2011年12月31日土曜日

(1327)読了64冊目:「ビルマの日々」

  著者はジョージ・オーウェル、訳者は大石健太郎、1997年10月新装版・彩流社発行、386頁、定価2500円+税。本書は1930年代の英国を代表する作家、ジョージ・オーウェル(1903-1950)の処女小説。ビルマが英領印度の一部であったころ、数人の英国人が政府から派遣されてこの村に住んでいた。長年これらの英国人によって運営されてきた白人クラブに、現地人を1名参加させよという政府指令が出て、全員が反対した。しかし一人の会員がこの村で開業してるビルマ人医師を推挙したことから話が始まる。このビルマ人医師が失脚すれば自分がクラブ会員になれると目論んだ地区判事補のビルマ人が、いろいろ画策し、いくつかの恋愛事件や暴動事件を起こし、最終的にはこの策略が成功。数多くの場面で手に汗を握る事件が頻発、さすがオーウェル。

2011年12月30日金曜日

(1326)全難蓮による2011年難民10大ニュース

   全国難民弁護団連絡会(全難連)から、2011年の難民十大ニュースが発表された。以下の通り。①日本の難民条約加入30周年、1951年難民条約採択60周年、衆参両院で難民関連決議が全会一致で可決。②東日本大震災・・・難民らが被災地支援ボランティア活動。③第三国定住パイロット・プロジェクト、課題に直面。④スリランカ難民、勝訴確定するも難民不認定・在特。⑤一次難民認定審査期間が大幅に短縮、異議手続に未済案件の山(平均で2年以上)。⑥難民申請数過去最高の見込み(過去最高は2008年の1599人)。⑦難民高等教育プログラム、受け入れ拡大、英語枠を導入。⑧難民研究フォーラムが「難民研究ジャーナル」を創刊。⑨難民への国籍を理由にした東工大の入学拒否について、東京地裁が違憲判決。⑩難民支援の「平和茶会」開催。

2011年12月29日木曜日

(1325)読了63冊目:「森の回廊」

   副題は「ビルマ辺境 民族解放区の1300日」、著者は吉田敏浩、1995年9月・日本放送出版協会発行、494頁、定価2500円。1985年3月から88年11月までの1300日の間、ビルマ北部のシャン州、カチン州の森を民族民主戦線の兵士とともに行動を共にした。軍服を着ていたが、武器は持たず、従軍記者の立場だ。タイ北部のメホンソンからビルマに入り、シャン州の山岳地帯を北上してカチン州に入った。プーターオ近くまで山林の中を徒歩やゾウに乗って北上、各地の民族民主戦線の部隊と合流しながらビルマ政府軍と戦闘を交えた。単なる戦記ものではなく、カチン人、パラウン人、カレニ人、カレン人、シャン人、パオ人らが、それぞれ山の民の誇りを抱き、氏族社会の枠組みの中、焼畑に糧を求め、精霊を敬い、独自の文化を守り、心豊かに暮らしていた。

2011年12月28日水曜日

(1324)スーチーさん 少数民族との交渉を危惧

 12月24日の毎日新聞の記事によれば、スーチーさんはテインセイン政権が早急に進めている少数民族武装組織との停戦交渉について「恒久和平には相互信頼と理解が必要」と述べ、交渉の先行きに疑問を投げかけた。また、スーチーさんは、「国会議員当選後は少数民族と協力する」と強調したが、依然政府軍との戦闘状態が続く少数民族の側には、多数派ビルマ族のスーチーさんに対しても不信感が残る。少数民族との問題で現在最大の焦点となっているのが北部カチン州を拠点とする「カチン独立軍」と政府軍の停戦交渉だ。テインセイン大統領は今月10日、軍に独立軍への攻撃停止を命じたが、大統領は軍司令官ではないので、国防安全理事会の開催が必要との意見も出ている。カイン州のカレン民族同盟も中央政府の支配下に入ることに強く抵抗中。

