2015年10月31日土曜日

(2729)ミャンマー総選挙 候補者ら3人襲われけが

  10月30日のNHKニュース(9:07)より。11月8日に行われるミャンマーの総選挙にスーチー氏が率いる野党から立候補している候補者と運動員の合せて3人が、29日夜、ヤンゴン市内で数人の男にナイフで襲われ、投票日が迫るなか、自由で公正な選挙の実施への懸念が強まっている。民政への移管後初めてとなるミャンマーの総選挙は、旧軍事政権の流れをくむUSDPと、スーチーさん率いるNLDが激しい選挙戦を繰り広げている。NLDによると、候補者の男性が腕などを刺されて大けがをしたほか、運動員の2人も殴られて軽いけがをしたという。警察は、襲撃した3人の男を逮捕し、動機や背後関係を調べている。スーチー氏が暴動の危険性に言及するなど緊張が高まっている(以上)。民主化達成のためには、多くの障害が待ち受けている筈だ。

2015年10月30日金曜日

(2728)ミャンマー総選挙:敬虔な仏教徒、変革期待と不安も

  10月28日の毎日新聞より。11月8日の総選挙は与党USDPと野党NLD、そして地域ごとの少数民族政党が参戦し、三つどもえの構図となっている。中でもラカイン州は多数派である仏教徒ラカイン族の民族意識が強く、NLDの苦戦が予測されてきた地域だ。ラカイン州はロヒンギャが多く、「民主化」後の宗教騒動の震源地となった。2010年の前回総選挙では全国でUSDPが圧勝したが、ラカイン州では民族政党が過半数を制した。今回は二つの主要民族政党が合併、「アラカン民族党」として望んでいる。スーチー氏率いるNLDには強い逆風だ。しかしスーチー氏演説会場はどこも1万超の人並だった。会場ではスーチー氏がイスラム教徒を優遇するのか質問が飛ぶ。変革への期待と、イスラム重視政策への不安が、支持者の脳裏でも 相克している。

2015年10月29日木曜日

(2727)難民申請すでに5500人超 今年過去最多に

  10月29日の朝日新聞より。法務省によると、昨年に難民申請した人は前年より1740人ほど多い5千人だった。今年は10月半ばまでに5500人を超え、5年連続で過去最多を更新した。このペースで増加すれば年末には7千人に達する。国別では昨年はネパール、トルコ、スリランカ、ミャンマーの順に多く、この4カ国で6割を占めた。今年もネパールが最も多く、アジア諸国が中心。今話題のシリアからは数人だ。昨年の難民認定者はわずか11人、「人道的配慮」で在留を認めた人を含めても121人だった。認定が少ない現状には 国内外から批判が集まる。入管行政に詳しい安富慶大名誉教授は、「審査の業務が増えれば、本当に難民と言える人を速やかに救えない現状だ。保護する人数を増やすだけでなく、受け入れ後の 支援策も大切」と指摘する。

2015年10月28日水曜日

(2726)FT紙社説 ミャンマー総選挙は歴史的な一歩②

  昨日からの続き。NLDが大差で勝利を収めた場合、状況はややこしくなる。最近スーチー氏は「大統領でなければ、国を導くことはできないのか」と述べ、水面下で操ることをほのめかした。同氏はインドのソニア・ガンジー氏になぞらえることを拒んだが、スーチー氏の発言は、ほぼ無能だった新政権をガンジーが陰で操っていた当時の印度の不満足な状況と似ている。NLDが選挙に勝って十分な過半数を確保したなら、軍が憲法を改正してスーチー氏が直接大統領になれるようにする方がはるかに良いだろう。ミャンマーの軍部は権力から退く歴史をつくった。この点は称賛に値する。だが、総選挙や大統領選で勝つのは誰であれ、蜜月は短いであろう。軍が不確かな民主主義を譲り渡そうとしているこの国は、60年間に及んだ悪政による傷を背負っている。

