2016年8月15日月曜日

〈3018〉スーチーの軌跡 政治の舞台へ⑥ 若い力知り、奮い立つ

 8月15日の朝日新聞より。民主化の指導者に、との要望をスーチーに断られ、ニョーオンミンは憤慨した。1988年8月中旬のことだった。だが数日後、スーチーは再び彼を含む若手活動家を自宅に招き 切り出す。「父の果たせなかったことをやりたい。一緒に働きましょうよ」。「スーチーは8月15日付で書簡を政権に送ったが返事はなかった。ニョーオンミンは「彼女は手紙より行動、そして若い力が必要だと気付いたはず」と話す。知識人たちも裏で働きかけていた。映画監督のモートゥは8月中旬、仲間数人で彼女と会い、政情を議論したあと、「最高の娘をアウンサンは残した」と語る。世界に知られるようになったのは8月26日のシュエダゴンパゴダ前の演説だった。「平和的に規律を持って意志を示そう」。そのとき訴えた非暴力主義はいまもぶれていない。

2 件のコメント:

  1. 非暴力主義は非常によろしい。ガンジーさんを思い出しますな。
    K.A.

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  2. K.A,さん
    スーチーさんは当然、隣国のガンジーさんの生き方を学んだと思います。

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