2009年5月31日日曜日

(385)09年度最初の執行委員会

(2009年5月31日)
  今日はBRSAとして新年度最初の執行委員会、先日の総会で決まった新執行委員を含め15名が参集、2時きっかりに始まった。今までだとビルマ時間だったが、珍しく日本時間で開始、さすがスタート初日、皆の意気込みが違う感じ。まず自己紹介から始まり、各部長の職務と抱負、今年度の活動計画(BRSAセミナー、在留カード)、連絡網設置など幅広く討議された。通訳が二人いたが、議論が熱中してくると通訳が間に合わず、今回も言葉(国民性?)の壁が大きかった。他団体にはない当会独自の悩みであるが、何らかの方策を考える要がある。今日の会議で気がついたのは、各部長の抱負開陳の際、元気よく抱負を語る部長もいたが、これからよく勉強して進めたいと言う部長もいた。せっかく総会で選ばれたのであるから「今年はこれをやりたい」という決意を聞きたかった。しかし1回目だ、今後に期待する。

2009年5月30日土曜日

(384)ビルマ今週のニュース21号

(2009年5月30日)
  BURMAINFOからのニュース21号を抜粋。 ★インセイン刑務所の特別法廷で18日から続いていた公判で、全証人の証言が終了、6月1日に最終弁論、なお軍政は26日付で自宅軟禁を解除。 ★国連安保理は22日報道向け声明で「スーチー氏はじめすべての関係者を含めた真の対話」の必要性を改めて表明。 ★オバマ大統領は26日に即時、無条件釈放を求めた。 ★アセアン国会議員によるミャンマー議連はスーチー氏の拘束が続くならばアセアンはビルマを除名すべきと声明。 ★中曽根外務大臣は25日ニャンウイン外相と会談「司法の問題であることは理解する」、「スーチー氏への医師・弁護士の提供や外交団による裁判傍聴などの努力は評価する」と述べた。 ★世界で88万人目標の署名活動が24日65万人で終了、日本からは1万5千人。なお、中曽根外相の発言は一部だけを記載した模様。

2009年5月29日金曜日

(383)EUの解放要求に軍政拒否

(2009年5月29日)
  今朝もスーチーさんの記事が目に飛び込む。米国籍男性がスーチー氏宅に侵入した旨を報じたのが5月8日、その数日後からほぼ毎日のようにスーチー氏の名前が紙上に見られるようになった。私のスクラップもどんどん厚くなっている。今日は二つの記事があり、一つはスーチー氏の裁判は6月1日に最終弁論というもの、もう一つが表題にある記事だ。ブノンベンで開かれているアセアンとEUの外相会議で、EU側が「両地域の関係において人権問題は必要不可欠」、「スーチー氏の解放なしに民主化はありえない」と主張、これに対しビルマのマウンミン外務副大臣は「違法行為を取り締まる純粋な司法措置で、政治的背景はなく、政府は無関係だ」と主張した。私は今回の米国籍男性の軽挙妄動を非難する立場だが、もし世界社会を動かすきっかけになるのなら是としよう。しかし、このような考え方は無意味であろう。

2009年5月28日木曜日

(381)訴追問題 次第に明らかに

(2009年5月28日)
  昨日の朝日朝刊を読んで唖然とした。軍政側の警察長官が26日の裁判の前にスーチー氏本人に自宅軟禁解除を告げたという。これぐらい人を馬鹿にした茶番劇は近年見たことがない。禁固刑が出れば自宅軟禁よりも状況は悪くなるであろう。軍政当局者全員は内心高笑いしているに違いない。一方、今朝の朝日にはスーチー氏の反論が掲載されていた。米国人が11月30日に来た時は主治医を通して当局に通報したが何の連絡もなく、今回(5月4日)に再度来たので去るよう促したが、夜になると体調が悪いと言うので泊めてあげ主治医を通して通報するつもりだったが主治医が拘束され果たせなかった、また、米国人の来訪は「警備陣の失態」と言いきった。当の米国人は、「スーチー氏がテロリストに襲われることが予見されたので警告したかった」と動機を説明。この裁判は暫く続くが我々は真実を知りたい。

