2010年6月30日水曜日

(779)ビルマ仏教徒 民主化蜂起の記録①

(2010年6月30日)
  いま私は「ビルマ仏教徒民主化蜂起の背景と弾圧の記録(軍事政権下の非暴力抵抗)」(世界人権問題叢書71)という題名の書籍を読んでいる。編訳者は守屋友江、解説者は根本敬、明石書店発行、257頁、2625円。これは2007年秋の通称「サフラン革命」と呼ばれているビルマ僧侶による大規模デモに関し、その背景などを説明し、その後の軍政による弾圧の記録を集めたものである。本書は3部に分かれており、第1部は、2007年民主化蜂起の記録で、弾圧の実態などが詳述されており、第2部は1988年民主化蜂起と「覆鉢」の開始の記録であり、多くの証言が記載されている。第3部は拘束されている僧侶名などの資料編。たまたま時を同じくして映画「ビルマVJ」(755)が封切されたが、この映画も僧侶によるデモの情景が映し出されており、その各シーンと重ねて本書を読むと理解が進む。(続く)

2010年6月29日火曜日

(778)品川入管 Uさんと一緒に面会

2010年6月29日)
  きょうは火曜日、珍しくビルマ語教室時代からの友人U氏と一緒に訪問した。先週(770)で報じたように、現在収容されているMさんに最初に日本語を教えてくれたのがU氏ということで、先週U氏に連絡して今回の面会が実現した。2人は何しろ8年前のことなので、U氏は面会寸前まで、どんな女性だったか記憶が薄らいでいたようだったが、いざ会って見ると2人の話がどんどん弾んで、私の存在などお構いなし。Uさんはビルマ語が上手なので、時に日本語で、時にビルマ語で意気投合していた。しょうがなく、私はもう一人の収容者Kさんとボソボソ話しあった。Kさんは日本に7年いるが日本語はほとんどできず、UさんとKさんの楽しそうな会話に発奮したのか、来週から日本語を勉強したいと言い出した。いま丁度男性Tさんにも初歩の日本語を教えているので、来週には教材を差入れることにした。頑張れビルマ人!  

2010年6月28日月曜日

(777)ミャンマー初の国産車展

(2010年6月28日)
  このニュースは既に(760)でも紹介したが、今朝の朝日に写真入で掲載された。私はビルマの興味を抱いてから15年になるが、今回の一連のニュースには少々唖然とした。ちょっと信じられない感じだ。見るべき産業のないビルマで自動車産業がスタート、これには隣国の中国やインドが関連しているに違いないし、事実今回は中国製エンジンを使用とのこと。新車は7人乗りで400~600万円、同種の日本車なら15年の中古車でも600万円程度するという。写真を見ると、モデルの女性が横に立っていたが、お客はまばら(以上概要)。購入層は当面軍人や役人などの富裕層に限られそうだが、果たして成長産業に発展するであろうか? トヨタでさえ安全面でリコールされたが、安全性の面で問題が噴出するような気がする。写真の展示会場もなんとなくうら寂しい。申し訳ないが不安をいっぱい抱えてのスタートだ。

2010年6月27日日曜日

(776)ビルマ今週のニュース(1024号)

(2010年6月27日)
  BURMAINFOのニュース(1024号)から抜粋。 ★ビルマの選挙管理委員会は総選挙に向けた運動の規則を発表、党本部、支部以外の場所で集会や演説を行う場合は、事前に許可を受けること、党旗を掲げたり、スローガンを唱えて行進してはいけない。国軍や憲法を批判する内容の出版物や演説も禁止。「アジア自由選挙ネットワーク」は国際人権法に違反すると批判。 ★NLD幹部が各地の支部を訪れ、NLDのまとまりを維持し、現地の事情を聞くのが目的、NLDは総選挙に参加せず政党資格を失ったが社会的な活動は続けている。 ★中国の武器製造大手「中国北方工業公司」は今月ビルマのモンユワ銅山開発に関する協力協定を軍政と結んだ。中国の戦略的銅資源の補充とビルマへの影響力拡大につながると発表。 ★外交専門誌によれば、独裁者番付の1位が金正日、3位がタンシュエ上級大将。

