2010年8月31日火曜日

(841)活躍してるBURMA CONCERN

(2010年8月31日)
  皆さん BURMA CONCERNというグループをご存知でしょうか。2009年8月、ちょうど1年前から正式に活動を始めたグループで、私のBRSA時代からの知人熊切さんと、在日チン民族指導者タン・ナンリャンタン氏、及び同氏の妻マインイン女史らが共同代表となり、ビルマ難民と日本社会の架け橋となる活動を行っており、難民の生活相談、難民申請支援のほか、難民の今を発信する活動を行っているという。8月にはクンマーコーバン氏(カレンニー州の政治家で民族合同民主連盟・解放区の議長)を呼んでビルマ・コンサーンの事務局で緊急記者会見を行い、また、カレンの有名なモウニーさんに対するフジテレビの取材を取り持ったという。彼が最近ブログに載せた「日本の非ビルマ民族政治団体一覧」も役に立つ。その中で「在日カレン民族協会」の設立は知らなかった。「ビルマ コンサーン」の活躍を期待する。

2010年8月30日月曜日

(840)ミャンマーにすしブーム

(2010年8月30日)
  28日の朝日夕刊に「ミャンマーにすしブーム」、「板前は日本仕込み」、「地元客好みの味付け」、「日本の成長期支える」などの見出しが並んでいた。ヤンゴンには在留邦人が500人ほどしかいないが、すし店のオープンが続き、確認できるだけで10店を超えている。スーパーにもにも回転ずしコーナーができた。日本人目当てではなく、世界的なスシ人気が到達した形だ。握るのは日本のすしブームを支えたミャンマー人職人だ。(以上概要)。たまたま送られてきた「みんがらネットワーク会報32号」で、ヤンゴン在住のS氏がやはりすしブームを取り上げており、日本人経営の店が数軒、ミャンマー人経営の店が22・3軒あって驚いたと書いてあった。このようにミャンマーですしブームという知らせを聞くと、ミンガラ日本語教室卒業生で、アメリカのすし店で働くWさん、ドイツのすし店で働くKさん夫婦を思い出す。元気かな?

2010年8月29日日曜日

(839)ビルマ今週のニュース1032号

(2010年8月29日)
  BURMAINFOのニュース1032号から抜粋。 ★スーチー氏は「総選挙でNLDに投票したかったという人は棄権したらどうか」と提案、また同氏は「国民は選挙プロセスをよく観察し、自由公正でない場合は声をあげるべき」とも述べた。 ★選挙管理委員会がNDFの幹部4人に対し、反逆罪の赦免を求める申請を再度提出しなければ立候補できないと通告した件について、同党のキンマウンスエ議長は「再申請しても立候補は認められないだろう」と出馬を諦めた。 ★岡田外相は20日の記者会見で「自由公正な選挙についていろいろ努力してきたにもかかわらず全く顧みられないことは大変遺憾」と述べた。 ★ワ州連合軍(UWSA)に対し軍政は「9月4日までに国境警備隊への編入に合意しなければ違法団体とみなす」と通告。 ★5月から始まった空港での到着ビザ発給が9月から休止。選挙前の外国人制限か。

2010年8月28日土曜日

(838)メラ難民キャンプ 事前研修終わる??

(2010年8月28日)
  今朝の朝日にメラキャンプで習字を習う来日予定の家族たちの写真が掲載されていた。子どもたちは皆こざっぱりした服装で、利発そうに見える。みんな日本に来て幸せになってほしい。ただ記事を読んでビックリした。「第三国定住へ事前研修終わる」とあった。来日までまだ1ヶ月もあるのに何で終わるのか? インターネットを調べると研修期間はたったの1ヶ月、これでお茶を濁されては来日カレン難民に気の毒であり、日本政府の誠意も疑われてしまう。来日してから半年間はさらに研修を受けるが、その後の、教育、就労、医療など、どのような生活支援が受けられるのか、多くは白紙の状態と記載されていた。受入れまでに十分な時間があったのに、政府は何をしていたのか? これでは難民受入れに誠意がないと言われても仕方がない。今からでも遅くない、関係者の努力で彼らを万全の体制で迎えたいのだが。

