2011年6月30日木曜日

(1143)スーチー氏は地方遊説を強行するか?

 今朝の朝日新聞は「スーチー氏活動に警告、遊説前にミャンマー政府」という3段見出しでビルマ政府が遊説前のスーチー氏の活動に警告を発した。この警告は28日文書でスーチー氏に通告された。昨年11月の軟禁解除後、初の地方遊説を今週末にも予定しているスーチー氏への警告と見られる。NLDは昨年11月の総選挙に参加せず、解党扱いになったにもかかわらず、事務所を継続し、声明を出すなど政治活動を続けていることが「法に反している」として、政府側はこれらの活動をやめるように求めている。一方NLDは29日政府に文書を提出し解党扱いという政府の指摘は法的根拠がないと反論、たまたま訪緬中の菊田外務政務官に「政治犯の釈放だけでなく法の支配といった観点も重要」と。本件は(1133)でも取り上げたが、当時スーチー氏は「私たちの安全を確保することは政府の義務」と発言。

2011年6月29日水曜日

(1142)ビルマ支援へ舵を切る日本政府

  6月25日の朝日新聞によれば、外務省の菊田真紀子政務官が27日から29日にかけてビルマを訪問すると発表した。ワナ・マウン・ルウィン外相らと会談するほか、民主化運動のリーダー、スーチー女史との会談も調整している。ビルマでは昨年、20年ぶりの総選挙があり、スーチー女史の自宅軟禁が7年ぶりに解除され、今年新政権が発足した。こうした状況を受け、外務省は主に人道支援に限定してきた途上国援助(ODA)の範囲の拡大に向けて検討に入っている。菊田氏は24日、記者団に「日本政府として新しい関係を築くための第一歩にしたい」と語った(以上概要)。新政府に対しての経済支援をしないで欲しいというスーチー女史の願いどおりに、米国とEU各国はいままでどおり経済支援をストップし続けるが、日本の立場は微妙である。どちらがビルマ国民のためになるのかしら。難しい課題である。

2011年6月28日火曜日

(1141)通貨高 ビルマ悲鳴 輸出は打撃

  今朝の朝日新聞によれば、標記のような三段見出しで、久しぶりにビルマの経済の状況が報じられていた。去年6-7月は1ドル980-1000チャットだったが、今年の6-7月は1ドル740チャットだから、この1年間で約25%のチャット高となる。このため、シンガポールやタイを通じて輸入するコーヒーやバター、シャンプーは10%値下げしたが、農水産物や縫製品の輸出では試練に直面している。対日輸出の5割近くを占める縫製業では、苦しい経営が続き、従業員にドル建てで給与を支払う日系企業も賃金の見直しなどの対応に追われている。チャット高の大きな要因は、世界的なドル安傾向と、直接投資の急増。88年以降昨年3月までの投資総計は160億ドルだが、昨年1年間で200億ドル(中国が7割)という。その他、今年1-2月に実施された国営企業や政府所有財産の売却もチャット高の要因という。

2011年6月27日月曜日

(1140)先進国中もっとも冷たく厳しい入管・難民行政

  昨日、黒岩宇洋(たかひろ)法務大臣政務官が、難民審査を法務省から切り離す計画を発表したことに触れたが、調べていくと平成22年10月28日の第176回国会法務委員会第4号の議事録に同様な発言があることを知った。黒岩政務官は「インデックスでは先進国中もっとも冷たく厳しいといわれる日本の入管・難民認定行政、難民への生活支援、難民申請者への処遇を改めるため……難民認定行政を法務省から切り離し、内閣府外局に難民認定委員会を設置するとともに、難民認定申請者や在留難民等の生活の支援に関する法的規定を整備します」と。何のことはない、本年6月20日の難民の日の黒岩政務官の発言は、8ヶ月前のものと全く同じなのだ。どうりで英字新聞以外の各紙は取り上げていなかった。「先進国中もっとも冷たく厳しい入管・難民行政」は今の民主党政権では変わりそうもないな。

2011年6月26日日曜日

(1139)難民認定行政を新機関で さすが民主党!?

