2010年12月31日金曜日

(962)ウ・ミンガラの今年の10大ニュース

(2010年12月31日)
  昨日は中西先生のビルマ10大ニュースを書いたが、今日は私の見たビルマ10大ニュースを書いてみよう。①総選挙の実施・軍政側圧勝(11月7日)。 ②スーチー氏解放(11月13日)。 ③第三国定住始まるが情報流れず(9月29日)。 ④東西入管センターで収容者のハンスト広がる(5月)。 ⑤米国オバマ大統領が関与政策に転換の兆し(12月)。 ⑥中国などの支援でビルマのインフラ整備進む。 ⑦「牛久入管収容所問題を考える会」 が東京弁護士会「人権賞」を受賞(12月)。 ⑧本年も品川入管ビルマ人女性難民への毎週訪問活動を完遂。 ⑨ブログ「U MINGALARのつぶやき」の連日発信、読者35000人突破。 ⑩「自分史」「14年間のミャンマー関連見出し集」「テーマ別ブログ集」5冊を発行し朝日新聞に掲載される、以上。見落としもあるかとも思うが、とりあえず気の付いたテーマを掲載してみた。

2010年12月30日木曜日

(961)中西先生のミャンマー10大ニュース

(2010年12月30日)
  ヤンゴン日本語学校の中西校長のブログにあった、彼自身が見た今年のミャンマー10大ニュースを紹介しよう。 ①総選挙が行われる。 ②スーチーさん解放 ③タイによるダウエー開発計画始まる。 ④イェーユワー水力発電所が完成。 ⑤モッタマ沖ヤダナー天然ガス田~ヤンゴン市間のパイプライン修復終わる。 ⑥チャット高が続く。 ⑦昆明~ヤンゴン高速鉄道の計画が明らかになる。 ⑧チャウピュー~昆明への原油・天然ガスパイプラインの建設始まる。 ⑨ヤンゴン~マンダレー高速道路が完成。 ⑩カンドージ公園で爆発事件。 以上であるが中西先生は番外として、〇日本語学習者が激減、日本離れ進む。 〇中間所得者層の購買力低下。 〇シットゥエ深海港の建設始まる。 〇ミンガラゼー(市場)の大火事。 〇車・携帯電話の相場下落。 〇サイクロン「ギリ」ヤカイン州に上陸なども挙げている。

2010年12月29日水曜日

(960)忙しいけど有益な一日

(2010年12月29日)
  お役所仕事は昨日で終わり、致し方なく昨日は火曜日だが今年最後の入管訪問、いろんな人に出会った。まず面会受付では10年前から教室忘年会を開催していたお店で働いていたビルマ人のA君に出会ったが、一緒にいた綺麗な奥さんはマレーシア人、国際化がどんどん広がっているようだ。私の隣に座っていたのはカチンのキリスト教の牧師Bさん、彼が面会を希望していた人は既に仮放免で出ていることを教えてあげた。そのうちCさんが現れ、面会票の書き方を教える。さらにいつも手助けしてくれるDさん親子と一緒に面会室に入る。きのうは新しく3人増え合計7人、なんだか知らないが5人と2人のグループに分けられ、5人のときはてんやわんや、いろいろ頼まれた。面会終了後先月まで収容されていたEさんに会い、Dさん親子といっしょに品川駅近くの喫茶店で歓談、いやぁ有益な一日だった。皆元気でね!

2010年12月28日火曜日

(959)ガーナ人死亡で入管警備官書類送検

(2010年12月28日)
  きょうの朝日夕刊に標記のような見出しでガーナ国籍のスラジュさんの死亡事件が掲載されていた。スラジュさんが今年3月、成田空港から強制送還される際、搭乗した機内で死亡した問題で、千葉県警が護送に関った東京入国管理局の男性入国警備官10名を、特別公務員暴行陵虐致死容疑で千葉地検に書類送検していたことが、捜査関係者への取材で分かった。県警によると警備官らは3月22日午後、スラジュさんを強制送還させるため、収容先の東京入国管理局横浜支局から護送し、成田空港でカイロ行きの航空機に搭乗させる際、スラジュさんが暴れたため、、数人で体を抑えるなどして死亡させた疑いがある。スラジュさんの妻が6月千葉地検に告訴していた(以上概要)。この話題は国会の法務委員会で今野東議員が激しく追及し、このブログ(681)、(713)でも取り上げたが、事実なら犯罪である。

2010年12月27日月曜日

(958)牛久入管と品川入管

(2010年12月27日)
  牛久入管(東日本入国管理センター)内部の情報は、「牛久入管収容所問題を考える会」(田中喜美子代表)の存在で、手に取るようにわかる。それに比べて品川入管(東京入国管理局)の収容所の内容はほとんど分からない状況だ。その大きな原因は、やはり面会活動体制の違いであろう。牛久の場合は、前記ボランティア団体の7-8人が国籍を問わず常時面会しており、情報が集約されている。例えば2月には被収容中の日系ブラジル人が前途を悲観して自殺し、3月には強制送還中のガーナ人が成田空港で意識を失い死亡、4月には仮放免不許可を告げられた直後の韓国人が自殺、5月には被収容者70人がハンストした。以上の様な事件を踏まえて田中代表らは牛久入管当局と待遇改善策を討議し、一部改善の方向も見えている。品川入管の場合は各人がバラバラに面会しており大きな力とは言えない。

2010年12月26日日曜日

(957)みんがらネットワーク会報

(2010年12月26日)
  いま「みんがらネットワーク」会報第33号を読んでいる。そもそも「みんがらネットワーク」とはどんな会であろうか? この会は98年6月28日に小石川後楽園内の涵徳亭」で60人(うちビルマ人45人)の会員が参加して設立総会を開きスタートした。このパーティーでは、同時に「チェリービルマ語教室設立3周年記念」、「ミンガラ日本語教室設立2周年記念」の行事も行われ、最後はいまや恒例となったビンゴゲームで終了した。このように当時は二つの教室生徒の交流の場として発足したものである。会報はこの設立総会のとき配布され現在の33号に綿々と続けられており、特に表紙の写真「ビルマ人シリーズ」(後藤氏)や「漫画ミンガラばあさん」志賀(旧姓和田)氏、そして私の「ミャンマー関連の新聞記事」などは第1号から一度も休むことなく続けられている。編集者が途中で鈴木さんに替わりますます充実してきた。

2010年12月25日土曜日

(956)牛久入管収容所問題を考える会が人権大賞

(2010年12月25日)
  「牛久入管収容所問題を考える会」(田中喜美子代表)が東京弁護士会による人権大賞を受賞することが決定した。同賞は優れた人権擁護活動を行う団体や個人に贈られており、表彰式は1月5日東京で行われる。同会は牛久の入管に収容されている人たちへの面会活動や、面会を通じて難民や難民申請者、在日外国人との交流を行う無償ボランティアグループ、1994年設立、翌95年から面会活動を開始した。実は私は06年に牛久入管でこの会の活動ぶりを知って、大きなショックと感動を覚えた。私も96年から「ミンガラ日本語教室」の生徒が警察や入管に収容されたら、その生徒だけに面会してきたが、06年以降は面識のなかったビルマ人(女性)全員に積極的に面会するように気持ちを切り替えている。田中会長とはいろいろな場でお会いするし、BRSA会長の大瀧さんも同グループの有力メンバーである。

2010年12月24日金曜日

(955)難民申請者が送還されて

(2010年12月24日)
  大阪のⅠ弁護士より下記のような情報が飛び込んできた。直接ビルマ人難民のことではないが考えさせられる情報だ。その内容は、先日流出した資料の中に「国際テロリズム対策課の在日イラン人の現状と対策について」という文書があり、東京入管に収容されていた反政府組織(MEK)の一人が送還後処刑されたらしい、また在日イラン大使館職員(情報省機関員?)が入管内を徘徊しており、長期収容されている人物は難民申請者であることを自白しているようなもの。さらにスリランカ人の場合、海外から送還された後全員が拘留され、うち2人が暴行を受けたとしている。このように、長期収容者や難民申請者を帰国させたアト、どのような迫害を受けているか、日本のマスコミも関心を持ってほしいという内容だった。たまたま今日のニュースで警視庁は自分の所からこれらの情報が流出したことを認め謝罪した。

2010年12月23日木曜日

(954)たまには下世話な話題を

(2010年12月23日)
  このブログで取り上げる話題は硬派に属し、文章が硬過ぎるといわれるので、たまには不倫といった下世話なテーマを取り上げてみよう。理知的でテレビにしょっちゅう顔を出している麻木久仁子さんが大桃美代子さんの亭主と不倫したという話題が、大桃さん自身のツイッターを通して暴露してしまった。ツイッターといういま話題のコミュニケーションツールで広く知られてしまったという点が新鮮な驚きを感じる。しかもだ、大桃さんのご主人なる人が誰あろうAPF通信の山路社長なのだ。サフラン革命のときビルマ軍兵士に至近距離から射殺された長井健司さんが所属していた通信社の社長であり、彼の遺骨、遺品を持ち帰って盛大な葬儀を行い多数のビルマ人も参列した。さらに11月7日ビルマ総選挙の日にもタイ側から小船に乗ってミャワディに潜入し逮捕された豪傑である。このような豪傑だから不倫ができるのかしら。

2010年12月22日水曜日

(953)不思議なビルマ人が仮放免で出所

(2010年12月22日)
  先週のこのブログで、ビルマ語が喋れないビルマ国籍の女性が収容されていることを述べた。それについて何人かの友人からも、ビルマ語が喋れないビルマ人はとても珍しいとの感想が寄せられた。きょうは入管でのデートの日、彼女からもう少し詳細を聞こうと思って面会受付に行ったら、彼女はきょう仮放免で出所したという。彼女の場合、シャン州のタイ国境近くの村にいたようなので、タイ語で生活していたようだ。日本人でも、海外生活が長いと日本語を忘れてしまう人がいると思われるので、考えてみるとそう不思議なことではなさそうだ。彼女の場合も4ヶ月と2週間入管に収容されていたことになるが。この4ヶ月という収容日数は難民申請者の場合はほぼ定着しており、彼女の場合も例外ではなかった。また、面会して初めて知ったことだが、3年前牛久入管にいたAさんが先週入所したという。来週会いたい。

2010年12月21日火曜日

(952)ビルマに進出するアジア企業

(2010年12月21日)
  ビルマに関し最近気になっている問題がある。それはビルマにどんどん進出しようとしている諸外国、特にアジア企業の活動ぶり、相変わらず慎重な日米欧と対照的にアジア各国は熱い視線をビルマに送っている。たまたまA氏から戴いた日本経済新聞11月5日の記事をみると、中国がガス、石油のパイプライン建設、二輪車の新工場建設、水力発電所の建設を、インドが水力発電2ヵ所の建設、ガス田開発、大型トラック生産を、タイが港湾・工業団地建設、コンビニ事業参入検討、消費財企業による商談会の開催を、韓国が資源開発、シュエガス田の開発主体を、マレーシアがヤタガンガス田の操業と石化工場の建設を、インドネシアが経済人交流会開催、ベトナムが自動車工場進出の検討を始めた。日本は欧米と異なり人道的支援は続けているが、本格的進出は欧米に気兼ねして進んでいない。決断のときだ。

2010年12月20日月曜日

(951)大盛況 ミンガラ日本語教室の忘年会

(2010年12月20日)
  昨日は「ミンガラ日本語教室」の15回目の忘年会、よくも続いたものだ。しかも年々盛大になっていく。私は昨年末に辞めてから今年は一度も教壇に立っていなかったので、知らない先生や生徒も増えているが、半数以上は知人だった。「マトエヤーダージャピノー(お久しぶり」とか「先生元気?」などの声が飛び交った。場所は虎ノ門の「チムニー」、全部で50人以上集まっていた。飲み放題ということで、ビールと日本酒を少々いただき、私はまさに上機嫌、いろんなビルマ人と近況を話し合うことができた。お子さん連れも多くこの15年間のときの流れも感じる。子どもたちはみんな綺麗な服を着ており可愛い。しかし将来この日本でビルマの文化を受け継ぐことができるのだろうか? ちょっと気になったところで会場はサンタクロースが現れビンゴ大会とじゃんけん大会に変わった。ビルマ人は皆ご満悦のようだった。

2010年12月19日日曜日

(950)「詳説 入管法の実務」を購入しました

(2010年12月19日)
  標記の「入管法の実務」(副題:入管法令・内部審査基準・実務運用・裁判例)、編著者:山脇康嗣(弁護士)、平成22年11月 新日本法規出版株式会社発行、660頁、6200円。私は毎週品川にある東京入管に顔を出しており、その際不明なことは係官に聞くことにしている。その際入管法についていかに知識が足りないか痛感することが多かった。今回、標記の書籍が発行されることを知り、高いなと思いつつ購入した。従来から私の書斎には「よくわかる入管法」や「わかりやすい入管法」があリ、いままでずいぶん役に立った。従来から行政書士レベルの知識がほしいなと思っていたので、今回はもう少し高度のものをと思い購入した。さっと見ても、私の知りたかった内容がたくさんあり助かっているが、前2者と異なり「出入国管理法」が中心で「難民認定法」の方は記載がなかった。いずれ出たらぜひ購入したい。

2010年12月18日土曜日

(949)テーマ別ブログ第4編「難民関係」完成

(2010年12月18日)
  この「U MINGALARのつぶやき」のテーマ別ブログ第4編「難民関係(115件)」が昨日めでたく印刷・製本を完了した。これで第1編「入管・面会関係(189件)」、第2編「ビルマ問題関係(220件)」第3編「週間ニュース関係(87件)」、第5編「書籍関係(70件)」の5冊のテーマ別ブログ集が揃ったことになる。いずれも10冊ずつの少部数の発行であるが、何から何まで自家製であるため、いつでも簡単に増刷・補正はできる。前記5編の中には早くも増刷が必要なテーマも生じている。さてこの後の予定であるが次の第6編には「ミンガラ日本語教室」と「BRSA」の合併号を、第7編は「その他の活動」を考えている。これでだいたい終わりだろう。これから年末年始にかけて頑張りたい。これらが揃えば後はこれらのブログ集と、先に発行した「ビルマ関連新聞見出しの一覧表」を基にしていよいよエッセイ集の執筆だ。

2010年12月17日金曜日

(948)ビルマ仏教徒民主化蜂起の背景と弾圧の記録

(2010年12月17日)

  このたび標記の書籍を読んだ。副題は「軍事政権下の非暴力抵抗」。編訳者は守屋友江氏、(阪南大学教授)、解説者根本敬氏、2010年3月 明石書店発行、257頁 2625円。2007年秋に通称サフラン革命と呼ばれるビルマ僧侶による大規模行進が行われたが、その背景を学術的に解説し、その後の軍政による弾圧の記録を集めたもの。私は在日ビルマ人が僧侶を尊敬する姿を何回も目撃した。例えばミンガラ日本語教室にはビルマ人僧侶が勉強のためときどき現れるが、僧侶を見た生徒たちは床にひざまづいて礼拝する。このように国民に尊敬されている僧侶に対し暴力を振るい、僧衣を剥ぎ取り還俗させたり、投獄したりした軍事政権は世界から非難されている。特に日本人ジャーナリストの長井健司氏が軍兵士から至近距離で射殺され、その映像を目にした日本人は皆大きなショックを受けている。

2010年12月16日木曜日

(947)珍しいことが続いた水曜日

(2010年12月16日)
  ご承知のように私は毎週水曜日には品川入管に顔を出す。津田沼から品川まではちょっとした遠出であり、82歳老人には適度の運動と刺激になる。何しろ彼女らに会えるのが最大級の喜びであり、エネルギーをいっぱい貰っている。昨日は入管の面会受付でA君とBさんに会ったが、2人とも実に気持ちのいいビルマ人で、しばらく喋った後A君と一緒に面会室へ。6人と会う予定だったが、1人は先週在留資格(日本人配偶者)を貰って出所していた。珍しいことであり嬉しいことだ。残り5人のうち1人は昨日初めて会ったのだが、ビルマ語が喋れないビルマ人、これまた珍しいが日本語が喋れない日本人だっているはずだ。彼女の場合日本語は上手なので面会の際困ることはない。ただこういう人に会うと「国籍」って何だろうとつい考えてしまう。帰途品川駅喫茶店でCさんと落ち合い、仮放免延長の書類を渡した。

2010年12月15日水曜日

(946)スーチーさんの進むべき道

(2010年12月15日)
  スーチーさんがは解放されたときの第一声は「軍政との対話」であったが、軍政側からの反応はまだない。仕方なく軍政の出方を慎重に見極めているようだ。たまたま11月14日の朝日には、元ミャンマー大使であった津守滋氏の投稿が掲載されていた。それによると、スーチー氏は対ビルマ経済制裁の緩和に向けて方針を変える姿勢を示しているが、それは経済制裁が十分な効果を示していない上、民衆の生活に打撃を与えているとの判断があるのではないかとしている。そして来年2月に発足する軍を基盤とした新政府は、スーチー氏を含む反政府派とも協力して国民の窮状を打開すべきであり、日本政府も従来の人道支援に加えて、人材育成やIT分野での協力、あるいはバルーチャン水力発電所の修復など積極的に行う時期に来ていると指摘している(以上概要)。私も人道問題と経済協力の推進には賛成だ。

2010年12月14日火曜日

(945)日弁連が在留特別許可のあり方を提言

(2010年12月14日)
  日弁連では「在留特別許可のあり方への提言」を取りまとめ、12月6日付けで法務省入国管理局に提出した。その概要は以下の通り。①提言の目的:2006年10月に入国管理局が「在留特別許可(在特)に係るガイドラインを公表したが、その解釈は恩恵的な措置であり、基準ではないと説明しているが、学校に通う子どもやその家族の事案等を通じ人権保障の観点から提言する。②在特許可と国際人権条約:特に非正規滞在者またはその家族の構成員が子どもである場合は、家族の分離禁止の原則が適用されるから、配慮すべきこと。③在特許可における適正手続きの保障 ④在特許可における第三者審査機関の設置(以上概要)。私も夫婦が入管に収容され、4歳の子どもが児童相談所に突然移された事例を知っている。家族としてはまさに悲惨な状況であった。今後はぜひ国際人権条約を守ってほしい。

2010年12月13日月曜日

(944)ビルマ難民関連書籍の書評

(2010年12月13日)
  最近私はいくつかのルマ難民関連書籍の書評を書いてきたが、共同通信社の原記者が加盟新聞社宛に同じような難民関連の書籍の書評(新刊紹介)を4件配信したことを全難連のニュースで知った。その内容は①「難民への旅」(山村淳平著)、②「国境に宿る魂」(黒岩揺光著)、③「アンナの道」(直井里予著)、④ショパン(崔善愛著)、の4冊である。このうち①と②についてはこのブログの(929)と(925)で私なりの書評を書いて見たが、さすが共同の記者のはポイントを突いた書評であると感心する。たとえば①では「援助は力のあるものがない者を支えなければならない義務であり、社会に対する責任である」と断じている。③はタイ北部の国立病院のエイズ患者を取り上げているようだが、早速図書館で調べてみたい。④はポーランド難民であるショパンを取り上げているが、ビルマ難民ではないので省略する。

2010年12月12日日曜日

(943)米高官、スーチーさんと接触

(2010年12月12日)
 2月11日の読売新聞(関口氏提供)によれば、米国務省のジョセフ・ユン次官補代理は10日スーチー女史と会談した。米政府高官が自宅軟禁から解放された後のスーチー女史と接触したのは初めてで、詳細は明らかではないが、軍事政権に対する欧米の経済制裁のあり方や民主化の進め方などを議論したようである。会談は2時間半に及び、NLD幹部も同席した。スーチー女史は軟禁解放後、軍政を批判する言動を抑える一方、対話で民主化実現を目指す柔軟姿勢に転じた。軍政の今後の出方をを見極めながら制裁緩和のタイミングを探るようだ。一方、米国内では対話路線に効果がないとの批判があり、オバマ政権は総選挙後のミャンマー政策を練り直すと見られる(以上概要)。アメリカの民主党政権も日本の民主党政権を見倣って迷走中。経済制裁を見直すのか、見直さないのか。オバマさんしっかりして!

2010年12月11日土曜日

(942)「タイビルマ国境の難民診療所」を読みました

(2010年12月11日)

  「タイビルマ国境の難民診療所」(副題:女医シンシアマウンの物語)、宋芳綺著、2010年7月 新泉社発行、213頁、1800円。著者は台湾生まれ、シンシアマウン医師の診療所で働き、彼女の素晴らしい生き方に感銘して執筆し、松田薫氏が翻訳編集したもの。カレン民族のシンシアマウン医師はラングーン大学医学部卒業後大病院の医師となるが、その後国境地帯でボランティア診療を開始、88年末にメソットに亡命「メータオ・クリニック」を立ち上げ、50万人以上のビルマ難民の医療を一手に引き受け、02年マグサイサイ賞受賞、05年にノーベル平和賞にノミネートされた。診療所は一つの村のようで、空き地に立てられたいくつかの小屋を「診察室」、「検査室」、「分娩室」などとしている。ここには世界各国からの医師がボランティアとして集まり、支援金や物資も各国のNPO団体から集まる(ミンガラ会報再録)。

2010年12月10日金曜日

(941)キンニュンが刑務所に?

(2010年12月10日)
  我が友人後藤修身氏はいまかっこよくラスベガスにいるらしい。コンピュータソフトの説明会があったようだ。でもさすが後藤さん、会場のホテルの名前はマンダレーベイという大型高級ホテルだ。そこから発信したブログでキンニュン将軍のビデオ映像が流出したことを知らせてきた。最近、日本でもアメリカでも機密情報がインターネットを通じてどんどん流出しているが、まさかビルマでも流出してるとは思わなかった。映像では、軍事政権の代理人と思われる数人の男性と、キンニュン夫妻が立派な応接間で話し合っている光景が流れたが、キンニュンは時々自分の首の周りを指差し、絞首刑を受けるようなしぐさを見せていた。家を出るときは孫娘と思われる女の子に頬ずりをして別れを惜しんでいた。時を同じくしてビルマ人活動家からはキンニュン将軍が自宅軟禁から刑務所に移動させられたとの情報が入りだした。

2010年12月9日木曜日

(940)「閉ざされた国ビルマ」を読みました。

(2010年12月9日)

  いま標記の本を読んでいる。著者は宇田有三氏、2010年1月高文研発行、238頁、定価1700円、副題として「カレン民族闘争と民主化闘争の現場を歩く」と記載されていた。著者は有名なフリーランス・フォトジャーナリストで、軍事政権、先住民族、世界の貧困などを重点的に取材し続けてきた活動家である。この本の構成は、序章:「ビルマ」か「ミャンマー」か、第1章:カレンの人々、第2章:軍事政権下に生きるビルマの人々、第3章:ヤンゴンからビルマの最北端の村へ とあり、得意の写真で随所に花を添えている。著者自身が従軍し、また国境の難民キャンプに何回も潜入して取り上げたビルマ族対カレン族の闘争の記述は、日本人には分かりにくい少数民族闘争の原点を示している。なお第3章では軍事政権下に生きる庶民の姿が記されており、文章も平易で読みやすい。最近のビルマ紹介本として推奨する。

2010年12月8日水曜日

(939)保証人は予め決めておいて!

