2010年12月31日金曜日

(962)ウ・ミンガラの今年の10大ニュース

(2010年12月31日)
  昨日は中西先生のビルマ10大ニュースを書いたが、今日は私の見たビルマ10大ニュースを書いてみよう。①総選挙の実施・軍政側圧勝(11月7日)。 ②スーチー氏解放(11月13日)。 ③第三国定住始まるが情報流れず(9月29日)。 ④東西入管センターで収容者のハンスト広がる(5月)。 ⑤米国オバマ大統領が関与政策に転換の兆し(12月)。 ⑥中国などの支援でビルマのインフラ整備進む。 ⑦「牛久入管収容所問題を考える会」 が東京弁護士会「人権賞」を受賞(12月)。 ⑧本年も品川入管ビルマ人女性難民への毎週訪問活動を完遂。 ⑨ブログ「U MINGALARのつぶやき」の連日発信、読者35000人突破。 ⑩「自分史」「14年間のミャンマー関連見出し集」「テーマ別ブログ集」5冊を発行し朝日新聞に掲載される、以上。見落としもあるかとも思うが、とりあえず気の付いたテーマを掲載してみた。

2010年12月30日木曜日

(961)中西先生のミャンマー10大ニュース

(2010年12月30日)
  ヤンゴン日本語学校の中西校長のブログにあった、彼自身が見た今年のミャンマー10大ニュースを紹介しよう。 ①総選挙が行われる。 ②スーチーさん解放 ③タイによるダウエー開発計画始まる。 ④イェーユワー水力発電所が完成。 ⑤モッタマ沖ヤダナー天然ガス田~ヤンゴン市間のパイプライン修復終わる。 ⑥チャット高が続く。 ⑦昆明~ヤンゴン高速鉄道の計画が明らかになる。 ⑧チャウピュー~昆明への原油・天然ガスパイプラインの建設始まる。 ⑨ヤンゴン~マンダレー高速道路が完成。 ⑩カンドージ公園で爆発事件。 以上であるが中西先生は番外として、〇日本語学習者が激減、日本離れ進む。 〇中間所得者層の購買力低下。 〇シットゥエ深海港の建設始まる。 〇ミンガラゼー(市場)の大火事。 〇車・携帯電話の相場下落。 〇サイクロン「ギリ」ヤカイン州に上陸なども挙げている。

2010年12月29日水曜日

(960)忙しいけど有益な一日

(2010年12月29日)
  お役所仕事は昨日で終わり、致し方なく昨日は火曜日だが今年最後の入管訪問、いろんな人に出会った。まず面会受付では10年前から教室忘年会を開催していたお店で働いていたビルマ人のA君に出会ったが、一緒にいた綺麗な奥さんはマレーシア人、国際化がどんどん広がっているようだ。私の隣に座っていたのはカチンのキリスト教の牧師Bさん、彼が面会を希望していた人は既に仮放免で出ていることを教えてあげた。そのうちCさんが現れ、面会票の書き方を教える。さらにいつも手助けしてくれるDさん親子と一緒に面会室に入る。きのうは新しく3人増え合計7人、なんだか知らないが5人と2人のグループに分けられ、5人のときはてんやわんや、いろいろ頼まれた。面会終了後先月まで収容されていたEさんに会い、Dさん親子といっしょに品川駅近くの喫茶店で歓談、いやぁ有益な一日だった。皆元気でね!

2010年12月28日火曜日

(959)ガーナ人死亡で入管警備官書類送検

(2010年12月28日)
  きょうの朝日夕刊に標記のような見出しでガーナ国籍のスラジュさんの死亡事件が掲載されていた。スラジュさんが今年3月、成田空港から強制送還される際、搭乗した機内で死亡した問題で、千葉県警が護送に関った東京入国管理局の男性入国警備官10名を、特別公務員暴行陵虐致死容疑で千葉地検に書類送検していたことが、捜査関係者への取材で分かった。県警によると警備官らは3月22日午後、スラジュさんを強制送還させるため、収容先の東京入国管理局横浜支局から護送し、成田空港でカイロ行きの航空機に搭乗させる際、スラジュさんが暴れたため、、数人で体を抑えるなどして死亡させた疑いがある。スラジュさんの妻が6月千葉地検に告訴していた(以上概要)。この話題は国会の法務委員会で今野東議員が激しく追及し、このブログ(681)、(713)でも取り上げたが、事実なら犯罪である。

