2012年10月31日水曜日

(1632)ミャンマー政府 3者協議を拒否

  今朝の朝日は、標記の見出しで、ラカイン州での民族衝突に関連して、アセアンや国連との協議をミャンマー政府が拒否した旨報じた。国連は6月の衝突で、7万5千人が避難したキャンプに、さらに2万6500人が流入したと推定。死者は10月だけで88人(29日現在)、6月以降では計180人に上るという。AFP通信によると、スリン・アセアン事務局長がミャンマー政府に、アセアン・国連の3者での話し合いを提案したが、拒否されたという。同事務局長は「ミャンマー政府は衝突を国内問題と考えているが、注意しないとすぐ我々の問題となる」と述べた(以上概要)。ロヒンギャ問題は、インドネシアやマレーシアのイスラム教徒とも関係があり、アセアン各国も不法入国に警戒しているが、同じイスラム教徒の多い国であり、アセアンや国連を活用してもいいと思うが。

2012年10月30日火曜日

(1631)皆さん「ミンガラN1会」への応援よろしく!

 「ミンガラN1会」は6人のミャンマー人青年の声を受けて静かに出航した。ここで、思い出したのがミャンマーの独立に大きな力を発揮したグループ「三十人の志士」の活躍だ。リーダーはもちろんアウンサン将軍、スーチーさんの父親だ。いまミャンマーは2回目の独立を樹立しようと動き出している。世界中の眼差しが、新しい民主国家ミャンマーに向かっている。在日ミャンマー青年はこの得難い機会を大いに活用してほしい。N1会の活動は、当初はささやかなものだが、将来大きな力に育つはず。取りあえず我々は、彼らの特技である日本語⇔ミャンマー語の翻訳力を生かして、3冊の単行本の発行を考えている。著者名は彼ら自身だ。私自身も10年前に単行本を出版した経験があるが、すごく嬉しかった。皆さん新しいプロジェクト「ミンガラN1会」を応援して!

2012年10月29日月曜日

(1630)N1会がゆっくり出航、ワクワク

  念願の「ミンガラN1会」が昨日スタートした。私が準備した規約案とReadyfor?申請案をもとに、参加者12人によって審議した。始めての参加者もいて、戸惑いの声も上がっていたが、次第に熱気を帯びてきて、多くの意見が飛び出した。例えば、◆ミャンマーにある日本関連企業からの翻訳活動もあるが、当面の活動としては、日本でできる翻訳活動を中心にしたい、◆世話役代表に西田、世話役(会計)に渡辺夫妻、世話役にノポポ氏を決定、◆「ネーミョージン物語」の主担当を渡辺夫妻とし、現地取材も行う、◆スポンサーへの謝礼のためのミャンマーグッズ購入はアウンコーラッ氏担当、◆山村先生への出版許可打診はノポポ氏、◆N1奨学金(合格者1人に5万円)西田担当、◆その他の担当については西田に一任、後日提案する。今まさにワクワクだあ。

2012年10月28日日曜日

(1629)サヤガドーボエ 文化の伝承だ

  今日10月28日はミンガラ日本語教室のサヤガドーボエの日、約60人の生徒が集まり、10数人の日本人先生に対して合掌礼拝を行う仏教儀式が行われた。教室は1996年に開講したが、数年後にチーハンさんを中心に、この儀式が毎年秋に行われるようになって今回が11回目、素晴らしい儀式だ。礼拝を受けた後、各先生が一言ずつ訓話を話すのだが、私は去年に引き続き、「笑顔」、「感謝」、「継続」について話し、さらに今年は「大志」を加えてみた。ミャンマーはいままで軍事政権が続き、世界最貧国に甘んじてきたが、今や世界経済の目はミャンマーに注がれている。この時期を逃がすことなく、祖国再建に熱い「大志」を抱いてほしいとの意味だ。今回の参加者には小学生以下の子供も多かったが、ミャンマー文化の伝承という意味でも、大切な行事なのだ。