2011年12月27日火曜日

(1323)スーチーさん 訪日意向

  27日の朝日新聞によると、玄葉外相がヤンゴンでスーチーさんと会見し、日本政府のODA再開や投資協定交渉入りを決めた野田政権の方針を説明、「投資は大事だが民主化が前進することが必要」と伝えた。スーチーさんは、「日本が支援する場合は、民主主義が堅固であるという視点を持ってほしい」と注文をつけた。会談後玄葉氏は来日を要請、スーチーさんは「希望は持っている」と応じた。なお、3日前の24日の毎日新聞でも、スーチーさんが訪日の意向があることを報じていた。日本政府は、来日時期を補選後と考え、NLD議員団らと一緒に招待する意向。スーチーさんは補選では「48議席全部を取りたい」と抱負を語った。なお従来スーチーさんは外国に出ると再入国ができなくなる不安があったが、テインセイン政権は出入国に障害はないと考えているようだ(以上概要)。実現すれば嬉しい話題だ。

2011年12月26日月曜日

(1322)ミャンマーのイスラム

  今朝の朝日の「アジアのイスラム③」という欄に、ミャンマーのイスラムについて、「民主化 地位向上に期待」、「軍政下 モスク新設許されず」の見出しの下、状況が記載されていた。ミャンマーでは仏教徒が8割以上を占めるが、8世紀頃からアラビア半島から流れ着いたり、バングラデシュから移住するイスラム教徒が現れ、北部からは中国系のイスラム教徒も移住した。政府統計ではイスラム教徒は4%とあるが、実際には10%以上と見られている。1886年に英領インドの一部となった際、インドから多くのイスラム教徒が流入。1948年に独立して、ビルマ族主体の国づくりが始まると、イスラム教徒はビルマ族の一部として生きることを選んだ。しかしビルマ族に比べて出世は遅い。今彼らが望んでいるのはアセアン議長国就任だ。イスラム人口の多いインドネシアなど3か国からの地位向上支援を期待してる。

2011年12月25日日曜日

(1321)読了62冊目:宇宙樹の森

  標記の著者は吉田敏浩、副題は「北ビルマの自然と人間の生と死」、1997年11月・現代書館発行、241頁、2200円+税。著者は今回と同じくカチン州とシャン州の長期取材による著書「森の回廊」があり、96年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。今回は生々しい人間関係など一切表に出さずに、同じ旅で出会った樹木、動物、焼畑、鉄、民家、食物、文様、歌と踊り、伝説、精霊など、個々のテーマついて書き上げ、自然と人間の繋がり、あるいは人と草、樹、虫、魚、鳥、獣の生き死ににおける結び付きを描いている。著者は密林の中で巨大なラガット樹を見たが、マラリヤに罹ったとき、幻想で月の中のラガット樹を見た。このような巨木が万物の基、すべての生物の母になっていると考え、表題を「宇宙樹」と名づけた。私は人間が主人公でないこのような小説を読んだのは初めてだが、考えさせられた。

2011年12月24日土曜日

(1320)玄葉外相への要請文 アムネスティ

  昨日の朝日に、玄葉外相が当初25~29日のミャンマー、タイ、カンボジア訪問の予定を短縮して、ミャンマーだけを訪問し、27日朝に帰国すると発表、これは北朝鮮の情勢が見通せないため早く帰国することにした。外相のミャンマー訪問についてアムネスティー日本は下記のような公開書簡を発表した。ミャンマーでは今年に入って310人以上の政治囚が釈放されたが、いまだに1000人以上の政治囚が囚われている。彼らは「良心の囚人」であると考えられる。残された政治囚は、抗議のため10月26日からハンストを開始したが、当局はこれら政治囚に水を与えず、また犬舎に閉じ込めたとの報告もある。①政治囚全員の無条件釈放、②裁判は公正であること、③政治囚に拷問などないことの保証、④少数民族への残虐行為の禁止、⑤ODAの実施の際の人権の保障。以上を大統領に強く訴えることを要請。

