2016年12月31日土曜日

(3161)マレーシアのNGO ラカイン州のロヒンギャに食糧支援を実施予定

 12月31日のミャンマーニュースより。マレーシアのNGOマレーシア・イスラム組織諮問評議会は、民族問題で武力衝突が発生しているラカイン州のロヒンギャに対し、食糧支援を実施するという。同組織の食糧支援団体は、1月10日にマレーシアのクラン港を出航し、約1000トンのコメのほか、医療品や日常必需品を支給する予定だ。しかし、同地区は立ち入りが制限されていることから、単に立ち入りを拒否されるにとどまらず、ミャンマー軍に攻撃される可能性についても懸念している。なお、ミャンマーのメディアは、同評議会の支援について政治目的に宗教を利用すること、また、同国に民族問題を拡大させようとしている点について懸念している。また、支援を希望する場合は、政府に予め連絡して政府承認の下で、実施すべきではないかとの考えを示した。

2016年12月30日金曜日

(3160)ミャンマーの丸の内「サクラタワー」にショールーム

 12月29日のミャンマーニュースより。ミャンマービジネスのエキスパートと言われる「ミャンマージャポン」が、「サクラタワー」内に常設のショールームを開設する。パナソニック、王子製紙、富士ゼロックスなど、日本を代表する企業の商品が月ごとに展示される。この他に、ミャンマー国民が日本製品に親しみが感じられるように、三つのメディアを活用して、日本商品の魅力をミャンマー人消費者にアピールするという。①TVを用いて5分間番組を毎週6本放映する。②TVと連動し、フェースブックにイベント、ロケ予告等リアルタイムの情報を発信。③ミャンマー語、英語で毎月2ページ以上の特集記事を掲載する。ミャンマーでは民主化によって中間所得者層が激増し、平均年齢は27.9歳。消費人口の増加が期待される。現在は、韓国製品があふれ人気も高い。

2016年12月29日木曜日

(3159)難民宿泊の公的制度、利用ゼロ、15年度

 12月27日の日経電子版より。宿泊場所がない難民申請者に国が「緊急宿泊施設」を提供する制度の2015年度の利用者がゼロだったことが分かった。民間団体が運営する同種施設の中には、ほぼ同期に利用者が過去最多だったものもあり、公的制度の活用を求める声が出ている。宿泊施設提供は外務省の委託事業として、公益財団法人「アジア福祉教育財団難民事業本部(RHQ)が03年から運営してきた。生活に苦しむ難民申請者がいた場合、審査の上でそのその都度アパートなどの賃貸物件を用意し、一定期間無償提供する。10年度に41人、11年度に48人が施設を利用したが、14年度は1人、16年度は2人だった。この間難民申請者は10年:1202人、15年:7586人。一方、民間の「難民支援協会」は13年に46人、15年は71人宿泊した。

2016年12月28日水曜日

(3158)国交相ミャンマーへのインフラ整備支援を強化の考え

 12月27日のNHKニュースより。石井国土交通大臣は、ミャンマーで日本の企業連合が開発した工業団地などを視察し、鉄道や港湾などのインフラ整備の支援を強化する考えを示した。大臣はアジアのインフラ輸出を加速させるため、27日、ヤンゴンを訪れ、去年9月に日本の企業連合が開発したティラワ工業団地を視察。広さ4百ヘクタールのこの工業団地には、39の日系企業が進出を決めており、同大臣は工業団地の中で通関の検査が受けられ、効率的に輸出入ができる状況などを視察。ヤンゴンには東京や大阪のように鉄道の環状線があるが、線路や車両の老朽化が激しく、列車は時速30キロ程度で運行されており、利用が伸び悩んでいる。石井大臣は、「日本政府を挙げて、鉄道、道路、港湾、空港、都市開発などあらゆる面で支援する」と述べた。

2016年12月27日火曜日

(3157)ネピドーでバゴー橋建設計画に関する円借款の書簡交換

 12月27日のミャンマーニュースより。12月23日、ネピドーで樋口大使とマウンマウンウイン計画・財務副大臣との間で、円借款1件に関する書簡交換を実施。この案件は「バゴー橋建設計画」で、供与限度額は310億円。金利は0.01%、償還期間は40年。調達条件は調達先が制限されない一般アンタイド。同案件は、9月にラオスの首都ビエンチャンで、安倍首相とスーチー国家顧問が会談した際に、供与が決定されていた。計画においては、ヤンゴン市街地とタンリン地区を結ぶ区間のバゴー側に新たな橋梁が建設される。なおタンリン地区は日緬共同で開発中のティラワ経済特区を有する。新たな橋梁が建設されれば、同市内の交通網が整備され、物流の活発化が期待されるほか、同市街地と経済特区との交通の円滑化、特区への投資増加も期待。

2016年12月26日月曜日

(3156)エーヤワディ管区で大規模開発計画が浮上

 12月21日のミャンマーニュースより。ミャンマー地場企業のエイシア・パシフィック・ファイナンスは12月5日、エーヤワディ管区パテイン市の南西60マイル(約96㎞)に位置するシンマ地区に、深海港及び工業団地を建設する計画をシンガポールのAPOOL社と合弁で行うと発表した。2010年に原案を連邦政府に提出、合意覚書(MOA)を締結済みという。同社の発表によると、2017~2021年の第1期に長さ400メートル、深さ15.7メートルの深海港。コンテナヤード、道路、電力、鉄道、水道などのインフラを整備し、2022年~2026年の第2期には化学プラント、石油備蓄基地を建設、2027~2032年の第3期には、経済特区に昇格させる計画。同社の総括部長は、「深海港が完成すれば、マラッカ海峡を通さずにタイやベトナムに輸送できる」という。

2016年12月25日日曜日

(3155)取材受けた男性殺される ロヒンギャ問題で、

 12月24日のバンコク時事より。イスラム系少数民族ロヒンギャに対する迫害が問題になっているミャンマー西部ラカイン州で、イスラム教徒の男性(41)がメディアの取材に応じた後、何者かに殺害されたことが分かった。地元メディアなどが23日伝えた。男性は21日に政府主催の取材ツアーでラカイン州マウンド―の村を訪れた記者団と面会したのち、行方不明となり、23日午後、自宅近くで首を切られて死亡しているのが見つかったという。ラカイン州では治安部隊によるロヒンギャへの人権侵害疑惑が取りざたされ、取材ツアーに参加した地元メディアの報道では、住民の一部は放火や性的暴行があったと証言した。しかし国家顧問府などによると殺害された男性は記者団に疑惑を否定していたという(以上)。どちら側からの暴行なのか不明だが恐ろしい。

2016年12月24日土曜日

(3154)テインセイン前大統領「第3回アジアコスモポリタン賞大賞」受賞

 12月16日のミャンマーニュースより。ミャンマーの前大統領のテインセイン氏が、東アジア・アセアン経済研究センターから「第3回アジアコスモポリタン賞大賞」を授与された。テインセイン氏は、2011年3月、大統領に就任、経済改革を中心に、ミャンマーの民主化を推し進めた。斬新な政策で、軍政時代の多くの課題を解決し、国民の生活を向上させた。改革を通じてミャンマーは国際社会との関係を深めることに成功。2014年にはアセアンの議長国として各種サミットを成功させた。ミャンマーの飛躍的な変化は諸外国から認められ、欧米による経済制裁は緩和および解除された。外国資本企業の参入も増え、雇用機会も広がった。これらの成果はミャンマーは開放的で世界レベルの課題に取り組んでいけることを証明。国際社会はミャンマーの可能性に期待。

2016年12月23日金曜日

(3153)利便性の向上へ、「カイゼン」が進むミャンマー国鉄

 12月20日のミャンマーニュースより。国際協力機構(JICA)は12月16日、ミャンマー国鉄が「カイゼン」に取り組んでいる件についてホームページに掲載した。同国鉄は鉄道旅客サービスを向上させるため、駅でのサービス改善に力を入れている。このためJICAはJR東日本の初代サービス部長の東充男氏を講師として現地に招き入れた。サービスの原則は「同国鉄職員が利用者の立場でサービスを考えること」だ。駅では、待合スペースにベンチが設置されたほか、トイレの清掃が徹底された。そのほか、外国人の利便性を向上させるため、ミャンマー語と英語で表記することにした。今後は駅構内の排水施設の設備も予定されている。その他 2015年には 「ヤンゴン環状鉄道の改修工事」を開始し、信号システムの更新や、新型車両の整備も実施されている。

2016年12月22日木曜日

(3152)ミャンマー国軍最強の反政府勢力から前哨基地を奪取

 12月20日のミャンマーニュースより。ミャンマー国軍は12月17日、反政府勢力のカチン独立軍(KIA)の基地であるギドン前線基地を占領した。KIAのスポークスマンは、前線基地の占拠を確認している。「我々はそれを取り戻すために戦っている。戦いは終わっていない」と述べ、まだ戦いを続けていることを強調した。この戦争での損失が出たが、数字は明らかになっていない。KIAはカチン州に拠点を置く反政府勢力で、最強の反乱軍の一つである。スーチー氏の就任以来、皮肉にも最も激しい戦いだ。カチンの南にあるシャン州でも、国軍と反政府軍の間で戦闘が勃発、多くの人が中国領に流れ込み、北京との緊張が高まっている。「政府が戦いをしないように、国軍をコントロールしなければ、我々は民族同盟軍団を形成し、強く反撃する」と発表している。

2016年12月21日水曜日

(3151)アセアン外相会議の日経記事

 12月29日の日経記事は下記の通り、昨日の朝日記事と微妙に違っている。ミャンマーのイスラム少数民族ロヒンギャの人権侵害問題を話し合うアセアンの非公式外相会議が開かれた。スーチー氏は、10月以降のロヒンギャ難民の大量発生に関連し、問題解決に取り組むミャンマー政府の意欲を強調。10月以降反政府武装勢力の掃討を名目とする国軍の軍事行動で、2万人を超えるロヒンギャ難民が隣国のバングラデシュに逃げた。国軍兵士による集団虐殺も疑われており、マレーシアやインドネシアなどから反発が強まっていた。会議に出席したインドネシア外相は「透明性が高く誠実な議論ができた。ミャンマー政府の対応を称賛したい」と評価。タイ外相は「ミャンマーの説明には全参加者が満足している」と(以上)。これではスーチー氏の一人勝ちだ。

2016年12月20日火曜日

(3150)ロヒンギャ問題「解決に時間を」スーチー氏

 12月20日の朝日より。ロヒンギャに対する人権侵害への懸念が高まっている問題を巡り、アセアンの外相会議を19日ヤンゴンで開催。スーチー氏は人権侵害を否定する一方、国際機関による人道援助やメディアの現地立ち入りを制限していると、国際社会、特にマレーシアやインドネシアからの批判が集中。スーチー氏は現状を説明し、各国に理解を求めた。マレーシア外相は「地域全体の懸念材料」と訴えた。同国が懸念を抱く背景には、ロヒンギャ難民数千人が同国をめざし船で漂流したため。迫害が続けば、さらに大量の難民が生まれ、イスラム過激派の動きが活発化する。スーチー氏は人道支援の受け入れや、加盟国への定期的な報告を約束。またアナン氏の諮問委員会が来年2月に提出する中間報告書を見た上で対応を再検討することで一致。

2016年12月19日月曜日

(3149)アセアン、ロヒンギャ問題を協議、ヤンゴンで非公式外相会議

 12月19日の日経電子版より。ミャンマーのイスラム系ロヒンギャ問題を協議するアセアンの非公式外相会議が19日、ヤンゴンで始まった。ロヒンギャを巡っては10月以降、同国軍による人権侵害が問題になっており、国際社会が批判を強め、スーチー氏の対応が注目されている。今回の会議は、スーチー氏が各国に開催を呼び掛けた。ロヒンギャ問題を巡るミャンマーの立場を伝えるもようだ。ロヒンギャは19世紀までにミャンマーに移住したイスラム教徒の子孫とされ、西部ラカイン州に約80万人が住む。ミャンマー政府は、ロヒンギャをバングラデシュからの不法移民とみなし市民権を剥奪。10月ラカイン州の警察拠点をロヒンギャとみられる武装集団が攻撃する事件が発生。国軍が無差別虐殺で応戦。マレーシアやインドネシアなどイスラム諸国が批判。

2016年12月18日日曜日

(3148)ホンダ ミャンマーで中古車整備事業

 12月18日のヤンゴン共同(東京新聞・河北新報)より。ホンダは17日、ミャンマーで中古車の整備を手掛ける事業を始めた。代理店を通じてヤンゴン市内に施設を設けた。純正部品を使って、質の高いサービスを提供し、「利用者の安全を守る」(関係者)としている。現在ミャンマーでは新車は販売していないが、今後の政策動向を見極めて判断するという。ミャンマーは2011年の民政移管後、自動車の輸入規制緩和で日本から大量の中古車が流入、ホンダ社もフィットなど約4万2千台が登録、使用されている(以上)。なお、12月15日の(3145)では、スズキがティラワ工業団地内で新工場を建設する旨発表したが、日本勢の進出ぶりが目立つ。ただ将来 ミャンマー政府が運転席を欧米式の左方式に転換すると、日本車は困ることになる。この点注意を要す。

2016年12月17日土曜日

(3147)ロヒンギャ弾圧に抗議、国連本部前で集会

 12月15日のNHKニュースより。少数派のイスラム教徒、ロヒンギャ団体が、ニューヨークの国連本部前で抗議集会を開くとともに、ロヒンギャの安全確保のため行動するよう、グテーレス次期事務総長に求める書簡を提出。ミャンマーでは今年10月以降、ラカイン州で少数派のロヒンギャの武装勢力と、軍や警察との衝突が相次いでいて、ロヒンギャの人たちや、避難先となっているバングラデシュ人たち、それにアメリカの人権団体の関係者など合わせて300人が国連本部前に集まり「虐殺をやめろ」とシュピレルコールを上げた。付近をデモ行進するとともに、ロヒンギャの安全を確保するために直ちに行動するよう、グテーレス次期事務総長に書簡を提出。「国連の安全保障理事会は調査チームを派遣し、その結果に基づいてPKO部隊を展開すべき」と主張。

2016年12月16日金曜日

(3146)14の外交使節団がラカイン州への援助を許可するよう政府に要請

 12月12日のミャンマーニュースより。米国を含む14の外交使節団は、2か月前にラカイン州で軍事作戦が展開されて以来、数万人もの人々が医療やその他の援助を受けられない状態であるため、ミャンマー政府に対して、人道支援の再開を許可するよう声明で要請した。今回、共同で声明を発表したのは、米国、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ギリシャ、アイルランド、オランダ、ポーランド、スペイン、スウェーデン、トルコの外交使節団だ。これらの外交使節団によると、首都ネビドーの首席官僚らの承認を受けた救援物資の決定は、ラカイン州の軍事管轄官僚によりしばしば覆されていた。ある使節団員は、何週間にもわたり援助を再開するよう、ミャンマー政府に圧力をかけていたが 事態は一向に変わらず懸念が増していた。

2016年12月15日木曜日

(3145)スズキ・ミャンマー新工場、月内着工

 12月14日の日経より。スズキはミャンマーで今月中に新工場の建設に着手する。2018年をめどに生産を始める計画だ。ミャンマーは中古車が主流だが、同国政府は自動車産業育成のため、新車主体の市場への転換を目指している。現地生産により、成長が見込める市場で、存在感を高める狙いだ。スズキは13年、現地生産を再開した。ヤンゴンに工場を持ち、小型トラック「キャリイ」などを生産している。17年初めからは同工場で生産したセダン「シアズ」も販売する。新工場はヤンゴン南東のティラワ工業団地で、既存の工場と同様な車種を生産する予定だ(以上)。なお同社関連の話題として、現在スズキの輸入パーツを組み立てる工場は、南ダゴン工業団地にあるが、ここでは個々に製造するキャパシティはなく、ティラワ新工場の建設が待たれる。

2016年12月14日水曜日

(3144)恐竜から鳥へ 毛の立体構造保つ

 12月11日の朝日新聞より。ミャンマーで見つかった約9900万年前の白亜紀中期の琥珀の中から、毛に覆われた小型恐竜のものとみられる尾の一部が見つかったと、中国やカナダなどの研究チームが米専門誌カレント・バイオロジーに論文を発表した。立体的な構造が確認でき、鳥への進化を探る貴重な資料になるとしている。この琥珀は、2015年に研究チームのシンリター博士がミャンマー北部の市場で見つけた。鶏卵ほどの大きさで、中に羽毛のような繊維に覆われた小動物の尾(長さ約4センチ)とみられる組織が残っていた。CTスキャンなどでの分析から、スズメほどの大きさの羽毛恐竜(コエルロサウルス)の仲間の尾の一部と判断した。これまでに見つかった羽毛恐竜の化石は、押し花のように、平面上に羽毛の跡が残ったものだった(写真あり)。

2016年12月13日火曜日

(3143)ロヒンギャ問題現状説明の方針、ミャンマー政府

 12月13日の朝日新聞より。ラカイン州でイスラム教徒のロヒンギャに対する人権侵害への懸念が高まっている問題で、同国政府が19日に東南アジア諸国連合(アセアン)の非公式の外相会議を開き、状況を説明する方針であることが分かった。強まる批判を抑えたい意向とみられる。ミャンマー外務省幹部によると会議はヤンゴンで行い、スーチー国家顧問が出席する予定。ラカイン州の情勢について間違った情報が流れているため、実情を説明したい」という。同州北部では、10月に武装集団と治安部隊との戦闘が起きて以降、治安部隊による住居の焼き討ちや性的暴行などの疑惑が報告されてきた。政府は疑惑を否定しているが、マレーシアのナジブ首相が今月4日にクアラルンプールで、抗議集会を主導するなど、アセアン内にも反発が広がっている。

2016年12月12日月曜日

(3142)@東京・京都 スーチー氏日本への思い

 12月10日の朝日新聞デジタル(特派員レポート)より。国家首脳として初来日したスーチー氏(71)は、京大からの名誉博士号授与式の際、「少し、少し、わかります」と日本語で挨拶、また、京都迎賓館であった夕食会では、「ビルマの竪琴」の中で歌われた「埴生の宿」の原曲を歌い、出席者を驚かせた。同氏は1985年に9か月余り京大東南アジア研究センターに客員研究員として来日後久しぶりにリラックスしたひと時を過ごした。日本政府は、スーチー氏を厚遇した。安倍首相との会談を赤坂迎賓館で行い、天皇皇后との会見も設定した。さらに安倍首相は、5年間で8千億円の支援を表明、スーチー氏は一方的な支援の受け手でなく、できる限り対等な協力関係を模索した。しかし、軍の政治関与を定めた憲法は、テインセイン政権時代から変わっていない。

2016年12月11日日曜日

(3141)ラカイン州諮問委員会 10月に武力衝突の被害を受けた地域を視察

 12月7日のミャンマーニュースより。ラカイン州の人道支援のために設立された「ラカイン州諮問委員会」は12月3日、10月に武力衝突の被害に見舞われた同州内の地域を視察した。視察には同委員会の委員長であるアナン元国連事務総長も同行した。同委員会はアラカン族のために政治運営を行う「アラカン国民党(ANP)」との面会を要望したものの、議員らは同委員会がロヒンギャ支援を基本的な概念としていることから面会を拒否。12月5日には、同委員会とティンチョー大統領が会談したが、出席したNLDの議員はロヒンギャにも市民権は与えられるべきとの考えを示した。しかしANPの議員はロヒンギャが外国へ脱出したいならば自由に国外に脱出させるべきとの考えを示した。その理由として「政府はラカイン州の歴史を理解していない」と説明した。

2016年12月10日土曜日

(3140)国連、ロヒンギャ弾圧でスーチー氏に現地視察を要請

 12月9日のAFPより。ラカイン州でロヒンギャが軍の弾圧を受けている問題で、国連は8日、スーチー国家顧問兼外相に対し、現地を自ら視察するように強く求めた。ラカイン州では10月に検問所が襲撃された事件を受けて、軍が作戦を展開しており、2万人以上のロヒンギャがバングラデシュに脱出する事態となっている。逃げ出した人々は、集団レイプや、殺人・放火などを訴えている。ノーベル平和賞受賞者のスーチー氏が、軍に策戦中止を命じないことに対し、国際社会から非難が高まっている。スーチー氏は先に、事態は「統制下にある」と述べ、「憤りの炎」を掻き立てないように、国際社会に求めていた。しかし国連事務総長特別顧問(ミャンマー担当)は、「スーチー氏が直接現地を視察して、現地の市民を保護すると約束する」ように、丁重だが強く求めた。

2016年12月9日金曜日

(3139)マレーシア首相がロヒンギャ「虐殺」の解決に国際機関に介入を呼び掛け

 12月7日のミャンマー・ニュースより。マレーシアのナジブ・ラザク首相は12月4日、首都クアラルンプールで行われた、ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャ「虐殺」に反対する数千人規模の抗議集会に参加し、国連、国際刑事裁判所、イスラム協力機構に介入するように呼びかけた。ラカイン州ではここ数週間、治安部隊による強姦、拷問、殺人などの事件により、1万人以上のロヒンギャがバングラデシュなどへ逃げ込んでおり、国際社会から「民族浄化」との批判を受けている。ミャンマー政府は「虐殺」の疑惑を否定しているが、外国人ジャーナリストや国際的な調査機関などは、紛争地域への進入を禁止されており、内情がつかめていない。大多数がイスラム教徒のマレーシアでは、ロヒンギャに対するミャンマーの 国家的虐殺への批判が高まっている。

2016年12月8日木曜日

(3138)アナン前国連事務総長 ロヒンギャ問題に懸念

 12月7日の朝日より。ミャンマー・ラカイン州でイスラム教徒ロヒンギャと仏教徒が対立している問題の解決に向け、同国政府が設置した諮問委員会のトップを務めるアナン前国連事務総長は6日、ヤンゴンで記者会見し、当局によるロヒンギャへの人権侵害が報告されていることに懸念を示した(以上)。関連するニュースとして、12月6日のAFPより。国際移住機関(IOM)はロヒンギャ2万1千人がミャンマーでの暴力から逃れるために、ここ数週間で隣国バングラデシュへ脱出。その大半は仮設の集落や、公式の難民キャンプなどに避難。2万1千人という数字は、複数の国連組織と国際NGOが集計した10月9日から12月2日までにバングラデシュに到着した人数。ミャンマー政府は、弾圧を否定しているが、紛争地区への外国人記者の立ち入りも 禁止している。

2016年12月7日水曜日

(3137)ミャンマーに介護施設 学研がデイサービス

 12月5日の日経新聞電子版より。学研ホールディングスはミャンマーで介護施設の運営に乗り出す。グループで介護事業を手掛ける学研ココファン(品川)が来年4月、現地で通所介護(デイサービス)の事業所を開く。日本に続きこれから高齢化が進むと思われるアジアで事業を拡大する計画で、2020年までに中国や東南アジアのうち3カ国10拠点で介護サービスを展開する。日本の介護事業者のミャンマー進出は初めて。ヤンゴンの市中心部にデイサービス事業所を設ける。介護サービスに当たる職員を現地で4人程度採用、将来は技能実習制度で国内に受け入れた外国人の職員に現地で働いてもらう。利用料は1日約1000円、デイサービス事業所単体の年間売上高は600万円程度。11月には香港で介護施設へのコンサルタント事業を始める予定。

