2012年12月31日月曜日

(1693)全難連が選んだ2012年 難民十大ニュース

  12月31日の全難連からのニュース。◆2011年の難民認定率が過去最低(一次手続きで0.3%、異議手続きで1.6%)、◆ウガンダ難民事件で初の勝訴判決(国側が控訴、判決は2月の予定)、◆法務省入管、日弁連、なんみんフォーラムが覚書締結(三者の協働による取り組みが進行中)、◆名古屋難民支援室設立(東海地区での難民申請者の急増を受け支援体制の強化)、◆新在留制度開始(入国管理と在留管理が一元化、しかし仮放免者の社会サービスへのアクセスに懸念)、◆ルワンダ難民初認定、◆ロヒンギャの高裁判決(17人中1人だけ難民認定)、◆第三国定住、第三陣ゼロ(原因究明と支援の在り方に見直しを)、◆ホームレスとなる難民申請者が増加(冬を迎え緊急支援が必要)、◆難民申請者数が過去最高に(2千人を超える見込)。

2012年12月30日日曜日

(1692)読了133冊目:「ビルマの名将 桜井省三」

  副題は「泥まみれの将帥 その生き様の記録」、著者は上條彰、1992年2月・戦史刊行会発行、発売星雲社、定価2500円、387頁。著者は桜井省三とは一度も会ったことがないが、隣接した部隊での長であり、戦後多くの情報を探し当て、類まれな洞察力と、人情味の厚い名将軍の生き様を追い続けた。将軍は陸軍船舶の開拓者であり、上陸作戦の第一人者としてスタート、師団長として中支で活躍後ビルマに侵攻、ラングーンやエナンジョンを制圧、慰霊祭が行われたが、その際桜井師団長は英印軍の慰霊碑も作れと命じた。当時の鬼畜米英という環境下では考えられない命令であった。その後アラカン作戦、インパール作戦、イラワジ会戦、ラングーン撤退、シッタン渡河、抑留生活と続く。戦闘中でも多くの短歌を残し、戦後は、隠遁生活を続け96歳で大往生。

2012年12月29日土曜日

(1691)カチン族の本拠地を攻撃 ミャンマー政府軍

  12月29日の朝日。政府軍とカチン族の政治組織カチン独立機構(KIO)との戦闘が続くミャンマー北部カチン州で、政府軍によるKIO本拠地ライザへの攻撃が本格化している。政府軍は28日、ライザ近郊で空爆を断続的に実施、死傷者が出ている模様だ。今月に入り、攻勢を強めていた政府軍は、KIOに対し、今週中にライザを明け渡すよう要求。KIOが拒否したため、ライザへの攻撃を開始し27日には4人が負傷した。ライザにいるKIO報道担当者は、「28日朝から正午までの間、政府軍の攻撃機5機とヘリコプター2機がライザから12~14キロの地点で断続的に空爆を続けた、周辺には数千人の政府軍兵士がいる」と話した。両者は1994年以降、停戦協定を結んだが、昨年6月に政府軍が攻撃を再開、ライザには戦火を逃れてきた数千人の避難民がいる。

2012年12月28日金曜日

(1690)ミャンマー関連記事

  最近のミャンマー関連新聞記事。◆三菱UFJ、ミャンマー銀と提携、日本企業の進出支援(日経、12月28日)、◆大成建設、日揮がミャンマー新国際空港建設に(時事28日)、◆東芝が来年度中に販売会社設立、家電製品発売(時事28日)、◆三菱商事がダーウェイ港の開発に(東洋経済27日)、◆NECと富士通が、ミャンマー事業加速(産経ビジ26日)、◆ミャンマー旅客機がヘーホー空港で誤着陸、炎上(朝日26日)、◆タイ・インデックス、ヤンゴンで本格的なイベントを受注(NNA24日)、◆ヤマハ発動機、ミャンマーに二輪販社来年にも(時事21日)、◆ミャンマー開発協力で来年1月国際会議ネピドーで(時事21日)、◆世銀の成長率、中国8.4%、タイ5.0%、ミャンマー6.5%(NNA20日)、◆明電舎、ミャンマーの大手変圧器企業と提携(時事18日)。

2012年12月27日木曜日

(1689)読了132冊目:「ミャンマーの女性修行者ティーラシン

  副題は「出家と在家のはざまを生きる人々」、(ブックレット《アジアを学ぼう》22)、著者:飯国有佳子、2010年11月・風響社発行、62頁、800円+税。内容は、①出家と在家のはざま、②出家動機の変容、③ティーラシンの生活、④比丘尼サンガ復興運動の背景。ミャンマーの街を歩くと、僧侶ではないが、剃髪し、薄桃色の衣をまとった女性集団に会う。これがティーラシンで出家している。しかし男性と異なり、女性は比丘尼(僧侶)とは認められない。男女同権が叫ばれていても、上座仏教では厳としてこの差別が存在する。ミャンマーではティーラシンであったドーティッサワディ氏が、スリランカで2003年に比丘尼として認められ大問題となった。ミャンマー仏教界の長老たちは彼女の行動に激怒し追放した。男女同権思想よりも、上座仏教の掟の方が遥かに強い。

2012年12月26日水曜日

(1688)ミャンマー北部 10万人避難

  12月26日の朝日、標記の見出しのほか「政府と戦闘続くカチン族」、「国際支援なく食料・薬不足」、「守られぬ停戦指示」、「〈民族のため〉志願兵増」。ライザ村近くのプンルムラン避難民キャンプは、現在1614人が暮らす。仮設住宅は竹を編んだ壁と床に防水シートをかぶせた簡素な造り、定期的に配給されるのは米と塩、それに時々配られる食用油だけ、KIOによると自派支配地域に30か所以上の避難キャンプがあり、6万5千人が、政府支配地域には3万5千人が避難生活を強いられている。94年に再度停戦協定が結ばれ、カチン州(人口120万人)の多くの地域でKIOの実効支配が認められた。しかし昨年6月、政府軍が発砲し戦闘状態に。KIOの軍事組織KIAには数千人の兵がおり、現在も志願兵を教育中。彼らは「民族のために頑張るしかない」という。

2012年12月25日火曜日

(1687)日本で祝う カチン族のクリスマス

  12月23日の日経電子版で、見出しは「日本で祝う、ミャンマー・カチン族のクリスマス」。12月になると早稲田にある東京平和協会にカチン族の若者たちが安らぎを求めて毎週集まり、クリスマスを祝い、日本の正月のような雰囲気となる。カチン族は約140年前に米宣教師によってキリスト教が伝えられ、英国植民地時代に広がった。軍政の弾圧強化で今も10万人以上が避難生活を強いられている。ポウヤム・ドエブさん(45)も混乱を逃れ、出産間際に来日、一家は帰化を望んだ。長男のダニエル君(12)は自宅近くの小学校に通うが、先日、駅伝大会で銀メダル。長女のパトリシアちゃん(7)も日本で生まれ、子供二人は教会で開かれるカチン語教室に通い続ける。16日の日曜日、二人は「清しこの夜」などをカチン語で歌った。子供へと文化の継承が始まった。

2012年12月24日月曜日

(1686)ミンガラ日本語教室忘年会

  12月23日の夕方5時半から、虎ノ門にあるチムニーで、ミンガラ日本語教室の忘年会が開かれた。ここはミャンマー人女性が店長の店で、彼女も教室の卒業生。1996年に教室を創立したその年から、忘年会は毎年開催しており、今回は17回目。例年通りミャンマー時間で6時からスタート、50人ぐらい集まったかしら。みんなで飲み、食い、しゃべった。何しろ私にとって1年に1回の再会という友人もいて、懐かしく、みんな盛り上がった。途中から出席率の良い生徒への表彰式などをまじえながら会は進行、恒例のビンゴゲームに移った。私は早めにリ-チまで達したが、あと一つが出ず、結局は敗退、そのあとのジャンケン大会もあっさり負けた。歳のせいかな。最後に出たサモサとスープがおいしかった。準備をしてくれた皆さんに厚くお礼を申し上げる。楽しかった。

2012年12月23日日曜日

(1685)ミャンマー、警察署襲撃で3人死亡

  12月19日の日経新聞電子版、標記の見出しが目に入る。ミャンマー北部カチン州パガンで18日、少数民族武装勢力「カチン独立軍(KIA)」のメンバー約80人が警察署を襲撃、警察官ら3人が死亡したと、国営紙が19日報じた。ミャンマー政府は国内計11の少数民族武装勢力との和平交渉を進めているが、KIAとは交渉が難航しており、唯一停戦が実現していない。国営紙によると、KIAは18日早朝、警察署を襲撃して破壊、警察側も発砲して応戦した。KIAはその後、警察署付近の橋に地雷を仕掛け、橋の一部を破壊した。橋は通行できない状態になったという(以上)。そもそもの原因は11日朝、パカンでビルマ政府軍が武器を持たないカチン人女性(17歳と20歳)が市場に向かっていた時に、兵を見て驚き、逃げ出したため銃殺したことが原因のようだ。

2012年12月22日土曜日

(1684)読了131冊目:「ミャンマー現代短編集1」

  南田みどり編訳、1995年2月・大同生命国際文化基金発行、243頁、定価は不詳。編者は14の短編小説を選び出したが、その基準として、作中に何らかのインパクトが感じられ、書き手のメッセージが明確で、日本人がミャンマーを知る手掛かりが得られやすい作品に絞った。そのために、作家を男女半々とし、ヤンゴン派とマンダレー派も半々とした。そしてミャンマー式の生、働、老、病、死そして政治、経済、社会の実相も紹介している。この1冊を読めば、1980年代を中心としたミャンマーの人々の姿がよく理解できる。掲載作品は、落書き病、借家、誰のせいだって!、蝉、同類多数、夢の河、雲間浮遊、甘い微笑、輿入れ支度、国中安泰、漂流果実、生類解放、かぐわしき接吻を、ああ…笛吹きよ、の14編。翻訳が見事なのでどの作品もすらすらと頭に入る。

2012年12月21日金曜日

(1683)ミャンマー支援 現地で会合

  12月21日の朝日に、標記の他「日本・中国などへ参加要請」との見出しが。昨年3月に民政移管したミャンマーに対する初めての支援国会議が、来年1月19・20日に、ネピドーで開かれる。議長を務めるテインセイン大統領は、自らが主導する改革を促進させるため、国際社会の一層の支援を取り付けたい考えだ。会合は閣僚級で、主催するミャンマー政府は、先週、日本をはじめ欧米諸国や国際機関に参加を要請した。こうした支援会合にほとんど参加したことがない中国も今回は参加の意向。ミャンマー政府は2030年までの長期的な開発計画を策定中で、会合では途上国援助(ODA)の方向性が論議される。日本政府は来月、ミャンマーへの円借款を再開し、今年度中に500億円程度の新規供与のほか、無償資金協力と技術協力も、200億円に上る見通し。

2012年12月20日木曜日

(1682)「牛久入管収容所問題を考える会」

  私が「畏敬の念」をもって接しているグループの一つに「牛久入管収容所問題を考える会」がある。通称「牛久の会」だ。私は難民問題に首を突っ込んだのは1996年からだが、2006年12月にたまたま牛久入管に面会訪問した時、この会のリーダー田中さん、大滝さん、細田さんに初めてお会いし、その真摯な面会活動ぶりに触れて感動し、その後の私の活動も大きく影響した。それまでは顔なじみのミャンマー人だけに面会してきたが、その後は、ミャンマー人ならば、面識のない人でも全員に面会することにした。ただ私の能力の問題で、女性だけに限り、男性は大滝さんや細田さんにお任せした。たまたま昨日、田中さんから年次活動報告会の資料が届いた。2010年12月に、東京弁護士会から人権賞を授与されただけあって一段と充実した活動内容であった。

2012年12月19日水曜日

(1681)ミャンマー問題(各マスコミから)

  ◆イラワジ(12月11日):ザガイン管区の銅山開発抗議のデモに参加し、10日間刑務所に拘留されていたガンビラ師が釈放された。 ◆イラワジ(12月11日):ビルマ国軍とカチン民族の軍との戦闘が激化、数十人のカチン人が国軍により死亡、現在も10万人以上の人々が国内避難民キャンプに居住している。◆DVB(12月13日):ヘロインとケシの生産がアフガニスタンで減少、このためミャンマーでの麻薬取引が増大する懸念が増大。 ◆イラワジ(12月14日):タイム誌の「今年の人」トップテンにスーチー氏とテインセイン大統領が登場。 ◆ウォールストリートジャーナル(12月13日):シンガポールがミャンマーの難破船のロヒンギャ―生存者受け入れを拒否。 ◆ミジマ(12月17日):ネ-ピ-ド-で自然資源委員会が発足、民間セクターと協力するシステム。

2012年12月18日火曜日

(1680)野外コンサート 5万人が楽しむ

  12月17日の朝日夕刊。昨春の民政移管後、民主化に取り組むミャンマーのヤンゴンで、16日夜、米有名歌手のジェイソン・ムラーズ氏らが参加した大規模野外コンサートが開かれ、5万人の市民が集まった。同国では半世紀近く軍事政権が続き、集会の自由が制限され、欧米の制裁が科せられていた。海外アーチストが出演する大規模コンサートは史上初めて。主催したのは、米エンターテインメント専門局MTV。人身売買に反対するキャンペーンの一環で、ムラーズ氏のほか、地元の人気歌手ピューピューチョーテインさんらが出演。仏教の聖地で観光名所のシュエダゴンパゴダの人民公園で、ミャンマーをはじめ、周辺国で起きている人身売買や児童労働に反対しようと訴えた(以上)。ヤンゴン市民は民主主義や自由のありがたさを、この夜満喫したであろう。

2012年12月17日月曜日

(1679)自公320超 民主壊滅的敗北

  昨日は投票日、今朝の朝日の見出しは「自公320超、安倍政権へ」とあった。朝日の14日の議席予測と今日17日の獲得議席数を比べてみよう。自民285(予測)⇒293(実績)、民主76⇒57、維新46⇒54、公明30⇒30、みんな18⇒18、未来10⇒8、共産8⇒8、社民2⇒2、大地1⇒1、国民新1⇒1となった。自民と維新が予測より伸びたが、いずれも、予測の幅の範囲内である。しかし、民主の減少は予測の幅(63~88)の範囲を飛び出してさらに減少している。予測した時、態度を明確にしていない人が4-5割いたようだが、それにしてはよく当たっている(以上)。日本の世論調査の腕は大したものだ。今日は日本の右傾化がスタートする日ともいえよう。難民支援は当面いばらの道が続くであろう。公明党が自民の右傾化を抑えるといっているが頼むよ。

2012年12月16日日曜日

(1678)法の支配とミャンマー

  12月24日の朝日窓欄に標記の見出しが。この度来日したミャンマー最高裁長官トゥントゥンウー氏が、慶応大で自国の司法事情について講演、印象に残った言葉が二つある、一つは「裁判所における汚職や不正行為の撲滅」、もう一つは「法の支配の確立」だ。何しろ裁判所が「法の下の平等に反する」と指摘したにもかかわらず、国会は放置を続け、ついには憲法に違反する議員定数配分のまま、衆院選が行われるのだ。どの政党も選挙戦で詫びるでもなく、反省するでもない。「法の支配」などどこ吹く風だ。軍事独裁から生まれ変わるべく、問題を見つめ、乗り越えようとしている国と、問題があることを自覚しているのかさえ疑わしい国と。道が開けているのは、さてどちらなのか、心配になる(以上)。確かにどの政党も触れていない。今日は投票日だが・・・・。

2012年12月15日土曜日

(1677)総選挙、自公で300議席超の予測

  いよいよ明日は総選挙、各マスコミの事前調査が花盛りである。朝日によれば、推計議席数は自民285(公示前118)、民主76(230)、未来10(61)、公明30(21)、維新46(11)、共産8(9)、みんな18(8)、社民2(5)、大地1(3)、国民新1(2)、新日0(0)、改革0(0)、諸派(0)、無所属3(10)。過半数は241議席なので、自民単独で過半数を確保しそう(以上)。この予測が当たるとしたら、以前の自民党政権が復活し、首相は安倍さんになるであろう。そこで気になるのが日本の右傾化だ。日本には外国人なんか不要と言い出し、在日難民を迫害するのではないか不安だ。幸い山公明党党首は、右傾化は防ぐとテレビで叫んでいた。公明党政策集には難民保護を訴えている。みんなの党は、難民保護法を打出している。誰にするかは今夜寝ながら考える。

2012年12月14日金曜日

(1676)難民申請者がホームレスに

  12月10日の全難連情報(共同通信記事)。日本で難民認定を申請する外国人が過去最多となり、政府による生活費や宿泊施設の提供が遅れ、ホームレスとなって野宿を強いられる人が続出していることが分かった。人権団体はすでに50人以上を確認しており、「命にかかわる異常事態だ」と政府に緊急対策を求めている。外務省は困窮している申請者には1日1500円の生活費と、アパートを提供しているが、今年の申請者は1~10月までに2004人(昨年1年間で1867人)に増加しており、対応しきれていない。難民支援協会の場合、朝事務所を開くとアフリカ系の申請者10人が飛び込み、レトルトのカレーを貰い、床に転がって休む。同協会が閉まれば駅や公園で寝る。同協会では「セーフティーネットは政府の仕事、速やかに保護費を支給してほしい」と強調。

2012年12月13日木曜日

(1675)読了130冊目:「破れ狼」

  「破れ狼」副題はビルマ戦線狼山砲第二大隊指揮班長の記録」、著者福谷正典、1995年3月・連合出版発行、286頁、定価2200円。この部隊は朝鮮京城で編成され、昭和19年釜山港を出港、シンガポールを経てマレー縦断、ペグーからマンダレーに入り、さらに中緬国境のワンチンで陣地を構築、米軍指揮下の雲南軍と対峙した。しかし制空権を握られ、物量の差はいかんともしがたく、バモーに転進、ここではインド遠征軍に叩かれた。いわゆる「断」作戦である。ここで著者は敵弾を受けて負傷、野戦病院に運ばれた。1か月後原隊に復帰しマンダレーの戦いに参加するも、結局メイクテーラまで後退、ここで英印軍機甲部隊と最大の決戦、阿鼻叫喚の地獄図絵となる。さらに各地で戦いつつ退却を続け、タトンで終戦、捕虜生活を経て帰国。壮絶すぎる記録だ。

2012年12月12日水曜日

(1674)平均年齢82歳のつどい

  昨日は「きらく会」といって、ライオン研究所で一緒だった同僚7人の忘年会が銀座であった。何しろ入社時からの同僚であり、現役時代が38年間、退職後が24年間、合計62年間のお付き合いメンバーだ。これだけ長いと、みんな成長してると思われるだろうが、あにはからんや、誰も成長なんかしていない。現役時代と全く同じだ。メンバーはいわゆる昭和一桁族であり、日本を成長させたのは我々であると自負する(誤解する)面々だ。昨日は総選挙寸前、候補者を勝手にけなし、○○はバカ、△△もバカと叫びだす。私はこの『バカ』という言葉が大嫌い。そのうち話題は病気に飛び、最後は葬式とお墓に移る。こうして2時間の忘年会は終了。私が続けているブログには賞賛の渦、しかしお世辞が半分。ついでに、ビルマ関連書籍の読破目標2百冊も紹介しておいた。

2012年12月11日火曜日

(1673)シットウェ― 居座る閑古鳥

   12月9日の朝日の特派員メモ欄。「お客さんが多くて忙しいよ」。11月に訪れたヤンゴンで旅行業を営む友人は流ちょうな日本語でつらそうな声を上げた。でも顔には笑みが浮かぶ。まさに「嬉しい悲鳴」だ。改革で注目を集めるミャンマーには外国人が押し寄せている。特にヤンゴンは軍事政権時代に閑古鳥が鳴いていたホテルがビジネスマンや観光客で埋まり、宿泊代金は3-4倍に跳ね上がっている。だがこのブームとは無縁の地域がある。5月末以降、民族間の衝突が起きているラカイン州の州都シットウェ―とその周辺だ。同市で旅行会社を経営するTさんは、昨年11月は94組のツアー手配をしたが、今年11月は6組。多民族国家ミャンマーでは、少数民族問題が国境地帯を中心に未解決のまま残る。中央の活況から辺境が取り残されやしないか心配だ。

2012年12月10日月曜日

(1672)各政党の難民関連政策

  12月7日の全難連資料より。2012年衆議院議員選挙・各党の難民関連政策は以下の通り。民主党、自民党、日本未来の党、日本維新の会、共産党、国民新党、新党大地、新党日本は言及なし。公明党「難民保護の拡大に向けた施策の推進、国際基準に沿った適切な審査、難民申請中の人へのセーフティネットの確立、定住者への支援など」、みんなの党「難民保護法を制定し、難民(政治亡命者)に対する保護を充実させる」、社民党「人道的見地から医療・公的扶助・在留資格付与、就労許可等の支援を講じ、申請・認定・自立のプロセスが円滑に進むようにする。難民条約が順守されるよう政府を監視する」(以上)。11党のうち僅か3党しか難民関連政策に触れてない。また、右傾化が懸念される自民・維新は、難民政策に反対であろう。投票先は決まった。

2012年12月9日日曜日

(1671)まちあるき ミャンマー@高田馬場

   12月7日朝日夕刊。「生活と食 民族の拠点」、「ビルマ語教育、故郷の絆」、「少数民族の礼拝」、「豆腐もあれば虫揚げも」などの見出しが。日本に住むミャンマー人の4人に1人、約2千人が新宿、豊島両区、中でも高田馬場周辺が多い。毎週日曜、小学生から高校生までの8人が日本ミャンマーカルチャーセンターに集まる。自宅ではビルマ語をわずかに話せるが、読み書きはできない子供たちだ。祖国の言葉や伝統文化を教えている。日本人向けのビルマ語講座には現在30人ほどが学んでいる。早大近くの東京平和教会早稲田チャペルの中にはカチン伝道所がある。国民の9割が仏教徒のミャンマーで、カチン族の多くはキリスト教徒。シャン料理店ノングインレイ、カチン料理店オリエンタルキッチン・マリカ、ビルマ料理店マンミャンマーなどを地図入りで紹介。

2012年12月8日土曜日

(1670)民族対立 憎悪の村

  朝日12月17日。標記の見出しの他「焼かれた村(何もしてない)」、「(助けて)記者にこっそり手紙」、「無国籍、招いた差別」などが並ぶ。民主化と経済ブームに沸くミャンマーの辺境の村パリンで、イスラム少数民族と、多数派の仏教系民族の対立が続いている。5月末以降178人が死亡し、のべ10万7千人が避難民となった。憎悪と恐怖が渦巻く西部ラカイン州の現場の村に入った。10月22日仏教系ラカイン族の暴徒数千人が、石油の入ったペットボトルを投げて家々に放火、500戸の家屋のうち204戸が焼けた。住民は「自分たちは何もしていないのに」と。軍兵士が20人駐屯しており、「軍がいるからここにいられる」、夜「ラカイン族を殺せ」という叫び声も、聞こえるという。スーチー氏は「暴力は双方によってなされており、私はどちらの側にも立たない」という。

2012年12月7日金曜日

(1669)読了129冊目:「ミャンマーの土着ムスリム」

   副題は「仏教徒社会に生きるマイノリティの歴史と現在」、著者斉藤紋子、(アジアを学ぼう21)、2010年11月・風響社発行、67頁、定価800円+税。第1章:仏教徒社会のなかのムスリム、第2章:バマー・ムスリムという主張とその背景、第3章:現代のバマー・ムスリム、第4章新しい世代に向けた教育。著者によればミャンマーにはヤカイン州に住むロヒンギャやカマンの他、パンデー(中国系)、パシュー(マレー系)、インド系ムスリムが存在している。全人口に対するムスリムの割合は93年の調査では162万人、(3.8%)とされているが、実際には10%を超えるとの意見も多い。西暦700年頃ヤカイン州にアラブやペルシャの交易船が到達して住み着いた。彼らは周りの仏教徒の中で生活せざるを得ず、積極的にミャンマー国民として生きる道を探している。

2012年12月6日木曜日

(1668)ファミマがミャンマー進出 2年内めど

  12月4日のSankeiBizより。ファミリーマートが今後2年以内にミャンマーとマレーシアに進出する。所得水準が上がり、日系企業が相次いで進出する両国での売り上げ拡大が見込めると判断した。両国では現地企業と合弁会社を設立し、フランチャイズ形式で店舗を展開する方針。出店後2・3年で店舗数を数百店規模に拡大したい考えだ。ミャンマーは6000万人以上の人口を抱え、民主化の進展で大消費地への成長が期待されている。日系企業の進出の動きも活発化しており、大手コンビニでは、ローソンが今年度内の出店を予定している(以上)。コンビニの海外店舗数は、もともと米国発祥のセブンイレブンの3万2千店は別としても、ファミマは1万2千店近く、ミニストップも2千店以上、ローソンは435店と出遅れている。「チャイナ―+1」の動きに注目しよう。

2012年12月5日水曜日

(1667)Letpadaung銅山における暴力的弾圧を非難

  12月3日のPFB情報。PFBは「市民社会及びコミュニティグループはビルマのLetpadaun鉱山に抗議する人々に対し行った暴力的な弾圧を非難する」(11月30日発表)との抗議に賛同した旨発表した。同グループは国際的な54団体からなり、東南アジア諸国も加入している。この銅山は、中国の企業と、ビルマ国軍が所有している企業の合弁であり、平和的に集まっている抗議者に対して放水、催涙ガスを用い、キャンプを炎上させた。負傷者には僧侶も含まれる。またこの事件に関連してヤンゴンの6人にも逮捕状が出され、彼らは身を隠している。この抗議文は、「国際的な人権基準を満たさない法律の廃止や、国際的な専門家を加えての調査など」を訴えている(以上)。抗議に参加した54団体もの名称が明らかになっているが、これだけ並ぶと頼もしく、壮観。

2012年12月4日火曜日

(1666)読破128冊目:「ミャンマー現代短編集②」

  編訳は南田みどり、1998年9月・大同生命国際文化基金発行、292頁。この書は18篇の短編より構成されており、それぞれ、4つの場面にまとめられている。第1場:街角で(1頭の馬・他3編)、第2場:女・子供(小さなエーちゃんの告白・他5編)、第3場:生きるために(腹は主張する・他4編)、第4場:周縁から(蓄音機回しの物語・他2編)。これらの短編はいずれも訳者が月刊ジャーナルなどから選び出したもので、1990年前後のミャンマーの民衆の日常の暮らしを紹介したもの。これらを通して読むと、多民族国家ミャンマーの町、村、山に住む民衆の生きざまや、心の営みがよく理解できる。貧しさを描いた作品が多いが、一方知恵を働かせて、たくましく生きる人々が紹介されている。ミャンマー人を理解する上で役立つ作品だ。なお短編集①は後日紹介する。

2012年12月3日月曜日

(1665)ミャンマーデモ強制排除 スーチー氏ら調査へ

  11月3日の読売オンライン。ミャンマー北部サガイン管区で、銅山の開発中止を求める地元住民の抗議デモを治安部隊が強制排除した問題で、ミャンマー政府は、NLDを率いるスーチー氏をトップとする調査委員会を設けた旨国営メディアが1日報じた。強制排除は11月29日に行われ、AFP通信によるとデモに参加していた住民や僧侶など約百人が負傷した。調査委は、スーチー氏のほか、民主化勢力「88年世代学生グループ」のリーダーで元政治犯のミンコーナイン氏や、上下両院議員ら30人で構成され、デモの背景や抗議活動の状況、開発継続の是非などを調査して、今月末までに報告書を提出する(以上)。この件は(1662)にも記したが、調査委員にミンコーナイン氏が含まれていることにびっくりした。どのような報告書が発表されるのか、興味津々だ。