(2010年12月8日)
  恒例の水曜デートの日、12時前に男性Aさんと品川駅で待ち合わせて仮放免延長許可申請書にサインして渡す。彼は連日の深夜作業で疲れてるというが体重は90キロ以上に増えたとのこと。入管では女性5人と面会し、それぞれの質問や要望を聞く。5人のうち2人(Bさん、Cさん)は従来から私と親しくしていたので、面会も気が楽だ。しかしもう1人(Dさん)は友人も少なく、保証人候補者も皆無でしょんぼりしていた。保証人がいなければいつまで経っても出所できず、結局遠い牛久入管に移されてしまう。収容される可能性のある人は予め保証人を探しておく努力が必要である。私の経験では住居環境は牛久入管のほうがよりよいとは思うのだが、いかんせん遠方なので面会者が激減する。Dさんに対してはBRSAメンバーも何とか助けたいと努力している。来週になればそれなりの成果が上がるものと思うのだが。

2010年12月7日火曜日

(938)小冊子「ビルマ難民編」に着手

(2010年12月7日)
  テーマ別ブログ集は10月以降「入管・面会編」(189件:63頁)、「ビルマ問題編」(220件:74頁)、「ビルマ週間ニュース編」(87件:29頁)、「ビルマ書籍編」(70件:24頁)を相次いで小冊子の形で10部ずつ編集、製本してきた。いま編集しているのが、「ビルマ難民編」(115件:39頁)である。その他予定しているのが「BRSA編」、「マニフェスト編」、「ブログ編」、「ミンガラ日本語教室編」、「健康編」などがあり、12月中にできるだけ仕上げたいと願っている。これらの小冊子は、私がこの2年半の間1日1件、毎日綴った「U MINGALARのつぶやき」から取り上げたものであり、関係者以外には面白くもおかしくもない「つぶやき」だと思う。しかし、私は、この小冊子をたたき台にして、私なりのエッセイ集をいつの日か出版したい。西田敦というビルマメロメロ人間が、この世にいたという証を多くの方にお伝えしたいから。

2010年12月6日月曜日

(937)ビルマ今週のニュース(1044)

(2010年12月6日)
  BURMAINFOのニュース1044号から抜粋。 ★国連のナンビア特別顧問が11月27,28日にビルマを訪問し「多くの政党が総選挙の実施方法や結果に強い懸念を表明した」とし透明性をもって取り組むよう軍政に求めた。 ★国民の日の1日、タンシュエ将軍は「新憲法に基づいて自由で公正な選挙が行われた」とし、民政移管に向けて前進していると述べた。 ★フォーリン・ポリシー誌が2010年の「グローバルな思想家」100人を発表、スーチー氏も選ばれた。 ★タイ国境に近いビルマ東部では選挙後に始まった戦闘が今でも散発的に続いている。11月26日からミャワディ付近でビルマ国軍と民主カイン仏教徒軍(DKBA)とが交戦し、住民約1000人が一時的にタイ側に避難した。 ★地雷禁止国際キャンペーンの年次報告書によれば、09-10年に政府として対人地雷を使用したのはビルマだけと発表。

2010年12月5日日曜日

(936)不法残留者は9万人

(2010年12月5日)
  昨日に引き続き「平成22年版 出入国管理」の一部内容を記す。平成22年1月1日現在の不法残留者(オーバーステイ)数は9万1778人(前年比18.8%減)、過去際最多であった平成5年5月1日の29万8646人と比べて20万人以上も減っている。このほかに不法入国者の推定数約1万3千人から2万2千人を加えると、約11万人の不法滞在者が存在している。不法残留者を国別に見ると韓国(2万2千人)、中国(1万3千人)、フィリピン(1万3千人)、台湾(5千人)、タイ(5千人)、マレーシア(3千人)、ペルー(2千人)、となっている。不法入国者(有効な旅券の不所持者、および所持するが許可を受けずに上陸した人)は5千373人(ミャンマー人は86人)とある。不法上陸者(上陸の許可を受けないで上陸した人)は186人(ミャンマー人は14人)いる。この他資格外活動が810人(ミャンマー人14人)と記載。

2010年12月4日土曜日

(935)「出入国管理(平成22年版)」発行

(2010年12月4日)
  122頁に及ぶ標記の膨大な資料が法務省入国管理局から発表された。そのうち難民認定関係が気になったのですぐ読んだ。データは発表済みのものであったが念のために再録する。21年の難民認定申請者数は1388人(20年に比べて211人減)、申請者の国籍はミャンマー568人、スリランカ234人、トルコ94人、パキスタン92人、インド59人。申請者は、正規在留者が521人、不正規在留者で出頭申請者は317人、収容令書、退去強制令書発布後の申請者は550人、なお申請者の約2割が2回目以上の申請者であった。21年の難民認定処理数は1848人(20年に比べ約2倍)、このうち難民認定者は30人(1.6%)、難民とは認められないが人道配慮による在留特別許可者は501人(27.%)、合計の庇護者は531人(28.7%)。なお、異議申立て者は1156人で、その中の8人が難民と認定された。

2010年12月3日金曜日

(934)介護保健の「要支援1」と認定される

(2010年12月3日)
  健康保険にはいつもお世話になっているが、介護保険は結構な金額(夫婦で年間11万円)を国に納めているにもかかわらずあまり普及してない。私の場合黄色靱帯骨化症という骨髄の難病を抱えており、何しろ寝たら最後起き上がれないのだ。無理に起き上がろうとすると背中に激痛が走る。このため苦肉の策としてこの2年間は、ニトリで購入したソファーベッド(通常は1人用のソファーとして機能し、寝るとき、起き上がるときは背もたれが伝導で動く)を転用してきた。たまたま先日津田沼中央総合病院に入院したが、そこのベッドはやはり電動式で立ち上がりやすかった。しかしこのタイプのベッドは購入金額が30万円近くするので習志野市の介護保健課に相談し、審査を受けてめでたく「要支援1」と認定された。ベッドの貸出料の9割は国が負担、1割のみ自己負担なので、月額1500円前後の支払いですみそうだ。

2010年12月2日木曜日

(933)「きらく会」の集い 平均年齢81歳

(2010年12月2日)
  きょう午後から錦糸町駅そばのホテルの一室で、恒例の「きらく会忘年会」が開催された。「きらく会」というのは、昭和20年代以降、ライオン研究部にいた同僚有志の集まりであり、60年近く付き合ってきたメンバーだ。きょうの出席者は9人(1名遅刻)で平均年齢は81歳ぐらい。驚くのは、私を除きみんな達者であること。私は先日PSA値が30だったので前立腺ガンの検査を受けたがシロであったこと、その際たまたまレントゲン写真で膀胱結石が見つかり、内視鏡で検査しようとしたとき激しい悪寒戦慄に襲われ、検査を中止して入院したこと、前立腺肥大には男性ホルモンが悪さをするためそのホルモンを抑制する内服薬を呑みはじめ、胸のふくらみが待ち遠しいこと、介護保健による「介護支援1」に認定されたことなどを報告、同時に現在進行中のテーマ別ブログの小冊子4冊の作成状況を知らせた。頑張れ高齢者。

2010年12月1日水曜日

(932)悲喜こもごも 品川入管

(2010年12月1日)
  きょうは品川入管デートの日、例のとおり意気揚々と入管の面会受付に入ったが、今朝Aさんが牛久入管に送られたことを知った。収容生活という点では牛久入管のほうが品川入管よりいい点があるのだが、収容者からすれば面会者数も激減し、島流しになった感じだろう。ビルマ人女性も少なく気の毒である。一方、面会したBさんは保証人がまだ決まらず悩みぬいていた。当初ビルマの知人を予定していたが、その人では資格条件が整わず、次いで某支援団体にもお願いしたが断られ、現在は保証人がいない状態。保証人がいないと仮放免の申請ができず、いつまで経っても出所できない。私はこのブログを書きながらBRSA会長に電話し善処方をお願いした。一方、Cさん、Dさん相次いで仮放免で出所した。収容期間は2人とも4ヶ月前後、今頃一息ついているかも。でも収容期間が長過ぎるので何とかしてほしい。

2010年11月29日月曜日

(931)ぶれていないか スーチーさん

(2010年11月29日)
  スーチーさん(65)は今月行われた総選挙を受け、来年2月にも発足する新国会について「本当に国の変革に取り組むかを見守らねばならない」と述べ、国会の存在を直ちに否定しない考えを示した。スーチーさんはさらに「選挙はボイコットしたが、それは新たに発足する国会を認めないという意味ではない」とも語っていた(以上阿部氏提供の毎日新聞11月28日号より)。これは従来からの主張を変え、選挙結果を認めるということになる。なるべくぶれないように。またスーチーさんは「少数民族と協調、民主勢力の再結束が課題」としている(以上関口氏提供の読売新聞11月25日号より)。スーチーさんが今まで一緒に戦ってきたNDFを見限ったのは間違いであったと思う。早急に再結束を図るべきであろう。なおブログに連日コメントを戴いている阿部さんはじめ、ST さん、戦車ツマさん、皆々さまにお礼申し上げます。

2010年11月28日日曜日

(930)「抵抗と協力のはざま」 読みました

(2010年11月28日)

  昨日に続き最近読んだ書籍を紹介する。「抵抗と協力のはざま」(近代ビルマ史の中のイギリスと日本)、根本敬著、2010年6月、岩波書店発行、276頁、2800円。著者は東京外国語大学教授を経て上智大学教授、専門はビルマ近現代史。著書多数でテレビや講演会などでも活躍中。植民地時代のビルマに生きた政治・行政のエリートたちは、宗主国であるイギリスや、占領者日本にどう向き合い、いかに独立を達成したのか。「抵抗と協力のはざま」から近代ビルマ史を論じなおしている。通常の歴史書であれば、日本やイギリスに対し、いかに抵抗して独立に成功したかを書くことが多いが、本書では同時に日本やイギリスに協力した人物をも大胆に描いている。この手法は読者に深い共鳴を与えている。なお、著者の父上は駐ビルマ大使館参事官を歴任したビルマ一家である。多少学術的だが信頼できる内容だ。

2010年11月27日土曜日

(929)「難民への旅」 読みました

(2010年11月27日)

  山村淳平さんが書かれた「難民への旅」(2010年10月、現代企画室発行)、333頁、定価2500円を読んだ。私も著者とは牛久入管や東京での講演会などで何度もお会いした。著者は横浜の診療所に勤務する内科医で、バングラデシュ、タイ、ザイール、パキスタン、そして日本で難民(特にビルマ人)の医療支援や調査を続けており、各国で難民が発生する原因や社会背景を探り、難民保護及び人道支援の本質や、在日難民に立ちはだかる壁や思い込みの援助などに鋭く切り込んでいる。また難民申請者の長期収容は精神的拷問であるとし、さらに難民申請者の就労禁止は権利剥奪の極めつけと断じているが全く同感である。本書は単なるエッセイ集ではない。数多くの文献を読みこなし、難民とは何か、民族とは、そして国家とは・・・・と本質に迫った名著である。前編の「壁の涙」とともに問題提起の書といえる。


2010年11月26日金曜日

(928)金曜日だけど 品川入管行き

(2010年11月26日)
  昨日ビルマ人男性のA君から電話が入った。BRSAで頑張っているBさんが収容されたらしいとのこと。彼女は私が署名した仮放免延長申請書を持って、昨日入管に提出したところ延長を認められずそのまま収容されたようだ。何しろ突然の収容であり、周辺のビルマ人もビックリして、彼女の保証人である私のところに電話したようだ。ダメと分かってはいたが念のため入管の仮放免の部署に電話を入れたが、電話では私が何者か分からないため入所してるか否かは教えられないとのこと。このため一昨日入管に行ったばかりだが、再度入管に行くこととなった。彼女のほかに2人も新たに収容されていたので合計3人に面会、そのうちCさんも私がよく知っている女性だったので話が弾み、みんな元気で15分間笑い声が絶えなかった。しかしこんなに明るい難民申請者を長期間収容しておくのは無駄では?蓮舫さんよ。

2010年11月25日木曜日

(927)同一民族なのになぜ銃を放つのか

(2010年11月25日)
  (925)に続きこの問題を取り上げてみよう。ビルマの場合135もの少数民族が共存して一つの国家を作り上げている。大きく分けてもビルマ民族の他に、シャン民族、カチン民族、カレン民族、モン民族、チン民族、アラカン民族などがあり、典型的な多民族国家である。宗教も仏教のほかにキリスト教、イスラム教などがあり、言語もバラバラだ。(925)では同じカレン民族の中でも更に細分化された民族間の鬱々とした諍いが記述されていた。在日ビルマ人は異民族でも仲良く暮らしている例が多いが、それぞれの民族の上部団体が存在し毎週日曜日にはその会合に出席するようだ。なお英領時代にはカレン族やモン族が政府の仕事に携わっていたと聞くが、現在は圧倒的にビルマ族がリードしているようだ。日本でも昔は同一民族同士の争いもあったが、近代化後はない筈。この点北朝鮮もビルマも遅れている。

2010年11月24日水曜日

(926)水曜日のデート Aさんは出所

(2010年11月24日)
  きょうは秋晴れの水曜日、いそいそと品川入管に向かう。足の痛みは無くなっているが、いかんせん重たい。皆より足が長い分だけ重いのは仕方ないか。きょうは5人と面会する予定だったが、一人Aさんが4ヶ月足らずできのう仮放免で出所、面会する際通常は暗い感じになるものだが、彼女はユーモアを交えて明るく振舞い、周囲のビルマ人女性入所者を明るいムードにしてくれている。一方日本語の勉強もすさまじいものがあり、部厚い3級の試験問題を要求し、一週間後には返却してくれるが、成績はいつも85点以上、これからはN3級に挑戦するそうだ。帰途3階の難民審査の係りを訪問、ビルマに民主化政府と称する新政権ができた場合、難民申請者に帰国するよう勧めるのか聞いてみたが、難民申請をした人が帰国すると危ないので従来どおりの方針は変えないと明言。在日ビルマ人よ、噂を信じないでね。

2010年11月23日火曜日

(925)「国境に宿る魂」を読みました

(2010年11月23日)

  最近ビルマ関係の本を7冊読み耽っている。いま読んだのは「国境に宿る魂」(黒岩搖光著)、世織書房発行、254頁、2400円、2010年10月発行。著者は1981年生まれで若い。オランダのユトレヒト大学大学院での修士論文作成のためタイ・ビルマ国境に半年間滞在してカレン民族やカチン民族の民族意識を調査した成果をまとめたものである。その中で、タイ・ビルマ国境にあるカレン青年の学校で講師として赴任、カレンの青年と寝食を共にし彼らと議論を続けた。カレン民族の場合、ポーカレン、スコーカレン、デルタカレンなどお互いの言葉の通じないカレン人もいるので、彼らはその民族ごとに集まる習性があり、民族間に隠然とした葛藤のあることを紹介している。もちろんビルマ族に対しては心の底に怨念があるようだ。民族とはいったい何だろう。きょう韓国・北朝鮮では同一民族同士の砲撃戦があったが。

2010年11月22日月曜日

(924)ミンガラ日本語教室の先輩たち

(2010年11月22日)
  台湾の台北で日本そば屋を経営しているニーゲーさん兄弟から久しぶりにメールが飛び込んできた。お二人の活動はすでに(422)、(620)、(805)でも紹介したが、ミンガラ日本語教室で勉強したあと台湾に帰国し、台湾で大成功を収めたビルマ人青年実業家である。彼からのメールには、日本そば屋の売り上げが今年夏には新記録を挙げ、いま今年冬に向かってラーメンも加えて売り上げが落ちないように頑張っているとのこと。彼らが在籍していた1998年ごろ同じクラスにいたM.Sさんはビルマで大型養鶏場を、M.Nさんはホテル業を、S.Hさんは建築業を経営して、いずれも成功しているらしい。在日ビルマ人の中にはいま日本の経済が沈滞してるため、将来を悲観してる人もいるやに聞くが、あなた方の先輩は強い精神力と、同僚との協調性で成功しているようだ。先輩たちに負けないよう頑張ろうではないか。

2010年11月21日日曜日

(923)ビルマ今週のニュース(1043号)

(2010年11月21日)
  BURMAINFOのニュース1043号から抜粋。 ★13日スーチー氏の自宅軟禁が解除された。前原外相は「一歩前進と受け止めている」という談話を発表。 ★スーチー氏は14日にヤンゴンのNLD本部で演説を行い、以後NLD幹部との会合や外国メディアとの会見、16日にはNLDの解党処分を不当とし、同党の存続を求める訴訟の宣誓供述書に署名、18日には国連事務総長と電話で会談。 ★北朝鮮が核兵器や弾道ミサイル関連の物品や技術をイランやビルマに提供しているとの報告書が公表された。この公表は中国が反対したため半年間遅れた。 ★7日に行われた総選挙で、USDPが全体の76.52%となる883議席を獲得した模様、NDFは16議席と新華社が伝えた。 ★前原外相は、「ミャンマーなりに一歩踏み出したが、日本はもっと先に歩くよう促す立場に立つべきだ、注意深く見て判断したい」と。

2010年11月20日土曜日

(922)「ならしの朝日」に載っちゃった

(2010年11月20日)
  「ならしの朝日」という朝日新聞系列の習志野市民向けのタブロイド紙があり、先日取材を受けたが、きょう(11月20日号)に私の活動が掲載されていた。見出しは「ミャンマー人支援に奔走 西田敦さん 足跡まとめる」とあり、分厚いファイルを前にした私の顔が大きく掲載されていたが、私の笑顔はなかなかいい。記事の内容も我ながら素晴らしいと思った。まず、ビルマが好きになった経緯、ミンガラ日本語教室では私からの持ち出しが多かったこと、在日ビルマ難民たすけあいの会への資金援助は生き甲斐であること、ビルマ人からの身の上相談が多いこと、入管に収容されたビルマ人への面会活動は12年間続いていること、ビルマ関連記事のクリッピング、ビルマ・入管・難民関連のブログの連日発信、ビルマ関係書籍の紹介など。私の言いたいことはだいたいこの記事で要約されている。頑張れ在日ビルマ人。

2010年11月19日金曜日

(921)またまた広がった「噂」

(2010年11月19日)
 ビルマ軍政は、90%以上の民意で成立した憲法に則り、今回の総選挙を実施したので、新政府は「文民民政政権」であると言い張るだろう。形としてはその通りだが、実態は従前の軍事政権となんら変わるところなく、むしろ悪質化してるといえよう。しかしすでに中国、ロシア、インド、アセアン各国はこの選挙結果を認めるようである。最近、難民申請中のビルマ人から「入管はビルマに民主化政権ができたのだから早く帰国せよ」と強く言われているとの噂が広まってる。同じようなことを本ブログの(568)にも書いておいた。彼らの多くは難民認定申請書や異議申立てに係る申述書に、「ビルマが民主国家に変わるときまで日本在留を認めてほしい」と訴えているようだが、この点誤解を生じる可能性がある。難民認定申請者は「民主化政権とは認めない」、「帰国したくない」とはっきり入管に伝えるべきであり「噂」も控えよう。

(920)急遽入院だ

(2010年11月18日)
  昨日のブログで膀胱結石の内視鏡検査のことに触れたが、いよいよきょう午後津田沼中央総合病院の泌尿器科で検査を受けることになった。検査は先端の穴から内視鏡を挿入して膀胱内の結石の状況を調べるというもの。既に結石が存在してることはレントゲンで確認済み。いよいよ検査開始、まず先端の穴から麻酔薬を注入したがそのとき痛みと同時に出血、そのまま5分ほど経ってから内視鏡を挿入・・・・というときに急に体が熱くなりガタガタ足が震えだした。さらに数分すると今度は寒気に変わりいわゆる悪寒戦慄の状態、これには医師もビックリ、急遽検査は中止となりそのままストレッチャーで6階の個室に入院、医師の入院計画表を見ると数日間と記載されていた。私は麻酔によるアレルギー反応の経験はなく、医師ともども首を傾げるしかなかった。看護師はみな親切で病室からはスカイツリーが見えた。

2010年11月17日水曜日

(919)最近の体の調子 ネーマカウンブー

(2010年11月17日)
  最近ビルマ人と会う機会が多い。彼らは必ずといっていいくらい「先生お元気?」と聞くがその際私は「元気マシーブー(元気はありません)」と答えることにしている。またあるビルマ人は「ネーカウンイエラー(お元気ですか)」と挨拶する。その際も「ネーネーネーマカウンブー(体調はちょっと悪いよ)」と笑って返事する。昨年の黄色靱帯骨化症発表以来、彼らは私の健康状態をとても心配してくれている。ありがたいことだ。おかげさまでまだ発症はしていない感じだ。でも歩くと疲れる。(851)(852)で書いたように、前立腺がんの結果はシロで一安心したが、その際見つかった膀胱結石が気になる。あしたこの検査があるが、内視鏡を膀胱まで挿入して石の状態を見る様だ。事前情報では痛いらしいが、まあしょうがないか。終わるといつか結石の破壊と排除の手術が待ち受けている。せめて看護師さんと仲良くしよっと。

