2009年3月31日火曜日

(324)増える難民不認定者 朝日に

(2009年3月31日)
  昨日の朝日新聞茨城版朝刊に「現場を究める」という総合タイトルの第1回目として「増える難民不認定者」という見出しで、BRSA関係者であるビルマ人の窮状が大きく取り上げられた。書いた鈴木記者は私たちの役員会の席にも現れ、大瀧会長の取材をしていたが、たまたま居合わせたビルマ人難民申請者のAさんも取材していた。そのAさんが取材後吐血し、近くの総合病院で緊急手術、その後も鈴木記者はAさんをお見舞いがてら取材を続けた。鈴木記者はこの壮絶な難民不認定者を目の前にして、当初の構想を急遽変更したようだ。Aさんは15年前に来日したが、昨年牛久入管に収容され、8ヵ月後に仮放免。祖国に帰ることもできず、不法就労を続けながら社会の片隅でひっそりと生きている。「難民鎖国ニッポン」の現状を鋭く紹介している。なお写真は難民申請中のビルマ人4人が住む一室での侘しい食事風景。

2009年3月30日月曜日

(323)問題山積、昨日の日曜日

(2009年3月30日)
  昨日は3月最後の日曜日、午前中アキバの教室に顔を出した。生徒の一人に例の給付金申請書が届いたので記入方法を教える。その後予約のあったビルマ人3人と面談、入管提出用にBRSAの入会証明書がほしいという。午後、巣鴨の大滝邸に行き3人の入会証明書を取得、引き続き臨時幹部役員会に出席、規約の中の各部の活動内容が、ビルマ語と日本語で異なる点について検討、ビルマ語の達者なU氏が加わり議論白熱、なかなか結論が得られなかった。以前から言葉の壁をしばしば経験してきたが、規約のような法律的用語の翻訳の難しさを改めて知った。議論してる最中2人のビルマ女性が突然現れ、ドイツで難民となったビルマ人が来日して難民申請したが認められず、入管に収容されたので助けてほしいと嘆願、皆で検討したがドイツへの強制送還もありうるので弁護士との相談を勧めた。問題山積だ。

2009年3月29日日曜日

(322)今週のビルマのニュース⑫

(2009年3月29日)
  BURMAINFOからのニュース12号より抜粋、 ★「国軍の日」の27日、軍政は首都ネピドーで軍事パレードを行った。タンシュエ将軍は「成熟した民主主義は1日で実現できず、200年から300年かかる」と演説、同日NLDも党本部で式典を開き軍政に対し政治囚の釈放と民主化勢力との対話を呼びかけた。 ★「国軍の日」の前日26日ヤンゴンで爆弾が爆発し1人死亡、19日にはラショーでも爆弾が爆発したが怪我人なし。 ★インセイン裁判所で新たに13人に禁固刑判決を宣告、サイクロン被災者支援活動やスーチー氏の解放を求めたのが理由。 ★NLDは軍政に書簡を出し、来年の選挙にどう対応するか協議するためスーチー氏とティンウー氏に会う許可を求めた。 ★中国共産党の李長春常務委員がビルマ訪問、アラカン州沖から雲南省までの石油・ガスパイプライン(12億ドル)を中国が全額負担するらしい。

2009年3月28日土曜日

(321)イッヒヒ 愛読者7000名突破

(2009年3月28日)
  今朝のアクセスカウンターを覗いて見ると7001、この拙いブログを読んでいただいている愛読者がなんと延べ7001人。皆さん、ありがとうございます。ところで私は最近毎日の読者数をグラフにとっている。グラフ用紙に一日40人の割合で直線を引き、日々の読者数がその上になるか、下になるか一喜一憂している。なんとも子供じみているが、これが一つの楽しみなのだ。結局一日平均38名となり、10000名の大台達成まではあと79日後、ということは6月中旬、梅雨のころだ。6000名達成した時のブログ(295)では10000名達成は7月7日頃と予測したが、若干早まりそうだ。6月の梅雨の頃、アジサイが紫に色づいたころ思い出してくださいね。ところで今朝のヤフーニュースによれば中川翔子が1日100回もブログを更新したという。とても信じられないが、まあ私は1日1回、こつこつと続けるしかない。ご支援よろしく!