2010年8月27日金曜日

(837)平和の翼⇒難民高等教育プログラム

(2010年8月27日)
  「平和の翼ジャーナル」VOL:10が送られてきた。2007年10月から無料で発行されている24頁の雑誌で、ビルマの民主化問題、難民問題を中心に日本語とビルマ語で書かれている。その編集長がアウンミャウイン氏で、ミンガラ日本語教室にも在籍したことがある。彼は2年間入管に収容された後、難民の資格を得た苦労人であり、当時の難民高等教育プログラムを活用して、兵庫県西宮市の関西学院大学の難民枠に入学した学問大好き青年である。実はこのたび、そのプログラムの2011年度版が発表された。応募期間:2010年8月16日~9月19日、募集人員:5名、実施大学:関西学院大学、青山大学、明治大学(応募書類はUNHCRのホームページから)。アウンミャウインさんに続いて、在日ビルマ難民から日本の大学で学ぶ青年が多く出ることを望む。そして次の世代のビルマ諸問題をリードしてほしい。

2010年8月26日木曜日

(836)大丈夫かな 第三国定住難民の来日

(2010年8月26日)
  昨日、渋谷の国連大学で「日本への第三国定住」のシンポジウムが行われた。私は足が悪いので出席できなかったが、いくつかの情報が流れてきた。まず(826)で取り上げた松本市が滝沢氏の尽力で「信州発国際貢献の会」を発足させ、定住難民引受けの声をあげたが、シンポジウムでは何も決まっていないとの姿勢のようだ。私は、熱心な自治体に任せたほうが、万事うまく行くと思うのだが。住居や就労の問題は日本政府が斡旋するのかと思ったが、難民の自主性に任せるらしい。また初めの6ヶ月は東京で研修するというが、難民キャンプという極めて非日常的な環境から、突然大都会に来てもストレスが溜まるだけではなかろうか? メラキャンプの環境に似た山の麓の街で研修する方がいいのでは? 在日ビルマ難民の動向もはっきりしない。彼ら自身の生活が苦しいのに支援まで手が回せないのでは?

2010年8月25日水曜日

(835)久しぶりの出会い 楽しくルンルン

(2010年8月25日)
  きょうは水曜日、いつも面会控え室でいろいろな知人に会っている。今日は誰と会えるか期待しながら品川入管へ。面会控え室入り口で早速 Aさんに会う、彼女とは2・3年前からある団体で一緒になり、流暢な日本語でしばしば通訳をしてもらったことがある。その後彼女は体調を崩したため会っていなかったが、きょう再会してみると愛くるしさは以前と変わらず、いろいろ話が弾んだ。私が出来上がったばかりの「ビルマ関連新聞見出し一覧表」をちらりと見せたところ、ぜひ欲しいと言われとうとう進呈する羽目に。なお、面会の際ビルマ人女性はさらに一人増えて4人に、きょう初めて会った女性は難民申請ではなく結婚とか。面会が終わって帰ろうとしたら難キ連のSさんと会ったのでもろもろの情報を交換、特に9月28日に来日する第三国定住のカレン人27人の処遇については貴重な意見が伺えた。水曜日は楽しい。

2010年8月24日火曜日

(834)1945年~96年の年表完成

(2010年8月24日)
  ビルマ関連新聞記事見出し一覧表の第一部と第二部は既に完成していたが、45年~96年の欠落部分が気になっていた。この部分は新聞の切り抜きもないので、やむを得ず書棚にあったビルマ関係の書籍33冊の中から「年表」の記載のある9冊を選び出し、自己流に「年表」を纏め上げた。この年表は新聞見出しとは関係ないが、当時のビルマ情勢を調べるには格好の材料になる。7頁、210件あり、第3部として利用したい。このように、データベースは出来上がったので、これからはいよいよ執筆活動だ。書き易いテーマを探すべく、いま第一部を眺めているがスーチーさんの名前がやたらと多いのに気がついた。その中で、スーチーさんの誕生日を祝う記事が毎年のように出ている。いかに有名人であっても毎年のように新聞で誕生日をお祝いされる例は他にはないのでは? 出だしは「拝啓、朝日新聞社様」か?