2009年5月27日水曜日

(380)12人中5人が相次ぎ出所

(2009年5月27日)
  今日は恒例の品川入管訪問の日、午前中は昨日コピーした平成20年度の3級と4級の日本語能力試験問題集を揃え、12時に品川入管へ。いつも私は午後の1番であったが、先週から初老の日本人が1番前に並び私は2番、癪に障るが止むを得ない。面会する相手は先週は12人中2人が仮放免で出所、今週は10人中3人が出所、この2週間で5人が相次いで出所した。他の一人は午後取調べがあるので面会はできない由。結局今日は3人ずつ2組、6人と面会した。一方今日面会するほうは4人、私と知人のビルマ人女性2人と幼児1人、知人の一人は難民申請をするのでそれに立ち会う、他の一人は就職するのでその保証人証書にサインしてくれとのこと、一瞬躊躇したが結局同意。面会者6人は明るく、同行した2人もそれぞれ謝意を表してくれ、4時過ぎ品川駅で別れる。今日はたまたまNLD勝利祈念日だ。

2009年5月26日火曜日

(379)BRSAの改善点(続)

(2009年5月26日)
  昨日に引き続き、BRSA総会資料から読み取れた改善点を述べる。 ⑦サイクロン寄付金の収支を別表に明記したほうが全体の収支が明確となる。 ⑧同じくイベント収益は単に利益だけでなく、収入、支出を書いたほうが分かりやすい。⑨2009年度の活動計画は、総会資料に多々記載された問題点を吸い上げたものにしたほうがよいのでは。(PDCAの発想)。 ⑩2009年度活動計画は金額・人員などの数値目標を立てて、全会員および社会に訴えたほうがよいのでは。 ⑪2009年度活動計画の中の、機関誌発行、フリーマーケット参加の具体策を徹底させたらいかが。⑫今回の総会で、委任状が会長の手元に集まったが、議長(すなわち会長)は規約により採決に加われなかったことの改善策が必要。⑬規約によると支援会員は毎年1万円を支払うことになるがその徹底が必要。以上改善点が多数あるようだ。

2009年5月25日月曜日

(378)BRSAの改善点

(2009年5月25日)
 5月17日にBRSAの総会が無事終わり、今日は改めて総会資料を読み返してみた。その結果、2009年度に向けた問題点が随所に読み取れた。例えば、①会員数の増加に対応する体制作り⇒新しい役員体制(役割分担)とPC管理の導入で解決できそうだ。 ②会費徴収率の改善⇒臨時集会等を利用して長期会費の収集に努力すると共に、未納会員へ催促状を送り、脱退希望会員はそれを認めたら。 ③支援会員の増強⇒1年当たり1万円の支援金を支払うことを徹底する。 ④寄付金の増額⇒その為の専用パンフレットの作成と有識者への依頼など。 ⑤基金運営の改善⇒7事業部による活動内容がまだ不明確なので、当面は事務費とたすけあい基金を独立させることなく、一括処理したほうが無難であろう。 ⑥次年度繰越予定金を100万円程度とし、残余は支援の増額に当てたい。 その他は明日続けて書く。

2009年5月23日土曜日

(377)動く ビルマ市民フォーラム

(2009年5月23日)
  先日NLDの活躍ぶりを紹介したが、最近もうひとつ活躍の目立つ団体がある。PFB(ビルマ市民フォーラム)だ。ビルマ情報を積極的に流し、署名運動やデモをリードし、世論を沸き立たせている。1996年に結成された市民団体であり、ビルマにおける人権の確立と、民主化の推進を目標に国内在住のビルマ人(難民、難民申請者を多数含む)、ならびにこの問題に関心を有する多くの日本人と共に、さまざまな活動を続けている。スタートした時期は、私が設立したミンガラ日本語教室と同時期であり、13年が経過している。PFBの規約は1996年の成立であり、14カ条と比較的簡潔であるが、一方、BRSAの規約は27カ条で先週の総会で成立した。条文が多くなっているのは、NPO法人化を意識したためである。私自身もPFBの会員にはなっているが、名ばかり会員であり反省している。今後もPFBの活力に期待したい。

