2015年6月30日火曜日

(2606)在ミャンマー日本大使館で「女性」テーマの日本映画上映会

  6月29日のミャンマーニュースより。映画会は7月15日と18日の2回、入場無料、場所は大使館内会議室、身分証明書提示、音声は日本語、英語の字幕付き。15日は1997年、矢口監督の「秘密の花園」。咲子は銀行強盗事件に巻き込まれ、青木が原で車が爆発、5億円入りのカバンとともに吹き飛ばされる。奇跡的に助かった咲子はその後5億円引き上げ作戦を開始、果たして成功するか? 18日の方は、三木監督の「亀は意外と速く泳ぐ」(2005年作)。毎日が平凡で嫌気がさした主婦が、ある日「スパイ募集」に応募、与えられた指令は平凡な生活を続けること。世間から注目されれば、スパイとしての任務ができない。彼女は平凡な生活から抜け出すことができるのか? スパイを続けることができるのか?(以上)。大使館としては珍しい切り口だ。

2015年6月29日月曜日

(2605)ミャンマー軍 バングラデシュの兵士を拘束

  6月26日のミャンマーニュースより。バングラデシュ国境警備隊(BGB)の兵士が、ミャンマー軍によって拘束されている。6月17日、ミャンマーとバングラデシュの国境沿いに流れるNAF川で銃撃戦が起こった。ミャンマー軍はバングラデシュ領内でBGBのNR氏を逮捕し、ミャンマー領内で拘束している。BGBは同兵士を解放するように求めていたが、1週間進展はなかった。6月23日、ミャンマー軍からBGBへ、条件付きで解放するとの文書が届いた。その条件は、ミャンマー軍はNR氏を解放する代わりに、アンダマン海で保護されたロヒンギャ族難民のうち550人を受け入れるようBGBに要求している。両国間には、ロヒンギャ難民問題のほか、違法薬物取引問題があり、国境部隊間で緊張が高まっている。今秋中に解放に向けての会議を行なう予定。

2015年6月28日日曜日

(2604)見習いたい 寄付の文化

  最近なぜかミャンマーの「寄付の文化」について、興味を抱くようになった。すでにこのブログでも、(2425)・(2579)・(2589)で取り上げたが、特にショックだったのが世界寄付指数でミャンマーがアメリカと共に、世界135か国中第1位であったこと。世界最貧国と言われながら、なぜ寄付指数が第1位なのか。理由として挙げられるのが上座部仏教の教えを皆が守っていること。彼らは僧侶中心の暮らしを続け、自然と「寄付の文化」を育んだと思われる。それから寄付という行為は、寄付する側と同時に、寄付を受け取る側の文化も進んでいると思う。私は25年前にヤンゴンのお寺で、大勢のお坊さんにいろいろな生活用品を寄贈する式典を見た。中には綺麗なお札の束もあった。我々はミャンマー人から寄付の文化を教わった。少しであっても見習いたい。

2015年6月27日土曜日

(2603)ミャンマー関連書籍528冊中53%を読破

  親友G氏、S氏のご尽力により、ひょんなことから入手したミャンマー関連書籍(通称江口図書)528冊のうち、ほぼ半分にあたる281冊(53%)を読み終えた。前所有者である江口氏流の分類でいえば、①言語、②仏教、③歴史・戦史、④政治、⑤経済、⑥民族、⑦国境事情、⑧地理・社会、⑨産業まで読み終えたのだ。この項目別分類については、若干気になる点もあるが、いまここで修正するつもりはない。528冊を全部読み終えるのは多分本年末か来春であろう。かつて私が苦労してまとめ上げた「ミャンマー関連書籍101冊紹介あらすじ集」は、2012年に発行したが、その内容は16年間私のブログに記載した101冊の読後感をまとめたもの。その第2作(同226冊)はさらに2年を要し2014年に発行できた。現在進行しているのはその第3作目。

