2009年8月31日月曜日

(477)なぜ民主党に投票したのか

(2009年8月31日)
  今朝の朝日には新しい時代の到来を告げる大きな活字が並んでいた。「民主308 政権交代」、「鳩山首相誕生」、「自民119 歴史的惨敗」、「麻生首相、総裁辞任へ」、「公明は小選挙区全敗」。この選挙結果は日本人の多くが期待した結果であるが、果たして本当に期待したとおりになるのか否かは今後の歴史が教えてくれるであろう。私の投票暦は60年になるが、若いころは別として、ずっと保守系に一票を投じてきた。前回の参議院議員選挙でも自民党だった。しかし、今回は民主党に鞍替えした。事前に各党のマニフェストを見比べたが、いま一つピンとくるものが無かった。私が民主党を選んだきっかけは、国会で新しい「住民基本台帳法」を審議していたときの自民党の極端な外国人排斥思想に触れたときだ。逆に民主党は外国人との共生をうたい、鋭く政府に食い下がっていた。民主党の新政権に期待したい。

2009年8月30日日曜日

(476)少数民族と国軍交戦

(2009年8月30日)
  今朝の朝日に「少数民族と国軍交戦」、「ミャンマー停戦合意に亀裂」、「難民1万人超す恐れ」との見出しが躍っていた。ビルマ北東部シャン州コーカン地区で起きた国軍と少数民族の武力衝突は29日も続き、約1万人が難民として逃げ込んだ中国側でも砲撃の流れ弾による死傷者が伝えられた。衝突は約20年続いた両者の停戦合意に反するものだ。コーカン族の武装勢力は約800人だが、同じく中国国境沿いのワ族の武装勢力も戦闘に加わった。衝突の背景には国軍が少数民族の武装勢力を国軍に編入して国境警備に当たらせようとしたところコーカン族が反発したもの。軍政の要求にはカチン族やモン族も「完全自治へ保証がなくなる」と抵抗、ほかの民族に飛び火すれば内戦に突入すると危ぶむ声も出始めた。私は新生ビルマには、民主化勢力と共に少数民族の存在を強調してきたのだがこんな形になるとは。

2009年8月29日土曜日

(475)ビルマ今週のニュース(34)

(2009年8月29日)
  BURMAINFOからのニュース33号の抜粋。 ★中国に接するシャン州コーカン地区で、コーカン軍MNDAAが親軍政派と反軍政派に分裂、軍政も派兵し首都ラオカイを制圧、住民約1万人が中国側に難民として流入した。 ★なお軍政は来年の選挙を前に停戦協定を結んだ武装勢力に対し国境警備隊に再編し、国軍の指揮下に入るよう要求している。 ★軍政の農業灌漑大臣で軍政の翼賛団体USDAの総書記を務めるテーウー少将らが外務省の招きで20日に来日、24日は在日ビルマ人団体が抗議デモ。中曽根外相はUSDAにおける彼の地位と、今回招待したこととは無関係と発言。 ★例の米国籍の男性イェトー氏が帰国、警備員が握手して自宅に入れてくれた、またスーチーさんは、彼の訪問を喜んでいたと発言。 ★イェトー氏を自宅に入れた罪で有罪判決を受けたスーチーさんは、来週にも控訴する方針。

2009年8月28日金曜日

(474)今日はごちゃごちゃあった日

(2009年8月28日)
  今日はなんだか知らないが、ごちゃごちゃあった日だなあ。朝電話があり、奥さんと7歳の子供を残してご主人が入管に収容されたと泣き声で訴えられる。10時40分に家を出て一路品川入管へ行き、この母子と落ち合う。同種の入管収容状況を伝え、母親としてしっかりして欲しいと告げ、今後の対応方法を伝える。たまたまBRSAの役員が来たので2人で励ましたところ気分を取り直してご主人と面会。我々2人は、1時に仮放免が決まった女性(私が保証人)のために田町にある日本銀行出張所で30万円(本人提供)を納め入管に戻る。2時40分ごろ彼女が笑顔で我々のいる部屋に顔を出し握手、握手。なおこのBRSA役員は彼女と高校時代の同級生とのこと。帰途先日面会した女性のご主人と1歳9ヶ月のお子さんに出くわし、彼女の意向を聞いた。この母親収容は人道問題ではないかしら。来週対応してみよう。

