2012年11月30日金曜日

(1662)民主化ミャンマー デモ弾圧

  11月30日の朝日。標記見出しのほかに、「銅山開発に抗議の住民排除」、「スーチー氏来訪直前」、「約300人気勢上げる 2週間前の現地」」などが並ぶ。ミャンマー中部モンユワで国軍関連企業が、中国企業と進める銅山開発を巡り、ミャンマーの治安当局は29日未明、土地収用などに抗議していた住民や僧侶らを強制排除し、数十人が負傷した。最大野党党首のスーチー氏が現地調査に入る直前の強硬措置で、政権側の対応に批判が出ている。現地の情報では、負傷者は僧侶約30人、住民約50人にのぼり、少なくとも7人が身柄を拘束された。29日はスーチー氏の現地入りが予定されており、28日までに退去を命じていた(以上)。昨年、国会が平和的なデモを認める法案を可決したのち、各地でデモやストが多発、政府は難しい舵取りを迫られている。

2012年11月29日木曜日

(1661)ミャンマーの天然ガス埋蔵量 日本消費量の3年分

  11月28日の日経電子版。ミャンマーの天然ガス埋蔵量は3340億立方メートルに上ることがアジア開発銀行(ADB)の報告で明らかになった。日本の年間消費量の3倍にあたる規模。この量は国別では34番目だが、ロシア・サハリン沖の開発事業に迫る量。ADBは「人材、法整備、エネルギー関連の政府機関による調整が遅れている」として、開発の余地が大きいと指摘している。同国の石油と天然ガスを巡っては、2011年までに外資の60プロジェクトが承認され、投資額は約1兆円、今年9月の同国エネルギー会議には、30か国から150社が参加して関心が高い。天然ガス以外にも水資源が豊富で10万メガワットの発電が可能な水量。ミャンマーの天然資源には日本企業も注目し、JX日鉱日石開発は来秋までにミャンマー沖の天然ガスの試掘開始の予定。

2012年11月28日水曜日

(1660)ミャンマーの民主化を歓迎 国連委が決議採択

  11月28日の朝日新聞に標記の見出しが。人権問題を担当する国連総会の第3委員会は、26日ミャンマーの民主化と人権状況の改善を歓迎するとした決議案を全会一致で採択した。第3委員会は、軍事政権による武力行使や、人権侵害を非難する決議案の採択を1991年から続けてきた。ただし決議では、ミャンマー西部ラカイン州で少数派のイスラム教徒ロヒンギャ族と、多数派の仏教徒との衝突が深刻化している問題については「特別の懸念」を表明した(以上)。今回の決議は、ミャンマーの民主化進展を歓迎し、さらなる改革を求める決議案を無投票による全会一致で採択したもの。文面も「歓迎」が並び、「懸念」が中心だった昨年までと様変わり。日本の久島代表は、「さらなる前進を後押しすることが重要」と述べ、対話と協力を重視するように訴えたという。

2012年11月27日火曜日

(1659)スーチー氏、インドの母校で講演「民主化支援を」

  11月16日朝日新聞デジタル。ミャンマー最大野党を率いるアウンサンスーチー氏は16日、訪問先のインド・ニューデリーで講演し、学生らに「ミャンマーの民主化の実現にはあなた方の支援が必要だ」と語った。講演したのは、かつて自身が通った「レディー・シリ・ラム・カレッジ」。ミャンマーの大学が軍事政権時代に長く閉鎖されたことなどで教育水準が下がったことを念頭に、ミャンマーの高等教育をかつてのように多くの国々の先端に立つレベルに押し上げたい」とし、協力を求めた。スーチー氏の母親はかつて駐インド大使を務めており、1960年代前半に同カレッジで政治学を学んだ。こうした経験もあって、インド独立の父ガンジーの非暴力主義思想の影響を受けたとされる(以上)。同氏は日本の京都大学で研究したこともあり、青年時代の勉学が大切だ。

