2013年8月30日金曜日

(1935)隣国に向かう若者(サムイ島)

  8月30日の朝日(特派員メモ)より。休暇で訪れたタイ南部サムイ島のホテルで丸文字の張り紙を見つけた。「出入りの際は扉を閉めてください」・・・・。タイで働くミャンマー人は250万人とも言われる。首都バンコクなどで出くわすこともあるが、タイ湾に浮かぶリゾートにもいるのかと少し驚いた。レストランで若いスタッフに聞いてみた。彼は18歳でミャンマー南部のモン州から2か月前に来たばかりだという。「ホテルにはミャンマー人が50人ぐらいいる。ここでの仕事は楽しいよ」。ミャンマーで経済が活気づき始めた昨年、「タイ経済を底辺で支えるミャンマー人労働者が帰国し、急減するのでは」との「心配」が聞かれたが、事態はそう動いていない。ヤンゴンでは、不動産高騰に沸くが、地方は貧しいまま。仕事を求めて隣国を目指す若者たちに、しばし思いをはせた。

2013年8月29日木曜日

(1934)ANAミャンマー進出、現地の中堅航空に出資

  8月28日の朝日。ANAホールディングス(全日本空輸)は27日、ミャンマーの中堅航空会社に出資すると発表。成長が続く東南アジアの航空市場で事業拡大を図る。日本の航空会社がミャンマーに出資するのは初めて。ANAが出資を決めたのは「アジアン・ウイングス・エアウェイズ」、出資比率は外国企業に認められる上限の49%で、出資額は25億円程度という。アジアン社は、中心都市ヤンゴンなどミャンマー国内13都市に路線を展開する(以上)。アジアン社は2011年からミャンマー国内路線を運航する新興企業、航空機のリースやパイロットの育成など関連事業での協力も検討されている。ANAは9月30日から 成田~ヤンゴン間の運行本数を 週3便から7便に増加。機材をビジネスクラス38席の小型機から、ボーイング767型に変更し202席に拡大。

2013年8月28日水曜日

(1933)仏教徒国連に反発 ミャンマー「イスラム寄り」

  8月28日の朝日より。仏教徒とイスラム教徒の対立が起きているミャンマーで、国連や外国メディアに対する仏教徒の反発が強まっている。仏教徒に「国際社会はイスラム教徒寄り」との思いがあるからだ。経済や外交では海外とのつながりが強まる一方、宗教問題を巡っては孤立感が深まっている。マンダレーで6日、米誌タイムなどに対する僧侶ら約500人による抗議デモがあった。タイム7月1日号で仏教僧侶ウィラトゥ師の写真を「仏教テロの顔」とのタイトルとともに表紙に掲載し、これに仏教徒が反発した。国連人権理事会のキンタナ特別報告者がラカイン州を訪問すると、ラカイン族住民の抗議デモを受けた。同氏の報告書は「ロヒンギャ族差別に対する懸念」を表明していた。キンタナ氏が3月にメイッティーラを訪問した際も200人の群衆に取り囲まれた。

2013年8月27日火曜日

(1932)反イスラム暴動 止まらぬ仏教徒

  8月27日の朝日。ミャンマー北部ザガイン管区樺る近郊の村で24日夜、仏教徒の村民らが暴徒化し、イスラム教徒の家などに放火した。26日付の国営紙によると、57戸が焼失、2人がけがをした。ミャンマーでは3月以降、反イスラム暴動が繰り返し起きている。現地からの報道によると、イスラム教徒の男が24日、村の女性に性的暴行を加えたとして逮捕された。事件を聞きつけた村民ら150人が地元警察署を取り囲み、男の引き渡しを要求。家々に火をつけ始めたという。暴徒は約1千人に膨れ上がったが、治安部隊が出動し、事態は25日朝までに鎮静化した。同国では昨年、西部ラカイン州でイスラム教徒と仏教徒が衝突して以降、仏教徒の間で反イスラム感情が高まっている(以上)。どちらの宗教も立派な宗教なのに、なぜ人間を殺すのか 分からない。

