2011年3月31日木曜日

(1052)ビルマ「民政移管」完了 しかし

(2011年3月31日)
  今朝の朝日新聞は、ビルマの首都ネピドーで、3月30日テインセイン首相の大統領就任式があり、軍事政権の最高意思決定機関である国防平和発展評議会(SPDC)は解散したことを報じた。軍政トップのタンシュェ氏は式には参加せず、SPDC議長だけでなく国軍司令官の地位も退いた可能性が高い。形の上では故ネウイン将軍時代から49年続いた軍政が終わった。しかし新閣僚の9割近くが元軍人で、大きな路線変更はないとみられる。なお、非常時には大統領以上の権限を持つ国軍司令官には、ミンアウンフライン大将(前総参謀長)が就任。なお昨日(3月30日)の読売新聞によれば「民政移管後も検閲、言論統制 軍政と変わらず」との見出しで、新政府が発足する4月1日以降も、内外の政治、経済、社会の各分野のニュースを扱う新聞、雑誌の検閲を続ける方針だ(以上)。民主主義にはほど遠い。

2011年3月30日水曜日

(1051)4月6日 全国一斉面会行動

(2011年3月30日)

  全難連からの情報によれば、2011年4月6日(水)に全国統一的な一斉面会行動が予定されている。場所は、入国管理センター(牛久、茨木、大村)と地方局(東京、横浜支局、名古屋、大阪)の7箇所、要求内容は、①長期収容者、再収容者、重病者を即刻仮放免すること。②仮放免者の再収容を止めること。③仮放免者に在留特別許可を与えること。なお、入管関係では以下のような不祥事が頻発しているという。08年1月:西日本センターでインド人男性が自殺。09年3月:東京入管で中国人男性が自殺。10年2月:東日本センターでブラジル人男性が自殺、10年3月:西日本センターで大規模なハンスト。10年3月:成田空港の機内で退去強制のガーナ人男性が死亡。10年4月:東日本センターで韓国人男性が自殺、10年5月:東日本センターで大規模なハンスト。入管が方針を固執する限り続くとしている。

2011年3月29日火曜日

(1050)東京都新宿区百人町の放射能

(2011年3月29日)

 福島原発事故に関連して、多くのビルマ人が住む新宿区百人町近辺の放射能の強さが気になる。付近には大久保駅や新大久保駅があり、町として大久保、北新宿、高田馬場もある。さてこの地区の空気中の放射線量は毎日2時間おきに測定されており、地震発生の3月11日前後が、0.03マイクロシーベルト、3月22日以降やや高めの0.13マイクロシーベルト、3月27日、28日は0.11マイクロシーベルト。我々は自然界から1年間で2000マイクロシーベルト、胸部Ⅹ線写真1回で、50マイクロシーベルト被曝している。このように考えると、百人町の数値は健康に全く問題のない領域であり、今までどおりの生活でなんら問題ない。むしろ毎日2時間おきに文部科学省が測定してるということは頼もしい限りだ。百人町のそばには東京都庁があり、日本一うるさい石原慎太郎がいる、彼が騒がない限り大丈夫。

2011年3月28日月曜日

(1049)JLNRニュース:ビルマ関連問題

(2011年3月28日)

  JLNR(全国難民弁護団連絡会議)の3月第4週の難民ニュースに下記の記載があった。 ◇シャン族反政府勢力の「支持者」が追い出される(DVB:2011年3月24日)。 ◇ビルマ軍が2日間の空爆と戦闘で、ナムラオのSSA‐N基地を制圧(Mizzima:2011年3月24日)。 ◇アラカン人100人が2月の爆弾事件への関与容疑で逮捕され、一部が拷問を受ける(DVB:2011年3月24日)。 ◇政府が海外とのインターネット通話を禁止する命令を発布(Mizzima:2011年3月16日)(以上)。同じくJLNRから福岡高裁でのロヒンギャ民族に対する勝訴判決が出た旨報告があり、判決理由の補足として、「総選挙後も、ビルマの人権状況は改善したとはいえないこと」と述べられており、この点は他の裁判でも利用できるのではないか(以上)。私は多くのビルマ人難民申請者と面会してるがいずれも貴重な情報だ。