2012年11月26日月曜日

(1658)読了127冊目:「ワセダアジアレビュー」

  ワセダアジアレビュー【2012№12】特集:「ミャンマーを考える」。発行:早稲田大学アジア研究機構及びめこん、2012年8月。特集記事頁数28頁、千円。①ミャンマー政治に何が起きているのか(中西嘉宏)、②ビルマ民主化の難問(田辺寿夫)(ラカイン州非常事態宣言とロヒンギャ民族)、③ミャンマーと民族問題(伊藤利勝)、④アセアンから見たミャンマーの民主化の兆し(坪井善明)、⑤ビルマへのODA(秋元由紀)(バルーチャウン水力発電所の光と影)、ミャンマーと日本企業(小林英夫)。その他にミャンマーを歩く(石川和雅)、メコン地域協力と中国、日本、アメリカ(白石昌也)の2編あり。②のロヒンギャ問題は、ビルマ政府にとってもスーチー氏にとっても、難問中の難問であることがよく理解できる。最近テインセイン大統領が国籍付与の検討を始めたようだ。

2012年11月25日日曜日

(1657)ミャンマー潜入 ビジネス天国はホンモノ?

11月24日夜9時からBS(7)が50分間放映。ミャンマー進出を考える日本企業24社28人がヤンゴン・ネピードーを訪問、ヤンゴンから車で1時間のティラワ特区予定地を見学、日本側はインフラについて質問したが、ミャンマー担当大臣側は日本から何社来るのかと逆質問、話がかみ合わない。若いユニクロ役員の国井氏は、縫製産業なので人件費の安い国に進出せざるを得ないという。別の所ですでに稼働しているTHYガーメント社は、ミャンマー人従業員は、プライドが高く、叱るとすぐ辞めると指摘。日本人と共同経営している宝石商は、中国と違い、ミャンマーでは日本排斥運動は絶対起こらないという。まとめとして、最近外国投資法が改正され、外国企業は100%進出可能となったが、単に人件費の問題だけではなく、ミャンマーのためという視点が必要と。

2012年11月24日土曜日

(1656)北朝鮮大量破壊兵器の関連資材ミャンマーへ輸出

  11月24日の朝日。標記見出しのほか、「国連決議違反、日米協力で押収」、「ミャンマー、契約残る」との見出しも。北朝鮮が今年8月、核やミサイルの開発などに使えるアルミニューム合金を、中国経由の船でミャンマーに輸出しようとしていたことが分かった。米国の要請で、日本政府がこれらを押収した。この輸出は、大量破壊兵器を含むすべての武器と関連物資の北朝鮮からの輸出を禁じた国連安保理制裁決議に違反する。決議違反を否定してきたミャンマーと中国への国際的な批判が高まりそうだ。ミャンマーのシュエマン下院議長は「新たに北朝鮮から武器を買わない。ただ契約した分が残っている」と日本政府に説明。日米韓はミャンマーは核開発は放棄したものの、短距離ミサイルの開発は、断念していないとみてる(以上)。折角の平和ムードが台無しだ。

2012年11月23日金曜日

(1655)NHK シンシア・マウン医師 来日講演

  11月22日夜10時39分のNHKニュース。ミャンマーと接するタイのメソートの街、住民の半分がミャンマー人といわれ、その近郊に診療所がある。国境を越えてミャンマーから逃げて来た患者も多く、初診料30バーツだけ払えば、あとは無料で診てくれる。妊産婦も多い。この診療所は23年前に作られたが、ミャンマーの民主化後は、海外NGOからの支援が、ミャンマー国内に向けられるようになり、財政が苦しくなってきた。しかし患者数は減っていない。スタッフは約600人いたが、現在2400万円不足しており、1割を退職させ、残りのスタッフの給料もカットした。診療所には多くのカレン人がおり、少数民族との和解の合意は未だ不十分。またカレン人の元の居住地には多数の地雷があり、帰国できない。若い人への教育も大切で診療所は今後も必要。支援よろしく