2013年8月26日月曜日

(1931)世界銀行 ミャンマー通信規制機関への技術支援を表明

  「日本語で読むミャンマー新聞・メールマガジン」8月22日号より。経済発展に伴い、ミャンマーにいろいろな情報提供方法が現れてきた。その一つが、ミャンマーの新聞が日本語で読めるというサービス。月に200本、毎日メールで送るというもの。基本的には有料(月31500円)だが、無料で読める記事も2割ぐらい含まれている。だから当面はもっぱら無料会員。無料記事の中で気になった標記タイトルを取り出してみた・・・・。世界銀行はミャンマーの通信分野の規制や、ル-ル作りを担当する独立規制機関の設立、及び技術支援を行うと表明した。20-22日にはネピドー市でミャンマーコンピュータ連盟と、ロンドンのGSMA社がワークショップを開催している。発足当初は、同省管轄下の公務員が委員を務める予定だが 2015年以降は民間人を登用させる意向。

2013年8月25日日曜日

(1930)ミャンマーの縫製事情

  きらく会友人のN氏より、「繊維と工業」2013年8月号から抜粋した標記資料をいただいた。著者は浅井博康氏(2012年度HIDA専門家ミャンマー縫製人材開発センター)。内容は2009年以降、特に民主化が進んだ2011年以降のミャンマーの縫製産業はまだまだ発展すると考えらている。欧米の視察団に「日本向けに受注している」と話すだけで、品質管理の点で問題はないと理解される。しかし10年間の経済制裁の影響は大きく、縫製品の品質・生産性の向上は不可欠、しかも賃金上昇に勝るスピードでの改善が必要。ヤンゴンでは従業員の確保が今後難しくなる。日本の衣料輸入先は、中国が78%と圧倒的に多く以下、ベトナム、イタリヤ、インドネシアと続くが、いずれも1桁台。ミャンマーでは洋装化が増加し賃金は50ドル(月)ら90ドルに上昇中。

2013年8月24日土曜日

(1929)歩兵連隊戦史・戦記文献目録

  参考書誌研究・第31号(1986年3月・著者西村正守)を入手した。ここから86年以前のミャンマー関連戦記の発行状況が読み取れる。出版された書籍は国会図書館に集められているので、ここの文献目録は信用できる。これらの中からミャンマー(ビルマ)関連を抽出してみたところ、106冊を数えた。発行した著書は、必ず2冊は国会図書館に寄贈されるので、この106冊という数字は、調査時点(1986年)では信用できる。その後現在までさらに27年間経過しており、その間も多数のミャンマー関連戦記が発行されているので、一つの通過点と考えられる。私が先に発行した「ミャンマー関連書籍101冊紹介・あらすじ集」の第1巻では18件の戦記物を、第2巻では19件、合計37件を掲載予定。今回入手した106冊の目録は残念ながら題目紹介だけの予定。

2013年8月23日金曜日

(1928)読了189冊目:「ミャンマーが見えてくる」改訂版

   副題は「再建への姿とパゴダ文化」、田島高志(1993年~95年、元駐ミャンマー大使)著、2002年11月・有朋書院発行、267頁、1800円+税。第1章:ミャンマーとの出会い、第2章:ミャンマーの歴史と政治、第3章:軍政から民主化へ、第4章:ミャンマーの経済発展、第5章:日本との経済交流、第6章:名所旧跡・地方への旅、第7章:ミャンマー文化の魅力。 著者が大使として赴任していた間の活動ぶりを2002年に発表したもの。当時のミャンマーは軍事政権下にあり、日本は西欧諸国の経済制裁に留意しつつ、独自の支援を続けていた。本書の特色は、今まであまり外に知られていないミャンマー指導者の姿、民主化と人権問題についてのミャンマー首脳の発言、スーチー氏の釈放問題、経済建設の状況など具体的に豊富に紹介。元大使の発言に注目だ。

2013年8月22日木曜日

(1927)ヤンゴンで8888の式典(NHKBS1)