2009年5月22日金曜日

(376)今週のビルマのニュース⑳

(2009年5月22日)
   BURMAINFOからのニュース20号より抜粋。 ★民主化指導者アウンサンスーチー氏の公判が18日インセイン刑務所の特別法廷で始まった。検察側の証人約20人が順番に証言している模様、再び非公開となった21日の公判では、スーチー氏宅に侵入した米国人イェトー氏がスーチー氏宅で撮影したビデオ映像が上映された。 ★中曽根外務大臣は、18日、軍政のニャンウイン外相と電話会談を行いスーチー氏の訴追は「国内の司法プロセスの問題」だが、軍政が2010年に実施を予定している総選挙への「関係国の評価に大きな影響を与えるものであり」深く懸念していると述べた。 ★国連事務総長はCNNに対し、ビルマの状況について、「受け入れがたい。なるべく早くビルマを訪問するつもりだ」と述べた。 ★オバマ大統領は15日ビルマに対する経済制裁を1年間延長。(注:ニュース19号は情報が重複)。

2009年5月21日木曜日

(375)日本の議員連盟が緊急声明

(2009年5月21日)
  ミャンマーの民主化を支援する議員連盟(会長大島理森:衆議院議員、副会長鈴木恒夫:衆議院議員、事務局長末松義規:衆議院議員、会員数70名以上)は、次のような緊急声明を発表し外務省に申し入れた。内容は、1.軍事政権はスーチー氏と少数民族を含むすべての政治囚を解放する事、2.軍事政権は、1990年の総選挙で勝利したNLDを含む民主勢力、少数民族との三者間で2008年の憲法も含めた話し合いを進めること、3.日本政府は、中国、アセアン諸国政府などと連携しながらEUのようにミャンマー民主化実現に向けた特使を派遣すること。上記議連はたまに声明を発するが、影響力はあまり強くない。ところで今朝の朝日には、スーチーさんの裁判を各国の大使らに公開した由、軍政は1日限りと決め、また、シンガポール、タイ、ロシアの大使とスーチーさんの面会を10分認めた。批判をかわす狙いか。

2009年5月20日水曜日

(374)入管訪問⇒仮放免申請

(2007年5月20日)
  今日は水曜日、品川入管訪問の日だ。最近入管では面会専用の出入り口が一つ増設された。従来は、面会待合室から、トイレやエレベーター、コンビニ、喫茶室など自由に行き来できたが、これからは一旦外に出なければ行けない。毎週面会してる者にとっては少し不便になった。収容者に面会するような人には、正面玄関を通らせない意図があるのかしら。面会は一日一回10名以内と決められており、現在12名の女性がいるが、幸い2名が仮放免で出たので、10名全員に面会できた。BRSA総会の写真をガラス越しに並べたところ、みな食い入るように見入っており、知人の顔を見つけると歓声が上がった。私は一人の保証人となったので、面会終了後6階に行き、仮放免申請書を提出、無事受理された。係員はあと2ヶ月で出られるだろうとのこと。帰宅するともう一人保証人を頼むとの依頼がBRSA事務局から入った。

