2012年5月31日木曜日

(1479)読了103冊目:「Driven Away」

  副題は「中国―ビルマ国境で起きているカチン民族女性の人身売買」、2007年1月・在タイ国カチン女性協会(KWAT)発行、監修:田辺寿夫、翻訳:難民支援協会ボランティア有志、編集:熊切拓 他、72頁、横組み。この報告書は、2000年から2004年にかけて発生した63件の人身売買事件を取り上げ、事件に巻き込まれた14歳から20歳の婦女子85人の証言をもとにKWATがまとめたもの。人身売買が行われる原因として、カチン民族への差別、政府軍部隊の駐屯、彼女たちの極貧の暮らし、雇用機会の欠如、汚職の習慣、公共サービスの不足、麻薬撲滅運動による収入の不足、IDカード交付の怠慢、などを訴えている。この本の後半では、63件の事件内容が一覧表になっており、理解しやすい。この報告書によってカチン女性の苦しみがはっきりした。

2012年5月30日水曜日

(1478)スーチー氏外交始動

  今朝の朝日新聞には、「スーチー氏外交始動」、「24年ぶり出国を政権注視」の見出しが。スーチー氏はバンコクで30日から始まる世界経済フォーラム東アジア会議に出席するため、24年ぶりに出国した。スーチー氏は国外で抜群の人気と知名度を誇り、テインセイン大統領が進める改革を後押しするよう、制裁解除について直接国際社会に語りかけることに意味がある。なお大統領は出席を急きょ取りやめた。タイにはミャンマー人が300万人以上移り住んでおり、彼らと面会するほか、6月2日にはメソトで難民と面会する予定。国内では電力不足が深刻で、デモが起きているが、軍当局は静観を続けている。スーチー氏はこの後、14日にジュネーブを、16日にはオスロ、21日にはロンドンを訪問する予定(以上概要)。多忙な日々が続くがスーチーさん頑張って!

2012年5月29日火曜日

(1477)中国にらみインド攻勢

  きょう(5月29日)の朝日は、標記の見出しと並んで、「印首相25年ぶりミャンマーへ」、「5億ドルの借款供与」、「国際バス路線開設」などの見出しが並んでいた。インドのシン首相は28日、ネピドーでテインセイン大統領と会い、経済や安全保障といった幅広い分野での関係強化に合意した。東南アジアに接近する足掛かりを築くとともに、長くミャンマーを影響下に置いてきた中国をけん制する狙いがある。具体的には、インパールとマンダレーを結ぶバス路線の開設で、インドからの5億ドル(約400億円)の借款供与が決定。一方ミャンマーと中国の蜜月関係には変化が見られ、「温首相のミャンマー訪問の予定はなく、ミャンマーの指導者の中国訪問の予定もない」(中国外務省)(以上概要)。私が気になっていたテインセイン大統領の元気な姿が見られ、一安心。

2012年5月28日月曜日

(1476)読了102冊目:写真集「ビルマの子供たち」

  写真集「ビルマの子供たち」、山本宗補著、2003年10月・第三書館発行、64頁、定価2000円+税。同氏の著書には「ビルマの大いなる幻影」があり、すでに拙著「ミャンマー関連書籍101冊 紹介・あらすじ集」のA-14で紹介した。今回の写真集では90年代のビルマ各地の情景を62枚の写真で紹介している。強制労働に駆り出される子供たち、ダディンジュにおけるモン族の子供たち、カレン族の聖歌隊、マンダレーのムスリムの子供たち、ラカイン州の農民の子供たち、アパート建設現場の子供たち、ロンジーを売る親子、レモンを売る親子、玉ねぎやスイカを売る少女、エイズの娘、ハイスクールで学ぶ少女、武装闘争を始める学生たちなど。著者は「豊かな大地に生まれて、なぜ、こんなに貧しいのか。軍政下に生きる子供たちの未来を問う」と訴えている。

(1475)停電デモ 現地では?