2009年8月27日木曜日

(473)混乱してる ビザと在留資格

(2009年8月27日)
  私は時々ビルマ人に「あなたのビザは何?」と質問するが、この場合正しくは「あなたの在留資格は何?」と聞くほうが法的に正しいようだ。ビザ(査証)はヤンゴンの日本大使館がパスポートにビザの印を押すのだが、「このビルマ人が持っているパスポートは入国目的から見て日本への入国に問題ないと判断する」という意味があり、成田から入国する際に入国審査官に推薦(紹介)する役割を果たす。ビザは外交、公用、就業、一般、通過,短期滞在、特定の7種類に区分され、入国目的の欄に在留資格が記入されているが、上陸許可が得られれば、ビザはご用済み。一方、上陸後の在留資格は現在27種類に分類されており、それぞれに在留期限が明示されている。時々「ビザの延長期限が来週だ」という言葉も聞くが、これも正しくは「在留期間の延長」だろう。難民申請者は無資格であり「在留カード」も貰えない。

2009年8月26日水曜日

(472)品川入管でチェイントエデー(デート)

(2009年8月26日)
  今日は水曜日、品川入管でビルマ人美女たちとデートする日だ。しかも今日は新しく入った人が5人もいるという。どんな人たちだろうか? わくわくしながら品川入管に到着、面会控え室では多くのビルマ人知人に会い雑談。私が今日面会したい人は15人いるが、面会は一日一回10人限りと規制があるため、5人は来週回しとなる。今日の面会は4人、3人、3人、と3回に分け、彼女らの鬱憤を聞く。全員の質問は当然ながら「いつ出られるか」ということ、「最長約4ヶ月」と答えるとみんな顔色が変わり落ち込む。1昨年まで彼女らの先輩は平均10ヶ月だったことを伝えても、慰めにはならないらしい。また保証人をして欲しいという懇願もあるが、私はすでに10人もの保証人をしているので、自助努力で出来るだけ自分で探せと伝える。帰途仮放免担当の部屋に立ち寄ると今面会した一人の仮放免がOKとの声。バンザイ!

2009年8月25日火曜日

(471)昔取った杵柄 パブリシティ名簿

(2009年8月25日)
  現在牛久入管に収容されているビルマ人から電話が入り、収容されていてもビルマ軍政への批判的な文書を作成したいので、その発送先を教えて欲しいというもの。これって昔ライオン広報部長時代に手がけたパブリシティ活動そのものだ。いまから20数年前に実施し数々の成果や失敗の思い出が次々と浮かび無性に懐かしくなる。まず新聞社関係を探すが、5大紙の場合東京本社がよいのか牛久市のある茨城県水戸支局がいいのかあるいは牛久市を担当する通信部のほうがよいのか迷う。次が通信2社、これは水戸支社で決まり、ブロック紙は東京新聞、地方紙は茨城新聞と常陽新聞、外国通信社はAP、ABC、BBC、テレビは5社、その他難民関係団体が5団体、全部で30箇所を選んだ。もちろん全部に出すのでなく、内容によって選別することになる。しかしこうやってると昔取った杵柄、何だか元気が出てくる。

2009年8月24日月曜日

(470)昨日の執行委員会では

(2009年8月24日)
  昨日のブログではチャンプッ代表の来日で頭に来たので、BRSAが参加したデモ行進のことを先に取り上げてしまった。実際には巣鴨の大滝邸で午前10時からBRSA執行委員会が行われていたのだ。しかし、いつも元気に発言する広報部長のナンダーさんの声は無かった。先日品川入管に収容されたのだ。彼女はこの会議の通訳もやっていたので会議そのものが影響を受けている。会議の主題は当会の組織力、今後役員間の連絡をより充実させることとした。といっても、役員間にもウマがあう人、あわない人がいるのでなかなか難しい。現在会員数374人という大型グループに成長し、さらに成長が予測される中で、役員の結束は重要だ。なお、現在の入会金は1500円だが、3500円(会費3か月分を含む)に変える案が出たが効率化という点で大賛成。入国ブローカーの存在が噂されるようになり、注意が必要。