2012年11月22日木曜日

(1654)天声人語欄 米大統領とスーチー氏

  11月21日の朝日新聞天声人語欄。ミャンマーの諺に「水牛のそばで竪琴を奏でる」というのがある。親身な忠告にも聞く耳を持たない、困った頑迷さを言う。軍事独裁下のミャンマーは頑迷が徹底していた。例えば2年前、自宅軟禁の続くスーチー氏が65歳を迎えた。誕生日を前にオバマ大統領は解放を求めたが、応じる気配は全くなかった。それが今この変わりようである。市民は民主化へのお墨付きと受け取ったことだろう。しかし、スーチー氏は訪問を尚早とも案じたそうだ。「変革の最も困難な時期は成功が見えてきた時で、蜃気楼に惑わされないよう、十分気を付けなければいけない」と釘を刺す。現実の政治に手を染めれば、民主化の象徴のような純粋さを保つのが難しい局面もあろう。内外に対して「スーチー」という存在であり続けねばならない苦労を思う。

2012年11月21日水曜日

(1653)ミャンマーに500億円借款 首相表明

  11月20日の朝日。アセアン首脳会議でカンボジア訪問中の野田首相は、19日テインセイン大統領と会談し、26年ぶりに円借款を500億円規模で来春にも再開すると表明した。ヤンゴン郊外の火力発電所改修や、工業団地のインフラ整備、地方の貧困削減対策などにあてられる予定。ミャンマーが延滞する日本の債権を免除するなどして、来年1月にも解消後、円借款を再開する。一方、羽田国土交通相はミャンマーの運輸大臣と会談し、港湾設備、道路建設を日本側が支援することで合意し、覚書を交わした。すでにヤンゴン近郊のティラワ地区で数百億円規模の港湾整備構想が進んでおり、当面はこの受注を目指す。なお、米大統領とスーチー氏の2ショットの写真も掲載された(以上)。オバマ大統領の力の強さに驚いた。これで軍政に戻ることはないだろう。

2012年11月20日火曜日

(1652)米、ミャンマーに1.7億ドル

  11月19日の朝日夕刊。オバマ大統領は19日ヤンゴンを訪問しテインセイン大統領と会談、今後2年間で1億7千万ドル(約138億円)の援助を表明する。米大統領が訪問するのは初めてで、88年の民主化運動弾圧後悪化した両国関係は、歴史的な転機を迎えた。1億7千万ドルの援助は、民主主義の促進や教育、人材育成などの分野に重点を置く。一方、少数民族をめぐる問題や、人権状況の改善についても、一層の取り組みを求めるほか、武器取引などの軍事協力関係にあった北朝鮮との関係も取り上げる。主要な制裁措置のうち最後に残っていたミャンマー製品の禁輸も、16日に原則解除した。制裁継続の間に中国との関係を深めていたミャンマーを米国に引き付ける思惑や、ミャンマー市場への米企業進出を支援し輸出拡大につなげたい狙いもある。

2012年11月19日月曜日

(1651)大統領、国籍付与を検討 ロヒンギャ族

  11月19日の朝日。ラカイン州で少数派のイスラム教徒ロヒンギャ族と仏教徒との衝突が深刻化している問題に対し、テインセイン大統領が解決への姿勢を示し始めた。19日のオバマ大統領の訪問を前に、国際社会の批判が強まる人権問題に柔軟姿勢を見せた形だ。両民族の大規模な衝突は5月に発生、10月に再燃した。これまでに少なくとも178人が死亡、多くの家屋が焼かれ、延べ10万5千人が避難民となった。その背景には、ミャンマーに約80万人いるロヒンギャ族が、バングラデシュからの不法移民として扱われ、国籍は与えられていない。テインセイン大統領は国連総長に書簡を送付し「避難民の再定住から国籍付与に至るまで、さまざまな政治問題に取り組む」と約束した。ロヒンギャ問題を巡ってイスラム諸国がミャンマー政府を強く批判していた。

2012年11月18日日曜日

(1650)東日本入国管理センターで前向きな前進

  アムネスティ・インターナショナル日本からの情報。東日本入国管理センター(通称牛久入管)に入った被収容者は、収容所に入ってすぐ健康診断を受けるが、2012年11月14日以降は、その健康診断の項目に、血液検査と尿検査が加わる。さらに、長期収容者に対しても、前回の検査から1年経過した者に対しては、血液検査と尿検査が行われるようになった。被収容者たちは、運動できる時間が制限されており、狭い空間の中で、1日を過ごさねばならない。その結果、筋肉の委縮を招き、腰痛の悪化、ストレスの増大などさまざまな身体の不調につながっている。二つの検査が導入されることによって、より的確に被収容者の病状を把握し、悪化する前に処置できるようになる(以上)。私も2007年に1年間牛久入管を毎週訪問したが今回の決定は一歩前進だ。

