2011年4月30日土曜日

(1082)名古屋入管でハンスト

(2011年4月30日) 
 大阪の岩田弁護士(全難連)からの情報によれば、名古屋入管で4月23日からCブロックの約20人中、17人がハンストを始め、Cブロック連名で要求書を入管に提出した。要求書の中身は、①帰国希望者には国費送還を認め長期収容するな。②裁判をやっている人を仮放免にすること。③病気の人に外部受診を行わせること。④食事をもっとまともなものに(冷たいご飯、野菜類が少ない)。⑤電話代が高すぎて少ししか話すことができない。⑥ローソンのものしか買えない。高すぎる。差し入れができるように。以上だが、彼は「連休の2日までにメドがつかないと健康面が心配」、「マスコミに取り上げてもらいたい」としている。またその後の連絡では、「ビルマ難民もハンストに参加」、「中日新聞が入管に問い合わせたので圧力には十分」という。難民鎖国という汚名をそそぐためには、みんなで力を合わせることが大切。

2011年4月29日金曜日

(1081)ビルマ今週のニュース(1114号)

  (2011年4月29日)
  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★テインセイン大統領がスーチー氏と親しい経済学者のウ・ミン氏を大統領顧問に任命。大統領顧問は経済、政治、法の各分野につき各3人ずつ合計9人いる。同氏は数十年にわたり軍政の経済面での失策を痛烈に批判してきた。 ★ビルマと中国は港湾開発が進むアラカン州チャウピューと雲南省を結ぶ鉄道(全長1200キロ)を建設することで合意、中国に石油と天然ガスを運ぶ2本のパイプライン(建設中)に並行する。 ★ビルマ政府が2014年にアセアン議長国を努める件で、米国務省は「人権状態」を理由に「懸念する」と発表。 ★東京で26日東京商工会議所大メコン圏ビジネス研究会主宰で「ミャンマー大使との懇談会」を開催、在日ビルマ人民主化運動家約40人が反対のデモを行い同研究会に要望書を手渡した。 ★5月15日水かけ祭り(日比谷公園)LDB。

2011年4月28日木曜日

(1080)ビルマの話題二つ

(2011年4月28日)
  ちょっと前の二つのニュースを紹介する。最初の話題はミャンマーで起きた地震。日本では東日本大震災の陰に隠れたが、フランス通信(AFP)によると、ミャンマー北東部シャン州で3月24日夜に発生したマグニチュード(M)6・8の地震で死者75人以上、負傷者は110人以上にのぼっている。震源はタイとラオスの国境付近で深さ10キロ。画像を見ると舗装道路に大きな地割れがあり不気味だ。もう一つの話題がアジア人権委員会(AHRC)の発表によれば、ビルマの 元国軍大佐が4月5日に理由不明のまま3週間も拘束され家族も面会できず、拷問を受けている可能性があるという。この元大佐は、献血団体を立ち上げ、市民から感謝されていたという。ユーチューブを見ると彼の肉声が聞こえるが、ビルマ語なので残念ながら意味は分からない。故あって私には気になる注目ニュースだ。拷問など絶対するな。

2011年4月27日水曜日

(1079)二つの乳母車 品川入管で

 (2011年4月27日)
  きょうは水曜日、ただきょうは午前中に各部屋のチェックがあるため面会中止、午後から面会開始という。午前中面会中止を知っている人は少ないので、混むかなと思い1台早いバスに乗り入管に。案の定いつもは3~7番なのに、きょう私の受け取った番号は17番、待ってる間、ビルマ人女性のAさんが男の子を乳母車に乗せて来場、収容者に頼まれていた翻訳文を持ってきた。彼女は所用がありそのまま別れたが、入れ替わるように今度は女の子を乳母車に乗せたBさんが現れ雑談、結局Bさんと一緒に面会した。先週までもう1人ビルマ人難民申請者が収容されていたのだが、訳あって2週間で出所した。さて先週入管受付付近の張り紙に面会時間は10分とあったが、きょう見ると15分に修正されていた。忠告してみるものだ。帰途ビルマ人女性Cさんと品川駅で待合わせて仮放免の延長申請書にサインした。