2010年12月27日月曜日

(958)牛久入管と品川入管

(2010年12月27日)
  牛久入管(東日本入国管理センター)内部の情報は、「牛久入管収容所問題を考える会」(田中喜美子代表)の存在で、手に取るようにわかる。それに比べて品川入管(東京入国管理局)の収容所の内容はほとんど分からない状況だ。その大きな原因は、やはり面会活動体制の違いであろう。牛久の場合は、前記ボランティア団体の7-8人が国籍を問わず常時面会しており、情報が集約されている。例えば2月には被収容中の日系ブラジル人が前途を悲観して自殺し、3月には強制送還中のガーナ人が成田空港で意識を失い死亡、4月には仮放免不許可を告げられた直後の韓国人が自殺、5月には被収容者70人がハンストした。以上の様な事件を踏まえて田中代表らは牛久入管当局と待遇改善策を討議し、一部改善の方向も見えている。品川入管の場合は各人がバラバラに面会しており大きな力とは言えない。

2010年12月26日日曜日

(957)みんがらネットワーク会報

(2010年12月26日)
  いま「みんがらネットワーク」会報第33号を読んでいる。そもそも「みんがらネットワーク」とはどんな会であろうか? この会は98年6月28日に小石川後楽園内の涵徳亭」で60人(うちビルマ人45人)の会員が参加して設立総会を開きスタートした。このパーティーでは、同時に「チェリービルマ語教室設立3周年記念」、「ミンガラ日本語教室設立2周年記念」の行事も行われ、最後はいまや恒例となったビンゴゲームで終了した。このように当時は二つの教室生徒の交流の場として発足したものである。会報はこの設立総会のとき配布され現在の33号に綿々と続けられており、特に表紙の写真「ビルマ人シリーズ」(後藤氏)や「漫画ミンガラばあさん」志賀(旧姓和田)氏、そして私の「ミャンマー関連の新聞記事」などは第1号から一度も休むことなく続けられている。編集者が途中で鈴木さんに替わりますます充実してきた。

2010年12月25日土曜日

(956)牛久入管収容所問題を考える会が人権大賞

(2010年12月25日)
  「牛久入管収容所問題を考える会」(田中喜美子代表)が東京弁護士会による人権大賞を受賞することが決定した。同賞は優れた人権擁護活動を行う団体や個人に贈られており、表彰式は1月5日東京で行われる。同会は牛久の入管に収容されている人たちへの面会活動や、面会を通じて難民や難民申請者、在日外国人との交流を行う無償ボランティアグループ、1994年設立、翌95年から面会活動を開始した。実は私は06年に牛久入管でこの会の活動ぶりを知って、大きなショックと感動を覚えた。私も96年から「ミンガラ日本語教室」の生徒が警察や入管に収容されたら、その生徒だけに面会してきたが、06年以降は面識のなかったビルマ人(女性)全員に積極的に面会するように気持ちを切り替えている。田中会長とはいろいろな場でお会いするし、BRSA会長の大瀧さんも同グループの有力メンバーである。

2010年12月24日金曜日

(955)難民申請者が送還されて

(2010年12月24日)
  大阪のⅠ弁護士より下記のような情報が飛び込んできた。直接ビルマ人難民のことではないが考えさせられる情報だ。その内容は、先日流出した資料の中に「国際テロリズム対策課の在日イラン人の現状と対策について」という文書があり、東京入管に収容されていた反政府組織(MEK)の一人が送還後処刑されたらしい、また在日イラン大使館職員(情報省機関員?)が入管内を徘徊しており、長期収容されている人物は難民申請者であることを自白しているようなもの。さらにスリランカ人の場合、海外から送還された後全員が拘留され、うち2人が暴行を受けたとしている。このように、長期収容者や難民申請者を帰国させたアト、どのような迫害を受けているか、日本のマスコミも関心を持ってほしいという内容だった。たまたま今日のニュースで警視庁は自分の所からこれらの情報が流出したことを認め謝罪した。

