2012年4月29日日曜日

(1447)スーチー野党 現実の壁

  今朝の朝日新聞には、標記の見出しのほか、「地元援助橋渡しも」との見出しが並ぶ。NLDが政党政治の現実にさらされ始めたという。次の選挙を考え、当選議員が地元への「我田引水」に動く一方、これまでは礼賛一色だったメディアにも批判が出ている。ヤンゴンにあるJICA事務所に、当選したNLDの2議員が陳情に訪れ、政府を通しての援助よりも、人々に直接届けたい旨話した。農業収入の減少や井戸水確保が難しいとの不満も有権者から聞いている。3年後を見据え実績を示したいのであろう。憲法「順守」は改憲の否定ではない。政治ゲームにはうんざりとの苦言も出始めた。これに対し、スーチーさんは「技術的な問題であり、そう時間をかけずに解決できる」と早期国会参加に前向きな姿勢を示した(以上)。何とか最初の関門をクリアして欲しい。

2012年4月28日土曜日

(1446)「変化」を探してヤンゴンをたずね歩く③

  昨日の続き(4月25日、アジアプレス)。衣料品経営の知人は、「最近タイポンとカチンロンジーが飛ぶように売れている」という。タイポンはミャンマーの伝統的な正装で橙色の上着、カチンロンジーは緑色のチェック柄の巻きスカート、この上下の組み合わせが、いわばNLDの制服、多くの人がNLDに入党し、スーチーさんの演説集会や選挙運動などでこの制服をまとっている。この知人は、スーチーさんの国政参加や、報道の規制緩和を「変化」として取り上げたが、それ以外はまだ変化してないという。だが、スーチーさんの肖像画の入ったTシャツで街を闊歩する人も多く、すでに物言う自由を獲得したように見える。知人の歴史学者(80歳)は、現在の変化は、表面的なものであり、変わるとすれば、クーデターなしに2015年の総選挙で、NLDが勝った時という。

2012年4月27日金曜日

(1445)「変化」を探してヤンゴンをたずね歩く②

  アジアプレスの記事で(1430)の続編。今年の3月、4年ぶりに帰国した彼(イラワジ誌記者・元政治囚)は「政府は改革を叫んでいるが、本当かどうか人生をかけて証明したい」と覚悟を決めた。空港の入国審査では、職員から賄賂を要求された以外は、特に呼び止められなかった。帰国した現在もイラワジ誌記者として国内で取材し、記事を送っている。現在国内で発行されている週刊誌には、スーチー氏の動向や、少数民族との停戦協議の内容なども詳細に掲載されるようになった。彼によれば国内週刊誌の多くが、政府や軍に近い人物によって経営され、検閲当局は経営者が誰かによって判断しているという。彼はいま法の支配がある社会の実現をめざし、司法分野に取材の重点を置いている。彼はミャンマーの変化はいまだ表面的なものに過ぎないという。

2012年4月26日木曜日

(1444)首脳会談 メコン域支援合意

  野田総理は、21日、コン河流域5か国(タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー)の首脳と会談、「東京戦略2012」として過去最大規模の支援を約束した。即ち、途上国援助(ODA)で3年間に約6千億円を投入し、日本企業の進出を後押しする。対象となる事業総額は2兆3千億円に達する。特にダナン~モーラミャイン間、ホーチミン・ブノンペン・バンコク・ダウェイ間の東西を貫く二つの物流ルートづくりに力を入れ、高速道路や橋などの交通インフラ整備によって域内の「連結性」を高め経済成長を後押しする。ミャンマーには港湾開発など12案件を支援。そのほか、昨年のタイの洪水などに関連して、災害リスクの軽減や、エイズ・マラリヤなど感染症対策などへの協力強化も明記(以上概要)。以上の支援は中国の進出に対抗する策と考えられる。

