2015年12月31日木曜日

(2790)大戦遺構民主化で光 @ミャンマー ウェガリー村

  12月31日の朝日新聞より。「英軍機が飛んでくると日本兵は『ヒコーキ・ヒコーキ』と叫んで慌てたものだ」。88歳だというデー爺さんは、昔覚えた日本語を交えて話した。デーさんが暮らすモン州のウェガリー村を訪ねた。70年前に日本軍が駐屯し、傷病兵の病院があった。村では昔から温泉が出た。旧日本兵が駐屯したのもそのためだったようだ。日本の将兵のために整備した浴槽が残り、お湯が湧き出ている。地元の人は「日本の技術の高さに驚く。一帯では先の大戦の記憶を地域振興に結び付けようという動きが出ている。近くのタンビュザヤは、泰緬鉄道のミャンマー側の始点で、近く博物館が開館する。タイ側では鉄道の遺構に多くの旅行者が訪れる。ミャンマーが遅れを取ったのは、少数民族と政府の内戦のため。「戦後」はまだ始まったばかりだ。

2015年12月30日水曜日

(2789)空の技術 成田で伝承 ミャンマーから技能研修

  12月30日の朝日新聞より。副題は「ANAグループ受け入れ」。ANA(全日空)グループは、成田空港にミャンマーからの技能研修生を受け入れた。1年間成田に住み、研修させる。航空機の誘導など到着・出発の際に地上で支援する作業(グランドハンドリング)について、同国の人材底上げを支援する。対象の業務は、他に登場橋の操作や、手荷物や貨物の搭載・積み下ろしなど。継続的に研修生を受け入れ、軌道に乗れば、機体の整備や接客にも広げていく考えだ。先月27日に歓迎セレモニーがあり、研修生15人が参加、自国で2~5年の経験者、全員が男性で平均年齢は約30歳。ANAは国内航空会社で唯一ミャンマーに就航し、ヤンゴンに直行便を飛ばしている。最近、空港のインフラ整備が進む一方で人材育成の方が追い付かない状態だ。

2015年12月29日火曜日

(2788)日韓苦心の着地点

  昨日慰安婦問題で日韓が合意した。いま私は600冊近いミャンマー関連書籍の多くを読破し、第14章の戦記物(約50冊)に差し掛かっている。読者を喜ばせるためか、その多くが韓国人従軍慰安婦の活動を巧みに取り入れている。私は日本政府や軍が強制的に送り出したのか否か、気にしながら読んできたが、いまのところ、そのような記述はなく、たぶん、業者が関与したものと思っていた。従来、日本政府は「道義的責任を痛感」としていたため、韓国からは「政治的責任」を問われていた。今回日本政府は単に「責任を痛感している」として、韓国側の意向も加味した巧みな解決策を提示した。また、韓国側が財団を設立し、そこに日本政府の予算で資金を出すという方式も素晴らしい。少女像問題、徴用工問題など問題があるが、日本の外交は立派だ。

2015年12月28日月曜日

(2787)ミャンマーのタイ大使館前でデモ、死刑判決に抗議

  12月25日のTBSニュースより。タイの裁判所が殺人などの罪に問われているミャンマー人2人に死刑判決を言い渡したことを受け、ミャンマーのタイ大使館前では25日、抗議デモが行われた。ヤンゴンのタイ大使館前には数百人が集まり、「無実の仲間を救え」などと訴えた。この事件は去年9月、タイ南部の人気のダイビングスポットとして知られるタオ島の浜辺で、英国人男女の遺体が発見され、ミャンマー人の移民労働者2人が殺人などの罪で起訴された。タイの裁判所は「NDA鑑定の結果、被害者の遺体から法医学的な証拠が見つかった」として、24日、被告2人に死刑判決を言い渡した。2人はいずれも否認している。弁護側は「移民労働者が罪を押し付けられている」と主張している(以上)。東京のタイ大使館前でも、同様な抗議デモが行われたという。

