2012年1月31日火曜日

(1358)新在留管理制度発表①

  いよいよ7月に外国人の新在留管理制度がスタートする。主なポイントは、①在留カードを交付、②在留期間を最長5年に、③再入国許可が容易に、④外国人登録制度を廃止、の4点。問題は、難民申請中でかつ仮放免の人がどうなるのかという点、従来は、全員が外国人登録カードを地方自治体から貰い、常時携帯していたので、証明書の代わりに使えていた。しかし7月からは無くなり、仮放免や難民申請の書類だけとなる。地方自治体は、彼らをどうやって保護するのか気にかかっていた。この問題は約2年前に、衆議院・参議院の法務委員会や総務委員会で慎重審議され、BRSAの大瀧会長、熊切副会長と一緒に議員会館で議員らに請願した。結論として、仮放免され一定期間を経過したものについては・・・・必要な措置を講ずる旨の決議が補足された(続く)。

2012年1月30日月曜日

(1357)読了75冊目:「ビルマ商人の日本訪問記」

  著者はウ・フラ、訳者は土橋泰子、2007年10月・連合出版発行、238頁、2500円+税。1936年(昭和11年)にビルマから青年実業家(著者)が日本にやってきた。彼は1900年生まれで、コメや綿布などの商売に従事、イギリスの植民地下のビルマ人の怠惰な生活に憤りを感じていた。彼は自分の事業拡大のため、アジアの先進国日本との貿易交渉を進めつつ、接触した日本人の勤勉さに感動、同じアジア人でありながら、そのギャップの大きさを目の当たりにした。彼はビルマ人としての反省点をまとめ、これら数々の欠点を改めれば、ビルマ人も世界の頂点に達することができると綴っていた。日本人が読むと面映くなる記述が多い。あるいは昭和の日本人が素晴らしかったのであり、今の日本人はどうだろうか。日本人もビルマ人も読んで欲しい貴重な記録である。

2012年1月29日日曜日

(1356)朝日新聞社への質問と回答

  昨年末から朝日新聞のミャンマー関連記事について3回質問しそれぞれ回答を得た。その結果をご報告する。①刑務所にいる政治犯は何人か?10月10日の朝日社説では2千人とあり、11月21日の社説には500人以上と記載、差が大きすぎる。⇒取材源の違いから差が出た。今後留意する。②1月14日の朝日記事に「ミャンマー全政治犯釈放」とあったが、前日の夕刊記事には500~1500人の政治犯が収監中とあった。651人の釈放で全政治犯釈放といえるのか⇒新しい情報ではまだ政治犯は残留していた。1月21日の記事で政治犯165人が今も獄中にいる旨修正、1月23日の社説でも修正した。③1月27日の「ニュースがわからん!」欄でのミャンマーの地図が変⇒指摘の通りなので今後留意する、と。私は80年近く朝日の愛読者だ、朝日さん頑張って!

2012年1月28日土曜日

(1355)読了74冊目:「ミャンマーという国への旅」

  著者はエマ・ラーキン(アメリカ人女性ジャーナリスト)、訳者は大石健太郎、2005年8月・晶文社発行、363頁、3000円+税。イギリスの著名作家ジョージ・オーウェルは1920年代、5年間を警察官として植民地ビルマで勤務し、帰国後、処女作「ビルマの日々」を、さらには「動物農場」、「1984年」など著名な作品を次々と書いた。80年後、このオーウェルの偉大なる足跡を追って、エマ・ラーキンがビルマへと旅立った。彼女は、マンダレイ、メイミョー、ミャウンミャ、トゥワンテ、ラングーン、シリアム、インセイン、モウルメイン、カターと回ったが、いずれの地でも、「1984年」さながらの暗い全体主義が社会を覆っていた。密告、スパイ、投獄、検閲が日常化し、人々は圧政の恐怖にあえいでいた。ビルマが世界最貧国に落ち、長期軍事政権の国になった理由もわかる。