2012年12月2日日曜日

(1664)民主化進むミャンマーへ31年ぶりに帰郷する

  12月2日の朝日ひと欄、マウンミンニョウさん(64)は、日本から母国の民主化を求めてきたリーダーの一人。難民として認められて19年が過ぎた。ミャンマー政府が8月末、ブラックリストの解除を発表、ところが旅券再発行を在日大使館に申請すると、この間の「税金」300万円以上を求められた。「とても払えない」とテインセイン大統領に直訴状を送る。待たされた末、やっと入国許可の連絡が来た。4日、故郷へと発つ。国際労働組合総連合がヤンゴンに新設する事務所の副所長に就く。所長は日本の連合出身でILO元理事の中嶋滋氏。事務所開設が認められたこと自体が、この国の変化の表れだ。彼は1981年に来日、名古屋大で水産学を学んでいたが88年の騒動では仲間と怒りの声を上げた。11年前から連合が支援する「ビルマ日本事務所」の事務局長。

2012年12月1日土曜日

(1663)難民診療所への支援を 来日したカレン族医師

  11月30日の朝日ひと欄のシンシア・マウンさん。ミャンマーと国境を接するタイ・メソトのメータオ・クリニックには昨年15万人が助けを求めてきた。スタッフ600人、年間入院患者のべ8千人、出産3千人。1988年の民主化運動弾圧でこの地に逃れ、7人の仲間と翌年開設した。皮肉なことに母国の民主化が喧伝されて以来、寄付が滞る。政府への援助に集中したいという国、もはや医療や教育は政府の仕事と割り切るNGO…。職員の僅かな給与もカットし、窮状を訴え、支援を求めてこのほど来日した。夫や4人の子供と診療所内で暮らす。修羅場の連続の半生だが、闘士の顔より慈母か菩薩の風情だ(以上)。彼女のことは11月23日の(1655)でも取り上げたがその活動には頭が下がる。先週ささやかではあるが、渡邊彰悟先生を通じ、寄付させていただいた。

2012年11月30日金曜日

(1662)民主化ミャンマー デモ弾圧

  11月30日の朝日。標記見出しのほかに、「銅山開発に抗議の住民排除」、「スーチー氏来訪直前」、「約300人気勢上げる 2週間前の現地」」などが並ぶ。ミャンマー中部モンユワで国軍関連企業が、中国企業と進める銅山開発を巡り、ミャンマーの治安当局は29日未明、土地収用などに抗議していた住民や僧侶らを強制排除し、数十人が負傷した。最大野党党首のスーチー氏が現地調査に入る直前の強硬措置で、政権側の対応に批判が出ている。現地の情報では、負傷者は僧侶約30人、住民約50人にのぼり、少なくとも7人が身柄を拘束された。29日はスーチー氏の現地入りが予定されており、28日までに退去を命じていた(以上)。昨年、国会が平和的なデモを認める法案を可決したのち、各地でデモやストが多発、政府は難しい舵取りを迫られている。

2012年11月29日木曜日

(1661)ミャンマーの天然ガス埋蔵量 日本消費量の3年分

  11月28日の日経電子版。ミャンマーの天然ガス埋蔵量は3340億立方メートルに上ることがアジア開発銀行(ADB)の報告で明らかになった。日本の年間消費量の3倍にあたる規模。この量は国別では34番目だが、ロシア・サハリン沖の開発事業に迫る量。ADBは「人材、法整備、エネルギー関連の政府機関による調整が遅れている」として、開発の余地が大きいと指摘している。同国の石油と天然ガスを巡っては、2011年までに外資の60プロジェクトが承認され、投資額は約1兆円、今年9月の同国エネルギー会議には、30か国から150社が参加して関心が高い。天然ガス以外にも水資源が豊富で10万メガワットの発電が可能な水量。ミャンマーの天然資源には日本企業も注目し、JX日鉱日石開発は来秋までにミャンマー沖の天然ガスの試掘開始の予定。

2012年11月28日水曜日

(1660)ミャンマーの民主化を歓迎 国連委が決議採択

  11月28日の朝日新聞に標記の見出しが。人権問題を担当する国連総会の第3委員会は、26日ミャンマーの民主化と人権状況の改善を歓迎するとした決議案を全会一致で採択した。第3委員会は、軍事政権による武力行使や、人権侵害を非難する決議案の採択を1991年から続けてきた。ただし決議では、ミャンマー西部ラカイン州で少数派のイスラム教徒ロヒンギャ族と、多数派の仏教徒との衝突が深刻化している問題については「特別の懸念」を表明した(以上)。今回の決議は、ミャンマーの民主化進展を歓迎し、さらなる改革を求める決議案を無投票による全会一致で採択したもの。文面も「歓迎」が並び、「懸念」が中心だった昨年までと様変わり。日本の久島代表は、「さらなる前進を後押しすることが重要」と述べ、対話と協力を重視するように訴えたという。

2012年11月27日火曜日

(1659)スーチー氏、インドの母校で講演「民主化支援を」

  11月16日朝日新聞デジタル。ミャンマー最大野党を率いるアウンサンスーチー氏は16日、訪問先のインド・ニューデリーで講演し、学生らに「ミャンマーの民主化の実現にはあなた方の支援が必要だ」と語った。講演したのは、かつて自身が通った「レディー・シリ・ラム・カレッジ」。ミャンマーの大学が軍事政権時代に長く閉鎖されたことなどで教育水準が下がったことを念頭に、ミャンマーの高等教育をかつてのように多くの国々の先端に立つレベルに押し上げたい」とし、協力を求めた。スーチー氏の母親はかつて駐インド大使を務めており、1960年代前半に同カレッジで政治学を学んだ。こうした経験もあって、インド独立の父ガンジーの非暴力主義思想の影響を受けたとされる(以上)。同氏は日本の京都大学で研究したこともあり、青年時代の勉学が大切だ。

2012年11月26日月曜日

(1658)読了127冊目:「ワセダアジアレビュー」

  ワセダアジアレビュー【2012№12】特集:「ミャンマーを考える」。発行:早稲田大学アジア研究機構及びめこん、2012年8月。特集記事頁数28頁、千円。①ミャンマー政治に何が起きているのか(中西嘉宏)、②ビルマ民主化の難問(田辺寿夫)(ラカイン州非常事態宣言とロヒンギャ民族)、③ミャンマーと民族問題(伊藤利勝)、④アセアンから見たミャンマーの民主化の兆し(坪井善明)、⑤ビルマへのODA(秋元由紀)(バルーチャウン水力発電所の光と影)、ミャンマーと日本企業(小林英夫)。その他にミャンマーを歩く(石川和雅)、メコン地域協力と中国、日本、アメリカ(白石昌也)の2編あり。②のロヒンギャ問題は、ビルマ政府にとってもスーチー氏にとっても、難問中の難問であることがよく理解できる。最近テインセイン大統領が国籍付与の検討を始めたようだ。

2012年11月25日日曜日

(1657)ミャンマー潜入 ビジネス天国はホンモノ?

11月24日夜9時からBS(7)が50分間放映。ミャンマー進出を考える日本企業24社28人がヤンゴン・ネピードーを訪問、ヤンゴンから車で1時間のティラワ特区予定地を見学、日本側はインフラについて質問したが、ミャンマー担当大臣側は日本から何社来るのかと逆質問、話がかみ合わない。若いユニクロ役員の国井氏は、縫製産業なので人件費の安い国に進出せざるを得ないという。別の所ですでに稼働しているTHYガーメント社は、ミャンマー人従業員は、プライドが高く、叱るとすぐ辞めると指摘。日本人と共同経営している宝石商は、中国と違い、ミャンマーでは日本排斥運動は絶対起こらないという。まとめとして、最近外国投資法が改正され、外国企業は100%進出可能となったが、単に人件費の問題だけではなく、ミャンマーのためという視点が必要と。

2012年11月24日土曜日

(1656)北朝鮮大量破壊兵器の関連資材ミャンマーへ輸出

  11月24日の朝日。標記見出しのほか、「国連決議違反、日米協力で押収」、「ミャンマー、契約残る」との見出しも。北朝鮮が今年8月、核やミサイルの開発などに使えるアルミニューム合金を、中国経由の船でミャンマーに輸出しようとしていたことが分かった。米国の要請で、日本政府がこれらを押収した。この輸出は、大量破壊兵器を含むすべての武器と関連物資の北朝鮮からの輸出を禁じた国連安保理制裁決議に違反する。決議違反を否定してきたミャンマーと中国への国際的な批判が高まりそうだ。ミャンマーのシュエマン下院議長は「新たに北朝鮮から武器を買わない。ただ契約した分が残っている」と日本政府に説明。日米韓はミャンマーは核開発は放棄したものの、短距離ミサイルの開発は、断念していないとみてる(以上)。折角の平和ムードが台無しだ。

2012年11月23日金曜日

(1655)NHK シンシア・マウン医師 来日講演

  11月22日夜10時39分のNHKニュース。ミャンマーと接するタイのメソートの街、住民の半分がミャンマー人といわれ、その近郊に診療所がある。国境を越えてミャンマーから逃げて来た患者も多く、初診料30バーツだけ払えば、あとは無料で診てくれる。妊産婦も多い。この診療所は23年前に作られたが、ミャンマーの民主化後は、海外NGOからの支援が、ミャンマー国内に向けられるようになり、財政が苦しくなってきた。しかし患者数は減っていない。スタッフは約600人いたが、現在2400万円不足しており、1割を退職させ、残りのスタッフの給料もカットした。診療所には多くのカレン人がおり、少数民族との和解の合意は未だ不十分。またカレン人の元の居住地には多数の地雷があり、帰国できない。若い人への教育も大切で診療所は今後も必要。支援よろしく

2012年11月22日木曜日

(1654)天声人語欄 米大統領とスーチー氏

  11月21日の朝日新聞天声人語欄。ミャンマーの諺に「水牛のそばで竪琴を奏でる」というのがある。親身な忠告にも聞く耳を持たない、困った頑迷さを言う。軍事独裁下のミャンマーは頑迷が徹底していた。例えば2年前、自宅軟禁の続くスーチー氏が65歳を迎えた。誕生日を前にオバマ大統領は解放を求めたが、応じる気配は全くなかった。それが今この変わりようである。市民は民主化へのお墨付きと受け取ったことだろう。しかし、スーチー氏は訪問を尚早とも案じたそうだ。「変革の最も困難な時期は成功が見えてきた時で、蜃気楼に惑わされないよう、十分気を付けなければいけない」と釘を刺す。現実の政治に手を染めれば、民主化の象徴のような純粋さを保つのが難しい局面もあろう。内外に対して「スーチー」という存在であり続けねばならない苦労を思う。

2012年11月21日水曜日

(1653)ミャンマーに500億円借款 首相表明

  11月20日の朝日。アセアン首脳会議でカンボジア訪問中の野田首相は、19日テインセイン大統領と会談し、26年ぶりに円借款を500億円規模で来春にも再開すると表明した。ヤンゴン郊外の火力発電所改修や、工業団地のインフラ整備、地方の貧困削減対策などにあてられる予定。ミャンマーが延滞する日本の債権を免除するなどして、来年1月にも解消後、円借款を再開する。一方、羽田国土交通相はミャンマーの運輸大臣と会談し、港湾設備、道路建設を日本側が支援することで合意し、覚書を交わした。すでにヤンゴン近郊のティラワ地区で数百億円規模の港湾整備構想が進んでおり、当面はこの受注を目指す。なお、米大統領とスーチー氏の2ショットの写真も掲載された(以上)。オバマ大統領の力の強さに驚いた。これで軍政に戻ることはないだろう。

2012年11月20日火曜日

(1652)米、ミャンマーに1.7億ドル

  11月19日の朝日夕刊。オバマ大統領は19日ヤンゴンを訪問しテインセイン大統領と会談、今後2年間で1億7千万ドル(約138億円)の援助を表明する。米大統領が訪問するのは初めてで、88年の民主化運動弾圧後悪化した両国関係は、歴史的な転機を迎えた。1億7千万ドルの援助は、民主主義の促進や教育、人材育成などの分野に重点を置く。一方、少数民族をめぐる問題や、人権状況の改善についても、一層の取り組みを求めるほか、武器取引などの軍事協力関係にあった北朝鮮との関係も取り上げる。主要な制裁措置のうち最後に残っていたミャンマー製品の禁輸も、16日に原則解除した。制裁継続の間に中国との関係を深めていたミャンマーを米国に引き付ける思惑や、ミャンマー市場への米企業進出を支援し輸出拡大につなげたい狙いもある。

2012年11月19日月曜日

(1651)大統領、国籍付与を検討 ロヒンギャ族

  11月19日の朝日。ラカイン州で少数派のイスラム教徒ロヒンギャ族と仏教徒との衝突が深刻化している問題に対し、テインセイン大統領が解決への姿勢を示し始めた。19日のオバマ大統領の訪問を前に、国際社会の批判が強まる人権問題に柔軟姿勢を見せた形だ。両民族の大規模な衝突は5月に発生、10月に再燃した。これまでに少なくとも178人が死亡、多くの家屋が焼かれ、延べ10万5千人が避難民となった。その背景には、ミャンマーに約80万人いるロヒンギャ族が、バングラデシュからの不法移民として扱われ、国籍は与えられていない。テインセイン大統領は国連総長に書簡を送付し「避難民の再定住から国籍付与に至るまで、さまざまな政治問題に取り組む」と約束した。ロヒンギャ問題を巡ってイスラム諸国がミャンマー政府を強く批判していた。

2012年11月18日日曜日

(1650)東日本入国管理センターで前向きな前進

  アムネスティ・インターナショナル日本からの情報。東日本入国管理センター(通称牛久入管)に入った被収容者は、収容所に入ってすぐ健康診断を受けるが、2012年11月14日以降は、その健康診断の項目に、血液検査と尿検査が加わる。さらに、長期収容者に対しても、前回の検査から1年経過した者に対しては、血液検査と尿検査が行われるようになった。被収容者たちは、運動できる時間が制限されており、狭い空間の中で、1日を過ごさねばならない。その結果、筋肉の委縮を招き、腰痛の悪化、ストレスの増大などさまざまな身体の不調につながっている。二つの検査が導入されることによって、より的確に被収容者の病状を把握し、悪化する前に処置できるようになる(以上)。私も2007年に1年間牛久入管を毎週訪問したが今回の決定は一歩前進だ。

2012年11月17日土曜日

(1649)スズキ ミャンマーでの生産再開へ政府に申請

  11月12日の日経電子版。スズキの鈴木社長は11日バンコクで記者発表し、ミャンマー政府に現地生産の再開を申請したことを明らかにした。1999年にヤンゴンで軽商用車などの合弁生産を始めたが、2010年に生産を停止していた。米国での四輪車販売から撤退を決めた同社は、拡大する東南アジア市場の開拓を加速する。スズキは来春にも認可が下りるとみている。同社はこれまで軽商用車「キャリイ」など累計6千台強生産し、生産のピークは08年の1400台だった。ミャンマーは民主化の進展で、今後高い経済成長が見込めるほか、人件費の安さなどから将来は新たな輸出基地になる可能性もある。一方タイでは来年の四輪車生産台数を今年より3万3千台多い5万4千台に引き上げる計画も発表した(以上)。スズキはミャンマー進出企業の柱となろう。

2012年11月16日金曜日

(1648)受刑者452人を釈放 オバマ氏訪問前に

  11月15日のCNNニュース。ミャンマーの国営紙はテインセイン大統領が服役中の外国人を含む受刑者452に恩赦を与えた。数日後に米国のオバマ大統領が現職の大統領として初のミャンマー訪問を実施する前の釈放となった。外国人受刑者は恩赦が与えられたのち出国する予定。軍政後の文民政府を引き継いだテインセイン大統領は、過去1年、改革政策の一環として数百人の政治犯を釈放している。これを好感した欧米諸国は、ミャンマーに対する経済制裁の緩和で応えていた。オバマ大統領は11月17日から4日間にわたって東南アジア三国を歴訪し、ミャンマーでは、テインセイン大統領との間で、政治犯や政治改革、法の統治、平和、和解などの問題が取り上げられ、また、スーチー氏とも会談の予定(以上)。ミャンマーの中国一辺倒は終わりそう。

2012年11月15日木曜日

(1647)イオン、ミャンマーでPB衣料生産

  11月15日の日経電子版。イオンはミャンマーで衣料品の委託生産を始める。男性向けを中心に、まず15品目程度を現地工場に委託、来春、日本で販売する。春物でスーツやブルゾンといった男性向けの衣料品約10品目と、ジャケットなど2‐3品目の女性衣料を現地に拠点を構える取引先に委託し、10-11月にかけて委託先工場が生産を始めた。これらはイオンのPB商品として年明け以降、日本全国の店舗で販売する。青山商事は2013年に同国での紳士スーツ生産量を12年見込み比で4割増の13万着に引き上げる。ミャンマーはアジアでも賃金水準が低く、人件費が中国の5分の1程度(月額7500円)で、生産地を中国から分散させる際の候補地として注目されている。ただ物流面は日本まで3-4週間を要し、上海の4-7日に比べ3倍以上かかる。

2012年11月14日水曜日

(1646)当たると評判「足相占い」を体験する(広告)

  11月14日の朝日新聞広告欄。ヤンゴンの寺院の参道や、すぐそばの路地に、手相や占星術などの小さな占いの店が軒を連ねていた。信心深い仏教徒の多いこの国で、占いの店と宗教施設が隣接していることに驚いた。ガイドに導かれ訪れたのは、当たると評判の「足相占い」の先生のお宅、先生が足裏にペンを走らせ、出てきた絵柄で人の来し方、行く末を占うのだという。ペンが足裏の線をなぞる度、くすぐったさに身もだえと笑い声をこらえきれない。しばらくして足裏から現れた図柄は「白鳥」(ぐちゃぐちゃな線にしか見えないが)。最初は冗談半分に先生の話を聞いていたが、皆だんだんと真剣な面持ちに。「あなたは物書きですね」、「三人兄弟ですね」、「二つの場所を起点としてますね」。本当に当たっているのだ。ミャンマー訪問の際、体験されてはいかが?

2012年11月13日火曜日

(1645)ミャンマー地震 複数の死傷者

 11月12日の朝日新聞ジャカルタ支局からの記事。米地質調査所によるとミャンマー中部で11日午前7時42分(日本時間10時12分)、マグニチュード6.8の地震があった。震源はミャンマー第2の都市マンダレーの北117キロで、深さは10キロ。AP通信によると、マンダレーでは非常に大きな揺れを感じたという。イラワジ川で建設中の橋が崩落するなどの被害があり、少なくとも5人が死亡、複数の負傷者が出ている。同日午後5時24分(同午後7時54分)には、余震とみられるM5.8の地震があった。震源はマンダレーの北88キロの地点(以上概要)。インターネット(DBV)によれば地震直後の街の情景、例えば、路上に集まる人々のおびえる姿、橋の崩落、横倒しのパゴダなどが映し出されていた。東日本大震災を経験した我々にとっても、他人事ではない。

2012年11月12日月曜日

(1644)ワッハッハ すっごく楽しかった誕生日会

  11月11日は私の誕生日、渋谷のシェーキーズ(イタリアンレストランというか、ピザ・パスタの食べ放題の店)に30人の牛久入管同級生(ミャンマー女性)が続々と集合、この店ではTさんのご主人が働いている関係で、サービスも満点、特にイタリヤ・ワインがおいしかった。大滝さんも、Mさんもわざわざ参加いただき、恐縮。何しろ1年に1回のお祭りだ。懐かしい顔ばかりなので、乾杯の後私が立ち上がり、昨年に続いて「笑顔」、「感謝」、「継続」の文字を見せながら挨拶、笑顔の意味が分からないと困るので、みんなで一斉に笑う練習をした。「ワッハッハ」。来店していたお客さんもさぞかしびっくりしただろう。その後は恒例のプライスクイズ、キャーキャーワーワー、ミャンマーの30代女性がこんなに騒々しいとは知らなかった。シメはアポージーオーオーの大合唱で幕。

2012年11月11日日曜日

(1643)共感をお金に 米で注目 起業資金をネットで

  わっはっはっ、今日から84歳だぜ~。若者には負けないぜぇ~(少しは負けるけどさっ)。今日は、牛久入管にいたミャンマーの女性30人が、4時半から渋谷で「私の誕生日会」を開いてくれるって、ワイルドだろう。今朝の朝日に、標記の見出しとともに、「一般から広く薄く」、「規制緩和が追い風」との見出しが並んでいた。事業内容に共感した一般の人たちから、銀行などを通さないで、インターネット上でお金を集める方法だ。「クラウド(大衆)ファンディング」と呼ばれ、ベンチャー企業を活性化させるきっかけになると期待されている。私がN1会で狙っていたのがこの手法で、日本ではREADYFOR?が最初に名乗りを上げ、現在活発に起業資金を調達している。起業には通常資金が必要だが、N1会の場合は50万円の募金を考えていた。来年春頃には実現したい。

2012年11月10日土曜日

(1642)オバマ氏ミャンマー訪問へ

  11月9日の朝日新聞。標記の見出しとともに、「現職大統領で初、経済関係強化を議論」と続いていた。米ホワイトハウスは8日、オバマ大統領が17日からのアジア諸国歴訪で、ミャンマーを訪問すると発表。ロイター通信によると、現職の米大統領がミャンマーを訪問するのは初めて。オバマ氏は17日から19日にかけてタイとミャンマーを訪問、ミャンマーの最大都市ヤンゴンでテインセイン大統領や最大野党の党首スーチー氏と会談する予定だ。同国の政治、経済改革を支援する考えを改めて伝えるとともに、経済関係の強化についても話し合う見通し、20日にはカンボジアで開かれる東アジア首脳会議に出席する。また米国防総省はパネッタ国防長官も来週にオーストラリアやタイ、カンボジアを訪問する。カンボジアでは、16日にアセアン諸国の国防相と会談。

2012年11月9日金曜日

(1641)ロヒンギャ族の船沈没、バングラデシュ沖

  バングラデッシュ南東部のテクナフ沖のベンガル湾で7日、ミャンマー国境付近からマレーシアに向かっていたイスラム教徒のロヒンギャ族ら約110人を乗せていた船が沈没した。ロイター通信によると、バングラデシュの国境警備隊などが51人を救出したが、残りの約60人が行方不明、ミャンマーでは迫害を受けたイスラム教徒のロヒンギャ族が国外に逃げる動きが続いている。ベンガル湾では、10月28日にも、ロヒンギャ族ら約130人を乗せた船が沈没し、大半が行方不明になっている(以上概要)。テインセイン大統領は彼らは自国民ではないと発言し、それでいて、アセアンや国連の議題になることを避けている。スーチー氏も黙っているだけでなく、発言して欲しい。現在、アラカン地域における国軍の存在が大きな力となっているが、即、軍政の再現だ。

2012年11月8日木曜日

(1640)しばらく延期だぜ~ N1会 ゴメンネ

  このブログで、最初に「N1会」を取り上げたのが9月中旬(1588~1590)のつぶやき、その時は日本語能力試験N1級に合格しても、働く場が少なく、相変わらずミャンマー人の多くは、飲食店で働き続けていた。時まさにミャンマー国家再建の時代、こんなことででいいのかと気になっていた。たまたま難民支援協会やREADYFOR?では、「起業」という観点で資金を提供する支援組織を発表していた。まず私はこの2組織の存在をミャンマー人に知らせたかった。アイデアがあれば資金は集まるということを。その後、N1会を発足させ、いろいろなアイデアも提供したが、残念ながらミャンマー人からの盛り上がりが見られなかった。この種の活動は当事者の意欲が一番大切。結局、来年春まで会の活動を延期することにした。両国語ペラペラの諸君、今一度考えよう。

2012年11月7日水曜日

(1639)シンシア・マウン医師(メタオ・クリニック)

  時事通信の11月2日の情報によれば、ミャンマー改革でメタオクリニックに対する支援が減少しているという。テインセイン大統領による大胆な改革が進むミャンマーでは、国内の政治、経済に世界が注目するのとは裏腹に、国境のタイ側で20年以上ミャンマー難民らを医療面から支援してきたクリニックが深刻な資金難に直面している。院長のシンシア・マウン医師は「改革といっても国境周辺の状況は変わっていない」と訴える。タイ北部メソトにある「メタォ・クリニック」の年間予算3億円の大部分を欧米系のNGOの寄付で賄ってきた。医薬品の8割を支援してきた英国の団体は下半期分の1300万円が遅れている。他に十数団体が支援を減額したため、希望退職には660人中60人以上が応じた(以上)。日本側もなんとかしてシンシア医師を応援してあげたい。

2012年11月6日火曜日

(1638)ヤンゴンに高層ビル 日本が設計、来春着工

  11月1日の産経ニュースによれば、ミャンマーの最大都市ヤンゴンで、地上38階建て(高さ約195メートル)の高層ビルを建設する計画が進んでいる。民主改革の進展に伴い、外国企業や国際機関などが相次いで進出し始め、貸事務所の供給が追いつかないのが現状。完成すれば最高層ビルの一つになる見通しで、5階以上は貸事務所として利用する予定。3日にヤンゴンで、施主らが出席して調印式が行われる。着工は来年3月、2015年秋の完成を見込んでいる。施主はシンガポールの企業と、ミャンマーの信用金庫などで、東京都港区の入江三宅設計事務所が設計を担当、4階までは店舗が入る予定。日本企業が手掛け99年に完成したヤンゴンの「さくらタワー」は20階建てで今回計画中のビルはその約2倍の高さ(以上)。日本の底力を見せてほしい。

2012年11月5日月曜日

(1637)外資呼び込む新法成立

  10月3日の朝日新聞。ミャンマー国会は1日、上下両院合同で、新しい外国投資法案を可決した。AFP通信によるとテインセイン大統領が2日に署名、成立した。同法案をめぐっては、国会が9月にいったん可決したが、大統領が署名せず国会に差し戻したため、新法案を審議していた。新投資法の詳細は発表されていないが、国会関係者によると、9月に可決された法案が、国内企業を保護する意味合いが強かったのに対して、新法は外国からの投資を促進する観点から、柔軟性を持った内容となっているという(以上概要)。一度議会で可決された法案を大統領が差し戻すというやり方は、日本ではなじまないが、大統領制だからできる荒業。それにしてもテインセイン大統領は結構やるじゃないか。ここ当面は、彼に任せてもよいように見える。これで一歩前進だ。

2012年11月4日日曜日

(1636)ちょっと無理だった? N1会の計画

  最近私はN1会にのめり込んでいる。N1メロだ、ビルメロは発音しやすいが、「エヌイチメロ」とは舌がうまく回らない。しかし間に・を入れると{エヌ・イチメロ}、これならまあまあだ。さて(1633)で述べた計画、即ち、4つの書籍をメンバーが手分けして一度に発行しようという計画は、日本人メンバーからの意見もあり、考え直してみるとやはり無謀だった。インパール作戦の無茶苦茶な計画と何となく似ている。そこで今回は4冊の書籍発行計画を1冊発行に絞ることにした。テーマは「都内ミャンマー料理店の紹介」で、メンバー全員が手分けして都内に30店ぐらいあるとされるミャンマー料理店を探訪し、小冊子にまとめてそのお店を紹介しようというもの。私たちはミャンマー料理をときどき食べているが、実においしい。ミャンマーの食文化を広く日本に紹介したいのだ。

2012年11月3日土曜日

(1635)アラカン州での衝突でデモ

  在日ビルマ・ロヒンギャ協会(BRAJ)からデモの案内を入手した。以前にも一度あったが、今回は世界各地のロヒンギャ団体(ビルマ、イギリス、日本、オーストラリア、ドイツ、タイ、デンマーク、オランダ、ノルウェー、マレーシア)が共同で参加している。内容は、11月8日12時にビルマ大使館前で、また14時外務省前でデモを実施するという。この日をGlobal Action Dayと位置づけ、10月21日から再発したラカイン州での衝突で多数の死傷者と避難民が発生し、多くの住居が焼失していることに関し、「アラカン州でのすべての衝突の即時停止」、「国際的な監視と調査の実施」、「避難民への支援」を叫ぶ。最近発表された衛星写真を見ると、ロヒンギャ民族住宅地が全面的に焼失していた。実に恐ろしい衛星写真だ(以上)。単に国内問題で処理してはいけない。

2012年11月2日金曜日

(1634)後藤修身さんのブログから 

  久しぶりに後藤修身さんのブログを開いてみた。以下10月30日の内容。ミャンマーに来て早くも1ヶ月と10日が経った。今までミャンマー人の友人の会社に居候していたが、やっとアパートも決まり昨日から新居に移った。国立劇場の隣にある、U Wizara Housing という場所だ。仏教に基づいた社会主義で鎖国をしていたという不思議な国だったネ・ウィン時代(1962〜1988年)、ここは政府高官の官舎だった。全て4階建ての古いアパートが30棟以上ならんでいるが、アパートとアパートの間隔が広く緑も多い。一番古いアパートは1962年に建ったという。新しくても70年代だ。変化の激しいヤンゴンの中で、ここだけが時間が止まっているかのように感じた(以下省略)。日本流にいうと3DKで壁は青く塗り替えられ、床にもきれいなシートが。うらやましいなぁ。

2012年11月1日木曜日

(1633)「ミンガラN1会」書籍発行の夢

 「ミンガラN1会」では、当面、自分たちの手で発行する簡易書籍の作製に努力したい。いずれもA-5判、数十頁程度という、ささやかな書籍である。在日ミャンマー人による新規起業という意味では価値のあるものと思う。以下4件を紹介する。①「山村淳平著:病を防ぐ」のミャンマー語訳:在日ミャンマー人にぜひ読んでもらいたい書籍だ。②「ネーミョージン物語」:このN1会会員の実弟の物語、国軍の将校であったが、政治囚として刑務所に収容され、恩赦で釈放、以後献血運動、井戸ほり運動に活躍している豪快な民主化運動家の人物評(日緬両国語)。③都内のミャンマー料理店は30軒前後あるといわれているが、日緬両国人にそれぞれの店(ミャンマーの食文化)を紹介したい。④書籍とは言えないが数頁の広報用パンフ「ミンガラN1会会報」も作成したい。

2012年10月31日水曜日

(1632)ミャンマー政府 3者協議を拒否

  今朝の朝日は、標記の見出しで、ラカイン州での民族衝突に関連して、アセアンや国連との協議をミャンマー政府が拒否した旨報じた。国連は6月の衝突で、7万5千人が避難したキャンプに、さらに2万6500人が流入したと推定。死者は10月だけで88人(29日現在)、6月以降では計180人に上るという。AFP通信によると、スリン・アセアン事務局長がミャンマー政府に、アセアン・国連の3者での話し合いを提案したが、拒否されたという。同事務局長は「ミャンマー政府は衝突を国内問題と考えているが、注意しないとすぐ我々の問題となる」と述べた(以上概要)。ロヒンギャ問題は、インドネシアやマレーシアのイスラム教徒とも関係があり、アセアン各国も不法入国に警戒しているが、同じイスラム教徒の多い国であり、アセアンや国連を活用してもいいと思うが。

2012年10月30日火曜日

(1631)皆さん「ミンガラN1会」への応援よろしく!