2010年12月23日木曜日

(954)たまには下世話な話題を

(2010年12月23日)
  このブログで取り上げる話題は硬派に属し、文章が硬過ぎるといわれるので、たまには不倫といった下世話なテーマを取り上げてみよう。理知的でテレビにしょっちゅう顔を出している麻木久仁子さんが大桃美代子さんの亭主と不倫したという話題が、大桃さん自身のツイッターを通して暴露してしまった。ツイッターといういま話題のコミュニケーションツールで広く知られてしまったという点が新鮮な驚きを感じる。しかもだ、大桃さんのご主人なる人が誰あろうAPF通信の山路社長なのだ。サフラン革命のときビルマ軍兵士に至近距離から射殺された長井健司さんが所属していた通信社の社長であり、彼の遺骨、遺品を持ち帰って盛大な葬儀を行い多数のビルマ人も参列した。さらに11月7日ビルマ総選挙の日にもタイ側から小船に乗ってミャワディに潜入し逮捕された豪傑である。このような豪傑だから不倫ができるのかしら。

2010年12月22日水曜日

(953)不思議なビルマ人が仮放免で出所

(2010年12月22日)
  先週のこのブログで、ビルマ語が喋れないビルマ国籍の女性が収容されていることを述べた。それについて何人かの友人からも、ビルマ語が喋れないビルマ人はとても珍しいとの感想が寄せられた。きょうは入管でのデートの日、彼女からもう少し詳細を聞こうと思って面会受付に行ったら、彼女はきょう仮放免で出所したという。彼女の場合、シャン州のタイ国境近くの村にいたようなので、タイ語で生活していたようだ。日本人でも、海外生活が長いと日本語を忘れてしまう人がいると思われるので、考えてみるとそう不思議なことではなさそうだ。彼女の場合も4ヶ月と2週間入管に収容されていたことになるが。この4ヶ月という収容日数は難民申請者の場合はほぼ定着しており、彼女の場合も例外ではなかった。また、面会して初めて知ったことだが、3年前牛久入管にいたAさんが先週入所したという。来週会いたい。

2010年12月21日火曜日

(952)ビルマに進出するアジア企業

(2010年12月21日)
  ビルマに関し最近気になっている問題がある。それはビルマにどんどん進出しようとしている諸外国、特にアジア企業の活動ぶり、相変わらず慎重な日米欧と対照的にアジア各国は熱い視線をビルマに送っている。たまたまA氏から戴いた日本経済新聞11月5日の記事をみると、中国がガス、石油のパイプライン建設、二輪車の新工場建設、水力発電所の建設を、インドが水力発電2ヵ所の建設、ガス田開発、大型トラック生産を、タイが港湾・工業団地建設、コンビニ事業参入検討、消費財企業による商談会の開催を、韓国が資源開発、シュエガス田の開発主体を、マレーシアがヤタガンガス田の操業と石化工場の建設を、インドネシアが経済人交流会開催、ベトナムが自動車工場進出の検討を始めた。日本は欧米と異なり人道的支援は続けているが、本格的進出は欧米に気兼ねして進んでいない。決断のときだ。

2010年12月20日月曜日

(951)大盛況 ミンガラ日本語教室の忘年会

(2010年12月20日)
  昨日は「ミンガラ日本語教室」の15回目の忘年会、よくも続いたものだ。しかも年々盛大になっていく。私は昨年末に辞めてから今年は一度も教壇に立っていなかったので、知らない先生や生徒も増えているが、半数以上は知人だった。「マトエヤーダージャピノー(お久しぶり」とか「先生元気?」などの声が飛び交った。場所は虎ノ門の「チムニー」、全部で50人以上集まっていた。飲み放題ということで、ビールと日本酒を少々いただき、私はまさに上機嫌、いろんなビルマ人と近況を話し合うことができた。お子さん連れも多くこの15年間のときの流れも感じる。子どもたちはみんな綺麗な服を着ており可愛い。しかし将来この日本でビルマの文化を受け継ぐことができるのだろうか? ちょっと気になったところで会場はサンタクロースが現れビンゴ大会とじゃんけん大会に変わった。ビルマ人は皆ご満悦のようだった。

