2013年9月30日月曜日

(1966)YAHOO!ニュース(ミャンマー)9月

  YAHOO!ニュース(ミャンマー)9月より抜粋。◆日産(サニー)15年にミャンマーで1万台生産、◆スーチー氏少数民族グループと憲法改正で協力強化へ、◆ミャンマー難民日本へ 受け入れ態勢の改善課題に、◆自動車業界に激震、来年6月にも日本車が販売できなくなる(右側通行のためハンドルは右側に)、◆ダウエイ開発 初の3者協議(日本・ミャンマー・タイ)、◆三井物産などヤンゴン水道事業で覚書、◆マツダ14年前半に再参入 「CX-5」など5車種受注、◆富士電機アジア太平洋での生産販売を強化、◆4月~8月の対ミャンマー海外直接投資が急拡大(政府高官)、◆日産自、ミャンマーで小型セダン生産、◆住友商事・NECなど5社、主要空港の保安設備整備契約締結、◆焦点、国の命運握るヤンゴン開発 日本の協力で描く「メガシティー」。

2013年9月29日日曜日

(1965)ミャンマー新聞メールマガジン(~9月27日)

  ミャンマー新聞メールマガジン(9月24日から27日)から抜粋。◆日本アニメイベント11月にヤンゴンで開催、◆オリエンタルコンサルタンツ、現地法人設立、◆タイ政府、ミャンマー国境に経済特区開発へ事前調査開始、◆電力省チャオピュー区に電力供給シュエ産天然ガス利用、◆電力省、タケタ発電所からティラワへ電力供給、みずほ銀行が助言、◆ミャンマー国内縫製工場数280棟 韓国資本が最多、◆カナダ保険大手マニュライフ ミャンマーに支店開設へ、◆日本政府ダウェイ経済特区の開発協議参加へ、◆韓国鉄鋼大手 POSCO現地法人設立、◆東洋エンジ、三井物産、都水道局、水道整備受注、◆岸田外相、ミャンマー外相と会談、経済支援を明言、◆ホテル、ダブルブッキング横行、要対策、◆漁業管理局日本・韓国・タイ企業へ投資呼びかけ。

2013年9月28日土曜日

(1964)ミャンマー難民4家族日本へ出発 第三国定住制度で

   9月27日のNHKニュースより。第三国定住制度で、新たにミャンマー難民4家族18人が27日、日本に向けて出発した。これまでに9家族45人のミャンマー難民が、東京や三重県などで暮らしている。第4陣となる18人は、タイ北西部の難民キャンプで暮らしながら、日本への移住を希望。難民キャンプで7年暮らしたという男性は、「日本語の勉強を頑張って、早く良い仕事を見つけたい」と話す。難民たちは27日夕方、成田空港に到着し、今後半年間にわたって日本での生活に必要な言葉や習慣について研修を受け、定住先や就職先を見つけることになる。この制度を巡って昨年度は日本での生活に対する不安などから、希望者が1人もいなくなるという事態に。政府目標の毎年30人の受入れは 未達成だ。受入れ態勢の強化など、制度見直しの声も出ている。

2013年9月27日金曜日

(1963)ミャンマー進出最前線(TBS)

  9月26日夜11時のTBSテレビから。いまミャンマーの遊園地にはバッドマンの偽看板や、セブンイレブンに似せたマークなど、至る所にみられる。カンボーサ銀行は、日本のSMBC(三井・住友銀行グループ)と提携したが、口座を開く依頼が急増。街は突然停電、至る所に自家発電機がある。サクラタワーは1㎡当たり10ドルであったが、今や90ドルに。エビ養殖業者や、ホテルも活発に動く。NTTは800㎡の事務所に120人がいる。ミャンマーの技術者集めは、欧米の進出がない今がチャンスだ。安い労働力という観点から、6千万もの大消費地対応と変わっている。テレビは韓流ドラマが多い。中国の影響力に影が見えだした。中国の食品は不安で食べないという、米国のコカコーラが至る所に、看板を立て始めた。脱中国だが、その後に欧米がどっと入ってくる。