2011年3月27日日曜日

(1048)ビルマ今週のニュース(1110号)

(2011年3月27日)
  BURMAINFOのニュースから抜粋。 ★タイ国境近くのビルマ北東部で4日にM6.8の地震がおき、ビルマで少なくとも65人が死亡した旨国営ラジオが伝えた。 ★3月24日現在、新内閣は発足していない。テインセイン氏の大統領就任は4月1日との推測がある。 ★ビルマ政府は3月2日付でスカイプなどVOIPを使った海外との通話を禁止するとの通達を出した。 ★スーチー氏が東日本大震災の犠牲者に哀悼の意を表するメッセージを日本大使館に送った。また、軍政の首相と外相も被害者への弔意を表明した。 ★スーチー氏が東京新聞にメッセージを贈った。NLD党員による詩も。 【なお1109号の内容】 ★国軍最高司令官(現在はタンシュエ氏)が自由に使える特別基金法が制定されていた。 ★国連のキンタナ人権特別報告者は、ビルマでの人権侵害について国連調査団の設置を改めて勧告した。

2011年3月26日土曜日

(1047)スーチーさんから被災者への手紙

(2011年3月26日)
  昨日に続き、スーチーさんからの手紙(東京新聞掲載)も紹介します。 もし言葉によって日本の皆さんを十分に慰めることができるなら、私は毎日日本の皆さんに手紙を書くでしょう。地震と津波のことを聞いたとき、私はすぐにラングーンにいる日本の大使に手紙を送り、あのようなすさまじい震災に対処しようと闘う日本の皆さんのことを私たちがどれほど心配しているか伝えようとしました。皆さんのご様子が気にかかるのはもちろんですが、皆さんが不平を漏らさず、強い意志と自制心で困難と逆境に立ち向かわれていることを尊敬してやみません。こうしてメッセージを記しているときにも、震災によって身体的・精神的に傷を負った方々や、損失を受けながらも生き抜くために精一杯の努力をしている方々のことを思い続けています。NLDのメンバーが、日本の皆さんへのいたわりの気持ちを示すべく、詩を作りました。

2011年3月25日金曜日

(1046)スーチーさんから「日本の被災者へ」

(2011年3月25日)
  突然、大きく大地が揺れ、おまえは襲ってきた。それはまるでテロリストのように。猛り狂う波は、数え切れない家々を飲み込み、街の灯火を消した。優雅な桜が咲く学校も都会的な街並みも壊し、大勢の人たちの命を奪った。子供を失った親や離れ離れになった夫妻の涙が川のように流れ、辺りに叫び声が響く。地震よ、止まれ。津波よ、止まれ。おまえたちのせいで失ったものは計り知れない。地獄のような光景を耳にし、遠く離れたビルマの地から日本で暮らす人たちを想う。私たちはあなたたちと同じ思いでいる。だが、いま日本人たちは手を取り合い、復興を成し遂げようと悲劇に立ち向かっている。獰猛(どうもう)なおまえはあらゆるものを壊したが、人々の絆までは壊せなかった。私たちは信じている。人々の絆を、そして日本の明日を(以上)。東京新聞掲載、作者はNLDのメンバー、翻訳はマウンミンニョー氏。

2011年3月24日木曜日

(1045)激減した帰国希望者と面会者

(2011年3月24日)
  きのうはボウッダフーネ(水曜日)、品川詣での日だ。我ながらよく続いていると感心する。先週は入管を取り巻く帰国希望の外国人の列にビックリしたが、きのうは行列はみられず、逆に誘導すべく動員された入管係官の姿だけが多くみられた。帰国した外国人が、また笑顔で戻ってくる日本であることを望む。一方、面会控え室もいつもと比べて大分少ない感じだった。面会者のための椅子は36個あり、いつもは座れきれず立ったままの面会者が大勢いるのだが、きのうは椅子の半分は空席、面会どころじゃないのかなと思う。きのうは3人のビルマ人難民申請者(女性)に面会した。そのうちの1人は、顔色が悪く高血圧で体の左半分の麻痺と目まいを訴えていた。脳梗塞が心配なので保証人を通じて入管に仮放免をお願いするよう教えてあげた。他の一人は毎週私に日本語の手紙をくれる。文章がとても素敵だ。

2011年3月23日水曜日

(1044)あれれ、もしかしたらわが街も被災地?