2012年4月25日水曜日

(1443)浸透してない改正住民基本台帳法

  4月23日の共同通信は、在日外国人のうち不法滞在者に対する行政サービス問題を取り上げた。従来は不法滞在者でも地方自治体から外国人登録カードが発行され、就学や予防接種などの行政サービスが受けられていたが、7月からの改正住民基本台帳法では、受けられないと誤認している自治体が多いことが判明。調査は100自治体へのアンケート(有効回答72自治体)。その結果、就学については57自治体が、母子手帳の交付については42自治体、予防接種は12自治体がサービスを実施すると答えた。仮放免中で難民申請中の外国人の場合、7月の法改正後は、在留カードからも、住民票からも排除される。しかし、政府は09年の国会答弁や昨年11月の総務省通知で、従来通りサービスは受けられることを認めている。政府は周知の徹底を。

2012年4月24日火曜日

(1442)ミャンマー進出 色めく政財界

  今朝の朝日によると、標記の見出のほか、「最後の未開拓地」、「大統領詣で続々」、「民主化なお懸念」の見出が躍っていた。民主化を主導するテインセイン大統領は、24日、6日間の訪日を終える。制裁解除でアジア最後の未開拓地の扉が開き始め、日本政府や企業は、乗り遅れまいと色めき立つ、だが受け入れ態勢は追いつかず、改革の進展にも危うさが見え隠れする。中曽根元総理や、日本・ミャンマー協会の渡辺会長、日商の岡村会頭、経団連の米倉会長、丸紅、伊藤忠、大和証券など10社余りのトップ訪問が続いた。三菱商事、三井物産、住友商事、蝶理、ローソンなども進出を計画中で、JICAは13の調査団を派遣する。在日ミャンマー人にとっては一つのチャンスには違いない。2015年には政府側の態度が明らかになるので、注目していてほしい。

2012年4月23日月曜日

(1441)読了百冊目:「菊と龍」

  「菊と龍」、副題は「祖国への栄光の戦い」、相良駿輔著、1972年5月・光人社発行、279頁、820円。「菊と龍」はビルマ北部と雲南戦線で戦った菊兵団(第18師団・久留米で編成)と龍兵団(第56師団・福岡で編成)で、北九州で編成された兄弟師団を指す。第1章:死の谷フーコンの戦い、第2章:ミートキーナに死す、第3章:ああ拉孟守備隊の最後、第4章:騰越城に日は落ちて と続く。インパールを攻撃したのは、「烈」、「弓」、「祭」の3兵団が主役であり、「菊」と「龍」はビルマの戦場では脇役であった。敗れた友軍を脱出させるために、重慶軍や英印軍と壮絶な戦いを続け、蒋介石総統から逆感状を貰うほどであった。また、ミートキーナに突如現れたウインゲート空挺師団との戦いも壮絶そのものであった。これらは日本民族の血の歴史、魂の慟哭である。

2012年4月22日日曜日

(1440)ミャンマーへの円借款再開表明

  21日、テインセイン大統領と野田首相が東京で会談、首相は25年ぶりに円借款の供与を再開する方針を伝えた。円借款の延滞債権約5千億円のうち約3千億円を2段階で放棄することも確認、民主化と国づくりを支援する。共同文書は、円借款を含む途上国援助(ODA)を①国民の生活向上への支援、②人財育成、③インフラ整備の3分野に拡充すると明記。ヤンゴン近郊のティラワ港周辺の開発について、日本が基本計画を作る覚書も交わした。欧米各国がミャンマーとの関係改善に動く中、先進国では最初に同国の延滞債務問題を解決する。ただし1年後に民主化の進み具合を見極めたうえで、免除手続きに入るとの条件を付けた(以上概要)。大統領来日は28年ぶり、今回の歴史的な首脳会談によって、両国の友好関係がさらに改善されることを祈る。

