2016年4月30日土曜日

(2911)ヘイトスピーチがあぶり出す闇、スーチー氏には鬼門か③

  昨日に続く。世界宗教者平和会議ミャンマー委員会は、米国務省の助成を受け、異なる宗教間でも協力し合える宗教者の育成に取り組んでいる。紛争の元凶となる貧困の解消が重要という共通認識の下、貧しい家庭の子供や孤児たちを保護する活動も協力して実施している。日本はミャンマーに対し、2014年度にODA1235億円の支援を行っているが、宗教指導者たちはそれに謝意を述べつつ、さらなる援助を要請した。キリスト教会代表は「子どもへの質の高い教育を」、仏教会代表も「無償の義務教育を」、「社会的課題を目的とするソーシャルビジネスへの投資」を求めた。最後のフロンティア」として注目されているミャンマー、官民挙げて支援を行ってきた日本が、現地宗教指導者の求めに応じることはできるだろうか(以上)。スーチー氏の決断は?・・・・。

2016年4月29日金曜日

(2910)ヘイトスピーチがあぶり出す闇 スーチー氏には鬼門か②

  昨日に続く。ミャンマーでは仏教が89%、キリスト教とイスラム教が各4%、民族はビルマ族が68%。多数派による少数派の抑圧は、英国から独立した1948年以降未解決の問題だ。シンポジウムではまずキリスト教の宗教指導者が「あらゆる宗教が教義を一致させる必要はないが、使命は同じ・・・共通するのは思いやりだ」。スーチー氏に関しては「重要な地位を占める軍に彼女は妥協しようとしているが、肯定的に考えたい」と信頼を寄せた。宗教紛争は「存在せず」。イスラム教代表者も「人権が尊重され信教の自由が保障される民主主義は我々の希望だ」、「イスラム教は決して脅威ではない。互いの宗教を理解すれば克服は可能だ、正しい仏教がわが国で繁栄してほしい」。仏教側は「宗教的な紛争はミャンマーにはない、紛争を起こしたのは軍事政権だ」と。

2016年4月28日木曜日

(2909)ヘイトスピーチがあぶり出す闇 スーチー氏には鬼門か①

  4月27日の産経ニュースより。ミャンマーから仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教の宗教指導者10人が来日、4月6日に東京で行われたシンポジウムに揃って出席、異なる宗教の融和をアピール。席上スーチー氏と日本に期待する発言も相次いだ。ミャンマーでは2012年以降、仏教徒とイスラム教徒が抗争を繰り返し250人以上が死亡、それでも仏教界の指導者らは「ミャンマーに宗教紛争はない」と語り、これまでの軍事政権に原因があったとした。世界宗教者平和会議日本委員会の招きで来日。特に注目したのが仏教徒とイスラム教徒(ロヒンギャ)の対立だ。前政権は12年にラカイン州に非常事態を宣言、15年には隣国を目指すロヒンギャ船の漂流問題が生じ、さらに過激派仏教徒によるヘイトスピーチなど、反ロヒンギャ運動が続いた(続)。

2016年4月27日水曜日

(2908)ミャンマー沖でボート転覆 21人死亡

  4月22日のミャンマーニュースより。ミャンマー西部ラカイン州沖で60人以上が乗った船が19日に転覆し、子供9人を含む少なくとも21人が死亡したと国連報道官が発表した。乗船していたのは、ラカイン州のイスラム少数民族ロヒンギャの避難民キャンプに暮らす人々で、市場への買い出しに向かっていたとみられる。行方不明者もおり、死者はさらに増える見通しだ。ラカイン州の保安当局は事故を認めたが、犠牲者は14名であると報告。転覆の原因を当時波が荒かったためとし、乗客を「ベンガル人」だとしている。ラカイン州では2012年にイスラム教徒と仏教徒の大規模な衝突が起き、数百人が殺害された。スーチー氏は「少数民族の自治権拡大」を誓ったが、ロヒンギャの窮地に対する発言はなく、国際的に非難された。今後、新政府の対応に 注目。

