2013年6月30日日曜日

(1874)読了174冊目:「北ビルマ、いのちの根をたずねて」

  吉田敏浩著、2000年3月・めこん発行、269頁、2200円税。目次は、「迎え火」、「天地始めの男と女」、「戦争と家族のいる風景」、「消えた人びと」、「越境者外伝」、「消えなかった眼(まなこ)の戦場」、「命の根を共にして」。本書は月刊「望星」(97年4月号~99年3月号)に連載した「根の国への旅」に加筆、修正したもの。「根の国」とは「死者の国」の意味。著者は北ビルマのカチン州で3年間、カチン民族解放軍と森の中で寝食を共にし、そこで悟り得たテーマが「自然の中での人間はじめ万物の生と死」。自然の恵みを命の糧とし、死んで自然に帰る肉体。そして戦闘、処刑、病気などによる日常的な死の行方、自らもマラリアで生死の境をさまよいながら、渾身の力で書き綴った異色の紀行文。著者は本書のほか、「森の回廊」、「宇宙樹の森」などを執筆。

2013年6月29日土曜日

(1873)ラカイン州民族対立 衝突1年避難14万人

   6月29日の朝日。標記の見出しのほか「イスラム教徒 州都脱出」、「憎悪膨らます仏教徒」と続く。シットウェ―中心部から車で20分、武装警官隊が駐屯するゲートがあり、その先は「仏教国ミャンマー」の雰囲気は一変、白い帽子、ひげの男性、スカーフで頭を覆う女性、すべてがロヒンギャ―の人たちだ。昨年6月の衝突の際、ロヒンギャ族は全員この地区に逃げた。今なお避難民キャンプで生活し、一帯はロヒンギャの大居住区と化した。衝突前のシットウェ―の人口の3~5割がロヒンギャ族、だが両民族が混在する地区は、衝突で家屋がほとんど焼失、広大な土地は放置されたままだ。住民を帰還させれば再び衝突が起きる懸念がある。ロヒンギャに対するラカイン側の憎悪は高まる一方だ。州政府高官の一人は「今は民族を分断して治安を守るしかない」と。

2013年6月28日金曜日

(1872)ミャンマー入札 KDDIは落選 携帯電話事業

   6月28日の朝日・日経電子版。ミャンマーの携帯電話事業への新規参入者を決める入札で、テレノール(ノルウェー)と、カタールテレコムが事業免許を獲得した。事業参入を目指していたKDDI・住友商事連合、フランステレコム・丸紅連合(3位)は落選した。テレノールなどは、今後通信回線や基地局などのインフラ整備を進め、2015年までにサービスを開始する計画。ミャンマーは人口6千万人超で、携帯電話事業は政府系2社が手掛け、普及率は1割程度、政府は16年までに8割へ引き上げたい考え。目標達成のために国営企業の独占事業を外資に開放し、インフラ整備と通信料引下げを加速する方針。なお免許を取得した2社は今後数千億円規模の投資が必要とみられる。なお、ミャンマーの固定電話の世帯普及率は3%、インターネットも1%にとどまる。

2013年6月27日木曜日

(1871)読了173冊目:「現代ビルマ(ミャンマー)語文法」

  岡野賢二著 2007年10月・国際語学社発行、175頁、2800円+税。目次は、第1章:ビルマ語の音声・音韻、第2章:ビルマ語の文字と綴り、第3章:動詞文と名詞文、第4章:補語と格助詞、第5章:疑問文、第6章:特別な機能を持つ名詞類、第7章:その他の陳述文、第8章:勧誘・許可求め・祈願、第9章:周辺的な補語と格助詞、第10章:格名詞、……途中省略……第17章:数の表現、第18章:名詞の構成1、第19章:名詞の構成2、第20章:副助詞など、第21章:様々な述語形式。本書は著者が東京外語大学ビルマ語専攻の文法の授業の際に作成したレジュメを基に加筆・訂正をしてまとめたもので、ビルマ語文法の初級から中級レベルの内容という。この種の教科書に対しては当然のことながら読者が徹底的に学習する情熱を持つことが大切である。

