2010年7月31日土曜日

(810)インドはビルマとの関係を改善せよ

(2010年7月31日)
  昨日はインドとビルマの首脳同士の会談を論じた。お互いに思惑を持った上での首脳会談であり、29日には会談を終えた。ヒューマンライツウオッチは「インドはビルマに対して人権尊重を強調すべきだ」と述べた。「インドは残念ながら反対勢力指導者アウンサンスーチー氏らビルマ民主勢力への支持を控えている」、「NLDは90年の総選挙に勝利したものの政権に着くことはなく10年3月にはきわめて過酷な総選挙法に基づき政党登録を解除された」、「ビルマの選挙プロセスについてインド政府から正式な形での批判はほぼ存在しない」、「インドは中国の浸透に対抗する努力が失敗したのに、ビルマの政治や人権に係る問題についての発言をいまだに犠牲にしている」、「インド政府はビルマに武器を提供する北朝鮮や中国のような常習的な人権侵害国家と同一視されることに不快感を覚えるべきだ」と述べている。

2010年7月30日金曜日

(809)国賓待遇は日本でもインドでも

(2010年7月30日)
  7月28日の朝日新聞はビルマ軍事政権トップのタンシュエ国家平和発展評議会議長を国賓として厚遇している。同議長は25日から5日間の予定でインドを訪問しており、年内に予定されている総選挙にインドからお墨付きを得られれば訪問は大成功である。また、インド企業はミャンマー沖のガス田開発に多額の投資をしている。ビルマに対しては既に中国がインド洋からの補給ルート確保を目指して軍政に急接近しており、危機感を抱いたインドが軍政との関係改善へ舵を切っている。国際人権連盟は「人権問題を省みずに軍政と係るのは世界最大の民主主義国としてふさわしくない」と批判(以上概要)。日本でも某国の某女史を国賓待遇で招待したが、その成果たるや中国やインドとは月とすっぽん、日本の政治力は明らかに落ち込んでいる。日本政府は、対ビルマ政策をどのようにして活性化しようとしているのか。

2010年7月29日木曜日

(808)あと2日で発行しなきゃ

(2010年7月29日)
  あれれ大変だ、今月はあと2日しか残っていない。私のマニフェスト(802)によれば「ビルマ関連新聞記事見出し一覧表」は7月中に完成と公約してある。民主党や自民党のマニフェストには嘘っぱちが多いと言われているが、私は有言実行派、あと2日で何とかしたい。「自分史」や「会報」の場合は全面的にプリンターが活躍したが、今回はもっぱらコピー機で印刷する予定。我が家のコピー機はキャノンのDPC960という家庭用にしてはちょっともったいない高級デジタルタイプ、原稿のほうは、既に14年間、2900件の記事見出しを90頁にまとめ上げており、あとはこの2日間の印刷作業を待つだけ。表紙は「暗雲」をイメージした暗いもので、ビルマの行く末を意味している。取り急ぎ10部ほど製本しその1・2部を8月2日のきらく会(ライオン時代の仲間10人の集まり)に持参し紹介したい。この二日間はねじり鉢巻だ。

2010年7月28日水曜日

(807)やっぱり慌ただしい水曜日

(2010年7月28日)
  今日は水曜日、普段は6時半ごろに起きるのだが、今朝は5時半に起きて「ビルマ問題の新聞記事見出し一覧集」のうち、昨日遣り残した2004年度分までのフッダーを付け加えた。10時半にバスに乗り津田沼経由、品川の東京入管へ。予定していた女性2名、男性1名と面会、いずれも大笑いのうちに終了。面会控え室に戻ると顔なじみのビルマ人女性Aさんが近づいてきて、新たに男性2名(兄弟)が昨日収容されたという。そうこうしていると、やはり顔なじみのBさんが泣きながら顔を出し、彼氏が昨日収容されたので身の回りの品を差し入れるという、ほとんど同時にCさんが面会室にやってきて、在留資格が「特定活動」から「定住」に変わったので保証人になってほしいという。喜ばしいことなので判を押す。今日のゴタゴタの印象では、折角減り出したビルマ人の収容が増えだすかも。今しばらく様子を見る要がある。