(2011年3月23日)

  昨日に続きわが街の被災状況を説明する。今朝の朝日新聞によると、「習志野市、液状化、下水道に被害、1万3400世帯に影響」、「市、節水を呼びかけ」と出ていた。内容は、習志野市は22日、同市袖ヶ浦、秋津、香澄、谷津の4地区(計28900人)が液状化の影響で、下水道が流れにくくなっていることを明らかにした。「下水を流し続けると、トイレなどの逆流や道路への汚水流出が起きることが予想される」として、節水への協力を呼びかけている。私は昨日、雨の中カメラを片手に市内を歩いてみたが、道路に砂+海水の噴出跡が無数にあり、この結果、道路の亀裂、下水マンホールの飛び出し、電柱の傾斜、電線の垂れ下がりなど被害は市の発表よりははるかに大きい。特に近くの5階建てのマンションの住人は、公園に設置された簡易トイレまで通うことになる。とうとうわが街も被災地となってしまったのか。

2011年3月22日火曜日

(1043)地震と液状化現象

(2011年3月22日)

  今回の地震で在日外国人のショックは大きかったと思う。「日本にいる外国人のための情報」がいろいろなボランティア団体から発信されている。今日は日本人でも理解し難い「液状化現象」についてお知らせする。3月11日の東日本大地震の際、私が住む習志野市の海岸近くの埋立地では液状化現象が生じ、埋め立てに使った砂が海水と混ざり合って強く振動し、地中の隙間を通って地表を押し上げ、砂+海水の吹き上げ、道路舗装の盛り上がりと破損、下水管の破損、下水用マンホールの地上突出、電信柱の傾斜等を引き起こした。幸い、私の住む住宅街は、道路より1メートルぐらいさらに高いので、何も被害はないが、近くの団地周辺では、下水道の本管が詰まり、下水が道路に溢れたところもあり、今日も回覧板で仮設トイレが公園などに80基も設置されたという。ディズニーランド周辺でも被害が出てる。


2011年3月21日月曜日

(1042)第三国定住難民 支援研修が終了

(2011年3月21日)
  第三国定住の第一陣、カレン民族の5家族27人が昨年秋に成田に到着し(868参照)、その後新宿区で日本語教育など半年間の定住支援プログラムを終え、9日その修了式が行われた。3月中に2家族12人が千葉県八街市に、3家族15人が三重県鈴鹿市のいずれも農業法人に就職する予定(以上毎日新聞)。既に農業法人名は私の手元にあるが、相変わらず政府の情報規制が厳しいようなので、ここでは伏せておく。ただ私にはなぜ情報を流さないのか気にかかる。それと同時に、僅か半年間の日本語教育で、日本人社会に溶け込めるかも不安、引き続き日本語教育に努力してほしい。3年間で90人が来日の予定というが、今後彼らが農作業に従事するとなれば、若者の少ない日本の農業に活気が増すであろう。千人でも1万人でも定住すれば、彼らにとっても、日本の農業にとっても未来は明るい。