2010年6月26日土曜日

(775)総選挙④ 市民に期待とおびえ

(2010年6月26日)
  連載の最終日、第4回だ。ヤンゴンに住むキンさんは毎朝散歩するとき必ず小型ラジオを持って短波放送を聴いている。VOAやBBC、自由アジア放送、ビルマ民主の声などだ。インターネットのアクセス制限などビルマはメディア統制が最も厳しい国の一つ、それでも市民はラジオなどから何とか情報を得て口コミで広げていく。軍政が何より神経を尖らせているのが世論の動向。3年前の反政府デモは燃料費の度重なる値上げがきっかけだった。例年ヤンゴンで停電がなくなるのは暑さが一段落する9月だが、今年は7月から終日送電。軍は国民に余計な資産や知識を持たせないようにしてきたが、豊かさが民主思想に導くと考えているからだ。一女性は選挙について、「スーチー女史が排除されたいま、軍政系政党に入れるしかない、誰に投票したかは軍に分かる仕組みになっているので仕返しが怖いから」という。

2010年6月25日金曜日

(774)総選挙③ 国際社会 足並み乱れ

(2010年6月25日)
  朝日新聞の連載シリーズは第3回目を迎え、その見出しは「国際社会 足並み乱れ」であった。2008年5月のサイクロンで240万人も被災した南西部のデルタ地帯、壊れた防潮堤や水門が放置され、住民はおびえる日々を送っている。今年5月ラブダ郡にある延長5キロの堤防と水門がオランダNGO連合の手によって修復されたが、2年間でたった1件の支援だ。欧米の援助機関は制裁下にある国のインフラ整備に金は出せないという。しかし制裁が軍政に対し有効でないことが次第に判明、天然ガス田の開発が進み外貨をもたらし始めたからだ。制裁の打撃は対米輸出ができなくなった繊維産業の労働者を苦しめただけ。中国との関係は深まるばかりで、インド洋から中国向けのガスパイプラインの建設が始まり、軍政は中国製戦闘機50機の購入を決定、ムチもアメも効かない軍政に手詰まり感だけが続いてる。

2010年6月24日木曜日

(773)総選挙② 軍も法も牛耳る議長

(2010年6月24日)
  昨日に引き続き朝日新聞にビルマの総選挙シリーズの②「軍も法も牛耳る議長」が掲載されていた。噂によると総選挙は10月10日のよき日に行われるというが、あくまでも噂であり誰も皆目わからない。軍政№3のトゥラシュエマン大将さえも、情報不足を嘆いている。この国ではただ一人タンシュエ国家平和発展評議会議長(上級大将)がすべてを決めている。議席の一部を軍人に割り当てる制度は、スハルト体制下のインドネシアを参考にしている。軍政翼賛組織を母体とした政党USDPにはテインセイン首相はじめ26閣僚が現職のまま参加、いま首都のネピドーでは高さ100メートルのウパタサンティパゴダ(シュエダゴンパゴダを模したもの)は人影もまばら、一般国民が近づけない首都で威容だけを誇るパゴダは、一人絶対権力を振るう軍政トップを象徴しているかに見える(以上)。国民不在の政治が今日も続く。