2011年4月26日火曜日

(1078)読みました 「ニッポンに生きる」 

(2011年4月26日) 
 いま「ニッポンに生きる」という本を読んでいる。副題は「在日外国人は今」。著者は共同通信社取材班、現代人文社 2011年2月発行、1600円+税。この書籍の内容は既に多くの地方紙に連載されていたが、今回単行本にまとめたもの。第1章:隣の外国人、第2章:隣の日本人、第3章:働いて働いて、第4章:併合100年の韓国・朝鮮人、第5章:難民鎖国、第6章:自らの手で、第7章:共生への提言、第8章:解説で構成されている。日本には、200万人以上の外国人が暮らしている。故郷を離れ、異国で生活する理由はさまざまであり、抱える思いも直面する問題もそれぞれ違う。今や多民族国家と言えるこの国で、多様な外国人と共生していくために、まずは彼・彼女たちの実際の姿を知る必要がある。私は今までビルマ人だけに目が向いていたが、この本には他の国の人々も多数出ており、大いに参考になる。

2011年4月25日月曜日

(1077)ビルマの水かけ祭り 静かに終了

 (2011年4月25日)
  ミャンマー日本語教室のブログによれば、4日間続いた本場の水かけ祭りも無事終わり、17日にはミャンマーの新年を迎えたという。去年のような爆弾事件も起こらず、市内をジープで回る「水かけられ隊」の若者たちの数も例年よりずっと少ないとのこと。彼は休暇の間、近所の高級ホテル(ボージョーマーケットの近く)に宿泊していたが、宿泊客もかなり少なめ、朝食のときなどガラガラとのこと。幸いこの市場の前には去年なかったマンダ(舞台)が設置され、コンサートと水掛けが行われ、最終日には「水かけられ隊」の車で大渋滞を生じたという。彼がホテルから撮った市内の様子をみると、結構高層ビルが林立し、道路が見えないし、緑も見えない。コンクリート群の向こうにはバゴー川とヤンゴン川の合流点が。各地の気温が併記されていたが、チャウ43度、ミンブー42度、マグエー42度、ニャウンウー41度。

2011年4月24日日曜日

(1076)ありゃりゃ いつの間にか読者が延べ4万人

  (2011年4月24日)
  ありゃりゃ、気がつかないうちに読者が4万人の大台を突破していた。もちろん延べ人数だが。2008年5月20日以降、毎日書き綴ったこのブログを読んでいただいてる読者が4万人とは我ながらビックリ。因みに1万人突破が09年6月14日、2万人突破が10年1月20日、3万人突破が10年8月24日、そして4万人突破がきょう、11年4月24日だ。最初の1万人を突破するのに13ヶ月を要したが、その後はそれぞれ7ヶ月から8ヶ月で1万人を達成している。この調子で行くと5万人突破は今年の末ごろであろう。一方熱烈フアン数を示すコメント数は、当初より今日まで毎回2件以上あり、優に2千件を超えている。テーマはビルマ問題が272件、入管問題が227件、難民問題が135件に達している。いずれも生硬なテーマなのに読者から激励を受け感謝、感謝。明日からは読者延べ5万人を目指して進み出そう。 

2011年4月23日土曜日

(1075)ビルマ情報ネットワークの情報収集力

 (2011年4月23日)
 ビルマ情報ネットワーク(BURMAINFO)にはずいぶんお世話になっているが、ここの情報収集力の素晴らしさにはいつも敬服。例えば21日の「きょうのビルマのニュース」には次のような記述があった。●DVB: 逮捕された元国軍大佐が拷問を受けた可能性があると家族 面会を認められず。●イラワディ: シャン州で地元当局が農民から広大な土地を接収。●イラワディ: 宗教省の職員約20人が左遷される? 同省からの文書漏えいに関与した疑い。●ミジマ: 元第一産業相らが連邦団結発展党(USDP)の指導部に入る、と党関係者。●新華社: ヤンゴンで水かけ祭り期間中に145の刑事事件、酒の違法販売など。●タイム: 影響力のある100人にスーチー氏 。●AFP: 新しいミャンマー大使カナダで着任。●DVB: ダッカで行われる移民送出国会議にビルマは不参加 ビルマを離れる国民の多くを認知せず、他7件。