2015年12月27日日曜日

(2786)日立ソリューションズ、ミャンマーでソフト開発委託

  12月27日の日本経済新聞電子版より。日立ソリューションズは2016年度、ソフト開発の委託先としてミャンマー企業を加える。人件費の安い海外人材をソフト開発に活用する「オフショア」の新しい拠点と位置づけ、コストを抑えたシステム構築につなげる。多くの開発の委託先である中国では、人件費が高騰している。委託地域をミャンマーに広げることで、低コスト開発の仕組みを維持する。現在、3社の現地企業に試験的にソフト開発を任せており、技術力を判断した上で、本格的に任せるかどうか決める。これまで中国、インド、ベトナムの3か国計5社にソフト開発を委託している(以上)。 (参考)昨日17時50分の5chのニュースで、ミャンマーで人材を養成する「豊橋設計」の活動も放映された。現地と同様、日本本社でもミャンマー人を採用しているという。

2015年12月26日土曜日

(2785)不法滞在の通報前年比3倍超 ネット上のデマ影響か

  12月23日の朝日新聞デジタル版より。法務省入国管理局がメールで受け付けている不法滞在の通報が5月以降、前年の3倍以上に増えた。同局はこの急増に対し、「7月9日以降、在日コリアンは強制送還される」とのデマが、インターネットで出回った影響とみて受付を一時停止し、警察に相談した。同局はホームページで情報を受け付けて来た。昨年度の情報量は月平均460件だったが、7~9月の3か月で1万件を超す可能性があるという。中には「朝鮮人を通報して報奨金を貰おう」という書き込みまであった。同局は10月末、サイバーへの影響を懸念して情報の受付を停止。同一人物が大量にメールを送りつけた形跡もあり、今後対策を取ったうえで再開するという。同局総務課は「外国人を中傷するメールは通報システムの目的にそぐわず遺憾」という。

2015年12月25日金曜日

(2784)2016年の物流改革はミャンマーが起こす②

  昨日の続き。中國はミャンマーを経由して中国国内の製品をアフリカや中東に運ぼうとしている。そしてアンゴラからは原油をひっぱってこようとしている。つまりこれは中国の物流戦略にほかならない。ミャンマーが存在することで、これまでのように、シンガポール海峡や、マラッカ海峡を通る必要はなくなる。これは中国にとって大きなメリットだ。ミャンマーが重要拠点になれば、同国は高成長を遂げるだろう。ミャンマーの工業地帯としてはミンガラドン工業団地(味の素やハニーズが稼働)があったが、すでに満杯、このためヤンゴン近辺にはティラワ工業団地を、日本が中心となって建設中だ。ヤンゴン港やティラワ港が物流の拠点となるだろう。ミャンマーが重要輸出国という位置付けられつつあるいま、その変化は圧倒的なスピードを持っていると感じられた。

2015年12月24日木曜日

(2783)2016年の物流改革はミャンマーが起こす①

  12月24日の日経ビジナスより。ヤンゴンは日本車が多いためか、車は右ハンドルかつ右側通行、奇妙な光景だ。とりわけ私が注目したいのは、ミャンマ―という立地と、物量の増加。ミャンマーを中心にアジアの物流改革が生じようとしている。現に2015年からAEC(アセアン経済共同体)が発足した。しかし、アセアン域内であっても、トラックで各国を巡ろうとしても、現状は貨物の積み替えが必要で、一貫輸送はできない。もし一貫輸送できれば時間の短縮が期待できる。同様に関税撤廃も視野に入っている。ダナン⇔ヤンゴン⇔マンダレー⇔昆明⇔バンコク⇔ブノンペン⇔ホーチミン(及びバンコク⇔ダウエー)のコースだ。各都市の中で野望を抱く最大の都市は中国の昆明だ。中國の原油輸入国2位はアンゴラ。上記のルートは中国の物流戦略に他ならない。

2015年12月23日水曜日

(2782)IHI、ミャンマー政府とコンクリ工場合弁

  12月23日の日本経済新聞電子版より。IHIはミャンマー政府と合弁で、インフラ整備に使うコンクリートの工場を建設する。IHIが60%、同国建設省が40%出資する。2016年1月にも着工し、同年秋の生産開始を予定する。投資額は約18億円、ミャンマー側は技術導入に期待する一方、IHIは旺盛なインフラ需要の取り込みにつなげる。将来は周辺のアジア諸国への輸出も視野に入れる。建設するのは強度が高いプレキャストコンクリート(PC)の工場。生産能力は中規模程度の年7万7000トン。同国建設省と日本企業との合弁企業は、JFEエンジニアリングの橋梁部材工場に次いで2例目。世界の素材大手もミャンマー進出を加速している。タイ企業が16年にモン州に、セメント工場を稼働する。中国やマレーシア企業も、セメント工場の建設を計画している。