2016年4月26日火曜日

(2907)スーチー氏と会談:岸田外務大臣が大型連休にミャンマー訪問を調整

  4月24日のミャンマーニュースより。岸田外務大臣は4月下旬からの大型連休に、新政権が発足したばかりのミャンマーを訪問することで調整に入ったという。実現すれば、国家顧問や外務大臣を兼務する実質的なリーダーであるスーチー氏と会談し、新政権との信頼関係を強固なものにするべく、同氏の来日を求める見通しだ。日本政府はミャンマー新政権を全面的に支援する方針であることを伝えるとともに、安倍総理大臣からの親書を持参するという。また岸田外務大臣は、ミャンマーの他にも、中国、タイ、ラオス、ベトナムを訪問する予定だ。ミャンマーでは、4月5日に中国の王毅外務大臣が迅速に訪問したが、日本としても早急な関係強化が不可欠と判断、活発化するインフラ事業への投資を加速する狙いがある。日本政府の早い決断が期待される。

2016年4月25日月曜日

(2906)ミャンマー前与党、親スーチー派17人追放

  4月25日の朝日新聞より。テインセイン前大統領が党首を務め、旧軍政の流れをくむ前与党・連邦団結発展党(USDP)が、新政権を実質的に率いるアウンサンスーチー国家顧問に協力するシュエマン下院議長ら17人を党から追放したことが24日、明らかになった。スーチー氏との協調路線を取ったシュエマン氏は、党内の主導権争いでテインセイン氏と対立。昨年8月に「党内クーデター」で党首の座を追われた。テインセイン氏は今回の措置で、新政権との対決姿勢を明確にした形になった(以上)。何とも残念な結果となった。テインセイン氏が大統領職を離れるときは、スーチー氏と協調する姿勢も示していたが、スーチー氏の「大統領の上に立つ」発言からか、両者間の亀裂が拡大した。軍が周到な準備の上で成立させた「憲法」の問題もその一因である。

2016年4月24日日曜日

(2905)ミャンマーの電力整備計画難航、住民ら反対運動、新政権の政策が鍵

  4月22日のSankeiBizより。ミャンマーは電力整備計画が難航している。電気普及率が3割程度の同国は、経済成長に向けて電力増強が不可欠だが、発電所建設予定地の反対運動などで大規模事業が進まず、政府が策定した電力計画の実現が危ぶまれている。同国政府によると、ミャンマーは電源となる天然資源は豊富。水力発電(1億キロワット)、石炭(7億トン)、天然ガス(3千億㎥)、石油(4億バレル)と言われ、風力発電、太陽光発電も加えると、2030年までに2400万キロワットを確保し、普及率100%を目指すという。しかし法律や政策の不備、特に地元住民の反対で、計画は進んでいない。専門家は発電だけでなく、変電や、配電といった問題も同時に解決すべきという。3月末に発足した新政権が打ち出す政策が、今後の電力計画の進行を握る。

2016年4月23日土曜日

(2904)ビルマかミャンマーか スーチー氏「強要せず」

  4月23日の朝日より。「皆さんが心地よいように『ミャンマー(Myanmar)』をときどき使うように私も努力している」。ミャンマーのスーチー外相は22日、各国外交団との面談で、軍事政権が1989年に「バーマ(Burma)」から変更した対外向けの英語の国名を容認する姿勢を示した。日本語のビルマに当たる「バーマ」。スーチー氏は軍政が国民の声を聴かなかったことなどを理由に、英語で発音する際は「バーマ」を使い続けてきた。スーチー氏は各国代表団に、「私は『バーマ』に慣れているからよく使うが、強要はしない」と述べた。国軍への配慮とみられる(以上)。なお同日のTBS系ニュースは、70カ国の外交団に対し、「私たちは中立で全世界との友好的な協力関係を築いていく方針」と説明、民主化への協力を求めた。テインセイン前政権の方針を踏襲する。

2016年4月22日金曜日

(2903)ラカイン州で国軍とアラカン軍が衝突、国軍兵士約20人死亡

 4月21日のミャンマーニュースより。新年早々のミャンマー・ラカイン州で、16日からミャンマー軍と少数民族武装勢力のアラカン軍が武力衝突を繰り返している。アラカン軍が19日に発表したところによると、戦闘により、国軍の指揮官1人が死亡したほか、兵士20人が死亡したという。アラカン軍の兵士には、負傷者がいるものの死者はいないという。戦闘において、国軍はアラカン軍のキャンプ地や、建物を占拠したほか、アラカン軍が所有する小規模鉱山を占領した。この春に発足したNLD新政権は和平の実現を公約に掲げているものの、国軍は新政権が発足する以前からアラカン軍の鎮圧を目標にしていた。戦闘が現在も終息していないのが現状だ。アラカン軍によると、問題のすべては政治的な問題で、問題解決のために政府側と対話を求めてきた。