2009年5月19日火曜日

(373)スーチー氏裁判開始、各地でデモ

(2009年5月19日)
  今日の新聞を見るとスーチ-氏の裁判が18日インセイン刑務所内の法廷で非公開で始まった。弁護士は裁判の公開を求めたが却下された。当局側の冒頭陳述があり、罪状認否の機会はなかった模様。当局側は20人以上の証人を準備しており,結審までに3ヶ月かかる見込み。スーチー氏側は争う姿勢を見せており、弁護士は「スーチー氏は湖を泳いで足が痙攣した米国人の男を気の毒に思い、滞在を認めただけで違法行為はしていない」としている。 もし有罪ならば最長5年の禁固刑が言い渡される。日本の中曽根外相はビルマのニャンウイン外相と電話で15分間協議、「来年のビルマの総選挙への関係国の評価に大きな影響を与える、深く懸念してる」「体調の面からも人道的な配慮が必要」と伝えた。一方各地でデモが始まり、在日大使館前では400人以上のビルマ人が抗議活動を行い、テレビでも放映された。

2009年5月18日月曜日

(372)いろんな新聞記事が

(2009年5月18日)
  この数日の新聞は、スーチーさん訴追の話題が連日大きく報道され、関係者に大きなショックを与えた。しかしそれ以外にも多くのビルマ関連の報道があった。16日の朝日には、ジャパンハート代表の医師、吉岡秀人さん(43歳)の「ミャンマーの命と向き合う」活動振りがB1頁に掲載されている。「必要とされる実感、応える充実感がある」と語っていた。次に17日の朝日、元政治犯ボーチーさん(44歳)は7年間刑務所に入れられた後タイ国境に逃れ、政治犯支援協会(AAPP)をつくり、このたび「ヒューマンライツウオッチ」東京事務所開設式典に招かれて来日、「ビルマの政治犯の釈放を訴えよう」と講演した。同じく17日の朝日、私の視点欄で、国民民主連盟の中央執行委員のウィンティン氏が「総選挙の強行では解決にならない、国際社会は国民和解に向けた対話をするように軍政に最大限の圧力をかけてほしい」と表明。

2009年5月17日日曜日

(371)BRSA総会まずは大成功

(2009年5月17日)
  きょうは5月17日、待ちに待ったBRSAの総会の日、午前中アキバのアイウエオ授業を終わらせて、一目散に目白の会場へ。総会については今まで長時間いろいろ議論してきたが、まだ一抹の不安があった。でもここまで来たら運を天に任せるしかない。 出席者は事前予想通り約100人、広すぎると思っていた会場もほぼ埋まった。1時半、総会は会長挨拶から始まり、規約説明で時間を食ったが、その他は予定通り進行、圧巻は大川弁護士の難民に関する諸問題解説、実に心強く感じた。一般審議事項が終わり、休憩、ここでハンバーガーとコーラが配られたが、いろんな意味でタイミングが良かった。4時過ぎにきょうの山場、役員選挙が開始、ビルマ式投票方法に日本人たちはびっくりした様子。時間はかかったが、まあまあ無事に15人の新役員が選出され、6時半、私の「がんばろう」の3唱で全て終了。まあ良かった。

2009年5月16日土曜日

(370)スーチー氏の訴追に抗議続出

(2009年5月16日)
  スーチー氏の訴追についていろいろな情報が流れている。朝日の今日の社説では「今回の事件で責任が問われるとすれば厳重な警戒網を破られた当局のほうであって、6年にわたって自宅軟禁されているスーチーさんではない、健康状態の悪化が伝えられる人を獄につなぐのは人道上からも問題。NLDが参加しない総選挙は茶番劇だ。ミャンマーと関係の深い日本外交の実力が試されることにもなる」としている。一方バンコクで開催された亡命ビルマ人活動家6人は「シナリオを変えられるのは国際社会だけ、国連事務総長にミャンマー訪問を求めた」。ビルマ市民フォーラムは、「ビルマ軍事政権の蛮行に対して強く抗議する」として緊急声明を発表。ニューヨークのヒューマンライツウオッチは「軍政の有力な後ろ盾である中国・インド、そしてアセアンは自らの影響力を行使してスーチー氏の解放を強く迫るべきだ」と発表。