2011年3月20日日曜日

(1041)関西学院大学難民枠第一期生卒業

(2011年3月20日)
  日本で生活する難民を対象に、関西学院大学が国内で始めて設けた推薦入学・奨学制度の第1期生で、総合政策学部4年生のビルマ人、ミョ-ミンスエさん(41歳)が卒業式に臨む。途上国の発展に繋がる経済政策や、法制度、環境などを学んだ彼は、4月から東京の大学院に進む予定。88年事件のころ高校生であった彼はビラ配りなどに参加、大学在学中の91年に来日、05年に難民認定を申請した。彼は「以前は軍政を憎むばかりだったが、互いに許し合い、理解し合うことの大切を知った」という。かつて同じように発言したミャミャウインらがいるので気になる。さて一方、同じ大学の難民枠に、アウンミャッウイン氏が法学部政治学科にいる。彼はミンガラ日本語教室に在籍したことがあり、平和の翼」という日緬両国語で書かれた雑誌を発行し、私にも送っていただいてる。彼とミョーミンスエ氏との関連は不詳だ。

2011年3月19日土曜日

(1040)東日本大地震 ビルマの反響は②

(2011年3月19日)
  昨日に引き続き、ミャンマー日本語教室のブログを紹介する。○16日、ヤンゴンでは電気が24時間供給されるようになったのに、東京では計画停電とはなんと皮肉なことか。東電の計画停電が無計画と報道もされている。ミャンマーでは時間が来ると問答無用で電気が切られる。ミャンマーでは1か月分の計画停電のスケジュールが発表されるので、行動計画が立てられる。ヤンゴンでは、計画停電地区内の病院、宗教施設、マンションのエレベーターには電気がチャンと来ている。東電職員は経験豊富なミャンマーでノウハウを習うべきだ。○17日、今朝4時の気温は18.5度、信じられない低温だ。帰宅時間の5時になると、冷たい風に冷たい雨。早朝のクラスは半分が欠席してた。生徒に今日は寒いし雨だし、生徒は来なかったね」というと、「先生知らないんですか、この雨には放射能が含まれているんですよ」と。

2011年3月18日金曜日

(1039)東日本大地震 ビルマの反響は①

(2011年3月18日)
  ミャンマー日本語教室の中西先生のブログから市民の反響を紹介しよう。○12日:ネイピードーの知人から「日本が大変、最悪の状況だ」との電話が。千葉にいる奥さんの無事は確認。○13日:授業の際「先生、日本で原発が爆発したそうですね」との質問が、新聞には市原市のコスモ石油が炎上してる写真に「原発が爆発、炎上してる」との説明が。マンションのおしゃべりおばさんは「原発が大爆発、東京は放射能に汚染され、火の海」だと。○14日:「名古屋にいる社長と連絡取れない、名古屋は大丈夫か」。○15日:ミャンマーの生徒に津波とは何かと聞くと「大きくて高い波」と答える。台風のときの大きな波を考えているようだが実態は「あらゆるものを破壊する巨大な鋼鉄の塊」と考えた方がいい。2008年のサイクロンのときミャンマー人がお互いに支えあったように、日本人も一致団結して頑張ってほしい。(続く)

2011年3月17日木曜日

(1038)JLNRから入管への要請書

(2011年3月17日)
  JLNR(全国難民弁護団連絡会議)の渡辺彰悟代表から入管関係者宛に、東北関東大震災に関連して、被収容者の取扱に関する要請書が16日に送られた。概要は下記の通り。①被収容者処遇上の緊急災害時の対応の規範を確認、点検し、職員に徹底させること。また被収容者の恐怖や言語上の障壁を考慮すること。②今後想定される最悪の事態に備え、被収容者を原則として仮放免許可すること。③すでに仮放免許可を受けている者の出頭確認および仮放免延長手続きについては、交通途絶、計画停電等の状況に鑑み、無理な出頭を強いないよう、日時の延期、及び職権による更新許可等の適切な対応をすること。以上、詳細は(http://www.jlnr.hp/)。面会で彼女らに聞くと、今回の地震はすごく怖かったが、どうしたらよいのかわからなかった。地震の際せめてドアを開け放しておいてほしいとの事。

2011年3月16日水曜日

(1037)外国人は日本にいなくなる?

