2008年7月31日木曜日

(81)個人情報 ルールを理解して!

(2008年7月31日)
  BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)の運営に首を突っ込んでいると、個人情報の保護という問題にしばしばぶつかる。個人情報保護法が制定されたのが2005年4月、急に日本中が「個人情報保護」の掛け声の下、名簿の発行が止まり、葉書の文面を隠すシールが流行し、入院患者の名札が隠されるようになった。不便になった一面、個人の権利利益が保護されるようになった。似たルールににプライバシーの保護があるが、これは個人情報保護法と関係のない個人の権利利益に関するもので、従来どおり民法上の不法行為、刑法上の名誉毀損に該当する。一方、個人情報保護法のほうは、個人情報を5千件以上集めている事業者が対象であるが、それ以下の団体でも、「個人の人格尊重」という基本理念を尊重し、自主的に取り組むことが望ましいとしている。ここは日本、在日ビルマ人もルールを理解してね。

2008年7月30日水曜日

(80)吉報だ! 定住3年ビザだ!

(2008年7月30日)
  私は今日3時半ごろ品川入管入口でAさん(女性)の来るのを待っていた。Aさんは2週間ほど前に、入管から呼び出しの連絡があり、そのとき写真4枚を持ってくるように指示があったそうだ。この指示があればビザが貰えるらしいという噂は以前からあり、彼女も分かっていたみたいで、私に嬉しそうな声で電話してきたのだ。しばらくして彼女が入管に現れ、一緒に3階に上がった。3階にはすでにビルマ人男性が2人いて、次々と部屋に入ったが、いずれも嬉しそうに出て来た。在留特別許可、定住、1年の紙を持ちながら。彼女は3番目に呼ばれたが、部屋は別だったのでちょっと不安が走る。数分後、彼女が出てきた。満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってきた。「3年!、3年!」と連呼しながら。手に持っていた紙には「在留特別許可、定住、3年」との文字が。私は彼女と固い握手を交わした。最高に嬉しい日であった。

2008年7月29日火曜日

(79)米国の行動力に驚嘆 「ビルマの30日」

(2008年7月29日)
  「ハリウッドスターとビルマの30日」(Burmainfo提供)が昨日で終了した。タイトルは「30日」であったが、実際には「38日」間続いた。最終回は、プロデューサーのノーマン・レア氏。彼はこれまでの映像をすべて見ていて、ビルマ国民が軍事政権から受けている迫害が理解できるようになった。特に、サイクロン被害に対する軍政の態度に、ビルマの痛みを間近に感ずるようになった。彼は人権活動センターの会員になることを約束したという。私のブログ(33)と(56)でもこのテーマを取り上げたが、今回のキャンペーンは日本では考えられない大胆な手法であり、かつ、極めて効果的な手法であった。ハリウッドスターという著名人を大動員し、映像という媒体を活用して、世界中にビルマ軍政の迫害ぶりを紹介したことになる。米国首脳の発言よりも、この38人の映像・スピーチのほうが大きな影響を与えたに違いない。

2008年7月28日月曜日

(78)活発だったなあ 役員会

(2008年7月28日)
  昨日はBRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)の7月度定例役員会、いろいろ意見が続出し、ついには激論、一時はどうなるかと心配するほどだった。しかし大滝会長が丁寧に所信を説明し、熊切・アウンリー両副会長がそれぞれ丹念に補足説明を加え、結局最後は全員の賛同を得た。このようなすさまじい議論は、私にとって久し振りのことであり、一種の感動すら覚えた。問題点はやはり言葉の壁であり、また育った環境の違いも少しずつ明らかになってきた。例えば個人情報保護について、日本人は厳しく感じているが、ビルマ人はほとんど気にしていない。また日本人は性善説で事を運ぼうとするが、ビルマ人は否定的である。民主的な経済大国で育った日本人と、軍事政権の抑圧の下で育ったビルマ人、考え方がどうしても違う。今後も真剣に激論を重ねていけば、すばらしい会になるだろう。大いに期待している。

