2016年9月30日金曜日

(3069)国連はビルマに人権尊重の圧力を アムネスティ日本

 9月21日のアムネスティ国際事務局ニュースより。文民による新政権が発足してから6か月が経過した。新政権はこれまでに人権問題にいくつかの取り組みをしてきたが、現在も半世紀にわたる軍事政権が残した負の遺産に直面している。いまも続く紛争、ロヒンギャが抱える窮状、立ち退きを強いられる地域住民の人道支援、人権侵害加害者の処罰、ヘイトスピーチの抑止、抑圧的法律の改正など、殆ど進んでいない。過去四半世紀近く、国連総会は同国の人権問題に関する決議を採択してきた。軍部は依然として主要官庁を牛耳り、議会の4分の1の議席で憲法改正を阻止できる。国際的な圧力の緩和は時期尚早であることは明らかである。EUはビルマの人権問題に取り組む決議を提案してきたが昨年の決議での勧告はまだ十分実施されていない。

2016年9月29日木曜日

(3068)スーチー国家顧問が英国訪問 ジョンソン外相と会談

 9月14日のミャンマーニュースより。スーチー国家顧問兼外相が英国を訪問、歓迎したことをホームページに掲載した。スーチー氏の英国訪問は昨年の総選挙後初となる。両外相はロンドンのランカスター・ハウスで会談。ジョンソン外相は、民主化の進展と著しい経済成長により、目覚ましい発展を遂げるミャンマーを全面的に支援すると強調。また両外相は、ミャンマー政府と少数民族武装勢力の和平会議である「21世紀パンロン会議」と、今後の和平交渉のあり方について意見を交わした。さらにラカイン州において、アナン元国連事務総長を委員長とする「ラカイン州諮問委員会」が設立された件は、ロヒンギャ問題解決の第一歩とした。会談後同外相は、ミャンマーが文民政権を樹立したことは喜ばしいこととし、同国民の勇気ある行動の賜物と説明した。

2016年9月28日水曜日

(3067)スーチー氏、疲労によりしばらく休養が必要

 9月28日のミャンマーニュースより。9月26日、スーチー氏のオフィスは、2週間以上外国を訪問しているスーチー氏が、体調を崩していることを発表。スーチー氏はこの2週間、アメリカ、イギリスを訪問し、オバマ大統領との会談や、国連総会への出席をこなし、25日夜帰国した。71歳のスーチー氏にとっては、ハードなスケジュールだったようで、SNSにはヤンゴン空港で、車いすを使っている写真がアップされていた。スーチー氏は13日から16日、アメリカに滞在し、オバマ大統領と会談、経済的な制裁解除など、リーダーとして成果を上げた。21日にニューヨークで開かれた国連総会でも、スピーチを行った。しかし23日、国連のパートナーグループ・ミーティングは、医師のアドバイスにより欠席。症状に大きな問題はなく、疲れによる胃炎と診断された。

2016年9月27日火曜日

(3066)国連高官ロヒンギャ支援 ミャンマーに働きかける考え

 9月24日のNHKニュースより。ミャンマーで抑圧され、周辺国に逃れているロヒンギャの人の現状についてのシンポジウムが24日、マレーシアで開催された。出席したUNHCR=国連難民高等弁務官事務所の高官は、多くのロヒンギャたちが劣悪な環境での生活を強いられている旨発言。ロヒンギャたちは、ミャンマー西部で抑圧されている少数派のイスラム教徒で、去年密航船に乗って数千人がインドネシアやマレーシアに漂着した。ロヒンギャがたどり着いた周辺国では、不法移民として扱われ、劣悪な環境での生活を強いられている。さらに周辺国でロヒンギャ人が、人身売買の被害にあう例も持ち上がっていた。これらの状況から、「ミャンマー国内での状況を改善し、早期に帰国できるよう実行していく」とミャンマー政府への働きかけを強めるという。