2011年4月22日金曜日

(1074)ビルマがアセアン議長国を希望

(2011年4月22日)
  4月19日の朝日によれば、来日中のアセアン事務局長スリン氏は、ビルマ政府が2014年にアセアンの議長国を努めたいと伝えてきたことを明らかにした。ビルマは06年に議長国になる予定だったが、民主化の停滞を批判する欧米諸国に配慮した他の加盟国に促され、辞退していた。ビルマ政府は、昨年の総選挙を経て「民政移管」を果たしたとしており、国際舞台に復帰し、政権の正当性を内外に示したい考えとみられる。この件に関連して、21日の朝日は、米国務省のトナー副報道官代行は、人権状況と国内問題を理由に、「いかなr主導的役割をになうことも懸念する」と異議を表明した。今秋正式参加する東アジアサミットなどを通じて、アセアン議長国としての適格性を問うとみられる(以上概要)。四面楚歌の菅首相はどう判断するのか。残念ながら、結局はビルマ新政府の意向を認めるのではなかろうか。

2011年4月21日木曜日

(1073)入管面会控え室 心遣いを

  (2011年4月21日)
  昨日は入管面会の日、14年間よく続いているなあ。我ながら感心する。若いころ、といっても67歳のころは階段を2段ずつ駆け上がっていたが、今は階段が怖い。エレベーター、エスカレーター大好き人間に変わっちゃった。さて、きのうは面会相手が1人増えて2人に、一人は異議申し立て中、一人は再度の難民認定申請中、これがただ一人だったら心細いだろうが、同国人女性が2人なのでストレスも少しは減るだろう。私のすぐ後にも2人に面会するビルマ女性がいたが、時間のある人はぜひ面会して、励まそうではないか。ところで面会室受付の扉に面会者へのいろいろな注意事項を書いたビラが貼ってあるが、その中に面会時間は10分以内とあった。数ヶ月前から15分以内に延長されている筈なので、担当者に注意すると、そこにいた係官数人は誰も知らなかった様子、皆さんお疲れでしょうが心遣いよろしく。

2011年4月20日水曜日

(1072)在日ビルマ難民 被災者に続々支援

  (2011年4月20日)
  今朝の朝日新聞には、「第二の母国へ〈恩返し〉在日ミャンマー難民」という見出しでリーダー2人の活動が報じられていた。一人はチョーチョーソーさん(47)で高田馬場のビルマ料理店「ルビー」の店長、彼はビルマで民主化活動の中心にいたが、迫害を恐れてタイへ逃れ、91年に来日、難民申請は18ヶ月で認められた。8日、仲間12人で岩手県陸前高田市の避難所に向かい、スープカレーや卵のトマト炒めなど3百食を振舞った。被災者からは「お代わりが食べたい」との声が。なおこの活動にはAPFSの加藤代表も参加した旨4月12日の岩手日報も報じていた。もうひとりは(1069)でも報せたアウンミャッウィンさん、宮城県出身の今野東参議院議員に仲間10人で出し合った20万円を手渡した。スーチー氏に電話取材したときに「忘れてはいけないのが亡命した国への感謝」と言われ今回「恩返し」を実施。