2009年5月15日金曜日

(369)タイミングが悪すぎた 残念

(2009年5月15日)
  昨日に引き続きスーチーさんの訴追問題が大きく報じられている。軍政がスーチーさんを有罪にすることは確実と見られ、拘束延長がほぼ確定した格好だ。日本にいる多くのビルマ人が、彼女の解放を望んでおり、解放キャンペーンが世界的規模で行われていた矢先のこと、もしかしたら今月末に解放されたかもしれないという時期だけに、米国籍男性の行動が悔やまれる。スーチーさんは体調を崩しており、一時点滴が必要とされていたが、今回の訴追でその悪化が懸念されている。在日ビルマ人の動きは早く、昨日(14日)はビルマ大使館前で150人がデモを行ったと報じられている。07年9月のサフラン革命の時以来の規模のデモと見られている。これから連日抗議デモが展開されるだろう。なお、米国籍男性も入管法違反の罪で訴追された模様だが、気になるのが米国政府の意向、オバマ政権は軍政に強く出るのか。

2009年5月14日木曜日

(368)スーチーさん連行 新訴追か

(2009年5月14日)
 今日の朝刊と夕刊にスーチーさんの訴追問題が大きく出ていた。米国人男性(53歳)がインヤー湖を泳いで渡り、スーチーさんの家に2日間滞在し泳いで帰るときに捕まった事件、ビルマでは、家族以外の人を0時以降無断で滞在させたり、無断訪問者を当局に報告しないと違法となり、外国人が民家に泊まることも出来ない。当局はスーチーさんが男性の侵入や、滞在を報告しなかったことで、国家緊急事態法違反に問えると見て、自宅を長時間捜索した。夕刊では、スーチーさんをインセイン刑務所の中の裁判所に連行し、新たに刑事訴追し、法廷手続きに入った。主治医、家事手伝いの女性、食材配達人などスーチーさん宅に出入りする関係者全てが訴追対象となる。今年中に拘束期限が来るが、総選挙を来年に設定してる軍政は、スーチーさんの解放を先延ばしにしようとしている。時が時だけに最悪の事態となった。

2009年5月13日水曜日

(367)どうしていろいろ問題が

(2009年5月13日)
 今日は水曜日、今日もいろんな問題があった。11時半に品川駅に到着、改札口でビルマ人男女と落ち合う。男性は私が保証人をしており、女性は彼の叔母さん。最近男性のほうから私宛の月に1回の連絡が途絶えており、保証人の立場からすると問題だ。叔母さんからも連絡するように懇々と説得、結局彼は毎週日曜日、アキバの日本語教室に顔を出すとのこと。入管では偶然熊切副会長と会い、総会資料の「活動概要」をチラッと見る。私の表2点が入っていることを確認、あとは17日の総会を待つだけ。入管では、新入女性の保証人を知人から頼まれていたので、必要書類にサインをもらう。今週は市役所や銀行を回って、彼女の仮放免を手助けしなければ・・・・。品川入管には他にもう1人新人がいるらしい。10人と面会を済ませたが、みな元気だった。帰途いろんなビルマ人と雑談、充実感に溢れた1日だった。

2009年5月12日火曜日

(366)豪悩ます難民船 日本は?

(2009年5月12日)
 ちょっと古いが4月28日の朝日新聞に「豪悩ます難民船 政権交代後に続々来航」という記事が掲載されていた。ビルマとは直接関係ないが、気になっている。内容は以下のとおり。アジアや中東の紛争地などを逃れてきた難民を乗せた船がオーストラリア海域に相次いで押し寄せている。ラッド政権が難民政策を緩和した昨年9月以降、計15隻の難民船が見つかり、ボートピープルは500人以上。ハワード前政権はボートピープルを近隣国に設置した収容所に送り、難民認定審査を行うなど厳しい政策をとってきた。だがラッド首相は選挙戦で収容所閉鎖を公約、2月に難民収容所を閉鎖した。野党陣営はこのラッド陣営の難民政策は緩いと攻撃、このまま難民が増えると政権基盤を揺るがすかもしれない。私たちは、「日本は難民鎖国だ」と言い続けているが、ちょっと考え直してみたい。よりよく適切な難民政策があるはずだ。