(2725)FT紙社説 ミャンマー総選挙は歴史的な一歩①

  10月27日の日経電子版、FT(FINANCIAL TIMES)の社説より。ミャンマーは5年前とはまるで異なる国だ。以前よりもずっと世界との関わりを深め、抑圧が減り、必ずしも啓発的と行かないまでも市民社会が発展しつつある。来月この民主化プロセスがもう一歩進められる。同国で半世紀以上ぶりに本当の意味での民主的な総選挙が実施される。しかし憲法はスーチー氏が大統領になることを実質的に禁止。同国の選挙制度では、まず国会の形を決め、そこから次期大統領が出るであろう党を選ぶ。国会の両院と軍がそれぞれ副大統領を指名し、その中から国会が大統領を選出する。NLDが確実に勝つためには議席の67%を得る必要がある。NLDに明白な勝利が保証されている訳ではなく、現職のテイン・セイン氏が大統領に就く可能性はまだある。続

2015年10月26日月曜日

(2724)学生活動家、政治犯の解放を求めてハンガ-ストライキ

  10月26日のミャンマーニュースより。EREBENの報道によれば、ストライキは全ミャンマー学生連盟のAUN HMAING HSANN氏が、マンダレーのTHAYARWADY刑務所で始めたようだ。HSAN氏は「BA・KA・THA」のグループに属し、今年初めに教育法の改善を求める学生運動に参加し、政府によって逮捕された一人である。HSAN氏をサポートするグループは、「すべての政治犯の解放を」と書かれたTシャツを着て、マンダレーを行進した。学生グループは、政府がすべての政治犯を解放するまで、裁判所には出頭しないと表明している。テインセイン大統領によって、数百人の政治犯の釈放が実現した。しかしアムネスティによればミャンマーにはまだ100人以上の政治犯が収容されたままだという。過去1年間政府は取り締まり強化の傾向にある。

2015年10月25日日曜日

(2723)ソーシャルメディアで軍を嘲笑して逮捕

  10月21日のアムネスティのニュースよりミャンマー当局は、フェイスブック上で国軍の総司令官を小ばかにしたとして、活動家と若い女性を逮捕した。2人は即時・無条件に釈放されるべきである。平和活動家のパトリッククンジャリーさん(43)は、10月14日、ヤンゴンの自宅で逮捕された。罪状は総司令官のミンアウンライン上級大将の写真を、何ものかが踏みつけている画像をフェイスブックに投稿したことだ。その数日前、チョーサンディートゥンさん(22歳・女性)も同様に軍を小ばかにした記事を投稿したとして拘束された。フェイスブックに投稿しただけで何年も投獄されるのはあまりにも理不尽だ。当局は二人を即座に釈放し、起訴も取り下げるべきだ。適用される法律はまだ確定していないようだが、いずれの場合も起訴されれば、実刑数年の恐れがある。

2015年10月24日土曜日

(2722)エネルギー政策でミャンマー支援 年内にも初会合

  10月19日の日経新聞電子版より。日本政府はミャンマーとエネルギー分野の政策対話に乗り出す。ミャンマーは経済成長に伴って電力需要が2ケタのペースで伸びている。ただ、エネルギーインフラが貧弱なため、頻繁に停電が起こるなど電力不足が深刻だ。政府は日本が得意なエネルギー効率のよい石炭火力発電施設の導入などを促せば、日本のインフラ関連企業の受注機会も増えるとみている。ミャンマーでは中国が電力などのエネルギーインフラの受注を増やしつつある。一方樋口大使がリンアウン副財務相と書簡を交換し、日本による総額998億円の円借款が決まった。具体的には、①老朽化したヤンゴン市環状鉄道の車両、鉄道施設の改修に248億円、②水力発電所とヤンゴンを結ぶ基幹送電設備に411億円、③橋梁整備に338億円。

2015年10月23日金曜日

(2721)中国の16歳3300㌔逃避行 当局の監視下ミャンマーで拘束

  10月23日の朝日新聞より。渦中の少年は包卓軒さん、7月に法律家として人権問題に取り組む父と北京の空港で拘束され、天津で監禁された。旅券は取り上げられ、当局の指示で内モンゴル自治区ウランホトの祖母宅に預けられていた。10月1日朝、当局の監視をかいくぐり、迎えに来た支援者と合流した。飛行機で昆明に到着、車でミャンマー国境地帯に入り、監視が手薄な国境のフェンスを潜り抜けた。包さんと支援者はミャンマー側の街で6日に拘束され、消息を絶った。内外の支援者は「子どもの自由と人権すら奪うのか」と抗議の声を上げ、米国務省も包さんの解放を要求した。当局は反体制派組織が、少年を利用したという構図で事件を描く。包さんが拘束されたモンラーという街は黄金の三角地帯にありミャンマー政府の力も十分及ばない場所。