2010年11月16日火曜日

(918)スーチーさん解放に思う

(2010年11月16日)
  13日スーチーさん(65歳)が7年半ぶりに解放され、自宅前で集まった数百人の市民の前で「有難う」と挨拶し、団結を訴えた。また翌日はNLD本部前で軍政との対話の準備があると訴え、さらに「国民の皆さんと一緒に行動する」と4万人の聴衆に向かって演説した。このように彼女を歓迎するムードは依然として高いが、彼女の復帰で民主化が進むか否かは悲観的だ。軍政側が20年間かけて作り上げたロードマップを打破する方策がないからだ。軍政側はスーチーさんに対して4回目の逮捕に踏み切れるし、NLDとNDFの分断にも成功している。第一、新憲法を92%の国民が賛同しているので、軍政による「自称民主化文民政権」の樹立も確実であり、中国やインド、アセアン各国も選挙結果を歓迎する意向。ビルマ経済も天然ガスの輸出で上向いている。私はスーチーさん解放を一応は歓迎するが前途は多難と思う。

2010年11月15日月曜日

(917)総選挙 ヒューマン・ライツ・ウオッチの見方

(2010年11月15日)
  ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HUMAN RIGHTS WATCH)は、アメリカに基盤を持つ国際人権NGOの一つでニューヨークに本部を置く。 そこから2010年ビルマ総選挙について興味ある分析がなされている。長文なのでその極一部、「選挙後のビルマ国軍の役割について」を紹介する。ビルマ国軍は新議会と文民民政政権も支配する。上院、下院の四分の一を現役の国軍将校に割り当てているため、将来的な憲法改正に対して拒否権を行使できる。また憲法は国軍に対しいかなる立法と司法に拘束されないとし、自らの権限を独断で解釈することができる。つまり議会は国軍の予算と経済活動に異議を唱えることはできない。憲法は国軍最高司令官に国防、内務、国境問題の各大臣を任命する権限を与えている。仮に議会が国軍に抵抗しようとしても、最高司令官は非常事態を宣言し議会を解散する権利がある。

2010年11月14日日曜日

(916)最高に至福のとき 誕生日会

(2010年11月14日)
  きょうは私の82歳のタンパー(誕生日パーティー)。場所は文京区本富士のグリーンシティーの中の瀟洒なイタリヤ料理店、ここにはメンバー2人が働いており、昨年も利用した場所だ。集まったメンバーは牛久入管で2006年から07年にかけて毎週面会していたビルマ人女性と、その後BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)で一緒に活動した幹部連中、更に最近品川入管で面会した女性たちで、全員が顔なじみの合計30数人。パーティーはハッピーバースデイの大合唱のうちに開催され、ワインを飲み、美味しく、美麗なイタリヤ料理を頬張り、私の挨拶と近況報告、記念品(おしゃれで私が大好きな色の帽子)を戴き、牛久全メンバーの動向を把握、次いで11月11日は何の日の説明(ポッキーの日、もやしの日、折り紙の日、電池の日など)、そして全員でビルマ童謡の合唱を3回繰り返した。まさに至福のときだ。

2010年11月13日土曜日

(915)ビルマ今週のニュース(1042号)

(2010年11月13日)
  BURMAINFOのニュース1042号から抜粋。 ★総選挙の投票は行われたが、全体の結果の公式発表はない。USDPが圧勝の見込み、全体の投票率は不明。 ★USDPへの投票を確保するための脅迫や買収などの不正が全国から相次いでいる。NDFも不正について選挙管理委員会が説明するまでは選挙結果を認めないよう他党に呼びかけた。 ★今回の選挙について国連事務総長は「透明性が不十分」。米大統領は「プロセスに根本的な欠陥」。日本は「日本の働きかけに関わらず自由、公正でなく残念」、アセアン議長国のベトナムは「民主化に向けたロードマップは意義深い」。中国は「平穏で順調、歓迎する」と。 ★タイ国境近くのミャワデーとパヤートンズーで国軍と少数民族の勢力が交戦、国境の情勢は不安定なまま。 ★スーチー氏解放の可能性大、釈放にどのような条件がついてるか詳細不明。

2010年11月12日金曜日

(914)投票日にメソトへ続々避難

(2010年11月12日)
  2・3日前、私のパソコンのインターネットに友人からメソトの広い通りを並んで歩く大勢のビルマ人の写真が送られてきた。写真の説明はどこにもない。彼らはみな荷物はなく、こざっぱりした服装だったので、まさかカレン難民とは思わなかった。しかし、11月10日の読売新聞は投票日(11月7日)の直後からカレン人を中心としたミャンマー人約2万人が国境の川を渡り、難民となってタイ国境の街メソトになだれ込んだ状況を伝えていた。投票どころでなく命からがらミャワディーの街から逃げてきたという。新聞にはメソトの国境警備隊駐屯地でトラックに乗せられる難民の様子が大きく掲載されていた。国軍は近く少数民族の武装組織に対する大規模制圧作戦を行うという。シャン州の少数民族ワ族を中心とするワ州連合軍は、隣のカチン独立軍と同盟を結んだとの情報もある。友人のカレン人は涙が出そうな事件という。

2010年11月11日木曜日

(913)ひっきりなしの電話 82歳の誕生日 

(2010年11月11日)
  きょうは朝からひっきりなしの電話だ。「先生!誕生日おめでとうございます」、「120歳までお元気で!」、「いつまでも私たちを守ってください!」、「また14日にお会いましょう」。朝9時から11時までの2時間、このようなお祝い電話が延々と続いた。一人と電話してるとその電話中にプープーと他の人の通話音が入って来る。昼の仕事が始まる前を利用しての電話のようだ。10人のビルマ人女性から暖かいお祝いの言葉を戴いた。こんなに嬉しいことはめったにない。過去のブログで11月11日を見ると、2008年は、家内と豪勢(?)にかっぱ寿司へ出向いて昼食を摂ったとあり、2009年の誕生日は、たまたま水曜日だったので品川入管に行き面会後、我が家で夕食の際極上(?)のすしを食べたと記録されていた。さて2010年はどうしよう。これから家内と相談してみるが、スーパーでお赤飯を買ってくるような気配だ。

2010年11月10日水曜日

(912)水曜日 入管の日本語教室は順調

(2010年11月10日)
  きょうは先々週同行してくれた早稲田大学院修士の日本人Aさんと一緒に品川入管を訪問、収容されている4人のうち2人にいろいろ質問を重ねていた。15分という短時間を見かねた1人が、後刻所内から手紙で返事をする由、友情溢れるやり取りだった。なお先日4人に日本語の試験問題を渡しておいたが、そのうち2人から解答が戻ってきた。一人は4級、もう一人は3級と2級、まだ結果を見ていないがたぶんいい成績だろう。4人とも難民申請をしているが、難民認定を貰うのは困難であり、在留特別許可を貰うためには日本語に挑戦する姿勢が大切である。面会が終わって受付に戻るとBRSAの4人に出会った。今日は男性に面会し、明日は女性に面会するとのことなので、保証人など懸案事項を頼んだ。帰途品川駅の喫茶店でビルマ人Bさんと会い、ここでも修士嬢がいろいろ質問。良い論文が出来るだろう。

(911)ビルマ今週のニュース(1041号)

(2010年11月9日)
  BURMAINFOのニュース1041号から抜粋。 ★カレン民族解放軍(KNLA)やカチン独立軍(KIA)など、国境警備隊への編入を拒否した6つの少数民族武装勢力が、10月末に軍事相互協定を締結。いずれかの勢力が国軍から攻撃を受けた場合には互いに支援する。 ★先月アラカン州を直撃したサイクロン「ギリ」により20万人が被災し、約7万人が住居を失った。 ★日緬外相会議で前原外相は総選挙が十分開かれたものではないとし、スーチー氏を含む政治囚の釈放や民主化勢力との対話を希望し、北朝鮮に関する一連の国連安保決議にも言及、軍政のニャンウイン外相は、核兵器開発を行う意思はない旨述べた。 ★在日ビルマ人民主化活動30団体及び連合は4日選挙を受け入れることはできないとの統一見解を発表。 ★タイの建設最大手イタリアンタイ・デベロップメントは7千億円の大型事業を受注。

2010年11月8日月曜日

(910)習志野朝日からの取材

(2010年11月8日)
  習志野朝日から取材の申し込みがあった。同社は朝日新聞の系列の会社で、地域密着型のタブロイド紙だ。主に習志野市内での出来事を取り上げており、市内小中学校の野球大会のような記事が多い。今回は、先日私が朝日新聞の「人・ひと・ヒト」欄に習志野市民として取り上げられたので、そのフォローのための取材のようだ。前回は、14年間に亘り朝日新聞に掲載されたミャンマー(ビルマ)関連の新聞記事見出し一覧表が主テーマであったので、今回は趣向をちょっと変えて、ミャンマー人の難民問題や、入管に収容されたビルマ人との面会活動を中心に喋った。テーブルの上には、12年間(98年~10年)の面会記録をまとめた分厚いファイルをドスンと4冊おいたが、我ながらよく面会活動を続けたものと感心する。予定としては11月20日発行の「習志野朝日」に掲載されるらしい。果たしてどんな記事かしら。

2010年11月7日日曜日

(909)きょうは何の日 選挙の日

(2010年11月7日)
  きょうの朝日には「軍政、過半数に自信 一矢期す民主化勢力」、「どうせ軍政 熱気欠く街」、「きょう投票」の見出しが並んでいた。連邦議会は民族代表院(上院)224人、人民代表院(下院)440人からなるが、そのほかに14の地域・州議会888人の選挙も行われる。それぞれ25%は選挙なしで軍人枠に当てられる。軍政は連邦団結発展党(USDP・立候補者443人)による過半数獲得に自信を見せる。次いで国民統一党(NUP・元ビルマ社会主義統一党・141人)が有力であるが、選挙結果によってはUSDPとの連立政権を目指すとの観測もある。なおカレン人民党(12人)も軍政寄りとされている。これに対し民主化勢力と考えられるのが国民民主勢力(NDF・141人)、シャン民族民主党(60人)、民主党(31人)があるが力は弱い(以上概要)。民主化勢力の中に第2のスーチーさんが出現することを望みたい。

(909)きょうは選挙の日 

(2010年11月7日)

2010年11月6日土曜日

(908)不公正きわまる総選挙 朝日社説

(2010年11月6日)
  明日の総選挙を控え朝日新聞は社説で「不公正きわまる総選挙」とこき下ろした。要点は次の通り。軍政は「民政移管への仕上げ」と位置づけるが国中で盛り上がりはない。軍政の翼賛政党がほぼ全選挙区に候補を立てたが、彼らは軍服を脱いだばかり、資金力や利益誘導などで圧勝する見込みだ。スーチー氏が率いるNLDは解党に追い込まれボイコットを呼びかけている。1990年の総選挙の結果をほごにし、スーチーさんらを選挙から排除した。また軍政に抵抗してきた少数民族の多い地域では選挙を中止した。外国からの選挙監視団を断り、外国メディアの入国も認めない。公正な選挙を求める最大の壁は中国であり、インド、タイも追随している。日本政府は「自由で公正」な選挙とは認められないと指摘してきたが、新政府に対して厳しい姿勢で望まなければならない(以上概要)。今の民主党政権では無理かな。

2010年11月5日金曜日

(907)質問主意書 複数回申請者の難民認定状況

(2010年11月5日)
  質問主意書というのは私がライオン広報部にいたころ(20年以上前)洗剤問題で泣き笑いした経験があり懐かしい。さて標記のテーマで衆院山内康一議員から10月25日に提出され、11月2日に菅総理名で回答が出された。その内容は、①平成17年から21年まで5年間に難民と認定された208名中2回目以降の難民申請で認定されたのは22名。②平成22年9月末までに保護費を受けたのは396人、主な国籍はトルコ、スリランカ、ミャンマー。平均受給期間は約12ヶ月。③難民申請者の多くが就労資格が得られず、他の公的支援も存在しない状況で、保護費は多くの申請者にとり唯一の命綱と考えるが政府の見解は? ⇒ 難民申請者に対する保護は国際的に各国とも道義的責任がある重要な業務、今後とも「保護費」の支給を含め適正な保護が行えるよう最大限の努力を続ける。(この出典はJNR情報)。

2010年11月4日木曜日

(906)わーい 特別在留許可が出た

(2010年11月4日)
  携帯の着歌が鳴り出し、受話器の向こうからAさんの声が聞こえる。「先生いま入管にいます」。なにっ、もしや、また入管に収容された? 彼女は2006年に品川入管から牛久入管に1年前後収容され、私が毎週面会していた女性である。2回目の収容か? 不安が募る。と彼女の口調が急に変わった。「きょう入管から出頭するように手紙が来たけど、何のために呼ばれたのか分からなかったが、いま特定活動1年の在留資格を貰った。先生有難う」。そうならそうと最初に言え、私に余分な心配かけるんじゃないぞ・・・・。私の不安げな顔がこのとき一変したに違いない。「おめでとう。長い間ご苦労さん」、「きょうは美味しいもの食べてね」。彼女は12月で日本滞在10年だ。とすると12月には特定活動から定住の資格に変わるはず。今日入管でこの点確かめた。私にとっても保証金50万円が戻ってきた。ばんざーい!

2010年11月3日水曜日

(905)選挙後のビルマ経済は

(2010年11月3日)
  朝日連載「ミャンマー総選挙」の最終回、見出しは「世界経済目線はその後」、「支援・投資の動き」とあった。今までの記事は投票そのものの内容であったが、選挙結果が明白なためか、今回は選挙後に移っていた。「世界銀行がビルマ支援を検討」という1月の英紙の記事に各国が驚いた。経済制裁一辺倒の欧米が「制裁が緩和されたときにすぐ動くための準備」と考えられている。20年以上続いた軍政がともかく終わることを一つの潮目と見ているのだ。英国は5月の政権交代を機に政策の変更を検討し始めている。日本も「官民合同貿易投資ワークショップ」をネピドーで開いた。韓国、中国、シンガポールも活発に動いている。一方ヤンゴンでは新しいショッピングセンターなどが相次ぎオープンし、欧米の経済制裁下にあるとは思えない活況ぶり。しかし庶民に取っては、物価が高騰し暮らしは厳しさを増している。

2010年11月2日火曜日

(904)総選挙情報 朝日と読売

(2010年11月2日)
  昨日に続き今朝の朝日には総選挙シリーズの「中」が掲載されていた。見出しは「国逃れた民、参加できず タイに推計300万人」、2004年のインド洋大津波で被害を受けたプーケット島。いまも復興事業が続き粗末な建設労働者の長屋が並び住民はビルマ人で日給540円、「みんなタイに来てもう故郷にはお坊さんと犬しかいない」と笑う。ビルマでは自治を求める少数民族武装勢力とこれを力ずくで抑えようとする軍政の間で戦闘が度々起こる。彼らは叫ぶ。「タイにいる300万人もの国民が投票できない選挙って何だ」、「それでも政府への不満も言えない母国よりも自由だ」(以上)。なお昨日の読売(関口氏提供)には、「ビルマ総選挙、投票まで1週間、民主化勢力支持じわり、都市部中心に拡大」との見出しが躍っていた。国民統一党(NUP)は第3極として注目されているが、選挙後軍政と手を結ぶ可能性も」と。

2010年11月1日月曜日

(903)ビルマ総選挙 またまた連載

(2010年11月1日)
  朝日新聞はまたビルマ総選挙の連載を始め、きょうは一回目。見出しは「軍政追認、冷める市民」、「民主化裏切られ、低調」と。軍事政権は手段を尽くして市民に選挙参加を呼びかけている。軍政そのものといえる連邦団結発展党(USDP)の勝利が確実視されるなか、軍政は投票率を上げることで選挙を正当化しようとしている。市民Aは投票には行かざるを得ないと思っているが、投票所では有権者名簿でチェックされる。「選管職員が見ていなければ非軍政系の政党に投票する」という。ヤンゴンでは一週間後に迫った選挙を感じさせるものはほとんどない。市民Bは1990年の選挙を振り返り「あのときは世の中を変えられるという熱気があった」という。市民CはUSDPのなかに経済人が含まれているので、かすかな期待を寄せた。ある雑誌社が3千人にアンケートしたが、選挙に関心がある市民はわずか3割に過ぎない。

2010年10月31日日曜日

(902)ロヒンギャ民族に難民性認められず

(2010年10月31日)
  全難連からの情報によれば、29日東京と大阪でロヒンギャ集団訴訟があり結果は2人勝訴、21人敗訴。弁護団側の主張であったロヒンギャであることによる難民性は認められず、法的に無国籍状態にされていることでの退去命令(送還先ビルマ)の違法性についても認められなかった。ロヒンギャであることによる難民該当性を否定する理由としては、●「迫害」の解釈が従来どおりの狭義の「生命と身体の自由への侵害または抑圧」としてること。●92年に25万人流出したときも、50万人はビルマに残っていたこと。●強制労働などの経験をしていないロヒンギャもいるなど、迫害に該当する程度の不利益を受けないロヒンギャも存在すること(以上概要)。問題は「迫害」の解釈が厳しすぎることであり、強制労働や、棒で殴られることも「迫害」とは認められないようだ。この狭義の解釈はビルマ人にも適用されている。

2010年10月30日土曜日

(901)ビルマ今週のニュース(1040号)

(2010年10月30日)
  BURMAINFOの今週のニュース(1040号)から抜粋。 ★サイクロン「ギリ」がアラカン州に上陸し17万人が影響を受け、7万人が居住地を失った。 ★アセアン外相の非公式会議で、軍政のニャンウイン外相が、スーチー氏の解放が11月の選挙後になる旨示唆した。現在自宅軟禁されているスーチー氏の拘束期限は11月13日だが具体的な期日には言及しなかった。また外相はタンシュエ上級大将は選挙に出馬しないと述べた。 ★アセアン国会議員によるミャンマー議連は、アセアンは選挙結果を承認すべきではないと訴えた。 ★27日、在日ビルマ人民主化活動家や支援者400人が、総選挙の実施に抗議し、日本政府は選挙結果を認めないよう要望を発表。 ★2010年の腐敗認識指数は178か国中ビルマが176位。 ★クリントン米国務長官はビルマでの人権侵害調査委員会設置に努力すると発表した。

2010年10月29日金曜日

(900)昨日もビルマの選挙情勢の記事が

(2010年10月29日)  
 一昨日に引き続きビルマの選挙情勢の新聞記事が掲載されていた。見出しは「対抗馬は元独裁政党」、「NUP(国民統一党) 軍政批判の受け皿狙う」とあった。以前はUSDP(連邦団結発展党)の圧勝かと思われていたが、ここに来てNUPが軍政への批判票を集める政党と報じている。NUPはUSDPとほぼ同数の候補者を擁立しており、民主化政党とは異なるが、軍政と異なる政策も掲げている。有権者にとって選択肢が乏しい今回の選挙で、軍政批判票の受け皿になる可能性がある。NUPは1962年のクーデーターで政権を握った故ネ・ウイン将軍がつくったビルマ社会主義計画党(BSPP)が母体。独裁政権時代に蓄えた資金を使ってUSDPに迫る勢いという。議会内に軍政と別の勢力が生まれることが、ビルマでは変化であるとの指摘もある(以上概要)。選挙まであと10日もないが、ビルマ国民の選択に注目だ。

2010年10月28日木曜日

(899)修士論文執筆中の日本人女性と共に

(2010年10月28日)
  昨日は水曜日、珍しく日本人女性と一緒に品川入管を訪問した。彼女は某大学院で学んでおり、修士論文に在日ビルマ人を取り上げたという。彼女は在日ビルマ人の考え方を中心にインタビューをしたいというので、同行することになった。入所している女性ビルマ人4人のうち、2人はこれから難民申請したいというので、私が担当して難民申請上の問題点をレクチャーし、彼女は残り2人の入所者にインタビューを試みていた。何しろ面会時間は15分、彼女のほうは時間不足で次回再度面会したい由。終わって受付に行くと顔なじみみのビルマ人夫婦に出会った。2人は今日特定活動を貰えたと大喜び、私も大喜び。帰途バス停でこれまた顔なじみのビルマ人男性に会い、喫茶店で修士の彼女がインタビュー、その後私にインタビュー、私は論文記述のポイントを教えてあげた。彼女にとり結構充実した半日のようだった。

2010年10月27日水曜日

(898)けさの朝日新聞に選挙情勢が

(2010年10月27日)
  11月7日、ビルマの総選挙の日が近づいてきた。きょうの朝日には「力と金 ゆがむ選挙運動」という大見出しが飛び込み、「軍政が利益誘導」、「規制 動けぬ他党」と続いていた。軍事政権が母体の連邦団結発展党(USDP)が権力と資金を使って大掛かりな選挙運動を進める一方、軍政と距離を置く政党は様々な規制と資金難で四苦八苦している。既に「自由で公正な選挙」とは程遠い実態があらわになっている。例えば、ヤンゴン市内の道路はこれまで顧みられなかった細い路地まで次々とアスファルトで舗装されている。市長はUSDPのバッジをちらりと見せ「誰のおかげかを覚えておきなさい」と。今回の選挙には37政党が登録しているが、USDPと国民統一党(NUP)が突出している(以上概要)。たまたまきょうは、在日ビルマ人民主化団体によって、2010年総選挙ボイコットのためのデモ行進が行われるという。

2010年10月26日火曜日

(897)ビルマの若い二人とお会いして

(2010年10月26日)
  昨日は若いビルマ人男女と長時間話しをする機会がもてた。一人は2006年末ごろから私が牛久入管で面会活動をしていたときに出会ったしとやかな女性で、その後教室にも顔を出していた。男性のほうは昨日初めて会った好青年。私の足が悪いことを知っていた彼らは、車の運転ができるのでどこにでも出向くという。その言葉に甘えて私の住む津田沼まで来てもらうことにした。彼らは私にビルマ流に床に膝まずいてお祈りをしたいというので、私は個室のある店を探し、結局津田沼駅そばの中華料理店に決めた。ビルマ流の拝礼は、日本人の習慣にはなく、厳粛さの中に敬老の気持ちが満ち溢れる素晴らしい儀式であった。胸が熱くなった私は「ありがとう、お互い元気に頑張りましょう」とだけ述べたが、もっと励ましの言葉をかけるべきであったかと反省している。その後約3時間に亘り近況など愉快に話し合った。