2016年4月21日木曜日

(2902)米シェブロン ミャンマーのガス田権益売却へ

  4月18日のロイター通信より。米国の大手石油関連会社であるシェブロンがミャンマーのガス田権益を売却する方針を発表。売却されるのは、同社がミャンマーで28%の所有権を有するヤダナとセインのガス田、そして99%の所有権を有するラカイン盆地における探鉱ブロッグA5も含まれるという。前者はアンダマン海に位置し、フランスのトタル社が運営し、タイ国内の発電所やミャンマー国内に供給される。後者は石油調査や製造を手掛けるオーストラリアの会社により最近発見されたガス田だ。推定資産13億米ドルとなるこの売却は、実現すれば史上最大のM&Aとなる。潜在的な買い手はオーストラリヤ石油会社、タイ企業、日本商社、中国企業が挙げられる。2014年6月以降、低オイル・ガス価格が続く中、シェブロンは非中核資産の売却に踏み切った。

2016年4月20日水曜日

(2901)「今でも一番の親日国」ミャンマーに流れる「日本軍への恩」

  4月20日の産経ニュースより。スーチー氏の父親は「建国の父」とと称されたアウンサン将軍だ。南機関(鈴木少将)に見いだされ30人の志士として日本軍に協力。インパール作戦が失敗し日本の敗色が濃くなると、アウンサンは連合国側に寝返った。この対日蜂起が行われたのが45年3月27日で、同国の国軍記念日となった。戦後アウンサンのことを「反日闘士」と言われたことがあるが、81年にビルマ政府は鈴木少将ら7人に国家最高勲章を授与した。2014年に訪日した国軍司令官は鈴木少将の生地浜松市にある「ビルマゆかりの碑」に参拝している。ミャンマーが民主陣営にくみすることは、日本の安全保障にとって極めて重要だ。中國はミャンマーでの影響力行使を通じてインド洋への進出を狙う。いま、日本とビルマの軍事協力を甦らせるときである。

2016年4月19日火曜日

(2900)ス-チー氏改憲に意欲、新政権 国民へ初の演説

  4月19日の朝日より。スーチー国家顧問は18日、3月末の新政権発足後、始めて国民向けに演説した。民主化の完成に向け、憲法改正や国内平和の実現などの公約に加え、国の発展のために国民の能力向上に力を入れる方針を示した。スーチー氏はNLDが昨年の総選挙時に示した国民和解や改憲の実現といった理念に基づき、政権を運営すると強調。少数民族武装勢力と包括的な停戦協定を目指す意向を示しつつ、「和平の実現と真の連邦民主国家の創設は密接に関係している。それが憲法改正が必要な理由だ」と訴えた。また「国民が傷つかず国の平穏を乱さない方法で実現する」と述べ、改憲に消極的な軍の説得に努力するとした。さらに「ミャンマーは資源が豊富と言われるが、本当に重要なのは国民の能力だ」と指摘、教育・人材育成を強調。

2016年4月18日月曜日

(2899)ミャンマー大統領 政治犯63人に恩赦 人権監視団体が発表

  4月17日のAFPより。ミャンマーのティンチョー(Htin Kyaw)大統領は、同国の新年にあたる17日、少なくとも63人の政治犯に恩赦を与えた。先月大統領に就任して以来、ティンチョー氏の目だった政治的行動はこれが初めて。スーチー氏が事実上率いる政府は、優先事項として、軍事政権時代に収監された政治犯の釈放を掲げていた。人権監視団体「ビルマ政治囚支援協会」は、「報告によると大統領の恩赦により、63人の政治犯が複数の刑務所から釈放された」と発表した。ティンチョー氏は、17日朝、恩赦により83人が釈放されると発表したが、そのうち何人の政治犯が含まれるのかは特定されていなかった(以上)。今朝私のメールに、アウンチョージン氏(教室の初期生徒・最初の1級合格者)から 弟のネイミョージン氏が釈放との吉報が入ってきた。