2015年12月22日火曜日

(2781)外国人実習生 失踪者が最多 年5千人超へ ②

  12月20日の朝日新聞より(昨日の続き)。外国人の技能実習制度で、「失踪」が相次ぐのは、賃金の未払いなど労働者の権利が往々にして守られない「ブラック」な環境が一因となっている。だが実習生は日本人が避ける仕事を担う、労働力でもある。政府は人口減をにらみ、法を改正して受け入れを拡大する方針だ。実習生は実習先を選ぶ余地がないうえ、転職も原則できない。米国はこの日本の制度を、毎年出している人身売買報告書で、「強制労働が起きている」と批判。「本来の目的である技能の教育は行われていない」(15年版)と指摘している。どうして こうした技能実習制度が続くのか。制度上は「単純労働させない」建前だが、政府自身が「単純労働 低賃金労働に従事させる実態が散見される」(法務省の第5次出入国管理基本計画)と認めている。

2015年12月21日月曜日

(2780)外国人実習生 失踪者が最多 年5千人超

  12月20日の朝日新聞より。日本で働きながら技術を学んでもらう「技能実習制度」で来日した外国人が、実習先からいなくなる事例が相次いでいる。法務省によると今年10月末までに約4930人がいなくなっており、年間で最多だった昨年の4847人をすでに上回った。同省によると、外国人実習生は建設や農業、漁業などの現場に約17万人(2014年末)いる。国際貢献のための制度としてできたが、実際には仕事がきつく、日本人が敬遠しがちな単純労働の担い手として活用されている歪みが浮き彫りになっている。同省によると失踪者の数は12年には2005人、13年3566人で、15年には6千人近くに上る。国別では中国人:3065人、ベトナム人:1022人、インドネシア人:276人。失踪後に難民申請し、在留特別許可を得た後、新職場を探している。

2015年12月20日日曜日

(2779)12月は寄付月間 普及目指す動き広がる

  12月16日の日経新聞電子版より。毎年12月を寄付月間と位置づけ、全国で寄付を呼びかけるイベントなどを開く取り組み「Giving December」が今年から始まった。内閣府や民間企業、自治体などが協力して推進委員会を立ち上げ、寄付の普及を目指している。高齢化や貧困など社会には課題が山積しているが、政府は財政難で十分な対応ができない。民の力でより良い社会を作っていくためにも、寄付文化を定着させたいというのが運動の趣旨。特に、日本の個人による寄付は少なく、2014年で7400億円、米国の3%に過ぎない(以上概要)。いま寄付文化の最も進んでいる国はアメリカとミャンマーと聞く。私はいままで多くのミャンマー人と接触してきたが、確かにミャンマー人に学ぶ点が多い。私は12月に、2つのNGOにささやかではあるが寄付した。

2015年12月19日土曜日

(2778)みずほ銀行:外国銀行初、ティラワ経済特区に出張所を開設

  12月18日のミャンマーニュースより。みずほ銀行は12月14日、日本が官民挙げて開発を展開するティラワ経済特区内に、ヤンゴン支店の出張所を開設した。同銀行は2015年8月にヤンゴン支店をオープンし、預金や融資、為替、e-バンキングなどの金融サービスをグローバルレベルで提供している。今回のティラワ経済特区への出張所開設は、ヤンゴン支店の出張所と言う形態となっており、みずほ銀行にとっては同支店に続いて2つ目の拠点だ。また、ティラワ経済特区内で初となる外国銀行の拠点でもある。ティラワ経済特区はヤンゴン南方23㎞に位置し、ミャンマーと日本の両政府が主導する、ミャンマー初の国際水準の工業団地だ。同銀行はここに拠点を構えることで、新規の進出や事業展開をサポートするとともに、ミャンマーの発展に尽力する。