2010年10月25日月曜日

(896)「特定活動」から「定住者」への資格変更

(2010年10月25日)
  在日ビルマ人が難民申請しても「難民」資格はほとんどもらえない。このため入管は救済策として、難民とは認められないが人道配慮の立場から「在留特別許可」制度を設け、資格として「定住」と「特定活動」を認めている。ただ「特定活動」では、家族を呼べないとか、生活保護が受けられないなど不利な点がある。最近入手した全国難民弁護団連絡会議よりの情報によれば、①入国後10年を経過してること、②在留資格「特定活動」を付与されてから3年を経過してること のいずれかに該当する場合は「定住者」への変更が可能である。なお家族のうち1人が上記①ないし②を満たしていれば、その家族全員に「定住者」変更が許可される。必要な書類としては、①在留資格変更許可申請書、②身元保証書、③外国人登録証明書の写し、④在留資格証明書となっている(以上概要)。もっともっと法体系を整備してほしい。

2010年10月24日日曜日

(895)ビルマ今週のニュース(1039号)

(2010年10月24日)
  BURMAINFのニュース1039号から抜粋。 ★ビルマ選挙管理委員会は11月7日の総選挙に関し、国際選挙監視団は不要、外国人記者も受け入れないことを表明、当日、駐在外交官や国連職員の投票所ツアーは実施。 ★国境なき記者団は2010年「報道の自由度」ランキングを発表。ビルマは178か国中174位。 ★国連特別報告者キンタナ氏の報告書が19日公表され、人道に関する罪が起きている疑いについて氏は「ビルマで起きている犯罪について責任追及がなければ犯罪者を勇気づける」と述べ、また国連総会第3委員会でも「選挙プロセスに深刻な欠陥がある」と発表。 ★スーチー氏は昨年受けた有罪判決を不服とし再審を求めていたが、最高裁をこれを受理し、29日に審理を開く。 ★ビルマ医療協会(BMA)は東部紛争地域での保健・人権状況について報告、住民の3分の1が強制労働に。

2010年10月23日土曜日

(894)ミャンマーの国旗 変わったよ

(2010年10月23日)
  22日の朝日新聞は21日午後3時よりミャンマーが新国旗を採用した旨を伝えたので、早速インターネットで調べてみた。1941年から45年まで(日本占領期)は、上から黄、緑、赤の3色で中央に孔雀の絵がデザインされていた。48年から74年までは赤地の左上が青く四角に区切られ、その中に大きな白星とそれを取り囲む小さな五つの白星のデザインだった。74年から10年までは、その青枠の中が歯車の上に稲穂がかかったデザインで周囲の14の星は7つの管区と7つの州を表している。そして今回変わった新国旗は41年ー45年に使われた三色旗の中央の孔雀の模様が白い星に変わっただけである。黄色は国民の団結を、緑は平和と豊かな自然環境を、赤は勇気と決断力を象徴する(以上概要)。政権への批判をかわそうとしているのか。我が書斎には今までの国旗が飾られているが、さてどうしよう。

2010年10月22日金曜日

(893)読みました 「戦地に生きる人々」

(2010年10月22日)

  日本ビジュアル・ジャーナリスト協会編【「戦地」に生きる人々】、集英社新書、237頁を読んだ。この協会は02年に発足したフリーランスのフォット+ビデオジャーナリストの集団。内容は、①チベット、②ビルマ、③マーシャル諸島、④ハイチ、⑤チェチェン、⑥レバノン、⑦パレスチナ・ガザの7章に分かれ私は勿論第2章のビルマ(山本宗補著、27頁)に飛びついた。概要次の通り。軍事政権のブラックリストに載った彼は、タイとビルマの国境の街メーソットから難民キャンプに入り、国軍に追われて逃げてきたカレン人を取材し、またビルマに潜入してスーチー氏と4回も面会したため国外追放となった。またKNU(カレン民族同盟)のマンシャー書記長がメーソットで暗殺された事件を詳しく解説し、最後に第三国定住に触れ先日成田に着いた夫(エッラー24歳)と妻(ラメポ22歳)、子ども4歳・2歳の出発前の写真が眩しい。

2010年10月21日木曜日

(892)品川訪問 新人とも会えて嬉しい

(2010年10月21日)
  きのうは恒例品川デートの日、気になっていた足の痛みはすっかりなくなっていた。しかし足取りは相変わらず重く、松葉杖のおばちゃんにも追い抜かれる始末。12時15分に入管に到着、しばらくして時々同行してくれ通訳をかって出てくれるAさんも到着。きょうは女性4人と男性1人に面会した。この男性はAさんの知人で、私は全く知らないビルマ人だったがBURMA CAMPAIGN JAPAN という反政府サイドのネット情報番組製作グループの一員だといっていた。なお、新たに収容されたCさんは落ち着いた感じの女性だった。帰途Dさん(品川の東京入管に2回収容され現在は特定活動の資格取得)と品川駅で落ち合い、雑談し大笑いした。なお、帰宅してからパソコンでBURMA CAMPAIGN JAPANの画面を見たが、英語、ビルマ語、日本語でそれぞれニュースを伝えていた。皆さんも一度覗いてみてはいかが。

2010年10月20日水曜日

(891)根本教授が最近のビルマ問題を解説

(2010年10月20日)
  昨日夜10時50分からNHK教育テレビで上智大の根本教授のビルマ問題の解説があった。その概要は以下の通り。●来月、軍事政権は18年ぶりに総選挙を実施する。●2100人の政治囚が刑務所にいるが、政治囚は立候補できないシステムで、結局NLDは解党された。●政党党員は1人当たり約4万円の資金が必要で、翼賛政治団体USDP以外の政党はまともな選挙活動ができない状態だ。●選挙をボイコットする言動も違法。●少数民族の強い地区では、反軍政の立候補者が当選しないように選挙そのもの中止した。●マスコミの取材も不自由である。●スーチー氏の解放は選挙後だ。●上院・下院とも25%は国軍最高司令官が決める。●今回の選挙は民主化の第一歩とは考えられない。●選挙に中国は前向き、アセアンは消極的賛成、欧米は反対、日本は穏健に批判的、日本は正確な意思表示が望まれる。

2010年10月19日火曜日

(890)進めてる製本化準備 私のブログ集

(2010年10月19日)
  いま私は自分のブログ「U MINGALARのつぶやき」の製本化(といっても自家製本)を考えている。このブログは2008年5月にスタートしてから約2年半の間、毎日毎日約370字の字数で発信し続けてきた。世の中ブログだらけだが、字数を決め、毎日1回発信しているブログはそれほど多くはないのでは。発信数はきょう現在890回を数えており、内容的にはビルマ問題(279件)、入管関連(188件)、難民関連(110件)、関連する書籍(69件)、BRSA(66件)、ブログ関連(53件)、私のマニフェスト(42件)、ミンガラ日本語教室(36件)、その他(41件)と続いている。最初はこの8種類のテーマでそれぞれの分類に従って製本し、それらを11月末までにまとめてみたい。その後、それぞれを土台にして、私の日常生活での喜怒哀楽を8冊のエッセイ集としてまとめてみたい。さあこれから「柳腰」で頑張らなくちゃあ。

2010年10月18日月曜日

(889)ビルマ今週のニュース(1038号)

(2010年10月18日)
  BURMAINFOのニュース1038号より抜粋。 ★スーチー氏は弁護人を通して総選挙で投票するつもりはないと発言。禁固刑に服している人に投票権はないが、氏に関しては軍政が投票を認めていた。 ★タイのアピシット首相が11日にビルマを訪問、タンシュエ将軍、テインセイン首相と会談、ビルマ南部のダウエーでの港湾建設を共同で進めることは一致したが、総選挙の支援については軍政側が断った。 ★第三国定住難民のうち出発を延期していた9人が13日成田に到着。 ★アムネスティは13日前原外相宛の署名を提出。内容は、「総選挙実施に当たり、基本的人権の保障や全政治囚の釈放を軍政が行うよう一層の努力を政府に求める」もの。なお、山花政務官は人道の罪に対する国連調査委員会設置に付いては慎重に検討すると発言。 ★国連事務総長は「軍政は約束を果たしていない」と発言。

2010年10月17日日曜日

(888)教室のサヤガドーボエ

(2010年10月17日)
  きょうは11時過ぎからアキバのミンガラ日本語教室でサヤガドーボエ(ビルマでの学校儀式の一つ、生徒が先生に額づき合掌礼拝する)が行われた。集まった生徒は約70人、15人の教師は椅子に腰掛け、その前の冷たく固い床に生徒全員が直に座った。つい生徒たちに申し訳ないと思ってしまう。お経はビルマ語と日本語でリーダーが一小節ずつ唱え全員が復唱する。その後各先生が立ち上がり生徒に訓示を伝えるのだが、私は「継続」の大切さを喋った。その後、各クラス代表生徒から感謝の言葉が続いた。会場には豪華な「打掛」が2枚飾られ、生徒たちは写真を撮ったり、試着したりしていた。一段落したところで生徒たちが腕を振るって作ってくれたご馳走が並び、私はシャンのそばを食べたが実に美味しかった。最後に大きな花束を頂き、足取りも軽く帰途についたが、心配していた足の痛みは消散していた。

2010年10月16日土曜日

(887)東日本入管センターの状況

(2010年10月16日)
  少し古い情報だが、10月4日の毎日新聞に東日本入国管理センター(通称牛久入管)での収容状況が報じられていた。ここの収容定員は700人、ハンスト直前の5月7日現在で394人が収容されていた。当時の収容期間の内訳は、2年以上4人、1年以上2年未満46人、1年未満344人。9月末には約270人に減った。入管法では収容期間を定めていないため、国連の拷問禁止委員会は07年5月、上限を明記するよう勧告した。また日弁連は10年3月、意見書を提出、その中で「難民認定申請中の者の法的地位の安定が、その生活の保障と並ぶ喫緊の問題」とし、審査中の難民申請者は収容しないように求めた。入管も7月に「収容長期化をできるだけ回避するよう取り組む」との方針を出している(以上概要)。入管の制度はゆっくりと改善してるようだ。難民申請者への支援活動は引き続き続けて行くつもりだ。

2010年10月15日金曜日

(886)要介護認定の申請をしました

(2010年10月15日)
  最近緑色の介護保険証を見てちょっとビックリした。年間数万円という大金を毎年支払っているのだ。しかも第1号被保険者というありがたい資格付きなのだが、不覚にも全然気がつかなかった。こんな素晴らしい制度を利用しない手はない、何しろこちらは黄色靱帯骨化症という難病を患っており、通常のベッドには寝られない身であり、おまけに最近杖をつきはじめた。そこで掛かりつけの病院に相談したところ、近くのヘルスステーションに相談してみたらと教えてくれた。きょうその相談員が来宅。彼女は既に病院情報は手に入れていたようで、黄色靱帯骨化症の件も知っていた。質問は日常生活の過ごし方と、簡単な手足の動きなど。私は医療用ベッド導入の必要性を力説しておいた。認定は1ヶ月後くらいで今のところ要支援1か2を狙っている。健康保険にはずいぶんお世話になっているが、これからはプラス介護保険だ。

2010年10月14日木曜日

(885)水曜日のワクワクデー

(2010年10月14日)
  昨日は例のワクワクデー、念のために杖をカバンに入れて品川の入管に向かった。足の痛みは完全になくなり、行きも帰りも杖は不要、重いだけ。ビルマ人女性3人に面会したが、その中の一人、日本人との結婚希望のMさんが涙ぐんでいた。入管から帰国した方がいいといわれた模様、彼女の場合難民認定申請をしていないので、そういわれてもしかたないので来週いろいろアドバイスしてあげよう。帰途友人のビルマ男性2人と女性2人と偶然会い、品川駅そばのラーメン屋で懇談した。女性の一人は昨年私の誕生会の席上「杖」を寄贈してくれた人。その「杖」を持っていたので彼女も喜んでくれたみたい。話は3年前、牛久入管で毎週面会していたメンバーの動静に移り、40人中27人が在留資格をもらったことが分かった。今年の誕生会の日程は11月14日を中心に進める由。1年に1回私にとり一番楽しい日だ。

2010年10月13日水曜日

(884)第三国定住 残り2家族着いたはず 

(2010年10月13日)
  きょうの朝日夕刊には第三国定住第一陣の残り2家族9人が13日朝バンコク空国を出発、同日午後成田に到着する予定と書いてあった。早速インターネットで調べてみたが、朝日記事以外は見当たらなかった。ということは外務省が徹底した情報管理をしているとしか思えない。第一陣先着組の場合は成田空港で多くのカレン人が出迎え、その光景を多くの報道陣が流していたが、今回の9人は幽霊のように入国したのか。(追記:14日の朝刊にも短い記事で2家族9人の到着を伝えていた)。外務省が彼ら難民とその家族の安全を守るために情報管理を行っているのは、なんとなく理解できるが、支援者の立場からすると極めて不満足である。彼らが今どこにいるのかも分からない現状では、いったい支援者はどう行動すればよいのか、6ヵ月間は政府の責任期間といわれているが、情報管理のツケは大きいはずだ。

2010年10月12日火曜日

(883)ビルマ今週のニュース(1037号)

(2010年10月12日)
  BURMAINFOのニュース1037号から抜粋。 ★スーチー女史はNLDが解党処分にされたことを不当として訴え、最高裁はこれを受理した。軍政は総選挙に参加するための政党登録を行わなかったことを理由に、9月に同党の解党を正式に発表した。 ★豊田通商が、ビルマで自動車等を生産するジョイントベンチャーから撤退していた。ビルマの人権状況を理由に数年前から米国の複数の社会的投資ファンドが豊田通商の撤退を求めていた。 ★第8回アジア欧州会合(ASEM8)がブリュッセルで開かれ、参加国首脳はビルマの選挙が自由、公正、包括的であるために必要な措置を講じるよう軍政に求めた。 ★政治囚支援協会(AAPP)によればビルマには2193人の政治囚がおり、うち4百人がNLD党員。 ★横田洋三氏(元国連人権特別報告者)はEUに対し人道に対する罪で国連調査委員会設置を提案。

2010年10月11日月曜日

(882)第三国定住問題 NHKで放映

(2010年10月11日)
  今朝7時の「おはようニッポン」でカレン難民の第三国定住の話題を放映。その概要は次の通り。タイ国境のメーラキャンプには5万人の難民が生活しているが、ここには希望がない。エツラー(24歳)は教育を受けて普通の生活をしたいという。食料は寄贈されるコメ、豆、油に頼っており、家族は30人、日本人は暖かく不安はない。これからは日本が祖国であり、日本のよき市民になりたい。彼を含む残り2家族も明後日来日する。バイオリニストの川井郁子氏は「キャンプでは電気のない暮らしで大人は無気力だが子どもは元気、第三国定住はとにかく良かった。大人たちは皆子どもにいい教育を受けさせたいと言ってる。次いで在日難民のカラヤさん夫婦が登場、夫のマウンさんは肺を切除し働けない。自分も働くには日本語が重要。次いで松本市の農協、収入が不安定だと。外務省担当課長は身近な人が暖かくと説く。

2010年10月10日日曜日

(881)ビルマ難民関連の映画

(2010年10月10日)
  先ほどきらく会(ライオン研究部のOB会)の関口兄から、きょう読売新聞武蔵野版に掲載されたミャンマー難民の映画紹介の記事を送っていただいた。ありがたいことだ。ご承知のように我が家では朝日新聞しかとっていないので、この種の情報はとても助かる。さて記事の内容であるが、タイ在住の女性映画監督・直井里子さんがタイのビルマ難民の暮らしを追った「OUR LIFE 僕らの難民キャンプの日々」が千代田区のイタリヤ文化会館で上映されたという。直井監督は「小学校入学前の子どもですら自らの境遇を理解し、将来の生き方を考える姿は衝撃的だ」と。今までにもビルマ難民関連の映画はいくつかある。例えば、「ピユア ビルマ難民キャンプの子どもたち」、「花と兵隊」(429、498で紹介)、「悲しみと涙の川・エヤワディ」(同575)、ランボー最後の戦場」(同18)など。来日ビルマ難民を暖かく迎えたい。

2010年10月9日土曜日

(880)スーチー女史と劉暁波氏

(2010年10月9日)
  きょうの朝日によれば、中国の劉暁波(リウシアオポー)氏が今年のノーベル平和賞を受賞した旨報じていた。同氏は中国共産党による一党独裁の見直しや言論・宗教の自由などを求めた「08憲章」を起草した中国人人権活動家で作家、今年2月「国家政権転覆扇動罪」(懲役11年)で服役中。中国での党独裁を非難し、基本人権を求める非暴力活動が評価された。この受賞について中国外務省は強く反発している。なお「08憲章」は2008年12月に発表され、当初303人が署名したが、現在は12000人に達している。(以上概要)。なんだかビルマのアウンサンスーチー女史の例と似ている。スーチーさんも91年にノーベル平和賞を受賞したが受賞理由は、非暴力で軍事政権反対、民主化運動に活躍したためで、現在自宅軟禁中だ。両政府の対応も似ている。日本では74年に佐藤栄作元首相が受賞している。

2010年10月8日金曜日

(879)難民おしゃれに自立

(2010年10月8日)
  今朝の朝日新聞には首都圏の欄に「難民おしゃれに自立」という大きな見出しのもとに、難民によるネイルケアとレース編みの仕事の内容が掲載されていた。第三国定住が始まって今後難民が増えるに従い、地域に溶け込み、自立を目指す動きが広がっている。まずネイルケアのほうは、虎ノ門のマンションの一室で店を構えているビルマ難民がネイリストのサロン「アルーシャ」、経営者の岩瀬香夏子さん(35)は1日5時間の研修を3週間開き17人の難民を指導してきた。レース編みのほうは蕨市周辺に住むクルド人難民が伝統的なレース編み技術を生かした携帯ストラップなどを展示販売している。両者とも日本人とのコミュニケーションの広がりを喜んでいる(以上概要)。私の携帯ストラップはビーズ編みで模様がかわいい。これは私の知人のビルマ人難民が作ってくれたもので市価1500円と聞く。頑張れ難民たち。

2010年10月7日木曜日

(878)しらけるミャンマー 悲しみは続く

(2010年10月7日)
  きょうの朝日に「しらけるミャンマー」、「選挙運動規制」、「反軍政は排除」という大きな見出しが並んでいた。1ヵ月後の総選挙には37政党が参加する。軍政は民主化勢力や、反軍政色の強い少数民族を事実上選挙から締め出し、国民の選択肢を著しく狭めた。投票まで1ヶ月になっても、国の将来を決めようという熱気はほとんど感じられない。軍政の翼賛組織であるUSDP(連邦団結発展党)の候補者は1100人、60~80年代に同国を支配していたNUP(ビルマ社会主義計画党)も豊富な資金力を背景に約1000人を立てたのに対し、NLDから別れた国民民主勢力(NDF)は160人、ヤンゴンの市民は、「関心がない」、「投票には行かない」という声が目立つ(以上概要)。このような国を祖国とせざるを得ないビルマ人は気の毒だ。彼らがいくら頑張っても、銃口を前にしては何も言えない。今後とも悲しみは続くだろう。

2010年10月6日水曜日

(877)トワチンデーネーヤシーデー

(2010年10月6日)
  きょうの水曜デートの日は久しぶりにAさんと一緒になった。3人の女性に面会、話題は日本語能力試験問題となった。先週差し入れた3級の試験問題について、 Bさんの点数は83点(合格は60点以上)で立派な成績であった。他の2人は来週宅下げする由。日本語授業のお礼なのか私宛にやさしいビルマ語で質問が飛んできた。シャワーを浴びたか、風呂桶に入るのか、風呂桶でおぼれなかったか、先生は独身か、などなど。異性に対する質問にしてはちょっとアブナイ質問だった。もっとも81歳では異性なんていう感覚は全くないみたい。私の答えが奇妙なのか3人とも大声で笑っていた。面会室を出たら急に下のほうが催してきた。いつもだと「トイレに行きたくなった」というのだが、妙齢の女性には言いにくい。恐る恐るAさんに聞いたら「トワチンデーネーヤーシーデー(行きたいところがある)」で分かると言う。勉強だ。

2010年10月5日火曜日

(876)中国とビルマの関係は

(2010年10月5日)
  ちょっと古いが手元にヒューマン・ライツ・ウオッチからの9月8日のニュースリリースがある。一部概要は次の通り。ビルマは11月7日に20年ぶりの選挙を行うが、選挙に至るプロセスを懸念する声が各国の間で広がっている。タンシュエ議長の訪中は国際社会の支持を取り付けると同時に、両国間の経済・安全保障の面での関係を強化することが目的だ。中国は国連の場でビルマの有利になるように影響力を行使してきた。その一方で、ビルマが持つ豊富な天然資源とインド洋への戦略的な出口へのアクセスを手にしてきた。中国はビルマに艦艇、戦闘機、大砲などの武器を供給し、そのほか水力発電や石油開発プロジェクトなどにも協力し、中緬貿易は30億ドルに近い。アラカン沖のシュエガス田からの天然ガス購入も契約し、ビルマを横断する2本のパイプライン建設も着工。支援対象はビルマ国民にすべきだ。

2010年10月4日月曜日

(875)第三国定住 共同通信の論調

(2019年10月4日)
  第三国定住のカレン人来日について共同通信は次の様な連載用の記事を地方紙に流している。①ミャンマー難民18人が来日、第三国定住の第一陣、アジア初、語学習得が鍵、救済先進国への試金石 ②バランス欠く難民政策 ③笑顔で「初めまして」難民日本での将来に期待 ④「先輩」難民、後輩を心配 支援不十分で苦労多く ⑤政府に都合の良い制度 ⑥難民が望む「土壌」を ⑦難民受け入れの経過 ⑧貢献示す大きな一歩 ⑨ミャンマー難民 ⑨第三国定住制度 ⑩法相「最大限協力」 ⑪外相「支援に全力」 第三国受け入れで ⑫批判回避か国際貢献か 試される日本の「本気度」。以上であるが中には地方紙向けサービスとしてコラム記事も含まれている。気になるのが日本到着以降の彼らの動静がぴたり出てこないことだ。65年以上前の日本軍事政権による情報統制時代の暗さを思い出す。

2010年10月3日日曜日

(874)ビルマ今週のニュース(1036号)

(2010年10月3日)
  BURMAINFOのニュース1036号から抜粋。 ★ビルマで「人道に対する罪」が起きている疑いついて、新たにアイルランドとリトアニアが国連による調査委員会設置を支持すると表明、すでに米、英、豪12カ国が支持。 ★ビルマ経済専門家のショーン・ターネル氏(マッコーリー大学準教授)が来日、軍政は天然ガス輸出等による収入を適切に計上せずに財政赤字であるように発表しているが、実際は対GDP比約15%の財政黒字になることや、外貨準備高が60億ドル以上に上がることを指摘。また政府支出のうち防衛費が占める割合が医療・教育費を合わせた割合よりも大きいことを説明、更に11月7日の総選挙以降に米国が金融取引制裁を強化する可能性についても述べた。 ★2007年9月の反軍政デモ3周年記念日の27日、ビルマ民主の声(DVB)など亡命メディアのウエブサイトがサイバー攻撃を受けた。

2010年10月2日土曜日

(873)第三国定住 情報を流さない日本政府

(2010年10月2日)
  ビルマ・カレン族の難民18人が東京に到着したが、外務省は安全とプライバシーを理由に情報を流してくれない(昨日のブログ参照)。歓迎すべく手ぐすねを引いていた関係者は肩透かしを食らった感じ、実務機関の担当者は以下のように解説する。「自分たちは半年間の契約であり、研修終了後、あるいは来年以降については何も分からぬ立場、長期契約がほしい。政府の立場はプライバシー保護であるが、UNHCRの言動は政府とは無関係、政府はマスコミにプライバシー保護を訴えており、もし問題が生じたらその責任はマスコミにある、6ヶ月過ぎると政府の手を離れ自治体や民間団体の責任に、その際は氏名などはオープンになる。就職や居住地はあくまでも自己責任であり、研修期間中に斡旋努力する、家族数人を養える給料が必要で、会社となろう。皆さんも会社を紹介してほしい」と。皆さんどう考える?

