2008年5月31日土曜日

(19)恥ずかしい! タナカの思い出

(2008年5月31日)
 今朝の朝日新聞に「アジアの街角」という欄があり、その中でビルマの女性が顔に塗る「タナカ」という化粧品が紹介されていた。「タナカ」という樹木を砥石ですりおろし、少量の水で泥状に溶かして顔に塗る。日焼けから肌を守り、美白効果があるという。私も最近年に1回塗ってもらっている。というのは、飛鳥山公園で行われるビルマの正月を祝う「水かけ祭り」で、教室の出店でこのお化粧サービスが行なわれているからだ。私は生徒に頼んで、頬に丸い形だの、葉っぱの形のお化粧をしてもらってる。去年、お祭りも無事終わり、意気揚々王子駅から電車に乗り込んだが、前の座席のご婦人たちの視線が何か気になる、チラリチラリとこちらに。上野駅で新たに乗り込んだ女子高校生も同じだ。ここでやっと気がついた。私の顔には葉っぱ型のタナカが・・・・。御徒町駅で慌てて下車して洗面所に直行。乗客は私の顔を見てどう思っていたのだろうか?

2008年5月30日金曜日

(18)見た! ランボー最後の戦場

(2008年5月30日)
 今日家内と一緒に船橋ららぽーとにある映画館で「ランボー最後の戦場」を見た。ランボーがタイ・ビルマ国境で暮らしていたところ、迫害を受けているカレン人に医薬品を運ぶキリスト教宣教師の一行と会い、同行する。しかし彼らが政府軍に逮捕されたことを知って、5人の傭兵と共に敵地に乗り込む。だが、政府軍の残虐行為を目の当たりにした傭兵たちは撤退を考えるが、ランボーはリーダーに矢先を突きつけ、「無駄に生きるか、何かのために死ぬか、お前が決めろ」と叱責。その結果傭兵たちはランボーと共に敵陣に乗り込み、捕らわれた宣教師一行を救出するというストーリー。ランボーの活躍が目立つが、殺戮場面があまりにも多く、見ていても体が硬直する感じ。東京のカレン民族の方々がこの映画を見れば、あらためて怒り心頭に徹するだろう。そして残念ながら、政府軍によるカレン住民の追い出しや家の焼き払いなどは、今日も行われているという。

(17)ビルマ問題 週刊誌が面白い

(2008年5月30日)
 私はあまり週刊誌など読まない。その代わり新聞は熟読玩味している。朝の食事中、テレビの報道番組を見ながら朝日新聞を約1時間眺めている。ということはテレビも1時間見ていることになる。何を食べたかはいつも定かではない(家内には内緒)。だから週刊誌の内容は新聞の広告欄で知るだけ。今週、2冊の週刊誌にミャンマー問題が掲載されていることを知って、駅売店で買ってきた。1冊は「アエラ」(5月26日号)。際立った日本の対ミャンマー積極支援、独自外交復活目指すというもので、サイクロン発生直後の日本政府の初動の速さを伝えている。他の1冊は「NEWSWEEK」(5月28日号)で、軍政を変える地下NGO という表題で、サイクロン被害の救済に当たるビルマ国内の民間団体が軍事政権の支配を弱める原動力になるかもしれないというもの。新聞では知りえない面白い切り口だ。

2008年5月29日木曜日

(16)チョートゥーさん 頼みますよ!

(2008年5月29日)
 私は先日、日本の友人50人に当会のたすけあい基金への寄付金をお願いした。その直後にビルマのサイクロンによる大被害のニュースが飛び込み、そちらの義捐金の寄付も追加してお願いした。ありがたいことに、大勢の友人に賛同していただき、思いかけずたくさんの寄付金を頂いた。もちろん会員各位の努力もあって、寄付金の第1陣として70万円を送ることになった。しかし、被災者に直接届ける方法については会員のみんなが頭を悩ませており、タイ国境の医師グループや大阪の仏教救済センターとのパイプのあるPFBにお願いする案など出たが、結局ビルマの著名な俳優チョートゥー氏のルートで送ることになった。たまたま今日、成田から日本の医療チームが出発したので、現地は次第に落ち着いてくると思われ、送付にはよいタイミングだったかもしれない。

2008年5月28日水曜日

(15)女性にも活躍の場を

(2008年5月28日)
 最近女性の社会進出がいろんな場面で叫ばれているが、総体的に日本は遅れている。アメリカではヒラリー女史が、ビルマではスーチー女史が頑張っているが、もし日本で小渕(お嬢さんのほう)総理や小池総理が出現すれば、すごく面白い社会になるだろう。もっとも我が家ではだいぶ前から女性総理大臣が睨みを利かせている。ところで「在日ビルマ難民たすけあいの会」でも、会長は女性、すごく頑張っている。でも女性役員の数が少なくないかしら? 何回かの会議に出席しているが、どうも女性の声が小さいような気がする。難民申請者1500人の男女比は分からないが、女性は3割ぐらい占めているのでは?とすると6-7人の女性役員が欲しいところ。先日アウンリー副会長が述べた4つのグループを作るときは、ぜひ女性に活躍の場を与えて欲しい。我が家でもなんとなくうまくいってるのだから。