  6月21日のジャパンタイムズ及び難民支援協会の発表によれば、20日の難民の日のシンポジウムで、黒岩たかひろ法務大臣政務官が、民主党は、難民認定行政を法務省から切り離し、難民問題を専門に扱う新しい機関の設立を目指している旨発言、民主党の2009年の政策インデックスには「難民認定行政を内閣府外局に難民認定委員会を設置するとともに、難民認定申請者や在留難民等の生活の支援に関する法的規定を整備する・・・・」と明記されている。多くの専門家は、強制退去を含む入国管理を管轄する法務省が、迫害を逃れ、保護を求めてきた庇護申請者を扱うべきではないと指摘、法務省入国管理局認定室長の北村氏も、政府は基本的に与党民主党と同じ方向とコメント。この問題は我々難民支援者が長年熱望してきたテーマであり、一日も早い施行が望まれるのだが、現状の民主党では?

2011年6月25日土曜日

(1138)ビルマ今週のニュース(1121号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★在タイ・カチン女性協会(KWAT)によれば、ビルマ国軍とカチン独立軍(KIA)との戦闘で、18人のカチン民族女性や少女が国軍兵士に強姦され、うち数人が殺害された。KIA本部のあるライザ周辺だけでも1万3千人の避難民がおり、全体で2万に上がる。 ★スーチー氏は米議会下院外交委員会アジア太平洋小委員会公聴会でビデオ証言、政治囚の解放を求める国連人権理事会決議が履行されるよう協力を訴えた。 ★国連難民高等弁務官事務所が年次報告書を発表。2010年末、世界にビルマの難民は42万人おり、ビルマは世界第5位、東南アジアでは最大の難民「生み出し国」。 ★EU代表団が新政府発足後初めてビルマを訪問、日本の菊田外務政務官は27日ビルマ訪問予定。 ★日本商工会議所大メコン圏研究会藤田会長と、東京でビルマ副大臣と懇談。

2011年6月24日金曜日

(1137)難民支援協会を訪問しました

  今日はビルマの女性Aさんと一緒に四谷にある難民支援協会(通称JAR)を訪問した。Aさんは先日難民と認定され、定住の資格を認められたばかりである。彼女にとって予期していなかった朗報に心の準備が追いつかない感じのようだった。私は、当初Aさんに御茶ノ水駅で書類を渡すつもりでいたが、そのあとJARに立ち寄りたいというので、急遽一緒に訪問することにした。私はJARとは電話連絡はしばしばしてきたが訪問するのは実は初めて。四ッ谷駅で電話して所在地を確認すると、なんと担当者が駅まで迎えに来てくれた。第一印象が最高だ。事務所は駅近くのビルの6階にあり、20人ぐらいの職員が活気溢れんばかりに働いており、外国人風の職員の顔も見える。我々がドアを開けるとその中の数人から「いらっしゃいませ」の声が。このような環境だから、Aさんの要件もてきぱきと処理され、彼女も喜んだ。

2011年6月23日木曜日

(1136)東京入管に質問してみました

  きのうは水曜日、東京入管から私への回答書ができたというので行ってきました。質問状を出したのは5月11日だったので、入手するまで1ヶ月以上もかかりました。私は毎週、毎週、水曜日に入管4階の総務課に顔を出し、回答はまだかと催促し、その都度「今やってます、もう少し待ってください」といわれました。きのうで6回目の訪問です。さて質問の内容は8つあり、いずれも難民申請に関連する問題で、入管にとってはすぐにでも回答できるであろう易しい質問でした。6週間も時間があったのでさぞかし丁寧な回答かなと少しは思いましたが、待て待てここは「お役所」だからと諦めていました。いよいよその回答文が読み上げられました。そのときふと思い出したのが、柳田元法務大臣が得意とする「二つの言葉」。大臣の言葉は下々にもよく徹底されていました。回答は私の期待通りというべきでしょうね。感謝。

2011年6月22日水曜日

(1135)ビルマ今週のニュース(1120号)

  BURMAINFOからのニュースの抜粋。 ★カチン州で9日に始まったビルマ国軍とカチン独立軍(KIA、カチン独立機構KIOの軍部)との交戦の影響で、多数の民間人住民が避難している模様。カチン・ニュース・グループによれば約1万人がKIOの本拠地ライザや、マイジャヤンなどに避難している。国境を越えて中国に入った避難民もいるとのこと。 ★カチン州での戦闘が始まったのは、中国の出資を得てビルマ政府が進めているタベイン第一・第二水力発電ダムの建設現場周辺、中国国境からは30キロ離れている。中国大唐集団などが出資し2007年に建設が開始されたが、KIOは建設に反対している。生産される電力は中国に輸出される。 ★タイの建設最大手のイタリアンタイ・ディベロップメントは、16日同社が手がけるダウェイでの深海港開発事業について日本で合弁相手を募るための説明会を開催した。