2010年12月19日日曜日

(950)「詳説 入管法の実務」を購入しました

(2010年12月19日)
  標記の「入管法の実務」(副題:入管法令・内部審査基準・実務運用・裁判例)、編著者:山脇康嗣(弁護士)、平成22年11月 新日本法規出版株式会社発行、660頁、6200円。私は毎週品川にある東京入管に顔を出しており、その際不明なことは係官に聞くことにしている。その際入管法についていかに知識が足りないか痛感することが多かった。今回、標記の書籍が発行されることを知り、高いなと思いつつ購入した。従来から私の書斎には「よくわかる入管法」や「わかりやすい入管法」があリ、いままでずいぶん役に立った。従来から行政書士レベルの知識がほしいなと思っていたので、今回はもう少し高度のものをと思い購入した。さっと見ても、私の知りたかった内容がたくさんあり助かっているが、前2者と異なり「出入国管理法」が中心で「難民認定法」の方は記載がなかった。いずれ出たらぜひ購入したい。

2010年12月18日土曜日

(949)テーマ別ブログ第4編「難民関係」完成

(2010年12月18日)
  この「U MINGALARのつぶやき」のテーマ別ブログ第4編「難民関係(115件)」が昨日めでたく印刷・製本を完了した。これで第1編「入管・面会関係(189件)」、第2編「ビルマ問題関係(220件)」第3編「週間ニュース関係(87件)」、第5編「書籍関係(70件)」の5冊のテーマ別ブログ集が揃ったことになる。いずれも10冊ずつの少部数の発行であるが、何から何まで自家製であるため、いつでも簡単に増刷・補正はできる。前記5編の中には早くも増刷が必要なテーマも生じている。さてこの後の予定であるが次の第6編には「ミンガラ日本語教室」と「BRSA」の合併号を、第7編は「その他の活動」を考えている。これでだいたい終わりだろう。これから年末年始にかけて頑張りたい。これらが揃えば後はこれらのブログ集と、先に発行した「ビルマ関連新聞見出しの一覧表」を基にしていよいよエッセイ集の執筆だ。

2010年12月17日金曜日

(948)ビルマ仏教徒民主化蜂起の背景と弾圧の記録

(2010年12月17日)

  このたび標記の書籍を読んだ。副題は「軍事政権下の非暴力抵抗」。編訳者は守屋友江氏、(阪南大学教授)、解説者根本敬氏、2010年3月 明石書店発行、257頁 2625円。2007年秋に通称サフラン革命と呼ばれるビルマ僧侶による大規模行進が行われたが、その背景を学術的に解説し、その後の軍政による弾圧の記録を集めたもの。私は在日ビルマ人が僧侶を尊敬する姿を何回も目撃した。例えばミンガラ日本語教室にはビルマ人僧侶が勉強のためときどき現れるが、僧侶を見た生徒たちは床にひざまづいて礼拝する。このように国民に尊敬されている僧侶に対し暴力を振るい、僧衣を剥ぎ取り還俗させたり、投獄したりした軍事政権は世界から非難されている。特に日本人ジャーナリストの長井健司氏が軍兵士から至近距離で射殺され、その映像を目にした日本人は皆大きなショックを受けている。

