2010年2月28日日曜日

(658)難民認定訴訟 妹の敗訴確定

(2010年2月28日)
  母国の民主化運動参加後に日本に入国したビルマ国籍の50代女性が、帰国すると迫害を受ける恐れがあるとして、国に難民認定などを求めた上告審で、最高裁は女性の上告を退ける決定をし、女性の請求を退けた一、二審が確定した。一審での様子は既に本ブログ(260)で紹介したが、とうとう最高裁で結論が出てしまったのだ。ビルマの弁護士資格を持つ日本在住の女性の姉は、難民認定しなかった国の処分を取り消した一、二審判決が既に確定しており姉妹で明暗が分かれた。妹は1997年に他人名義の旅券で不法入国、姉は92年の来日時短期滞在許可を受けたが、その後も不法残留を続けた。姉妹は04年一緒に難民申請をしたが認められず、07年に提訴した。昨年1月の一審東京地裁判決は姉の積極的な反政府活動を認定したが、妹については「政治活動が従属的で間接的」と判断し却下された。

2010年2月27日土曜日

(657)難民数減少、在留特別許可が増加

(2010年2月27日)
  法務省入国管理局は26日難民認定申請と認定(難民・在留特別許可)の状況を発表した。それによれば、2009年中の申請者は1388人で、2年ぶりに減少、ビルマ人は568人で前年比411人減、以下スリランカの234人、トルコ94人、パキスタン92人、インド59人と続いている。一方難民と認められたのは30人(8カ国)にとどまっており、06年の34人、07年の41人、08年の57人と増えていたが、再び06年に近い水準に戻ったことになる。この30人の内訳は、ビルマ(18人)が多く、以下イラン(3人)、アフガニスタン(3人)と続いている。なお人道上の配慮から裁量で滞在を認める「在留特別許可」は501人(19カ国)で過去最多、日本人との結婚や本国に帰せない事情があるとして認められた。このように合計531人に滞在許可が出たわけだが、このうち478人(9割)がビルマ人、今年の選挙でどう変わるのか。

2010年2月26日金曜日

(656)ビルマ人には少ない「再審情願」

(2010年2月26日)
  昨日はオーバーステイ(不法残留)をした外国人は原則強制送還であるが、それを避けるためにビルマ人の場合は難民申請をして強制送還の執行を避けている例を紹介した。ビルマ人以外の場合は難民申請する例は比較的少なく、それに代わる手段として「再審情願」を行っている。昨日の朝日新聞によると、東金市に住むイラン人家族4人は在留特別許可を認める再審情願を申請し、このたび千葉法相がこれを認めた。先月の新聞でも神奈川県に住むペルー人一家も認められた。入管法上にはこの「再審情願」の規定はないが、実務上この「再審」の手続きは行われている。これはあくまでも入管の職権に基づく手続きなので、再審中に強制送還されることもありうる。昨年7月、法務省からの「在留特別許可」のガイドラインが見なおされてから許可が広がったという声も流れている一方、不法入国には厳しくなっている。

2010年2月25日木曜日

(655)難民申請 いろんな場合が

(2010年2月25日)
  最近ビルマ人が来日すると成田空港で難民申請する例があるが、多くは難民としての証拠の持ち合わせがないため、偽装難民の疑いで数ヶ月間成田や牛久入管に収容される。不幸にしてオーバーステイ(不法残留)で収容された場合も多くのビルマ人がすぐに難民申請をしている。なお不法残留でなく偽造パスポート等で不法入国した人は裁判となり、刑事罰を受けた後入管に回され、ここで難民申請をしている。結局正規の在留資格を持っていないビルマ人のほとんどが難民申請をしていることになる。望ましい方法は、短期滞在で合法的に入国し、3ヶ月以内に難民申請すれば多くの場合収容されることなく、在留資格(特定活動)を取得でき、就労も可能となる。ビルマは軍事政権が続き民衆に対する迫害が続いており、在日ビルマ人の難民願望の気持ちはよく理解できる。なお明日は「再審情願」について説明しよう。