2016年12月6日火曜日

(3136)スーチー氏のインドネシア訪問延期が決定

 11月30日のミャンマーニュースより。ミャンマー外務省は11月28日、スーチー国家顧問のインドネシア訪問を延期すると発表した。なお、地元紙の報道によれば同省の報道官は、スーチー氏のインドネシア訪問延期と、ラカイン州における武力衝突は無関係という見解を示した。イスラム教徒が大多数を占めるインドネシアでは、11月24日、在インドネシア、ミャンマー大使館前でミャンマー国軍のロヒンギャに対する暴力行為に対する抗議行動が発生した。さらにインドネシア警察は11月27日までに、過激派組織「イスラム国」(IS)の支持者が、ミャンマー大使館など首都ジャカルタ市内にある複数の建物の爆破を目論んでいたため逮捕した。ジャカルタ市内は緊迫の度合いを増している。(オヤオヤ、いつの間にかこのブログ読者は延べ11万人を突破してた)。

2016年12月5日月曜日

(3135)スーチー氏、シンガポールを公式訪問

 12月2日のミャンマーニュースより。スーチー氏が11月30日から12月3日まで、シンガポールに3日間滞在。シンガポールとミャンマーは国交樹立50周年を迎えた。ミャンマー新政権設立以来、スーチー氏の公式訪問は初めてのこと。シンガポールのリー首相は6月にミャンマーを訪問している。滞在中は大統領や副首相らとの食事会のほか、グローバル会議で経済界とも交流する。スーチー氏の名前が付けられた蘭を育てている植物園の訪問も予定されている。30日には貿易産業相大臣との会談が行われた。会談では、両国間のビザ申請に関する条件の緩和について同意を得た。これにより、交流促進が期待できる。シンガポールは今後都市基盤整理や水道・廃棄物処理などの環境整備、交通、物流、金融などの分野でミャンマーと協力していくという。

2016年12月4日日曜日

(3134)原田・畑田両氏と面談、ミャンマー人への日本語教育

 昨夜、原田氏(Minebea勤務)と畑田氏(エージー勤務)が面談したいとの電話を受けた。両氏は慶應義塾大学・福沢諭吉記念文明塾に通っているキラキラする青年たちだ。先日増上寺で開催された「ミャンマー祭り」でミンガラ日本語教室の存在を知り、ミャンマー人に対する日本語教育について興味を示し、本日2人でふれあい会館での鈴木先生とジーダ―さんの授業を見学後、私と面会した。私が開校したのは1996年6月であり、当時の様子を説明。なお福沢文明塾会は、年2回(4月~7月と9月~12月)、木曜日夜間と土曜日の午後、定員50人、費用3万5千円、いわゆる受講料は無料。仲間7人と練り上げた提言を行動に移して初めて価値が生ずる。福沢諭吉が言うように「活用なき学問は無学に等しい」。若き塾生がどのように展開していくか楽しみだ。

2016年12月3日土曜日

(3133)就労目的の難民申請急増、審査中の救済策抜け穴

 11月20日の中日新聞より。外国人による日本への難民認定制度で、観光などの「短期滞在」、「留学」、「技能実習」の資格で一度入国し、在留中に難民申請するケースが急増している。審査が長期化した場合の生活救済策として、政府が日本での自由な就労を認めたため。最近5年間では難民申請者が7倍に増えている。制度の抜け穴を使って職を得ようとする外国人からの申請が相次いでいる。入管によると、2015年の難民認定申請者は、過去最多の7586人で、国別では、ネパール、インドネシア、トルコ、ミャンマー、ベトナムの順で多かった。「留学」での滞在者は週28時間の就労上限が設けられており、生活自体に苦しむ留学生もいる。母国への仕送りを目的に来日する人が多い「技能実習」は、米国などからは「強制労働の温床」との批判が多い。

2016年12月2日金曜日

(3132)躍進著しいミャンマーサッカー 大富豪が支援

 12月2日のミャンマーニュースより。ミャンマーはビルマと呼ばれていたころ、サッカー大国だった。同国の巨大財閥「マックスミャンマーグループ」の創設者ゾーゾー氏(年商5百億円)は、11年前、ミャンマーサッカー連盟の会長に就任後、ミャンマーサッカーは大きな躍進を遂げ、AFFスズキカップ2016では、12年ぶりに決勝トーナメントに進出した。30~40年前、ビルマはアジアの強豪と言われてきたが、それ以降は低迷。その後この財閥の支援でミャンマーサッカーは躍進を続け、2014年にAFC・U19でベスト4に進出、2015年にワールドカップU20で初出場。ドイツ人監督のもと、アウントゥーはじめ20歳前後の選手が多く、伸びしろがある。また12歳以下の120人の英才教育にも熱中。スズキカップ準決勝では、前回王者 タイと激突する。まさに正念場だ。

2016年12月1日木曜日

(3131)ロヒンギャ問題、ミャンマーに批判、スーチー氏にも矛先

 11月28日の朝日より。「ロヒンギャの虐殺者であるスーチーに法の裁きを」。国民の約9割がイスラム教徒のインドネシア。首都ジャカルタのミャンマー大使館前で25日、スーチー氏を非難するポスターを掲げた学生ら200人が抗議した。イスラム教が国教のマレーシアでも同日、ロヒンギャ難民を含む約500人が首都クアラルンプールのミャンマー大使館前などに集結。抗議デモはこの日、タイのバンコクや、バングラデシュのダッカでもあった。周辺国でミャンマーへの反発が広まる発端になったのは、ラカイン州の国境地帯で、10月9日に始まったロヒンギャと思われる武装集団と、治安部隊との戦闘で、約3万人が避難民となり一部がバングラデシュに逃れた。マレーシア外務省は25日「無実の人々の命や住まいを奪う暴力を非難する」との声明を発表した。

2016年11月30日水曜日

(3130)ロヒンギャ迫害悪化、ミャンマー政権に高まる批判②

 前日に続く。ロイター通信によるとパワー米国連大使は、17日安全保障理事会で「ミャンマー政府にこのまま任せるのは危険」とし、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の現地拠点開設を訴えた。スーチー氏はこの会議の翌日、米国や欧州連合などの外交団を呼び、ねつ造された情報で「不当」な扱いを受けていると「怒り」を表現。ロヒンギャは、掃討作戦と称して国軍に家屋を焼き討ちされ、婦女暴行なども受けたと訴えている。周辺諸国のミャンマー大使館前では25日、イスラム教徒が抗議デモを実施。「民族浄化が疑われており、あらゆる手段で是正すべき」とミャンマー政府に懸念を表明。ラカイン州では人口増加を続けるロヒンギャに仏教徒の住民が危機感を抱き、2012年は双方が衝突2百人以上が死亡。スーチー氏にとり最大の試練と言える。

2016年11月29日火曜日

(3129)ロヒンギャ迫害悪化、ミャンマー政権に高まる批判

 11月28日の産経新聞より。ラカイン州で国軍によるイスラム教徒ロヒンギャへの迫害が深刻化。「人権弾圧」との国際社会の声に背を向けるミャンマー新政権の実質トップ、スーチー国家顧問兼外相への批判も高まりつつある。隣国バングラデシュ外務省は23日、ダッカのミャンマー大使に「数千人が越境し、さらに数千人が国境付近に集結している」として事態収拾を求めた。ラカイン州では10月、ロヒンギャとされる武装勢力が軍や警察を襲撃し、兵士ら十数人が死亡した。ミャンマー政府は、パキスタンなどでテロ組織から軍事訓練を受けた男が数百人の集団を率いて襲撃したとして、掃討作戦を実施し「構成員70人を殺害した」と発表。国連は、この混乱で、ロヒンギャ3万人が家を追われ、15万人分の医薬や食糧支援が40日以上滞っていると批判(続く)。

2016年11月28日月曜日

(3128)みずほ銀、ミャンマー財閥と覚書、企業進出で協力

 11月28日の日経新聞電子版より。みずほ銀行は、ミャンマー大手財閥のマックスミャンマーホールディングと業務協力覚書を結ぶ。米国政府による経済制裁が10月に解除になったことを受け、日本企業の新規進出や事業拡大を後押しする狙いだ。マックスミャンマーは建設、エネルギー、セメント、農業など幅広い事業をミャンマー国内で展開している。特にミャンマー政府が経済発展の重点に置くインフラ開発やエネルギー、農業分野に強みがある。みずほ銀は29日にも業務協力覚書を結ぶ、同国への進出を検討する日本企業を紹介したり、同社から得た現地の経済情報を提供したりする。昨年から近代的な「ティラワ工業団地」が稼働。10月には米政府による経済制裁が全面解除となり、日本とミャンマー間の企業連携や、投資加速が見込まれている。

2016年11月27日日曜日

(3127)新刊本「ミャンマー」 栗原富雄著

 朝日新聞11月27日の広告欄より。著者栗原氏は月刊誌「ヤンゴンプレス」の編集長・CEO。副題は底知れぬ可能性を秘める「資源大国」の明日を探るとあり、さらに「ヤンゴンプレス」で読み取る現実と真実。定価1400円。戦後GDPアジア№1で日本に食糧援助。サッカーの礎もビルマ。かつての日本のように拡散する社会は、やがて集約・画一化する。すべてはアウンサンスーチーさんとの出会いから。発行は人間の科学新社・全国書店で好評発売(以上)。激動の4年間にレポートした月刊誌のピュアな情報!「ヤンゴンプレス誌」が見続ける実情と国民性。この国は目覚めたらいきなり情報化社会のまっただ中。第1章:今月の視点が提言するミャンマーの改革と未来(もうこの国に「アーナバーデー」(遠慮します)はいらない、など。関心のある方はどうぞ。

2016年11月26日土曜日

(3126)ロヒンギャへの攻撃やめて アジア各地で抗議デモ

 11月25日のNHKニュースより。ミャンマーで少数派のイスラム教徒のロヒンギャの人たちが、軍や警察との衝突で相次いで殺されているとして、アジア各地のミャンマー大使館前で、イスラム教徒による抗議デモが行われ、攻撃をやめるよう訴えた。ラカイン州ではロヒンギャの武装勢力と軍や警察との衝突が相次いでいて、ミャンマー政府の発表によると、武装警察側の69人と、軍や警察側の17人が死亡。こうした中、アジア各地のミャンマー大使館前で、25日にロヒンギャや現地のイスラム教徒によるデモが行われた。インドネシアの首都ジャカルタでは、約600人が集まり「虐殺をやめろ」の叫びが。マレーシアの首都クアラルンプールでは400人がデモ行進し、スーチー国家顧問を批判。マレーシア政府は、民族浄化の疑いありとしてミャンマー政府に抗議した。

2016年11月25日金曜日

(3125)東南アジアサッカー選手権 ミャンマー、ベトナムに惜敗

 11月23日のミャンマーニュースより。ヤンゴンのトゥウンナ・ユーストレーニングセンターで11月20日、東南アジアサッカー選手権(AFFスズキカップ)のミャンマー・ベトナム戦が開始され、2:1でベトナムが勝利した。前半24分、ベトナムの選手が先制ゴールを決めて1点をリード、前半は、ベトナムのペースによる試合展開となり、前半は1:0でベトナムがリードして終了した。後半28分、ミャンマーのアウントゥ選手が同点ゴールを決め、1:1に。しかし、ベトナムが意地を見せ、後半35分にベトナムはキャプテンが2点目のゴールを決め、2:1でベトナムが再びリード。その後、両チームとも追加点はなく、ベトナムが勝利。11月23日には同スタジオで、ミャンマー:カンボジア戦が開催される。なお、ミャンマーはすでにシンガポール、フィリピンと対戦。結果不詳。

2016年11月24日木曜日

(3124)人権尊重の刑務所改革を

 11月18日のアムネスティ国際事務局発表のニュースから。ミャンマー政府は刑務所改革を機に、受刑者の虐待や劣悪な環境といった過去と決別し、国際人権基準に沿った刑務所法を導入すべきだ。同国の刑務所は、人権侵害の温床として国際的にも悪名高い。政府と議員がともに刑務所改革を検討していることは喜ばしいことだ。実際、議員の多くは正にこういった刑務所に収監され、拷問など過酷な扱いを受けてきた。いまこそ、現在の受刑者が、自分たちと同じ扱いを受けない体制を保障する時である。しかし、法案はまだ国際法の基準には遥かに届いていない。この案では、拷問や虐待が禁止されず、不法な拘禁や強制労働など悪評の原因となった人権侵害を防ぐ措置が盛り込まれていない(中略)。この提案は、受刑者の社会復帰を最大の狙いとする。

2016年11月23日水曜日

(3123)トランプ氏が大統領に ミャンマーにおける反応は

 11月12日のミャンマーニュースより。11月8日に行われた米大統領選挙において、トランプ氏が大接戦の末、当選した。この結果に対し、ミャンマー国内の反応は様々だ。NLDのウインテイン報道官は、ヒラリー氏が当選した場合は、ミャンマーと米国の関係が改善すると期待していたものの、トランプ氏の当選により、ミャンマーに対する米国の関心低下を懸念した。トランプ氏が掲げた政策は、米国内の産業を保護する保護主義政策であること、米軍が駐留する国に対しては、さらなる費用負担を求めており、費用が負担できない場合は米軍を撤退させることなどが挙げられ、今後の動向が未知数であると懸念した。一方在ミャンマー米国大使館のマーシール大使は、トランプ氏が大統領になってもミャンマーと米国の関係は大きく変化しないとの認識を示した。

2016年11月22日火曜日

(3122)スーチー和平頓挫懸念も 少数民族側、政府軍攻撃

 11月22日の朝日新聞より。ミャンマー北東部の中国国境地帯で20日、政府と未停戦の少数民族武装組織の連合部隊が政府軍の駐屯地などを相次いで攻撃し、民間人と兵士ら8人が死亡した。少数民族側からの大規模な攻撃は異例で、スーチー国家顧問が最優先に掲げる和平協議が頓挫しかねないとの懸念が出ている。攻撃を仕掛けたのは北部カチン州と、北東部シャン州の国境地帯を拠点とするカチン独立機構(KIO)やタアン民族解放軍(TNLA)などの4組織。政府によると、国境の町ムセ近郊の貿易施設や橋なども含む10カ所を襲撃した。戦闘は21日も続いた。政府軍は8月以降、最大勢力のKIOに空爆を行うなど4組織に対する攻勢を強めていた(以上)。背後にいる中国の動向が影響していると思われる。国連が強く動くべき時ではなかろうか。

2016年11月21日月曜日

(3121)インパール作戦失敗部隊と南下

 11月21日の朝日新聞(投書)欄より。無職、長谷川正三氏(京都府 93)投稿。1944年春、私は陸軍第15師団歩兵第60連隊に所属し、インド国境付近にいました。インド北東部の英領インパール陥落を目指した旧日本軍の無謀な作戦は失敗。我々は撤退する作戦部隊と共に南下しました。作戦部隊は約9割の兵を亡くし、統率も取れない有様でしたが、イラワジ河畔の小さい部落に到達しました。私が立哨中、遥か前方の山の稜線を英印軍が登るのが見えたその時、狙撃兵の放った弾が私の肩を貫きました。左肩からどくどくと血が出ましたが、心臓を外れていたので命拾いしました(中略)。国境を越えタイへ入国。ここで捕虜となり、日本に帰国できたのは46年6月でした。たまたま生き残った幸運を思いますが、戦争はお互いが不幸になることだと思います。

2016年11月20日日曜日

(3120)ドルは110円後半に上昇、安倍・トランプ会談は無難に通過

 18日のロイターより。正午のドル/円は前日ニューヨーク市場午後5時時点と比べて、ドル高/円安の110.70円だった。イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長の議会証言が12月利上げを示唆したと受け止められ、米長期金利が上昇。ドル買いが強まった。安倍首相・トランプ次期大統領の会談も無難に通過した。ドルは朝方に心理的節目の110円ちょうどを上抜けると、米長期金利の上昇に歩調を合わせる形で110.78円まで強含み、6月1日以来5か月半ぶりの高値を付けた。上昇途中には、利益確定や輸出企業の売りなどで、110円を割り込む場面もあったが、押し目買いが素早く入ったという。米10年債利回りは一時2.33%台に上昇し、昨年12月以来の高水準。主要6通貨に対するドル指数は、一時101.32と、13年半ぶりの水準に上昇した。

2016年11月19日土曜日

(3119)スーパー最大手 店舗数80に倍増 20年までに

 11月19日の日経新聞電子版より。ミャンマーの小売り最大手、シティマートは2020年までに、主力のスーパーの店舗数を現在の2倍80程度に増やす。電子商取引事業にも来春以降に参入する。外資の参入などで競争が激しくなる中、店舗網の拡大と新事業の育成で国内首位の座を固めると、ウィンウィンティン社長が発表。シティマートは現在「オーシャン」、「シティーマート」、「マーケットプレイス」の3ブランドのスーパーで計38店展開する。20年までに30~40店舗を新規出店する。現在60店あるコンビニも200店舗体制を考慮中。一方今年9月、イオンが外資小売りとして初出店するなどの動きを警戒。今後は競争が激化すると予測。ミャンマーの小売り市場は家族経営の小規模店が主体で、国内の近代的小売市場では7割以上のシェアという。

2016年11月18日金曜日

(3118)近況報告 ワッハッハ

 心機一転、私は9月1日から介護保険を利用してデイサービスによるリハビリに首を突っ込んだ。何しろ歩くのが苦手。10分も歩くとハアハアしだし、暫らくは周辺の紅葉をめでるふりをしながら小休止。杖を持って近所を30分うろついたり、わが家を運動場に見立てて20分ほど早足で歩いたり、いろいろ努力はしてみた。でも結局は数か月続いただけで長続きしない。一方体重は減る一方で、83歳の76㌔を最高に、毎年2・3キロ減少、今年8月にはとうとう63㌔まで減ってしまった。こんな時、たまたまケアマネジャーに相談、週2日、デイサービス機関を知り、恐る恐る参加することにした。これが正解、自転車漕ぎ(3.1㎞歩行相当)やボート漕ぎ、各種マッサージ、そして若く美しく理性の高い女性たちたちに囲まれてのお茶タイム、まさに天国。体重も少し増えた。

(3117)ミャンマーの鉱山になぞの巨大物体が落下

 11月16日のミャンマーニュースより。11月11日の早朝、ミャンマー北部カチン州のヒスイ鉱山に、謎の巨大物体が落下。周辺は一時パニックになった。物体は長さ4.5m、幅1.2m、円筒形の金属。轟音と共に鉱山の泥の山に落下した。この物体と同時に、それよりも小さい金属片が近くに落ち、屋根を貫通させた。どちらも落下物によるけが人はなかった。現地新聞は、防衛省関係者が、「物体は鉱山に落下する前に50mバウンドした」と語った。同紙は落下物を衛星や飛行機、ミサイルなどのエンジン部品だと推定した。村長は、落下の様子を「戦闘が始まったと思った、爆発の衝撃で、村の家が揺れた」と話す。金属の小さい破片には中国語の表記が確認された。9日夜には中国のJINQUANで衛星が打ち上げられているので、この衛星の一部と想定。

2016年11月16日水曜日

(3116)ミャンマーLNGターミナル計画を実行に移す時

 11月11日のリムマーケットニュースより。液化天然ガス(LNG)の陸上輸入ターミナル建設について、東南アジアの次なるLNG輸入国としてミャンマーが検討中。しかしミャンマーが火力発電プロジェクトの一環としてLNG調達を検討したのは今回が初めてではない。英蘭ロイヤル・ダッジ・シェルは2015年、タイのイタリアン・タイ・ディプロップメント他と共同で、ダウエイ経済特区で同様な施設の建設に合意した。この合弁企業は調査を済ませミャンマー政府からの許可を待っている。日本総研・日揮・三井住友銀行もヤンゴンの沖合80㎞での浮遊式タンクなどの調査を実施。また中国石油天然気集団は、両国を結ぶパイプラインを活用する方法を提案。ミャンマーの総発電能力は現在5千MW、将来は3万MW。しかし、プロジェクトは2年間揺れ続けたままだ。

2016年11月15日火曜日

(3115)日本のミャンマー支援は中国けん制が狙い?