(2011年3月16日)
  今日は品川ランデブーの日、品川駅港南口のバス停に大勢の外国人が並んでいるのが目に入った。ヘンだなと思いながら入管に着くと物凄い人並み、入管前の歩道から反対側の歩道まで、長~い外国人の列、それを入管職員が必死になって整理していた。20年ほど前、十条の旧入管でも長蛇の列をみたが、今日の列の方が数倍は長そう。私は傍にいた中国人に聞いてみたところ、日本は地震と放射能が怖いので、皆いったん母国へ帰って、再度日本に来たいので、再入国許可の申請に並んでいるという。しかもこの行列は数日続いているらしい。この勢いだと日本に外国人はいなくなってしまうかも。さて面会の方は2人仮放免で出て、1人新しく入ったので現在は3人。バレンタインの日にチョコレートをカバン一杯戴いたので、今日のホワイトデーにはお返しに宝くじを5枚ずつ差し入れた。1億2千万円は誰に?

2011年3月15日火曜日

(1036)計画停電とビルマからの手紙

(2011年3月15日)
  私の住む習志野市袖ヶ浦は東京電力の分類では第2グループと第4グループ。いまだにどちらなのか判然としない。東京電力や習志野市に何回電話しても通じない。近くのスーパーの店長に聞いても、町会の拡声器的おばちゃんに聞いても埒があかない。今は午前11時、第4グループの時間だが、電気は来ているので、どうやら我が町は第2グループのようだ。東京電力はお粗末過ぎる。一方原発事故の方も炉心溶融という怖い文字が飛び込む。いらいらイライラ・・・・・・。こんな時にSTさんからスーチーさんの「ビルマからの手紙③」の記事が送られてきた。「孤独癒す触れあい」というタイトルで、スーチーさんが飼っていた猫や犬、乗馬レッスンの際のポニー、時には野良犬などの動物たちとの触れあいの話が続く。彼女の心は軍事政権の軍靴に踏みつけられているはずだが、この手紙を書く心境には頭が下がる。

2011年3月14日月曜日

(1035)計画停電 ビルマと似てきたなあ

(2011年3月14日)
  十数年前、私はビルマに4回ほど訪問した。ヤンゴンの友人宅をあちこち訪問したが、どの家も入り口脇に一辺50センチぐらいの金属製の箱状物体が置いてあった。最初なんだか分からなかったが、聞くと発電用機器という。当時のヤンゴンは計画停電が続けられており、停電になるとこの器具を活用していたらしい。この計画停電は日本でも終戦後、しばらく続いていた思い出がある。ところがこの計画停電が今の時期に再開されるとは。しかもあまりにも唐突にだ。東京電力では地域を五つにグループ分けするという。今朝の新聞でみると、習志野市は第2グループと、第4グループの両方に入っている。そこで東京電力のホームページをみると、何と私の住む袖ヶ浦はやはり第2、第4グループとしか出てない。いらいらする。習志野市役所も東京電力も電話は混んで通じない。タンシュエがほくそ笑んでる気がする。

2011年3月13日日曜日

(1034)サイクロン「ナルギス」を思い出す

(2011年3月13日)
  今回の関東東北地震は、日が経つにつれその恐ろしさが後から後から押し寄せてくる。マグニチュードは、最終的には9.0といわれ、一瞬のうちに村全体が海に流されたという。福島の原発事故など当初考えられなかった大事故である。また地震もさることながら、津波の恐ろしさがあらためて胸に突き刺さる。実は同じような光景が頭をよぎった。2008年5月2日・3日のサイクロン「ナルギス」によるビルマ西南部エヤワディ地区を襲った高潮による惨状だ。外国の支援を断わり、死者10万人、被災者200万人といわれる大規模災害だ。しかも、このような状況であるにもかかわらず、ビルマ軍事政権は5月10日、憲法の国民投票を実施し、92%の賛意を得たという。ビルマと日本は、ここが違うというところを世界に見せたい。何しろ千年に1度の大災害だ、みんなが助け合って、災害復旧の手本を示してみたい。