2016年9月26日月曜日

(3065)BSIスペシャル「帰りたるわが故郷は~ビルマ難民25年目の帰国~

 9月24日21時のNHKBS1スペシャルから。日本には1988年8月の民主化デモ後の弾圧をきっかけに、政治亡命したミャンマー人たちがいる。今回の政権交代を契機に、彼らが四半世紀ぶりに祖国に戻った。そこで目にしたのは、依然として残る軍部の隠然たる影響力と、民主化には程遠い地方の厳しい現実だった。チョーチョーソー氏は、難民として日本に到着、高田馬場でミャンマー料理店を開き、日本での反政府活動のリーダーとして活躍、最近ではNHKのビルマ語放送を担当し、母国に話題を発信。ウーシュエバがキューを出す珍しい画面も。25年目のミャンマーに降り立ったが、88年代、共に戦った友人の多くは軍事政権側のUSDPに所属していた。彼は政治家になる決心をした。同じく帰国した友人は、アラカン軍と政府軍の争いを知った。

2016年9月25日日曜日

(3064)中尾先生の復帰をお祈りする

 今日9月25日、10時過ぎからミンガラ日本語教室のサヤガドーボエが開催された。ミャンマー人生徒約60人と、日本人教師約10人が集まり、式典及び食事会が盛大に開催された。そのあと、N2級合格者2名へのミンガラ奨励金(1万円)授与式を挙行した。N1級合格者にも奨学金5万円が用意されていたが、今回はN1級合格者は不在。そのあと恒例の講師連絡会が開催された。さてそれらの行事が行われる合間に、我らグループの中心的人物である中尾先生より、暫らくお休みしたいという厳しいお話をいただいた。当教室は先日20周年記念行事を行ったばかりであり、30周年目指して全員が活発に動き出していた。その矢先での中尾先生のお休み発言はまさに残念至極。涙を浮かべる生徒もいた。一同、中尾先生の一日も早い復帰を祈っている。

2016年9月24日土曜日

(3063)ミャンマーCTBTを批准 日本の支援約束 後押し

 9月18日の朝日新聞より。軍事政権時代に北朝鮮の支援による核開発疑惑も取り沙汰されたミャンマーが、包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准した。日本政府などの働きがけが奏功し、米ニューヨークで21日に開かれるCTBT関連の外相会合で岸田外相が報告する運びになった。岸田外相は5月にスーチー国家顧問兼外相と会談。CTBT早期批准に向けた支援を約束するなど、日本政府として後押ししてきた。海外からの投資拡大に力を入れるミャンマー側は、国際社会の疑念を払拭する狙いで批准に踏み切ったとみられる。CTBTは採択から今年で20年で、批准国はミャンマーを含めて計166カ国に達する。ただ発効には潜在的な核開発能力を持つ特定44か国(発効要件国)すべての批准が必要。中国 米国などは批准せず見通せていない。

2016年9月23日金曜日

(3062)出血・・・心配なし デイサービスでの自転車漕ぎもやれるぜガンガン

 昨日のこのブログで、出血事件を書いたところ、大勢の方からお見舞いの言葉をいただいた。有難いことだ。せっかく調子に乗ってきたデイサービスでの自転車漕ぎもできなくなるのか? 2日後に迫ったミンガラ日本語教室での日本語能力試験合格者表彰式にも出席できなくなるのか? 気持ちが大きく揺れた3日間であった。今朝早速行きつけの津田沼中央総合病院の泌尿器科を訪れた。いつもと同じ2時間余の憂鬱な待ち時間を経て、恐る恐る診察室へ。若い医師は開口一番「西田さんの膀胱には結石があるため、排尿時にこの石が尿道を傷つけて出血するのはごく当たり前、これからも血尿はあるはずで問題はありません」、「自転車漕ぎ、どんどん挑戦したら」とのご宣託。医師からこうもはっきり言われると苦笑するのみ。医師は固いイシが大切。

2016年9月22日木曜日

(3061)出血だ

 昨日(9月21日)朝10時ごろ、尿意を催しトイレに急行、しゃがむや否や先端部に激痛が、そして便器が真っ赤に染まっていた。このような現象が起きることは半年ぐらい前、中央病院の泌尿器科医師との会話で予測されていた。小生の膀胱や腎臓には直径数ミリの結石が数個あり、それらが飛び出す時に尿道を傷つけ、激痛と出血があるかもといった内容。当時は軽く聞き流していたが、昨日はそれを実体験、白い便器に描かれた赤い筋。怖かった。しかし、予告を知っていただけ、その恐怖は弱まったはず。すぐ中央病院の泌尿器科に電話すると、その日は医師が休暇を取っているとのこと、近くの泌尿器科クリニックに電話すると、「そのような異変には対応しきれない」とつれない返事。今朝の時点で、出血は止まったが、今日はどこも休診。弱ったなあ。