2009年5月11日月曜日

(365)何となく感じること

(2009年5月11日)
 私は以前から、在日ビルマ民主化団体(反軍事政権団体)は公称31団体あり、現在JAC として団結していることに関して団体数が多すぎないかと疑問を呈してきた(本ブログ52)。しかし、最近その中の中核的団体である国民民主連盟(NLD)の活動が目に付く。私は日頃から、多数の団体がバラバラに活動していることを懸念してる。その点JACの成立を喜んでいたのだが、どうも最近違ってきたように感じる。 JACはJACで、NLDはNLDでそれぞれ独自に動いているのではないだろうか?そんなことはないよ、杞憂だよと言うならばそれはそれで嬉しい。NLDがリーダーとして活動しているというならそれも歓迎だ。でも私がビルマ問題に首を突っ込んだのは13年前、当時は「在日ビルマ人協会」の一つの団体でまとまっていたのだ。来年はビルマで選挙の年、せめて在日ビルマ人は一つにまとまってはどうか? 乞うコメント。

2009年5月10日日曜日

(364)総会対策は山場 しかし

(2009年5月10日)
  きょうは総会前の最後の日曜日、最終チェックの日だ。たまたまミンガラ日本語教室が休みだったので、午前中に手持ちの総会資料を総点検。1時に巣鴨駅で私が保証人をしているビルマ人を待つが、現れないので先方に連絡すると約束内容を理解してなかった様子、困ったものだ。1時半に大滝邸に到着、そのうちメンバーが徐々に集まり、審議開始。でもメンバーの出入りが激しく、しかも総会資料のたたき台は印刷されておらず、ちょっと不安が・・・・。まあ何とかなるだろう、後は当日を待つのみ。ところで」今まで何回も討論してきたビルマ式選挙と日本式選挙の違いがなんとなくわかってきた。問題はノミネート方法の違いで、日本式は事前に現役員が責任を持ってノミネートするが、ビルマ式は、総会当日にノミネートする。どのようにノミネートするのか総会当日ゆっくり勉強したい。そして第3回の総会に役立てたいと思う。

2009年5月9日土曜日

(363)今週のビルマのニュース⑱

(2009年5月9日)
  BURMAINFOからのニュース18号より抜粋。 ★国営紙によれば米国籍の男性が遊泳禁止のインヤー湖を泳いでスーチー氏宅に侵入、2日間滞在し、泳いで戻るとき捕まった。氏と接触したかは不明。 ★軍政はスーチー氏の拘束延長について昨年10月に出されていた異議申し立ては根拠不十分として却下。 ★麻生首相はEU議長国チェコ共和国のクラウス大統領らとの共同プレス発表で、「ビルマの総選挙について全ての関係者の間の包括的な対話を基礎としたものであれば国際社会は歓迎」「スーチー氏や全ての政治囚の釈放」「政党に対する全ての制約の解除」などを発表。 ★モン人権基金はビルマ南部の天然ガスパイプ建設に関連して組織的な人権侵害があると発表。 ★死者、行方不明者14万人を出したナルギスサイクロンから1年、東京、国連大学前で追悼集会を開催した。タイや米国でも追悼集会。