2015年10月22日木曜日

(2720)国内の宗教衝突を避けるための5原則

  10月14日のミャンマーエクスプレスより。ヤンゴンのトゥウンナ・スタジアムで10月4日、民族・宗教保護関連法の設立記念イベントが開催された。イベントではミャンマー国内の宗教間の衝突を避けるため、下記の5つの原則が発表された。①各宗教徒がお互いに理解し合って平和的に共存していくこと、②お互いを尊重し合うこと、③ほかの宗教の信徒への干渉を避けること、④暴力を避け、平和を維持すること、⑤時には忍耐心を持ってほかの宗教と接すること。今回のイベントにはミャンマー全国から僧侶と国民およそ2万人が出席。民族宗教保護協会から僧侶ティダグさん、インセインユアマさん、ワーキンコンさんが同法などに関するスピーチを行い、ダマピャさんが出席者の質問に答えた(以上)。(2715)での反スーチー派仏教徒の発言は情けない。

2015年10月21日水曜日

(2719)「ミャンマー 自由な選挙を」 東京でロヒンギャ40人デモ

  10月21日の朝日より。11月投開票のミャンマー総選挙の公正な実施と、選挙権などの回復を求め、少数民族ロヒンギャの約40人が20日、在日ミャンマー大使館前と周辺でデモ行進した。在日ロヒンギャ協会のアウンティン会長は「今回の選挙はロヒンギャにとって大事な選挙。自由な選挙のため、日本政府や国際社会がプレッシャーを与えてほしい」と訴えた。ミャンマーでは、2010年までロヒンギャも事実上、選挙権が認められ、国会議員もいたが、今年3月、在留を認めるIDカード「一時身分証」が廃止され、選挙権を奪われた(以上)。ミャンマー政府はロヒンギャを自国民と認めず、本年6月の「世界難民の日」にも約50人で同様なデモを実施。現在日本国内のロヒンギャは約230人、岸田外相はロヒンギャ問題解決のために4億円を支援すると発表。

2015年10月20日火曜日

(2718)タイの外国人労働者

  10月14日の朝日、経済気象台欄より。ミャンマーの最低賃金制度が9月からスタートした。2011年の民主化移行後初めてのことである。日給で3600チャット(340円)。お隣のタイが日額で3百バーツ(約千円)、首都バンコクの賃金が4百バーツぐらいで、やっと人が集まるのが実態だ。ミャンマーの3倍か4倍の水準だ。ミャンマーと同様に、タイと接するカンボジア・ラオスも似たような賃金だ。結果として、タイには隣国から労働力の流入が続いている。外国人労働者の数は、2百万人~3百万人と言われ、タイの就労人口の一割にもなる。日本はどうか。実習生や南米移民の子孫など僅かである。移民、難民も同様だが、労働力としての外国人の少なさがゆえに、日本人は日本の排他性、差別性に気が付かない。このことが 世界から見ると異端なのだ。

2015年10月19日月曜日

(2717)杏が行く謎の巨大遺跡

  10月18日21時のNHKスペシャルより。今から約千年前に栄えたミャンマー初の統一王朝バガンは、初代国王アノーヤターにより多くのパゴダや寺院が建立されてきた。これだけの遺跡群がなぜ生まれ、現在までなぜ保存されてきたのか。研究が進むにつれ王や一部権力者が建立したのはごく一部で、何とごく普通の民衆が持てる材をなげうって築き上げたものという。石碑などを調べていくと、王から与えられた作業賃金の詳細が明らかに。庶民から集めた年貢を、王は建立した庶民に分配していたのだ。王は王なりに功徳を実践し、このようにして功徳の輪が回りだした。遺跡の傍の土産物店の主人は、今まで溜めてきた財産全部を使って、息子と共に近所の男の子20人を功徳式に招いた。お金は一瞬の幸せを得るが、功徳式招待は一生の幸せと語る。