2013年9月26日木曜日

(1962)「ミャンマー新聞メールマガジン」(9月17日~20日)

 「 ミャンマー新聞メールマガジン」最近号より抜粋。◆竹中工務店ミャンマー再進出、ゼネコン大手5社勢揃い、◆イオン銀行学校建設支援募金開始、◆日産、中国・東風汽車と共同でミャンマーにショールーム開設、◆マツダ進出へ、アセアン販売網拡大へ、◆水産物輸出額4~9月で700億円超 ウナギ輸出好調、◆マンダレー国際空港、三菱商事らへの運営権譲渡9月末に正式承認、◆海上自衛隊初寄港、ミャンマー海軍と合同訓練、◆最大級の日本製品展示会Japan Product Expo 2013開幕、◆香港・縫製大手ハイドロダイナミック社ミャンマーに進出、◆主要空港インフラ構築受注、住商・NECグループ、東芝・モリタ◆JFEエンジニアリング、ミャンマー最大の鋼材工場新設へ認可取得、◆ミャンマー教育省、ネピドーに 小中高等学校93校新設へ。

2013年9月25日水曜日

(1961)社説「反差別デモ 普通の感覚を大切に」

  9月25日の朝日社説より。在日韓国・朝鮮人らを罵倒する街頭行動が繰り広げられてきた新大久保などで、差別撤廃を求めるデモ行進があった。特定の人種や民族への憎悪を煽り立てる差別的表現は「ヘイトスピーチ」と呼ばれる。これ等の動きに反対する人々が「東京大行進」と題して集まり、「一緒に生きよう」と呼びかけながら練り歩いた。「殺せ」「レイプしろ」と叫ぶヘイトスピーチはみにくい。市民の側から自主的に、外国人排斥の主張に反対する動きが出てきた。それは健全なことであり、支持する。在日コリアンを排除しようなどという考えは一般の市民感覚からかけ離れている(中略)。隣人とのいがみ合いが絶えないほど居心地の悪いものはない。普通の感覚を大切にしたい(以上)。私も同感だ。幸い、私が関与している在日ミャンマー人はみな平和だ。

2013年9月24日火曜日

(1960)「ミャンマー新聞メールマガジン」(9月9日~12日)

  9月9日~12日の「ミャンマー新聞メールマガジン」から主要なテーマを抜粋。◆ゴム輸出額4~7月で70億円超、◆タイ・ノックエア、モーラミャイン空港へ航空便就航、◆サムスン電子ミャンマー語対応スマホ販売強化、◆4月~8月のウナギ輸出額25億円超、◆シャン州北部、バイオガスプラント建設に住民が反対運動、◆豊島、縫製工場新設へ、◆ヤンゴン市開発委員会、大型建設プロジェクト入札要項発表、◆スーチー氏東欧3国歴訪、民主化国際会議で演説、◆成人識字率95%超、教育相発表、◆ヤンゴン~チャイトー線運航開始、JR西が中古列車譲渡、◆国営新聞、オンライン配信サービス提供へ、◆ホテル観光相発表、ネピドー市内にホテル13棟新設、◆アジア航測、JICAとヤンゴン都市開発へ、◆漁業資源調査を開始、ノルウェーが 船舶を支援。

2013年9月23日月曜日

(1959)特区開発へ官民事業体 工業団地など整備

   9月22日の日経電子版。日本とミャンマーは10月、ミャンマーの大規模経済特区を開発する共同事業体を設立する。両国政府と民間企業が計100億円を出資し、総面積2400ヘクタールのうち 先行開発する420ヘクタールの造成を開始。工業団地や商業施設、住宅などを一体で整備し、2015年夏の 開業を目指す。共同開発するのはヤンゴン南郊にあるティラワ経済特区。総面積は山手線内の約40%。共同事業体はミャンマー側が51%、三菱商事、住友商事、丸紅などが約4割、JICAが約1割出資。両政府はすでに 環境影響評価を開始、年内に造成工事に入り、来年に進出企業(縫製業、機械・電子部品、自動車関連、食品加工など)向けの 工場の建設を計画。日本政府は 別途200億円の円借款を供与して、電力網や港湾などの インフラ整備を後押しする。

