2012年9月30日日曜日

(1601)ミャンマー大統領 支援求め改革強調

  9月29日の朝日は、表題の通り訪米の公式日程を終えたと伝えた。民政移管後制裁を科す国への初訪問だった。「独裁体制から民主主義国に変わった」、「新たな目でミャンマーを見るべきだ」。国連総会の席上でテインセイン大統領は制裁の全面解除など「理解と支援」を求めた。「ミャンマーでは短期間のうちに驚くべき変化が生まれた」とも指摘。その例として、政治犯の釈放、公正な補欠選挙の実施、新聞・雑誌の事前検閲の廃止、労働組合の誕生などを挙げた。8月には最大の内閣改造に踏み切った。改革に消極的だったり、汚職の疑惑がある閣僚を更迭し、専門家や女性を積極的に登用した。スーチー氏を「同僚」と呼び、「改革を後戻りさせない」と強調したが課題も大きい。「改革には社会の安定と経済成長が必要だが、投資資金も人材も少ない」と発言。

2012年9月29日土曜日

(1600)ミンガラN-1グループ設立の夢

  このブログの(1588)~(1590)に記した私の夢のその後について説明しよう。昨日、メンバー関係者数人が四谷に集まって、この件を説明し、話し合った。いろいろ意見が飛び出した。日本語能力試験1級合格者というのは、日本の大学進学レベルの能力であり、N-1級はさらに高度な資格だ。ただこれらに合格していても、いろんな専門分野の通訳・翻訳については、当然のことだが、みな自信がなさそうだ。しかし法務省の難民認定申請書などを上手に翻訳している彼らは、結構能力があると思う。しかし、こういう時のために、熟練者にお願いするルートも作る必要がある。もう一つの課題はリーダーだ。私は老齢で外出もつらいので、顧問という肩書ならばお手伝いはするが、若手リーダーの選出も課題だ。現在意中の人はいる。新規起業は辛いが夢は膨らむ。

2012年9月28日金曜日

(1599)カンボジア投資ブーム

  9月25日の朝日新聞には、表題のごとくカンボジア投資ブームが特集されていた。中国の反日デモも追い風となり、ブノンペン経済特区の上松社長は、いま中国で事業を展開している日本企業からの問い合わせに追われている。日系企業のカンボジア投資は2010年からぐんぐん伸び、今年は390億円に上る見込みだ。ブノンペン経済特区の開発済みの工業団地はディズニーランドの約2倍、全区画入居する企業は決まっており、さらに1.5倍の工業団地も来年末には売り切れる予定。ミャンマーは人口6200万人、日本からの「下見」の出張者が急増し、ヤンゴンの高級ホテルの料金は、昨年の2-3倍。一方ラオス(人口640万人)のトンシン首相らは、ジェトロの石毛理事長に「事務所を開設してほしい」と熱望した。以上3国は、陸路を通じて経済的離陸を開始。

2012年9月27日木曜日

(1598)ミャンマーどう変わる 朝日オピニオン欄

  9月26日の朝日オピニオン欄には、1頁の7割を占める大スペースを使って、政策研究大学院大学学長の白石隆さんのインタビュー記事が掲載されていた。文中での二大論点として、「南進中国の支援に発展望めぬ不信感、バランスとる政権」、および「まだ見えぬ民主化 制度と人づくりで日本は成長支援を」を掲げている。変化への期待とは⇒「中国の衛星国家ではなく、どこの国も同じ条件でミャンマーを支援できるように」。今まで中国が支援してきたが⇒「中国は囲碁の陣取りのように静かに膨張」。中国への傾斜が問題なのか⇒「中国の経済協力には反発も相当あった」。「ミャンマーが急に日本寄りになるとは期待しないほうがいい」。内政の課題は⇒「少数民族との和解と経済成長」。憲法改正は⇒「なかなか難しい」。日本は⇒「制度と人づくりの支援を」。