2012年10月27日土曜日

(1628)ミャンマー民族衝突 更に拡大、64人死亡

  今朝の朝日新聞には(1625)に続いて標記の見出しが目に入った。ミャンマー西部ラカイン州で再燃している住民同士の衝突が拡大し、26日までに死者が64人。テインセイン大統領は、25日夜緊急声明を発表し、「治安悪化は民主化に移行する国のイメージを損ねる」との危機感を表明。治安回復に全力を挙げる考えを示した。州当局者が26日に明らかにしたところでは、住宅や宗教施設2千か所以上が放火、破壊され、負傷者が多数出ているという。政府は夜間外出禁止令を出す一方、軍や警察が鎮圧にあたっている模様だ。住民の一人は「軍はロヒンギャ住民を守り、アラカン族住民を銃撃した」と話している。国際社会、とりわけイスラム教国などから、ミャンマー政府がロヒンギャ住民に対して十分な治安や保護を与えていないとの批判が強まっている。

2012年10月26日金曜日

(1627)アムネスティからの見解

  アムネスティ・インターナショナル日本からの定期レビュー、第14回ワーキンググループ(2012年10月・11月)への提言と称する日本政府に対する要請文を入手した。その内容は、「国内人権機関の設置」、「死刑廃止」、「代用監獄制度」、「旧日本軍性奴隷制」、「難民と難民申請者」、「あらゆる形態の差別と人種差別」との項目が並ぶ。いずれも耳が痛くなる内容だ。特に私が注目するのが「難民と難民申請者」の項目、現況を説明したのち「国がとるべき行動」を提言している。それによれば、「国際法や基準に準拠した公正で効力のある透明性の高い、難民の地位決定手続きを行う」、「難民申請者の期限の無い拘束をやめる」、「難民申請者の拘束は最後の手段であり、妥当な代替案がなく法的根拠を持ち、妥当な場合に限る」(以上)。法律改正に努力しよう。

2012年10月25日木曜日

(1626)地中の戦闘機60機発掘へ

  10月19日の読売新聞に標記の見出しがあった。第二次世界大戦中に、英国軍が日本軍とのビルマ戦線に投入するため移送し、終戦前後にヤンゴンなどの地中に埋められたとされる戦闘機「スピットファイア」の発掘計画が始動する。まず来年までに計60機が約70年ぶりに掘り出される予定だ。ヤンゴンの36機やミッチーナの18機など、すでに埋蔵場所が特定されている計60機を来年末までに掘り起こす。その後、ヤンゴン周辺などに埋められているとみられる20機についても、埋蔵場所の特定を進め、発掘する予定。発掘費用は7900万円以上。埋めたのは、イギリス軍が撤退する際、反英勢力の手に渡るのを防ぐためだったという。英国政府は、1機を博物館で展示し、残りは競売にかける予定(以上概要)。「スピットファイア」、とても懐かしい名前だ。

2012年10月24日水曜日

(1625)ミャンマー民族衝突再燃 西部ラカイン州

  今朝の朝日には、標記の見出しのもと、3人が死亡した旨報じていた。6月に民族衝突から70人以上が死亡し、放火などで数万人が家を失ったミャンマー西部のラカイン州で、21・22日に再び衝突が発生、少なくとも3人が死亡し、300件の住宅が火災などで壊された。BBCやラジオ自由アジアのビルマ語放送が現地当局者の話として伝えたもので、21日夜半から州都シットウェのミンビャ郡などで、仏教徒のアラカン族とイスラム教徒のロヒンギャ族の住民同士が衝突、襲撃や放火があちこちで始まり、翌朝まで続いた。テインセイン大統領は軍が全権を握る非常事態宣言を出していた(以上概要)。私の友人はシットウェ出身者で来日10年目だが、日本に来るまでロヒンギャ族の存在自体を知らなかったという。長年にわたり巧みな情報管理が行われていたようだ。

2012年10月23日火曜日

(1624)N1会の進め方 「近いうちに」

  ミンガラ日本語教室のN1級合格者(従前の1級合格者も)で、賛同するメンバーからなる「ミンガラN1会」発足に向けて、私自身、頭の中をあっちへ行ったり、こっちに転がったりと混乱気味。しかし、いろいろな提案をいただき、なるほどと思われる意見も多い。例えば、寄付してくれた人への見返り品として、出版物のみを考えていたが、ミャンマー土産品を加えれば喜ばれる筈だ。また、ミャンマー人と話せる会の設定も面白い。授業風景を見学した後、簡単なビルマ菓子を摘みながら、話し合いの会を設定したら最高だろう。またN1合格者の事業成功例をまとめるのも名案だ。会員の皆さん、どんどん楽しい提案をお寄せください。28日の総会は、賑やかになりそうだ。急ぐことはないので、会員の声をよく聞いて、誰かさんと同じように、「近いうちに」スタートしたい。