2008年5月27日火曜日

(14)国民投票の数字 いつの日か・・・・

(2008年5月27日)
 今日の新聞によれば、5月10日と24日に行われた新憲法案の是非を問う国民投票の最終結果は92.48%の賛成票を得たと報じている。有権者は約2729万人で、投票率は98.12%。この数字を見ただけでは軍事政権が大勝利を得たことになる。しかし海外のメディアは、自由・公正さを疑問視する声が当初から沸き起こっていた。普通の国であれば、国民に対して「みんなで投票しよう」という呼びかけはするが、ビルマの軍事政権は、奇妙奇天烈「みんなで賛成票を投票しよう」と呼びかけていたという。さらには、もし反対票を投じたら、生活を脅かされると思わせる発言を繰り返していたようだ。このようにビルマ国民にあからさまな圧力をかけていたことは国民が一番知っている。賢明なビルマ国民は、この数字の意味するところを充分理解しているものと思う。そしていつの日か・・・・。

2008年5月26日月曜日

(13)結構難しい支援候補者選び

(2008年5月27日)
 一昨日の役員会でMTさんにささやかではあるが基金から支援金をお渡しできた。支援金贈呈の記念すべき第1号であり、同氏からは流暢な日本語で丁重な感謝のご挨拶をいただいた。私たち全員拍手で喜びを分かち合ったが、まことにほのぼのとした情景であった。今後ともこのような雰囲気で、贈呈式が行われれば会設立の意義が広く世間に認められだろう。なお、これから準備しておかなければならないのが、今後の候補者の「適正な選考」であろう。一口に「適正な選考」といっても、全員が納得できる方法というものはありえない。今後、候補者を選考する際に万一揉めたら、支援を受けるほうにもプライドがあることを充分理解してあげねばならないだろう。「たすけあいの会」が、いつの間にか別の会に変身する恐れすらあり、私自身も充分留意せねばならない問題のようだ。

(12)来年春には500万円の目標達成?

(2008年5月26日)
 当会メンバーは多士済々、私たちが自慢する日本語パンフレットは、ご存じ熊切副会長の力作。このパンフレットには大きく「基金目標500万円!」と書かれている。この数値は大瀧会長が願望する数値であろう。これを達成するには、あと250万円ほどが必要であるが、どうしたらよいか? 私の頭の中での構想は以下のとおり。一人当たり千円ずつ12ヶ月集めると1万2千円で、もし会員が100人いれば120万円、200人いれば240万円集る。1年後に240万円集まれば目標の500万円がほぼ達成できる。よ~し会員を200人に増やそうではないか? 最近4年間の難民申請ビルマ人は全国で1500人、ということは現在約1500人弱の対象者がいるのだ。この中から200人の会員を集めることはそれほど難しくはないのでは。ビルマ語関係のパンフは多士済々の一人アウンリー副会長が作ってくれるそうだ。楽しみだ。

(11)同感、勇気ある大瀧会長の発言

(2008年5月25日)
 今日は私たちグループの定例役員会、ミンガラ日本語教室の授業に出席してから、2時に巣鴨の大滝邸に行く。今日の会合では、私が発言すべきか否かと迷っていたことを大瀧会長がずばり言ってくれた。会長の発言要旨は、「サイクロン被害救済のための募金活動が大成功であった。皆さんご苦労様。しかしこれからは、本来の難民(申請者)たすけあいの活動に移ろう。ビルマ語のパンフや申請書など、遅れている書類の作成を急ぐように」と力説された。みんなが乗り気になっている街頭募金を打ち切ろうとはなかなか言いだせないことだ。事実、寸前には「次回の街頭募金は銀座で」などの発言が相次いでいたのだから。たまたまこの日はヤンゴンで70カ国の代表を交えた「ミャンマー支援会議」が開催され、政府間による支援策が討議されていた。サイクロン救援募金活動を中止する一つのタイミングであったかもしれない。

2008年5月24日土曜日

(10)どうしてU MINGALARと呼ぶの?