2012年9月26日水曜日

(1597)ミャンマー難民日本定住を辞退 今年度ゼロ

  タイの難民キャンプに住むミャンマー難民を受け入れる日本政府の「第三国定住制度」を利用して来日する予定だった3家族16人が、今月末の出発を前に全員辞退した。現地の支援団体によると、16人は今年度の来日を希望し、日本語を勉強して準備を進めていたが、「日本での生活に不安がある」などとして翻意。制度の利用者がゼロになるのは2010年度の開始以来初めて。政府は10月から来年度の来日希望者を募集する方針だが、「このままで新たな希望者を見つけるのは難しい」との声も出ている。少数民族系の武装勢力とテインセイン大統領は、和平協議を進めているが、一部では戦闘状態が続き、地雷が残るなど、安全面の理由から帰郷に踏み切れない難民が多い(以上)。ワッハッハ、いつの間にやら延べ読者が60000人突破、ありがとう!

2012年9月25日火曜日

(1596)読了123冊目:「我が祖国」

 著者はキンスエウー、訳者は田辺寿夫、ビルマ叢書文学編①、1982年6月・勁草書房発行、262頁、定価1500円。トゥエとミイは仲良しのいとこ同士の女の子、トゥエには長兄と次兄がおり、この二人がアウンサン将軍の率いる30人の志士のメンバーとして登場している。彼らはビルマ義勇軍として日本軍と一緒に英印軍と戦い、日本軍が独立を認めないと見るや日本軍に反攻して、48年には独立を勝ちとった。しかし、その後共産党の反政府武装抗争、カレン族はじめ少数民族の反乱などが続き、軍人としての長兄、次兄の活躍が続く。そしてそれを見守るいとこのミイたちの日常生活が経糸として描かれており、一方ビルマはどのようにして独立を勝ち得たのか、これらを題材として戦う兄弟を横糸に混然と織りなす大歴史小説である。最終章があまりにも悲しい。

2012年9月24日月曜日

(1595)ミャンマーに親日的教科書

  最近、日本は中国や韓国から目の敵にされている。その一つの原因が両国の教科書にあるという。そういう中で、週刊新潮の9月20日号によれば、ミャンマーには親日的教科書があるという。在日留学生に「あなたの国で一番有名な日本人は」と聞くと、全員が「ボーモージョー」と答える。翻訳すれば「雷将軍」で鈴木敬司大佐のこと、彼はアウンサンスーチーの父アウンサン将軍をはじめ、いわゆる「30人の志士」を育成した日本軍人で、結果的にビルマをイギリスから独立することができた恩人なのだ。ミャンマーの第9学年(日本の高校1年)の歴史教科書には、独立する過程を記述し、「30人の志士が日本の軍事訓練を受ける」という項目があり、ここに軍服姿の鈴木大佐の写真が載っている。ただ、日本への賛辞だけではなく、戦時、物資の収奪や混乱も記述。

2012年9月23日日曜日

(1594)読了122冊目:「迷路の旅」

  著者はセインセイン、訳者は大野徹、1985年8月・井村文化事業社発行・勁草書房発売、東南アジアブックス・ビルマの文学№10、337頁、2200円。この作品は44歳で死去した女性作家(1928年~1972年)の死去2年前までの自伝である。著者は幼児期から鈍感な女性であったが、読書が大好きで努力して小・中学校で学び、文学への道を目指していた。その間、不幸にも当時不治の病といわれたハンセン氏病にかかり、世間から排斥された。過酷な闘病生活を続け、その間不法診療所で騙されるなど悲惨な目に合う。しかし家族の力添えもあり、特効薬で完全に治癒、いくつかの懸賞金付き文学賞を得て文学界に頭角を現した。このような自伝を書くには勇気が必要で、普通の人には書けないテーマであろう。幸せとか、不幸せとか思う人に薦めたい良書だ。

