2009年9月30日水曜日

(507)ビルマと直接対話 裏に北朝鮮問題

(2009年9月30日)
  アメリカ国務省はビルマ軍事政権との直接対話に臨む新政策を正式に発表した。対話を通じ、核分野を含む北朝鮮との違法な軍事協力を停止するよう圧力をかけると表明、実際の関係改善は、軍政の行動を見極めて「段階的に行う」との考えを示した。報道担当者はビルマと北朝鮮の関係について「軍事面やそれを超えた分野で明らかに相互関係がある」と懸念を表明。直接対話に踏み切る理由の一つに「両国の最近の接近がより大きな焦点となってきた」ことを挙げ、対話を通じて「より透明性を求めていく」と述べた。一方、ビルマのテインセイン首相は国連で演説し、米国などによる経済制裁について「政治的な道具として使われており不当だ」、「強国は経済制裁を途上国への圧力として使っている」、「人権と民主主義を促進する手段としてはふさわしくない」と述べて解除を求めた。アメリカによるこの政策転換に注目。

2009年9月29日火曜日

(506)我がマニフェスト 最初から調子変

(2009年9月29日)
  9月28日に私なりのこの1年間のマニフェストを公表した。8項目に亘り、1.ミンガラ日本語教室不参加、2.BRSA会合不参加、3.入管面会活動半減、4.ブログ継続、5.自分史完成5月、6.エッセイ集完成10月などなど。そして1年経過したら復帰するというもの。ただこの前提は最近判明した難病「黄色靭帯骨化症」の進行状況次第だ。言い換えるとこの変な難病が悪さを発揮する前に、もろもろの懸念事項を先に片付けておこうという発想、過去13年間、多くの方々にお世話になったが、私のわがままにお許しを戴きたい。さてこのマニフェストの中で、一つ無理だなと思われる項目が出てきた。3.入管訪問活動の半減だが、最近収容者がぐんぐん増加して現在17名、面会は一人10名までなので、結局2回に分けないと全員に面会できなくなった。半減⇔倍増、結局もとの木阿弥、当面は毎週訪問することになる。

2009年9月28日月曜日

(505)ビルマ今週のニュース36

(2009年9月28日)
  BURMAINFOからのニュース36号を抜粋。 ★軍政は国連総会直前に恩赦を実施、その中に127人の政治囚含まれるが著名人はいない、国際圧力を軽減するためと思われる。日本外務省は前向きの動きとして評価。 ★ビルマ国営紙は「収容者は国の安定を乱し法律に違反した者だ」とする論説を出しビルマには政治囚は存在しないという見解を改めて示した。 ★パン国連事務総長は国連総会で演説し、「十分とはいえない、来年の総選挙が信用性あるものとして受け入れられるにはスーチー氏始めすべての政治囚が釈放されなければならない」と。 ★クリントン米国務長官は、対ビルマ政策に制裁と同時に対話も活用していく」とした。この新政策についてNLDの幹部ニャンウイン氏は「米国が軍政に圧力をかけ続ける限り関与に支持するとした。 ★岡田外相は「軍政の前向きな動きには前向きに対応する」と。

2009年9月27日日曜日

(504)スーチー氏 軍政に書簡

(2009年9月27日)
  今日の朝刊によると自宅軟禁中のビルマ民主化運動指導者スーチー氏は26日軍政トップのタンシュエ議長に書簡を送り、欧米諸国による制裁解除に向けた方策について自身の考えを伝えたという。いままで国際社会による制裁に一貫して賛同してきたスーチー氏が解除の可能性に言及したことは、来年予定されている総選挙に向け、軍政との交渉に応じる可能性を示唆したとの見方が出ている。米オバマ政権が対ミャンマー政策の見直しを決めた直後の動きだけに、軍政側がどのように応じるかも注目される。米国がオバマ政権誕生により大きく変わりだしたこと、その政策が日本の従来からの政策と類似してること、EUの意向が不明確なこと、世界各地の反軍事政権グループが足をすくわれる状態になることなど波及する問題は大きい。いずれにせよビルマは軍事政権の下で来年は民政化する。これでいいのか。