 11月4日のレコードチャイナ誌より。日本とミャンマーの関係強化に関して、中国外交部の報道官は定例記者会見で、質問に答えた。11月2日、安倍首相はスーチー国家顧問と会談し、今後5年間で官民合わせて8千億円規模の支援を行うことを表明。これに関して中国外交部の定例記者会見で「日本がミャンマーとの関係を強化して中国を牽制し、東南アジアにおける中国の影響力を弱めたい狙いがあるとの報道も見られている。中国側はどう見ているのか?」との質問が飛んだ。この質問に対し報道官は、「友好的な隣国として、中国はミャンマーが世界各国と正常な交流や協力を行うことを支持する。中国は第3国を念頭に置いたやり方はしない」、「ミャンマーが安定した発展を実現できるよう、真心のこもった支援を国際社会が行うよう願っている」と答えた。

2016年11月14日月曜日

(3114)ミャンマー武装勢力と治安部隊が衝突 30人以上死亡

 11月14日のNHKニュースより。ミャンマー西部で、イスラム系の武装勢力と治安部隊との間で衝突が相次いでおり、宗教対立が再燃することへの懸念が高まっている。ミャンマーは、国民の8割以上が仏教徒だが、西部のラカイン州ではイスラム教徒のロヒンギャの人口が増え、異なる宗教の住民の間で緊張が続いている。ミャンマー国営新聞によれば、ラカイン州北部のマウンド―周辺で、12日から13日に掛けて、パトロール中の治安部隊と、イスラム系の武装勢力の間で衝突が相次ぎ、武装勢力側の34人と、治安部隊側の2人が死亡した。ミャンマー政府は「法と秩序を回復する」として部隊を増強。一方国際的な人権団体は、衛星写真の分析などからロヒンギャの村で4百以上の家屋が破壊されたとして、国連などによる中立的な調査を求めている。

(3113)今年も楽しかった ワイワイガヤガヤ 誕生日会

 今年も入管に収容されたミャンマー人が50人近く集まって、私の誕生日を祝ってくれた。今年のこの会は、通常の誕生日会ではなく、私の「米寿」を祝ってくれた誕生日会だ。「米寿」の日というのは一生のうち1回しか来ない特別な日。BRSA(ビルマ難民たすけあいの会)からも代表が2名が参加してくれた。送り迎えは岡田ノポポさんご夫婦、品川⇒千石(会場)⇒津田沼(我が家)までの往復だ。感謝あるのみ。会場はオンマーさん、ティーダーミッさん、ヨーヨーさんが働いているイタリヤ料理店。公園風の広場の中にある立派な店。この会は1年に1回、すでに10回近く開いて頂いており、「1年後に会いましょう」を合言葉にしている。恒例のスーパー購入品の値段当てクイズでは皆さん血相を変えてワイワイガヤガヤ。いやはや 実に楽しい誕生日会だった。

2016年11月12日土曜日

(3112)韓国がミャンマー難民の7家族34人を受け入れ

 11月5日のミャンマーニュースより。国際移住機関(IOM)によると11月2日午前、7つの家族で34人のミャンマー難民が韓国の首都ソウルに到着した。韓国は2015年12月に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の第3国定住制度に基づいてミャンマー難民22人を受け入れ、今回が2回目となる。ソウルのIOM事務所は、ソウル近郊の仁川国際空港に到着した難民らを撮影し、ツイッターで投稿した。タイのミャンマー難民キャンプから韓国に入国した難民らは、仁川の出入国管理センターで韓国語と韓国の生活における基本的なことを習得する。韓国は2013年に難民法を制定したが、現時点では同法の期限を2017年と定めている。なお昨年は内戦が続くシリアから難民が訪れ2百人が難民申請した。韓国側は「準難民」として一時的に受け入れた。

2016年11月11日金曜日

(3111)多数の暴動犠牲者への人道支援を可能にせよ

 11月2日のアムネスティ日本のニュースより。ミャンマー政府は、人道支援団体がラカイン州とカチン州で避難生活を送る人々に人道支援ができるよう、直ちに移動制約を廃棄すべきである。カチン州では、政府軍と独立軍の戦闘が激化、ラカイン州では北部で暴力的な衝突が発生して以来、治安部隊が大規模な作戦を展開し、少数派ロヒンギャ―の人々が家を追われている。こうした状況により、既に深刻な悪化の一途をたどっている。しかし国連をはじめ人道支援団体が彼らに物資を届けようにも、現地への移動を認められないために、それができない状況にある。関係当局は、直ちに支援団体の州内の移動を認めなければならない。両州で家を追われた住民の数は数万人。この数週間の衝突で、多くの国内避難民が危機的な状態に置かれている。

2016年11月10日木曜日

(3110)麻生財務相「租税条約締結検討を」 ミャンマー財務省に

 11月7日の日経新聞電子版より。麻生太郎財務相は7日、ミャンマーのチョーウイン計画・財務相と財務省内で会談し、日本との租税条約の締結を検討するよう求めた。麻生氏は企業がミャンマーで活動しやすい環境を整えるには、各国と租税条約を結ぶことが重要だと強調。チョ―氏も日本との条約締結に前向きな姿勢を示した。会談では、農業分野やインフラ整備などでの協力方法を議論。チョ―氏はマンゴーや豆類などを日本に輸出するため、日本に農業分野での技術協力を求めたほか、道路などのインフラ整備でも日本に人材育成での協力を呼び掛けた(以上)。一方、IMF(国際通貨基金)は2016年度のミャンマーの経済成長率を6.5%に下方修正した。3月の発表時には8%と予測していたが国内の経済が停滞したことから下方修正した。

(3109)親中国だったミャンマーが「日本は友だ」と発言

 11月8日のサーチナ(中国メディア)より。スーチー国家顧問が日本を訪問し安倍首相と会談、日本は5年間で8千億円の支援を約束。また天皇陛下との会談では「日本人は友達」と発言した。これに対し中国では「やきもち」のような感情が生まれた。中国メディア(今日頭条)は5日、スーチーさんの訪日が、日本の侵略戦争美化という目的を一部で達成したと評価。また、あらゆるルートを駆使して現地人の生活改善に努力していると分析。中国国内では「親中国家」と認識されているミャンマーは、日本との距離を近づけることで「戦略的バランス」を調整、日中両陣営から最大の利益を得ようとしている。新政権発足後、アセアン以外で最初の訪問先に中国を選んだことで最優先国は中国と考えている。今後も日本中国間で激しい外交合戦が予想される。

2016年11月9日水曜日

(3108)スーチーさんと政治家の品格

 11月9日の朝日デジタル(新ポリティカにっぽん)より。来日したスーチーさんは4日午後日本記者クラブで記者会見を行った。今朝は天皇・皇后とお会いしたという。記者団の質疑の冒頭、「あなたは大統領より上なんですか」との質問が。スーチーさんは「与党のトップと呼んでほしい。最高指導者は国民です」と応えた。映画ビルマの竪琴」は両陛下も見たと言い、スーチーさんも見ている。また「民主主義は努力を怠ると使わない筋肉のように衰えるので、運動は続ける」とも言った。スーチーさんの言葉には重みを感じた。さて目を国内に向けると、そこは惨憺たる日本政治のありようである。4日のTPP特別委員会での乱闘騒ぎ、山本農林大臣の2度の失言。スーチさんのただずまいと比べて、わが日本の昨今の政治学の品格については悲しむほかない。

2016年11月8日火曜日

(3107)テレビでチーチャンさんの活躍を紹介

 11月7日22時のテレビ東京、未来世紀ジパング「ミャンマーで人材の争奪戦」が放映され、その中で、ミンガラ日本語教室卒業生(1級合格者)のチーチャン氏の活動ぶりが紹介された。ヤンゴンでの乗用車の多くは日本製中古車であるが、ガソリンスタンドが少なく、露店でボトルに小分けしたガソリンを販売している旨紹介。その後チーチャン氏が経営する「平和なコンビニ」の画面に移る。彼が力を入れているのは、日本人駐在員向けの日本商品だ。ヤンゴン駐在の日本人は年々伸びており、多くの駐在員はこのコンビニを頼りにしている。現在は単身赴任中で、半年間も妻子と会っていない。このためお互いにスマホで毎日連絡を取っている。いつか日本にいる家族を呼び寄せたいと、「ミャンマー・ヒルズ」(高級高層マンション・約1200万円)を物色している。

2016年11月6日日曜日

(3106)スーチー氏「民主化へ懸命に努力」

 11月6日の朝日新聞より。スーチー氏は都内の日本記者クラブで記者会見。真の民主化の達成に欠かせない憲法改正を、新政権の5年の任期中に実現することに強い意欲を示した。スーチー氏は任期中の改憲について問われ、「確約はできないが、改憲の実現のために懸命に努力する」と答えた。自治拡大を求めて改憲を訴える少数民族の武装組織や、改憲に事実上の拒否権を持つ軍も加わる和平会議の場で、新憲法に関する合意を達成したい意向だ。スーチー氏は改憲に踏み込まなかった前政権での変化は「本当の民主化ではない」と断言、「これからが始まりだ」と述べた。一方、ロヒンギャ―とみられる武装集団との戦闘発生については、「調査し、法に基づき対処する」とした。なお経団連主催の昼食懇談会では「迅速公正な投資」をお願いした。

2016年11月5日土曜日

(3105)ミャンマー民主化目標忘れずに(社説)

 11月4日の朝日社説より。スーチー氏が来日した。3年半前は軍事政権と戦う苦難の道を歩んだ民主化運動の指導者としてだ。今回は、新政権の事実上のトップとしてだ。安倍首相は民間投資を含めて8千億円の協力を約束した。アジア外交を巡り日本では何かと中国に対抗する論調があるが、複眼的に考えた方がいい。ミャンマーからみれば中国は少数民族問題など緊密に協議すべき隣国だ。日本は日本の得意分野で国づくりに貢献できればいい。道路、鉄道網の整備、電力の安定供給など インフラ整備が有効だ。経済面からも民主化する必要がある。スーチー氏の来日前、ロヒンギャへの弾圧が伝えられた。深刻な人権侵害に対し、スーチー氏は沈黙すべきではない。積極的に解決策を探ってほしい。そして、民主化の目標を高く掲げてほしい。

2016年11月4日金曜日

(3104)ミャンマー支援へ8千億円 首相、スーチー氏と会談

 11月3日の朝日より。副題は「中国にらみ関係強化」、「経済優先、庶民の不満に配慮」。安倍首相は2日、スーチー国家顧問・兼外相と元赤坂の迎賓館で会談した。首相は「官民合わせて5年間で8千億円規模の貢献を行う」と表明。日本企業を含む投資環境整備に協力して推進する方針で一致した。後発開発途上国援助額としては異例の規模(外務省幹部)という。その象徴は、水力発電所改修計画への円借款供与(約107億円)。日本は前政権が進めていた火力発電所計画を、スーチー氏が環境面から懸念していることに配慮し、環境負荷の少ない水力発電所改修路線に転換した。また、中国との強硬姿勢との対比を念頭に、太平洋とインド洋を「自由と法の支配」構想を進める。なおスーチー氏は、今後は庶民が望む経済優先の方向に進む。

2016年11月3日木曜日

(3103)スーチー氏在日ミャンマー人と集会・ようこそスーチー国家顧問

 11月2日の朝日新聞(朝刊・夕刊)より。ミャンマーのスーチー国家顧問兼外相が1日、来日した。4半世紀にわたる民主化運動を経て、3月末に新政権発足以来初めての訪問。東京都内では出迎えた在日ミャンマー人たちの歓迎を受けた。2日に予定されている会談で、安倍首相は官民挙げて支援する方針を確認する。2日の会合では、スーチー氏との対面を心待ちしたミャンマー人ら約千人が詰めかけた。スーチー氏は「祖国の利益のために何ができるか考えてほしい」、「新政権に加わりたい人は多いが、政府の役職が無くても国のために仕事はできる」と、知識や経験を活かすよう訴えた。さらに「他国の人よりも努力してこそ肩を並べられる」、「外国からの投資が必要だ」と述べ、外資を引き付けるためには、国民の資質を高めることが重要だ とも説明。

2016年11月2日水曜日

(3102)スーチー氏経済関係重視 きょう来日 新政権発足後初

 11月1日の朝日新聞より。副題は「日本、潜在力に期待」。スーチー氏が1~5日、日本を訪問する。4半世紀にわたる民主化運動を経て、3月末に発足した新政権で、初の訪日となる。政権安定に欠かせない経済成長のため、経済協力や、投資拡大を求める意向とみられる。日本側もスーチー氏に急接近する中国をにらみ、関係強化を図る。スーチー氏は8月に中国を訪問した。日本より先だった背景には、少数民族の武装組織との和平を新政権の最優先課題に掲げ、影響力のある中国の協力を取り付ける必要があった。10月には新政権の最初の半年間に、経済発展の遅れがあったことを認めた。日本側もミャンマーの経済発展の潜在力に期待を高めている。電力などのインフラ支援を通じて、日本企業がさらに進出しやすい環境づくりをうながす。

2016年11月1日火曜日

(3101)「望郷の思い伝える」 「先輩」目標くれた

 10月31日の朝日夕刊の続きから。高田馬場でミャンマー料理店を営むチョーチョーソー氏(53)は2日、ミャンマー大使館などが主催する在日ミャンマー人向けの会合でスーチー氏と対話する。最近25年ぶりに一時帰国したが、スーチー氏への期待の大きさに不安も覚えた。「日本のように長年の野党が与党になると、一生懸命だけではうまくいかない」。「母国で政治家になって貢献したいという。「今回帰国するが保証してくれるか」聞くつもり。一方伊藤忠商事に勤務する井上耕平さん(25)も来日を心待ちにする。前回京都を訪問したとき、京都大学のアメリカンフットボール部員で仲間と一緒にスーチー氏との交流会を催した。その際スーチー氏の歩みは部のモットー「不撓不屈」に重なる思いが。スーチー氏が京都を再訪問する、11月3日を期待している。

2016年10月31日月曜日

(3100)スーチーさん日本で再会待ってます

 10月31日の朝日新聞より。副題は「母としても応援」。あす来日 政権獲得後初めてだ。今春政権の座に就いたスーチー国家顧問兼外相(71)が11月1日、来日し5日までに東京や京都を訪れる。京都大学への留学経験など、スーチー氏と日本の縁は深い。「ミャンマー首脳」としての初来日を、ゆかりの人々は心待ちにしている。元同志社大非常勤講師の大津典子氏(77)は、2日、東京元赤坂の迎賓館で開かれる首相主催の晩さん会に招かれスーチー氏と再会する。長年、英国で暮らす息子との連絡役を務め、「母親としての思い」を打ち明けられる関係が続いてきた。今年5月にも多忙なスーチー氏に代わって英国で息子と会い、近況を伝えた。「これからも、母としての思いは、封印せざるを得ないが、とにかく心配しないでと伝えたい」(明日に続く)。

2016年10月30日日曜日

(3099)ミャンマーでジカ熱初確認

 10月28日のミャンマーニュースより。ヤンゴンの複数メディアは28日、ヤンゴンに住む外国人の妊婦が、ジカ熱に感染しているのを保健省が確認したと報じた。妊婦の国籍は不明だが、欧米系。ミャンマーでの感染確認は初めてという。ジカ熱はブラジルなど中南米を中心に流行が拡大。東南アジアでもシンガポールやタイで多数の感染が確認されており、世界保健機構(WHO)は9月に「地理的な拡大が続いている」と指摘している(以上)。10月5日の産経ニュースによれば、シンガポール環境庁は同国内におけるジカ熱感染者が400人以上に増えたと発表した。8月下旬に国内での感染が初めて確認された。これまで少なくとも16人の妊婦が感染した。そのほかバンコクで21人、フィリピンでも報告されている。タイでは、小頭症児2例が確認された。

2016年10月29日土曜日

(3098)SIG ミャンマーの2都市で就職フェアを開催

 10月28日のミャンマーニュースより。仏教の価値観が浸透しているミャンマーの人々は、素直で真面目、責任感が強いなどの国民性を持ち、親日国でもあることから、IT業界ではオフショア開発の委託先として注目されている。軍事政権が終わった2011年時点では約50社だったミャンマー日本商工会議所(JCCM)の会員数は現在320社まで増加している。グローバルイノベーションコンサルティング(GIC:岩永智之社長)はミャンマー第2の都市マンダレーで日系企業としては初めての大規模な就職フェアを10月1日に4百人収容のウイルソンホテルで開催、来場者は750人を数えた。さらに10月2日にはヤンゴンで5回目となる就職フェアを開催し、前回を上回る4百人が来場した。ミャンマーの優秀な人材に対する需要は 今後も高まると予想される。

2016年10月28日金曜日

(3097)世界で最も思いやりのある「寛大な国」はミャンマー 世界寄付指数

 10月26日のミャンマーニュースより。英国のCharities Aid Foundation(CAF)による世界調査で、ミャンマーが世界寄付指数で世界最高を記録し、最も思いやりのある「寛大な国」となった。世界寄付指数は平均1000人を対象に、世界140か国で実施。「見知らぬ人への人助け」、「寄付」、「ボランティア」に関する指数をそれぞれ出し、それらをスコア化して総合のランキングを決定する。ミャンマーでは調査対象者の10人に9人が「寄付」をすると回答し、他の国々を大きく引き離した。報告書では、ミャンマーが世界寄付指数の調査で、上位を付けたのは今回で3年目、その理由を国民の大半が上座仏教を信仰しているからだと分析。僧侶への寄付や布施が日常的に行われているからだという。2位は米国、3位はオーストラリア。日本は不明(昨年90位)。

2016年10月27日木曜日

(3096)ミャンマー難民帰国

 10月27日の朝日新聞より。アジアで最も長期化している難民問題とされるタイのミャンマー難民(約10万人)の本格的な帰還に向け、両国政府の合意に基づく初めてのパイロット事業として、71人が帰国した。難民は25・26両日、国境沿いにある9カ所の難民キャンプのうち、2キャンプから陸路でミャンマー東部のカレン州や、最大都市ヤンゴンなどに向かった。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のスピンドラー報道官は、「第一陣の数は少ないが、アジアで最も長期化している難民問題の最終的な解決につなげることが目的だ」と述べた(以上)。この帰還支援運動に日本のNGOも活躍を始めている。例えばJAPAN PRATFORMは両政府関係者とも密接に連携しながら、2013年4月から3年計画で、再定住や再統合などの準備を進めてきた。

2016年10月26日水曜日

(3095)「悪魔祓いの儀式」で子ども3人死亡 ミャンマー

 10月23日のAFP時事より。ヤンゴン近郊のトゥワンテで、呪術師を自称する男が幼い子供たちを虐待し、3人が死亡した。警察の発表や遺族の発言で22日に明らかになった。警察によると、死亡した3人は、3歳の男児と2歳の女児、生後8か月の赤ちゃんで、遺体に殴るけるの暴行を受けた跡があった。男は子供たちが悪霊に取りつかれていると家族に告げ、18・19日の夜に悪魔祓いの儀式を執り行い、その最中に暴行を加えた。男は村の住民らをトランス状態に導いた上で、衆目環視の中で子供たちを殺した。ミャンマーでは、国民の大多数が仏教徒であるが、精霊や占星術、「ヤダヤ」と呼ばれる厄除けの呪術も広く信じられている。国内にはスマートフォンや高級ホテルなどが、大量に流入したが、その反面占い師や呪術師に相談する国民も多い。

2016年10月25日火曜日

(3094)スーチー氏経済成長に向け本格始動 各国企業に投資呼び掛け

 10月24日のミャンマーニュースより。スーチー国家顧問は10月22日、各国の企業経営者や外交官ら約150名を首都ネピドーに集め、会議を開いた。スーチ-氏はスピーチで、新政権発足以降、経済成長が低迷していることを認め、ミャンマーで事業を展開する各国の企業経営者にさらなる投資を呼び掛けた。ミャンマーでは10月18日に新投資法が大統領の署名により成立したばかりで、今後、ミャンマーへの投資は外国企業でもミャンマー企業でも同法が適用される。大型プロジェクトは従来通りの投資認可プロセスだが、その他の投資に関しては、認可プロセスも簡素化されるため、抜群のタイミングで投資を呼び掛けたことになる。またスーチー氏は旧軍事政権時代に始まった米国による経済制裁が今月 解除されたことを強調し、投資を呼びかけた。

2016年10月24日月曜日

(3093)ティラワSEZ拡張へ(続)

 10月23日のミャンマーニュース(続)より。総面積2400㌶の広大な敷地を有するティラワSEZは、豊富な労働力をはじめ、既存港湾施設を活用できるなどが特長だ。2012年半ばからZONE(A)地区約400ヘクタールを対象に調査を開始、2013年10月には日本の3社が均等出資で設立したMMSTD社が49%、ミャンマー政府と民間企業が51%出資し、MJTD社を設立した。2013年11月に着工し、2014年5月に正式販売を開始。2015年9月に開業した。また同経済特区には日本企業だけではなく、ミャンマー、台湾、タイ、香港などのアジア諸国をはじめ、スエーデン、米国、オーストラリアなどの欧米諸国も進出。なおZONE(B)区域フェーズ1の工事開始の時期は、ミャンマー政府が取りきめている住民移転プロセスなどの状況を踏まえて検討。

(3092)ミャンマー・ティラワ経済特区拡張へ、合弁事業契約書を改訂

 10月23日のミャンマーニュースより。ヤンゴン郊外で日本とミャンマーが官民をあげて開発を推進するティラワ経済特区(SEZ)が拡張されることが分かった。同経済特区の開発を進める三菱商事、丸紅、住友商事の3社は10月21日、連名で追加開発に伴う合弁事業契約書の改定を発表。拡張計画は3社が均等に出資するM・M・S・ティラワ(MMSTD社)事業開発株式会社を通じて実施される。MMSTD社はJICA、ティラワSEZ管理委員会(TMSC)、ミャンマーティラワSEZホールディング株式会社(MTSH社)と、実際に工業団地の開発を手掛けるミャンマー・ジャパン・ティラワデべロップメント社(MJTD社)に関する追加開発に伴う合弁事業契約書を改訂。この結果MJTD社は2015年9月から開発された地区に加え、101㌶の開発・運営が可能に。

2016年10月22日土曜日

(3091)全長5.8㍍ ミャンマーで巨大なヒスイの原石発見

 10月20日のAFP時事より。ミャンマー北部のカチン州パーカンで先週、同国で過去最大で高品質のヒスイ原石が発見された。この原石は、同地にあるヒスイ採掘場の地中60㍍で発見された。大きさは5.8㍍で重さは170トン以上とみられる。その価値は約170億円以上との評価もあるが、視察した与党NLDのティ・ソー議員は約5億円との予想を示した。原石はあまりにも巨大で、所有者によると、これを移動させる装備がなく、発見された状態のままにされている(以上)。なお5月24日のミャンマーニュースによれば、パーカンのヒスイ採掘場で、大雨による土砂崩れが発生し、少なくとも11人が死亡した。さらに多数が行方不明という。土砂崩れが発生した当時、約50人が採掘を行っていたという。また、昨年11月にも約100人が犠牲になっている。

2016年10月21日金曜日

(3090)モディ首相スーチー氏と会談 ミャンマー支援強化で一致

 10月20日の毎日新聞より。ミャンマーのスーチー国家顧問兼外相とインドのモディ首相は19日、インドの首都ニューデリーで会談。スーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が政権についてからは初めての訪印。インドがインフラ整備や経済開発、人材育成などの分野でミャンマーを支援することで一致した。共同記者会見でモディ首相は、「ミャンマーの安定や繁栄に向け全面的な支援を約束する」と強調した。スーチー氏は「我々は若い民主主義国家、インドの協力は大きな助けになる」と述べた。スーチー氏の訪印は2012年11月以来だ。会談では、インドがミャンマー国境地域の安定化などでの協力も約束。モディ政権は東・東南アジア諸国との関係強化を重視し、ミャンマーの開発支援を通じ国境を接するインド北東部の発展につなげる狙いだ。

(3089)ヤンゴン近郊に大型倉庫 郵船ロジ

 10月19日の日経新聞より。郵船ロジスティクスは18日、ヤンゴン近郊のティラワ経済特区で大型物流倉庫の起工式を開いた。総投資額は約7億円、ミャンマーでは珍しい冷蔵機能を備えた最新式で、海外から輸入される国内市場向けの食品や部品の保存を手掛ける。2017年7月の稼働を目指す。敷地面積は約3万㎡、建屋面積は6200㎡、-20度、+5度、+15~20度の3つの温度帯で製品を保管できる。村上専務は「生産基地としても市場としても成長性が高く、商機は大きい」と強調した(以上)。同社は2016年4月にもティラワ経済特区に多機能物流システムをミャンマーで初めて建設することを発表していた。なおティラワ経済特区は、発電所など周辺インフラを完備したミャンマー初の大規模工業団地でヤンゴン管区タンリン郡で工事続行中。

2016年10月19日水曜日

(3088)ミャンマーでフェリー転覆 100人死亡の恐れ 定員超過か

 10月17日のAFPより。ミャンマー中部を流れるチンドウィン川で先週末、通勤、通学生が大勢乗ったフェリーが転覆する事故があり、これまでに32人が死亡、154人が救助された。地元当局がこの事故を17日発表した。事故が起きたのは15日早朝で、フェリーは北部ホマリンから中部モンユワへ向かっていた。捜索隊が川底に沈没した船体を発見し、32人の遺体を収容したが、多数が行方不明となっており、救助関係者によると死者は100人に達する恐れがあるという。AFPの取材に応じた地元当局者の話では、乗客の大半は学生や教師だった。大学生70~80人と、学校教師約30人、医師などで、定員よりも約100人も多い240~250人が乗船していたとみられる(以上)。なお12日にはロヒンギャを乗せた4隻のボートがマレーシアに漂着中。