2009年3月27日金曜日

(320)オバマ政権とビルマ

(2009年3月27日)
  今朝の朝日新聞に「首都ネピドー米高官初訪問」という見出しで米国務省のブレーク東南アジア部長がビルマを訪れニャンウイン外相や国民民主連盟(NLD)の幹部らとそれぞれ会談した旨小さく報じていた。実はこのニュースは将来のビルマ問題を論ずる際に大きな意味を持っている。前のブッシュ大統領のときの米政府は、ビルマ軍事政権に対して批判を続け、経済制裁を高々と掲げてきたが、今回オバマ大統領に替わり対ビルマ政策がどのように変わるのか注目されていた。軍政トップのタンシュエ議長も変化を期待し、オバマ大統領就任時には祝辞を贈っていた。今回のブレーク部長のネピドー訪問は米高官としては初めてである。米国が軍政との直接対話をさらに進めるかどうかは不明。なお、ブレーク部長は「オバマ政権のビルマ政策はまだ決まってない」と話したという。今後とも、このブレーク部長の動向に要注意!

2009年3月26日木曜日

(319)忙、忙、忙、水曜日

(2009年3月26日)
  昨日の水曜日も忙、忙、忙。親しいビルマ人女性が地下鉄駅で知らない女性にハイヒールで足を蹴られ負傷、犯人はそのまま逃走、駅員の誘導で駅近くの病院で治療を受けたが、その費用3万円弱が払えないため、私が朝10時にその病院に行き立替完了。その足で品川入管訪問、午前中9名と面会、皆元気で12時過ぎに終了。午後は1時から仮放免担当部署に行き、私が保証人をしてる女性の仮放免手続きをした後タクシーで田町の三菱銀行へ、保証金30万円を支払い、再び担当部署に戻る。45分待つと出所する女性が大荷物を抱えて入室、喜びを分かち合った。所定の手続きをすませて晴れて自由の身となる。寝る所がないので、彼女の友人のいる大久保駅まで同行。ここで友人と出会い抱き合っていたが、その友人も私の知人、彼女の娘は私が牛久入管で何回も面会した人。夜、BRSA関連資料を作成。

2009年3月25日水曜日

(318)ビルマの伝統医療脈々と

(2009年3月25日)
  私は最近背中が痛い。大病院でいろいろ調べてもらったが結局老化現象の一つで、筋肉が弱っているから骨のギザギザに当たり痛むとのこと。そこで、私は街中にある鍼灸、マッサージ、指圧などの民間療法を受けることはどうかと医師に質問をぶつけた。医師は「悪化することもありますよ」と冷淡そのもの。ところが今朝の朝日新聞には、ビルマでは安さが魅力で伝統医療が脈々と続いていると大きく報じていた。西洋医療の病院では入院に1日1400円かかるが、伝統医療の病院では470円。ビルマ人の86%が伝統医療を信じ、99%が効果を信頼してるという。経済制裁下のビルマでは、医薬品や医療機器の輸入に頼らざるを得ない西洋医療よりも、国内で対処できる伝統医療のほうが軍事政権には都合がいいようだ。WHOによると先進国でも90年以降、伝統医療を「補完治療」として見直す機運が高まっているという。

2009年3月24日火曜日

(317)ビルマ語翻訳者のグループを

(2009年3月24日)
  難民希望のビルマ人は急増中で、まず彼らは難民認定申請書に記入する。一般的な項目として氏名、生年月日から始まって、家族構成や居住暦などの項目が並んでいる。その後に難民申請する理由を確かめるために迫害の経験、生活費用など21項目の質問が続く。この記入用紙の質問項目はビルマ語でも列記してあり、それを読んでビルマ語で回答すると同時に、日本語訳をつけなければならない。口頭及び書類審査で不認定となると、こんどは不認定の理由書が渡され、不認定に異議がある場合は「異議申立てに係る申述書」を書くことになる。その内容は不服の理由や新たな証拠などをビルマ語で書き、別に日本語訳もつける。すでに在日組織に加入してる人は組織で助けて貰えるが、それ以外は個々に翻訳者を探さなければならず辛いことになる。今後は翻訳者のボランティアグループの結成も必要な気がするが。