2012年4月21日土曜日

(1439)読了99冊目:「トングー・ロード」

  副題は「ビルマ賠償工事の五年間」、伊藤博一著、1963年・岩波書店発行(岩波新書)、203頁、130円。著者は日本工営(株)の土木技師、日本の賠償第1号と言われるバルーチャン水力発電所の建設に当たり、事前に大型機器を輸送できる道路(トングー・ロイコー間の路)建設に携わった際の体験談である。工事監督に当った日本人ははじめ4人、途中から著者一人となったが、4年余も現地で頑張り、ミャンマー人労働者と力を合わせて、標高2000メートル級の山間部を切り開き、約220キロのトングーロードを完成させた。この後水力発電施設の工事が順調に進行。バルーチャン水力発電所は、ミャンマーの民主化の進展に合わせて、現在日本のODAで修理を進めようとしている最中であり、たまたまこの時期に、この書籍に出会え夢中になって読んだ。

2012年4月20日金曜日

(1438)大統領来日に当たっての要望書(PFB)

  4月20日からのテインセイン大統領来日にあたり、ビルマ市民フォーラム(PFB)は、野田総理・玄葉外相宛に下記要望書を送付した。大統領には民主化に向け前向きの動きが認められ歓迎する。しかし、AAPPの調査では、まだ465人の政治囚が収容されている。少数民族武装組織と国軍との戦闘が各地で行われ、数多くの人権侵害が発生。大規模水力発電所地域などでの紛争も各地で発生。軍の影響力の強い憲法もそのまま残っている。このため、日本政府は「バルーチャウン水力発電所補修工事」、「人材開発センター」の再開に当たっては、①全政治囚の解放、②少数民族地域での戦闘停止と国軍の撤退、③ビルマ全土での人権の確立、④少数民族との対話と和解、⑤憲法の見直し、⑥報道・結社の自由が実施、確立された後に検討することを要望。

2012年4月19日木曜日

(1437)ビルマの人権状況に関する公開書簡

  アムネスティ日本支部は4月17日に、テインセイン大統領の来日に当たり、野田首相と玄葉外相あてにビルマの人権状況に関する公開書簡を発表した。主な内容は、①すべての「良心の囚人」を即時に解放すること。②犯罪容疑が明確であると称する政治囚には公開の場で公正な裁判を行うこと。③いかなる政治囚も、拷問や非人道的な取り扱いを受けないよう保証すること。④少数民族に対する人権侵害をやめること。⑤ODAについては「基本的人権及び自由の保障状況に注意を払い、人権が具体的に保障されるようにすること。以上のことをビルマ政府に求めるよう要請している(以上概要)。東京での大統領との首脳会談は21日と言われ、民主化問題や経済問題などのほか、このような人権問題が話し会われることを大いに期待して、皆で注目しよう。

2012年4月18日水曜日

(1436)ミャンマー日本語教室のブログ②

  中西先生のブログの続き。4月4日に日本に帰国、お嬢さんを小学校に入れるべく、小学校の校長に会ったり役所に行ったり、よきパパぶりを発揮。ところで補選でNLDが45議席中43議席を獲得したので、2015年の総選挙でも大勝したら、大騒ぎ⇒国内混乱⇒クーデター⇒軍事政権の復活という工程表を考えている様子(この点は私も同感、15年が勝負の年です)。16日、ロンドン市内のミャンマー寺院でマハーティンジャンが行われ、そこでテインセイン大統領に「平和賞」を授与すると発表、中西先生は、この賞の影響力はわからないが、「ノーベル平和賞」が受賞できるよう活躍してほしいという(以上)。私は大統領の後ろにいるタンシュエ議長こそ、真の改革者?だと思うのだがダメかな。もし、彼が平和賞をもらえば、軍事政権の復活などはあり得ないのでは。

2012年4月17日火曜日

(1435)ミャンマー日本語教室のブログから

  ヤンゴンにあるウイン日本語教室の中西校長からのブログ、 まず4月2日の分、この日からヤンゴンで「ごみ分別」が始まった。生ごみは青いビニール袋、乾燥ごみは緑色の袋に分別するのだが、1袋20チャット(20円)と高いし、小さいし、市民はほとんど知らないし、知っていても無視、ごみ分別の考えは立派だが、限りなく無理っぽいと思われる。またこの日から為替レートが変動制になった。記念すべきこの日のレートは、対米ドルの買いは811チャット、売りは825チャット、FECは米ドルと同じ。しかしパスポート(10年用)の発行料金は1230チャットで、まだ旧公定レートのようだ。市内にシュークリーム専門店が開店、1個850チャット(850円)とかなり高めだが、たくさんの人が買い求めていた。クリームのほうは申し分ないが、皮が固くてちょっとがっかり。 