2012年1月27日金曜日

(1354)またまた朝日新聞にご注進

  つい最近、朝日新聞社にに対し、1月14日の記事「全政治犯釈放」はおかしい旨連絡したところ、その後訂正された記事がそっと掲載されていた。まあ、めでたし、めでたしといったところか。ところが今朝(1月27日)の「ニュースがわからん!」欄にミャンマーのことが記載されていた。その内容は、ミャンマーは民主化が進みそうで、将来への希望が高まっているというもの。別に問題ないが、そこに掲載されていたミャンマーの地図がなんだかおかしい。本来薄紅色に塗られていなければならないタニンダーイー管区がすっぽり抜けているのだ。国境問題は各国とも敏感であり、朝日新聞社がわざわざ、けしかけることはしないほうがいいと思い、今朝一番でご注進に及んだ。対応いただいたのは前回と同じU記者、本件についてもご返事をいただけるとのこと、楽しみだ。

2012年1月26日木曜日

(1353)難民申請中に犯罪続々

  1月21日の朝日夕刊に、表題の記事が掲載された。見出しは「審査期間の保護費詐取」、「薬物密売を組織」、「制度悪用指南役摘発も」と並んでいた。難民申請中は就労が認められず、その代わりに困窮者には月額約8万5千円を上限に、生活費や住居費、医療費などの保護費が支給される。昨年度の一月あたりの受給者数は387人、だが面接した680件のうち11件が不正受給や虚偽申請。具体的にはトルコ人が100万円受給したが、50万円の預金が発覚、イラン人グループが仮放免後に薬物密売グループとして活動、茨城県の行政書士によるパキスタン人の申請書類の偽造などが並んでいた(以上概要)。私の周辺には難民申請中のミャマー人が大勢いるので夢中で読んだが、ミャンマー人のことではないようだ。まじめに生活する申請者が多い。

2012年1月25日水曜日

(1352)朝日の社説に思う

  昨日に引き続き、1月23日の朝日社説を取り上げてみよう。その社説のタイトルは「ミャンマーの春、憲法改正で民主化急げ」というもの。私は従前から、ビルマ問題を考える際には、大きく分けて三つの側面があると思っている。一つは民主化問題であり、もう一つは少数民族による民族自治の問題、そして憲法問題だ。この三つの問題を分けて考えないと、春を迎える新生ミャンマーの姿が霞んで見えてしまう。社説でも6行ほど少数民族問題に触れてはいるが、残りはほとんど民主化問題と憲法問題。解決の難しい少数民族問題の解決を先送りしているように見える。この問題はビルマがイギリスの植民地になったころから続いており、宗教問題も絡んでいる。ビルマ族であるスーチーさんの出番は少ないと思われるが、この三つが解決しない限り、春の訪れは遅くなる。

2012年1月24日火曜日

(1351)「全政治犯釈放」ではない・朝日新聞

  昨日の朝日社説は「ミャンマーの春」を解説していた。内容は、軍事政権による圧政が1年ほど前まで続いたミャンマーで、多数の政治犯が釈放されたが、それでも政治犯は残る、釈放を急ぐことだ、と。ここで朝日はまだ獄中に政治犯が残っていることを認めたのだ。ということは、1月14日の記事「ミャンマー全政治犯釈放」は誤りだったということを、自らしぶしぶ認めたことになる。その際の見出しを「ミャンマー著名政治犯全員釈放」とでもしておけば問題がなかったはずだ。このブログを書いているとき、朝日新聞より電話が入った。14日の記事には勇み足の部分があり、つい全員釈放と書いてしまったが、その後、21日の記事ではまだ165人が獄中にいる旨を掲載し、今回の社説に至っている。今後新しい情報があれば順次紙面で修正すると。朝日さん頑張って!

2012年1月23日月曜日

(1350)読破73冊目:「ビルマの独裁者タンシュエ」

  副題は「知られざる軍事政権の全貌」、著者はベネディクト・ロジャーズ、訳者は秋元由紀、 2011年12月・白水社発行、321頁、2800円+税。2011年3月までの18年間、ビルマ軍事政権の最高実力者であったタンシュエ上級大将の伝記、現存している人物に対してここまで書くかという驚きの記録だ。彼は郵便局員のあと士官養成学校に入学、昇進を続けた。タンシュエはカリスマ性や迫力に欠け、力もないと皆に思わせたが、彼は画策者であり、皆が騙されたのだ。彼は民主主義に関心がなく、ディぺイン襲撃事件を策略し、彼の娘の豪華な結婚式や、各地のダム建設、核開発に伴う北朝との接近、ニュン一派の粛清、サフラン革命の暴挙など、すべてに彼は関与し、スーチー女史を15年間自宅軟禁した男の伝記だ。参考文献だけで35頁もあり緻密な作品。