2011年4月19日火曜日

(1071)きらく会会報完成

  (2011年4月19日)
  きょうあたり私が編集・製本した「きらく会会報27号」がメンバーの手元に届いていることだろう。私は1951年にライオン油脂(現在のライオン)に入社して、当初研究所に配属された。同僚は、その後いろんな部署を転々としていたが、友情は変わらず、定年前後を機に飲み会をスタートさせて「きらく会」と命名、そのうちメンバー13人で会報発行の話となった。平成6年(1994年)9月に「きらく会会報」が創刊された。当初は17頁の白黒印刷であり、我が家ではワープロを愛用していた。創刊号発行から17年が経過し、その間3名が他界したが、残りのメンバーはいま80歳前後、それぞれが年相応に活動している。今回完成した27号は、63頁のカラー印刷であり、私は「近況報告」、「読破したビルマ関連書籍15冊の紹介」、「私のブログ紹介」、「わが町も液状化の被災地」など4編を掲載。読者の反応はどうかな。

2011年4月18日月曜日

(1070)ビルマ今週のニュース(1113号)

 (2011年4月18日)
  BURMARINFOのニュースから抜粋。★17日に新年を迎えるビルマでは13日に水掛け祭りが始まった。昨年ヤンゴンの会場で爆弾爆発事件があったため警戒態勢を強化。また政府は「人の尊厳を直接・間接に傷つける恐れのあるタンジャ(囃し歌)などを禁止する旨通達。 ★EUは12日ビルマに対する制裁措置を1年継続する事を決定。またEU高官のビルマ訪問を解除。 ★オバマ大統領はデレク・ミッチェル国防副次官補をビルマ特別代表に任命。初の特使となる。 ★タイの国家安全保障会議事務局長が、国境にある難民キャンプを閉鎖して難民を帰還させる計画を発表、しかし翌日アピシット首相は「安全が保障されるまでは帰還しない」と発言。 ★在日ビルマ人民主化運動家が震災被害者への「祈りの会」を開催、仏教、キリスト教、イスラム教の指導者たちと共に祈りを奉げ、義捐金144万円を贈った。

2011年4月17日日曜日

(1069)アウンミャッウインさん 被災者に義捐金

  (2011年4月17日)
  4月11日のTBSニュースによれば、東日本大震災で困っている日本に恩返しするため、ビルマ難民が義捐金20万円を民主党の今野東議員に託したという。ユーチューブで画面をみていると、軍事政権下のミャンマーから逃れて日本で暮らす難民の姿が現れたが、それがなんとアウンミャッウインさん、彼は牛久入管で長く収容された後難民と認定され、ミンガラ日本語教室で学んだ後、関西学院大学に難民枠として入学した人物、彼はミャンマー難民らが発行するフリーペーパー「平和の翼ジャーナル」の発行責任者でもあり、私は毎号愛読している。義捐金20万円はこの雑誌のメンバーら約10人が、アルバイトなどで集めたものであり、「平和の翼」は07年10月に発刊し、民主化運動指導者アウンサンスーチーさんにインタビューするなどビルマの民主化や難民問題を取り上げている。彼の心はかっこいい、帽子も。

2011年4月16日土曜日

(1068)難民認定処理期間はどうだったか?

  (2011年4月16日)
  法務省入国管理局の発表によれば、本年3月末現在、申請から6ヶ月を超えて未処理の案件は35件、目標設定前の平成22年6月末には612件あったことに比較するとおおむね目標を達成した。引き続き標準処理期間6ヶ月が守られるよう努める。なお平成23年1月から3月までの平均処理期間は、古い案件を重点的に処理したため10.3ヶ月を要した(以上概要)。この目標値は、法務省が平成22年7月に標準審査期間を6ヶ月とし、今年3月には原則としてすべての案件がこの期間で処理できる状況となるよう努めると定めたものである。また四半期ごとに平均処理期間を公表するとした。私の知人にも1年以上「梨の礫」の申請者が何人もいる。彼らは長期間の就労禁止など不安定な生活を余儀なくされており、人権問題だと思う。ぜひ古い人から早急に審査して欲しい。難民鎖国の汚名を受けないように。