2010年10月1日金曜日

(872)情報がほしい第三国定住、そしてガンは?

(2010年10月1日)

  第三国定住について、マスコミは一斉に「情報不足」を唱え出した。私も気になり昨日外務省の人権人道課に電話してみた。担当者は「来日する難民と残された家族の身の安全を図り、またプライバシーを守るために難民の名前、年齢、研修場所などすべて非公開にしてる」という。この説明には頭を傾げざるを得ない。UNHCRからのニュースには。来日する難民の中で一番年上の人はネイミンさん(45歳)と記されている。家族の顔写真だってマスコミに大きく報道され、インターネットで世界中に流されており、そもそも家族は今東京に来ているのだ。外務省の言うプライバシー説はちょっと違うように感じる。もっと情報を発信した方が良いと思う。さて昨日約束した前立腺がんの検査結果は結局「シロ」、お騒がせして申し訳なかった。長年支払い続けてきたアフラックのがん保険は、結局今回も使い損ねてしまいちょっと残念。

2010年9月30日木曜日

(871)水曜日のデート 初めて杖使用

(2010年9月30日)

  昨日は恒例水曜デートの日、ここ2週間左足のふくらはぎが痛くて、歩くのが辛かった。4日前に医者に診てもらい薬を服用していたが、心配なので杖をつくことにした。この杖は昨年秋、私の誕生日祝いの際、お祝いの品として皆からいただいたもの。今まで使うチャンスがなかったが、昨日は家から杖をついて出発、左足に違和感があるもののそれほど痛くはない。東京入管では3人の女性と面会、3級の漢字教科書を渡した。そのお礼というか、初歩のビルマ語を教えてくれた。帰路、今度は杖なしで歩いてみたが、往路同様あまり痛みは感じなかった。バンザイ! 途中錦糸町駅で下車、Sさんとコーヒーを飲む。いろいろ彼女の悩みを聞いてあげた。さて今日はこれから津田沼中央病院に行き、先日行った針生検による前立腺jガンの結果を家内と一緒に聞きに行く。白と出るか、黒と出るか。明日のブログお楽しみに。

2010年9月29日水曜日

(870)ようこそ3家族18人 でも心配

(2019年9月29日)
  28日カレンの3家族18人が第三国定住の第一陣として成田に到着した。空港には在日カレン人が前日からの宿泊者を含め約50人がそれぞれ民族服を着て出迎えた。参加したNさんからの報告によれば、子どもたちはとても緊張していたという。生まれてからずっと山の中のキャンプで育った彼らが、突然大都会に放り出された感じであり、いま暫くは緊張の連続であろう。報道によれば、親たちは笑顔が溢れていて「不安よりも日本に来られた嬉しさの方が大きい」と語っていたという。先日も指摘したように、受け入れ側は情報不足で支援しようにも動きが取れないようだ。きょうの朝日新聞によれば「難民の身の安全やプライバシーを守る」ため年齢、氏名、研修場所などすべて非公開と外務省人権人道課は言う。何かおかしい。外務省は支援団体の協力をあまり望まないのか。一部極右の嫌がらせが怖いのかも。

2010年9月28日火曜日

(869)異郷に生きる難民はいま②

(2010年9月28日)
  昨日に続き27日の記事概要。◎94年に来日したトルコ系クルド人、今年5月に在特を取得したが、難民に認定されたクルド人は皆無。トルコと日本は友好関係にあり、難民と認めることは日本がトルコ政府の迫害を認めることになると弁護士は言う。◎中国・ウイグル族の一人は難民申請しようとしたが仲間は「「危険だ」という。日中国交正常化以降難民認定を受けた中国人は3人(以上)。次はきょう28日の記事で第三国定住を実施してる海外の様子だ。◎オランダでは毎年500人のミャンマー人などの定住難民を受け入れているが、最初の4-6ヶ月はセンターで過ごす。センターを出るとき、難民は定住地を選ぶことはできないが、自治体が任命した人物が日々の手助けをする。入国5年以内にオランダ語やオランダ社会に関する試験を受け合格すれば永住権がもらえる(以上)。今朝カレンの18人が成田に到着する。

2010年9月27日月曜日

(868)異郷に生きる難民はいま①

(2010年9月27日)
 明日(28日)にはいよいよ第三国定住のためにビルマ・カレン人5家族が成田に来るが、それにあわせて昨日(9月26日)から朝日新聞38面で「異郷に生きる難民はいま」という3日間の連載が始まった。第1回目の記事の概要は以下の通り。◎タイ難民キャンプから来たラオス難民Aさんは3ヶ月間定住促進センターで日本語を習っただけ、定住28年になるが日本語が壁となり、仕事や暮らしが困っている。◎81年にボートピープルとして来日したベトナム人のBさん、仕事を紹介され丸亀市に転居したが、同郷の人はおらず心細くなり、多くのベトナム人の暮らす神戸に戻ってきた。◎カンボジア難民のCさんは昨年12月松本市で行われた難民受け入れのシンポジウムで「生活が苦しい外国人労働者が多いのにさらに難民を受入れるのか」との冷たい反応が(以上概要)。今回の受入れ態勢が心配、改善してほしい。

2010年9月26日日曜日

(867)ビルマ今週のニュース(1035号)

(2010年9月26日)
BURMAINFOのニュース1035号から抜粋。 ★国連によるビルマ「人道に対する罪」調査委の設置に関し、フランス、オランダ、ニュージーランドなど数カ国が新たに支持して計10カ国に。 ★カレン民族同盟(KNU)など8つの少数民族武装勢力は22日国連調査委設置の支持を発表、委員会が設置されればこれら武装勢力の行為も調査対象となる。軍政代表は「わが国で人権侵害は起こっていないので調査の必要はない」と発表。 ★投票日を前にしてビルマでは多数の総選挙関連の人権侵害が発生、ビルマ人権記録ネットワークでは60件の状況を発表(市民に対しUSDPに寄付するように脅迫した事例など)。 ★第三国定住制度のもとで日本に来るビルマ難民5家族が22日メーラ難民キャンプを出発、28日に日本に到着する。 ★国際危機グループ(ICG)が21日中国のビルマ戦略について報告書を発表した。

2010年9月25日土曜日

(866)ある母親(Nさん)のお葬式

(2010年9月25日)
  5月~8月ごろ品川入管で面会していたMさんから昨夜電話が入った。彼女のお母さんNさんが肝臓がんのため亡くなったという悲しい報せだ(788参照)。相当以前から肝臓がんを患っていたNさんは、ずっとMさん夫婦と一緒に暮らしていたが、5月のある日、夫婦ともに突然入管に収容され、病弱のNさんは独りだけの生活を余儀なくされてしまった。実に血も涙もない入管の仕打ちだ。面会の際彼女と話していても、母親の様子がとても気にかかっていたようだ。実は面会していたとき、Nさんの話が出て10年ぐらい前に私は何回も彼女にお会いしていたことが初めて分かった。きょうそのNさんの葬儀が幕張本郷の葬議場で行われた。参列者は6・70人、皆ビルマ人で、私の知人も大勢いた。花に囲まれたNさんの顔はとても美しく幸せそうに見えた。今後は天国から在日ビルマ人を温かく見守ってくれるに違いない。合掌。

2010年9月24日金曜日

(865)難民が暮らしたい国に??

(2010年9月24日)
  今朝の朝日に「第三国定住 難民が暮らしたい国に」という社説が掲載されていた。「28日にタイの難民キャンプで暮らしていたカレン族の5家族27人が来日する。彼らは都内のアパートから研修センターに通って日本語や習慣などを学ぶ。しかし半年程度の研修では不十分であり、在日ミャンマー人社会の助けがあるとしても自立は難しい。自治体やNGO、企業、教育機関が連携して一人ひとりの能力を開花させる「人づくり」の視点での支援態勢を築くべきだ。民主党政権の中に難民受け入れに取り組む司令塔が必要。少子化が進む日本は外からどんな人たちを受け入れ環境を整えるのか国家戦略が不在だ」と。(以上概要)。いずれももっともな指摘だ。ただ在日ビルマ人社会は自分たちの生活を守るのが精一杯であり、新旧難民の格差発生も心配だ。受入れ自治体が未定なのはなぜか? 情報発信も少なすぎる。

2010年9月23日木曜日

(864)水曜日、いつもは意気揚々 だが

(2019年9月23日)
  昨日は水曜日、いつもだと意気揚々と品川に出かけるのだが、昨日はちょっと悲壮な感じで出かけた。家の中にいるときは、左足のふくらはぎの痛みはたいしたことなく、さすが湿布薬のインドメダシンさまさまだと感謝していた。しかし玄関に立つと、果たして入管までたどり着けるか不安がよぎる。家を出て10メートルぐらいは無事なんとか歩けたが、その後は先週同様痛み出した。バスに乗り、津田沼駅構内を歩くときはたぶん必死の形相だったろう。品川までの電車はいつも優先席に座れるのだが、昨日は6席とも先客がありがっくりしたが、見かねたのだろう、中年女性が席を譲ってくれた。昨日ぐらい嬉しく感じたことはない。腰掛けていれば痛みは消える。品川駅構内は通路が長くまたまた苦行難行の連続。やっと入管にたどり着き美女3人と面会、ここで痛みが吹っ飛んだが、帰路はまたまた同じように辛かった。

2010年9月22日水曜日

(863)ロヒンギャー族 世にも不思議な物語②

(2010年9月22日)
  引き続きロヒンギャー問題について述べる。ビルマ・アラカン地方に住んでいるビルマ人(仏教徒)の知らないうちに、数十万人単位の外国人(イスラム教徒)が忽然と現れるということは住民にとって脅威な出来事であった。正式にロヒンギャー族という名前が出たのは僅か60年前の出来事である。上智大学の根本教授は、①アラカン王国時代(14~17世紀)にベンガルやペルシャなどからの移住者の子孫、 ②19世紀の英領期以降のベンガル(チッタゴン)からの移住者の子孫、③1948年独立以降のベンガルからの移住者とその子孫 の三つの系譜があるとして、それぞれが結婚などで重なり合い、最終的にその一部が現在のロヒンギャーと名乗る民族になったのではと推測してる。ビルマ人の多くは①を除外して考えているようだが、果たして真実は? なお日本の裁判ではビルマ・ロヒンギャー族と称している。

2010年9月21日火曜日

(862)ロヒンギャー族 世にも不思議な物語①

(2010年9月21日)
  ビルマ人と話していて、全く話が通じない話題がある。ビルマのロヒンギャー族の話だ。日本人はビルマの少数民族と解釈してる人が多いが、ビルマ人はバングラデシュからの難民であり、ビルマ人ではないと言い張る。数年前、ロヒンギャー族の歴史的背景を説明する講演会があったが、その講演が始まると同時に聴衆のビルマ人が一斉に会場から出てしまったことがある。最近でもロヒンギャーの話題を出すと顔を背けるビルマ人が多い。ロヒンギャー族はビルマ西部のアラカン地方、及び国境を接してその隣のバングラデシュのベンガル地方に多く住み、人口は百万前後といわれ、宗教は全員イスラム教。両国政府ともロヒンギャー族は自国民ではなく不法移民として差別、虐待している。在日ビルマ人の多くは日本に来て初めて彼らの存在を知ったようだ。軍政と在日ビルマ難民の言い分が一致してる珍しい事例だ。

2010年9月20日月曜日

(861)ミャンマーの人権問題 国連の調査委で

(2010年9月20日)
  9月14日の朝日新聞の「私の視点」欄にヒューマンライツウオッチ日本代表の土井香苗氏が、「ミャンマー問題・人権確立を国連調査委で」と書いていた。ミャンマーでは半世紀以上にわたって国軍が深刻な人権侵害を犯してきた。民間人に対する意図的な攻撃、女性や少女への性暴力、拷問、少年兵の徴用、強制追放や強制移住、対人地雷の使用などだ。一方、カレン族、カレンニー族、シャン族、ワ族などの反政府武装組織も強制労働、少年兵徴用、地雷使用など、深刻な人権侵害に手を染めてきた。国連総会で19回も非難決議が出されたがミャンマー当局はやめる様子はない。国連特別報告者のキンタナ氏は国際法に違反する恐れがあるとして国連調査委員会設立を提案、既に欧米が支持している。日本政府も今こそ国連のミャンマー調査委員会への支持を表明し、人権問題でリーダーシップを発揮すべきだ。

2010年9月19日日曜日

(860)ビルマ総選挙 少数民族を排除

(2010年9月19日)
  昨日の週間ニュースでもお知らせしたが、朝日17日夕刊は、「少数民族を排除へ」、「総選挙への妨害を警戒」という見出しで選挙前の状況を報道していた。それによれば武装勢力を有する一部の州の一部の地域では「自由で公正な選挙を実施する見込みがない」として、投開票そのものを実施しないというもの。対象地域は、カチン、カヤー、カレン、モン、シャンの5州にある複数の地区とされ、ワ、モン、カチン族やカレン民族同盟が住む地域のようだ。軍政が各民族の武装組織を国境警備隊に編入するよう要請したが反発が強く、このまま総選挙に踏み切れば、妨害行為が起きかねないと軍政側が判断した模様だ。私は選挙前に国軍側が一斉に各民族の武装組織の掃討に動くものと予想していたが、総選挙前に紛争を広げることは軍政側に不利とみて、軍政側が降りた感じだ。公正で自由な総選挙は絶望的である。

2010年9月18日土曜日

(859)ビルマ今週のニュース(1034号)

(2010年9月18日)
  BURMAINFOのニュース1034号から抜粋。 ★選管委は8月に軍を退役したテインセイン首相や軍政ナンバー3のシュエマン氏らをUSDPの候補者として認めた。両氏の選挙区は首都ネピドーで、USDPと親軍政派の民族統一党(NUP)しか出ていない。 ★選管委はNLDなど政党登録手続きをしなかった、あるいは完了しなかった10の政党が解党されたと発表。国連事務総長は参加型の選挙を実施する環境を確保するよう軍政に呼びかけた。 ★国営メディアは16日少数民族が多く住むカチン、カレン、モン、シャン州の複数の選挙区で投票を実施しないことを発表。 ★選菅委はカチン州進歩党員14人が無所属候補としての出馬を認めないと発表。KSPP創設者が以前KIOの副議長であり、国境警備隊編入問題の報復と見られている。 ★カレン民族同盟(KNU)は国連平和デーの21日に一日停戦を発表。

2010年9月17日金曜日

(858)初めて見た シンシア・マウン医師の顔

(2010年9月17日)
  15日の朝日新聞の「ひと」欄で初めてシンシア・マウン医師の顔写真を見た。彼女の名前はビルマ関連では超有名人であり、「もう一人のスーチーさん」とも呼ばれており、私も10年前から名前は聞いていた。しかし恥ずかしいことにシンシアという名前から西欧系の人物かと思ったこともあったが、今回の写真で彼女は典型的なカレン女性(50歳)であることを知った。ビルマ・タイ国境のメータオ・クリニックの代表として、20年間ビルマ難民など貧困者を無料で診てきた。昨年は15万人以上が来院したという。彼女は語る。「軍政主導のビルマ総選挙の結果は皆分かっている、犠牲になるのはいつも貧しい人たちだけ、国民に選挙への期待はない。軍服を脱ぎ、組織の名前を変えても軍政は何も変わらない」と(以上概要)。選挙は11月7日、その前もその後もタイ側にあるこの診療所に来る患者が減ることを望むのだが。

2010年9月16日木曜日

(857)難民申請者を排除しないで!

(2010年9月16日)
  あと10日あまりでタイのメラ難民キャンプから5家族27人のカレン族の一行が成田にやってくる。9月7日の朝日新聞によれば、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日代表のヨハン・セルス氏は、「第三国定住は難民への適切な保護と人としての権利を与える『人間の安全保障』として重要な事業だ。今回日本が行うの第三国定住は3年間で約90名受け入れる予定だが、難民のための強力、かつ持続的な社会支援ネットワークが必要だ。第三国定住者の社会統合プログラムは、日本における難民の包括的な社会統合プログラムの発展を促す。日本では条約難民、再定住難民、在特者がいるが、例えば言語教育(6ヶ月間)は前二者に限られる。これらの人々のためになる社会統合政策が重要である」と(以上概要)。いま一番苦しんでいるのは難民申請者である。そこまで広げた社会統合政策を策定してほしい。

2010年9月15日水曜日

(856)ありゃ ふくらはぎが痛い

(2010年9月15日)
  きょうは恒例の品川デートの日、喜び勇んで東京入管に向かった。品川駅で降りてしばらく駅構内を歩いていると左足のふくらはぎに軽い痛みを感じた。まあ大したことは無さそうなので左足を引きずりながらそのままバス停に向かった。歩くときはビッコを引いていたので、見られた姿ではなかった筈だ。座っていれば痛いとは感じないから軽い筋肉痛と思う。ビルマ人女性4人に日本語問題集を差し入れて無事面会を終えたが、その中の一人は明日仮放免で出所するという。5ヶ月近い収容生活まことにご苦労様というほかない。帰途品川駅で2人のビルマ人と待ち合わせをしていたが、時間があったので駅構内のコクミン薬局でバンテリンパットを880円で買って店頭ですぐ左足に貼り付けた。2人との用件も無事終わり帰宅、さらにこのパットを貼り足したので少し痛みが和らいだかな。我が左足よ、明日は完治だよね。

2010年9月14日火曜日

(855)ビルマ今週のニュース(1033号)

(2010年9月14日)
  BURMAINFOのニュース1033号から抜粋。 ★中国を訪問中のタンシュエ上級大将は、8日胡錦濤国家主席と会談、胡主席は総選挙実施への支持を表明した。 ★軍政はワ州連合軍(UWSA)の支配地域があるシャン州東部に国軍兵士を派遣し、同地域から政府職員を撤退させた。 ★カチン独立機構(KIO)は国境警備隊問題が解決しない限り総選挙の投票所を設置させないと表明。 ★ビルマで「人権に対する罪」などが起きていることに関し、ハンガリー政府が国連による調査委員会設置を支持すると表明。 ★ビルマ人権記録ネットワークの報告書によれば、軍政は公式レートを使った会計操作によって財政赤字であるように発表しているが、実勢レートによって計上すれば対GDP比15%の財政黒字になると発表。 ★米政府は国連総会開催に合わせて24日に第2回目の米アセアン首脳会議を開催。

2010年9月13日月曜日

(854)活気消え漂う緊迫感 メソトの街

(2010年9月13日)
  朝日新聞によると、タイ北西部のビルマとの国境地帯(ビルマ側:ミャワディーの街、タイ側:メソトの街)の閉鎖が異例の1ヵ月半続いており、二つの街は活気が消え緊迫感が漂っているという。今まで短時間なら相互の街に行き来できたが、11月の総選挙を前に少数民族勢力への大規模な掃討作戦の準備と見られている。同紙にはメソトの街の風景写真も掲載されていたが、確かに国境の往来が途絶えていた。両国の交易がストップしたため、ヤンゴンでは日用品が値上がりしている由。もし掃討作戦が実施されれば、ビルマ難民がタイ側に流出して国境地帯の混乱が拡大する恐れがある(以上概要)。在日ビルマ人が難民申請をして特定活動の資格を得た人は、ご家族と会うために双方がこの国境地点まで出向き、涙の再会を果たしている有名な地点だ。今までと同様に平和で両国人で雑踏する街の再現を望む。

2010年9月12日日曜日

(853)日本難民調整委員会

(2010年9月12日)
  先日JLNR経由で、日本難民調整委員会(Refugees  Coordination Committee Japan/RCCJ)という団体から、9月26日に東京大学駒場キャンパスで難民円卓会議を開催する旨の案内状を受け取った。この団体がどんな団体であるのか興味があり、インターネットで調べたが、よく分からなかった。案内状には、日本に在留する難民と在留特別許可を得た人々によって構成され、彼らを代表していると書かれていた。代表するという言葉は重い言葉であり、在日難民+在特者はこの委員会の存在を全員理解しているのだろうか? 難民と聞くと私などはすぐビルマ難民を想像してしまうが、この円卓会議にはたぶん各国からの難民も入っているはずである。今月28日にはカレンの5家族27人が第三国定住として日本にやってくる予定だが、日本の難民政策向上のためにも在日難民の皆さん、頑張ってほしいな。