2011年12月23日金曜日

(1319)読了61冊目 「少数民族の生活と文化」

  本書は「21世紀の民族と国家」の第11巻に相当し、学術的である。編者は片岡弘次、発行は1998年3月・未来社、276頁、2800円+税。第1章から7章まであるが、ミャンマー関係は第1章のみで、題目は「孤児はいかにして民族の象徴となったか(カレン人の孤児伝承)」(11頁~45頁)、この章の著者は吉松久美子。カレン人はミャンマー国内に286万人(93年)居住し、スゴーカレンが38%、ポーカレン(36%)、両者間の言語は異なり、意思疎通は困難。スゴーカレンでは「孤児はカレン民族の隠喩」といわれており、伝承には孤児と老婆の組み合わせが多く、孤児の修飾語としては「怠け者」「いたずらもの」などが多い。本書では多くの孤児伝説が語られているが、カレン人が英国の撤退とともに報復され劣位民族に再転落することとなり、1950年以降「カレン民族は孤児である」としきりに提唱されている。

2011年12月22日木曜日

(1318)難民審査参与員

  いま私の手元に難民審査参与員の55名の名簿がある。難民認定制度は昭和56年に創設されたが、より公平・中立な手続きを図るため、平成17年5月に難民審査参与員制度を設けた。難民不認定処分に不服がある外国人からの異議申し立てに対して、参与員の意見を聞かなければならないとされている。このことは、取り締まり目的の入管当局が、同時に判定を下す立場にあるのはおかしいという多くの難民支援者からの声に対する対抗措置であろう。何もないよりはこの参与員制度は一歩前進ではあるが、かつて民主党が言ってたように入管から独立した難民保護庁的なものを作るべきと思う。さて、この55名の名簿を眺めると、大学教授、裁判所判事・検事、弁護士、NPO法人などの関係者が多い。3人で一つの班を作り、東京入管に15班、大阪入管に3班を設け、参与員は非常勤国家公務員となる。

2011年12月21日水曜日

(1317)読了60冊目 「カチン族の首かご」

  「カチン族の首かご」、副題は「人食い人種の王様となった日本兵の記録」。著者は妹尾隆彦、昭和32年11月・文芸春秋新社発行、295頁、定価280円。内容の大部分はビルマ戦争初期の戦記ものであり、著者は中隊の一等兵としてカチン州のミッチナーよりさらに北部のサンプラバム方面まで進出、英印軍は既に壊滅状態であり、新たに中国・重慶軍と戦うこととなる。彼は英語ができるため、カチンの状況を探る諜報員として選ばれ、カチン人のザオパンと協力してジャングルに入る。このザオパンの活躍で作戦は大成功を収め、日本軍が転進するときもジャングルに単身残り、諜報活動を続けた。そのときカチンには王様が不在で、5人の酋長から懇願され王様に就任、ザオパンが首相に。その直後軍から隊に戻れと命令されジャングルを離れた。王様になれたのは実はザオパンの周到な策略であった。傑作。

2011年12月20日火曜日

(1316)タナカの思い出

  昨日の朝日に「いくらですか」という欄があり、ミャンマーの「木の皮から万能化粧品」と次のように紹介されていた。美白が好まれるミャンマーで、昔から女性たちが手放さないのが「タナカ」という木の皮をすった化粧品。名産地、中部ザガインにあるパゴダの境内で実演販売していた。直径8cm、長さ10㎝の木片を、水でぬらした石板上でゴシゴシこする。肌色になった液体を顔やうなじに薄く、最後はほっぺに色濃くつける。どんな形に塗るかがセンスの見せ所だ。8本セットで約500円(以上概要)。16年前初めてミャンマーに行ったとき興味本位で境内の店で若い女性に塗ってもらったことがある。そのときの印象が強烈だったのか、以後毎年東京の水かけ祭りになると塗ってもらっている。あるとき洗顔しないで帰ったので、山手線の電車の中で乗客からじろじろ見られ、途中の駅で慌てて顔を洗ったことがある。