 「ミンガラN1会」は6人のミャンマー人青年の声を受けて静かに出航した。ここで、思い出したのがミャンマーの独立に大きな力を発揮したグループ「三十人の志士」の活躍だ。リーダーはもちろんアウンサン将軍、スーチーさんの父親だ。いまミャンマーは2回目の独立を樹立しようと動き出している。世界中の眼差しが、新しい民主国家ミャンマーに向かっている。在日ミャンマー青年はこの得難い機会を大いに活用してほしい。N1会の活動は、当初はささやかなものだが、将来大きな力に育つはず。取りあえず我々は、彼らの特技である日本語⇔ミャンマー語の翻訳力を生かして、3冊の単行本の発行を考えている。著者名は彼ら自身だ。私自身も10年前に単行本を出版した経験があるが、すごく嬉しかった。皆さん新しいプロジェクト「ミンガラN1会」を応援して!

2012年10月29日月曜日

(1630)N1会がゆっくり出航、ワクワク

  念願の「ミンガラN1会」が昨日スタートした。私が準備した規約案とReadyfor?申請案をもとに、参加者12人によって審議した。始めての参加者もいて、戸惑いの声も上がっていたが、次第に熱気を帯びてきて、多くの意見が飛び出した。例えば、◆ミャンマーにある日本関連企業からの翻訳活動もあるが、当面の活動としては、日本でできる翻訳活動を中心にしたい、◆世話役代表に西田、世話役(会計)に渡辺夫妻、世話役にノポポ氏を決定、◆「ネーミョージン物語」の主担当を渡辺夫妻とし、現地取材も行う、◆スポンサーへの謝礼のためのミャンマーグッズ購入はアウンコーラッ氏担当、◆山村先生への出版許可打診はノポポ氏、◆N1奨学金(合格者1人に5万円)西田担当、◆その他の担当については西田に一任、後日提案する。今まさにワクワクだあ。

2012年10月28日日曜日

(1629)サヤガドーボエ 文化の伝承だ

  今日10月28日はミンガラ日本語教室のサヤガドーボエの日、約60人の生徒が集まり、10数人の日本人先生に対して合掌礼拝を行う仏教儀式が行われた。教室は1996年に開講したが、数年後にチーハンさんを中心に、この儀式が毎年秋に行われるようになって今回が11回目、素晴らしい儀式だ。礼拝を受けた後、各先生が一言ずつ訓話を話すのだが、私は去年に引き続き、「笑顔」、「感謝」、「継続」について話し、さらに今年は「大志」を加えてみた。ミャンマーはいままで軍事政権が続き、世界最貧国に甘んじてきたが、今や世界経済の目はミャンマーに注がれている。この時期を逃がすことなく、祖国再建に熱い「大志」を抱いてほしいとの意味だ。今回の参加者には小学生以下の子供も多かったが、ミャンマー文化の伝承という意味でも、大切な行事なのだ。

2012年10月27日土曜日

(1628)ミャンマー民族衝突 更に拡大、64人死亡

  今朝の朝日新聞には(1625)に続いて標記の見出しが目に入った。ミャンマー西部ラカイン州で再燃している住民同士の衝突が拡大し、26日までに死者が64人。テインセイン大統領は、25日夜緊急声明を発表し、「治安悪化は民主化に移行する国のイメージを損ねる」との危機感を表明。治安回復に全力を挙げる考えを示した。州当局者が26日に明らかにしたところでは、住宅や宗教施設2千か所以上が放火、破壊され、負傷者が多数出ているという。政府は夜間外出禁止令を出す一方、軍や警察が鎮圧にあたっている模様だ。住民の一人は「軍はロヒンギャ住民を守り、アラカン族住民を銃撃した」と話している。国際社会、とりわけイスラム教国などから、ミャンマー政府がロヒンギャ住民に対して十分な治安や保護を与えていないとの批判が強まっている。

2012年10月26日金曜日

(1627)アムネスティからの見解

  アムネスティ・インターナショナル日本からの定期レビュー、第14回ワーキンググループ(2012年10月・11月)への提言と称する日本政府に対する要請文を入手した。その内容は、「国内人権機関の設置」、「死刑廃止」、「代用監獄制度」、「旧日本軍性奴隷制」、「難民と難民申請者」、「あらゆる形態の差別と人種差別」との項目が並ぶ。いずれも耳が痛くなる内容だ。特に私が注目するのが「難民と難民申請者」の項目、現況を説明したのち「国がとるべき行動」を提言している。それによれば、「国際法や基準に準拠した公正で効力のある透明性の高い、難民の地位決定手続きを行う」、「難民申請者の期限の無い拘束をやめる」、「難民申請者の拘束は最後の手段であり、妥当な代替案がなく法的根拠を持ち、妥当な場合に限る」(以上)。法律改正に努力しよう。

2012年10月25日木曜日

(1626)地中の戦闘機60機発掘へ

  10月19日の読売新聞に標記の見出しがあった。第二次世界大戦中に、英国軍が日本軍とのビルマ戦線に投入するため移送し、終戦前後にヤンゴンなどの地中に埋められたとされる戦闘機「スピットファイア」の発掘計画が始動する。まず来年までに計60機が約70年ぶりに掘り出される予定だ。ヤンゴンの36機やミッチーナの18機など、すでに埋蔵場所が特定されている計60機を来年末までに掘り起こす。その後、ヤンゴン周辺などに埋められているとみられる20機についても、埋蔵場所の特定を進め、発掘する予定。発掘費用は7900万円以上。埋めたのは、イギリス軍が撤退する際、反英勢力の手に渡るのを防ぐためだったという。英国政府は、1機を博物館で展示し、残りは競売にかける予定(以上概要)。「スピットファイア」、とても懐かしい名前だ。

2012年10月24日水曜日

(1625)ミャンマー民族衝突再燃 西部ラカイン州

  今朝の朝日には、標記の見出しのもと、3人が死亡した旨報じていた。6月に民族衝突から70人以上が死亡し、放火などで数万人が家を失ったミャンマー西部のラカイン州で、21・22日に再び衝突が発生、少なくとも3人が死亡し、300件の住宅が火災などで壊された。BBCやラジオ自由アジアのビルマ語放送が現地当局者の話として伝えたもので、21日夜半から州都シットウェのミンビャ郡などで、仏教徒のアラカン族とイスラム教徒のロヒンギャ族の住民同士が衝突、襲撃や放火があちこちで始まり、翌朝まで続いた。テインセイン大統領は軍が全権を握る非常事態宣言を出していた(以上概要)。私の友人はシットウェ出身者で来日10年目だが、日本に来るまでロヒンギャ族の存在自体を知らなかったという。長年にわたり巧みな情報管理が行われていたようだ。

2012年10月23日火曜日

(1624)N1会の進め方 「近いうちに」

  ミンガラ日本語教室のN1級合格者(従前の1級合格者も)で、賛同するメンバーからなる「ミンガラN1会」発足に向けて、私自身、頭の中をあっちへ行ったり、こっちに転がったりと混乱気味。しかし、いろいろな提案をいただき、なるほどと思われる意見も多い。例えば、寄付してくれた人への見返り品として、出版物のみを考えていたが、ミャンマー土産品を加えれば喜ばれる筈だ。また、ミャンマー人と話せる会の設定も面白い。授業風景を見学した後、簡単なビルマ菓子を摘みながら、話し合いの会を設定したら最高だろう。またN1合格者の事業成功例をまとめるのも名案だ。会員の皆さん、どんどん楽しい提案をお寄せください。28日の総会は、賑やかになりそうだ。急ぐことはないので、会員の声をよく聞いて、誰かさんと同じように、「近いうちに」スタートしたい。

2012年10月22日月曜日

(1623)ミャンマー大統領「傀儡」卒業カリスマの顔

  朝日新聞アジア総局長の藤谷健氏のニューヨークからの記事(今朝掲載)だ。9月27日の国連総会でテインセイン大統領が登場、淡々とした口調で政権の実績を次々と強調、先に訪米したスーチー氏を称賛することも忘れなかった。2年前までテインセイン氏が首相だった軍事政権は、スーチー氏を15年近く自宅軟禁においていたのに、だ。軍政当時は最高実力者タンシュエ氏の忠実な部下との印象だった。それ故大統領就任以後も軍政の延長、つまり「傀儡」とみられていた。しかし総会では、指導者としての自信に満ち溢れていた。他の軍政幹部と違い、汚職に縁遠いとされ、カリスマ性すら帯びてきた。3年後の総選挙でスーチー氏の人気に対抗できるのは大統領しかいない。世界から注がれる熱い視線、脆弱さを抱えながら期待が一人の肩に重くのしかかる。

2012年10月21日日曜日

(1622)ミャンマー進出高い壁

  今朝(10月21日)の朝日には、標記の見出しのほか、「開発の遅れ民主化後も深刻」、「オフィス賃料が高騰」、「安い労働力争奪戦」、「投資ラッシュまだ先」などの見出しが並んでいた。民主化に伴って経済制裁が解除されることになり、世界の企業が熱い視線を送り始めたミャンマー、だが現地でビジネスを始めた企業はまだ一握りだ。インフラの不足が深刻で、「投資ラッシュが本格化するのはもう少し先だ」という見方が目立つ。日本からの進出(予定)企業は、ハニーズ(婦人服縫製)、NTTデータ(システム開発拠点)、スズキ(自動車工場)、伊藤園(事務所11月に開設)、ローソン(1号店出店準備中)、全日空(直行便就航)、日通(連絡事務所7月に開設)、その他、東京証券取引所、大和総研、三井住友銀行、三菱東京UFJ銀行、みずほ銀行、太陽生命など。

2012年10月20日土曜日

(1621)兄貴の米寿を祝う

  昨日は私の兄(88歳)の米寿祝のため、池袋の東武百貨店内の千疋屋の喫茶ルームで会食した。96年のミンガラ日本語教室設立後、長らく手伝っていただいたので、当時の生徒は「お兄さん」、「お兄さん」と私よりも慕ってくれた。兄もミャンマー人生徒が大好きになり、毎週授業の際、大きなカバンに湯沸かしポットとコーヒー粉末、砂糖、ミルク、紙製コップなどを持参して、休憩時間に勉強疲れの生徒たちに熱くおいしいコーヒーを振舞っていた、時にお菓子も。このため、古い生徒の間では「お兄さん」はいまでも評判、会うと「お兄さんはお元気?」とよく聞かれる。兄夫婦と私の夫婦4人(合計335歳)による楽しい米寿の祝賀会が終わった後、元生徒Nさんが勤務しているお店で、赤色の「ハデ派手」シャツをお揃いで購入、今後会うときはペアルックで会おうと約束。

2012年10月19日金曜日

(1620)ミャンマーの少数民族窮状訴え

  昨日に続き少数民族の話題。今朝の朝日には、上記表題の内容として、ミャンマーで長く政府軍と戦闘を続けてきた少数民族系の武装勢力10団体の代表が来日し、18日、都内で記者会見を開いた。改革を進めるミャンマー政府との恒久的な和平の必要性や、少数民族の経済的な窮状を訴えた。来日したのは、少数民族の連合体、「統一民族連邦評議会(UNFC)」に所属する各派の幹部ら。少数民族向けに総額300万ドル(約2億8千万円)の支援を決めた日本財団が招いた。なお、昨日の紛争状況の続き。◆アラカン州シットウェで数百人のビルマ人僧侶がデモ、地元のムスリムに対して抗議するとともに、隣国バングラデシュでの仏教徒への暴力に抗議。 ◆9月17日・20日のヤンゴンでの非暴力デモの参加者が逮捕されたが、起訴をやめるべきと表明。

2012年10月18日木曜日

(1619)カチン、カレン、ラカインの状況

  PFBメールマガジン(10/16)からのニュース。 ◆昨年6月カチン州で国軍の攻撃が始まり、これまでに合計10万人近いカチンの人々が避難を余儀なくされてきた。しかし、在タイ・カチン女性協会は国際社会の人道支援が十分に届いていないとし、カチン州への攻撃の即時停止を求めるとともに、避難民への人道支援の要請を表明した。 ◆10月28日にカチン州東部で誘拐されたカチンの女性は、同日に殺害されていたということが、目撃者の証言で分かった。 ◆カレン民族同盟(KNU)は、ビルマ政府と非公式に会合していたカレンの年長のリーダー3名を除名した。 ◆国連によれば、ラカイン州で暴力が起きてから4か月になるが、国内避難民は増え続けている。7万5千人の人々が現在キャンプ生活を送っておりさらに多くの人が人道支援を必要としている。

2012年10月17日水曜日

(1618)少数民族との和平「遅れる」 交渉担当相

  10月17日の朝日には、標記の見出しで、ミャンマーの少数民族との交渉を担当するキンイー入国管理・人口相の見解が掲載されていた。キンイー氏は恒久的な停戦協定について「最終合意にはさらに4か月かかる」と述べた。少数民族との和解はテインセイン大統領がかがける改革の柱だが、当初の想定より半年以上遅れる見通しだ。停戦協定は、今年1月の停戦の暫定合意を受けて交渉中。キンイー氏は、時間がかかる理由として、KNU内部の意見対立や、停戦の詳細な条件の詰めなどを挙げている。同氏は停戦協定後紛争を逃れた4万人に上るカレンの国内避難民の帰還を優先する方針を表明。このための地雷除去や住宅建設を進めていくとし、「日本からの支援を歓迎したい」と述べた。一方で、「タイ側に住む難民の帰還の早期実現は困難」とも説明。

2012年10月16日火曜日

(1617)ミャンマーへ直行便

  10月16日の朝日新聞には、標記の見出しのほか、「ビジネスチャンスを載せて」、「急速な民主化、12年ぶり再開」、「重役らが続々、すぐに仕事」、「要人も行き来、増える駐在員」などの見出しが続く。全日空は1996年から中型機を関西空港からヤンゴンに飛ばしてきたが、2000年に休止した。昨年3月に発足した新政権下で急速に民主化が進み、訪れる日本人は月に4千人以上と倍増した。1日1便で週3回、ビジネスクラスのみの38席で、ヤンゴンまでは7時間半、正規運賃は往復で50万円、10月の予約は65%。初便は満席で、夕方着いたらすぐ仕事ができるので、運賃は高くないとの意見も。ヤンゴンのジェトロ事務所では、両国の大企業の幹部や、政府要人がひっきりなしに往復しているという。ミャンマーへ進出する企業は70社近くに達する見込みだ。

2012年10月15日月曜日

(1616)中西先生のブログ ジャパンエキスポ②

  昨日に続きWIN日本語学校の中西先生のブログ「ジャパンエキスポ」から。3日目の会場風景が掲載されていた。「もうどこのブースも荒れ果てているんですが、とにかく見物客の数が多すぎます」、「それにしてもなんでブース内で弁当食べるんだろうね」、「うちのブースもちょっと目を離しているうちに、携帯でケータリングしてもらって、皆で食べまくっている」、「ちゃんと外に出て食べたのは日本人である自分だけ」。「このままミャンマー風を続けるのを許容すべきなのか、それとも国際的な基準に合わせるべきかいつも迷っている」(以上概要)。私も10年前、ヤンゴンの百貨店風のお店で、お客が前にいるのに三重の丸い弁当箱を囲んで3人の店員が楽しそうに食事中、アヤダシーダラー(おいしいかい)と聞いたら3人ともにっこり。いかにもミャンマー風の光景だった。

2012年10月14日日曜日

(1615)中西先生ブログ ジャパンエクスポ

  久しぶりにヤンゴンのWIN日本語学校の中西先生のブログを覗いてみた。相変わらず軽快で面白い。今回は10月5日から8日までヤンゴンのタマドーホールで開催されたジャパンプロダクトエクスポの内容。このような大展示会に出展できるまでに成長したWIN日本語教室は見事というほかない。「昨日の国営放送のニュースでは、「日本製品のすべてが揃っているので見ごたえがありました」、「今までミャンマーに無かった日本のメーカーがたくさん出展していました」。うーんかなり違うような。「とにかくすごい人でした」、「コスプレショーは大変な盛り上がりでした」、「ショーの内容より集まってきたミャンマーのアニメファン、コスプレファンの多さに圧倒されました」、「日本のサブカルチャーが広まってきて勇気づけられたけれど、一般客とのギャップがすごい」 など。

2012年10月13日土曜日

(1614)ミャンマー民主化で変わる中国との蜜月関係

  10月11日の日経電子版に、標記の見出しが。中国は従来ミャンマーの軍事政権を支持して貿易を伸ばしてきたが、ミャンマーの民主化と米欧への接近によって中国側は態度を硬化。国境の管理を厳格化したことで、ミャンマーからの入国者が減り、7-9月の貿易額は前年同月比で3割以上減ったという。雲南省瑞麗市にある国境貿易の特別地域「姐告辺境貿易経済区」の現状を探った。貿易の急減の原因は「ミャンマーの民主化」と分析されている。欧米からの経済制裁を受けて中国はミャンマーに接近、軍事拠点の設置、石油・天然ガスパイプラインの建設、中国側に送電するための水力発電所の建設、国際高速鉄道の建設などはいずれも延期、凍結、中止の状態に。中国は11月、習近平体制に変わるが、ミャンマーとの関係をどうしていくのか注目される。

2012年10月12日金曜日

(1613)ミャンマー支援、一丸 国際会合 日本が主導

  10月12日の朝日新聞には、標記の見出しの他、「企業の海外展開後押し」の見出しが並んでいた。民主化を進めるミャンマーへの支援のあり方を話し合う11日の東京での国際会合で、日本、世界銀行、アジア開発銀行は、二十数年ぶりとなる融資の再開に向け、動き出すことを表明した。日本主導で支援をまとめた背景には、民主化を後押しするとともに、経済の急成長が見込まれる同国に、有利な足場を気付きたいという思惑も透けて見える。世界銀行、アジア開発銀行は、それぞれ約310億円、390億円の借り換えに応じ、新規融資を可能にするというもの。ミャンマーはヤンゴン近郊のティラワ地区に2400㌶という巨大な工業団地建設の計画を進めており、日本に支援を依頼してきた。2015年の総選挙に間に合わせるため、来春にも工事を始める予定だ。

2012年10月11日木曜日

(1612)スーチー氏、ユゴーに重ねる覚悟

  10月9日の朝日夕刊に、表題のタイトルで、西永良成氏(仏文学者)のエッセイが掲載されていた。彼が先週1週間ほどパリに滞在し、ユゴー記念館への訪問を考えていた。スーチー氏が合計15年の軟禁生活中、独学でフランス語を学び、「レ・ミゼラブル」を愛読し、ジャン・バルジャンに深く共鳴していたことを知っていたからだ。彼女がフランスに行ったからには、「レ・ミゼラブル」出版150周年のこの年に、ユゴー記念館を訪れたはずと直感、予感は的中していた。祖国解放のために、全身全霊をささげる悲劇のヒロインが、脱獄囚として生涯住まいを転々とするユゴーの主人公に共感を覚えたのも当然だ。スーチー氏はユゴー記念館訪問によって、ジャンバルジャン同様、世界の暗く困難な行く末を直視して、何とか前に進もうという覚悟を新たにしたのではなかろうか。

2012年10月10日水曜日

(1611)ミャンマー・韓国 大統領会談 経済協力強化

  10月10日の朝日には、「ミャンマー・韓国大統領会談」、「経済協力強化で合意」の見出しが並んでいた。テインセイン大統領が初めて韓国を訪問、李明博大統領と会談した。韓国企業には「トップセールスで自ら投資を呼び掛け、韓国側も積極的に応ずる姿勢を示した。今後、経済を軸に両国関係が緊密化しそうだ。投資保障協定の締結交渉も始める。テインセイン大統領は首脳会談に先立ち、韓国貿易投資振興公社を訪れ、製造業や資源開発、インフラ整備だけでなく、農業分野への韓国企業の進出を要請、また、韓国企業を対象にした投資環境説明会にも参加した。韓国の経済団体代表との昼食会では、「世界経済の先頭走者である韓国の企業と協力したい」と呼びかけた。今年5月に李大統領が訪問し、爆弾テロ以降の関係改善に向け動き出していた。

2012年10月9日火曜日

(1610)スズキ、ミャンマー進出

  10月9日の朝日には、標記の見出しのほか、「15年までに新工場、検討」が1面に、7面には「ミャンマー開発に弾み」、「脱中国機運も追い風」と見出しが続く。自動車大手のスズキがミャンマーに進出して15年までに自動車の組み立て工場を新設し、年2万~3万台の生産を目指す。投資額は数十億円。高成長が期待される中、外資メーカーとしては最大規模の生産拠点になる。場所はヤンゴン近郊のティラワ地区の約40㌶、まず年数千台規模で生産を始めるという。この大手自動車メーカーの入居が決まれば、日本政府が「国家プロジェクト」と意気込む大型開発が大きく前進する。中国では労賃の急上昇があり、尖閣問題もあって脱中国の機運が広がるといった追い風もある。11日には東京で日本主催のミャンマー支援国際会合が開かれる。頑張れ日本!