2010年6月23日水曜日

(772)総選挙① 岐路にたつ民主化勢力

(2010年6月23日)
  今朝の朝日にはビルマの総選挙の予測が掲載されていた。きょうの記事は(1)とあるので、連載されるようだ。キャンベル米国務次官補が野党指導者を招いた際(730参照)、NLD指導者たちの意見が分裂し、スーチーさんが主張するNLD解党、総選挙不参加路線(726参照)と、新党「国民民主勢力NDF」(キンマウンスェ氏)を立ち上げて選挙に参加する路線(728参照)に別れ、対立していた様子を詳しく報道していた。このほか軍政と一線を画す政党である連邦民主党(UDP)(ヒョーミンテイン議長)を紹介(以上概要)。私は当初NLDの一部がNDFに変わって選挙に参加することは、投票の際の受け皿として重要であり、NLDが選挙ボイコットと選挙参加の両面作戦でうまい方法を考えたなあと思っていたが、実際は喧嘩別れだったようだ。NLD(旧NLDとNDF)は喧嘩する時間なんか無い筈。協力し合ったら!

2010年6月22日火曜日

(771)きょうは火曜日、品川でデートの日

(2010年6月22日)
  今までは水曜日が品川デートの日だったが、先週から火曜日に変更した。いま男1人、女2人と面会しているが、その中の男性が毎週水曜日には所内の医務室で診察を受けるというので、火曜日に変更。(765)でも述べたが、勉強嫌いのT君が4~6ヶ月の収容期間中に日本語がどこまで上達するのか、私が挑戦することにした。きょうは15分の面会時間のうち5分を彼の病状説明に費やし、残りの10分で「さ行~だ行」の復習を行った。いかんせん時間が短いので、大部分を自習するように言って別れた。果たして来週は予習、復習をしてくるかしら。そのあと女性2人と面会、そのうちの一人は新習志野に住んでいるという。私の住んでいる習志野市とは隣町であり、その上、私の友人U氏に日本語を習ったという。何か急に親近感が湧いてきた。帰途品川駅でZ氏と、錦糸町駅でS氏と会い仮放免延長の書類に署名。

2010年6月21日月曜日

(770)ビルマ今週のニュース(1023号)

(2010年6月21日)
  BURMAINFOのニュース1023号から抜粋。 ★アウンサンスーチー氏が19日に65歳の誕生日を自宅軟禁下で迎え、日本を含む各地で記念行事が行われた。 ★国連の「恣意的拘束に関する作業部会」は16日、スーチー氏の拘束が恣意的であり、国際人権法違反であるという認定を公表した。これを受けたキンタナ国連人権特別報告者は、氏を直ちに釈放するよう軍政に求めた。 ★ツツ大主教などノーベル平和賞受賞者が参加する「エルダーズ」は、ビルマの総選挙プロセスは信用できないとする声明を出した。 ★スーチー氏は弁護人に対し、「国民は総選挙で投票しない権利もある」と述べた。 ★ビルマが北朝鮮と協力して核兵器を開発しようとしているとの報道について、軍政は「そうした」報道を全面否定する声明を国営紙に掲載した。 ★記録的な豪雨のために、アラカン州北部で57人以上が死亡した。

2010年6月20日日曜日

(769)スーチーさん誕生日を祝う

(2010年6月20日)
  きのう6月19日はスーチーさんの65歳の誕生日、彼女は軟禁下のヤンゴンの自宅でこの日を迎えた。朝日新聞によると、タイのメソトでは軍事政権の迫害を恐れて亡命したビルマ人ら200人以上が集い、スーチーさんの解放を祈った。集いにはスーチーさんが率いた国民民主連盟(NLD)のメンバーや学生らが、スーチーさんの顔が描かれたTシャツやバッジを身につけて参加。「スーチーさんの解放がビルマの自由と解放につながる」と合唱しながらロウソクに火をともして誕生日を祝った。ミャンマーから5月に亡命してきた女性(20)は、「国ではスーチーさんは悪い人だと教えられてきたので、多くの人の敬愛を受けていることを知り、驚いた」と話した。(以上概要)。私はこの記事を読んで、最後の部分「国では・・・・」に意外な感じを受けた。現在ビルマにいる若者は、スーチーさんを「悪い人」と思い込んでいるのかしら。