2011年3月12日土曜日

(1033)台湾から地震お見舞い

(2011年3月12日)
  台湾にいるニーゲーさんから、東北地方太平洋沖地震のお見舞いメールを戴いた。有難いことで、早速返信した。遅れて配達された朝刊には、M8.8、最近百年間で最大の震度、千年に一度の大震災とあった。私も生まれてから82年、こんなに怖い地震は初めてだ。きのうの2時46分ごろ、私は一人で自宅書斎にいたが、体の揺れを感じ、すぐストーブの火を消し、立ち上がってドアの柱2本を握っていた。以前は机の下にもぐると教えられていたが、最近は外に飛び出せる場所で待機すると聞く。2本の柱の間にいる私は、ミシミシ、ガタガタという音と同時に、壁の飾り物や、机の書類、電気スタンドが落ちる音を聞き、危険を感じた。1,2分して治まったので台所に行くと、先日購入したばかりのテレビが棚からひっくりかえっていた。ギクリとしたが無事だった。しばらくして家内も帰宅したので、2人で整理を続けた。

2011年3月11日金曜日

(1032)ミャンマー情勢説明会とは

(2011年3月11日)
  先日品川入管に顔を出したとき、エレベーター近くで5・6人の入管の係官が「ミャンマー情勢説明会」の案内板を持って並んでいた。私は無理だと思いながら出席可能か尋ねてみたところ案の定ダメとの返事、そのうち参加者らしき人たちが三々五々現れたが、いずれも年配の紳士淑女風だった。いったいどんな会議だったのだろうか? まず考えられるのが、総選挙後のミャンマーの政治情勢だろう。マスコミからの情報は途絶えているので、私としてはぜひ知りたいところだ。表面上軍事政権から民政政権に変わったミャンマーを日本政府はどう評価するのか、経済支援を再開するのか、少数民族と政権側の関係は改善されたのか、難民申請者に対して帰国しても安全と考えるのか、など気になる点がいっぱいある。機会があれば、一般人にも最近のミャンマー情勢及び難民(申請者)との関係を説明して貰いたい。

2011年3月10日木曜日

(1031)人生いろいろ 同じもの それは涙

(2011年3月10日)
  きのうは水曜日、品川入管に収容されているビルマ人女性Aさんは、性格が明るく周辺の皆から慕われている。在日が長く、日本語能力試験2級にチャレンジしたことがあるが、惜しくも不合格、今回入管に収容され、自分の時間が長く取れるこの機会に、日本語学習に再挑戦してるようだ。本人は日本語、特に漢字の勉強をしたいということで漢字練習帳を2冊差し入れたが、さらに今度は、漢字を多用した手紙を毎週私に宅下げしてくれる。きのう受け取った手紙には、「今私はいろんな国の人と出会いました。会う人いろいろ、人生いろいろ、でも同じことが一つだけあります。それは泣くことです。私も泣きました・・・・・・」。私が15年間入管(時に警察署)に通い続けることができたのも、もしかしたら彼女らの「涙」の力によるのかもしれない。次の手紙が待ち遠しい。この日は全員に日本語能力試験の問題を差し入れた。

2011年3月9日水曜日

(1030)読みました 「スーチーさんのいる国」

 「スーチーさんのいる国」、副題は「ビルマと日本の接点」、(母と子でみる31)、早乙女勝元編、写真:吉田一法他、草の根出版会、1996年7月発行、143頁、2266円。副題に母と子で見るとあるように、内容は平易な文章で綴られ、随所にスーチーさんの写真がちりばめられている。特に、表紙と巻頭の数頁には迫力あるカラー写真が並んでおり、読みやすい工夫が随所に施されている。目次を見ると ●スーチーさんに会えるかも、●「死の鉄路」とビルマ人労務者、●ロンジー姿の人々の町、●アウンサン将軍とスーチーさんのメモ、●対話は過去、現在、未来へと、●スーチーさんお元気で と続く。「たとえ多少の危険を犯してでも、私たちは次の世代の人々のために、人間の生き方を伝えようではありませんか」、「ビルマに民主化が出来上がったらぜひ日本で会いましょう」と結んだ。その日が一日も早く来ることを祈る。

2011年3月8日火曜日

(1029)第三国定住難民(第2陣)の就職先は?