2009年5月8日金曜日

(362)報告 サイクロン被害から1年

(2009年5月8日)
  ヒューマン・ライツ・ウオッチ(5月1日)は、「ビルマサイクロンから1年 弾圧は続く、投獄された活動家と草の根の援助要員を釈放せよ」との表題でやや長文の記事をBURMAINFOを通じて発表した。内容は、中国など援助国は軍政に対し超人気喜劇俳優のザガナ氏ら支援活動家を釈放するよう働きかけるべきとしている。ザガナ氏はボランティア数百人を組織し、救助物資を配布したが、外国メディアに軍政を批判、35年の刑が科せられた。国連事務総長がデルタ地帯訪問後、国連、アセアン、軍政の3者で「コアグループ(TGA)」を設置、以後は支援体制が改善された。しかし軍政はザガナ氏を含む21人を逮捕した。また軍政は3500億円の外貨準備高を有し、天然ガスの輸出で毎月150億円の収入がある。しかしその多くは軍事費やネピドーの建設に当てられているとし、USDAやスワンアシンの存在にも警告した。

2009年5月7日木曜日

(361)連休明けで入管は混雑 でも

(2009年5月7日
  きょうはゴールデンウィークが終わった最初の日、午前中に津田沼駅そばの津田沼中央総合病院へ。この通院はもう10年続いているが、健康上特に問題はない。しかし、担当医師が30分ほど遅刻したため、薬をもらってから慌てて津田沼駅へ。しかし運の悪いことに横須賀線が故障で大幅に遅延、12時ごろやっと品川入管にどり着くと、すでに友人のビルマ人女性が待っていた。2人が受け取った番号は161番、通常は80番ぐらいだから大体2倍の混みよう。私の得意技は昼休みに皆が待合室の椅子で休んでいるのを見計らって臆することなく一番目に並んでしまうこと。1番目が並べば瞬く間に数十人が並び出す。お陰で私はいつも午後の一番だ。10人のビルマ人女性との面会も、スムースに進んだ。帰途難民審査室に行き、同行女性の難民問題を問合せたところ、意外な回答を得た。帰宅後、BRSAの総会資料を修正。

2009年5月6日水曜日

(360)難民を助ける会

(2009年5月6日)
  難民を助ける会は、1979年にインドシナ難民を支援するために、政治・思想・宗教に中立な立場の市民団体として、会長の相馬雪香が創立を呼びかけて設立した認定NPO法人。79年以来の活動実績を持ち、国連に公認・登録された国際NGO団体である。今では難民や避難民への支援のみならず、障害者への支援や対人地雷廃絶、同被害者支援に重点をおく多彩な活動を展開している。2003年には1万数千を超えるNPO法人の中から18番目の団体として、国税庁より「認定NPO法人」として認められ、寄付が税制上の優遇措置の対象となった。政治、思想、宗教に中立という立場から、政府や国連などの公的資金に依存しないようにし、寄付やチャリティイベントの収益によって支えられている。すでに50カ国以上で活躍しており、97年に地雷禁止国際キャンペーンのメンバーとしてノーベル平和賞を共同受賞した。

2009年5月5日火曜日

(359)がんばれ!「平和の翼」誌

(2009年5月5日)
  一昨日の朝、アキバの教室に立ち寄ったとき、入口に「平和の翼」誌が20部ほど置かれていた。従来A4判であったのが、今号はB5判に変わっていた。編集長のアウンミャッウイン氏は、牛久入管に長らく収容され、難民と認められた後ミンガラ日本語教室で2級の勉強をした卒業生であり、さらに大阪の関西学院大学で法律を勉強している好青年である。私は彼と何回か議論したことがあり、実にしっかりした考えの持ち主だ。本号には、BRSAの熊切副会長と私の他、田辺寿夫氏、田中喜美子氏らのエッセイも掲載されている。この雑誌は、日本語の記事10頁とミャンマー語の記事17頁から構成されているユニークな雑誌である。今号の表紙にはアジア初の国連事務総長ウタント氏の似顔絵が描かれ、その説明には、渋谷青山通りにある国連大学(UNハウス)は、このウタント氏を記念して出来た大学という。知らなかった。