2010年6月19日土曜日

(768)ヤンゴンに24時間電気が来た 夢のよう

(2010年6月19日)
  ヤンゴンの中西さんのブログによれば、6月10日にモッタマ沖ヤダナー天然ガス田から天然ガスの放出が始まったという。前日エネルギー省の大臣が出席した開所式で大臣が大きなバルブのハンドルを回してスタート。天然ガス田から海底部で94マイル、陸上部で85マイルのパイプラインを通してヤンゴン市郊外のユワーマ町の天然ガス配給センターに送られる。しかし6月11日現在17時間の停電だった。ついで6月14日のブログ。昨日までは本当にひどかった。32時間連続停電という日もあった。学校は11日から、自宅は昨日から電気がよくなり、学校は朝から晩まで電気が来るという夢のような一日だった。きょうは自宅も一日中電気が来ていた。ワールドカップの開催に合わせるかのように電気事情もよくなりつつあるヤンゴンです(以上)。停電、日本では終戦前後しか経験してないので、まさに夢のような話だ

2010年6月18日金曜日

(767)「仮放免取扱要領」

(2010年6月18日)
  (757)で「東京入国管理局被収容者処遇細則」なる分厚い資料を紹介したが、その一連の資料としてこのたびは、「仮放免取扱要領」なる資料を紹介しよう。いずれもJLNR(全国難民弁護団連絡会議)の資料の転載である。実は私も何人かのビルマ人難民認定申請者を抱えており、仮放免の制度には多大の関心を有している。第1章:総則、第2章:請求による仮放免の手続、第3章:職権による仮放免の手続、第4章:仮放免の許可・不許可、第5章:条件及び期間、第6章:保証金及び保証書、第7章:仮放免者の動静監視、第8章:仮放免の取消し及び再収用、第9章:雑則、その他各書式見本から成り立っている。私は第7章の警察を利用した動静観察などは知らなかった。また私自身が老齢のため可能性の大きい保証人変更については知識を得た。なお、私がいつも強調している収容期間の明文化の促進を!

2010年6月17日木曜日

(766)胃カメラを飲みました

(2010年6月17日)
  毎年今頃になると、基本検診とか、がん検診などの書類が殺到する。私の場合、昨年は胃の検診をサボった。検診車の中で、バリウムを飲んで体をあちこちに回わしたら、例の「黄色靱帯骨化症」ナントかで、激痛が走ることが予測されるので、二の足を踏んでいた。今年はどうしようと悩み、かかり付けの津田沼中央総合病院消化器科部長に相談したところ、胃カメラを薦められた。15分横になってたらすぐ終わるよという。そこできょう恐る恐る内視鏡室を訪問した。一人年配の女性のほかは皆若くてすらりとした美人、制服もお揃いの赤色でデザインも斬新、シメシメと思いながら待つこと数分、のどに麻酔を吹きかけ、肩に筋肉をやわらかくする注射をしてから、ベッドに。ベッドに横になって激痛が走るといやだなと心配したが、今日は無事終終了。一人の女性看護師がずっと私の背中をさすってくれ嬉しかった。結果はOK。

2010年6月16日水曜日

(765)泣きべそをかくのは 私かも

(2010年6月16日)
  きょうは水曜日、本来ならば品川デートの日だが、今週から当面火曜日に変更した。というのは現在ビルマ人女性2人、男性1人と面会しているが、男性のTさんが毎週水曜日には所内の医者の診察を受けるため曜日変更を頼まれ、私はちょっと迷ったが、結局火曜日に変更した。私は従来から男性とは面会しない方針だったが、縁あって私が彼の保証人を引き受けており、多少なりとも責任を感じている。彼は2年前に日本に来ているのに、日本語はほとんど喋れない。この数ヶ月の入管生活でせめてN5級レベルの実力をつけてほしいし、出所後日本人社会に馴染めるよう頑張ってほしいのだ。昨日は「あ行~が行」を教えたが、来週は「さ行~だ行」と、テキスト通りに進める予定。約15週で「あいうえおコース」は終わるが、そのあとはN5コース、勉強嫌いな彼はどこまで上達するだろうか? べそをかくのは私かも。