(1870)読了172冊目:「いのちの森の人びと」

  副題は「アジア・北ビルマの山里にて」、吉田敏浩著(フリージャーナリスト)、2001年3月・理論社発行、Ⅰ65頁、1500円税。目次は、第1章:初穂狩りと稲の魂、第2章:森と焼畑の恵みに生かされて、第3章:呼べば応える二人の歌声、第4章:遥かな時をさかのぼる祭、第5章:精霊は森からの使者、第6章:狩人たちと手長猿、第7章:死者が行く山の中のあの世、第8章:自然の大いなるめぐみ。著者はカチン州の北部山地に1年間滞在して村々を歩き、森の恵みを受けて生きる人びとと触れ合い、一緒に暮らした。カチンの住人から、囲炉裏端でむかし話を聞き、みんなで焼畑に出かけ、豊作を祈る祭、あるいは結婚式、お葬式にも参加。そのとき見聞したこと、体験したことをまとめている。子供でも読めるやさしい文体であり、24頁ものカラー写真も嬉しい。

2013年6月26日水曜日

(1869)ミャンマー関連もろもろの話題

  6月26日のYahoo!ニュース。◆米誌タイム7月号の特集記事「仏教徒テロ」にミャンマー人が反発、発禁処分に。◆日本政府はミャンマーと陸上輸送分野で協力。◆英紙フィナンシャル・タイムズは「ミャンマーを失った中国は反省すべき」の記事掲載。◆韓国がミャンマーに「セマウル運動」の経験を伝える「ヤンゴン川の奇跡」実現に助力。◆三菱UFJがミャンマーほか数カ国に違法送金したため、NY州に240億円の和解金支払い。◆安倍首相参院選後にアセアン訪問、また12月には日本でアセアン特別首脳会議を。◆ミャンマーは今週通信免許(2枠)を発行。法は未整備。◆中國の華為(ファーウェイ)がミャンマーの通信産業に32億円投入◆鉄道改修工事は日本企業が受注30年までのインフラ投資は30兆円。◆韓国政府ヤンゴン川以南の開発に乗出す。

2013年6月24日月曜日

(1868)読了171冊目:「現代の奴隷制」

  副題は「タイの売春宿へ人身売買されるビルマの女性たち」、藤目ゆき監修、編集者:アジアウオッチ、女性の権利プロジェクト、ヒューマンライツウオッチ、訳者:古沢加奈、アジア現代女性誌1。2006年11月・明石書店発行、258頁、3000円+税。人身売買によってタイに連れてこられ、性的奴隷として働かされている何千人ものビルマの女性たち。その実情を、30人の女性と少女へのインタビューから得た情報をもとに学術的に紹介している。彼女らの家庭はいずれも貧しく、斡旋屋の甘言によって40~800ドルで人身売買される。タイに連れ出されて一度売春宿に入れられると、逃げ出すこともできない監視下に置かれ、1日に10人以上の客をとっても、借金は返せない仕組みとなっている。警察も入管も頼りにならないこの仕組みを明らかにし世に訴えている。

2013年6月23日日曜日

(1867)読了170冊目:「変わりゆくのはこの世のことわり」

  副題は「マウン・ルーエイ物語」、ティッパン・マウン・ワ著・高橋ゆり訳、2001年3月・てらいんく発行、293頁、1714円+税。「マウンルーエイ物語」は著者の私小説である。彼は1899年に誕生、ビルマ王国は3回にわたる英緬戦争に破れ、全面的に英領となる。彼は1920年に開校したラングーン大学に入学、29年にザガインの見習い郡長となり、以後各都市の長に出世、最後は植民地政府の国防省次官となる。その間の家庭の話題、結婚問題、各地行政上の問題等をエッセイ風にまとめて、その都度雑誌に掲載した32編をまとめたのが本書。当時は反英運動もおこり、各地の行政の長に対する批判も多かったが、それとは関係なく、マウン・ルーエイ=ティッパン・マウン・ワの小説家としての評価は急上昇。英領時代のミャンマーの暮らしがよく描かれている。