2012年10月22日月曜日

(1623)ミャンマー大統領「傀儡」卒業カリスマの顔

  朝日新聞アジア総局長の藤谷健氏のニューヨークからの記事(今朝掲載)だ。9月27日の国連総会でテインセイン大統領が登場、淡々とした口調で政権の実績を次々と強調、先に訪米したスーチー氏を称賛することも忘れなかった。2年前までテインセイン氏が首相だった軍事政権は、スーチー氏を15年近く自宅軟禁においていたのに、だ。軍政当時は最高実力者タンシュエ氏の忠実な部下との印象だった。それ故大統領就任以後も軍政の延長、つまり「傀儡」とみられていた。しかし総会では、指導者としての自信に満ち溢れていた。他の軍政幹部と違い、汚職に縁遠いとされ、カリスマ性すら帯びてきた。3年後の総選挙でスーチー氏の人気に対抗できるのは大統領しかいない。世界から注がれる熱い視線、脆弱さを抱えながら期待が一人の肩に重くのしかかる。

2012年10月21日日曜日

(1622)ミャンマー進出高い壁

  今朝(10月21日)の朝日には、標記の見出しのほか、「開発の遅れ民主化後も深刻」、「オフィス賃料が高騰」、「安い労働力争奪戦」、「投資ラッシュまだ先」などの見出しが並んでいた。民主化に伴って経済制裁が解除されることになり、世界の企業が熱い視線を送り始めたミャンマー、だが現地でビジネスを始めた企業はまだ一握りだ。インフラの不足が深刻で、「投資ラッシュが本格化するのはもう少し先だ」という見方が目立つ。日本からの進出(予定)企業は、ハニーズ(婦人服縫製)、NTTデータ(システム開発拠点)、スズキ(自動車工場)、伊藤園(事務所11月に開設)、ローソン(1号店出店準備中)、全日空(直行便就航)、日通(連絡事務所7月に開設)、その他、東京証券取引所、大和総研、三井住友銀行、三菱東京UFJ銀行、みずほ銀行、太陽生命など。

2012年10月20日土曜日

(1621)兄貴の米寿を祝う

  昨日は私の兄(88歳)の米寿祝のため、池袋の東武百貨店内の千疋屋の喫茶ルームで会食した。96年のミンガラ日本語教室設立後、長らく手伝っていただいたので、当時の生徒は「お兄さん」、「お兄さん」と私よりも慕ってくれた。兄もミャンマー人生徒が大好きになり、毎週授業の際、大きなカバンに湯沸かしポットとコーヒー粉末、砂糖、ミルク、紙製コップなどを持参して、休憩時間に勉強疲れの生徒たちに熱くおいしいコーヒーを振舞っていた、時にお菓子も。このため、古い生徒の間では「お兄さん」はいまでも評判、会うと「お兄さんはお元気?」とよく聞かれる。兄夫婦と私の夫婦4人(合計335歳)による楽しい米寿の祝賀会が終わった後、元生徒Nさんが勤務しているお店で、赤色の「ハデ派手」シャツをお揃いで購入、今後会うときはペアルックで会おうと約束。

2012年10月19日金曜日

(1620)ミャンマーの少数民族窮状訴え

  昨日に続き少数民族の話題。今朝の朝日には、上記表題の内容として、ミャンマーで長く政府軍と戦闘を続けてきた少数民族系の武装勢力10団体の代表が来日し、18日、都内で記者会見を開いた。改革を進めるミャンマー政府との恒久的な和平の必要性や、少数民族の経済的な窮状を訴えた。来日したのは、少数民族の連合体、「統一民族連邦評議会(UNFC)」に所属する各派の幹部ら。少数民族向けに総額300万ドル(約2億8千万円)の支援を決めた日本財団が招いた。なお、昨日の紛争状況の続き。◆アラカン州シットウェで数百人のビルマ人僧侶がデモ、地元のムスリムに対して抗議するとともに、隣国バングラデシュでの仏教徒への暴力に抗議。 ◆9月17日・20日のヤンゴンでの非暴力デモの参加者が逮捕されたが、起訴をやめるべきと表明。