2010年2月24日水曜日

(654)難民申請者の歯 無料で診断開始

(2010年2月24日)
  今日の朝日夕刊に標題のような見出しが躍っていたが、このニュースは既に他の方からも流れていた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日事務所と鶴見大学(横浜市鶴見区)が、難民認定を申請中の外国人に無料で歯科診療をする共同プロジェクトを23日から始め、ビルマ出身者など5人が早速診察に訪れたというもの。診療費用は鶴見大学が全額負担し、国民健康保険が適用される範囲と同じ検診や治療をする。この窓口はNPO法人「なんみんフォーラム」が担当する。UNHCRによると「働けず、健康保険に加入できない難民申請者が歯科治療の費用を負担することは難しい」としている。なお診療は鶴見大学歯学部付属病院で毎週木曜日8名まで診療。(以上要旨)。このようにUNHCR、大学病院、NPOが連携するのは日本では珍しく、利用者数も多いと思われるので、この新規事業の成功を祈る。

2010年2月23日火曜日

(653)入管収容ビルマ人への日本語教育

(2010年2月23日)
  いま東京入管に収容されている女性ビルマ人は来日3年以上の人が半数以上を占めている。このため彼女らの日本語会話はまあまあの人が多い。よくビルマ人と面会するときはビルマ語で話しているのと聞かれるが、そんなことはない。日本語で話してだいたい通じている。私は一度に3・4人と会うことが多いので、もし日本語がわからない人がいても誰かが通訳してくれる。このように日本語の会話は上手なので、3級、4級の日本語の問題を差入れているが解答がなかなか返却されない。催促すると小さな声で「読めないんです」と。私は今まで何回もこのことで失敗している。そこでこれからはまず試験問題4級を差し入れ、その結果に従って、次から差し入れる教材を選択することにした。収容期間は約4ヶ月ちょっと、暇な時間がいっぱい有るから、出所するまでにぜひ上手になって、気楽に日本人社会と仲良くね。

2010年2月22日月曜日

(652)品川入管 多人数面会のルール

(2010年2月22日)
  品川入管(正しくは東京入管)で私は毎週ビルマ人女性10人と面会している。常時10人以上収容されているので、全員に面会したいのだが入管側のルールで面会は一日一回10人以下と決まっている。このように一度に大勢の収容者に面会することは、入管側としては避けたい気持ちがあるのはわからないでもないが、面会する私としては遠路かつご老体ということもあり、一度の訪問でなるべく大勢に会いたい。しかし入管側にあまり迷惑をかけたくもない。そこで同じ部屋にいる人をまとめて会うようにしている。一方、面会室の広さは4人が限度、そんなことで、例えばAの部屋から4人、Bの部屋から3人、Cの部屋から3人となるように事前に組み合わせて面会を申告している。こうすることで入管担当者の労力が少しは削減される。なおビルマ人が面会するときは10人ではなく数人以下に制限される場合が多いようだ。

2010年2月21日日曜日

(651)ビルマ今週のニュース(1007号)

(2010年2月21日)
  BURMAINFOのニュース(1007号)から抜粋。 ★ヤンゴンインセイン区の衣類工場で16・7日労働者約100人が賃上げや労働条件の改善を求めてストライキ、軍政当局は武装警官を出して警備体制を強めた。ヤンゴンでは8・9日にもフラインタヤー産業区の工場労働者数千人が賃上げを求めてストを行った。 ★国連人権理事会のビルマ担当キンタナ特別報告者が15-19日にビルマ訪問、アラカン州の2箇所の刑務所で政治囚と面会、さらに政治囚が400人いるインセイン刑務所を訪問した。 ★国境なき医師団などの報告によれば、最近のバングラデシュ政府の取締りの影響で数千から数万のロヒンギャ民族が住居を失い食糧援助も足りず、人道危機に陥っている。同国には難民として保護を受けるロヒンギャ住民は3万人しかおらず約20万人は保護の対象外でビルマへの強制送還などの危険に直面してる。