2015年6月26日金曜日

(2602)「スーチー大統領」不可能 ミャンマー改憲案を否決

  6月26日の朝日より。ミャンマー国会は25日、与党が今月提出した憲法改正案のうち、「外国人の家族がいる人物は正副議長になれない」とする条項の改正案を否決した。野党党首スーチー氏が次の大統領になれないことが確定した。この項目はスーチー氏を狙ったものとみられ、与党の改正案でもそのまま残っていた。NLDは修正を求めていた。NLDは11月に予定されている総選挙で優勢と見られているが、仮に勝利しても大統領にスーチー氏を推すことができなくなった。誰を大統領候補とするかが今後の焦点となる。採決後の記者会見で「改憲ができなかっただけで総選挙不参加とはならない」とし、総選挙での勝利に力を注ぐ意向を示した。大統領候補については「適切な時期に示したい」と述べた。一方改憲に必要な75%案も、原案通り残った。

2015年6月25日木曜日

(2601)スーチー氏中國での日程を終え、ミャンマー到着

  6月18日のミャンマーニュースより。ミャンマー最大野党NLDのスーチー党首が5日間の中国訪問の日程を終え、ヤンゴン国際空港に到着した。空港では500人を超えるNLDの支持者らが「スーチー氏を大統領に」と書かれたプラカードや、横断幕を掲げて出迎えた。スーチー氏は空港ではコメントせず、足早に車に乗り込んだ。NLDの議員によると、ネピドーで行われる会議に参加するため時間がなかったという。スーチー氏と習国家主席との会談において、習主席は中國とミャンマーはいままで以上に協力的な関係であるべきとの考えを示し、スーチー氏はNLDと中国共産党との関係を更に強くするとの意向を示した。なおスーチー氏は上海、昆明も訪問したが、詳細は発表されていない。今回の訪問によって両国の関係は改善していくとの見方が強い。

2015年6月24日水曜日

(2600)(地球を食べる)日本人になじみの食材

  6月18日の朝日電子版より。ミャンマー最北カチン州の州都ミッチーナを訪れた時、カウンイェ―と呼ばれる地酒をいただいた。グラスに継がれた液体は少し濁りがあり、底の方には黒米のかすが沈殿していた。同州を中心に暮らす少数民族カチン族の伝統的な酒だ。カウンイェ―はビルマ語であり、カチン語ではサクという。味だけでなく名前まで似ているので思わず「日本ではサケと呼びます」と伝えた。ヤンゴンでもカチン料理店が増えており、評判の高い「ジンボーミェー」を訪ねた。店主が自家製のカウンイェ―を出してくれた。もち米に酵母を入れて3日~7日間発酵させる。透明な上澄みがサクで、沈殿してる方がサピだ。サケの他ノプー(納豆)もある。見た目も味もまぎれなく納豆だ。カチン料理がミャンマー料理と違うのは油をほとんど使わない点だ。

2015年6月23日火曜日

(2599)未来世紀ジパング 沸騰ミャンマー テレビ東京(続)

  (昨日に続く)。ミッチーナーでは日本兵3万人が倒れ、白骨街道と言われてきた。その近くの寺院に坂口睦という日本兵が建立した巨大な寝釈迦像が姿を現した。画面ではビルマ住民が大勢参拝していた。大河のほとりには部下に対し退却命令を出し、自身は自決した水上少将の墓もあった。ミッソン村に向かう道は途中で検問所があり、国軍が管理していてその向こうには行けない。中國側のダム建設地であり、工事は中断されていたが、石の砕石などは行われていた。出来上がった電力はすべて中国に送られ、ミャンマーで使えるのは30年後という。チャオピューからの石油・ガスの輸送パイプ(2400㎞)は稼働している。スーチーさん友人の宮下さんは、移動図書館5台目を寄贈、なおスーチー氏は後釜が不在、ロヒンギャ問題には発言がない。