2010年6月15日火曜日

(764)ロヒンギャー問題とUSDA問題の予見

(2010年6月15日)
  いま私は14年間の朝日新聞のビルマ関連記事をまとめ出しているが、その中で、ロヒンギャー問題と、USDA組織の問題に興味を抱いた。ビルマ人のロヒンギャー民族へのアレルギーは徹底しており、ロヒンギャーと一言喋っただけで、ビルマ人との会話が凍り付いてしまう。ビルマ人はバングラデシュの難民(イスラム) であると位置づけ、バングラデシュ側はビルマ・ラカイン州からの難民とし、ともに自国民とは認めていない。この話題は13年前の97年4月5日の朝日に掲載されており、今日に及んでいる。もう一つ、今年秋に行われる総選挙で、ビルマの翼賛政治組織USDAの存在が注目されているが、同じく13年前の97年8月5日の朝日新聞に次のように掲載されていた。「将来の総選挙ではインドネシアの与党ゴルカルと同じように、この組織(USDA)がフル回転するはずである」と。実に的確な予見といえよう。

2010年6月14日月曜日

(763)自己流マニフェスト その後

(2010年6月14日)
  私の自己流マニフェストに最初に掲げた「自分史」は、公約どおり5月末に完成、24部をお贈りしたところ、皆さんから多大な賛辞を頂戴した。身に余る光栄で、今その「賛辞集」をちゃっかり作成しており、私の棺桶に入れるよう家内に伝えた。たぶん棺桶の中は暖かいと思う。さてちゃっかりついでにマニフェストの第2段として、「朝日新聞が見たビルマ問題(資料編)」の編集に取り掛かっている。96年以降、朝日新聞に掲載されたビルマ問題の切抜きをほぼ全数保存してあるので、その見出し集の作成を進めている。その中の一部は「みんがらネットワーク会報」の創刊号から毎号掲載されているが、会報が発行できなかった時期が6年ほどあり、いまその空白を埋めるべく活動を開始した。すでに96年10月から97年7月まで追加できたが、あと5年分以上残っている。たぶん70頁ぐらいになるが完成は9月の予定。

2010年6月13日日曜日

(762)国会における難民、収容問題

(2010年6月13日)
  私はずっと自民党に投票してきたが、前回だけは民主党に投票した。それは、難民問題、収容問題に関し自民党が余りにも冷たい姿勢をとり続けたからだ。民主党に変われば友愛精神を発揮して、日本に逃れてきた気の毒な外国人を助けてくれると思ったからである。しかしその夢は崩れ去った。何一つ進歩、改善は見られないのだ。いま私の手元に全国難民弁護団連絡会議発行の国会での討議(質問趣意書、資料請求を含む)の一覧表がある。それによれば、昨年以降では今野東氏(民主党)が3回、山内康一氏(みんな)が2回、稲見哲男氏(民主)、村上史好氏(民主)が各1回となっている。ちょっと意外だったのは民主党選出の千葉法相は1999年以降、毎年のように難民関連問題で質疑に立っており、この分野でのエキスパートだったのだ。それにしてはこれらの問題に対する民主党政権は覇気がないのでは。

2010年6月12日土曜日

(761)ビルマ今週のニュ-ス(1022号)

(2010年6月12日)
  BURMAINFOのニュース(1022号)から抜粋。 ★国際原子力機関(IAEA)の天野事務局長は7日 IAEAはビルマが核兵器開発を目指しているという報告を調査中で、必要ならビルマ政府に説明を求めると述べた。この報告書は亡命した元ビルマ軍少佐が持ち出した資料を分析したもの。 ★ビルマ西部のチャゥピューから雲南省昆明まで天然ガスと石油を運ぶ2本のパイプラインの施設工事が始まった。11年の稼動後は年間2200万トンの原油と、120万立方メートルの天然ガスを運ぶ。 ★国営紙によれば選挙管理委員会は閣僚や副大臣ら26人が4月末に結成した政党、連邦団結発展党(USDP)の政党登録を認めた。 ★8日に開かれた国連人権理事会で、スロバキアはビルマで過去に起きた重大な組織的な人権侵害に関する調査委の設置を支持する旨表明。英、豪、チェコに続く4カ国目。米国も賛同。

