(2008年8月31日)
今朝の朝日新聞朝刊に「飢え 襲撃 白衣の苦悩」という見出しで第2次世界大戦中の日赤報告書の内容が発表された。その中にビルマ関係の記事があった。終戦の前年、44年4月ビルマ・ラングーンの北30キロの町の病院に、従軍看護婦、和歌山490班23人が配属された。その報告書には献立表があり「12月5日:朝食・油揚汁、昼食・ポークカレー、夕食親子丼」と余裕のある献立が並んでいた。しかしこれが最後の報告書で、45年1月に北約150キロの最前線に移り、4月には東のタイへの移動を試み、山脈を越え、大河を渡った。だが13人は敵の銃撃にあったり、急流に飲み込まれて死亡、2人は自ら命を絶った。生き残ったのは8人だけ。このほかにフィリピン、満州、パプアニューギニアなどの従軍看護婦の悲惨な状況が記されている。戦後63年が経過したいま、戦争の惨害を忘れてはいけない。