(2011年3月8日)
  2月28日の中国新聞に「神石高原で難民に農業研修へ」との記事を見つけた。同紙によれば、広島県神石高原町が、タイにいるミャンマー難民を町内に迎い入れ、農業研修を実施する準備を進めていることが分かった。国際貢献と地域活性化の両面を視野に入れている。町は数人程度を想定しており、本年度予算に事業費300万円を盛り込むという。第一陣が千葉県八街市と三重県鈴鹿市の農業法人に決まったらしい。日本人の若者が敬遠してる農業は、ますます高齢化が進んでいるのでいずれも素晴らしい事だ。農業しか知らない彼らにとっても、実習中も給料がもらえて宿舎も用意されてることは嬉しいと思う。入管法で言う「技能実習」に該当し、労働基準法や最低賃金法が適用される。TPP問題が叫ばれている昨今、ミャンマー難民が日本の農業を救う先駆者になるかもしれない。日本人は温かく見守ろう!

2011年3月7日月曜日

(1028)座右の書「入管法」の三冊

(2011年3月7日)
  私の書斎には入管法の解説書が3冊並んでいる。「わかりやすい入管法(山田・黒木)」、「よくわかる入管法(山田・黒木)」、そして「入管法の実務(山脇)」だ。特に最後の「実務」は660頁、6510円という内容豊富な実務書だ。しかし残念ながら難民認定法関係は触れていないので、難民問題については他の2冊を愛用している。行政書士に負けないぐらいの知識を得たいと思っているのだが、実際には困難だ。最近、入管収容者の中には長期間日本に滞在している人が増えているが、在留特別許可を得るためのプラス要素として、「本邦への定着性という観点があり、例えば、入管での口頭審理の際にも日本語で対応できるレベルの日本語能力を習得していることが挙げられている。日本語能力試験のN1級レベルであろう。私は品川入管での短い面会時間を利用して、日本語教材を差し入れ、採点、返却している。

2011年3月6日日曜日

(1027)「希望の声」を読みました

 希望の声(アランクレメンツとの対話):アウンサンスーチー(大石幹夫訳)、岩波書店、2008年9月発行、354頁、2300円。アウンサンスーチー女史と対話したアランクレメンツは、ビルマで仏教僧侶となった最初のアメリカ人で、ジャーナリスト・作家であった。一方、アウンサンスーチーは軍事政権下のビルマにあって長期間にわたり自らの意思を貫き通し、民主化運動の精神的支柱であり続けていた。アランクレメンツはスーチー女史の強さ、穏やかさはどこから来ているのか、それを探るべく、ロングインタビューを試み、その内容が日本語に翻訳された。アランクレメンツは、希望を持ち続けることが実は途方もなく大きい抵抗の行いであることに気付いた。私たちは絶えることのない希望の声の中にいる。いつの日にか私たちがスーチー女史とともに、解放されたビルマを祝う世界に住むことを祈る と結んでいる。

2011年3月5日土曜日

(1026)ビルマ今週のニュース(1108号)

(2011年月5日)

  BURMAINFOからのニュースから抜粋。 ★軍政の官報によれば国家予算の24%が防衛分野、議会召集前に決定していた。因みに保健分野は1.3%。 ★軍政が09年にロシアに注文していたミグ29戦闘機20機の引渡しが3月に始まる。 ★アジアタイムズによれば、軍政が北朝鮮の協力を得て、マグウェ管区の工場でスカッドミサイルの開発を進めている。また北朝鮮の武器提供と引き換えにビルマからコメの提供を受けているらしい。 ★民主党岡田幹事長が3日スーチー女史と電話会談、岡田氏は「民主化が進めばいつでも本格的な経済協力を行う用意がある」と述べた。 ★第三国定住制度で、タイの難民キャンプから来日し、研修を受けてるカレン難民の定住先が決まった。2家族が千葉県八街市、3家族が三重県鈴鹿市で農業法人に就職する。 ★連合南雲事務局長がスーチー氏と電話会談した。