2016年9月21日水曜日

(3060)民主化の中のミャンマーメディア事情

 「放送研究と調査」(2015年7月号)より。副題は「公共放送への転換目指す国営MRTV放送局」。田中孝宣氏による14頁に亘る学術論文、そのポイントのみ転載する。2011年に軍政から民政に移管したミャンマーでは、民主化の波を受けて、放送にも大きな変化が起きている。かつては政府が完全管理してきた放送だが、商業放送局の参入で多チャンネル化が進み、海外の番組を含む様々な番組が放送されている。またこれまで軍事政権の声を伝える役割を担ってきた国営MRTVにも「公共放送化」する方針が示され、新たにニュース部門や、街頭インタビュー番組を始めた。しかし、職員の意識改革、人材確保、政府の干渉からの編集権の独立など課題も多い。法案審議も止まったままだ。ミャンマーのメディアの民主化の展開を注視する要がある。

2016年9月20日火曜日

(3059)スーチー氏との交渉、その舞台裏

 9月17日の朝日新聞デジタルより。07年10月、軍政トップのタンシュエは、アウンチー少将(労働副大臣)をスーチー氏との対話担当に命じた。それを受けてアウンチーは9回スーチーと会談した。当時の印象を聞くと、アウンチーは「タンシュエとスーチーを直接会わせたかったが、自分は両者の連絡係に過ぎなかった」。しかし軍政時代の対話は無駄には終わらなかった。テインセイン大統領時代にも、欧米からの経済制裁の緩和について、スーチーと話すように大統領から依頼された。その後2度目の会談で、スーチーは「国の発展のために政府に協力したい」と発言、そこから話が一挙に進んだ。そして、この一週間後にスーチー・テインセイン会談が実現した。アウンチーのように軍政の側にいながら、国を変えたいと考えた人たちがいたことも事実だ。

2016年9月19日月曜日

(3058)ティラワSEZ 住民移転テーマの作品が受賞 ワッタン映画祭

 9月17日のミャンマーニュースより。9月11日、ヤンゴンで開かれた「ワッタン映画祭」で、日本とミャンマーが共同で開発を進めるティラワ経済特区(SEZ)の住民移転問題を取り上げた「MOVE」がドキュメンタリー部門で受賞した。 移転を迫られる住民が、家族の墓を掘り返して移動させる様子を撮影したもので、掘り出した遺体の映像を盛り込むなど衝撃的な作品だ。2015年に撮影されたもので、住民が移転した後の生活には触れられていない。同監督は取材に対し「ミャンマー各地で同様な事態が起こっているので、大型開発であるティラワを取り上げた」と話している。住民移転を巡っては、ミャンマー当局が当初強引な立ち退きを迫ったことなどから問題化した。その後JICAが専門家を派遣して和解に務め、移転した住民の生活環境は 改善している。

2016年9月18日日曜日

(3057)ミャンマー CTBTを批准 日本の支援約束 後押し

 9月18日の朝日より。軍事政権時代に北朝鮮の支援による核開発疑惑も取り沙汰されたミャンマーが、包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准。岸田外相が今年5月にスーチー国家顧問兼外相と会談、CTBT早期批准に向けた支援を約束するなど、日本政府として後押ししてきた。海外からの投資拡大に力を入れるミャンマー側は、国際社会の疑念を払拭する狙いで批准に踏み切ったと思われる。CTBTは採択から今年で20年、批准国はミャンマーを含めて166カ国に達する。ただ発効には潜在的な核開発能力を持つ44カ国すべての批准が必要。中国、米国などは批准せず見通せていない。21日はニューヨークで、日本などが主導する2年に1度の「CTBTフレンズ外相会合」を開催。岸田外相は、北朝鮮に言及しつつ、ミャンマーの批准を報告する。