2012年10月8日月曜日

(1609)「ミンガラN1会」 ワクワクしてきたな

  きのう有志5人が秋葉原に集まり「ミンガラN1会」発足のための準備会を開催。この会は、ミンガラ日本語教室で日本語能力試験1級・N1級に合格した10人弱のミャンマー人に、彼らが自ら努力して勝ち取った能力を存分に発揮して、活躍してもらおうというもの。ミャンマーは軍事政権が長く続いたためか、国民に進取の気性が少ない感じ(最近の日本の若者も)。現在、多くのミャンマー人が東京の飲食店やホテル清掃などで働いている。復興ミャンマーのために、若い人々がこのままでよいのか。取りあえず、翻訳、通訳、出版、母国を知らない子供たちへの文化の伝承、日本語・ビルマ語の出張教育、病院・役所への付き添えなど、できるところから始めたい。そしていま流行のSNSも活用して若々しい会としたい。それにはまず私が出しゃばらないことだ。そろそろ。

2012年10月7日日曜日

(1608)ミャンマー規制緩和が難航

  10月1日の日経電子版によると、標記の見出しと一緒に「外資法改正の成立は11月以降に」という見出しが並んでいた。最近日本をはじめ世界の経済界が、ミャンマーへミャンマーへと進出を図っている最中に、まさに意外な発表であった。概要は下記の通り。国際社会の制裁緩和を受けて経済改革に動くミャンマーで、出資上限など外資受け入れの条件を定めた「外資法」の改正作業が難航している。外資誘致を掲げるテインセイン大統領は、9月上旬に国会が可決した法案を不満として署名せず見直しを要請、急激な規制緩和に反発する地元企業の声を背にした国会との駆け引きは展開が読めず、法案成立は11月以降にずれ込む公算が大きくなった。一気に経済改革を進めたいテインセイン大統領は、規制緩和に反発する「民意」の壁にぶつかっている。

2012年10月6日土曜日

(1607)ミャンマー支援加速

  10月6日の朝日新聞に、財務省中尾財務官へのインタビュー記事が標記の見出しで載っていた。9日から東京で国際通貨基金(IMF)・世界銀行の年次総会が開催される。ミャンマー支援について、世界銀行や、アジア開発銀行(ADB)から「残っている延滞債務の解消に向けて具体的な方針が示される」と述べた。日本が議長国として11日に開くミャンマー支援会合では、「融資の再開に向けてまず延滞債務を解消していくことについて、より具体的な方針が示されるだろう」と語った。日本はすでにミャンマーへの円借款を25年ぶりに再開することで合意しており、その前提となる延滞債務の解消手続きについて「来年のできるだけ早い時期に始めたい」と述べた(以上概要)。日本がリードしながら進めるミャンマー支援は、久しぶりに明るいアジア外交の話題だ。

2012年10月5日金曜日

(1606)読了126冊目:「ビルマの花」

    副題「戦場の父からの手紙」、著者福田恵子、1988年6月・みすず書房発行、270頁、1854円。ビルマ北端のミイトキーナ(ミッチーナ)で米軍情報部所属の日系二世カール米田軍曹が、日本軍兵士の死骸の間から、幼い子供(著者)の描いた絵ハガキの束を見つけた。帰国後日本の著者に、「お父さん(秋葉中尉)は帰国されましたか」と連絡、その後来日の際にその絵葉書を著者に手渡し交流が始まった。著者はこの米兵を父親代わりと感じるようになってきた。しかし情報不足で、父の足跡は漠然としていた。40年経って著者は父の最後を求める旅を始める。シンガポール、アメリカ、そして日本の各地にいる知人に会って父の戦死の状況を尋ね回った。そして最後に人々の記憶のなかに生きている父(秋葉中尉、38歳)を探し出した。文中に多くの絵手紙を掲載。

2012年10月4日木曜日

(1605)第三国定住ゼロにFRJの見解

  FRJ(なんみんフォーラム)が10月1日発表した内容を紹介する。第三国定住プログラムによる難民受け入れ第3陣がゼロになったとの政府発表を受け、日本の難民(庇護希望者)を支援する組織の連合体である「なんみんフォーラム」は、今回の事態を大変憂慮している。ミャンマー難民3家族16人は、日本での生活準備のために研修を受けていたにも関わらず、全員が来日直前に辞退した。日本は2012年3月にパイロットプロジェクトを5年に延長することを決定。また日本政府は、昨年のUNHCR本部における閣僚会議で「日本に再定住した難民への支援プログラムを改善、充実させる」と誓約、国会でも「国際的組織や支援市民団体との連携を強化しつつ、庇護制度の確立、プログラムの充実に邁進する」と決議。今後、官民協同で実践していくべきと考える。

2012年10月3日水曜日

(1604)読了125冊目:「真実のインパール」

  副題は「印度ビルマ作戦従軍記」、著者は平久保正男(元陸軍主計中尉)、2006年6月・光人社発行、285頁、1800円+税。インパール作戦の記録は、多くの著書に記されているが、この本の内容は他書とだいぶ違っている。これは著者が主計将校であり、主に糧食や住居、医療品などを多くの兵士に分配する仕事であり、それらの作業を中心に描かれている。日本軍はインパールそばのコヒマまで攻め込み、英印軍の糧秣を奪取したが、結局は敗退することとなった。このように兵站面から書かれた著書は珍しく、主計部隊の苦労がよく理解できる。また、英印軍の捕虜となった後は通訳として苦労を重ねた。なお、現地ビルマ人による住居の提供や、食料供出など、敗残日本兵への協力ぶりには頭が下がる。主計将校から見た「真実のインパール」作戦といえる。

2012年10月2日火曜日

(1603)国別難民認定者数 合計598人

  全難連からの資料によれば、1982年~2011年までの出身国別の難民認定者数は下記の通り。ミャンマー307、イラン69、ベトナム59、カンボジア50、ラオス48、アフガニスタン26、イラク6、エチオピア5、コンゴ5、中国5、パキスタン2、バングラデシュ2、カメルーン2、クエート1、無国籍1、ブルンジ1、ウガンダ1、スリランカ1、エリトリア1、その他5、合計598人(以上概要)。ミャンマー人が多いのは、軍事政権による圧制が広く世界に知れ渡ったことと、素直な国民性、そして在日ミャンマー民主化団体や日本人による支援活動が、他国に比べて充実していたことなどがあげられよう。テインセイン大統領とスーチーさんという、3年前には考えられない奇妙なコンビが、祖国再建のために協力し合っており、2・3年後をピークに、同国の難民認定数は減るだろう。

2012年10月1日月曜日

(1602)読了124冊目:「農民ガバ」

  副題は「ビルマ人の戦争体験」、マァゥンティン著、河東田静雄訳、(アジアの現代文芸「ミャンマー」②)、1992年7月・大同生命国際文化基金発行、247頁、定価不詳。この原書は第二次世界大戦終戦直後の1945年の作品で、日本軍に占領された当時のミャンマー人農民ガバの生きざまを描いたもの。仏教を信じるミャンマー人民衆にとって、日本軍は当初こそイギリスを駆逐し独立を支援するように思えたが、次第に本性を現し、「汗の兵隊」と称する鉄橋建設に強制動員され、拷問、連行、虐殺など非道な処遇を受けた。ガバの愛娘も日本軍将校によって強姦され、婚約者は立ち去った。その後、アウンサン将軍らの抗日革命が展開されたが、ガバはそのグループの中にいるリーダー格の男性を発見、その男性こそ・・・・。日本人として読まねばならぬ小説だろう。

2012年9月30日日曜日

(1601)ミャンマー大統領 支援求め改革強調

  9月29日の朝日は、表題の通り訪米の公式日程を終えたと伝えた。民政移管後制裁を科す国への初訪問だった。「独裁体制から民主主義国に変わった」、「新たな目でミャンマーを見るべきだ」。国連総会の席上でテインセイン大統領は制裁の全面解除など「理解と支援」を求めた。「ミャンマーでは短期間のうちに驚くべき変化が生まれた」とも指摘。その例として、政治犯の釈放、公正な補欠選挙の実施、新聞・雑誌の事前検閲の廃止、労働組合の誕生などを挙げた。8月には最大の内閣改造に踏み切った。改革に消極的だったり、汚職の疑惑がある閣僚を更迭し、専門家や女性を積極的に登用した。スーチー氏を「同僚」と呼び、「改革を後戻りさせない」と強調したが課題も大きい。「改革には社会の安定と経済成長が必要だが、投資資金も人材も少ない」と発言。

2012年9月29日土曜日

(1600)ミンガラN-1グループ設立の夢

  このブログの(1588)~(1590)に記した私の夢のその後について説明しよう。昨日、メンバー関係者数人が四谷に集まって、この件を説明し、話し合った。いろいろ意見が飛び出した。日本語能力試験1級合格者というのは、日本の大学進学レベルの能力であり、N-1級はさらに高度な資格だ。ただこれらに合格していても、いろんな専門分野の通訳・翻訳については、当然のことだが、みな自信がなさそうだ。しかし法務省の難民認定申請書などを上手に翻訳している彼らは、結構能力があると思う。しかし、こういう時のために、熟練者にお願いするルートも作る必要がある。もう一つの課題はリーダーだ。私は老齢で外出もつらいので、顧問という肩書ならばお手伝いはするが、若手リーダーの選出も課題だ。現在意中の人はいる。新規起業は辛いが夢は膨らむ。

2012年9月28日金曜日

(1599)カンボジア投資ブーム

  9月25日の朝日新聞には、表題のごとくカンボジア投資ブームが特集されていた。中国の反日デモも追い風となり、ブノンペン経済特区の上松社長は、いま中国で事業を展開している日本企業からの問い合わせに追われている。日系企業のカンボジア投資は2010年からぐんぐん伸び、今年は390億円に上る見込みだ。ブノンペン経済特区の開発済みの工業団地はディズニーランドの約2倍、全区画入居する企業は決まっており、さらに1.5倍の工業団地も来年末には売り切れる予定。ミャンマーは人口6200万人、日本からの「下見」の出張者が急増し、ヤンゴンの高級ホテルの料金は、昨年の2-3倍。一方ラオス(人口640万人)のトンシン首相らは、ジェトロの石毛理事長に「事務所を開設してほしい」と熱望した。以上3国は、陸路を通じて経済的離陸を開始。

2012年9月27日木曜日

(1598)ミャンマーどう変わる 朝日オピニオン欄

  9月26日の朝日オピニオン欄には、1頁の7割を占める大スペースを使って、政策研究大学院大学学長の白石隆さんのインタビュー記事が掲載されていた。文中での二大論点として、「南進中国の支援に発展望めぬ不信感、バランスとる政権」、および「まだ見えぬ民主化 制度と人づくりで日本は成長支援を」を掲げている。変化への期待とは⇒「中国の衛星国家ではなく、どこの国も同じ条件でミャンマーを支援できるように」。今まで中国が支援してきたが⇒「中国は囲碁の陣取りのように静かに膨張」。中国への傾斜が問題なのか⇒「中国の経済協力には反発も相当あった」。「ミャンマーが急に日本寄りになるとは期待しないほうがいい」。内政の課題は⇒「少数民族との和解と経済成長」。憲法改正は⇒「なかなか難しい」。日本は⇒「制度と人づくりの支援を」。

2012年9月26日水曜日

(1597)ミャンマー難民日本定住を辞退 今年度ゼロ

  タイの難民キャンプに住むミャンマー難民を受け入れる日本政府の「第三国定住制度」を利用して来日する予定だった3家族16人が、今月末の出発を前に全員辞退した。現地の支援団体によると、16人は今年度の来日を希望し、日本語を勉強して準備を進めていたが、「日本での生活に不安がある」などとして翻意。制度の利用者がゼロになるのは2010年度の開始以来初めて。政府は10月から来年度の来日希望者を募集する方針だが、「このままで新たな希望者を見つけるのは難しい」との声も出ている。少数民族系の武装勢力とテインセイン大統領は、和平協議を進めているが、一部では戦闘状態が続き、地雷が残るなど、安全面の理由から帰郷に踏み切れない難民が多い(以上)。ワッハッハ、いつの間にやら延べ読者が60000人突破、ありがとう!

2012年9月25日火曜日

(1596)読了123冊目:「我が祖国」

 著者はキンスエウー、訳者は田辺寿夫、ビルマ叢書文学編①、1982年6月・勁草書房発行、262頁、定価1500円。トゥエとミイは仲良しのいとこ同士の女の子、トゥエには長兄と次兄がおり、この二人がアウンサン将軍の率いる30人の志士のメンバーとして登場している。彼らはビルマ義勇軍として日本軍と一緒に英印軍と戦い、日本軍が独立を認めないと見るや日本軍に反攻して、48年には独立を勝ちとった。しかし、その後共産党の反政府武装抗争、カレン族はじめ少数民族の反乱などが続き、軍人としての長兄、次兄の活躍が続く。そしてそれを見守るいとこのミイたちの日常生活が経糸として描かれており、一方ビルマはどのようにして独立を勝ち得たのか、これらを題材として戦う兄弟を横糸に混然と織りなす大歴史小説である。最終章があまりにも悲しい。

2012年9月24日月曜日

(1595)ミャンマーに親日的教科書

  最近、日本は中国や韓国から目の敵にされている。その一つの原因が両国の教科書にあるという。そういう中で、週刊新潮の9月20日号によれば、ミャンマーには親日的教科書があるという。在日留学生に「あなたの国で一番有名な日本人は」と聞くと、全員が「ボーモージョー」と答える。翻訳すれば「雷将軍」で鈴木敬司大佐のこと、彼はアウンサンスーチーの父アウンサン将軍をはじめ、いわゆる「30人の志士」を育成した日本軍人で、結果的にビルマをイギリスから独立することができた恩人なのだ。ミャンマーの第9学年(日本の高校1年)の歴史教科書には、独立する過程を記述し、「30人の志士が日本の軍事訓練を受ける」という項目があり、ここに軍服姿の鈴木大佐の写真が載っている。ただ、日本への賛辞だけではなく、戦時、物資の収奪や混乱も記述。

2012年9月23日日曜日

(1594)読了122冊目:「迷路の旅」

  著者はセインセイン、訳者は大野徹、1985年8月・井村文化事業社発行・勁草書房発売、東南アジアブックス・ビルマの文学№10、337頁、2200円。この作品は44歳で死去した女性作家(1928年~1972年)の死去2年前までの自伝である。著者は幼児期から鈍感な女性であったが、読書が大好きで努力して小・中学校で学び、文学への道を目指していた。その間、不幸にも当時不治の病といわれたハンセン氏病にかかり、世間から排斥された。過酷な闘病生活を続け、その間不法診療所で騙されるなど悲惨な目に合う。しかし家族の力添えもあり、特効薬で完全に治癒、いくつかの懸賞金付き文学賞を得て文学界に頭角を現した。このような自伝を書くには勇気が必要で、普通の人には書けないテーマであろう。幸せとか、不幸せとか思う人に薦めたい良書だ。

2012年9月22日土曜日

(1593)ミャンマー難民の日本移住進まず

  9月15日、5時49分のNHKニュースは、標記の話題を放映した。日本政府の「第三国定住制度」を利用して、タイの難民キャンプから日本への移住を希望するミャンマー難民が、今年は3家族16人にとどまり、当初の目標を大幅に下回ることが明らかになった。日本政府は、「第三国定住制度」を一昨年から導入し、9家族45人のミャンマー難民を受け入れてきた。今年は対象となる難民キャンプを1か所から3か所に増やして、半年前から日本行きの希望者を募ってきたが結果は上記のとおり。このため3年間に90人のミャンマー難民を受け入れる当初の政府目標は大きく下回る。その背景について関係者は、第1回来日者の定住がうまくいってないとの情報が伝わったこと、および、ミャンマーでの民主化が進み、祖国への帰還を望む人が増えたことを挙げている。

2012年9月21日金曜日

(1592)読了121冊目:「魅惑のミャンマー投資」

  著者は松田健(元日刊工業記者)、2008年6月・カナリヤ書房発行、262頁、1500円+税。昨年以降欧米からの経済制裁が解除され、今や世界中の経済界が最後のフロンティア・ミャンマーを目指しているが、この書籍はその少し前のミャンマー経済界を概観しており、貴重な労作といえよう。この種の書籍は、概して硬い文章が並ぶが、本書は軽い文体で記されており、実に読みやすい。第1部は「普通の国に向かう」、第2部は「世界が注目するミャンマー投資」、第3部は「ミャンマー企業・工場訪問記」と続く。特に第3部には「経済制裁を切り抜けた縫製業界」、「背広40万着生産の日本メーカー」など数多くの日本関連企業への取材記事があふれている。最近ミャンマー進出を考えている企業人には必読の教科書といえよう。オヤオヤまもなく延読者6万人だ。

2012年9月20日木曜日

(1591)スーチー氏「米中友好に協力」

  9月19日の朝日夕刊に、標記の見出しのほか、「米で講演 国際社会での役割強調」との見出しが並んでいた。米国を訪問中のミャンマー最大野党の党首スーチー氏が、18日ワシントン市内で講演、民主化と開国に踏み出した同国が、米中の橋渡しをする用意があることなど、国際社会の中でミャンマーが果たす役割をアピールした。スーチー氏は講演で、米欧の制裁下でも一定の関係を保った中国と、民主化後に急速に関係を強めた米国との関係に言及「米国がミャンマーとの関係を強めることは、中国と敵対関係になることを意味しない。我々はこれらすべての国との関係を強化することができる」と述べた。この日はクリントン米国務長官とも会談し、ミャンマーの民主化に向けた協力関係についても話し合った(以上概要)。スーチーさん、元気に頑張っている。

2012年9月19日水曜日

(1590)「N-1級の会(仮称)」の夢

  最近、私は世の中の矛盾が気になりだした。そういう年頃なんだろう。その一つが、日本語能力試験N-1級合格者への処遇だ。N-1級に合格した外国人は、何か生活が変わっただろうか。一部例外を除き、ほとんど変わらない人が多い。しかし個々の合格者が、より上級の仕事を目指しても壁は高い。しかしいまや緬流の時代、日本企業はミャンマーへミャンマーへとギラギラしている。この時代こそ、両国語を駆使できるミャンマー青年たちの出番だと思う。一人ではなかなかつかみ得ない翻訳・通訳の仕事も、数人から10人集まって世間に誇示すれば、順次上級の仕事が見えてくるだろう。中には日本企業の社員として活躍できるかもしれない。夢のような話だが挑戦してみる価値はありそうだ。最初の仕事はメンバーを集めること。こんなアイデアはいかが。

2012年9月18日火曜日

(1589)難民起業のための資金は

  昨日は難民起業の一環として、日本語能力試験N1級・1級合格者による翻訳・通訳グループの設立のアイデアを論じた。最近湧き上がった経済界のミャンマーブーム、および中国の反日デモを見据えた構想だ。日本の経済界も、ミャンマーの経済界も、共に翻訳・通訳の仕事は膨大なものになろう。この機会を逃してはいけない。そこで問題になるのが、起業時の資金問題、この面でも最近2つの潮流が動き出した。①難民支援協会(難民起業サポートファンド)では、難民起業化の成功のために融資(最大100万円)と経営支援を実施、そのために必要な資金は、広く寄付で集める。②READYFOR? 社会性の高い活動を実現するために、多くの人から少額の寄付を集め、みんなで夢を叶える方法。手数料合計16%だが寄付が多ければ問題解消。トライしてみたい。

2012年9月17日月曜日

(1588)夢中八策 難民に仕事を

  難民申請して「働いてよろしい」と入管からいわれた時、ミャンマー人はみんな笑顔が爆発する。長い間の苦労が吹っ飛ぶ瞬間だ。ただ問題はそのあとだ。ハローワークや、無料の職業紹介雑誌で新しい仕事を探すが、自分に合った仕事は見つからない。結局友人を頼って、飲食店やホテルの仕事に落ち着く。もちろんこのような仕事も尊い仕事だ。しかし彼らの多くはヤンゴン大学やマンダレー大学など、日本でいえば東大や京大の出身だ。もう少し理知的な仕事をしないと、将来のミャンマーが心配だ。私が創立したミンガラ日本語教室では、優れた青年が日本語を学んでおり、その頂点がN-1級だ。毎年難民でも何人か合格しており、これらの合格者を集めて、通訳・翻訳の仕事をしてはどうだろうか。経済界は時まさにミャンマーブーム、この機会を逃す手はない。

2012年9月16日日曜日

(1587)難民認定者の「帰化」について

  最近、私の周辺で帰化に関する問い合わせが多くなった。その際私は、①5年以上日本に住所があり、②20歳以上で日本人と同じ能力があり、③素行が善良で、④生計を営む能力のある人は帰化が可能だが、実際には困難でそのような例を聞いたことがないと答えていた。ところが9月9日「全難連」から標記に関して興味ある情報を入手した。ある外国人が、一度オーバーステイ状態になってから難民申請し「在特」を受けたが、帰化申請の上申書を法務大臣あてに出したところ、すんなり認められたという。上申書には難民条約34条の規定に従い、一般の外国人の帰化手続きよりも優先的かつ迅速に、また許可基準についても格段の配慮をとあった。このような例は少ないと思われるので、上申書の書き方など、やはり専門の弁護士と相談することが必要と思う。

2012年9月15日土曜日

(1586)ロヒンギャ族1人を難民認定、東京高裁

  9月12日の朝日デジタル版によると、ミャンマーから日本に逃れてきたイスラム系少数民族「ロヒンギャ族」の男性17人が、国に難民認定を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は12日、このうち1人を難民と認めた。大竹たかし裁判長は「政治的に迫害を受ける恐れがある」と判断。難民と認めなかった国の処分を取り消した。判決は、ロヒンギャ族がミャンマーで強制労働などの差別を受けていると指摘したが、残る16人については「迫害の恐れがない」と述べた。原告側の弁護士は、判決が「原告にはミャンマー国籍がある」と述べた点を問題視。「ミャンマー政府はロヒンギャ族を国民として認めていないのに、国民と断言したのは初めて。実態を分かっていない」と批判した(以上概要)。ロヒンギャ族の国籍をミャンマー国とした判例は、他にもあったと思うが。

2012年9月14日金曜日

(1585)新難民保護法の成立を望む

  すでに(1582)と(1574)で述べたように、新難民保護法の法制化に私は大賛成である。現行法律があるがために、多くの難民申請者が人道上の不利益をまともに受けている。たとえば、難民申請した仮放免者は、異議申し立て後3・4年は「就労不可」のまま放置されている。このような状態を現在の法律は認めているため、難民申請者はいかんともしがたく、泣き寝入りの状況だ。「就労不可」で3年も4年もどうやって生きていくのか。このように見ていくと、現行法律には数多くの矛盾点が浮かんでくる。今日11時から津田沼駅近くの喫茶店で、難民支援協会のお二人と面談した。READYFOR?という最新の手法で資金面を調達した上で、各政党に呼びかける準備を展開している。現在難民に対する各政党のスタンスは明確ではないが悪法は改訂してほしい。

2012年9月13日木曜日

(1584)読了120冊目:「現代ビルマ短編小説集上下」

  編・訳は大野徹、ビルマ叢書文学編5・6、1983年3月・井村文化事業社発行(発売は勁草書房)。上巻は233頁(16編)、下巻は234頁(14編)、共に定価1350円。内容は編者が自ら雑誌から拾い集めた30編の最もビルマらしさの見られる1958年~82年の短編集。上巻の内容は、「思い違い」、「マラリア」、「便所」、「死への一服の薬」、「徘徊する宝の山」、「深夜の旅人」、「無謀な猟師」、「独楽の上の石灰」、その他8編。下巻の内容は「初夏、霞たなびく頃」、「不漁の日」、「ポウパーのメーザーユ」、「ラングーン爆撃の日(日本軍がラングーンを占拠した時、ビルマ志願航空隊による爆撃)」、「立てれば白く倒せば緑色」、「頭から足先まで覆われて去って行った」、その他8編。全体的に農村、山村、漁村の生活情景が多く、30~50年前のビルマがよく理解できる。

2012年9月12日水曜日

(1583)ミャンマーへ ミャンマーへ

  9月11日の日経電子版には、「ミャンマーでインフラ整備、日本勢加速、通信や橋梁」との見出しが。NTTコミュニケーションズは月内にも企業が高速・大容量でデータ通信を利用するための国際専用回線を10倍に増やす。また、NTTコムはミャンマー郵電公社向けの回線容量を15倍に増やす。NTTドコモは、日本の携帯電話が、現地で使えるようにする交渉に入った。JFEエンジニアリングは、大型橋梁の建設に向け調査を開始する。場所はヤンゴンの北100キロのイラワジ河岸で、総事業費は100億~200億円。ミャンマーに対する日本からの直接投資は2010年までの20年間で2億ドル、100億ドルを投じたタイや中国に比べると大きく出遅れている。一方、9月8日の日経電子版によれば、三菱東京UFJ銀行が、ミャンマーでのドル送金業務の開始を発表。

2012年9月11日火曜日

(1582)韓国の新難民法

  日本では7月9日に新しい在留管理制度が施行されたが、お隣の韓国では昨年12月29日に新しい難民法が成立、施行は2013年7月1日の予定。全難連などから入手した韓国の新法を見てみると、日本の難民法と明らかに異なり、難民保護の色彩が強い。例えば、第5条:難民申請書を書けない人には、受け付ける公務員が作成し署名する、第8条:難民申請者の要請があれば録音、録画を拒否してはならない、第9条:法務部長官は難民申請者に有利な資料も積極的に収集し活用する、18条:難民認定は申請を受けてから原則6か月以内に決定、異議申し立てについても6か月以内に決定、第25条:難民委員会の設置、第30条:難民認定者の処遇、第40条等:難民申請者の処遇(難民申請6か月後に就職許可)など。日本の新法は、韓国以上でありたい。

2012年9月10日月曜日

(1581)MNLとのパートナーシップ協定締結(Jリーグ)

  日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)は8月27日、ヤンゴン・セドナホテルでミャンマーナショナルリーグ(MNL)とのパートナーシップ協定を締結した旨発表。Jリーグにとって、海外のプロサッカーリーグとのパートナーシップ協定は、2月のタイプレミアリーグ、8月のベトナムリーグに続いて3件目。日緬両リーグは、今回の提携をきっかけに、両国のサッカー発展のためにコミュニケーション、マーケティング、大会運営、アカデミー、選手の移籍等の様々な分野で協力し、プロリーグの組織、マネジメントの質向上と効率化を目指していく(以上)。既にこのブログで報告したように、ミャンマーチームはロンドンオリンピックでは男女とも予選で敗退したが、ブラジル大会までには相当成長するのではなかろうか。また今月はミャンマー女子チームが来日の予定、楽しくなりそうだ。

2012年9月9日日曜日

(1580)読了119冊目:「ミャンマー概説」

  「ミャンマー概説」、編者は伊藤利勝、著者・翻訳者24人。2011年3月・メコン発行、横組み、731頁、7000円+税。著者・翻訳者の大部分が大学関係者であり、専門家が共同して発表した学術的な著作だ。内容はビルマ世界、モン世界、カレン世界、カヤー世界、シャン世界、カチン世界、チン世界、ヤカイン世界と8つの民族グループに分け、それぞれ、歴史、経済と社会、言語と文学、宗教と信仰、民族と行政などに大別し、民族グループごとに、それぞれ60頁から90頁にわたって記述するという独特の方法を採用している。その上で、編者が序章で「ミャンマー的国民国家の枠組み」を論じ、終章で、「官製民族世界の形成」という論文でまとめている。我々が各民族の話題を論ずる場合、まずこの大作をチェックした上で、取り掛かるとよい。座右の書として推薦。

2012年9月8日土曜日

(1579)入管施設(牛久)で60人ハンスト

  8月30日の読売新聞電子版によれば、法務省の「東日本入国管理センター(牛久市)」で難民認定を求めるなどして収容されている外国人の一部が、提供される給食を食べるのを拒否していることが分かった。同センターによると、28日現在、約400人の収容者のうち、約60人が給食を取っていないという。外国人労働者や難民の支援団体「[BOND」(高根淳代表)によると、難民認定手続きが長引くなどの理由で、同センターに長期間留め置かれているスリランカ、ガーナなど約20か国の120人が20日からハンガーストライキを始めた。入所者は、面会した同メンバーに「長期収容はやめてほしい」と訴えていたという。長期収容者の多くは半年以上留め置かれ、2年以上収容されている人もいるという(以上)。長期の自由拘束は人権問題であり、やめてほしい。

2012年9月7日金曜日

(1578)日本ミャンマーインフラ投資拡大、5年計画

   9月5日の日経電子版によれば、標記の計画を策定し、10月に官民協議会を設立すると発表。ミャンマーでは2015年のASEAN共同体の発足に向けてインフラ需要が拡大、日本企業が投資しやすい環境を整え進出を後押しする。外務省はJICAを使ったODA供与、経産省は大型インフラ事業の調査、経済特区(ティラワ)開発支援、財務省は証券取引法整備に向けた研修実施、専門家の助言、法務省は会社法や債権法、労働法などの調査、総務省はインターネットの高速化や海底ケーブルの整備、国交省は運輸、防災、水資源管理の技術協力など。このほか、国際協力銀行、日本貿易振興機構、日本貿易保険、経団連などもそれぞれ支援策を発表している。日本からのODA供与額は30億円にとどまるが、将来はベトナムと同程度の2000億円に増やす考え。

2012年9月6日木曜日

(1577)読了118冊目:「ビルマとミャンマーのあいだ」

 副題は「微笑みの国と軍事政権」、著者は瀬川正仁(映像ジャーナリスト)、2007年10月・凱風社発行、 269頁、2000円+税。内容は旅行記だが、その土地土地にまつわる歴史・故事を贅沢に詰め込んだ歯切れの良いエッセイ集だ。紹介してる都市・地方は、ラングーン(黄金の寺院とリサイクルの町)、中央ビルマ、バガン・インレー湖(現世と来世)、モンとカレン(マイノリティの苦闘)、シャン州(麻薬ロード)、カチン州・イラワジ川紀行、チン州(古のアジア)、アラカン州(少数民族の現実)と続く。現在ビルマの人口の4割は非ビルマ民族という多民族国家であり、長年にわたり多くの民族が争い、しのぎを削ってきた。表面的には微笑みの国だが、深く付き合えば軍事政権による非情な同化政策がかいま見えてくる。写真も豊富で、日本人に「民族」を教えてくれる良書。