2012年9月22日土曜日

(1593)ミャンマー難民の日本移住進まず

  9月15日、5時49分のNHKニュースは、標記の話題を放映した。日本政府の「第三国定住制度」を利用して、タイの難民キャンプから日本への移住を希望するミャンマー難民が、今年は3家族16人にとどまり、当初の目標を大幅に下回ることが明らかになった。日本政府は、「第三国定住制度」を一昨年から導入し、9家族45人のミャンマー難民を受け入れてきた。今年は対象となる難民キャンプを1か所から3か所に増やして、半年前から日本行きの希望者を募ってきたが結果は上記のとおり。このため3年間に90人のミャンマー難民を受け入れる当初の政府目標は大きく下回る。その背景について関係者は、第1回来日者の定住がうまくいってないとの情報が伝わったこと、および、ミャンマーでの民主化が進み、祖国への帰還を望む人が増えたことを挙げている。

2012年9月21日金曜日

(1592)読了121冊目:「魅惑のミャンマー投資」

  著者は松田健(元日刊工業記者)、2008年6月・カナリヤ書房発行、262頁、1500円+税。昨年以降欧米からの経済制裁が解除され、今や世界中の経済界が最後のフロンティア・ミャンマーを目指しているが、この書籍はその少し前のミャンマー経済界を概観しており、貴重な労作といえよう。この種の書籍は、概して硬い文章が並ぶが、本書は軽い文体で記されており、実に読みやすい。第1部は「普通の国に向かう」、第2部は「世界が注目するミャンマー投資」、第3部は「ミャンマー企業・工場訪問記」と続く。特に第3部には「経済制裁を切り抜けた縫製業界」、「背広40万着生産の日本メーカー」など数多くの日本関連企業への取材記事があふれている。最近ミャンマー進出を考えている企業人には必読の教科書といえよう。オヤオヤまもなく延読者6万人だ。

2012年9月20日木曜日

(1591)スーチー氏「米中友好に協力」

  9月19日の朝日夕刊に、標記の見出しのほか、「米で講演 国際社会での役割強調」との見出しが並んでいた。米国を訪問中のミャンマー最大野党の党首スーチー氏が、18日ワシントン市内で講演、民主化と開国に踏み出した同国が、米中の橋渡しをする用意があることなど、国際社会の中でミャンマーが果たす役割をアピールした。スーチー氏は講演で、米欧の制裁下でも一定の関係を保った中国と、民主化後に急速に関係を強めた米国との関係に言及「米国がミャンマーとの関係を強めることは、中国と敵対関係になることを意味しない。我々はこれらすべての国との関係を強化することができる」と述べた。この日はクリントン米国務長官とも会談し、ミャンマーの民主化に向けた協力関係についても話し合った(以上概要)。スーチーさん、元気に頑張っている。

2012年9月19日水曜日

(1590)「N-1級の会(仮称)」の夢

  最近、私は世の中の矛盾が気になりだした。そういう年頃なんだろう。その一つが、日本語能力試験N-1級合格者への処遇だ。N-1級に合格した外国人は、何か生活が変わっただろうか。一部例外を除き、ほとんど変わらない人が多い。しかし個々の合格者が、より上級の仕事を目指しても壁は高い。しかしいまや緬流の時代、日本企業はミャンマーへミャンマーへとギラギラしている。この時代こそ、両国語を駆使できるミャンマー青年たちの出番だと思う。一人ではなかなかつかみ得ない翻訳・通訳の仕事も、数人から10人集まって世間に誇示すれば、順次上級の仕事が見えてくるだろう。中には日本企業の社員として活躍できるかもしれない。夢のような話だが挑戦してみる価値はありそうだ。最初の仕事はメンバーを集めること。こんなアイデアはいかが。

2012年9月18日火曜日

(1589)難民起業のための資金は

  昨日は難民起業の一環として、日本語能力試験N1級・1級合格者による翻訳・通訳グループの設立のアイデアを論じた。最近湧き上がった経済界のミャンマーブーム、および中国の反日デモを見据えた構想だ。日本の経済界も、ミャンマーの経済界も、共に翻訳・通訳の仕事は膨大なものになろう。この機会を逃してはいけない。そこで問題になるのが、起業時の資金問題、この面でも最近2つの潮流が動き出した。①難民支援協会(難民起業サポートファンド)では、難民起業化の成功のために融資(最大100万円)と経営支援を実施、そのために必要な資金は、広く寄付で集める。②READYFOR? 社会性の高い活動を実現するために、多くの人から少額の寄付を集め、みんなで夢を叶える方法。手数料合計16%だが寄付が多ければ問題解消。トライしてみたい。