2013年9月22日日曜日

(1958)読了195冊目:「ミャンマー・ルネッサンス」

  副題は「経済開放・民主化の光と影」。根本悦子・工藤年博編集。2013年4月・コモンズ発行、206頁、1800円+税。プロローグ:少数民族・辺境に配慮した支援を(根本悦子)、第1章:アウンサンスーチー(根本敬)、第2章:ミャンマー・ルネッサンス(工藤年博)、第3章:これからの企業進出(廣瀬さやか)、第4章:メディアの急速な変化(タウン・ス・ニェイン)、第5章:民族対立を超えた技術訓練と人材育成(蓑田健一)、第6章:水は金より重い「井戸掘りの支援と村落開発」(森昌子)、第7章:利益は現地に還元する(西垣充)、エピローグ:民族協力がアジアを拓く(中村尚司)。2011年以降ミャンマーは民主化に大きく舵を切り、世界のフロンティアとして、世界各国が熱い視線を送っている。その中で広がる格差や民族対立など、最近のミャンマー情勢をまとめた。

2013年9月21日土曜日

(1957)広告:ミャンマー大周遊8日間

  9月17日の朝日より。久しぶりに朝日新聞で、ミャンマー旅行の広告を見た。この種の広告としては大型で、ほぼ20センチ四方もあった。全日空の成田⇔ヤンゴン線が9月30日から毎日運航されるのを記念したもの。往復とも乗り換えなしで約8時間で行けるので、便利になった。以前(1996年ごろ)、ミャンマー観光年を期して関空⇔ヤンゴン線があったが、短期間で終了した。このため今までは途中、バンコクなどで乗り換えていた。さて広告の内容であるが、訪問地はヤンゴン、バガン、マンダレー、インレー湖、バゴー、ゴールデンロックの6都市めぐりで、価格は10月~11月が25万9千円~26万9千円、年末は39万9千円、この他燃油サーチャージは約2万9千円。私の友人も最近ご家族連れで続々とミャンマー詣でをしてきたが、はてさて この広告どう思う?

2013年9月20日金曜日

(1956)核査察拡大に向け署名

   9月19日の朝日新聞より。ミャンマーのワナマウンルウィン外相は17日、ウイーンで国際原子力機関(IAEA)の核査察活動の拡大を認める「追加議定書」に署名した。批准されれば、IAEAは従来の保障措置協定による核関連施設への査察に加え、ミャンマーが申告していない施設に対しても、直前の通告で「抜き打ち査察」ができるようになる。同国は長く北朝鮮と協力関係にあり、核開発が疑われてきた。同外相は17日、開会中のIAEA年次総会で演説し、「核軍縮はこれからもミャンマーの最優先課題であり続ける」と述べた(以上)。9月13日の聯合ニュースによれば、韓国の大統領府外交安保首席秘書官は、北朝鮮の核放棄なければ支援せずと発表、その際「ミャンマーなど体制の変更と開放という良い道を選択し、核を放棄した国家がある」と述べた。

2013年9月19日木曜日

(1955)ミャンマーのガス田争奪戦火ぶた、欧米大手名乗り

  9月19日の日経電子版より。ミャンマーの天然ガスの開発権益を巡り、世界のエネルギー大手の争奪戦が始まった。欧米メジャーを含む61社が、同国初の深海鉱区の開発権獲得に名乗りを上げた。産出ガスを外貨獲得手段としてだけでなく、国内のエネルギー確保にも活用する。最終入札の期限は11月で、来年初めには決定する。英BPによると、ミャンマーの天然ガス埋蔵量は、2千億立方メートル、東南アジアではインドネシア、マレーシアなどに続く6位にとどまるが、これは欧米勢による探鉱活動が行われなかったため。欧米の経済制裁を穴埋めしたのがアジア勢。テキサコの権益はマレーシアのペトロナスが引き継ぎ パイプラインでタイに輸出、シュエガス田は韓国 大宇グループが開発し 対中輸出が始まった。今後は 国内供給義務を契約に明記する。