2010年7月27日火曜日

(806)入国者収容所施設視察委員会の概要

(2010年7月27日)
  7月1日施行の入管法により、標記の委員会が発足したことをこの欄で報告したが、全難連児玉弁護士のほうから詳細が伝えられてきたので追記する。委員会の構成としては東日本、西日本各10名の委員によって構成される委員会が二つできる。構成員は弁護士、医師が東西とも2人ずつ参加し、国際機関の方も入っている。これを受けて、収容施設には、「提案箱」が設置され、被収容者は自由に処遇等に関する意見を書いて投函できる。この箱は鍵がかけられていて、委員の手元に届く。翻訳の際入管職員の目に触れる可能性はあるが、まずは活用したい。被収容者から処遇に関し苦情があれば活用するように言ってほしい。委員は1年に1回か2回収容所を視察し、その際被収容者から話しを聞く機会もあるので、活用してほしい(以上概要)。この連絡により、実態が明らかになってきた。だいぶ進歩した感じだ。

2010年7月26日月曜日

(805)ニーゲーさん兄弟の活躍ぶり

(2010年7月26日)
  皆さんのなかには、 12年ぐらい前に「ミンガラ日本語教室」で勉強していた ニーゲーさん、テイテイさん兄弟を覚えておられるかしら。ニーゲーさんはこの教室で1級の資格を取っているが、何しろクラスの人気者だった。彼らが台湾に移ってから台北で日本式そばやを開店、一時北京に店を移したがここでは続かず再度台北で挑戦、調子がよい旨の連絡を戴いていた。その矢先テレビでも取り上げられた旨のメールが入った。早速 youtubeを開いて鑑賞した。アナウンサーの声は当然ながら台湾語なので分からないが、画面に浮かぶテロップの文字でだいたいの意味は推測できる。原料を日本から取り寄せ、日本で本格的に学んだ技術を駆使しており、客の評判も上々のようだ。冷やしそばが美味しそうだった。
  

2010年7月25日日曜日

(804)みんがら会報への投稿

(2010年7月25日)
  実は今日が「みんがらネットワーク会報32号」の原稿締め切りの日だ。原稿締切日というと気になるが、あらかじめ編集担当のSさんには数日の猶予をお願いしてあるので、何とかなるだろう。今回は恒例の「ミャンマー関連の新聞記事」の32号を予定しており、昨日原稿が出来上がり発信すればOKの状態。問題はこのテーマに付随するのだが、もう一つのテーマ、例の朝日新聞に掲載された「ミャンマーに関連する新聞記事の見出し一覧表」についての補足文章、こちらが遅れている。普通の生活で14年間というと、とてつもなく永いが、歴史という観点からすれば「ホンの一瞬」であろう。ただ今年暮れにはミャンマー(ビルマ)が軍事政権から民政政権に変わる変革の年になることは間違いはない。しかもこの変革は国民を踏みつけた上での変革であり、「歴史」という観点からこの貴重な体験をしっかりと見つめたい。

2010年7月24日土曜日

(803)理解しにくい USDAとUSDP

(2010年7月24日)
  ビルマの人口は一説によると5900万人、そのうちUSDA(連邦団結発展協会、俗称チャンプッ)の会員は2400万人という。そのUSDAはこのたびの選挙を前にしてUSDP(連邦連帯開発党)に組織を変えたという。とすると党員2400万人もの一大政党が出現したことになる。こんなことって有り得るのか。たまたま7月23日のヒューマン・ライツ・ウオッチからも私と同じような疑問が発せられていた。例えば、「軍政による統治の未来像の台本が臆面もなく書き進められている」という。ビルマ軍政は1993年にUSDAを創設し、社会福祉団体として登録したものの、1993年のディベーイン事件の張本人であり、97年のいわゆるサフラン革命事件でも僧侶に暴行を加えたグループとされている。10月といわれる総選挙の結果は既に明らかであり、USDPは反対勢力と思われる他党に対しことごとく排除するであろう。

