回目以降の難民申請で認定されたのは22名。②平成22年9月末までに保護費を受けたのは396人、主な国籍はトルコ、スリランカ、ミャンマー。平均受給期間は約12ヶ月。③難民申請者の多くが就労資格が得られず、他の公的支援も存在しない状況で、保護費は多くの申請者にとり唯一の命綱と考えるが政府の見解は? ⇒ 難民申請者に対する保護は国際的に各国とも道義的責任がある重要な業務、今後とも「保護費」の支給を含め適正な保護が行えるよう最大限の努力を続ける。(この出典はJNR情報)。

2010年11月4日木曜日

(906)わーい 特別在留許可が出た

(2010年11月4日)
  携帯の着歌が鳴り出し、受話器の向こうからAさんの声が聞こえる。「先生いま入管にいます」。なにっ、もしや、また入管に収容された? 彼女は2006年に品川入管から牛久入管に1年前後収容され、私が毎週面会していた女性である。2回目の収容か? 不安が募る。と彼女の口調が急に変わった。「きょう入管から出頭するように手紙が来たけど、何のために呼ばれたのか分からなかったが、いま特定活動1年の在留資格を貰った。先生有難う」。そうならそうと最初に言え、私に余分な心配かけるんじゃないぞ・・・・。私の不安げな顔がこのとき一変したに違いない。「おめでとう。長い間ご苦労さん」、「きょうは美味しいもの食べてね」。彼女は12月で日本滞在10年だ。とすると12月には特定活動から定住の資格に変わるはず。今日入管でこの点確かめた。私にとっても保証金50万円が戻ってきた。ばんざーい!

2010年11月3日水曜日

(905)選挙後のビルマ経済は

(2010年11月3日)
  朝日連載「ミャンマー総選挙」の最終回、見出しは「世界経済目線はその後」、「支援・投資の動き」とあった。今までの記事は投票そのものの内容であったが、選挙結果が明白なためか、今回は選挙後に移っていた。「世界銀行がビルマ支援を検討」という1月の英紙の記事に各国が驚いた。経済制裁一辺倒の欧米が「制裁が緩和されたときにすぐ動くための準備」と考えられている。20年以上続いた軍政がともかく終わることを一つの潮目と見ているのだ。英国は5月の政権交代を機に政策の変更を検討し始めている。日本も「官民合同貿易投資ワークショップ」をネピドーで開いた。韓国、中国、シンガポールも活発に動いている。一方ヤンゴンでは新しいショッピングセンターなどが相次ぎオープンし、欧米の経済制裁下にあるとは思えない活況ぶり。しかし庶民に取っては、物価が高騰し暮らしは厳しさを増している。

2010年11月2日火曜日

(904)総選挙情報 朝日と読売

(2010年11月2日)
  昨日に続き今朝の朝日には総選挙シリーズの「中」が掲載されていた。見出しは「国逃れた民、参加できず タイに推計300万人」、2004年のインド洋大津波で被害を受けたプーケット島。いまも復興事業が続き粗末な建設労働者の長屋が並び住民はビルマ人で日給540円、「みんなタイに来てもう故郷にはお坊さんと犬しかいない」と笑う。ビルマでは自治を求める少数民族武装勢力とこれを力ずくで抑えようとする軍政の間で戦闘が度々起こる。彼らは叫ぶ。「タイにいる300万人もの国民が投票できない選挙って何だ」、「それでも政府への不満も言えない母国よりも自由だ」(以上)。なお昨日の読売(関口氏提供)には、「ビルマ総選挙、投票まで1週間、民主化勢力支持じわり、都市部中心に拡大」との見出しが躍っていた。国民統一党(NUP)は第3極として注目されているが、選挙後軍政と手を結ぶ可能性も」と。

2010年11月1日月曜日

(903)ビルマ総選挙 またまた連載

(2010年11月1日)
  朝日新聞はまたビルマ総選挙の連載を始め、きょうは一回目。見出しは「軍政追認、冷める市民」、「民主化裏切られ、低調」と。軍事政権は手段を尽くして市民に選挙参加を呼びかけている。軍政そのものといえる連邦団結発展党(USDP)の勝利が確実視されるなか、軍政は投票率を上げることで選挙を正当化しようとしている。市民Aは投票には行かざるを得ないと思っているが、投票所では有権者名簿でチェックされる。「選管職員が見ていなければ非軍政系の政党に投票する」という。ヤンゴンでは一週間後に迫った選挙を感じさせるものはほとんどない。市民Bは1990年の選挙を振り返り「あのときは世の中を変えられるという熱気があった」という。市民CはUSDPのなかに経済人が含まれているので、かすかな期待を寄せた。ある雑誌社が3千人にアンケートしたが、選挙に関心がある市民はわずか3割に過ぎない。