2016年9月17日土曜日

(3056)ヤンゴンで飽和状態の日本食レストラン、宅配弁当で新たな展開か

 9月17日のミャンマーニュースより。民主化の進むミャンマーでは、2012年から現在までに、日本人商工会議所に登録する企業は4倍を超え、増え続ける日本人駐在員を見込んで、ヤンゴンでは日本食レストランが乱立し、その数は100軒を超えた。その内容も「赤から」、「大阪王将」など日本のチェーン店が出店するケース、タイですでに成功を収めている居酒屋「しゃかりき432」など、海外経験のある店が進出するケース、日本の飲食店で出稼ぎしていたミャンマー人が帰国して店を開くケースなど様々。わずか100メートル程度に似通った日本食レストランが4・5軒も軒を連ねる通りもある。しかし味の濃いミャンマー料理に比べて薄味の日本食はミャンマー人の舌に合わず、苦戦。そこで注目されているのが宅配弁当。戦いの場は弁当にまで拡大中。

2016年9月16日金曜日

(3055)ミャンマー・中国国境沸く 戦時中の輸送拠点・ムセ

 9月14日の日経より。副題に「開発加速、貿易の要衝に」。シャン州北部の中心都市ラショーから険しい山道を走ること4時間、眼下に突如高層ビルの街ムセの市街地が出現。ここでは地方政府と地場企業が共同開発した商業エリアが来年開業する。中国側の雲南省瑞麗でも、年産15万台の完成車工場の建設を始めた。日中戦争時の援蒋ルートの要衝が、新たな国境貿易の場として活況を見せ始めている。15年度のムセ経由の貿易額は5400億円、ミャンマーの国境貿易の7・8割はムセ経由だ。さらに地域発の有力建設企業がムセに本社を構えた。またチャオピューからの原油パイプラインの中継地としても重要である。スーチー氏は中国重視の姿勢を再び強めており、援蒋ルートの要衝ムセは、70年経ってミャンマー経済の新たな軸になりそうだ。

2016年9月15日木曜日

(3054)スーチー氏訪米 オバマ大統領と会談

 9月13日・14日、日経新聞より。スーチー氏は14日から約2週間米国を訪問し、オバマ大統領と会談。両国の経済関係強化の足かせとなっている経済制裁の緩和を議論。3月末の新政権発足後では、ラオス、タイ、中国、英国に続く外遊だ。オバマ氏は会談後、対ミャンマー経済制裁を近く解除する意向を表明、時期については「間もなく」と語った。オバマ氏は、ミャンマーは新政権のもとで「社会、政治的に明確な変革があった」として民主化の進展を評価。米企業の投資や米国民の旅行を増やし、ミャンマーの経済成長と民主化を支えていく考えを示した。会談に先立ち、途上国から輸入した製品への関税を減免する優遇措置をミャンマーに対して復活させることを米議会に通知した。一方スーチー氏は「すべての制裁が解除される時が訪れた」と強調した。

2016年9月14日水曜日

(3053)新政権 少数民族との対話難航 モザイク国家に内戦長期化の重荷②

 肝心の会議も議論の中身は実りのあるものとは言い難かった。2日目は約10の少数民族の代表が順番に壇上に立ち、停戦に対するそれぞれの立場を主張した。カレン民族同盟は、「各民族が独自の憲法を起草する」、アラカン民族党は「資源開発権益と税源の移譲」、モンラー地方代表は「独自の司法権」を要求した。今回スーチー氏はいったんすべての争点を棚上げすることで、多くの武装勢力が停戦交渉のテーブルに就くことを優先したが、一方で少数民族側の期待が大きくなり、率直に要求するようになった。結局 今回の会合は、少数民族側の要求の多様さを確認しただけで、当初5日間の予定が、4日間で終了。これまで、国軍の力に抑圧されてきた 少数民族の要求がエスカレートし、スーチー氏がその統制に失敗すれば、国家分裂の火種をまく。

2016年9月13日火曜日

(3052)新政権 少数民族との対話難航 モザイク国家に内戦長期化の重荷①

 9月12日の日経電子版より。スーチー氏率いる新政権と少数民族武装勢力との政治対話が始まった。スーチー氏が特に重視する全土和平だが、対応に不満を持った中国系少数民族が途中退席したほか、資源権益などを巡る民族間の溝も浮き彫りになるなど波乱続き。130以上の民族がひしめくモザイク国家、ミャンマーのかじ取りの難しさを再認識させる船出となった。5日間の日程で幕を開けた「21世紀のパンロン会議」。テインセイン政権時代の2015年10月、8勢力との停戦にこぎつけたが、なお10勢力以上とは未停戦だ。会議の冒頭、スーチー氏は、内戦の終結が最優先事項であるとの考えを明らかにした。その視線からは亡父の意思を引き継ごうという強い意欲が現れていた。だがワ州連合軍(UWSA)退席問題で祝祭ムードは吹き飛んだ。