  先日マンダレーでの2日間にわたる「停電デモ」を紹介したが、何となくモヤモヤした感じを受けた。現地での情報を知りたくて、早速、ミャンマー・日本語教室ブログ(中西先生)を開いてみたところちゃんと記載されていた。5月24日のBI WEEKLY ELEVEN誌によれば、NLDのドーキンタンミン氏らが事情聴取を受けたが、警察はめて丁重な態度で、紳士的な対応であり、電力省の大臣にデモ参加者を面会させたいとも言っていた。そしてデモ手続法はまだ成立していないとも。一方ヤンゴンでのデモは、警察の治安部隊により制止され、ろうそくの火を消すよう指示されたため、スーレーパゴダに引返し「電気が来ますように」祈りを捧げた。参考として各国の電力使用量は中国:48万メガワット、日本:11万、インド:7万、韓国:4万、ミャンマー:千5百とのこと。

2012年5月26日土曜日

(1474)ミャンマー改革 カギ握る成長、支援重要

  今朝の朝日の「私の視点」欄に、アジア経済研究所主任研究員の工藤年博氏が標記のテーマで投稿。唐突にも見える今回の改革は、具体的には、国軍の「自信」と「焦り」の結果といえる。「自信」というのは、23年に及ぶ統治を通じ、国軍を屋台骨とする国家体制を確立し得たという実績だ。ただその間に、国際的な立場は地に落ち、隣国のタイとの経済格差は拡大した。「焦り」を持った軍政は、国際社会に民主化を印象づけ投資を誘致して経済成長を図るという狙いだ。スーチー氏は「法の統治、国民和解、憲法改正」の3点を訴えた。15年に予定される選挙でNLDが民選議員の3分の2以上を獲得すれば、大統領を出すことも可能だ。その際国軍がどう対応するのかは読めない。問題はそれまでに経済成長が実現できるかで、日本によるODA再開は歓迎だ。

2012年5月25日金曜日

(1473)ミャンマーでのデモ行進

  共同通信によれば、21日と22日のマンダレーでのデモ行進は、それぞれ千人近くが参加した。警察当局は、22日NLDの党員を含む約15人を拘束して訊問したという。マンダレーでは、昨年11月にも、僧侶ら数百人が政治犯の釈放などを求めて抗議活動を起こしたが、このときは当局は静観していた。今回のデモ参加者は、頻発する停電に抗議して、ろうそくなどを持ち寄り、地元の電力局前に集まった。ミャンマー国内に建設したダムなどから得られる電力の多くを自国に供給する中国に抗議して、「中国よ、我々の電気を返せ」とのプラカードも見られた(以上概要)。サフラン革命のときは、車の燃料費の高騰が、そして、今回は電力不足がきっかけとなっている。そして今回特に注目されるのが「中国批判の叫び」だ。しかしデモはルールに従う姿勢が望まれる。

2012年5月24日木曜日

(1472)気になるニュース二つ

  23日の朝日は「ミャンマー連夜デモ」、「NLD党員一時拘束」と伝えた。20日に続き2夜連続、電力不足に抗議する市民千人以上がマンダレー市の市中心部を行進した。1日6時間の計画停電が始まったヤンゴンでも、100人余りが集まるデモがあった。政府は同日付の国営紙で、国民に理解を求める異例の「お願い」を掲載した。21日のデモに参加したNLD党員ら一部が当局に一時的に拘束され、事情聴取を受けたのち釈放された。一方、大統領の病状についての続報が見当たらない。もしここで大統領が不在となれば、折角民主化に舵を切ったミャンマーも、元に戻る可能性がゼロではない(以上概要)。NLD指導者は、デモや集会は事前に届け出るというルールの尊重が大切。インターネットで無秩序にデモをすることは得策ではないことに気付いてほしい。

(1471)ミャンマー投資 注目されている

  今朝の朝日の「ニュースがわからん!」欄に標記の見出しのほか「政権が代わり、経済発展が見込まれているんだ」という文言がが見られた。この半年間に、日本、米国、英国、インド、韓国などの各国のトップ(日本は枝野経産相)がミャンマーを訪問している。ミャンマーは東南アジアで最も貧しい国の一つだが、働き手の給料も安く、中国の5分の1程度。天然ガスや貴重な鉱物資源に恵まれ、人口は6200万人、今後は家電製品や自動車も売れると見込まれている。ミャンマーは長い間軍事政権であり、欧米は経済制裁を続けてきた。特に発電所や道路、港の整備が遅れた。昨年新政権が生まれ、制裁を緩める動きが相次いでいる。ミャンマーへの進出は、中国やタイが先行している。ミャンマーはアジアでは有数な親日国」だが、日本の進出は楽ではない。