2012年11月17日土曜日

(1649)スズキ ミャンマーでの生産再開へ政府に申請

  11月12日の日経電子版。スズキの鈴木社長は11日バンコクで記者発表し、ミャンマー政府に現地生産の再開を申請したことを明らかにした。1999年にヤンゴンで軽商用車などの合弁生産を始めたが、2010年に生産を停止していた。米国での四輪車販売から撤退を決めた同社は、拡大する東南アジア市場の開拓を加速する。スズキは来春にも認可が下りるとみている。同社はこれまで軽商用車「キャリイ」など累計6千台強生産し、生産のピークは08年の1400台だった。ミャンマーは民主化の進展で、今後高い経済成長が見込めるほか、人件費の安さなどから将来は新たな輸出基地になる可能性もある。一方タイでは来年の四輪車生産台数を今年より3万3千台多い5万4千台に引き上げる計画も発表した(以上)。スズキはミャンマー進出企業の柱となろう。

2012年11月16日金曜日

(1648)受刑者452人を釈放 オバマ氏訪問前に

  11月15日のCNNニュース。ミャンマーの国営紙はテインセイン大統領が服役中の外国人を含む受刑者452に恩赦を与えた。数日後に米国のオバマ大統領が現職の大統領として初のミャンマー訪問を実施する前の釈放となった。外国人受刑者は恩赦が与えられたのち出国する予定。軍政後の文民政府を引き継いだテインセイン大統領は、過去1年、改革政策の一環として数百人の政治犯を釈放している。これを好感した欧米諸国は、ミャンマーに対する経済制裁の緩和で応えていた。オバマ大統領は11月17日から4日間にわたって東南アジア三国を歴訪し、ミャンマーでは、テインセイン大統領との間で、政治犯や政治改革、法の統治、平和、和解などの問題が取り上げられ、また、スーチー氏とも会談の予定(以上)。ミャンマーの中国一辺倒は終わりそう。

2012年11月15日木曜日

(1647)イオン、ミャンマーでPB衣料生産

  11月15日の日経電子版。イオンはミャンマーで衣料品の委託生産を始める。男性向けを中心に、まず15品目程度を現地工場に委託、来春、日本で販売する。春物でスーツやブルゾンといった男性向けの衣料品約10品目と、ジャケットなど2‐3品目の女性衣料を現地に拠点を構える取引先に委託し、10-11月にかけて委託先工場が生産を始めた。これらはイオンのPB商品として年明け以降、日本全国の店舗で販売する。青山商事は2013年に同国での紳士スーツ生産量を12年見込み比で4割増の13万着に引き上げる。ミャンマーはアジアでも賃金水準が低く、人件費が中国の5分の1程度(月額7500円)で、生産地を中国から分散させる際の候補地として注目されている。ただ物流面は日本まで3-4週間を要し、上海の4-7日に比べ3倍以上かかる。

2012年11月14日水曜日

(1646)当たると評判「足相占い」を体験する(広告)

  11月14日の朝日新聞広告欄。ヤンゴンの寺院の参道や、すぐそばの路地に、手相や占星術などの小さな占いの店が軒を連ねていた。信心深い仏教徒の多いこの国で、占いの店と宗教施設が隣接していることに驚いた。ガイドに導かれ訪れたのは、当たると評判の「足相占い」の先生のお宅、先生が足裏にペンを走らせ、出てきた絵柄で人の来し方、行く末を占うのだという。ペンが足裏の線をなぞる度、くすぐったさに身もだえと笑い声をこらえきれない。しばらくして足裏から現れた図柄は「白鳥」(ぐちゃぐちゃな線にしか見えないが)。最初は冗談半分に先生の話を聞いていたが、皆だんだんと真剣な面持ちに。「あなたは物書きですね」、「三人兄弟ですね」、「二つの場所を起点としてますね」。本当に当たっているのだ。ミャンマー訪問の際、体験されてはいかが?