  8月21日夜10時からのNHK・BS1より。88年8月8日はミャンマー人にとって特別な日。ヤンゴンで行われたこの記念式典に、海外に亡命していた当時の学生運動指導者も招待された。8年間刑務所に収容された後、アメリカに亡命したソーゾーライン氏も、この式典に出席するために帰国した一人だ。この式典ではスーチー氏も講演し、政府幹部も出席するという、いままで考えられなかった光景。ミンコーナイン氏は、2015年に憲法を改正することを訴えた。一方、この式典に出席すべく、日本に亡命していたタンスエ氏も、大使館にビザ発注を依頼していたが、大使館側は、過去の犯罪歴を調査中との理由で、出国不能に。会場には数千人集まったが、お祝いムードはなく  政府側との和解はまだ見えてこない。ミャンマーに残った人と 亡命した人との関係も微妙。

2013年8月21日水曜日

(1926)日本の郵便システム ミャンマーに輸出協議

  8月19日の日経電子版。総務省と日本郵便はミャンマーに日本の郵便システムを輸出するため、19日から現地で協議を始める。年内にも協力計画を策定する見通しだ。政府は海外へのインフラ輸出を成長戦略の柱としており、総務省と日本郵便は精度の高い日本の郵便システムを東南アジア各国に輸出して、商機拡大につなげたい考え。ミャンマーでは、郵便の集配や仕分けなどの精度が低く、手紙やはがきを出しても大幅に遅れたり、無くなったりすることもある。郵便担当職員への教育やマニュアル整備なども課題であり、日本郵便は現地への専門家の派遣などを検討。郵便には、配達車両や仕分け機械の納入などで、民間企業がかかわる分野も多い。ミャンマーへの郵便システム輸出については5月に新藤総務相がミャンマー側担当大臣と合意済み。

2013年8月20日火曜日

(1925)中小企業のミャンマー進出支援 政府が相談窓口

  8月18日の日経電子版。政府は投資機会が広がっている、ミャンマーへの日本の中小企業の進出を本格的に支援する。中小企業庁は、ミャンマーで事業を展開する日本の中小企業が、トラブルに巻き込まれた際などに、対応する相談窓口を設置する。窓口は、茂木経産大臣が23日、ヤンゴンを訪ねるのに合わせて開く。インターネットを通じて、相談を受け付けるほか、日本貿易機構(ジェトロ)のヤンゴン事務所でも対応する。また、税制など現地の投資環境などの情報も提供する。本年10月上旬には、ミャンマーの工業省、商業省、商工会議所の局長級を日本に招き、研修してもらう。10月末ごろ、電力、水道、道路などの中小企業20社の経営者を日本に招く。アセアンは2015年に、経済統合を控えており ミャンマー国内外での物流の拡大も見込まれている。

2013年8月19日月曜日

(1924)読了188冊目:「ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー」

  田辺寿夫・根本敬共著、2003年5月・角川書店発行、251頁、800円+税。目次は、第1章:アウンサンスーチーの「解放」、第2章:日本はビルマとどのようにかかわってきたか、第3章:互いに影響しあうビルマ人と日本人、第4章:日本にビルマ人は何人いるのか、第5章:難民認定を求めるビルマ人をなぜ拒絶するのか、第6章:アウンサンスーチーという生き方、第7章:ビルマ経済の現状と市民生活、第8章:日本が果たすべき役割。共著の両氏は、ともにビルマ問題の第一人者であり、著作はいつも安心して読むことができる。今回は第1章、第2章、第6章、第7章を根本氏が、他は田辺氏が担当しているが、違和感なく全編スムースに読むことができる。現在(2013年)ミャンマーは大きく民主化の方向に舵を切っているがそれ以前の過程がよく描かれている。 

2013年8月18日日曜日

(1923)真の民主化へ、戦い続ける元学生たち

  8月17日の朝日DIGITAL版。DIGITAL版の記事は、新聞には掲載されておらず、PC画面上だけで見られるニュースのようだ。8月8日、ミャンマー・コンベンションセンターに数千人が集まり、8888記念の式典が開かれた。マンダレーでも、モーラミャインでも。この日は、ミャンマー人にとって特別な日なのだ。「シッレーロン」(4つの8)の記念行事は、海外では開催されていたが、今回は初めて国内で開催された。主催は、全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)だが、与党・連邦団結発展党のテーウー幹事長も出席、ミンコーナイン氏の出迎えを受けたスーチー氏も出席し、立場を超えて民主化を進める必要性を訴えていた。ミャンマーの民主化問題といえば、スーチー氏ばかり注目が集まるが、88年世代学生グループもおり50歳前後となった彼らの活動は続いている。