2016年9月12日月曜日

(3051)ミャンマー悩ます密輸品 税逃れ横行、健全市場遠く

 9月8日の日経新聞より。ミャンマーの飲料大手IBTCグループのアウン会長は次のように話す。昨年オランダ・ハイネケンとビールの合弁生産を始め、年内の工場拡張を予定するなど順調だが、悩みの種はタイなど隣国からの密輸ビールの安売りだ。タイや中国など5か国と接し、延べ6千キロの長い陸上国境を持つミャンマー。軍政時代から、ルーズな国境管理と、賄賂と引き換えに違法行為をお目こぼしにする腐敗官僚の存在が密輸の横行を許してきた。タイとの国境貿易の拠点であるミャワディ―、連日タイの缶ビールが小舟で運ばれてくる。60%の商業税が支払われず、密輸ビールの小売価格は約50円と正規品の半分だ。同社は、キリンなどとも連携して新政権に対策を陳情する。一方で、密輸は少数民族武装勢力の資金源であり根絶は困難。

2016年9月11日日曜日

(3050)国内和平実現へのファーストステップ バンロン会議が終了

 9月6日のミャンマーニュースより。9月3日、4日間の日程で開かれたバンロン会議が終わった。期間中には、参加した少数民族グループからの代表者がそれぞれの状況や見解を述べると同時に最も優先するべきなのは、お互いに理解し合うことだということで合意した。また全国停戦に向けた組織的なシステム(NCA)とガイドラインを構築することにも合意が取れている。具体的な結論には至らなかったが、国の和平と統一に向けた第一歩としての成果は認められている。スーチー氏は今回の会議が「ファーストステップ」であることを強調し、今後6か月以内に同様の和平会議を開催することも決定。軍事政権下では、軍による少数民族への暴行が数多く発生し、紛争地では違法取引など問題は解決していない。少数民族が持つ軍への不信感は根強い。

2016年9月10日土曜日

(3049)ミャンマーに1250億円⇒ホームドア予算の50倍 途上国支援桁違い

 9月9日の東京新聞より。政府は国内の鉄道事業者によるホームドア設置を補助する予算を22億円増額する。一方、安倍首相は8日までの外遊で、ミャンマーへ1250億円(貧困対策、農村開発など)、フィリピンへ164億円(大型巡視船供与)、ベトナムへ228億円(気候変動対策など)と発表。国内でのホームドア設置補助は税金や国債で集めたお金で、国会の議決が必要な一般会計から支出される。これに対し、東南アジアへの支援は、政府開発援助(ODA)の円借款を充てる。円借款はお金を貸し付ける制度で、一般会計のお金はほとんど使われない。円借款の財源の95%は、貸し付けを行う独立行政法人JICAの自己資金と特別会計からの借り入れで賄う。円借款は「外交のカード」という性格もあるが、財源の大半は国会のチェックが働きにくい。

2016年9月9日金曜日

(3048)スーチー氏、ミャンマーの実質トップ 各国首脳と会談

 9月9日の日経新聞電子版より。ミャンマーのスーチー国家顧問兼外相が事実上の国家トップとしての地位を固めつつある。6~8日にラオスで開いた東南アジア諸国連合(アセアン)関連首脳会議で精力的に各国首脳と会談をこなし、新政権の顔として振る舞った。本来、国家首脳として会議に参加する筈のティンチョ―大統領は同行しなかった。一連の会議の合間にスーチー氏は日本の安倍首相、インドのモディ首相、ベトナムのグエン首相らと個別に会談。首脳会議全体を通して軍縮や核不拡散などのテーマでアセアンのまとめ役を担ったという。今回のラオス訪問について、国軍系メディアを含め国内で目立った批判は出ていない。政権発足当初は不安定さが懸念されたスーチー氏が「大統領の上に立ち政権を統率する」構図が既成事実化されつつある。