2009年3月23日月曜日

(316)また日曜日がやってきた

(2009年3月23日)
  昨日は日曜日、メールチェックしてからアキバの教室へ。きょうも溢れんばかりのビルマの青年たちがいて「先生おはようございます」と方々から声がかかる。いろんな人と情報交換をして、ふと見るとU先生がいた。U先生は日本人でありながら、ビルマ語を独力で勉強し今や通訳が出来る実力者で私と同じアイウエオクラスの先生だ。たまたまBRSAの役員会が今日あるので誘ったらOKとのことなので一緒に巣鴨の大瀧邸へ行く。2時過ぎから役員ら15名が参集して規約や総会などについて討議、この日も議論が白熱した。いつも通訳してくれるビルマ人女性の到着が大幅に遅れたので、急遽Uさんが通訳代行、お陰でずいぶんスムースに進行した。両国人による会議ではどうしても言葉の壁があり、通訳者、翻訳者の存在がますます重要になる。帰宅すると翻訳の添削依頼が2人のビルマ人から来ており、慌てて対応。

2009年3月22日日曜日

(315)今週のビルマのニュース⑩⑪

(2009年3月22日)
 BURMAINFOからのニュース10.11号からの抜粋、 ★69年の禁固刑を受けて服役中の僧侶ガンビラ師(全ビルマ僧侶連盟代表)の家族6名全員に5年の禁固刑の判決。 ★国会代行委員会(CRPP:NLDやSNLDなど5党)は2008年憲法の見直しがない限り来年の選挙には参加しない方針。 ★新首都ネピドーに新パゴダが完成、タンシュエ将軍らが出席、新パゴダはシュエダゴンバゴダのレプリカで1メートル低い99メートル。 ★中国は2013年春にもシュエ田の天然ガス輸入を開始。輸送パイプライン建設や費用負担についてビルマ側と交渉中。 ★サイクロンナルギスの報告書「サイクロン襲来その後~イラワジデルタからの声~」が出版された。 ★ビルマ政治囚釈放署名運動が開始、全世界で88万8888人の署名を集め国連事務総長に提出する予定。 ★ODA:サイクロン被災地区に1310万ドル支援。

2009年3月21日土曜日

(314)ビルマの大いなる幻影

(2009年3月21日)


  いま私は山本宗補氏のサイン入りの「ビルマの大いなる幻影」という単行本を読み返している。1996年発行だから13年前の著作だ。著者は主に解放を求めるカレン族に光を当て、スーチー民主化の行方について解説している。その中で私が見落としていた部分があった。ロヒンギャー族に対する政府軍の弾圧の項目だ。東部国境地帯にはカレン民族を中心とした難民が現在16万人いるといわれるが、西部国境地帯には当時27万人ものロヒンギャ難民が怯えながら貧しく生活していたという。カレン民族とロヒンギャー民族を弾圧する姿は共通しており、共にビルマ民族以外の少数民族と、仏教以外の宗教を弾圧するという国軍優越主義の現われだと著者は論じている。昨年発効された新憲法の348章を読むと、国家は民族、出身地、宗教などによって差別してはならないとある。大いなる幻影になりそうな気がする。