2009年8月23日日曜日

(469)チャンプッとデモ

(2009年8月23日)
  今日は午後からスーチー氏解放のデモが恵比寿公園~国連大学前~明治公園のルートで行われる。在日ビルマ人によるデモそのものは珍しくないが、今回気になったのがデモの呼びかけ人、通常だとJACやNLD、時にはPFBが主導するが、今回はタンスエさん以下8人の個人名が並んでいた。巷間噂されているJACの衰退を表しているのだろうか? 折りも折り、中曽根外相の招待でチャンプッの親玉が農業灌漑省大臣の肩書きで日本にやってきた。表面的には日本農業の視察のようであるが、来年選挙での親軍政党の設立に中心的な役割を果たすであろう人物なのだ。在日ビルマ人の民主化グループの中でも苦々しく思っている若者は多いはずだ。今日のデモは平穏理に終わたが、明日、明後日は外務省前でデモをする由。オバマ政権発足と同時にビルマを囲む海外情勢は様変わりの状況で目が離せない。

2009年8月22日土曜日

(468)ビルマ今週のニュース(32)

(2009年8月22日)
  BURMAINFOからのニュース32号を抜粋。 ★外務省、親軍政団体幹部を日本に招待(昨日の467号に記載ずみ)。このニュースは今朝の朝日新聞に大きく報道されたが、発信源は19日付ミジマ、21日付イラワディ。 ★米国ジム・ウエッブ上院議員が軍政トップ及びスーチー氏と会談(19日のこのブログ465号に記載済み)。この件に関し17日のウオールストリートジャーナル紙、19日のニューヨーク・タイムズ紙は制裁解除はあまりにも時期尚早、得しているのは軍政だけと批判、また、スーチー氏が制裁解除に反対ではないという明確な印象を持った旨の発言に対し、スーチー氏の弁護士ニャンウイン氏は「制裁についての見解は07年から変わっていない」とするスーチー氏の談話を伝えた。(18日イラワディ紙他)。 ★例の米人男性イェトー氏は帰国、「後悔はしてない、またやれと言われれば百回でもやる」と。 

2009年8月21日金曜日

(467)USDA とんでもないニュースが

(2009年8月21日)
 先にオバマ政権がビルマに特使(有力上院議員)を送り、軍事政権への経済制裁を緩和する方針を明らかにした。英国首相が経済制裁強化を宣言した直後の発表であり、世界中が混乱しているのではなかろうか。たまたまそれに便乗するように親軍政市民団体「連邦連帯発展協会」(USDA)のトップが外務省(中曽根外相)の招きで20日朝来日。代表団は1週間に亘り日本に滞在するが、団長はテイウーUSDA書記長(農業灌漑省大臣を兼務)、他にティントゥーウー農業局長、軍保安局(軍政諜報機関)職員など。宿泊先はホテルニューオータニ、20日には鎌倉大仏を訪問する。23,24日は野党議員と、25日には外務大臣や、農林水産副大臣との会見が予定されている。日本の民主党への軍政側のロビイング活動と見られている。USDAは03年のスーチー氏襲撃や07年の僧侶襲撃事件に関与しているようだ。

2009年8月20日木曜日

(466)続く シャン州住民への武力攻撃

(2009年8月20日)
  ビルマ国軍がビルマ北東部の少数民族シャン人の民間人に攻撃を行い、この3週間で1万人以上が避難を余儀なくされた旨、ヒューマンライツウオッチが発表し、ビルマ軍事政権に対し民間人への攻撃を直ちに停止するよう求めた。世界の注目がスーチー氏の裁判に向かっている間に、少数民族への周辺化が進められ、彼らは厳しい迫害を受けている。7月末から8月にかけてシャン州のライカー郡と中部のムンケーン郡の39か村で、500戸が焼き払われた。国軍部隊が攻撃するのは反政府武装勢力のSSA-S(シャン州軍南部部隊)だ。一連の軍事行動によりすでに35万人が生活基盤を失い、隣国タイで難民として生活している。ヒューマンライツウオッチは「国連安保理は怠慢さから脱し、人権侵害行為に関する調査委員会の設置を決議すべきだが、中国とロシアがビルマ軍政を支援するならば実現困難」とした。

2009年8月19日水曜日

(465)対ビルマ 米国の新たな政策?