2010年9月11日土曜日

(852)あれれ おしっこが

(2010年9月11日)
  昨日に引き続き前立腺癌の検査(組織培養による生検)のその後を紹介しよう。14本の針を刺して組織を採取するので、副作用として「尿閉」が起こることは予測されていた。夜中の2時ごろ尿意を催しトイレに入ったが尿が一滴も出ない。経験したことのない人には分からないだろうが、実に苦しい。やむを得ずつい先ほどまでいた津田沼中央総合病院に飛び込み導尿、約10分で終わったが尿がパイプを伝わって流れ出るにつれ、苦しさもぐんぐん減っていく。心も軽く帰宅してベッドに入ったが朝5時ごろまたまたトイレで出ない。苦しい。再度津田沼中央総合病院で2度目の導尿、2回も続いたことは初めてなので、昨日14本もの針を刺した医師の意見を聞こうと待っていたが、医師も忙しく結局意見を聞けたのは夕方5時「西田さんの前立腺は巨大だ、いい薬があるのでそれを服用しよう!」と。今夜はちゃんと出てね。

2010年9月10日金曜日

(851)前立腺がんの検査

(2010年9月10日)
  すでに(830)で「癌かな? それとも単なる・・・・」で私の前立腺(女性にはない)のPSA値が30と異常に高いため、がん検診を行うことを述べたが、その日が今日だ。昨日から津田沼総合中央病院に2泊3日の予定で入院したが、実際には外泊、外泊で夜間は家に戻っていた。きょうは朝9時から全身麻酔のもと、前立腺に左右7本ずつ全部で14本の針を打ち込み、組織を採取した。何しろ眠っているのだから痛くも痒くもなかった。所要時間は約40分。なお私が一番気になっていた黄色靱帯骨化症による痛みもなく、病院のベッド(パラマウントベッド製)で問題なく過ごせることを発見したのは大きな収穫だった。さて癌か否かの発表は9月30日の予定、今も「どっちでもいいや」といった心境、それより(846)に記載した台形に並んだダイヤモンド状の膀胱結石の方が気になる。歳をとるということはいろいろ病気も出てくるな。

2010年9月9日木曜日

(850)共同通信社の力作「ニッポンに生きる」

(2010年9月9日
  共同通信社では今年の4月から「ニッポンに生きる」というテーマで、在日外国人の生き様を詳しく報道している。第1部:隣の外国人(6回連載)、第2部:隣の日本人(6回連載)、第3部:「働いて働いて」(5回連載)、第4部:「併合100年の韓国・朝鮮人」」(8回連載)、第5部:「難民鎖国」(5回連載)。現在は第5部が全国の地方紙に配信されているようだ。この連載記事には、カンボジア人、ブラジル人、パキスタン人、フィリピン人、韓国人、朝鮮人、中国人、エジプト人、バングラデシュ人、ペルー人、インドネシア人、インド人、ビルマ人、クルド人、ウガンダ人・・・・・・と各国から来日した外国人を広く取り上げている。私は「日本に生きる外国人」といえばビルマ人を思い浮かべてしまうが、この共同通信社の大作を読むとまさに「井の中の蛙」であることに気付く。しかし私は高齢過ぎるので今後もビルマ人に注目していく。

2010年9月8日水曜日

(849)品川駅前のデモ隊

(2010年9月8日)
  きょうは水曜日、品川デートの日だ。全然予測してなかったが朝から台風、激しい雨が降り続きビックリした。風雨は強いがおかげで涼しく、昨日までの酷暑はウソのよう、熱中症対策用のお茶入りボトルはきょうは必要なかった。実はAさんが仮放免延長の日だが書類がないというので、私が朝10時半から入管に行き書類を渡す。その後ビルマ人女性4人との面会も無事終わり、Aさんと品川駅に着いたとき、バス停の前の広場には外国人の人だかり、ゼッケンを見ると牛久の会などと書かれており、日本人のTさん、Kさん、Mさんら懐かしい顔が揃っていた。これから東京入管までデモ行進をするという。激しい風雨の中、まことにご苦労さまである。ビラには、入管は再収容をやめろ! 長期収容を許さないぞ!  外国人への人権侵害をやめろ! 医療体制を改善しろ! 重病人を解放しろ!などなど。尤もな内容だと思う。

2010年9月7日火曜日

(848)正真正銘の「正夢」だった。

(2010年9月7日)
 先日Aさんが見せてくれた入管からの呼び出し状の件で、「正夢であってほしい」と9月1日のブログ(842)に書いたが、昨日朝10時に彼女から電話が入り、弾んだ声で「先生! 1年の特定活動を貰いました。ありがとうございました」と。私は彼女から呼び出し状を見せて貰った瞬間、99%在留特別許可は貰えるなと思ったが、1%の不安は残っていた。この夢のような嬉しさが、正真正銘の「正夢」になったのだ。彼女は日本に数少ないP族の出身であり、今後は在特者として日緬融和を目指すであろう。それから私自身にとっても嬉しいことに保証金30万円が法務省から戻ってくるのだ。現在私はビルマ人十数人の保証人を引き受けているが、約半数は私が保証金を支払っている。ただ私も体調が万全でないので今後新規の保証人は残念ながら引き受けられない。私が保証人をしているビルマ人の皆さん、頑張って。
  

2010年9月6日月曜日

(847)面白い! 中西先生のブログ ②

(2010年9月6日)
  昨日に続きウイン日本語学校の中西先生のブログを紹介しよう。彼が久しぶりに帰国したときの感想だ。「日本に帰国して感じることは何でも安くなったなあ~ってこと。カレーライス(ビーフ入り)200円、牛丼280円、天丼500円(大きなエビが入っている)、石鹸3つで100円、Tシャツ、パンツ、下着類なんでも100円、コミックの古本10円(最初100円だと勘違いした)。自分の大学時代吉野家の牛丼は450円、なんでこんなに安くなったんだろう」と(以上概要)。いま日本はデフレで苦しんでいる。ダイソーとかキャンドゥーの店に入ると、誰もがビックリする安さだ。私は日本のデフレの元凶の一因は、牛丼屋はじめ、上記の店にありと思い込んでいる。ユニクロもかっぱ寿司もそうだな。日本のデフレ脱却のために安物を買うのをやめよう!と叫びたいが、我が家の食卓に並ぶご馳走も半額品が多いのでやはり無理か。

2010年9月5日日曜日

(846)面白い! 中西先生のブログ

(2010年9月5日)
  ヤンゴンのウイン日本語学校で活躍してる中西先生のブログを久しぶりに覗いてみた。相変わらず面白い。その中で「腎臓結石破砕装置がヤンゴンに登場」という日記が目に飛び込んだ。中西先生はご自身の腎臓に結石が残っていると書いていたが、実は私も結石の持ち主である。先日前立腺がんの予備検査の段階で、下腹部のレントゲン写真に20個ぐらいのダイヤモンド状の数ミリの物体がきれいに並んで写し出されていた。半透明であり、まさに輝くダイヤモンドそっくり、それらが台形をなして整列していた。最近テレビで体内の様子がよく写し出されるが、イメージとしてはグニャグニャした感じであり、幾何学的なダイヤモンド風、台形風なんて考えられなかった。私は唖然としてこの異質生体のレントゲン写真を眺めていたが、医者は膀胱結石だと言い前立腺がん検査後に処理しようという。破砕しては勿体ないな。

2010年9月4日土曜日

(845)選挙後の軍政の体制は?

(2010年9月4日)
  11月に行われる総選挙についていろいろな憶測が飛んでいる。8月31日の毎日新聞には、「軍政トップ院政敷く?総選挙後に」という見出しで選挙後の体制について興味深い推測記事を掲げていた。今回の選挙法では、現役軍人の立候補を認めていないが、タンシュエ将軍(国家平和発展評議会議長)は依然軍籍にとどまっている。このため、選挙後も事実上の院政を敷こうとしているとの見方が強い。軍政ナンバー2のマウンエイ氏も同様に軍籍にとどまっているので、事実上の国の最高機関となる国家防衛安保評議会(NDNC)のトップとナンバー2につくと思われている。一方ナンバー3のトゥラシュエマン参謀総長、ナンバー4のテインセイン首相は退役し立候補した。総選挙はUSDPの勝利は濃厚で大統領にはトゥラシュエマン氏が有力(以上概要)。背広に着替えた大統領の上にさらに2人の軍人がいるなんて。

2010年9月3日金曜日

(844)ヒューマンライツウオッチによる選挙批判

(2010年9月3日)
  国際的な人権団体ヒューマンライツウオッチのアジア局長代理エレーンピアソン氏は11月7日のビルマ総選挙について、次のように批判した(BURMAINNFOの情報より)。「選挙日程の発表を軍政は自分たちの筋書き通りだと思っているだろうが、これで深刻な欠陥のあるプロセスが正当化されることはない。両院の総議席数の四分の一が現役軍人に割り当てられており、4月には首相のテインセイン将軍と内閣を構成する20人以上の軍幹部が、一斉に退役し、USDPに入党した。国軍幹部は軍服から平服に着替えることは出来るが、総選挙は権力を引き続き軍政の手中に収めることを目的とした周到に用意された計画の一部に過ぎない。関係各国政府は根本的に欠陥のあるプロセスでも、何もないよりはましだとか、選挙を通して今後何らかの進展が期待できるなど誤った考え方に陥るべきではない」と一刀両断。

2010年9月2日木曜日

(843)「悲しみと涙の川「エヤーワディー」、話題豊富

(2010年9月2日)
  1991年ビルマ人難民として来日したティッ・ター監督の標記の映画の上映会が南大塚ホールで行われたという。私は見ていないが聞くところによると、出演者は皆在日ビルマ人で、ナルギス・サイクロンの悲惨さと、軍事政権の無能さを訴えているらしい。撮影は東京近郊の江戸川河川敷で行われたが、エヤーワディー川とイメージがよく似ており、約70人の出演者も好演したと聞く。ところが最近出演者の中から金銭上のことで楽しくない噂が流れてきた。ビルマ人社会の噂好きはよく知られているが、軍事政権が正しい情報を国民に流さないから、どうしても国民は噂に頼らねばならない。それからもう一つ、軍事政権は他人を信用することを教えていない。このため在日ビルマ人の間でも、「彼はスパイだ」というような声を時々聞く。暖かく優しい目で他人を認めてあげる雅量が必要だ。もちろん日本人にも当てはまるのだが。

2010年9月1日水曜日

(842)正夢であってほしい

(2010年9月1日)
  きょうは水曜日、品川入管での恒例のデートの日、いつものように4人のビルマ人女性と面会、終了したのが2時過ぎ、そのアトAさん(私が保証人)と待ち合わせを約束した品川駅に向かった。実はAさんから昨夜電話があり、お話したいことがあるという。用件を聞いたがはっきり言わなかった。仮放免の延長は既に終わっており、何のためにわざわざ私に会うのかさっぱり分からない。こういう時ってちょっと緊張する。もしかしたらミンガラサウン(結婚)の告白・・・・かな。さて約束の時間の3時に彼女が現れ、駅構内の喫茶店で用件を聞く。彼女はおもむろに入管からの呼び出し状を見せてくれた。〇月〇日写真を持って入管に来るようにという内容であった。バンザイ、「写真を持って」と書いてあれば在留特別許可を貰える可能性が極めて高い。私も嬉しいが、永らく頑張った彼女はもっと嬉しいに違いない。正夢であれ!

2010年8月31日火曜日

(841)活躍してるBURMA CONCERN

(2010年8月31日)
  皆さん BURMA CONCERNというグループをご存知でしょうか。2009年8月、ちょうど1年前から正式に活動を始めたグループで、私のBRSA時代からの知人熊切さんと、在日チン民族指導者タン・ナンリャンタン氏、及び同氏の妻マインイン女史らが共同代表となり、ビルマ難民と日本社会の架け橋となる活動を行っており、難民の生活相談、難民申請支援のほか、難民の今を発信する活動を行っているという。8月にはクンマーコーバン氏(カレンニー州の政治家で民族合同民主連盟・解放区の議長)を呼んでビルマ・コンサーンの事務局で緊急記者会見を行い、また、カレンの有名なモウニーさんに対するフジテレビの取材を取り持ったという。彼が最近ブログに載せた「日本の非ビルマ民族政治団体一覧」も役に立つ。その中で「在日カレン民族協会」の設立は知らなかった。「ビルマ コンサーン」の活躍を期待する。

2010年8月30日月曜日

(840)ミャンマーにすしブーム

(2010年8月30日)
  28日の朝日夕刊に「ミャンマーにすしブーム」、「板前は日本仕込み」、「地元客好みの味付け」、「日本の成長期支える」などの見出しが並んでいた。ヤンゴンには在留邦人が500人ほどしかいないが、すし店のオープンが続き、確認できるだけで10店を超えている。スーパーにもにも回転ずしコーナーができた。日本人目当てではなく、世界的なスシ人気が到達した形だ。握るのは日本のすしブームを支えたミャンマー人職人だ。(以上概要)。たまたま送られてきた「みんがらネットワーク会報32号」で、ヤンゴン在住のS氏がやはりすしブームを取り上げており、日本人経営の店が数軒、ミャンマー人経営の店が22・3軒あって驚いたと書いてあった。このようにミャンマーですしブームという知らせを聞くと、ミンガラ日本語教室卒業生で、アメリカのすし店で働くWさん、ドイツのすし店で働くKさん夫婦を思い出す。元気かな?

2010年8月29日日曜日

(839)ビルマ今週のニュース1032号

(2010年8月29日)
  BURMAINFOのニュース1032号から抜粋。 ★スーチー氏は「総選挙でNLDに投票したかったという人は棄権したらどうか」と提案、また同氏は「国民は選挙プロセスをよく観察し、自由公正でない場合は声をあげるべき」とも述べた。 ★選挙管理委員会がNDFの幹部4人に対し、反逆罪の赦免を求める申請を再度提出しなければ立候補できないと通告した件について、同党のキンマウンスエ議長は「再申請しても立候補は認められないだろう」と出馬を諦めた。 ★岡田外相は20日の記者会見で「自由公正な選挙についていろいろ努力してきたにもかかわらず全く顧みられないことは大変遺憾」と述べた。 ★ワ州連合軍(UWSA)に対し軍政は「9月4日までに国境警備隊への編入に合意しなければ違法団体とみなす」と通告。 ★5月から始まった空港での到着ビザ発給が9月から休止。選挙前の外国人制限か。

2010年8月28日土曜日

(838)メラ難民キャンプ 事前研修終わる??

(2010年8月28日)
  今朝の朝日にメラキャンプで習字を習う来日予定の家族たちの写真が掲載されていた。子どもたちは皆こざっぱりした服装で、利発そうに見える。みんな日本に来て幸せになってほしい。ただ記事を読んでビックリした。「第三国定住へ事前研修終わる」とあった。来日までまだ1ヶ月もあるのに何で終わるのか? インターネットを調べると研修期間はたったの1ヶ月、これでお茶を濁されては来日カレン難民に気の毒であり、日本政府の誠意も疑われてしまう。来日してから半年間はさらに研修を受けるが、その後の、教育、就労、医療など、どのような生活支援が受けられるのか、多くは白紙の状態と記載されていた。受入れまでに十分な時間があったのに、政府は何をしていたのか? これでは難民受入れに誠意がないと言われても仕方がない。今からでも遅くない、関係者の努力で彼らを万全の体制で迎えたいのだが。

2010年8月27日金曜日

(837)平和の翼⇒難民高等教育プログラム

(2010年8月27日)
  「平和の翼ジャーナル」VOL:10が送られてきた。2007年10月から無料で発行されている24頁の雑誌で、ビルマの民主化問題、難民問題を中心に日本語とビルマ語で書かれている。その編集長がアウンミャウイン氏で、ミンガラ日本語教室にも在籍したことがある。彼は2年間入管に収容された後、難民の資格を得た苦労人であり、当時の難民高等教育プログラムを活用して、兵庫県西宮市の関西学院大学の難民枠に入学した学問大好き青年である。実はこのたび、そのプログラムの2011年度版が発表された。応募期間:2010年8月16日~9月19日、募集人員:5名、実施大学:関西学院大学、青山大学、明治大学(応募書類はUNHCRのホームページから)。アウンミャウインさんに続いて、在日ビルマ難民から日本の大学で学ぶ青年が多く出ることを望む。そして次の世代のビルマ諸問題をリードしてほしい。

2010年8月26日木曜日

(836)大丈夫かな 第三国定住難民の来日

(2010年8月26日)
  昨日、渋谷の国連大学で「日本への第三国定住」のシンポジウムが行われた。私は足が悪いので出席できなかったが、いくつかの情報が流れてきた。まず(826)で取り上げた松本市が滝沢氏の尽力で「信州発国際貢献の会」を発足させ、定住難民引受けの声をあげたが、シンポジウムでは何も決まっていないとの姿勢のようだ。私は、熱心な自治体に任せたほうが、万事うまく行くと思うのだが。住居や就労の問題は日本政府が斡旋するのかと思ったが、難民の自主性に任せるらしい。また初めの6ヶ月は東京で研修するというが、難民キャンプという極めて非日常的な環境から、突然大都会に来てもストレスが溜まるだけではなかろうか? メラキャンプの環境に似た山の麓の街で研修する方がいいのでは? 在日ビルマ難民の動向もはっきりしない。彼ら自身の生活が苦しいのに支援まで手が回せないのでは?

2010年8月25日水曜日

(835)久しぶりの出会い 楽しくルンルン

(2010年8月25日)
  きょうは水曜日、いつも面会控え室でいろいろな知人に会っている。今日は誰と会えるか期待しながら品川入管へ。面会控え室入り口で早速 Aさんに会う、彼女とは2・3年前からある団体で一緒になり、流暢な日本語でしばしば通訳をしてもらったことがある。その後彼女は体調を崩したため会っていなかったが、きょう再会してみると愛くるしさは以前と変わらず、いろいろ話が弾んだ。私が出来上がったばかりの「ビルマ関連新聞見出し一覧表」をちらりと見せたところ、ぜひ欲しいと言われとうとう進呈する羽目に。なお、面会の際ビルマ人女性はさらに一人増えて4人に、きょう初めて会った女性は難民申請ではなく結婚とか。面会が終わって帰ろうとしたら難キ連のSさんと会ったのでもろもろの情報を交換、特に9月28日に来日する第三国定住のカレン人27人の処遇については貴重な意見が伺えた。水曜日は楽しい。

2010年8月24日火曜日

(834)1945年~96年の年表完成

(2010年8月24日)
  ビルマ関連新聞記事見出し一覧表の第一部と第二部は既に完成していたが、45年~96年の欠落部分が気になっていた。この部分は新聞の切り抜きもないので、やむを得ず書棚にあったビルマ関係の書籍33冊の中から「年表」の記載のある9冊を選び出し、自己流に「年表」を纏め上げた。この年表は新聞見出しとは関係ないが、当時のビルマ情勢を調べるには格好の材料になる。7頁、210件あり、第3部として利用したい。このように、データベースは出来上がったので、これからはいよいよ執筆活動だ。書き易いテーマを探すべく、いま第一部を眺めているがスーチーさんの名前がやたらと多いのに気がついた。その中で、スーチーさんの誕生日を祝う記事が毎年のように出ている。いかに有名人であっても毎年のように新聞で誕生日をお祝いされる例は他にはないのでは? 出だしは「拝啓、朝日新聞社様」か?

2010年8月23日月曜日

(833)いよいよ間近か 3万人目はどなた?