2013年9月18日水曜日

(1954)日産がミャンマー生産 小型乗用車など、年内にも

  9月16日の日経電子版より。日産自動車は年内にもミャンマーで乗用車などの生産を始める。マレーシア系企業に生産を委託し、小型乗用車や、「ピックアップトラック」と呼ぶ小型商用車などを組み立てる。ミャンマーは民主化で急速な経済発展が見込まれる。同社は世界大手として、先行して現地生産に乗り出すことで、市場開拓を優位に進める。人口6300万人に対し12年時点の自動車の保有台数は約236万台で、市場拡大の余地が大きいと判断した。現在スズキが小型トラックを月約百台生産するほか、インドのタタ自動車がトラック、中国・奇瑞汽車が小型車を生産するが、大手は未進出だ。日産はタンチョン・モーターと組んで、現地生産する。生産台数は年間数千台。日産の進出を皮切りに、日米欧の大手各社が現地生産に乗り出す動きが広がりそうだ。

2013年9月17日火曜日

(1953)30年ぶりの国勢調査へ ミャンマーで来春

  9月17日の朝日より。ミャンマーのキンイー入国管理・人口相は15日、ヤンゴンで記者会見し、約30年ぶりとなる国勢調査を来年3月末から実施することを明らかにした。人口分布などの基礎データを正確に把握し、開発計画の立案に役立てる狙いだ。前回の国勢調査は、1983年に実施。政府が一昨年に発表した人口6098万人は、前回調査を基にした推計値だ。今回は国連などの支援を受けて調査し、最終結果は、2015年初頭に公表する予定という。ただ、135民族が住むとされる同国では、民族や宗教をめぐる対立が続いており、調査が混乱を招く恐れもある(以上)。最近ミャンマーの人口が6100万人~6200万人といわれているが、その数字が30年前の調査結果からの推測値だという。こんなので、信用できるかしら。2015年の調査結果が楽しみ。

2013年9月16日月曜日

(1952)ミャンマーで救命医療 保健・メーカー連携、経産省が支援

   9月10日の日経電子版より。日本の官民がミャンマーで救命救急サービスの展開に乗り出す。国内損害保険大手、MS&ADインシュアランス傘下のMS&AD基礎研究所と、救命医療で実績を持つ医療法人大雄会(愛知県)が今秋にも事業化の調査を始める。調査費用は経済産業省が支援する。現地政府との調整を経て、来年度にも、ヤンゴン市内の民間病院に、日本製の救急車・医療機器を備えたセンターを構える。日本が救急医療を海外展開するのは初めて。救急車はトヨタが、医療機器は日本光電が納入する。現地日本人やミャンマー富裕層を対象に、会員制とする。ミャンマーでは自動車の保有台数が急増しており、月間の事故件数もヤンゴンで100件を超えている。一方現地の医師と看護婦も救命センターで雇い入れ 人材育成でも貢献を目指す。

2013年9月15日日曜日

(1951)浅薄な「正義」に抗い、若人悼む(ビルマの竪琴)

  昨日(9月14日)の朝日の裏面より。「ビルマの竪琴」には1965年公開の第1作と、85年の第2作があり、いずれも市川昆監督がメガホンを取った。原作者竹山道雄氏に現地の様子を尋ねるつもりだったが、竹山氏は行ったことはないとの返事。監督は竹山氏のイマジネーションに感嘆。世間ではよく童話作家かと思われたが、本職はドイツ文学者で、旧制一高の教授。執筆した動機は一高生たちの戦死。終戦後、戦犯も学徒兵も復員兵もひとまとめに悪人視する風潮が広まった。そういう浅薄な「正義」に抗い、若人を悼む気持ちから書いたという。戦後、竹山氏はドイツ文学を講ずるかたわら、折々の政治・外交について積極的に発言した。記者は竹山氏が夢に見た街ムドンを訪問、日本兵捕虜収容所の跡を探したが、あるのは英兵が眠る広大な墓地だけだった。