2012年4月16日月曜日

(1434)水かけ祭り いろんな人に会えて嬉しかった

  昨日はミャンマーのダジャン(水かけ祭り)、足が悪いので、新橋駅からタクシーで日比谷公園の会場へ。私は15回連続でダジャンに参加している。春の陽気のせいか、祖国の民主化進行のせいか、今年の来場者は何となく明るい感じだ。おかげでいろんな友人に会えた。中でも、私の第二の職場の清掃を担当していたミャンマー人女性のTさんは、我が家に遊びに来たこともあったが、途中から連絡が途絶え、帰国したものとばかり思っていた。そのTさんと会場でばったり再会、すごく嬉しかった。彼女は在日21年とのことで、おそらく近く「在特」が貰えると思う。また、会場で女性に「ハグ」されること3回、みんな入管で面会した人たちだ。公衆の面前で「ハグ」されるということは、私にとって恥ずかしいことだが、それだけこちらは人畜無害な老人になったということか。

2012年4月15日日曜日

(1433)読了98冊目:「黄金の三角地帯」

  副題はゴールデン・トライアングル、竹田遼、1977年9月・文遊社発行、235頁、980円。目次は、①シャン州へのパスポート、②九百年目の再開、③革命家たちの勲章、④統一戦線への始動、⑤ブラックトライアングル、⑥コートレイの孤独、⑦第二次アヘン戦争と続く。著者はビルマとの国境にあるメサリエンの街で、シャンランド民族解放戦線やパオ民族解放軍の兵士らと会い、彼らの組織のリーダー、ウ・ラ・ぺとの取材を要望、結局彼ら兵士とともにビルマ政府軍の目をかいくぐり、苦難の道を経てシャン州に入る。そこで麻薬取引と少数民族戦線との関係を知る。現地での麻薬取引の利潤は多くはないが、国境を越えた途端価格は急上昇。また、ビルマ共産主義者も国民党もこのトライアングルの渦に入っており、シャン同盟軍とシャン州革命軍との交戦も同じだ。

2012年4月14日土曜日

(1432)英首相ミャンマー訪問

  英国のキャメロン首相が13日、ミャンマーを訪問し、テインセイン大統領やNLDの党首スーチー女史と個別に会談したことが、今日の朝日新聞やテレビで報道された。スーチー氏との共同会見で、キャメロン氏は経済制裁を「一時停止すべきだ」と述べた。一方スーチー氏もキャメロン氏の意向に支持を表明した。緩和に前向きなフランスに比べ、英国は民主化の状況をさらに見極め、段階的に緩和するべきだとする慎重な立場を貫いてきた。しかし1月にヘイグ外相が大統領らと会談し、関係改善への布石を打ってきた。英国はミャンマーの旧宗主国で、英国人と結婚したスーチー氏の人気も極めて高い。キャメロン氏は、大手英企業幹部も同行、豊富な地下資源や、6千万人市場を持つミャンマーの商機を窺う思惑もありそう(以上)。北朝鮮との差がますます広がる感じ。

2012年4月13日金曜日

(1431)全日空、ミャンマー便を12年ぶりに再開

 4月11日の産経ニュースによれば、全日空がミャンマー便を12年ぶりに再開すると発表した。全日本空輸の伊藤信一郎社長は、成田空港の発着で今年中の就航を目指すという。ミャンマーは民主化と経済改革が急速に進んでおり、日本からも安価な労働力を求めて進出企業が増えているが、現在日本からの直行便はない。全日空は1996年7月、関空~ヤンゴン線を開設したが、同国の政情不安などを理由に2000年3月からは休止していた。現在、日本からは、シンガポールやバンコク経由でヤンゴンに渡航しており、全日空の直行便が就航すれば飛行時間も大幅に短縮し、日本企業にとっても利便性が高まる。伊藤社長は「日本からの需要は十分にある」と期待を込めている(以上概要)。私は96年に関空経由ヤンゴンまで行ったことがあり、快適だった。