(2010年8月23日)
  いまアクセスカウンターは29944人目、アト56人でジャスト3万人だ。予定日を24日としたがどうやら1日遅れそう。でも25日は間違いはない。皆さん25日には頭を研ぎ澄まして、ちょうど3万人になるときにクリックしてくださいね。過去の状況を示すと、5000人が2009年2月4日、10000人が同年6月14日、15000人が10月17日、そして20000人が2010年1月19日、そして30000人が同年8月25日。最初のころは5000人に達するのに4ヶ月かかっていたが、その後は3ヶ月余で達成している。私のブログの主体はビルマ問題、入管問題、難民問題といった、どちらかと言えば硬派に属するのに大勢の方に読んでいただき、心から感謝する。一方、新聞見出しの一覧表の方もきょう第3部が完成したので2つの基礎は完成した。これからは数年間分の材料が揃ったので、年末にかけて新しいエッセーに挑戦だ。

2010年8月22日日曜日

(832)ビルマ今週のニュース1031号

(2010年8月22日)
  BURMAINFOのニュース1031号から抜粋。 ★選挙管理委員会はNDF(国民民主勢力)の幹部4人に対し、過去に問われてきた反逆罪について赦免を求める申請を再度ださなければ立候補できないと通告。4人は7月に同様な通告を受け申請したが不備があったとされた。 ★NLDは19日、選挙をボイコットすることを正式に決定。 ★英金融大手バークレイズがイラン、ビルマ等との取引を禁じる米国の経済統制に違反したとして、約3億ドルを米当局に支払う和解案が米連邦裁判所に承認された。英国労働組合会議は不名誉とし、情報公開を求めた。 ★ビルマで「人道に対する罪」が起きている疑いについて、米政府は国連による調査委員会設置を支持すると表明。オバマ政権が始めた軍政との直接対話路線が成果の出ないことが背景にあると見られる。NLDのティンウー副議長は、この米国の支持表明を歓迎。

2010年8月21日土曜日

(831)働くゾウ 今も活躍

(2010年8月21日)
  既に(815)でもお知らせしたが、今朝の朝日新聞に「働くゾウ今も活躍 山奥の森で調教」という大きな見出しで、ビルマのゾウを調教している様子が詳しく紹介されていた。ヤンゴン北西約120キロのバゴー山脈のふもとにある「ミャインヘイウオン」には森林省管轄のゾウキャンプの一つがあり、ここで森林伐採の現場で働く使役ゾウの訓練が行われている。夜になると森に放すので餌代はいらないし、ゾウは自然に近い形で暮らすことが出来る。ゾウ使いは夜明け前に森に入り足跡や糞をたどって前夜放したゾウを探し、前後左右の移動や足の上げ下げなどを順に教えていく。その後は荷物や人を運ぶ運搬に使われ、森林伐採の現場で働くのは18歳以降という(以上概要)。東南アジアを観光旅行すると、ゾウに乗る機会が多く、私も数回乗ったことがある。しかし、このようにして調教されていることは全く知らなかった。

2010年8月20日金曜日

(830)癌かな? それとも単なる・・・・

(2010年8月20日)
  私の前立腺肥大は11年前、古希になったお祝い?ということで津田沼中央病院の人間ドックを受診したときに見つかった。当時のPSA値は10.2、院長は4以上は前立腺癌の疑い濃厚ということですぐ生検を受けた。肛門から左右の前立腺に3本ずつ針を打ち込み、白いにょろにょろした組織を取り出し癌かどうかを調べるのだが幸い結果はシロ。さらに2年後、PSA値が13のとき、病院を替えて谷津保健病院で再度生検、今度は左右5本ずつ打ち込み結果はシロで担当医は「あなたの前立腺は大きいのでPSA値が高いのは当然」とのご宣託。その後、加齢と共にPSA値は徐々に上昇、先月はとうとう30に。数値が20台のときは気にしてなかったが、30に達するとちょっと気になるので3回目の生検を9月10日に。癌でなければ結構、癌と決まれば長年加入していた癌保険がやっと使えるので、どっちでもいいや。

2010年8月19日木曜日

(829)「見出し一覧表」 なんとなく満足出来ないなあ

(2010年8月19日)
  私は5月に「自分史」を発行した。たくさんの写真を取り入れ新しいタイプの「自分史」だと自負していたが、出来上がってみると、あの写真を入れたい、これが書いてない、人名が間違っていたなど、なんとなく不満足、しょうがない、あと数年したら補足版を出さなければ。続いて出した「ビルマ関連新聞記事見出しの一覧表」についても同じだ。こんなユニークなデータは他にないのではと、自己満足していたが、さて出来上がってみるとこれも不満足、肝心の1988年以降1996年までの8年間のデータが欠落している。もちろん当時はビルマ関連記事を切り抜いていないので、手元には何もない。やむをえないので代わりの年表を探すことにした。手元にある何冊かの単行本からまとめれば、それなりに年表は出来るはず。現在の第一部、第二部はそのままにして、第三部として記事見出しではないが空白部分を埋めたい。

2010年8月18日水曜日

(828)きょうは水曜日、やっぱりいろんなビルマ人に

(2010年8月8日)
  きょうは恒例のデートの日、わくわくしながら品川入管に向かった。まず面会の控え室に入ると、BRSAのAさんに久しぶりに会う。先日のセミナーの内容など話していると、カレンのB氏が割り込んできた。来月28日に来日する「第三国定住難民」についていろんな情報が飛び込んできた。そうこうしていると、面会が始まり、3人のビルマ人女性と最近のニュースについて話し合った。その際Cさんから自分の主人に電話して、ある事件の問題点を聞いてくれと頼まれた。自分で電話すればとつい口に出かかったが、我慢して面会終了後電話してみた。たまたまAさんがそばにいたので、通訳してもらい、話が進んでいることを確認。そのあとDさんが入管まで来て、特定活動から定住に在留資格を変えるための申請書に署名してあげる。帰途品川駅で、私が保証人をしてるEさんと落ち合い仮放免延長のサインをした。多忙だ。

2010年8月17日火曜日

(827)第三国定住のシンポジウム

(2010年8月17日)
  昨日に引き続きカレン族6家族32人の第三国定住問題のシンポジウム開催について取り上げる。シンポジウムの題名は「日本への第三国定住」、そして副題は「よりよい保護と社会統合のもとへ難民を迎える」とかっこいい。このシンポジウムは8月25日(水)13時から17時30分、場所は渋谷区神宮前の国連大学本部、8月20日までに申し込み、定員になり次第受付終了、主催はUNHCR駐日事務所、外務省、法務省が後援。第一部は(第一庇護国からの出国前について)、第二部は(日本社会への統合)についてそれぞれパネルディスカッション、5時半終了の予定(以上概要)。私が日ごろ気になっているのが、タイのメーラ難民キャンプから来るカレン人と、日本で難民申請したカレン人との融和の問題、両者の間に何かしらの格差は生じると思うが、先輩格の在日カレン難民は、後輩の面倒を見てあげてほしい。

2010年8月16日月曜日

(826)いよいよ第三国定住受け入れ

(2010年8月16日)
  「難民に第二の故郷を/長野の市民が支援団体設立」という記事が8月11日共同通信社より配信されたが、その内容を全難連経由で入手したのでお知らせする。本件は8月25日、国連大学本部でUNHCR主催、外務省、法務省後援のシンポジウムで明らかになると思われる(詳細はあすのブログで)。さて、共同通信の記事によれば、来日するのは6家族32人のカレン人、東京で半年間の日本語研修などを終えたあと、長野県松本市に来てもらい、市民らが結成した「信州発国際貢献の会」(会長:滝沢三郎氏)が日常生活を応援するという地方都市では珍しい国際貢献の試みとして注目を浴びている。滝沢会長は松本近くで生まれ、2008年まで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日代表を務め、日本政府に第三国定住を推奨、退官後高校の同窓生らに呼びかけ自治体との連携を図って同会を創設した。

2010年8月15日日曜日

(825)ビルマ今週のニュース(1030号)

(2010年8月15日)
  きょうは終戦記念日、アクセスカウンターによればこのブログへの来訪者はあと350人で30000人、8月24日頃にこの大台に到達する。さてBURMAINFOからのニュース(1030号)を抜粋。 ★総選挙は11月7日と発表。スーチー氏の収容期限が早くて11月13日なので選挙前の解放はない見込み。 ★下院の定数は440で、110は選挙を経ずに軍人割り当て枠、結局330が選挙で、一方上院の定数は224で、56が軍人割り当て枠、残り168が選挙となる。 ★登録申請した46の政党の内40が認められたが、「民主党」は警察が党員を脅しているとし選挙管理委員会に苦情を訴え、「連邦民主党」の議長も政治活動が自由に出来ないことを理由に辞任。 ★88年8月8日に起きた大規模な民主化運動とそれに対する弾圧から22年、8月8日に都内で千3百人がデモ行進。選挙を正当と認めないよう訴えた。

2010年8月14日土曜日

(824)ビルマの総選挙は11月7日

(2010年8月14日)
  きょうの朝日朝刊に「公正な選挙、高い壁」、「軍人に特別枠/新党排除へ登録料」、「ミャンマー11月7日総選挙」の大きな見出しが並んでいた。軍政が2003年に発表した独自の「民主化プロセス」の一環であり軍政に終止符を打ち、民主化に踏み出すとの位置づけとなる。440人の下院と224人の上院からなり共にその4分の1が軍人枠で、スーチー氏を排除した形で3月に政党登録が始まり、不参加を決定したNLDは解党になった。現在の登録政党は親軍政側が連邦団結発展党、88世代学生青年党など13団体、民主化勢力側は連邦民主党、民主党、国民民主勢力、カレン民族党など約10団体だが、軍政側は民主化勢力には千人の党員登録と候補者1人当たり4万円の登録料の支払いを義務付けた。(以上概要)このような不公正な選挙戦でも民主化が進んだといえるのだろうか。11月7日に注目しよう。

2010年8月13日金曜日

(823)4回目の収容という話が

(2010年8月13日)
  全難連(全国難民弁護団連絡会議)及び難キ連(難民・移住労働者問題キリスト教連絡会)の情報によれば、難民認定申請者が再収用、再々収容、再再再収用(収容4回目)された例が出てきているようだ。西日本入国管理センターでのハンスト(675)(696)に続き牛久の東日本入国管理センターでも(744)(745)ハンストが実行され、その成果として収容期間が短縮され、仮放免も出易くなったと聞き、素晴らしいことだと思っていた。ところが今回の情報によれば、複数回の収用が目立つようになり、中には仮放免後2ヶ月で4度目の収容となった難民申請者がいるとのこと。入管は世論に押されて収容期間を短縮したが、その代わり、収容の頻度を上げているとしか思えない。短期的に出し入れして、生活や精神状態を不安定化させて在留を断念させる方針をとっているのではないかと疑いたくなるような話だ。

2010年8月12日木曜日

(822)難民認定審査の処理期間

(2010年8月12日)
  全難連からの「難民認定審査期間」に関する資料を抜粋して紹介する。難民一次申請についての平均処理期間は、03年:304件、210日、07年:483件、408日、08年:831件、472日、09年:1725件、2010年1-6月:395日。不認定者が異議申し立てをした場合の1次申請からの処理期間は、03年:204件、365日、06年:139件、545日、07年:187件、602日、08年:317件、766日、09年:238件。出典が各年統一されてないが、年とともに件数及び処理期間が増える傾向が分かる。一次審査が今までまあ1年1-3ヶ月かかり、異議申立て期間を入れると1年半から2年かかっていたことになる。私が面会していて、ここ1-2年難民申請者が減っているように感じる。(797)で報告したように、法務省は6ヶ月で結論を出すと発表したが、今年上半期でも13ヶ月を要しており、6ヶ月説は本当に可能?

2010年8月11日水曜日

(821)ますます増えそうな水曜日の出会い

(2010年8月11日)
 私が上京する日は原則水曜日だけだ。この状況を周辺のビルマ人が利用するので、水曜日が多忙となる。去年までは日曜日も上京して午前中は秋葉原のミンガラ日本語教室に、午後は巣鴨の大瀧会長の自宅にいたので、用のある方はどちらかで会うことが出来た。しかし私の体調の都合で日曜日のデートは中止せざるを得なくなり、必然的に水曜日に予約客が集中するようになった。きょうは女性4人男性1人と楽しい雰囲気で面会が終わったが、問題はそのあと。ビルマ人男性一人が1時過ぎに収容され、一緒に付き添っていた姉と妹から、すぐ私宛に連絡が入った。ここしばらく減少傾向にあったビルマ人グループも、なんだか増加傾向に変わってきたようで、結果として水曜日に出会うビルマ人も増えそうだ。収容された場合、一番大切で急ぐのは保証人探し、加齢のため私がお手伝いできないのが申し訳ない。

2010年8月10日火曜日

(820)「ビルマ関連新聞見出し一覧」が完成

(2010年8月10日)
  既に(785)でビルマ関連新聞見出しの一覧表の件が朝日新聞に大きく載ったことを紹介したが、そのおかげで一覧表の作成が急がれた。一応7月末日には完成したが、はてさて大事な記事、即ち8888事件関連の記事がないと価値が半減することに気付き、急遽7頁に亘る記事を継ぎ足した。このため完成がやや遅れ、今日(8月10日)10冊が出来上がった。もっともこの種の一覧表は日々増加するので、厳密には「完成」ということは出来ない。まあ1年に1回追加分を発行できればいいかなと思う。今年12月にはビルマの総選挙があるので、来年分も結構記事が集まるのでは。ところで、この小冊子(約100頁)が出来上がるにつれ、気になったのが余白の処理、内容が硬いので、柔らかいイラストをと思い、ビルマの幼稚園と小学1年生の教科書からいくつか採用した。でもこういうのって著作権はどうなってるの?

2010年8月9日月曜日

(819)ビルマ今週のニュース(1029号)

(2010年8月9日)
  BURMAINFOからのニュース1029号から抜粋。 ★ビルマ選挙管理委員会は30日NDF(国民民主勢力)の幹部4人に対し、過去に問われた反逆罪について赦免を求める申請をしなければ立候補を認めないと通告(90年の総選挙で4人は当選、軍政に代わる政府を樹立しようとしたことが反逆罪)。4人は対応を検討中。 ★5月にUDP(連邦民主党)を結成したピョーミンテイン氏は、自由な政治活動が出来ないこと、政治囚の解放が進まないことを理由に党の議長を辞任。 ★ビルマ防衛省のミンスエ中将が12月に全国で警備を強化するよう指示、総選挙は12月か? ★米国で先月成立した金融規制改革法で、天然ガス開発を行うシェブロンはビルマ政府への支払いを公表しなければならない。 ★野生生物保存協会はカチン州フーコン谷全体を虎保護区にした。従来の3倍の面積。虎サミットはロシアで開催。

2010年8月8日日曜日

(818)今日は8月8日だ 22年目の

(2010年8月8日)
  いま私は1988年の7~9月の朝日新聞のビルマ関連記事の見出し集を作成中。既に1996年から2010年までの見出し集は完成し、一部の方には見ていただいたが、何か物足りないなと気が付いたのが88年8月8日のころの記事。ビルマ問題を論じる場合、どうしても欠かすことが出来ないのがこの88事件。これがないと「画竜点睛を欠く」の感がする。幸い、ビルマ愛好家の佐々木英憲氏が当時の新聞切抜きを保存されており、その一部をだいぶ以前に戴いたことを思い出し、早速本棚の奥から見つけ出した。この88年7~9月分の「見出し集」を第一部とし、第二部は96年~2010年の「見出し集」、両者を合本して発行することに変更。今日は日曜日であり、大勢の在日ビルマ人が、午後2時に五反田南公園に集合し、ビルマ大使館前をデモ行進する予定だ。主なスローガンは、「軍政による総選挙反対!」。

2010年8月7日土曜日

(817)難民申請保護費 共同の記事から

(2010年8月7日)
  共同や時事の記事で地方の新聞に送られたものは、なかなか把握しがたい。8月5日の記事は次の通り。タイトル:「2回目からは不支給/難民申請保護費で外務省」。難民認定を申請中の外国人の生活を支援する「保護費」について、今月1日から難民申請が2回目以降になる人への支給を打ち切った。予算不足のためだが、申請を繰り返してやっと難民認定されるケースもあり、支援者は反発している。同省は、従来8万5千円程度支給していたが、近年その数が高止まりしており、対象を絞らざるを得ない状況という。これまで保護費を支給していた2回目以降の申請者についても今月から支給を打ち切った。外務省は10年度保護費予算として2億6千万円を計上したが、従来どおりの支給を続ければ足りなくなるという。昨年も支給対象者を一時制限したが、その結果ホームレス状態になる難民申請者が相次いだ。

2010年8月6日金曜日

(816)今週のデートは? やっぱり多忙

(2010年8月6日)
  4日のデートの日は相変わらず忙しかった。朝9時45分に津田沼駅でビルマ人のNさんと待ち合わせ、駅構内の喫茶店で知人の保証人の件で相談、彼女に保証金を渡した。彼女は日本の生け花に興味を持っており、友人の結婚式に使う花束などを作っているとのこと、楽しそうに語っていた。1時間後、彼女は牛久の入管へ、私は品川の入管に向かった。品川入管では、先週まで女性2人と面会していたが、今週から1人増えた。このニュースは電車の中で知り、連絡してくれたビルマ人は私の席順を確保していてくれた。今回収容された人は昨年の2月まで中にいたので私もよく知っている女性だ。僅か1年6ヶ月で再収容というのは気の毒であり入管の今後の姿勢が気にかかる。面会終了後、6階で保証人変更の書類を確認、バスで品川駅に戻る。品川駅ではKさんと会って、仮放免延長の書類に署名してあげた。

2010年8月5日木曜日

(815)珍しい! 写真集「ゾウと巡る季節」

(2010年8月5日)

  写真集「ゾウと巡る季節」の副題は「ミャンマーの森に息づく巨獣と人々の営み」、2010年3月発行、著者(写真と文)大西信吾氏、発行彩流社、161頁、3990円。内容は雨季、涼季、暑季(ミャンマーは3シーズン)の3部に分かれており、それぞれの季節ごとに、山の中で働くゾウと、そのゾウを世話する人間(ゾウ使い)の営みをカラー写真でまとめたもの。ゾウは人間の気持ちがよく分かる動物で、若いゾウを最初の間は訓練するが、あとは密林の中で自由にさせ、仕事があればそのゾウに会うべく山に入り再会するシステム。我々はすぐ重機の出番と考えてしまうが、彼らは自然を巧みに使う。実は私の家の居間には、ゾウが川の中を巨大な丸太を運ぶ大きな絵が飾ってあり、作者はTHAUNG NYEIN氏。12年前にビルマ人女性のYさんから戴いたもので、毎日眺めてはいたがこの写真集を見て興味が湧いてきた。

2010年8月4日水曜日

(814)ビルマ今週のニュース(1028号)

(2010年8月4日)
   BURMAINFOのニュース(1028号)から抜粋。 ★軍政トップ・タンシュエ上級大将が25日からインドを公式訪問、27日にはシン首相と会談、両国はインド北東部の反政府武装勢力の取り締まりなど5つの文書に調印、インドはビルマの鉄道や通信インフラ整備等への信用供与や無償資金供与を約束。 ★北朝鮮の朴宣春外相が29日からビルマを公式訪問、ラングーン事件後初めて。 ★タイは30日、ビルマのマルタバン湾にあるM9鉱区からの天然ガス輸入について調印。 ★第三国定住制度の下、タイのメーラキャンプで暮らすカレン民族の6家族32人が9月に来日、3年間で90人の予定。 ★岡田外相はベトナムで軍政のニャンウイン外相と会談、自由で公正な選挙とは言いがたいと発言。ニャンウイン氏は「スーチー氏が議員になれないとは憲法に書いてない、氏が釈放されれば選挙に参加可能」と発言。

2010年8月3日火曜日

(813)きらく会の集い 卵の話し

(2010年8月3日)
  「きらく会」というのはライオン研究部にいた13人が中心となって20年前に立ち上げたOBグループ、毎年3・4回の会合を開いており、昨日も銀座で開催、8人が出席した。80歳の爺ちゃん連の話題は、専ら健康問題であるが、昨日はこの他に政治問題(特にみんなの党問題)などに皆気炎を挙げていた。この会のよい点は、みんな技術者育ちのためか、比較的高尚な議論に終始することである。下ネタの話などまず出てこない。例えば昨日はゆで卵を輪切りにしたご馳走が出たが、誰からとなく、ぬるぬる、ねばねばしたゆで卵は食べない方が良い、多少匂うのも避けるべしという技術論に終始した。私は10年前、ヤンゴンの友人の店でビルマ市民に卵を売ったことを思い出した。1個8チャット、「ゼーポーデー、アーペーバー(安いよ!買って!)」と叫び続けたが結局一つも売れなかった。卵に関する思い出の一つだ。

2010年8月2日月曜日

(812)総選挙に対する各界の発言

(2010年8月2日)
  BURMAINFOからの情報。 ●現状では地獄で雪が降る確率の方がビルマで自由で民主的な選挙が行われる確率より高い(ツツ大司教)。 ●極めて非民主的な選挙になるのではないかと強く懸念する(日本の国会議員87人がタンシュエ議長に出した書簡) 。 ●軍政側は落選したら、国や政府が変わるだけでなく、自分はどうすれば良いのか、どの刑務所に入れられるのか、自分の子どもや宝石や財産はどうなるのかと考えているのではないか(リー・シンガポール首相)。 ●ミャンマーは世界最貧国の一つであり、選挙の実施は困難。しかし、総選挙は国家的和解や民主主義にとって非常に重要な一歩であると考えている。(李中国国連大使)。 ●総選挙はそもそも不正で茶番なのになぜ「選挙監視団」を送るのか? まるで子どものお遊びだ。(ロムロ・比外相)(以上概要)。わが意を得たりという論評が多くあった。

2010年8月1日日曜日

(811)「ビルマ関連記事見出し集」完成 でも2冊だけ

(2010年8月1日)
  標記の「見出し集」はマニフェストどうり昨日(7月末日)完成した。でも部数はたったの2冊・・・・。というのは更に追加したい資料、「88年7月~9月」の切抜きを書棚の奥で発見、どうせならより充実したものに仕上げたいからだ。昨日完成したのは96年から2010年までの実質14年間の記録であり、それなりに有用と思うが、ビルマ問題を語るときに欠かせないのが「8888」事件前後の動向、幸いこのたびそれらの原紙が見つかったので、なんとしてでもこの「見出し集」に追加したい。このため正式な発行はあと2週間ほど遅れるが、ご容赦をいただきたい。一方、気になるのが発行部数、前回の「自分史」は29部印刷してすぐなくなった。今回のものは、ビルマ問題に関心がなければ「紙くず篭」直行疑いなし。まあ進呈先は同志20人位を予定したい。なお、この「見出し集」は本年末の「総選挙」問題も取り上げる予定。

2010年7月31日土曜日

(810)インドはビルマとの関係を改善せよ

(2010年7月31日)
  昨日はインドとビルマの首脳同士の会談を論じた。お互いに思惑を持った上での首脳会談であり、29日には会談を終えた。ヒューマンライツウオッチは「インドはビルマに対して人権尊重を強調すべきだ」と述べた。「インドは残念ながら反対勢力指導者アウンサンスーチー氏らビルマ民主勢力への支持を控えている」、「NLDは90年の総選挙に勝利したものの政権に着くことはなく10年3月にはきわめて過酷な総選挙法に基づき政党登録を解除された」、「ビルマの選挙プロセスについてインド政府から正式な形での批判はほぼ存在しない」、「インドは中国の浸透に対抗する努力が失敗したのに、ビルマの政治や人権に係る問題についての発言をいまだに犠牲にしている」、「インド政府はビルマに武器を提供する北朝鮮や中国のような常習的な人権侵害国家と同一視されることに不快感を覚えるべきだ」と述べている。

2010年7月30日金曜日

(809)国賓待遇は日本でもインドでも

(2010年7月30日)
  7月28日の朝日新聞はビルマ軍事政権トップのタンシュエ国家平和発展評議会議長を国賓として厚遇している。同議長は25日から5日間の予定でインドを訪問しており、年内に予定されている総選挙にインドからお墨付きを得られれば訪問は大成功である。また、インド企業はミャンマー沖のガス田開発に多額の投資をしている。ビルマに対しては既に中国がインド洋からの補給ルート確保を目指して軍政に急接近しており、危機感を抱いたインドが軍政との関係改善へ舵を切っている。国際人権連盟は「人権問題を省みずに軍政と係るのは世界最大の民主主義国としてふさわしくない」と批判(以上概要)。日本でも某国の某女史を国賓待遇で招待したが、その成果たるや中国やインドとは月とすっぽん、日本の政治力は明らかに落ち込んでいる。日本政府は、対ビルマ政策をどのようにして活性化しようとしているのか。

2010年7月29日木曜日

(808)あと2日で発行しなきゃ

(2010年7月29日)
  あれれ大変だ、今月はあと2日しか残っていない。私のマニフェスト(802)によれば「ビルマ関連新聞記事見出し一覧表」は7月中に完成と公約してある。民主党や自民党のマニフェストには嘘っぱちが多いと言われているが、私は有言実行派、あと2日で何とかしたい。「自分史」や「会報」の場合は全面的にプリンターが活躍したが、今回はもっぱらコピー機で印刷する予定。我が家のコピー機はキャノンのDPC960という家庭用にしてはちょっともったいない高級デジタルタイプ、原稿のほうは、既に14年間、2900件の記事見出しを90頁にまとめ上げており、あとはこの2日間の印刷作業を待つだけ。表紙は「暗雲」をイメージした暗いもので、ビルマの行く末を意味している。取り急ぎ10部ほど製本しその1・2部を8月2日のきらく会(ライオン時代の仲間10人の集まり)に持参し紹介したい。この二日間はねじり鉢巻だ。