(2009年8月19日)
  アメリカの上院議員ウエッブ氏がネピドーでタンシュエ議長と会談し、そのあと、ヤンゴンでスーチーさんとも25分間面会した。先にパン国連総長もスーチーさんとの面会を要望したが、軍政側は認めなかったのに。例の迷惑をかけた米人男性は16日国外退去の形でウエッブ上院議員と一緒に帰国した。今回軍政側は異例の厚遇を見せた。これはオバマ政権がビルマへの制裁を一部解除する方向に方針転換したため、軍政側も柔軟姿勢を示したものと考えられる。オバマ政権はビルマに対し制裁の部分的な解除を含めた検討を進める方針のようで、今回のスーチー女史の会見でも「スーチーさんは反対しない印象を受けた」としている。なお今後ともスーチーさんの意向を尊重するとしている。オバマ政権はこれまでの強硬策は中国の影響力を増すだけと分析し、民主化の見返りに米国からの投資を再開すると言及してる。

2009年8月18日火曜日

(464)ヒャー いつの間にか12000突破

(2009年8月18日)
  ヒヤー いつの間にか読者が延べ12000人と大台を突破していた。本ブログでは毎回1000の大台に乗るときに大騒ぎしてきたのだが、最近はスーチーさんの裁判問題などでイライラしていたためか、あるいは暑さのためか、トシのせいか、アクセスカウンターへの注意力が散漫になっていたようだ。年初来、1ヶ月に1000人ずつ増えている感じが続いており、ほぼ固定化したようだ。ということは1日に平均30人が読んで(見て)いただいていることになるが、この数値は毎日記録されている「昨日のアクセス数」からも読み取れる。一方コメント数であるが、毎回の平均は2.2人であり、今回が464回であるから、延べ1000人余に達している。もっともこの半分はわが敬愛するK.A.さんからのものである。あらためてK.A.さんに感謝申し上げる。ブログを打つことはとても面白いので、今暫くは続ける積りなのでよろしく。

2009年8月17日月曜日

(463) 大失敗!カタカナの試験

(2009年8月17日)
  昨日はミンガラ日本語教室でカタカナの最終まとめの日、5人の生徒(女性2人、男性3人)にテストを行った。テストといっても10分ぐらいで終わる簡単なもの、ビルマ人が誰でも知っているビルマの地名や人名をカタカナで書いてもらった。問題は、①マンダレー、②アウンサンスーチー、③ネピドー(ビルマの首都名)、④ボージョーマーケット(ヤンゴン最大の市場名)、⑤シュエダゴンパゴダの五つ。女性2人は大体出来ていたが、男性3人はいま一息の感じ。ただ、ここで問題になったのが、③はネピドーではなくネーピートーではないかという。それからもう一つ、④のボージョーマーケットについて彼らはボジョーマーケットだと主張する。私は日本の新聞や地図に出ているカタカナ文字を正しいと思っているのだが、こうなるとお手上げ状態。正解がわからないという実に具合の悪い設問をしてしまったと我ながら反省している。

2009年8月16日日曜日

(462)迅速なBRSA中央執行委員会

(2009年8月16日)
  今日はミンガラ日本語教室アイウエオクラスの出番の日、お盆なので出席者が果たしているのか心配されたが、結局出席者は5人いて予定通り授業を開始、今日はカタカナ最後の仕上げの日で、58個のカタカナ名詞を予め用意し、読みと書き取り、聞き取りを実施、最後に簡単なテストを実施。11時終了後一息ついてから巣鴨の大滝邸へ、今日の主な議題は8月9日のバス旅行の反省点、90名参加ということで計画したが、結局は54名の参加にとどまったので、その原因を話し合った。討議するうちに隠れていた問題点がいろいろクローズアップされてきたので、来週開催される執行委員会でさらにつめていく。今後のこともあり、今日の討議はまことに有意義であった。次に牛久入管での入国者とBRSAの関係に若干の疑問点が浮上してきたので、早速来週調査を実施することになった。BRSAも迅速さが出てきた。