2011年6月21日火曜日

(1134)読みました 「泰緬鉄道・癒される時を求めて」

  英語の副題はTHE RAILWAY MAN、著者はエリック・ローマクス(イギリス人、1919年生まれ)、翻訳は喜多迅鷹氏、同映介氏、1996年7月、角川書店発行、335頁、2000円、著者は鉄道マニアであり、英軍通信隊将校としてシンガポールに駐在していたが、日本軍によりシンガポールが陥落し、捕虜となって泰緬鉄道建設工事に従事、ここで悲惨な目にあう。その内容を捕虜の側から取り上げたのは珍しい。日本軍による拷問の様子や、憲兵隊による軍法会議の様子など、詳細に記されている。1945年8月、日本が敗北し著者らは帰国することになった。本来ならばここでこの物語は終わるのだが、実はそのあと著者は激しい拷問の傷痕(トラウマ)に犯され、家族と別離し、拷問を下した日本人兵士N氏を激しく憎んだが、50年後泰緬鉄道の駅で再会、その後日本でも再会し、今では兄弟のような関係になる。

2011年6月20日月曜日

(1133)スーチーさん誕生日、国内には不穏な話題も

  昨年11月に自宅軟禁を解かれたスーチーさんは、19日66歳の誕生日を迎えた。7年半ぶりの解放後初の誕生日を、NLD本部で幹部や支持者らとともに祝った。英国在住の次男キム・エアリスさんも駆けつけたという。7月に予定する解放後初の地方遊説を政府側が妨害するのではないかととの懸念に対し「私たちの安全を確保することは政府の義務だ」と述べた(以上、今朝の朝日新聞より)。一方、在日ビルマ人からの情報によれば、ヤンゴン・インセイン刑務所から長期刑の囚人150人が連行され戦地でポーターに従事される模様、また同日パセイン刑務所でも100人がいずこかに連行された。同じくミチーナー刑務所からも100人が連れて行かれた。この他、カチン独立軍との戦争を理由に、タンリン大学に通うために宿泊していたカチン民族の大学生に対し宿泊許可を取消し、強制退去してるとの情報も。

2011年6月19日日曜日

(1132)「世界で最も幸せに暮らせる国」ランキング1位は?

  ネットサーフィンをしていると時々「オヤッ」と思うテーマに突き当たる。6月15日のFree-burma.netによれば、「世界で最も幸せに暮らせる国」ランキングの内容が発表されていた。このランキングを発表したのは北朝鮮とあり、203カ国を公明正大に調査した結果だという。何を基準に選んだのかは不明ではあるが、1位:中国、2位:北朝鮮、3位:キューバ、4位:ベネズエラ、5位:イランの順で、不名誉な203位となったのは米国の由(以上概要)。この話を読んでいてついつい吹き出してしまった。気になっているビルマや日本は記載がないようだが、たぶんビルマは上位で、日本は最下位グループであろう。いやいやそれにしても変だ、もしかしたら発表の際、上位と下位を取り違えたのではないだろうか。久しぶりに楽しいブログに触れることができ、作成者admin氏にお礼申し上げる。これからもよろしくね。

2011年6月18日土曜日

(1131)不穏な情勢 ビルマ東部国境

  ビルマ東部国境地帯での国軍の動きが最近活発になり、中国やタイ国境に逃れる住民が増えているという。6月15日の新聞報道によれば、ビルマ北部のカチン州の中国国境付近で、6月上旬から政府軍とカチン独立軍(KIA)の戦闘が激化し中国に大量の難民が押し寄せる恐れがあるという。より詳細なニュースはFree-burma.net(6月16日)でも報じていたが、それによるとカチン独立軍の本拠地はカチン州ライザにあるようだ。しかし難民が中国領に入ったという情報はない。一方、メータオクリニックのシンシア医師の6月16日付の声明によれば、2010年11月の総選挙後、ビルマ国内で紛争が勃発し、何千人もの住民がタイへ流入、いままで2805名の児童に食糧支援を行ってきたが6月にはさらに10%増える見込みなので支援をお願いするというもの。国際社会はこの悲痛な叫び声を受け止めて欲しい。