2013年9月14日土曜日

(1950)恋しい日本へ、帰れない

  9月14日の朝日Be面より。ビルマの竪琴(1985年)の紹介。この夏、ムドンに住むサンサンテイ(日本名高山サクラ:53)さんは、「ビルマの竪琴」を生れて初めて見て、大泣きした。中井喜一さん演じる主人公が、泣きたくなるほど父に似ていたからだ。サクラさんの父は医師だった。両親と死別して、北京の大学で医学を修めた。終戦直後に、北京からミャンマーに移り、患者さんの娘と結婚し、娘4人に恵まれた。50歳を迎えた1962年、軍事クーデターで政権を握ったネウィンが、外国人締め出し政策を取り、病院が閉鎖、父は無念さに耐えてタクシー業に転じた。「日本は恋しいが、いったん出たら娘たちと一緒に暮らせなくなる」と。父は生涯ミャンマーにとどまり、87歳で逝った。「竪琴」を見終えてサクラさんは「父に見せたかった。きっと大泣きしたでしょうね」

2013年9月13日金曜日

(1949)反イスラム組織「非合法」の通達(ミャンマー高僧会議)

  9月13日の朝日より。仏教徒とイスラム教徒の対立が起きているミャンマーで、政府公認の最高位の僧組織「国家サンガ(僧団)大長老会議」が、反イスラム主義の仏教僧の団体を非合法化する通達を出していたことが分かった。こうした団体が対立をあおっているとの批判があり、沈静化を図りたい政府の意向を受けての措置とみられる。宗教省によると、通達は8月14日付でサンガの地方組織に出された。僧の新団体設立を禁じた軍事政権時代の規則に違反すると判断したという(以上)。このニュースに関連するが、私は仏教徒がイスラム教徒を攻撃することは、仏教の教えに無いはずと書き続けた(1933)、(1932)、(1919)。特にこの事件の首謀者がタイム誌の表紙を飾ったのがショックだった。今後、先鋭的な若き僧の動きが懸念される。握手してほしい。

2013年9月12日木曜日

(1948)目標は「成田」と「羽田」? ミャンマー新空港の不安

  「ナリタとハネダの関係が理想」。ヤンゴン圏で計画される2つの国際空港のすみ分けについて、同国政府から聞かされ、日本の関係者は苦笑する。ヤンゴン市街地から30分で行ける「ヤンゴン国際空港」は現在、国内線と国際線が集中する。2000年ごろ、国際線ターミナルを改築し、明るく近代的になった。現在の旅客処理能力は年270万人だが、昨年は300万人、このため15年までに、能力を年550万人に倍増する計画だが、それ以上は無理。そこで浮上したのが、70キロ離れたハンタワディ空港新設計画。17年に1200万人規模の巨大空港案で、韓国仁川空港連合が交渉権を獲得。しかし、国際線の主力がハンタワディ空港に移ると、アクセスが問題、新設空港には約2時間もかかる。「ナリタとハネダ」を反面教師として、基本デザインを描く 必要がある。

2013年9月11日水曜日

(1947)茨城空港にミャンマー便就航へ

  8月19日の日経電子版より。ミャンマー唯一の国際航空会社、ミャンマー国際航空(MAI)が、ヤンゴンと茨城空港を結ぶ直行便を、12月をめどに就航する見通しとなった。MAIと茨城県が19日覚書を締結した。一定期間、継続運行するプログラムチャーター便とし、週3回運航する。民主化、経済改革が進むミャンマーには、ビジネス客や観光客が急増しており、需要を見込める。茨城~ヤンゴンの所要時間は6~7時間半程度、就航後、平均75%の搭乗率を目指す。3か月ごとに利用状況を見ながら、運行を継続するか判断する。ミャンマーと国内を結ぶ航空便は現在、全日空が成田~ヤンゴン間で直行便を運航している。茨城空港の就航便は、国内は札幌、神戸、那覇の3路線、国際線は上海便が飛んでいるが、ソウル便は東日本大震災以降、運休が続く。