2013年6月22日土曜日

(1866)読了169冊目:「Myanmar Peoples in the Winds of Change 1993-2012」

  写真家宇田有三氏の写真集で全編英語とビルマ語で編集。2013年1月・Myanmar Consolidate Media社よりミャンマーで先行発売。日本では同年3月・高文研発行、201頁、3465円(税込)。著者は、ミャンマーを最もよく知る日本人フォトジャーナリスト、20年かけてミャンマー全土、即ち、カチン、サガイン、マンダレー、マグウエー、バゴー、ヤンゴン1、シャン、カヤー、カレン、チン、ラカイン、ヤンゴン2、イラワディ、モン、タニンタリーの全州・全管区を歴訪、度の拘束を受けるなど、軍事政権下の取材は困難を極めた。このたび軍事政権下に生きる現地の人々の暮らしや、美しい自然風景を収めた写真など、約180枚を発表した。著者が以前発行した「写真集:ビルマ軍政下に生きる人びと1993‐2005」の増補版であり民政移管後初の外国人現地出版物。

2013年6月21日金曜日

(1865)読了168冊目:「ミャンマー裸足の球児たち」

  副題は「元国連職員が蒔いた一粒の種」、著者は岩崎享(ミャンマー代表チーム総監督、1955年生まれ)、2010年11月・アットワークス発行、327頁、1600円+税。目次は第1章:野球がやってきた、第2章:野球人たちの心意気、第3章:夢を追い続けろ、第4章:精霊宿るチャイカサン球場、第5章:悩めるキャラクター軍団、第6章:夢の国際舞台へ、終章:終わりなき挑戦。ミャンマーの若者が、未知のスポーツ・野球に挑むため、著者を先頭に、選手たち自ら手作りで野球場を建設し、さまざまな困難を乗り越えながら、ナショナルチーム代表を目指して大きく育っていく様子をまとめている。日本はじめ数々の国際大会にも出場し、2009年のアジアカップでは8か国中6位。在住15年の日本人監督(著者)が、夢を共有することの大切さを伝える。痛快な読み物だ。

2013年6月20日木曜日

(1864)難民保護法検討のための論点整理

  6月20日、特定非営利活動法人「なんみんフォーラム(FRJ)」が標記の発表を行った。この組織は、全国難民弁護団連絡会議を含む国内で難民支援をするNGO14団体のネットワーク組織である。これまでは、難民法が入管法に組み込まれていることからも、難民保護の議論は法務省に関係したものになりがちだったが、包括的な難民保護のためには、外務省、厚労省、総務省や内閣府などの様々な省庁、更には市民社会を無視しては実現しえない。以下に掲げる5ポイントの論点整理が、今後の包括的な難民保護制度づくりのための議論のたたき台と考えられる。①難民認定制度の改善(10項目)、②庇護希望者の法的地位の保障(2項目)、③庇護希望者の生活保障(3項目)、④難民の社会統合(4項目)、⑤公平な保護施策(3項目)。http://www.frj.or.jp/

2013年6月19日水曜日

(1863)読了167冊目:「写真集:ビルマ軍政下に生きる人びと1993-2005」

 写真:宇田有三(写真家)、2005年10月・財団法人アジア・太平洋人権情報センター発行、104頁、2000円+税。内容は、「都市(まち)に暮らす」26点、「信仰に暮らす」14点、「田舎(いなか)に暮らす」40点、 合計80点の写真からなる。著者は軍政側に逮捕される危険性を承知の上で、ビルマ民衆の生きざまを写し続けた。その中でも2つの事件の写真は貴重なものであろう。一つは2003年9月、ヤンゴンの病院前で20数人の若者による静かなデモの光景だ。目の前の病院には、スーチー氏が入院していたという。もう一つは、2003年4月に出会った国内避難民の存在だ。タイ国境に逃げた難民の実情はよく知られているが、国内避難民の姿を撮った写真は珍しい。写真の他、コラムや年表もあり親切だ。いままで見られなかった風景も多数あり面白い。

2013年6月18日火曜日

(1862)JFEエンジ、ミャンマー学生を育成 インターンで

  6月17日の日経電子版。JFEエンジニアリングはミャンマーから学生を受け入れるインターンシップ制度を始める。ヤンゴン工科大学など有力大学の学生を対象に、毎年10人程度募集する。住居付きで受け入れ、プラントの建設現場などで研修する。経済発展が見込まれるミャンマーで、将来のリーダーとなるエンジニアらを育成する方針。同国での事業展開を狙う他の日本企業でも同様の動きが広がりそうだ。JEFエンジはミャンマーの橋梁建設で実績があり、これまで300人近い溶接などの技能工の研修をしてきた。今後は港湾整備や発電インフラの建設など、幅広く事業を拡大していく方針。インターンを積極的に受け入れ、将来的には同国での事業を担う幹部人材として活躍してもらいたい考えだ。受け入れる時期は大学が長期休暇に入る10~12月。