(2598)未来世紀ジパング、沸騰ミャンマー テレビ東京

  6月22日22時からのテレビ。くび長族の美女数人が現れ、金製の首輪を1万5千円で販売、傍らで彼女らの家が建築中、ヤンゴンのセレブの家では、最新の冷蔵庫があったが、中は飲料水ばかり、停電があるので肉・魚は入れられないという。美白パックが売れている。ヤンゴン市内には路面ディーゼル電車が走っているが三陸鉄道の文字が。「新橋横丁」という看板の中では日本人駐在員で満席、女子会までも開かれていた。ゴルフ会も活発、スーパーの停電も自家発電ですぐ回復した。ヤンゴンの外国人数はタイ、日本、中国の順、マンションは3LDKで30~40万円、ミャンマー富豪はトヨタ高級車を9台所有(1台1400万円:日本の3倍)、街には温度管理できる冷却配送車が10台。ティラワの工業団地は今月からスタート(内容豊富なため明日続く)。

2015年6月22日月曜日

(2597)日本、ミャンマー特区開発に参加 東南アジア最大級

  6月21日の日経電子版より。政府はミャンマー南部で計画する東南アジア最大規模の「ダウェー経済特区」の開発に参加する。ミャンマー・タイ両政府による事業体〈SPV〉に出資し、専門家の派遣などで特区の計画作りを主導する。製造業が集積するタイと現地を結ぶ道路整備も支援し、東南アジアからインドや中東、アフリカの市場をにらむ産業拠点を構築する。日本企業のビジネス機会を増やし、経済成長につなげる。安倍首相が7月4日にテインセイン大統領、タイのプラユット暫定首相と都内で会談、3か国は協力に向けた合意文書に署名する。①日本によるSPVへの出資、②タイ国境とダウェーをつなぐ道路整備の支援、③JICA職員ら専門家の派遣 が柱だ。開発するのは、インド洋に臨む工業団地を中心とした2万㌶、ティラワ経済特区の8倍。

2015年6月21日日曜日

(2596)ロヒンギャ族の悲劇 相次ぎ報道

  6月19日の日経電子版及び6月20日・21日の朝日新聞より。日経記事によれば、ロヒンギャ族のMさんは、人身売買組織の男に言葉巧みに誘われ、450人のすし詰め密航船に乗せられた。その後2か月タイ南部のキャンプに拘束され、毎日飢えで2・3人が死んで行った。悲劇は3年前に遡る。ラカイン州で仏教徒とロヒンギャが衝突、200人以上が死んだ。その時ミャンマー政府は、ロヒンギャを郊外に隔離、差別が強まった。秋の総選挙を意識してかスーチー氏も沈黙を守り、冷淡に対応。タイやフィリピンでも少数派イスラム教徒の反政府活動が続く。(以下朝日)。ロヒンギャ族約50人が渋谷でデモ行進、日本政府に対してミャンマー政府に迫害停止を要請するよう訴えた。岸田外相はロヒンギャ族に対し350万㌦(4億3千万円)の資金協力を発表。

2015年6月20日土曜日

(2595)バイク図書館 村を照らす (ミャンマー)

  6月20日の朝日より。ミャンマー中部のピイ近郊の小学校に4月、地区の公立図書館が始めた「移動図書館」がやってきた。約5キロ離れた村に住む33人の子供が何十冊もの絵本を一度にみるのは初めてだ。絵本を運んできたのは、荷台を本棚に改造した三輪バイク、この活動を支えるのは「シャンティ国際ボランティア会(SVA)」、1980年からアジア各地で子供に本を届けてきた。SVAが三輪バイクを選んだのは、狭い道で走れるし、コストが安く、メンテナンスが簡単なこと。ミャンマー事務所の中原亜紀さんは「今後は活動を全国に広げていきたい」と話す。一方課題もある。ミャンマーでは子供向けの絵本は少ない。軍政下で表現の自由が長く制限されたことが影響している。今後地元の作家と連携し新たなミャンマー語の絵本の出版活動も始めている。