2010年7月23日金曜日

(802)「新聞見出し集」はまもなく完成

(2010年7月23日)
  7月6日の朝日新聞に掲載された14年間の「ミャンマー関連新聞記事」の整理をこれからじっくり時間をかけて進めて行こうと思っているが、何はともあれ必要なのがその見出しと掲載日を整理した一覧表。「みんがらネットワーク会報」に毎号掲載してきたが、抜けている部分が結構あり、この1ヶ月間ほぼ掛かりきりでこの一覧表の作成に挑戦、やっと目鼻がついてきており、あとは若干の微調整のみ。当初の予定通り7月末には90頁近い小冊子が完成すると思う。ざっと数えて2900件の切り抜きと睨めっこしながら、この猛暑の中、よくぞ頑張ったものと思う。この一覧表が完成すれば、後はテーマを決めて時系列的に問題を抉り出せば、新しい視点のエッセーができるかも。この小冊子は、まもなく発行できると思うので、ビルマ問題に関心のある大勢の方々にも見て頂きたい。「継続」の素晴らしさが何となく分かってきた。

2010年7月22日木曜日

(801)難民弁護団が見た昨年の10大ニュース

(2010年7月22日)
  全国難民弁護団連絡会議(JLNR)からの情報によれば、2009年度の10大ニュースは下記の通り。◎難民審査参与員の大幅な増員 ◎アフリカ出身の難民認定申請者数が増加 ◎難民認定数/難民認定率が大きく減少(一次手続きの難民認定率は1%前半) ◎人道配慮による在特が増加 ◎難民申請者の困窮が深刻化 ◎第三国定住の受け入れ準備 ◎庇護希望者の収容が増加 ◎裁判準備中の庇護希望者を本国に強制送還 ◎人道配慮「特定活動」のビルマ出身男性が自殺 ◎政権交代で積極的な難民政策への転換の期待が高まる。以上であるが、原文にはそれぞれ簡単な解説がついており、理解しやすい。問題は、最後の政権交代による期待感の高まりであるが、結果は余りにもお粗末であり、参院選惨敗は当然と思う。2010年度の10大ニュースにはどのように表現されるのであろうか。

2010年7月21日水曜日

(800)やったあ、800号だ!

(2010年7月21日)
  私のブログ「U MINGALARのつぶやき」は2008年5月19日に始まっている。そのときのタイトルは「(1)避けたい力の分散、矮小化」というもので、在日ビルマ人による民主化運動は、一つの旗(シンボル)の下に団結すべきというもの。2年2ヶ月経過したが、団結の声は聞こえず、年末の総選挙で民主化運動の結末が明らかになりそうだ。私たち日本人は65年前に軍事政権の末路を目の当たりに経験した。その貴重な経験を生かしきれぬまま、今度は民主化運動の末路を目の当たりにしなければならない。ただ2007年のサフラン革命のときにビルマ民衆が見せた民主化への悲痛な叫びは、今後地下にもぐり、マグマとなって地上に現れるはずだ。そのときはいつだろうか? このブログが1000回のとき、あるいは2000回のときだろうか。それまではこのブログを続けたいし、在日ビルマ人も一緒に頑張ってほしい。

2010年7月20日火曜日

(799)「平和の翼」第9号を読んで

(2010年7月20日)
  私は在日ビルマ人を中心に難民支援活動を続けている。そのうちの「ミンガラ日本語教室」と「在日ビルマ難民たすけあいの会」は、昨年医師から「黄色靱帯骨化症」と診断されてから活動を停止した。今はこの病気のためか、あるいは単なる老化のためか、はたまた暑さのためか、歩行が困難となり、極端に疲れるようになった。現在はそれでも毎週一回品川入管での面会活動を続けているが、情報入手量が極端に減っている。そんな時、アウンミャッウィンさんらの「平和の翼ジャーナル」は貴重な情報源となっている。今回入手した第9号には、山村先生の「第三国定住の功罪」が私の日ごろのもやもやを吹き飛ばしてくれた。また東西入国管理センターの田中氏、辻田氏による収容施設内での非人道的対応、特にハンガーストライキの詳細と成果について詳しく述べられており心を打つものが多くあった。次号も楽しみだ。