2012年5月22日火曜日

(1470)ミャンマーで千人デモ

  5月21日の朝日新聞記事より。ミャンマーからの情報によれば中部の都市マンダレーで20日夜、電力不足に抗議する市民1千人以上が、市中心部でデモ行進した。21日夜も集会が予定されている。2007年に最大都市ヤンゴンで大規模な反政府デモが武力鎮圧されて以来、本格的デモが行われるのは初めて。軍事政権時代に禁じられていたデモは昨年3月に発足した現政府の改革の一環として事前の許可制となった。今回はインターネットで参加を呼び掛けられ、当局の許可を得ていないとみられるが、政権側の介入はなかった(以上概要)。折角改革が進みだしたこの時に、無許可でのデモはどうも具合が悪い。日本でやっているように、事前に当局の許可を取ってからのデモを計画してほしい。そうでないとサフラン革命の二の舞になってしまう恐れがある。

2012年5月21日月曜日

(1469)ワハッハ 小冊子 出来上がるよ!

    予告してきた小冊子「ミャンマー関連書籍101冊 紹介・あらすじ集」がいよいよ最終段階となった。全頁オールカラーの印刷が今日午前中に終わり、午後は頁合わせとホチキス止め、さらには製本テープ貼りを続けた。昨日まで、バラバラだった2560枚の紙が、今日の工程で「小冊子」に見事に変身、明日、近所の印刷屋さんに持ち込んで化粧断ち、これで完成だ。作製の際、一番の気がかりはプリンター用インクの使用量、今回はキャノンの5色パックプラスブラック(5250円)を結局4箱使用してしまった。ということは2万千円か。でも販売して利益を出そうなんていう発想はない。当初より、自費出版、非売品とすることが私の夢だったので、この夢を叶えさせてほしい。それから発行日を5月23日とさせていただいたが、この日は私たちの「結婚記念日」なのだ。

2012年5月20日日曜日

(1468)両新聞社に質問してみた

  昨日のブログで、米国のミャンマーへの投資は、朝日は「全分野解禁」とうたい、日経(電子版)は「制裁継続、大統領令を1年間延長」」と打ち出しており、その差の大きいことを取り上げた。まあ、細かい記事内容を見比べると大差はないようにも見えるが、問題は見出しの表現。内容を確かめるため、両新聞社の「読者相談室」的な部署に電話をしてみた。朝日の担当者は、丁寧な口調で、「第1報と考えてほしい、続報で説明する」という。日経のほうは「すでに続報が出ている。19日の朝刊を見てほしい」という。その朝刊を購入して読むと、見出しは「米、ミャンマー投資解禁」、「ドル送金再開の可能性」、「日本企業にも追い風」とあり、小さく「製品禁輸残る」と。結局は電子版での行き過ぎを修正する形での続報だ。新聞の場合は「続報」で修正が効くから楽だ。

2012年5月19日土曜日

(1467)対ミャンマー制裁 米国の態度は?

  5月18日の朝日夕刊の見出しに、「ミャンマー投資 米 、全分野解禁」の文字があったが、日経の同日付電子版は、「米、対ミャンマー制裁継続、大統領令を1年間延長」と報じていた。朝日のほうは、初めて訪米したミャンマーのワナマウンルウィン外相との会談後、クリントン国務長官が発表したもの。一方日経のほうは、オバマ大統領が発表したもので、テインセイン大統領の改革を支持するが、米議会では投資・貿易の解禁に慎重論が根強く、オバマ氏はこれに配慮して「なお改善の余地がある」との判断を示したようだ。主要な経済措置のうち、法改正が必要なものは継続する。結局、経済制裁に有効な法律は1年間温存しながら、現実的には民間分野は全面解禁という、ややこしい手法なのか。議会がややこしいと記者も大変、両紙の続報が待たれるところだ。

2012年5月18日金曜日

(1466)ミャンマー大統領が心臓発作で入院

  今朝の産経ニュースによれば、テインセイン大統領(67)が17日朝心臓発作のため倒れ、首都ネピドーの病院に搬送された。ミャンマーの民主化と変革の行方は、テインセイン大統領の健康状態にもかかっており、容態が懸念されている。詳しい内容は不明、政府筋はペースメーカーが十分に機能せず、一時意識を失ったとしている。このため午前中の閣議を開催できなかった。容態次第では、シンガポールの病院に搬送される可能性もある。大統領顧問のココフライン氏は、テインセイン大統領は2015年の総選挙には出馬しないという。次期大統領候補の筆頭は国民代表院(下院)議長のトラシュエマン氏だが、混乱する可能性がある。保守・強硬派のティンアウンミンウー副大統領は辞表を出しており、後任は近く決まるが、スーチー氏の名も出ている。