2009年8月15日土曜日

(461)ビルマ今週のニュース(31)

(2009年8月15日)
  BURMAINFOからのニュース31号を抜粋。 ★インセイン刑務所の特別法廷におけるスーチー氏の裁判で、11日に判決の言い渡しがあり、禁固3年の有罪判決、直後に軍政が1年半の自宅軟禁措置に減刑。来年前半に予定されてる総選挙に参加することは困難となった。なお、1年半は執行猶予期間であり、規則を守り品行方正ならば期間満了時に刑を免除するというもの。 ★スーチー氏の有罪判決に中曽根外務大臣は「極めて残念であり遺憾」と発表 ★国連安保理は「深刻な懸念」を示した。中国やロシアなどの反対のため、より強い議長声明は出せず、「非難」といった強い表現も削られた。 ★EUは軍政に対する追加制裁を発動。 ★米国上院議員ウエッブ氏がビルマ訪問。軍政側の措置に賛同する噂あり。 ★シャン州中央部でビルマ軍が軍事作戦を開始、500棟の家屋が焼かれ1万人がタイへ避難。

2009年8月14日金曜日

(460)米国、英国、アセアン、国連の反応は

(2009年8月14日)
  スーチー氏が自宅軟禁1年半の有罪判決を受けたことについて、オバマ米大統領は「普遍的な人権の理念に背き、アセアン憲章に逆らい、国連安保理の声明を無視したことをはっきり示した。私は国際社会とともにスーチー氏の即時無条件解放を求める」と軍事政権を厳しく非難。英国のブラウン首相は「スーチー氏に対するでっち上げ裁判はビルマが世界を無視しようと決意している決定的な証拠、傍観することなく圧制に制裁を加えよう」と。アセアン議長(タイ外相)は「深い失望を感じた、自由、構成ですべての勢力が参加する総選挙を実施することによってのみ、同国が国際社会の一員となる道が開ける」。国連安保理はフランスの呼びかけで開かれ、「安保理はスーチー氏に対する判決を非難し、来年の総選挙への悪影響を懸念する」旨の非難決議を用意したが、中国、ロシア、ベトナム、リビアの反対で延期。

2009年8月13日木曜日

(459)平和の翼第6号を読む

(2009年8月13日)
  「平和の翼ジャーナル」(第6号)を元生徒が届けてくれた。この雑誌の編集長はアウンミャッウインさん、牛久入管に長期収容され、結局難民と認められ、ミンガラ日本語教室で勉学した後兵庫の関西学院大学に難民枠で入学、現在に至っている。この雑誌を1頁から読んでいくと、私の「U MINGALARのつぶやき」の12話が最初に掲載され、続いて牛久入管収容所を考える会の田中喜美子氏の在留カード反対論、大村入管被収容者を支える会の野崎裕子氏の長崎集会の報告、編集部によるロヒンギャの話題、BRSA副会長熊切拓氏の「写真は恐怖を映し出す」とのエッセイ、さらに編集部による日本の新聞から見るビルマと続き、このあとはビルマ語の頁となる。この雑誌の半分は日本語で書かれており、ビルマの民主化と難民問題につき日本人の理解を得るよう努力していて、私たちのBRSAの趣旨と似た点がある。