2011年12月19日月曜日

(1315)ワッハッハ 楽しきかな忘年会

  きのうの日曜日はミンガラ日本語教室の忘年会、先生と生徒約50人が集まり、懐かしい顔がいっぱい、私は健康上夜間の外出は控えているが、1年に1回だけ、この忘年会には夜間出席している。教室は96年創立、この年は年末に有志でビルマ研修旅行に行ったためか、忘年会開催の記録はない。記録に出ているのは、97年12月7日の日本語能力試験受験のあと開催したお疲れ様会兼忘年会、これが第1回となろう。だから忘年会は今年で15回目。第1回は、神田駅そばのビルマ料理店「神田市場」で開催、生徒28人が参集、店が狭くて入りきれず、はみ出したビルマ人生徒たちは2階の店にも分散した。この後毎年忘年会が、都内のいろいろな店で開かれ現在に至っている。昨夜の忘年会に出席しての第一印象は子どもたちが多くなったことだ。子供たちよ、この日本が第二の祖国、互いに頑張ろうね。

2011年12月18日日曜日

(1314)お正月の過ごし方

お正月の過ごし方といっても、我々の年代では普段とあまり変わらない。そもそも毎日がお正月のようなものであり、足腰の悪い私は、連日パソコンに取り組む以外、これといったテーマもない・・・・。しかし今度のお正月はちょっと違いそうだ、「ビルマ関係図書100冊の書評集」の作成計画が待ち受けている。 このため、ビルマ関係図書をせっせと読まなくては。今までに59冊を読み終え、書き終えて、このブログで紹介してきた。図書の入手方法は、私の書棚と、友人宅の書棚と、習志野図書館の書棚から掻き集めている。最初のうちは100冊なんて、日本にあるのかしらと心配していたが、それなりに探してみると、100冊以上読めることは確実だ。きょうも習志野図書館から9冊を入手、これがお正月に読む材料となる。9冊を読めばあとは32冊。今からなんとなくワクワクしてくる。幸い目の方は問題がないようだ。

2011年12月17日土曜日

(1313)読了59冊目 「風ともに」

  標題の「風とともに」の作者はルドゥウーフラ、訳者は河東田静雄、勁草書房・1982年10月発行、235頁、定価1494円。著者は作家、新聞(ルドゥ)社主。彼自身が刑務所にいて、多くの囚人たちに取材した話を、刑務所入り絶無を願いつつ小説化したもの。話はイギリス統治時代から、日本軍の占領時代、戦後のイギリス軍政、独立後の内乱という、ビルマの歴史の中でもっとも苦難に満ちた時代に少年期・青年期を迎えた主人公マウンニョーの半生を描いている。彼が1942年4月、14歳のとき日本軍のマンダレー空襲に遭遇したり、最愛の妻が溺死したことが一つずつきっかけとなり、彼は刑務所に何回も入ったり出たりした。そして常に迷いながら一見陽気に振舞う。その時々のビルマの社会風景、家族関係もよく表現されており、そして、全般にわたり、「何が彼を窃盗常習犯にしたのか」を問いかけている。

2011年12月16日金曜日

(1312)少数民族と次々停戦 和解路線へ

  今朝の朝日新聞には、標記の見出しのもと、テイン・セイン政権が、独立や自治を求める少数民族の武装勢力と次々に停戦合意を結んでいると報じた。軍政時代から続く対立解消をはかる国民全体の「和解」だ。恒久的平和に向けた交渉が今後の課題となる。テインセイン大統領はミンアウンフライン国軍最高司令官に、カチン独立軍(KIA)への攻撃を、自衛の戦闘を除いて停止するよう命じた。数千の兵力を持つKIAは、今年6月以降国軍との武力衝突で多数の死傷者が出ていた。憲法では国軍を「唯一の軍」とし、少数民族の武装勢力を国軍参加の国境警備隊に編入するよう求めて関係が悪化したためだが、これを政府の側から見直し譲歩する。政権側は編入要求をいったん取り下げ、少数民族地域の経済発展推進を約束し、国民融和策を続ける。しかし、独立や自治を望む少数民族との溝はなお大きい。

