2015年11月30日月曜日

(2759)ティンウィンさんが帰国

  いささか旧聞であるが11月15日発行の難民支援協会のニュースより。テーマは「家族それぞれの帰国」。ティンウィンさんが来日したのが1996年、パシュトゥン系のルーツを持ち、ムスリムである同氏は、群馬県太田市で15年の暮らしに幕を閉じた。当初、彼の食事予算は1日150円、贅沢したいときは250円のカップ麺をすする。子供は3人とも奨学金を得て、大学を卒業し日本で就職している。ティンウィンさん夫婦は、帰国して残りの人生をミャンマーの民主化に貢献したい、また、仏教徒とムスリムとの対話を仲介したいという。当然子供たちは家族が離れることに反対したが、このため家族で何回も議論を重ねた結果だ。また、第2の祖国である日本に対しては「多様性を恐れないでこの多様性を糧にさらに力を付け、アジアをリードしてほしい」と語った。

2015年11月29日日曜日

(2758)面白そう ミャンマー祭り

  ツクヨミさんから「ミャンマー祭り、お天気も良く大盛況でした」とのメールが。確かに寒暖の差が激しいこの時期にしては、暖かく快晴の第1日目であった。28日夜の日経電子版によると、「ミャンマー祭りに3万8千人、東京・増上寺、料理など楽しむ」という見出しのもと、伝統舞踊や料理、あるいは実行委員会名誉会長の安倍昭恵さん(首相夫人)の挨拶や、参加者の声などを伝えていた。事前報道によると、ミャンマー横丁では、都内のミャンマー料理17店が出店、ビルマ族、シャン族、モン族、カチン族など、多民族国家ミャンマーならではの多彩なメニューを味わうことができるとあった。また、ミャンマーの歌姫メイスイも登場、チンロンの実演、写真展など、ミャンマー一色のイベントであろう。ミンガラ日本語教室、みんがらネットワークのブースの活躍を祈る。

2015年11月28日土曜日

(2757)ミャンマーの舞踊や歌 

  11月27日の朝日新聞夕刊より。「ミャンマー祭り2015」が28・29日、東京都港区の増上寺で開かれる。伝統舞踊や歌のステージのほか、工芸品の販売や写真展などがある。収益金の一部は、ミャンマーの子供たちの教育支援のため寄付される。午前10時~午後6時(29日は午後4時まで)。入場無料。雨天決行。問い合わせは実行委員会(03-6278-7464)。以上であるが、関連して我らが「ツクヨミさん」もMIXIの日記http://myanmarfestival.org/で以下のように紹介している。「こちらの国際協力ゾーンの58番ブースです。ミンガラ日本語教室・みんがらネットワークの共同出店をしています。本やらCDやら雑貨やらオツマミやらを売る予定です。お手伝いしてくれる人も結構来てくれて、人の情けが身に沁みます。(中略)・ぜひ遊びに来てください。」

2015年11月27日金曜日

(2756)貧困層が多いミャンマーが「世界で最も寛大な国」と判明

  11月25日のミャンマーニュースより。これはギャラップが、世界各国15万人以上の人々にインタビューした「WORLD GIVING INDEX 2014」で公表。調査は「金銭の寄付」、「ボランティア時間」、「見知らぬ人への助力」の3つを総合して順位を決定。ミャンマーは3つのうち「金銭の寄付」と「ボランティア時間」で世界のトップとなり、総合でも米国と並んで「世界で最も寛大な国」となった。世界最貧困であるミャンマーが世界一裕福な国米国と並んでトップになるのは興味深い結果だ。2014年には世界で成人の31%に当たる14億人がお金を寄付しており、前年の28%より増加。ミャンマー人の金銭寄付は91%と驚異的な高さだが、タイも87%で、仏教における「徳を積む」精神が関係していそうだ。日本は世界90位。前年結果は本ブログ(2387)に掲載。