2011年6月17日金曜日

(1130)ばんざーい! 家族3人「難民」認定だ

  この数日雨が降り続き、周辺がなんとなく鬱陶しい。福島原発問題も遅々として進まず、おまけに昨日は敬愛する森先輩(ライオン副社長)の告別式が……。そんな中、きのうビルマの女性Aさんから明るいニュースが飛び込んできた。家族3人が難民ビザを貰ったという。彼女にはご主人と小学校に通う10歳ぐらいの男の子がおり、ご主人は8888事件のとき一生懸命反政府デモに参加、当時のNLDのメンバー証を日本に持ち込めたようだ。これだけでも必死の覚悟が必要だったと推測する。日本でも数多くの反政府集会やデモ行進に積極的に参加していた。奥さんは奥さんで、家族を守るために弁護士はじめ多くの支援者に助けを求めていた。難民に認定されたとき涙を流して喜こびあったという。問題はこれからだ。日本の青年と一緒に大空高く羽ばたいて欲しい。日本には、難民を支援する大学も企業もある。

2011年6月16日木曜日

(1129)読みました「イラワジの赤い花」

  「イラワジの赤い花」副題は「ミャンマーの旅」、著者は中上紀氏、1999年4月、集英社発行、220頁、1600円+税。著者の父上は著名な作家中上健次氏であり、著者がハワイ大学在学中に研究旅行プログラムで15日間のビルマ旅行を総勢20人の学生で行うことになった。学生といっても、多人種で構成された賑やかな団体旅行である。この団体が、ヤンゴン、タウンジー、ピンダヤ、カロー、バガン、マンダレー、ミッチーナと巡った。私が15年前に旅行したヤンゴンのシュエダゴンパゴダや、マンダレーヒルから見た街の様子、馬車で巡ったバガンの壮大な遺跡跡、ペグーの巨大な寝釈迦像、あるいはポッパ山登山など楽しかった思い出がそのまま紙面から吹き出してきた。なお、表題の「赤い花」は父健次氏が描いたアンスリウムの赤い花を著者がビルマで見つけて表紙を飾ったようだ。読みやすい旅行記だ。

2011年6月15日水曜日

(1128)どなたか教えて!

 私は10数年間入管を訪問して収容されているビルマ人と面会して励ましてきた。特に2006年暮れから2007年暮れまで牛久の入管を毎週訪問して、延べ40人の女性(難民申請者)と面会を続けてきた。2007年10月のサフラン革命のときは、ビルマ人が全員仮放免で出所したため、このあとは品川入管で延べ110名の女性難民申請者と毎週面会を繰り返〗た。しかし、東日本大震災後は収容者が皆無の状態となり、ここで連続面会記録が途絶えてしまった。その後3週間ほどすると「品川入管には1人女性が収容されている」という噂が流れてきた。しかし面会するには収容者の名前が必要であり、名前が分からないと面会する術がない。どなたか、いま入管に収容されているビルマ人女性の名前をご存じないかしら。もし分かれば、私の携帯電話(090-2642-3713)にご一報いただければありがたい。

2011年6月14日火曜日

(1127)わが国の難民認定制度の現状と論点②

  第Ⅲ章1項「適正手続の保障」の項では、難民調査官によるインタビユーの際、弁護士の立会いが認められていない、など適正手続の保障が求められている。2項「事実の立証」の項では、法務大臣の一般的な調査義務を否定した控訴審判決の解釈は国際難民法の観点から疑問があるとしている。また、「灰色の利益」論については、疑わしきは難民申請者の利益との考えもあるが、実際の判例では「灰色の利益」は認められていない。3項の「難民認定機関の独立性」については法務省入国管理局から独立させるべしとの意見が多く、参与員も独立して任命されていないとしている。4項の「難民申請者の生活保障」については、日本のあり方について国際連合人種差別撤廃委員会が勧告を出している。私は多くの難民申請者と接触しているが、特に長期間の収容と、就労不可については、人権無視と考えている。