2012年9月5日水曜日

(1576)民主化リーダー祖国へ

  9月2日の朝日新聞は、標記の見出しと「ミャンマー、入国解禁で20年ぶり」という副見出しの記事を掲載した。1998年当時の学生リーダーで、国外亡命後は国際社会に対して同国の民主化を訴えてきた著名な活動家らが1日、ヤンゴン空港に到着した。テインセイン大統領の進める民主化の一環で入国禁止が解除され、帰国が実現した。約20年ぶりに祖国の土を踏んだのは、モーティーズン氏や、トゥンアウンチョー氏ら。一時はタイ国境地帯に拠点を移し、全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)を率いるなど軍政にとっては「最大の敵」だった。空港にはザガナ氏らが出迎えた。集まった数百人の支持者からも相次いで歓声や拍手が上がった(以上概要)。在日民主化活動家の場合も帰国希望者がいるが、大使館の奇妙な『税金』問題で事実上帰国できない例が多い。

2012年9月4日火曜日

(1575)読了117冊目:「祖国を戦場にされて」

  副題は「ビルマのささやき」、著者は根本百合子、石風社・2000年7月発行、322頁、2000円+税。日本軍がビルマで米軍、英印軍、中国軍と戦った時の記録は、戦記ものとして数多く残されているが、その時最大の被害者であった筈のビルマ人の記録は多くはない。著者はこの点に着目し、戦時下のビルマ庶民の生活と本音を探るべく、取材を続けた。戦争初期のころの日本軍は規律が良く、村の取り締まりも厳しかったので、治安はたちまち回復し、ビルマ人女性に対する乱暴もなかったという。日本軍の敗退初期は、整然、迅速に行われていた。一方、泰緬鉄道建設に動員された人物は、日本兵士の横暴さを訴えた。また、インパール作戦の敗走日本兵は、民家に侵入して食料を略奪したが、反面、同情もされた。これら、ビルマ人のささやきに心が痛む。

2012年9月3日月曜日

(1574)やるなあ 難民支援協会

  仮放免中に難民申請した者に対する難民認定の全審査期間は、最近ますます延びており、平均3年以上といわれている。私の周辺にも就労不可のまま、3年4年と待ち続けている外国人が多い。この長い間、その外国人はどうやって生きていけばよいのか?入管に聞くと「難民事業本部や知人からの支援を受けたら良い、入管としては法律に従っている」という。この問題を解決するには結局現行法律を変えるしかない。しかし期待した民主党は難民保護庁案を持っていたが、役に立たなかった。難民関連の法律を変えるにはどうしたらよいのだろうか、と悩んでいた時、たまたま難民支援協会から「新難民法の実現へ(難民が日本で安心して暮らせる社会を目指して)」という政策提言への呼びかけがあった。私が待ち望んでいたテーマであり早速賛同の旨伝えた。

2012年9月2日日曜日

(1573)スーチーさん ビルマからの手紙⑥

  タイトルは「フランス土産『旧友』メグレ警視」、「『一見、平凡』の価値」。6月にフランスを訪問した時、ォランド大統領から作家ジョルジュ・シムノンの全集27巻が贈られた。タイと欧州の歴訪で、知り合った警備担当者たちがとても感じが良かった。長い一日の終わりに警察官の物語を読むのは最高の楽しみだ。議会に毎日出席していると、学生の頃に戻ったような気がする。議員たちが審議の終わる午後4時を待ちわびる様子を見ると、「4時」という曲を思い出す。4時から会議、陳情、書類チェックを続けていると10時になる。就寝前の読書に充てられる時間は45分程度、メグレ警視の話はすでに第2巻に進んでいる。彼の魅力は一見もっとも平凡で退屈に見えるものから発せられるからこそ価値がある。メグレ警視はこの先もずっと大切な旧友であり続けるだろう。

2012年9月1日土曜日

(1572)3閣僚を事実上更迭

  8月30日の朝日新聞には、標記の見出しのほか、「ミャンマー守旧派排除」の見出しが並んでいた。テインセイン大統領は3人の大臣の辞任を発表、いずれも大統領が進める改革政策に消極的とされる人物。27日には、9大臣15副大臣の交代を発表したばかりで、交代を一段と加速させたい大統領の強い意思表示だと受け止められている。辞任した大臣は、第一電力省、建設省、会計検査委員長で、いずれも守旧派の元軍人、汚職のうわさも根強かった。5月には守旧派の代表格とされるティンアウンミンウー副大統領が辞任したが、この場合も大統領との路線対立が背景にあると見られている。また、改革に後ろ向きとされるチョーサン情報相を別の大臣職に移して、事実上の更迭となった。また副大臣には学者や医師などの民間人を積極的に登用している。

2012年8月31日金曜日

(1571)ミャンマーに「迫害」批判 イスラム国デモ次々

  8月31日の朝日新聞には、標記の見出しと並んで、「ロヒンギャ族と仏教徒衝突」の見出しがあった。仏教徒の多いミャンマーで、イスラム教徒であるロヒンギャ族と仏教徒が衝突している問題が、イスラム諸国でミャンマー政府への反発を生んでいる。人権をめぐる欧米の圧力が緩んだばかりのミャンマーは、新たな国際的批判への対応に追われている。イスラム教徒が国民の大多数を占めるインドネシアでは、ジャカルタのミャンマー大使館前で、「ロヒンギャを救え」などのプラカードを掲げ、100人規模の抗議デモが相次いだ。デモはパキスタンやエジプトでも繰り返し起きている。サウジアラビアが主導するイスラム諸国協力機構(OIC)の緊急首脳会議でも、ミャンマー政府による「残忍な政策と暴力」を非難する声明を採択して、来月の国連総会に持ち込むという。

2012年8月30日木曜日

(1570)ミャンマー、外資参入を規制

  昨29日の朝日新聞には、標記の見出しとともに「縫製や食品、進出困難か、法案下院通過」という見出しが並んでいた。ミャンマーの国会で審議中の外国投資法案が、地元企業に配慮して参入分野に大幅な制限を設けていることが分かった。労働集約型企業を中心に、進出への関心が広がる中、日系企業にとっては「かなり厳しい内容」とみられ、今後の投資熱に影響を及ぼしそうだ。この法律で制限する分野は、①地元中小企業が携わる分野、②農漁業や畜産業、③国境付近での経済活動など13項目。このうち①については、縫製や食品など、軽工業の地場産業がすでに多く、これらの業種での日本企業の進出は難しくなる可能性が出てきた。現地日本企業からは「これでは投資阻止法だ。せっかくの投資熱が一気に冷めてしまう」との懸念の声も上がっている。

2012年8月29日水曜日

(1569)ミャンマー開発 争奪②

  東南アジア外交は日本にとって「十八番」。政府の途上国援助(ODA)をつぎ込み、政治面での協力関係を深めてきた。7月25日、渡辺氏は経産省の村橋氏らとともにティラワ開発のキーパーソンの一人、ティンナインテイン国家計画経済開発相とネピドーで会談、15年までに完成するというミャンマー側の主張に、3時間半かけて厳しく反論、翌26日に仙谷由人氏を加えたテインセイン大統領との会談で、「他国からも話があるがすべて日本に任せる、15年までに400㌶を優先的に開発してほしい」と急転直下の満額回答、翌27日、日本側はティラワ開発の作業チームを創設、この事業には国際協力機構や、国際協力銀行も加わっている。いまミャンマーには世界から資金がなだれ込んでいる(以上概要)。今朝の朝日にはショックなニュースが飛び込んでいた。

2012年8月28日火曜日

(1568)ミャンマー開発 争奪

  8月23日の朝日に標記の見出しと共に「アジア最後の未開拓地 マネー殺到」、「独占受注見直しの声も」、「日本だけで無理なら中韓にも」、「埋没恐れて巻き返し」、「資金西から東へ」と並ぶ。官民一体で支援に乗り出した日本に、難題を突き付けるミャンマー政府、台頭する中国や韓国との競争が影を落としている。ヤンゴン市街から車で1時間のティラワ地区に2400㌶(東京ドーム500個分)の巨大工業団地を建設するというもの。この話が昨年10月、テインセイン大統領から元郵政大臣渡辺秀央氏(現日本ミャンマー協会会長)に持ちかけられた。日本政府は4月には円借款による債権3千億円を放棄し、新規円借款を出す大盤振る舞いを決めた。日本側は、この団地完成には20年かかるとみていたが、ミャンマー側は総選挙のある15年までという。(つづく)

2012年8月27日月曜日

(1567)なでしこの胸借りて

  8月24日の朝日夕刊によれば、ヤンゴン郊外のサッカー場は、でこぼこが目立つ。パスを回している選手に大声で指示を出すのが女子代表チーム監督の熊田喜則さん(50)だ。実業団で活躍後、大阪学院大の監督などを経て1年前に日本サッカー協会から派遣された。未知の国だったが、プレーを一目見て「身体能力の高さと頭の回転の速さ」に驚いた。しかしまだ粗削り、考えるサッカーができない。任期中の最大の目標は来年末に地元である東南アジア大会での優勝。昨年は準優勝で可能性は十分ある。9月に日本に初めて遠征し、「なでしこ」の選手らに胸を借りる(以上概要)。小生も女子サッカーは大好き、いま「U-20世界大会」に熱中しており、昨日も「ヤングなでしこ」の快勝ぶりをテレビで観戦した。9月は「ミャンマーなでしこ」の活躍が見られるか。

2012年8月26日日曜日

(1566)ロヒンギャ 安息求めてインドネシアに

  8月20日の毎日新聞電子版に、「ミャンマー:イスラム系民族、安息求めインドネシアに」という記事が掲載されていた。ミャンマー西部で続く仏教徒とイスラム教徒の対立の影響で、迫害を逃れてインドネシア入りするイスラム系少数民族「ロヒンギャ」が急増している。人口の約9割をイスラム教徒が占めるインドネシアへの永住を希望する者が多いが、同国は国連の難民条約に加入しておらず、定住は許されない。宗教的自由を手にしたロヒンギャたちは、インドネシア政府に条約への早期加入を求めている。国連難民高等弁務官事務所のジャカルタ事務所によると、昨年末にインドネシアで登録されたロヒンギャは168人だったが、今年1月から7月までに新たに難民登録したロヒンギャは394人に増えた。この問題は、私が(1527)で述べた方向に近づいている。

2012年8月25日土曜日

(1565)読了116冊目:「ビルマ軍医戦記」

  副題は「地獄の戦場 狼兵団の戦い」、著者三島四郎(岡山医大卒、市民病院勤務後見習士官として応召)、2005年4月・光人社発行、427頁、895円+税。前作は1998年発行の「ビルマ戦線ピカピカ軍医メモ」、同一著者が同一現場を7年後に描いているので、前作の追補版という感じ。そのためか、実に細かいところまで戦闘、自然、人間を観察している。英印軍の追撃を受けながら薬品も器具も食料もなく、多数の戦傷病兵を抱える野戦病院でメスを握る若き軍医たち、一読後著者に畏敬の念を感じた。なお軍医には住民宣撫の役目もあるが、多くのビルマ人は好意的だ。気になったのが、先日、大阪維新の会の橋下市長が「証拠があるのか」と発言した従軍慰安婦問題、この本にも当時の状況が淡々と描かれていたが、強制連行のイメージは皆無だ。

2012年8月24日金曜日

(1564)「子供の通学」も在留条件に

  先月から施行された改正入国管理・難民認定法に関し、法務省がまとめた新たな審査要領の概要が明らかになった。日本の義務教育年齢にありながら、学校に通っていない在留外国人の子弟が増えているため「在留5年間」の在留期間を認める条件に、小中学校(インターナショナルスクールなどを含む)への子弟の進学を加える。外国人の在留期間は、これまで最長3年だったが、改正法では最長5年間に拡大された。従来の要領には、子弟の教育に関する規定はなかった。見直しの背景には、08年のリーマンショック以降、日系人を中心に多くの外国人が失職し、経済的な理由で通学できない子弟が増えている事情がある。外国人に就学義務はないが、少年らの非行の増加も懸念されており、政府は就学率の底上げに本格的に乗り出した(読売7月31日)。

2012年8月23日木曜日

(1563)ミャンマー記事検閲廃止 民間日刊紙発行OK

  21日の朝日は、ミャンマー政府がメディアに対する事前検閲制度を廃止すると発表した。情報省によると20日から各メディアに義務付けられていた記事の事前提出が不要となった。事前検閲制度は1964年に始まり、軍事政権の言論統制の一環として続けられてきたが、テインセイン政権は、今年初めに民主化政策の一環として廃止の方向を打ち出していた。これまでは検閲があるため、日刊紙は国営3紙のみで、民間の新聞・雑誌は週刊や月刊に限られてきたが、今後は民間による日刊紙発行に道を開くことになる。すでに有力メディアの一部は、印刷機を購入するなど、準備を進めている。また一部のメディアは、検閲が活字媒体に限定されていることに着目し、電子メールやウエブサイトで検閲を受けずにニュースを配信しているが当局も最近は黙認していた。

2012年8月22日水曜日

(1562)読了115冊目:「ビルマ脱出記」

  「ビルマ脱出記」、副題は「外交官の見たビルマ方面軍壊滅の日」、著者は田村正太郎(元大東亜省ビルマ大使館員)、1985年1月・図書出版社発行、254頁、1500円。著者は陸士予科卒業と同時に病気退校、外務省に入りビルマ日本大使館勤務という変わった経歴の持ち主。敗戦の兆候の濃かった1943年に着任、インパール作戦などに触れているが、外交官から見た敗戦は他の戦記物と違う。何しろ外交官(本人を含め)は戦地でも優雅に暮らし、連日仲間と酒を飲み、マージャンを楽しんでいた。また軍の最高司令官であるK中将は、ラングーン脱出の際に「ブルブル震えてろくに声も出ない有様」とあった。多くの戦記物を読むと、ビルマ敗戦の主な原因はインパール作戦にありとしているが、著者はむしろ方面軍司令部のラングーン早期撤退だと断じている。

2012年8月21日火曜日

(1561)ミャンマー経済「中所得」入りも

  昨日の日経電子版、今朝の朝日によれば、アジア開発銀行(ADB、本部マニラ)は20日、ミャンマー経済に関する報告書を発表し、テインセイン政権による改革が進めば、年7~8%の経済成長が可能で、2030年までに一人当たりの国内総生産(GDP)が、2千~3千ドルに達し、中所得国入りができるとの見通し。報告書は、ガスや石油などの鉱物資源や若年労働者の豊富さに加え、河川を利用した水力発電の可能性に触れ、「ミャンマーは成長に向けた大きな潜在力を有しており、その実現のため、改革の一層の継続と深化が求められている」(グロフ副総裁)と評価。一方医療や教育制度の遅れ、インフラや税制の未整備などの課題を指摘。また改革を遅らせる懸念として、政権内部の対立を挙げている。ADBや世界銀行は、1日にミャンマー事務所を開設。

2012年8月20日月曜日

(1560)読了114冊目:累骨の谷

  「累骨の谷」、副題は「ビルマ兵站病院壊滅記」、無名戦士の記録シリーズの一冊であり、著者は橋本武彦(医学博士)、1981年7月・旺文社発行、245頁、1200円+税。著者は昭和18年、軍医学校を卒業したのち、ビルマ方面軍に配属され、メイミョ―からセジに兵站病院を移動、しかしウインゲート空挺部隊(1万7千人)と遭遇し退路を断たれようとしていた。すでにインパール作戦は失敗し、敗走してくる大勢の日本軍兵士の治療に当たりながら、タイのチエンマイ目指して敗走を続けた。国境の山頂近くで足を滑らせ谷に落ちたが、そこで著者はたくさんの死骸を見た。ちょっと上に登れば頂上に出られたのに、道を間違えた兵士はここで息絶えたようだ。この谷の凄惨な情景が題名となっている。私もいろんなところで活字が滲んで見えた。戦争は絶対反対だ。

2012年8月19日日曜日

(1559)三井住友銀行 ミャンマーでドル送金

  三井住友銀行は、ミャンマーで米ドルの送金業務を16日にも始める。日本企業が現地の生産・販売拠点と、国際取引通貨である米ドル建てのやり取りをできるようにして、進出や事業拡大を後押しする。7月の米国の経済制裁緩和でドル建て決済ができるようになったのを機に、有望市場であるミャンマーで本格的な銀行業務に乗り出す。同銀行ではヤンゴンの駐在員事務所を出張所に格上げし、米ドルの送金業務も始める。具体的には、現地の民間最大手のカンボーザ銀行と提携する。成長市場であるアジアでは銀行間の競争も激しくなっており、他の邦銀や外国銀行も追随する可能性が大きい(以上概要)。在日ミャンマー人も母国への送金の合法的方法がなかったが、今後は銀行から送金ができるようになるので朗報だ。民主化も経済もどんどん進めて!

2012年8月18日土曜日

(1558)難民の大学入試(奨学金付き)募集始まる

  UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が2013年度の難民高等教育プログラムについて発表した。日本でも2006年に関西学院大学でスタートし、2007年から青山学院大学、2010年から明治大学が参加した。2012年の入学者の枠は、関西学院大学が日本語教育で2名、英語教育で行われる日本国際学部に1名の計3名、青山学院大学では、日本語の候補者1名、明治大学では日本語もしくは英語の堪能な候補者2名であり、3大学で合計6名の難民の入学を認める。今月15日より2013年の募集を開始し、9月26日が締め切り。今までにアジア、中東、アフリカなど多様な地域の難民からの応募をUNHCRを含む選考委員会による選考を経て、大学に推薦している。ミンガラ日本語教室出身のアウンミャッウイン氏(関西学院大学)もこの制度の利用者だ。

2012年8月17日金曜日

(1557)副大統領に海軍司令官ニャントゥン氏

  8月16日の朝日新聞は、ミャンマー国会で問題となっていた副大統領に、海軍司令官のニャントゥン大将を選出したと報じた。病気を理由に、副大統領を辞任したティンアウンミンウー氏の後任である。新しく就任したニャントゥン氏は清廉な人物として知られ、軍の役割は国防に限定すべきとの考えを持っているとされる。守旧派の代表格であったティンアウンミンウー氏と違い、テインセイン政権の改革路線を後押しするとの見方が多い。7月には、ヤンゴン管区首席大臣ミンスエ氏が内定したが、同氏の娘婿がオーストラリア国籍を取得しており、外国籍の家族がいないことを正副大統領の資格要件とする憲法規定に抵触することがわかり、選考は振り出しに戻っていた(以上)。同国の海軍は、国防予算74億ドル、人員1万2200人、艦艇103隻といわれている。

2012年8月16日木曜日

(1156)ミャンマー証取 財務省が支援へ

  今朝の朝日を読んでると、標記の見出しと並んで「法令づくりで助言」の見出しが目に入った。財務省はミャンマーが計画している証券取引所の設立について、関連法令づくりの作業を支援すると発表、ミャンマー中央銀行と13日付で覚書を交わした。ミャンマーは2015年までに証券取引所を設立することを目指している。その支援のために日本側は国内の有識者や弁護士ら十数人を集め、株の発行やインサイダー取引規制などに関する法令づくりに助言する。今秋にもミャンマーの担当者を日本に招き、情報交換や研修もする。証券取引所の設立は自由な経済活動を盛んにするためには欠かせない(以上概要)。本件はすでに大和総研や東京証券取引所が、取引所の運営に関する支援に乗り出しており、今回の覚書と合わせて官民一体で支援することになる。

2012年8月15日水曜日

(1555)「出入国管理」が入管から

  最近法務省入国管理局から「出入国管理(2012年版)」が発表になった。最初に新しい在留管理制度の説明があり、今後はICチップ入りの「在留カード」を所持することとなる。12年度に入国した外国人の総数は713万人で、韓国、中国、米国、フィリピン、オーストラリアの順。同年、日本に在留する外国人は207万人で日本総人口の1.6%、これを国籍別にみると、中国、韓国・朝鮮、ブラジル、フィリピンの順。同年、退去強制された外国人は合計8千7百人、内訳は不法残留5千5百人、資格外活動5百人、不法入国2千人、不法上陸百人、刑事法令違反6百人。不法残留外国人は、平成5年に29万9千人いたが、平成24年には6.7万人。なお、8月11日の朝日は、在留カードの発行システムに故障が発生していたが、5日からは正常に発行できてるという。

2012年8月14日火曜日

(1554)竹島問題とミャンマー

  韓国の李明博大統領が島根県竹島に上陸、その後ロンドン五輪のサッカー男子の三位決定戦、日本:韓国の試合後に韓国選手が竹島領有を主張するメッセージを掲げる事件があった。最近、海洋における島嶼の占有権問題が、尖閣諸島はじめ各地で火を噴きだした感がある。8月6日の朝日によれば、中国は南シナ海の西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島の実効支配を急ピッチで進めており、6月21日には三沙市を設置すると発表、一方米国はベトナムやフィリピンを取り込み、日、韓、豪と中国包囲網の構築を狙っている。中国はカンボジアなどとの経済交流や首脳交流に力を入れ、アセアンに楔を打ち込んでいる。アセアン外相会議ではベトナムやフィリピンによる中国領有化反対の意向が、カンボジアの反対で紛糾。間もなくアセアンの議長国がミャンマーとなる。

2012年8月13日月曜日

(1553)在日ビルマ人グループの要望点

  最近マンダレーなどで、ミンコーナイン氏らが参加して8888記念の式典が平和裏に開催されたと聞く。本当かと疑ったがどうやら事実らしい。テインセイン政権はここまで民主化に理解を示している。このような変化の時に、在日ビルマ人たちは、テインセイン政権に何を要望しているのだろうか。8月8日に行われた民主化運動24周年記念デモの際、ビルマ政府への抗議内容は次の5点。①全政治囚の即時無条件釈放、②少数民族居住地域への即時攻撃停止および国軍の撤退、③ビルマ全国土の基本的人権の確立、④全少数民族との対話及び和解、⑤2008年憲法の見直し及び法の支配の徹底。いずれもよく理解できるが、これらの要望は、スーチーさん率いるNLDとは連携が取れているのか気にかかる。例えば全政治犯は、何人いると考えているのか?

(1552)オリンピックでのミャンマーは

  昨日、ロンドンオリンピックが無事終了、金7個、銀14個、銅17個という日本選手の活躍もあって、83歳の老体も心が躍動、感動した。一方気になったのがミャンマーの成績、新聞では報道されないので、インターネットで調べてみた。その結果、陸上男子400m:ZAW WIN THETが予選で敗退、柔道女子78Kg:AYE AYE AUNGが2回戦で敗退、アーチェリー女子個人:NAY MYO AUNGが1回戦で敗退、ボート女子シングルスカル:SHWE ZIN LATTが1回戦で敗退、サッカーは男女とも予選敗退。以上の結果なので今後に期待しよう。日本もミャンマーのスポーツ振興のために資金面、人材面で支援して欲しい。テインセイン大統領もサッカー、柔道、陸上長距離の強化を願っており、国内14州(管区)の対抗戦などから、ナショナルティームを育成してはいかが。

2012年8月11日土曜日

(1551)U GOTOの壮行会

  昨日は夜7時から高田馬場のシャン料理店「マイソンカ」で後藤さんの送行会があった。私は10年前から夜の会合は健康上欠席することに決めていたが、後藤さんの壮行会とあれば、出席せざるを得ない。10年間歩いたことのない夜の東京を、杖を突きながら会場へ。そこには、知ってる顔が10数人、知らない顔が10人ほどいた。私の音頭で乾杯、そのあと出席者全員から送別の辞が述べられた。それを聞いていて、後藤さんの交友の幅の広いことを知る。映画監督、カメラマン、ビルマ語教師、同通訳、ビルマ支援者、造形美術家、編集者などなど。もちろんビルマ人も何人か見えていた。私も95年に一緒にビルマ語を学んでからの間柄。幸い彼はIT、PC、カメラ関係の第一人者であり、しかも独身、ミャンマーに永住しても、成功間違いなし。お元気でお幸せに。

2012年8月10日金曜日

(1550)政府公認で88年デモ式典 ミャンマー

  8月8日の産経ニュースと中日新聞によれば、マンダレーで標記の式典が開催された。1988年に学生たちが民主化要求デモを行ってから24年となった8日、当時の学生リーダー、ミンコーナイン氏ら500人以上が出席し、犠牲者を追悼する式典が仏教施設で行われた。軍政下では、8月8日に式典などを行う動きは、厳しく弾圧されていたが、昨年3月に発足したテインセイン政権は、式典開催を始めて公認し、民主化推進を改めて印象付けた。ミンコーナイン氏は「いまだに釈放されていない政治犯が多くいる」と一層の民主化推進を訴えた。前日の7日に閣僚2人が現地を訪れ式典開催にお墨付きを与えた。ヤンゴンでも500人以上が集まった(以上概要)。民主化の勢いはすさまじい。在日ミャンマー人民主化グループも新しい時代への対応を考えるべきだ。

2012年8月9日木曜日

(1549)ミャンマー和平足踏み

  8月9日の朝日には「ミャンマー、和平足踏み、少数民族との対話進まず」との記事が掲載されていた。停戦協定を結んだ各派との政治対話が進まず、戦闘状態にあるカチン族とは正式交渉に入れていない。政権の目指す和解の早期実現は難しい状況だ。少数民族との交渉の担当であるアウンミン鉄道相は、①主要11民族武装勢力との5月ごろまでの停戦交渉の合意、②停戦合意した各派との政治対話と難民帰還の開始、③国民会議の開催の実現を目指していたが進展していない。唯一戦闘状態にあるカチン独立機構は「政治解決の道筋が見えない限り停戦協定は結ばない」、「我々はビルマ族と同じ権利を求めている」としている。停戦合意したカレン民族同盟初め10民族との和解も停滞し、カレン州やシャン州では、先月以降衝突が散発している状況。

2012年8月8日水曜日

(1548)ミャンマー オフィスやホテル不足が顕著に

  8月6日の日経電子版は、「ミャンマー、オフィスやホテル不足顕著に、開発加速へ外資カギ」と報じた。外資企業が本格的な進出検討に入ったミャンマーで、オフィスやホテル、外国人向け住居の不足が顕著になった。ヤンゴンでは賃料や宿泊料が急騰、今後数年間は需給が切迫しそうだ。外資がいつ本格的に不動産投資に動くか注目されだした。ヤンゴン中心部のツインタワー、「センターポイントタワーズ」の1棟は、1年前に賃貸を開始したオフィスで、もう1棟は来年3月に300室規模の高級ホテルになる予定。オフィスビルのほうは賃料が1平方メートル当たり月約4800円でバンコク中心部の2~3倍、市内のオフィス総面積は現在5万平方メートル程度だが国際水準といえる4・5棟は空室なしの状況。市内の土地取引価格もここ数年で3・4倍に高騰している。

2012年8月7日火曜日

(1547)ビザと在留資格

  私はビルマ(ミャンマー)難民の支援活動を続けているが、先日オヤッと思う妙な言葉に出くわした。私はいま1996年以降現在までのミャンマー関連の朝日新聞社説を集めて読んでいるが、99年4月7日の社説「ビザと命、どちらが重い」という見出しに引っかかった。内容は、不法滞在の外国人が健康保険がもらえないため、高額の治療費が払えず我慢したため、病状が悪化した例を取り上げ、「ビザと命、どちらが重い」と訴えていた。本文では「在留資格」という言葉を複数使用しているにも関わらず、見出しでは「ビザ」という言葉に変わっていた。ビザ(査証)という言葉と、在留資格という言葉の意味は似てはいるが、明らかに別のもの。今回朝日新聞社に質問してみたところ、私の意向が正しいという返事が戻ってきた。なお、この種の誤りは有識者にも見られる。

2012年8月6日月曜日

(1546)浴衣を着たテインセイン大統領

  8月3日の朝日新聞には、「これが日流」という見出しのもと、テインセイン大統領が日本の浴衣を着ている写真が掲載されていた。民主化の進むミャンマーで柔道や日本のファッション、和食など「日流」を広めようと、政府の交流ミッションが2日、外務省で玄葉外相に提言を手渡した。ミッションにはファッションデザイナーのコシノジュンコ氏や柔道家の山下康裕氏らが参加。6月下旬にミャンマーを訪れテインセイン大統領らに面会した。大統領は「柔道、サッカー、陸上長距離を強化したいとして、用具の提供や指導者の派遣を求めたという。提言では、文化・スポーツ交流を「政治・経済協力の基盤」と強調。「韓流」を意識し、「Jポップや漫画など日本のコンテンツを紹介する」と提案した(以上概要)。オリンピックでも韓国の活躍は目覚ましい。「日流」も負けないで!