2011年12月15日木曜日

(1311)門司にある世界平和パゴダの存続

  12月11日BURMAINFOからの情報。現在、北九州市門司区にある「世界平和パゴダ」が閉鎖の危機にあり、ビルマ人僧侶2人が12月25日までに建物から退去することが求められている。このパゴダと僧院は、1957年、当時のビルマ首相ウーヌのもと、ビルマ仏教会と日本側の寄付により、門司港を望む和布刈公園内に建立され、設立以来ビルマ本国から高僧が派遣され、第2次世界大戦の戦没者の供養と世界平和を祈念する場として、50年以上も日緬民間交流の象徴として続いている。しかし、宗教法人の役員会内部に、施設の閉鎖を主張する強い意見があり、またウーヌ政権の仏教信仰政策に対する評価も一様ではない。だがこの世界平和パゴダは日緬両国のかけがえのない財産であり、それを守るために日緬両政府及び関係者のご尽力を賜りたい。馬島浄圭(僧侶)、守屋友江(阪南大学教授)。

2011年12月14日水曜日

(1310)ビルマ新政府の「民主化」はどこまで本物か

 岩波書店発行の雑誌「世界」1月号の314頁に根本敬氏(上智大学教授)の論説が標記の題目で掲載されていたので概要を記す。新政権が発足して8ヶ月、スーチー氏との対話、ミッソンダムの工事中止、NLDの政党登録、検閲体制の緩和など表面的な変化は大きい。しかし、①アセアンとしては独自に議長国就任を早期に決定し、米国の今後の介入を防ぐ。また、米国はビルマと中国、北朝鮮の関係を封じ込めたい意向。②2008年憲法によって国軍による新しい形の国家支配体制が完成しており、軍支配は揺るがない。③公職から引退したはずのタンシュエ元議長が、「軍評議会」を組織し、影響力を行使している。④少数民族への人権侵害が続いている。⑤スーチーさんが選挙で当選した場合は党籍を離脱しなければならず、国会審議内容の公表も無理。⑥日本からの経済援助も中断されるリスクがある。

2011年12月13日火曜日

(1309)「23年度出入国管理」備忘録②

  難民条約でいう難民とは「・・・を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有する・・・」と規定されている。ここで問題になるのが迫害の解釈であり、従来、私自身もモヤモヤしていた。この資料113頁には主な裁判例が記載されており、平成23年2月4日の東京地方裁判所の判例が紹介されている。この判決によると次のように説明されている。迫害とは「生命または自由」の侵害または抑圧であり、この「自由」の内容については、主として生命活動に関する自由、すなわち身体の自由を意味する。難民条約上の「迫害」には、経済活動の自由などは含まれないと解釈されている。そして当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに、通常人が当該人の立場に置かれた場合にも、迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要としている。

2011年12月12日月曜日

(1308))「23年度出入国管理」備忘録①

  (1305)に記したように、124頁に及ぶ膨大な標記資料を入手したが、内容はこの1年間の問題点をまとめたものであり、多くの項目はそれとなく理解できた。ただ、私が見落としていた項目もあるので、それを備忘録の形でフォローする。第2部第1章であるが、その第1節の「国際医療交流の推進について」の改正である。わが国で医療を受けようとする外国人は、従来「短期ビザ」を取得して在留資格「短期滞在」により入国していたが、長期間日本に滞在する外国人患者と、その付添人に関する規定を設け、在留資格「特定活動」により入国・在留ができることを明確にした。在留期間は原則として6ヶ月。なお、短期間の医療を目的とする外国人については、従来どおり在留資格「短期滞在」による入国となる。平成22年12月17日に改正された(以上概要)。アジア富裕層への対応と思われるが、貧困層へは?