2010年8月23日月曜日

(833)いよいよ間近か 3万人目はどなた?

(2010年8月23日)
  いまアクセスカウンターは29944人目、アト56人でジャスト3万人だ。予定日を24日としたがどうやら1日遅れそう。でも25日は間違いはない。皆さん25日には頭を研ぎ澄まして、ちょうど3万人になるときにクリックしてくださいね。過去の状況を示すと、5000人が2009年2月4日、10000人が同年6月14日、15000人が10月17日、そして20000人が2010年1月19日、そして30000人が同年8月25日。最初のころは5000人に達するのに4ヶ月かかっていたが、その後は3ヶ月余で達成している。私のブログの主体はビルマ問題、入管問題、難民問題といった、どちらかと言えば硬派に属するのに大勢の方に読んでいただき、心から感謝する。一方、新聞見出しの一覧表の方もきょう第3部が完成したので2つの基礎は完成した。これからは数年間分の材料が揃ったので、年末にかけて新しいエッセーに挑戦だ。

2010年8月22日日曜日

(832)ビルマ今週のニュース1031号

(2010年8月22日)
  BURMAINFOのニュース1031号から抜粋。 ★選挙管理委員会はNDF(国民民主勢力)の幹部4人に対し、過去に問われてきた反逆罪について赦免を求める申請を再度ださなければ立候補できないと通告。4人は7月に同様な通告を受け申請したが不備があったとされた。 ★NLDは19日、選挙をボイコットすることを正式に決定。 ★英金融大手バークレイズがイラン、ビルマ等との取引を禁じる米国の経済統制に違反したとして、約3億ドルを米当局に支払う和解案が米連邦裁判所に承認された。英国労働組合会議は不名誉とし、情報公開を求めた。 ★ビルマで「人道に対する罪」が起きている疑いについて、米政府は国連による調査委員会設置を支持すると表明。オバマ政権が始めた軍政との直接対話路線が成果の出ないことが背景にあると見られる。NLDのティンウー副議長は、この米国の支持表明を歓迎。

2010年8月21日土曜日

(831)働くゾウ 今も活躍

(2010年8月21日)
  既に(815)でもお知らせしたが、今朝の朝日新聞に「働くゾウ今も活躍 山奥の森で調教」という大きな見出しで、ビルマのゾウを調教している様子が詳しく紹介されていた。ヤンゴン北西約120キロのバゴー山脈のふもとにある「ミャインヘイウオン」には森林省管轄のゾウキャンプの一つがあり、ここで森林伐採の現場で働く使役ゾウの訓練が行われている。夜になると森に放すので餌代はいらないし、ゾウは自然に近い形で暮らすことが出来る。ゾウ使いは夜明け前に森に入り足跡や糞をたどって前夜放したゾウを探し、前後左右の移動や足の上げ下げなどを順に教えていく。その後は荷物や人を運ぶ運搬に使われ、森林伐採の現場で働くのは18歳以降という(以上概要)。東南アジアを観光旅行すると、ゾウに乗る機会が多く、私も数回乗ったことがある。しかし、このようにして調教されていることは全く知らなかった。

2010年8月20日金曜日

(830)癌かな? それとも単なる・・・・

(2010年8月20日)
  私の前立腺肥大は11年前、古希になったお祝い?ということで津田沼中央病院の人間ドックを受診したときに見つかった。当時のPSA値は10.2、院長は4以上は前立腺癌の疑い濃厚ということですぐ生検を受けた。肛門から左右の前立腺に3本ずつ針を打ち込み、白いにょろにょろした組織を取り出し癌かどうかを調べるのだが幸い結果はシロ。さらに2年後、PSA値が13のとき、病院を替えて谷津保健病院で再度生検、今度は左右5本ずつ打ち込み結果はシロで担当医は「あなたの前立腺は大きいのでPSA値が高いのは当然」とのご宣託。その後、加齢と共にPSA値は徐々に上昇、先月はとうとう30に。数値が20台のときは気にしてなかったが、30に達するとちょっと気になるので3回目の生検を9月10日に。癌でなければ結構、癌と決まれば長年加入していた癌保険がやっと使えるので、どっちでもいいや。