2011年4月15日金曜日

(1067)牛久の会から牛久入管への申し入れ書

(2011年4月15日)
  牛久の会(牛久入管収容所問題を考える会)の田中喜美子会長が牛久入管(東日本入国管理センター)所長に対して、4月13日、東日本大震災に関して以下のような申入れを行った。「3月11日の地震時、収容者はパニック状態となり、数名の収容者にAEDを使用したが、収容者の中から抗議行動が発生、4月11日の地震時にもスリランカ人が過度の緊張状態から呼吸困難となり、緊急搬送されている。一方建物の壁、柱部分にひび割れが生じ危険と思われる。このため、①帰国を望まない仮放免申請者には仮放免許可を。②仮放免の条件が整わない収容者には職権仮放免を。③収容が続く収容者にはヘルメットや放射能軽減防護用具の準備を。④帰国費用の整わない収容者には国費送還を。⑤夜間居室施錠の中止を。⑥ブロック別面会制限、仮放免者の面会人数の制限の中止を(以上は概要です)。

2011年4月14日木曜日

(1066)今年の水かけ祭りは低調か

  (2011年4月14日)
  ビルマでは水かけ祭りの真っ最中、今年はどうかなと思っていたらウイン日本語教室の中西さんのブログに次のような記載があった。4月9日のヤンゴンでは水かけ祭りの主役であるマンダ(仮設スタジオ)の設置はほとんど見かけないという。例年今の季節になるとマンダに上がって水掛けを楽しむ「通しチケット」が販売されるが、今年はそのポスターも見当たらない。このように低調なのは、去年水かけ祭り中に発生した爆弾事件が原因のようだ。さらに当局から各マンダに監視カメラ4台の設置が義務付けられた。しかしこのことが女性たちの不信感を呼んでいる。さらに常時5人の警備員を常駐させることを決めた。これによりマンダ設置の費用がかさみ、マンダを設置するのをやめるスポンサーも出てきている。女性の服装にも規制がかけられている。このように今年の水かけ祭りはかなり静かなものになりそうだ。

2011年4月13日水曜日

(1065)1対1のデートと国際交流会議

  (2011年4月13日)
  今日は水曜日、デートの日だ、先週から1対1のデートとなり、嬉しいような、淋しいような感じ、面会者は相変わらず少なく今日は12時15分に到着して5番目だった。よく顔を合わせる日本人に聞いてみると、街中での取り締まりは大震災でストップしているが、来週には解除されるらしいとの意見。面会者は果たして来週は増えているだろうか? そのうちいつも同行してくれるビルマ人女性Aさんが現れ、私が頼んでいたセタナー2号のビルマ語部分のコピーを持ってきてくれたので、急遽追加差し入れの準備をした。もっともこの差し入れは先週仮放免で出たBさんがやってくれると言ってたので、安心していたのだが、Bさんが差し入れたのは別の書類だったのでホッとする。さて面会受付にはフィリピン人、スリランカ人、タイ人、韓国人、日本人が集まり雑談、即席の国際交流会議が始まってしまった。楽しみの一つだ。

2011年4月12日火曜日

(1064)タイ国境の難民キャンプ閉鎖?

  今朝の朝日新聞によれば、タイ政府は国内9か所の主要なビルマ難民キャンプの閉鎖を検討し、14万2千人の難民に帰国を促すという。今春のビルマ新政権発足でビルマが民政移管したことから「時期はいえないが閉鎖を目指している」とし、ビルマ側とも協議を始めているという。この難民キャンプには、軍政の迫害から逃れたビルマの少数民族が生活している。昨年10月にはタイのカシット外相がミャンマー総選挙後にキャンプを閉鎖する意向を示したが、国際社会から批判され、「発言が誤訳された」と内容を否定した。難民キャンプでは、海外への移住を支援する「第三国定住」が実施されており、日本も昨年から協力して5家族27人を受け入れた(以上)。ビルマ軍によって迫害されたカレン人が帰国を承服するとは考えられない。このとばっちりが、日本の難民(申請者)にも及んで、入管の帰国促進が心配。