2013年9月10日火曜日

(1946)読了194冊目:「ミャンマーの国と民」

  副題は「日緬比較村落社会論の試み」。著者は高橋昭雄(アジア経済研究所・東大教授)。2012年11月・明石書店発行、198頁、1700円+税。目次は以下の通り。①ミャンマーの風土と農業、②ミャンマーの村と村人たち、③私的村落経験から見た日本とミャンマー、④日本の村・ミャンマーの村。著者はミャンマー研究者として、と同時に、日本の農村で生まれ育った専業農家の長男という二つの顔を持つ。通訳なしに直接ミャンマー語で大勢の村民と語り合った。著者がミャンマーの村々を徘徊しながら、見たこと、聞いたこと、感じたことを整理し、著者が育ってきた日本の農村と比較しながら、ミャンマーの農村の実像に迫った。ミャンマーの村では、国家の閉鎖的体質とは異なり、家も村も外部に開かれている。日本でも個人が自由に独立した家や村を創造しては。

2013年9月9日月曜日

(1945)ミャンマーの経済レポート 検索

  先にミャンマーで発行されている日刊紙の記事を、日本語に翻訳して配信する「ミャンマー新聞メールマガジン」の内容を(1938)で紹介した。引き続き今回は、ミャンマー関連の経済レポートの検索結果のリストを見つけた。世の中、どんどん便利になってきた。以下に最近のものを紹介する。◆ミャンマー開発で強まるアジア地域連携(アジア・マンスリー2013年9月号)、◆ロジスティックの要衝としてのミャンマー(世界経済評論IMPACT:8月)、◆ミャンマー女性を巡るトレンド(2)(アジアンインサイト:8月)、◆ミャンマー進出検討企業等に関する基礎調査、平成24年度内外一帯の経済成長戦略構築にかかる国際経済調査事業(経産省:8月)、◆ミャンマーダウェー開発等における事業可能性調査、(経産省:8月) など(以上)。 専門的な資料が 次々と出現してくる。

2013年9月8日日曜日

(1944)ワッハッハ オリンピック誘致のお祭り 

  私は日ごろニュース以外、テレビはあまり観ない、観るとするとせいぜい「タモリ」と「笑点」か。ところが最近は連日のようにテレビの前に居座っている。その番組はバレーボール、特に女子バレーだ。1点入った時の彼女らの笑顔がなんとも可愛い。そのなかでも、セッター宮下の、はにかんだような笑顔が大好きだ。ところできょうは、朝4時に起きて、テレビの前に座った。2020年オリンピック開催都市を決めるIOC総会の決定状況を見るため。一次予選は無事通過して、イスタンブールとの決戦だ。日本にいると、楽勝のような気がしていたが、福島の汚染水問題が急浮上、形勢は全くわからぬとテレビは叫ぶ。5時を過ぎても発表は遅れがちのよう。しかしやっと「トーキョー」の声が聞こえた。会場の日本人は全員躍り上った。私はこの後zzz。夢の中でワッハッハ。