2010年7月19日月曜日

(798)ビルマ今週のニュース(1027号)

(2010年7月19日)
  BURMAINFOのニュース1027号から抜粋。 ★総選挙に参加予定の各政党はUSDPを除き様々な制約を受けている。党員を募り政策を説明するための集会には事前許可が必要であり、集会には警官や情報局員らが来るので参加者は怖がって立ち去る人も多い。一方、候補者は一人50万チャット(約500ドル)を収めねばならず、負担であり、市場での寄付金集めは禁止。現在43の政党が総選挙に参加する予定。 ★総選挙は10月ではなく12月説も出ている。 ★軍政の翼賛団体USDAは段階的に廃止され、政党であるUSDPに吸収される様子(国営紙はまだ発表していない)。 ★スーチー氏の元側近で政治囚として14年間収容されていたウィンテイン氏(68)が解放された。NLDのウィンティン氏(80)とは別人。 ★選挙管理委員会はNLDの元党員が設立した新党NDF(国民民主勢力)の登録を認めた。

2010年7月18日日曜日

(797)難民認定 6ヶ月で結論

(2010年7月18日)
  おととい(16日)の産経新聞に、「難民認定、6ヶ月で結論」の見出しが躍っていた。遅まきながら一つの朗報であろう。法務省は難民の法的地位を早期に安定させるために、来年3月末までに難民認定審査に期限を設け、最長6ヶ月とする方針を発表した。今年1~6月に審査を終えた案件の平均審査期間は約13ヶ月で、半減以上の大幅短縮になる。法務省は審査期間の短縮に向けUNHCRとも連携し、申請者の出身国などに関する情報収集態勢の強化や、難民調査官の研修充実などの準備を進める。また、今月から3カ月おきに平均審査期間を同省HPに掲載する。難民認定の申請は、19年は816人だったが、ミャンマー難民の増加などで21年は1388人。申請者の急増に伴い審査期間が長期化しているという(以上概要)。このような方針転換は望ましいが同時に無期限の収容についてもぜひ改善してほしい。

2010年7月17日土曜日

(796)デートの日のMMさんとの会話

(2010年7月17日)
  3日前の水曜日、私は例の通り品川入管にいた。12時過ぎから座っていると、見たことのあるビルマ人が横に来た。話しているうちに10年前にミンガラ日本語教室から健康診断に行ったときに通訳をしてくれたMMさんだった。彼は最近のビルマ情勢、特に総選挙の問題について熱く論じてくれた。USDA(軍政の翼賛組織)からUSDPに変わったいきさつ、NLDから分裂したNDFに対する批判、DBPがキンニュン系であること。ネーウインの残党も出ているなど。たまたまきょう(17日)の新聞にはUSDAが6日に解散してUSDP(党首テインセイン首相)がすべてを引き継ぐことになったと記載されていた。USDAは2003年のディベイン事件を引き起こしたとされるグループであり、MMさんによれば2400万人の会員がいる巨大なグループ、これが選挙に出れば勝敗は既に明らかだという。まことに奇妙な選挙となろう。

2010年7月16日金曜日

(795)書籍「閉ざされた国ビルマ」②

(2010年7月16日)

  昨日に引き続きこの本の書評を・・。序章で「ビルマ」か「ミャンマー」か、この国の国名を最初に取り上げているが、うまい導入方法だと思う。結局筆者は「ビルマ」が正しいとしているが、現在のビルマの諸問題の一端がこの国名問題にも現れている。参考までに、私も「ビルマ」を使うことが多い。ビルマでは民主化運動の陰に隠れているが少数民族闘争もあり、筆者はその代表例として「カレン民族」を取り上げている。ビルマ族対カレン族の闘争に彼自身が従軍し、また国境の難民キャンプにも何回も潜入しており、二つの民族の対立の原点をやさしく解説している。次章では、筆者が厳しい監視の目をかいくぐり、軍事政権下に生きる庶民を訪ね歩いた様子が記されている。筆者の文章力は明快で分かりやすく、その上得意の写真をふんだんに活用しているので、最近のビルマ紹介本としては最高レベルのものであろう。