2015年12月18日金曜日

(2777)ニャントウン副大統領 ダウエー経済特区に関する会合に出席。

  12月18日のミャンマーニュースより。ニャントン副大統領は12月14日、タイ・バンコクにて開催された会合に出席した。会合では、ダウエー経済特区プロジェクトの初期段階についての協議が行われた。同経済特区の開発においては日本も出資する。同経済特区では、深海港の整備のほか、タイを結ぶ道路・鉄道整備が行われる予定だ。また、同経済特区では、東南アジアでは最大級の工業団地が開発される予定である。ダウエーはインド洋に面しており、東南アジアとインド、中東間の連接点として注目されている。ミャンマーの政府関係者は、日本がティラワ経済特区の開発にも参画した経験があることから、大きな成果が得られることを期待している。ダウエー経済特区の運用が開始されることで、東南アジアの経済が さらに発展するものと見込まれている。

2015年12月17日木曜日

(2776)伝統×クラブ 溶け合う音楽

  12月17日の朝日新聞夕刊より。副題は「1千年前の宗教曲アレンジ」、「ミャンマーで人気のターソー」。ミャンマーで人気のミュージシャンでラッパーのターソーが11月に来日、東京で初めてのライブパフォーマンスを披露した。伝統的宗教音楽とクラブミュージックを融合させた、独特の曲作りだ。宗教儀礼で使われる打楽器、サイン・ワインの音色が鳴り響き、伝統舞踊の踊り子たちがハイスピードで踊りまくるなか、全身黒づくめのターソーが吠える。ライブ会場は不思議なグループ感に包まれた。ターソーは1980年生まれ、2001年ロンドン留学、06年からヤンゴンの人気クラブ「パイオニア」に出演、これまで7枚のソロアルバムを発表。クラブだけでなく水かけ祭りにも参加する。ステージから聴衆に水を掛けながら「あなたの成功を願って!」と絶叫する。

2015年12月16日水曜日

(2775)国際協力銀、ミャンマー特区開発に33.3%出資、

  12月15日の日本経済新聞電子版より。日本、ミャンマー、タイの3か国は14日、ミャンマー南部のダウェー経済特区の開発を主導する特別目的事業体(SPV)に、国際協力銀行(日本の銀行)が33.3%出資することで合意した。出資金額は6000バーツ(約2000万円)で、すでにSPVに出資済みのタイ・ミャンマーと対等株主になる。2016年前半の出資完了を目指す。日本は出資参画により日本企業に有利な投資環境整備などの要望を通しやすくなる。タイ・ミャンマー側は、日本の出資を受け入れることで、開発に必要な巨額資金の調達で、有利に働くことなどを期待している。SPVタイ・ミャンマー両政府が6000バーツずつを出資し設立済み。ダウエー特区は総面積2万ヘクタールで、2012年にタイ・ミャンマー両政府が共同開発に基本同意した。

2015年12月15日火曜日

(2774)ミャンマーで人材争奪 日立は現地有力大と提携

  12月15日の日経新聞電子版より。日立は現地理工系の名門大学、ヤンゴン情報技術大学(UIT)と提携した。学内にパソコンやサーバーを設置した専用スペースを設け年4回、各2週間、学生や教員向けの教育カリキュラムを提供する。日立の技術者を派遣し、システムの運用やビッグデータの活用などを教える。5年で延べ400人程度の受講を見込む。優秀な人材はグループでの採用を想定。ミャンマー事業の柱であるITインフラ構築の担い手とする。NTTデータも3年後をメドにミャンマー国内のソフト開発人材を現状の2.5倍の約6百人に増やす。ベトナムのソフト開発大手のFPTもヤンゴンに開発拠点を開いた。進出ラッシュの背景には、アジアのIT技術者の不足と、人件費の高騰がある。ミャンマ―の人件費は中国の半分ベトナムの3分の2程度だ。

2015年12月14日月曜日

(2773)ミャンマーの貿易 米が制裁一時緩和

  12月9日の朝日より。米財務省は7日、ミャンマーとの貿易に関する制裁を一時的に緩和すると発表した。NLDの総選挙での圧勝を受け、民主化を後押しする狙いもありそうだ。緩和措置は来年6月までで「制裁対象でないミャンマー企業との貿易促進のため」としている。来年3月末に予定されているNLD中心の政権への権限移譲の状況など踏まえて、措置の延長を判断するとみられる。米国は、ミャンマーの軍事政権時代に様々な経済制裁を科したが、2011年の民政移管後は大半を解除した。ただ、当時の軍政や麻薬取引に繋がりがあると認定した個人や企業との取引を禁じる制裁は残したままだ。今回は、制裁対象企業が運営するヤンゴンの港の一部や、空港を利用する貿易を解禁する。ミャンマ―と日本企業との取引もやりやすくなる見通しだ。