2015年10月18日日曜日

(2716)いつまでも「よそ者」のまま ミャンマー難民ティンウィンさん」

  10月14日の朝日、耕論「難民と日本」欄より。ミャンマーから1996年に来日、難民認定を受けたのは99年。心の底から嬉しく興奮したが、入管では自分で仕事を探せとか冷たい仕打ち。ハローワークに通い、ある工場の仕事を何とか見つけ妻と3人の子供を呼び寄せた。ある日10歳の長男が学校へ行っても言葉が分からず涙を流す。関係団体に相談したが語学研修はインドシナ難民だけとのこと。なぜ出身国で差別するのか。来日して10年、子供3人は全員が大学を卒業して日本で就職した。2004年各国のミャンマー難民に「受入国で永住したいか」と質問した結果、米・豪は10割、カナダは9割、韓国は4割が「ハイ」だったが日本は2%。日本での難民は将来の生活が見通せず 社会保障も不十分。いつまでも私達は「よそ者」だ。私は近く帰国する。

2015年10月17日土曜日

(2715)民族対立 反スーチーの街 ミャンマー総選挙

  10月17日の朝日より。副題は「仏教徒〈イスラム教徒寄り〉不満」、「ロヒンギャ 投票権奪われ失望」。11月投票のミャンマー総選挙で、優勢と見られている野党NLDのスーチー党首が16日、9月からの選挙戦で初めて西部のラカイン州に入った。会場となった運動場には数千人が集まったが、「スーチー氏は仏教徒を重んじていないのか」などの厳しい質問攻めにあった。反スーチー感情の強い州都シットウェ―への訪問は見送られた。シットウェ―ではスーチー氏のポスターは一切見られない。スーチー氏は2012年に「多数派は寛大で同情的であるべきだ」と語ったが、この一言が不法移民を少数派とみなすのは納得できないと反スーチー派が強く反発。一方ロヒンギャ側は10万人のうち投票権のあるのは百人、数千人が船で逃れ大きな問題になった。

2015年10月16日金曜日

(2714)ミャンマー 8組織が停戦協定署名

  ミャンマーで内戦状態が続く政府と少数民族武装勢力が交渉してきた全国停戦協定の署名式が15日、首都ネピドーであった。和平実現に向けた一歩だが、署名したのは政府が認定する17組織のうち8組織。政府は残りのグループにも署名を促す意向だが、応じるかは不透明だ。署名したのはテインセイン大統領らとカレン民族同盟(KNU)やシャン州復興評議会(RCSS)の首脳ら(以上)。このニュースは15日の18:04のNHKニュースでも取り上げた。以下はNHK。カレン族などタイやインドと国境を接する地域を拠点とする武装勢力の多くが署名に応じたのに対し、カチン族など中国と国境を接する地域では、ほとんどの武装勢力が署名を見送り、交渉関係者の間で中国政府への不信感も広がっている。署名式には日本財団の笹川会長も証人として参加。

2015年10月15日木曜日

(2713)総選挙延期撤回 朝令暮改に批判 ミャンマー野党

  10月15日の朝日新聞より。ミャンマー選挙管理委員会が13日、11月8日投票の総選挙の延期を提案しながら、13日夜になって一転、撤回した。その「朝令暮改」ぶりに選管への不信が高まっている。選挙戦を巡っては、選管が公表した有権者名簿は間違いだらけで、運営も「与党寄り」と批判されてきたが、さらに懸念が高まっている。選管はティンエー委員長が13日午前、主要政党代表らとの協議で選挙延期を提案。だが、同日夜声明を出し、「起こりうる事態に配慮」して延期しないと決めたと表明した。だがスーチー氏の野党・国民民主連盟(NLD)幹部は、「総選挙延期という重大事項を、委員長が容易に言及すべきではない」と批判。与党が劣勢のなか、「延期したいのが本音だが、国内の批判に耐えられないと判断したのだと思う」と述べた。(以上)

2015年10月14日水曜日

(2712)ミャンマー総選挙延期提案 直後撤回

  10月14日の朝日新聞より。ミャンマー選挙管理委員会のティンエー委員長は、13日、主要政党の代表を集め、7月に北・西部で起きた洪水などを理由に、11月8日投票の総選挙の延期を提案、NLDは反対した。選管は13日夜、一転して国営テレビで提案を撤回するとの声明を出した。協議には主要10党が招かれUSDPやNLDなど7党が出席した。ティンエー委員長は「水害や土砂崩れが生じた地域での実施は困難」と新たな投票日を示さず延期を提案した。NLDが反対、USDPなど3党が賛成、他は態度を明らかにしなかった。元軍人のティンエー氏は大統領と国軍士官学校同期で元USDP下院議員。その中立性には疑念が持たれている。総選挙で躍進が予想されるNLD幹部は延期の提案に「与党が劣勢のため延期したいようだ」と話している。