2010年12月16日木曜日

(947)珍しいことが続いた水曜日

(2010年12月16日)
  ご承知のように私は毎週水曜日には品川入管に顔を出す。津田沼から品川まではちょっとした遠出であり、82歳老人には適度の運動と刺激になる。何しろ彼女らに会えるのが最大級の喜びであり、エネルギーをいっぱい貰っている。昨日は入管の面会受付でA君とBさんに会ったが、2人とも実に気持ちのいいビルマ人で、しばらく喋った後A君と一緒に面会室へ。6人と会う予定だったが、1人は先週在留資格(日本人配偶者)を貰って出所していた。珍しいことであり嬉しいことだ。残り5人のうち1人は昨日初めて会ったのだが、ビルマ語が喋れないビルマ人、これまた珍しいが日本語が喋れない日本人だっているはずだ。彼女の場合日本語は上手なので面会の際困ることはない。ただこういう人に会うと「国籍」って何だろうとつい考えてしまう。帰途品川駅喫茶店でCさんと落ち合い、仮放免延長の書類を渡した。

2010年12月15日水曜日

(946)スーチーさんの進むべき道

(2010年12月15日)
  スーチーさんがは解放されたときの第一声は「軍政との対話」であったが、軍政側からの反応はまだない。仕方なく軍政の出方を慎重に見極めているようだ。たまたま11月14日の朝日には、元ミャンマー大使であった津守滋氏の投稿が掲載されていた。それによると、スーチー氏は対ビルマ経済制裁の緩和に向けて方針を変える姿勢を示しているが、それは経済制裁が十分な効果を示していない上、民衆の生活に打撃を与えているとの判断があるのではないかとしている。そして来年2月に発足する軍を基盤とした新政府は、スーチー氏を含む反政府派とも協力して国民の窮状を打開すべきであり、日本政府も従来の人道支援に加えて、人材育成やIT分野での協力、あるいはバルーチャン水力発電所の修復など積極的に行う時期に来ていると指摘している(以上概要)。私も人道問題と経済協力の推進には賛成だ。

2010年12月14日火曜日

(945)日弁連が在留特別許可のあり方を提言

(2010年12月14日)
  日弁連では「在留特別許可のあり方への提言」を取りまとめ、12月6日付けで法務省入国管理局に提出した。その概要は以下の通り。①提言の目的:2006年10月に入国管理局が「在留特別許可(在特)に係るガイドラインを公表したが、その解釈は恩恵的な措置であり、基準ではないと説明しているが、学校に通う子どもやその家族の事案等を通じ人権保障の観点から提言する。②在特許可と国際人権条約:特に非正規滞在者またはその家族の構成員が子どもである場合は、家族の分離禁止の原則が適用されるから、配慮すべきこと。③在特許可における適正手続きの保障 ④在特許可における第三者審査機関の設置(以上概要)。私も夫婦が入管に収容され、4歳の子どもが児童相談所に突然移された事例を知っている。家族としてはまさに悲惨な状況であった。今後はぜひ国際人権条約を守ってほしい。

2010年12月13日月曜日

(944)ビルマ難民関連書籍の書評

(2010年12月13日)
  最近私はいくつかのルマ難民関連書籍の書評を書いてきたが、共同通信社の原記者が加盟新聞社宛に同じような難民関連の書籍の書評(新刊紹介)を4件配信したことを全難連のニュースで知った。その内容は①「難民への旅」(山村淳平著)、②「国境に宿る魂」(黒岩揺光著)、③「アンナの道」(直井里予著)、④ショパン(崔善愛著)、の4冊である。このうち①と②についてはこのブログの(929)と(925)で私なりの書評を書いて見たが、さすが共同の記者のはポイントを突いた書評であると感心する。たとえば①では「援助は力のあるものがない者を支えなければならない義務であり、社会に対する責任である」と断じている。③はタイ北部の国立病院のエイズ患者を取り上げているようだが、早速図書館で調べてみたい。④はポーランド難民であるショパンを取り上げているが、ビルマ難民ではないので省略する。