2012年5月17日木曜日

(1465)「ミャンマー関連101冊紹介小冊子」 途中報告

  いま私が熱中しているのが、「ミャンマー関連書籍101冊 紹介とあらすじ集」の発行だ。B-5判、61頁を予定している。当初100冊を考えていたが、101冊のほうがカッコいいと思って決めた。この101冊を6章に分け、それぞれ発行年代順に記載した。各章ごとに色を変え、華やかさを添えてみた。埋め草のイラストは、ミャンマーの小学低学年の教材から抜粋してみた。なんだか明るくなったみたい。表紙写真は101冊全部撮ってパソコンに移していたが、途中でパソコンがぶっ壊れ、全部パー。私も茫然自失。何もないところからの再出発であったが、皆さんのご支援で、何とか間に合った。一応原稿が全部揃ったので、明日から製本開始。とりあえず30部で、様子を見ながら増刷したい。私の趣味の部分が多いので、自費出版で非売品、5月下旬には完成だ。

2012年5月16日水曜日

(1464)ミャンマー「北朝鮮とは距離とる」

  今朝の朝日には「北朝鮮とは距離とる」、「ミャンマー大統領 韓国大統領に」との見出しが並んでいた。韓国大統領として、29年ぶりにミャンマーを訪れた李明博大統領は、スーチー氏と会見後、北朝鮮の爆弾テロが起きたアウンサン廟を訪れ、犠牲者の冥福を祈った。前日のテインセイン大統領との会談で、北朝鮮との間で、国連安保理決議に違反するいかなる活動も行わないよう要請し、テインセイン大統領は、「国連安保理決議を順守し、北朝鮮とは距離を取る」と明言、韓国側にとって大きな成果を得た形だ。なお、テインセイン大統領は、ロシアの10メガワット級の実験用原子炉にも触れ、すでに建設を断念したと発言。スーチー氏との会談では、「経済発展のために民主主義や人権自由が犠牲になってはならない」との点で意見が一致、明るい兆しだ。

2012年5月15日火曜日

(1463)李大統領ミャンマー訪問

  朝日新聞の昨日の夕刊と今日の朝刊に、このニュースが大きく取り上げられていた。夕刊の見出しは「韓国大統領ミャンマーへ」、「暗殺未遂事件以来29年ぶり」と並び、朝刊は「29年の溝 修復急ぐ韓国」、「李大統領ミャンマー訪問」、「北朝鮮との関係くさび打つ狙い」、「市場・資源獲得へ巻き返し」と並んでいた。韓国の李明博大統領が14日、北朝鮮と軍事協力関係にあるミャンマーを電撃訪問し、テインセイン大統領と会談した。15日にはスーチー女史と会う予定。経済協力を呼び水に改革路線を歩むミャンマーを北朝鮮から切り離す狙いだ。韓国がミャンマーとの関係強化を図るもう一つの理由は経済だ。ミャンマーには天然ガスや鉱物などの豊かな資源があり、安い人件費、6千万人の市場も有望。ミャンマー側は製鉄など重工業を含めた投資を期待する。

2012年5月14日月曜日

(1462)ビルマからの手紙(新・旧)の書評

  5月7日の朝日新聞書評欄に、毎日新聞社から発行された「新ビルマからの手紙」と、15年以上前に発行された「ビルマからの手紙」の増補復刻版の2冊が取り上げられていた。各1575円、訳者は土佐桂子、永井浩ほか。評者はいとうせいこう氏。どちらの本もビルマの季節の移り変わりが端正な文章で活写されていてみずみずしく、その分だけ時を問わずに襲い掛かる弾圧の過酷さがひしひしと伝わってくる。だが、著者自身が何度も触れる通り、ビルマ民主化運動を担う人たちは「生来の明るさ」を持つという。逮捕を恐れずに集まるジャーナリストや民衆たちは決してユーモアを欠かさない。著者スーチー女史の毅然とした姿勢、慎み深いまなざし、そして圧倒的な教養は無論のこと、日本人がビルマから学ぶべきは、この粘り強い抵抗の明るさではなかろうか。