2015年10月13日火曜日

(2711)イスラム教徒グループが、ミャンマー大統領と政府関係者を提訴

  10月9日のミャンマーニュースより。イスラム教徒グループ連合は、テインセイン大統領と政府関係者をニューヨークで提訴した。原告は、ビルマタスクフォースと19のイスラム教徒団体、及びロヒンギャのHLU氏。マンハッタン連邦裁判所に提出された訴状で、ロヒンギャは「テインセイン政権と過激派ナショナリスト僧侶による憎悪犯罪や差別大量虐殺の標的である」と主張。外国人不法行為請求権法の違反の疑いで、懲罰的損害賠償を求めている。この法律は米国外の行為でも米国の裁判所で不法行為を追求できる米国の法律。2011年の軍事政権終結後、反イスラムの感情が高まり、少なくとも200人が死亡、14万人以上が宗教による対立で迫害を受けている。ミャンマー政府は「ミャンマーが米国の連邦裁判所の訴訟を受ける理由はない」と一蹴した。

2015年10月12日月曜日

(2710)人権派弁護士息子も拘束 ミャンマー国境 中国当局が関与か

  10月12日の朝日新聞より。北京で7月に拘束された著名な女性人権派弁護士王宇氏の息子包卓軒さん(16)ら3人が今月6日、中国国境に近いミャンマーの街で、何者かに拘束され、失踪したことが関係者の話で分かった。失踪したのは包さんの他支援していたとみられる人権活動家の2人。3人は6日、雲南省との国境に近いモンラーのホテルで、現地警察の身分証を持つ約10人に連行されたが、現地警察は否定したため、中国当局が関与していた可能性もある。一帯は少数民族武装勢力が支配的で、中国人の往来も多い場所。支援者によると、3人はすでに中国に送還された可能性がある。中国当局は、7月から各地で人権派の弁護士を 国家政権転覆扇動の容疑で連行。拘束されたり、行動が制限された人は 280人を超え、監視が続いている。

2015年10月11日日曜日

(2709)人権団体、ミャンマー政府に「罪なき囚人」釈放を要求

  10月10日のミャンマーニュースより。10月8日、アムネスティ・インターナショナルは総選挙を1か月後に控え、約100名の「罪なき囚人」を釈放するように求めた。アムネスティによれば、現在ミャンマーには少なくとも91人が不当な理由で留置されている。その中には、教育法案の改善を求め、政府から暴力的な扱いを受けた学生54人も含まれている。また、仏陀のイメージ画像をフェイスブックに使用したニュージーランド人の飲食店店主は、仏教を侮辱した罪で2年半の留置が決まった。当局は表現の自由を委縮させており、拘束されている学生たちの健康状態はよくない。軍による抑圧政治は終了したというミャンマー政府の主張があっても、このような状況が続いていれば世界のリーダーたちは納得しない。選挙前のこの時期は改善する良い機会だ。

2015年10月10日土曜日

(2708)広告 ミャンマーへの旅

  10月10日の朝日新聞の広告から。珍しく「ミャンマーへの旅」と称するHIS社の全面広告が掲載されていた。6日間の旅行で観光地として取り上げているのが、バガン、インレー湖畔、ヤンゴンの他にカックー遺跡など。この遺跡は、2005年になり ようやく外国人旅行客に解放された秘境で、約2500もの仏塔が立つ神秘的な遺跡だ。成田発の直行便(希望者はビジネスクラスを+6万円)で、お土産にロンジーが付く。12回の食事がついて26万円~36万円。このほか5日間コース(16万円~31万円)もある(以上)。私がミャンマーを旅行したのは1995年から98年にかけての4回。最初の旅行で、いきなりビルメロに(ビルマにメロメロという意味、当時はビルキチとも呼ばれていたが今は禁句)、それから在日ミャンマー人に日本語教室を設立してしまった。