2009年3月20日金曜日

(313)面白い 中西さんのブログ

(2009年3月20日)
  ヤンゴン在住の中西さんのブログが面白い。ブログ名は「ミャンマー・日本語学校ブログ」であり、インターネットトップページにこの通り打ち込んで検索ボタンをクリックすればすぐに出てくる。ミャンマーの日常生活の様子はこのブログを見ていればまず十分。最近のブログを抜粋、紹介する。(3月12日)大学入学資格試験の様子が写真とともに楽しい文章で報ぜられている。日本で言うセンター試験であり、それこそ彼らの人生が決まってしまう。学力低下が懸念されている若きビルマ人も大いに頑張ってほしい。(3月16日)ミャンマーでプロのサッカーリーグが結成されたとのこと。私も数年前千駄ヶ谷の国立競技場で日本対ミャンマーのサッカーの試合を観戦し、ゴールキーパーのアウンアウンウー選手を応援したことを思い出した。(3月18日)チャット高で海外留学費用が大幅に安くなってると報じている。今後とも紹介したい。

2009年3月19日木曜日

(312)急激に話題化 ロヒンギャ族

(2009年3月19日)
  昨日の読売朝刊には8段も割いて「ロヒンギャ族孤立無援」の記事が掲載されていた。この民族のことは当ブログでも再三取り上げてきたが、気の毒な民族である。ビルマ西部に居住していても軍事政権からは自国民とは認められず、強制労働などで虐待されている。周辺のバングラディッシュやタイ、インドネシアからも彼らは不法移民であり、難民とは認められていない。ロヒンギャ族は軍事政権反対の立場であるが、同じ反軍事政権の立場の在日ビルマ人から毛嫌いされている。「敵の敵は味方」という論理は成り立っていないのだ。写真で見る彼らの容姿は確かに一般ビルマ人とは異なり、眼光が鋭く、巻き毛の人が多く、かつ全員がイスラム教徒である。日本でも群馬県館林周辺に150人ぐらいが平和に暮らしているという。近く国連難民高等弁務官が、ビルマ政府と協議を始めるようだが、進展は期待できないだろう。

2009年3月18日水曜日

(311)きょうは割りと静かな水曜日

(2009年3月18日)
  きょうは毎度お騒がせの水曜日、午前中所用を済ませてから12時に品川入管に着く。面会は1日10名が限度、現在ビルマ人女性は10名いるので全員に面会できた。入管側の意向で4人、3人、3人の3組に分けて各10分ずつ、一人当たりにするとせいぜい2-3分の短時間面会だ。10人の希望や質問等をメモして面会室を出ると、旧知の法律家に会う。彼は例のフィリピン人親子の担当弁護士はやり過ぎだという。最高裁で結論が出ているのに情に訴えようとしているとの意見だ。それには私も反論した。たまたま今朝の読売の投書欄には賛否両論が出ていた。法か情か実に難しい。帰宅途中、ビルマ人男性から電話が入り保証金のない男性を助けてほしいとのこと、私自身10人以上の保証人を引き受けており無理と返事、辛かった。さらにその後、きょう面会した女性の従兄弟から様子を聞いてきたので状況を説明した。

2009年3月17日火曜日

(310)ミャンマー連邦共和国憲法

(2009年3月17日)
  ビルマ(ミャンマー連邦共和国)は昨年成立した憲法を基に、いよいよ来年総選挙が行われる。私は少数民族がどういう形で存続するのか興味を持っていたが、憲法全文の日本語訳が見当たらなかった。いろいろ探しているうちに中西修さんのブログ「ミャンマー・日本語学校」にあることを知り、いま全文をコピーした。日本文で61頁(ビルマ語で190頁)に及ぶ長編であり、中西さん自らが2008年6月から翻訳を始め、1ヵ月半も掛けて完訳した力作である。憲法の構成は前文、国家の基本的原則、国家の構成形態、立法権、行政権、司法権、国軍、国籍と国民の権利・義務、選挙、政治政党、非常事態に関する規定、憲法の改正、国旗・国印・国歌と首都、移行期に関する規定、付則の15章よりなっている。読むのはこれからだが、日本語は平易であり、時間を掛けてじっくり読んで見たい。中西さんよ、本当にご苦労様でした。