2010年8月19日木曜日

(829)「見出し一覧表」 なんとなく満足出来ないなあ

(2010年8月19日)
  私は5月に「自分史」を発行した。たくさんの写真を取り入れ新しいタイプの「自分史」だと自負していたが、出来上がってみると、あの写真を入れたい、これが書いてない、人名が間違っていたなど、なんとなく不満足、しょうがない、あと数年したら補足版を出さなければ。続いて出した「ビルマ関連新聞記事見出しの一覧表」についても同じだ。こんなユニークなデータは他にないのではと、自己満足していたが、さて出来上がってみるとこれも不満足、肝心の1988年以降1996年までの8年間のデータが欠落している。もちろん当時はビルマ関連記事を切り抜いていないので、手元には何もない。やむをえないので代わりの年表を探すことにした。手元にある何冊かの単行本からまとめれば、それなりに年表は出来るはず。現在の第一部、第二部はそのままにして、第三部として記事見出しではないが空白部分を埋めたい。

2010年8月18日水曜日

(828)きょうは水曜日、やっぱりいろんなビルマ人に

(2010年8月8日)
  きょうは恒例のデートの日、わくわくしながら品川入管に向かった。まず面会の控え室に入ると、BRSAのAさんに久しぶりに会う。先日のセミナーの内容など話していると、カレンのB氏が割り込んできた。来月28日に来日する「第三国定住難民」についていろんな情報が飛び込んできた。そうこうしていると、面会が始まり、3人のビルマ人女性と最近のニュースについて話し合った。その際Cさんから自分の主人に電話して、ある事件の問題点を聞いてくれと頼まれた。自分で電話すればとつい口に出かかったが、我慢して面会終了後電話してみた。たまたまAさんがそばにいたので、通訳してもらい、話が進んでいることを確認。そのあとDさんが入管まで来て、特定活動から定住に在留資格を変えるための申請書に署名してあげる。帰途品川駅で、私が保証人をしてるEさんと落ち合い仮放免延長のサインをした。多忙だ。

2010年8月17日火曜日

(827)第三国定住のシンポジウム

(2010年8月17日)
  昨日に引き続きカレン族6家族32人の第三国定住問題のシンポジウム開催について取り上げる。シンポジウムの題名は「日本への第三国定住」、そして副題は「よりよい保護と社会統合のもとへ難民を迎える」とかっこいい。このシンポジウムは8月25日(水)13時から17時30分、場所は渋谷区神宮前の国連大学本部、8月20日までに申し込み、定員になり次第受付終了、主催はUNHCR駐日事務所、外務省、法務省が後援。第一部は(第一庇護国からの出国前について)、第二部は(日本社会への統合)についてそれぞれパネルディスカッション、5時半終了の予定(以上概要)。私が日ごろ気になっているのが、タイのメーラ難民キャンプから来るカレン人と、日本で難民申請したカレン人との融和の問題、両者の間に何かしらの格差は生じると思うが、先輩格の在日カレン難民は、後輩の面倒を見てあげてほしい。

2010年8月16日月曜日

(826)いよいよ第三国定住受け入れ

(2010年8月16日)
  「難民に第二の故郷を/長野の市民が支援団体設立」という記事が8月11日共同通信社より配信されたが、その内容を全難連経由で入手したのでお知らせする。本件は8月25日、国連大学本部でUNHCR主催、外務省、法務省後援のシンポジウムで明らかになると思われる(詳細はあすのブログで)。さて、共同通信の記事によれば、来日するのは6家族32人のカレン人、東京で半年間の日本語研修などを終えたあと、長野県松本市に来てもらい、市民らが結成した「信州発国際貢献の会」(会長:滝沢三郎氏)が日常生活を応援するという地方都市では珍しい国際貢献の試みとして注目を浴びている。滝沢会長は松本近くで生まれ、2008年まで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日代表を務め、日本政府に第三国定住を推奨、退官後高校の同窓生らに呼びかけ自治体との連携を図って同会を創設した。