2015年6月19日金曜日

(2594)難民にもなれない8年 ミャンマー・ロヒンギャ族、群馬館林に

  6月19日の朝日(8段記事)より。群馬県館林市に、ミャンマーのロヒンギャ族2百人がひっそり暮らしている。日本で難民として認定されず、仕事や医療面で苦境にある人も多い。古い民家の一室で、Aさんは2時間しか眠れず早朝に目を覚ました。6月8日は入管に行く日、正式な在留許可はない。館林にはモスクがある。会社を経営するロヒンギャ族の一人の男性を頼って館林市に集まり始めた。いま彼らが一番心配しているニュースが、東南アジアの国々に5月だけで5千人近くも船で漂着している問題だ。インドネシア政府とマレーシア政府は、ロヒンギャ族漂流民を1年間に限って滞在を認めているが、その後の見通しはない。ミャンマー政府はロヒンギャ族は存在しないとの立場だ。「アジアの問題であり日本が役割を果たすべきだ」との声も出ている。

2015年6月18日木曜日

(2593)マレーシア元首相、難民漂流問題でミャンマーを激しく非難

  6月17日のミャンマー・エクスプレス335号より。マレーシアの第4代首相マハティール・ビン・モハマドさんが、ロヒンギャ難民漂流問題で、ミャンマーを激しく非難、ミャンマーをアセアンから排除することや、国連による制裁を求めたという。さらに、アセアンには内政不干渉の原則があるが、殺人を許すことはできない。仏教の教えにも反していると批判した。一方ミャンマー大統領府のゾーデー高官は、元首相は間違った情報を信じている。大量虐殺など起きていない、漂流船問題は人身売買が原因で、この問題はアセアン各国が協力して解決する必要がある。ミャンマーを責めるだけでは解決できない。漂流船問題の根源はバングラデシュにある。軍政時代には人権侵害があったことは認めるが、あるとされるのには、何か別の理由があるのではないか。

2015年6月17日水曜日

(2592)タイ消費財大手サハグループ、ミャンマーの工業団地造成断念

  6月16日のミャンマーニュースより。タイ最大の総合消費財メーカー、サハグループは、ミャンマーに工業団地を造成することを計画していたが、断念する。工業団地は160㌶を予定しており、造成に当たって調査していたが、造成予定地の地価が高かったことが計画断念の要因。サハグループは、自社単独ではミャンマーでの工業団地造成が困難であることから、日本とミャンマーが官民一体で開発を進めているティラワ工業団地において、工場用の土地をリースする予定だ。経済成長が著しいミャンマーでは、マンションやオフィスビル、ショッピングセンターの建設が相次ぎ、今後工場の建設も増加する。しかし開発のスピードがあまりにも急激で、不動産価格の上昇に拍車をかけており、政府は対応に苦慮している(サハグループにはライオンも参加)。

2015年6月16日火曜日

(2591)世界なぜそこに日本人 名知 仁子医師

  6月15日夜9時からのテレビ東京、ミンガラ会報でご存知の名知仁子医師のミャンマーでの巡回診療の壮絶な活動が紹介された。人口3百人のフガピョードー村のお寺で、名知医師、ミャンマー人医師、同看護婦、同運転手の4人のチームが診察会場を設営、そこにはすでに百人前後のミャンマー人患者が集まっていた。診察は聴診器1本と薬だけ。脚気患者が多い。チーム員には安い給料で働いてもらっている。名知医師の父も医師で埼玉の無医村で開業、貧しい患者には無料で診察する父の姿を見て、医療の真の姿を知る。同僚医師と結婚したが5年で離婚、後「国境なき医師団」に入りメソートに派遣された。その後一人でミャンマーに入り無料の巡回診療を続けた。途中で自ら乳ガンを患ったが再びミャンマーへ。大勢のミャンマー人が彼女を迎えた。

2015年6月15日月曜日

(2590)ミャンマー関連書籍528冊中257冊(49%)読了

  ひょんなことから入手したミャンマー関連江口図書について、従来は600冊と数えていたが、この中には雑誌類の記事も入っていたので、単行本だけを数えると528冊。今後は「ミャンマー関連書籍528冊紹介・あらすじ集」、あるいは「江口図書528冊」と呼ぶことにする。確実に528冊あるかはまだ分からないので、あくまでも仮の呼称。去年の10月2日にわが家に段ボール16箱で到着して以来、すでに8か月余経つが、まだ257冊(49%)しか読み終えていない。拙著の第1作「ミャンマー関連書籍101冊紹介・あらすじ集」の場合は、1996年から2012年まで16年を要し、第2作「同226冊」はさらに2年要したことを思えばしょうがないかな。これからは、⑨産業、⑩芸術、⑪旅行ガイド、⑫紀行、⑬文芸、⑭戦記、⑮食物(ルーツ)の各章が続き面白い。