2009年5月4日月曜日

(358)着々進む総会対策 でも・・・・

(2009年5月4日)
  昨日は日曜日、朝アキバの教室に顔を出し、教室を巡回して生徒と雑談、私が投稿した「平和の翼」という雑誌を入手、意気揚々と巣鴨の大滝邸へ。今日は大瀧会長、ビルマ人書記局長、通訳・翻訳の達者な日本人Uさんと私の4人、少人数であり、立派な通訳もいるので議論はどんどん進んだ。まず規約問題、何回も議論してきたがまだ両者間で統一されてない所があり最終調整。次に総会資料、昨日中に大体の形を作るはずだったが、遅れに遅れていた。10日の役員会までに手分けしてまとめることにした。さらに総会の式次第、6議題あり問題は最終の新役員の選出法、これは両国間で全く違う方式であることを知った。日本式のいい点をかつて何回も説明したが、結局彼らの理解が得られず、今回はビルマ方式で選挙を進めることとなった。このような選挙は日本人にとっては驚天動地の初体験であり、よく観察したい。

2009年5月3日日曜日

(357)今週のビルマのニュース⑰

(2009年5月3日)
  BURMAINFOからのニュース(17号)抜粋 ★ビルマのNLDは4月28-29日に党本部で各支部代表らを集めて特別会議を開催、その後の声明で、軍政が全政治囚を釈放、08年憲法中の「民主的原則にそぐわない条文」の改定、国際選挙監視団の受け入れなどの条件を満たせば2010年総選挙に参加すると述べた。また「選挙は民主主義への過程で通らなければならない重大な行事」としている。 ★14万人の犠牲者を出したナルギスの襲来から1年経過、WFPによれば現在も13万人がビニールシート下で生活、35万人が食糧の支給を受けており、飲料水は25万人が支給を必要。 ★政治囚支援協会ではサイクロン被災者支援を行って2年~35年の刑を受けたボランティア21人が現在も収容中。 ★外務省国際協力局は21年度の重点方針を発表、ビルマについては「前向きな動きがあれば支援」と記述。

2009年5月2日土曜日

(356)サイクロン災害から1年

(2009年5月2日)
  今朝の朝日新聞によると、昨年のきょうはビルマ南西部がサイクロン「ナルギス」の直撃を受け、死者、行方不明者14万人という甚大な被害が生じた日という。被災地では、住民の多くが今も生計の手段を奪われたままで、食糧や飲み水も援助に頼っている。生活基盤の立て直しが急務だが、元の生活を取り戻すには、まだかなりの時間がかかるとの見方が強い。ピヤボン地区では未だに青、オレンジ、白などのシートで覆われた家が目に付く。国際援助団体の人は「援助に頼らず自活できるようになるには少なくとも3年はかかる」という。国連は「国際社会による復興支援は必要額の3分の2にとどまっており、今後3年でさらに678億円が必要」としている。被害発生の際、一部の友好国以外からの人的援助を拒否した例があり、現在でも軍事政権が被災地の復興に主導的な役割を発揮していないとの批判も多い。悲しい国だ。

2009年5月1日金曜日

(355)在留カードの国会審議始まる

(2009年5月1日)
  一昨日の朝日新聞に「外国人在留管理厳格化に反発も 新カード導入の法改正案」との見出しがあり飛びついて熟読した。内容は、不法滞在者を減らす効果が期待される一方「外国人を監視の対象としか見ていない」との批判の声も上がっているというもの。私が一番懸念しているのは難民申請者が不法滞在者と同じように日本政府から存在が認められなくなる点。現在は、不法滞在者でも外国人登録証を自治体からもらえば、銀行口座が作れるし、就労の身分証明書としても使われてきた。しかし、この新法では「在留カード」が新設され、ビザのない人には発行されない。すなわちビザのない難民申請者は、幽霊として日本に存在するしかない。難民申請者だから母国のビルマに帰ることも出来ない。この朝日記事には「最終判断まで時間のかかる難民申請者が対象から外れており、身分が不安定になる」との指摘があった。