2016年9月8日木曜日

(3047)ミャンマーへ1250億円 首相、スーチー氏と会談

 9月8日の朝日新聞より。安倍首相は7日、訪問先のラオス・ビエンチャンで、ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問兼外相と会談し、道路や橋、電気などのインフラ整備のため1250億円の支援を行うと表明した。ミャンマーの貧困対策や農村開発が目的。スーチー氏の早期訪日も要望し、スーチー氏は「できるだけ早く訪日したい」と応じた。両氏の会談は2013年5月以来で、スーチー氏が今年4月に国家顧問に就任してからは初めて。首相は会談で、「ミャンマーの経済発展、国民和解の実現に向けたスーチー氏の尽力を全面的に支援する」と述べた。またスーチー氏が「海外投資を促すため、新たな投資法を早期に施行したい」と伝えたのに対し、首相は「(日本側も)官民の緊密な連携のもと 民間投資を大いに促進したい」と応じた(以上)。喜ばしいことだ。

2016年9月7日水曜日

(3046)「トップ」、「ユンボ」 技術遺産に

 9月7日の朝日新聞より。本件ミャンマーと無関係で失礼。国立科学博物館は6日、科学技術の歴史や生活に大きな影響を与えた重要な成果として保存する重要科学技術史資料(未来技術遺産)に、合成洗剤「酵素パワーの【トップ】や油圧ショベル【ユンボ】など16件を新たに登録すると発表した。登録件数は合計225件になった。科博によると「トップ」は、ライオンが1979年に製造を始めた合成洗剤で、生活排水による環境汚染が問題視されるなか、低リン化と酵素のカプセル化で洗浄効果と安全性を向上させた。安全性を確保した酵素入り合成洗剤としてヒットした初の商品という。この他国産初の油圧ショベル「ユンボ」や、日本の標準機だった実用パソコン「98シリーズ」の初代機などが選ばれた(以上)。「トップ」は当時私もライオンにいて若干関与していた。

2016年9月6日火曜日

(3045)民族対立解決へ、スーチー氏動く

 9月6日の朝日新聞より。副題は「アナン氏の委員会設立」。ミャンマー政府は西部ラカイン州で、イスラム教徒のロヒンギャと仏教徒のラカインが対立している問題について、コフィ・アナン前国連事務総長をトップとする諮問委員会を設立し、5日にヤンゴンで初会合を開いた。スーチー国家顧問が問題解決に動き出した形だ。同州では2012年に二つの民族が各地で衝突し、約200人が死亡。いまもロヒンギャを中心に約12万人が避難民キャンプで暮らしている。この日の初会合で、スーチー氏は「解決策を見出す手助けを期待したい」と訴え、アナン氏は「同州の平和と和解発展に向けた努力を支援したい」と応じた。解決に向けた提言を1年以内にまとめる(以上)。スーチー氏が直接前面に出ることなく、いわゆる第3者機関に委ねる方法は、さすがと言えよう。

2016年9月5日月曜日

(3044)パンロン会議委員会 運営上の不手際をワ軍に謝罪

 9月5日のミャンマーニュースより。2日UWSA(ワ軍)が委員会の対応に不満を持ち、参加しなかった件で、ミャンマー政府はUWSAに正式に謝罪した。前日、政府は管理上の都合でUWSAのリーダーに登録カードを渡した。これをきっかけに誤解が生じ、9人のUWSA団はネピドーから去ってしまった。2日、主催者側の平和委員会副委員長が署名付きの手紙を送った。手紙では「8月31日、開会式と食事会にUWSAが参加してくれたことを嬉しく思う。全ての民族武装グループに公平に配慮する」と差別でなく誤解であったことを伝えた。1日の朝、UWSAの9名の会員カードが完全ではなく、ホールへの入場を拒否されたメンバーがいた。また、準備段階でもネームプレートが用意されていなかった。政府側の謝罪を受け、UWSA9名は 委員会会場に戻るという。

2016年9月4日日曜日

(3043)スーチーの軌跡 現実の先に⑥ 民主化へ対話に期待 最終回

 9月4日の朝日より。一仏教高僧は7月10日、法要のためスーチー宅に招かれた。この日はアウンサン将軍が1947年に暗殺された命日だった。家に入ると意外な姿を見かけた。国軍最高司令官のミンアウンフラインだった。「建軍の父である将軍の娘と、軍に育てられた司令官は姉弟のようなもの」と僧侶が言うと、スーチーは「弟は年上の言うことを聞かないといけない」と。最高司令官は笑顔で応じていた。スーチーは軍に強い政治的権限を与える現憲法の改正を訴える。しかし改憲には軍の同意が必要な仕組みになっており、最高司令官の協力がカギを握る。二人は直接話せるようになった。だが軍が柔軟になったのは、今はスーチーの勢いを止められないからだ。スーチーが理想を実現できるかは、今後の政権運営で期待に応えられるかにかかっている。