2016年4月17日日曜日

(2898)スーチーさんのTシャツ(風欄) 大野アジア総局長

  4月16日の朝日より。4月上旬に発売された最新作のTシャツは2種類。一つは大統領に就任したばかりのティンチョー氏の顔と「OUR PRESIDENT」の文字、もう一つはスーチー氏の横顔に「OUR LEADER」。「我らが大統領」と「我らが指導者」だ。ティンジャン前後は1年で最も暑い。街を歩けばマーケットや露店でも見かける。数年前まで、スーチー氏の顔を見ることはなかった。写真も著作も「禁制品」だった。当時ボージョーマーケットでスーチーTシャツを扱い始め、ヒヤヒヤしながら外国人観光客(日本人が多い)に売っていた。軍人が作った憲法には、軍支配の仕掛けが埋め込まれている。新作Tシャツを2種類作らなければならないなど。「大統領の上に立つ」発言は、法の支配のもとに体制を民意に近づけることで批判ではない。今後も 難問が待っている。

2016年4月16日土曜日

(2897)ミャンマーの女帝「スーチー氏」はなぜ嫌われるのか③

  一昨日、昨日に続く。スーチー氏への批判はこうした人種問題だけに収まらない。民主主義を標榜するNLDは、スーチー氏一人による独裁的な政党だ。スーチー氏がすべての決定権を固く握っており、「民主的な独裁者」と呼ぶ人もいる。ティンチョー大統領自身も、スーチー氏がすべての決定を行うと認めている。まさに「女帝」だ。スーチー氏は野党時代、ロヒンギャ問題への方針決定は政府の責任だとして、自らの意見を言わなかった。NLD政権の頂点から、自分がすべての政策決定を下すと宣言しているスーチー氏に、もう逃げ場はない。今度は彼女が、人種問題に向けた方策を示す時だ。「ノーベル賞を剥奪せよ」とキャンペーンするのは、それを見てからでも遅くはない(以上終り)。日本政府は、スーチー氏の苦悩を減ずる方策を考えてほしい・・・と思う。

2016年4月15日金曜日

(2896)ミャンマーの「女帝」スーチー氏はなぜ嫌われるのか②

  昨日に続く。「スーチー氏のノーベル平和賞を剥奪しろ」というキャンペーンに対し、ミャンマーからは「このようなキャンペーンはさらに国内紛争をもたらす」という否定的な意見が出た。ミャンマーにはロヒンギャ族(人口約百万人)というイスラム教徒がおり、仏教徒が9割いるミャンマーでは、国民と認められず迫害を受けている。スーチー氏に「民族浄化」ではないかと聞くと否定し、「両サイドが恐怖心を持っていることに起因している」と回答。しかし実際にはイスラム教徒の方が海外に逃げ出すなど、恐怖心は対等ではない。スーチー氏は「両成敗」と言いたいようだが、イスラム教徒の方が14万人も家を追われている。スーチー氏はいまのところロヒンギャ問題に触れたくない。署名運動の説明文には 「どんな宗教でもお互いに尊重し 差別しないようにすべき」と。

2016年4月14日木曜日

(2895)ミャンマーの「女帝」スーチーはなぜ嫌われるのか①

  4月7日のITmediaより。3月30日、ミャンマーで半世紀ぶりに新政権が発足し、世界中で大きな話題になった。スーチー氏は外相、大統領府相、大統領報道官のほか、「国家顧問」に就任。内外からの期待が大きい。だがここに来て同氏を非難する声が上がっている。最近インド人ジャーナリストから「スーチー氏は人種差別者なのか?」と聞かれた。彼が興味を抱いたのは「スーチー氏のノーベル平和賞をはく奪しろ」というキャンペーンだ。署名運動を行うサイト[Change.org]で、3月28日にイスラム教国インドネシアに暮らす120人が発起人となって発足した。4月4日現在5万人以上の署名が集まっている。7万5千人以上に達すると、ノルウエーのノーベル委員会に送られる。コメント欄を見るとインドネシアのほか米、英、加など世界各地の人が集まっている。