2009年9月26日土曜日

(503)私のマニフェスト どうかな

(2009年9月26日)
  (491)(492)(500)に書いてきたが、今まで夢中でやってきたビルマ関係の仕事を縮小、整理し、自分の健康、特に「黄色靭帯骨化症」の進行を横目に見ながら、遣り残していた「自分史やエッセイ集の作成」や「家事の整理」などを先に完成させ、後顧の憂いなき状態にしてから再度ビルマ関連問題に挑戦したい。とはいっても13年間ボランティアで続けてきた仕事をやめることは相当に辛い。そこで私なりにこの1年間のマニフェストを作ってみた。まず①ミンガラ日本語教室関連は全面的に中尾先生と18人の同僚にゆだねる。②BRSA関連のうち、(中央)執行委員会や行事などには出席しない(相談等には応じるが)。③入管面会活動(対女性)は月2回程度に減らし、保証人は引き受けない(健康上の不安があるため)。④「U MINGALARのつぶやき」は自己規制を外し自由に書く、以上。民主党のよりいいよね。

2009年9月25日金曜日

(502)対ビルマ政策 相反する情報が

(2009年9月25日)
  今朝の朝日新聞には、アメリカが従来の対ビルマ政策の方針を変えて、軍政と対話方針を打ち出し、民主化への糸口を探ることを模索し始めたという。米側によると軍政も対話に応じる可能性が高いという。関与か制裁か、は誤った選択であり、両方を使って軍政に直接関与していく方針だ。従来の手法では民主化の道筋が描けないと判断したと見られる。一方、イギリスの人権活動家のベネディクト・ロジャーズ氏(ロンドン在住)は「鳩山政権誕生、日本のビルマ政策は見直しの好機」として「日本ほどビルマに対して大きな歴史的責任を持つ国はない。しかし日本は軍事政権に政治的、経済的支援を与えてきた。懐柔政策に効果があるという誤った見解を踏襲し、OECD加盟国中最大のビルマ援助国となっている。日石ミャンマー石油開発への出資などやめるべきだと。相反する2つのビルマ政策、アメリカの動きに注目。

2009年9月24日木曜日

(501)弾圧から2周年 僧侶たちの抵抗

(2009年9月24日)
  ヒューマン・ライツ・ウオッチのリリースを以下紹介する。平和的な街頭デモに対する弾圧の2周年を迎え、仏教僧がいまだに脅迫、重い刑罰などの弾圧の対象となっている。2007年の一連の出来事以来、何千もの僧侶が強制還俗させられ、数百人の僧侶が投獄され、数千人が軍の弾圧を恐れながら暮らしている。多くの僧侶たちは所属していた僧院を逃れて故郷に戻るか海外に亡命、僧院に残った僧侶たちは当局による監視が続く中での生活を余儀なくされている。ある僧侶は「ビルマ国民の激しい怒りはまだ収まっていない。国際社会がビルマ政府に対して一致して圧力をかけなければ僧侶たちは再び街頭に出ても不思議ではない」。「軍政は一斉検挙や殺害、拷問、投獄などの手法をとってくるがそんなものでは私たちの強い願いを一掃することはできない。同志が犠牲になっても他の誰かが私たちの衣鉢を継ぐ」と。

2009年9月23日水曜日

(500)やったあ 500回だ 決断だ

(2009年9月23日)
  バンザーイ! とうとう500回続いた。連日画面上では同一字数(約365字)のエッセイを書き通したのだ。しかも、ビルマ問題、難民問題、入管問題など硬派に属するテーマでだ。最近コメント数も増えだし、読者数も延べ14000人に近づいてきた。一方私が創設したミンガラ日本語教室も中尾先生はじめ皆様方のご尽力で順風満帆、昨年からスタートしたBRSAも会員数で日本1・2位を争う大集団に成長した。すべてが万事順調だ。ところが昨年11月から背中に痛みを感じ、最近専門医に診てもらったところ「黄色靭帯骨化症」という日本では珍しい難病と診断された。背中の神経が圧迫されて歩行困難になるという病気だ。ショックだったが待てよ、まてよ、こういうときこそ過去を振り返る絶好の機会だろう。ここいらで一休みして、私の過去を振り返えり、まず「自分史」を完成させ、さらに「エッセイ集」の発行を夢見ている。