2012年8月5日日曜日

(1545)ミャンマー週刊2紙に発禁処分

  8月1日のバンコク共同によれば、民主化を進めるミャンマーで、有名週刊2紙が発禁処分を受けたことを関係者が発表した。理由や期間は不明だが、閣僚人事の予想記事を掲載したことが理由とみられている。同国議会では、メディア法が審議されているが、メディアを管轄する情報省側に報道の自由への認識が浸透しているとは言い難い面もあるようだ。処分を受けたのは「ボイス・ウイークリー」と「エンボイ」。ボイス紙関係者によると、最新号1面に閣僚交代の予想記事と、情報省当局者が美術展で展示される漫画を検閲している様子の写真を掲載し、一時的な発禁処分が下された(以上概要)。日本でも閣僚などの予想記事が外れることもあるが、政府による発行停止は聞いたことがない。民主化ミャンマーも報道の自由の大切さを、みんなで学んでほしい。

2012年8月4日土曜日

(1544)ラカイン衝突に関するUNHCRの見解

  ラカイン州での宗教・民族対立に関するUNHCRの7月27日の見解は下記の通り(全難連情報)。①ラカイン州での12年6月の暴力の激化は、人命が失われ、相当数の住民が避難民となった。ミャンマー政府は非常事態宣言を出したものの、何千、何万ものラカイン州住民が逃亡を余儀なくされた。②7月25日現在、ラカイン族住民約6千人と、イスラム教住民5万3千人以上が国内で避難民となっており、イスラム教徒指定区域は増加している。③千人以上がバングラデシュに逃亡しようとしたが、バングラデシュ政府は国境を閉鎖、全員を送還した。逃げてきた人々の避難を認め、医療品や生活必需品を与えるべきである。④ラカイン州の状況が流動的なため、ラカイン州の全コミュニティの治安が回復するまでは、ラカイン出身者を、強制的に送還してはならない。

2012年8月3日金曜日

(1543)ミャンマー特区開発 日本企業連合が受注

  8月1日の日経電子版によれば、ヤンゴン近郊で計画されている経済特区の開発事業を、総合商社を中心とする日本の企業連合が受注することが内定した。周辺を含むインフラ整備を、日本政府が円借款供与などで支援する。6200万人の人口を抱え、民主化・経済改革が進むミャンマーは、アジアに残された手付かずの有望市場。ヤンゴンの東23キロにあるティラワ地区の2400ヘクタール。特区開発を契機に、日本が官民一体で進めるインフラ輸出や、日系製造業の現地進出に弾みがつきそうだ。ミャンマーが国会で審議中の改正外国投資法や経済特区法の成立を待って、8月中にも正式調印する。日本側の企業連合は、三菱商事、住友商事、丸紅の3商社が中核となる見込み。日本政府は、インフラ整備をODAで支援し、2015年に2割稼働を目指す。

2012年8月2日木曜日

(1542)カチンの友人とだべりました。

  昨日津田沼駅近くの喫茶店で、カチン女性とだべった。ミャンマーでは民主化が進んでいるので、帰国希望者が増えているか聞いたところ、一般的には少しずつ増えているようだが、彼女自身は帰れないという返事。さらに聞くと、自分はカチン民族なので、最近も国軍から攻撃を受けており、危険という。確かにまだ国軍末端までに戦闘終結の命令が流れておらず、小規模な戦闘は各地で発生しているようだ。日本政府は少数民族のため、避難民の帰還と定住を支援するモデル地域開発や、避難民帰還用の橋の建設、生活向上のためのインフラ整備などを支援していく。友人は、しばらく現地の状況を見て帰国を考えるが、今のところは日本にいたいといい、新しいパンロン会議の開催を希望した。私は民族代表の集まる上院で審議したほうが良いのではと伝えた。

2012年8月1日水曜日

(1541)珍客と再会

  昨日はYYMさんが、先日来日されたYYUさんと連れ立って津田沼駅に現れた。YYUさんご夫婦は「ミンガラ日本語教室」の古い生徒で、高田馬場のビルマ料理店「ミンガラバー」で結婚披露宴を挙げた時は私も招待された。2005年8月に奥さんが先に帰国し、そのあとご主人が帰国されたが、その際私もいろいろお手伝いしたことが思い出される。彼女はミャンマーの諺がらみの小話を、日本語に翻訳して、一冊の本に仕上げている。その短編集は「みんがらネットワーク会報」に少しずつ紹介されており、最近も随時掲載されている。ご主人も娘さんも、ヤンゴンでお元気な様子、帰り際に本屋に寄って日本語の教材をいろいろ探していた。フェースブックにも登録されたので連絡はつく。7年ぶりの再会久しぶりに幸福感を味わった。YYUさんいつまでもお元気で!

2012年7月31日火曜日

(1540)ミャンマー・サッカーチーム応援の思い出

  ロンドンオリンピックが始まり、日本選手もほどほどの活躍をしている。私が力を入れて応援している種目は男女のサッカー、どちらも決勝リーグに進出すると聞く。ところで私は2003年5月のオリンピック予選で日本と対戦したミャンマーチームを2回応援に出向いた。5月1日は国立競技場、5月3日は味の素スタジアムで、ミャンマー側の応援席に陣取った。この席には、在留ミャンマー人とミャンマー大好き日本人が集まり、2回とも数百人が集まっていた。成績は1回目は3;0、2回目は5:0で日本チームの楽勝であったが、我々はミャンマー側のゴールのすぐ後ろにいたため、特にゴールキーパーをみんな大声で応援した。「アウン・アウン・ウー!」、「アウン・アウン・ウー!」と。ロンドンオリンピックのサッカーをTVで見ながら、今頃、彼は何を考えているのだろうか?

2012年7月30日月曜日

(1539)ASEAN会議、紛糾の背景には中国の存在感

  7月30日の朝日新聞の「風」欄に、同社アジア総局長の藤谷健氏が、標記のような見出しで書いていた。今月半ばアセアン会議がカンボジア・プノンペンの平和宮殿で開催された。焦点は南シナ海だった。フィリピンとベトナムが中国と対峙した岩礁や排他的経済水域問題の言及を要求したのに対し、議長国カンボジアが2国間問題であると反対し紛糾した。日本や中国、米国が参加した12日の東アジアサミット外相会議、ここでも米国と安保協定を結ぶフィリピンが、中国批判を繰り返した。カンボジアには中国の代弁者との疑惑の目が向けられる(以上概要)。太平洋国家を自認する米国と海洋進出を強める中国。アセアンの内部はこの2国間のパワーバランスに揺れており、将来、議長国となるミャンマーは、どのように対応するのであろうか。推移を注目したい。

2012年7月29日日曜日

(1538)ミャンマーの新聞一覧

  ウィキペディアで「ミャンマーの新聞一覧」を調べてみたが、日刊紙は下記の4紙。チェーモン(鏡):国営日刊新聞(ビルマ語)、ミャンマー・アリン(ミャンマーの光):国営日刊新聞(ビルマ語)、ニューライト・オブ・ミャンマー(国営日刊新聞(英語)、ヤダナボン(マンダレーの旧名で国営日刊新聞)(ビルマ語)マンダレーおよび上ビルマ地域の地方紙。一方、週刊もしくはジャーナル誌はアミィンティ(内務省特務局発行週刊新聞)(ビルマ語)初め19紙誌が紹介されている。さらに国外で発行されているミャンマー関連新聞としては、ミッツマニュース(Mizzima News)(亡命ビルマ人ジャーナリストによるマルティメディア紙(本部インド・デリー)他3紙が紹介されていた(以上概要)。国内発行の新聞・雑誌の検閲が今年3月に廃止され、民主化がスタートした印象が強い。

2012年7月28日土曜日

(1537)スーチー氏排除の規定あだ

  世の中こんなこともあるんだなあ。7月26日の朝日新聞によれば、標記の見出しとともに「副大統領人事決まらず」の見出しが飛び込んできた。健康上の問題で辞任したティンアウンミンウー氏は守旧派の代表格で、テインセイン大統領と意見が合わないとされていたが、その後任としてやはり守旧派でヤンゴン管区首席大臣のミンスエ氏が推薦されていた。ところが彼の娘婿がオーストラリア国籍を取得していたことが判明。正副大統領の資格要件として、配偶者や子、子の配偶者は外国人または外国の影響があってはならないと憲法で規定されている。この規定は、夫や子供が英国籍のスーチー氏を正副大統領に就任させないために、設けられたと言われている。このような憲法項目を知らない議員が大勢いることには驚きだ。どのように決着がつくのか要注目。

2012年7月27日金曜日

(1536)船中八策 ⑦「ビザ」か「在留資格」か

  いま朝日新聞の社説欄で、ミャンマー問題(1996年~2012年)に関連している記事を収集しており、現在のところ42件が得られている。その中で一つ気になるタイトルを見つけた。1999年4月7日の「ビザと命、どちらが重い」という外国人医療に関する社説。内容は日本に在留する正規の滞在資格を持たない外国人が、病気になった場合、国民健康保険に加入できないため、症状が悪化してから診察を受けるため、重症化し費用もかさむ。患者の足はますます遠のくが、「ビザ」よりも大切なものはあるというもの。文脈から見て、ここで「ビザ」を使うのは間違いであり、文中にある「在留資格」を使うべきと思う。本件は今日朝日新聞社の相談室に問い合わせ、返事をいただくことをお願いした。なおこの問題は今年7月改定の「在留カード」の問題にも関連している。

2012年7月26日木曜日

(1535)久しぶりのきらく会ビアナイター

  「きらく会」というのは私が勤めていたライオン研究部のほぼ同期の集まりで、約60年間付き合ってきた仲間だ。平均年齢82歳ぐらいか、12人中4人が欠席、残り8人が極暑の中「ビアステーション恵比寿」に集合した。ここは恵比寿ビールの工場の跡地であり、子供のころ山手線に乗ってビール瓶の木箱を山のように積んであった風景を思い出す。恵比寿駅から会場までは「動く歩道」で繋がっており、足の悪い私には最高のもてなし。この「動く歩道」の管理者は誰だろうとの質問も出たが、誰もわからない。80代の老人の会合では、鳩山元首相や各大臣へのバカ呼ばわりに始まり、オスプレイの配置賛成とか、原発再開絶対反対など、あまり進歩は見られない。最後の方で、海外旅行(特にタイ・ミャンマー)の話が出たが、恵比寿でフウフウ言ってる私には無理だ。

2012年7月25日水曜日

(1534)テレビ放映 アジア最後のフロンティア

  昨日夜7時のテレビで、アジア最後のフロンティア・ミャンマーという番組が放映されていた。出席者はハニーズ江尻社長と日経記者、最初はミャンマーの紹介で、高田馬場のビルマ料理店「ヤンゴン」も紹介されていた。最近軍政が民主化に舵を切り替えたため、日本を含む世界の企業も続々ミャンマーに進出し始めている。ハニーズは婦人服の店舗を世界に1200も有しており、従来中国が主な生産地であったが、人件費が高騰してるためミャンマー進出を決めた。いま従業員は370人だが、9月には千人、3年後に3千人を予定。従業員は真面目で識字率も高く、高品質の製品を出荷できる。日経記者は、ミャンマーはチャオピュー、ティラワなどの経済特区構想があり、地理的には欧州に近く輸出に便利。問題はインフラが未整備で、許認可に時間がかかる点。

2012年7月24日火曜日

(1533)私の船中八策 ⑥「真の自治か真の融和か」

  ミャンマー問題を論ずる場合、民主化が最大の争点ではあるが、もう一つの争点に少数民族問題がある。各少数民族は「真の自治」を目指しているが、これも一つの見識であろう。しかし、同一国内に目標の違う民族が存在し、資源も偏在している現状を見れば、「真の自治」は将来トラブルが発生する引き金になる恐れが十分予測できる。この際各少数民族は、「真の自治」を目指すよりも、「各民族間の真の相互融和」を目指したほうが、百年後のミャンマー社会を夢見るうえでも合理的ではなかろうか。どちらも難しい問題だが、各民族がにらみ合うのではなく、相互に助け合う環境づくりにミャンマー政府もスーチー女史も、日本をはじめ世界各国も、知恵を出してほしい。【注】この項を掲載したため、(1527)の内容はロヒンギャ問題に特化するよう内容を変更する。

2012年7月23日月曜日

(1532)リーダーたちの群像 スーチー氏

  7月23の朝日新聞の「リーダーたちの群像」欄にスーチー氏が登場、「妥協受入れ前進」と紹介されていた。スーチー氏は今月10日、国会議事堂の前でUSDP幹事長のテーウー氏と出くわした。2003年のスーチー氏襲撃事件への関与が疑われている人物だ。反目してきた二人も、これからは日常的に国会で顔を合わす。「互いに協力することが物事の成功につながる」(テーウー氏)、「皆が国民和解と民主化の実現のために努力することが重要」(スーチー氏)。またスーチー氏は、議員の就任宣誓文拒否は自分のミスと認め、「軍政を利するだけ」と批判していた外国からの援助や投資も「人権や民主化に資するなら」と呼びかけに変更。一方テインセイン大統領も「15年までにGDPを3倍に」と目標を口にした。立場の異なる二人が、ミャンマーを前に進めている。

2012年7月22日日曜日

(1531)読了113冊目:「白衣の天使」

  副題は「ビルマ最前線 従軍看護婦死闘の手記」、宮部一三編、1982年・叢文社発行、319頁、1600円。本書は数十人のビルマ派遣従軍看護婦生存者の手記を集めて一冊にまとめたもの。終戦の2年前、敗色濃い状況の中、日本赤十字社のうら若き看護婦2百余名が、出身地別に分かれてビルマに派遣された。静岡、岐阜、石川、広島、和歌山、愛媛、佐賀、熊本(各20人編成)の各班で、ラングーン、メーミョー、カロー、メイクテーラなど各戦線に配属された。無謀なインパール作戦の結果、敗残兵となった兵隊が食料の無いまま山を越え川を渡り、タイ側に敗走、蛆の湧く傷病兵を看護しながら、従軍看護婦も敗走を続けた。終戦後捕虜となっても、看護活動を続けていたという。この手記集は何人もが同じ場面を書いており、真実そのものと言えよう。感動だ。

2012年7月21日土曜日

(1530)私の船中八策 ⑤難民保護庁を設立せよ

  2009年8月、日本の総選挙の際、当時の自民党は「仮放免申請者や難民認定申請者を、我が国にいて欲しくない人間」と決めつけ、この件で私は自民党が大嫌いになった。私は日本に住む住民として、当然共生の考え方で進むべきと考えている。一方民主党は、10年10月28日に、黒岩法務大臣政務官が「民主党のインデックスでは、先進国中最も冷たく厳しいといわれる日本の入管・難民認定行政を改めるために、難民認定行政を法務省から切り離し、内閣府外局に難民認定委員会を設置するとともに、彼らの生活支援の法的規定を整備する」と明言。8か月後の11年6月21日のジャパンタイムス紙上にも、同氏による同じ発言が掲載されている。北村入国管理局認定室長も、「政府は基本的に与党民主党と同じ方向」とコメント。政府は実行して欲しい。

2012年7月20日金曜日

(1529)船中八策 ④大麻の栽培を中止せよ

  最近麻薬に関連する事件が多い。今日も麻薬を服用して自動車事故を引き起こした事件が報じられていた。麻薬と言えば、アフガニスタンと並んで、ミャンマーが有名である。例のゴールデントライアングルでの大麻の栽培は、毎年撲滅したといわれるが、暗黒の世界は今も続いているようだ。少数民族であるワ族の民兵が武器を持って管理してると聞く。原住民の収入は僅からしいが、いったん国外に出ると価格は急騰するという。大麻栽培は麻薬患者を増やすだけであり、悪徳業者=闇の社会をのさばらすだけだ。百害あって一利なしだ。ミャンマーの新政権は、掛け声だけでなく、大麻栽培の根絶に力を入れるべきだ。全世界の人類の健康のために。必要なら国連の力を借りたらよい。以前、日本も大麻の代替物として、蕎麦を植えたことがあったが、失敗している。

2012年7月19日木曜日

(1528)私の船中八策 ③アムネスティの実施を

  ミャンマーの友人(難民申請中)が、私に仮放免許可証を見せてくれた。3か月ごとに入管に出頭して、許可の判を貰うのだが、すでにその判は20個ほど並んでいた。ということは、すでに5年も経過し、その間は就労不可という厳しい状況だ。現在、一次審査段階で800人、異議段階で2600人、ビルマ人に限れば合計1700人前後が未決の状態だ。私の知人だけでも、数人がこのような悲惨な状態のまま在留している。法務省に聞いてみても、そのような外国人の存在を認めており、支援は知人に頼むか、難民事業本部に頼むかなど、常識的な回答しか得られない。外国人が日本の法律を忠実に守って生活すると、餓死するかもしれないのだ。人道・人権問題として許されることではない。異議申し立て以降の迅速な審査、およびアムネスティ(恩赦)の実施を望む。

2012年7月18日水曜日

(1527)私の船中八策 ②少数民族問題の解決を

  大阪の維新の会が元気だ。綱領の「船中八策」も輝いて見える。私も橋下市長と年齢が近いので負けてはいられない。昨日から「ミャンマー問題・船中八策」に挑戦中だ。ミャンマーの場合、民主化問題はよい方向に進みつつあるが、もう一つの問題である少数民族問題が見えてこない。ビルマ族と非ビルマ族との格差是正など、難しい問題がある。現在上院でどのような審議がされているのか、伝わって来ない。この点が解決できないと、真の連邦制と言えず、将来に禍根を残す。今や軍政側と、NLD側が協力し合う時代、この機会に「民族平等」を徹底的に議論してほしい。なおもう一つ、ロヒンギャ問題も解決してほしい。しかしこの問題は、スーチーさんも触れることが難しい問題だ。あるいはイスラム教徒の多いアセアンとして、第三国定住の形で解決できないか。

2012年7月17日火曜日

(1526)私の船中八策 ①ミャンマー大使館よ

  きょうも暑い。思考能力がますます低下している。そんな中、ミャンマーが民主化に進んでいることは嬉しい。知人のミャンマー人の多くは、反軍事政権の立場の人が多いが、そろそろ帰国を考えだしている人もちらほら。本国では、スーチーさん初めNLDのメンバーが、自由に発言できる環境に変わってきた。内心警戒しながらも、母国の家族のもとに帰りたい人が増えて当たり前だ。しかし彼らの前に大きく立ちはだかっているのが、通称【税金】問題、1か月1万円の割で在日月数に従って大使館に支払わねば、帰国事務は進めてくれないという。日本に10年(120か月)いた人は120万円となる。最近は【寄付金】に性格が変わり値引き可能と聞くが、真実は闇の中。ミャンマー大使館さんよ、本国政府と同じように、在日難民に対しても、扉を大きく開いたらいかが。

2012年7月16日月曜日

(1525)膨大な資料の活用法

  いま私の手元には朝日新聞の1996年以降のビルマ・ミャンマー関係の記事がほぼ完全にスクラップされている。その見出し集は「みんがらネットワーク会報」の創刊号から最近発行予定の38号まで毎号掲載されており、総件数は2500件に及ぶ。近くその第1集を例のごとく自費出版の形で出版する予定だ。ただ集めるだけではあまり意味がないことに思い付いた。何かテーマを作ってまとめてみたい。そこで気が付いたのが、ビルマ・ミャンマーに関する16年間の朝日の社説集だ。集めてみると42件もあった。民主化に向かって突然走り出した同国の政治を予見できたのか? 民主化だけでなく、もう一つの「少数民族問題」に朝日はどう考えていたのか、現時点では失敗と思われる「第三国定住問題」にどのような展望があるのかなど、社説から調べてみたい。

2012年7月15日日曜日

(1524)読了112冊目:「ビルマ独立への道」

  副題は「バモオ博士とアウンサン将軍」、著者は根本敬(上智大学教授)、2012年4月・彩流社発行、209頁、1800円+税、なおこの書籍は、「15歳からの伝記で知るアジアの近現代史シリーズの第2巻に該当。プロローグ(時代背景)、第1部バモオ博士(ビルマ初の博士が歩んだ苦難の道)、第2部アウンサン将軍(32歳で散った悲劇の英雄)、第3部(戦後のビルマと日本)、さらにアウンサンスーチーの思想、エピローグと続く。この本は中高生向きとあるが、やさしくきれいな日本語で書かれており、読みやすい。著者の得意な「抵抗と協力のはざま」(拙著「ミャンマー関連書籍101冊紹介・あらすじ集」のA-3参考)によって、それぞれの人物、歴史が「抵抗」と「協力」の両面から解析されており、よく理解できる。民政ビルマ、いまこそ日本との歴史を振り返る時だ。

2012年7月14日土曜日

(1523)在留管理制度スタート 自治体で差が

  7月9日から新制度がスタートしたが、地方自治体にはあまり徹底してないようだ。群馬県の場合(毎日新聞7月10日)、伊勢崎市はこれまで不法滞在でも所持できた外国人登録証を持っている人を対象に、母子手帳の交付や予防接種を行ってきたが、今後はサービス提供は困難という。高崎市でも、今後は何もなければ受けられないとしている。一方共同通信社(7月14日)も不法滞在者はサービスの対象外と誤解している自治体が少なくないという。市民団体が行った調査では、住民登録がなければ不可とする回答が46%に達している。このままでは市町村窓口で、不当なサービス拒否が起こるのは避けられないと悲観的に述べていた。最近私の周辺でも、入管から予備調査の書類が送られているようだが、その取扱いに戸惑うミャンマー人の声が聞こえてくる。

2012年7月13日金曜日

(1522)ミャンマー進出追い風

  7月13日の朝日は、表題の見出しのほか、「米の投資解禁で懸念減」と報じた。米企業によるミャンマーへの投資が、11日原則として解禁された。有望市場を巡る競争が激しさを増す一方、ミャンマーが米政府のお墨付きを得たことで、日本企業もビジネスがしやすくなる利点がある。2011年度末における国別の直接投資残高は、中国202億ドル(50%)、タイ104億ドル(26%)、韓国(29億ドル(7%)、英国19億ドル(5%)。米企業としてはコカコーラやGEが進出を検討しており、米欧企業が参入すれば、競争は一気に激しくなる。日本企業としては、ローソンや、NTTデータなど進出を狙う企業にとっては脅威だが、米国に気兼ねせずにビジネスができる利点は大きい。ただ、まだ法整備が不十分であり、進出に躊躇してる企業も多い。法整備が急務だ!

2012年7月12日木曜日

(1521)スーチー氏 議員活動本格化

  7月10日の朝日には、標記見出しのもと写真入りで紹介されていた。ミャンマーの野党NLDのアウンサンスーチー党首が、9日国会審議に初めて出席し、議員活動を本格的に開始した。この日は議場での発言はなく、他の議員の質疑や法案に関する説明に耳を傾けていた。国会内の記者団に「国のために全力を尽くしたい」と語った。スーチー氏はNLDが圧勝した4月の国会補欠選挙で下院議員に当選、5月に国会で宣誓して議員に就任したが、会期最終日だったため、今国会が実質的な議員活動開始となる(以上)。私はこの紙面を見て、何かそぐわない感じを覚えた。野党議員はまだごく少数、多数与党である軍人やUSDP議員に囲まれて、どこまで意見が通るのだろうか。一歩前進と言えばその通りだが、NLDが過半数を占める迄には長い時間が必要だ。

2012年7月11日水曜日

(1520)在留管理国に一元化 無資格者の人権配慮課題

  7月9日の朝日新聞夕刊は、改正入管法が施行された旨報じた。60年続いた自治体発行の外国人登録証明書が廃止され、国が発行する「在留カード」に切り替える。国が情報を一元的に管理することで、不法滞在者を減らす狙いがある。一方で在留資格のない外国人が、人権上の配慮で認められてきた教育や医療から排除されかねないとの懸念も指摘されている(以上概要)。私は3年前、この制度が国会で審議された時、難民申請中の仮放免者(不法滞在者)が、見えなくなる法律には反対である旨、国会の民主党議員室を回り訴えた。しかし結局は民主党議員は役に立たないことを理解できた。入管は不法滞在者の一掃を図るが、難民申請者は母国に帰国できない。難民申請してから3年以上経過しても、入管から連絡のない人が多い、就労不可のままだ。

2012年7月10日火曜日

(1519)読了111冊目:「ビルマの風鐸」

  副題は「日赤従軍看護婦が見たビルマ最後の日」、「太平洋戦争深発掘」、著者は福田哲子(元日赤ビルマ従軍看護婦広島班婦長)、1996年11月・叢文社発行、271頁、1800円。この本は、「重傷は捨てて逃げよとの命令を聞きつつ背負いき足なき兵と」という短歌に始まる。第1部は和歌山日赤救護班、第2部は同広島班の苦難の退却の様子をまとめ上げたドキュメントである。一班は二〇人の看護婦から編成されている。医療設備がなく、武器もなく、食料もない状態での逃避行であり、かつ、制空権が完全に英軍側に奪われ、連日のような空爆、そして豪雨との戦いでもあった。現地で終戦を迎え、英軍の施設で手厚い介護を受けた状況も明らかに描かれている。また現地ビルマ人が親日的であったことにも救われる。今の若い女性たちに読ませたい一冊。

2012年7月9日月曜日

(1518)ミャンマー 音楽も解放

  7月7日の朝日夕刊に、 「ミャンマー音楽も解放」、「国立交響楽団復活コンサート」、「指揮者の福村さん指導」との見出しが並んでいた。軍事政権の権力争いから、対外活動の休止に追い込まれていたミャンマー国立交響楽団が、今月復活公演を計画している。指導するのは日本人指揮者の福村芳一さん(66)、「名実ともに国を代表するオーケストラに育てたい」と意気込む。交響楽団の設立は、2001年9月、軍政の実力者キンニュン第一書記が発案、主導し演奏会などを開いていた。だが3年後にキンニュン氏が失脚し、自宅軟禁されて以来、公的活動はできなくなり、存在自体がタブー視された。今年1月、政治犯の多数釈放に合わせキンニュン氏の軟禁も解除、福村さん指導のもと、交響楽団の活動も再開された。7月13日にはヤンゴンで演奏会が開かれる。

2012年7月8日日曜日

(1517)在日ビルマ・ロヒンギャ協会からのデモの案内

  ビルマ市民フォーラム経由でBRAJ(在日ビルマ・ロヒンギャ協会)より、明日、デモ開催の案内が流れた。「アラカン州でのあらゆる衝突をやめ、避難民を守れ」という趣旨で、概要は以下の通り。日時:2012年7月9日、①13時~14時半、在日ビルマ大使館前、②15時~16時 国連大学前。5月28日にアラカン州で、アラカン族の少女がムスリムの少年3人に暴行、殺害されたことをきっかけに、アラカン州各地で襲撃や放火、殺人などが起きている。テインセイン大統領は、6月10日に非常事態宣言を出した。ビルマ政府は6月24日の時点で、死者78人、負傷者87人と発表、多くの住民は恐怖と飢えに苦しんでいる。要望は、①即時の衝突の停止、②国連調査団の受け入れ、③避難民への支援(以上)。在日ロヒンギャグループによる抗議行動は珍しい。