2008年7月27日日曜日

(77)研修・技能実習制度 やめたら

(2008年7月27日)
今朝の朝日によると、外国人研修・技能実習制度の 問題点が大きく出ていた。この制度の趣旨は「途上国への技能移転」であり、1年目は研修生として技術・技能を修得する期間で、2・3年目が労働者の扱いとなり3年経過すると帰国となる。現在中国、ベトナム、フィリピン、タイ、インドネシアなどから約9万人が日本に来ており、ビルマ人もいると聞く。受け入れ側の多くは、繊維、金属、食品、農業などの小規模企業のようだ。特に問題なのが1年目の研修生で、本来日本語教育その他を研修する場だが、実際には人手不足を埋める単純労働者扱いをしてることだ。米国では人身売買の一例として取り上げている。自民党では、この制度を廃止し最初から短期労働者として入れ、定住は認めない方針。一方日本商工会議所は定住を認めたらと言う。政府は現行制度の修正で十分との立場。私は定住を認めてよいと思う。

2008年7月26日土曜日

(76)ビルマがASEAN憲章を批准?

(2008年7月26日)
 「今週のビルマのニュース」Eメール版(7月25日号)によると「ビルマ軍政は22日ASEAN憲章を批准した。これで批准国は7カ国になった」とあった。ただこれだけである。念のため批准という言葉を辞書で確かめると「(法律で)条約を国家として認め、最終的に確定すること」とあり、ショックを受けた。未批准国はフィリピン、タイ、インドネシアの3国のみ。問題はフィリピンなどが、人権機構の権限や創設に熱心であったが、ミャンマーが強く反対して結局これらは先送りとなったらしい。中身が確定していないまま批准するということは、私には考えにくい。たまたま昨日、私と同時期にライオンの研究所で働いていた8人の仲間(皆80歳前後)が集り、銀座で一杯やったが、ビルマの話題も結構出た。どうも皆ビルマという国が不可解な国という印象のようだった。この国がASEAN憲章を批准?わからなくなっちゃた。本件調査続行。

2008年7月25日金曜日

(75)ビルマ友人からの電話

(2008年7月25日)
  昨夜、日本の大学で学んでいるビルマの友人から電話があった。久し振りの彼の懐かしい声を聞いてとても嬉しくなり、お互いに昨今の「ビルマ問題」を語り合った。将来のビルマの姿、国名の問題点、日本にいるビルマ人の考え方、少数民族問題の位置づけなどなど、延々と電話が続いた。その中で彼が強調する点は「教育問題」と「人権問題」にあったと思う。確かにビルマの一流大学を卒業した人が、日本で皿洗いをし、居酒屋で料理を運んでいる姿を目の当たりにすると、彼らに祖国再建のための教育に展望が開けない。青年から「教育」がなくなれば祖国は今以上に落ち込むであろう。また彼は「人権」についても憂いている。在日ビルマ人にしっかり「人権」を教えないと、軍事政権からばら撒かれた細菌はいつまでも残るであろうという。彼のようなしっかりした青年が、将来日本とビルマの架け橋になるのであろう。

2008年7月24日木曜日

(74)少し朗報 難民受け入れへ

(2008年7月24日)
今朝の朝日新聞を開くと、「政府は難民受け入れへ転換 避難国経由で移住」と大きく出ていた。久々の朗報である。09年に準備を進め、2010年からタイに逃れているミャンマー難民を受け入れる可能性が高く、当初30人ぐらいを想定しているらしい。タイ国境の難民キャンプで暮らす難民を日本で恒常的に受け入れる「第三国定住」制度を導入することになる。昨年日本が受け入れた難民はたったの41人、国内外で閉鎖的といわれてきた日本の難民政策の一つの転換点とはいえる。一方、現在の難民認定制度は、すでに来日した人が認定を求めるために、「不法滞在者らによる悪用」が多いという理由で、認定されない割合も高い。すでに日本で5年10年と真面目に暮らし、日本社会に溶け込んでいる彼らは、難民申請によって故国と決別し、家族と別れる決意をした人たちである、この面でも政府は配慮して欲しい。