2015年6月14日日曜日

(2589)世界寄付指数 第1位の国

  ミャンマーが世界135か国の中で第1位と認められている項目がある。しかもアメリカと同点の第1位なのだ。その項目というのが標題の「世界寄付指数」。この調査はイギリスの慈善団体「CAF」と、アメリカの世論調査会社ギャラップによるもので、人助け、寄付、ボランティアに関する指数で、2010年から発表。調査項目は、最近1か月間に、①助けを必要としている見知らぬ人を助けたか? ②宗教団体・政治団体・慈善団体に寄付を行ったか? ③組織的なボランティアに時間を捧げたか? ミャンマーの場合、総合指数は64%(人助け指数49%、寄付指数91%、ボランティア指数51%)。一方日本の総合指数は26%で90位、(①=134位、②=62位、③=39位)。ミャンマー人の多くは上座部仏教徒で、托鉢・布施・慈悲の心が強い。我々も見習いたい。

2015年6月13日土曜日

(2588)ミャンマ-大統領選、スーチー氏に代わる「第三の男」?

  5月29日の日経電子版より。旧軍事政権のナンバー3のトゥラ・シュエ・マン国会議長は、現在国会議長という名誉職にくすぶっているが、近年スーチー氏に接近しており、野党との連携も視野に入れながら、次期大統領の座を狙う。最近訪米し、米政界と活発に接触している。一方、スーチー氏との連携も強化している。「NLDがシュエマン氏を大統領候補に擁立」・・・昨年9月、ロイター通信が報じたニュースも一つの可能性を報じた。「与党との窓口になって国軍にもにらみを利かすことができるシュエマン氏との連携を目指す動きがあるのも確か」(外交筋)。NLDがシュエマン氏と連立すれば、スーチー氏も政権に参画することができ、政権基盤の安定が期待できる。日本はこの4年間で多くの果実を得たが、総選挙後の戦略の練り直しを迫られている。

2015年6月12日金曜日

(2587)スーチー氏、習主席と会談 初の公式訪問、中国は厚遇

  6月12日の朝日より。副題は「初の公式訪問、中国は厚遇」、「総選挙にらみ互いに接近」。民主化運動のシンボル、スーチー氏に対する中国の意外な厚遇ぶりの背景には、ミャンマーの総選挙後をにらんだそれぞれの「現実路線」がある。習氏は「ミャンマーの国内情勢が変わっても、中国との友好関係を維持してほしい」と。なお中国側は、自国の民主活動家を刺激しないように、メディアに勝手に報道しないよう指示。中国側がスーチー氏を重視するのは、11月のミャンマー総選挙で、政権を担う可能性があるからだ。現政権は従来の中国一辺倒の外交姿勢を修正しており、中国離れが促進しかねない。一方、スーチー氏も選挙後に与党となった場合、最大の投資国であり、国境地帯の少数民族武装勢力に影響力を持つ中国と関係を築く思惑がある。

2015年6月11日木曜日

(2586)「スーチー大統領」困難 改憲案、条件緩和なし

  6月11日の朝日より。スーチー氏が来年初めにも選ばれる新大統領になることはほぼ不可能だ。USDPが10日に国会に提出した憲法改正案でも、現憲法同様「外国人の配偶者や子供がいる人物は大統領になれない」と規定。修正も難しい情勢になっている。NLDは11月頃に予定される総選挙でも優勢とみられる。NLDが国会の過半数を取れば、新議員の投票でスーチー氏が大統領に選ばれる可能性は高い。改憲動議には20%の議員の同意が必要だが、NLD単独では改正案は出せない。国軍も改正には反対だ。今年4月には大統領・国軍最高司令官・両院議長らとの6者協議が実現したが、2回目はない。今回の改憲動議にはスーチー氏も署名した。改憲の手続き自体は進めたいとの意向。なおスーチー氏は総選挙ボイコットも「選択肢」という。