2015年11月26日木曜日

(2755)日本の投資拡大に期待・NLD幹部ニャンウィン氏

  11月26日の朝日新聞より。NLDのナンバー2であるニャンウィン中央執行委員(73)が朝日新聞と会見。同氏はNLDの実力者で党の実務を取り仕切り、報道官も務めている。日本外務省の招きで27日に初来日する。日本側は、テインセイン政権が進めてきた諸案件を引き継ぐのか注目している。これについてニャンウィン氏は「現政権には透明性がない。案件を中止するとは言わないが、全くそのまま継続するともいえない」。「従来の政権には、利権を失うことを恐れる人たちがおり、説得していかねばならない」。「官僚には軍関係者が多いが、信頼関係を築き、単に命令するのではなく、役人が法の枠内で自由に仕事ができるようにしたい」と説明。ニャンウィン氏の滞在中、日本政府は日本の支援の重要性を伝え スーチー氏の早期訪日も要請する方針。

2015年11月25日水曜日

(2754)スーチー氏政権移行に向け各国に支援呼びかけ

  11月20日のテレビ朝日より。総選挙で圧勝したスーチー氏は、19日、首都ネピドーの国会内の事務所に、日本やアメリカなど約40か国の大使らを集め、選挙後の情勢などについて説明した。日本大使館の丸山公使は、「政権移行がスムーズに行われるように国際社会からの支援を得たいというのが彼女のメッセージ」と説明した。また、スーチー氏は、軍の流れをくむ現政権のテインセイン大統領に対して、円滑な政権移行のための特別な作業チームを作るよう求めていることを明らかにした。これに対し各国からは今後ともスーチー氏を支援していくという意思表明があった。一方、22日の朝日電子版によれば、安倍首相はテインセイン大統領との立ち話で、大統領が 円滑な政権移譲を約束したことについて、「高く評価する。日本も後押しする」と伝えた。

2015年11月24日火曜日

(2753)ミャンマー新政権にかかる「和平」の重圧

  11月19日のウオール・ストリート・ジャーナルより。ミャンマーで今週発生した国軍と武装勢力グループとの衝突はスーチー党首が直面する課題を浮き彫りにした。和平協定は、ミャンマー国境地域で数世代にわたる紛争を解決するステップになる。退任するテインセイン大統領の功績である。協定に調印したのは民族グループの一部だが、他グループも、協定の成立を期待している。その過程で一部武装グループには注意が必要だ。彼らはタイや中国との国境で、麻薬の密輸などうまみの多いネットワークを支配している。スーチ氏の側近であるウィンテイン氏は、あらゆる武力紛争が政治的に解決されるべきという。一方、カレンの少数民族派は「NLDが和平プロセスに対する立場を明確にしていない」と述べた。多くはスーチー氏と国軍の協力に係っている。

2015年11月23日月曜日

(2752)鉱山地滑り94人死亡 ミャンマー

  11月23日の朝日より。ミャンマー北部カチン州パカンのヒスイ鉱山で21日、採掘作業後に積み上げられた土砂の山の地滑りが起きた。22日までに94人が死亡した。他にも土砂に埋もれたままの人が10~20人いるとみられ、地元当局が捜索に当たっている。警察によると、土砂の山では採掘されずに残ったヒスイを探そうと周辺地域から多くの人が集まっている。こうした人たちが暮らす小屋約100軒のうち、約半数が地滑りに巻き込まれた。住民登録などがないため、正確な行方不明者数はわかっていない。パカンは世界有数のヒスイの産地で、今年1月と3月にも同様の地滑りで死者が出た。ヒスイは主に中国に輸出され、ミャンマーの重要な外貨獲得の資源になっている。周辺では近年 政府軍と少数民族カチンの武装組織の間で戦闘が続いている。

2015年11月22日日曜日

(2751)ミャンマーに今必要な「新しい開発独裁」の形

  11月22日の日経新聞電子版より。今回の実質軍政から民主政党への政権交代は、途上国としては異例のもの。全般に民主的な選挙が行われ、国民の圧倒的な支持そのままにNLDが勝利を収めた。大統領は淡々と敗北を認め、スーチー氏に祝意を述べた。いままで強権的、暴力的だった軍政が、これほど平和的で、秩序だった形で政権から退くことは、「21世紀のアジアの奇跡」かも知れない。今後気を付けなければいけないのは、政策立案、遂行の混乱、腐敗・汚職、政権内の内部対立だ。そしてなにより今、ミャンマー国民が求めているのは経済発展で、これが達成できなければ旧体制が力を回復する。タイ、インドネシア、マレーシアなどは、政権によるバラマキ政策が横行し結局失敗した。それを防ぐために 一時的な「よき開発独裁」が必要だ。