2008年7月23日水曜日

(73)朝日新聞特派員のビルマ関連ブログ

(2008年7月23日)
 今朝の朝日に「特派員ブログ」という文字が。読んでいくうちに「特派員世界を走る」というテーマで各地の特派員がそれぞれの地域に起こった話題をブログで書いており、最新号はアジア総局(バンコク)山本大輔記者のミャンマーの民主化実現のためにどんな道があるのか、読者に問いかけつつ考えるとの説明。「ブログ」+「ビルマ」という私の最大関心事が二つとも揃っているので、見逃すわけにはいかない。さっそくログインして本文を見た。彼のブログの概要は「突然、荒々しい巨大な氷山が現れ、航路をふさいだ。船の沈没を覚悟で何度も突っ込み、氷山を壊して後続へ道を開くか、それとも皆で協力して我慢強く温風を送り続け、氷山が少しずつ溶けるのを待つか。どちらを選ぶか。」という問題提起型のブログだ。コメントはまだ4人しかいないが、私も近く投稿するつもりだ。その内容はいつかこの欄に掲載しよう。

2008年7月22日火曜日

(72)在日ビルマ人の雑誌発行グループ

(2008年7月22日)
  在日ビルマ人の民主化グループ31団体中に雑誌発行グループがある。日本の場合、どこかの政党やグループに所属して、その本体の活動の広報に利用する雑誌は多い。このため、雑誌発行グループが、即、政治団体であるという発想に当初違和感を抱いていた。しかし、雑誌を発行すること自体が、民主化活動であり、軍事政権反対活動であるという発想があってもよいと思うようになった。現在、「アハラ誌」、「アリンエイン誌」、「ティッサー革命雑誌」の3グループが活動グループに登録されている。これらとは別に、「モータウチェ」(明け方の星=金星)という雑誌もある。先日この雑誌から取材があり、私とビルマの関わりについていろいろしゃべったが、掲載号が近く発行されるという。取りあえずゲラ刷りをもらったが、ビルマ語なのでよく読めない。ただ私の顔写真は結構ハンサムに撮れていた。発行が待たれるなあ。

2008年7月21日月曜日

(71)強烈過ぎるよ 「うわさ」話

(2008年7月21日)
  ビルマ人社会と付き合っていて気になるのが「うわさ」の激しさである。「うわさ」とは、そこにいない人を話題にして、事実かどうか疑わしい事柄について興味本位に言いふらすことで、ビルマ語で「コーラハーラ」という。日本人社会でも、もちろん「うわさ」話はいっぱいあるが、比較的おとなしいものが多いと思う。しかし、ビルマ人社会のうわさ話は強烈であり、人権問題に発達しそうな内容も結構耳に入る。軍政下のビルマでは、情報伝達手段が極端に制限されており、その反動として「うわさ」が広がる素地ができている。私も何回も「うわさ」の主人公にさせられた苦い経験がある。ビルマ人同士の間でも「うわさ」に悩んでいる人が多いと聞く。「うわさ」話を聞いたら、つい友人に伝えたくなるものだが、それで悩む人が生まれる可能性もある。ここは日本、お互い「うわさ」話に飛びつかない姿勢が大切だと思う。自戒を込めて。

2008年7月20日日曜日

(70)一連のASEAN会議始まる

(2008年7月20日)
  いよいよ今日から一連のASEAN会議がスタートする。第1日目である20日は非公式外相夕食会、21日が加盟10カ国の外相会議、22日がASEAN+3(日、中、韓)外相会議、23日が拡大外相会議、24日が地域フォーラム(ARF)と続く。この進行スケジュールは毎年同じだが、今回はASEAN外相会議の共同声明の最終草稿に、ビルマ軍事政権に民主化の進展と政治犯釈放を求める文言がフィリピンなどの主張で入っているらしい。加盟国の多くは、人権機構の問題を含め、ASEAN共同体発足に向けた憲章の年内発効を目指すが、ミャンマー(中国・カンボジア・ラオスなど)が反対するのは明らかである。ビルマ軍事政権は民主国家にとっては異様な存在であり、ASEAN加盟国が全員一致の憲章を作ることはまず不可能であろう。とすると、加盟各国は今後も気長に話し合いをするしか方法がなのかしら。おかしい。

2008年7月19日土曜日

(69)ビルマ人難民認定第1号は?