2010年12月12日日曜日

(943)米高官、スーチーさんと接触

(2010年12月12日)
 2月11日の読売新聞(関口氏提供)によれば、米国務省のジョセフ・ユン次官補代理は10日スーチー女史と会談した。米政府高官が自宅軟禁から解放された後のスーチー女史と接触したのは初めてで、詳細は明らかではないが、軍事政権に対する欧米の経済制裁のあり方や民主化の進め方などを議論したようである。会談は2時間半に及び、NLD幹部も同席した。スーチー女史は軟禁解放後、軍政を批判する言動を抑える一方、対話で民主化実現を目指す柔軟姿勢に転じた。軍政の今後の出方をを見極めながら制裁緩和のタイミングを探るようだ。一方、米国内では対話路線に効果がないとの批判があり、オバマ政権は総選挙後のミャンマー政策を練り直すと見られる(以上概要)。アメリカの民主党政権も日本の民主党政権を見倣って迷走中。経済制裁を見直すのか、見直さないのか。オバマさんしっかりして!

2010年12月11日土曜日

(942)「タイビルマ国境の難民診療所」を読みました

(2010年12月11日)

  「タイビルマ国境の難民診療所」(副題:女医シンシアマウンの物語)、宋芳綺著、2010年7月 新泉社発行、213頁、1800円。著者は台湾生まれ、シンシアマウン医師の診療所で働き、彼女の素晴らしい生き方に感銘して執筆し、松田薫氏が翻訳編集したもの。カレン民族のシンシアマウン医師はラングーン大学医学部卒業後大病院の医師となるが、その後国境地帯でボランティア診療を開始、88年末にメソットに亡命「メータオ・クリニック」を立ち上げ、50万人以上のビルマ難民の医療を一手に引き受け、02年マグサイサイ賞受賞、05年にノーベル平和賞にノミネートされた。診療所は一つの村のようで、空き地に立てられたいくつかの小屋を「診察室」、「検査室」、「分娩室」などとしている。ここには世界各国からの医師がボランティアとして集まり、支援金や物資も各国のNPO団体から集まる(ミンガラ会報再録)。

2010年12月10日金曜日

(941)キンニュンが刑務所に?

(2010年12月10日)
  我が友人後藤修身氏はいまかっこよくラスベガスにいるらしい。コンピュータソフトの説明会があったようだ。でもさすが後藤さん、会場のホテルの名前はマンダレーベイという大型高級ホテルだ。そこから発信したブログでキンニュン将軍のビデオ映像が流出したことを知らせてきた。最近、日本でもアメリカでも機密情報がインターネットを通じてどんどん流出しているが、まさかビルマでも流出してるとは思わなかった。映像では、軍事政権の代理人と思われる数人の男性と、キンニュン夫妻が立派な応接間で話し合っている光景が流れたが、キンニュンは時々自分の首の周りを指差し、絞首刑を受けるようなしぐさを見せていた。家を出るときは孫娘と思われる女の子に頬ずりをして別れを惜しんでいた。時を同じくしてビルマ人活動家からはキンニュン将軍が自宅軟禁から刑務所に移動させられたとの情報が入りだした。

2010年12月9日木曜日

(940)「閉ざされた国ビルマ」を読みました。

(2010年12月9日)

  いま標記の本を読んでいる。著者は宇田有三氏、2010年1月高文研発行、238頁、定価1700円、副題として「カレン民族闘争と民主化闘争の現場を歩く」と記載されていた。著者は有名なフリーランス・フォトジャーナリストで、軍事政権、先住民族、世界の貧困などを重点的に取材し続けてきた活動家である。この本の構成は、序章:「ビルマ」か「ミャンマー」か、第1章:カレンの人々、第2章:軍事政権下に生きるビルマの人々、第3章:ヤンゴンからビルマの最北端の村へ とあり、得意の写真で随所に花を添えている。著者自身が従軍し、また国境の難民キャンプに何回も潜入して取り上げたビルマ族対カレン族の闘争の記述は、日本人には分かりにくい少数民族闘争の原点を示している。なお第3章では軍事政権下に生きる庶民の姿が記されており、文章も平易で読みやすい。最近のビルマ紹介本として推奨する。

2010年12月8日水曜日

(939)保証人は予め決めておいて!