2012年9月17日月曜日

(1588)夢中八策 難民に仕事を

  難民申請して「働いてよろしい」と入管からいわれた時、ミャンマー人はみんな笑顔が爆発する。長い間の苦労が吹っ飛ぶ瞬間だ。ただ問題はそのあとだ。ハローワークや、無料の職業紹介雑誌で新しい仕事を探すが、自分に合った仕事は見つからない。結局友人を頼って、飲食店やホテルの仕事に落ち着く。もちろんこのような仕事も尊い仕事だ。しかし彼らの多くはヤンゴン大学やマンダレー大学など、日本でいえば東大や京大の出身だ。もう少し理知的な仕事をしないと、将来のミャンマーが心配だ。私が創立したミンガラ日本語教室では、優れた青年が日本語を学んでおり、その頂点がN-1級だ。毎年難民でも何人か合格しており、これらの合格者を集めて、通訳・翻訳の仕事をしてはどうだろうか。経済界は時まさにミャンマーブーム、この機会を逃す手はない。

2012年9月16日日曜日

(1587)難民認定者の「帰化」について

  最近、私の周辺で帰化に関する問い合わせが多くなった。その際私は、①5年以上日本に住所があり、②20歳以上で日本人と同じ能力があり、③素行が善良で、④生計を営む能力のある人は帰化が可能だが、実際には困難でそのような例を聞いたことがないと答えていた。ところが9月9日「全難連」から標記に関して興味ある情報を入手した。ある外国人が、一度オーバーステイ状態になってから難民申請し「在特」を受けたが、帰化申請の上申書を法務大臣あてに出したところ、すんなり認められたという。上申書には難民条約34条の規定に従い、一般の外国人の帰化手続きよりも優先的かつ迅速に、また許可基準についても格段の配慮をとあった。このような例は少ないと思われるので、上申書の書き方など、やはり専門の弁護士と相談することが必要と思う。

2012年9月15日土曜日

(1586)ロヒンギャ族1人を難民認定、東京高裁

  9月12日の朝日デジタル版によると、ミャンマーから日本に逃れてきたイスラム系少数民族「ロヒンギャ族」の男性17人が、国に難民認定を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は12日、このうち1人を難民と認めた。大竹たかし裁判長は「政治的に迫害を受ける恐れがある」と判断。難民と認めなかった国の処分を取り消した。判決は、ロヒンギャ族がミャンマーで強制労働などの差別を受けていると指摘したが、残る16人については「迫害の恐れがない」と述べた。原告側の弁護士は、判決が「原告にはミャンマー国籍がある」と述べた点を問題視。「ミャンマー政府はロヒンギャ族を国民として認めていないのに、国民と断言したのは初めて。実態を分かっていない」と批判した(以上概要)。ロヒンギャ族の国籍をミャンマー国とした判例は、他にもあったと思うが。

2012年9月14日金曜日

(1585)新難民保護法の成立を望む

  すでに(1582)と(1574)で述べたように、新難民保護法の法制化に私は大賛成である。現行法律があるがために、多くの難民申請者が人道上の不利益をまともに受けている。たとえば、難民申請した仮放免者は、異議申し立て後3・4年は「就労不可」のまま放置されている。このような状態を現在の法律は認めているため、難民申請者はいかんともしがたく、泣き寝入りの状況だ。「就労不可」で3年も4年もどうやって生きていくのか。このように見ていくと、現行法律には数多くの矛盾点が浮かんでくる。今日11時から津田沼駅近くの喫茶店で、難民支援協会のお二人と面談した。READYFOR?という最新の手法で資金面を調達した上で、各政党に呼びかける準備を展開している。現在難民に対する各政党のスタンスは明確ではないが悪法は改訂してほしい。