2016年10月18日火曜日

(3087)スーチー氏来月初め訪日、安倍首相と会談、京都訪問も

 10月17日の時事ドットコムより。ミャンマーの事実上の最高指導者、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相が、11月2~5日の日程で来日し、安倍首相や岸田外相と会談する方向で調整していることが分かった。複数の政府関係者が明らかにした。ミャンマーで国民民主連盟(NLD)の新政権が発足した3月末以降、スー・チー氏が来日するのは初めて。安倍首相や岸田外相との会談は東京で行い、日本企業による投資促進やインフラ整備など、経済協力が主な議題となる見通しだ。スー・チー氏は1985~86年に京都大で客員研究員を務めた経験があり、京都訪問も希望しているという。安倍首相は今年9月にラオスでスー・チー氏と会談した際、早期来日を要請していた(以上)。なお、スーチー氏は、2013年4月13日~19日の一週間、来日 した

2016年10月17日月曜日

(3086)ミャンマー内務省が「テロ攻撃」に対抗する準備開始を発表

 10月10日のミャンマーニュースより。ミャンマー国営メディアによると、アウンソー内務副大臣(少佐)は10月7日に議会で、同国内で起こりうるテロ攻撃に対抗するための準備を開始することを報告。テロリストの監視、反テロ戦闘員の育成、要人警護など、広範囲にわたるテロ対策が含まれる。またテロとの戦いでは、地方や地域にとどまらず、国際警察、アセアン警察など同盟組織と連携し、情報交換、・収集を行う。また、首都ネピドーに中央、州、地域レベルで使用できる高度な技術が整備された国家レベルの緊急管理センターも設立する。さらにテログループの資金調達を防止するため、マネーロンダリングも根絶する。報告書によれば、潜在的なテロリストが入国した場合、国家警察により情報収集が行われテロの脅威をレベル1~レベル5に分類。

2016年10月16日日曜日

(3085)ミャンマー衝突続発 「過激派が支援の組織」

 10月16日の朝日より。ミャンマー西部のラカイン州で、治安部隊とイスラム教徒のロヒンギャとみられる武装集団との衝突が続いている問題で、大統領府は14日、中東やパキスタンの過激派の支援を受けた「アカ・ムル・ムジャヒディン」という組織の犯行と判明したとの声明を出した。当局が拘束した戦闘員らの取り調べで判明したという。ロヒンギャが多く暮らす国境地帯の支配が目的で、約400人の勢力があるという(以上)。この地区では過激派仏教徒の高僧Ashin Wirathu師も動いており、ロヒンギャ側にも過激派が参加するとすれば、一大惨事になる恐れもある。かつて過激派のISISの存在が報じられたが、もしロヒンギャ側にこのような武装過激集団が増えたとするとその収拾が困難だ。スーチー氏は前国連事務総長のアナン氏に依頼したが。

2016年10月15日土曜日

(3084)第三国定住難民(第7陣)に対する定住支援プログラムの開始

 10月6日の外務省発表資料より。1)本6日、第三国定住難民(第7陣)のミャンマーからの難民7家族18名に対し、東京都内の定住支援施設において、日本語教育、社会生活適応指導、職業紹介等の約180日間の総合的な定住支援プログラムが開始された。2)第7陣はマレーシア国内に一時滞在していた難民で、9月27日に来日した。3)定住支援プログラム終了後は、新たな定住先となる地域社会において自立生活を開始する。4)政府としては、今回来日した難民が今後、文化や習慣が全く異なる日本社会に定着し、安定した自立生活を営むことができるよう、幅広い関係者の協力を得ながら、支援を実施していく。なお参考のために、今回の分を含めて過去7年間に受け入れたミャンマー難民は総計31家族123名(以上)。成功を祈る。

2016年10月14日金曜日

(3083)ミャンマー宗教対立再燃 少数民族と当局衝突

 10月13日の日経新聞電子版より。ミャンマー・ラカイン州の宗教対立が激化している。今月に入りイスラム教徒の少数民族ロヒンギャと警察や国軍部隊が衝突し、20人以上が死亡した。
3月末に発足したスーチー国家顧問主導の新政権では最大規模の武力衝突だ。ロヒンギャを差別してきた政府の対応には国際社会の批判が強く、スーチー政権は大きな試練にさらされている。ミャンマー政府の発表によると9日にロヒンギャを名乗る武装集団がラカイン州北部のマウンド―の警察署を襲撃、これに反撃する国軍の掃討作戦で、10日までに双方合わせ17人の死者が出た。11日にはロヒンギャなど約300人が国軍部隊を襲撃し、新たに5人が死亡した。スーチー国家顧問は死亡した警官や兵士の遺族への全面支援とテロリストへの注意を呼び掛けた。

2016年10月13日木曜日

(3082)スーチー氏 和平に暗雲 ロヒンギャ武装集団か 衝突続発

 10月13日の朝日新聞より。ミャンマー西部ラカイン州で治安部隊とイスラム教徒ロヒンギャとみられる武装集団との衝突が相次いでいる。北部カチン州でも少数民族武装勢力への政府軍の攻撃が激化。スーチー国家顧問が最優先に掲げるロヒンギャ問題の解決や、国内和平実現に暗雲が垂れ込め始めた。バングラデシュとの国境に近いマウンド―近郊の村で11日、拳銃や刃物を持ったロヒンギャとみられる約300人の群衆が軍部隊に襲い掛かり、兵士4人が死亡、1人が負傷。10日には別の村でも銃撃戦となり4人を射殺した。武装集団と軍の衝突は、12日も、9日も発生していた。同州では2012年にラカインとロヒンギャの住民同士が衝突し、約200人が死亡した事件があった。ロヒンギャを中心に 今も12万人が避難民キャンプで暮らしている。

2016年10月12日水曜日

(3081)AFF U-19選手権 ミャンマーがインドネシアに勝利

 9月15日のミャンマーニュースより。アセアンサッカー連盟による「2016 AFF U-19選手権」のミャンマ―・インドネシア戦が、ベトナムの首都ハノイのベトナムサッカー連盟のトレーニングセンターで行われた。試合は序盤から点の取り合いとなり、前半12分、ミャンマー選手が先制ゴールを決めた。しかし、前半17分にはインドネシア選手が同点ゴールを決めて1対1に。前半28分にはミャンマー選手が、同44分にはインドネシア選手がそれぞれゴールを決め、2対2で前半を折り返した。後半は同点からのスタートになるが、後半10分ミャンマーが3点目のゴールを決め、インドネシアを再び引き離した。結局、3対2でミャンマーが勝利した。同選手権はアセアン各国のほか オーストラリアと東チモールが参加している(以上)。その後続報がなく詳細不明。

(3080)ミャンマー経済「開国」に沸く 米制裁を解除 インフラ資金調達に道

 10月12日の日経電子版より。米政府が旧軍事政権に協力的だったミャンマー企業に対する経済制裁を解除した。制裁に縛られていた現地有力企業が飛躍する契機になるほか、米企業のミャンマー投資も拡大する見通し。米ゼネラル・エレクトリック (GE)は電力や医療、航空分野の事業拡大を目指す。日本を含む外資系企業にとっても、ミャンマーでの提携先の選択肢が広がる一方、人材獲得など成長市場を巡る競争は一段と激しさを増す。軍政時代にいわゆる政商として力を蓄えてきた財閥企業名を以下に記す。*マックス・ミャンマー(金融・ホテル業など)、*アジア・ワールド(インフラ大手)、トゥ-・トレーディング(鉱山開発)、*ゼイカバー(建設・不動産など)、UMEHL国軍系複合企業)、*ミャワディ銀行(国軍系銀行)(以上)。一抹の不安も感じる。

(3079)希少なビルマ猫の「楽園」訊ねて ミャンマー中部

 10月8日の日経電子版より。以前はビルマ各地にいたビルマ猫は、1930年頃に純血種がほぼ姿を消してしまった。道路の発展で、人の移動が盛んになり、様々な猫が流入し雑種が増えたためだ。欧米などではビルマ猫を交配して生まれた種が多く、飼われている。しかし2008年に英国に本来のビルマ猫が残っているとわかり、ミャンマー国内での「復活」を目指した中国の研究者が、7匹を連れ帰った。その活動を引き継いだのが、インレー湖周辺の自然を守る「インレー・ヘリテージ」。高床式の一戸建ての猫小屋、ゆったりとした長椅子のある大部屋など豪華な施設を作って育て始め、現在は42匹の大所帯。施設は自由に見学できるので湖周辺のリゾートホテルに宿泊する外国人観光客も訪れる。なおインレー湖中の別の寺院にも20匹の猫がいた。

2016年10月10日月曜日

(3078)ミャンマーで武装グループが警察署襲撃、17人死亡、

 10月10日のNHKニュースより。仏教徒とイスラム教徒の間で緊張が続く。ミャンマー西部のラカイン州で、武装グループが3か所の警察署を襲撃して、合せて17人が死亡し、ミャンマー政府はこの地域に夜間外出禁止令を出して警戒を強めている。バングラデシュと国境を接するラカイン州のマウンド―で、9日早朝に掛けて武装勢力によって襲撃された。ミャンマー政府によると、3か所の警察署が武装勢力に襲撃され警察官9人と武装勢力側の8人が死亡、武装勢力側はそれぞれ20人から90人。ラカイン州では4年前に多数派仏教徒と少数派ロヒンギャが衝突して以来、双方で緊張が続いている。ロヒンギャの人たちを巡って、密航船に乗って相次いで周辺国に漂着し、国際的な問題になった。アナン前事務総長を委員長とする諮問委員会を発足。

(3077)ミャンマー制裁 米が全面的解除

 10月7日の朝日新聞ニュースより。米政府は7日、ミャンマーの軍事政権時代に始めた経済制裁をほぼ全面的に解除した。オバマ大統領は9月にミャンマーのスーチー国家顧問が訪米した際、制裁を解除する意向を示していた。軍や旧軍政に近い個人や企業との商取引の解除や、宝石類の輸入禁止などが解除された。元軍政トップのタンシュエ氏、その腹心で軍人議員選出で新政権入りした元軍人のミンスエ副大統領、軍閥関連企業など100を超える個人・団体が商取引を禁ずる制裁リストから削除された。ただ、米財務省は、ミャンマーの麻薬取引所や資金洗浄などへの対応について「懸念が完全に改善されていない」として、一部の対象者への制裁は継続する(以上)。このニュースは同日NHKでも放映、オバマ大統領はスーチー氏を高く評価。

(3076)近況報告

 私の排尿器官には数多くの結石がある。前立腺結石、膀胱結石・腎臓結石・尿管結石、尿道結石、そして胆石など、医師が指差すCT画面には異様な形の写真が並んでいる。そもそも結石の多い理由として、私はこの30年間に前立腺肥大で悩まされ、その影響で結石体質に変わったようだ。この結石が最初に動き出したのがライオン在任中の胆石での激痛であった。胆嚢削除後はこの種の痛みは無くなっていた。ところが先日、デイサービスの自転車漕ぎに力を入れ始めてから血尿問題が再発、しかも吐き気もあった。津田沼中央総合病院の泌尿器科の医師は、西田さんの場合「これだけ多くの石を持っているので、いつ石が排尿されるか分からないが、どんどん出血させたらいい」とのこと。一方、食欲不振で体重は現在62㌔で15㌔も減ってしまった。

2016年10月6日木曜日

(3075)除湿機のはずが加湿機購入 JICA

 10月6日の朝日より。国際協力機構(JICA)がミャンマーへの農業支援の一環で、本来は「除湿機」を注文すべきところ、誤って現地事務所の職員が「加湿機」を購入していた。検査院は加湿機11台の購入費約200万円は、不当な支出だと指摘する方針。関係者によると、2010年、稲の種子を保管する倉庫に除湿機を設置するため、現地の担当職員が複数の地元業者から見積書を取り寄せ、最も低い価格を示した業者に発注した。ただその業者が示した見積書は「加湿機」となっていた。英語表記で加湿機は「humidifier」、除湿機は「dehumidifier」。「de」の有無で意味は反対になるが、職員は確認を怠った。JICA広報室によると、検査後はミャンマー側と相談し温室内での植物や昆虫などの実験に活用し担当者は「再発防止に努める」と反省していた。

2016年10月5日水曜日

(3074)オランダ人観光客拘束 講話がうるさいとケーブルを引き抜く

 9月26日のAFPニュースより。ミャンマー第2の都市マンダレーで先週末、深夜に仏教の講話を流していたスピーカーのケーブルを引き抜いたとされるオランダ人観光客1人が宗教に対する侮辱罪の容疑で拘束された。現地警察によると、オランダ人のクラース・ホイテマさん(30)は、23日夜宿泊していたホテルからほど近いホールで講和を流していたアンプとスピーカーをつなぐケーブルを、音がうるさいとして引き抜いたという。ホールに集まっていた人々は怒り、ホテルに戻るホイテマさんの後を追った。その後ホイテマさんは近くの警察署に拘留され、さらに市内の拘置所に移送された。容疑は「宗教侮辱罪」。有罪になった場合は最高で禁固2年と罰金が科せられる。仏教大国のミャンマーでは、これまで複数の外国人が宗教侮辱罪で有罪となっている。

2016年10月4日火曜日

(3073)ヤンゴン国際空港新ターミナルがさらに充実

 10月3日の日本海外ツアーオペレーター協会のニュースから。2016年6月28日にソフトオープンした「ヤンゴン国際空港」新ターミナルの9月20日現在の状況は下記の通り。現在新ターミナルを使用しているのは、オープン時の3社から増えて全12社。出発ゲート内には、「ザコーヒービーン&ティーリーフ」や「バーガーキング」、さらに免税店も複数店が営業を開始している。今後さらに店舗は増え、便利になると見込まれている。新ターミナル利用航空会社は(オープン時の3社)ミャンマー国際航空、ベトナム航空、エアアジア、(新たに増えた9社)バンコク航空、中国国際航空、エミレーツ航空、シルクエア、シンガポール航空、香港エキスプレス、タイガーエア、タイ・ライオンエア、ミャンマーナショナル航空(以上)。上記は新ターミナルだけの状況と思われる。

2016年10月3日月曜日

(3072)ミャンマー北部の村に砲撃、子供1人死亡、2人負傷

 10月2日のAFPニュースより。ミャンマー北部の少数民族武装勢力の拠点であるシャン州の村で1日、砲撃によって2歳の女児1人が死亡、子供2人が負傷した。この状況を「カチン平和ネットワーク」の活動家と住民が語ってくれた。少数民族との和平を目指す政府の取り組みの妨げになる恐れがある。砲撃を受けたのは中国と国境を接するプワン村で、この村の少数民族武装勢力は長年国軍と交戦している。このため大勢の住民が避難を余儀なくされている。このことがスーチー国家顧問の和平実現への熱意に水を差している。カチン族指導者は、砲撃を行ったのはミャンマーの国軍との認識を明らかにしたが、国軍のコメントは得られていない。スーチー氏は全面的和平協議に乗り出しているが、ここ数週間 国境地帯では武力衝突が数件発生している。

2016年10月2日日曜日

(3071)「イオンオレンジ」がオープン

 10月2日のミャンマーニュースより。イオンオレンジ株式会社は9月29日、ヤンゴン市北部の北オカラッパ地区に、ミャンマーにおけるイオン1号店をオープンすると発表。同社は今年4月に設立され、ハイパーマート社が運営する14店舗のスーパーマーケットを譲り受け、9月1日に事業を開始した。同店は事業開始後初の新設店舗となる。同店は幹線道路沿いにあり、売り場面積は613㎡、店舗前面にはダイレクトパーキングを導入する。売り場には新鮮な野菜・果物、焼き飯、カレーなどのローカルフード、巻きずし、コロッケ、おにぎり、焼きたてのパンなどの食品のほか、日用雑貨品、生活家電、化粧品なども取り備える。日本ならではの「安全・安心」で高品質の商品と、従業員によるオモテナシのサービスで、ミャンマーで愛される店作りを 目指すという。

2016年10月1日土曜日

(3070)近頃の暮らし方

 私の暮らし方が9月1日を期して少し変化してきた。実は介護保険を利用してのリハビリに足を突っ込みだした。介護保険という国の制度がある以上、それを利用しない手はない。たまたま私は要支援2級で、デイサービスを週2回受けることが可能だ。9月から毎週月曜日と木曜日の朝、車がお迎えに来る。家内が「行ってらっしゃい!」と手を振る。当然私もぎこちないが手を振って出発。会場には、5・6人の先輩たちがいるが、圧倒的に女性が多く、齢は70~80歳ぐらい。こういうところに来ているおばちゃんは、皆愛くるしく、お喋り上手だ。男性は私以外に1人陶芸家がいるだけ。自転車漕ぎなど足の運動補助機器やマッサージ器具などいろいろあり、徐々に負荷を高めていくシステムだ。もちろん整体師による軽い体操や、マッサージもあり、講釈も楽しい。

2016年9月30日金曜日

(3069)国連はビルマに人権尊重の圧力を アムネスティ日本

 9月21日のアムネスティ国際事務局ニュースより。文民による新政権が発足してから6か月が経過した。新政権はこれまでに人権問題にいくつかの取り組みをしてきたが、現在も半世紀にわたる軍事政権が残した負の遺産に直面している。いまも続く紛争、ロヒンギャが抱える窮状、立ち退きを強いられる地域住民の人道支援、人権侵害加害者の処罰、ヘイトスピーチの抑止、抑圧的法律の改正など、殆ど進んでいない。過去四半世紀近く、国連総会は同国の人権問題に関する決議を採択してきた。軍部は依然として主要官庁を牛耳り、議会の4分の1の議席で憲法改正を阻止できる。国際的な圧力の緩和は時期尚早であることは明らかである。EUはビルマの人権問題に取り組む決議を提案してきたが昨年の決議での勧告はまだ十分実施されていない。

2016年9月29日木曜日

(3068)スーチー国家顧問が英国訪問 ジョンソン外相と会談

 9月14日のミャンマーニュースより。スーチー国家顧問兼外相が英国を訪問、歓迎したことをホームページに掲載した。スーチー氏の英国訪問は昨年の総選挙後初となる。両外相はロンドンのランカスター・ハウスで会談。ジョンソン外相は、民主化の進展と著しい経済成長により、目覚ましい発展を遂げるミャンマーを全面的に支援すると強調。また両外相は、ミャンマー政府と少数民族武装勢力の和平会議である「21世紀パンロン会議」と、今後の和平交渉のあり方について意見を交わした。さらにラカイン州において、アナン元国連事務総長を委員長とする「ラカイン州諮問委員会」が設立された件は、ロヒンギャ問題解決の第一歩とした。会談後同外相は、ミャンマーが文民政権を樹立したことは喜ばしいこととし、同国民の勇気ある行動の賜物と説明した。

2016年9月28日水曜日

(3067)スーチー氏、疲労によりしばらく休養が必要

 9月28日のミャンマーニュースより。9月26日、スーチー氏のオフィスは、2週間以上外国を訪問しているスーチー氏が、体調を崩していることを発表。スーチー氏はこの2週間、アメリカ、イギリスを訪問し、オバマ大統領との会談や、国連総会への出席をこなし、25日夜帰国した。71歳のスーチー氏にとっては、ハードなスケジュールだったようで、SNSにはヤンゴン空港で、車いすを使っている写真がアップされていた。スーチー氏は13日から16日、アメリカに滞在し、オバマ大統領と会談、経済的な制裁解除など、リーダーとして成果を上げた。21日にニューヨークで開かれた国連総会でも、スピーチを行った。しかし23日、国連のパートナーグループ・ミーティングは、医師のアドバイスにより欠席。症状に大きな問題はなく、疲れによる胃炎と診断された。

2016年9月27日火曜日

(3066)国連高官ロヒンギャ支援 ミャンマーに働きかける考え

 9月24日のNHKニュースより。ミャンマーで抑圧され、周辺国に逃れているロヒンギャの人の現状についてのシンポジウムが24日、マレーシアで開催された。出席したUNHCR=国連難民高等弁務官事務所の高官は、多くのロヒンギャたちが劣悪な環境での生活を強いられている旨発言。ロヒンギャたちは、ミャンマー西部で抑圧されている少数派のイスラム教徒で、去年密航船に乗って数千人がインドネシアやマレーシアに漂着した。ロヒンギャがたどり着いた周辺国では、不法移民として扱われ、劣悪な環境での生活を強いられている。さらに周辺国でロヒンギャ人が、人身売買の被害にあう例も持ち上がっていた。これらの状況から、「ミャンマー国内での状況を改善し、早期に帰国できるよう実行していく」とミャンマー政府への働きかけを強めるという。

2016年9月26日月曜日

(3065)BSIスペシャル「帰りたるわが故郷は~ビルマ難民25年目の帰国~

 9月24日21時のNHKBS1スペシャルから。日本には1988年8月の民主化デモ後の弾圧をきっかけに、政治亡命したミャンマー人たちがいる。今回の政権交代を契機に、彼らが四半世紀ぶりに祖国に戻った。そこで目にしたのは、依然として残る軍部の隠然たる影響力と、民主化には程遠い地方の厳しい現実だった。チョーチョーソー氏は、難民として日本に到着、高田馬場でミャンマー料理店を開き、日本での反政府活動のリーダーとして活躍、最近ではNHKのビルマ語放送を担当し、母国に話題を発信。ウーシュエバがキューを出す珍しい画面も。25年目のミャンマーに降り立ったが、88年代、共に戦った友人の多くは軍事政権側のUSDPに所属していた。彼は政治家になる決心をした。同じく帰国した友人は、アラカン軍と政府軍の争いを知った。

2016年9月25日日曜日

(3064)中尾先生の復帰をお祈りする

 今日9月25日、10時過ぎからミンガラ日本語教室のサヤガドーボエが開催された。ミャンマー人生徒約60人と、日本人教師約10人が集まり、式典及び食事会が盛大に開催された。そのあと、N2級合格者2名へのミンガラ奨励金(1万円)授与式を挙行した。N1級合格者にも奨学金5万円が用意されていたが、今回はN1級合格者は不在。そのあと恒例の講師連絡会が開催された。さてそれらの行事が行われる合間に、我らグループの中心的人物である中尾先生より、暫らくお休みしたいという厳しいお話をいただいた。当教室は先日20周年記念行事を行ったばかりであり、30周年目指して全員が活発に動き出していた。その矢先での中尾先生のお休み発言はまさに残念至極。涙を浮かべる生徒もいた。一同、中尾先生の一日も早い復帰を祈っている。

2016年9月24日土曜日

(3063)ミャンマーCTBTを批准 日本の支援約束 後押し

 9月18日の朝日新聞より。軍事政権時代に北朝鮮の支援による核開発疑惑も取り沙汰されたミャンマーが、包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准した。日本政府などの働きがけが奏功し、米ニューヨークで21日に開かれるCTBT関連の外相会合で岸田外相が報告する運びになった。岸田外相は5月にスーチー国家顧問兼外相と会談。CTBT早期批准に向けた支援を約束するなど、日本政府として後押ししてきた。海外からの投資拡大に力を入れるミャンマー側は、国際社会の疑念を払拭する狙いで批准に踏み切ったとみられる。CTBTは採択から今年で20年で、批准国はミャンマーを含めて計166カ国に達する。ただ発効には潜在的な核開発能力を持つ特定44か国(発効要件国)すべての批准が必要。中国 米国などは批准せず見通せていない。