2011年4月11日月曜日

(1063)計画停電 きめ細かい発表を

  (2011年4月11日)
  計画停電ってビルマだけかと思っていたが、いつの間にか日本でも。東京23区では足立区と荒川区の2区だけが実施地域に指定され、他の区と不公平感が漂う。当然区民から苦情殺到かと思っていたが、今のところ声は聞こえてこない。後日調べると変電所からの送電線の関係だという。私たちの頭の中には市、区、町、番地といった行政区分がこびりついていて、変電所、送電線別の区分なんて全くない。私の住んでいるところは「千葉県習志野市袖ヶ浦一丁目」だが、当初の計画地区として「袖ヶ浦」という町名が記載されており、観念したが停電は皆無。その後さらに各区域を5区分したとき、今度は「袖ヶ浦1丁目」(2~6丁目は記載無し)と記載され二度目の観念をしたが停電なし。聞けば同じ「1丁目」でも停電しない地区があり我が家はその地区という。机上に並べておいた懐中電灯や蝋燭を元の場所へ。

2011年4月10日日曜日

(1062)1988年9月の新聞記事(下)

 (2011年4月10日)
  引き続き当時の記事の見出しを紹介する。9月20日:ビルマ軍各地で発砲、ビルマ緊迫揺れる情報、軍と全面衝突の危険も、9月21日:無差別発砲の死者500人、ビルマ軍全土ほぼ制圧、9月21日:反政府指導者軍事政権に協議呼びかけ、9月22日:軍事独裁色鮮明に、9月23日:反政府三指導者総選挙拒否を決定、9月24日:ビルマ議長反政府派との会談示唆、3指導者反政府統一戦線を結成、9月25日:全面対決不可避に、9月26日:学生ら武装闘争へ、学生かくまうカレン族、9月27日:総選挙公正保証なら反政府派も参加へ、学生側が軍事訓練少数ゲリラと合流へ、9月28日:反政府組織新指導部を選出、混迷国軍監視下のビルマ、9月29日:ビルマ反政府派政党登録を申請、9月30日:ビルマ政府復帰条件に給料支給、「民主連盟」ソウマウン政権に再び話し合い求める。以上。軍政が続く!

2011年4月9日土曜日

(1061)1988年9月の新聞記事(中)

(2011年4月9日)
  昨日に続き当時の新聞記事の見出しをまとめてみた。9月9日:ビルマ国軍の亀裂一段と、ネーウイン元議長の出国迫る、9月10日:ウ・ヌー元首相の暫定政府に他の反政府勢力は同調せず、9月11日:ビルマ政権「逆攻勢」、ビルマ複数政党制に、9月12日:3ヶ月以内に総選挙、ちらつく政権延命策、9月13日:対話が必要なビルマの新局面、即時退陣暫定政権を反政府3氏が連名書簡、9月14日:ビルマ反政府派大同団結へ、9月15日:暫定政権求めゼネスト首都で50万人、9月16日:暫定政権の即時樹立現時点では困難、学生に武器蜂起の動き、9月17日:ビルマ政府と反政府側政権移譲基本合意か、ビルマの反政府運動カギ握る学生たち、9月18日:政府軍デモ隊に発砲、ビルマ100万人デモ、9月19日:ビルマ政府軍がクーデター、陰にネ・ウイン氏、国軍ついに強権発動、反政府側反発。

2011年4月8日金曜日

(1060)1988年9月の新聞記事(上)