2012年4月12日木曜日

(1430)「変化」を探してヤンゴンを訪ね歩く

  アジアプレス・ネットワークの3月27日の報道の中に、標記の見出しが目に付いた。記者が1年ぶりにヤンゴンを訪問、まず目についたのはホテル料金の高騰ぶりだ。最近は外国人が激増し、料金が軒並み2‐3倍に跳ね上がっていた。物価も高く感じる。いま1000チャットは100円だが、食事代は大体10000チャットかかる。巨大なスーパーやショッピングセンター、高級レストランが市内各所に見かけるが、市民の購買力が上がっているようには見えない。寿司屋の店員に最近の「変化」を聞くと、報道の自由だという。スーチーさんの遊説の詳細なルポや、解放された政治囚へのインタビューなど1年前には絶対なかったという。その他の「変化」を聞くと、特にないという。役所に行けば相変わらず賄賂を要求し、払わなければ一番後回し。記者は変化は感じない。

2012年4月11日水曜日

(1429)ミャンマーの証券取引所の立ち上げ

  今朝の朝日は、2015年といわれるミャンマーの証券取引所の立ち上げを、東京証券取引所と大和証券の両社が支援することについて、ミャンマー政府と基本合意した旨報じていた。民主化に向けた改革を進めるミャンマーに対しては、経済制裁の解除が進み、金融市場の拡大が見込まれている。東証と大和は、ミャンマーでの投資マネーの呼び込みにつなげる考えだ。東証の斉藤社長らが5月にもミャンマーを訪れて、証取設立を柱とする資本市場の整備に関する覚書を結ぶ方向で最終調整に入った。東証はすでに中国やベトナムなどアジアの取引所と提携している(以上概要)。ミャンマーの経済発展のためには、証券取引所の設立が急務であるが、かつての軍事政権が経済面に乗り出さないとも限らない。そのような事態にならぬよう万全の注意を要す

2012年4月10日火曜日

(1428)日本語能力試験

  在日ミャンマー人の人数は数千人といわれているが、正確にはわからない。従来は、難民申請して当面は帰国を考えていない人が多かったが、本国の民主化の驚異的な進展に伴い、これらの考え方も少しずつ変わってきたようだ。民主化が進めば、多くの日本企業がミャンマーに進出するだろう、その際の人的要員として、日本を理解している在日ミャンマー人の活躍が期待される。そこで必要なのが日本語の能力、世界各国で日本語能力試験が行われており、N1級からN5級まである。N2級以上の証明書を持っていれば、日本企業で採用される可能性が高まる。在日ミャンマー人よ、ぜひこの証明書を獲得して、活躍の場を広げて欲しい。日本では年2回試験があり、今年は7月1日(申込受付は4月2日~5月2日)と、12月2日(同:9月3日~10月3日)。

2012年4月9日月曜日

(1427)読了97冊目:「生還者たちのビルマ」

  副題は「知られざる戦場の記録」、太田毅著、1987年8月・葦書房発行、392頁、1957円。著者は従来知られていなかった5つの戦史を書くべく、多くの帰還兵と会い、まとめ上げた。①巨弾を撃て(ウインゲート空挺団掃討戦)、②恵通橋を爆破せよ(有川挺身隊の苦難)、③騰越城の脱出者(名捕手吉原正喜の行方)、④飢餓と病魔と大軍と(平憂守備隊4か月の苦闘)、⑤龍陵最後の死闘(秘密兵器の最後)と続く。①と⑤は、当時日本軍の秘密兵器といわれていた大型臼砲に触れ、ただ1回しか発射していなかったが、威力は十分あったという。③は巨人軍の名捕手と言われた吉原正喜の戦死場所について、従来確たるものがなかったが、今回これを確認した。通して言えることは、軍上層部の作戦が愚かだったため無残に戦没者を作り敗戦に至ったという。