(2008年5月24日)
 東京に住んでいるビルマ人は、おそらく数千人はいるだろう。彼らに、親しい日本人の名前を挙げてもらったら、たぶんウーシュエバ(田辺寿夫氏)がトップだろう。私の名前もウーミンガラと言い、ウーシュエバに似てはいるが、知名度は及びもつかない。ところでどうしてウーミンガラと呼ばれるようになったのか? 13年前に私は原宿駅そばのビルの6階で仕事をしていた。その1階に「レストランビルマ」という比較的大きなビルマ料理店があり、昼食は毎日そこで食べていた。エレベーターで10秒の近さだ。私が入るときはいつも覚えたての挨拶「ミンガラバー」を連呼していたが、いつのまにかそれを聞いていたビルマ人店長が私のことを「ウーミンガラ」と名づけるようになった。「ミンガラ」というビルマ語は「吉兆」という意味であることを知り、私自身も素晴らしい名前だと思い愛用している。どうぞこれからもよろしく。(もちろん「船場吉兆」とは無関係)。

2008年5月23日金曜日

(9)大瀧さんと面会のバトンタッチ

(2008年5月23日)
 茨城県牛久市に東日本入国管理センターという外国人収容施設がある。有名な牛久観音のすぐそばだ。私は2006年9月から2007年11月までの1年2ヶ月の間、毎週訪問して難民申請中のビルマ人女性に面会、支援を続けて来た。朝7時前に家を出て、津田沼、船橋、柏、牛久と電車を乗り継ぎ、牛久からはタクシーで入管まで行く。一日仕事であり、往復の交通費+昼食代で約1万円弱。これを60週続けたことになる。2007年11月に最後の一人Tさんが出所して、女性ビルマ人は誰もいなくなり、現在は品川入管に鞍替えしている。ところが今日、知人のビルマ人から品川入管にいたAさんが牛久入管に移送されたとの情報、私はそんなことはないものと思い込んでいたから愕然とした。私は品川入管で彼女と毎週会っていたのだ。幸い当会会長の大瀧さんは、毎週2回牛久入管に顔を出しておられるので面会のバトンタッチをお願いした。

2008年5月22日木曜日

(8)欲しいなあ ビルマ語のパンフ

(2008年5月22日)
 「在日ビルマ難民たすけあいの会」では、いち早く日本語のパンフレットを作った。A-4判を3つ折にした瀟洒なパンフであるが、中身はとても濃い。こんなに素晴らしいパンフを素早く作るなんて、メンバーの力は大したものだ。私は早速このパンフに私の挨拶状をつけて約50人の日本人友人に寄付金お願いの手紙を出し、同時にサイクロン被災者救援の寄付も併せてお願いした。その反応はすこぶる良好。大勢の友人から多額のご寄付を頂いたので、ここに皆様のご厚意に感謝申し上げる。ところで私は大勢のビルマ人とも接触しているので、ビルマ人に理解してもらえるようなビルマ語のパンフがぜひ欲しい。ビルマ人メンバーだって同じ思いだろう。どなたか早急にお願いできないかしら。

(7)難民になりたいと言っても「帰れ!」

 (2008年5月21日)
 先日、品川入管に収容されているビルマ人女性から「助けてください」とのSOSが入った。話を聞くと収容され最初の審査のとき、「難民になりたい」と懇願しても係官は「帰れ!」「帰れ!」の一点張り、そして「ここにサインしろ」と強い口調でサインを促す。あまりの執拗さに根負けした彼女は、とうとう「帰国する」ところにサインしてしまった。しかし、その後、思い直した彼女が私に電話して「難民になりたい、帰国したくない、でもサインしてしまった。どうしたらよいか、助けて!」というSOSになった次第。私は直ちに入管当局と話し合ったが、結論は「第三者からの申立は受け付けない。本人が不服申立書に書いて提出せよ」というもの。この事件があった数日後、やはり新しく収容された女性から全く同じ内容のSOSが入った。どうやら、入管側の対応は常態化しているようだ。結局2人とも諦めて帰国する道を選んだが、入管側の対応はいかがなものであろうか?

2008年5月20日火曜日

(6)ここが変だよ ビルマ人

(2008年5月20日)
 私が関係しているミンガラ日本語教室は、すでに13年が経過し、1500人の卒業生がいる。もちろん全員ビルマ人だ。卒業といっても、2・3年通った生徒もいるが、数日教室に来ただけで、その後来なくなった生徒も含んでいる。おそらくほとんどの生徒は帰国したと想う。ところで、その間ビルマ人生徒と接していて「おや、ここが変だなあ」と想ったことがある。それは約束を守らない生徒がいることだ。「来週の日曜日には必ず教室に来ます」と話す若い女性、私は彼女のために一冊の参考書を用意して教室で待つが彼女は来ない。次の週も重い参考書を持って教室で待つが連絡はない。年配の生徒に聞くと「最初に会ったときに、先生に敬意を表して『教室に来ます』というが、それは先生を失望させないで調子を合わせるための発言で、本心ではない」とのこと。これって本当なの? 日本の若い男女は大丈夫かなあ?