2009年3月16日月曜日

(309)鬼の国のような法律

(2009年3月16日)
  (296)でも書いたが、住民基本台帳に外国人も登録する制度が国会に提出されたが、その元となるのが「外国人台帳制度に関する懇談会報告書」である。現在の外国人登録法と入管法による二元的管理では不十分であり、今後は入管が発行する「在留カード」を中心にして効率化を図るという。しかし難民申請者対応の項目が欠如しており、彼らは事実上生活できなくなる。ただ、難民申請者にとって僅かに救えるのが、報告書の中にある次の付記。「・・・なお、本懇談会の検討の範囲外ではあるが、この(在留)許可がなされるまでの間についても、国際的な動向に配慮しつつ、国として行うべき行政サービスについて検討する必要があるとの指摘があった」という点。母国に帰れず真面目に生活している人たちを、法律で「幽霊」にすること、そして彼らに対する「就労不可」という鬼の国のような法律を早急に改正してほしい。

2009年3月15日日曜日

(308)日曜日だって忙しい

(2009年3月15日)
  きょう(日曜日)も滅茶苦茶に忙しい。9時15分にアキバの教室に到着、アイウエオクラスの授業を始める。きょうはサ行とタ行で生徒は17名、発音や書き方を教えた。11時に授業は終了したが廊下にはビルマ人3人が待っていた。彼らは研修生であり10月にビザが切れるがどうしたらよいかという質問。いろいろの例を教える。次に巣鴨の大滝邸を訪れ、BRSAの臨時役員会に出席、規約を討論、凄まじいほどの甲論乙駁、6時ごろ終了したが、途中から朝日新聞鈴木記者が会長取材のため来室、日本語、ビルマ語入り混じった激論をどう感じたであろう? 会議終了後、鈴木記者に挨拶して帰る。ところが秋葉原駅に着いたら旧知のビルマ人から電話が入り、喫茶店で話を聞く。彼の友人が入管に収容されたが、保証金が払えないというので事情を説明して別れた。最後に津田沼駅の本屋で、ビルマ人に贈る書籍を購入。

2009年3月14日土曜日

(307)NPO法人を目指して

(2009年3月14日)
  BRSAは間もなく設立1周年、体制強化の一環として「NPO法人化」への模索が始まっている。我々のBRSAはNPO(公益の増進を目的とする非営利団体)ではあるが、法人格はなく単なる任意団体である。ここで法人格を取れば社会的に正式に認められた団体として、様々な活動がしやすくなる。収益事業、職員への給与も可能であり、寄付も受けやすくなる。従来公益法人としては、社団法人、財団法人などがあったが、その設立には厳しい条件があり一般市民には無理であった。NPO法人ならば申請後4ヶ月で認証される。現在ビルマ関連では一団体が社団法人だが、他の団体は全て任意団体であろう。もし認証が得られれば数多くのビルマ民主化団体の中で特異の存在となろう。監督官庁は事務所所在地の都道府県である。もちろん情報開示の義務も生じて事務が煩雑になるが、これらは後日改めて紹介していこう。

2009年3月13日金曜日

(306)土台作り進む BRSA

(2009年3月13日)
  BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)が発足して間もなく1年、私は当初から参画して活動振りをつぶさに見てきた。会員数がすでに260人に達し、在日ビルマ人グループとしては有力な団体に成長しつつある。特長としては数人の日本人をまじえて設立し、運営に関与してることだ。ビルマ人役員の行動力も実に見事で見習うべき点が多い。しかしこの1年を振り返ってみて、問題点がいろいろ浮かび上がっており、現在改革案を皆で練っている最中だ。まず現行規約の大幅な改正、次いで長期財政計画の審議もスタート。現在支援を望む困窮者の声が急増しており基金が不足がちなので、しっかりした長期財政計画が必要。それに付随して事業計画も策定中。また全会員への連絡システム構築も急務。さらに今国会に提出された「在留カード」制度における難民申請者問題も対応が必要、いま正副会長が頑張っている。