2016年9月3日土曜日

(3042)スーチーの軌跡 現実の先に⑤ 「独断」のひとり歩き

 9月3日の朝日より。スーチー率いるNLD政権が発足して1か月余りの5月、庶民が好む嗜好品キンマの店の店主は、知人の言葉に耳を疑った。「キンマ売りは月末までに店を閉めろと役人が命令して回っている」。キンマはビンロウの種子などを葉で巻いた紙タバコのようなもの。唾液が赤くなり街が汚れる。キンマ禁止はヤンゴンの一部でも命じられ、業者や大衆の反発を招いた。新政権は6月「禁止」を否定する声明を出さざるを得なかった。この騒動の発端は、スーチーだった。政権交代を控えた3月、大のキンマ嫌いのスーチーは会合でこう指図した。「消費を減らし唾液をまき散らさないよう、人々に指示を出すべきだ」。スーチーは、啓発を念頭にしていたようだが、部下が意図をくみ違えた。スーチーの「独断」が 独り歩きしかねない状況が生まれている。

2016年9月2日金曜日

(3041)ミャンマー和平へ 武装組織と初会議 スーチー氏率いる新政権

 9月1日の朝日新聞より。ネピドーで31日、内戦状態が続く政府と少数民族武装勢力の和平を目指す「連邦和平会議」が始まった。スーチー国家顧問の新政権下では初めて。スーチー氏には会議での議論を、軍政下で定められた憲法の改正につなげたい思惑もある。国内和平はテインセイン前政権下で進められ、約20の武装組織のうち8組織の間で昨年10月、全国規模の停戦協定が実現した。今回はスーチー氏の意向で、カチン独立機構やワ州連合軍など、17組織が参加、国連のパン事務総長も開会式に出席した。スーチー氏は北部にいる10万人の国内避難民らを念頭に、「彼らの苦境を忘れてはならない」と訴えた。今後は6か月ごとに開催する予定。スーチー氏は共に「改憲」を掲げる少数民族勢力との協議の場を使って、軍を説得したい意向だ。

(3040)スーチーの軌跡 現実の先に④ 妥協姿勢 戸惑う人権派

 9月2日の朝日新聞より。スーチーが今年6月、国連の人権問題担当者に述べた言葉が、ミャンマー社会の「変化」を期待する人びとの間で戸惑いを生んだ。「ロヒンギャ、という呼び名は使わないで」。国民の9割が仏教徒の同国で、イスラム教徒のロヒンギャは隣国から来た「バングラデシュ人」とみなされて市民扱いされず、迫害されてきた。ロヒンギャという存在を認めたくない国内の差別感情に配慮した、と受け止められた。「近年のスーチーは人権への意識が弱まり輝く星ではない」との説も。仏教徒の支持を失うと選挙に勝てない事情が背後にある。「軍と歩み寄った先の方針が見えない」との意見も。国際NGOの報告書(16年版)によれば、少数派保護や表現の自由などからみる同国の自由度は48番目の低さ、スーチーの手腕に厳しい目が注がれている。

2016年9月1日木曜日

(3039)スーチーの軌跡 現実の先に③ 補選で当選、旧敵と連携

 9月1日の朝日新聞より。下院議長だったシュエマンはスーチーに約束した。「まずは選挙に勝ちなさい。勝利して国会に来たら協力しましょう」。NLDは12年4月の国会補欠選挙への参加を決めていた。NLDは補選で43議席中41議席を得る圧勝で、スーチーも下院議員に当選した。シュエマンは約束を果たす。同年8月、下院に「法の支配委員会」なる常任委員会を新設し、スーチーを委員長にした。シュエマンは、国民の人気が高いスーチーとの連携なしに政治はできないと知っていた。スーチーが仕向けた動きだった。シュエマンなしでは、改憲は議題に上がらなかった。だが、テインセインらは本音では反対だった改憲は、結局実現しなかった。シュエマン自身も15年8月、党内抗争で敗れ失脚。そして同年11月の総選挙、国民は課題をスーチーに託した。