2009年9月22日火曜日

(499)明日は500回記念 さて今週は

(2009年9月22日)
  あれれ、本文ばっかり夢中になっていたが、明日500回ということはいま始めて実感として沸いてきた。イチローの9年連続200本安打には到底及ばないが、私はなぜかそれに近い達成感を抱いているのだ。ところで例によってビルマのニュースをBURMAINFO35号から拾ってみる。 ★来日中の女優ジェーンバーキンさんがビルマの人権状況を考えるラウンドテーブル(アムネスティ議連主催)で軍政に圧力を求めた。 ★関係省庁の中堅幹部や日系企業関係者がビルマで貿易投資ワークショップを開催し、工業団地の視察などを計画。来年総選挙後に米国などが対ビルマ制裁を緩和した場合に備え、ビルマとの投資・貿易の可能性を検討し人脈を築いておくのが狙い。 ★スーチー氏の判決は10月2日に決定。 ★軍政は17日7100人に恩赦を与えると発表、この中には少なくとも19人の政治囚が含まれている。

2009年9月21日月曜日

(498)複雑な後味 映画「花と兵隊」

(2009年9月21日)
  昨日は予定していた行事がなくなったので、ふらりと渋谷に向かった。お目当てはシアター・イメージフォーラム。渋谷の街をさまよう若者が多いのにビックリ、完全におのぼりさん状態だ。特に参ったのが宮益坂の歩道橋、手すりに掴まりヨイショヨイショと上る。ハアハアしながらやっと目的の映画館へ。映画は、数人の未帰還兵たちとその土地土地の女性とのロマンスを主題に話が進み、自動車会社の経営者やポンプの販売で財を成した未帰還兵の苦労話も続く、最後のほうでは自分の力で大きな慰霊碑を作った未帰還兵の話が出たが、彼からは「シナの子供を皆殺しにせよ」との上司の命令を実行した話、肉を食べた話など陰惨な話も出た。皆さんは現在90歳前後、とても元気だし、家族の方々も達者だ。しかし、日本で難民として祖国に帰れないビルマ人と重ね合わせてみると悲しい。ビルマに帰れる日はいつか。

2009年9月20日日曜日

(497)鳩山外交 ビルマ民主化は?

(2009年9月20日)
  今朝の朝日の「風」欄にビルマ担当の山本記者の「民主化へ試される鳩山外交」という記事が大きく報じられていた。彼がビルマ担当として赴任する前鳩山幹事長(当時)から「あなたの記事でスーチーさんを解放してください」と言われたという。実は私も山本記者のブログに「あなたの筆の力で民主化を!」とコメントしたことがある。鳩山氏は02年には党本部からスーチーさんに電話したことも山本記者に打ち明けている。その鳩山氏が首相になったので、亡命ビルマ人の間には期待感が広がっている。日本は、軍政により軟禁、拘束されている多数の政治犯の解放を求める一方、不完全ながらも独自の「民政移管」プロセスにも理解を示しており、また欧米の経済制裁にくみせず軍政と対話を続けている。山本記者は鳩山政権に期待をこめて「首相の指導力でスーチーさんを解放して下さい」と。私も同じ言葉を贈りたい。

2009年9月19日土曜日

(496)決意漲る パブリシティの第2弾

(2009年9月19日)
  牛久入管にいる11人のビルマ人がサフラン革命の2周年記念日を期してハンガーストライキを平穏裡に実施することを知った。サフラン革命というのは例の長井健司カメラマンがヤンゴンで射殺されたときの騒動を言う。最初は88世代学生グループがガソリンの高騰で歩いて帰ろうと音頭をとり、次第にこの動きが僧侶集団に広がり、僧侶の大集団が行進を始めたため街全体が茶色に染まり、その色がサフランのおしべの色(食用色素)に似ていたことから欧米系のマスコミがサフラン革命と名づけた言葉のようだ。牛久入管の11名がそれぞれ実名を出してマスコミにハンスト決行のニュースリリースを発送したことは、悩みぬいた上での決意表明であろう。実名が軍事政権に知られたら家族が迫害を受ける可能性があるなか、そのような危険性を覚悟した上でのパブリシティーであり、単なるパフォーマンスでは絶対ない。

2009年9月18日金曜日

(495)みんがらネットワーク29号

(2009年9月18日)
  「みんがらネットワーク」という雑誌をご存知だろうか。第1号発行は1998年6月だから11年経過している。当時神田須田町1丁目にあったチェリービルマ語教室の日本人生徒と、この教室を間借りしていたミンガラ日本語教室のビルマ人生徒の有志が集まってみんがらネットワークを発足させた。当時私はビルマ語教室の生徒であり、日本語教室の先生であった関係で、私が中心の一人として会の育成に努めた。最初の事業としてこの会報を発行することになり、第1号が24頁定価は500円だった。コピーは会員一人の職場を使い、製本は教室で10人ぐらいが各頁を持ってぐるぐる回りながら頁を重ねていった。今回は29号だが、途中で何回か発行がストップしたこともあったが、みなの熱意で継続できている。途中から編集、製本のリーダーを鈴木貴子さんにバトンタッチしたため、ますます立派な雑誌に進歩している。