2009年3月12日木曜日

(305)「コメント」頂くと元気もりもり

(2009年3月12日)
  きょうはライオン研究部時代の同僚8人と銀座のフランス料理店で会食、当然皆アラサンだ。その場で私のブログの話題が出たが、ほとんどの人が読んでいてくれている、実に嬉しいことだ。出席者の中にはお馴染みのk.a.さんも入っている。私は毎日ブログを書いているが、k.a.さんは毎日「コメント」を書いているのだ。私のつたないブログを毎日読んで、その感想を毎日コメント欄に記入するという作業も大変なことと思う。この場をかりてk.a.さんに厚くお礼を申し上げる。私はその場で出席者の方々に「コメント」を書き入れていただくようお願いしてきた。帰宅してみるときょう初めてハンドル名「希土暁宣さん」から(236)にコメントをいただいた。3月に入ってからのアクセスカウンターの動きも激しく、毎日40人以上が読んでいただいている感じだ。出来れば皆さんも「コメント」してね。「コメント」があると元気がもりもり出るので。

2009年3月11日水曜日

(304)例によって水曜日は

(2009年3月11日)
  きょうは水曜日、例によってアローミャデーな(仕事が多い=忙しい)一日だ。品川入管に収容されている女性から依頼された難民申請不認定に対する異議申立書の翻訳チェックを朝一番で終え、品川入管を訪問。ビルマ人女性2人に保証金15万円ずつ用意できた旨伝える。きょう入管にはビルマ人女性が急に7人増え全部で11人、新しい7人はいずれもカチン民族の20-30代の美女たちで当方も自然と力が入る。面会終了後、新橋から車を飛ばして法務省へ。うっかりしていたが呼ばれた人以外は入門禁止とのこと、やむを得ず寒風の中、正門から入管広報に電話。例の不法滞在半減の根拠と難民申請者に対する在留カードの疑問点を質問、納得できる答えは得られなかったが、難民申請者に関する当方の意見は聞いておくとの返事で引き下がる。帰宅すると新たな翻訳チェック依頼がありこれから対応予定。疲れた。

2009年3月10日火曜日

(303)法の公平か人権か

(2009年3月10日)
  最近のテレビ、新聞でフィリピン人カルデロンさん一家の国外退去処分の話題が大きく報じられている。昨日父親は収容され、母親と長女のり子さん(中学1年生)は16日まで仮放免の期限を延長し、のり子さんだけが日本に残り両親は強制送還に応ずるかどうか、決断しなければならない。のり子さんは親子3人が日本に残ることを熱望している。ここで問題になっているのが、偽造パスポートで不法入国した親の法的責任であり、正規ビザで入国してオーバーステイになった場合よりは遥かに重罪である。法の公平という面では両親の強制送還はやむをえない。しかし日本で生まれた13歳の子供を一人日本に残すことは人権問題であり、日本語しか話せない子供をフィリピンに帰すことも人権問題であろう。一家が10年以上真面目に生活してきたことを考えれば、3人の在留を認めてあげたい。結論はあと6日後に決まる。

2009年3月9日月曜日

(302)日曜日、相変わらずガンガン

(2009年3月9日)
  昨日は日曜日、午前中教室に顔を出した後、約束していたビルマ人2名と落ち合い一緒に巣鴨の大瀧会長邸訪問。一人はBRSAの活動に興味を持っており、一人は仮放免の保証金の件を訴えた。そのあとたまたま現生徒の女性が来て、知人が入管に収容され慌てて相談に来たとのことで対応、そうこうしてるうちに臨時の役員会幹部メンバーが集まり、会議開始、規約修正、役員会のあり方、保証金出金方法、未納会費の集金方法、総会の進行方法、BRSAマークの利用など、広範囲な討議が実に活発に、前向きに行われた。来週は臨時役員会、再来週は定例役員会と毎週日曜日は多忙となる。でも大勢の若い外国人男女とディスカスできることは、とてもハッピーなことである。彼らにとって日曜日は数少ない休養日であるのに、難民申請者支援のために集まってきている、現在会員数260名、傘寿の私も頑張るぞ~。