2010年8月15日日曜日

(825)ビルマ今週のニュース(1030号)

(2010年8月15日)
  きょうは終戦記念日、アクセスカウンターによればこのブログへの来訪者はあと350人で30000人、8月24日頃にこの大台に到達する。さてBURMAINFOからのニュース(1030号)を抜粋。 ★総選挙は11月7日と発表。スーチー氏の収容期限が早くて11月13日なので選挙前の解放はない見込み。 ★下院の定数は440で、110は選挙を経ずに軍人割り当て枠、結局330が選挙で、一方上院の定数は224で、56が軍人割り当て枠、残り168が選挙となる。 ★登録申請した46の政党の内40が認められたが、「民主党」は警察が党員を脅しているとし選挙管理委員会に苦情を訴え、「連邦民主党」の議長も政治活動が自由に出来ないことを理由に辞任。 ★88年8月8日に起きた大規模な民主化運動とそれに対する弾圧から22年、8月8日に都内で千3百人がデモ行進。選挙を正当と認めないよう訴えた。

2010年8月14日土曜日

(824)ビルマの総選挙は11月7日

(2010年8月14日)
  きょうの朝日朝刊に「公正な選挙、高い壁」、「軍人に特別枠/新党排除へ登録料」、「ミャンマー11月7日総選挙」の大きな見出しが並んでいた。軍政が2003年に発表した独自の「民主化プロセス」の一環であり軍政に終止符を打ち、民主化に踏み出すとの位置づけとなる。440人の下院と224人の上院からなり共にその4分の1が軍人枠で、スーチー氏を排除した形で3月に政党登録が始まり、不参加を決定したNLDは解党になった。現在の登録政党は親軍政側が連邦団結発展党、88世代学生青年党など13団体、民主化勢力側は連邦民主党、民主党、国民民主勢力、カレン民族党など約10団体だが、軍政側は民主化勢力には千人の党員登録と候補者1人当たり4万円の登録料の支払いを義務付けた。(以上概要)このような不公正な選挙戦でも民主化が進んだといえるのだろうか。11月7日に注目しよう。

2010年8月13日金曜日

(823)4回目の収容という話が

(2010年8月13日)
  全難連(全国難民弁護団連絡会議)及び難キ連(難民・移住労働者問題キリスト教連絡会)の情報によれば、難民認定申請者が再収用、再々収容、再再再収用(収容4回目)された例が出てきているようだ。西日本入国管理センターでのハンスト(675)(696)に続き牛久の東日本入国管理センターでも(744)(745)ハンストが実行され、その成果として収容期間が短縮され、仮放免も出易くなったと聞き、素晴らしいことだと思っていた。ところが今回の情報によれば、複数回の収用が目立つようになり、中には仮放免後2ヶ月で4度目の収容となった難民申請者がいるとのこと。入管は世論に押されて収容期間を短縮したが、その代わり、収容の頻度を上げているとしか思えない。短期的に出し入れして、生活や精神状態を不安定化させて在留を断念させる方針をとっているのではないかと疑いたくなるような話だ。

2010年8月12日木曜日

(822)難民認定審査の処理期間

(2010年8月12日)
  全難連からの「難民認定審査期間」に関する資料を抜粋して紹介する。難民一次申請についての平均処理期間は、03年:304件、210日、07年:483件、408日、08年:831件、472日、09年:1725件、2010年1-6月:395日。不認定者が異議申し立てをした場合の1次申請からの処理期間は、03年:204件、365日、06年:139件、545日、07年:187件、602日、08年:317件、766日、09年:238件。出典が各年統一されてないが、年とともに件数及び処理期間が増える傾向が分かる。一次審査が今までまあ1年1-3ヶ月かかり、異議申立て期間を入れると1年半から2年かかっていたことになる。私が面会していて、ここ1-2年難民申請者が減っているように感じる。(797)で報告したように、法務省は6ヶ月で結論を出すと発表したが、今年上半期でも13ヶ月を要しており、6ヶ月説は本当に可能?