2010年2月20日土曜日

(650)昨日からドキドキはらはらの連続

(2010年2月20日)
  昨日から胸がドキドキはらはらする日が続いた。と言っても冬季オリンピックの話ではない。昨日我が家に光が差し込んだのだ。NTT東日本の「フレッッ光」が差し込んだ記念すべき日だった。午後過ぎ3台の大型トラックが我が家の前に止まり、すぐ工事が始まった。前の電柱から光電線を我が家に引っ張り、4台のテレビのうち2台に光をさし、地デジはもちろんBSもみられるようになった。おりしも男子フィギャーで高橋選手が銅メダル、美しさを思う存分味わえた。問題はパソコンの方、昨日光の配線は終わったが、ルーターの調子が悪く結局インターネットやメールが動かなかった。もしこの状況が続けば、毎日続けてきたブログも中止しなければ・・・・。例によって埼玉から息子を緊急召集し万全を期したが、5時間たっても埒が明かず、最後には画面が独りでに動くリモートサポートのお世話になりやっと解決、バンザイ!

2010年2月19日金曜日

(649)私のマニフェスト その後

(2010年2月19日)
  民主党のマニフェストは最初は斬新で勇ましかったが、最近はボロが出てきて新聞・テレビを賑わせている。一方私のマニフェスト{(622)、(624)、(626)など}も大分ガタが来ている。特に大きな誤算は「切手整理」であり、市場価値が低迷している中で、どのように整理したらよいのかうまい方法が見つからない。このためしばらくはお手上げ状態となる。一方現在快調なのは「自分史」の執筆。そもそも執筆の目的が大きく変わってきており、親戚や友人50人ぐらいを対象に、出来るだけ読みやすいものを作ることに決めた。構想としては、35章70頁程度を考えており、全章写真を使い文字を減らして読みやすくしている。内容的には、誕生からお墓までを35章に分け、各章を2頁に細分しようと考えている。既に誕生からライオン入社までの7章、14頁がほぼ出来上がった。目標の5月発行はなんとかなりそうな感じだ。

2010年2月18日木曜日

(648)中西ブログ:ヤンゴンで大火があった

(2010年2月18日)
  ヤンゴンの日常の様子を知りたい方には先日(643)で紹介した中西修氏の「ミャンマー・日本語教室ブログ」がおススメと書いたが、早速紹介しよう。きょう2月18日のブログを読むと、ヤンゴンで大火事があった旨掲載されていた。概要は2月12日夕方ヤンゴン市ティンガンジュン地区のティンガンジュン市場で火事があり、テナント650軒以上が全焼、原因は市場の電線がショートしたことによると紹介、ビルマでは2月、3月に大火事が多いがこれはビルマ特有の「停電」が原因であると中西氏は指摘している。彼の説によれば、停電復旧時定格より高めの電気が流れるので電線がショートしやすいという。ビルマでは外出するときは必ず元電源を切らなければ、いつショートするかわからない。日本人は冷蔵庫も付けっぱなしで出かけるが、ビルマでは絶対してはならないという。こんな気楽で日常茶飯事的な記事が多い。

2010年2月17日水曜日

(647)今日は楽しい水曜日

(2010年2月17日)
  普通だったら「今日は楽しい週末だ」と言う所だが、私の場合は「水曜日」に替えている。勿論若き乙女たちとデートをする日であり、いつも水曜日が待ち遠しい。今日は久しぶりにNPPさん親子と一緒だったが、入管につくとCCMさん親子と合流、子供同士は何も喋れないのにすぐにお友達だ。しばらくして受付で既に3人が出所したことを聞きすごく嬉しかった。面会では先日入所したばかりの若い女性が涙を流しているのに気がついた。彼女にとって不本意な収容であり、大きなショックを受けたのであろうが、みんなが彼女を励ましていた。面会終了後、仮放免の担当者に保証人が亡くなった場合の対応法を聞き、すぐ質問者に伝えた。品川駅で STさんと落ち合い仮放免延長申請書に署名、その間入管に呼ばれて不安いっぱいのEPTさんに会ったが、しばらくして特定活動1年の資格を得たとの電話が、ああ良かった。

2010年2月16日火曜日

(646)名著「アーロン収容所」

(2010年2月16日)