2012年1月22日日曜日

(1349)朝日新聞社に再度質問してみました

  14日の朝日朝刊に「ミャンマー全政治犯釈放」の見出しのもと、釈放者651人の中に、591人の全政治犯が含まれていると掲載。しかし前日の夕刊には「ミャンマー恩赦へ」という記事の中に、今も500~1500人ほどが収監中と見られると記載。もし仮に1500人が収監中だったら、651人釈放してもまだ多数の政治犯が残っているはずだ。そこで14日に朝日に問合わせたところ、少し待ってくれとのこと。1週間たった昨日再度質問したが、答えは同じ。その日の朝日には、なお165人が今も獄中にいるとNLDが発表。また、アムネスティはミャンマー政府の釈放発表後、まだ人を超す政治犯が収監されている可能性があるとし、全政治犯を釈放するよう訴えた。この問題は経済制裁解除とも絡んでおり、全員釈放か、一部釈放か、マスコミは正しくリードして欲しい。

2012年1月21日土曜日

(1348)13日 そのときヤンゴンでは②

  前回に続き中西先生の「ミャンマー・日本語教室ブログ」(1月16日)から抜粋。まずキンニュン元首相のコメントを紹介。「今は政治に参加する気持ちはないが教育や社会活動には興味がある。スーチー氏は国のために貢献できる人で国会に参加すれば支持する。部下には汚職しないようにいつも諭していた」。次に中西先生自身のコメント。「今なお誤解しているミャンマーの人々にキンニュン氏のことをもっと知ってほしい。少数民族問題は彼が一番精通しており、その豊富な人脈を使って何とか全民族との和平を実現して欲しい。今ミャンマーにとって一番必要とされている人物だ」と。中西先生はこのように、政治犯釈放に関連して、キンニュン氏の釈放を真っ先に取り上げ、喜んでいる。私も同感する点が多いが、本当に政治犯全員釈放なのか、この方が気にかかる。

2012年1月20日金曜日

(1347)13日、そのときヤンゴンでは①

 1月13日の政治犯釈放のニュースを現地ではどう受け止めたか、中西先生のミャンマー日本語教室ブログから引用する。まず、13日午後7時のブログでは、ニュース内容を紹介し、クントゥンウー氏、サイニュンルイン氏らSNLD幹部、ミンコーナイン氏、シンガンビラ師、キンニュン元首相らの釈放を伝え、中西先生の所感「これはすごいニュース、2012年最初のサプライズで、キンニュン氏やミンコーナイン氏が釈放されたことは信じられない、ミャンマーの民主化のスピード、本気モードは炸裂、目頭から涙がポロポロ」と。翌14日のブログでは同日発行のVOICE誌のキンニュン元首相のコメントを取り上げた後に中西先生の言葉で「今回の民主化の真の立役者はキンニュン氏であり、次のノーベル平和賞受賞者は決まった」という。私の印象とはちょっと違うがどうだろう。

2012年1月19日木曜日

(1346)第三国定住の現場で

 この4日間、朝日夕刊に「安住を求めて(第三国定住の現場で)」が連載されていた。第1回は「迫害の恐怖少し消えた」、第2回は「自立できる支援を模索」、第3回は「苦しくても家族と共に」、第4回は「遠かった国身近になる日」。昨年来日した第一陣のうち、千葉県の農業法人で働いていた2家族12人は農業になじめず、現在は時給850円のクリーニング店や、リサイクル工場で働いている。都内で家賃を払いながらの生活は苦しい。昨年来日の三重県鈴鹿市の3家族15人は、シイタケ栽培の農業法人で働いているが、職場や学校、自治体、地域住民などの支援活動が活発なようだ。難民事業本部は「なるべく自立させて」と助言する。去年も今年も家族連れが選ばれたが賛否がある。ただ子供の目は輝いている(以上概要)。私は総じて鈴鹿市の対応ぶりに賛成する。