2010年7月15日木曜日

(794)書籍「閉ざされた国ビルマ」①

(2010年7月15日)
  私がいま読んでいるのは「閉ざされた国ビルマ」、宇田有三著、高文研、2010年1月発行、238頁、定価1700円。副題として「カレン民族闘争と民主化闘争の現場を歩く」と記載されていた。著者は著名なフリーランス・フォトジャーナリストで、軍事政権、先住民族、世界の貧困などを重点的に取材し続けてきた活動家である。この本の構成は、序章:「ビルマ」か「ミャンマー」か 第1章:カレンの人々 第2章:軍事政権下に生きるビルマの人々 第3章:ヤンゴンからビルマ最北端の村へ とあり、得意の写真で随所に花を添えている。見知らぬ海外の事情を説明するには写真が有効であり、特に人物写真は一瞬に周辺の情景を判断できる。本書ではすべてモノクロ写真であるが、もしカラー写真だったらさらに価値を高めたであろう。文章も平易であり読みやすい。あすも引き続きこの書籍を取り上げ、読後感など記したい。

2010年7月14日水曜日

(793)入国者収容所等視察委員会とは

(2010年7月14日)
  昨日に続き入管法施行規則の改正のうち、私が関心を深めている入国者収容所等視察委員会について述べる。この委員会は、毎年最初の委員会の会議で、収容定員、収容人員、貸与、給与品の授与の状況、衛生・医療上の措置、規律・秩序の維持、面会・通信の発受、被収容者からの意見・申し出、被収容者からの意見聴取の状況などを書面でまとめ報告する。その他については不明な点もあり、今後の動向をチェックする要がある。たまたまきょう品川入管前でSYIのグループ30人ぐらいが、入管の非人道的対応に反対する旨のビラを配布していた。その要点は、1.難民申請者に対する審査手続きの改善、2.入管職員は名札をつけること、3.医療設備の改善、4.収容環境、処遇実態の改善とオープン化、5.入国「管理」以上の措置を禁じる入管法の改定。これらに対する上記新委員会の活動に期待している。

2010年7月13日火曜日

(792)改正入管法の施行に伴う法務省令の整備

(2010年7月13日)
  財団法人入管協会発行の月刊誌「国際人流」には時々私の活動に関係する資料が記載されている。その276号には、出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律(平成21年法律第79号)のうち一部が本年7月1日から施行されるため、省令も同日改正された。{1}法改正の一部施行に伴う改正、①在留資格「留学」と「就学」の一本化に係る関係規定の整備 ②入国者収容所等視察委員会の設置に係る関係規定の整備 ③上陸拒否の特例の新設に係る関係規定の整備 ④その他。なお資格外活動の許可の取消しの規定が設けられたことに伴い {2}「企業内転勤」の基準の見直しに係る規定の整備 {3}資格外活動許可の規定の整備 {4}仮滞在許可の期間の伸長に係る規定の整備。以上法律用語の羅列で楽しい文章ではないが、私の関心をそそるのは上記②、これについてはあす説明する。

2010年7月12日月曜日

(791)「朝日新聞が見たビルマ問題」の進行状況

(2010年7月12日)
  先日朝日新聞に掲載された私関連の記事の中に、「14年分のビルマ関連記事について、年内をめどに政治や宗教などテーマごとにまとめた冊子を作るつもり」と私が発言した旨記載されていた。「自分史」に続く自己流マニフェストの第2段として、本年12月末までに何とかまとめ上げざるを得ない羽目に。取り上げたいテーマとしていま考えているのは「軍政とビルマ仏教界の深層」、「朝日社説はビルマ問題をどう取り上げてきたか」など。しかしその基盤となる「14年間の見出し集」がまだ出来上がっていない。今までに1996年から01年までの分は整理ができたが、まだ半分にも達していない。頑張らなくちゃ。しかしちょっと引っかかることがある、朝日新聞の「見出し」を集めて一冊にまとめることに著作権の問題は生じないのかしら。早速朝日新聞の著作権担当に電話したところ、「見出し」は関係ない由、ホッとした。