2016年9月23日金曜日

(3062)出血・・・心配なし デイサービスでの自転車漕ぎもやれるぜガンガン

 昨日のこのブログで、出血事件を書いたところ、大勢の方からお見舞いの言葉をいただいた。有難いことだ。せっかく調子に乗ってきたデイサービスでの自転車漕ぎもできなくなるのか? 2日後に迫ったミンガラ日本語教室での日本語能力試験合格者表彰式にも出席できなくなるのか? 気持ちが大きく揺れた3日間であった。今朝早速行きつけの津田沼中央総合病院の泌尿器科を訪れた。いつもと同じ2時間余の憂鬱な待ち時間を経て、恐る恐る診察室へ。若い医師は開口一番「西田さんの膀胱には結石があるため、排尿時にこの石が尿道を傷つけて出血するのはごく当たり前、これからも血尿はあるはずで問題はありません」、「自転車漕ぎ、どんどん挑戦したら」とのご宣託。医師からこうもはっきり言われると苦笑するのみ。医師は固いイシが大切。

2016年9月22日木曜日

(3061)出血だ

 昨日(9月21日)朝10時ごろ、尿意を催しトイレに急行、しゃがむや否や先端部に激痛が、そして便器が真っ赤に染まっていた。このような現象が起きることは半年ぐらい前、中央病院の泌尿器科医師との会話で予測されていた。小生の膀胱や腎臓には直径数ミリの結石が数個あり、それらが飛び出す時に尿道を傷つけ、激痛と出血があるかもといった内容。当時は軽く聞き流していたが、昨日はそれを実体験、白い便器に描かれた赤い筋。怖かった。しかし、予告を知っていただけ、その恐怖は弱まったはず。すぐ中央病院の泌尿器科に電話すると、その日は医師が休暇を取っているとのこと、近くの泌尿器科クリニックに電話すると、「そのような異変には対応しきれない」とつれない返事。今朝の時点で、出血は止まったが、今日はどこも休診。弱ったなあ。

2016年9月21日水曜日

(3060)民主化の中のミャンマーメディア事情

 「放送研究と調査」(2015年7月号)より。副題は「公共放送への転換目指す国営MRTV放送局」。田中孝宣氏による14頁に亘る学術論文、そのポイントのみ転載する。2011年に軍政から民政に移管したミャンマーでは、民主化の波を受けて、放送にも大きな変化が起きている。かつては政府が完全管理してきた放送だが、商業放送局の参入で多チャンネル化が進み、海外の番組を含む様々な番組が放送されている。またこれまで軍事政権の声を伝える役割を担ってきた国営MRTVにも「公共放送化」する方針が示され、新たにニュース部門や、街頭インタビュー番組を始めた。しかし、職員の意識改革、人材確保、政府の干渉からの編集権の独立など課題も多い。法案審議も止まったままだ。ミャンマーのメディアの民主化の展開を注視する要がある。

2016年9月20日火曜日

(3059)スーチー氏との交渉、その舞台裏

 9月17日の朝日新聞デジタルより。07年10月、軍政トップのタンシュエは、アウンチー少将(労働副大臣)をスーチー氏との対話担当に命じた。それを受けてアウンチーは9回スーチーと会談した。当時の印象を聞くと、アウンチーは「タンシュエとスーチーを直接会わせたかったが、自分は両者の連絡係に過ぎなかった」。しかし軍政時代の対話は無駄には終わらなかった。テインセイン大統領時代にも、欧米からの経済制裁の緩和について、スーチーと話すように大統領から依頼された。その後2度目の会談で、スーチーは「国の発展のために政府に協力したい」と発言、そこから話が一挙に進んだ。そして、この一週間後にスーチー・テインセイン会談が実現した。アウンチーのように軍政の側にいながら、国を変えたいと考えた人たちがいたことも事実だ。

2016年9月19日月曜日

(3058)ティラワSEZ 住民移転テーマの作品が受賞 ワッタン映画祭

 9月17日のミャンマーニュースより。9月11日、ヤンゴンで開かれた「ワッタン映画祭」で、日本とミャンマーが共同で開発を進めるティラワ経済特区(SEZ)の住民移転問題を取り上げた「MOVE」がドキュメンタリー部門で受賞した。 移転を迫られる住民が、家族の墓を掘り返して移動させる様子を撮影したもので、掘り出した遺体の映像を盛り込むなど衝撃的な作品だ。2015年に撮影されたもので、住民が移転した後の生活には触れられていない。同監督は取材に対し「ミャンマー各地で同様な事態が起こっているので、大型開発であるティラワを取り上げた」と話している。住民移転を巡っては、ミャンマー当局が当初強引な立ち退きを迫ったことなどから問題化した。その後JICAが専門家を派遣して和解に務め、移転した住民の生活環境は 改善している。

2016年9月18日日曜日

(3057)ミャンマー CTBTを批准 日本の支援約束 後押し

 9月18日の朝日より。軍事政権時代に北朝鮮の支援による核開発疑惑も取り沙汰されたミャンマーが、包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准。岸田外相が今年5月にスーチー国家顧問兼外相と会談、CTBT早期批准に向けた支援を約束するなど、日本政府として後押ししてきた。海外からの投資拡大に力を入れるミャンマー側は、国際社会の疑念を払拭する狙いで批准に踏み切ったと思われる。CTBTは採択から今年で20年、批准国はミャンマーを含めて166カ国に達する。ただ発効には潜在的な核開発能力を持つ44カ国すべての批准が必要。中国、米国などは批准せず見通せていない。21日はニューヨークで、日本などが主導する2年に1度の「CTBTフレンズ外相会合」を開催。岸田外相は、北朝鮮に言及しつつ、ミャンマーの批准を報告する。

2016年9月17日土曜日

(3056)ヤンゴンで飽和状態の日本食レストラン、宅配弁当で新たな展開か

 9月17日のミャンマーニュースより。民主化の進むミャンマーでは、2012年から現在までに、日本人商工会議所に登録する企業は4倍を超え、増え続ける日本人駐在員を見込んで、ヤンゴンでは日本食レストランが乱立し、その数は100軒を超えた。その内容も「赤から」、「大阪王将」など日本のチェーン店が出店するケース、タイですでに成功を収めている居酒屋「しゃかりき432」など、海外経験のある店が進出するケース、日本の飲食店で出稼ぎしていたミャンマー人が帰国して店を開くケースなど様々。わずか100メートル程度に似通った日本食レストランが4・5軒も軒を連ねる通りもある。しかし味の濃いミャンマー料理に比べて薄味の日本食はミャンマー人の舌に合わず、苦戦。そこで注目されているのが宅配弁当。戦いの場は弁当にまで拡大中。

2016年9月16日金曜日

(3055)ミャンマー・中国国境沸く 戦時中の輸送拠点・ムセ

 9月14日の日経より。副題に「開発加速、貿易の要衝に」。シャン州北部の中心都市ラショーから険しい山道を走ること4時間、眼下に突如高層ビルの街ムセの市街地が出現。ここでは地方政府と地場企業が共同開発した商業エリアが来年開業する。中国側の雲南省瑞麗でも、年産15万台の完成車工場の建設を始めた。日中戦争時の援蒋ルートの要衝が、新たな国境貿易の場として活況を見せ始めている。15年度のムセ経由の貿易額は5400億円、ミャンマーの国境貿易の7・8割はムセ経由だ。さらに地域発の有力建設企業がムセに本社を構えた。またチャオピューからの原油パイプラインの中継地としても重要である。スーチー氏は中国重視の姿勢を再び強めており、援蒋ルートの要衝ムセは、70年経ってミャンマー経済の新たな軸になりそうだ。

2016年9月15日木曜日

(3054)スーチー氏訪米 オバマ大統領と会談

 9月13日・14日、日経新聞より。スーチー氏は14日から約2週間米国を訪問し、オバマ大統領と会談。両国の経済関係強化の足かせとなっている経済制裁の緩和を議論。3月末の新政権発足後では、ラオス、タイ、中国、英国に続く外遊だ。オバマ氏は会談後、対ミャンマー経済制裁を近く解除する意向を表明、時期については「間もなく」と語った。オバマ氏は、ミャンマーは新政権のもとで「社会、政治的に明確な変革があった」として民主化の進展を評価。米企業の投資や米国民の旅行を増やし、ミャンマーの経済成長と民主化を支えていく考えを示した。会談に先立ち、途上国から輸入した製品への関税を減免する優遇措置をミャンマーに対して復活させることを米議会に通知した。一方スーチー氏は「すべての制裁が解除される時が訪れた」と強調した。

2016年9月14日水曜日

(3053)新政権 少数民族との対話難航 モザイク国家に内戦長期化の重荷②

 肝心の会議も議論の中身は実りのあるものとは言い難かった。2日目は約10の少数民族の代表が順番に壇上に立ち、停戦に対するそれぞれの立場を主張した。カレン民族同盟は、「各民族が独自の憲法を起草する」、アラカン民族党は「資源開発権益と税源の移譲」、モンラー地方代表は「独自の司法権」を要求した。今回スーチー氏はいったんすべての争点を棚上げすることで、多くの武装勢力が停戦交渉のテーブルに就くことを優先したが、一方で少数民族側の期待が大きくなり、率直に要求するようになった。結局 今回の会合は、少数民族側の要求の多様さを確認しただけで、当初5日間の予定が、4日間で終了。これまで、国軍の力に抑圧されてきた 少数民族の要求がエスカレートし、スーチー氏がその統制に失敗すれば、国家分裂の火種をまく。

2016年9月13日火曜日

(3052)新政権 少数民族との対話難航 モザイク国家に内戦長期化の重荷①

 9月12日の日経電子版より。スーチー氏率いる新政権と少数民族武装勢力との政治対話が始まった。スーチー氏が特に重視する全土和平だが、対応に不満を持った中国系少数民族が途中退席したほか、資源権益などを巡る民族間の溝も浮き彫りになるなど波乱続き。130以上の民族がひしめくモザイク国家、ミャンマーのかじ取りの難しさを再認識させる船出となった。5日間の日程で幕を開けた「21世紀のパンロン会議」。テインセイン政権時代の2015年10月、8勢力との停戦にこぎつけたが、なお10勢力以上とは未停戦だ。会議の冒頭、スーチー氏は、内戦の終結が最優先事項であるとの考えを明らかにした。その視線からは亡父の意思を引き継ごうという強い意欲が現れていた。だがワ州連合軍(UWSA)退席問題で祝祭ムードは吹き飛んだ。

2016年9月12日月曜日

(3051)ミャンマー悩ます密輸品 税逃れ横行、健全市場遠く

 9月8日の日経新聞より。ミャンマーの飲料大手IBTCグループのアウン会長は次のように話す。昨年オランダ・ハイネケンとビールの合弁生産を始め、年内の工場拡張を予定するなど順調だが、悩みの種はタイなど隣国からの密輸ビールの安売りだ。タイや中国など5か国と接し、延べ6千キロの長い陸上国境を持つミャンマー。軍政時代から、ルーズな国境管理と、賄賂と引き換えに違法行為をお目こぼしにする腐敗官僚の存在が密輸の横行を許してきた。タイとの国境貿易の拠点であるミャワディ―、連日タイの缶ビールが小舟で運ばれてくる。60%の商業税が支払われず、密輸ビールの小売価格は約50円と正規品の半分だ。同社は、キリンなどとも連携して新政権に対策を陳情する。一方で、密輸は少数民族武装勢力の資金源であり根絶は困難。

2016年9月11日日曜日

(3050)国内和平実現へのファーストステップ バンロン会議が終了

 9月6日のミャンマーニュースより。9月3日、4日間の日程で開かれたバンロン会議が終わった。期間中には、参加した少数民族グループからの代表者がそれぞれの状況や見解を述べると同時に最も優先するべきなのは、お互いに理解し合うことだということで合意した。また全国停戦に向けた組織的なシステム(NCA)とガイドラインを構築することにも合意が取れている。具体的な結論には至らなかったが、国の和平と統一に向けた第一歩としての成果は認められている。スーチー氏は今回の会議が「ファーストステップ」であることを強調し、今後6か月以内に同様の和平会議を開催することも決定。軍事政権下では、軍による少数民族への暴行が数多く発生し、紛争地では違法取引など問題は解決していない。少数民族が持つ軍への不信感は根強い。

2016年9月10日土曜日

(3049)ミャンマーに1250億円⇒ホームドア予算の50倍 途上国支援桁違い

 9月9日の東京新聞より。政府は国内の鉄道事業者によるホームドア設置を補助する予算を22億円増額する。一方、安倍首相は8日までの外遊で、ミャンマーへ1250億円(貧困対策、農村開発など)、フィリピンへ164億円(大型巡視船供与)、ベトナムへ228億円(気候変動対策など)と発表。国内でのホームドア設置補助は税金や国債で集めたお金で、国会の議決が必要な一般会計から支出される。これに対し、東南アジアへの支援は、政府開発援助(ODA)の円借款を充てる。円借款はお金を貸し付ける制度で、一般会計のお金はほとんど使われない。円借款の財源の95%は、貸し付けを行う独立行政法人JICAの自己資金と特別会計からの借り入れで賄う。円借款は「外交のカード」という性格もあるが、財源の大半は国会のチェックが働きにくい。

2016年9月9日金曜日

(3048)スーチー氏、ミャンマーの実質トップ 各国首脳と会談

 9月9日の日経新聞電子版より。ミャンマーのスーチー国家顧問兼外相が事実上の国家トップとしての地位を固めつつある。6~8日にラオスで開いた東南アジア諸国連合(アセアン)関連首脳会議で精力的に各国首脳と会談をこなし、新政権の顔として振る舞った。本来、国家首脳として会議に参加する筈のティンチョ―大統領は同行しなかった。一連の会議の合間にスーチー氏は日本の安倍首相、インドのモディ首相、ベトナムのグエン首相らと個別に会談。首脳会議全体を通して軍縮や核不拡散などのテーマでアセアンのまとめ役を担ったという。今回のラオス訪問について、国軍系メディアを含め国内で目立った批判は出ていない。政権発足当初は不安定さが懸念されたスーチー氏が「大統領の上に立ち政権を統率する」構図が既成事実化されつつある。

2016年9月8日木曜日

(3047)ミャンマーへ1250億円 首相、スーチー氏と会談

 9月8日の朝日新聞より。安倍首相は7日、訪問先のラオス・ビエンチャンで、ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問兼外相と会談し、道路や橋、電気などのインフラ整備のため1250億円の支援を行うと表明した。ミャンマーの貧困対策や農村開発が目的。スーチー氏の早期訪日も要望し、スーチー氏は「できるだけ早く訪日したい」と応じた。両氏の会談は2013年5月以来で、スーチー氏が今年4月に国家顧問に就任してからは初めて。首相は会談で、「ミャンマーの経済発展、国民和解の実現に向けたスーチー氏の尽力を全面的に支援する」と述べた。またスーチー氏が「海外投資を促すため、新たな投資法を早期に施行したい」と伝えたのに対し、首相は「(日本側も)官民の緊密な連携のもと 民間投資を大いに促進したい」と応じた(以上)。喜ばしいことだ。

2016年9月7日水曜日

(3046)「トップ」、「ユンボ」 技術遺産に

 9月7日の朝日新聞より。本件ミャンマーと無関係で失礼。国立科学博物館は6日、科学技術の歴史や生活に大きな影響を与えた重要な成果として保存する重要科学技術史資料(未来技術遺産)に、合成洗剤「酵素パワーの【トップ】や油圧ショベル【ユンボ】など16件を新たに登録すると発表した。登録件数は合計225件になった。科博によると「トップ」は、ライオンが1979年に製造を始めた合成洗剤で、生活排水による環境汚染が問題視されるなか、低リン化と酵素のカプセル化で洗浄効果と安全性を向上させた。安全性を確保した酵素入り合成洗剤としてヒットした初の商品という。この他国産初の油圧ショベル「ユンボ」や、日本の標準機だった実用パソコン「98シリーズ」の初代機などが選ばれた(以上)。「トップ」は当時私もライオンにいて若干関与していた。

2016年9月6日火曜日

(3045)民族対立解決へ、スーチー氏動く

 9月6日の朝日新聞より。副題は「アナン氏の委員会設立」。ミャンマー政府は西部ラカイン州で、イスラム教徒のロヒンギャと仏教徒のラカインが対立している問題について、コフィ・アナン前国連事務総長をトップとする諮問委員会を設立し、5日にヤンゴンで初会合を開いた。スーチー国家顧問が問題解決に動き出した形だ。同州では2012年に二つの民族が各地で衝突し、約200人が死亡。いまもロヒンギャを中心に約12万人が避難民キャンプで暮らしている。この日の初会合で、スーチー氏は「解決策を見出す手助けを期待したい」と訴え、アナン氏は「同州の平和と和解発展に向けた努力を支援したい」と応じた。解決に向けた提言を1年以内にまとめる(以上)。スーチー氏が直接前面に出ることなく、いわゆる第3者機関に委ねる方法は、さすがと言えよう。

2016年9月5日月曜日

(3044)パンロン会議委員会 運営上の不手際をワ軍に謝罪

 9月5日のミャンマーニュースより。2日UWSA(ワ軍)が委員会の対応に不満を持ち、参加しなかった件で、ミャンマー政府はUWSAに正式に謝罪した。前日、政府は管理上の都合でUWSAのリーダーに登録カードを渡した。これをきっかけに誤解が生じ、9人のUWSA団はネピドーから去ってしまった。2日、主催者側の平和委員会副委員長が署名付きの手紙を送った。手紙では「8月31日、開会式と食事会にUWSAが参加してくれたことを嬉しく思う。全ての民族武装グループに公平に配慮する」と差別でなく誤解であったことを伝えた。1日の朝、UWSAの9名の会員カードが完全ではなく、ホールへの入場を拒否されたメンバーがいた。また、準備段階でもネームプレートが用意されていなかった。政府側の謝罪を受け、UWSA9名は 委員会会場に戻るという。

2016年9月4日日曜日

(3043)スーチーの軌跡 現実の先に⑥ 民主化へ対話に期待 最終回

 9月4日の朝日より。一仏教高僧は7月10日、法要のためスーチー宅に招かれた。この日はアウンサン将軍が1947年に暗殺された命日だった。家に入ると意外な姿を見かけた。国軍最高司令官のミンアウンフラインだった。「建軍の父である将軍の娘と、軍に育てられた司令官は姉弟のようなもの」と僧侶が言うと、スーチーは「弟は年上の言うことを聞かないといけない」と。最高司令官は笑顔で応じていた。スーチーは軍に強い政治的権限を与える現憲法の改正を訴える。しかし改憲には軍の同意が必要な仕組みになっており、最高司令官の協力がカギを握る。二人は直接話せるようになった。だが軍が柔軟になったのは、今はスーチーの勢いを止められないからだ。スーチーが理想を実現できるかは、今後の政権運営で期待に応えられるかにかかっている。

2016年9月3日土曜日

(3042)スーチーの軌跡 現実の先に⑤ 「独断」のひとり歩き

 9月3日の朝日より。スーチー率いるNLD政権が発足して1か月余りの5月、庶民が好む嗜好品キンマの店の店主は、知人の言葉に耳を疑った。「キンマ売りは月末までに店を閉めろと役人が命令して回っている」。キンマはビンロウの種子などを葉で巻いた紙タバコのようなもの。唾液が赤くなり街が汚れる。キンマ禁止はヤンゴンの一部でも命じられ、業者や大衆の反発を招いた。新政権は6月「禁止」を否定する声明を出さざるを得なかった。この騒動の発端は、スーチーだった。政権交代を控えた3月、大のキンマ嫌いのスーチーは会合でこう指図した。「消費を減らし唾液をまき散らさないよう、人々に指示を出すべきだ」。スーチーは、啓発を念頭にしていたようだが、部下が意図をくみ違えた。スーチーの「独断」が 独り歩きしかねない状況が生まれている。

2016年9月2日金曜日

(3041)ミャンマー和平へ 武装組織と初会議 スーチー氏率いる新政権

 9月1日の朝日新聞より。ネピドーで31日、内戦状態が続く政府と少数民族武装勢力の和平を目指す「連邦和平会議」が始まった。スーチー国家顧問の新政権下では初めて。スーチー氏には会議での議論を、軍政下で定められた憲法の改正につなげたい思惑もある。国内和平はテインセイン前政権下で進められ、約20の武装組織のうち8組織の間で昨年10月、全国規模の停戦協定が実現した。今回はスーチー氏の意向で、カチン独立機構やワ州連合軍など、17組織が参加、国連のパン事務総長も開会式に出席した。スーチー氏は北部にいる10万人の国内避難民らを念頭に、「彼らの苦境を忘れてはならない」と訴えた。今後は6か月ごとに開催する予定。スーチー氏は共に「改憲」を掲げる少数民族勢力との協議の場を使って、軍を説得したい意向だ。

(3040)スーチーの軌跡 現実の先に④ 妥協姿勢 戸惑う人権派

 9月2日の朝日新聞より。スーチーが今年6月、国連の人権問題担当者に述べた言葉が、ミャンマー社会の「変化」を期待する人びとの間で戸惑いを生んだ。「ロヒンギャ、という呼び名は使わないで」。国民の9割が仏教徒の同国で、イスラム教徒のロヒンギャは隣国から来た「バングラデシュ人」とみなされて市民扱いされず、迫害されてきた。ロヒンギャという存在を認めたくない国内の差別感情に配慮した、と受け止められた。「近年のスーチーは人権への意識が弱まり輝く星ではない」との説も。仏教徒の支持を失うと選挙に勝てない事情が背後にある。「軍と歩み寄った先の方針が見えない」との意見も。国際NGOの報告書(16年版)によれば、少数派保護や表現の自由などからみる同国の自由度は48番目の低さ、スーチーの手腕に厳しい目が注がれている。

2016年9月1日木曜日

(3039)スーチーの軌跡 現実の先に③ 補選で当選、旧敵と連携

 9月1日の朝日新聞より。下院議長だったシュエマンはスーチーに約束した。「まずは選挙に勝ちなさい。勝利して国会に来たら協力しましょう」。NLDは12年4月の国会補欠選挙への参加を決めていた。NLDは補選で43議席中41議席を得る圧勝で、スーチーも下院議員に当選した。シュエマンは約束を果たす。同年8月、下院に「法の支配委員会」なる常任委員会を新設し、スーチーを委員長にした。シュエマンは、国民の人気が高いスーチーとの連携なしに政治はできないと知っていた。スーチーが仕向けた動きだった。シュエマンなしでは、改憲は議題に上がらなかった。だが、テインセインらは本音では反対だった改憲は、結局実現しなかった。シュエマン自身も15年8月、党内抗争で敗れ失脚。そして同年11月の総選挙、国民は課題をスーチーに託した。