2015年12月13日日曜日

(2772)ミャンマー大統領府 政権移譲へ委員会発足

  12月12日の朝日より。ミャンマー大統領府は11日、11月の総選挙で大勝したスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)への政権移譲のための委員会を立ち上げたと発表した。スーチー氏とテインセイン大統領が2日の会談で合意した「円滑な権限移譲」の具体的な作業が始まる見通しだ(以上)。同じく12月11日の日経新聞電子版によれば、委員会はフラ・トウン大統領府相ら5人で構成、NLD側の窓口になっている中央執行委員会メンバーらと協力するという(以上)。私は政権移譲に関連して、永年甘い汁を吸ってきた軍部からの抵抗が強いものと予想していた。しかし蓋を開けてみると、今日までは政権移譲は整然と進行しているようだ。テインセイン大統領の 最後の華々しい成果と思えるし、ミャンマー国民の 底力の成果とも言える。更に頑張って!

2015年12月12日土曜日

(2771)ロヒンギャ 館林住民とモスクで交流

  12月7日の毎日新聞群馬版より。ミャンマーから逃れて日本で暮らす少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」と、地元住民との交流会が6日夜、館林市内のモスクで開かれた。市国際交流協会が主催し、ロヒンギャら約60名と、近隣住民約10名が参加。住民らがイスラム教の礼拝を見学し、意見交換して交流を深めた。在日ビルマロヒンギャ協会によると、日本人住民をモスクに呼んで、意見交換するのは今回が初めてという。ロヒンギャはミャンマー西部ラカイン州で暮らすベンガル系イスラム教徒。約100万人が無国籍状態という。1990年以降、ロヒンギャ約200人が館林市で生活している。ISがミャンマーにも侵入してくるのではないかと警戒感が高まっている。今年船で周辺国に逃れるロヒンギャが海上を漂流する「ボートピープル」が国際問題になっている。

2015年12月11日金曜日

(2770)ミャンマー経済 問われるNLDの実行力

  12月10日の朝日新聞DIGITAL版(私の視点欄)、著者:高橋昭雄(東京大学教授・ミャンマー経済)。スーチー氏率いるNLDの経済政策について、マニフェストや現地紙から見てみる。①財政の刷新。従来の不適切・非生産的な歳出を削減し、企業民営化を進める。②政治改革。従来の収賄と場当たり的判断をやめ、法による統治、政策の透明性、行政の説明責任を実現する。③農業の振興。農業を根本的に見直し生産性を高め、外資を導入する。④金融改革。中央銀行の自立性を高め、金融自由化を促進する。⑤インフラの整備。国際的な援助や 外国企業の参加を促進する。⑥環境にやさしい経済。内外の企業には、環境問題に留意した投資を求める。経験のない新大臣たちが、新興財閥や外国企業からの 贈賄攻勢に耐え、誇りを持つことが大切だ。

2015年12月10日木曜日

(2769)ミャンマー証券取引所開業

  12月10日の朝日より。副題は「日本側、49%出資 初日は上場ゼロ)」。ヤンゴン中心部の旧ミャンマー中央銀行本店の建物に入ったヤンゴン証券取引所での開所式典では、マウンマウンテイン財務副大臣が上場希望の6社の社名を公表した。国内企業しか登録できず、地元の銀行や建設、農業商社などだ。証券会社の仮免許は大和証券グループを含む国内外の約10社が得ており、企業の上場準備を支援、2012年から開設準備が進み、運営会社の51%は国営のミャンマー経済銀行が出資する。企業の資金調達は銀行からの借り入れが一般的だが、株式市場ができれば資金の調達手段が広がる。売買の中心は当面は国内の個人投資家になる。NLD経済委員会は「株式市場に期待はあるが お金持ちだけが集まる取引所にはしたくない」と話す。