2009年9月17日木曜日

(494)なぜ遠い長崎まで送るの

(2009年9月17日)
  最近入管の対応が厳しくなっているという話題が飛び交っている。今朝入管に顔を出すとBRSAの同僚が「今日午後3時半に2人のビルマ人難民申請者が長崎県にある大村入国管理センターへ移送される」と大声で私に訴えてきた。品川の東京入管から茨城県牛久市にある東日本管理センター(通称牛久入管)に移送される件は何件かあるが、大村への移送という話は最近は聞いたことがない。ただ今から7・8年前だったかミンガラ日本語教室の優秀な生徒が品川入管から大村に移送されたことはあったが、そのときは強制退去で母国ビルマに帰ることが予定されていたときなので、納得はできた。しかし今回は難民申請者であり、強制送還はない筈なので不思議な決定だ。早速入管当局に聞いてみたが例によって「総合的な判断によるもの」としか説明しない。今後入管当局の動向にみんなが注意する必要がある。

2009年9月16日水曜日

(493)22家族73名に在留特別許可を

(2009年9月16日)
  私たちは在日ビルマ人を支援する活動を続けている。特にBRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)は難民認定申請をするビルマ人に対していろんな形で支援活動を行っている。ところが一方、難民申請をしない外国人のうち、在留資格の無いまま長期間日本で働き、日本で安定的に生活してきた人々を支援する団体がある。APFS(ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY)だ。そのリーダーの吉成さんとは旧知の間柄だ。先日法務省は「在留特別許可に係るガイドライン」を発表し、その中の「特に考慮する積極要素」として「小、中、高校に通い、10年以上日本で暮らす実子と同居」などの例が発表されたが、実際には父親を入管に収容して家族を追い詰めて送還しようとしてるようだ。22家族73人の名簿にはフィリピン人家族が多く、みな小、中学生を抱えている。家族全員が日本で暮らせるよう応援したい。

2009年9月15日火曜日

(492)何をやるか この1年間

(2009年9月15日)
  昨日のこのブログで、いよいよ引退声明・・・・と書いたところ、早速何人かの方から頑張ってという声と、やめてどうするのという質問が入った。というわけで今日は昨日の続編だ。私の考えは、今後も大好きなビルマ人と触れ合いたいし、入管での面会も続けたいという気持ちでいっぱいだ。しかし、80歳を過ぎるとそれとは別に皆さんとお別れする前にやっておきたいこと、例えば「自分史の完成」、「単行本の発行」、「身辺整理」を済ませておきたいのだ。「自分史」はすでに半分ぐらいは出来上がっており、ぜひ完成させたい。「単行本」とはまだまだ夢のような話だが、できれば「ビルマ問題」、「入管問題」、「難民問題」などに絞って私流の筆致でドキュメンタリー小説をまとめておきたいのだ。これらが完成して後顧の憂いが無くなれば、改めて以前の状態に戻し、ビルマのお友達と助け合いの余生を過ごしたい。どうだろう。

(491)いよいよ引退声明の時期かな

(2009年9月14日)
  今日の新聞各紙にはイチローの9年間連続200本安打の偉業を称えるニュースが躍っていた。内容はちょっと違うが、私の自慢は13年間連続して多くのビルマ人と友人関係を続けてきたことだ。特に警察や入管に留置、収容されていたビルマ人を見舞い、励ましてきたことは私流にはイチローのヒットに相当するものと思っている。異国の警察や入管での留置、収容は精神的に痛手を受けている人たちだ。最初の10年間は、私の知人を対象に面会を重ねてきたが、最近の3年間はビルマ人女性なら知らない人でも面会する努力を続けている。ただ私も80歳、最近は体力的にも衰えを感じるようになった。歩くのも辛い。先月、病院で「黄色靭帯骨化症」という難病であることを宣言されたこともショックだった。だが、私のやりたいことはまだまだ残っている。この1年間に心の残務整理を仕上げて再出発を考えているのだが。