(2008年7月19日)
  私はビルマ人の難民認定に関心がある。現在、ビルマ人の難民申請者が千五百人以上もいるのに、認定された人は一年にわずか数十人、「難民に冷たい国」といわれても返す言葉がない。そもそもビルマ人の難民第1号は誰であろうか。私の書棚に、「難民認定」(副題:ミャミャウインが語った1500日)という単行本がある。著者根津清、ダイヤモンド社、1992年10月発行、この本の表紙裏に彼女のサインが大きく記されている。本書によれば1992年4月20日、法務省名古屋入国管理局から呼出しがあり、本人と息子(ミンウー)と甥(ウインナイン)の3人がビルマ人として始めて難民認定書をもらったとある。ミャミャウインとウインナインは確かにビルマ民主化のために活躍した。特にウインナインは千葉大で博士号を取得、在日ビルマ人協会会長の要職をこなした。しかしその後、ほろ苦い事態となってしまった。

2008年7月18日金曜日

(68)TBSニュース23 

(2008年7月18日)
  昨夜メールを見ていると、23時からTBSの「ニュース23」でサイクロン後のミャンマーの問題を放映するという。この番組の翻訳をチェックしたのは知人のNさんらと聞いていた。概要は以下のとおり。5月のサイクロンによって14万人もの死者・不明者を出したが、被害を受けた地区には多くのカレン人が住んでいた。彼らは家を流され1日1食のときもあったが、軍政は少数民族に迫害を加え続けた。このため彼らは、川を渡ってタイ領のメソットに密入国した。タイ側の警戒も厳しく、外出もできない状況だったので、書類を偽造して明け方車で密かに難民キャンプに入り、カレン族の知人のもとにたどり着いた。キャンプの中で知人から保護を受け隠れるように暮らしており、もうミャンマーへは帰りたくないという。画面では、幼児のつぶらな瞳に光る涙が印象的だった。軍事政権は少数民族、特にカレン人を迫害し続けている。

2008年7月17日木曜日

(67)バス旅行

(2008年7月17日)
  私たちの「在日ビルマ難民たすけあいの会」では8月17日の日曜日、というか、お盆休みを利用して大洗海岸と水戸偕楽園への日帰りバス旅行を計画している。参加費1万円で、定員90名。この計画には大賛成である。遠い異国で、難民申請している彼らは、たくさんの苦悩を抱えながら日本で暮らしている。たまにはこのような楽しいイベントが必要であろう。私が属している「ミンガラ日本語教室」でも、1999年から毎年バス旅行を実施している。行き先は、日光、富士山、箱根等の日本の代表的な観光地を毎年順繰りに選んできた。時に、葛西臨海公園や鴨川シーワールド、マザー牧場等にも行っている。現地観光の楽しさもさることながら、行き帰りにバスという狭い空間で、皆でしゃべり、皆で歌い、皆で笑うという事は、日常の苦悩を吹っ飛ばす絶好の機会でもある。そして、彼らの友情を深める最高の場でもある。