2010年7月28日水曜日

(807)やっぱり慌ただしい水曜日

(2010年7月28日)
  今日は水曜日、普段は6時半ごろに起きるのだが、今朝は5時半に起きて「ビルマ問題の新聞記事見出し一覧集」のうち、昨日遣り残した2004年度分までのフッダーを付け加えた。10時半にバスに乗り津田沼経由、品川の東京入管へ。予定していた女性2名、男性1名と面会、いずれも大笑いのうちに終了。面会控え室に戻ると顔なじみのビルマ人女性Aさんが近づいてきて、新たに男性2名(兄弟)が昨日収容されたという。そうこうしていると、やはり顔なじみのBさんが泣きながら顔を出し、彼氏が昨日収容されたので身の回りの品を差し入れるという、ほとんど同時にCさんが面会室にやってきて、在留資格が「特定活動」から「定住」に変わったので保証人になってほしいという。喜ばしいことなので判を押す。今日のゴタゴタの印象では、折角減り出したビルマ人の収容が増えだすかも。今しばらく様子を見る要がある。

2010年7月27日火曜日

(806)入国者収容所施設視察委員会の概要

(2010年7月27日)
  7月1日施行の入管法により、標記の委員会が発足したことをこの欄で報告したが、全難連児玉弁護士のほうから詳細が伝えられてきたので追記する。委員会の構成としては東日本、西日本各10名の委員によって構成される委員会が二つできる。構成員は弁護士、医師が東西とも2人ずつ参加し、国際機関の方も入っている。これを受けて、収容施設には、「提案箱」が設置され、被収容者は自由に処遇等に関する意見を書いて投函できる。この箱は鍵がかけられていて、委員の手元に届く。翻訳の際入管職員の目に触れる可能性はあるが、まずは活用したい。被収容者から処遇に関し苦情があれば活用するように言ってほしい。委員は1年に1回か2回収容所を視察し、その際被収容者から話しを聞く機会もあるので、活用してほしい(以上概要)。この連絡により、実態が明らかになってきた。だいぶ進歩した感じだ。

2010年7月26日月曜日

(805)ニーゲーさん兄弟の活躍ぶり

(2010年7月26日)
  皆さんのなかには、 12年ぐらい前に「ミンガラ日本語教室」で勉強していた ニーゲーさん、テイテイさん兄弟を覚えておられるかしら。ニーゲーさんはこの教室で1級の資格を取っているが、何しろクラスの人気者だった。彼らが台湾に移ってから台北で日本式そばやを開店、一時北京に店を移したがここでは続かず再度台北で挑戦、調子がよい旨の連絡を戴いていた。その矢先テレビでも取り上げられた旨のメールが入った。早速 youtubeを開いて鑑賞した。アナウンサーの声は当然ながら台湾語なので分からないが、画面に浮かぶテロップの文字でだいたいの意味は推測できる。原料を日本から取り寄せ、日本で本格的に学んだ技術を駆使しており、客の評判も上々のようだ。冷やしそばが美味しそうだった。
  

2010年7月25日日曜日

(804)みんがら会報への投稿

(2010年7月25日)
  実は今日が「みんがらネットワーク会報32号」の原稿締め切りの日だ。原稿締切日というと気になるが、あらかじめ編集担当のSさんには数日の猶予をお願いしてあるので、何とかなるだろう。今回は恒例の「ミャンマー関連の新聞記事」の32号を予定しており、昨日原稿が出来上がり発信すればOKの状態。問題はこのテーマに付随するのだが、もう一つのテーマ、例の朝日新聞に掲載された「ミャンマーに関連する新聞記事の見出し一覧表」についての補足文章、こちらが遅れている。普通の生活で14年間というと、とてつもなく永いが、歴史という観点からすれば「ホンの一瞬」であろう。ただ今年暮れにはミャンマー(ビルマ)が軍事政権から民政政権に変わる変革の年になることは間違いはない。しかもこの変革は国民を踏みつけた上での変革であり、「歴史」という観点からこの貴重な体験をしっかりと見つめたい。

2010年7月24日土曜日

(803)理解しにくい USDAとUSDP

(2010年7月24日)
  ビルマの人口は一説によると5900万人、そのうちUSDA(連邦団結発展協会、俗称チャンプッ)の会員は2400万人という。そのUSDAはこのたびの選挙を前にしてUSDP(連邦連帯開発党)に組織を変えたという。とすると党員2400万人もの一大政党が出現したことになる。こんなことって有り得るのか。たまたま7月23日のヒューマン・ライツ・ウオッチからも私と同じような疑問が発せられていた。例えば、「軍政による統治の未来像の台本が臆面もなく書き進められている」という。ビルマ軍政は1993年にUSDAを創設し、社会福祉団体として登録したものの、1993年のディベーイン事件の張本人であり、97年のいわゆるサフラン革命事件でも僧侶に暴行を加えたグループとされている。10月といわれる総選挙の結果は既に明らかであり、USDPは反対勢力と思われる他党に対しことごとく排除するであろう。

2010年7月23日金曜日

(802)「新聞見出し集」はまもなく完成

(2010年7月23日)
  7月6日の朝日新聞に掲載された14年間の「ミャンマー関連新聞記事」の整理をこれからじっくり時間をかけて進めて行こうと思っているが、何はともあれ必要なのがその見出しと掲載日を整理した一覧表。「みんがらネットワーク会報」に毎号掲載してきたが、抜けている部分が結構あり、この1ヶ月間ほぼ掛かりきりでこの一覧表の作成に挑戦、やっと目鼻がついてきており、あとは若干の微調整のみ。当初の予定通り7月末には90頁近い小冊子が完成すると思う。ざっと数えて2900件の切り抜きと睨めっこしながら、この猛暑の中、よくぞ頑張ったものと思う。この一覧表が完成すれば、後はテーマを決めて時系列的に問題を抉り出せば、新しい視点のエッセーができるかも。この小冊子は、まもなく発行できると思うので、ビルマ問題に関心のある大勢の方々にも見て頂きたい。「継続」の素晴らしさが何となく分かってきた。

2010年7月22日木曜日

(801)難民弁護団が見た昨年の10大ニュース

(2010年7月22日)
  全国難民弁護団連絡会議(JLNR)からの情報によれば、2009年度の10大ニュースは下記の通り。◎難民審査参与員の大幅な増員 ◎アフリカ出身の難民認定申請者数が増加 ◎難民認定数/難民認定率が大きく減少(一次手続きの難民認定率は1%前半) ◎人道配慮による在特が増加 ◎難民申請者の困窮が深刻化 ◎第三国定住の受け入れ準備 ◎庇護希望者の収容が増加 ◎裁判準備中の庇護希望者を本国に強制送還 ◎人道配慮「特定活動」のビルマ出身男性が自殺 ◎政権交代で積極的な難民政策への転換の期待が高まる。以上であるが、原文にはそれぞれ簡単な解説がついており、理解しやすい。問題は、最後の政権交代による期待感の高まりであるが、結果は余りにもお粗末であり、参院選惨敗は当然と思う。2010年度の10大ニュースにはどのように表現されるのであろうか。

2010年7月21日水曜日

(800)やったあ、800号だ!

(2010年7月21日)
  私のブログ「U MINGALARのつぶやき」は2008年5月19日に始まっている。そのときのタイトルは「(1)避けたい力の分散、矮小化」というもので、在日ビルマ人による民主化運動は、一つの旗(シンボル)の下に団結すべきというもの。2年2ヶ月経過したが、団結の声は聞こえず、年末の総選挙で民主化運動の結末が明らかになりそうだ。私たち日本人は65年前に軍事政権の末路を目の当たりに経験した。その貴重な経験を生かしきれぬまま、今度は民主化運動の末路を目の当たりにしなければならない。ただ2007年のサフラン革命のときにビルマ民衆が見せた民主化への悲痛な叫びは、今後地下にもぐり、マグマとなって地上に現れるはずだ。そのときはいつだろうか? このブログが1000回のとき、あるいは2000回のときだろうか。それまではこのブログを続けたいし、在日ビルマ人も一緒に頑張ってほしい。

2010年7月20日火曜日

(799)「平和の翼」第9号を読んで

(2010年7月20日)
  私は在日ビルマ人を中心に難民支援活動を続けている。そのうちの「ミンガラ日本語教室」と「在日ビルマ難民たすけあいの会」は、昨年医師から「黄色靱帯骨化症」と診断されてから活動を停止した。今はこの病気のためか、あるいは単なる老化のためか、はたまた暑さのためか、歩行が困難となり、極端に疲れるようになった。現在はそれでも毎週一回品川入管での面会活動を続けているが、情報入手量が極端に減っている。そんな時、アウンミャッウィンさんらの「平和の翼ジャーナル」は貴重な情報源となっている。今回入手した第9号には、山村先生の「第三国定住の功罪」が私の日ごろのもやもやを吹き飛ばしてくれた。また東西入国管理センターの田中氏、辻田氏による収容施設内での非人道的対応、特にハンガーストライキの詳細と成果について詳しく述べられており心を打つものが多くあった。次号も楽しみだ。

2010年7月19日月曜日

(798)ビルマ今週のニュース(1027号)

(2010年7月19日)
  BURMAINFOのニュース1027号から抜粋。 ★総選挙に参加予定の各政党はUSDPを除き様々な制約を受けている。党員を募り政策を説明するための集会には事前許可が必要であり、集会には警官や情報局員らが来るので参加者は怖がって立ち去る人も多い。一方、候補者は一人50万チャット(約500ドル)を収めねばならず、負担であり、市場での寄付金集めは禁止。現在43の政党が総選挙に参加する予定。 ★総選挙は10月ではなく12月説も出ている。 ★軍政の翼賛団体USDAは段階的に廃止され、政党であるUSDPに吸収される様子(国営紙はまだ発表していない)。 ★スーチー氏の元側近で政治囚として14年間収容されていたウィンテイン氏(68)が解放された。NLDのウィンティン氏(80)とは別人。 ★選挙管理委員会はNLDの元党員が設立した新党NDF(国民民主勢力)の登録を認めた。

2010年7月18日日曜日

(797)難民認定 6ヶ月で結論

(2010年7月18日)
  おととい(16日)の産経新聞に、「難民認定、6ヶ月で結論」の見出しが躍っていた。遅まきながら一つの朗報であろう。法務省は難民の法的地位を早期に安定させるために、来年3月末までに難民認定審査に期限を設け、最長6ヶ月とする方針を発表した。今年1~6月に審査を終えた案件の平均審査期間は約13ヶ月で、半減以上の大幅短縮になる。法務省は審査期間の短縮に向けUNHCRとも連携し、申請者の出身国などに関する情報収集態勢の強化や、難民調査官の研修充実などの準備を進める。また、今月から3カ月おきに平均審査期間を同省HPに掲載する。難民認定の申請は、19年は816人だったが、ミャンマー難民の増加などで21年は1388人。申請者の急増に伴い審査期間が長期化しているという(以上概要)。このような方針転換は望ましいが同時に無期限の収容についてもぜひ改善してほしい。

2010年7月17日土曜日

(796)デートの日のMMさんとの会話

(2010年7月17日)
  3日前の水曜日、私は例の通り品川入管にいた。12時過ぎから座っていると、見たことのあるビルマ人が横に来た。話しているうちに10年前にミンガラ日本語教室から健康診断に行ったときに通訳をしてくれたMMさんだった。彼は最近のビルマ情勢、特に総選挙の問題について熱く論じてくれた。USDA(軍政の翼賛組織)からUSDPに変わったいきさつ、NLDから分裂したNDFに対する批判、DBPがキンニュン系であること。ネーウインの残党も出ているなど。たまたまきょう(17日)の新聞にはUSDAが6日に解散してUSDP(党首テインセイン首相)がすべてを引き継ぐことになったと記載されていた。USDAは2003年のディベイン事件を引き起こしたとされるグループであり、MMさんによれば2400万人の会員がいる巨大なグループ、これが選挙に出れば勝敗は既に明らかだという。まことに奇妙な選挙となろう。

2010年7月16日金曜日

(795)書籍「閉ざされた国ビルマ」②

(2010年7月16日)

  昨日に引き続きこの本の書評を・・。序章で「ビルマ」か「ミャンマー」か、この国の国名を最初に取り上げているが、うまい導入方法だと思う。結局筆者は「ビルマ」が正しいとしているが、現在のビルマの諸問題の一端がこの国名問題にも現れている。参考までに、私も「ビルマ」を使うことが多い。ビルマでは民主化運動の陰に隠れているが少数民族闘争もあり、筆者はその代表例として「カレン民族」を取り上げている。ビルマ族対カレン族の闘争に彼自身が従軍し、また国境の難民キャンプにも何回も潜入しており、二つの民族の対立の原点をやさしく解説している。次章では、筆者が厳しい監視の目をかいくぐり、軍事政権下に生きる庶民を訪ね歩いた様子が記されている。筆者の文章力は明快で分かりやすく、その上得意の写真をふんだんに活用しているので、最近のビルマ紹介本としては最高レベルのものであろう。

2010年7月15日木曜日

(794)書籍「閉ざされた国ビルマ」①

(2010年7月15日)
  私がいま読んでいるのは「閉ざされた国ビルマ」、宇田有三著、高文研、2010年1月発行、238頁、定価1700円。副題として「カレン民族闘争と民主化闘争の現場を歩く」と記載されていた。著者は著名なフリーランス・フォトジャーナリストで、軍事政権、先住民族、世界の貧困などを重点的に取材し続けてきた活動家である。この本の構成は、序章:「ビルマ」か「ミャンマー」か 第1章:カレンの人々 第2章:軍事政権下に生きるビルマの人々 第3章:ヤンゴンからビルマ最北端の村へ とあり、得意の写真で随所に花を添えている。見知らぬ海外の事情を説明するには写真が有効であり、特に人物写真は一瞬に周辺の情景を判断できる。本書ではすべてモノクロ写真であるが、もしカラー写真だったらさらに価値を高めたであろう。文章も平易であり読みやすい。あすも引き続きこの書籍を取り上げ、読後感など記したい。

2010年7月14日水曜日

(793)入国者収容所等視察委員会とは

(2010年7月14日)
  昨日に続き入管法施行規則の改正のうち、私が関心を深めている入国者収容所等視察委員会について述べる。この委員会は、毎年最初の委員会の会議で、収容定員、収容人員、貸与、給与品の授与の状況、衛生・医療上の措置、規律・秩序の維持、面会・通信の発受、被収容者からの意見・申し出、被収容者からの意見聴取の状況などを書面でまとめ報告する。その他については不明な点もあり、今後の動向をチェックする要がある。たまたまきょう品川入管前でSYIのグループ30人ぐらいが、入管の非人道的対応に反対する旨のビラを配布していた。その要点は、1.難民申請者に対する審査手続きの改善、2.入管職員は名札をつけること、3.医療設備の改善、4.収容環境、処遇実態の改善とオープン化、5.入国「管理」以上の措置を禁じる入管法の改定。これらに対する上記新委員会の活動に期待している。

2010年7月13日火曜日

(792)改正入管法の施行に伴う法務省令の整備

(2010年7月13日)
  財団法人入管協会発行の月刊誌「国際人流」には時々私の活動に関係する資料が記載されている。その276号には、出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律(平成21年法律第79号)のうち一部が本年7月1日から施行されるため、省令も同日改正された。{1}法改正の一部施行に伴う改正、①在留資格「留学」と「就学」の一本化に係る関係規定の整備 ②入国者収容所等視察委員会の設置に係る関係規定の整備 ③上陸拒否の特例の新設に係る関係規定の整備 ④その他。なお資格外活動の許可の取消しの規定が設けられたことに伴い {2}「企業内転勤」の基準の見直しに係る規定の整備 {3}資格外活動許可の規定の整備 {4}仮滞在許可の期間の伸長に係る規定の整備。以上法律用語の羅列で楽しい文章ではないが、私の関心をそそるのは上記②、これについてはあす説明する。

2010年7月12日月曜日

(791)「朝日新聞が見たビルマ問題」の進行状況

(2010年7月12日)
  先日朝日新聞に掲載された私関連の記事の中に、「14年分のビルマ関連記事について、年内をめどに政治や宗教などテーマごとにまとめた冊子を作るつもり」と私が発言した旨記載されていた。「自分史」に続く自己流マニフェストの第2段として、本年12月末までに何とかまとめ上げざるを得ない羽目に。取り上げたいテーマとしていま考えているのは「軍政とビルマ仏教界の深層」、「朝日社説はビルマ問題をどう取り上げてきたか」など。しかしその基盤となる「14年間の見出し集」がまだ出来上がっていない。今までに1996年から01年までの分は整理ができたが、まだ半分にも達していない。頑張らなくちゃ。しかしちょっと引っかかることがある、朝日新聞の「見出し」を集めて一冊にまとめることに著作権の問題は生じないのかしら。早速朝日新聞の著作権担当に電話したところ、「見出し」は関係ない由、ホッとした。

2010年7月11日日曜日

(790)ビルマ今週のニュース(1026号)

(2010年7月11日)
  BURMAINFOのニュース1026号から抜粋。 ★軍政の会計検査局がUSDP(連邦団結発展党)の所有物の目録を作成し、元の所有者を明らかにするする作業をしている。これはUSDPが政府から独立していないように見えるという批判に対応するためで、国の資産を使っていないことを示すため。 ★ネピドーでペストに感染したねずみを発見、またヤンゴンでは複数の住民がペストに感染したが、治療で全員回復。 ★ビルマのICTエンジニア24人が13日から1週間来日。 ★米NGOが軍政の収入源を発表、98年から09年までに90億ドル以上の収入があり、うち46億ドルが軍政に渡った。 ★92~96年に国連のミャンマー人権に関する特別報告者であった横田洋三氏がジャカルタポストに寄稿、軍政による人権侵害は戦争犯罪や人道に対する罪に相当する恐れがあり、国連による調査を実施すべきと述べた。

2010年7月10日土曜日

(789)白い象は繁栄の象徴? 政変の前兆?

(2010年7月10日)
  今回のワールドカップで一躍有名になった南アフリカの占い師、名前は分からぬが体を震わせてド迫力があった。また、ドイツの「たこ」君も大活躍、今まですべてのドイツの勝敗を的中させているという。準決勝での自国の敗退まで的中させたというから只者ではない。ところで7月1日の朝日新聞にはビルマで白い象が発見され、軍事政権は「繁栄の象徴」としてアピールしようとしている。しかし一部報道では「政変の前兆」という迷信もあると報じている。そこで私は数人のビルマ人にどちらが正しいのか聞いてみたところ、全員がニコニコしながら「政変の前兆」の方が正しいと訴えた。たぶんに彼らの願望も入っているのだろう。この象のカラー写真を見ると全体が赤っぽく見え、ほかの象に比べて変わってはいるが、白とはとうていいえない。とすると軍政が望む「繁栄」も在日ビルマ人が望む「政変」も得られないのでは?

2010年7月9日金曜日

(788)意を決してNさんのお見舞いに

(2010年7月9日)
  おととい、品川入管で面会したMさんの言葉が頭に残っている。Mさんの養母Nさんが肝臓を病んでおり、ひとりだけで生活しているという。今まではMさん夫妻が何かと介助してきたが、いまや夫妻で入管に収容されており、残された一人ぽっちの養母がとても心配と涙ぐみながら話してくれた。話を聞くうちにNさん宅は我が家から車で15分ぐらい、しかも10年ぐらい前にチェリービルマ語教室周辺でお会いしたような気がした。昨日3時ごろ家内に頼んで車を運転してもらい、Nさんのアパートへ。何しろ突然の訪問なのでドアを開けてくれるのか心配したが、すぐに開き、お互い一瞬顔を見つめ合ったが、彼女の方から「西田先生!」の一声、身なりもこざっぱりしていてまずまず元気そう、Mさんのこと、10年前の思い出など楽しい話題が続いた。若干のお見舞品を差し上げて失礼したが、逆に美味しいマンゴーを頂戴した。

2010年7月8日木曜日

(787)デートの日はやはり水曜日に

(2010年7月8日)
  この数週間、品川でのデートの日は火曜日に替えていたが、T君が牛久入管に移送されたので、今週から元通り水曜日に戻した。きのうは品川駅構内の喫茶店で10時半からMさんの紹介で、「希望」という在日中国人支援グループの代表と事務局長に会い、収容問題、在特問題につきいろいろ話し合った。その後12時に入管に入り、1時から面会、T君がいないので女性2人だけ、Mさんの養母のことで深刻な話を聞いた。このため同席していたもう一人の女性Kさんと話をする時間がなくなり申し訳なかった。Kさんにも複雑な事情があり、解決のため弁護士に依頼すべきか悩んでいた。この件は先週彼女の親戚(日本人)ともよく話し合ったのだが。このように面会する相手人数が減ったので、それぞれの悩みが次第に分かるようになり、みんな異国で辛い生活を過ごしているのだ。私の出番はまだまだ終わりそうにない。

2010年7月7日水曜日

(786)朝日新聞記事の反響

(2010年7月7日)
  きのうは一日中朝日の記事の件で電話とメールが鳴っていた。朝一番の電話はライオン時代の友人Y君からのもので、私はたまたま習志野市主催の健康診断を受けていたので、家内が対応してくれた。彼は確か四街道に住んでおり、懐かしかったとのこと。その後千葉県在住の知人から続々メールが入った。私は午後家に戻ったので、千葉県以外に在住している知人にメールに添付する形で記事を送信した。その途端、またまた大勢の方から返信を戴いた。それらの中には、「賞金がどこからか貰えるはず」とか、「銅像が立つはず」とか、「西田さんの写真が実によく写っている」とか、結構冷やかしの文章が多かった。しかし、これだけ反響が大きいと年末には、14年間の見出しの整理と、それに基づくいくつかのテーマで記事を整理しなければならない羽目に。まあ年末までに一つ以上の小論文が完成すれば良しとするか。