2012年9月13日木曜日

(1584)読了120冊目:「現代ビルマ短編小説集上下」

  編・訳は大野徹、ビルマ叢書文学編5・6、1983年3月・井村文化事業社発行(発売は勁草書房)。上巻は233頁(16編)、下巻は234頁(14編)、共に定価1350円。内容は編者が自ら雑誌から拾い集めた30編の最もビルマらしさの見られる1958年~82年の短編集。上巻の内容は、「思い違い」、「マラリア」、「便所」、「死への一服の薬」、「徘徊する宝の山」、「深夜の旅人」、「無謀な猟師」、「独楽の上の石灰」、その他8編。下巻の内容は「初夏、霞たなびく頃」、「不漁の日」、「ポウパーのメーザーユ」、「ラングーン爆撃の日(日本軍がラングーンを占拠した時、ビルマ志願航空隊による爆撃)」、「立てれば白く倒せば緑色」、「頭から足先まで覆われて去って行った」、その他8編。全体的に農村、山村、漁村の生活情景が多く、30~50年前のビルマがよく理解できる。

2012年9月12日水曜日

(1583)ミャンマーへ ミャンマーへ

  9月11日の日経電子版には、「ミャンマーでインフラ整備、日本勢加速、通信や橋梁」との見出しが。NTTコミュニケーションズは月内にも企業が高速・大容量でデータ通信を利用するための国際専用回線を10倍に増やす。また、NTTコムはミャンマー郵電公社向けの回線容量を15倍に増やす。NTTドコモは、日本の携帯電話が、現地で使えるようにする交渉に入った。JFEエンジニアリングは、大型橋梁の建設に向け調査を開始する。場所はヤンゴンの北100キロのイラワジ河岸で、総事業費は100億~200億円。ミャンマーに対する日本からの直接投資は2010年までの20年間で2億ドル、100億ドルを投じたタイや中国に比べると大きく出遅れている。一方、9月8日の日経電子版によれば、三菱東京UFJ銀行が、ミャンマーでのドル送金業務の開始を発表。

2012年9月11日火曜日

(1582)韓国の新難民法

  日本では7月9日に新しい在留管理制度が施行されたが、お隣の韓国では昨年12月29日に新しい難民法が成立、施行は2013年7月1日の予定。全難連などから入手した韓国の新法を見てみると、日本の難民法と明らかに異なり、難民保護の色彩が強い。例えば、第5条:難民申請書を書けない人には、受け付ける公務員が作成し署名する、第8条:難民申請者の要請があれば録音、録画を拒否してはならない、第9条:法務部長官は難民申請者に有利な資料も積極的に収集し活用する、18条:難民認定は申請を受けてから原則6か月以内に決定、異議申し立てについても6か月以内に決定、第25条:難民委員会の設置、第30条:難民認定者の処遇、第40条等:難民申請者の処遇(難民申請6か月後に就職許可)など。日本の新法は、韓国以上でありたい。

2012年9月10日月曜日

(1581)MNLとのパートナーシップ協定締結(Jリーグ)

  日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)は8月27日、ヤンゴン・セドナホテルでミャンマーナショナルリーグ(MNL)とのパートナーシップ協定を締結した旨発表。Jリーグにとって、海外のプロサッカーリーグとのパートナーシップ協定は、2月のタイプレミアリーグ、8月のベトナムリーグに続いて3件目。日緬両リーグは、今回の提携をきっかけに、両国のサッカー発展のためにコミュニケーション、マーケティング、大会運営、アカデミー、選手の移籍等の様々な分野で協力し、プロリーグの組織、マネジメントの質向上と効率化を目指していく(以上)。既にこのブログで報告したように、ミャンマーチームはロンドンオリンピックでは男女とも予選で敗退したが、ブラジル大会までには相当成長するのではなかろうか。また今月はミャンマー女子チームが来日の予定、楽しくなりそうだ。