2011年12月11日日曜日

(1307)読了58冊目 「地球の歩き方:ミャンマー」

  この本「地球の歩き方 D-24  ミャンマー(ビルマ) 2011年~2012年版」は典型的なミャンマー旅行指南書、制作は鈴木達也氏、発行はダイヤモンド・ビッグ社、2011年3月発行(初版は1986年12月発行)、245頁、定価1900円+税。内容は、ヤンゴン周辺、パガン周辺、マンダレー周辺、インレー湖周辺と続き、それぞれ名所やホテルなどを丁寧に紹介している。写真も多く、随所に見られるビルマ料理や、旅の技術などの解説も親切だ。ただ残念ながら、今年3月から始まった民政化の動きには触れていない。この本で、私が特に注目したのは、最終頁近くに掲載されていた「ミャンマー関連書籍ガイド」のコーナー、18冊が簡潔に紹介されていた。その半数は私がすでに読み終わった書籍だが、残りの半数は私も知らなかった書籍名であった。これらは早速習志野市図書館にあるか調べてみよう。

2011年12月10日土曜日

(1306)ビルマ今週のニュース(1137号)

  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★NLDの政党登録(11月25日)、 ★日本とビルマとの経済協力に関する政策協議の開催(28日ネピードーで)、 ★スーチー氏の補選出馬声明(30日、補選日程は未定)、 ★ミンアウンフライン国軍司令官の中国訪問(28~2日)、 ★クリントン米国務長官のビルマ訪問(30日~2日)、 ★世界銀行や国際通貨基金(IMF)によるビルマでのニーズアセスメント調査の可能性(1日にクリントン長官が表明)、 ★米政府のミッチェル特別代表・政策調整官の韓国、日本、中国訪問(8日~13日)、 ★カチン州で続く戦闘や、国軍による民間人に対する残虐行為(6月以降、避難民数約3万人)、★根本敬(上智大教授)が「ビルマの民主化はどこまで本物か」岩波書店「世界」1月号、 ★シャン州北部のタアン学生青年団体が水力発電開発事業による土地の収奪を訴えた。

2011年12月9日金曜日

(1305)「平成23年版出入国管理」発刊

  法務省入国管理局が標記の資料を発表した。平成16年以降は毎年の発行である(それ以前は5年毎の発行)。第1部では、「出入国管理を巡る近年の状況」、「外国人の入国・在留等の状況」、「人身取引・外国人DV関連」、「外国人登録の実施状況」などが紹介されている。第2部では、「新成長戦略」、「新在留管理制度等の円滑な導入に向けた取組」、「円滑かつ厳格な入国審査の実施」、「新技能実習制度の開始」、「留学生の適正かつ円滑な受入れ」、「在留期間の特例」、「東日本大震災に対する入国管理局の取組」、「国内に不法滞在・偽装滞在する者への対策」、「在留特別許可の適正な運用」、「難民の適正かつ迅速な庇護の推進」、「国際社会への対応」、「広報活動と行政サービスの向上」などが紹介されている。資料編では、最近の主な出来事が記載されている。124頁もの大作であり十分留意したい。