2012年11月13日火曜日

(1645)ミャンマー地震 複数の死傷者

 11月12日の朝日新聞ジャカルタ支局からの記事。米地質調査所によるとミャンマー中部で11日午前7時42分(日本時間10時12分)、マグニチュード6.8の地震があった。震源はミャンマー第2の都市マンダレーの北117キロで、深さは10キロ。AP通信によると、マンダレーでは非常に大きな揺れを感じたという。イラワジ川で建設中の橋が崩落するなどの被害があり、少なくとも5人が死亡、複数の負傷者が出ている。同日午後5時24分(同午後7時54分)には、余震とみられるM5.8の地震があった。震源はマンダレーの北88キロの地点(以上概要)。インターネット(DBV)によれば地震直後の街の情景、例えば、路上に集まる人々のおびえる姿、橋の崩落、横倒しのパゴダなどが映し出されていた。東日本大震災を経験した我々にとっても、他人事ではない。

2012年11月12日月曜日

(1644)ワッハッハ すっごく楽しかった誕生日会

  11月11日は私の誕生日、渋谷のシェーキーズ(イタリアンレストランというか、ピザ・パスタの食べ放題の店)に30人の牛久入管同級生(ミャンマー女性)が続々と集合、この店ではTさんのご主人が働いている関係で、サービスも満点、特にイタリヤ・ワインがおいしかった。大滝さんも、Mさんもわざわざ参加いただき、恐縮。何しろ1年に1回のお祭りだ。懐かしい顔ばかりなので、乾杯の後私が立ち上がり、昨年に続いて「笑顔」、「感謝」、「継続」の文字を見せながら挨拶、笑顔の意味が分からないと困るので、みんなで一斉に笑う練習をした。「ワッハッハ」。来店していたお客さんもさぞかしびっくりしただろう。その後は恒例のプライスクイズ、キャーキャーワーワー、ミャンマーの30代女性がこんなに騒々しいとは知らなかった。シメはアポージーオーオーの大合唱で幕。

2012年11月11日日曜日

(1643)共感をお金に 米で注目 起業資金をネットで

  わっはっはっ、今日から84歳だぜ~。若者には負けないぜぇ~(少しは負けるけどさっ)。今日は、牛久入管にいたミャンマーの女性30人が、4時半から渋谷で「私の誕生日会」を開いてくれるって、ワイルドだろう。今朝の朝日に、標記の見出しとともに、「一般から広く薄く」、「規制緩和が追い風」との見出しが並んでいた。事業内容に共感した一般の人たちから、銀行などを通さないで、インターネット上でお金を集める方法だ。「クラウド(大衆)ファンディング」と呼ばれ、ベンチャー企業を活性化させるきっかけになると期待されている。私がN1会で狙っていたのがこの手法で、日本ではREADYFOR?が最初に名乗りを上げ、現在活発に起業資金を調達している。起業には通常資金が必要だが、N1会の場合は50万円の募金を考えていた。来年春頃には実現したい。

2012年11月10日土曜日

(1642)オバマ氏ミャンマー訪問へ

  11月9日の朝日新聞。標記の見出しとともに、「現職大統領で初、経済関係強化を議論」と続いていた。米ホワイトハウスは8日、オバマ大統領が17日からのアジア諸国歴訪で、ミャンマーを訪問すると発表。ロイター通信によると、現職の米大統領がミャンマーを訪問するのは初めて。オバマ氏は17日から19日にかけてタイとミャンマーを訪問、ミャンマーの最大都市ヤンゴンでテインセイン大統領や最大野党の党首スーチー氏と会談する予定だ。同国の政治、経済改革を支援する考えを改めて伝えるとともに、経済関係の強化についても話し合う見通し、20日にはカンボジアで開かれる東アジア首脳会議に出席する。また米国防総省はパネッタ国防長官も来週にオーストラリアやタイ、カンボジアを訪問する。カンボジアでは、16日にアセアン諸国の国防相と会談。