2015年10月9日金曜日

(2707)ミャンマーで証券免許

  10月9日の朝日新聞より。大和証券グループ本社は8日、ミャンマー当局から現地法人が証券免許を得られる見通しになったと発表した。当局の求める資本金を払えば、株式引き受けや、自己売買などの証券取引業務ができるようになる。年末には「ヤンゴン証券取引所」が設立される予定で、この現地法人が証券会社の役割を担うことになる(以上)。なお免許を取得するのは、大和インターナショナル・ホールディングスと国営銀行のミャンマー経済銀行が50%ずつ出資するミャンマー証券取引センター。1996年の設立以来、現地の投資環境の情報提供などを行ってきた。(以上8日の日経電子版より)。大和はこれにより現地で引き受け、株式などの売買、ブローカレッジ、投資助言業務などを行うことができるようになった(以上8日のロイター通信より)。

2015年10月8日木曜日

(2706)難民認定制度、人材・財政面の強化を

  10月8日の朝日新聞「私の視点」欄より。国連難民高等弁務官事務所駐日代表マイケル・リンデンバウアー氏の投稿。紛争や迫害から逃れ、家を追われた人が世界に6千万人いる。ドイツでは今年の難民申請者数は100万人以上との見方もある。日本でも審査中の件数が1万件以上に上り、結果が出るまでには数年かかる。これは増加する難民申請に対応する枠組みが整っていないためと考える。課題により良く対応するための優先事項は概要以下に説明する。①難民受け入れに関するあらゆる事項を統括する法制度の確立。②難民保護に関する業務を専門部局に統合する。③増え続ける難民申請に対応できるよう人材、財政面を強化する。日本は過去にインドシナ難民を保護したように、人道精神に則って難民に寄り添うときだと確信している。

2015年10月7日水曜日

(2705)ヤンゴンの交通渋滞緩和へ、BRT 12月開業予定

  10月7日のミャンマーニュースより。昨日はヤンゴン環状線の新車両のニュースだったが、今日はBRT(バス高速輸送システム)12月開業の話題。ヤンゴンでは渋滞問題を解決するためにヤンゴン市とJICAが「ヤンゴン都市圏交通マスタープラン」に基づいてBRTの整備を進めてきた。またBRTの開業に向けて、2014年にPUBLIC BUS社を設立。12月の開業に向けて、9月からバス停の工事が進められ、10月中には完成する予定。またBRTに使用されるバスは65台が手配ずみ。BRTシステムでは専用レーンと専用の停留所が設置される。支払いはICカードで行われるので、添乗員は同乗せず、ドライバーのみで運行される。関係者は 「ヤンゴン市街地を通過するには2時間程度要しているが、BRTシステムで大幅な時間短縮が見込める」 という。

2015年10月6日火曜日

(2704)日本譲渡の気動車 間もなくヤンゴン環状線で運行開始

  10月5日のミャンマー・エクスプレスより。ミャンマー国鉄は日本政府が譲渡した気動車(RBE)19編成を10月上旬より順次ヤンゴン環状線に投入する。既存の列車はこのRBEに換えられていく。気動車は人員や荷物を載せる空間と、動力源としての熱機関を併せ持つ鉄道車両。ミャンマーではRBE(RAIL BUS ENGINE)と呼ばれる。譲渡されるRBE列車の座席数は1編成あたり370席。妊婦や身体障害者向けの優先席も設けられるほか、300人以上が立ったまま乗車できる。9月28日にはヤンゴン中央駅で、JR東日本鉄道と運輸省出席のもとRBEと鉄道技術についての授与式が行われた。受与式までに到着したRBEは6編成、残る4編成は10月末に9編成は16年4月に到着の予定。料金は従来と変わらず一人当たり2百チャット(約18円)。

2015年10月5日月曜日

(2703)ミャンマー全土停戦 先送り 一部の少数民族は先行署名

  10月5日の朝日より。ミャンマー政府と少数民族武装勢力が交渉してきた全国停戦協定は4日、政府とカレン民族同盟(KNU)など一部組織だけが先行して署名することが決定。11月の総選挙までに成果を示したいテインセイン政権が「全土」での停戦を事実上見送った。政府と8組織は同日、ヤンゴンで協議し、うち7組織が15日にネピドーで署名式を行う予定。政府軍との戦闘が続くカチン独立機構(KIO)など他の7組織は、協議を欠席した。2月に政府軍と戦闘を始めたコーカンの武装組織などが協定に参加することを政府側が拒否、少数民族側は「全組織の参加」を主張し対立が続いていた。停戦に応じたのは主にタイ国境地帯の7組織。停戦により勢力地域の開発が進むことが期待される。なお政府側は、協定締結後も署名を受け付けるという。