2010年6月11日金曜日

(760)ビルマで自動車大量生産工場が稼動

(2010年6月11日)
  中西修さんの「ミャンマー・日本語教室ブログ」を覗いてみたら、大変なニュースが紹介されていた。ミャンマーで「自動車大量生産工場がまもなく稼動」すると言うもの。会社名はスーパーセブンスターで当面多目的車、軽トラックを主に生産し、ミャンマーの交通事情(右側通行)にあうように左ハンドル車とする。すでに工場の95%は完成しており、本格的な稼動は今年の中盤になる。生産技術に関しては中国と韓国の企業が技術協力をし、それぞれの国に研修生を派遣し、技術を習得させている。工場は、プレス機、組み立てライン、塗装ライン、検査ラインと全部揃っており、敷地面積は13エーカー、従業員数は当面400人規模、ミャンマー全国に販売網、サービスセンターを展開する予定。エンジンは外国から新品の製品を輸入し、将来は国内でエンジンの製造も行う予定。このブログには工場の内部写真も掲載。

2010年6月10日木曜日

(760)今週のデートは

(2010年6月10日)
  私は奥手のほう、でもデートは一応経験してる。デートというのは、通常楽しく明るいものだが、時には切なく悲しいこともある。もう二度と会いたくないことだってある。昨日は水曜日でデートの日、いつものように12時に入管に到着、いつも同行してくれるビルマ人女性Nさんと一緒に、2人の女性と2人の男性に会うべく申し込む。面会室に入ると女性の一人は、ビルマ語で大声を出してまくし立てていた。Nさんはいろいろ説明していたが、彼女は納得できない様子、隣に座っていたもう一人の女性もうんざりしていた。そのあと、男性との面会となったが、その一人は見事に面会拒否、私は彼のため日本語教材をいろいろ準備してきたのにと不満いっぱい。(その後彼は医務室で診察を受けていたことが判明)。帰途品川駅で先週出所した女性と彼女の後見人2人(60代と70代の男性)と会い、感謝の言葉を戴き嬉しかった。

2010年6月9日水曜日

(759)「特定活動」者にも生活保護の機会を

(2010年6月9日)
  本年4月5日に、在日ビルマ人難民申請弁護団は、細川厚生労働副大臣宛に次のような申入を行った。在留特別許可(在特)のうち「特定活動」の資格を有する外国人が、生活保護を受給できるよう、関係各機関への指導を徹底されたいというもの。この申入れの趣旨は、「在特」には「特定活動」の資格と、「定住者」の資格があり、この区別は入国後の経過期間の長短によるとされているが、合理的とはいえない。それにもかかわらず「定住者」の資格が認められないことで、様々な不利益を被っており、例えば生活保護を受けられないという問題。「定住者」には生活保護法が適用されるが、「特定活動」には明記がない。一方、09年度の「生活保護法別冊問答集」には疑義がある場合は厚労省に紹介されたい旨付記されているので「特定活動」者にも生活保護を受ける機会を与えるよう、運用の徹底を望むというもの。