  いま私は会田雄次さんが書いた「アーロン収容所」を読んでいる。会田雄次さんといえば日本を代表する知識人、私より12歳年上、京都帝大卒業後昭和18年27歳のときに応召、ビルマ戦線に送られ、戦後2年間英印軍の捕虜としてラングーン郊外のアーロン収容所に抑留された。その間の捕虜生活の実態を軽快なタッチで平易に紹介しており、とても面白く読めた。しかし読み終わってみると実はこの小説はイギリスという国への文明論ではないかと感じた。そして同時に捕虜である日本人自身を語る日本人論でもあるような気がした。著者自身は、英軍さらには英国というものに対する燃えるような反感や憎悪を抱いて帰ってきたという。当時の西欧ヒューマニズムに対する日本人の常識を根底から揺さぶり、西欧観の再出発を余儀なくさせた名著である。中央公論社(中公文庫)、昭和48年初版発行、245頁、240円。


2010年2月15日月曜日

(645)朗報か  NLDナンバー2を解放

(2010年2月15日)
  最近ミャンマー関係のニュースが少ないなあと思っていたが、今朝は大型ニュースが飛び込んできた。朝日新聞に「軍政、野党副議長を解放」、「スーチーさん処遇焦点」との見出し。軍事政権は13日夜民主化運動指導者アウンサンスーチー氏(64)率いる野党・国民民主連盟(NLD)のナンバー2で、自宅軟禁下にあったティンウ副議長(82)を6年9ヶ月ぶりに解放した。副議長は03年5月国家防御法に違反したとしてスーチーさんと共に拘束され、裁判が開かれぬまま04年2月からヤンゴンの自宅に軟禁されたが、軍政が定めた6年の満期を13日に迎えた。法律上の満期日に解放したことは極めてまれで、同じ措置がスーチーさんにとられるかどうかが今後の焦点となる。現在のところ選挙実施後の今年11月説が有力だが、国民に対する影響力が根強いため、そう簡単には踏み切れないだろうとの説も流れている。

2010年2月14日日曜日

(644)ビルマ今週のニュース(1006号)

(2010年2月14日)
  BURMAINFOのニュース(1006号)から抜粋。 ★ヤンゴン近郊のフラインタヤー産業区で8日と9日、衣類工場などの労働者3千人以上が賃上げや残業代の支払いを求めてストライキを実施、軍政は武装警官数百人を出動させ「解散しなければ武力で応じる」と警告したためストは終了。ビルマでは労組は禁止され集団交渉の権利もない。 ★ビルマ国軍は8日カレン州のニャウンレビン地区の2つの村を攻撃し、国内避難民が使っていた家屋や学校などを破壊、この攻撃で80家族が逃げ、ジャングルに隠れている。国軍は1月にも同地区で10の村を攻撃し、約2千人が避難民となっている。 ★タイ国軍は昨年からタイ国内に避難していたカレン難民3家族12人を元の住宅に強制送還したが、身の危険を感じ現在3家族はタイ側に戻った。 ★ビルマ出身で米国籍の民主化活動家ニーニーアウン氏に懲役5年の判決が。

2010年2月13日土曜日

(643)面白いぞ ミャンマー・日本語教室ブログ

(2010年2月13日)
  皆さんは中西修先生の名前を聞いたことがあると思う。私が彼を知ったのは14、5年前、私のビルマ語の恩師チェリー先生の紹介で時々一緒に飲んだ間柄である。彼は東京外大ビルマ語科を卒業していたのでビルマ語がペラペラ、私が秋葉原でミンガラ日本語教室を創設した頃、彼はヤンゴンでWIN日本語学校を創設したのだ。その後彼はカレン美人と結婚し現在2人のお嬢さんと一緒に暮らしている。このような環境なのでヤンゴンから毎日のように発信している彼のブログ「ミャンマー・日本語教室ブログ」はヤンゴンでの日々の暮らしを楽しいタッチで伝えている。例えば最近のブログでは「新米と古米の話」、「メーター制が定着しないのは乗客のせい?」、「ミャンマー観光関係の数字」、「スイカを買った」、「成田行き格安チケット」、「ダイナ(トラックバス)が消えた」など。ヤンゴンのいまの暮らしが平易にわかり面白い。http://blogs.yahoo.co.jp/winjapn1789/12111432.html#12143554

2010年2月12日金曜日

(642)外国人参政権に賛成?反対?