2015年12月9日水曜日

(2768)ミャンマ―の若者を支援し続ける元日本兵

  12月9日の朝日新聞(ひと欄)より。今泉清詞さん(92)は、約19万人の日本兵が命を落としたビルマで従軍。「生きて帰って申し訳ない」という思いをずっと抱いていた。故郷の新潟県に復員。農家の次男に居場所はなく、牛1頭から始めた酪農が軌道に乗り、その後ゴルフ練習場などを経営した。1989年「ビルマ奨学会」を立ち上げた。きっかけは慰霊のために現地を訪れた時の体験だ。戦争中は現地の住民から食料や家畜を徴発し、田畑を踏み荒らした。しかし、慰霊団が行く先々で、住民らは暖かく迎えてくれて緒に手を合わせてくれた。感動した今泉氏は、将来を担うミャンマー人留学生を支援したいと毎年10人選び、月4万円を2年間支給した。その数は20年間で178人、奨学会はその後現地の学生を支援する形になり いまも資金援助を続行。

2015年12月8日火曜日

(2767)ミャンマーの民主化を見守る

  12月5日の朝日投書欄より。投書者は会社員合田憲子(31)。7年前、87歳で亡くなった私の祖父は、第2次世界大戦中、インパール作戦に参加。旧日本軍が1944年に英領インド東部インパールの攻略を狙った作戦で、日本兵約10万人中約3万人が死亡したとされる。当時日本の占領下にあったビルマには、日本兵が進み、撤退したルートがあった。飢餓状態で亡くなっていった友。攻撃にさらされるだけの日々。そんな中、日本兵にビルマの人々は、ただ目の前にいる人間への心遣いとして、お米や水を分け与えてくれた、と祖父は感謝していた。私は大学と大学院で国際関係を学び、ミャンマーに関心を寄せていた。11月の総選挙ではスーチー氏率いるNLDが圧勝した(中略)。憲法改正など難題が多いが、民主主義のフロンティアになってほしい。

2015年12月7日月曜日

(2766)元軍政トップとスーチー氏会談

  12月6日の朝日新聞より。ミャンマーの総選挙で圧勝したNLDのスーチー党首が4日午後に、軍事政権のトップだったタンシュエ元上級大将とひそかに会談していた。軍政の流れをくむ現政権や国軍に、今も影響力があるとされるタンシュエ氏との直接対話で、円滑な政権移譲を確実にする狙いがある。会談はネピドーの軍総司令部で行われた。タンシュエ氏は1992年から、民政移管が行われた2011年まで軍政の最高首脳を務め、スーチー氏ら民主化勢力を弾圧した。スーチー氏は、「恨みはない」と繰り返し述べ、和解を訴えてきたが、会談では80歳を超えたタンシュエ氏が、自身や家族の安全の保障を求めた可能性もある。スーチー氏はテインセイン大統領や国軍最高司令官と会談し協力を確認したが 背景にはタンシュエ氏の意向も働いた模様だ。

2015年12月6日日曜日

(2765)アジアで「イスラム国」テロ懸念

  12月5日の産経新聞より。欧州や北アフリカで相次ぐ「イスラム国」(IS)のテロが発生。テロ問題に詳しいロハン・グナラトナ氏に聞く。ISは世界の支持者に、イラクやシリアでの戦闘支援から、自らの国でクリスマス期間中に攻撃するよう命令したという情報が流れている。タイ・バンコク中心部で160人が死傷した爆弾テロでは、中国新疆ウイグル族の男性が首謀。フィリピン・ミンダナオ島で先月26日に国軍と交戦したインドネシア人はISに忠誠を誓うイスラム過激派MITの構成員。インドネシアのスラウエン州では昨年9月ウイグル族4人が逮捕されたが、MITで軍事訓練を受ける目的だったという。アジアのIS支持者が連携しているとの見方を示し、有志連合を支持する日本もISのテロの標的という(以上)。ミャンマーのロヒンギャ弾圧も極めて危険と思う。

2015年12月5日土曜日

(2764)与党Tシャツお断り ヤンゴン(特派員メモ)