2012年1月18日水曜日

(1345)読破72冊目:「スーチー女史は善人か}

 著者は高山正之、2008年2月・新潮社発行、220頁、定価1400円+税。この本は2005年3月から2006年5月まで「週刊新潮」に連載された超辛口コラム「変幻自在」をまとめたもの。この種のコラム集やエッセイ集のしきたりで、代表作の題名がそのまま書籍名となるので、スーチーさんのことは220頁中たったの4頁のみ。概要は、19世紀にこの国を征服した英国は、すぐに大量のインド人と華僑を入れて金融と商売をやらせ、モンやカチンなどの山岳民族をキリスト教に改宗させ、警察と軍隊を構成させた。今までこの国の主だったビルマ族は農奴となった。軍事政権による鎖国政策によって、華僑やインド人はうまみがなくなりビルマから出国。ビルマ政府は平和的にビルマの立て直しを図ったが、そこに現れたのがスーチー女史、というか、悪者は朝日新聞だった。

2012年1月17日火曜日

(1344)政治囚ネーミョージンの帰宅の動画

 ネーミョージンの帰宅の様子をユーチューブで見ることができた。子供が2本の松葉杖を持って玄関に入り、そのあと家族らに抱きかかえられて彼が登場、ベッドに静かに下ろされた。腰は相当に痛むようだ。彼は最初に持っていたビニール袋を破り、プリントされたTシャツを広げ、取材者に説明を始めた。私はビルマ語がわからないので、内容は後日紹介しよう。彼の声は意外と張りのある声で、迫力に満ちていた。早く腰を治して、4月の補欠選挙に立候補してみてはといいたくなる。ところで今回の恩赦で、政治囚全員が釈放されたと朝日新聞は報道したが、早くもアムネスティ日本から疑念の声が上がっている。まだ千人を超す政治囚が収監されている、さらには条件付で釈放された政治囚もいると指摘。はっきりしてよ。http://www.youtube.com/watch?v=LIzBPROogU4&feature=related          

2012年1月16日月曜日

(1343)読破71冊目:「秘密のミャンマー」

  著者椎名誠、2003年10月・小学館発行、227頁、1400円+税。椎名誠が悪友3人と一緒に、秘密の国ミャンマーを旅行したときのハチャメチャな体験紀行。ヤンゴン、ペグー、チャイティーヨー、バガン、マンダレー、ザガイン、モンユワ、ヘイホー、タウンジーなどを巡る。各地の風景やホテル、乗り物、人物、子供たちなど珍しい話題が豊富で、何しろ楽しい。悪乗りして、最後には現地人に野球の試合を申し込む始末で、暗い話など一切ない。しかし著者は、仏教と信心についてずっと考えていたのだ。日本は果たして本当に仏教の国なのだろうか、と。巻末には、ミャンマーの情景を32枚の美しいカラー写真でまとめている。この旅の間に9・11事件が勃発したが、ミャンマー人は誰一人、口にすることがなかった。国際的な情報が国民に流れてない秘密の国でもある。

2012年1月15日日曜日

(1342)ネイミョージンさん釈放

  私の親友アウンさんの弟・ネイミョージンさんが13日無事釈放された。釈放は9時50分から始まったが、彼は最後の方の17時40分にやっとゲートに姿を現した。遅れた理由は、彼は持っていた衣服を刑務所内に残る友人にプレゼント、残った最後の一枚のTシャツにアウンサン将軍の顔写真がプリントされており、それが問題になった模様。建国の父の写真だからなんら問題がないと想うのだが、塀の内側ではちょっと違う感じ、ともかく彼は現在自宅に戻っている。ご両親や兄弟からの懸命な支援と祈りが実った感じで、まずは良かった。たまたまビルマ市民フォーラムの機関誌「アリンヤウン」に、アウンさんが弟のネイミョージンさんの釈放を願う記事が掲載され、会員に送付されたが、なんとその翌日に無事釈放の知らせが。兄弟愛はしっかりした絆で結ばれている。

2012年1月14日土曜日

(1341)ミャンマー全政治犯釈放?

 1月14日の 朝日新聞刊で「ミャンマー全政治犯釈放」を報じた。そのほか「制裁解除へ前進」、「今後は議会制度の中で戦う」、「6200万人市場・資源豊富、日本の投資出遅れ」などの見出しが続いていた。今回の大統領恩赦で651人の受刑者を釈放したが、スーチー氏が率いるNLDが求めていた591人の全員がすでに釈放されたことになる(以上概要)。12日にはカレン民族同盟との停戦に合意したことと合わせ、テインセイン大統領の政治力は素晴らしい。しかし、若干疑問点が残る。AAPPの昨年10月の発表では政治犯は千数百人とあり、昨年10月10日の朝日社説では2千人と記載されていた。昨日(1月13日)の朝日夕刊にも500~1500人の政治囚が収監中とあった。今回の651人の釈放で、本当に政治囚が一人もいなくなったのか(朝日に問合せ中)。