2012年4月8日日曜日

(1426)難民統計に関する全難連声明

  全難連では2011年の難民統計で、過去最低の難民認定率だったことを受けて、4月6日、声明を発表した。それによると、11年の難民認定者数は21人で、うち7人が一次手続きにおける認定(うち少なくとも2人は勝訴確定による)で、残り14人が異議手続における認定。難民認定数は過去最低の0,33%、一方、異議申し立てでの認定率は1,6%で05年以降最低。認定者の国籍にも偏りがあり、ミャンマーが全体の80%、ミャンマー以外の者が難民認定されることはほぼ不可能。異議申立継続事件が滞留しており、年末時点での未済案件数は2600件あり、これを消化するだけで3年かかる計算となる。11年の難民申請者1867人のうち540人(28,9%)が再申請者である。政府は、保護を受けるべき者皆を保護すために制度や基準を見直すべきだ。

2012年4月7日土曜日

(1425)難民受け入れ 自立支える制度を作ろう

  4月6日の朝日の「記者有論欄」に経済部藤崎麻里記者が標記のテーマで投稿していた。彼女の主張は「日本政府の受け入れ条件は子供のいる世帯だが、子育てをしながら自立できる環境を整えるまでは考えられていない」。「日本語の研修を半年間受けてきたが、一律の研修期間で自立を促すことは現実的ではない」。「東京で月々十数万円のマンションに住み、支給される手当が十数万円では、生活コストの相場観もつかめない」。「支援団体との連携不足の弊害は改められつつあるが、自治体との連携はまだ埒外」という(以上概要)。私も当初の政府対応の貧困さを何回も論じてきた。藤崎記者の意見には同感であり改善を強く要望する。将来の日本の少子高齢化の対策としても考える必要がある。何よりも難民を生まない平和な世界を築きあげたい。

2012年4月6日金曜日

(1424)ミャンマー 進む改革路線

  ミャンマー関連の大型記事が続いている。4月5日の朝日朝刊には、ミャンマー上院議長のキンアウンミン氏の談話が掲載され、「スーチー氏を始めNLDの国会入りを歓迎する」、「民主化改革にはブレーキをかけない」、「憲法は時期と条件が整えば変えることができる」、「国軍枠も国民が望むならいつかはなくなるだろう」と述べている。一方、英国の人権活動家ベネディクト・ロジャーズ氏(「ビルマの独裁者タンシュエ」の著者)は「権力者は『アラブの春』で独裁者の末路を見ており、改革路線を容認するほうが身の安全と判断したのだろう」と。同日の夕刊には、「クリントン米国務長官がミャンマー制裁の緩和を表明」、「企業の投資を一部解禁」など発表、中国と密接な関係を保ってきたミャンマーに対し、米国としても一定の影響力を保つ狙いがあるとみられる。

2012年4月5日木曜日

(1423)「国民の母」に民主化託す

  4月4日の朝日もミャンマー補選ニュースを大きく取り上げていた。見出しは標記のほか、「不屈のスーチー氏に共感」、「国の土台固め、スタート地点」、「補選の結果確定 与党1議席だけ」など。3日に45選挙区の結果が確定し、NLDは下院全37人、上院4人、地方議会全2人で、その他はUSDP1人(上院)、シャン族政党1人(上院)でNLDが圧勝。この結果、下院(定数440議席)は政権側が369議席に対しNLDは37議席、上院(定数224人)は政権側が185議席に対しNLDは5議席。スーチー氏は1989年以降3回延15年にわたる軟禁生活に屈せず、同じように抑圧されてきた多くの国民が彼女に希望を託している。人々は、メー・スー(スーお母さん)と尊敬と親しみを込めて呼ぶ。ミャンマーは法整備など遅れており、補選を経てやっとスタートに立つ。