2010年7月11日日曜日

(790)ビルマ今週のニュース(1026号)

(2010年7月11日)
  BURMAINFOのニュース1026号から抜粋。 ★軍政の会計検査局がUSDP(連邦団結発展党)の所有物の目録を作成し、元の所有者を明らかにするする作業をしている。これはUSDPが政府から独立していないように見えるという批判に対応するためで、国の資産を使っていないことを示すため。 ★ネピドーでペストに感染したねずみを発見、またヤンゴンでは複数の住民がペストに感染したが、治療で全員回復。 ★ビルマのICTエンジニア24人が13日から1週間来日。 ★米NGOが軍政の収入源を発表、98年から09年までに90億ドル以上の収入があり、うち46億ドルが軍政に渡った。 ★92~96年に国連のミャンマー人権に関する特別報告者であった横田洋三氏がジャカルタポストに寄稿、軍政による人権侵害は戦争犯罪や人道に対する罪に相当する恐れがあり、国連による調査を実施すべきと述べた。

2010年7月10日土曜日

(789)白い象は繁栄の象徴? 政変の前兆?

(2010年7月10日)
  今回のワールドカップで一躍有名になった南アフリカの占い師、名前は分からぬが体を震わせてド迫力があった。また、ドイツの「たこ」君も大活躍、今まですべてのドイツの勝敗を的中させているという。準決勝での自国の敗退まで的中させたというから只者ではない。ところで7月1日の朝日新聞にはビルマで白い象が発見され、軍事政権は「繁栄の象徴」としてアピールしようとしている。しかし一部報道では「政変の前兆」という迷信もあると報じている。そこで私は数人のビルマ人にどちらが正しいのか聞いてみたところ、全員がニコニコしながら「政変の前兆」の方が正しいと訴えた。たぶんに彼らの願望も入っているのだろう。この象のカラー写真を見ると全体が赤っぽく見え、ほかの象に比べて変わってはいるが、白とはとうていいえない。とすると軍政が望む「繁栄」も在日ビルマ人が望む「政変」も得られないのでは?

2010年7月9日金曜日

(788)意を決してNさんのお見舞いに

(2010年7月9日)
  おととい、品川入管で面会したMさんの言葉が頭に残っている。Mさんの養母Nさんが肝臓を病んでおり、ひとりだけで生活しているという。今まではMさん夫妻が何かと介助してきたが、いまや夫妻で入管に収容されており、残された一人ぽっちの養母がとても心配と涙ぐみながら話してくれた。話を聞くうちにNさん宅は我が家から車で15分ぐらい、しかも10年ぐらい前にチェリービルマ語教室周辺でお会いしたような気がした。昨日3時ごろ家内に頼んで車を運転してもらい、Nさんのアパートへ。何しろ突然の訪問なのでドアを開けてくれるのか心配したが、すぐに開き、お互い一瞬顔を見つめ合ったが、彼女の方から「西田先生!」の一声、身なりもこざっぱりしていてまずまず元気そう、Mさんのこと、10年前の思い出など楽しい話題が続いた。若干のお見舞品を差し上げて失礼したが、逆に美味しいマンゴーを頂戴した。