(2010年12月8日)
  恒例の水曜デートの日、12時前に男性Aさんと品川駅で待ち合わせて仮放免延長許可申請書にサインして渡す。彼は連日の深夜作業で疲れてるというが体重は90キロ以上に増えたとのこと。入管では女性5人と面会し、それぞれの質問や要望を聞く。5人のうち2人(Bさん、Cさん)は従来から私と親しくしていたので、面会も気が楽だ。しかしもう1人(Dさん)は友人も少なく、保証人候補者も皆無でしょんぼりしていた。保証人がいなければいつまで経っても出所できず、結局遠い牛久入管に移されてしまう。収容される可能性のある人は予め保証人を探しておく努力が必要である。私の経験では住居環境は牛久入管のほうがよりよいとは思うのだが、いかんせん遠方なので面会者が激減する。Dさんに対してはBRSAメンバーも何とか助けたいと努力している。来週になればそれなりの成果が上がるものと思うのだが。

2010年12月7日火曜日

(938)小冊子「ビルマ難民編」に着手

(2010年12月7日)
  テーマ別ブログ集は10月以降「入管・面会編」(189件:63頁)、「ビルマ問題編」(220件:74頁)、「ビルマ週間ニュース編」(87件:29頁)、「ビルマ書籍編」(70件:24頁)を相次いで小冊子の形で10部ずつ編集、製本してきた。いま編集しているのが、「ビルマ難民編」(115件:39頁)である。その他予定しているのが「BRSA編」、「マニフェスト編」、「ブログ編」、「ミンガラ日本語教室編」、「健康編」などがあり、12月中にできるだけ仕上げたいと願っている。これらの小冊子は、私がこの2年半の間1日1件、毎日綴った「U MINGALARのつぶやき」から取り上げたものであり、関係者以外には面白くもおかしくもない「つぶやき」だと思う。しかし、私は、この小冊子をたたき台にして、私なりのエッセイ集をいつの日か出版したい。西田敦というビルマメロメロ人間が、この世にいたという証を多くの方にお伝えしたいから。

2010年12月6日月曜日

(937)ビルマ今週のニュース(1044)

(2010年12月6日)
  BURMAINFOのニュース1044号から抜粋。 ★国連のナンビア特別顧問が11月27,28日にビルマを訪問し「多くの政党が総選挙の実施方法や結果に強い懸念を表明した」とし透明性をもって取り組むよう軍政に求めた。 ★国民の日の1日、タンシュエ将軍は「新憲法に基づいて自由で公正な選挙が行われた」とし、民政移管に向けて前進していると述べた。 ★フォーリン・ポリシー誌が2010年の「グローバルな思想家」100人を発表、スーチー氏も選ばれた。 ★タイ国境に近いビルマ東部では選挙後に始まった戦闘が今でも散発的に続いている。11月26日からミャワディ付近でビルマ国軍と民主カイン仏教徒軍(DKBA)とが交戦し、住民約1000人が一時的にタイ側に避難した。 ★地雷禁止国際キャンペーンの年次報告書によれば、09-10年に政府として対人地雷を使用したのはビルマだけと発表。

2010年12月5日日曜日

(936)不法残留者は9万人

(2010年12月5日)
  昨日に引き続き「平成22年版 出入国管理」の一部内容を記す。平成22年1月1日現在の不法残留者(オーバーステイ)数は9万1778人(前年比18.8%減)、過去際最多であった平成5年5月1日の29万8646人と比べて20万人以上も減っている。このほかに不法入国者の推定数約1万3千人から2万2千人を加えると、約11万人の不法滞在者が存在している。不法残留者を国別に見ると韓国(2万2千人)、中国(1万3千人)、フィリピン(1万3千人)、台湾(5千人)、タイ(5千人)、マレーシア(3千人)、ペルー(2千人)、となっている。不法入国者(有効な旅券の不所持者、および所持するが許可を受けずに上陸した人)は5千373人(ミャンマー人は86人)とある。不法上陸者(上陸の許可を受けないで上陸した人)は186人(ミャンマー人は14人)いる。この他資格外活動が810人(ミャンマー人14人)と記載。