2015年11月21日土曜日

(2750)スーチー氏が下院議長と会談・NLDが390議席確定

  11月20日の朝日より。ミャンマー総選挙で圧勝したNLDのスーチー党首は19日、ネピドーでシュエマン下院議長と会談し、民意に基づく新国会召集に向けて協力することを確認した。会談後の共同声明によると、2人は「総選挙で示された民意の実現」や「法律通りに新国会を召集すること」について協力することで合意した。一方、21日の朝日(及び20日の同デジタル版)によれば、ミャンマーの総選挙は20日、国会上下院の全結果が発表された。今回争われた計491議席のうち、NLDが8割にあたる390議席を獲得した。USDPは42議席にとどまった。第3党は少数民族政党のアラカン民族党が22議席、第4党はシャン民族民主連盟の15議席と続いている。なお治安などを理由に、7選挙区では選挙が中止になっている。新大統領の選出が可能に。

2015年11月20日金曜日

(2749)ミャンマー新政権へ(下) 「手続き弱者」にたかる影 役所への申請代行

  11月20日の朝日より。ヤンゴンの旅券事務所前に椅子とテーブルをおいた露店が10以上並ぶ。「ポエザー(ブローカー)たちだ。ポエザ―は手続きに不慣れな市民の申請作業を代行する。ポエザ―は5分で申請書を書き終えるが、料金は4200円。市民が直接申請した場合は2500円だから、差額はポエザ―の懐に。ここのポエザ―は実は旅券事務所の職員だ。郵電公社の前にも十数人のポエザ―がいる。携帯電話のSIMカードの再発行に来た市民に手続きを代行するが、自分で処理すれば150円だが、ポエザ―に頼むと500円。ポエザ―は、車の登録事務所、税関などにも存在し、いまや汚職の温床になっている。国際NGOによる汚職指数でミャンマーは175か国中156位。スーチー氏は「汚職の無い社会を実現するために改革する」と強調するが。

2015年11月19日木曜日

(2748)新政権名誉ある地位へ再生を 私の視点欄

  朝日新聞11月19日、元ミャンマー大使・津守滋氏の投稿。軍政に弾圧されてきたスーチー氏は、2011年に軍出身のテインセイン大統領と会見し、歴史的な和解への一歩を踏み出した。依頼、基本的には同大統領の改革路線を支持してきたが、最近は憲法改正や、軍の国政関与を巡る意見の相違が顕在化し、選挙戦では激しく対立した。とはいえ、スーチー氏は同大統領の改革の実績を十分に評価していると思われ、そこに新政権との連続性が認められる。この連続性を重視してほしい。また国軍の経済利権をどう扱うかが腕の見せ所だ。一方、スーチー氏の改革意思に疑念を生じさせる事例もある。銅鉱山での紛争や、ロヒンギャ問題だ。明快で公正な基本方針を定める必要がある。彼女の行政能力への疑問もあるが、まずは実績を積み重ねていくことだ。

(2747)ミャンマー新政権へ(中) 大学形骸化 人材育たず

  19日の朝日より。副題は「教員、塾で副収入」。ヤンゴン郊外の一学生(18)は一昨年大学化学科に進学、興味があったわけではない。「自分の点数で入れる中で一番レベルの高い学科だったから」。ミャンマーでは1964年以降、全国統一の高校卒業試験の点数で大学と学科が割り振られる制度が続いている。入学したての頃、先生は「講義に加えて塾を開いています」と。毎週土曜に塾に通う日々が始まった。同級生ら約50人が参加し、朝から午後まで先生たちが入れ替わりで教え、大学の試験はそこから出題された。塾代は4か月で約6千円、教員の給料も少ない。研究の場というイメージからは遠い現実。識者は「中央集権的な制度の変更」を訴える。軍政時代、若者はその大学にも通えなかった。「国の成長の潜在力に人材がついていけない」と嘆く。