  12月5日の朝日より。「与党からの注文は断ったんですよ」とヤンゴン市内でTシャツを製造販売するベビーさんが漏らした。ミャンマー総選挙に合せて先月、軍政系のUSDPに対する市民の思いを取材したときだ。「忙しいからって言ったの。でも本当はやりたくなかったのよ」。スーチー氏率いるNLDの優勢が伝えられた夜、党本部前が赤く染まった。多くの人々が着ていたのはベビーさんが作った赤いTシャツ。圧政に苦しんだ人々は歌い、踊った。選挙後も1日約50着が売れ続けていた。96年に母国に戻り店を開いた。スーチー氏の顔写真入りTシャツを、始めて作ったのは2012年。当時はまだ警察からの尋問を恐れ、扉を全て締め切った室内で作業した。「今なら逆。人気がない与党の仕事をするときに、締め切らなくては。周りから 後ろ指さされるよ」と。

2015年12月4日金曜日

(2763)政権移譲への協力確認、スーチー氏と軍トップ初会談

  12月3日の日経電子版より。スーチー党首は国軍トップのミンアウンフライン総司令官とネピドーで初談した。会談終了後国軍は「国の平和と安定、発展に向け、双方が協力することで合意した」とする声明を出した。今回の会談はスーチー氏の呼びかけに総司令官が応じたもの。この日の会談では改憲論議は封印し、政権運営の協力を求めたようだ。NLDにとって喫緊の課題は大統領候補の選定だ。NLDは党内から10名前後の候補を選び、2月の審議会までに最終候補を絞り込む考えだが、作業は難航。大統領は軍人の閣僚や国会議員を統制することが必須だが、現幹部の多くは弁護士や元運動家で高齢だ。このためUSDPの幹部を迎え入れる観測もある。筆頭候補が軍政元№3のシュエマン下院議長だが彼ではNLD支持者の離反が懸念される。

2015年12月3日木曜日

(2762)円滑な政権移譲合意 スーチー氏と大統領

  12月3日の朝日新聞より。NLDのスーチー党首は2日、ネピドーでテインセイン大統領と選挙後初めて会談し、平穏で円滑な政権移譲に協力することで合意した。NLD中心の新政権発足へ重要な一歩になりそうだ。同席したイェートゥ情報相によると、会談は45分にわたり、「政権移譲が現政権の改革の最後の成果になる」と強調した。会談は総選挙後の2日後の11月10日に要請し、テインセイン氏は応じる姿勢を示したが、日程がすぐ示されず、懸念の声も出ていた。スーチー氏は11月19日夜、タンシュエ元上級大将の孫と面会した。タンシュエ氏は、いまも現政権に影響力を持つとの観測もある。来月末にも召集される新国会でNLDの候補が、大統領になることは確実になっている。新政権はテインセイン大統領の任期が満了する 3月末にも発足する。

2015年12月2日水曜日

(2761)ミャンマー難民が正社員として勤務するユニクロ 企業レベルで難民支援

  12月1日のミャンマーニュースより。ユニクロを運営する株式会社ファーストリテイリングは11月25日、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)とグローバルパートナーシップを強化する新合意書を締結した。2016年から3年間でUNHCRに総額1000万ドルの支援を実施するという。支援金は緊急な人道支援に使われるだけでなく、難民が自立するための支援プログラムにも活用される。また国内外のユニクロ店舗で、計100人の難民雇用を目指すことも発表した。生活基盤を無くした難民の自立支援を目的とし、就業のチャンスを提供するもの。現在ではミャンマー人を含む13人の難民を日本国内で雇用している。正社員として勤務するミャンマー人のチンハルルンさんは、いつかは母国ミャンマーにユニクロを出店して、店長として戻りたい」と意欲的だ。

2015年12月1日火曜日

(2760)日産のミャンマー生産、来年にずれ込み

  12月1日の産経新聞より。日産は2013年にミャンマーでの乗用車生産を発表、東南アジアで日産車の販売などを行うタンチョングループが年間1万台の生産能力を持つ工場を建設し、今年から乗用車(サニー)の生産を始める計画だった。現地での生産・販売に関する認可は取得していたが、手続きに時間がかかり生産準備が遅れ、年内の開始は不可能になっている。日産は「粛々と準備を進めている。選挙後も政府の自動車産業へのサポートと迅速な対応を期待したい」という。ミャンマーは人口が5千万人を超え、高い成長率が期待されている。自動車需要も拡大しており、海外メーカーも進出を急いでいる。日系メーカーでは、スズキが現地生産に乗り出し、小型トラックやミニバンを生産・販売、用地も確保している。一方 ミャンマーには規制が多い。