2010年12月4日土曜日

(935)「出入国管理(平成22年版)」発行

(2010年12月4日)
  122頁に及ぶ標記の膨大な資料が法務省入国管理局から発表された。そのうち難民認定関係が気になったのですぐ読んだ。データは発表済みのものであったが念のために再録する。21年の難民認定申請者数は1388人(20年に比べて211人減)、申請者の国籍はミャンマー568人、スリランカ234人、トルコ94人、パキスタン92人、インド59人。申請者は、正規在留者が521人、不正規在留者で出頭申請者は317人、収容令書、退去強制令書発布後の申請者は550人、なお申請者の約2割が2回目以上の申請者であった。21年の難民認定処理数は1848人(20年に比べ約2倍)、このうち難民認定者は30人(1.6%)、難民とは認められないが人道配慮による在留特別許可者は501人(27.%)、合計の庇護者は531人(28.7%)。なお、異議申立て者は1156人で、その中の8人が難民と認定された。

2010年12月3日金曜日

(934)介護保健の「要支援1」と認定される

(2010年12月3日)
  健康保険にはいつもお世話になっているが、介護保険は結構な金額(夫婦で年間11万円)を国に納めているにもかかわらずあまり普及してない。私の場合黄色靱帯骨化症という骨髄の難病を抱えており、何しろ寝たら最後起き上がれないのだ。無理に起き上がろうとすると背中に激痛が走る。このため苦肉の策としてこの2年間は、ニトリで購入したソファーベッド(通常は1人用のソファーとして機能し、寝るとき、起き上がるときは背もたれが伝導で動く)を転用してきた。たまたま先日津田沼中央総合病院に入院したが、そこのベッドはやはり電動式で立ち上がりやすかった。しかしこのタイプのベッドは購入金額が30万円近くするので習志野市の介護保健課に相談し、審査を受けてめでたく「要支援1」と認定された。ベッドの貸出料の9割は国が負担、1割のみ自己負担なので、月額1500円前後の支払いですみそうだ。

2010年12月2日木曜日

(933)「きらく会」の集い 平均年齢81歳

(2010年12月2日)
  きょう午後から錦糸町駅そばのホテルの一室で、恒例の「きらく会忘年会」が開催された。「きらく会」というのは、昭和20年代以降、ライオン研究部にいた同僚有志の集まりであり、60年近く付き合ってきたメンバーだ。きょうの出席者は9人(1名遅刻)で平均年齢は81歳ぐらい。驚くのは、私を除きみんな達者であること。私は先日PSA値が30だったので前立腺ガンの検査を受けたがシロであったこと、その際たまたまレントゲン写真で膀胱結石が見つかり、内視鏡で検査しようとしたとき激しい悪寒戦慄に襲われ、検査を中止して入院したこと、前立腺肥大には男性ホルモンが悪さをするためそのホルモンを抑制する内服薬を呑みはじめ、胸のふくらみが待ち遠しいこと、介護保健による「介護支援1」に認定されたことなどを報告、同時に現在進行中のテーマ別ブログの小冊子4冊の作成状況を知らせた。頑張れ高齢者。

2010年12月1日水曜日

(932)悲喜こもごも 品川入管

(2010年12月1日)
  きょうは品川入管デートの日、例のとおり意気揚々と入管の面会受付に入ったが、今朝Aさんが牛久入管に送られたことを知った。収容生活という点では牛久入管のほうが品川入管よりいい点があるのだが、収容者からすれば面会者数も激減し、島流しになった感じだろう。ビルマ人女性も少なく気の毒である。一方、面会したBさんは保証人がまだ決まらず悩みぬいていた。当初ビルマの知人を予定していたが、その人では資格条件が整わず、次いで某支援団体にもお願いしたが断られ、現在は保証人がいない状態。保証人がいないと仮放免の申請ができず、いつまで経っても出所できない。私はこのブログを書きながらBRSA会長に電話し善処方をお願いした。一方、Cさん、Dさん相次いで仮放免で出所した。収容期間は2人とも4ヶ月前後、今頃一息ついているかも。でも収容期間が長過ぎるので何とかしてほしい。