2016年4月13日水曜日

(2894)経済成長が最優先、鍵は地方開発、金融改革、徴税強化

  4月12日のSankeiBizより。ミャンマーの新政権は、新しい形の経済成長を目指す方針だ。3月末に発足したティンチョー政権のチョーウイン財務相は、「経済成長が最優先の課題となる」と明言、現地紙ミャンマータイムズ誌が報じた。国際通貨基金によると、同国の成長率は2011年以降年平均7.5%を記録、また国外からの直接投資申請額が2兆7千億円に達し、今後さらに増加すると予想される。しかし農業と畜産業が難局を迎えているとした。特に地方部の雇用が不調で、人口の都市流入が加速しており、都市部の不法住民問題が顕在化している。製造業誘致による地方振興が欠かせないという。徴税強化については、税制全般の見直しに着手する要がある。国内外からの改革の期待に応えられるか、今後、新政権の経済運営に注目が集まりそうだ。

2016年4月12日火曜日

(2893)学生運動家69人釈放、スーチー氏方針表明の翌日

  4月9日のAFPBBニュースより。スーチー氏が約束した政治犯釈放の第一弾として、投獄されていた学生69人が釈放された。ミャンマー中部タラワディの裁判所は、昨年3月に行われた教育政策を巡るデモで、警官隊と衝突し身柄を拘束していた学生活動家らに対し、訴追手続きを中止し釈放すると宣言。法廷は歓喜に包まれた。今後さらに数十人が釈放される見通しだ。ミャンマーでは軍政の抑圧的な体制の下で、多くの活動家が拘束され、現在も政治犯として公判を待っている。スーチー氏は7日、新政権の優先課題として、こうした活動家らを釈放する方針を表明していた(以上)。上記ニュースに引き続き、時事通信社は4月10日釈放の政治犯は合計199人と伝えた。スーチー国家顧問が政治犯釈放方針を表明したのを、ミャンマー大統領府が受けての行動。

2016年4月11日月曜日

(2892)ミャンマー経済牛耳る政商「スーチー改革」で岐路に③

  昨日、一昨日から続く。ゾーゾー会長はタンシュエ氏の孫の親友。彼ら政商はミャンマー経済の半分を牛耳るという。スーチー氏は行政の透明性や公平な資源開発を公約に掲げる。国民の間でも政商支配への反発が根強い。政商たちも手をこまぬいてはいない。アジアワールドは有料道路の運営など中核事業を売却し、米国や新政権の追及をまぬかれようとしている。他の政商も不動産資産を売却する動きが加速、土地取引を巡る癒着を隠蔽しつつある。しかし政商を完全に排除してはミャンマー経済が成り立たない。多くの日本企業がミャンマーに進出したが、その際有力地元企業との提携が不可欠だ。パートナー探しにつまづいて苦戦する日本企業も少なくない。ミャンマーでは一定以上の売り上げのある有力企業の大半は、米国の経済制裁の対象なのだ。

2016年4月10日日曜日

(2891)ミャンマー経済牛耳る政商「スーチー改革」で岐路に②

  3月28日の日経電子版より。ロー氏のルーツはシャン州コーカン地区で、ミャンマーの中の中国だ。漢族が17世紀まで定着し、中国系少数民族の武装勢力が現在も実効支配する。ロー氏も羅平忠という中国名を持つ。ネピドーの新空港やヤンゴン国際空港のターミナルビル建設も、アジアワールド社を窓口として中国企業が多数参加した。同社はマンダレーと中国瑞麗を結ぶ道路建設を進め、今後インド洋に達する道路建設を計画。米国は経済制裁の対象にしていた同社の港湾施設の利用を突然許可せざるを得なくなった。その他、政商としてトゥートレーディングスのテイザー会長がいる。タンシュエ元上級大将の代理人として、ロシアからの武器輸入や、ヒスイ採掘、発電所建設など事業を拡大している。このほかマックスミャンマーのゾーゾー会長もいる(続)