2008年7月16日水曜日

(66)よくまとまっている 難民申請の流れ

(2008年7月16日)
  第1回BRSAセミナーでの熊澤新さんの講演「日本の難民認定制度の現状」の要約を読んだ。「在日ビルマ難民たすけあいの会」のブログに記載されているこの内容は、熊澤・熊切コンビによる発表であり、今までこの種の内容はあるようでなかった。私も参考になったし、会員もぜひ勉強して欲しい。記述のとおり、確かに難民申請者は増えており、ビルマ人といえば難民申請者かなと想像してしまう。今年の難民申請者は1000人を超すようだが、不認定の難民申請者が選ぶ道は、帰国は論外として、裁判か2回目の難民申請しかない。BRSA(「在日ビルマ難民たすけあいの会」)では、この種のセミナーを随時開催して行きたい。たまたま今朝の新聞で法務省入国管理局長が交代したという。日本で暮らす難民申請者が不安定なまま急増している現状打破のため、新しい政策を打ち出して欲しい。大いに期待しています。

2008年7月15日火曜日

(65)88年8月8日前後の新聞記事

(2008年7月15日)
  いまから約20年前の88年8月8日は、全ビルマ人にとって忘れられない日である。そのとき日本の新聞はどのように報じていたのだろうか? 友人S氏から頂いた新聞資料を基に、当時の報道の様子をまとめた私の紹介記事がある(みんがらネットワーク会報第12号・2001年6月発行)。ビルマの歴史を語る上で貴重な資料であり、連日4段、5段抜きの大見出で当時のビルマの緊迫した様子が報道されている。例えば「ビルマデモ 地方にも波及 緊張高まる首都」、「ビルマ国軍が無差別発砲、市民も武装、多数の死者」、「首都一挙に内乱状態、軍発砲に市民反撃 看護婦ら多数死亡」、「全土で無期限休校、ビルマ在留邦人は外出自粛」、「ビルマ首都5万人デモ、15か所で反政府行動」など。結果は軍事政権側が民主化勢力側を武力で打ち負かしたが、この怨念が今日まで続いている。民主化勢力よ ガンバレ!

2008年7月14日月曜日

(64)日本に外国人は何人?

(2008年7月14日)
  日本に外国人はいったい何人いるのだろうか?法務省入国管理局の発表によれば、平成19年末の外国人登録者数は215万人でわが国の人口の1.7%、約60人に1人が外国人である。こんなにいるのかなあ。しかも女性が115万人、男性100万人で女性のほうが多い、なぜだろう。215万人の外国人のうち多いのは中国(61万人)、韓国・朝鮮、ブラジル、フィリピン、ペルー、米国の順、ペルー人の多いのは、ブラジル人同様、日系2世、3世によるものらしい。これらの外国人は日本のどこに多いのか、東京(38万人)、愛知、大阪、神奈川、埼玉、千葉、兵庫と続く。逆に少ないのが、高知(4千人)、宮崎、佐賀、秋田の順。在留資格別では、永住者(87万人)、定住者(27万人)、日本人配偶者等、留学、家族、研修と続く。現在「資格なし」というビルマ人が多いが、早く「定住」、「特定活動」の資格が取れますように。

(63)その後の被災地

(2008年7月13日)
  5月はじめのサイクロン被害のあと、インターネットを通じていろいろな現地情報が流れていたが、どちらかというと反政府サイドの情報が多かった。このためちょっと気になっていたが、今朝の朝日新聞に、ミャンマー被災地の現在の状況が比較的大きく報じられていた。大新聞ならまあまあ中立的かなと思いつつ読んだ。被災地では人々が道路に並んで物資を待つという状況はなくなり、米は一応確保できているが副食は湿地に自生する空心菜だけ。一方救援物資が届きにくい地域ではカビの生えた備蓄米しか食べられない。テレビに映った被災地には外国の救援物資が殺到するが、道路が寸断されている地域では手付かずのままで復興格差が拡大中。私の関係する「在日ビルマ難民たすけあいの会」でも「ミンガラ日本語教室」でも、支援金を送ったが、少しでも役に立って欲しい。みんな早く幸せになって欲しいなあ。