2016年8月31日水曜日

(3038)スーチーの軌跡 現実の先に② 大統領と会談、国政に道

 8月31日の朝日新聞より。「総選挙への政党登録はしない方がいいと思う」。スーチーは2010年3月23日、面会に来たNLD幹部のニャンウィンに告げた。NLDは6日後、同年に予定されていた総選挙に不参加を決めた。軍政は政党登録法で、刑に服す人物は政党党員になれないと定めた。同年5月まで政党登録しなかったNLDは非合法に。軍政は思惑通り圧勝してから、スーチーを解放した。テインセインは11年3月に大統領に就くと、今度はスーチーとの接触を模索した。「民政と称しても国際社会は認めない。スーチーの政治参加が必要になった」とみる。アウンチーとスーチーは7月に1年半ぶりに会談、協力を合意。同月19日、テインセイン大統領とスーチーが会談した。テインセインは、NLDが合法政党になる法改正を約束。国政参加への道が開いた。

2016年8月30日火曜日

(3037)中国、スーチー氏熱烈歓迎 トップ2が会談

 8月19日の日経より。中国の習近平国家主席は19日、スーチー国家顧問と会談した。経済協力を軸に関係を強化することを確認。政権ナンバー2の李克強とも18日に会談しており、アセアン域外初の訪問先に中国を選んだスーチー氏を異例の厚遇で迎えた。ミャンマーは2011年以降民政移管で発足したテインセイン前政権が中国依存を修正し、欧米に接近した。中国は米国に先駆けてスーチー氏を招き、南シナ海を巡る紛争などで後手に回った周辺外交で巻き返しを狙う。人民日報系の環球時報は19日、スーチー氏の訪中を「国家元首の待遇」とし、「ミッソン水力発電所」の建設再開を期待する」との社説も掲載。そのほかチャオピューでの工業団地の開発やダウェーで製油所の建設を計画中。またシャン州での3武装勢力は、突如停戦に応じると発表。

(3036)スーチーの記録 現実の先に① 「頑固な女」印象違った

 8月30日の朝日より。仏教徒らの反政府デモを軍政側が弾圧して1か月後の07年10月25日、ヤンゴンで自宅軟禁中のスーチーは4年ぶりに外出。行く先は車で3分ほどの政府のゲストハウス。デモ弾圧に対する国際社会の非難を和らげようと、軍がスーチーの対話役に任命した対話担当相、アウンチーとの会談のためだった。スーチーへの第一印象は「交渉できる相手」で、「頑固な女」との前評判は違っていた。二人は合計9回会談した。スーチーはタンシュエの「対決姿勢をやめ、制裁に反対すべき」との伝言を聞き、「姿勢を改め、制裁解除に向けて軍政と協力もする」と応じた。NLD一幹部は、「軍政と関係を築く必要があると考えるようになった」と話す。軍政との対話は10年1月に途切れた。スーチーの現実路線への転換が歴史的な道を開いていく。

2016年8月29日月曜日

(3035)スーチー氏訪中 思惑交錯

 8月19日の朝日より。主見出しの他に副見出しとして「中国離れ」懸念、「少数民族和平で協力」。スーチー国家顧問は18日、北京で中国の李克強首相と会談した。NLD主導の新政権が発足後、アセアン域外で最初の訪問国が中国となった。背景には、新政権に影響力を持ちたい中国と、少数民族問題などで中国の協力が必要なミャンマーの事情がある。会談では、ミャンマーの少数民族勢力との和平を巡る連携、中国企業が中国向けの水力発電用に投資する「ミッソンダム」の建設再開が議題となった。スーチー氏は8月31日に開く全武装勢力を集めた平和会議を開く意向だが、最大勢力のワ州連合軍が会議参加を表明、中国の意向が働いたとみられる。中國側が強く要望するミッソンダム事業の継続についてはスーチー氏のかじ取りが注目される。

(3034)スーチーの軌跡 事件の真相⑥ 仏教僧のデモ 見せた涙

 8月29日の朝日より。2010年11月まで7年余り続いた、スーチーの3回目の軟禁。NLDの古株キンキンウインも、娘と共に家政婦としてスーチー宅で軟禁された。「スーチーは朝5時に起き、お祈りや朝食の後見張りの兵士に買い物リストを渡すのが日課、あとはピアノを弾くなど政治とは無関係の日々。単調な生活に変化をもたらしたのが07年8・9月の反政府デモ。9月22日、僧たちは自宅前に押し寄せた。家政婦はスーチーと一緒に門を開け、内側から手を合わせた。この10万人規模のデモは、多くの死傷者を出して終わった。デモ僧のメンバーたちは「市民の大半は傍観するだけ」と残念がる。焦った軍政は08年に新憲法を制定、民政移管に一歩接近。だが僧たちの要求は一つも通らず、手法に限界を感じた。スーチーは再び日常を生きるだけだった。

2016年8月28日日曜日

(3033)スーチーの軌跡 事件の真相⑤ 軍政側と交渉も破談

 8月28日の朝日より。03年5月30日の襲撃事件後、消息不明になったスーチーを捜しに、国連事務総長特使ラザリがミャンマー入りした。スーチーと面会できたのは6月10日、インセイン刑務所だった。スーチーから出た最初の言葉は、「着替えたい」。そのあとで「仲間はどこ」。そして意外な言葉を。「ページをめくりたい。事件は忘れて軍政と交渉したい」。面会後ラザリは軍政№3のキンニュンを問い詰める。「刑務所収監は対外関係に大きなリスクだ」。キンニュンは「暗殺から守るには刑務所の方がいい」。その後軍政は歩み寄りの姿勢を見せる。8月に首相に就いたキンニュンはスーチーをヤンゴンの自宅に移した。刑務所での発言をなぞるようにスーチーはキンニュン側と3回交渉したがタンシュエの意向で04年春破談、その後キンニュンは失脚してしまう。

2016年8月27日土曜日

(3032)ライオン、タイで衣料用洗剤増産 能力1,5倍に

 8月17日の日経新聞電子版より。ライオンはタイで衣料用洗剤を増産する。約20億円を投じて新たな設備を導入、普及が進む粉末洗剤の生産能力を現在の1.5倍に高める。タイ国内だけでなく、生活水準が向上するカンボジアやミャンマーなどへの輸出も視野に入れる。ライオンのタイでの洗剤シェアは2位、増産で首位の英蘭ユニリーバを追う。タイ中部にあるシラチャ工場近くに用地を取得した。新たな製造ラインを建設し、来年7月の稼働を目指す。同国では衣料用洗剤は粉末洗剤が主流という。ライオンは「パオ」や「エッセンス」など高価格品から低価格品まで複数のブランドを展開しており、幅広い世帯からの購入を見込む。販売面では現地のサハ・グループと組んでおり、サハのネットワークを通じて開拓する。今後は歯磨き、歯ブラシも伸ばしていく。

(3031)スーチーの軌跡 事件の真相④ 軍「暴徒訓練」の証言

 8月27日の朝日新聞より。2003年5月の襲撃事件はどう仕組まれたのか。当時軍政№3で情報部門トップだったキンニュンが昨年出版した自伝が興味深い。最高指導者タンシュエが地方遊説で人気を増すスーチーに危機感を抱き、キンニュンら5・6人の側近に「必要な手段」を指示したと書いた。軍は沈黙しているが軍が市民を使って襲わせたとみられる。「スーチーと支持者を撲滅するか?」 「そうだ!」。軍政の下部組織が主催した地方青年の訓練キャンプだ。参加者を入れ替えながら1か月以上続いた。訓練参加者の多くが駆り出されていた。ずっと黙ってきた。知り過ぎて怖いという。別の襲撃要員集めの方法も。USDAの地方幹部として「偉い人が来る。接待役を集めろ」と上司に言われ20人を派遣した。本当は襲撃目的だったと、事件後に知った。

2016年8月26日金曜日

(3030)ミャンマーに円借款1000億円 新政権下で初

 8月26日の日経電子版より。日本政府はミャンマーに約1千億円の円借款を新規供与する方針を固めた。鉄道や水道などのインフラ整備が中心になる。3月末にスーチー国家顧問率いる新政権が発足して以降、新規の円借款は初めて。ミャンマー新政権には中国なども接近を強めており、経済援助で先行し関係強化を急ぐ。9月6日~8日にラオスで開かれるアセアン関連会議の期間中に、安倍首相が表明する方針だ。今回の円借款は、社会インフラ整備などを目指す新政権の要望を反映したもの。現地ニーズに関係がない支援事業も多いとされる中国との差別化を図り、スーチー氏の早期訪日にもつなげたい考えだ。16年度の経済成長率がアセアン最高の8.4%と予想される有望な市場だ。工業団地開発など幅広い分野に日系企業が参画している。

(3029)スーチーの軌跡 事件の真相③ 巧みな運転 危機脱出

 8月26日の朝日より。ディペイン・チー村で03年5月30日夜、棒などで武装した大勢の暴徒に囲まれ、警護担当らは困った。スーチーが「絶対に反撃してはダメ」ときつく命じたからだ。サンドバッグのように殴られるだけだった。それでもスーチーは襲撃を切り抜けた。運転手は荷台に仲間を載せると猛スピードで村を脱出。数キロ進むと、今度はトラック数台が道をふさぎ暴徒が待っていた。「今度こそ殺される」。そう思った運転手は高速で前進、衝突寸前にハンドルを右に切った。その時の運転手が、昨年の総選挙で下院議員に当選したNLDのチョーソーリンだ。暴徒を振り切ると、スーチーは「警察に事件を捜査させよう」と主張した。約20キロ進んだ街で道路封鎖中の警官を発見、だが 意に反して拘束される。スーチーは仲間と切り離され、消息が途絶えた。

2016年8月25日木曜日

(3028)スーチーの軌跡 事件の真相② 「演説して」と通せんぼ

 8月25日の朝日新聞より。ミャンマー中部のディぺイン地区のチー村、真っ暗な夜道をスーチーの車列が次の遊説先に向かっていた。すると一人の仏教僧が現れ、「ぜひここで演説してほしい」という、2003年5月30日のことだった。スーチーは2回目の自宅軟禁から解放されると、精力的に地方を遊説した。チー村の事件現場はそこから10キロ北。軍政が許可した訪問先ではなかったため、同乗のNLD幹部は僧の頼みを断る。すると僧は車列の前に走り込み通せんぼした。「どうして去るんだ、こっちは昼から飯も食べず、みんなで待っていたのだ」。NLD側はいぶかったが、スーチーは「やりましょう」と言って僧に手を合わせた。村出身の僧は取材に事件への関与を否定した。襲撃者はこの機を狙っていたようだ。車列が停まるや百人以上の暴徒が現れた。

2016年8月24日水曜日

(3027)スーチーの軌跡 事件の真相① 村の襲撃13年前の悲劇

 8月24日の朝日より。今年5月30日朝、約5百世帯が暮らすミャンマー中部ディペイン地区チー村で、村民約3百人が僧院で祈りをささげた。「13年前に起きた悲劇を忘れません」と一人が語った。この事件が起きたのは2003年5月30日、2回目の自宅軟禁を解かれたスーチーが暴徒の集団に襲われたのだ。真相は今も不明だが、3回目の軟禁は10年11月まで続いた。「スーチーは法の支配を強気に訴えたが、軟禁は長引いた。彼女が妥協もする現実的な政治家になっていくうえでも節目の事件だった」。国連のミャンマー特使だったラザリ・イスマイルは振り返る。村民たちが事件の追悼行事を始めたのは13年から。軍への配慮からかスーチーが沈黙してきたあの事件、ようやく語り始めた目撃者によると、「ぜひ演説を」という仏教僧の懇願から始まった。

2016年8月23日火曜日

(3026)スーチーの軌跡 逃した機会⑥ 遊説続行宣言 再び軟禁

 8月23日の朝日新聞より。2000年8月、スーチーはNLDメンバーら十数人とヤンゴンからフェリーでヤンゴン川を渡り、対岸のダラ地区に着いた。近郊の町でNLD青年部を立ち上げるためだ。暫らく走ると警察官に行く手を遮られた。警察は「この先に行く許可は出さない。戻りなさい」と命じたがスーチーは応じなかった。ここで車内籠城が始まった。軍事政権は国会の開会を要求するスーチーの行動を制限した。スーチーはその後も、地方遊説を阻まれ、4度の「車内籠城」で抗議。籠城9日目の深夜、大勢の警官が近寄ってきた。力ずくで車に乗せられ、スーチー宅に送り返された。スーチーは9月15日に記者会見を開き「再び地方に出る」と宣言、ヤンゴン中央駅で乗車を拒否され翌日未明に警官らによって自宅に戻された。2回目の軟禁は02年5月まで続く。

2016年8月22日月曜日

(3025)スーチーの軌跡 逃した機会⑤ 夫の最後会えぬまま

 8月22日の朝日新聞より。スーチー宅の1階の空き部屋にベッドやカーテンが運ばれた。英国人の夫マイケル・アリスが前立腺がんで重篤な状態になったとの一報が。スーチー宅の調理係だったミンソーは1999年始め頃と記憶している。マイケルは「最後の日々」を妻と過ごすため、ミャンマー政府に入国ビザを申請していた。スーチーは自宅の1階に部屋を用意したのだ。だが軍政は3月にスーチーが英国に出向くべきだと声明を出した。スーチーは最初は行きたそうだったが、再入国できるか不安があったので、結局行かないと決めた。マイケルは53歳の誕生日、3月27日に英国で死去した。スーチーは4月2日に自宅で初七日法要を行った。「自分の気持ちを抑えられる強い人」とはミンソーのスーチー評だ。「誰にも恨みはない」。スーチーは いまもそう語る。

2016年8月21日日曜日

(3024)スーチーの軌跡 逃した機会④議員拘束、NLD封じ

 8月21日の朝日より。ヤンゴンでの大学生らのデモが鎮圧された1996年12月頃、NLDのタンウインのもとに「副党首宅に来るように」との知らせが届いた。彼は90年の総選挙で議員に当選していたが、軍政は国会を開かなかった。この副党首宅で会合は「党の政策決定権はアウンシュエ党首とスーチー書記の二人に委ねる」という委任状への署名のためだ。スーチーは96年に2回集会を開こうとしたが、軍政はそのたびに議員を一時拘束して妨害していた。軍政はNLDの動きを封じつつ、経済発展のため対外開放を始め、96年は「観光年」として外資導入を図っていた。スーチーは98年9月、議員251人の委任を受けたとして、国会に代わるメンバー10人の委員会を組織した。だが「立法府」を名乗る組織の立ち上げは、軍政との対決をより決定的にした。

2016年8月20日土曜日

(3023)スーチーの軌跡 逃した機会③ 学生デモ 軍政へ反発

 8月20日の朝日新聞より。96年12月2日ヤンゴン大学近くの交差点が、約500人の若者で埋まった。ヤンゴン工科大の学生でデモの中心を担ったトゥインリンアウンは訴えた。「民主主義は国民の願いだ、我々学生は規律を持って活動しよう」。彼はスーチーを物足りないと感じていた。「ミャンマーは南アフリカの状況には達していない」と民衆デモによる圧力こそが必要と信じていた。デモは、12月6日まで続いた。軍政は7日未明参加者らを拘束、全国の大学をその後4年間閉鎖。トゥインリンアウンは翌年逮捕、5年間投獄された。NLDはデモへの関与を否定、軍政はこれを機にNLDへの抑圧を強めた(以下。8月19日の朝日より)。スーチー氏は8月18日、中国を訪問、李首相と会談した。「中国離れ(特にミッソンダム問題)」「少数民族和平問題」を討議。

2016年8月19日金曜日

(3022)スーチーの軌跡 逃した機会② 対話なく対立深まる

 8月19日の朝日より。大阪大の南田みどり教授は、96年8月、ヤンゴンにスーチーを訪ねた。彼女の伝記を書くための取材だったが、スーチーは「個人的なことは言いたくない」と素っ気なかった。6年間の自宅軟禁から解放直後の前年7月にも面会していたが、その時はスーチーはよく笑っていた。軟禁から解放後の1年で、軍事政権とNLDは対決色を強めていた。軍政はNLD関係者を相次いで逮捕・拘束した。また95年11月、新憲法制定を目的に93年に設置した国民会議をNLDがボイコットした。スーチーは「対話実現まで出席しない」と訴えると、軍政は態度を硬化。翌日NLD代議員の資格を抹消した。軍政の広報担当者は当時のスーチーを「会議不参加で軍政との信頼構築の機会を逸した」と評する。対話を通じての民主化、その展望が 曇り始めた。

2016年8月18日木曜日

(3021)スーチーの軌跡 逃した機会① 軟禁解除 変化へ期待

 8月18日の朝日より。95年7月10日、NLD本部の女性部リーダー・メ―ウィンミンの所に党員の一人が興奮した様子で飛び込んできた。「スーチーが解放されたらしい」。彼女はすぐに車でスーチー宅に向かった。軍事政権はこの日、6年に及んだスーチーの軟禁を解いた。スーチー軟禁中の90年の総選挙ではNLDは議席の8割を得たが、軍政は無視、支配体制を固めていた。スーチーにノーベル平和賞が贈られた91年、軍政は党首のアウンシュエに解党の脅しを掛けてスーチーを党から除名させた。しかし解党直後にスーチーとリーダーらが一堂に会しているのを見て「世の中が変わるかもしれない」と思えた。翌日、南アフリカが94年に民主的な選挙を行った例を挙げ「私たちが同じことをできない理由はあるでしょうか」とスーチーは軍政に対話を訴えた。

2016年8月17日水曜日

(3020)スーチーの軌跡 政治の舞台へ⑧軍の弾圧 そして軟禁へ

 8月17日の朝日新聞より。スーチーが群衆の前で演説していると、軍のトラックが大音量で警告を発した。「集会は軍事政権の命令に違反している。今すぐ解散しなさい」。スーチーは負けじと怒鳴り声で話を続け、相手の声が途切れると言い返した。「ほかに言いたいことはないか」。1989年4月のニャウンドンでの一触即発の対峙だった。軍はこの頃からスーチーの活動妨害を強め、逆にスーチーは、「不当な権力には抵抗を」と訴える民衆動員型の闘争を始めた。父で建国の英雄アウンサンが暗殺された記念日「殉難者の日」の7月19日に、ヤンゴンの殉難者廟に市民と参拝すると宣言。だが市内の厳戒態勢に参拝を断念。軍政はこの件を理由に、スーチーを最初の自宅軟禁にした。スーチーが再び姿を見せるのは、6年後になる。(政治の舞台編は終了)。

2016年8月16日火曜日

(3019)スーチーの軌跡 政治の舞台へ⑦ 軍批判 怖いもの知らず

 8月16日の朝日新聞より。スーチーの自宅にはさまざまな階層の人が集まりだした。国立大学図書館司書のミンスエはスーチーの個人秘書として支えた。88年9月、軍事クーデターが起きた。スーチーはNLDを結成、89年にかけて各地を遊説、怖いもの知らずといった様子だった。NLD幹部会議で、彼女があまりにも軍批判をしたので、幹部の一人が『少し態度を和らげた方がうまくいくのでは』と意見したが、彼女は『これでも言い足りないぐらいだ』と態度を変えなかった。89年7月のヤンゴンでの集会では1万人の聴衆にこう呼びかけた「法律に反する命令や権力を発動しているから、私たちには反攻する義務が生ずる」。心配した伯父のアウンタンは「寝具を用意しておきなさい」と刑務所収容を恐れて忠告。スーチーは「用意しています」と答え、覚悟を示した。

2016年8月15日月曜日

〈3018〉スーチーの軌跡 政治の舞台へ⑥ 若い力知り、奮い立つ

 8月15日の朝日新聞より。民主化の指導者に、との要望をスーチーに断られ、ニョーオンミンは憤慨した。1988年8月中旬のことだった。だが数日後、スーチーは再び彼を含む若手活動家を自宅に招き 切り出す。「父の果たせなかったことをやりたい。一緒に働きましょうよ」。「スーチーは8月15日付で書簡を政権に送ったが返事はなかった。ニョーオンミンは「彼女は手紙より行動、そして若い力が必要だと気付いたはず」と話す。知識人たちも裏で働きかけていた。映画監督のモートゥは8月中旬、仲間数人で彼女と会い、政情を議論したあと、「最高の娘をアウンサンは残した」と語る。世界に知られるようになったのは8月26日のシュエダゴンパゴダ前の演説だった。「平和的に規律を持って意志を示そう」。そのとき訴えた非暴力主義はいまもぶれていない。

2016年8月14日日曜日

(3017)スーチーの軌跡 政治の舞台へ⑤ 帰国、民主化運動と距離

 8月14日の朝日新聞より。日本での研究を終えて1986年に出国したスーチーは、ミャンマーに数か月滞在後英国に戻って暮らしていた。88年4月初旬、英国人の夫と2人の息子を残して再び帰国する。直前の3月中旬、独裁政権に反発した民主化運動が始まっていた。だがスーチーはしばらくは、デモや政治集会とは関わりがなかった。帰国は3月末に母キンチーが急病で入院したためだった。いとこのゲーママタンは「スーチーは面会者をあまり受け付けなかった」という。とはいえ、政治情勢に無関心ではいられなかったはずだ。各地で抗議する民主化勢力は多くの負傷者がこの病院に運ばれていた。大学講師のニョーオンミンが訴えた。「あなたの父アウンサンのように、民衆を指導しようとは思わないのか」。スーチーはなお情勢を見極めようとしていた。

2016年8月13日土曜日

(3016)スーチーの軌跡 政治の舞台へ④ 民族衣装と親友の言葉

 8月13日の朝日新聞より。京都大の客員研究員だったスーチーは1986年6月ごろ、大阪外国語大で講義した際「ロンジー」をはいていた。当時大学院生だった土佐桂子は、「上着とも合い洗練されていた」と話す。70年代から親交のある大津紀子は、「英国でもロンジー姿でたまに外出したのは、自分がビルマ人だと宣伝する意味があったと思う」。英国ではリバティ社の花柄の布が好きで、自宅でロンジーに仕立てていた。母国愛の背景にあるのが、自分は独立の英雄アウンサンの長女という自覚だ。86年春大津は滋賀県の自宅に来ていたスーチーに考えを告げた。「私があなたならビルマに帰る」。スーチーは下を向いていた。しばらくの静寂の後「ノリコ、あなたは正しい」と答えた。スーチーは同年7月 9か月余り暮らした日本から英国への帰路に就く(続)。

2016年8月12日金曜日

(3015)スーチーの軌跡 政治の舞台へ③ 「英雄の娘」自覚深める

 8月12日の朝日より。1985年10月、大津市の旅館の宴会場。京都大学の客員研究員として来日していたスーチーは浴衣姿の男性らに熱心に問いかけていた。「アウンサンについて何か知っていますか」。スーチーが2歳の時、父は暗殺された。「父を知る人達から少しでも情報が欲しい」。スーチーにお願いされ、同志社大大津典子講師が連れて行った。大津は英国留学の際、スーチーと意気投合した。スーチーは京都滞在中、大津の自宅によく遊びに来た。英国では2児の母だったスーチーが、京都では威厳が出てきたと大津は言う。86年6月ごろ、スーチーは大阪外語大で講義をした。ビルマ文学について話していると、後ろの席から学生のおしゃべり声が聞こえた。「前に出なさい!」とスーチーはすぐに注意。「言うべきことは言う人」と大野徹教授は感じた。