2015年11月17日火曜日

(2746)ミャンマー新政権へ(上) 脱税対策待ったなし

  11月17日の朝日より。サブタイトルは「(国の常識)…企業の半数未払い」、「インフラや教育に影響」、「スーチー氏語らず」。創業者の息子(24)が会社名義の銀行口座は存在せず、会社資金は幹部社員7人の個人名義口座に分散、全体像が分かるのはこっそり蓄財する創業家だけ。税務署員が来れば、寄付(贈賄)すればいい。脱税はミャンマーの常識だという。ミャンマーで法人登録している約3万社のうち、1万5千社が税金未払い。税収が少なければインフラ整備や教育などに政府の予算を十分に回せない。校を作っても、える給料が少ない教員にはなり手がいない。貧困削減を進めるためにも、新政権では脱税対策が大きな課題になる。一方スーチー氏は現国会に登院したが、大統領や国軍最高司令官との会談がいつになるかが焦点だ。

2015年11月16日月曜日

(2745)いやあ楽しかった 大笑いした誕生日会 ワッハッハ

  11月15日は私の誕生日会、牛久入管に収容されたミャンマー人女性を中心に、40人(うち子ども10人)が東池袋の易福菜館(台湾料理店)に参集、全員着席できて、安くて、美味しい店だった。店内は見事に飾り付けられ、豪華な宴会場風。私の挨拶で強調したのは、「11月は私の誕生月であるが同時に、新生・民主化ミャンマーの誕生月でもある。毎年11月には、二つの誕生をみんなでお祝いしよう」というもの。例年より1時間以上長く時間が取れたので、みんなよくしゃべっていた。途中で行った「菓子類の値段当て大会」や、宝くじの当たる「じゃんけん大会」では、親子全員が血相を変えてワイワイガヤガヤ、大笑いの連続。最後には路上でアポージーオーオーを合唱するなどハチャメチャ。BRSAのご支援にも深く感謝。いやはや 楽しかった。ワッハッハ。

2015年11月15日日曜日

(2744)ミャンマー新政権に難題 組閣・改憲・治安安定

  11月13日の日経新聞電子版より。8日に実施された総選挙でNLDが来春、新政権を樹立することが決まった。しかし多くの難題が山積する。①2月の大統領選、党の最高機関である中央執行委員会は、スーチー氏より高齢だ。今回、大量に当選した新人議員は、政治経験に乏しく、いまだに有力な大統領候補の名前が上がらない。スーチー氏は「新大統領には権限がなく、すべてを決めるのは私」と述べた。大統領とスーチー氏の二重権力体制になれば、内政が混乱しかねない。②憲法で国防相、内務相、国境相の3ポストは軍人の指定席。政権運営でも国軍幹部との連携が欠かせない。③少数民族との停戦交渉も重要だ。組閣、改憲、治安安定の3つの課題解決は、国軍と和解が重要。一方 安易に軍と妥協すれば、国民の反発を受ける可能性がある。

2015年11月14日土曜日

(2743)スーチー派へ 政権交代確定

  11月14日の朝日新聞より。今日も大型記事が4件。①スーチー派へ、政権交代確定。⇒民選枠(498議席)のうち452議席が確定、そのうちNLDは364議席を確保し、政権交代が確定した。USDPは40議席。②円滑な政権移譲 焦点、NLD慎重姿勢。⇒NLD側が慎重になるのは、来年3月に予定されている新政権まで4か月以上の「移譲期間」があるからだ。テインセイン大統領は「円滑なる権限移譲」を約束、スーチー氏が求めた会談にも応じる姿勢を示している。③米制裁緩和「民主化後押し」、財務省高官見解。⇒ミャンマーへの制裁を米国が徐々に緩和していっていることが、ミャンマーの民主化を後押ししているとの考えを示した。④改憲巡り軍と緊張の可能性も。⇒軍関係者が閣内にいることは、NLDと軍との日常的な調整がしやすくなる利点も。