2010年8月11日水曜日

(821)ますます増えそうな水曜日の出会い

(2010年8月11日)
 私が上京する日は原則水曜日だけだ。この状況を周辺のビルマ人が利用するので、水曜日が多忙となる。去年までは日曜日も上京して午前中は秋葉原のミンガラ日本語教室に、午後は巣鴨の大瀧会長の自宅にいたので、用のある方はどちらかで会うことが出来た。しかし私の体調の都合で日曜日のデートは中止せざるを得なくなり、必然的に水曜日に予約客が集中するようになった。きょうは女性4人男性1人と楽しい雰囲気で面会が終わったが、問題はそのあと。ビルマ人男性一人が1時過ぎに収容され、一緒に付き添っていた姉と妹から、すぐ私宛に連絡が入った。ここしばらく減少傾向にあったビルマ人グループも、なんだか増加傾向に変わってきたようで、結果として水曜日に出会うビルマ人も増えそうだ。収容された場合、一番大切で急ぐのは保証人探し、加齢のため私がお手伝いできないのが申し訳ない。

2010年8月10日火曜日

(820)「ビルマ関連新聞見出し一覧」が完成

(2010年8月10日)
  既に(785)でビルマ関連新聞見出しの一覧表の件が朝日新聞に大きく載ったことを紹介したが、そのおかげで一覧表の作成が急がれた。一応7月末日には完成したが、はてさて大事な記事、即ち8888事件関連の記事がないと価値が半減することに気付き、急遽7頁に亘る記事を継ぎ足した。このため完成がやや遅れ、今日(8月10日)10冊が出来上がった。もっともこの種の一覧表は日々増加するので、厳密には「完成」ということは出来ない。まあ1年に1回追加分を発行できればいいかなと思う。今年12月にはビルマの総選挙があるので、来年分も結構記事が集まるのでは。ところで、この小冊子(約100頁)が出来上がるにつれ、気になったのが余白の処理、内容が硬いので、柔らかいイラストをと思い、ビルマの幼稚園と小学1年生の教科書からいくつか採用した。でもこういうのって著作権はどうなってるの?

2010年8月9日月曜日

(819)ビルマ今週のニュース(1029号)

(2010年8月9日)
  BURMAINFOからのニュース1029号から抜粋。 ★ビルマ選挙管理委員会は30日NDF(国民民主勢力)の幹部4人に対し、過去に問われた反逆罪について赦免を求める申請をしなければ立候補を認めないと通告(90年の総選挙で4人は当選、軍政に代わる政府を樹立しようとしたことが反逆罪)。4人は対応を検討中。 ★5月にUDP(連邦民主党)を結成したピョーミンテイン氏は、自由な政治活動が出来ないこと、政治囚の解放が進まないことを理由に党の議長を辞任。 ★ビルマ防衛省のミンスエ中将が12月に全国で警備を強化するよう指示、総選挙は12月か? ★米国で先月成立した金融規制改革法で、天然ガス開発を行うシェブロンはビルマ政府への支払いを公表しなければならない。 ★野生生物保存協会はカチン州フーコン谷全体を虎保護区にした。従来の3倍の面積。虎サミットはロシアで開催。