2012年9月9日日曜日

(1580)読了119冊目:「ミャンマー概説」

  「ミャンマー概説」、編者は伊藤利勝、著者・翻訳者24人。2011年3月・メコン発行、横組み、731頁、7000円+税。著者・翻訳者の大部分が大学関係者であり、専門家が共同して発表した学術的な著作だ。内容はビルマ世界、モン世界、カレン世界、カヤー世界、シャン世界、カチン世界、チン世界、ヤカイン世界と8つの民族グループに分け、それぞれ、歴史、経済と社会、言語と文学、宗教と信仰、民族と行政などに大別し、民族グループごとに、それぞれ60頁から90頁にわたって記述するという独特の方法を採用している。その上で、編者が序章で「ミャンマー的国民国家の枠組み」を論じ、終章で、「官製民族世界の形成」という論文でまとめている。我々が各民族の話題を論ずる場合、まずこの大作をチェックした上で、取り掛かるとよい。座右の書として推薦。

2012年9月8日土曜日

(1579)入管施設(牛久)で60人ハンスト

  8月30日の読売新聞電子版によれば、法務省の「東日本入国管理センター(牛久市)」で難民認定を求めるなどして収容されている外国人の一部が、提供される給食を食べるのを拒否していることが分かった。同センターによると、28日現在、約400人の収容者のうち、約60人が給食を取っていないという。外国人労働者や難民の支援団体「[BOND」(高根淳代表)によると、難民認定手続きが長引くなどの理由で、同センターに長期間留め置かれているスリランカ、ガーナなど約20か国の120人が20日からハンガーストライキを始めた。入所者は、面会した同メンバーに「長期収容はやめてほしい」と訴えていたという。長期収容者の多くは半年以上留め置かれ、2年以上収容されている人もいるという(以上)。長期の自由拘束は人権問題であり、やめてほしい。

2012年9月7日金曜日

(1578)日本ミャンマーインフラ投資拡大、5年計画

   9月5日の日経電子版によれば、標記の計画を策定し、10月に官民協議会を設立すると発表。ミャンマーでは2015年のASEAN共同体の発足に向けてインフラ需要が拡大、日本企業が投資しやすい環境を整え進出を後押しする。外務省はJICAを使ったODA供与、経産省は大型インフラ事業の調査、経済特区(ティラワ)開発支援、財務省は証券取引法整備に向けた研修実施、専門家の助言、法務省は会社法や債権法、労働法などの調査、総務省はインターネットの高速化や海底ケーブルの整備、国交省は運輸、防災、水資源管理の技術協力など。このほか、国際協力銀行、日本貿易振興機構、日本貿易保険、経団連などもそれぞれ支援策を発表している。日本からのODA供与額は30億円にとどまるが、将来はベトナムと同程度の2000億円に増やす考え。

2012年9月6日木曜日

(1577)読了118冊目:「ビルマとミャンマーのあいだ」

 副題は「微笑みの国と軍事政権」、著者は瀬川正仁(映像ジャーナリスト)、2007年10月・凱風社発行、 269頁、2000円+税。内容は旅行記だが、その土地土地にまつわる歴史・故事を贅沢に詰め込んだ歯切れの良いエッセイ集だ。紹介してる都市・地方は、ラングーン(黄金の寺院とリサイクルの町)、中央ビルマ、バガン・インレー湖(現世と来世)、モンとカレン(マイノリティの苦闘)、シャン州(麻薬ロード)、カチン州・イラワジ川紀行、チン州(古のアジア)、アラカン州(少数民族の現実)と続く。現在ビルマの人口の4割は非ビルマ民族という多民族国家であり、長年にわたり多くの民族が争い、しのぎを削ってきた。表面的には微笑みの国だが、深く付き合えば軍事政権による非情な同化政策がかいま見えてくる。写真も豊富で、日本人に「民族」を教えてくれる良書。

2012年9月5日水曜日

(1576)民主化リーダー祖国へ

  9月2日の朝日新聞は、標記の見出しと「ミャンマー、入国解禁で20年ぶり」という副見出しの記事を掲載した。1998年当時の学生リーダーで、国外亡命後は国際社会に対して同国の民主化を訴えてきた著名な活動家らが1日、ヤンゴン空港に到着した。テインセイン大統領の進める民主化の一環で入国禁止が解除され、帰国が実現した。約20年ぶりに祖国の土を踏んだのは、モーティーズン氏や、トゥンアウンチョー氏ら。一時はタイ国境地帯に拠点を移し、全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)を率いるなど軍政にとっては「最大の敵」だった。空港にはザガナ氏らが出迎えた。集まった数百人の支持者からも相次いで歓声や拍手が上がった(以上概要)。在日民主化活動家の場合も帰国希望者がいるが、大使館の奇妙な『税金』問題で事実上帰国できない例が多い。