2011年6月13日月曜日

(1126)わが国の難民認定制度の現状と論点①

  全難連からの情報で、標記題目の資料があることを知った。この資料は国立国会図書館の「調査と情報」第710号(2011年5月12日)に記載されたもので、著者は行政法務課の岩田陽子氏。国会図書館がこういう仕事をしているとは知らなかったが、このテーマが私の生涯テーマとも一致しているので、A4判10頁に及ぶこの論文を興味深く読んだ。今後気になった点を随時取り上げたい。例えば、第Ⅱ章1項の「難民認定手続による受入れ」の注解には、ビルマ人とクルド人との間のダブルスタンダートが指摘されている。第Ⅱ章2項では第三国定住に触れ、米国の手厚い庇護の状況が紹介され、日本の場合定住後も継続した訓練が必要であり、また、難民を地域に丸投げするのでなく、財政面を含め自治体や住民との連携が必要、さらにはより弱者(老人・女性)を優先して移住させてはとの指摘も紹介(続く)。

2011年6月12日日曜日

(1125)読みました「ミャンマー百楽旅荘」

  題名の「百楽旅荘」には「パラダイスホテル」とフリガナがあり、副題は「ビルマの竪琴とスーチーさんの国をビーチサンダルで歩いた庶民の生活探訪記」。著者は寺井融氏(1947年生まれ、政党機関紙の編集人などを経て、紛争各地を回る、著作多数)、96年9月、三一書房発行、230頁、1600円。この旅行記は95年と96年の2回のビルマぶらり気まぐれ旅行を紀行文風にまとめたもの。著者も書いていたが、現地の人は実に人懐こく、特に現地ガイドとのやり取りは傑作だ。現地人の慎み深くて人懐っこい笑顔と、親日的な心情がよく表現されている。特に各地のホテルや飲食店の内容が詳しく、旅行ガイドの役割も果たしている。著者が「パラダイスホテル」というのは、ビルマそのもののようだ。私がビルマを旅したのは96年~98年の4回、著者とほぼ同時期であり、読んでいて各頁から懐かしさがこみ上げた。

2011年6月11日土曜日

(1124)ビルマ今週のニュース(1119号)

 BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★ビルマ政府は芸術やスポーツ等5つの分野の定期刊行物について、事前検閲を廃止、その他の出版物は従来どおり発行前に検閲を受ける。 ★タイの建設最大手イタリアンタイ・ディべロップメントは同社が手がけるダウェイでの深海港等開発事業について、国内外から49%の出資を募り、来週以降日本、韓国、中国を訪れる。 ★国連事務総長は8日、ビルマ新政府発足後初めてのフレンズ会合を開催、「問題解決のためには、政治囚を解放し、民主化運動勢力を含めた幅広い対話を行うことが鍵となる」と。 ★松本外相は6日、ハンガリーでビルマのワナマウンルウィン外相と会談、「総選挙の実施と民政移管、スーチー氏の釈放、5月の政治囚の釈放は、民主化と国民和解に向け一歩前進」と評価、「政務レベルの高官を派遣し日緬関係の新しい頁を開きたい」と発言。

2011年6月10日金曜日

(1123)「犬の独房」に収容された囚人たち

  アムネスティからの情報によれば、ヤンゴン・インセイン刑務所でハンストを行った7人の囚人(2人の仏僧を含む)が、軍用犬用の独房で5月24日から26日まで監禁状態に置かれていた。犬の独房は長さ3m、幅2mで窓がなく、床にはベッドもマットもない。この件に関してアムネスティは、残酷で非人道的な扱いは、ビルマ政府が依然として人権を完全に軽視している一例であるとし、ビルマ政府は囚人に対しいかなる虐待も即座にやめるべきで、責任者を起訴する必要があると発表している。これとは別に、ビルマ北部のカレー刑務所 に収容されている多くの政治囚たちは、処遇改善を求めた嘆願書に署名した。この中には人権活動家であるウーガンビラ(68年の懲役刑)も含まれている。この嘆願書はテインセイン大統領と国連人権理事会に送られた。現在ビルマには少なくとも2200人の政治囚が獄中にいる。

2011年6月9日木曜日

(1122)激減中 ビルマ関連の新聞記事

  私は96年11月以降、朝日新聞を中心に掲載されたビルマ関連ニュースをほぼ完全に原文を収拾しており、その見出しは「ミンガラネットワーク会報」に毎号掲載している。最近の朝日新聞月別掲載数は、2010年11月:38件、同12月:9件、11年1月:9件、同2月:14件、同3月:4件、同4月:7件、同5月:2件、6月は8日まで0件となっている。昨年11月に記事数が多かった原因は、スーチーさんが解放され、20年ぶりの総選挙があったため。本年3月以降激減したのは、言うまでもなく3月11日の東日本大震災+原発事故のために多くの紙面が割かれ、ビルマ関連記事が相対的に減少したためである。なお、私たちは新民政政権の方針や動向を知りたいのだが、ビルマ政府自体がなぜか発信を抑えているような気もする。テインセイン大統領はじめビルマ新政府は、正確な情報を堂々と発信し続けて欲しい。