2013年8月17日土曜日

(1922)双日 ミャンマーで食品卸、小売り最大手と合弁

  8月16日の日経電子版。双日はミャンマーで食品などの卸売事業に参入、現地の流通最大手と合弁会社を設立。海外メーカーなどから仕入れた加工食品や、日用品を現地のスーパーやコンビニに販売する。同国では、メーカーと小売業者をつなぐ中間流通の業態が根付いていない。共同配送や低温物流のシステムをいち早く構築し、成長市場を取り込む。ミャンマー小売り最大手のシティーマートグループ(CMG)が60%、双日が40%を出資し、CM双日を9月に設立。資本金は3億円、本社はシンガポール。CMGはヤンゴンなどでスーパーなど40店を展開、年間延べ1千万人の利用客を抱える。CM双日はまずCMGの店舗にタイや日本企業から仕入れた食品等を供給する。受発注から決済まで一括管理する仕組みや、生鮮用品の低温物流網も整備する。

2013年8月16日金曜日

(1921)断たれた夢語る自画像 ビルマで戦没 梅沢さん

   8月15日の朝日(千葉版)より。副題は情熱半ば「絵筆を銃に」。戦時中、絵筆を銃に持ち替え、戦場に散った画学生たちがいた。ビルマで亡くなった佐倉市出身の梅沢一雄さんもその一人。美術への夢半ばで断たれた若き情熱。残された自画像の眼差しが、「戦争とは何か」を語りかけている。15日、68回目の終戦記念日が巡り来る。41年12月、国内の展覧会で入選を重ねていたころ陸軍に召集され、43年に南方へ出発、1年後ビルマで戦死との連絡が弟の徳次郎さんに入る。24歳。2009年梅沢さんの遺作数点を美術館「無言館」に託した。友人には日本の画壇をリードした著名画家もいる。3年前、徳次郎さんは初めてミャンマーを訪れ「兄が立ち寄ったかもしれない街」を訪問した。戦後68年、徳次郎さんは「戦争とは何か、日本人はもっと関心を」という。

2013年8月15日木曜日

(1920)読了187冊目:「アキバとミャンマーを結ぶ!」

  副題は「中年ITベンチャーの挑戦」、岩永智之著、2012年10月・カナリヤ書房発行、164頁、1400円+税。著者はグローバルイノベーションコンサルティング(株)社長。目次をみると、第1章:なぜミャンマーなのか? 第2章:中堅・中小企業の海外進出での考慮点と解決策、第3章:ミャンマー進出のアドバンテージ、第4章:ミャンマーでの会社設立、第5章:今後のミャンマーにおけるリスクマネージメント。なお、なんだか意味深長な表題であるが、アキバ(秋葉原)というのはITの盛んな街であり、著者の会社もここにあるために付けたタイトルのようだ。ミャンマービジネスに飛び込んで成功した著者が、今後、ミャンマー始め東南アジア進出を目指す中小企業や、個人の方々に対し、広い角度から問題点を解説しているので、ぜひ読んでいただきたい書であろう。

2013年8月14日水曜日

(1919)反イスラムミャンマー過激仏教僧

  8月14日の朝日から。「野生の象と人間は一緒に住めない。追い出さなければ人は殺されてしまう」。マンダレーの説法会でウィラトゥ師(45)の声が響き渡る。師が「野生の象」と例えたのはイスラム教徒だ。ウィラトゥ師は、ミャンマーの反イスラム仏教僧として世界の注目を集めており、「ミャンマーのビンラディン」とも称される。米誌タイムの7月1日号で「仏教テロの顔」とのタイトルと共に、表紙になった。ミャンマーの地元紙や仏教界は猛反発、政府は同日号を発禁処分にした。今後イスラム過激派のテロが、仏教徒に向かう兆しが出てきた。イスラム信者急増に危機感を抱いた仏教徒に民族主義が台頭し、すでに周辺国(インド東部、インドネシア・ジャカルタ、マレーシアなど)を巻き込んで、仏教寺院や ミャンマー大使館を狙った爆発事件(未遂)などが 発生している。