2012年1月13日金曜日

(1340)最近のビルマ関連ニュース

  最近のビルマ関連ニュース。 ★スーチー氏が1月9日のNLD中央執行委員会で議長に選出。 ★枝野経済産業大臣が12日、ヤンゴンでスーチー氏と会談して、日本企業のミャンマー進出や、投資、貿易を促進するための環境づくりへの協力を求めた。スーチー氏は経済取引での「法の支配」を強化すべきと話した。ミャンマーでは、経済発展に伴って、環境が悪くなり、少数民族に所得格差が広がっていることも懸念した。これに対して枝野氏は、大気や水質浄化など日本の高い技術による協力と支援を提案した。 ★昨日のブログでも触れたが、12日、カレン民族同盟(KNU)と政府との停戦に初合意した。両者は恒久的和平に向けて話し合うための連絡事務所の開設、カイン州内での非武装での移動の自由で合意。 ★12日朝日投書:ミャンマー少数民族の人権を。

2012年1月12日木曜日

(1339)カレン・政府 停戦間近

  今朝の朝日新聞によれば、ミャンマーで60年以上も独立闘争を続けてきた少数民族の武装勢力「カレン民族同盟(KNU)」と政府の停戦協議が大詰めだ。軍事政権時代は一度も停戦に応じなかったKNUだが、幹部は「テインセイン政権は信頼できる」と発言。成立すれば政権が目指す「国民的和解」へ大きな一歩となる。KNUと政府は最近4回和平交渉を進め、KNUに15年の総選挙に参加するよう促している。テインセイン政権は昨年3月の発足以降、武装した少数民族の10勢力と交渉を進め、これまでに5勢力と合意、数千人という最大の勢力を有するKNUと合意すれば、他勢力との交渉にも弾みがつく。同幹部は、目指しているのは独立ではなく、連邦制の枠内での調和という。一方北部カチン州でも、前線の兵は別として、指揮官級は攻撃停止を徹底しようとしてる。

2012年1月11日水曜日

(1338)読了70冊目:「象を撃つ」

 この本の著者はジョージ・オーウェル、彼の評論集(全4巻)の第1巻であり、29編から成り立っている。「象を撃つ」はその中の代表作であり、標題になっている。編者は川端康雄、1995年5月・平凡社発行。318頁、定価1200円。ミャンマー関連のエッセイにはこの「象を撃つ(15頁)」のほかに、「絞首刑(10頁)」、「ビルマの独立(4頁)」、「日射病の迷信(4頁)」、「船旅の思い出(3頁)」などがある。他の24編はビルマとは直接関係がない。「象を撃つ」は著者がモールメインで警察官をしていたとき、周辺のビルマ人から罵られていたが、彼自身は圧政者であるイギリスを批判していた。ある日、象が一頭暴れだしたとの連絡が入り、現場に急行、この時象は静かになっていたが、群集から「ばか」に思われたくないとの一心でついに発砲、射止めた。この後議論が続く。

2012年1月10日火曜日

(1337)読了69冊目:「血の絆」

 「血の絆」の原題は「トエー」、著者はジャーネージョー・ママレー、訳者は原田正春、1978年10月・毎日新聞社発行、262頁、定価1100円。原書は1973年度のビルマにおける超ベストセラー。由美(ラングーン外国語学院日本語講師)とモンモン(ラングーン大学学生)は腹違いの姉弟、姉の方は弟の存在を知っていたが、弟は姉のいる事を知らずに孤児として育つ。その間悪友からジャパン、ジャパンといじめられていた時に、見かねた学助教授に引き取られ成長する。しかし弟は自分の出自に疑問を抱き、日本を恨み姉から遠ざかる。あるとき、弟が悪友から暴力を受けたとき、姉が敢然と立ち向かい、弟を助けたが自らは大怪我をする。しかし弟は最後まで姉の存在を認めことに躊躇しており、姉が傷心のまま帰国することとなる。そのとき事態は突然変わった。