2011年6月8日水曜日

(1121)BRSAの規約を読んで

 「在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)」は、5月29日に第4回総会を開催し、その際配布された2011年度の新規約案を入手し、懐かしさを感じた。この会は2008年春頃から品川・牛久入管に収容されていたビルマ難民有志が集まり、自分たちが経験したいろいろな苦労を皆で分かち合う「難民基金」構想が沸き起こり、同年3月30日の設立総会で「牛久の母」といわれた大瀧妙子氏を会長に、熊切氏と、カンダ・アウン・リー氏を副会長とする日緬共同の新組織が発足した。当時、私は総胆管結石で8日間入院していたので、設立総会は残念ながら欠席した。しかし会の規約作りをリードした思い出がある。今回、新しい規約を眺めていると、基本的には従前と変わらないが、果たしてこれで全会員が動くのか、自省をこめていささか疑問が残る、会員は生きるために忙しいからそれに見合った規約が必要では。

2011年6月7日火曜日

(1120)震災復興 大宰相の出番②

  いまさら大宰相の出現などまずありえないが、大宰相になったつもりでわが大風呂敷を広げてみよう。まず1週間以内に1154億円の義捐金を全罹災者20万人に一律10万円ずつ渡す(合計200億円)。同時に残りの945億円を被災した市町村に分配し、用途は各自治体に任せる。多少の不公平さは目をつぶる。大金が移動するので警察のほか自衛隊に警備をお願いする。日月警備保障は使わない。このあと本格的なインフラ復興を手がける。現場に散乱するゴミは、鎮魂・慰霊祭を行った後に福島から青森までの堤防用に使う。この堤防の上は片道3車線の高速道路を建設する。山は削り農地とし風力発電装置を設ける。住宅・公共施設は全部鉄筋5階建とし、屋上にソーラパネルを設置させる。これらの費用はこども手当と国債で充当。菅首相よ、これで一定のメドがつくのでは。誰か私を次期総理に・・・・・。

2011年6月6日月曜日

(1119)震災復興 大宰相の出番①

  「日本は必ず立ち直れる」、「日本は一つだ」、「頑張ろう日本」。こんな掛け声がだんだんしぼんで来た。代わって沸きあがってきた声が「一定のメド」とかと「ペテン師」の話題、沖縄基地移転問題であれだけペテン氏的な発言を続けた大物ペテン師から「あなたはペテン師だ」と悪口を浴びせられた総理は相当なペテン師かも。一方、諸悪の根源と言われ続けてきた某被告人に対する辞職勧告は誰からも出ない。でも彼の出番は今回で終わりだろう、あまりにも暗すぎる。一方目を福島原発に移そう。担当者が一生懸命対応してることは認めるが、結果はまだ出ていない。高濃度汚染水の処理方法もいまだ決まっていない。静岡のお茶の葉まで影響が出てしまった。我々昭和一桁世代が営々と築き上げたこの日本は、いままさに沈没しようとしている。私たちは大宰相の出現を待つしかないのか。悔しく残念だ。続く。

2011年6月5日日曜日

(1118)ビルマ今週のニュース1118号

  BURMAINFOの今週のニュースから抜粋。 ★先週のテインセイン大統領の中国訪問の結果、経済協力等9件の協定に調印。 ★スーチー氏は30日香港大学が開いた対話集会にビデオリンクで生出演、6月にも地方遊説を行うと発言。 ★ジョンマケイン米上院議員は1日からビルマを訪問、ティンアウンミンウー副大統領らと会談した。ヤンゴンではNLDが運営するエイズ患者用施設を見学、さらにスーチー女史と15年ぶりに再開。なおメーラ難民キャンプも視察。タイ政府がキャンプを閉鎖して難民を送還する計画について「難民が母国で迫害される恐れがある限り送還はないものと信ずる」と発言。 ★KNUが声明発表、今年1月から4月までに、ビルマ国軍が2千人のカレン住民に強制労働させ、約1200人を人間地雷探知機などとして使用。このため国連調査団の設置を支持するよう国際社会に求めた。