2009年3月8日日曜日

(301)今週のビルマニュ-スは⑨

(2009年3月8日)
  BURMAINFOからのニュース(0909号)から抜粋。 ★タイで開かれたASEANサミットが1日閉幕、議長声明の中で、2010年の総選挙前に政治囚を解放し、すべての政党に政治運動への参加を認めれば国民和解が進むとし、さらにロヒンギャー移民に関する特別委員会を設けることで合意した。 ★軍政のテインセイン首相は来年の選挙の際、国連の選挙監視団を受け入れると述べた。 ★軍政は間もなく大衆翼賛団体(USDA)による新しい政党を結成する模様。 ★昨年5月に襲来たサイクロンによる塩害の影響で、イラワジデルタ地帯の20村以上で真水が不足し、支給される水だけでは足りず海水の混じった水を使っている。 ★ヤンゴンで3日2ヶ所で爆弾が爆発、負傷者はいなかった。 ★国際労働機関(ILO)と軍政はILOがビルマに事務所を置くことを1年間延長した。強制労働は依然広範囲に行われてる。

2009年3月7日土曜日

(300)エッヘヘ 300回だよ~ん

(2009年3月7日)
  エッヘヘ、365文字ブログの「連続掲載300回」という偉業(?)を達成、ギネスものだね。先日の愛読者延べ6000名突破といい、最近嬉しい数字が続く。こうなったら意地でも続けるぞ~ぅ(どうなるかな)。さて最近はいろんな情報が飛び込むので、ブログネタはいっぱいある。ということはビルマ問題、難民問題、入管問題、BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)、そしてミンガラ日本語教室などの話題や難問が続々と飛び込んでいる。私は生来の虚弱体質で今でも病院にもしばしば通っているが、困っている外国人を目の前にしたらやるっきゃない。昨日もビルマ人女性から金銭的な相談を受け、さっきもビルマ人男性から難民申請書の書き方を教えてという電話が。いま机上には、修正待ちのBRSAの規約案や、入管提出書類の書きかけが散乱している。昨日国会に提出された「在留カード」の問題もチェックしなけりゃ。

2009年3月6日金曜日

(299)BRSAの利用者増えて・・・・

(2009年3月6日)
  BRSAの大瀧会長から電話がかかってきた。BRSA基金の利用者が急増しており、このままでは基金が底をつく恐れがあるので、今後の支援活動は減額等を考える必要があるという。この基金は今までたくさんのビルマ人難民(申請者)困窮者を助けてきた実績があり、大きな反響を湧き起している。この基金は会員からの会費と寄付金、及び事業収益金から成り立っており、「出ずるを制し入るを図る」の言葉どおり、出金と入金のバランスが今後問題だ。できれば入金を増やして、出金も増やす拡大路線で行きたい。入金を増やす方法としては、①会員の増加と未納会費の徹底徴収、②支援会員(特に日本人)の増加、③収益増加のための事業(水かけ祭り・火祭りでの出店、バス旅行など)の拡大など。一方、出金を抑える方法としては当面本会の目的以外の寄付などを節約、断念する。このような考え方はいかがかしら。

2009年3月5日木曜日

(298)難民申請者 窮地に

(2009年3月5日)
  けさのNHKおはよう日本で「窮地に追い込まれた難民申請者」というニュース番組を見た。放映時間はせいぜい3、4分という短いものであった。その内容は、5年前に難民申請をしたミャンマー人のモハメド(仮名)さんが群馬県で働いていたが、仕事を解雇され、いま働くことが出来ないという。彼は糖尿病で薬代が1万5千円、一日三回飲むのを二回に減らしている。国からの生活支援金は月8万5千円だったが4ヶ月が限度、現在支援者に助けられて何とか暮らしているというもの。ところでこのニュースについておそらくビルマ人の多くはそっぽを向くだろう。仮名や働いている場所からしてロヒンギャー民族と推定され、この民族はビルマ人ではないというのがその根拠だ。(271)でも記載したがロヒンギャー問題は最近タイ海軍が洋上に放置したことでクローズアップされている気の毒な民族だ。何とかしてあげたいのだが。