2012年5月13日日曜日

(1461)ミャンマー制裁緩和 次々

  標記は5月10日の朝日の見出し。その他に「欧米、投資・貿易の拡大視野」、「時期尚早批判も」の見出しを併記。スーチー氏の国政参加など、改革の進むミャンマーに対し、欧米諸国が相次いで制裁解除や緩和に踏み切っている。援助や投資競争に後れを取りたくないとの思惑も見え、時期尚早との批判も上がる。米議会では「改革を促すため、すべての経済制裁を解除すべき」(民主党ウエップ議員)、「人権侵害が続いており、制裁解除は急ぎ過ぎないように」(民主党クローリー議員)と議会内の意見が割れている。日本は経済制裁を科していなかったが、ODAについては人道目的に限定し、最近はインフラ整備などへの拡大や円借款再開など段階的に条件を緩和してきた。英国のNGOは「人権は世界最悪、軍が政府の全レベルで権力を掌握」と指摘した。

2012年5月12日土曜日

(1460)このブログ、サクサク動くようになりました。

  このブログをお読みの皆さん、長い間ご迷惑をおかけしました。一昨日、このメール上で「遅い」、「重い」、「動かない」とのクレームをいただき、対処方法がわからない旨書きましたが、早速G先生から解決方法を教えていただきました。指示に従い恐る恐るクリックを数回繰り返して、従来最大「500投稿」という設定を「7投稿」に減らしてみました。その結果が見事にサクサク、すっごく嬉しいです。私は毎日毎日、このブログを打っており、これからは爽やかな気分でパソコンの前に座れそうです。何よりも読者の方への負担を減らすことができ、ホッとしています。なお、「7投稿」に変更したため、7回分(7日分)見たら一応ストップしますが、「前の投稿」というボタンをクリックすれば、それ以前のものもすべて見られます。G先生、本当にありがとうございました。感謝感激。

2012年5月11日金曜日

(1459)書籍「ミャンマー政治の実像」の紹介

  先日の毎日新聞に「ミャンマー政治の実像」(工藤年博 編・アジア経済研究所発行、4515円)についての白石隆氏の書評が掲載されていた。ミャンマー関連の書籍に対する書評は珍しい。私は95年ごろのビルマ語学習時代に工藤氏とは面識があり、まじめな経済研究者であった。軍政は88年以降その権力基盤を強化したが、コストも大きかった。これを是正し、軍政下では達成できなかった課題に取り組む。これが改革なのだ。この改革の大きなシナリオは軍政時代にすでに確立していた。この展望については、08年憲法の枠内にとどまる限り進む。即ち改革は進むという。しかしこの枠をはみ出そうとしたときに反動がありうるという(以上概要)。私はこの反動の発生時期は3年後の総選挙の時と考える。それまでに経済を立て直し、軍事大国を目指すのでは??

2012年5月10日木曜日

(1458)どなたか教えてください

  私は83歳、いまPCの使い方に困っています。どうすればいいのか、どなたか教えてください。というのは、このブログを見ている友人から、動きが遅すぎ、時間がかかり過ぎるというクレームが聞こえているからです。このことは、私自身も多少感じている所であり、サクサクと動かしたいのですが、処理方法がわかりません。このブログはすでに1400回以上も連日打っており、そのため重くなってるのかなとも思いますが、1回400字以下であり、こんなに早く動きが鈍くなるとも思えません。私の場合、ブログ画面は数秒で開きますが、開いた後20秒ぐらい経たないと動き出しません。動き出せばあとは問題ありません。このブログはグーグル・クロームによる、nmingalar.blogspot.comを利用しています。サクサクとスピーディーに動く方法をどなたか教えてください。

2012年5月9日水曜日

(1457)ビルマからの手紙(2012-4)

  見出しは、「母・キンチー女史生誕100年」、「強さを持った慈悲の人」。母はイラワジ川のデルタ地帯の小さな町で10人兄弟の8番目に生まれ、今年は生誕100年。祖父は成人になってからキリスト教に改宗し、祖母は仏教徒であり続けた。しかし母の家族は信教を巡るいさかいとは無縁であった。母は看護職につくために国立学校の教師の職をやめ、ラングーンへ行って看護実習生として総合病院に就職した。看護師は母にとって、まさに天職であった。彼女は名人であり、慈悲の人そのものであった。ビルマ独立義勇軍の若き司令官が彼女の看護を受けた時、「この女性こそ自分が生涯を共にしたい人だ」と心に決めたことは不思議ではない。それは1942年のことだ。「お断りします」との返事を受け付けなかった求婚者は、私の父、若きアウンサン将軍であった。