2012年10月18日木曜日

(1619)カチン、カレン、ラカインの状況

  PFBメールマガジン(10/16)からのニュース。 ◆昨年6月カチン州で国軍の攻撃が始まり、これまでに合計10万人近いカチンの人々が避難を余儀なくされてきた。しかし、在タイ・カチン女性協会は国際社会の人道支援が十分に届いていないとし、カチン州への攻撃の即時停止を求めるとともに、避難民への人道支援の要請を表明した。 ◆10月28日にカチン州東部で誘拐されたカチンの女性は、同日に殺害されていたということが、目撃者の証言で分かった。 ◆カレン民族同盟(KNU)は、ビルマ政府と非公式に会合していたカレンの年長のリーダー3名を除名した。 ◆国連によれば、ラカイン州で暴力が起きてから4か月になるが、国内避難民は増え続けている。7万5千人の人々が現在キャンプ生活を送っておりさらに多くの人が人道支援を必要としている。

2012年10月17日水曜日

(1618)少数民族との和平「遅れる」 交渉担当相

  10月17日の朝日には、標記の見出しで、ミャンマーの少数民族との交渉を担当するキンイー入国管理・人口相の見解が掲載されていた。キンイー氏は恒久的な停戦協定について「最終合意にはさらに4か月かかる」と述べた。少数民族との和解はテインセイン大統領がかがける改革の柱だが、当初の想定より半年以上遅れる見通しだ。停戦協定は、今年1月の停戦の暫定合意を受けて交渉中。キンイー氏は、時間がかかる理由として、KNU内部の意見対立や、停戦の詳細な条件の詰めなどを挙げている。同氏は停戦協定後紛争を逃れた4万人に上るカレンの国内避難民の帰還を優先する方針を表明。このための地雷除去や住宅建設を進めていくとし、「日本からの支援を歓迎したい」と述べた。一方で、「タイ側に住む難民の帰還の早期実現は困難」とも説明。

2012年10月16日火曜日

(1617)ミャンマーへ直行便

  10月16日の朝日新聞には、標記の見出しのほか、「ビジネスチャンスを載せて」、「急速な民主化、12年ぶり再開」、「重役らが続々、すぐに仕事」、「要人も行き来、増える駐在員」などの見出しが続く。全日空は1996年から中型機を関西空港からヤンゴンに飛ばしてきたが、2000年に休止した。昨年3月に発足した新政権下で急速に民主化が進み、訪れる日本人は月に4千人以上と倍増した。1日1便で週3回、ビジネスクラスのみの38席で、ヤンゴンまでは7時間半、正規運賃は往復で50万円、10月の予約は65%。初便は満席で、夕方着いたらすぐ仕事ができるので、運賃は高くないとの意見も。ヤンゴンのジェトロ事務所では、両国の大企業の幹部や、政府要人がひっきりなしに往復しているという。ミャンマーへ進出する企業は70社近くに達する見込みだ。

2012年10月15日月曜日

(1616)中西先生のブログ ジャパンエキスポ②

  昨日に続きWIN日本語学校の中西先生のブログ「ジャパンエキスポ」から。3日目の会場風景が掲載されていた。「もうどこのブースも荒れ果てているんですが、とにかく見物客の数が多すぎます」、「それにしてもなんでブース内で弁当食べるんだろうね」、「うちのブースもちょっと目を離しているうちに、携帯でケータリングしてもらって、皆で食べまくっている」、「ちゃんと外に出て食べたのは日本人である自分だけ」。「このままミャンマー風を続けるのを許容すべきなのか、それとも国際的な基準に合わせるべきかいつも迷っている」(以上概要)。私も10年前、ヤンゴンの百貨店風のお店で、お客が前にいるのに三重の丸い弁当箱を囲んで3人の店員が楽しそうに食事中、アヤダシーダラー(おいしいかい)と聞いたら3人ともにっこり。いかにもミャンマー風の光景だった。

2012年10月14日日曜日

(1615)中西先生ブログ ジャパンエクスポ

  久しぶりにヤンゴンのWIN日本語学校の中西先生のブログを覗いてみた。相変わらず軽快で面白い。今回は10月5日から8日までヤンゴンのタマドーホールで開催されたジャパンプロダクトエクスポの内容。このような大展示会に出展できるまでに成長したWIN日本語教室は見事というほかない。「昨日の国営放送のニュースでは、「日本製品のすべてが揃っているので見ごたえがありました」、「今までミャンマーに無かった日本のメーカーがたくさん出展していました」。うーんかなり違うような。「とにかくすごい人でした」、「コスプレショーは大変な盛り上がりでした」、「ショーの内容より集まってきたミャンマーのアニメファン、コスプレファンの多さに圧倒されました」、「日本のサブカルチャーが広まってきて勇気づけられたけれど、一般客とのギャップがすごい」 など。