2012年1月9日月曜日

(1336)読了68冊目:「ミャンマーの柳生一族」

 著者は高野秀行、2006年3月・集英社発行(集英社文庫)、238頁、429円+税、著者は早稲田大学探検部の先輩、船戸与一と一緒にミャンマーに取材旅行に行った。徳川家をミャンマー国軍にたとえ、老中松平伊豆守をマウンエイに、柳生一族をキンニュンのグループにたとえた。日本人作家2人の監視役に柳生一族の3人が付添ったが、この3人は人懐こくてへなちょこ、旅行が進むに連れ、みんなと一緒にわいわいがやがや、随所で笑いが炸裂していた。これだけでも楽しい旅行記だが、その裏に、タンシュエ議長側近のマウンエイとキンニュンの政権トップ争いがあったのだ。キンニュンは軍の情報機関を握っており、これを憎憎しく思っていたマウンエイがキンニュンを逮捕し、関係者3千人を刑務所に入れたという。このような歴史的大事件を背景にしての痛快作。

2012年1月8日日曜日

(1335)ミャンマーと自国をつなげ

  1月8日の朝日新聞によると、ミャンマー隣国の中・印・タイによるインフラ開発攻勢が活発化し、各国とも資源輸送路に期待している。もともとミャンマーは人口も資源も多く、昨年の民政移管で欧米の経済制裁緩和に期待が高まり、存在感を増しつつある。中国は石油需要が急増しており、中東やアフリカ産の石油をマラッカ海峡を経由せずにチャゥピュー港から昆明にいたる千キロ以上のパイプラインを建設中で、13年には運用開始の予定。一方、ミッソンダム建設の工事凍結問題で一次冷却した両国関係は改善中。インドはシットウェ港からインド北東部のカレトウワまでのカラダン川を大型船が通れるように改修、さらにアイザウルまで陸路で結ぶという。タイはダウェイからタイ、カンボジア、ベトナムまでの国際幹線道路を計画中。ミャンマーは多方面外交を狙う。

2012年1月7日土曜日

(1334)読了67冊目:「忘却の国」

  副題は「ミャンマー再発見の旅」、著者はハリエット・オブライエン、訳者は田辺希久子、1992年6月・心交社発行、326頁、定価1339円、心交社世界紀行冒険選書。著者はイギリス人ジャーナリスト。外交官の父に伴われて赴いた1970代年から、15年ぶりにビルマ再発見の旅に出る。著者はミャンマーの現代史で取り上げられている諸事件を丁寧に解説している。例えば、各民族による争い、イギリスとの3回に亘る戦争、その結果印度の一部地方に成り下がった様子、独立運動の高揚、日本軍の進出、アウンサン将軍の活躍、カレン族とビルマ族の争い、ネーウイン軍事政権の登場、世界最貧国時代、廃貨措置、迷信、反政府運動の担い手である僧侶と学生、アウンサン・スーチー女史の登場など、興味ある問題をその裏側を含め易しく解説しており読みやすい

2012年1月6日金曜日

(1333)テインセイン大統領 真の改革者なのか

 今朝の朝日新聞に標記の見出しが。テインセイン大統領(66歳)は、イラワジ河デルタ地帯のジュンク村で幼少期を過ごした。兄が学業を断念し、代わりに中学、高校に進学、国軍士官学校に入った。昨年3月軍政からの民政移管で大統領に就任すると、政治犯の一部釈放、メディア検閲緩和などに着手、国際社会は歓迎した。軍部の腐敗が問題になる中、汚職に染まらなかったことで軍政中枢に引き上げられ、一方で従順さが軍政トップのタンシュエ議長に買われた。07年9月の反政府デモの際は首相代行で、翌月首相に。民政移管後、軍の序列4位であったが、3位のシュエマンを抑えて大統領に。早速スーチー氏に協力を打診、スーチー氏との協力体制が出来上がった。国会補選でNLDが大勝しても軍人優位は不変。08年制定の憲法の改正が今後の焦点だ。

2012年1月5日木曜日

(1332)読了66冊目:「中国人ムスリムの末裔たち」

   副題は「雲南からミャンマーへ」。著者はやまもとくみこ、小学館・2004年6月発行、318頁、定価1400円+税。中国人ムスリム=イスラム教徒(回教徒)は回族と称し、荘族・満族に次ぐ第3位の中国政府公認の少数民族といわれる。総人口9百万人、雲南では100万人も暮らしていた。一方、ミャンマーでは同国に移住した回族をパンデーと称し、推定人口1万数千人。18世紀に彼らは雲南を発ってモウラミャインなど各地を、50頭とか200頭の雲南馬を連ねた隊商(馬幣:まばん)として交易を行った。著者はミャンマー各地にいるパンデーの子孫を探し当て、祖先が雲南からミャンマーへどのような道を辿ったか、いつ頃ミャンマーに定着したか、モスク(中国名:清真寺)建立時期などを調べた。3歳の子供を抱えての奮闘記で、ミャンマーでの生活もよく描かれている。

