2010年11月12日金曜日

(914)投票日にメソトへ続々避難

(2010年11月12日)
  2・3日前、私のパソコンのインターネットに友人からメソトの広い通りを並んで歩く大勢のビルマ人の写真が送られてきた。写真の説明はどこにもない。彼らはみな荷物はなく、こざっぱりした服装だったので、まさかカレン難民とは思わなかった。しかし、11月10日の読売新聞は投票日(11月7日)の直後からカレン人を中心としたミャンマー人約2万人が国境の川を渡り、難民となってタイ国境の街メソトになだれ込んだ状況を伝えていた。投票どころでなく命からがらミャワディーの街から逃げてきたという。新聞にはメソトの国境警備隊駐屯地でトラックに乗せられる難民の様子が大きく掲載されていた。国軍は近く少数民族の武装組織に対する大規模制圧作戦を行うという。シャン州の少数民族ワ族を中心とするワ州連合軍は、隣のカチン独立軍と同盟を結んだとの情報もある。友人のカレン人は涙が出そうな事件という。

2 件のコメント:

  1. 全くカレン人にとっては痛恨の極みですな。
    隣国タイの「難民受入れ」に少し救われるけど…。
    K.A.

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  2. k.a.さん
    結局一部を残して大部分のカレン人は帰国した様です。でも行ったり来たりでカレン人は気の毒です。(N)

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