2010年7月8日木曜日

(787)デートの日はやはり水曜日に

(2010年7月8日)
  この数週間、品川でのデートの日は火曜日に替えていたが、T君が牛久入管に移送されたので、今週から元通り水曜日に戻した。きのうは品川駅構内の喫茶店で10時半からMさんの紹介で、「希望」という在日中国人支援グループの代表と事務局長に会い、収容問題、在特問題につきいろいろ話し合った。その後12時に入管に入り、1時から面会、T君がいないので女性2人だけ、Mさんの養母のことで深刻な話を聞いた。このため同席していたもう一人の女性Kさんと話をする時間がなくなり申し訳なかった。Kさんにも複雑な事情があり、解決のため弁護士に依頼すべきか悩んでいた。この件は先週彼女の親戚(日本人)ともよく話し合ったのだが。このように面会する相手人数が減ったので、それぞれの悩みが次第に分かるようになり、みんな異国で辛い生活を過ごしているのだ。私の出番はまだまだ終わりそうにない。

2010年7月7日水曜日

(786)朝日新聞記事の反響

(2010年7月7日)
  きのうは一日中朝日の記事の件で電話とメールが鳴っていた。朝一番の電話はライオン時代の友人Y君からのもので、私はたまたま習志野市主催の健康診断を受けていたので、家内が対応してくれた。彼は確か四街道に住んでおり、懐かしかったとのこと。その後千葉県在住の知人から続々メールが入った。私は午後家に戻ったので、千葉県以外に在住している知人にメールに添付する形で記事を送信した。その途端、またまた大勢の方から返信を戴いた。それらの中には、「賞金がどこからか貰えるはず」とか、「銅像が立つはず」とか、「西田さんの写真が実によく写っている」とか、結構冷やかしの文章が多かった。しかし、これだけ反響が大きいと年末には、14年間の見出しの整理と、それに基づくいくつかのテーマで記事を整理しなければならない羽目に。まあ年末までに一つ以上の小論文が完成すれば良しとするか。

2010年7月6日火曜日

(785)朝日新聞に載っちゃった

(2010年7月6日)
  今朝家内が起きて郵便受けから新聞を取り出したとき、ちょっとした異変があったという。いつも当然の事ながら1部しか入っていないのに、今朝は別にビニール袋に入った3部が入っていたという。家内はまた讀賣新聞との拡売競争が始まったかなと思ったらしい。その中の1部を広げて読んでいると、突然身覚えのある顔の写真が目に飛び込んだ。(782)で予告したように、朝日新聞の鈴木記者から先に取材された記事なのだ。見出しは「ミャンマー人に日本語教室・西田敦さん 『遠い』国14年の記事整理』とあり、その下に私のにこやかな顔写真が。これらの新聞切抜きは教室の1・2級の生徒に教材として使用したもので、毎年たまっていった。これらの日付と見出し集は8月にはまとまる見込みだが、そのあとはテーマごとに時系列的に新聞論調をまとめ上げて行きたい。さて余分の3部は記者からのサービスか。

2010年7月5日月曜日

(784)ビルマからの軽い話題二つ

(2010年7月5日)
  ビルマからのニュースはいつも重々しく、不快な話題が多い。ところが7月3日の朝日新聞は珍しく軽やかな話題を二つ並べていた。その一つがヤンゴンのランチジャー、いわゆる弁当箱の紹介だ。日本と違って円筒形で、2段重ね、3段重ねが普通、3段重ねの場合、2段はご飯、一段はおかずだ。市中心部の金物屋ではタイ製(ステンレス製)が1200円、中国製(鉄製)が190円で売られている。因みに縫製工場の従業員の月給は3千~4千円。もう一つの話題が米の商売、ビルマでは新米よりも古米が喜ばれている。バケツの中で山形に盛られた米粒にまみれてコクゾウムシが動き回る。「本当は備蓄してから売りたいのだが、雨季にこの虫が続々と出てきて早く売らないと虫に食べられてしまう」。日本では「味が落ちる」とされる古米でも、ビルマでは新米より2・3割は高く売れるという。久しぶりにホッとする話題だ。

2010年7月4日日曜日

(783)ビルマ今週のニュース(1025号)