2013年6月17日月曜日

(1861)読了166冊目:「ミャンマー写真集・遊行」

 写真:関谷巌(弁護士、写真家)、2003年6月・芸艸堂発行、Ⅰ11頁、3500円+税、大部分がミャンマー関係の写真だが、著者が師と仰ぐ東大寺元管長清水公照師関連の写真も掲載されている。2000年10月から2003年1月まで5度にわたり、延べ30余日のミャンマー旅行で撮り続けたもの。ミャンマーの各地を尋ねるうちに、大自然の中に抱かれるように人々が暮らしている。題目としては、景、跡、暮、繋、僧、魅、行と並んでおり、撮影地としては、ヤンゴン(シュエダゴンパゴダ)12枚、バガン12枚、マンダレー13枚、インレー湖10枚、タウンジー・カク6枚、バゴー5枚、チャイティーヨー2枚、モウラミャイン1枚、シットウエ―3枚、ミャウー13枚、東大寺二月堂お水取り・遍路11枚と続く。遺跡、寺院、信仰と深く結びついた、計88枚の美しいカラー写真が並ぶ。

2013年6月16日日曜日

(1860)読了165冊目:「ビルマ古典歌謡の旋律を求めて」

  副題は「書承と口承から創作へ」、著者は井上さゆり(東京外大非常勤講師)、2007年11月・風響社発行、57頁、700円+税、ブックレット「アジアを学ぼう」6。著者の博士論文を中心にまとめた学術書である。第1章:ビルマ古典歌謡、第2章:古典歌謡の創作、第3章:歌謡集の伝承機能、第4章:伝承のかたち。ビルマ古典歌謡は「大歌謡」と呼ばれ、王朝時代後半から植民地時代にかけて枠組みが設定された古典歌謡の総称であり、その枠組みは歌謡集編集を中心になされてきた。既存の作品の旋律は、次の創作に何度も利用されてきた。このため作品の新しさは、既存の作品との僅かな差異を示すこととなる。既存の知識体系を徹底的に学び、体や指先に覚え込ませるという伝承方法を紹介。このように書承と口承を学んだ後、創作に入るという方法。

2013年6月15日土曜日

(1859)読了164冊目:「軍政ビルマの権力構造」

  副題は「ネーウイン体制下の国家と軍隊 1962‐1988」、著者は中西嘉宏、(京都大学東南アジア研究所、地域研究叢書20)、2009年6月・京都大学学術出版会発行、321頁、4200円+税、横組み。目次は、序章:ビルマにおける長期軍政とネーウイン体制、第1章:帝国の辺境(近代ビルマにおける国民国家建設と暴力機構)、第2章:ビルマ式社会主義の履歴(国家イデオロギーの形成と軍内政治)、第3章:未完の党国家(ネーウインとビルマ社会主義計画党)、第4章:官僚制を破壊せよ(行政機構改革と国軍将校の転出)、第5章:「勝者総取り」の政治風土(政治エリートのプロフィール分析)、第6章:兵営国家の政軍関係(ネーウインによる国軍の掌握とその限界)、終章:結論(ネーウイン体制の崩壊と新しい軍事政権の誕生)。幅広く重厚な学術書。

2013年6月14日金曜日

(1858)読了163冊目:「ミャンマー経済の実像」

 副題は「なぜ軍政は生き残れたのか」。編者は工藤年博(アジア経済研究所)、執筆者は下記の通り。(アジ研選書№12)、2008年3月・アジア経済研究所発行、横組み、232頁、2900円+税。目次は次の通り。序章:軍政下のミャンマー経済(停滞と持続のメカニズム)(工藤年博)、第1章:開放経済化とミャンマー産業発展(工藤年博)、第2章:インフラの現状とミャンマー政府の対応(道路と電力を対象)(島田晴行)、第3章:ミャンマーの食糧問題(体制維持と米穀政策)(岡本郁子)、第4章:ミャンマーの貧困問題(食料政策との関連を中心に)(藤田幸一)、第5章:ミャンマーのマクロ経済運営(久保公二)、第6章:ミャンマーと中国の経済協力(畢世鴻)、第7章:アセアン・ミャンマー関係(相互依存から膠着へ)(石田正美)。副題の回答は各章にあるという。