2008年7月12日土曜日

(62)読ませるね 拓さんのブログ

(2008年7月12日)
  他人のブログを読んでいて、早く続きを見たいと思うことはあまりない。だが熊切拓さんの「スパイの話(1)」(リンク表にある「ビルマ国境ニュース」)は面白い。カレン人の集会で「日本人のスパイがいる、そのスパイの名は・・・・不思議なことに拓さんと同名であった」。「スパイだといったのは拓さんがよく知っている人物だった」。「そこで拓さんはその人物に電話してみた」。第1回目はここで終わっていた。確かにミャンマー人の間で「スパイがいる」という話は極めて多く、私も何回も聞いた。日本で30以上もの民主化グループが割拠している原因も、あるいはこのようなお互いの疑心暗鬼の気持ちが作用しているためかしら。5人以上の集会は禁止などという、軍事政権による長い弾圧政治が、民衆の心をずたずたに切り裂いた結果であろう。平和ボケしている日本人には考えられない現象だ。拓さんの続編が待たれる。

2008年7月11日金曜日

(61)おめでとう 定住許可の一報

(2008年7月11日)
  メールをチェックしていると、大変なニュースが打ち込まれていた。ミンガラ日本語教室の現生徒であり、在日民主化団体で活躍しているNさんご夫婦が、共に在留特別許可(定住)をもらったという。奥さんは2年連続して日本語能力試験1級に合格している英才で、その民主化団体では、得意の日本語能力をフルに活用して活動をリードしている。私はいままで収容されていて難民申請したビルマ人の結果をたくさん聞いてきたが、多くは不認可であり、気の毒にも2回目の申請または裁判に移行している。収容される前、即ち入管に出頭して難民申請すると、多くは定住または特定活動のビザがもらえる。この格差は大きい。このことを多くのビルマ人に知らせる必要がある。また民主化団体に入っても、何らかの方法で活動をリードするという意気込みが大切である。Nさんのように日本語を活用する方法も考えてみては・・・・。

2008年7月10日木曜日

(60)1690万分の1 このブログ

(2008年7月10日)
  今朝の朝日新聞に「国内ブログ 単行本2700万冊分」という見出しで総務省の調査結果が出ていた。今年1月末現在で国内のブログは1690万件あり、記事総数は約13億5千万件、単行本換算で2700万冊分のデータに相当するという。1ヶ月に1回以上更新されるブログは300万件、毎月約50万件のブログが新設されている。1690万分の1でも、当ブログはビルマ特に難民問題に特化しており、見る人が見れば価値あるブログだと自画自賛中。ところで北海道洞爺湖のサミットは無事終わった。福田首相による議長総括ではビルマ問題に触れ、①国際援助に対する制限の解除と援助の透明性の向上、②民主的な文民政府への平和的な移行、③スーチー女史はじめ政治的抑留者の解放、などを呼びかけた。ビルマ軍事政権は、この呼びかけにどう答えるのだろうか。関係者は今後ともこのブログに注目、注目!

2008年7月8日火曜日

(59)いないかな? ビルマ人の看護師・介護師

(2008年7月9日)
  おととい(57号)で日本の少子高齢化に関係して働き手のあり方に触れたが、今日、入管協会から「国際人流」誌が届き、その中にインドネシアからの看護師や介護師の受け入れについて紹介されていた。この種の決定は日本とインドネシア共和国との「経済上の連携に関する協定」によるものとされ、いま話題の特定活動の告示を改正している。その要点は看護師(介護師)の資格を得るまでの研修期間には、在留資格「特定活動」、在留期間「1年間」が与えられる。その後国家資格を取得して雇用関係が生ずると「在留期間3年」が与えられる。確かこの分野は当初フィリピンが有力であったが、いつの間にかインドネシアに変わっていた。ビルマ人はどうであろうか?軍事政権下では、協定を結ぶこと自体がまず無理であろう。私が老人施設や病院でお世話になるとき、そばにビルマ人がいたらとても嬉しいのだが。

(58)単行本「ミャンマー」を読んで

(2008年7月8日)