2011年12月8日木曜日

(1304)民主化ミャンマーに帰る人が出だした

  12月8日の朝日新聞には、「戻ろう故郷ミャンマーへ」、「亡命政府元外相21年ぶりに帰国」、「不安はある、でも国を変えたい」という見出しが並ぶ。軍事政権下のミャンマーから亡命していた人たちが、相次いで帰国し始めている。「民政移管」で発足した新政府の呼びかけに応じた動きだ。急激な変化に戸惑いながらも、新しい国づくりを担う意欲を燃やしている。米国に拠点を置く亡命政府「ビルマ連邦国民連合政府」の初代外相だったピーター・リンビンさん(70)は9月19日9に21年ぶりに祖国の土を踏んだ。事前に家族にも連絡せず、ヤンゴンの空港に立った後娘に電話。今後モウラミャインで若者を育てる私塾を設けるという。人気喜劇団の「ティーレイティー」の7人も帰国し、ザガナ氏と共に劇団活動を再開する。リンビンさんは「大統領とスーチーさんに任せきりにしないで、全員が力を合わせることが必要」と。

2011年12月7日水曜日

(1303)読了57冊目 「ビルマ現代政治史」

  正式には「ビルマ(ミャンマー)現代政治史・増補版」(第三世界研究シリーズ)という。著者は佐久間平喜(ひらよし)氏。1993年8月増補版、勁草書房発行、255頁、定価2472円。著者は(1273)の「ビルマに暮らして」でも紹介したように、十四年間もビルマの日本大使館に勤務しており、ビルマの政治に詳しい。前回の書評では「至福の書」と書いたが、今回のは一転して学術論文的な書き方である。第1章:ビルマ国軍の歩み、第2章:ビルマ式社会主義路線、第3章:ビルマの非同盟・中立政策とあり、それぞれがさらに数項目ずつに細分されている。日本とビルマの関係は、軍事政権時代といえども良好であり、親しみを感ずる国であるが、その根本的な政治的関わりを著者はよく解説している。多くの参考資料も記載されており、民主化時代を迎えるビルマの現代史を語る上で、最高級の参考書といえるだろう。

2011年12月6日火曜日

(1302)政治囚の定義と人数の調査委員会を

  私はミャンマーの政治囚が実際に何人いるのか知りたい(1290)。アムネスティ日本の10月12日のニュースによると、8月、内務大臣は国連特別報告者に対し良心の囚人と言われる『100人以上もの囚人』は犯罪者であると述べた。11月29日のニュースでは、今年少なくとも318人の政治囚が釈放されたが、まだ1000人以上の政治囚が囚われている。大統領の上級政治顧問コーコーラインは10月19日、約600人の良心の囚人が獄中にいると発表したが、8日後には「正確な数字は知らない」と訂正した上で「良心の囚人と一般の囚人の定義が必要」という。アムネスティは以前多くの政治囚が「一般犯罪者」に分類されている可能性があると懸念を表明。そこで、アムネスティは数と定義の違いを整理する委員会を招集するようビルマ政府に要請、その際同委員会にNLDを含め、国連の援助も必要と。

2011年12月5日月曜日

(1301)ビルマからの手紙(11)

 スーチーさんの「ビルマからの手紙」の11号は11月27日(日)、毎日新聞の3頁に載っていた。見出しは「『パゴダ』描いた絵画展を訪れて」、「ただ見つめていたい」。オックスフォード大学時代、いくつかの博物館に通い、魅了させられた。最近絵画展に足を運んだが、博物館に行くのと全く異なる経験だが、かつての懐かしい感覚にとらわれたことに気づいた。ただひたすら見つめていたい、というあの素朴な欲求だ。今回の絵画展は、5人の画家によるシュエダゴンとチャイティーヨーの二つの仏塔の作品だ(このあとそれぞれの絵画に対するスーチーさんなりの評価が続く)。純粋で真なる芸術的才能や資質とは何かについて深く考えさせられるためだからと気がついた。展覧会で私をすっかり魅了したものの正体は、芸術が持つ変革の力だったのだ。これらの絵画を通じてそれを悟り、とても幸せな気持ちになった。