2013年9月7日土曜日

(1943)読了193冊目:「ビルマの闇」

  著者は荒井利明(読売新聞社記者)、1989年6月・亜紀書房発行、218頁、1320円+税、目次はⅠ:お金の話、Ⅱ:3月と6月の暴動、Ⅲ:経済の話、Ⅳ:暮らしの話、Ⅴ:ネ・ウインの引退、Ⅵ:セイン・ルインの登場と退場、Ⅶ:マウン・マウンの登場、Ⅷ:一党支配体制の終焉、Ⅸ:軍事クーデター、Ⅹ:その後の話。なお表紙には以下の文章が並んでいた。「夜間外出禁止令も集会・デモ禁止令も解除されていない。かつてのデモ銀座というべき、スーレ・パゴダ前の大通りをにらむ位置にある市庁舎の建物内には、自動小銃を手にした兵士たちが立ち並んでいた。いささか大げさな表現かもしれないが、ラングーンを支配しているのは、銃剣下の静かさ、だった」。1988年前後の ビルマ国内の状況を、記者の目で紹介しており、驚くような「闇の政治」が行われていた。

(1942)読了192冊目:「ビルマ・アッサムの死闘」

  副題は「無名戦士の記録シリーズ」、著者は渡辺民衛(陸軍歯科医中尉)、1987年8月・旺史社発行、268頁、1500円+税金。主な目次は、◆ついに出動命令下る、◆さらばマンダレー、◆チンドウイン河を渡る、◆馬糧も底をつく、◆カボウへのけもの道を行く、◆塩・マッチ・ゼロ、◆カボウよさらば、◆不可思議な焼肉、◆シッタン兵站病院、◆回想のメイミョウ、◆メイクテーラ―に転進、◆カローよりモールメンへ、◆バーンに兵站病院設営、◆終戦そして俘虜生活、◆収容所生活と復員。所属部隊はマンダレーから東に向かい、インド領のアッサムに攻め込んだが、制空権ゼロ、武器も食料も皆無、部隊全員が餓えや病魔とも戦い、白骨街道を敗走に敗走を重ねた記録。著者は軍医で、多くの同僚の死を見つめていた。戦争の愚かさを訴えている。  【8月31日分】。

2013年9月6日金曜日

(1941)ミャンマー新聞 9月5日号

  9月5日の「ミャンマー新聞」より。◆帝人フロンティア、ミャンマーに現地法人設立、◆米・英私立大学4校、ミャンマーに大学設立を計画、◆郵船ロジスティックス、ミャンマー進出、アセアン需要取り込みへ、◆ミャンマー・エーヤワディ深海港建設へ、委託企業が事前調査開始、◆中国・雲南省対ミャンマー貿易額16.9億ドル 2013年上半期統計、◆ミャンマー国内フェースブックユーザー数104万人超、◆三井物産、ミャンマーMAPCO社と提携、東南アジア最大の精米工場新設、◆ミャンマー・テインセイン大統領、中国・アセアンエキスポに参加、◆ミャンマー工業省、直営小売店36店舗の運営権を入札方式で公募、◆ミャンマー通信管理局、直営企業のサービス料金を米ドルで徴収(以上)。ミャンマーの新聞ニュースを月間200本、日本語で3Ⅰ5百円で発信。

2013年9月5日木曜日

(1940)ぶれない意志 形に (特派員メモ)

  タイ・ミャンマー国境地帯で活動を続ける医師、シンシア・マウンさん(53)に久しぶりにお会いした。ミャンマー・カレン族の彼女は、1988年の民主化運動弾圧を逃れて、タイ北西部のメソドにたどり着き、翌年小さな診療所を開いた。以来、難民や出稼ぎ労働者、国境を越えてくる患者を、無料で診察してきた。いま年間の患者数は約15万人に達する。日本政府が草の根無償資金協力900万円を決め、8月末、彼女はバンコクの日本大使館での調印式に出席。各国の官民支援で、診療所はやがて産科、小児科、内科、外科病棟を持つ総合病院に生まれ変わる。98年に初めて訪問した診療所は粗末な木造家屋、彼女は「薬も設備も足りない」と嘆いていた。新診療所の完成予想図を眺めながら、ぶれない意思と献身は、こうやって形になるものなのだと 心を打たれた。