2009年9月14日月曜日

(490)ビルマ国民に不要な選挙

(2009年9月13日)
  BURMAINFOからの情報によれば、ビルマ民主連盟(NLD)中央執行委員会のウィンティン氏(80)が米ワシントン・ポスト紙へ寄稿した文章の概要は以下の通り。ビルマを訪問した米国上院議員のウエップ氏はNLDに対し、長期的な政治戦略の一環として、この選挙への参加を検討するよう望んでいる。しかし軍事政権が予定する見せかけの選挙とは、わが国の国民が求める自由を完全に押し潰すものであり、軍事独裁政権の恒久化を実現するものだとし、参加の可能性をはっきり否定している。国際的な観測筋の一部には、来年の選挙をチャンスと捕らえる向きもあるが、国軍製の憲法が押し付けられている現状では、選挙はインチキなものだ。ウエッブ氏のような当局者は中国脅威論を唱えるのをやめるべきだ。スーチー氏は「私たちはどこの国とも中国であれ米国であれ平等、友好的に接する」との見解だ。

2009年9月12日土曜日

(489)軍事政権反対運動のひとつの形

(2009年9月12日)
  現在牛久入管に収容されている若いビルマ人男性がいる。その男性は日本語が上手で礼儀正しく発想も冴えている。通常入管に収容されると取調べに応ずる以外は時間をもてあまし、早く出たいと訴える人が多い。取調べが一段落した彼らには十分な時間があるので、私は日本語の教材を差し入れて日本語の勉強を薦める場合が多い。ところが彼は反政府運動に取り組む方法をいろいろ思案し、実行している。入管の中にいてはデモもできず何もできないように思われるが、彼は同志を募ってハンストを考え、88記念日にはすでに有志と一緒に実行したという。収容所の中のビルマ人に呼びかけるのも難しいと思うが、彼は時間をかけて同志を集めた。軍事政権の圧制に抗議し、スーチー女史らの解放を訴えるためのハンストであり、有志もこぞって賛同したようだ。彼の行動は、反政府運動の一つの見本のように思える。

2009年9月11日金曜日

(488)米国の対ビルマ政策の見直し

(2009年9月11日)
  ヒューマン・ライツ・ウオッチがクリントン国務長官に宛てた書簡が発表された。その内容は、オバマ政権がビルマに対し新たな重点的取り組みを開始すれば状況は改善されるというもの。それには国務長官直属のビルマ特使を任命し、中国、インド、タイ、インドネシア、マレーシア、日本と協働し、ビルマ政府が従来それらの国同士の対立を利用して得てきた利益を縮小させる。国連事務総長や同特使は国際社会に広く変化をもたらすことができる人物が必要。なお、米国政府が今までよりも融和的な働きかけをすればビルマが妥協してくるという幻想は捨てるべきだ。一般的な制裁措置は再検討し、対象限定型の制裁に切り替えるべきである。制裁の対象を限定し、制裁を開始しているEU、スイス、オーストラリア、カナダと調整を始めれば日本やシンガポールも付いてくるだろう。最後に新しい人道支援方策を訴えている。

2009年9月10日木曜日

(487)入管では悲喜こもごも

(2009年9月10日)
  昨日品川入管を訪問し、収容者14人のうち10人のビルマ人女性と面会したが、まだ数人に保証人が見つかっておらず、彼女らに元気が無かった。そこで私が保証人になってもよいというと、急に元気が出たようで、笑顔に変わった。何か老人の私に遠慮していたような気がする。来週から準備に取り掛かろう。その日偶然BRSA役員の2人と会った。彼らはよく面会活動を続けている。そのうちの一人が今日3時半に入管から呼び出しがあり、もう一人が付き添えの形で来たようだ。呼び出しを受けた彼は大きな荷物を持っており、聞くと突然収容されたときの準備という。私は2時半には面会が終了したが、彼のことが心配で3時半まで待機してから3階の難民申請関連の事務室に顔を出す。廊下の椅子に座っている2人を見つけたが、顔色がさえない。結局難民認定申請は不許可、これから異議申し立てをするとのこと。

