2011年4月8日金曜日

(1060)1988年9月の新聞記事(上)

(2011年4月8日)
  私はS氏から戴いた1988年9月のビルマ関連新聞記事ファイルを持っている。ちょっと調べることがあって久しぶりに覗いて見た。8888記念日を中心に、88年8月には民主化運動が各地で盛り上がっていたが、その1ヵ月後はどうだったのか。見出しを拾ってみた。9月1日:ビルマ軍に不穏な動き、ビルマ社会主義なぜ破綻、首都に市民管理委、9月2日:首都で50万人集会、第三波ゼネストに突入、一枚岩には遠い反体制派、学生連盟を承認、9月3日:7日までに大統領退陣を、9月4日:スーチー女史ビルマを語る、9月5日:国民にいらだちつのる、現政権は崩壊寸前、9月6日:退陣までゼネストを、「暫定政府」で最後通告、9月7日:民主化闘争燃える住民、16大使館で職員造反、9月8日:ビルマに広がる反旗、ビルマ政府民主化要求を拒絶、兵士造反混乱に拍車、無期限ゼネストに突入など(続く)

2 件のコメント:

  1. 思い返すと、軍事政権は永続きしましたな。
    これからは、徐々ながら民主化が進みますように!
    K.A.

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  2. k.a.さん
    ビルマ軍事政権がいう民主化と、我々がいう民主化は違っています。軍事政権がいう民主化ならば、徐々に進んでいるといえましょう。しかし日本式民主化から見ると、軍人が後ろにいる以上進んでいるとはいえないと思いますが。(N)

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