2012年5月8日火曜日

(1456)難民認定審査の処理期間

  先日、法務省から平成23年度第4四半期の難民認定審査の平均処理期間が5.4か月と公表された。平成22年度の平均が10~14か月であったのが、平成23年度は4~5か月に短縮されており、慶賀の至りである。しかし、23年度の難民申請者は1867人、難民認定者は21人(うち異議申立後の認定者は14人)。結局7人(0.3%)が第一次審査で認められたに過ぎない。(ブログ1383を参考)。その反面、異議申立者が急増している。こちらのほうの処理は遅れに遅れ、今まで2年程度と言われていたのが、ついに3年と言われるようになってきた。この間、就労禁止状態が続く人も多数おり、この非人道的な状態を解消するために、異議申し立て後の期間も含めて6か月に短縮してほしい。そして厳しい生活を続けているミャンマー人を助けて欲しい。

2012年5月7日月曜日

(1455)ミャンマー副大統領が辞職

  産経ニュース(5月6日)によれば、ミャンマーのティハ・トゥラ・ティン・アウン・ミン・ウー副大統領が辞表を提出したと報じた。副大統領は、テイン・セイン大統領が進める民主改革に抵抗する「守旧派」の代表格とみられており、政権内部の対立が露呈した形。「改革路線に同意できないことと、自身の健康問題が理由」(地元記者)との見方も出ている。VOAは、政府に近い情報筋の話として、副大統領が最近、治療のためシンガポールを訪れて数日前に帰国し、3日に辞表を提出したと報じた(以上概要)。ミャンマーのテインセイン大統領の民主化志向は、すごい迫力を抱いて、突っ走ってきていたが、ここで飛び出した守旧派の動きが注目される。この動きも早すぎる感があるが、背後にいるタンシュエ元議長の意向はどうなのか、ミャンマーに目が離せられない。

2012年5月6日日曜日

(1454)「ミャンマー関連書籍百冊の紹介」途中報告

  いま私は「ミャンマー関連書籍の百冊 紹介・あらすじ集」(仮題)の作成に取り掛かっている。2008年からこの「U MINGALARのつぶやき」(私のブログ集)に時々掲載してきた内容の集大成である。当初は、こんな小冊子を作ることは思ってもいなかったが、途中からミャンマー情勢が変わってきて、国民の関心も高まってきたこの時期に、ミャンマーとはどんな国なのか、書籍を通して紹介するのも意味があると考え出した。百冊を読み終わっていよいよまとめようとしたときに、愛用のパソコンが壊れ、呆然自失の状況に。幸い、ブログのほうは新パソコンでも表示できたが、営々と撮った表紙写真が完全に消失、やむなく友人や図書館から取り寄せたり、インターネットを利用したりして、90冊分の表紙は集まった。あと一息だ。残り10冊分も図書館で何とかなりそうだ。

2012年5月5日土曜日

(1453)第三国定住と公明党

  第三国定住に関する意見がいろいろ取りざたされているが、公明党はどうであろうか。旧聞だが、4月17日の公明新聞に以下のような記載があった。パイロットケースは3年間で90人を受け入れる計画で始まったが、第1陣5家族27人、第2陣4家族18人、第3陣は2家族10人で、当初目標の6割程度にとどまる。この間、様々な課題が浮かび上がっている。最大の問題は言葉の壁で、第1陣の2家族はこの問題を理由に離脱。来日後、日本語や社会適応指導、職業相談など膨大なプログラムを受講するが、習得は困難であり、研修期間の延長、地域社会での継続が必要。より重要なのは、自治体やNGOなどによる「内なる国際化」の盛上げで、「多文化・多民族共生」への取り組みだ。他国からの「難民鎖国」の蔑称を受けないよう、難民政策の拡充が必要。