(2010年2月12日)
  最近外国人参政権の話題が賑やかだ。日本に永住している外国人に地方選挙投票権を与えようというもの。対象となる外国人永住者は主に朝鮮半島出身者であるが、それ以外の国の出身者も入り、ビルマ人も数は少ないが対象となる。一昨日の朝日新聞によれば「外国人参政権に高い壁」、「自治体から反対論噴出」、「首相は受身」と出ていた。これは9日に行われた全国都道府県議会議長会で反対論が噴出し、鳩山首相も衆院予算委員会で自民党の高市議員に詰め寄られ「政府内で考え方がまとまっていない」と歯切れが悪かったと伝えている。賛成しているのは主に民主党、社会党、共産党であり、反対しているのが自民党や国民新党など、特に国民新党の亀井代表はテレビなどで絶対反対を唱え「参政権を得たい人は帰化すれば良い」といっている。私は「共生」の立場から賛成であるが、皆さんはいかが。

2010年2月11日木曜日

(641)ビルマの政治囚は増えている

(2010年2月11日)
  政治囚支援協会(AAPP)は1月29日にビルマの政治囚についての年次報告書を発表。 ■2009年12月31日の時点で、ビルマの政治囚は2177人で前年から15人増、 ■燃料費の大幅値上げを機に反軍政デモが始まった2007年8月以降に逮捕されいまも拘束されている活動家は1167人、 ■09年中264人が政治囚として拘束され129人が判決を言い渡された。71人が遠隔地の刑務所に移送され、家族の面会が困難となるため、食料や薬の差入が受け取れなくなる場合がある。 ■刑務所内で続く拷問、不十分な医療体制、長期間の拘束など被拘束者の健康が害されている。09年12月の時点で129人の政治囚が健康上の問題を訴えている。 ■軍政は2月と9月に合計160人の政治囚を釈放したが、指導者的立場の政治囚は皆無、 ■この報告書の数値をみると政治囚は増えてる。(BURMAINFO)。

2010年2月10日水曜日

(640)パオ族の女性二人

(2010年2月10日)
  今日は恒例の品川でデートする日、いつもより少しおめかしをして入管へ。ビルマ人女性10人に面会を申し込んだが、2人は体調不良で面会ができなかった。みな長期の収容なのでストレスが溜まっているのだろうか。せいぜいジョークを言って気を休ませることしかできない。ところで先週からビルマのパオ族の女性が一人入り、これで2人となった。パオ族の人は日本では珍しく、日本で生活している人数はせいぜい10人ぐらいだろうと言われているのに、この入管の狭いところに2人もいるとは。そこで私は予め2人が一緒になれるように面会の組み合わせを考えておいた。2人はこの面会で初めて顔を合わせたのだが、意気投合したというのか10分の面会時間中2人で喋り捲っていた。よっぽど懐かしかったのだろう。私は折角みんなと仲良くデートしようと張り切って来たのだが、仕方なく年配の女性と話を続ける羽目に。

2010年2月9日火曜日

(639)ビルマ語による医療用語集

(2010年2月9日)
  昨日に引き続き(財)アジア福祉教育財団・難民事業本部発行の書籍「医療用語集」(ビルマ語版)を紹介する。この書籍は2005年2月に改訂版が発行され、関係者に無料で配布されている。難民事業本部は日本で生活する難民定住者の方々の支援事業の一環として編集・発行したもの。この「医療用語集」は、日本の医療現場で必要になる用語や医療関係者と交わす会話など医療に関わる様々な場面を想定して、日本語と英語とビルマ語を対照できるように掲載したもので195頁。難民定住者はもとより、医療機関や難民支援団体にも配布されている。同種の書籍としては、NPO法人 AMDA国際医療情報センターからも「診察補助表」という書籍が発行され、ビルマ語を含む16ヶ国語に対応している。こちらは頒価5千円。ミンガラ日本語教室では毎年無料健康診断に参加しており、今年は40人が参加した模様。