2011年12月4日日曜日

(1300)「きらく会」の忘年会

 「 きらく会」とはライオン研究所時代の同期の仲間12人からなる、ささやかだが超うるさい集団、平均年齢81歳、私の定年間際から続いており、現役時代と合わせると実に60年も親交の続くグループだ。年間数回顔を合わせており、先日の忘年会には7人が銀座に集合、例により皆が言いたいことをがやがや喋っていた。連中は老人とは言いがたい若々しさを持ち合わせてる。今の沈滞している日本の政治は、我々80歳代に任してほしい。少なくとも今の民主党政権よりは数段ましだろう。会の冒頭に全員で記念写真を撮ったが、30分後には出来上がり配られた。その写真には、7人中1人が特に若々しくイケメンに写っていた。さて、今回のブログが1300回目、毎日毎日コツコツと継続した成果であろう。特に感謝しているのが、「きらく会」メンバーのk.a.さん、私のつたないブログに毎回コメントを戴き嬉しい。

2011年12月3日土曜日

(1299)クリントン長官 ミャンマー訪問

  米国のクリントン国務長官がミャンマーを訪問、テインセイン大統領と会談後、スーチーさんと会談した。米国が示した関係改善策としては、大使の派遣、貧困対策などの調査開始、麻薬取締りの協力再開、マイクロファイナンスによる貧困者支援、留学や英語教育の支援などで、援助の総額は9360万円程度。経済制裁で疲弊した市民生活の向上を狙う。12月3日の朝日社説では、今回の訪問はアジア太平洋地域を最優先とする米国の安保新戦略の第一歩であり、またミャンマーで影響力を増す中国を牽制する狙いもある。民主化が定着したというには、政治犯の全員釈放のほか、少数民族との和解、軍の支配構造を支える憲法の改正問題などがあり、新政権には大胆な妥協を要望。日本からも、玄葉外相、枝野経済産業相が相次いで現地入りするが、民主化の着実な進展の見極めが必要と指摘している。

2011年12月2日金曜日

(1298)アウンチョージンさんがテレビに

  (1206)で書いたように、親友アウンチョージンさんは、弟のネイミョージンを救うべく必死に動いている。その成果か、今朝のNHK・BS-1で2分ほど彼の言い分が放映された。ただ予告では8時台となっていたが、7時台に変更されていたので見た人は少ないと思う。テレビは彼が自宅のドアを開けて「ただいま」というところから始まり、娘さんとの会話が続く、ユキちゃんが夕食に何を食べたか忘れちゃった光景が微笑ましい。彼は髪を短く刈り上げ、赤系統のセーターだったので、どう見てもバリバリのポンジー風だ。最初に「軍が主導する現在の政府体制はおかしい」、「弟がどうして掴まっているのか未だに信じられない」、「弟の腰の痛みの原因についても、家族に配慮して弟は本当のことを言ってないようだ」。途中でビルマの父親に電話する場面もあったが、その光景も極めて自然で良かった。早い解放を祈る。

2011年12月1日木曜日

(1297) ビルマと北朝鮮の関係

  昨日の朝日夕刊に「国家の犯罪(北朝鮮2)」、「孤立国家に武器で再接近」という記事があった。内容は、1983年9月、北朝鮮の工作員3人が乗っていた東建愛国号がラングーンに入港、。韓国大統領の全斗煥のビルマ訪問の1ヶ月前で、3人の目的は全の暗殺。10月9日午前、全の到着3分前にアウンサン廟で爆発が起き、韓国政府の閣僚ら21人が死亡。ビルマ政府は北朝鮮工作員3人のうち一人を射殺、2人を逮捕、その1人がソウル市民と称したため、北朝鮮の犯行か、韓国の自作自演か、当時の社会の見方は真っ二つに割れたが、結局北朝鮮側の犯行と判明。ビルマは北朝鮮と断交し大使館員に退去を命じた。それから24年、北朝鮮は国交を回復、核兵器などの販路を求めてビルマに再接近、今年5月には米艦艇が公海上で北朝鮮船舶を監視し、結局船は北朝鮮に戻った。米国は今も懸念。