2016年4月9日土曜日

(2890)ミャンマー経済牛耳る政商 「スーチー改革」で岐路に①

  3月28日の日経電子版より。軍事政権時代に力を蓄えた「政商」の経済支配が岐路に立つ。スーチー新政権が、政治経済の透明性を高めるために「軍産複合体」の癒着構造にメスを入れ始める。しかし政商の影響力は、インフラや資源開発分野で依然として絶大で、中国とも深く結びつく。巨大な政商にどう対応するか、新政権の大きな課題だ。3月12日ヤンゴン空港は、年間受け入れ能力を7倍強の2千万人に引き上げる拡張プロジェクトの第一段階となる新ターミナルビルが完成。ミャンマー最大の複合企業「アジアワールド」の総帥スティーブン・ロー氏がテインセイン大統領を出迎えていた。そして彼は中国企業幹部たちを大統領に紹介して回った。同社はロー氏の父親が創業、ネピドーの国際空港や同国最大の港湾施設を中国との太いパイプでつくった。

2016年4月8日金曜日

(2889)「スーチー国家顧問」 政治犯釈放向け初声明

  4月8日の朝日新聞より。ミャンマー新政権を率いるNLDのスーチー党首は7日、就任したばかりの「国家顧問」として、「政治犯の釈放に向けて努力する」との初の声明を出した。ティンチョー大統領らに釈放などを促す意向とみられる。軍事政権時代には多数の政治犯が投獄されたが、2011年の民政移管で就任したテインセイン前大統領は1千人以上を釈放した。だが人権団体は、前政権下でも政治的な理由で90人以上が投獄されたままで、約400人が起訴・公判中だとし、速やかな釈放や起訴取り下げを求めている(以上)。同日の読売新聞もスーチー氏の「国家顧問」問題を取り上げ、軍が反発しており、「透明性の高い政治を実現する」とNLDは訴えたが、事態は逆行している。「国家顧問」新設は、「スーチー大統領」の誕生をさらに困難にしそうだ。

2016年4月7日木曜日

(2888)スーチー氏与党に軍反発

  4月7日の朝日より。NLDのスーチー党首は6日、強い権限を持つ新設の「国家顧問」に就任した。名実ともに新政権を率いる形が整ったが、国家顧問を新設する法案を巡るNLDの国会運営は軍の反発を招いた。政権発足直後の軍との険悪ムードに先行きへの懸念も出ている。法案は6日にティンチョー大統領が署名して成立し、同時にスーチー氏は国家顧問に就任した。だが下院では5日、軍人議員らが一斉に起立し、法案の採決に抗議した。採決後、軍人議員団のマウンマウン准将は「民主主義を虐げる行為だ」と非難した。NLD幹部は「少なくとも副大統領より上に位置付ける意図がある」と説明。軍が政権内に送り込んだミンスエ副大統領や、国防、内務、国境の3軍人閣僚より上位になる。「NLDも軍の声に耳を傾ける姿勢は示すべき」との声もある。

2016年4月6日水曜日

(2887)スーチー外相デビュー 会談、軍事政権支えた中国と

  4月6日の朝日新聞より。見出しはこのほか、「すべての国と友好築く」、「関係構築急ぐ中国」も。ミャンマーのスーチー外相は5日、首都ネピドーで中国の王毅外相と会談した。新政権発足後早々の会談は、関係強化を狙う中国が実現を急いだとされる。軍事政権を支えた中国への国民の不信感が根強い中、慎重な「外交デビュー」となった。スーチー氏は1月にNLDの幹部や経済政策担当社らを日本だけに送った。2月には訪日を要請した和泉首相補佐官にも前向きな姿勢を示した。ただスーチー氏は、外交実務は外務副大臣に委ねるとの見方が強い。一方、中国は、少数民族の武装組織に影響力を持つと言われ、協力を欠かせない相手だ。国民に「反中国感情」が残る中、国境を接する大国とどんな関係を築くか。今後決断を迫られる場面もありそうだ。

2016年4月5日火曜日

(2886)スーチー氏2閣僚兼務に 外相と大統領府相

  4月5日の朝日新聞より。ミャンマーのティンチョー大統領は4日、NLD党首のスーチー外相が兼務する電力エネルギー相と教育相に新閣僚を充てる人事を国会に示した。スーチー氏は現在4閣僚を兼ねるが、今後、外相と大統領府相の2閣僚兼務になる。ティンチョー氏は、電力エネルギー相に旧エネルギー省のページントゥン事務次官(59)、教育相にミョーテインジ―西ヤンゴン大学長(50)を任命する方針。上下両院合同の連邦院で5日にも承認される見通し。スーチー氏は3月30日の新政権発足に人事が間に合わず、4閣僚を兼務した。電力エネルギー相と教育相の就任後は、各省庁を統括する大統領府と、外交を担う外務省を管轄し、実質的に政権を率いる。スーチー氏を国の機関の助言役「国家顧問」に任命する法案も上院を通過し下院で審議中。