2012年9月4日火曜日

(1575)読了117冊目:「祖国を戦場にされて」

  副題は「ビルマのささやき」、著者は根本百合子、石風社・2000年7月発行、322頁、2000円+税。日本軍がビルマで米軍、英印軍、中国軍と戦った時の記録は、戦記ものとして数多く残されているが、その時最大の被害者であった筈のビルマ人の記録は多くはない。著者はこの点に着目し、戦時下のビルマ庶民の生活と本音を探るべく、取材を続けた。戦争初期のころの日本軍は規律が良く、村の取り締まりも厳しかったので、治安はたちまち回復し、ビルマ人女性に対する乱暴もなかったという。日本軍の敗退初期は、整然、迅速に行われていた。一方、泰緬鉄道建設に動員された人物は、日本兵士の横暴さを訴えた。また、インパール作戦の敗走日本兵は、民家に侵入して食料を略奪したが、反面、同情もされた。これら、ビルマ人のささやきに心が痛む。

2012年9月3日月曜日

(1574)やるなあ 難民支援協会

  仮放免中に難民申請した者に対する難民認定の全審査期間は、最近ますます延びており、平均3年以上といわれている。私の周辺にも就労不可のまま、3年4年と待ち続けている外国人が多い。この長い間、その外国人はどうやって生きていけばよいのか?入管に聞くと「難民事業本部や知人からの支援を受けたら良い、入管としては法律に従っている」という。この問題を解決するには結局現行法律を変えるしかない。しかし期待した民主党は難民保護庁案を持っていたが、役に立たなかった。難民関連の法律を変えるにはどうしたらよいのだろうか、と悩んでいた時、たまたま難民支援協会から「新難民法の実現へ(難民が日本で安心して暮らせる社会を目指して)」という政策提言への呼びかけがあった。私が待ち望んでいたテーマであり早速賛同の旨伝えた。

2012年9月2日日曜日

(1573)スーチーさん ビルマからの手紙⑥

  タイトルは「フランス土産『旧友』メグレ警視」、「『一見、平凡』の価値」。6月にフランスを訪問した時、ォランド大統領から作家ジョルジュ・シムノンの全集27巻が贈られた。タイと欧州の歴訪で、知り合った警備担当者たちがとても感じが良かった。長い一日の終わりに警察官の物語を読むのは最高の楽しみだ。議会に毎日出席していると、学生の頃に戻ったような気がする。議員たちが審議の終わる午後4時を待ちわびる様子を見ると、「4時」という曲を思い出す。4時から会議、陳情、書類チェックを続けていると10時になる。就寝前の読書に充てられる時間は45分程度、メグレ警視の話はすでに第2巻に進んでいる。彼の魅力は一見もっとも平凡で退屈に見えるものから発せられるからこそ価値がある。メグレ警視はこの先もずっと大切な旧友であり続けるだろう。

2012年9月1日土曜日

(1572)3閣僚を事実上更迭

  8月30日の朝日新聞には、標記の見出しのほか、「ミャンマー守旧派排除」の見出しが並んでいた。テインセイン大統領は3人の大臣の辞任を発表、いずれも大統領が進める改革政策に消極的とされる人物。27日には、9大臣15副大臣の交代を発表したばかりで、交代を一段と加速させたい大統領の強い意思表示だと受け止められている。辞任した大臣は、第一電力省、建設省、会計検査委員長で、いずれも守旧派の元軍人、汚職のうわさも根強かった。5月には守旧派の代表格とされるティンアウンミンウー副大統領が辞任したが、この場合も大統領との路線対立が背景にあると見られている。また、改革に後ろ向きとされるチョーサン情報相を別の大臣職に移して、事実上の更迭となった。また副大臣には学者や医師などの民間人を積極的に登用している。