(2011年4月8日)
  私はS氏から戴いた1988年9月のビルマ関連新聞記事ファイルを持っている。ちょっと調べることがあって久しぶりに覗いて見た。8888記念日を中心に、88年8月には民主化運動が各地で盛り上がっていたが、その1ヵ月後はどうだったのか。見出しを拾ってみた。9月1日:ビルマ軍に不穏な動き、ビルマ社会主義なぜ破綻、首都に市民管理委、9月2日:首都で50万人集会、第三波ゼネストに突入、一枚岩には遠い反体制派、学生連盟を承認、9月3日:7日までに大統領退陣を、9月4日:スーチー女史ビルマを語る、9月5日:国民にいらだちつのる、現政権は崩壊寸前、9月6日:退陣までゼネストを、「暫定政府」で最後通告、9月7日:民主化闘争燃える住民、16大使館で職員造反、9月8日:ビルマに広がる反旗、ビルマ政府民主化要求を拒絶、兵士造反混乱に拍車、無期限ゼネストに突入など(続く)

2011年4月7日木曜日

(1059)日本で難民申請者の多い国は

(2011年4月7日)
  私は毎週入管を訪問してビルマ女性難民を励ましているが、面会許可申出書には面会申請の多い国が列記してあり、係官がマークすればいちいち書かないでもいいようになっている。それをみると、中(本)、中(台)、韓、比、馬、印、印ネ、モンゴル、ミャンマー、イラン、パキスタン、ベトナム、バングラデシュ、ペルー、コロンビア、スリランカ、ネパール、ブラジル、トルコ、ロシア、ナイジェリア、ガーナ、ギニアと25カ国が記載されている。私がかつて訪問したことのある国はこのうち15カ国、面会控え室でこれらの国の出身者と会うと話が弾む。一方全難連からの情報によれば、出身国別の難民申請者のトップ10は、ミャンマー342人、スリランカ171人、トルコ126人、ネパール109人、パキスタン83人、インド82人、イラン35人、ナイジェリア34人、バングラデシュ27人、ウガンダ21人。みなさんいつまでもお幸せに。

2011年4月6日水曜日

(1058)ビルマ人女性最後の1人に 東京入管

(2011年4月6日)
  今日は水曜日、例によって品川入管に行く。名古屋全難連からの情報で今日は全国一斉に各入管に対する面会活動を実施するというので、どのようなものか関心があった。私は12時過ぎに面会控え室に入りあたりを見渡したが、10数人が玄関前に集まっており、大声を出すでもなく面会室に静かに入っていった。事前に全難連はノータッチという情報も入っており、このような行動があったことに気が付いた人は少なかったと思う。受付でビルマ人難民申請女性が1人仮放免で出所の由、残りはとうとう1人になってしまった。その最後の1人に面会、淋しそうであった。そういえば面会者も極端に少ないので係員に聞くと、震災のため収容を控えていたが、来週からまた収容を始めるらしい。昼過ぎ、牛久にいて昨日出所したAさと会い祝福してあげた。帰途錦糸町駅でBさんに会い、仮放免延長書類にサインしてあげた。

2011年4月5日火曜日

(1057)Canpus新聞で見るビルマ難民(下)

  (2011年4月5日)
  昨日に続き、早稲田大学生らがまとめ、Canpus新聞に発表した「日本で暮らすビルマ難民たち」の紹介。・・・・・・収容される入管の部屋は5人から十数人の相部屋で、週二回日用品の購入が可能だが、値段は通常より高い。体の不調を訴えても然るべき診察は行われず、薬が渡されるだけ。収容されている人の中には喧嘩もある。仮放免されたとしても、難民認定申請が通るとは限らない。日本への滞在が許可されたとしても、異国で生き抜くすべを学ぶ必要もある。彼らは祖国を出なければならなかった人たちだ。入管という場所が、ある意味で彼らの止まり木となる日は来るのだろうか。亡命ビルマ人たちは、民主化への歩みは進んでいると確信している。スーチーさんの解放や、「名ばかり選挙」と批判されながらも総選挙が20年ぶりに実施されたからだ。穏やかで平和な日が遠くないことを信じたい。

2011年4月4日月曜日

(1056)Campus新聞で見るビルマ難民(上)