2009年8月12日水曜日

(458)スーチーさんは1年半の自宅軟禁

(2009年8月12日)
  昨日の8月11日はスーチーさん裁判の判決の日、午後3時にインターネットで「労働を伴う3年の実刑判決」そしてその直後に入廷した軍事政権の内相が「判決を1年6ヶ月に減刑し自宅軟禁にする」との政権の決定を伝えたとある。今朝の新聞にはこのニュースが大きく掲載されており、例えば社説には「ミャンマー軍政がアジアを脅かす」とあり、1面ではスーチーさん軟禁継続、ミャンマー軍政決定、総選挙から排除」、また国際面では「軍政、権力維持へ必死」、「ミャンマー『邪魔者』封じ翼賛体制確立狙う」、「国連手詰まり感、先月のトップ会談不発」、「対話路線実らぬ日本」、「直ちに解放を 大使館前でデモ」との見出しが躍っていた。ス-チーさん側が控訴するとあるが、修正はまず無理。これで軍政側の言う『民政移管』は着々と進むであろう。そして翼賛体制(私が10代のときよく聴いたいやな言葉)が蔓延る筈だ。

2009年8月11日火曜日

(457)法律改正 付帯決議に注目

(2009年8月11日)
  09年7月15日に「入管法」と「住基法」が改正され、3年以内に施行される。その概要は同月19日に行われたBRSAセミナーで私が講演したが、昨日財団法人入管協会より法律改正を解説した雑誌「国際人流267号」を入手した。改めて全文を読んでみると興味を引く箇所があった。それは付帯決議の項目で「在留カードの有無に関わらず、すべての外国人が予防接種や就学の案内等の行政上の便益を引き続き享受できるよう、体制の整備に万全を期すこと」という一文が参議院側の付帯決議としてあった。しかしこれに相応する衆議院側の付帯決議は見当たらない。何故だろう。6月15日、BRSAが6人の国会議員に要望書を提出したが、その要望書の狙いはまさにこの付帯決議の趣旨そのもの。政府も在留特別許可のガイドラインの緩和や、仮放免後一定期間経過した人に対して必要な措置をとるとしている。

2009年8月10日月曜日

(456)また一人 在留特別許可が

(2009年8月10日)
  私は2006年12月から2007年12月にかけて毎週牛久入管を訪問しビルマ人女性と面会していた。いつも大体1番に門をくぐるが、2番~4番は牛久の会の大滝さん、田中さん、細田さんが続く。私はビルマ人女性を担当したが、年間40人と面会したことになる。当時は全員品川入管から移された人で平均10ヶ月は収容されていた。一回に5人と面会することができ、時間は25分、1日に4組は面会可能であった。その中の一人から今朝電話があり、1年のビザが貰えたという弾んだ声が聞こえた。定住ビザなのか特定活動ビザなのか本人は分からないようだ。これが分からないということは困ったことだが、まあ3年越しのビザ取得、嬉しくて頭が真っ白になったに違いない。ビザが出たことは確かなので私もすっごく嬉しい。これで40人中ビザ取得者は15人となった。全員が取得したら改めてお祝いの会を開こっと。

2009年8月9日日曜日

(455)ビルマは貧しい国なの?

(2009年8月9日)
  ビルマは世界最貧国の一つであり、貧しい国いというのが通説だが、どうも違うようだ。8月6日付のウォールストリートジャーナルに寄稿したショーン・ターネルの論文の概要は次の通り。ビルマはアジア太平洋地区の主要な天然ガス産出国として台頭し、新しく開発中のガス田からは、まもなく大量のガスが中国に輸出される。今年度の貿易黒字は25億ドルとなり、外貨準備高も年度末には50億ドルに達しよう。だがこうした歳入はビルマの国家会計には殆ど反映されない。天然ガスの米ドルベースの収入を公定の為替レート(1ドル6チャット)で計算してるからだ。この値は実勢レートの200倍であり、公定レートを使うと実際の200分の1になる。天然ガス収入は、実勢レートではビルマ全体の歳入の倍以上になり、財政赤字は解消する。この金は軍政が自由に使える金であり、ネピドーへの遷都や、核開発に使われる。