2012年10月13日土曜日

(1614)ミャンマー民主化で変わる中国との蜜月関係

  10月11日の日経電子版に、標記の見出しが。中国は従来ミャンマーの軍事政権を支持して貿易を伸ばしてきたが、ミャンマーの民主化と米欧への接近によって中国側は態度を硬化。国境の管理を厳格化したことで、ミャンマーからの入国者が減り、7-9月の貿易額は前年同月比で3割以上減ったという。雲南省瑞麗市にある国境貿易の特別地域「姐告辺境貿易経済区」の現状を探った。貿易の急減の原因は「ミャンマーの民主化」と分析されている。欧米からの経済制裁を受けて中国はミャンマーに接近、軍事拠点の設置、石油・天然ガスパイプラインの建設、中国側に送電するための水力発電所の建設、国際高速鉄道の建設などはいずれも延期、凍結、中止の状態に。中国は11月、習近平体制に変わるが、ミャンマーとの関係をどうしていくのか注目される。

2012年10月12日金曜日

(1613)ミャンマー支援、一丸 国際会合 日本が主導

  10月12日の朝日新聞には、標記の見出しの他、「企業の海外展開後押し」の見出しが並んでいた。民主化を進めるミャンマーへの支援のあり方を話し合う11日の東京での国際会合で、日本、世界銀行、アジア開発銀行は、二十数年ぶりとなる融資の再開に向け、動き出すことを表明した。日本主導で支援をまとめた背景には、民主化を後押しするとともに、経済の急成長が見込まれる同国に、有利な足場を気付きたいという思惑も透けて見える。世界銀行、アジア開発銀行は、それぞれ約310億円、390億円の借り換えに応じ、新規融資を可能にするというもの。ミャンマーはヤンゴン近郊のティラワ地区に2400㌶という巨大な工業団地建設の計画を進めており、日本に支援を依頼してきた。2015年の総選挙に間に合わせるため、来春にも工事を始める予定だ。

2012年10月11日木曜日

(1612)スーチー氏、ユゴーに重ねる覚悟

  10月9日の朝日夕刊に、表題のタイトルで、西永良成氏(仏文学者)のエッセイが掲載されていた。彼が先週1週間ほどパリに滞在し、ユゴー記念館への訪問を考えていた。スーチー氏が合計15年の軟禁生活中、独学でフランス語を学び、「レ・ミゼラブル」を愛読し、ジャン・バルジャンに深く共鳴していたことを知っていたからだ。彼女がフランスに行ったからには、「レ・ミゼラブル」出版150周年のこの年に、ユゴー記念館を訪れたはずと直感、予感は的中していた。祖国解放のために、全身全霊をささげる悲劇のヒロインが、脱獄囚として生涯住まいを転々とするユゴーの主人公に共感を覚えたのも当然だ。スーチー氏はユゴー記念館訪問によって、ジャンバルジャン同様、世界の暗く困難な行く末を直視して、何とか前に進もうという覚悟を新たにしたのではなかろうか。

2012年10月10日水曜日

(1611)ミャンマー・韓国 大統領会談 経済協力強化

  10月10日の朝日には、「ミャンマー・韓国大統領会談」、「経済協力強化で合意」の見出しが並んでいた。テインセイン大統領が初めて韓国を訪問、李明博大統領と会談した。韓国企業には「トップセールスで自ら投資を呼び掛け、韓国側も積極的に応ずる姿勢を示した。今後、経済を軸に両国関係が緊密化しそうだ。投資保障協定の締結交渉も始める。テインセイン大統領は首脳会談に先立ち、韓国貿易投資振興公社を訪れ、製造業や資源開発、インフラ整備だけでなく、農業分野への韓国企業の進出を要請、また、韓国企業を対象にした投資環境説明会にも参加した。韓国の経済団体代表との昼食会では、「世界経済の先頭走者である韓国の企業と協力したい」と呼びかけた。今年5月に李大統領が訪問し、爆弾テロ以降の関係改善に向け動き出していた。