2016年8月11日木曜日

(3014)スーチーの軌跡 政治の舞台へ② 父の足跡 日本で探る

 8月11日の朝日より。1988年、大野徹(大阪外大ビルマ語教授)はスーチーが政治指導者になったと知って驚いた。スーチーは建国の英雄アウンサンの長女ではあったが、母国の民主化に身を投じるような印象はなかった。72年に英国人のチベット研究者マイケル・アリスと結婚し、オックスフォードに永年暮らした。15歳からインドや英国で暮らしてきたスーチーは、ビルマ語よりも英語の方が楽のような感じ。85年には父の業績研究のため京都大の客員研究員として次男のキムを連れて来日。日本語の論文も辞書を引きながら読みこなしていた。来日の最大の目的は、第2次世界大戦時に旧日本軍と協力し、ビルマ独立を目指した父の足跡をたどること。父を知る日本人から話を聞き、父に関する資料を読む中で、スーチーは英雄の娘である事実を再認識。

2016年8月10日水曜日

(3013)スーチーの軌跡 政治の舞台へ① 「第2の独立闘争」訴え

 8月10日の朝日より。88年8月26日、独裁政権に反発して民主化を求める数十万人が、シュエダゴンパゴダの西門前を埋めていた。「来る」とうわさが広まっていた。「英雄の娘」が集会の壇上に立った。「父の娘として、私は首をすくめているわけにはいかない。これは第2の独立闘争と言えるのです」。当時ネウイン将軍の統治下にあった。スーチーの言う「第2の独立闘争」は、父が率いた独立運動が念頭にあったのは明らかだ。「アウンサンの娘の登場に参加者はなにより勇気づけられた」と識者は振り返る。「民主主義の獲得には国民の団結が必要です。団結しなければ成就できません」。そうも訴えたスーチーは父の功績を研究し、母国への熱い思いを胸に刻んでいた。この日を境に「アウンサンの娘」は指導者として歩みだす (「政治の舞台へ」編続く)。

2016年8月9日火曜日

(3012)スーチーの軌跡 大統領の上⑥ 軟禁支えた人材指名

 8月9日の朝日新聞より。ミャンマー国会で3月10日、新大統領の選出手続きが始まった。予定より1週間早まったのは、スチーが自身の大統領就任のために目指した憲法条文の凍結を断念したためだ。「大統領にはティンチョーがいいと思う」。ス―チーが本人に告げたのは総選挙で大勝した後だが、本人は驚いた様子は見せなかった。「スーチーに言われれば引き受ける」との読みは側近らにもあった。ティンチョーは国民的詩人ミントゥウンの息子。父は1990年総選挙でNLDから議員に当選、養父はNLD創設メンバー、妻はスーチーの友達だった。新政権発足後の4月6日、スーチーは事実上の政権トップに就いた。「国家顧問」就任は、軍側の反応を見ながら自身の大統領就任の可能性を探り、最終的に対立を避けて繰り出した秘策だった(本項終り)。

2016年8月8日月曜日

(3011)スーチーの軌跡 大統領の上⑤ 政権と対立 凍結を断念

 8月8日の朝日より。2月11日テインセインが動き出した。スーチー氏の大統領就任を可能にする、憲法の一部凍結案を準備してから3日後だった。「我々は憲法の凍結案に反対だ」。驚きは広がった。NLD幹部は「元軍政トップのタンシュエが認めれば決まりと思っていた」と振り返る。タンシュエは昨年12月にスーチーと会談した際に、スーチーが国家指導者になることを認めるような発言をしていた。NLD幹部は「強行すれば、凍結法案が憲法裁判所に送られ 政権交代が先送りになる懸念があった」と話す。2月17日、スーチーは軍最高司令官ミンアウンフラインとの会談に臨む。同席したNLD 幹部は、凍結案について「直接は話し合わなかった」と話す。だが軍側が現状では「スーチー大統領」を認めない姿勢は確認。凍結案の断念は スーチー自身が決めた。

2016年8月7日日曜日

(3010)スーチーの軌跡 大統領の上④ 確実な政権移行へ戦略

 8月7日の朝日より。ミャンマー軍事政権が首都ネピドーに建設した国会議事堂は、NLDのシンボルカラーだいだい色の上着姿の新人議員でごった返した。昨年の総選挙に基づく新国会が召集された。憲法の条文を一時凍結しようとするNLDの試みも動き出していた。2月8日、大統領を選出する権限のある上下両院合同の連邦院が招集された。NLD所属の議長は「大統領選出手続きを3月17日に始める」と宣言。1か月以上先に設定したのは、その前に「凍結法案」の審議時間を確保するため。同時に「NLD政権」への確実な移行を考えた戦略でもあった。NLDが本気で「スーチー大統領」を目指していたのだ。テインセイン大統領の立法府権限は任期満了まで続く。結局法案は作られなかった。背景に 想定外ともいえる政権側の強い反発があった(続く)。

2016年8月6日土曜日

〈3009〉スーチーの軌跡 大統領の上③ 軍政実力者の容認獲得

 8月6日の朝日より。昨年12月2日、スーチーはミンアウンフライン最高司令官と初めて会談。スーチーは「私たちは憲法改正を法の枠内で実現する」と話した。ミンアウンフラインは反論しなかった。しかし会談後、ミンアウンフラインは記者団に「よい会談だった」と友好ムードを演出した。スーチーはさらに2日後、スーチーと連携するシュエマンの仲介でタンシュエと孫2人をまじえて極秘会談。自らが長年弾圧したスーチーが国家指導者になることを認めた。タンシュエの孫はフェイスブックに2人のやり取りをこう記録している。スーチー・・・「恨みの念は全くない。軍を含むすべての勢力と協力するためタンシュエ氏と話し合う必要がある」。タンシュエ・・・「国の発展のために努力するなら私も最大限協力したい」。軍政実力者がスーチーを新政権指導者と認めた発言だ。

2016年8月5日金曜日

(3008)スーチーの軌跡 大統領の上② 憲法「凍結」の道も模索

 8月5日の朝日新聞より。昨年11月のミャンマー総選挙でNLDが大勝した直後、NLD内部で一つの検討が始まった。「大統領の上になる」方法論で、スーチー氏は「国家顧問」という形で実現した。しかし別の案の検討も進めていた。スーチー氏の大統領就任を阻む「外国籍の家族がいる人物は大統領になれない」という条項を、新政権の任期5年に限って凍結するという案だ。「国会の過半数の賛成で憲法の条項は凍結できる」と解釈したのだ。この凍結案にスーチー氏も関心を示し、「詳細に検討するように」、かつ「メディアに漏れないように」と注意を促したという。凍結案は昨年12月、旧軍政系政党の所属ながらスーチー氏と連携する下院議員からメディアに語られた。NLDの方針と悟られず、軍や世論の反応を見極める狙いがあったとみられている(続く)。

2016年8月4日木曜日

(3007)憲法を逆手 国のトップに スーチーの軌跡①

 8月4日の朝日新聞より。総選挙を3日後に控えた昨年11月5日スーチー氏は政権を取れば「大統領の上に立つ」と発言、その真意が明らかになったのは5か月後の3月31日、第217条「行政権は大統領にある。しかし国会が国の機関や人物に対して責務や権限を付与することを阻むものではない」。この条項を「改正すべきではない条項」に分類、この素案が3月31日に国会に提出された。政権奪取の秘策、「国家顧問」が誕生したのだ。「寝耳に水」の軍人議員は「憲法の趣旨に反する」と強く反発したが、国会の過半数を握るNLDが押し切り、5日後にスピード可決した。法案提出のタイミングを含め、軍側が何も手が出せないように用意周到な準備を進め、一気に可決したのだ。スーチー新政権を軸に、半世紀続いた軍政から脱却を図るミャンマーを追う。

2016年8月3日水曜日

(3006)タイとミャンマー 変わる隣人関係②

 前日より続く。80年~90年、日本企業が続々とタイに進出し、タイは急速な経済発展を遂げた。一方ミャンマーは「ビルマ式社会主義」が破たんし、軍政による民主化運動弾圧と、欧米諸国からの経済制裁で困難の時期を迎えた。大規模な移民労働者の流入の背景だ。大規模な移民労働者のいるタイが今の経済規模を維持するには、常に200万人の外国人の流入が必要である。ミャンマー人労働者を抜きにはタイの経済は考えられない。しかしそれでも反ミャンマー感情はちょくちょく顔を出す。「なぜ我々のかつての王都アユタヤを焼き尽くした連中を支えなければならないのか」と。最近 タイの識者は「タイに必要なのは、ミャンマーであったような軍と民主化勢力の妥協と調整」という。スーチー氏も「両国民がお互い隣人でなくなるわけにはいきません」という。

2016年8月2日火曜日

(3005)タイとミャンマー 変わる隣人関係①

 8月2日の特派員レポートより。6月下旬タイ中部の水産業の街をスーチー国家顧問が訪問した。国家顧問として初めての公式訪問であり、その最初の日程をタイで働く同胞をねぎらうためにあてた。対話集会に参加できたのは500人だけで、その周辺には数千人の同胞が集まっていた。規制したのはタイ側であり、民主化を巡る近年の「逆転現象」は複雑で示唆に富んでいた。2日目の大学生との集会では、スーチー氏の講演中、「報道人は出てください」とタイ外務省職員の声が。タイ人はミャンマーとの比較に敏感だ。14世紀400年続いたアユタヤ王朝は、ミャンマーからの2回の攻撃で滅亡した。この怨念は今も続く。一方でタイ経済はミャンマーからの移民労働者によって支えられている。不法滞在者を含めると、400万人に達するとも言われている(続く)。

2016年8月1日月曜日

(3004)カチン州のヒスイ鉱山、310社が今月末までに事業を停止

 7月30日のミャンマーニュースより。カチン州のヒスイ鉱山で作業する鉱山会社のうち310社が、今月末までにヒスイ産業に関するライセンスを停止されることが分かった。2018年までに、他の鉱山会社もライセンス期限が切れる。政府は、国際的な作業環境基準と計画を満たしている企業に対し、ライセンスを与えていた。現在700社ほどが鉱山で事業を行っているが、その多くは18年までに期限切れとなる。ライセンスは、国営のミャンマー宝石企業が行っている。新政権による自然資源環境保護省が宝石生産や管理に関するルールを変更したため、ライセンス更新ができなくなったという。政府は度重なる地滑り被害や環境破壊、違法取引の横行などを理由に、方針を見直している。カチン州のヒスイ鉱山が注目されたのは、採掘場にある廃棄物の崩壊事故

2016年7月31日日曜日

(3003)ミャンマー新政権 経済政策の方針を発表

 7月29日のNHKニュースより。3月に発足したミャンマー新政権は、インフラ整備や国有企業の民営化の促進などを柱とする、経済政策に関する新たな方針を発表。ミャンマーでは、スーチー氏が事実上率いる新政権によってどのような経済政策が打ち出されるかが、日系企業を含めた外国企業の間で注目されていた。こうした中チョーウイン国家計画・財務相が29日、ネピドーで発表した。これによると、発電所や道路、港湾などのインフラ整備を優先的に進めるほか、国有企業の民営化などによって経済を活性化させ、新たな雇用を生み出すとしている。工業製品の輸出だけでなく、食料の増産など農村の振興にも配慮。JETROでは「日本には工業だけでなく 農業の分野でも高い技術力があるので、今回の方針を受け必要な協力を進めていきたい」と発表。

2016年7月30日土曜日

(3002)イオンがミャンマーで食品スーパー運営へ

 7月30日のNHKニュースより。流通大手の「イオン」は、高い経済成長力が見込まれるミャンマーで、日本の小売業として初めて食品スーパーの運営に乗り出すことになった。イオンによると、来月上旬にもミャンマーで小売業などを手掛ける企業と合弁会社を設立して、現地で食品スーパーの運営に乗り出すとしている。当面は合弁相手の企業がヤンゴンを中心に展開している食品スーパー14店舗を運営し、年内にも新規の出店を始める計画だ。高い成長が見込まれるミャンマーは、アジアの「最後のフロンティア」と呼ばれており、日本の大手小売り業の進出は初めて。イオンはこれまでに東南アジア5カ国で食品スーパーなどの運営を行っているが、ミャンマーにいち早く進出することで、新たな市場を開拓したい考えだ(以上)。なお、店名は「イオンオレンジ」。

2016年7月29日金曜日

(3001)ヤンゴンの鉄道改修を日本が支援 交通渋滞低減へ2億ドル拠出

 7月28日の産経ビズより。ヤンゴンで日本の支援により鉄道環状線の改修の動きが進んでいる。国営鉄道幹部が、改修によって1日当たりの乗客数を現在の1日あたり7万3千人から、19年までに26万3千人に引き上げる目標を発表した。改修費用の210億円は日本が拠出する。現在ヤンゴン市内には総延長46キロ、38駅を周回する環状線が運行している。しかし車両や設備の老朽化が進み、遅延が常態化、鉄道幹部は1周の所要時間を2時間50分から、2時間に短縮したいという。その他、信号の自動化、ディーゼル燃料と電気の両方を動力とする新車両も購入する予定という。将来は地下鉄が効果的との説も浮上している。その計画によるとマニラやブノンペンより早く整備が完了するという。ミャンマー最大の省都の発展を左右する計画になりそうだ。

2016年7月28日木曜日

(3000)ワッハッハ 連続3000回のブログ達成

 ミャンマー関連というテーマで今日まで、毎日毎日ブログを発信してきた。参考のために第1回目のテーマは、「避けたい力の分散・矮小化」というもので、2008年5月19日に発信したもの。内容は例の聖火リレーの時テレビで中国の赤い旗を見たが、それに反対するチベット人は黄色い旗のもと整然とデモをしていた。在日ミャンマー人は30以上のグループに分かれ、それぞれが独自の旗を振っているので迫力に欠けるという、当時の私の印象をそのまま書いたもの。念のために1001回目のテーマを探し出すと「新政権は民主化への行動を」。ちょうどテインセイン大統領が誕生したときであるが、この国には大統領以上の権力を握るポストがあるとし、タンシュエ国軍司令官の存在を懸念した。私が見てきたミャンマーの歴史は意外と的確だったかなと一安心。

2016年7月27日水曜日

(2999)ミャンマー計画・財務相「外資誘致5年で3兆円」

 7月27日の日経新聞電子版より。ミャンマーのチョーウイン計画・財務相は日経の取材に応じ、今後5年間で3兆円の外国投資を目指すと発表。証券市場の外資規制を緩和し、経済特区整備も加速、これまで手薄だった農業や製造業の投資も呼び込む。日本には人材育成面の貢献を求めた。計画・財務省は新政権による再編で、国家計画省と財務省が統合して生まれた新省庁。チョーウイン氏は初代トップとして経済計画の立案や、財政運営、証券市場の監督などを統括する。テインセイン政権の5年間の外国直接投資は2兆9千億円、チョーウイン氏は新政権の5年間で前政権を上回る外国投資を目指す。またヤンゴン証券取引所(YSX)の活性化を図る。さらにティラワは同国にとって最も重要な場所という。今後は非効率な国有企業改革に取り組むという。

2016年7月26日火曜日

(2998)ミャンマー携帯普及急進 アジア最低から年内100%

 7月26日の日経新聞より。ミャンマーで携帯電話の普及が加速している。2年前にはわずか1割だった普及率は、新規参入した外資主導で年内にも100%に達する見通しだ。複数の事業者による競合で料金が大幅に下落し、ノルウエーのテレノールなどが、相次ぎ第4世代(4G)サービスを導入したことが利用を後押ししている。新規参入や新たな周波数帯域の開放も予定され、競争はさらに熱を帯びそうだ。11年の民主化前のミャンマーは、国営郵電公社(MPT)が携帯電話市場を独占していたが、14年7月にKDDIと住友商事連合が参加、同8月にはカタールのウーレドゥーが、同9月にはテレノールが相次ぎ参入した。「ミャンマーの携帯市場の成長は一足飛びだ」とテレノールは言う。3社の基地局は15年末の8千カ所から17年中に1万7千カ所に倍増する。

2016年7月25日月曜日

(2997)ヒスイ取引衰退が映す、ミャンマーの中国離れ②

 (昨日より続く)アセアン諸国の外交は、南シナ海で領土紛争を抱えるフィリピン、ベトナムは「中国牽制」、中国の経済支援に従属するラオス、カンボジアは「親中」が基本軸だ。フィリピンが仲裁裁判を申し出たのを機に、これまで中立だったインドネシアやシンガポールが、「中国けん制」に回るなど、アセアン内部でも中国への態度に変化がみられる。今まで「親中派」とみられていたミャンマーが曖昧な態度を取るようになった。6月14日の中国・アセアン特別外相会議にスーチー氏は参加せず沈黙を守る。スーチー氏はヒスイに対する鉱物資源開発の不透明性に疑問を持つ。「いずれ枯渇する天然資源よりも、人材育成の方が重要」という。ヒスイはその役割を終えた。これらは旧軍政時代の遺品に過ぎない。新国家建設に進むスーチー氏にとり古い産業だ。

2016年7月24日日曜日

(2996)ヒスイ取引衰退が映す ミャンマーの中国離れ①

 7月22日のNikkey Asian Reviewより。ミャンマーが世界最大の輸出国であるヒスイ販売が低迷している。輸出の9割を示してきた中国の国内需要が振るわないためだ。中国との蜜月の象徴だったヒスイ産業の苦境は3月末に新政権が発足したミャンマーの外交と経済政策の変化も映し出す。6月24日にネピドーで「ミャンマー・ジェムズ・エンポリアム」が開幕。取引の大半はヒスイで、6千点がオークションに掛けられた。厳重に警備されて1室では8億円の原石も。しかし今年の展示会は沈んでいた。中国側の贅沢品追放運動や、腐敗撲滅で価格が暴落中。去年希望価格が50万ユーロだったヒスイが、20万ユーロに変わっている。中国として重要なのは買い手としてだけではない。ミャンマー北部では資源開発分野を中心に中国企業が相次ぎ投資に進出(続)

2016年7月23日土曜日

(2995)スーチー氏、来月にも訪中 調整

 7月22日の朝日新聞より。スーチー国家顧問・兼外相が8月にも中国を訪問する方向で両国政府が調整を始めた。ミャンマー政府関係者によると、中國側の強い要請があり、8月中旬の実現を目指している。3月末にNLD主導の新政権が発足して以降、スーチー氏は隣国のラオスとタイを訪問。訪中が実現すればアセアン域外では中国が最初の訪問国となる。中国はインド洋に面するミャンマーを重視し、NLDを弾圧した軍事政権を支援してきたが、政権交代の観測が強まるとNLDに接近。新政権発足直後に王毅外相がネピドーを訪れ、スーチー氏の最初の外相会談の相手になった。中國には南シナ海問題を巡る対アセアン外交で味方につけたい思惑もあり、一方、スーチー氏も、国内少数民族勢力を集めた和平会議を目指し、中国の協力を得たい意向だ。

2016年7月22日金曜日

(2994)「脱中国」図るミャンマーで高まる日本の存在感②

 (昨日から続く)融資額は2014年には前年の2倍近い983億円に膨らんだ。日本政府もミャンマーへの援助に積極的で、交通インフラ整備や都市計画裁定には1000億円規模のODAが実施される見通しだ。現在も日本援助のもと、ヤンゴンの下水道の再整備、気象観測レーダーの建設などが進んでいる。ヤンゴン近くのティラワで、三菱、丸紅、住友といった大手商社が、工業団地の開発を行っている。ミャンマーの最大の貿易相手国が中国なのは今も変わらないが、欧米諸国や韓国も参入している中で日本が健闘している背景には、歴史的な関係の深さや親日的な市民感情もあるようだ。その一つが「日本語ブーム」だ。こうして順調に存在感を増す日本だが、日中、日韓関係を損ねてきた日本は、歴史認識問題をミャンマーで繰り返さないよう 注意が必要。

2016年7月21日木曜日

(2993)脱中国」図るミャンマーで高まる日本の存在感①

 7月20日のNewSphere誌より。民主化を果たし経済発展著しいミャンマーで、日本が存在感を増している。英フィナンシャル・タイムズ紙(FT)は、日本・ミャンマー双方の「中国依存からの脱却」という視点で伝えている。長年続いた軍事政権が終焉した2011年以降、急速な経済発展を遂げているミャンマーでは、アメリカと旧宗主国の英国をはじめとする欧米勢、中国、韓国などの企業が豊富なビジネスチャンスを巡ってしのぎを削っている。FTは「新政権に移行した5年間でミャンマーの日本企業は6倍になり、日本語教室がブームになり、同国の産業と社会的なプロジェクトに日本は巨額な投資を行っている」と書く。同紙は「東南アジアにおける中国に対する最強のカウンターバランス」と考え、一方ミャンマーは長年続いた中国との関係を見直す気運だ(続く)。

2016年7月20日水曜日

(2992)ミャンマー国軍トップが初参加

 7月20日の日経新聞より。ヤンゴンで19日、独立運動の指導者アウンサン将軍の功績を記念する「殉難者の日」の式典が開かれ、国軍トップのミンアウンフライン総司令官が初参加した。アウンサン将軍は、アウンサンスーチー国家顧問の実父で、命日の19日は祝日に指定され、毎年ヤンゴンの霊廟で記念式典が開かれる。国内では、国軍とスーチー氏の関係改善を示す出来事と受け止められている(以上)。なお同日のTBSでも同様趣旨のニュースが流れた。式典参加者は、ミンアウンフライン国軍総司令官のほか、ミンスエ副大統領などが出席、軍と対立するスーチー国家顧問は追悼式典には参加せず、終了後に殉教者廟を訪れ、花を手向け、地面に手をついて2礼、父の功績をしのんだ。アウンサン将軍は1947年のこの日、閣僚ら8人と暗殺された。

2016年7月19日火曜日

(2991)焦点:米国は「静かな外交」展開、南シナ海の緊張緩和を狙う

 7月15日の朝日ディジタルより。南シナ海における中國の領有権を否定した仲裁裁判所の判断に乗じて、フィリピンやインドネシア、ベトナムなどのアジア諸国が、攻撃的な行動に出ないよう、米国が静かな外交政策を展開している。オランダ・ハーグの仲裁裁判所が、12日に下した裁定を受けて、事態を収拾させようとする米国の努力は、台湾がその翌日、南シナ海の南沙諸島に軍艦を派遣したことで早くも後退を強いられた。台湾の蔡総統は出航前の甲板で、目的は領海の防衛だと乗組員に伝えた。今回の仲裁裁判は、7月末にラオスで開かれるアセアン会議で最重要課題となる見込み。もし米国の試みが失敗し争いが対立へとエスカレートする場合は「米海軍と空軍が領有権争いが続く地域での航行の自由を守るため準備を整える」と防衛当局は説明。