2015年10月4日日曜日

(2702)難民申請:日本、認定に壁、根強い慎重論

  10月1日の毎日新聞より。日本への難民申請は昨年5千人に上った。これに対し、認定されたのは11人、他に110人が「人道配慮」で一時的在留を認められたが、「難民認定率」は1%に満たない。原因の一つは「難民」の解釈にある。1951年に採択された難民条約は、難民を①人種、②宗教、③国籍、④特定の集団の構成員、⑤政治意見・・・を理由に迫害を受ける恐れがある人などと定義している。近年は紛争から逃れてきた人を難民とみなして保護する国も多いが、日本は条約の定義に当てはまらない人は難民と認めず、「迫害の恐れ」の有無も厳格に審査している。滝沢三郎氏は、難民を非難先以外の国が受け入れる「第3国定住」の活用や、留学生としての受入れを提案し、将来母国を再建する人材を育成するのも国際貢献ではないか」と話す。

2015年10月3日土曜日

(2701)(地球を食べる)民族の微妙な違いが料理にも

  10月1日の朝日電子版より。ラカイン州の州都シットウエ―で取材を終えた後、現地記者がモンティの店に連れて行ってくれた。モンティとは同州に暮らす少数民族ラカインの緬料理で、ラカインモンティと呼ばれる。ラカインの代表料理だが、実はビルマ族の有名な緬料理モヒンガ―とよく似ている。お店の人に作り方を聞いたが、ほとんど一緒だった。ただ最大の違いはスープのだしに使う魚で、ラカイン族のモンティが海水魚を使うのに対し、ビルマ族のモヒンガ―は淡水魚。ラカイン族がベンガル湾の沿岸を中心に暮らしてきたのに対し、ビルマ族は中央部のイラワジ川流域に王朝を築いてきた。ラカイン山脈が隔てるそんな風土の差が、似て非なる二つの緬料理を生み出した。この他、シャンカウスエもある。多民族国家ミャンマーに暮らす醍醐味の一つだ。

2015年10月2日金曜日

(2700)EUの選挙監視団、先遣隊がミャンマーに到着

  10月2日のNNAニュースより。ミャンマーで11月8日に行われる欧州連合〈EU〉監視団が到着したことが分かった。9人の先遣隊が9月26日に現地に入った。EUがミャンマーに選挙監視団を派遣したのは初めて。EUの声明によると、監視団は総勢101人で、30人の長期監視団は10月7日、62人の短期監視団は11月2日にそれぞれミャンマーに到着する。総選挙実施後、監視団は48時間以内に評価を声明として公表する予定。後に最終報告書を作成するという。監視団の団長を務める欧州議会副議長のアレキサンダー・グラフ・ラムスドルフ氏は「総選挙はミャンマーの民主主義を強固にするための重要な機会となる」と指摘した。EUは8月総選挙に監視団を派遣することでミャンマー政府と覚書を結んでいた(以上)。与野党とも「正々堂々」を望む。

2015年10月1日木曜日

(2699)ウェブ写真集 戦後70年に学ぶミャンマー白骨街道のいま

  今年3月の発表であるが、あえてここに紹介する。無謀なインパール作戦で多くの日本兵が亡くなった退却路の一つに読売のカメラマンが入り、約20枚の写真を公開した。場所はチン州のティディム村の近くの「白骨街道」。インド国境から約10キロの地点で、日本軍の小型戦車、中型戦車の残骸が目につく。大部分は鉄くずとして売られたらしい。直径約10センチの砲弾や、銃剣も。また「イナバ」という名前が掘られた飯盒や、「九八」と読める水筒、そして星のマークの鉄兜も。また教会では火薬を取り除いた砲弾が鐘の代わりに使われ、遺品の中には「成田山」のお守りもあった。いずれも近くの住民が保存してくれていた。戦後70年経った今でも日本兵の遺留品が数多く残され、日本に帰れない遺骨が眠っている。日本の若者よ、この写真集を見てほしい。