2010年2月8日月曜日

(638)難民認定されたビルマ人の暮らしのために

(2010年2月8日)


  アジア福祉教育財団難民事業本部(通称RHQ)から発行されている「生活ハンドブック:認定された方の日本での暮らしのために(日本語・ビルマ語)」(無料)という本を見ている。改訂版発行は2005年2月、132頁。内容は1章から9章まであり、法的な手続き、暮らし、仕事、住居、医療、教育、事故・火事・救急車、自然災害、税金・年金・保険と続き、日本語とビルマ語が左右の頁に分かれて記載されている。このハンドブックは難民定住者及びその家族を対象に作成されたものであり、難民認定申請者には福祉や保険の制度など利用できないことも書かれているのでこの点注意が必要である。しかし多くの在日ビルマ人にも役に立つことがいっぱい記載されており、日本人である私でも参考になる点が多い。特定用途のためこの書籍は市販されておらず、難民事業本部(03-3449-7015)に問い合わせするしかない。

2010年2月7日日曜日

(637)イラワジ河で住民反対のダムが着工

(2010年2月7日)
  メコン河流域国の開発問題に取り組むNGOメコン・ウオッチからの情報をビルマ情報ネットワークと通じて得たので紹介する。2009年12月、ビルマのカチン州で、ビルマ軍政と中国がイラワジ川の本流に計画しているミッソンダム着工を祝う式典が2人の大臣出席のもと開かれ、建設により悪影響を受ける周辺住民も参加を強制された。地元住民はダムを受け入れないとの意思を明確にしているのに式典で拍手をするよう要請を受けた。このミッソンダム(出力3600メガワット、50階建のビルに相当)はイラワジ河上流域に建設が計画されている複数のダムの中の一つであり、生産される電力は中国に輸出されることになっている。このダムの建設により約40のカチン民族の村が水没し、1万5千人が移転させられると推定されているが、適切な環境社会影響調査は行われていない。日本でも「八っ場ダム」問題があるが。

2010年2月6日土曜日

(636)ビルマ今週のニュース(1005号)

(2010年2月6日)
  BURMAINFOのニュース(1005号)から抜粋。 ★日本政府は「第三国定住」制度によりビルマ難民を受け入れるためタイのメソトで移住候補者の面接を始めた。候補者はUNHCRが推薦した十数家族。アジアでは日本が最初の受入国であり、選ばれた難民30人が9月に来日する予定。 ★カレン女性機構(KWO)はタイ政府に緊急要請を行い、タイのターク県ターソーヤンに住むカレン難民3000人をビルマ側に強制送還する計画を中止するよう求めた。送還予定地区は地雷原。 ★ビルマ政治囚支援協会(AAPP)の2009年年次報告書によれば2009年末の時点でビルマの政治囚は前年より15人多い2177人。 ★シャン州のナムカーン郡とマントン郡では3年間にケシ栽培面積が5倍に。 ★岡田外相は「ビルマにおいて開かれた公正な選挙が実施され、民主化プロセスが進むよう対話を強化する」と。

2010年2月5日金曜日

(635)進みだした「切手整理」と「自分史作成」

(2010年2月5日)
  私のマニフェストで、いまの中心課題は「切手整理」と「自分史作成」。切手整理は何千枚はあろうかと思われる切手をどうしたら整理できるのか頭を悩ませている。今の考えは「外国切手」は二束三文でいいから業者に売る、あるいは慈善団体に寄付することを考えている。まず外国切手だけを集める作業を近く開始する。もう一つの「自分史作成」のほうは、約30項目の見出しを作成し、それにあった写真を集める作業を考えた。しかし、各見出しにあう写真を探し出すには意外と手間がかかるので、逆に適当な写真を選び出してからそれに見合った見出しをつける方法でスタート。こうすると、いままで気がつかなかった新しい見出しも続々誕生。近年の写真はパソコンに整理されているが、問題はそれ以前の写真、一枚ずつ見て適当な写真2-3枚に1テーマという感じで進めたい。「写真でみる自分史」になりそうだ。

2010年2月4日木曜日

(634)第三国定住 収容者はどう考える?