 (2011年4月4日) 
  ネットサーフィンをしていると、ときどき思わぬニュースにぶつかる。今回取り上げたのはCampus新聞、SANKEI EXPRESSが企画し、各大学の学生が編集したニュースで、昨年10月から発行されている。3月22日号22面には早稲田大学ジャーナリズム教育研究所の10人の学生たちが編集した「日本で暮らすミャンマー難民たち(上・下)」が掲載されていた。(上)では、二組の親子が登場するが、子どもたちにかける親の愛情がよく描かれている。子どもたちは日本人というアイデンティティーを持って育つが、親は将来とも日本人同様に扱ってもらえるか心配している。父親の1人は、3度(1年7ヶ月)入管に収容され、在留特別許可が下りるまでの15年間は、健康保険など日本の行政サービスを受けることができず心理的負担が大きかったと話す。いまは自国の難民申請者に手を差し伸べている。( つづく)。

2011年4月3日日曜日

(1055)ビルマ今週のニュース(1111号)

  (2011年4月3日)
  BURMAINFOからのニュースの抜粋。 ★ビルマ新内閣が3月30日に発足、SPDCは正式に解散した。テインセイン大統領以下新閣僚の大半が軍出身者で、実質的には国軍支配が続く。今後は国家最高評議会が発足するとの情報も。 ★国軍最高司令官にはタンシュエ上級大将に代わりミンアウンフライン大将が就任。 ★スポーツ紙など一部の雑誌に対する検閲手続きが緩和。政治や経済を扱う雑誌は事前提出が必要。 ★国連人道問題調整事務所(OCHA)によれば3月24日のシャン州で起きた地震により、3000人以上が家を失い、150人以上が死亡。 ★日本の外務大臣は「同国の国会における議論や更なる国民和解に向けた政府の前向きな努力を通じ、同国がより一層開かれた民主的な国家になることを期待するとともに、わが国を始め国際社会との関係が一層強化されることを希望する」と。

2011年4月2日土曜日

(1054)初志を忘れるべからず 民主党よ

 (2011年4月2日)
きのうの本欄で今回の大震災の名称が統一されていないことに触れたが、今朝の新聞によれば政府は「東日本大震災」にすると発表した。政府、与野党も大変な時期と思うが大いに頑張ってほしい。そんなときに、全難連から7年前の民主党のホームページの内容が紹介された。皮肉たっぷりに。内容は03年4月8日の民主党「次の内閣」法務ネクスト大臣千葉景子氏(前法務大臣)と在日外国人に係る諸問題に関するPT座長江田五月氏(現法務大臣)連名の談話で、アフガン難民A氏の難民認定処分取消し訴訟で大阪地裁がA氏側の勝訴を言い渡した件。その中で、「難民認定の申請者の供述について、些細な矛盾や事実と異なる供述があったとしても、難民認定に関して本質的なものではなく、またはその申立てそのものにとって、特に重大でない限り、供述全体を信憑性なしと結論付けるべきではない・・・」と。

2011年4月1日金曜日

(1053)外国人被災者向け相談窓口

 (2011年4月1日) 
 今回の大震災の名称がいろいろ使われていて、いまだに統一されていないようだ。東北関東大震災、東北関東太平洋沖大地震、東日本巨大地震とか。名称はいずれ統一されるだろうが、テレビで見ていると被災者は涙を流しながら、それでも、復興に向け整然と対応してるようだ。世界が大絶賛している。私自身も涙が出るような光景が次々とテレビ画面に現れる。その中で特に気になるのが外国人被災者だ。たまたま日本弁護士連合会などが外国人のための東日本大震災無料電話相談を2ヶ月間開設するという。平日午前10時~12時、通訳は東京外大の支援を受け、トリオフォン(三者通話)を利用するという。弁護士2名が待機し2回線が利用可能、無料、電話番号は03-3591-2291。逆に、NDBは、4月10日13時から落合で、被害者への祈りの会を開いてくれるという。なんともありがたいことだ。 感謝!