  先日、乃南アサ著「ミャンマー」(文芸春秋社発行、1400円)を近くの書店で買った。発行が08年6月なので、つい最近のサイクロン被害についても簡単ではあるが触れられていた。私はいままで著者名を全然知らなかったが、後書きで直木賞受賞作家であることを知り、興味を抱きながら一気に読み終えた。内容はミャンマー旅行記であり、写真をたくさん使っているので分かりやすかった。「どこに行っても、人々は、ひたすらに生きている」。「その、生きている姿を忘れたくない」。「デモと軍政が対峙する国で不思議な懐かしさが沸いてきた」。「軍政下でも人々の顔は未来へ輝いている」。「それは私たちアジア人のふるさとなのかもしれない」。「そこにはかつての日本があった」。さすが直木賞作家であり、やさしい、きれいな文章で最近のミャンマーを紹介している。それに比べてこのブログの拙文はひどいものだなあ・・・・。

2008年7月7日月曜日

(57)どうなる 日本の働き手

(2008年7月7日)
  昨日の朝日新聞を見ていると、2030年(22年後)には日本の働き手人口は1070万人も減少して5584万人になるらしい。そのとき私は101歳か、まあいないね。働き手の減少を補うには、海外から応援を頼むのが最善だ。すでにブラジルやペルーの日系人が約30万人も日本に来て日本人同様に働いており、この他にアジア各地からの研修・技能実習生が20万人働いているという。外国人労働者を必要とする企業は全国各地にあり、いわゆる「売り手市場」となっている。一方、難民や在留特別許可を得た定住者も原則日本人同様に自由に働ける。少子高齢化が急激に進む中、政府は早く難民政策をこの視点から検討して欲しい。特に難民申請者の収容や、単純労働には外国人の雇用を認めないという制度を見直し、多文化共生時代を築きあげて欲しい。「難民鎖国」という冷たい視線を避けるためにも・・・・。

2008年7月6日日曜日

(56)ハリウッドスターとビルマの30日間②

(2008年7月6日)
  (33)では18日目の寸劇を書いたが、今日は30日目、モデルで歌手のティラ・テキーラさんが高校教師の役で出演、題名は「妄想ハイスクール」。ティラ先生が生徒に抜き打ちテストを宣言、第1問、ビルマはどこにある? 生徒:印度と中国に挟まれ、人口は5千5百万人。 第2問、タンシュエとは誰? 生徒:ビルマの独裁者、強制労働や拷問、組織的な強姦を命じている。昨年秋には僧侶や民衆を武力で弾圧した人物。 第3問、8888とは何? 生徒:平和的に抗議運動をしていた3千人が殺された日で、他に数千人が投獄されました。 最後の問題:ビルマを助けるために国連安全保障理事会がしてることは? 生徒:何もしていません。 ティラ先生:そのとおり。(生徒の頬にキスマーク!)。 ハリウッドの著名俳優を使ったこのシリーズは今日で終わりかと思ったら、まだまだ続くとのこと。評判がよほどよいのだろう。

2008年7月5日土曜日

(55)日本語がわからない難民なんて

(2008年7月5日)
  私はビルマ人難民申請者に会う機会が多い。日本に来てすぐ難民申請して収容された人は、当然のことながら日本語が分からず気の毒な状態である。私はそういう人には初級の日本語の教材や、簡単な辞典を差し入れている。4ヵ月後入管を出る頃にはとても上手にしゃべる人もいて、びっくりする。一方、数年~十数年日本にいた人で、日本語をほとんどしゃべれない人もいる。そういう人は概して友人が少なく、内にこもるタイプのようだ。これも気の毒である。しかし難民申請をするということは、祖国と決別し、家族と別かれるということ、言葉を返せば、多くの人は日本でずっと暮らすということ。日本人社会に溶け込むにはまず日本語の習得が重要で、その意欲が難民に認定される一つの要素かも。彼らにとって日本人と一緒に暮らす決意こそ今一番大切なのだ。幸い私の関係する「ミンガラ日本語教室」もあるし・・・・。