2012年11月9日金曜日

(1641)ロヒンギャ族の船沈没、バングラデシュ沖

  バングラデッシュ南東部のテクナフ沖のベンガル湾で7日、ミャンマー国境付近からマレーシアに向かっていたイスラム教徒のロヒンギャ族ら約110人を乗せていた船が沈没した。ロイター通信によると、バングラデシュの国境警備隊などが51人を救出したが、残りの約60人が行方不明、ミャンマーでは迫害を受けたイスラム教徒のロヒンギャ族が国外に逃げる動きが続いている。ベンガル湾では、10月28日にも、ロヒンギャ族ら約130人を乗せた船が沈没し、大半が行方不明になっている(以上概要)。テインセイン大統領は彼らは自国民ではないと発言し、それでいて、アセアンや国連の議題になることを避けている。スーチー氏も黙っているだけでなく、発言して欲しい。現在、アラカン地域における国軍の存在が大きな力となっているが、即、軍政の再現だ。

2012年11月8日木曜日

(1640)しばらく延期だぜ~ N1会 ゴメンネ

  このブログで、最初に「N1会」を取り上げたのが9月中旬(1588~1590)のつぶやき、その時は日本語能力試験N1級に合格しても、働く場が少なく、相変わらずミャンマー人の多くは、飲食店で働き続けていた。時まさにミャンマー国家再建の時代、こんなことででいいのかと気になっていた。たまたま難民支援協会やREADYFOR?では、「起業」という観点で資金を提供する支援組織を発表していた。まず私はこの2組織の存在をミャンマー人に知らせたかった。アイデアがあれば資金は集まるということを。その後、N1会を発足させ、いろいろなアイデアも提供したが、残念ながらミャンマー人からの盛り上がりが見られなかった。この種の活動は当事者の意欲が一番大切。結局、来年春まで会の活動を延期することにした。両国語ペラペラの諸君、今一度考えよう。

2012年11月7日水曜日

(1639)シンシア・マウン医師(メタオ・クリニック)

  時事通信の11月2日の情報によれば、ミャンマー改革でメタオクリニックに対する支援が減少しているという。テインセイン大統領による大胆な改革が進むミャンマーでは、国内の政治、経済に世界が注目するのとは裏腹に、国境のタイ側で20年以上ミャンマー難民らを医療面から支援してきたクリニックが深刻な資金難に直面している。院長のシンシア・マウン医師は「改革といっても国境周辺の状況は変わっていない」と訴える。タイ北部メソトにある「メタォ・クリニック」の年間予算3億円の大部分を欧米系のNGOの寄付で賄ってきた。医薬品の8割を支援してきた英国の団体は下半期分の1300万円が遅れている。他に十数団体が支援を減額したため、希望退職には660人中60人以上が応じた(以上)。日本側もなんとかしてシンシア医師を応援してあげたい。

2012年11月6日火曜日

(1638)ヤンゴンに高層ビル 日本が設計、来春着工

  11月1日の産経ニュースによれば、ミャンマーの最大都市ヤンゴンで、地上38階建て(高さ約195メートル)の高層ビルを建設する計画が進んでいる。民主改革の進展に伴い、外国企業や国際機関などが相次いで進出し始め、貸事務所の供給が追いつかないのが現状。完成すれば最高層ビルの一つになる見通しで、5階以上は貸事務所として利用する予定。3日にヤンゴンで、施主らが出席して調印式が行われる。着工は来年3月、2015年秋の完成を見込んでいる。施主はシンガポールの企業と、ミャンマーの信用金庫などで、東京都港区の入江三宅設計事務所が設計を担当、4階までは店舗が入る予定。日本企業が手掛け99年に完成したヤンゴンの「さくらタワー」は20階建てで今回計画中のビルはその約2倍の高さ(以上)。日本の底力を見せてほしい。

2012年11月5日月曜日

(1637)外資呼び込む新法成立

  10月3日の朝日新聞。ミャンマー国会は1日、上下両院合同で、新しい外国投資法案を可決した。AFP通信によるとテインセイン大統領が2日に署名、成立した。同法案をめぐっては、国会が9月にいったん可決したが、大統領が署名せず国会に差し戻したため、新法案を審議していた。新投資法の詳細は発表されていないが、国会関係者によると、9月に可決された法案が、国内企業を保護する意味合いが強かったのに対して、新法は外国からの投資を促進する観点から、柔軟性を持った内容となっているという(以上概要)。一度議会で可決された法案を大統領が差し戻すというやり方は、日本ではなじまないが、大統領制だからできる荒業。それにしてもテインセイン大統領は結構やるじゃないか。ここ当面は、彼に任せてもよいように見える。これで一歩前進だ。