2009年9月9日水曜日

(486)入管収容者が悩む保証人探し

(2009年9月9日)
  今日は水曜日、品川入管訪問の日だ。ときどき同行してくれるビルマ人女性と一緒に10人と面会した。彼女らにとって入管での最初の仕事は、不法滞在に関する取調べを受けることと、難民申請に関する取り調べを受けること、そしてもう一つが保証人を決めてその人に仮放免申請書を提出してもらうことだ。これが提出されないと長期間収容されたままとなる。仮放免申請書を提出する際、30万円の保証金を準備することが必要で、残高証明書に数十万円の残高が必要となる。このため日本に入国してまだ短期間の人は苦労して、知人などツテを探すことになる。少数民族の場合はしっかりした教会組織があり、団結力も強いので支援を受けやすいのだが、最近は入国者があまりにも増えた為か支援力が不足がちのようだ。本来少数民族を含めビルマ人同士が助け合うべきであり、BRSAもこの考えで活躍している。

2009年9月8日火曜日

(485)入国ブローカーの存在

(2009年9月8日)
  ビルマから日本に来るにはビルマ政府発行のパスポートと日本大使館発行のビザが必要である。しかし、多くのビルマ人はブローカーに百万円以上の賄賂を払ってこの二つを入手し来日しているようだ。賄賂を払わないで来日している人は、ごく僅かと推定される。私がビルマ問題に首を突っ込んだ十数年前からこの問題が存在し、血の気の多い日本の若者は徹底解明を叫んでいたが、すでに常態化している。たまたま私の友人が最近入手した情報によれば、ヤンゴン市にある旅券発給所に首都ネーピードーから特別調査員が入り、旅券発給所の幹部1名とブローカー27名を逮捕し取調べを続けているようだ。先に当ブログで指摘したように、成田から牛久に収容されたビルマ人にもブローカーの存在が噂されている。ブローカーを介さずに堂々と来日する方法はないのかしら。しかし反軍政活動家には必要な組織だが。

2009年9月7日月曜日

(484)臨時執行委員会

(2009年9月7日)
  昨日は午前中アキバの日本語教室に顔を出し、ビルマ人女性から2件の問題書類を受け取った。2件とも彼女らにとっては重要な書類であり、慎重に対処したい。また生徒の一人と会い、お母さんが突然収容されたことについて話を聞き、私が保証人になることを心に決めて、巣鴨の大滝邸へ。ここで驚いたことにこの生徒のお父さんとお兄さん(やはりアキバ教室の生徒)に出会い相談、当初お父さんが保証人をするとのことで彼らが帰宅したが、暫くして保証人はできないとの電話が入った。この時点で私が保証人になることに決めて返事、予定通りとなった。大滝邸では先週に引き続き臨時執行委員会を開催、2週続いての開催は異例だ。先週の会合には小生は欠席したが、バス旅行の収支決算の問題が出たが、担当役員欠席のため審議は延期された模様、今回は大川弁護士を交え噂の闇ブローカー問題など審議。

2009年9月6日日曜日

(483)好調なブログ、ストップしたブログ

(2009年9月6日)
  カウンターがいつの間にか13000の大台を突破していた。読者に感謝申し上げ今後ともよろしくとお願いしたい。最近は1日の読者が50~60名と急増しており、うかうかしてると大台突破という晴れがましい瞬間を見失ってしまう。次の14000名突破の瞬間はしっかり見届けたい。ところで私のブログは順調だが、BRSAのビルマ語版ブログ(ホームページ)は暫く休止状況、というのも担当者が突然入管に収容されたためで、できるだけ早く再開されることをみんなが望んでいる。最近もう一つ気になることが発生している。これはまだ噂の段階だが、成田から直接牛久入管に収容されたビルマ人が仮放免される際ブローカーが関与していて、保証金30万円のうち15万円は当会からの貸与を当てにしているのではないかというもの、当会はブローカーに支払うつもりは無いが、本件は人権問題も絡むので慎重に対応しよう。

2009年9月5日土曜日

(482)ビルマ今週のニュース(34)

(2009年9月5日)
BURMAINNFOからのニュース34号を抜粋。 ★ビルマ北東部コーカン地区で8月末に起きたビルマ国軍とコーカン軍の戦闘は一応集結。死者数は双方で34人、中国側に数万人の難民が逃げていたが、帰国も始まった。 ★国軍兵士が同地区に住む中国人住民に暴力をふるい店の商品等を略奪したという情報もある。中国は以前から国境地帯の紛争を望まないことを軍政側に伝えており、今回は「国境地帯の安定維持を期待する」と珍しく軍政を非難した。 ★コーカン軍の司令官が同盟しているワ州連合軍の支配地域に逃げたとの情報がある。ビルマ軍は司令官の身柄引き渡しをワ州連合軍に要求したが返答はない。 ★スーチー氏の弁護団は有罪判決を不服として控訴し受理された。控訴審は18日から。 ★タイ政府は紙飛行機の滞空時間競技で優勝したシャン民族少年(無国籍)の日本への渡航を許可。

2009年9月4日金曜日

(481)難民認定求めてくる人増えてるの?