2008年7月4日金曜日

(54)ユニークな 難民を支援する団体

(2008年7月4日)
 現在日本にいる難民(申請者)は圧倒的にビルマ人が多い。軍事政権が一般大衆に銃を向け、かつてはタイよりも栄えていた国を世界最貧国に陥れた罪は大きい。貧しく自由のない彼らが民主・経済大国の日本に安住の地を求めてやって来るのはやむをえない。しかし日本政府は彼らを追い出すことに専念している。世の中から「難民鎖国」と嘲笑されていても・・・・。この日本に数は少ないが、難民(申請者)を支援している団体、例えばUNHCR(国連難民高等弁務官駐日事務所)、RHQ(難民事業本部)、JAR(日本難民支援協会)、その他弁護士会や教会、ボランティア団体などがある。最近立ち上げた私たちの団体BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)もその一つ。この団体の特徴は、日本人とビルマ人難民(申請者)が協力し、かつ、ビルマ人難民(申請者)同士がお互いに助け合うというとてもユニークな団体だ。

2008年7月3日木曜日

(53)ビザがなくても 赤ちゃん産めるよ

(2008年7月3日)
  牛久入管からビルマ人難民申請者が相次いで出所したのが去年の10月~12月、このためか、近頃「妊娠しました」との嬉しい連絡が多く、私の知っているだけで5組はいる。まもなく出産ブームが訪れよう。ここで問題になるのが出産費用。日本人の場合、40万円前後かかるらしい。こんなに高額な費用は難民申請者にとって厳しすぎる。児童福祉法では、出産費用の捻出が困難な妊婦は、指定の病院に入院させ、助産費用は公費で負担(所得に応じて自己負担)、国籍や在留資格には関係ないとしている。該当する入院助産指定病院は多くないので、まずこの病院の確保が必要。新宿区の場合、国立国際医療センター、社会保険中央総合病院、聖母病院の3箇所のみ。日本人でも産科不足で悩んでいるので、ビルマの方は妊娠したら、すぐ区役所に相談することがとても大切。ついでに「母子手帳」も貰っておくこと。

2008年7月1日火曜日

(52)多すぎないか? 在日グループ

(2008年7月2日)
 現在、日本にはいったいいくつのビルマ人グループがあるのだろうか?私がビルマ問題に首を突っ込んだのは今から13年前で、その頃は確か「在日ビルマ人協会」だけだったと思う。いつの間にか分裂や新規発足が繰り返され、グループが増え続けた。さすがに雑多なグループでは統制が取れないため、JAC(在日ビルマ人共同実行委員会)という横断的な組織が生まれ、参加する団体は31もある。主だったグループとして、国民民主連盟(NLD)、ビルマ民主化同盟(LDB)、ビルマ民主アクショングループ(BDA)、全ビルマ学生連盟(ABFSU)などがあり、少数民族組織としてはカチン民族とカレン民族が3つずつ、シャン民族が2つある。そのほか、ビルマ女性連盟(BWU)、在日ビルマ市民労働組合(FWUBC)、3つの雑誌グループもある。これらのグループがそれぞれ気ままに活動しているように見えるが、僻目かしら。

(51)今日の新聞記事 2題

(2008年7月1日)
 今朝の朝日新聞を読むと「サイクロン・四川地震救援募金を締め切り」と小さく出ていた。少し早いようだが、何か事情があるのだろう。ミャンマーサイクロンには944万円を被災地に送ったとあり、日本人の善意も捨てたものではない。我々の「たすけあいの会」が送った70万円も有効に使われていることを祈る。ところで別の紙面には「密出国、息潜める被災者」という大きな見出しで多くのサイクロン被災者が、タイのメソトという国境の町へ不法入国し、タイ側警察の摘発・強制送還を恐れて外出もままならないとある。ビルマ人はどこまで軍政にいじめられるのであろうか。軍政がある以上、タイへ、そして日本へ国外逃亡が続くであろう。私の知人のビルマ人の姪もメソトに逃れ、タイ・バンコクから成田に着いて、すぐ難民申請をした。私は彼女と成田入管で面会したが、その後牛久入管に送られ、いまだに収容が続いている。