2013年9月4日水曜日

(1939)読了191冊目:「ビルマ法制史研究入門」

   副題は「伝統法の歴史的役割」、著者は奥平龍二(東京外国語大学教授)、2002年3月・日本図書刊行会発行、202頁、2000円+税。目次はⅠ.ビルマの伝統法概説、Ⅱ.ビルマの「ダマタッ」(成文法)、Ⅲ.ビルマ伝統法の歴史的展開、Ⅳ.ビルマの伝統法研究における諸問題。本書は、著者が1970年代後半から現在まで、ビルマ法制史研究に関して発表した資料を整理したもので、王朝時代に編纂された成文法「ダマタッ」の研究から始まっている。当初、インドの「マヌ法典」の影響を受けた法律書が、多く存在していることを分析、この「マヌ法典」はインド・ヒンドウーの古代法典が、仏教的に改作された世俗法であることを認めた。このため、古代インド法とビルマ伝統法がどのように変化したかを調べ、さらに、「上座仏教国家」の法制にも触れた労作である。

2013年9月3日火曜日

(1938)ミャンマー新聞9月2日号から抜粋。

  日本語で読むミャンマーニュース「ミャンマー新聞」が毎日届けられる。便利になった。9月2日号を紹介する。★富士電機、ミャンマーに駐在員事務所開設、東南アジアを注力市場に。★三菱商事・JALUX企業代表団、マンダレー国際空港を事前調査。★米大手旅行誌コンデナスト・トラベラー、マンダレーを観光都市ベスト20に選出。★イオングループ、ミャンマーでティーンエイジ・アンバサダー事業開催。★韓国・現代自動車、ヤンゴン市内にショールーム開設。★ザガイン管区無税市場開設へ対インド貿易振興。★ミャンマー電力省、DDP条件の入札要項発表。★ミャンマーエネルギー省 石油天然ガス陸上鉱区の入札経過報告。★東京海洋大学 ミャンマー海事大学と教育支援の覚書締結。★ヤダナポンテレポート社、ファイバーケーブルの入札要項 公表。

2013年9月2日月曜日

(1937)読了190冊目:「泰緬鉄道」

  副題は「機密文書が明かすアジア太平洋戦争」、吉川利治著(大阪外国語大学タイ語専攻教授)、2011年1月・雄山閣発行、360頁、3800円+税。目次は、1.南方へ向かう日本軍鉄道隊、2.泰緬鉄道建設計画、3.ビルマ占領とタイとの建設交渉、4.泰緬鉄道は軍用か民用か、5.鉄道隊の組織と建設基地、6・タイ人労務者とバーンボーン事件、7.連合国捕虜、8、捕虜の行軍と労働、9、疫病に倒れる捕虜、10.タイ国内外のアジア人労務者、11.クラ地域横断鉄道、12.泰緬鉄道完了の頃の日本軍・捕虜・労務者、13.泰緬鉄道の運行・機能、14.戦後の泰緬鉄道と戦争裁判。本書はタイ語に詳しい著者が、1990年にタイ国立公文書館で日本軍関係の機密公文書を調査した時に始まる。帰国後 著者は 関連する膨大な資料を駆使し、まとめ上げた労作。

2013年9月1日日曜日

(1936)平成のおしん ミャンマーで待つ

  9月1日の朝日、「日曜に想う」欄(山中編集委員)より。初めて訪れたミャンマーは、商機と熱気でごった返していた。先進他国に比べると、日本企業は出遅れた印象だ。「テレビならサムスンやLGが絶好調、ソニーやパナソニックより安く、代理店が多い」と電器店主がいう。ほんの20年前まで、ミャンマーでテレビといえば東芝だったのに。驚いたことにミャンマーではテレビの販売だけでなく、ドラマは韓流一色、日本のドラマは一つもない。寂しい限りだ。日本の番組を熱心に見たのは1995年の「おしん」が最後、その後は中国の武芸ドラマ、次が「冬のソナタ」で以降は韓流一辺倒、これぞ韓国、官民挙げた文化輸出の成果である。いまの時代映像や音楽は時に外交や宗教より影響が大きい。この秋「篤姫」と「カーネーション」が初放映される。反応が楽しみだ。