(2010年2月4日)
  昨日は水曜日、例によって品川の入管で女性10人と面会した。その際駅で買った読売新聞の記事「ミャンマー難民、法務省が面接」、「第三国定住制度90人受け入れ」という見出しの記事をガラス越しに見せ、来日希望者が少ないことに対して意見を聞いた。「アメリカやオーストラリアは実績があり信頼できるが、日本は未知なのでなんとなく不安」、「海外で住みたい人は既にみな出て行ったので残っている人はいまいるところを離れたくない」、「私たちが日本に来て難民申請しているが、収容されたり就労できないなど苦労が多い、こういう情報が現地に流れているのでは」という回答があった。いずれも的を射た意見であり、これらは長い間「難民鎖国政策」を続けてきた日本政府の責任であろう。同時に「今度来る30人が優遇され私たちとの間に格差が生じることが不安」との発言もあった。入管当局は頑張ってほしい。

2010年2月3日水曜日

(633)前進 ビルマ難民受け入れへ

(2010年2月3日)
  標記の件、今朝の朝日が引き続き大きな記事を掲載していた。「難民受け入れ策前進」、「日本、現地で募集」、「ミャンマー人3年で90人」、「研修・就労・支援に課題」などの見出しが並ぶ。今回は5万人もの難民がいるメラキャンプが対象なので、私は希望者が殺到するかと思ったが、新聞では3家族14名だけとあった。日本に来たがらない理由として、海外に出る意欲のある難民は既にアメリカ、オーストラリア等に移住しており、残ってる難民は先進国での暮らしに不安を抱えているという。この第三国定住制度を実施している国は15カ国で、総計88800人を受け入れており、日本はやっと仲間入りしたが後進国である。また日本では受け入れ後の課題として日本語、日本文化、社会制度の教育など山積しており、就労先は受け入れた地方自治体等と連携して探すことになる。日本は難民受入先進国になってほしい。

2010年2月2日火曜日

(632)第三国定住難民はどこに

(2010年2月2日)
  今年はビルマで総選挙が行われる年だが、日本ではタイ国境にいるビルマ難民30人を政府が受け入れる最初の年でもある。いわゆる「第三国定住」がスタートする画期的な年なのだ。この話は2・3年前からあったが、具体的情報は皆無の状態。うわさでは、岡山県の桃栽培に30人を受け入れるという話があったが、その後何もない。ところが今日の朝日新聞窓欄に、「松本を人道都市に」という見出しで、定住先に松本市が名乗りをあげ彼らの生活や就職を支援しようという運動が起きていることを紹介している。言い出したのは隣の町に住んでいた国連難民高等弁務官事務所の駐日代表を務めていた滝沢三郎氏、彼が故郷で講演した際、高校の同級生に囲まれこの話を持ち出したところ賛同を得て、昨年春から難民の実情を伝える映画祭やコンサートを開き、市長も「松本を人道都市にしよう」と支援を約束したという。

2010年2月1日月曜日

(631)読みやすい! 熊切さんのブログ②

(2010年2月1日)
  昨日に引き続き熊切さんのブログ「BURMA BORDERLINS NEWS」を紹介しよう。昨日の6個のタイトルの後、「第62回カチン州の日式典」、「ヘーゲル弁証法的成長観」、「微妙な発音あるある(1)(2)」、「反省上手」、「親切心がアダに」と続いている。いずれも内容を読みたくなるような題名ばかりだ。私が面白いと思ったのは「反省上手」、ビルマ人が反省する機会の少ないことを取り上げているが私もまったく同感。また「微妙な発音あるある」のなかで「みゃ」と「みや」の発音のところ、私も「ミンガラ日本語教室」でアイウエオクラスを教えているとき、この拗音のところで困ってしまう。「みゃ」は熊切さんの指摘の通り辛うじて「脈」があるから助かるが、次の「みゅ」は代表例がなく教えようがない。次の「みょ」は「名字」とか「明朝」とかみょうに多い。とすると平仮名の「みゅ」は日本語から削除してもいいかなとさえ思う。