2016年4月4日月曜日

(2885)ここに注目:ミャンマー新政権 前途に元軍政トップの影

  4月4日の朝日より。ミャンマーは3月末に新政権が発足した。歴史的な政権交代だが、その前途にかつての権力者の影が見え隠れする。軍事政権のトップだったタンシュエ氏(83)だ。タンシュエ氏は陸軍司令官だった1988年、スーチー氏らが参加した民主化デモを弾圧して権力を握った軍事政権(SLORC)に加わり、92年に同評議会議長に就任、同国の最高権力者として君臨。だが2011年の民政移管で、部下であったテインセイン前大統領に権限を譲ると、政治や軍から引退した。昨年12月、選挙で大勝したスーチー氏との会談で、NLDへの政権交代を容認したが、軍人枠の副大統領には、腹心でヤンゴン管区首席大臣のミンスエ氏(64)を選んだ。かつて「スーチー嫌い」として知られたタンシュエ氏の動向も、新生ミャンマーの行方を 左右しそうだ。

2016年4月3日日曜日

(2884)電車普及へ日本の技伝授 

  4月3日の朝日より。「中古使うミャンマーに 広島で研修」、「政府インフラ関係強化」などの見出しも。ミャンマーの国鉄職員10人が、広島市で路面電車10㌔を運航する広島電鉄で研修中。3月に新政権が発足したミャンマーでは、日本の中古車を使った電車の運行が1月に始まったばかり、走る電車もわずか2編成。広島電鉄が譲渡した1950年製の元大阪市電と、63年製の元西鉄福岡市内線の中古車両だ。このため、車両整備にも日本の技術が必要。政府の途上国援助(ODA)の一環だが、安倍政権にはミャンマーのインフラ整備で、日本の関わりを高める狙いもある。予算の乏しいミャンマーでは、高価な新造車両の導入は難しい。日本政府は、ヤンゴン~マンダレー間620㌔と、ヤンゴン環状線47㌔の鉄道路線改修に、450億円の供与を決定した。

2016年4月2日土曜日

(2883)ミャンマー問われる真の民主改革(朝日社説)

  3月31日の朝日社説より。スーチー氏率いるNLDへの支持は、軍政脱却を願う民意の表れだ。とはいえ、まだ体制の変革とは言い難い。民主化の力量が問われるのは、正にこれからである。国防、内務、国境相は軍が指名し、非常時は最高司令官が全権を握ると憲法にある。国会の4分の1は軍人枠で、その同意なしに憲法改正は難しい。この国が民主化の軌道に乗れるかどうかは、軍との穏当な関係を築けるかどうかにかかっている。軍と利権企業との関係に切り込めるか、そこにも高いハードルがある。軍と少数民族の武装勢力との睨み合いも解決が期待される。前途多難だが、新政権が目指すべきは憲法改正だ。軍関係者に説き続けるほかない。制度やインフラの整備、人材育成に、日本も支援を強めたい。タイは 軍政と民政の間で揺れ動いている。

2016年4月1日金曜日

(2882)「国家顧問」を スーチー氏就任案 政府全体を監督

  4月1日の朝日新聞より。NLDは31日、内閣や省庁に助言する権限を持つ「国家顧問」を新設し、スーチー党首を任命する法案を上院に提出した。「大統領の上に立つ」というスーチー氏の意向を、制度的に裏付けるものとみられる。法案によると、国家顧問は民主主義制度の発展や連邦制、国内和平、経済発展などの分野で、国と国民の利益のために、政府機関などに助言する役割を担うとしている。任期は新政権と同じ5年で、国会に責任を負うと規定する。新政権は30日にティンチョー大統領が就任し発足、スーチー氏は当面外相など4閣僚を兼務し、政権を実質的に率いる。「国家顧問」の新設は、法的にも、全体の監督権限を与える狙いがあるようだ。法案は近く成立する見通しだ。ただ国会の4分の1の議席を持つ軍が、どう対応するかが注目される。