2012年10月9日火曜日

(1610)スズキ、ミャンマー進出

  10月9日の朝日には、標記の見出しのほか、「15年までに新工場、検討」が1面に、7面には「ミャンマー開発に弾み」、「脱中国機運も追い風」と見出しが続く。自動車大手のスズキがミャンマーに進出して15年までに自動車の組み立て工場を新設し、年2万~3万台の生産を目指す。投資額は数十億円。高成長が期待される中、外資メーカーとしては最大規模の生産拠点になる。場所はヤンゴン近郊のティラワ地区の約40㌶、まず年数千台規模で生産を始めるという。この大手自動車メーカーの入居が決まれば、日本政府が「国家プロジェクト」と意気込む大型開発が大きく前進する。中国では労賃の急上昇があり、尖閣問題もあって脱中国の機運が広がるといった追い風もある。11日には東京で日本主催のミャンマー支援国際会合が開かれる。頑張れ日本!

2012年10月8日月曜日

(1609)「ミンガラN1会」 ワクワクしてきたな

  きのう有志5人が秋葉原に集まり「ミンガラN1会」発足のための準備会を開催。この会は、ミンガラ日本語教室で日本語能力試験1級・N1級に合格した10人弱のミャンマー人に、彼らが自ら努力して勝ち取った能力を存分に発揮して、活躍してもらおうというもの。ミャンマーは軍事政権が長く続いたためか、国民に進取の気性が少ない感じ(最近の日本の若者も)。現在、多くのミャンマー人が東京の飲食店やホテル清掃などで働いている。復興ミャンマーのために、若い人々がこのままでよいのか。取りあえず、翻訳、通訳、出版、母国を知らない子供たちへの文化の伝承、日本語・ビルマ語の出張教育、病院・役所への付き添えなど、できるところから始めたい。そしていま流行のSNSも活用して若々しい会としたい。それにはまず私が出しゃばらないことだ。そろそろ。

2012年10月7日日曜日

(1608)ミャンマー規制緩和が難航

  10月1日の日経電子版によると、標記の見出しと一緒に「外資法改正の成立は11月以降に」という見出しが並んでいた。最近日本をはじめ世界の経済界が、ミャンマーへミャンマーへと進出を図っている最中に、まさに意外な発表であった。概要は下記の通り。国際社会の制裁緩和を受けて経済改革に動くミャンマーで、出資上限など外資受け入れの条件を定めた「外資法」の改正作業が難航している。外資誘致を掲げるテインセイン大統領は、9月上旬に国会が可決した法案を不満として署名せず見直しを要請、急激な規制緩和に反発する地元企業の声を背にした国会との駆け引きは展開が読めず、法案成立は11月以降にずれ込む公算が大きくなった。一気に経済改革を進めたいテインセイン大統領は、規制緩和に反発する「民意」の壁にぶつかっている。

2012年10月6日土曜日

(1607)ミャンマー支援加速

  10月6日の朝日新聞に、財務省中尾財務官へのインタビュー記事が標記の見出しで載っていた。9日から東京で国際通貨基金(IMF)・世界銀行の年次総会が開催される。ミャンマー支援について、世界銀行や、アジア開発銀行(ADB)から「残っている延滞債務の解消に向けて具体的な方針が示される」と述べた。日本が議長国として11日に開くミャンマー支援会合では、「融資の再開に向けてまず延滞債務を解消していくことについて、より具体的な方針が示されるだろう」と語った。日本はすでにミャンマーへの円借款を25年ぶりに再開することで合意しており、その前提となる延滞債務の解消手続きについて「来年のできるだけ早い時期に始めたい」と述べた(以上概要)。日本がリードしながら進めるミャンマー支援は、久しぶりに明るいアジア外交の話題だ。