2012年7月7日土曜日

(1516)読了110冊目:「移民・難民の病を防ぐ」

  著者は港町診療所の山村淳平先生、2012年6月発行、注文先はCTIC(カトリック東京国際センター)、前半が日本語版で71頁、後半が英語版で73頁、英語版は裏表紙から読むように工夫されている。定価がまた面白い。日本語版の最初の頁に頒価500円と印刷してあるが、英語版には記載がない。移民・難民には無料でもよいという趣旨と聞く。内容は、第1章:あなたも医療相談の支援を、第2章:移民・難民の病、第3章:次世代に健康をつなぐとある。著者は長年にわたり難民への面会(診療)活動を続けており、私も牛久の入管ではしばしばお目にかかる機会があり、その都度感動を受けていた。面会を受けた難民らもその後一様に感謝の言葉を述べていた。本書はそれらの活動をもとにしたものであり、前作「壁の涙」、「難民への旅」と共にお勧めしたい。

2012年7月6日金曜日

(1515)ラカイン州 民族対立 報復の嵐

  7月6日の朝日に、標記の見出しのほか、「襲撃や放火、死者78人}の見出しが並んでいた。ミャンマー西部ラカイン州(前のアラカン州)でイスラム系と仏教系の民族対立が激化してから1か月になる。非常事態宣言が出されたものの、治安回復のめどは立っていない。5月28日に州中部の村で、ロヒンギャ族3人がアラカン族の仏教徒女性に暴行し殺害した事件をきっかけに、襲撃や放火などが州内各地に広がった。6月3日にはアラカン族がロヒンギャ族が乗ったバスを襲撃し10人を殺害、テインセイン大統領は10日に非常事態宣言を発表、報道を規制した。6月24日時点での死者は78人、3千棟の住宅が焼き討ちなどで破壊、5万2千人が家を失った。ロヒンギャ族はラカイン州に80万人、バングラデシュに20万人いるとされる(以上)。第3者の介入が必要だ。

2012年7月5日木曜日

(1514)改正入管法施行(毎日新聞)

  7月5日の毎日新聞の「記者の目」欄に、同社西部報道部の河津啓介記者が書いた、改正入管法に関する問題点を読んだ。見出しには、「『管理』より『共生』で受け入れを」、「罰則厳しく出国処分も」、「『非正規』排除制度の死角に」というフレーズが並んでいた。4日後の7月9日にこの法律が施行される。問題として取り上げているのは、①住所の無届期間が90日を超えると出国処分を受ける点、しかし自治体に登録した住所と現住所が異なっている例が多く、5月以降あて先不明で戻ってきたのは20政令都市で約7%という、猶予期間として3年は必要であろう。②国は非正規在留者にも最低限の権利は保証するという。ならばなぜ住民登録から排除するのか。③日本は単純労働者は受け入れないとしているが、「実習生」はよろしいというごまかしを続けてる。

2012年7月4日水曜日

(1513)人権侵害に苦しむ雲南省のカチン難民

  ヒューマン・ライツ・ウオッチの6月27日の情報によれば、ビルマから逃れたカチン難民数千人が中国雲南省で孤立している。中国政府は、直ちに一時的保護を提供するとともに、これら難民への制限なきアクセスを認めるべきである。中国は、難民を強制送還したり、食料や住居を提供せずに、放置してはならない。雲南省のカチン難民は、十分な避難所や食料、飲料水、衛生設備がなく、大半の子供は学校に通えない。2011年6月、カチン州にある中国が建設する水力発電ダム付近で、ビルマ国軍とカチン独立軍(KIA)との戦闘が始まり、約7万5千人が土地を追い出された。国連は3月から6月にかけて、3回輸送隊を派遣したが、中国政府は一切支援していない。カチン難民が平和に帰宅できる日まで、中国政府は、難民の安全と福祉を保障する義務がある。

2012年7月3日火曜日

(1512)ミャンマー投資拡大へ官民委設置提案へ

  7月2日の日経電子版は、標記の件を日緬外相会議で提案すると報じた。政府はミャンマーへの民間投資を増やすため、両政府関係者や産業界の代表者が集う委員会を立ち上げる。玄葉光一郎外相が2日午後にミャンマーのワナマウンルウイン外相と会談し、委員会設置を提案する。産業界の要望をくみ上げ、ミャンマーへの投資環境を整える狙いがある。新たに設置するのは、「日本・ミャンマー共同イニシアティブ」。日本側は外務・経済産業両省など関係省庁のほか、日本貿易振興機構(ジェトロ)、国際協力機構(JICA)など政府系機関、民間からは現地の商工会議所の代表が参加する。ミャンマーは民主化の進展に伴い、発電所や道路などインフラ需要が高まる見通しで、米国や韓国などが投資の強化を急いでいる。日本も投資協定の今秋締結を目指す。

2012年7月2日月曜日

(1511)読了109冊目:「アウンサンスーチー」

  副題は「変化するビルマの現状と課題」、根本敬・田辺寿夫共著、2012年6月・角川書店発行、239頁、781円+税。内容は第1部と第2部に分かれており、第1部は「アウンサンスーチーとビルマの政治」(根本敬著)で、「ビルマの変化とアウンサンスーチー」、「アウンサンスーチーの歩みと思想」、「アウンサンスーチーとビルマの未来」がやさしく解説されている。第2部は「ビルマ人と日本人」(田辺寿夫著)で、「日本に生きるビルマ人」、「日本から見たビルマ、ビルマから見た日本」、「東日本大震災と在日ビルマ人」、「日本とビルマの未来」がウ・シュエバ流に描かれており分かりやすい。最近ミャンマー政府が民主化に大きく舵を切ったが、大勢が半信半疑で変化の行方を見つめている。この時期に本書が出版されたことは、タイミングがよく、一読をお勧めする。

2012年7月1日日曜日

(1510)在日ミャンマー難民の揺れ動く思い

  6月28日のFNNニュースは、「日本に暮らすミャンマー難民の揺れ動く思い」を流した。ミャンマーで動き出した民主化を複雑な思いで見つめる難民の声だ。その一人、ナン・センさんは、父がKIAのスパイと思われ軍事政権に殺され、いまもカチンでは紛争が続いている。彼女は今の状況ではまだ帰れないという。一方、タンスエさんは、中学2年生の長女と、小学2年生の次男がいる。タンスエさんはいつかミャンマーに帰りたいというが、長女は「言葉が通じないので、日本に残りたい」と話す。タンスエさんは「家族がまたバラバラになっちゃうかな・・・」と。そして「軍事政権が昔のように戻ってこないように日本も力を入れて、世界と一緒に、ビルマの民主化を応援してほしい」と続けた(以上概要)。ミャンマー大使館はまず在日ミャンマー人の悩みに応えるのが筋と思う。

2012年6月30日土曜日

(1509)読了108冊目:「メフェナーボウンのつどう道」

  古処誠二著、2008年1月・文芸春秋発行、345頁、1700円+税。題名の「メフェナーボウン」とはビルマ語で「仮面」を意味するという。出版の際、最初からわからない題名にするよりも、「仮面のつどう道」にしたほうが読者に親切だと思うのだが。大戦末期、ラングーンの兵站病院も、350キロ先のモールメンまで撤退の命令が出た。怪我人は足手まといになるため、置き去りにするしかない。途中、隊列から離れてしまった2人の日赤看護婦と、下士官、担架の負傷兵、2人の従軍慰安婦、ビルカン(ビルマ人看護婦)、日本人母娘という奇妙な集団の逃避行、途中で各人の考え方に微妙な差異が生じ、それぞれの「仮面」が剥がれていくという筋書き。第一線ではなく、最後方での撤退なので、壮烈な戦記物とは違うが、それだけに心に訴えるものが多い。お勧めだ。

2012年6月29日金曜日

(1508)ロヒンギャ族との騒乱

  6月27日のアムネスティ・インターナショナルは、ラカイン州北部における緊張状態に対して次のような声明文を発表した。ビルマ政府は、非常事態宣言を早急に停止し、国際監視団を受け入れ、少数民族ロヒンギャに対する長年の制度的、社会的差別に対処すべきである。6月8日に少なくとも8地域で始まった広範な暴力事件は、その後減少したが、ラカインの仏教徒とイスラム教徒、ロヒンギャのイスラム教徒の間で人権問題は引き続き発生し、治安部隊による人権侵害も続いている。特にマウンダウとラシダウンで多発している。政府の発表によれば少なくとも50人が殺害され、3万人以上が居住地を追われ、数千の家屋が破壊された。アセアン加盟国は、監視団を紛争地に派遣するべきである。またビルマ政府は、ロヒンギャの市民権を認めるべきである。

2012年6月28日木曜日

(1507)ウワサ

  いま、在日ミャンマー人の間で囁かれている噂がある。 偽造の就業ビザで500人が捕まりそうだというもの。500人はチョット多いなぁと聞き流していたら、そのうち76人だという人も。このように端数まではっきり出ると、信ぴょう性が少し高まる。さらには、首謀者はミャンマー人女性らしい。その他、難民申請や仮放免延長申請に行けば、捕まるので怖いという人も。噂が噂を呼んでいる。ただ不思議なことに警察からは何も報道がない。通常この種のニュースは、逮捕者が10人も出れば、すぐ報道されるのに。そこでまた噂が。逮捕予定者があまりにも多いので、警察も発表できないのでは・・。この噂が、噂で終って欲しい。みに就業ビザ関連での違法在留は、原則強制送還だ。裁判終了後入管に移送され、帰国準備が揃い次第、強制的に飛行機に乗せられる。

2012年6月27日水曜日

(1506)高田馬場での起業家

  6月20日付の日経ビジネス(ONLINE版)が「民主化への弾圧を逃れた難民が起業家として活躍」というテーマで、ミャンマー人起業家を取り上げた。東京のリトルヤンゴンと言われる高田馬場近辺では、同国人が経営するミャンマー料理店をはじめ、食材、雑貨店、美容室など約20店が集まっている。高田馬場だけで約500人ものミャンマー難民が住んでいる。ヤンゴン経済大学を卒業し会計士の仕事をしていたソーさんは、88年の民主化運動に参加し、身の危険を感じて来日、現在はレストランを経営する傍ら、NHKビルマ語放送のアナウンサーも務め、日本での民主化運動を続行中。東日本震災の際は、ミャンマー難民を集め、被災地で炊き出しを行った。少数民族のセンブーさんはカチン料理店を経営中。難民支援協会は起業家に100万円融資している。

2012年6月26日火曜日

(1505)読了107冊目:「ビルマの竪琴」

  竹山道雄著、1959年4月・新潮社発行(新潮文庫)、233頁、定価320円。著者が第一高等学校(東大教養学部の前身)の教授時代の作品で、児童向けのもの。しかし、ビルマ関連書籍としては余りにも有名過ぎて、拙著「101冊あらすじ集」の第1集に入れるのをつい忘れてしまった。私はこの書籍を読んだ記憶はないが、市川昆監督による2回の映画(56年、85年)やテレビ、舞台演劇などを見てストーリーは理解していた。終戦の際、ビルマ戦線で英軍の捕虜になった日本の兵隊たちが、間もなく帰国する日が近づいてきたが、一人だけ帰らない兵士がいた。戦友たちが合唱する「はにゅうの宿」の歌声に合わせて、僧衣の彼は竪琴を取り上げ激しく打ち鳴らした。戦場を流れる兵士たちの歌声と竪琴の音に、国境を越えた人類愛が胸を打つ素晴らしい作品だ。

2012年6月25日月曜日

(1504)ミャンマー証券取引所 開設へ

  証券取引所(証取)とは、主に株式や債券の売買取引を行うための施設であり、資本主義経済における中心的役割を果たしている。経済の発展に欠かせない資金調達と、資本運用の双方を効率的に行うために、株式・債券の需給を取引所に集中させている。22日の朝日夕刊には、ミャンマーの証券取引所が、東京証券取引所と大和総研の支援を受けて、開設する方向と報じた。東南アジアでは、近年ラオス、カンボジアが証取を開設、GDPが同レベルの両国に先行されたことで、ミャンマー側に焦りが出ていた。またテインセイン大統領が、2015年までに一人当たりのGDPを3倍に引き上げると表明、経済発展には、証取など経済インフラの整備が必要なのは間違いない。ミャンマー側は15年までの開設を希望しているが、かなりギリギリとの声が出ている。

2012年6月24日日曜日

(1503)英国訪問中のスーチー女史

  6月21日、22日の朝日夕刊は、英国訪問中のスーチー氏の動向を報じた。まず、20日は母校オックスフォード大学で名誉博士号を受けた。スーチー氏にとってオックスフォードは1960年代に哲学や政治、経済を同大学で学び、88年に帰国するまで、夫や二人の息子とともに長年暮らした思い出の地。記念講演では、当時の思い出が、ミャンマーでの「最も厳しい時期に私を支えてくれた」と話した。前日、2015年に予定される総選挙を経て指導者になる意思があるかを問われ、「私が国民を正しく導けるのならイエスだ」と意欲を示した。一方、21日には英国会のホールで演説し、「今がビルマにとって最も困難で援助を必要とする時」と述べ、議会制民主主義の再建や、教育への支援、公正な投資を訴えた。英国会で演説した外国人は国家元首級の一部だけという。

2012年6月23日土曜日

(1502)読了106冊目:「異郷の女」

  副題は「戦争と愛との物語」、村松喬著、1956年12月・虎書房発行、270頁、定価230円、直木賞候補作品。著者が日日(現毎日)新聞社ビルマ特派員だったころの体験をもとに、戦後10年目に発表したシャン女性との恋愛小説。その背景に、ビルマの慣習やシャンの歴史があり、戦争があり、宗主国が英国から日本に替る時代の変化があった。多くのビルマ人は打算で動いていた。特派員は当初メイミョ―にいて、現地で雇った数人の現地人と共同生活を始めた。その中の一人の青年Bが実に忠実に働いてくれて、大いに助かっていた。そのうち主人公はシャン女性と純愛の生活を繰り広げたが、戦争は二人の仲を無残にも引き裂いた。そして背後で操っていたのは・・・・。この本を読み終えてジョージ・オーウェルの「ビルマの日々」を思い出した。お勧めしたい。

2012年6月22日金曜日

(1501)ワッハッハのついでに

  昨日は変な日であった。厳密にいうと変な3時間であった。こんな時間帯もあるんだなあ。家内が1時ごろ図書館から2冊のビルマ関連の書籍を持ってきてくれた。久しく読むものがなく、待ちに待っていた本である。1冊はGさん推奨の「メフェナーボウンのつどう道」、それと、ご存知「ビルマの竪琴」。とりあえず2冊は確保できたので嬉しい。と、1時ごろ宅配便のチャイムが。何だろうと見ると、Tさんから贈っていただいた新刊の「アウンサンスーチー」。私の書いた「ミャンマー関連書籍101冊紹介・あらすじ集」のお礼のようだ。その後30分ほどして別の宅配便が。開けてみるとSさんからの「異郷の女」。4冊ともミャンマー関連の名著ばかり、この調子だと、拙著「101冊」の第2集は比較的早く出来上がるかも。いや待てよ、きのう書いた「社説集」も「中国・インド」もある。

2012年6月21日木曜日

(1500)ワッハッハ 1500回だぜー

  このブログもきょうで1500回、1500という数字には別に意味はないが、なんか「よくも続いているなあ」という感じはする。1年は365日、これで割ると4年ちょっと、か。雨が降っても、雪が降っても、地面が揺れても、毎日1回書き綴った「U Mingalarのブログ」、先日は「ミャンマー関連書籍101冊 紹介・あらすじ集」の自費出版も無事終わり、一息ついている所だ。さて次の自費出版のテーマはどうするか? (1485)では、「ミャンマー関連記事の中の中国・インド」でまとめるべく、準備を進めている旨を書いたが、その前に「この15年間、朝日新聞の社説はミャンマー問題をどう取り上げてきたか」のほうを先にまとめたくなった。この1年間にミャンマー情勢は急激に民主化に舵を切りだしたが、社説に何か予見はあったのか、この辺を探ってみたい。まとまるかしら。

2012年6月20日水曜日

(1499)5年間の成長率7.7%

  今朝の朝日は、ミャンマーのテインセイン大統領が19日首都ネピドーの大統領府で行った施政方針演説を取り上げていた。それによれば今後5年間、平均7.7%の経済成長を目指す方針を明らかにした。また3年間で国民所得を1.7倍にするとの目標も掲げた。テレビで全国に生中継された演説で、大統領は、初年度は政治改革と国民和解に力を注いだ。今年からは国と国民の経済発展に焦点を当てると述べた。投資法や経済特区法の改正案成立を目指すほか、最低賃金を規定する新法案を来月召集の国会に提出する意向を示した。なお、国際通貨基金(IMF)によるとミャンマーの経済成長率は2009年以降年5%台で推移している(以上概要)。欧米からの経済支援が復活すれば、即ち、民主化が進めば、経済成長率はもっと高くなるのではと思うのだが?

2012年6月19日火曜日

(1498)ミャンマー改革の行方 FT紙の社説

  日経新聞の6月13日の電子版に、英国のFT(The FinancialTimes)紙の社説を掲載。見出しは「ミャンマー改革の行方 スーチー氏が大きな役割」。彼女は国会議員としてどこにでも自由に行けるようになり、ミャンマーを巡る状況がここ1年で大きく変わった。だが喜んでばかりもいられない。イスラム教徒と仏教徒との衝突で17人以上が死亡し、テインセイン政権は非常事態を宣言した。しかし、新政権もスーチー氏も、民族対立を解決するための確固たる案を示していない。軍事政権は、少数民族を容赦なく弾圧するという手法で対処してきたが、現在この手法は選択しにくい。ミャンマーがアジアのユーゴスラビアになる恐れもある。スーチー氏は制裁をいつ解除すべきか明確ではない。投資が自由に入ってきても、民族対立で緊張する地域には、向かないだろう。

2012年6月18日月曜日

(1497)スーチーさん外遊 脚光と試練

  今朝の朝日には、アジア総局長の藤谷健氏が「風」欄に、「スーチーさん外遊 浴びる脚光 待つ試練」という一文を掲載していた。最初の外遊先バンコクでは、国際会議のほか、ミャンマー人出稼ぎ労働者が数十万人いるといわれる郊外で演説、支援の約束と国づくりへの協力を呼び掛けた。休むことなくメソトへ、シンシアさんはじめ多くの活動家との面会は中止された。この中止はミャンマー政府を刺激することを懸念したタイ政府が決めた。些細なことが失望につながる。ロヒンギャ族をめぐる民族対立でも、世論はバングラデシュからの不法移民とみなすが、スーチーさんはミャンマーの少数民族と位置づけ、反発が出ている。これからも多くの試練が待ち受けている(以上概要)。日本人の多くは、ロヒンギャ族を、ミャンマー少数民族の一つと考えていると思うのだが。

2012年6月17日日曜日

(1496)スーチー氏 平和を目指し旅を続ける

  今朝の朝日には表題の見出しのほか、「21年後のノーベル平和賞演説」、「政治犯の釈放訴え」、「授賞 民主化の支えに」という見出しが並んでいた。ミャンマーの民主化運動指導者アウンサンスーチー氏(66歳)が16日ノルウエーの首都オスロの市庁舎で、1991年に授与されたノーベル平和賞の受賞演説に立った。「完全な世界平和の実現は到達できない目標だ。でも、私たちは救いの星に導かれる砂漠の旅人のように、平和を目指して旅を続けなければならない」と訴えた。またミャンマーの現状を前向きに捉えた上で「釈放されていない無名の囚人(政治囚)がたくさんいる」として早期の釈放に向けて政権に圧力をかけるよう呼びかけた。1901年に創設されたノーベル平和賞は今まで101人と20団体が受賞、圧政などで授賞式に出られなかった人は5人。

2012年6月16日土曜日

(1495)NHK アジアが頼る大国日本 難民流入

   昨夜7時半からのNHK特報首都圏で「難民流入 アジアが頼る大国日本 日本で生きる覚悟」という30分番組を見た。日本での難民申請者は10年で5倍に増え、昨年の申請者は1867人、認定者はわずかの21人、14年前に来日したマウン君はいまだに認められない。ミャンマーで警官に追われ貨物船で日本に、母が代わりに捕まった。2週に1度入管に出頭してるが母は亡くなった。人生の意味はないとつぶやく。イラン人省略、チン民族のチンラムルンさん(ミンガラ日本語教室での教え子)は介護施設で働いており評判よい。息子のシャン君(23歳)は大学進学の際国籍がない不便を感じた。また夫婦は老後年金収入がない、帰化したらと言ってくれる人もいるが、母国も大切、国が変われば帰国したい。そして難民を受け入れてくれる日本に恩返しをしたい。

2012年6月15日金曜日

(1494)民主主義促す投資を スーチー氏ILOで

  15日の朝日にはスーチー氏のILOでの講演が掲載されていた。スーチー氏は、14日欧州歴訪の最初の訪問地スイス・ジュネーブで開かれた国際労働機関(ILO)総会で演説、民主主義の促進につながる投資を期待する」と述べた。スーチー氏が自宅軟禁を解かれてから国連機関で演説するのは初めて。経済成長は民主化プロセスの促進につながると歓迎、一方で国営石油ガス公社については「まだ透明性が十分に確保されていない」として当面は投資を控えるよう要請した。ミャンマーの若者の間に広がるアルコールや麻薬の問題にも触れ、「失業は若者の社会への信頼を損ないかねない、職業訓練を雇用に結び付けることが急務」と述べた。ILOは99年から会議への参加を制限する制裁を科してきたが、13日の総会で制裁を解除。(読者延5万5千人!)

2012年6月14日木曜日

(1493)ミャンマー難民1500人を追い返す バングラデッシュ

  きょうもこの話題、朝日新聞は、ラカイン州でイスラム教徒のロヒンギャ族との対立が激化、バングラデシュの国境警備当局は、13日までの3日間で、同国側に逃れてきた660人以上のロヒンギャ族が乗った計16隻の船を海上などで発見、ミャンマー側に追い返した。大半は女性や子供で、追い返されたロヒンギャ族は1500人。バングラデシュに難民として居住するロヒンギャ族は20万人以上と言われるが、同国政府は「難民受け入れは、国益にならない」として、国境の監視体制を強化している。一方全難連経由ヒューマン・ライツウオッチは12日に声明を出して、「アラカン州で生じた暴力を停止させ、外国メディア、援助関係者、外交官の迅速なアクセスを許可するようビルマ政府に強く求めた(以上概要)。両民族間に積年の怨恨があり大統領の腕の見せ所だ。

2012年6月13日水曜日

(1492)アラカン州での民族対立 留学生からの悲鳴

  (1490)ではアラカン(ラカイン)民族(仏教徒)とロヒンギャ民族(イスラム教徒)の衝突を報じた共同通信の記事を紹介した。この内容は6月10日、12日の朝日にも掲載された。ところが昨日全難連を通じて、ロヒンギャ民族の一員である青山学院大学留学生Kさんから悲鳴に似た反論(状況説明)を入手した。各紙ともこの事件の発端は、ロヒンギャ男性によるラカイン族少女へのレイプ事件としていたが、今回のKさんの説明によると、レイプした男性も、された少女もラカイン族とのこと、こうなると話がだいぶ変わってくる。Kさんはすでに1000人以上のロヒンギャ民族が殺され、家を焼かれており、外出もできず、このままでは飢餓で死ぬのを待っている状況とか。助けてくれる人はこの世にいないのか、私たちは最低限の人権ももらえないのか・・・・・と訴えている。

2012年6月12日火曜日

(1491)読了105冊目:「ビルマ戦中日記、死と生」

  著者は林禮ニ、2012年3月・連合出版発行、207頁、2200円+税。著者は1941年東京帝大哲学科卒、翌年見習士官となる。1章:常に理性的であれ、2章:身を持するに冷厳なれ、3章:何よりも道徳的であれ、4章:何よりも善き人間たれ、5章:高潔と続く。私はビルマ戦記をいろいろ読んだが、哲学書はもちろん初めてなので恐る恐る読む。通常の戦記物と同じく各地に転戦するが、参謀部勤務が多く、情報将校として活躍するも終戦、捕虜として各地収容所を転々、復員業務に従事し、最後の復員船でラングーンを後にする。その合間合間に哲学を考え、紙面の半分以上は、堅苦しい文体が続いている。死とは、生とは、国家とは、人間とは。著者は最後に「哲学は現実世界を否定して成立するものである。哲学者は現実世界においては死んだ人間である」と。

2012年6月11日月曜日

(1490)ラカイン州で宗教対立、外出禁止令

  共同によれば、ラカイン州(アラカン)で5月に仏教徒の少女がイスラム教徒とみられる集団に暴行される事件が発生、今月に入り、イスラム教徒と仏教徒の双方がバスや家などを襲撃し、これまでに15人以上が死亡した。テインセイン大統領は、10日、ラカイン州に非常事態を宣言した。この混乱が、州都シットウェに拡大、これまで2地域に出していた夜間外出禁止令を新たにシットウェなど計4地区で発令した。報道によれば、シットウェではイスラム教徒が仏教徒の家を襲撃し、一部を焼き払ったという。ヤンゴンでは、事態の鎮静化を願う市民ら千人がシュエダゴンパゴダに集まり祈りをささげた(以上概要)。ここでいうイスラム教徒はロヒンギャと言われ、ミャンマー政府が国民と認めていない。このため、しばしば紛争が生じており宗教対立よりむしろ民族対立だ。

2012年6月10日日曜日

(1489)写真家が見詰めた軍政20年(テレビ)

  昨夜8時からNHK/BS1で標記の番組が放映された(先週の再録)。ミャンマー関連で著名な写真家、宇田有三氏の20年間、10万カットに及ぶ写真の物語である。1988年に胸にNLDの象徴、孔雀の入れ墨をしていた男性の首から下の写真を写したが、その顔のない写真を持って今年3月に彼を探し、再会を果たした。彼は今年1月から刺青を見せるようになったという。2003年に仕立て屋の店内にスーチー氏の写真が飾っている写真を撮ったが、その写真を持って探し、やはり再会。今年の水かけ祭りでミンコーナインがタンジャ(政治風刺コント)を発表した。20年間発表できなかったタンジャを。彼が収容されていた刑務所の航空写真を見せ喜ばせた。彼の父は息子が獄中にいるとき、家族全員が団らんしている絵を描いた。この他に多くの写真が紹介された。

2012年6月9日土曜日

(1488)不法就労防止キャンペーン

  法務省入国管理局は、6月1日「不法就労外国人対策キャンペーン月間」の実施について発表した。キャンペーンの実施は例年と同じだが、今年は内容が大きく違っている。というのは、7月から「新しい在留管理制度」が導入され、在留カードが無ければ、就労は原則できないこととなる。難民申請中の仮放免者には在留カードが発行されないため、法律に従えば就労はできない。一方雇い主が外国人の在留カードを確認しなかった場合は、3年以下の懲役、300万円以下の罰金を科せられる。ここで問題なのは、難民申請しているということは、帰国したくない、日本で生きていくという意思表示である。難民申請してから最終決定まで3年もかかる現状では、働かないで、どうやって生きていけばよいのか、この法律は人道上、人権上、憲法上、問題があると思うが。

2012年6月8日金曜日

(1487)憲法改正に柔軟姿勢 シュエマン下院議長

  きょう6月2日の朝日に、標記の見出しと並んで「スーチー氏と協力したい」、「陸軍出身、次期大統領に最有力」と出ていた。シュエマン下院議長は、スーチー氏が国会に軍人枠を定めた憲法の改正を求めていることについて、「憲法が国民の利益にかなっていなければ、検討すればよい」と述べ、柔軟に対応する考えを示した。7月に召集される通常国会にNLDの議員が加わることについて、シュエマン氏は、「野党と考えていない、国民のために協力していきたい、民主化の進展にも貢献してもらいたい、政党間の違いについて議論するのはその後だ」と述べた。シュエマン氏は08年国軍統合参謀長時代に北朝鮮を訪問、軍事力を強化した責任者。「現在は国連安保理決議を厳しく遵守してる」と。テインセイン大統領は、16年初めが任期切れで、後任の最有力者。

2012年6月7日木曜日

(1486)読了104冊目:「ビルマの人権」

  ビルマ連邦連合政府編、田辺寿夫監修、ビルマ国際議連・日本、菅原秀・箱田徹訳、1999年2月・明石書店発行、278頁、定価3000円+税。世界人権問題叢書の№26に該当している。この書は、96年にノルウエー首相ボンデビック氏がビルマ国際議連を結成し、97年に東京でその会議が行われた際、日本語の基礎資料がないことが指摘され、アメリカに亡命しているビルマ連邦国民連合政府が発行している報告書の97・98年版を翻訳したもの。本書には97年の人権侵害の事例とその背景が詳細に掲載されている。たとえば、力ずくの弾圧、脅かされる表現の自由、弱い者の権利、女性への虐待、少数民族と強制労働、少数民族と強制移住、発生し続ける難民、など。本書には目を覆いたくなるような人権侵害の告白も多く、早急な状況改善が望まれる。

2012年6月6日水曜日

(1485)もう一つの自費出版願望

  先に自費出版した「ミャンマー関連書籍101冊 紹介・あらすじ集」は40冊しか発行しなかったが、読者からはお褒めの言葉を頂戴した。例えば「こんなにたくさん出版されていたのか」、「編集面でいろんなアイデアが使われている」、「ビルマ料理のお店に置いておきたい」など。いま102冊目以降を読みだしており、いずれ第2集を発行したい。なおこの冊子は、私のこのブログに掲載したものをまとめたものである。私はブログの他にも、ミャンマー関連記事(主に朝日新聞)を96年ごろから集めており、その中から何かまとめたいと思っている。いま考えているのが、「ミャンマー問題と中国・インドとの関係(仮題)」だ。まあ1年がかりの労作?となろう。ミャンマーを取り囲む2大国がどういうスタンスで、軍事政権やテインセイン政権に関わってきたのかの解析だ。

2012年6月5日火曜日

(1484)大統領タイ訪問断念の裏側は?