2013年8月13日火曜日

(1918)ミャンマーに防災協力

 8月13日の朝日より。 ミャンマー訪問中の太田昭宏国土交通相は12日、首都ネピドーでニャン・トゥン・アウン運輸大臣ら、防災担当の3大臣と会談し、防災対策の強化に向けて協力することを盛り込んだ共同声明を発表した。ミャンマーでは、大雨による水害がよく起きており、気象観測や災害時の避難対策など日本の技術や、ノウハウを紹介して、協力を深める。経済成長が見込めるミャンマーで今後、日本企業が堤防建設などの、防災関連事業を受注しやすくする目的もある(以上)。一方、同じ8月13日の読売によれば、ミャンマー3空港国際入札で、日本勢は受注は1か所(マンダレー国際空港)のみで、ヤンゴン国際空港は地元財閥と中国企業の連合に敗れ、新設のハンタワディ国際空港(バゴー近辺)も韓国勢などの連合が落札した。まさに国際総力戦だ。

2013年8月12日月曜日

(1917)ミャンマー政府JFEとインフラ合弁 開発加速

  8月10日の日経電子版。JFEはミャンマー政府と橋梁などのインフラ建設の合弁会社を設立する。2011年の民主化以降、同国政府が日本企業と合弁会社を設立するのは初めて。外資の技術力を取り込んで、経済の高度化を薦めたい政府と、拡大する市場への本格参入を目指すJFE側の思惑が一致した。日本企業の進出に一段と弾みがつきそうだ。日本企業の主なミャンマー進出の動きは次の通り。丸紅:三菱商事や住友商事と工業団地を開発。住友商事:NECと高速大容量の光通信網を整備。阪急阪神エクスプレス:現地法人を設立し国際貨物の輸送手配。王子ホールディングス:段ボール工場の建設。ユニチャーム:現地企業を買収し、紙おむつなど販売。JTB:合弁会社を設立し、空港と市内を結ぶバスを運行。日本ハム:丸紅と鶏肉事業に参入 など。

2013年8月11日日曜日

(1916)歯科治療支援に取り組む永坂哲先生

  8月2日のUNHCRリリースより。鶴見大学国際交流センター准教授・主任の永坂先生は、3年以上鶴見大学の大学病院で、難民申請者の方々に無料で歯科治療を行っている。国連UNHCR赤野間前理事長から難民の話を聞いたのがきっかけ。難民の人たちは、歯科治療に慣れていない人が多いので、治療を受けるように説得し、怖がっていた人ほど治療後の快適さに感謝していたので、私も救われた。活動開始から丸3年経過し、112人30か国の人を診察した。難民の人は、苦労してるせいか、人への感謝の気持ちが非常に大きい。また学内でも、当初は難民のことをほとんど理解していなかったけれど、今は「お互い同じ人間なのだ」と認識を深め、「今までと同じように診察すればよい、特別なことは何もない」と気づいてきた。難民支援に「生きがい」を感じると。

2013年8月10日土曜日

(1915)JICA 貧困削減など重点支援

 8月10日の朝日。 ミャンマーを訪れた田中明彦・国際協力機構(JICA)理事長は9日、改革を進める同国に、貧困削減と人材育成、インフラ整備の3分野で重点支援する考えを示した。最大都市ヤンゴンでの記者会見で語った。日本はミャンマーによる約5千億円の延滞債務の解消を決めたが、田中理事長は、「民主化に向かうミャンマーを支援するためには必要だと、(日本)国民の理解を得ている」と地元記者に説明した(以上)。なお、7月23日のJICAの発表によれば、JICAはミャンマー鉄道事業を支援し、ヤンゴン~マンダレー間に急行列車を運行させることを検討している旨を発表。最高時速120kmの急行列車が走行すれば、ヤンゴン~マンダレー間をを8時間で結ぶことができる。ただし、鉄道敷設距離が620kmに達する工事は長期間に及ぶと想定。