2013年6月13日木曜日

(1857)渋谷ザニーさん (父は)難民の苦労見せなかった

  6月13日の朝日(おやじのせなか欄)。今回は渋谷ザニーさんが紹介されている。8歳の時に母とともに難民としてミャンマーから来日、10代からモデルで活躍、大学卒業後デザイナーに。「渋谷109」ブランドや、ユニクロのTシャツのほか、ウエディングドレスも手掛け、2011年に「ZARNY」レーベルを立ち上げた。父は日本で印刷の仕事しており、難民としても苦労したと思うが、父はそんな姿を私には見せなかった。高校生になると、モデルの仕事をしたが、父はよく思っていなかった。父はいま広告関係の仕事をしており、ファッションが二人の共通言語になっている。4月に一緒にミャンマーを旅した。自分の肉体が両親や先祖たちと共有していると感じた。思春期に父とぶつかったのは、自分と父は別の人間だと思ってたから。いまは自分の一部だと思っている。

2013年6月12日水曜日

(1856)難民に古着を送ろう

  6月11日の朝日。衛生的な衣類が不足する難民キャンプに、古着と靴を送って支援しようと、国際協力のNGO「わかちあいプロジェクト」が呼び掛けている。取り組みは21回目。送り先はタイにあるミャンマー難民キャンプ9か所と、アフリカの南スーダン北部で、目標は段ボール箱1万個、品川区八潮の集荷場所に送り、別途現地までの送料を募金として振り込む。衣類は大人と子供の夏・冬用すべてで、特に幼児・子供服や、動きやすい体育用ジャージー、会社のユニホームなどが歓迎させるという。靴は特に子供用の運動靴が必要で、女性のハイヒールは不可。詳しくは、問い合わせ電話(03-3634-7809)か、HP(http://www.wakachiai.com/)へ(以上概要)。昨夜は11時からサッカー最終予選をテレビ観戦、今回はイラク側が「ドーハの悲劇」を味わう。

2013年6月11日火曜日

(1855)読了162冊目:「歴史物語ミャンマー下」

 副題は「独立自尊の意気盛んな自由で平等の国」、山口洋一著(元ミャンマー大使)、2011年10月・カナリア書房発行、309頁、1800円+税。目次は、第8章:三次にわたる英緬戦争とイギリスによるミャンマー全土の征服、第9章:イギリスによる植民地支配と独立への道のり、第10章:独立以降の国づくりの歩み と続く。山場はこの第10章にある。著者は88年8月の騒動を民主化要求運動とみるマスコミ論評を批判し、また、スーチー氏の国軍批判の言動をも批判している。「あとがき」を見ると欧米諸国や国際マスメディアは歴史に遡るミャンマーの本質への無理解故にこの国の実情について歪められた認識をもち、それに基づいて軍政バッシングを続けてきた…とある。軍政時代を褒め称える珍しい書だ。歴史にはいろいろな見方があるものだと感心する。

2013年6月10日月曜日

(1854)読了161冊目:「歴史物語ミャンマー上」

  副題は「独立自尊の意気盛んな自由で平等の国」、山口洋一著(元ミャンマー大使)、2011年10月・カナリア書房発行、337頁、1800円+税。目次は、第1章:黎明期のミャンマー、第2章:パガン王国、第3章:パガン王国の衰退と蒙古襲来、第4章:タウングー王朝成立までの経過期、第5章:ビルマ族の第二帝国タウングー王朝、第6章:ビルマ族第2帝国の落日、第7章:アラウンパヤ王とミャンマー第三帝国、と続く。西暦前2世紀の頃、北方よりチベット・ビルマ族が南下を開始し、スリケストラ(ヤンゴン北北西179キロ)を首都とするピュー王国が勃興、以後1782年のシング―王までの歴史が本誌(上巻)に紹介されており、それ以降の英緬戦争などは下巻に収録されている。読んでいて、副題にあるような「自由で平等の国」とは、縁遠い気がするのだが。

