2016年8月12日金曜日

(3015)スーチーの軌跡 政治の舞台へ③ 「英雄の娘」自覚深める

 8月12日の朝日より。1985年10月、大津市の旅館の宴会場。京都大学の客員研究員として来日していたスーチーは浴衣姿の男性らに熱心に問いかけていた。「アウンサンについて何か知っていますか」。スーチーが2歳の時、父は暗殺された。「父を知る人達から少しでも情報が欲しい」。スーチーにお願いされ、同志社大大津典子講師が連れて行った。大津は英国留学の際、スーチーと意気投合した。スーチーは京都滞在中、大津の自宅によく遊びに来た。英国では2児の母だったスーチーが、京都では威厳が出てきたと大津は言う。86年6月ごろ、スーチーは大阪外語大で講義をした。ビルマ文学について話していると、後ろの席から学生のおしゃべり声が聞こえた。「前に出なさい!」とスーチーはすぐに注意。「言うべきことは言う人」と大野徹教授は感じた。

2 件のコメント:

  1. しっかりした女傑。 尊敬できますな。
    K.A.

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  2. K.A.さん
    「英雄の娘」ならばもっと早くから政治の舞台へ関心が出るはず、ちょっと遅いようにも感じるが・・・。

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