2015年11月13日金曜日

(2742)スーチー派 過半数確実 ミャンマー政権交代へ

  11月13日の朝日新聞より。今日は朝日新聞だけで大型記事が4件も掲載されていた。1面には表題の見出しが、2面には「新政権スーチー氏主導、(大統領より上)発言波紋」、「就任目指し改憲に意欲?」、「軍なお実権 民主化途上」、「欧米と関係強化か」という見出しが並ぶ、8段という大型記事だ。13面には「ミャンマー与党 落胆、総選挙(大敗は予想外)」、「軍無き民主政治 実現を」、「衝突回避へ経済成長が必要」とサブ見出しが並ぶ。16面の社説欄では「ミャンマー 民主化の新たな一章」という見出しが。朝日新聞がミャンマーに関してこれだけ多くの記事を掲載したことは、おそらく近年初めてであろう。社説では、スーチー氏の政権運営は綱渡りが予想され、軍の協力は欠かせない。国際社会は民主化への支援と、時に、忍耐も必要になるだろうという。

2015年11月12日木曜日

(2741)ミャンマー政権交代濃厚 大統領「平穏に移譲」

  11月12日の朝日新聞より。テインセイン大統領は11日、NLDが大勝する情勢を受けて、「民意を尊重し、平穏かつ着実に政権移譲する」との声明を出した。1990年総選挙のようなことをしないと明確にした発言で、政権交代が現実的になった。大統領は声明で「NLDの勝利を祝福する」とも述べ、USDPの敗北認めた。8日に投開票された総選挙は、NLDが3分の2超(333議席以上)を獲得する勢いで、国会全体で過半数を制するとの見方が広まっている。元軍政幹部が首脳を占める政権側が、NLDが勝利した場合に政権交代を認めるかどうかに注目が集まっていたが、結局政権側が認めることになった。11日までに選挙管理委員会が発表し、結果が確定したのは計299議席、NLDが85%にあたる256議席を獲得、USDPは21議席と伸び悩んでいる

2015年11月11日水曜日

(2740)スーチー派過半数の勢い 党が独自集計

  11月11日、きょう私は87歳を迎えた。オメデトウの電話やメールをミャンマー人から沢山いただいた。しみじみ嬉しいと思う。ミャンマ―の選挙結果も嬉しい限りだ。今朝の朝日新聞によれば、NLDが軍人枠を含む国会全体でも、過半数となる勢いだと報じている。NLDの独自調査によると、当落が判明した306議席のうち294議席で当選確実になったと伝えた。在日ミャンマー人も皆大喜びだ。問題はこれからだ。NLDは人材不足であり実際の政治がうまく進むのか、あるいは軍との協調をどうするのかなど、問題が山積している。喜んでばかりはいられない。しかし、きょうはもう一つ嬉しいニュースが飛び込んできた。MRJの初飛行が無事成功したという報道だ。かつてYS11に乗ったことがある一人として、長生きしていてよかったなあというのが実感。

2015年11月10日火曜日

(2739)スーチー氏勝利に自信、民主化前進、望む民意

  11月10日の朝日より。副題は「与党大敗認める」、「結果確定には2週間」、「軍政経て『変化を』『自由を』」、「NLD経済開放継承へ」、「国軍 政権交代でも影響力維持」など。11年に民政移管したテインセイン大統領は対外開放政策を打ち出したが、スーチー氏は現政権の経済改革路線を継承する意向だ。最大の懸案は長年対立してきた軍との関係だ。スーチー氏は「私たちには国民和解に基づく政府が必要だ」と軍とも協調していく姿勢を見せた。現憲法では、国防、内務、国境の主要3閣僚は国軍最高司令官が指名でき、副大統領は軍人議員団が選べる。識者は、「軍は選挙結果は受け入れても、憲法には触れさせないだろう」と話す。スーチー氏は「敗者を刺激しないことが大切」と語る。国会は1月末に召集、次期大統領を選び、3月末に新政権が発足。