  当初テインセイン大統領は、6月1日バンコクで開催された世界経済フォーラム東アジア会議に参加する予定だったが、急きょ中止し、スーチー氏に任せた形になった。さらにスーチー氏が帰国した後の4日にタイ訪問を計画していたが、これもキャンセル。大統領の訪問が2度にわたり中止になったことは異例であり、憶測を呼んでいる。6月1日の毎日新聞によれば、スーチー氏が国際的に脚光を浴びたことに対する嫉妬だと推測する人もいれば、大統領はそんなに狭量ではなく、スーチー氏が大統領の役割を担ってくれたとの見方も出ている。一方、大統領は、心臓のペースメーカーを使っているが、先月一時重体になったので、健康に配慮したためとの説も出ている(以上概要)。今後ともこの種の懸念は増大すると思われるが、国民生活の向上こそ、安定の鍵だ。

2012年6月4日月曜日

(1483)ビルマからの手紙(12-5)

  5月27日の毎日新聞にアウンサンスーチー氏のビルマからの手紙が掲載されていた。今回の見出しは「1942年 ラングーン 若き英雄と看護リーダー」、「戦火の恋 試練の門出」。日本軍の東南アジア侵攻が進むにつれ、ラングーンに空襲が増え、母が防空壕に避難するときも周囲に身なりを整えるよう言い、同僚たちから苦言が出たが、「どうせ死ぬなら美しい姿で死にたい」と。どんな苦境でも規範を保とうとする決意の表れだった。ラングーン総合病院が再開されると、すぐに看護師長として活躍、担ぎ込まれる患者の中に父(アウンサン将軍)がいた。父は怖くて扱いにくい患者で、同僚からは結婚に反対する人もいた。結婚式の前日空襲があり、緊急手術があったが、母は跳び起きて手術を手伝った。両親の結婚生活は、父の暗殺という形で5年で終わった。

2012年6月3日日曜日

(1482)スーチー氏難民と面会

  6月3日の朝日には「スーチー氏、難民と面会」、「タイ国境キャンプ」、「帰国のため努力」と見出しが並んでいた。2日に国境のメラ難民キャンプを訪問したスーチー氏は、「皆さんの帰国のために最大限努力する」、「保健状況の改善にも最善を尽くす」、「皆さんを決して忘れない」と語り、難民問題にも積極的に取り組む姿勢を明確にした。ミャンマー政府は少数民族武装勢力との和平に力を入れており、今年1月にはカレン民族同盟(KNU)との停戦に合意するなど成果を上げている。テインセイン大統領もタイ訪問を予定していたが、延期となった。各地で熱烈歓迎を受けたスーチー氏の直後の訪問を避けたとみられる(以上概要)。いまのところスーチーさんと大統領がそれぞれ別々に民主化を進めているが、いつまで続くかはちょっと疑問、お二人さん頑張って!

2012年6月2日土曜日

(1481)スーチー氏「母国の若者が働ける場を」

  今朝の朝日によれば、6月1日、バンコクで開催された世界経済フォーラム・東アジア会議で、スーチー氏は国内の最優先課題は、「ミャンマーの仕事がない若者が働ける場を作ることだ」と述べ、国際社会に支援や投資を呼び掛けた。テインセイン政権は、欧米でも人気が高いスーチー氏を広告塔にし、経済立て直しのために外資を呼び込みたい思惑があるとみられる。続いて行われた記者会見で、改革の先行きについて「楽観しているが同時に慎重だ」と発言、欧米の経済制裁について「『善行』のご褒美として一時停止するのは賛成、だが善行が続かなければ、ご褒美は取上げられるだろう」と(以上)。私は15年には両者の蜜月時代は消失すると考える。総選挙で軍政側が不利と予測されれば、クーデターという奥の手を使うのでは。それまでに憲法改正を!

2012年6月1日金曜日

(1480)スーチー氏 移民の街で演説

  朝日新聞の5月30日夕刊、同31日朝刊にスーチー氏の最初の外遊先での行動が紹介されていた。見出しは「スーチー氏、最初の視察先へ」、「移動労働者多いバンコク近郊」、「スーチー氏演説 移民の街に喝采」、「帰国のために尽力」と並んでいた。24年ぶりにミャンマーを離れ、バンコクを訪れていたスーチーさんは、多くのミャンマー人の移民が働くバンコク南郊サムットサコン県に到着、同県はエビなどの水産物加工工場が集まり、200万人のミャンマー人労働者が働いている。中心部にある市場には早朝から数百人が待ちわびていた。演説は「国の発展のために共に協力しましょう。私たちは皆さんを見捨てません。皆さんが帰国できるよう力を尽くします」と語りかけ、大きな拍手と歓声が上がった(以上)。来日してくれれば在日ミャンマー人も喜ぶと思うよ。

2012年5月31日木曜日

(1479)読了103冊目:「Driven Away」

  副題は「中国―ビルマ国境で起きているカチン民族女性の人身売買」、2007年1月・在タイ国カチン女性協会(KWAT)発行、監修:田辺寿夫、翻訳:難民支援協会ボランティア有志、編集:熊切拓 他、72頁、横組み。この報告書は、2000年から2004年にかけて発生した63件の人身売買事件を取り上げ、事件に巻き込まれた14歳から20歳の婦女子85人の証言をもとにKWATがまとめたもの。人身売買が行われる原因として、カチン民族への差別、政府軍部隊の駐屯、彼女たちの極貧の暮らし、雇用機会の欠如、汚職の習慣、公共サービスの不足、麻薬撲滅運動による収入の不足、IDカード交付の怠慢、などを訴えている。この本の後半では、63件の事件内容が一覧表になっており、理解しやすい。この報告書によってカチン女性の苦しみがはっきりした。

2012年5月30日水曜日

(1478)スーチー氏外交始動

  今朝の朝日新聞には、「スーチー氏外交始動」、「24年ぶり出国を政権注視」の見出しが。スーチー氏はバンコクで30日から始まる世界経済フォーラム東アジア会議に出席するため、24年ぶりに出国した。スーチー氏は国外で抜群の人気と知名度を誇り、テインセイン大統領が進める改革を後押しするよう、制裁解除について直接国際社会に語りかけることに意味がある。なお大統領は出席を急きょ取りやめた。タイにはミャンマー人が300万人以上移り住んでおり、彼らと面会するほか、6月2日にはメソトで難民と面会する予定。国内では電力不足が深刻で、デモが起きているが、軍当局は静観を続けている。スーチー氏はこの後、14日にジュネーブを、16日にはオスロ、21日にはロンドンを訪問する予定(以上概要)。多忙な日々が続くがスーチーさん頑張って!

2012年5月29日火曜日

(1477)中国にらみインド攻勢

  きょう(5月29日)の朝日は、標記の見出しと並んで、「印首相25年ぶりミャンマーへ」、「5億ドルの借款供与」、「国際バス路線開設」などの見出しが並んでいた。インドのシン首相は28日、ネピドーでテインセイン大統領と会い、経済や安全保障といった幅広い分野での関係強化に合意した。東南アジアに接近する足掛かりを築くとともに、長くミャンマーを影響下に置いてきた中国をけん制する狙いがある。具体的には、インパールとマンダレーを結ぶバス路線の開設で、インドからの5億ドル(約400億円)の借款供与が決定。一方ミャンマーと中国の蜜月関係には変化が見られ、「温首相のミャンマー訪問の予定はなく、ミャンマーの指導者の中国訪問の予定もない」(中国外務省)(以上概要)。私が気になっていたテインセイン大統領の元気な姿が見られ、一安心。

2012年5月28日月曜日

(1476)読了102冊目:写真集「ビルマの子供たち」

  写真集「ビルマの子供たち」、山本宗補著、2003年10月・第三書館発行、64頁、定価2000円+税。同氏の著書には「ビルマの大いなる幻影」があり、すでに拙著「ミャンマー関連書籍101冊 紹介・あらすじ集」のA-14で紹介した。今回の写真集では90年代のビルマ各地の情景を62枚の写真で紹介している。強制労働に駆り出される子供たち、ダディンジュにおけるモン族の子供たち、カレン族の聖歌隊、マンダレーのムスリムの子供たち、ラカイン州の農民の子供たち、アパート建設現場の子供たち、ロンジーを売る親子、レモンを売る親子、玉ねぎやスイカを売る少女、エイズの娘、ハイスクールで学ぶ少女、武装闘争を始める学生たちなど。著者は「豊かな大地に生まれて、なぜ、こんなに貧しいのか。軍政下に生きる子供たちの未来を問う」と訴えている。

(1475)停電デモ 現地では?

  先日マンダレーでの2日間にわたる「停電デモ」を紹介したが、何となくモヤモヤした感じを受けた。現地での情報を知りたくて、早速、ミャンマー・日本語教室ブログ(中西先生)を開いてみたところちゃんと記載されていた。5月24日のBI WEEKLY ELEVEN誌によれば、NLDのドーキンタンミン氏らが事情聴取を受けたが、警察はめて丁重な態度で、紳士的な対応であり、電力省の大臣にデモ参加者を面会させたいとも言っていた。そしてデモ手続法はまだ成立していないとも。一方ヤンゴンでのデモは、警察の治安部隊により制止され、ろうそくの火を消すよう指示されたため、スーレーパゴダに引返し「電気が来ますように」祈りを捧げた。参考として各国の電力使用量は中国:48万メガワット、日本:11万、インド:7万、韓国:4万、ミャンマー:千5百とのこと。

2012年5月26日土曜日

(1474)ミャンマー改革 カギ握る成長、支援重要

  今朝の朝日の「私の視点」欄に、アジア経済研究所主任研究員の工藤年博氏が標記のテーマで投稿。唐突にも見える今回の改革は、具体的には、国軍の「自信」と「焦り」の結果といえる。「自信」というのは、23年に及ぶ統治を通じ、国軍を屋台骨とする国家体制を確立し得たという実績だ。ただその間に、国際的な立場は地に落ち、隣国のタイとの経済格差は拡大した。「焦り」を持った軍政は、国際社会に民主化を印象づけ投資を誘致して経済成長を図るという狙いだ。スーチー氏は「法の統治、国民和解、憲法改正」の3点を訴えた。15年に予定される選挙でNLDが民選議員の3分の2以上を獲得すれば、大統領を出すことも可能だ。その際国軍がどう対応するのかは読めない。問題はそれまでに経済成長が実現できるかで、日本によるODA再開は歓迎だ。

2012年5月25日金曜日

(1473)ミャンマーでのデモ行進

  共同通信によれば、21日と22日のマンダレーでのデモ行進は、それぞれ千人近くが参加した。警察当局は、22日NLDの党員を含む約15人を拘束して訊問したという。マンダレーでは、昨年11月にも、僧侶ら数百人が政治犯の釈放などを求めて抗議活動を起こしたが、このときは当局は静観していた。今回のデモ参加者は、頻発する停電に抗議して、ろうそくなどを持ち寄り、地元の電力局前に集まった。ミャンマー国内に建設したダムなどから得られる電力の多くを自国に供給する中国に抗議して、「中国よ、我々の電気を返せ」とのプラカードも見られた(以上概要)。サフラン革命のときは、車の燃料費の高騰が、そして、今回は電力不足がきっかけとなっている。そして今回特に注目されるのが「中国批判の叫び」だ。しかしデモはルールに従う姿勢が望まれる。

2012年5月24日木曜日

(1472)気になるニュース二つ

  23日の朝日は「ミャンマー連夜デモ」、「NLD党員一時拘束」と伝えた。20日に続き2夜連続、電力不足に抗議する市民千人以上がマンダレー市の市中心部を行進した。1日6時間の計画停電が始まったヤンゴンでも、100人余りが集まるデモがあった。政府は同日付の国営紙で、国民に理解を求める異例の「お願い」を掲載した。21日のデモに参加したNLD党員ら一部が当局に一時的に拘束され、事情聴取を受けたのち釈放された。一方、大統領の病状についての続報が見当たらない。もしここで大統領が不在となれば、折角民主化に舵を切ったミャンマーも、元に戻る可能性がゼロではない(以上概要)。NLD指導者は、デモや集会は事前に届け出るというルールの尊重が大切。インターネットで無秩序にデモをすることは得策ではないことに気付いてほしい。

(1471)ミャンマー投資 注目されている

  今朝の朝日の「ニュースがわからん!」欄に標記の見出しのほか「政権が代わり、経済発展が見込まれているんだ」という文言がが見られた。この半年間に、日本、米国、英国、インド、韓国などの各国のトップ(日本は枝野経産相)がミャンマーを訪問している。ミャンマーは東南アジアで最も貧しい国の一つだが、働き手の給料も安く、中国の5分の1程度。天然ガスや貴重な鉱物資源に恵まれ、人口は6200万人、今後は家電製品や自動車も売れると見込まれている。ミャンマーは長い間軍事政権であり、欧米は経済制裁を続けてきた。特に発電所や道路、港の整備が遅れた。昨年新政権が生まれ、制裁を緩める動きが相次いでいる。ミャンマーへの進出は、中国やタイが先行している。ミャンマーはアジアでは有数な親日国」だが、日本の進出は楽ではない。

2012年5月22日火曜日

(1470)ミャンマーで千人デモ

  5月21日の朝日新聞記事より。ミャンマーからの情報によれば中部の都市マンダレーで20日夜、電力不足に抗議する市民1千人以上が、市中心部でデモ行進した。21日夜も集会が予定されている。2007年に最大都市ヤンゴンで大規模な反政府デモが武力鎮圧されて以来、本格的デモが行われるのは初めて。軍事政権時代に禁じられていたデモは昨年3月に発足した現政府の改革の一環として事前の許可制となった。今回はインターネットで参加を呼び掛けられ、当局の許可を得ていないとみられるが、政権側の介入はなかった(以上概要)。折角改革が進みだしたこの時に、無許可でのデモはどうも具合が悪い。日本でやっているように、事前に当局の許可を取ってからのデモを計画してほしい。そうでないとサフラン革命の二の舞になってしまう恐れがある。

2012年5月21日月曜日

(1469)ワハッハ 小冊子 出来上がるよ!

    予告してきた小冊子「ミャンマー関連書籍101冊 紹介・あらすじ集」がいよいよ最終段階となった。全頁オールカラーの印刷が今日午前中に終わり、午後は頁合わせとホチキス止め、さらには製本テープ貼りを続けた。昨日まで、バラバラだった2560枚の紙が、今日の工程で「小冊子」に見事に変身、明日、近所の印刷屋さんに持ち込んで化粧断ち、これで完成だ。作製の際、一番の気がかりはプリンター用インクの使用量、今回はキャノンの5色パックプラスブラック(5250円)を結局4箱使用してしまった。ということは2万千円か。でも販売して利益を出そうなんていう発想はない。当初より、自費出版、非売品とすることが私の夢だったので、この夢を叶えさせてほしい。それから発行日を5月23日とさせていただいたが、この日は私たちの「結婚記念日」なのだ。

2012年5月20日日曜日

(1468)両新聞社に質問してみた

  昨日のブログで、米国のミャンマーへの投資は、朝日は「全分野解禁」とうたい、日経(電子版)は「制裁継続、大統領令を1年間延長」」と打ち出しており、その差の大きいことを取り上げた。まあ、細かい記事内容を見比べると大差はないようにも見えるが、問題は見出しの表現。内容を確かめるため、両新聞社の「読者相談室」的な部署に電話をしてみた。朝日の担当者は、丁寧な口調で、「第1報と考えてほしい、続報で説明する」という。日経のほうは「すでに続報が出ている。19日の朝刊を見てほしい」という。その朝刊を購入して読むと、見出しは「米、ミャンマー投資解禁」、「ドル送金再開の可能性」、「日本企業にも追い風」とあり、小さく「製品禁輸残る」と。結局は電子版での行き過ぎを修正する形での続報だ。新聞の場合は「続報」で修正が効くから楽だ。

2012年5月19日土曜日

(1467)対ミャンマー制裁 米国の態度は?

  5月18日の朝日夕刊の見出しに、「ミャンマー投資 米 、全分野解禁」の文字があったが、日経の同日付電子版は、「米、対ミャンマー制裁継続、大統領令を1年間延長」と報じていた。朝日のほうは、初めて訪米したミャンマーのワナマウンルウィン外相との会談後、クリントン国務長官が発表したもの。一方日経のほうは、オバマ大統領が発表したもので、テインセイン大統領の改革を支持するが、米議会では投資・貿易の解禁に慎重論が根強く、オバマ氏はこれに配慮して「なお改善の余地がある」との判断を示したようだ。主要な経済措置のうち、法改正が必要なものは継続する。結局、経済制裁に有効な法律は1年間温存しながら、現実的には民間分野は全面解禁という、ややこしい手法なのか。議会がややこしいと記者も大変、両紙の続報が待たれるところだ。

2012年5月18日金曜日

(1466)ミャンマー大統領が心臓発作で入院

  今朝の産経ニュースによれば、テインセイン大統領(67)が17日朝心臓発作のため倒れ、首都ネピドーの病院に搬送された。ミャンマーの民主化と変革の行方は、テインセイン大統領の健康状態にもかかっており、容態が懸念されている。詳しい内容は不明、政府筋はペースメーカーが十分に機能せず、一時意識を失ったとしている。このため午前中の閣議を開催できなかった。容態次第では、シンガポールの病院に搬送される可能性もある。大統領顧問のココフライン氏は、テインセイン大統領は2015年の総選挙には出馬しないという。次期大統領候補の筆頭は国民代表院(下院)議長のトラシュエマン氏だが、混乱する可能性がある。保守・強硬派のティンアウンミンウー副大統領は辞表を出しており、後任は近く決まるが、スーチー氏の名も出ている。

2012年5月17日木曜日

(1465)「ミャンマー関連101冊紹介小冊子」 途中報告

  いま私が熱中しているのが、「ミャンマー関連書籍101冊 紹介とあらすじ集」の発行だ。B-5判、61頁を予定している。当初100冊を考えていたが、101冊のほうがカッコいいと思って決めた。この101冊を6章に分け、それぞれ発行年代順に記載した。各章ごとに色を変え、華やかさを添えてみた。埋め草のイラストは、ミャンマーの小学低学年の教材から抜粋してみた。なんだか明るくなったみたい。表紙写真は101冊全部撮ってパソコンに移していたが、途中でパソコンがぶっ壊れ、全部パー。私も茫然自失。何もないところからの再出発であったが、皆さんのご支援で、何とか間に合った。一応原稿が全部揃ったので、明日から製本開始。とりあえず30部で、様子を見ながら増刷したい。私の趣味の部分が多いので、自費出版で非売品、5月下旬には完成だ。

2012年5月16日水曜日

(1464)ミャンマー「北朝鮮とは距離とる」

  今朝の朝日には「北朝鮮とは距離とる」、「ミャンマー大統領 韓国大統領に」との見出しが並んでいた。韓国大統領として、29年ぶりにミャンマーを訪れた李明博大統領は、スーチー氏と会見後、北朝鮮の爆弾テロが起きたアウンサン廟を訪れ、犠牲者の冥福を祈った。前日のテインセイン大統領との会談で、北朝鮮との間で、国連安保理決議に違反するいかなる活動も行わないよう要請し、テインセイン大統領は、「国連安保理決議を順守し、北朝鮮とは距離を取る」と明言、韓国側にとって大きな成果を得た形だ。なお、テインセイン大統領は、ロシアの10メガワット級の実験用原子炉にも触れ、すでに建設を断念したと発言。スーチー氏との会談では、「経済発展のために民主主義や人権自由が犠牲になってはならない」との点で意見が一致、明るい兆しだ。

2012年5月15日火曜日

(1463)李大統領ミャンマー訪問

  朝日新聞の昨日の夕刊と今日の朝刊に、このニュースが大きく取り上げられていた。夕刊の見出しは「韓国大統領ミャンマーへ」、「暗殺未遂事件以来29年ぶり」と並び、朝刊は「29年の溝 修復急ぐ韓国」、「李大統領ミャンマー訪問」、「北朝鮮との関係くさび打つ狙い」、「市場・資源獲得へ巻き返し」と並んでいた。韓国の李明博大統領が14日、北朝鮮と軍事協力関係にあるミャンマーを電撃訪問し、テインセイン大統領と会談した。15日にはスーチー女史と会う予定。経済協力を呼び水に改革路線を歩むミャンマーを北朝鮮から切り離す狙いだ。韓国がミャンマーとの関係強化を図るもう一つの理由は経済だ。ミャンマーには天然ガスや鉱物などの豊かな資源があり、安い人件費、6千万人の市場も有望。ミャンマー側は製鉄など重工業を含めた投資を期待する。

2012年5月14日月曜日

(1462)ビルマからの手紙(新・旧)の書評

  5月7日の朝日新聞書評欄に、毎日新聞社から発行された「新ビルマからの手紙」と、15年以上前に発行された「ビルマからの手紙」の増補復刻版の2冊が取り上げられていた。各1575円、訳者は土佐桂子、永井浩ほか。評者はいとうせいこう氏。どちらの本もビルマの季節の移り変わりが端正な文章で活写されていてみずみずしく、その分だけ時を問わずに襲い掛かる弾圧の過酷さがひしひしと伝わってくる。だが、著者自身が何度も触れる通り、ビルマ民主化運動を担う人たちは「生来の明るさ」を持つという。逮捕を恐れずに集まるジャーナリストや民衆たちは決してユーモアを欠かさない。著者スーチー女史の毅然とした姿勢、慎み深いまなざし、そして圧倒的な教養は無論のこと、日本人がビルマから学ぶべきは、この粘り強い抵抗の明るさではなかろうか。

2012年5月13日日曜日

(1461)ミャンマー制裁緩和 次々

  標記は5月10日の朝日の見出し。その他に「欧米、投資・貿易の拡大視野」、「時期尚早批判も」の見出しを併記。スーチー氏の国政参加など、改革の進むミャンマーに対し、欧米諸国が相次いで制裁解除や緩和に踏み切っている。援助や投資競争に後れを取りたくないとの思惑も見え、時期尚早との批判も上がる。米議会では「改革を促すため、すべての経済制裁を解除すべき」(民主党ウエップ議員)、「人権侵害が続いており、制裁解除は急ぎ過ぎないように」(民主党クローリー議員)と議会内の意見が割れている。日本は経済制裁を科していなかったが、ODAについては人道目的に限定し、最近はインフラ整備などへの拡大や円借款再開など段階的に条件を緩和してきた。英国のNGOは「人権は世界最悪、軍が政府の全レベルで権力を掌握」と指摘した。

2012年5月12日土曜日

(1460)このブログ、サクサク動くようになりました。

  このブログをお読みの皆さん、長い間ご迷惑をおかけしました。一昨日、このメール上で「遅い」、「重い」、「動かない」とのクレームをいただき、対処方法がわからない旨書きましたが、早速G先生から解決方法を教えていただきました。指示に従い恐る恐るクリックを数回繰り返して、従来最大「500投稿」という設定を「7投稿」に減らしてみました。その結果が見事にサクサク、すっごく嬉しいです。私は毎日毎日、このブログを打っており、これからは爽やかな気分でパソコンの前に座れそうです。何よりも読者の方への負担を減らすことができ、ホッとしています。なお、「7投稿」に変更したため、7回分(7日分)見たら一応ストップしますが、「前の投稿」というボタンをクリックすれば、それ以前のものもすべて見られます。G先生、本当にありがとうございました。感謝感激。

2012年5月11日金曜日

(1459)書籍「ミャンマー政治の実像」の紹介

  先日の毎日新聞に「ミャンマー政治の実像」(工藤年博 編・アジア経済研究所発行、4515円)についての白石隆氏の書評が掲載されていた。ミャンマー関連の書籍に対する書評は珍しい。私は95年ごろのビルマ語学習時代に工藤氏とは面識があり、まじめな経済研究者であった。軍政は88年以降その権力基盤を強化したが、コストも大きかった。これを是正し、軍政下では達成できなかった課題に取り組む。これが改革なのだ。この改革の大きなシナリオは軍政時代にすでに確立していた。この展望については、08年憲法の枠内にとどまる限り進む。即ち改革は進むという。しかしこの枠をはみ出そうとしたときに反動がありうるという(以上概要)。私はこの反動の発生時期は3年後の総選挙の時と考える。それまでに経済を立て直し、軍事大国を目指すのでは??

2012年5月10日木曜日

(1458)どなたか教えてください

  私は83歳、いまPCの使い方に困っています。どうすればいいのか、どなたか教えてください。というのは、このブログを見ている友人から、動きが遅すぎ、時間がかかり過ぎるというクレームが聞こえているからです。このことは、私自身も多少感じている所であり、サクサクと動かしたいのですが、処理方法がわかりません。このブログはすでに1400回以上も連日打っており、そのため重くなってるのかなとも思いますが、1回400字以下であり、こんなに早く動きが鈍くなるとも思えません。私の場合、ブログ画面は数秒で開きますが、開いた後20秒ぐらい経たないと動き出しません。動き出せばあとは問題ありません。このブログはグーグル・クロームによる、nmingalar.blogspot.comを利用しています。サクサクとスピーディーに動く方法をどなたか教えてください。