2010年6月8日火曜日

(758)第2次自己流マニフェスト案ほぼ固まる

(2010年6月8日)
  マニフェストといっても民主党のお粗末マニフェストのことではなく、私のマニフェストのことだ。前回鳩山首相が啖呵を切った5月末決着が気の毒なくらい滅茶苦茶となり、結局は小鳩両人が辞職という哀れな結末を迎えた。ここで彼らは「菅マニフェスト」を作るという。私のほうは昨年自己流マニフェストで決めた5月末の「自分史」発行が見事達成できた。この一週間は気分よくビルマ関係の書籍を読んだり、映画「ビルマVJ」を鑑賞したりして英気を養った。「自分史」のあとは、「14年間新聞が見つめたビルマ問題」(仮題)に取り掛かることにした。何しろ私の手元には朝日新聞を中心とした14年間のビルマ問題の切抜きがあり、これを社会のために何とか活用したいと考えている。構想としては第1部が「見出し集」、第2部はそれを基にした「ビルマ問題の解説集」である。第1部の発行予定は今年の9月末、どうなるかな。

2010年6月7日月曜日

(757)東京入国管理局 被収容者処遇細則

(2010年6月7日)
 たまたま標記の資料を入手した。 私が14年間通っていた東京入管での収容者の処遇方法を細かく規定した文書である。第1章:総則、第2章:収容、第3章:物品の領置及び返還、第4章:避難、第5章:保安、第6章:休養及び衛生、第7章:面会、物品の授与及び通信、第8章:出所、第9章:雑則に分かれており、さらに細かく51条から成り立っている。いずれも大体理解できるものだったが、外国人を収容し、自由を束縛するする施設であるから、処遇規定も慎重でなければならない。ただ、気になるのは、1・2週間で帰国できる収容者と、数ヶ月以上もの長期間収容されている難民認定申請者が一室に混在しており、そのためか、先日来、西日本、東日本の両入国管理センターで、ハンガーストライキ騒ぎがあったばかりだ。このような騒ぎを起こさないような被収容者処遇規定を作ってほしい。特に収容期間の制限を。

2010年6月6日日曜日

(756)ビルマ今週のニュース(1021号)

(2010年6月6日)
  BURMAINFOのニュース1021号から抜粋。 ★中国の温家宝首相がビルマを訪問し、3日にはタンシュエ上級大将と会談した。テインセイン首相とも会談し、天然ガスパイプライン建設や水力発電事業などに署名した。新華社によれば、温首相は「テインセイン首相に両国間の友好を深め、協力を拡大し、国境地帯の平和と安定について共通理解に達した」と述べた。 ★ウエッブ上院議員は、軍政が核開発のため北朝鮮と共同している可能性を示す報道があったため、ビルマ訪問を中止。 ★ビルマ民主の声(DVB)は軍政による核開発疑惑について元IAEA査察官ロバートケリー氏がまとめた報告書を発表、国際社会に警告を発した。 ★日本海洋掘削株式会社は3日シットウエ沖での掘削工事契約を38億円で韓国の大宇インターナショナルと結ぶと発表。この油田からの天然ガスはパイプラインで中国に輸出する。

2010年6月5日土曜日

(755)入管関係者は必見 「ビルマVJ」

(2010年6月5日)
  昨日渋谷にある「シアターイメージフォーラム」で、「ビルマVJ(消された革命)」を見た。この映画は新聞紙上で何回か紹介され、このブログでも(731)(734)で紹介した。たまたま招待券プレゼントに応募したところ見事当選、1800円もする招待券2枚をゲット。内容は、2007年秋の「サフラン革命」の現場を、ビルマ人VJ(ビデオジャーナリスト)たちが、相互に連絡を取りながら、隠しビデオカメラで命がけで撮影した映像をタイに持ち出し、直ちにノルエーのオスロにインターネットで送り、世界中に配信されるまでの生々しい映像の連続であった。軍事政権の国営放送が、このサフラン革命の映像をデマであると盛んに弁明していたことも初めて知った。見ているうちに私は何回も目を拭った。悲しさというより、悔しさの涙だった。この映画を在日ビルマ人は全員見てほしい。そして何よりも入管関係者には必見の映画である。