2013年8月9日金曜日

(1914)ミャンマー「闇に光が差してきた」

  8月9日の朝日。ミャンマーで1988年にあった民主化運動を記念する式典が8日、ヤンゴンで初めて開かれた。運動を指導した元学生活動家らの主催で、式に出席した野党党首スーチー氏は、さらなる民主化に向け、国民和解や憲法改正の必要性を訴えた。8日は、民主化運動に多くの国民が加わる契機になった、88年のゼネストからちょうど25年の記念日、国内での式典開催はテインセイン大統領の改革で、政治的自由が広がったことで可能になった。スーチー氏のほか、少数民族政党の代表、運動で命を落とした学生の遺族ら数千人が参加。スーチー氏は、「国の発展には平和と自由の両方が必要」と指摘、国内和平と憲法改正を「実現しなければならない」と述べた。20年間の獄中生活を強いられたミンコーナイン氏は「信念はかなうもの」と感慨を語った。

2013年8月8日木曜日

(1913)慰安所 朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどで綴る

  8月7日毎日新聞記事(STさん提供)。第2次世界大戦中にビルマとシンガポールの慰安所で働き、その様子を綴った朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった。男性は1942年に釜山を出発した「第4次慰安団(703名)」に参加し、44年に朝鮮に戻った。慰安所従業員の日記の発見は日韓で初めて。現場にいた第三者による記録は冷静な議論をする上で貴重な資料といえる。発見者は安ソウル大名誉教授で、堀京大教授や木村神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。安名誉教授は「朝鮮では募集は業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的にはなかったはずだ」との見解を示した(以上)。たまたま今朝(8月8日)の朝日には、米カリフォルニアで慰安婦像の設置計画に韓国系が後押しし、抗議・支持で日系社会が大きく揺れている旨報道されていた。

2013年8月7日水曜日

(1912)アセアンから観光客呼び込め

  8月6日の朝日、副題は「ビザ、さらに3か国緩和へ」。菅官房長官は5日、ミャンマー、ラオス、カンボジアから日本への旅行客に対する観光査証(ビザ)について、年内をめどに要件を緩和する意向を示した。東京都内であった日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)の観光交流を進めるための懇親会で、「緩和に向けて12月までに結論を見たい」と話した。3か国については、これまで日本を訪れるたびにビザが必要だった。これを、期限内なら何回でも行き来できる(数次ビザ)を発給できるようにする方向だ。政府は、東南アジアからの誘客に力を入れ、7月にはタイとマレーシアのビザは免除し、ベトナムとフィリピンには数次ビザの発給を認めている。今回はその第2弾となる(以上)。全日空が9月から毎日直行便(成田・ヤンゴン)を運航するという情報もある。

2013年8月6日火曜日

(1911)ミャンマーの麻薬王が残したビジネス王国

  8月5日の日経電子版。ミャンマーで指折りの富豪だったロー・シンハンさんが亡くなったのは7月6日、日本ではほとんど報じられなかった。生地は中国との国境に近いコーカン、ここの民族コーカン族は、中国大陸から移住してきた漢民族だ。コーカンでも自治を求める反政府勢力が台頭していた。親政府側の少数民族指導者としてロー・シンハン氏が台頭し、麻薬ビジネスの免許を政府から与えられた。ベトナム戦争が激しかった頃、「黄金の三角地帯」で、ヘロインのゴットファーザーと呼ばれた実力者が同氏だった。88年のクーデター後、彼は息子と共にアジアワールドという会社を立ち上げ、いまやミャンマー最大のコングロマリット企業に成長している。ネピドーや、ヤンゴンの飛行場、チャオピュー港、ティラワ工業団地など、いずれも 彼が手がけたと 豪語していた。

2013年8月5日月曜日

(1910)読了186冊目:「アジア恋愛のススメ」

  副題は「七転八倒、ビルマの花嫁日記」、風海りんね著、2001年3月・KKベストセラーズ発行、255頁、533円+税。目次は、第1章:アジアで恋して、第2章:国境越えての遠距離恋愛、第3章:私達の結婚に政府が反対? 第4章:逃避行とビルマの味わい暮らし、第5章:ビルマな人々とビルマな人情。アジア人との恋愛に失敗、傷心を抱きながら旅だった行き先が、またしてもアジア。ビルマのホテルで働くビルマ青年との運命的な出会い。彼からのラブレターが12編、ミャンマーは国際結婚がタブー視されるお国柄であり、裁判所で結婚届を拒否されたり、不穏分子として警察の監視下に置かれたり、一時は彼が留置場に入れられる事態などもう大変。でも電気も水道もない田舎の生活に憧れ、温かいビルマの人情に泣かされる。日本人花嫁、波乱万丈の挑戦。