(2010年7月4日)
  BURMAINFO(1025号)のニュースから抜粋。 ★検閲局が新規則を導入し政治記事の掲載への制限がより厳しくなった。 ★5月に解党したNLDの元党員が結成したNDF(国民民主勢力)のロゴが公表されたが、NLDが1990年の選挙のときに使った編笠の画像を使用しているため、NLD側から非難の声が上がり、選挙管理委員会へ異議申立すると述べた。NDF側もロゴは独自のものと反論。 ★6月25・26日に開かれたG8首脳会談の宣言では「スーチー氏をはじめすべての政治囚の釈放と、民主化勢力および少数民族代表と対話を行うこと」をミャンマー政府に要請。 ★シュワルツ米国務次官補はタイ・ビルマ国境の難民キャンプなどを視察、選挙が行われたから難民が帰国できるという状況ではないと述べた。 ★ビルマの移民・人口省の発表によれば、人口は5912万人、18歳以上は3074万人。

2010年7月3日土曜日

(782)朝日新聞からの取材

(2010年7月3日)
  昨日の午後、朝日新聞社の鈴木記者が取材のため小生宅に来訪した。彼が水戸支局で活躍されていたころ、牛久入管問題などでいろいろお世話になったことがあったが、このたび千葉総局に異動されたとのこと。取材の内容は、私とビルマとの関わりが中心で、私が毎日発信しているブログ「U MINGALARのつぶやき」で取り上げた「自分史」や、そのあと引き続きまとめだしている「14年間朝日新聞が見たビルマ問題」の途中経過についてであった。14年間の切り抜きは分厚いファイル4冊にたまっているので、その「見出し」をまとめることはあと1ヶ月もあれば完成するが、それから何を引き出すのかが問題、例えば「仏教徒と民主化問題」に関する書籍(779)(780)が発行されたが、それについて当時朝日新聞はどう論じていたかを書いてみようかな。記事は7月7日千葉版「人欄」掲載の予定。どうなることやら。

2010年7月2日金曜日

(781)T君が品川から牛久入管へ

(2010年7月2日)
  きのう、T君の友人から電話が入り、「T君が品川入管から牛久入管に移送された、理由は仮放免が不許可」。彼は品川入管に5月17日に収容されたばかりなので、まだ1ヶ月と14日、この3年近く品川入管に毎週訪問しているが、このような短期間で牛久送りの例は聞いたことがない。第一、仮放免許可申請書を書いたのは私であり、何か書き方に不備な点があったのか? 不安は募る一方でいても立ってもいられなくなり、すぐ品川入管に出向いた。仮放免担当部署では、仮放免許可申請書の内容というよりも総合的判断で決めたことであり、これ以上は言えないという。私が気にしていた「移送するから仮放免が不許可になる」のか「仮放免が不許可だから移送するのか」の質問にも回答は得られなかった。これは前者が正解だと思うのだが。私も最近疲れやすく牛久まで行けないので大瀧さんに面会をお願いした。

2010年7月1日木曜日

(780)ビルマ仏教徒 民主化蜂起の記録②

(2010年7月1日)
  昨日に続き標題の書籍の所感を記す。私は在日ビルマ人が僧侶を尊敬する姿を何回も目撃した。ミンガラ日本語教室にも時々ビルマ人僧侶が日本語の勉強のために姿を現すが、僧侶を見た他の生徒は床にひざまつき、頭を深く下げて僧侶を礼拝する。仏教に帰依する美しい光景だ。ところがいわゆる「サフラン革命」の際、軍政側の軍隊やスワンアシーン(暴力的な民兵組織)が尊敬すべき僧侶たちが慈経を唱えながら平和裡に行進していたのに、夜間計画的に襲い掛かり、銃を撃ち、僧衣を剥奪するなど信じられないような暴虐行為を反復した様子が、この書で明らかになった。道路上だけでなく、僧院の中にまで軍隊やスワンアシーンが乱入し、僧侶が着けていた僧衣を剥奪し、仏具を破壊し、あたりに血糊がべっとりと付着していたと伝えている。この暴挙に日本の僧侶は何をしたのか、もっと声を上げるべきと思うが。