2010年6月4日金曜日

(754)中国・ミャンマー首脳会談

(2010年6月4日)
  今朝の朝日新聞は、中国の温家宝首相がビルマのネピドーを訪問、タンシュエ国家平和発展評議会議長と会談したことを伝えた。その際温首相は、「両国関係が前進した」と述べ、経済協力などを通じた協力強化で一致した。これに先立ち、温首相は軍政のテインセイン首相とともに、天然ガスのパイプラインや水力発電所の建設支援など覚書15通の署名式典に出席した。軍政が中国との関係強化を重視する背景には、スーチー女史らの民主化勢力の参加しない総選挙の正当性を欧米諸国が疑問視する中、中国を後ろ盾にして、批判を押し切る狙いがあると見られる。一方ビルマを訪問予定だった米国のウエツプ上院議員は、「北朝鮮の協力による核開発疑惑」があるため、急遽訪問を中止した。(以上概要)。いつものことながら、ビルマ軍事政権に対する日本政府の対応の遅れが気になる。岡田外相頑張れ。

2010年6月3日木曜日

(753)「自分史」大変な反響 嬉しい

(2010年6月3日)
  私の「自分史」は23人の方々にお贈りしたが、早速多くの方からお褒めのお言葉を戴いた。それらを要約すると、「新しいタイプの自分史だ」、「81年間の思い出が52頁に凝縮されていてすらすら読める」、「古い写真をよくも残しておいたなあ」、「広報部長時代の活躍が記憶に残る」など。一方ご注意も戴いている。「きらく会関係の記事がない」、「私の写真がどこにもない」、「年月が違っているよ」など。特にきらく会関係の記事は、余りにも身近すぎて私の頭脳からすっぽり抜けていた。しかし、きらく会関係は私の手元に資料があるので、「自分史その2」として今年中に出版しよう。この「自分史」のよいところは、後からいくらでも簡単に追加できる点だ。なお、一部の方には既に述べたが、「朝日新聞から見たビルマ問題」についても出版したいので、どちらを先にするかマニフェストで検討したい。81歳は結構忙しいなあ。

2010年6月2日水曜日

(752)今日の品川でのデート

(2010年6月2日)
  今日は水曜日、恒例の品川でのデートの日だ。一時女性ビルマ人が20人以上いた東京入管も、今日は3人だけ、少なくなっただけ密度の濃いデートができた。用意していったインレー湖の渇水の写真を見せるとみんなビックリ、こんな風景は今まで見たことがないという。マンダレーの気温が45度と説明すると「死んじゃうよ!」と叫ぶ。もう一つパオ族の食卓を賑わす納豆の話題が新聞に出ていたので、納豆の話題を語っているうちに3人の女性は皆シャン族であることが分かり、話が弾む。一人からは別に収容されているご主人への資料送付を頼まれ、別の一人からはBRSAへの入会手続きを頼まれた。次に面会室に現れたのが男性、日本語がほとんど理解できないので「あいうえお」から教えることにした。毎週15分の授業でどこまで上達するやら。帰途、品川駅で2人のビルマ人と会い情報交換、多忙な一日だった。

2010年6月1日火曜日

(751)牛久入管のハンスト終了

(2010年6月1日)
  5月26日の毎日新聞によれば、茨城県牛久市にある東日本入国管理センター(通称牛久入管)で行われていた待遇改善のための収容者のハンストは、5月25日最後の一人が夕飯を食べはじめ、5月10日から続いていたハンストの参加者はいなくなったことを明らかにした。19日の支援団体との話し合いで、入管側は「長期収容は好ましくない」と発言し、待遇改善を検討する姿勢を見せている(以上概要)。私は牛久入管に1年以上毎週1回のビルマ人女性との面会活動を続け、07年12月に誰もいなくなってからは、品川の入管に毎週通って面会活動を続けている。最近収容期間がどんどん延長され、西日本入国管理センターに続き、今回の東日本入国管理センターのハンストとなった。私も実感として、収容期間延長を目の当たりにして、これは人権問題であると述べてきた。入管は不定期収容を避けるべきだ。