2012年1月4日水曜日

(1331)ビルマからの手紙⑫

 12月24日の毎日新聞にスーチーさんが書いた「ビルマからの手紙⑫」が掲載された。見出しは「父のように接してくれたNLD創設者の死」、「老兵の威厳とともに」の二つ。ルイン氏は1988年に発足したNLDの創設者の一人。12月6日に亡くなった時、「老兵は死なずただ消え行くのみ」と感じた。彼は19年に亘って軍人時代を過ごし、さらにその2倍以上の期間を文民として過ごしながらずっと国に尽くしてきた。元米国務長官のオルブライト氏がビルマを訪問したとき、NLDの中央執行委員会のうち4人が元軍人であったことから、軍事的分子の監督下に置かれているのではないかとの質問があった。そのときルイン氏は、「40万人の国軍兵力でも無理なことを、たった4人でできると思いますか」と切り替えした。最近お見舞いに行ったときも、礼儀正しい祈りをいただいた。

2012年1月3日火曜日

(1330)読了65冊目:「四川、雲南、ビルマ紀行」

  著者は尾坂徳司、副題は「作家・艾蕪(あいうー)と20年代アジア」。1993年5月・東方書店発行、373頁、定価3800円。著者艾蕪は1904年、中国四川省で生まれ、22歳のとき働きながら学ぶために成都から雲南省昆明に入る。ここでは街頭を流浪し、社会からの処遇に怒りを覚えたが、暇を見ては読書し、習作を試みた。24歳のとき単独で中国領からビルマ(カチン州)に入国、旅籠での馬の糞さらいや、店主児女の家庭教師に。さらにバモーからマンダレー、ラングーンに入り、小説を書き続けた。27歳のときシンガポールで雑誌を創刊、その記事が災いしてビルマ当局に逮捕され、翌年上海に強制送還。その後中国で文筆活動に大活躍。本書は彼の若き頃の紀行文を数多く紹介し、随所に解説が入っている。中国人が見た昭和初期のビルマの情景は貴重だ。

2012年1月2日月曜日

(1329)ユーチューブで私の誕生日パーティーが

   昨日、ビルマ人女性のKSMさんから電話が入った。11月に行われた私の83歳の誕生日パーティーの動画の追加・完成版が出来上がったという。動画を編集して、YOU TUBEで世界に流すなんて、私から見ると神業級だ。鑑賞するには、インターネットのトップ画面の上部にあるYOU TUBEと書いてある四角いアイコンをクリックして、細長い枠に「西田先生誕生日」と書いて検索を押せば一番最初に停止画面が出てくる。この画面をクリックすればスタートだ。放映時間は約14分、出席していただいたビルマ人40人の楽しそうな笑顔が次々と現れる。2006年・7年ごろ私は毎週茨城県牛久の入管を訪問し、彼女らを励ましてきた。みんな数ヶ月から1年近くも入管に収容され、不安におののき、涙を流していた。今回出来上がった動画を見て、今度は私の目が潤んできた。http://www.youtube.com/watch?v=nfhFCQi8tW8

2012年1月1日日曜日

(1328)あけましておめでとう。今年の抱負は

 きょうから2012年だ。元旦を84回繰り返し迎えてきたので、最近は感慨などあまり感じない。とは言うものの、新年上期中にやっておきたい仕事が一つある。それは日本語で発行されているビルマ関連書籍100冊を紹介する小冊子を自家発行することだ。これを思いついたのは昨年秋、当時すでに54冊を読破して、それぞれの書評を私のブログ、「U MINGALARのつぶやき」に書き綴っていたので、まとめたいという願望がふつふつと湧いていた。昨年末(実は昨日)までに書評を書いたのは64冊、あと36冊だ。いま私の机の上には未読の11冊が積んである。これを読破すれば残り25冊となリ、先が見えてきた。3月までに読み終え、書き終え、5月に発行か。この種の書籍は現在のところ日本にないと思われる。いまから印刷方法やレイアウトを考えると、ワクワクする。それ前進だ。