2015年11月9日月曜日

(2738)スーチー派躍進へ 民政移管後初 ミャンマー総選挙

  11月9日の朝日新聞より。副題は「変化に期待」投票に列。ミャンマーの総選挙が8日、投開票された。90の政党が参加したが、軍政が創設したUSDPとNLDの争いになっている。NLDが民選枠の3分の2超を得て、国会全体の過半数を占めるかに注目が集まる。(注:単独過半数には333議席が必要)。治安上の理由で選挙が延期になった下院7地区を除く491選挙区で投票が行われ、夕方に開票が始まった。地元メディアによると、各地でNLD候補がUSDP候補を上回る票を得ている。民主化の実現には選挙が自由で公正に行われることが重要なため、EU・日本から約1100人が監視にあたった。大きな混乱や不正は報告されていない。ただ周辺では「軍部が選挙結果を尊重しない不安はある」と指摘。また、「NLDには実績がない」との意見もある。

2015年11月8日日曜日

(2737)今日の天声人語

  11月8日の朝日新聞より。どの国にも人々の胸に強い感慨を呼びさます日付がある。ドイツではベルリンの壁が崩れた11月9日、中国なら天安門事件の6月4日か。ミャンマーでは8月8日であろう。1988年のその日、民主化を求めるデモが全土に広がった。続く連日の街頭行動に軍事政権は銃を向け、逮捕や拷問で多くの若者の人生が急転した。築地のすし店で働くMTTさん(49)もその一人だ。翌年家族と分かれ、日本へ逃げた。(中略)故国の将来を左右する総選挙が今日投票される。軍政の流れをくむ与党USDPに対し、スーチー氏率いる野党NLDの優勢が伝えられる。だがMTTさんは楽観していない。「25年前の選挙でもNLDが圧勝したのに政権が無視したから」。今回もし投開票に不正がなく、NLDが政権に加われば、彼の夢は一歩近づく。

2015年11月7日土曜日

(2736)ミャンマー最後の訴え あす総選挙 

  11月7日の朝日より。ミャンマー総選挙は7日、選挙戦の最終日を迎えた。NLDなど全主要政党が25年ぶりに加わる総選挙だ。USDPの新人候補は「投票してくれたら、停電が減り道路がよくなる」と訴えた。しかしNLDに対しUSDPは劣勢で、今月1日にスーチー氏が数万人を集めた運動場で6日、USDPも集会を開いたが、会場は埋まらなかった。選挙運動は6日までで、NLDは選挙違反に問われるのを避けようと、5日中に市内の立て看板などを撤去した。6日午後にはNLDのシンボルカラーの赤シャツを着た一行がシンガポールから到着、在外投票は信用できないという。武装勢力の支配地域など7選挙区で延期が決定、有権者名簿に誤記など大量の不備がある。反イスラムを掲げる仏教僧らは、人権を重視するNLDに投票しないように呼びかけた。

2015年11月6日金曜日

(2735)スーチー氏政権運営意欲 奪取なら「私が大統領の上位に立つ」

  11月6日の朝日新聞より。副題は「奪取なら私が大統領の上に立つ」、「ミャンマー総選挙8日投開票」。スーチー氏は5日、「真に民主的な指導体制を築く」と政権を担う意欲を示した。テインセイン大統領が党首で、旧軍政系の与党USDPを圧倒する勢いだ。焦点はNLDが民選枠の3分の2以上を制し、全議員の過半数を得るかどうかだ。ただ、議員の投票で選ぶ大統領には、憲法の規定でなれない。ただスーチー氏は「政権を取れれば私が大統領の上位に立つ」と党首として実質的に政権を率いる考えを強調した。また、スーチー氏は「選挙管理委員会が公正な選挙の実現に熱心ではない」とも述べた。以前経験したような政権側が結果を踏みにじる可能性については「90年と2015年では違う。いまは不正があれば国民が指摘できる」と否定的に発言した。

2015年11月5日木曜日

(2734)日本育ちの子に在留許可を(投書)

  11月5日の朝日新聞オピニオン欄(投書)より。親が不法滞在で、幼いころから日本に住んでいる10代の若者たちが、在留許可を求める活動を続けていると知りました。この子らが家族と一緒に日本で生活することを、認めるわけにはいかないのでしょうか。子らの親が不法滞在となったのには様々な事情があるのでしょう。しかし日本で生まれ、小さいころから日本で生活している子供たちが、国外退去を命じられる現実は、日本人として悲しく思います(中略)。法の順守は大切ですが、運用や解釈で何とかできる余地はないのでしょうか。なければ法改正が必要ではないでしょうか(中略)。日本は海外支援で感謝されています。この精神を国内で助けを求めている子らにも発揮したいと思います。きっと将来 日本のために活躍する人材も出てくると信じています。