2011年6月4日土曜日

(1117)スーチーさん ビルマからの手紙⑤

  昨日に続きスーチーさんの「ビルマからの手紙⑤」を紹介する。今回は「終わらぬ〔旅〕としての人生」、「時空超え心一つに」という題で、旅と人生の似ている点を述べていた。そして長年にわたる自宅軟禁の間に、旅は人生ではなく、人生こそが旅なのだと思い至ったという。旅の道中に自分がいるのだと思えば、有刺鉄線をめぐらせた高い塀だけでなく、果てしない距離さえも飛び越えて彼方にいる仲間と手を取り合える気がした。東日本大震災に見舞われた日本の人々が、誰もなし得なかった再建と復興に向き合っており、あらゆる試練を乗り越えていって欲しい。私が率いるNLDには数々の弾圧があったが、連帯感があったからこそ前進を諦めずにいられたと思う。災禍の中にいる日本の人たちに寄り添いたい。私たちは再生と再建という旅に踏み出したあなた方と共にいる。(毎日新聞5月23日朝刊掲載)。

2011年6月3日金曜日

(1116)スーチーさん ビルマからの手紙④

  我が家で読んでる新聞は朝日新聞、このため毎日新聞に掲載されているスーチーさんの「ビルマからの手紙」を読む機会がなかなかない。たまたまSTさんがこの窮状を知って「掲載されたら私宛にメールで送る」とのこと。今回4月分と5月分を相次いで送っていただいた。聞くとSTさんの母上から送られたものを転送していただいてるようだ。感謝、感謝。まず4月分から。スーチーさんは既に日本の大震災のことを知っており、タイトルは「日本の皆さまへ」、「私たちは詩をささぐ」とあった。3月11日に日本を襲った地震と津波について恐怖や破壊を表す数々の言葉が溢れていたが、同時に日本人の気質について「規律」、「忠実」、「回復力」、「禁欲」、「忍耐強さ」といった最上級の表現で語られた。ただ悲しいことにビルマには他国へ救援物資を送る余裕がないので、4人の「詩」を贈ることにした。(「詩」の内容は省略)。

2011年6月2日木曜日

(1115)水曜日 面会なくても結構忙しい

  昨日は水曜日、いつもだと難民申請中のビルマ女性とのデートの日だが、生憎というか、幸いというか、収容されてるビルマ人女性は皆無。朝Aさんから電話が鳴り、難民申請の結果が不安だという話しに対応。次にBさんに仮放免の延長許可申請書を渡すため品川駅で落ち合う。そのあと入管の面会受付に顔を出したが、面会人は先週よりやや多い程度。雑談した後、次に総務課で担当のO氏に面会を申し込むが、出張で不在、代わりの方に5月11日に出した8項目の私の質問に対する回答予定日について相談、O氏からいずれ連絡させるという。カウンターの上には「行政相談」の案内板が置いてあるのだが……。途中日ごろお世話になっている某弁護士から別件で電話が入った。帰宅後このブログを作成。さて時間だ、サッカーのペルー戦を見なきゃ。その後Cさんからの日本語チェックが残っているけど。

2011年6月1日水曜日

(1114)読みました 「見えないアジアを歩く」

  見えないアジアを歩く(副題:辺境案内人による「紛争地」ガイド)、見えないアジアを歩く編集委員会編著、三一書房 2008年4月発行、285頁、1700円+税、この本は7つの辺境紛争地の旅行案内書である。最初にビルマのカレン地域とタイ国境の難民キャンプ地域の概要が掲載されていた。執筆者はおなじみの写真家山本宗輔氏(32頁分)、まだ地雷が多く残っていたり、戦闘が続いている地区もあり、一般人の旅行にはちょっと危険な感じ。でもこういう所だからこそ行きたい人も大勢いるのだろう。この他には、スリランカ北東部、アチェ(インドネシア)、ナガランド(ビルマ国境に近いインド)、チェチェン共和国(ロシア、グルジアの隣)、チッタゴン丘陵(ビルマとの国境近くのバングラデシュ)、イラク(+シリア、ヨルダン、クエート)と分かれ、執筆者はそれぞれ異なる。読んで興奮するがやはり怖さが先立つなあ。