2011年3月4日金曜日

(1025)スーチー女史との電話会談③

(2011年3月4日)
  きょうの読売新聞に次の記事が出ていた。民主党の岡田幹事長が3日夜、ミャンマーの民主化指導者、アウンサン・スーチーさんと電話で会談した。 スーチーさんが「ミャンマーの真の民主化のため、日本政府を含む国際社会に支援してもらいたい」と述べたのに対し、岡田氏は「民主化を後押ししたい」と応じた。スーチーさんは、日本に定住するミャンマー難民への支援も要請した(以上概要)。スーチーさんの国際的なネット作りは急ピッチで進んでいるようだ。この点従来のスーチーさんとは明らかに違う。政党(NLD)という大きな力を失った今、スーチーさんからの生の声は内外の民主化グループに元気を注入するであろう。今回のスチーさんの発言の中で、定住難民の支援の話が出ているが、第三国定住難民のことであれば、日本政府はあまりにも情報を流していない。市民による支援ができない状況なのだ。

2011年3月3日木曜日

(1024)暴力装置と民衆革命

(2011年3月3日)
  きのうの朝日「窓」欄に、標記の見出しで編集委員が書いていた。エジプトで起きたムバラク退陣劇と同様なドラマはかつて、フィリピンやインドネシア、東欧でも見られた。一方抗議の群集が街頭で弾圧された事案も多い。例えば中国の天安門事件。独裁者が去れば「民衆革命」だが、成否の鍵を握るのはいつも軍隊だ。途上国では一般に軍は最大のエリート集団であり、随一の官僚組織でもある。他国と戦うより、国内の治安維持が主な仕事だ。政治権力は軍との結託を試みる。軍と政権が一体化すれば、街頭に出ても民衆がつけいる隙はない。その代表はビルマだ。88年、07年に学生や僧侶らが蜂起したが、軍が銃で鎮圧した。文字通りの暴力装置である。遠い夜明け、将軍たちの仲間割れを待つしかない状況は厳しい(以上概要)。中国、ロシア、アセアン各国は新政府を承認するであろう。むなしいことだ。

2011年3月2日水曜日

(1023)スーチー女史との電話会談②

(2011年3月2日)
  昨日はアウンミャッウイン氏との電話会談のやり取りを書いたが、今日はNDB幹部との電話会談(2月11日)の概要を記す。スーチー女史は冒頭に、次のように述べた。海外にあるビルマ人組織に団結力が欠けていると聞いて心が痛む。なぜ民主化が進んでいないのか聞いた人がいるが、団結力の欠如がその原因の一つであり、団結のためにまず自分から始めてください。民主化国家になるためには、一人ひとりが何ができるか、何をしているのかを考えてほしい。自分がしていることが正しいことが大事です。間違っていれば直してください。何人かは自分のしてることはすべて正しいと思い込んでいるが、その考えは民主化のためになりません。●質疑1 日本政府に言いたいことはビルマの現状をよく理解し、真相を探ってほしいし、在日ビルマ人はそれを教えてあげてほしい(注:画像音声からの聞き取り。続く)。

2011年3月1日火曜日

(1022)スーチー女史との電話会談①

(2011年3月1日)
  先に(1014)で、NDB幹部とスーチーさんとの電話会談の模様を紹介した(発言内容は近日掲載予定)が、実はそれより早く、「平和の翼」誌のアウンミャッウイン氏が昨年12月31日にスーチーさんと直接電話会談していた。その内容が16問16答の形で同誌VOL12号に掲載されていたので概要を紹介する。●NLDが解散させられたのは新選挙法が間違っているためで異議を申し立てている。●07年の僧侶運動にNLDが金を渡していると山口元大使が言ってるが、そういう態度の人には何も言うことはない。●日本からのODA支援の際、ビルマ国民すべてに支援が行き届いているかが大切。●これからはミャンマーの民主化運動を世界各国の支援団体とネットワークで繋げたい。●在日難民は自分たちが難民になった原因を考えると同時に日本に感謝してほしい。●第二のピンロン会議には国軍も参加してほしい。