2015年11月4日水曜日

(2733)ミャンマー選挙委員会がシャン州の選挙区などに選挙中止を通達

  10月31日のミャンマーニュースより。ミャンマーの選挙委員会は、いくつかの選挙区について11月8日の総選挙を開催しないと発表した。選挙をキャンセルされたのは、シャン州OILEN地区の選挙区の約50の村。詳細は明らかではないが、カチン州、カレン州、バゴー地域での多くの村でも、選挙キャンセルや延期の方向で進んでいる。選挙委員会によれば、これらの地区は「自由で公平な選挙が実行されない」としている。選挙がキャンセルされたシャン州の地区では、シャン州軍と政府軍による争いが起き、3-5000人の住民が住居を移動しているという。シャン民族民主戦線の幹部は「対象地区で争いなど起こっていないにもかかわらず、キャンセルは不当で、選挙は開催するべきだ。選挙委員会に対し、調査結果を明らかにするよう申し出る」としている。

2015年11月3日火曜日

(2732)「あまちゃん列車」ミャンマーの大地を走る

  11月1日の東洋経済オンラインより。ヤンゴン近くのバズンダン駅を定刻15時ちょうどに、ディーゼル車が発車した。この列車こそ少し前まで三陸海岸を走っていて、NHKのドラマ[あまちゃん]で脚光を浴びた、あの三陸鉄道の車両だ。折り返しの車内の乗車率は7割、2駅目のワーダン駅から乗ってきた女性2人は、ボーダータウン駅まで行き、フェリーで自宅まで帰るという。以前はバスで通勤していたが、何時に家までたどり着けるか分からず不便だったという。このストランド線は、電化が実現した後、この「あまちゃん列車」はさらに先の非電化区間を走るという。日本政府はミャンマーの鉄道整備に多額のODAで援助しているが、中國も大型の車両整備工場を建設中。インドネシアでは新幹線が最終段階で中国に敗れたが二の舞にならない戦略が大切。

2015年11月2日月曜日

(2731)スーチー氏集会に数万人 与党盛り返し懸命

  11月2日の朝日より。野党NLDは1日、ヤンゴンで数万人規模の集会を開いた。「今回の選挙は変革の大好機。生かせれば真の民主主義を打ち立てられる」。スーチー氏が訴えると無数の市民が歓声と拍手で応えた。NLDは着実に支持を広げる。一方与党は、10月31日にヤンゴン郊外で集会を開いた。「現政権の努力で民主化した。大統領は国民のニーズを実現してきた」と成果を強調。だが集まったのは約千人、大半の参加者は用意された十数台のバスで帰って行った。テインセイン大統領は故郷のガブドーで演説「変化はすでに起きている。我々は一歩ずつスムーズに変化できた」とNLDの主張に真っ向から反論。ある人は「変化したと言うが一部の人が利権を得る体制は変わっていない」と話した。与党USDPは押され気味で、盛り返しに必死だ。

2015年11月1日日曜日

(2730)@ヤンゴン選挙戦、ネットから街頭へ

  10月31日の朝日新聞より。9月8日(選挙公示日)、ヤンゴンの街は不思議なほど「選挙ムード」に欠けていた。その後も2週間ぐらいは盛り上がらず、日本の選挙風景と違っていた。しかしある女性候補は選挙運動開始から2週間で、FBの「友達」が3千人を超えた。民政移管後、テインセイン政権は通信分野の自由化に踏み切った。ネット利用者は人口の3分の1の1800万人に急増、FBの利用者は600万人、スーチー氏もFBを活用した。選挙管理委員会はFB利用の規制せず、一方街頭活動には様々な制約・罰則を設けた。なお、シュエマン氏は軍政下では、テインセイン大統領より上位であったが、いまは再起をかけピューの街で地道に選挙区を遊説中だ。与党候補なのに、政党名は隠している。10月に入ると、ヤンゴンでも選挙運動が活発になった。