2009年8月8日土曜日

(454)1年経ってみると 二つの8888

(2009年8月8日)
  今日は8888記念日、ビルマ大使館前にはたくさんの在日ビルマ人がスーチーさんと政治囚解放を叫びながら集まるであろう。しかしだ。今朝の朝日新聞には8888記念日に関する記事はどこにも触れていない。36頁もあるのに・・・・。ちなみに、昨年の8888記念日に私は何を書いたのか気になり、その日のブログを見直してみた。(89)悲しき合体!二つの8888というタイトルで、8月8日8時8分から始まる北京オリンピック開催を取り上げ、片方で20年前に起きたビルマの8888事件を追憶し、その日のインターネットでは中国大使館前でビルマ軍政支援をやめるよう抗議集会開催の呼びかけがあったことに触れ、ビルマと中国、二つの8888がこんなことで合体するようになったと書いていた。世界を感動させた北京の8888、世界を震撼させたビルマの8888、片や「繁栄」が、片や「虚しさ」が残る1年だった。

2009年8月7日金曜日

(453)私の持ってるマニフェスト、どの政党に

(2009年8月7日)
  8月30日の総選挙が面白そうだ。4年前、小泉郵政民営化グループが圧勝し、自民党が胸のすくような完勝を収めた。別に私は自民党びいきではないが、胸がすっきりするような勝ちっぷりなのが楽しかった。今度の選挙も民主党中心の野党が、大勝利することは間違いなさそうだ。2回続けて胸すっきりの選挙を経験できそうだ。いま各政党のマニフェスト競争が華やかに展開されていて、朝のテレビも楽しい。実は私には各政党の政策の違いを端的に表す個人的マニフェストを持っている。今国会で成立した入管法、住基法改正に関する国会議事録である。自民党議員は、仮放免申請者や難民認定申請者をわが国にいて欲しくない人間と決め付け、追い出しにかかっている。これに対して民主党始め野党各党は猛烈に反発し、日本に住む住民として共生、人権の面を大きく打ち出している。私は8月30日が楽しみだ。

2009年8月6日木曜日

(452)分からなくなった品川入管出所日

(2009年8月6日)
  昨日は午前中銀行口座つくりに奔走、某銀行でビルマ人の口座が開設でき、意気揚々と2時前に7人が待つ品川入管へ。ビルマ人女性ってみんな明るいので、面会も楽しい。7人以外にも2人入所したみたいで来週確認するが、そのうちの一人は前回会った人みたい。どうして2回入所するのかしら? ところで彼女らの関心は当然のことながらいつ出られるかである。私はいままではだいたい各人の入所期間が掴めていたが、最近は例外的な経過をたどった人も多く、予想がつかない。いままで長くて4ヶ月と思っていた人が5ヶ月余となったり、2ヶ月と思っていた人が3ヶ月でも出所しない。わがカンピュータはだいぶガタが来ている。というか、入管側の審査に遅れが出ているようだ。いままでは面会時に「あなたは4ヶ月頑張って」と言ってきたが、これからはそれが言い難くなる。できれば全員4ヶ月以内にして欲しい。

2009年8月5日水曜日

(451)銀行口座がやっとできた

(2009年8月5日)
今日は水曜日、入管に行く前にビルマ人から電話があり、銀行口座を作りたいが一人だと自信がないので同行してほしいという。彼女の住んでいる新大久保に早めに行き相談、新大久保周辺には大手銀行がないことを知り、タクシーで新宿へ、まずM銀行へ、外国人登録証を出すと資格なしではダメとのこと、法務省から出ている仮放免申請書でもダメ、難民申請受理表でもダメ、10分ほど押し問答して諦める。彼女の顔は沈んでいた。たまたま隣のビルに別のM銀行があり、ここでも押し問答15分、彼女の顔はますます暗くなった。こうなったら意地でもと郵政民営化で問題になった某銀行へ、ここの行員は外国人登録証を見ながら笑顔で向かい入れてくれた。なんら問題なく口座の開設ができ、彼女に笑顔が戻た。2人で新宿駅構内の喫茶店に入りアイスクリームで乾杯、美味しかった。予定時間を超過したが品川入管へ。

2009年8月4日火曜日

(450)ミャンマーに核施設が?