2012年11月4日日曜日

(1636)ちょっと無理だった? N1会の計画

  最近私はN1会にのめり込んでいる。N1メロだ、ビルメロは発音しやすいが、「エヌイチメロ」とは舌がうまく回らない。しかし間に・を入れると{エヌ・イチメロ}、これならまあまあだ。さて(1633)で述べた計画、即ち、4つの書籍をメンバーが手分けして一度に発行しようという計画は、日本人メンバーからの意見もあり、考え直してみるとやはり無謀だった。インパール作戦の無茶苦茶な計画と何となく似ている。そこで今回は4冊の書籍発行計画を1冊発行に絞ることにした。テーマは「都内ミャンマー料理店の紹介」で、メンバー全員が手分けして都内に30店ぐらいあるとされるミャンマー料理店を探訪し、小冊子にまとめてそのお店を紹介しようというもの。私たちはミャンマー料理をときどき食べているが、実においしい。ミャンマーの食文化を広く日本に紹介したいのだ。

2012年11月3日土曜日

(1635)アラカン州での衝突でデモ

  在日ビルマ・ロヒンギャ協会(BRAJ)からデモの案内を入手した。以前にも一度あったが、今回は世界各地のロヒンギャ団体(ビルマ、イギリス、日本、オーストラリア、ドイツ、タイ、デンマーク、オランダ、ノルウェー、マレーシア)が共同で参加している。内容は、11月8日12時にビルマ大使館前で、また14時外務省前でデモを実施するという。この日をGlobal Action Dayと位置づけ、10月21日から再発したラカイン州での衝突で多数の死傷者と避難民が発生し、多くの住居が焼失していることに関し、「アラカン州でのすべての衝突の即時停止」、「国際的な監視と調査の実施」、「避難民への支援」を叫ぶ。最近発表された衛星写真を見ると、ロヒンギャ民族住宅地が全面的に焼失していた。実に恐ろしい衛星写真だ(以上)。単に国内問題で処理してはいけない。

2012年11月2日金曜日

(1634)後藤修身さんのブログから 

  久しぶりに後藤修身さんのブログを開いてみた。以下10月30日の内容。ミャンマーに来て早くも1ヶ月と10日が経った。今までミャンマー人の友人の会社に居候していたが、やっとアパートも決まり昨日から新居に移った。国立劇場の隣にある、U Wizara Housing という場所だ。仏教に基づいた社会主義で鎖国をしていたという不思議な国だったネ・ウィン時代(1962〜1988年)、ここは政府高官の官舎だった。全て4階建ての古いアパートが30棟以上ならんでいるが、アパートとアパートの間隔が広く緑も多い。一番古いアパートは1962年に建ったという。新しくても70年代だ。変化の激しいヤンゴンの中で、ここだけが時間が止まっているかのように感じた(以下省略)。日本流にいうと3DKで壁は青く塗り替えられ、床にもきれいなシートが。うらやましいなぁ。

2012年11月1日木曜日

(1633)「ミンガラN1会」書籍発行の夢

 「ミンガラN1会」では、当面、自分たちの手で発行する簡易書籍の作製に努力したい。いずれもA-5判、数十頁程度という、ささやかな書籍である。在日ミャンマー人による新規起業という意味では価値のあるものと思う。以下4件を紹介する。①「山村淳平著:病を防ぐ」のミャンマー語訳:在日ミャンマー人にぜひ読んでもらいたい書籍だ。②「ネーミョージン物語」:このN1会会員の実弟の物語、国軍の将校であったが、政治囚として刑務所に収容され、恩赦で釈放、以後献血運動、井戸ほり運動に活躍している豪快な民主化運動家の人物評(日緬両国語)。③都内のミャンマー料理店は30軒前後あるといわれているが、日緬両国人にそれぞれの店(ミャンマーの食文化)を紹介したい。④書籍とは言えないが数頁の広報用パンフ「ミンガラN1会会報」も作成したい。