2016年7月18日月曜日

(2990)スーチー氏、未停戦勢力と初協議 和平会議実現へ一歩か

 7月18日の朝日新聞デジタルより。スーチー国家顧問は17日、政府軍との全国停戦協定に応じていないカチン独立機構(KIO)など7つの少数民族武装組織の代表とヤンゴンで初めて協議した。スーチー氏はすべての当事者を集めた和平会議を8月下旬にも開きたい意向で、参加を呼び掛けた。同国では1948年の独立直後から、自治権の拡大などを求める少数民族の武装勢力と政府軍の間で内戦が続いてきた。2011年、テインセイン前大統領は、全武装勢力との全土停戦を目指したが、昨年までに約半数の8組織しか応じなかった。スーチー氏は今年3月NLD主導の主導の新政権が発足したのち、国内和平の実現を当面の最優先課題に設定、これに応じていない勢力を和平協議に加えたい意向。7組織は政府軍による北部での攻撃中止を要求した。

2016年7月17日日曜日

(2989)パスポート再発行の遅れで、マレーシアのミャンマー人労働者逮捕の可能性

 7月16日のミャンマーニュースより。マレーシアで働くミャンマーの季節労働者は、在マレーシア・ミャンマー大使館がパスポートを詳細に調査している関係で、季節労働者のパスポート再発行が遅れ、パスポートの期限が切れるために逮捕される可能性があるという。情報によると、逮捕者数は季節労働者の約15%に上るものと推測されている。マレーシア政府は、パスポートの期限が切れた季節労働者を対象に、「6Ps」と呼ばれる一時的なパスポートを発行することにしている。この4年間で同大使館は6万件の「6Ps」を発行した。しかし申請者の中には、虚偽の記載をして入手した者がいるとみられ、大使館では確認作業に追われている。マレーシアに在住するミャンマーの季節労働者は少なくとも50万人 その多くが法的に保護されていない状況のようだ。

2016年7月16日土曜日

(2988)難民 寄る辺なき若者たち (タイ・ミャンマー国境から)

 7月16日の朝日(風)欄より。タイでは9カ所のキャンプに約10万人のミャンマー難民が暮らす。カレンなど少数民族の武装組織と国軍の戦闘が激化した1980年代半ばに大量の難民が発生した。最初のキャンプができたのが84年。32年経ち「忘れられた難民」と呼ばれる。山を下りた国境の町メソトは、巨大なショッピングモールができ好景気に沸いている。難民の帰還も現実味を帯びてきた。だが気になる話を耳にした。難民の自殺が急増しているという。難民第一世代は、凄惨な経験をしてもなお望郷の念を失っていない。だがキャンプ生まれの世代は、自分は誰で、なぜここにいるのかを答えあぐねるアイデンティティー喪失の危機にある。国連によると、紛争や迫害で住んでいた地を追われた人は昨年6530万人。難民はすべてを失って祖国を出るのだ。

2016年7月15日金曜日

(2987)ティラワ工業団地2年で800億円投資誘致

 7月15日の日経電子版より。日本の官民が開発を支援するティラワ工業団地への累計投資額が明らかになった。2014年春に入居企業の募集を始めて以来、16カ国・地域の73社が進出を決定。約2年で7億6千万ドル(約800億円)の投資を集め、外資誘致のけん引役になっている。年内の拡張も予定され、20年までの累計投資額は10億ドルに達する見通しだ。今回明らかになった2年間の累計投資額は、特区以外での外資製造業の投資額の3割に相当する規模。ティラワはミャンマー国内に3カ所ある経済特区の一つ、進出企業は税制優遇などが受けられる。進出を決めた73社の半数を日系企業が占める。すでに開発済みの区画の8割超が埋まっていることから隣接地の拡張も検討されている。20年度までに新たに3億ドルの投資が期待される。

2016年7月14日木曜日

(2986)南シナ海で自制呼びかけ ミャンマー

 7月14日のバンコク時事より。ミャンマー外務省は13日、声明を発表し、南シナ海問題を巡る12日の仲裁裁判の判決に関し、「緊張を高める恐れのある活動を自制し、脅しや武力行使を控えるよう、すべての当事者に促す」と訴えた。中国の主張を退けた判決については「留意する」とし、「判決の域内外での影響を検討している」と直接の評価を避けた(以上)。米国のヒラリー前国務長官は仲裁裁判所の判決を「歓迎する」と発表、米大統領報道官も「航行の自由が必要」とした。また国連のパン事務総長は、「対話による解決」を再三強調し、従来の立場を崩さなかった。韓国報道官は「仲裁裁判判決に留意し、これを契機に南シナ海紛争が平和的に解決されることを期待する」と発表 中國への配慮をにじませた。中國メディアは「領土譲らず」 判決に批判一色。

2016年7月13日水曜日

(2985)ミャンマー政府が森林の伐採禁止措置を発効

 7月11日のミャンマーニュースより。国家資源・環境保全省はパゴー山地の自然資源保護のため、今後10年間、森林の伐採を禁止。国内の主要な森林地域であるパゴー地方域、ラカイン州、シャン州、カチン州は、2016~17年会計年度から伐採を禁止される。ただしパゴー山地を除く、他の3州では次会計年度以降、材木生産が再開される予定である。森林局次長は、パゴー地方域では、チーク材の違法な伐採が相次ぎ、森林や野生動物の生息地の破壊が進行。このため同地域は、27年まで保護措置を取る必要がある。15年の国連報告によれば、ミャンマーは森林破壊で世界ワースト3の国。報告書によると国の森林面積は、2010年の47%から15年には43%に減少している。4月の新政権発足時に17年3月まで全国で伐採禁止措置を取ると約束。

2016年7月12日火曜日

(2984)欧州議会、ロヒンギャ族について、「深刻な懸念事項」と表明

 7月12日のミャンマーニュースより。7月7日、欧州議会がミャンマーにおけるイスラム少数民族の問題を非難し、「深刻な懸念事項」と表明。欧州議会ではロヒンギャ族について「世界で最も迫害されている少数民族」と称し、ミャンマーで発生している迫害は「残忍な抑圧状態であり、「組織的、慢性的に行われている迫害」であるとしている。緊急の課題として、ラカイン州にある約80の難民キャンプに滞在する12万人のロヒンギャ族に対して、国連や国際人権団体、ジャーナリストなどが自由にアクセスできる状態を確保するように要求した。最近行われた国連の報告では、ロヒンギャ族の市民権拒否、強制労働、性的暴行などが報告されている。欧州議会ではロヒンギャ族支援のため人員の派遣を決めた。スーチー氏に対してはロヒンギャ族対策が不十分と批判。

2016年7月11日月曜日

(2983)ミャンマーに人権問題改善策 国際司法裁判所 14項目提示

 7月8日のSankeiBizより。ティンチョー政権が発足して3か月が経過したが、人権問題で具体的な成果を求める声が上がっている。国際司法裁判所(ICJ)は同国政府に、人権保護を規定した法整備に向けて動くよう提言した。ICJはNLDに対し「過去の歴史を覆すまたとない機会を迎えている」と述べ、14項目について政府の行動を求めた。例えばビジネスが及ぼす人権への影響を監視・規制する能力の向上など。また、宗教や民族、性差などを巡る差別的な法律の改廃など。特に強調したのが、数十年にわたって人権侵害の被害者が公正な法の判断を仰げない状態が続いていること。具体的にはロヒンギャへの人権侵害(移動の自由や教育など)を取り上げている。政府の今後の計画について不透明な部分が多い。全面解除にこぎつけられるか 課題だ。

2016年7月10日日曜日

(2982)ヤンゴンで日本企業が初の大規模都市開発(NHK)

 7月9日のNHKニュースより。ミャンマーへは日本企業の進出が相次いでいるが、三菱商事、三菱地所、JOIN(海外交通・都市開発事業支援機構)が、約600億円に上る大規模なヤンゴン都市開発に乗り出す。開発エリアは、ヤンゴン中心部のおよそ4ヘクタールで、地上24階建てのオフィス2棟のほか、26階建てのマンションと27階建てのホテルを建設し、各施設にはレストランなど多くの商業施設も設ける。ヤンゴンでは進出企業のオフィスやホテルの不足が経済発展の足かせになっているが、今後日本の都市開発の質の高さをアピールする。都市開発への参入は初めてで、中国をはじめ「インフラ輸出」を巡る競争は激しくなる。JETROによると先月末の時点で日本企業は313社進出し、5年前に比べると6倍以上。ティラワ経済特区には 36社が進出中。

2016年7月9日土曜日

(2981)男子も日傘 仏教国の傘事情 ヤンゴン

 7月9日の日経新聞電子版より。灼熱の日差しが照りつけるヤンゴンでは、晴れの日でも傘の花が開く。目抜き通りを観察してみると、女性は勿論、日本ではまだ珍しい「日傘男子」が大勢歩いている。仏教国の当地では、国民の1割以上が仏門に入っており、街中でもたくさんの僧侶とすれ違う。彼らの傘は袈裟の色とあわせたえんじ色。コーディネートが何ともおしゃれで、日本風にいえば「イケ僧(いけてる僧侶)」だ。その色使いに感心しながら眺めていると、ひときわ異彩を放つ「ちょいワル」な僧侶が現れた。サングラスをかけ、腕には入れ墨。手にはカジュアル衣料品店の袋を提げている。そしてこのお坊さんも日傘を差している。こうしたいでたちにお咎めはないのだろうかと心配。雨や日差しを凌ぐための傘だけは取り上げないところに仏教の寛容さを感じた。

2016年7月8日金曜日

(2980)日本製ヤンゴン路面電車、半年で運休のワケ

  7月6日の東洋経済オンラインより。広島鉄道の車両を利用したヤンゴンの路面電車「ストランド線」が、7月から運行を休止した。今年1月の運行開始以来、わずか半年で取りやめとなった形だ。事故や故障が原因ではなく、利用者が少ないことによる赤字が理由だという。広島電鉄など日本の全面協力で実現したもので、日本の援助関係者からは驚きと失望の声が漏れている。この路線は、ディーゼルが主流のミャンマーで、初の路面電車として今年1月に誕生。ヤンゴン川沿いの6キロを30分で結ぶ。国営紙によると、現在同線には1日45人の乗客しかおらず、約4百円の運賃収入に対し運行コストは1350円。混雑した道路を走るため交通事故の可能性も理由に挙げた。同線は環状線との連結も予定され、鉄道の電化のノウハウ吸収の意味合いもあった。

2016年7月7日木曜日

(2979)FB上でスーチー氏を侮辱容疑、公務員を逮捕

 7月6日の朝日新聞デジタルより。スーチー国家顧問兼外相をフェイスブック上で侮辱したとして、同国中部のサリンの公務員の男が電気通信法違反(名誉棄損)の容疑で逮捕、起訴されたことが6日、明らかになった。スーチー氏率いる与党・NLDの地元支部が警察に訴えて事件化されたという。NLDのサリン選出の下院議員によると、公務員は6月18日の投稿で、「外国人の妻」を意味する侮辱的なビルマ語表現を使って、スーチー氏をののしったという。亡夫が英国人のスーチー氏に対しては、軍事政権が同じ表現で抽象していた。NLD支部メンバーの訴えを受けて公務員は今月2日に逮捕。軍政の流れをくむテインセイン前政権までは、軍幹部らへの名誉棄損の容疑で活動家が逮捕されてきた。党中央幹部は、「現行法通り手続しており問題ない」と発表。

2016年7月6日水曜日

(2978)超危険悪路30時間、最貧の村の日本人

 7月5日のテレビ朝日より。秋野暢子がチン州のバルボン村というミャンマーの奥地を目指した。そこに日本人が暮らしていると聞いたからだ。ヤンゴンの国際空港に到着したが、今はちょうど雨期で最高に蒸し暑い。いろんな人にバルボン村の場所を聞いたが、はっきりしない。取り敢えずチン州のカレーミョーという街を目指した。バスターミナルから21時間かかるという、何はともあれバスに乗車した。この道は日本人が作った道だと言われる。日本軍が無茶苦茶に進み、退却した白骨街道だ。途中大雨に遭遇し山頂から岩が崩れ落ちるのが見えた。道路はぬかるみだ。4日目にやっとバルボン村に到着、そこで66歳の来栖さんと面会、来栖さんは日本の備長炭に似た炭の作り方を村民に教えていた。ODAの関係者に勧められたという。76歳まで頑張るという。

2016年7月5日火曜日

(2977)JCBがミャンマーに支店、8月にデビットカード発行へ

 7月5日の日経新聞より。JCBはこのほどミャンマーのヤンゴン中心部に支店を開いた。現地の大手3行と連携して8月にデビットカードの発行を予定しており、支店の新設で情報収集など営業支援を強化する。VISAやマスターカードに先駆け、同国初の国際ブランドによるカードとなる。ミャンマーのクレジットカードの普及率はわずか数%。まずデビットカードで成長を取り込む。ヤンゴン支店は6月30日に営業を開始。アジア・太平洋地域の海外支店では14拠点目になる。現地職員を含め5人体制で市場調査などを進める。JCBは2012年に現地行が加盟する決済機関「ミャンマー・ペイメント・ユニオン」と提携。15年に現地3行とデビットカードの発行で合意していた。経済成長と共に観光客やビジネス客も増えるとみて営業体制を整える。同社の世界シエアは 5位。

2016年7月4日月曜日

(2976)IS犯行声明 アジアでの勢力拡大狙いか

 7月4日の朝日より。ISバングラデッシュを名乗る犯行声明が2日夜インターネットに出た。さらにISは襲撃を実行したとする5人の写真もネット上に公開。IS系列の通信社とされる「アマク」は、人質事件が進行中の2日未明にもネット上で「IS戦士がレストランを襲撃」と速報。その後も断続的に「複数の国籍の20人を殺害」などと伝えていた(中略)。ISは4月、ネット上の英文機関誌に、ISのバングラデッシュ司令官のインタビュー記事を掲載した。その際、「イスラム教徒に戦いを仕掛けてきたインドのヒンドゥー教徒が標的だ」と語った。一方、仏教徒に弾圧されているミャンマーのイスラム教徒についても、「彼らを支援することが義務だ」と声明。本拠である中東での劣勢を、アジアで勢力を挽回するためイスラム教徒が9割のバングラデシュで影響力拡大を狙う。

2016年7月3日日曜日

(2975)ミャンマー政府が児童労働に警告

    6月30日のミャンマーニュースより。ミャンマー労働省傘下の工場・一般労働法監査部門が20日、事業主を対象に研修会を開催し、14歳未満の子供たちの雇用を避けるよう警告した。違反した場合は5百万チャットから1千万チャットの罰金や、6か月以内の懲役が課せられる。2016年度の労働関連の法律によると、14歳から16歳の子供を1日に4時間以上働かせるのも違法となる。さらに14歳から16歳の子供に対して、夜6時から朝6時までの労働依頼を禁止。また危険な環境で働く子供への適切な訓練の実施などが必要となる。国際条約によると18歳未満の人は子供とみなされている。2014年度の国勢調査によると、10歳以上17歳以下の子供のうち、5人に1人は学校に行く代わりに、働いている。児童労働を無くす第一歩は貧困を打破することだ。

2016年7月2日土曜日

(2974)タイのミャンマー人労働者 劣悪環境のワケ

 7月1日の日本テレビニュースから。ミャンマーの事実上の最高指導者スーチー氏がタイでミャンマー人労働者たちと対面した。スーチー氏はタイに到着後、真っ先に向かったのは、ミャンマー人労働者の集会会場、盛り上がるミャンマー人労働者たちは、スーチー氏のプラカードを持ち、笑顔で歓迎する。しかし明るい表情と裏腹に彼らを取り巻く状況は非常に厳しい。タイのミャンマー人労働者は、400万人に上るとされ、外国人労働者の半数を超える。船の乗り組み員をしている男性の月収は1万円ほどで、タイ人の平均月収の4分の1だ。雇い主が給料払ってくれないとなげく。スーチー氏は労働環境の改善に前向きに取り組むことを約束し、翌日プラユット暫定首相と会談し、待遇改善で一致した。またスーチー氏は国内を安定させ雇用創出が大切と訴えた。

2016年7月1日金曜日

(2973)米国務省 今年の人身売買報告書を発表

 7月1日の日経電子版より。米国務省は6月30日、世界各国の人身売買や強制労働に関する16年版年次報告書を発表。タイ政府が人身売買対策の取り組みで、最低限の基準を満たしていないとしたうえで、「重要な努力をしている」と評価した。特に水産業での強制労働に関して取締りを強化する法改正を実施し、摘発も増えたとした。一方、報告書はミャンマーを「取り組みの改善がない」として、最低ランクに格下げした。子供や少数民族ロヒンギャの強制労働などの問題を挙げた。最低ランクの国は制裁対象になる可能性がある。報告書は世界88カ国・地域を人身売買対策の達成度に応じて4段階に分類している。日本は引き続き主要7カ国で唯一、上から2番目の「対策不十分」と評価、最低ランクにはミャンマーのほか、北朝鮮やイランなど27カ国を指定。

2016年6月30日木曜日

(2972)不法滞在帰国促して 入管、中・韓大使館などに要請

 6月29日の日経より。法務省入国管理局が韓国や中国など5カ国の大使館に対し、不法滞在している自国の出身者に自主的な帰国を促すよう要請した。不法滞在者が2年連続増加したことを受けた異例の対応。自ら出頭するなど一定の条件を満たせば、身柄を拘束せずに出国させる「出国命令制度」を周知するため、ホームページで説明したり、翻訳パンフレットを配布したりするよう求めた。入管によると、今年1月の時点で、不法滞在者は6万3千人、韓国1万3千人で、以下中國、タイ、フィリピン、ベトナム、台湾、インドネシアと続く。出国命令制度は、2004年に創設された。適用を受ければ通常5年間の入国拒否期間が1年間に短縮。入管は取締りを強化するとともに、外国人を雇用する事業者に、在留カード記載の就労制限を確認するよう要請している。

2016年6月29日水曜日

(2971)帰還難民のために農園を開いた医師 林健太郎さん(42)

 6月29日の朝日新聞より。月の3分の1はミャンマーの農園で、香辛料の八角を栽培している。抗インフレエンザ薬タミフルの原料になる。病気の世界的な流行への備えとしてだけでなく、紛争で国外に逃れた後、本国に戻る帰還難民が安心して働ける場を作るためだ。04年「国境なき医療団」のメンバーとなり、イラクやスリランカなど紛争地に飛んだ。ミャンマーでは武装勢力のゲリラ兵士の遺体が流れ、千人規模の村が焼かれて消えた。国立保健医療科学院の研究員となり、製薬会社などとタミフルの準備について話しあった。八角はミャンマーの気候に合い雇用にもつながる。13年に栽培を始め、国際NGO「ベアフットドクターズ」の現地スタッフ5人と多くの地元住民が作業に当たる。「栽培を産業として成り立たせミャンマー人が誇りを持って働けるように」。

2016年6月28日火曜日

(2970)米、人身売買問題でミャンマーを「最悪」国に格下げ

 6月27日のロイター通信より。米国はミャンマーを人身売買状況が懸念される国のリス中最悪の「ティア3」に格下げした。民主的に選出された政府と、依然力の強い軍に対し、子供兵士や強制労働の抑制に一段と尽力するよう求めるためという。この格付けは売春や強制労働のための違法な人身売買を含む近代の奴隷状態を回避する目的があり、報告は国務省から30日に発表される。「ティア3」にはほかに、イラン、北朝鮮、シリアなどが含まれる。今回の格下げは、ロヒンギャ族に対する迫害に対し米国が懸念を伝えるメッセージの意味合いもある。スーチー氏主導の新政権が発足して以来、この問題が放置され同氏に対する国際的批判が高まっている。この国が人身売買状況を満たす努力もしていないことから国際社会から制裁を受ける可能性が大。

2016年6月27日月曜日

(2969)スーチー氏脅かす仏教団体 ミャンマーで勢力拡大

 6月27日の日本経済新聞電子版より。ミャンマーの保守派仏教徒団体「マバタ」が急速に勢力を拡大している。集会を開けば数万人もの支持者が集まることもあり、宗教政策への影響力が増している。背景にはイスラム教徒急増への国民の危機感がある。政府を主導するスーチー国家顧問は、これまで宗教問題から距離を置く姿勢を見せていたが、宗教対立が先鋭化すれば、スーチー氏にとって避けては通れない問題になるのは確かだ。6月4日午前6時、ヤンゴン郊外のアウンサントーヤ僧院に、色鮮やかな法衣をまとった僧侶が列をなしていた。宝石で飾り立てた仏陀の像を豪華なシャンデリアが照らし出す。「マバタ」は13年6月に発足し、支持者は5百万人に達する。教義の核心は急増するイスラム移民の排斥だ。さて スーチー氏はどう動くだろうか?

2016年6月26日日曜日

(2968)嬉しかった! 楽しかった! 創立20周年を祝う会

 本日(6月26日)4時~6時半まで、神田佐久間町の千代田区和泉橋区民館5階で、「ミンガラ日本語教室の20周年を祝う会」が盛大に行われた。参加者約100名、来賓としては、大川弁護士やスリーエーの藤崎代表らも参加された。また、会いたかった安國さん、榊原さん、渋谷さん、石黒さんとも会うことができ大満足。今回の特長は、各クラスの代表が、日本語でスピーチし十分な「オモテナシ」をしてくれたこと。食べ物もよくも揃えたなと思うぐらい量があった。私の送り迎えはタンさんが担当し、ベンツでカッコよく登場できた。会場内でも小型のベンツが用意されていた。会の途中で、私の兄貴からの電文が紹介され、また寄付のあったことも紹介していた。最後は力強い一本締めですべて終了、さらに私だけにネットラジオ局から取材があった。次は30周年だ。

2016年6月25日土曜日

(2967)ミャンマーとタイ覚書調印 労働分野など3件

 6月25日の朝日新聞より。タイを訪問中のミャンマーのスーチー国家顧問兼外相は24日、タイのプラユット暫定首相と会談し、タイに多数いるミャンマー人移民労働者の環境改善や両国間の労働力に関する協力、出入国管理体制の整備などを進めていくことで合意した。会談の後、両国政府は関連する3件の覚書に調印。会談後の会見でプラユット氏は、「隣人であるミャンマーの安定と繁栄は、同時にタイの安定と繁栄を意味する」と語り、スーチー氏は「国境は国を分かつ境界線ではなく、共通の責任と協力の象徴だ」と応じた。この日午前、スーチー氏の希望で大学生300人を招いて講演、アセアンが前進していくための基礎は平和と教育にあると強調。ミャンマーの国内情勢について「常に紛争があったが、これを友好、信頼、理解に転じねばならない」と力説。

2016年6月24日金曜日

(2966)スーチー氏、近隣外交本格化、タイ訪問

 6月24日の朝日より。ミャンマーのスーチー国家顧問兼外相は23日、隣国タイを公式訪問した。タイに多くいるミャンマー人労働者の待遇改善などについてプラユット暫定首相と会談し、新政権の近隣外交を本格化させる。新政権発足後のスーチー氏の外遊は、アセアン議長国のラオスに次いで2カ国目。2国間で多くの重要課題を抱える国との実務外交としては最初の国になる。タイには登録した人だけで、約200万人の移民労働者がおり、その8割がミャンマー人。未登録の不法滞在労働者も100万~200万人いるとされる。大半が漁業や農業、建設業の劣悪な労働環境下にいる。難民問題も懸案だ。国境地帯のキャンプでは10万人が暮らす。また、船で流出するロヒンギャも問題だ。タイ政府はスーチー氏がこれらの問題にどう対応するか関心を示す。