(5)新鮮な「たすけあい」の発想

(2008年5月20日)
  私たちの会の名前は「在日ビルマ難民たすけあいの会」という。私はこの名前が大好きだ。特に「たすけあい」という言葉が新鮮だ。今日新聞で「難民を助ける会」というNGOがビルマで活動していることを知った。多くのボランティア団体はこのように「助ける会」であり、「助け合う会」というのは珍しい。このように命名したのは大瀧会長である。会長は、牛久の入管に収容されている難民申請者に対して、週3日、4日と面会活動を続け、彼らを支援して来た経験から、助け合う組織が必要と考え、この会を発足させた。すなわち、支援者だけに頼らずに、難民申請者自らが互助会的な組織を作り、仮放免の保証金や病気などの不慮の事故に対応できるように、皆で力を合わそうというもの。その恩恵は他人だけでなく、参加している自分にも及ぶという発想。この会が益々発展することを望む。

(4)「民政」なんて考える能力あるの?

(2008年5月15日)
  ビルマでは憲法制定のための国民投票が一部被災地域を除き5月10日に実施された。民政移管プロセスの第4弾とうたい上げ、最終目標は「新政府の発足、軍事政権からの移行」とある。ビルマでは長年軍事政権が続いたので国力が衰え、国民が疲弊しているため、軍事政権はあえて「民政移管」という言葉を使い出した。しかし「民主化」とは明らかに違う。「民主化」の意義が理解できない政治家=軍人が考え出すのはせいぜいこの程度のものか。「民政移管」を打ち出せば、「軍事政権」よりはイメージがよいので、少しは国民が納得し、諸外国も見直すであろうという甘い発想であろう。予定されている憲法には、大統領は軍人経験者、両院とも25%以上は軍人なんてあるので、軍事政権そのもの。国民や日本人カメラマンを射殺する政府に「民政」など考える能力あるの?(注:従来この欄は「軍政幹部よこの写真見て何想う」であったが都合により変更)。

(3)届け!サイクロン被災者へ

(2008年5月12日)
  歯がゆいということはこのことだ。ビルマ西南部のサイクロン被害者に支援物資を送るため、いろんな団体が寄付金を募っており、大勢のビルマ人、日本人が参加している。しかしそれらは、軍政当局、USDA(軍政側の民衆団体)や、スワンアーシンという民兵組織を通さないとダメという情報がインターネットで流れている。USDAは公称3千万人いるといわれ、隣近所の大多数が政府側の人間といえる。被災地といえどもこの種の人間が目を光らせており、支援の金品を受け取ると、軍に告げ口される恐れもある。僧院には大勢の被災者がいるといわれているが、軍からは被災者を僧院から追い出すよう命令されているらしい。我々も皆さんからたくさんの寄付金を頂いているので、できるだけ被災者に直接渡るような方法を見つけて被災者に届けたい。ビルマ軍政とはまことに恐ろしい体制だ。

(2)難民申請者をいじめないで

(2008年5月9日)
  先日、私の知人のビルマ人女性から電話があり、彼女の甥T君が成田に着き、すぐに難民申請したという。私と彼女が慌てて成田空港に行き、搭乗して来たある航空会社の人と会ったところ、ホテル代と警備費を支払え、1日6万1千円+食事代という。何か釈然としないまま内金として5万円だけ支払った。その後いろいろ調べた結果、法律上、上陸許可が出るまでは航空会社の責任であり、入管は無関係。しかし上陸許可後は入管の責任。彼女の甥は3日間上陸許可が出ず、やむなくホテルに宿泊したが、警備費だけで約20万円の請求書が彼女に届いた。難民申請者にはもちろん支払う義務はないが、手持ちの300ドルはすでに取られたという。今までもこのような争いは多くあった筈だが、結局うやむやのままらしい。日本は難民鎖国といわれるが、こんなところでも難民申請者をいじめている。

2008年5月19日月曜日

(1)避けたい力の分散、矮小化

(2008年5月6日)
  例の聖火リレーのとき、テレビで中国の赤い国旗をたくさん見た。もちろんチベットの旗も。中国の統治に反対するチベット人のデモは、常にこの黄色い旗の下、結構整然と行われていた。世界の人たちは、テレビで始めてチベットの存在、チベット人の叫びを知った筈であり、その成果は大きい。一方、日本にいる軍事政権反対のビルマ人たちには、シンボルとなる旗がない。古い星の図柄や、孔雀の図柄、あるいは各少数民族の旗を個々に打ち振ってはいるが、バラバラな感じ。いま日本には30以上のグループが、真剣に軍事政権反対を訴えているが、あまりにも分散化し過ぎている。一つの旗のもと、力を合わせて大きなグループにまとまらないと、力が分散して矮小化され、軍事政権からは馬鹿にされるだけ。せめて我々のグループは分散化・矮小化を防ぐ方向に進みたいのだが・・・。