2013年6月9日日曜日

(1853)ミャンマー、企業が直面する軍事政権の負の遺産

  6月7日の日経電子版。ミャンマー政府は30ある油田・ガス田の入札を行うが、金融サービス業がほとんどなく、銀行口座を所有するのは人口の10%程度。このため28の外国銀行が事務所を構えているが、まだ調査の域。通信業も規制されていたので、今回12社が最終選考に残った。観光業界も客がやっと百万人を突破した程度で、フランスのアコーホテルズは、ヤンゴン・マンダレー・ネピドーに大規模ホテルを建設中。ミャンマーのパゴダは観光価値があり、将来2千百万人の観光客を予想している。改革を担当する各省庁は、必要な法律の多くをすでに起草し̪承認された。為替レートも改善した。労働組合を合法化する新法も承認された。電力、道路などのインフラを考えると、慎重な姿勢を崩さない日本は賢明だ。軍出身の官僚による汚職も、大きな問題だ。

2013年6月8日土曜日

(1852)スーチー氏、政権批判強める

   6月8日の朝日。首都ネピドーで7日まで開かれた世界経済フォーラム東アジア会議では、改革の不十分さを繰り返し指摘、2年後の総選挙を見据えて一線を画そうとする姿勢が目立ち始めた。「改革の速度が重要だ。前回総選挙から11月で3年になるが、仕事もなく、日々の生活も困難な人々にとっては短期とは言えない」。会議の7日の討論で、スーチー氏は、テインセイン大統領が進める改革の成果が、貧しい国民に行き渡っていないと批判した。前日の記者会見では、雇用創出などの分野で「適切な対応がなされていない」と断言。テインセイン大統領は7日、同会議で「国の発展より、貧困削減を優先してきた」、「政権ができてまだ2年、国民の望む変化を表現できるように今後も努力したい」と強調した(以上)。日本の支援も、雇用創出に役立ったかしら?

2013年6月7日金曜日

(1851)ミャンマーに米欧急シフト 制裁緩和、企業進出競う

   6月7日の朝日。ミャンマーに米欧のグローバル企業が殺到している。首都ネピドーで6日、本格的に始まった「アジア版ダボス会議」で、経営者らが口々にアジア最後の未開拓市場への期待を語った。つい最近まで、ミャンマー軍政に対する経済制裁の急先鋒だった米欧だが、企業の動きは素早い。ミャンマーで初めて開かれたアジア版ダボス会議の「世界経済フォーラム東アジア会議」。会場は軍政下で長年閉ざされてきたミャンマーの、変化への期待感に包まれた。コカコーラは12年に販売再開、2工場稼働、ペプシコは12年11月に工場建設表明、フォードは13年5月に自動車の販売開始、GEは小形旅客機リース契約、ヒルトンは300室のホテルを14年に開業。日本企業も進出を急ぐが、多くは駐在員事務所を開いただけ。日本勢は各国と同列扱いだ。

2013年6月6日木曜日

(1850)ロヒンギャ族3人死亡・(二人っ子政策)

  6月6日の朝日。ラカイン州ムラウ―郡で4日、イスラム教徒の少数民族ロヒンギャ族の村人と警察が衝突、警官側が発砲し、ロヒンギャ族女性3人が死亡、4人が負傷。地元警察によると、4日、当局が仮設の長屋住宅を建てるために、木材を運び込もうとしたところ、自分たちの家の再建を求める村人たちが反発、木材運搬の労働者を襲って、止めようとした警官と衝突した。このニュースとは別に、ミャンマー政府はロヒンギャ族住民に対し「二人っ子政策」を発表したが、ヒューマンライツウオッチは5月28日、この差別的な人口管理政策を撤回すべきと発表した。ロヒンギャ女性は処罰を恐れて自己流中絶という危険な手段を使っている。野党指導者スーチー氏は5月27日、二人っ子政策について、「そうした差別があることは望ましくない。人権と相反する」と発言。

2013年6月5日水曜日

(1849)アジア版ダボス会議ミャンマー初開催

  6月5日の朝日。標記の見出しのほかに「外資誘致に熱い期待」、「イメージ変えたい(セッアウン担当副大臣)」の見出しも。世界の政治、経済界のリーダーが集うダボス会議のアジア版、世界経済フォーラム東アジア会議が5~7日、ミャンマーの首都ネピドーで初開催される。民主化に伴う経済ブームに沸くミャンマー側は、会議を更なる外国投資呼び込みの起爆剤にしたい考え。東アジア会議は今回で22回目、50カ国、900人以上が参加予定。政府側の事務局長を務めるセッアウン国家計画経済開発省副大臣は「参加者にミャンマーのイメージを一新してもらい、来年のアセアン議長国として関連会合を主催する上で経験になる」、「一部の地区では民族、宗教の対立などあるが、すべて民主的に解決しようとしている。全国に広がっているわけではない」と説明した。