2013年8月4日日曜日

(1909)祖国を思う(日本で、ミャンマーで)

  8月3日の朝日夕刊。間もなく「8888」から25年だ。日本からミャンマーへ帰国した2人と、帰国を望まない在日ミャンマー人2人、計4人の写真が大きく掲載されていた。帰国組は、ミョーミンスエさん(1991年偽造旅券で来日、難民認定を受け関西学院大学から東大大学院へ、5月に帰国)。もう一人はチョータンさん(2011年に13年ぶりの帰国、「貧しさは当時と変わっていない」という)。一方帰国断念組は、ティンリンさん(53歳、北区在住、97年に来日、難民申請を出し続けているが、認められていない。国が変わっても軍人が変わらなければという)。この人物写真は暗くてはっきりしないが、我々の周辺ではよく知られた真面目な人物だと思うが。最後は、キンミョーミョーさん(92年娘を残して来日、娘に会いたいが、国が変わったというのは信じられないという)。

2013年8月3日土曜日

(1908)ミャンマー和平会合、今月末に

  8月3日の朝日。ミャンマー政府と、少数民族武装組織の連合体である統一民族連邦評議会(UNFC/加盟11組織)の恒久平和に向けた2回目の会合が、8月最終週にタイ北部チェンマイで開かれる見通しとなった。UNFCが2日に開いた記者会見で明らかにした。UNFCと政府側代表との初会合は2月に開かれたが、実質的進展は見られていない。UNFCはワ族やコーカン族など非加盟の少数民族組織も集めた初の「民族会議」を1日までの4日間チェンマイで開催。真の連邦制導入のため新憲法制定を目指すなど政府側との交渉方針を決めた。次の会合で政府側に伝えるという(以上)。ミャンマーが抱える2つの問題のうち「民主化」の方は経済発展を中心に進んでいるが、この「少数民族問題」はやっと第一歩を踏み出した感じ。ビルマ族による妥協が必要。

2013年8月2日金曜日

(1907)解放が約束される中 活動家の逮捕が続く

  7月29日のAMNESTY・国際事務局発表ニュース。アムネスティ・インターナショナルは、今年の終わりまでに、良心の囚人をゼロにすると、テインセイン大統領が、最近発言したことに対して、疑問を投げかけてきた。大統領がロンドンでこの約束をした同じ日に、ビルマのヤカイン州では警察が人権活動家ウチョーフラアウンさん(74歳)を恣意的に拘禁した。彼は平和活動に関与したとして16年以上拘禁され、その後も当局から嫌がらせ受け続けている。昨年6月には、ヤカイン州での仏教徒とイスラム教徒間の衝突後、ロヒンギャ支援活動家数名とともに拘禁された。その後も、7月10日には、バゴー地区の活動家ワイピョーさんも起訴された。彼は、民主化運動グループの若手代表である。アムネスティは、大統領が前述の約束を遂行していくことを注視している。

2013年8月1日木曜日

(1906)ミャンマーで旧日本兵の遺骨情報21件 市民団体発表

  7月30日の朝日DIGITAL版より。(朝日新聞社もいろいろな情報ネットを構築してるな)。ミャンマー(ビルマ)で旧日本兵の遺骨調査をしている市民団体29日、都内で記者会見し、二つの少数民族が、支配する地域から計21件の遺骨情報が得られたと発表した。内戦の影響でこれまで調査が難しかった地域での遺骨の分布を把握するため、タイに本部を置く「タイ日教育開発財団」が14の少数民族に調査を依頼。得られた情報の中には、病死した日本兵1人の遺体を崖から投げ込んだ、など具体的な証言もあったという。来年2月まで調査を続ける。問い合わせは「ミャンマー/ビルマ遺骨帰国運動」事務局(045-431-1434)へ(以上)。このニュースには写真や動画も含んでおりDIGITAL版と称している。今後このような形式の話題提供が増えるのかもしれない。