(2009年9月4日)
  BRSA会長の大滝さんが関係しているマンションで、我々の仲間のビルマ人2人が侘しく食事をしている写真がまた朝日に掲載されていた。題して「ニュースがわからん!」、「難民認定求めてくる人増えているの?」という見出しで、わが国の難民受け入れ問題が易しく解説されていた。記事には89年以降昨年までの難民認定申請者数と認定者数のグラフも掲載されており、当初申請者が年間数十人程度であったものが、96年から100人を突破し昨年は1599人と急増している。しかし認定者は少なく昨年の認定者は57人(認定率約6%)と極めて僅かである。昨年の申請者数を国別に見ると、ビルマ979人、トルコ156人、スリランカ90人と続き、ビルマ人が圧倒的に多い。申請から結論が出るまで約2年かかっており、その間就労不可、難民鎖国の状態が続いてる。鳩山首相よ、日本に逃れてきた難民を助けて!

2009年9月3日木曜日

(480)入管訪問 たくさん頼まれちゃった

(2009年9月3日)
  昨日は入管訪問の日、訪問前にビルマ人3人からそれぞれ私と一緒に面会したいと頼まれた。収容されている人は多くの人に面会に来てもらいたく、首を長くして待っているのだ。4人一緒で面会してあげれば賑やかになるし、ビルマ語でしゃべれるので収容者は喜ぶ筈。しかし2人から電話があり、多忙のため今回は来れないとのこと、結局2人で面会した。AさんとBさんからは保証人の依頼があり、Cさんからは保証人候補者との連絡を頼まれた。連絡したところ保証人自身が出産のため無理な感じ。Dさん、Eさん(共に2回目収容)からは前回納めた保証金30万円を入管から取り戻してほしいとのこと、Dさんの場合たまたま昨日保証人がタイ国から1年間の出張を終えて帰国したばかりだが運よく連絡がつき交渉、委任状を貰うことにした。私は保証人を引き受けないつもりだったが、彼女らに会うとあれこれと迷う。

2009年9月2日水曜日

(479)ややこしい 入管の名前 

(2009年9月2日)
  今日は品川入管、正しくは東京入管に行く日だ。 ついつい品川入管と私が呼ぶから品川区にあると思う人もいるが所在地は港区である。しかし誰も「ミナト入管」なんて言わない。 品川という名称は単に一番近いJR の駅名を指しているだけだ。そういえば在日ビルマ人から手紙をもらうと発信先の住所と並べて近所の駅名が書いてある。例えば私の住所で言えば、「習志野市袖ヶ浦△ー△ー△、津田沼」といった感じだ。私は品川入管と呼ぶが、なんとなくビルマ人の発想に似てきたような気がする。もう一つ、2007年暮れから1年間私が毎週通っていた牛久入管が懐かしい。でも、こんな名前の入管は無い。正しくは東日本入国管理センターで、所在地が茨城県牛久市にある。私が収容されたビルマ人のために入管訪問活動を始めたのが13年前、当時北区十条にあった入管の名前は確か東京第2入国管理局。

2009年9月1日火曜日

(478)コピー機が故障、すわ大変

(2009年9月1日)
  我が家では20年前からキャノンのコピー機を愛用している。当初は1万円ぐらいの家庭用のコピー機だったが、少しずつ大型機に乗り換え、現在は8万円のキャノンDPC960といって業務用の小型機を愛用している。コピー機とプリンターを混同される方が多いが、コピー機はパソコンとは関係なく白黒の印刷が出来る。印刷にはトナーカートリッジ(1万8千円)を使い、両面印刷やソートが可能、主にBRSA用の資料や、入管収容者への差し入れ資料に愛用している。ところが、今朝20部ずつ印刷している途中、私がちょっと席をはずしている間に、両面が真っ黒になった紙が20枚排出されていた。しかもあちこちに紙詰まりが発生しており、取り除くのが一苦労。キャノンに出張修理を依頼すると1万数千円なので何とか自力で奮戦中、明日トナーを入手するので修復できたか判明する。ビルマ人の方々よ、心して読んでね。