2010年8月8日日曜日

(818)今日は8月8日だ 22年目の

(2010年8月8日)
  いま私は1988年の7~9月の朝日新聞のビルマ関連記事の見出し集を作成中。既に1996年から2010年までの見出し集は完成し、一部の方には見ていただいたが、何か物足りないなと気が付いたのが88年8月8日のころの記事。ビルマ問題を論じる場合、どうしても欠かすことが出来ないのがこの88事件。これがないと「画竜点睛を欠く」の感がする。幸い、ビルマ愛好家の佐々木英憲氏が当時の新聞切抜きを保存されており、その一部をだいぶ以前に戴いたことを思い出し、早速本棚の奥から見つけ出した。この88年7~9月分の「見出し集」を第一部とし、第二部は96年~2010年の「見出し集」、両者を合本して発行することに変更。今日は日曜日であり、大勢の在日ビルマ人が、午後2時に五反田南公園に集合し、ビルマ大使館前をデモ行進する予定だ。主なスローガンは、「軍政による総選挙反対!」。

2010年8月7日土曜日

(817)難民申請保護費 共同の記事から

(2010年8月7日)
  共同や時事の記事で地方の新聞に送られたものは、なかなか把握しがたい。8月5日の記事は次の通り。タイトル:「2回目からは不支給/難民申請保護費で外務省」。難民認定を申請中の外国人の生活を支援する「保護費」について、今月1日から難民申請が2回目以降になる人への支給を打ち切った。予算不足のためだが、申請を繰り返してやっと難民認定されるケースもあり、支援者は反発している。同省は、従来8万5千円程度支給していたが、近年その数が高止まりしており、対象を絞らざるを得ない状況という。これまで保護費を支給していた2回目以降の申請者についても今月から支給を打ち切った。外務省は10年度保護費予算として2億6千万円を計上したが、従来どおりの支給を続ければ足りなくなるという。昨年も支給対象者を一時制限したが、その結果ホームレス状態になる難民申請者が相次いだ。

2010年8月6日金曜日

(816)今週のデートは? やっぱり多忙

(2010年8月6日)
  4日のデートの日は相変わらず忙しかった。朝9時45分に津田沼駅でビルマ人のNさんと待ち合わせ、駅構内の喫茶店で知人の保証人の件で相談、彼女に保証金を渡した。彼女は日本の生け花に興味を持っており、友人の結婚式に使う花束などを作っているとのこと、楽しそうに語っていた。1時間後、彼女は牛久の入管へ、私は品川の入管に向かった。品川入管では、先週まで女性2人と面会していたが、今週から1人増えた。このニュースは電車の中で知り、連絡してくれたビルマ人は私の席順を確保していてくれた。今回収容された人は昨年の2月まで中にいたので私もよく知っている女性だ。僅か1年6ヶ月で再収容というのは気の毒であり入管の今後の姿勢が気にかかる。面会終了後、6階で保証人変更の書類を確認、バスで品川駅に戻る。品川駅ではKさんと会って、仮放免延長の書類に署名してあげた。

2010年8月5日木曜日

(815)珍しい! 写真集「ゾウと巡る季節」

(2010年8月5日)

  写真集「ゾウと巡る季節」の副題は「ミャンマーの森に息づく巨獣と人々の営み」、2010年3月発行、著者(写真と文)大西信吾氏、発行彩流社、161頁、3990円。内容は雨季、涼季、暑季(ミャンマーは3シーズン)の3部に分かれており、それぞれの季節ごとに、山の中で働くゾウと、そのゾウを世話する人間(ゾウ使い)の営みをカラー写真でまとめたもの。ゾウは人間の気持ちがよく分かる動物で、若いゾウを最初の間は訓練するが、あとは密林の中で自由にさせ、仕事があればそのゾウに会うべく山に入り再会するシステム。我々はすぐ重機の出番と考えてしまうが、彼らは自然を巧みに使う。実は私の家の居間には、ゾウが川の中を巨大な丸太を運ぶ大きな絵が飾ってあり、作者はTHAUNG NYEIN氏。12年前にビルマ人女性のYさんから戴いたもので、毎日眺めてはいたがこの写真集を見て興味が湧いてきた。

2010年8月4日水曜日

(814)ビルマ今週のニュース(1028号)