2013年6月4日火曜日

(1848)読了160冊目:「ラフ族のむかし話」

 副題は「ビルマ山地少数民族の神話・伝説」、「東京外語大学アジア・アフリカ言語文化研究所叢書、知られざるアジアの言語・文化Ⅱ」、チャレ著、片岡樹編訳、2008年4月・雄山閣発行、横組み、181頁、6200円+税。ラフ族は中国雲南省から東部シャン州、タイの山地にかけて居住する少数民族で、中国には約45万、ビルマには10万人以上住む。19世紀末には多くのラフ族がビルマ側に逃れ、キリスト教が再興していった。ラフ語のローマ字は、最初キリスト教徒の間で使われだし、その間「むかし話集」も広がっていった。著者はこの「むかし話集」を取上げ、聖書との関係を調査。このように、本書はラフの牧師が、ラフの信者に向かい、ラフの言葉で話しかける内容を和訳したもの。他にラフ人の生活・歴史などの解説もある。少数民族研究資料として面白い。

2013年6月3日月曜日

(1847)読了159冊目:「一中尉の東南アジア軍政日記」

  榊原政春著、1998年8月・草思社発行、390頁、2900円+税、この書籍の題名からすると、単なる一中尉だが、この「一中尉」が問題、1911年生まれ、東京帝国大学卒業後1941年11月、太平洋戦争開始の2週間前に南方軍司令部(サイゴン)に配属。彼は越後高田藩の16代当主であり、夫人は徳川慶喜の孫娘で、高松宮妃殿下の妹に当たる。昭和18年5月の帰還までに、日本占領下の東南アジア全域(シンガポール、フィリピン、ジャワ、マレー、スマトラ、タイ、ビルマなど)を回り、各地の軍政に関する詳細な見解を記録していた。ビルマに関しても各種産業について種々提案しており、シャン州を日本の属領にしたいとも。これらの夢は日本の敗戦によりすべてが消失したが、当時の大東亜共栄圏の夢がどのようなものであったかを知る上で貴重な資料だ。

2013年6月2日日曜日

(1846)読了158冊目:SHIN NIHONGO NO KISO 1・Ⅱ(ビルマ語訳)

  新日本語の基礎Ⅰ及びⅡの主な内容をビルマ語に訳した書籍。海外技術者研修協会編、1998年・スリーエーネットワーク発行、Ⅰは151頁、1505円+税で以前の日本語能力試験4級クラス用で、Ⅱは135頁、1553円+税で、同じく以前の3級クラス用。本冊は漢字かなまじりの日本語で構成されており、日本で技術研修生として働く外国人向けのテキストとしては有力な一冊といえる。ここで紹介する分冊は、ミャンマー人向けのもので、本冊の補助としてビルマ語に翻訳されている。母語で解説しているので、日本語の理解促進に役立つものと思われる。また発音練習用にカセットテープも用意されている。なお、この種のテキスト類は、学ぶ人たちの努力が必要であり、同時に指導する日本人の熱意も大切といえる。この分冊Ⅰ・Ⅱが有効に使われることを祈る。

2013年6月1日土曜日

(1845)読了157冊目:「エクスプレス ビルマ語」

  加藤昌彦著、1998年10月・白水社発行、182頁、2700円+税、(カセットテープ別売)。本書は約40ある外国語学習シリーズ「エクスプレス」の一つ。発音・文字から始まり、文字を読む練習として例えば、「それはココヤシの実です」、「元気です」、「私は豚肉のおかずが好きではありません」、「ご飯食べましたか?」、「マンダレーに行きます」、「何の仕事をしているんですか?」……「このロンジーはいくらですか?」、「傘を持たずに出てしまった」、「車が壊れてしまったようだ」、「まだ帰りたくない」と20項目の文例が並び、それぞれ解説している。付録として、助数詞、助動詞、文語体の説明があり、ビルマ語の単語集もある。このように、一応体系が整理されているが、結局は読者のやる気の有無に左右されそう。焦らずに1頁1頁をマスターするしか上達法はない。