2012年10月5日金曜日

(1606)読了126冊目:「ビルマの花」

    副題「戦場の父からの手紙」、著者福田恵子、1988年6月・みすず書房発行、270頁、1854円。ビルマ北端のミイトキーナ(ミッチーナ)で米軍情報部所属の日系二世カール米田軍曹が、日本軍兵士の死骸の間から、幼い子供(著者)の描いた絵ハガキの束を見つけた。帰国後日本の著者に、「お父さん(秋葉中尉)は帰国されましたか」と連絡、その後来日の際にその絵葉書を著者に手渡し交流が始まった。著者はこの米兵を父親代わりと感じるようになってきた。しかし情報不足で、父の足跡は漠然としていた。40年経って著者は父の最後を求める旅を始める。シンガポール、アメリカ、そして日本の各地にいる知人に会って父の戦死の状況を尋ね回った。そして最後に人々の記憶のなかに生きている父(秋葉中尉、38歳)を探し出した。文中に多くの絵手紙を掲載。

2012年10月4日木曜日

(1605)第三国定住ゼロにFRJの見解

  FRJ(なんみんフォーラム)が10月1日発表した内容を紹介する。第三国定住プログラムによる難民受け入れ第3陣がゼロになったとの政府発表を受け、日本の難民(庇護希望者)を支援する組織の連合体である「なんみんフォーラム」は、今回の事態を大変憂慮している。ミャンマー難民3家族16人は、日本での生活準備のために研修を受けていたにも関わらず、全員が来日直前に辞退した。日本は2012年3月にパイロットプロジェクトを5年に延長することを決定。また日本政府は、昨年のUNHCR本部における閣僚会議で「日本に再定住した難民への支援プログラムを改善、充実させる」と誓約、国会でも「国際的組織や支援市民団体との連携を強化しつつ、庇護制度の確立、プログラムの充実に邁進する」と決議。今後、官民協同で実践していくべきと考える。

2012年10月3日水曜日

(1604)読了125冊目:「真実のインパール」

  副題は「印度ビルマ作戦従軍記」、著者は平久保正男(元陸軍主計中尉)、2006年6月・光人社発行、285頁、1800円+税。インパール作戦の記録は、多くの著書に記されているが、この本の内容は他書とだいぶ違っている。これは著者が主計将校であり、主に糧食や住居、医療品などを多くの兵士に分配する仕事であり、それらの作業を中心に描かれている。日本軍はインパールそばのコヒマまで攻め込み、英印軍の糧秣を奪取したが、結局は敗退することとなった。このように兵站面から書かれた著書は珍しく、主計部隊の苦労がよく理解できる。また、英印軍の捕虜となった後は通訳として苦労を重ねた。なお、現地ビルマ人による住居の提供や、食料供出など、敗残日本兵への協力ぶりには頭が下がる。主計将校から見た「真実のインパール」作戦といえる。

2012年10月2日火曜日

(1603)国別難民認定者数 合計598人

  全難連からの資料によれば、1982年~2011年までの出身国別の難民認定者数は下記の通り。ミャンマー307、イラン69、ベトナム59、カンボジア50、ラオス48、アフガニスタン26、イラク6、エチオピア5、コンゴ5、中国5、パキスタン2、バングラデシュ2、カメルーン2、クエート1、無国籍1、ブルンジ1、ウガンダ1、スリランカ1、エリトリア1、その他5、合計598人(以上概要)。ミャンマー人が多いのは、軍事政権による圧制が広く世界に知れ渡ったことと、素直な国民性、そして在日ミャンマー民主化団体や日本人による支援活動が、他国に比べて充実していたことなどがあげられよう。テインセイン大統領とスーチーさんという、3年前には考えられない奇妙なコンビが、祖国再建のために協力し合っており、2・3年後をピークに、同国の難民認定数は減るだろう。

2012年10月1日月曜日

(1602)読了124冊目:「農民ガバ」

  副題は「ビルマ人の戦争体験」、マァゥンティン著、河東田静雄訳、(アジアの現代文芸「ミャンマー」②)、1992年7月・大同生命国際文化基金発行、247頁、定価不詳。この原書は第二次世界大戦終戦直後の1945年の作品で、日本軍に占領された当時のミャンマー人農民ガバの生きざまを描いたもの。仏教を信じるミャンマー人民衆にとって、日本軍は当初こそイギリスを駆逐し独立を支援するように思えたが、次第に本性を現し、「汗の兵隊」と称する鉄橋建設に強制動員され、拷問、連行、虐殺など非道な処遇を受けた。ガバの愛娘も日本軍将校によって強姦され、婚約者は立ち去った。その後、アウンサン将軍らの抗日革命が展開されたが、ガバはそのグループの中にいるリーダー格の男性を発見、その男性こそ・・・・。日本人として読まねばならぬ小説だろう。