2009年3月4日水曜日

(297)ASEAN ビルマに踏込めず

(2009年3月4日)
  一昨日の新聞だが、各紙は一斉にASEAN首脳会談の結果を報じた。その骨子は、人権機構の年内創設などとともに「ビルマの政治犯釈放と来年の総選挙へのすべての政党の参加」を呼びかけたとある。さて、ここで問題なのは、スーチー女史の名前を出さないで単に政治犯の釈放としたことと、来年の総選挙の実施を認めてしまっていることであろう。軍事政権が難色を示してきた人権機構の発足合意を優先した結果と見られている。そもそもASEAN憲章には、「内政不干渉」「全会一致」の大原則があり、反対する国が一国でもあれば議論は進まない。ASEANはEUを真似てスタートし、2015年には域内統合を完成させるという。しかし今回のビルマ軍事政権の出方を見ると、そしてビルマに引きずられて内政不干渉を盾に人権問題に対し躊躇している各国の姿勢を見ると、共同体など絵に描いた餅ではなかろうか?

2009年3月3日火曜日

(296)いよいよ住民基本台帳が 

(2009年3月3日)
  今朝の朝日に「住民基本台帳、外国人も対象」という見出しで、政府は住民基本台帳法改正案を今国会に提出することを決め、きょう3日に国会に提出する。この問題についてはブログ(222)(228)(282)で警鐘を鳴らしてきた。従来は不法滞在者や難民申請者でも日本政府は滞在を認め、最小限ではあるが各種の行政サービスを受けることができていたが、今後は住民としての存在は認められず、法律上は日本に存在しない人となり、帰国するか地下に潜るしかない。問題は「難民申請者」であり、特にビルマ人の場合は帰国すれば軍事政権からの迫害が待ち受けているので帰国はできない。しかも難民の審査には1年以上かかり、もし不認定の場合はさらに2回・3回と申請を繰り返す人が多い。この間日本の行政から見放され、帰国もできないビルマ人難民申請者たちを、日本政府は保護する方向に変えてほしい。

2009年3月2日月曜日

(295)ウッフッフ ジャスト6000人

(2009年3月2日)
  アクセスカウンターを見て笑いがこみ上げてきた。ウッフッフ。ちょうど6000という数字が光っていた。この数字は昨年8月4日にアクセスカウンターを設置した以降の読者の延べ人員であり、お顔を知ってる方、知らない方皆さんにチェーズーティンバーデー(有難うございます)と申し上げる。皆さん方が見る時刻はまさにバラバラであり、ゼロが3つ続く瞬間は今まで経験したことがない。おそらくこれからもないのではないかしら。ところで前回5000回を記録したのは2月4日(264)であり、きょうで31回(日)目、1日平均32人(延べ)、この種の特殊なブログとしてはまあまあかな。さてさて10000人到達はいつだろうか。4000人を32人で割ると約125日、とすると7月上旬、たぶん7月7日(七夕様=盧溝橋事件勃発)のころか。そのためにはこれからも毎日ブログ書き続けるぞ! 皆さんも7月7日を忘れないで応援してね。

2009年3月1日日曜日

(294)ASEAN会合 市民代表ダメ

(2009年3月1日)  
  今朝の読売新聞によると、タイ国ホアヒンで開催されているASEAN首脳会議の初日(28日)、会議に先立って行われた加盟10カ国首脳と域内市民団体代表による会合で、ビルマ軍事政権のテインセイン首相とカンボジアのフンセン首相が、両国の市民団体代表との同席を嫌って出席拒否の方針を通告したため、市民団体代表が締め出される事態になった。ビルマ軍政とフンセン政権が圧力をかけ、主催国のタイ政府が屈した格好だ。ビルマ市民団体代表は在タイの女権活動家のキンオマルさん。ASEANは近年「市民本位の共同体作り」を強調しており、今回の首脳会議では域内の人権状況の改善に向け「ASEAN人権機関」の設立構想を前進させる方針を掲げていたが、早くも挫折した感じ。ビルマだけでなく、カンボジアも同調した点は、EUを見習ったアセアン共同体作りが難航しそうだ。日本政府はもっと動いたら。