(2009年8月4日)
  最近ビルマ軍事政権が極秘裏に原子炉とプルトニュウムを抽出する再処理施設を北朝鮮の協力で建設しているとの情報が巷に流れている。6月下旬には北朝鮮の貨物船カンナム号が核関連物資を積んでビルマに向かった疑いで米海軍が追跡し途中で北朝鮮に戻った事件があった。7月4日の新聞には、ミサイル転用可能な装置を新宿にある北朝鮮系商社がビルマに輸出しようとして未遂に終わった旨の報道があった。北朝鮮はそのほかトンネル掘削技術をビルマに提供したとの情報もある。核施設はビルマ北部山中の地下にあるとされ、5年以内の原爆の開発を目指している。北朝鮮とビルマが国交を回復させたのは07年、以降急速にビルマへの、またはビルマ経由の武器輸出が加速されている。日本の薮中外務次官は「北朝鮮とビルマの関係はいろいろ言われており、注視し情報収集に努めている」と発言した。

2009年8月3日月曜日

(449)話題はスーチーさんに

(2009年8月3日)
  「西田さんよ、スーチーさんを日本に呼んだらどうなの?」、「民主化が進んだら呼びたいね」、「いま呼んだらどうなの」、「今は軍政に捕まっていて呼べないけど、もし呼んだら彼女ビルマに帰れないよ」、「西田さんはスーチーさんに会えるの」、「もちろん日本に来たら会うよ」、「スーチーさんは日本語しゃべれるの?」、「1年間京都大学に留学したことがあるから、少しはしゃべれると思うよ、でも私は得意のビルマ語で話すよ??」、「彼女の最終裁判は8月11日に延びたけど・・・・」、「もう一回ぐらい伸びるかもしれないね」。今日はライオン研究部時代の同僚8人が集まって、銀座で暑気払い。全員アラサンというかアラッパチ、みんなスーチーさんには関心があるみたい。スーチーさんの話題が一段落したら今度は黄色靭帯骨化症の話に。健康問題出ると次は誰かという話題、なんとなくみなの視線は私に向いていたようだ。

2009年8月2日日曜日

(448)最近のミンガラ日本語教室

(2009年8月2日)
  ミンガラ日本語教室は96年6月のスタートだから14年目に入った。教室の運営はすでに中尾先生に任しており、私は「あいうえお」クラスの授業を受け持っているだけだ。それでも毎週日曜日、短時間ではあるがこの教室に顔を出し、出入りするビルマ人生徒にネーカウンイエラー(やあ元気かい?)と声をかけている。それと同時に毎週誰かしら相談に来るのでその対応に追われる。今日も牛久で面会していた女性が1時近くに現れ、近日入管に呼ばれているので心配だと相談に来た。私の知っている情報を伝え、頑張るように伝えた。ところで教室は順調に推移しており、昨年は1ヶ月当りの生徒数が60名であったのが、今年は1ヶ月当り83名に増加。文化庁から助成金をいただき、19名のベテラン先生が交替で教えており、生徒に明るい笑顔が続く。ビルマ人が来日したら当教室にというルートが確立している感じだ。

2009年8月1日土曜日

(447)ビルマ今週のニュース(30)

(2009年8月1日)
  BURMAINFOからのニュース30号を抜粋。 ★インセイン刑務所の特別法廷で開かれていたスーチー氏の刑事裁判で7月31日に予定されていた判決は8月11日に延期。スーチー氏は「判決はビルマに法の支配が存在するかどうかの試金石になる」と語った。 ★軍政は30日、判決後の抗議行動に警戒するよう市民に注意。同日夜からNLD党員が多数逮捕された。 ★スーチー氏の従兄弟がスーチー氏の自宅の土地の一部を売却するとの広告を国営紙に掲載、スーチー氏側の弁護人は直ちに抗議した。 ★オバマ大統領は28日ビルマに対する制裁法を1年間延長する法案に署名した。 ★タイのアピシット首相は31日訪緬の予定だったが、スーチー氏の判決が出るためティンセイン首相が対応できず、8月に延期。 ★ビルマへの政府開発援助3億4800万円(若手行政官25人が日本の大学に留学する学費)