2012年5月4日金曜日

(1452)ミャンマー消えるケシ畑

  5月4日の朝日には、標記の見出しのほか、「政府14年までに麻薬根絶」、「収入源失う農家」などの見出しが並んでいた。麻薬の原料となるケシの生産が世界第2位のミャンマーで、同国政府がケシ畑の根絶に向け本腰を入れている。主産地だった少数民族地域で武装勢力との停戦が進み、取締りの手が入りやすくなったためだ。国連は、生産の糧を失った農家への食糧援助を通じて後押しする方針。潘基文国連事務総長は現地を視察した。国連薬物犯罪事務所によると、栽培面積の大半が集中する同州では、この1年で3分の1以上の畑が消えた。ミャンマー政府は、2011年半ばに全土で4万3千㌶あったケシ畑のうち、2万3千600㌶を根絶したと成果を誇る。国連は20年以上麻薬対策に取り組んだが失敗続きだった。兵士の社会復帰などが必要という。

2012年5月3日木曜日

(1451)スーチー議員が始動

  NLDのスーチー党首ら38人が2日国会議員に就任し、国政への一歩を踏み出した。国軍と民主化勢力の対立が20年以上続いたミャンマーは、国会で与野党が国民和解や経済改革などを議論する新しい時代に入った。国会の実質的審議は次回会期の始まる7月からとなる見込み。NLDが得た議席は、宣誓式に欠席した3人を含めて両院合わせて41、議会の最大野党勢力であるが、全議席(定数664)の6%に過ぎず、他党との連携、さらには軍との協力を模索することになろう。NLDは憲法改正を掲げ、政権与党と対立する可能性もある(以上概要)。数日前から問題であった宣誓文の中の「憲法を順守する」との文言は、結局政権側と妥協して宣誓したようだ。スーチー氏は「柔軟さこそ、暴力なしで私たちの目標を達成する唯一の方法だ」と述べたという。

2012年5月2日水曜日

(1450)ミャンマー支援今月会合

  昨日の朝日夕刊に、標記の見出しのほか、「日本、各国・機関に呼びかけ」の活字が並んでいた。日本の途上国援助(ODA)の本格的再開や、欧米の制裁緩和の動きが相次ぐなか、援助する側が初めて一堂に会し、今後の方針や連携についての意見交換会を国連と共催して開く。会合は、欧米各国や、国連諸機関、世界銀行、アジア開発銀行、国際通貨基金などから約50人が参加し、15.16の両日マンダレーで開く。中国、韓国、インド、タイにも参加を呼び掛ける。ミャンマーへのばらばらな支援を避け、援助の方針、分野などについて実務者レベルで協議するが、ミャンマー政府は参加しない。同国政府も参加する本格会合が年内に開かれ、最大援助国の日本が主催国として名乗りを上げたい考え。日本が援助分野で主導権を握りたいとの思惑もあるようだ。

2012年5月1日火曜日

(1449)社説:ミャンマー支援 民主化を促してこそ

  昨日は、ミャンマーの民主化について、アジア総局長が、今日は社説だ。ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナムのメコン流域国に、日本は来年度から3年間で約6千億円の途上国援助(ODA)などに乗り出す。中でもミャンマーへの円借款3千億円を段階的に放棄し、25年ぶりに供与を再開する。だが実施に当たっては、二つの注文がある。一つは強権的な政府の体制温存に手を貸すような援助にしてはならないということ。今も国会議員の8割は軍人や軍出身者だ。このため日本政府は債権放棄のうち1700億円分は今後1年間のミャンマー政府の改革努力を見て決めるという。その際第三者機関の判断が必要だ。もう一つは過去の検証で貸し手責任をきっちり問うべきだ。「民主化なくして援助なし」という姿勢を日本政府は堅持しなければならない。

(1448)その変化、本物か表層か

  4月30日の朝刊『風』欄に、朝日新聞アジア総局長藤谷健氏が、標記の見出しでミャンマーの改革路線を論じている。テインセイン大統領が来日し記念撮影のとき、いつも定位置のように大統領のすぐ後ろに立っている精悍な顔つきの男性、それがテーザー氏だ。彼の後ろ盾がタンシュエ上級大将と言われる。そのほか軍政時代からの取り巻き政商も複数みられる。民政移管と言っても閣僚の大半が元軍人、来日した一行を見てると、結局は表層に過ぎないのかといぶかってしまう。滞在したホテルには、大統領と面会する日本の有力政治家や、企業トップが列をなした。今後改革が進めば、ミャンマーに投資や援助が殺到するだろう。新しいワインを古い革袋に入れるなという言葉がある。袋が破けないよう、支えることも大切だ(以上)。政商という言葉は嫌いだ。