2012年4月4日水曜日

(1422)社説:ミャンマー補選 民主化さらに加速を

  4月3日の朝日新聞の社説欄に標記の見出しを見つけた。ミャンマーの補選で、NLDが圧勝宣言をしたが、ただ改選数は国会の全議席の1割に及ばない。このため軍関係者が政権や議会で絶対多数を占める政治状況がすぐ変わることはない。しかし民主化の歯車が一つ回ったと評価できる。国民は軍事政権時代への反発を投票で示したとみるべきだ。いまこそ政権は、全議席を争う3年後の総選挙を民主化の総仕上げとすることを確認すべきだ。少数民族との和解や、残る政治犯の釈放はその前提だ。スーチーさんは、野党として体制内で変革を目指すことになる。具体的な成果を求められる立場となり、責任も重くなる。民主化を阻む最大の壁は軍政が制定した憲法だ。こんな憲法を改めて、初めて民主国家と認められる。経済支援の成果も注目。

(1421)スーチー旋風 市民沸く 「国会変えられる」

  4月3日の朝日新聞1面には「国民の勝利」の見出しとともに、ファンに囲まれ手を挙げる笑顔のスーチーさんの写真が掲載された。スーチー党首は詰めかけた支持者らを前に「政治に関わろうと決心した国民の勝利だ」と語った。また10面では「スーチー旋風市民沸く」、「国会変えられる」の見出しのもと、NLDのほぼ完全な勝利に、党本部に集まった多くの市民の前でスーチーさんは「新しい時代の幕開けとなることを望む」と語った。米国のクリントン国務長官は「ミャンマー国民にお祝いの言葉を述べたうえで、「改革の努力を支援する」と強調した。しかし経済制裁の緩和は多くの制裁法を成立してきた議会がカギを握る。一部には時期尚早との意見も強い。ASEANの外相会議はミャンマーの補選を歓迎し、欧米などに経済制裁の解除を呼びかけるようだ。

2012年4月2日月曜日

(1420)スーチー氏当選へ 補選 野党圧勝の勢い

  4月2日の朝日新聞1面には、「スーチー氏当選へ」、「ミャンマー補選 野党圧勝の勢い」、同じく3面には「自由投票を市民実感」、「制裁解除 政権狙う」、「円借再開へ民主化注視」の見出しが。ミャンマーで1日に行われた国会補欠選挙では、NLDの独自調査で、スーチー氏は8割近い票を得て当選確実となったほか、上下両院の42選挙区中36選挙区でNLDが当選確実になったという。しかし補選の議席数は上下両院全体の6.5%、NLDが圧勝しても与党USDPの優位は変わらない。日本政府はスーチー氏の当選を歓迎し、4月下旬のテインセイン大統領来日時に大型インフラ整備目的の円借款の凍結解除を打ち出すと見られる(以上概要)。ミャンマーは軍事政権下の民主化という手品を披露中。この壮大な芸の評価は3年後の総選挙まで待つしかない。

2012年4月1日日曜日

(1419)読了96冊目:「死の靖国街道」

  副題は「43年後のビルマ戦記」、浜田芳久著、1998年7月・現代企画室発行、315頁、定価1854円。著者は1919年生、東大卒、主計中尉。ビルマでの戦いを、「インパール作戦」と、戦争末期の「断、盤、完作戦」とに分けて、当時の死闘の状況を広く詳細に回顧している。何も状況を理解できない立場の大勢の兵士を徒に死に追いやった軍の幹部の傲慢さに身震いを感じる。特に牟田口司令官(中将)の無謀な命令・指揮によって日本軍は完敗し、多くの犠牲者を出した。同司令官は第一線の三師団長を相次いで解任し、その中の佐藤師団長が発した退却命令(抗命)の状況もよく描かれている。インパール作戦以外の、「断、盤、完作戦」でも敗退中の日本軍が、反撃のための陣地の再構築を狙ったが何れも失敗した。なお「靖国街道」は「白骨街道」と同意語。