(2010年8月4日)
   BURMAINFOのニュース(1028号)から抜粋。 ★軍政トップ・タンシュエ上級大将が25日からインドを公式訪問、27日にはシン首相と会談、両国はインド北東部の反政府武装勢力の取り締まりなど5つの文書に調印、インドはビルマの鉄道や通信インフラ整備等への信用供与や無償資金供与を約束。 ★北朝鮮の朴宣春外相が29日からビルマを公式訪問、ラングーン事件後初めて。 ★タイは30日、ビルマのマルタバン湾にあるM9鉱区からの天然ガス輸入について調印。 ★第三国定住制度の下、タイのメーラキャンプで暮らすカレン民族の6家族32人が9月に来日、3年間で90人の予定。 ★岡田外相はベトナムで軍政のニャンウイン外相と会談、自由で公正な選挙とは言いがたいと発言。ニャンウイン氏は「スーチー氏が議員になれないとは憲法に書いてない、氏が釈放されれば選挙に参加可能」と発言。

2010年8月3日火曜日

(813)きらく会の集い 卵の話し

(2010年8月3日)
  「きらく会」というのはライオン研究部にいた13人が中心となって20年前に立ち上げたOBグループ、毎年3・4回の会合を開いており、昨日も銀座で開催、8人が出席した。80歳の爺ちゃん連の話題は、専ら健康問題であるが、昨日はこの他に政治問題(特にみんなの党問題)などに皆気炎を挙げていた。この会のよい点は、みんな技術者育ちのためか、比較的高尚な議論に終始することである。下ネタの話などまず出てこない。例えば昨日はゆで卵を輪切りにしたご馳走が出たが、誰からとなく、ぬるぬる、ねばねばしたゆで卵は食べない方が良い、多少匂うのも避けるべしという技術論に終始した。私は10年前、ヤンゴンの友人の店でビルマ市民に卵を売ったことを思い出した。1個8チャット、「ゼーポーデー、アーペーバー(安いよ!買って!)」と叫び続けたが結局一つも売れなかった。卵に関する思い出の一つだ。

2010年8月2日月曜日

(812)総選挙に対する各界の発言

(2010年8月2日)
  BURMAINFOからの情報。 ●現状では地獄で雪が降る確率の方がビルマで自由で民主的な選挙が行われる確率より高い(ツツ大司教)。 ●極めて非民主的な選挙になるのではないかと強く懸念する(日本の国会議員87人がタンシュエ議長に出した書簡) 。 ●軍政側は落選したら、国や政府が変わるだけでなく、自分はどうすれば良いのか、どの刑務所に入れられるのか、自分の子どもや宝石や財産はどうなるのかと考えているのではないか(リー・シンガポール首相)。 ●ミャンマーは世界最貧国の一つであり、選挙の実施は困難。しかし、総選挙は国家的和解や民主主義にとって非常に重要な一歩であると考えている。(李中国国連大使)。 ●総選挙はそもそも不正で茶番なのになぜ「選挙監視団」を送るのか? まるで子どものお遊びだ。(ロムロ・比外相)(以上概要)。わが意を得たりという論評が多くあった。

2010年8月1日日曜日

(811)「ビルマ関連記事見出し集」完成 でも2冊だけ

(2010年8月1日)
  標記の「見出し集」はマニフェストどうり昨日(7月末日)完成した。でも部数はたったの2冊・・・・。というのは更に追加したい資料、「88年7月~9月」の切抜きを書棚の奥で発見、どうせならより充実したものに仕上げたいからだ。昨日完成したのは96年から2010年までの実質14年間の記録であり、それなりに有用と思うが、ビルマ問題を語るときに欠かせないのが「8888」事件前後の動向、幸いこのたびそれらの原紙が見つかったので、なんとしてでもこの「見出し集」に追加したい。このため正式な発行はあと2週間ほど遅れるが、ご容赦をいただきたい。一方、気になるのが発行部数、前回の「自分史」は29部印刷してすぐなくなった。今回のものは、ビルマ問題に関心がなければ「紙くず篭」直行疑いなし。まあ進呈先は同志20人位を予定したい。なお、この「見出し集」は本年末の「総選挙」問題も取り上げる予定。