2015年6月10日水曜日

(2585)ミャンマー停戦草案修正を要求 少数民族側

  6月10日の朝日新聞より。ミャンマー政府軍と少数民族武装勢力の戦闘が続くミャンマーで、3月末に合意された「全国停戦協定」草案をめぐり、少数民族側各組織の最高幹部による会議は9日、条文の修正を政府に求めると決めて閉幕した。事実上の再交渉要求で、協定署名の実現は不透明になった。少数民族側17組織の最高幹部らは、政府と少数民族側双方の交渉団が合意した協定草案への対応を協議。出席者によると、停戦後の武装解除に関する条項など15項目について草案の修正を求めることで一致した。最高幹部らでつくる交渉団が政府との調整にあたるという(以上)。本件は本ブログ、4月1日(2514)、4月16日(2529)で報じたが、その頃は全国停戦協定成立のムードが漂っていた。今回の報道では再交渉とのこと。極めて残念。

2015年6月9日火曜日

(2584)ロヒンギャ族取引容疑 タイ陸軍中将を逮捕

  6月4日の朝日新聞と同日のANNニュースより。ミャンマーから来たイスラム教徒のロヒンギャ族などに対する人身取引に関与したとして、タイ警察は3日、同国陸軍のマナット・コンペ―ン中将(58)を人身取引や監禁の容疑で逮捕したと発表。ロヒンギャ族の人身取引で軍高官が逮捕されたのは初めて。陸軍は中将の職務を停止した(以上朝日)。タイ国家警察ソムヨット長官は、「マナス中将は嫌疑を晴らすために警察に出頭すると私に直接伝えてきた」と発言、人身売買の疑いで身柄を拘束されたのはタイ陸軍のマナス中将、同中将は2012年から今年にかけて人身売買組織が手配したロヒンギャの密航や、ロヒンギャを人質にした身代金の要求などに関わった疑いがある。同中将は否認しているが、他の幹部への捜査も進めている(以上ANNニュース)。

2015年6月8日月曜日

(2583)館林のロヒンギャ(写真)

  6月5日の朝日夕刊より。彼等には国籍がない。ミャンマーから日本に逃れてきたロヒンギャ族の人たち。群馬県館林市を中心に200人以上が暮らす。1900年頃から偽造旅券などを使い来日し、難民認定されたり、在留資格を与えられ徐々に定住が進んでいる。ミャンマー政府はイスラム教徒である彼らの国籍を認めていない。移動や結婚も制限。迫害の無い生活を求めて来日したが、「無国籍者」を認定する法的仕組みが日本にはなく、日本語学習など、公的支援を受けることができていない。5月には東南アジアで密航船で大勢のロヒンギャ族が救出され、国際的に問題が広大。日本にも無国籍者の権利保護をうたう国際条約への加入や、法的な位置づけが求められている。(写真には20数人の在日ロヒンギャ族住民が横一列になって写っている)。

2015年6月7日日曜日

(2582)元慰安婦の記憶今こそ世に問う

  6月4日の朝日夕刊より。副題は「20年前取材、映画化・出版の動き」。韓国人元慰安婦から体験を聞き取った内容を、約20年ぶりに映画や本にする動きが相次いでいる。(注:今回はその中の出版の動きについて記す)。福岡市のフリーライター森川万智子さん(68)は「文玉珠(ムンオクチュ)、ビルマ戦線楯師団の『慰安婦』だった私」(梨の木舎)。慰安婦だったと1991年に名乗り出て、96年に72歳でなくなった文さんの半世紀を4月に改めて出版。96年に出版した本に56頁加筆した「増補版」だ。文さんは軍の食堂で働くと聞かされながら、慰安所に連れてこられ、毎日20~30人の相手をさせられた。森川さんは文さんがいたミャンマーやタイで追跡取材し、文さんの証言のほとんどを確認した。森川さんは「女性たちが生きた姿を世に問いたい」と語る。

2015年6月6日土曜日

(2581)スーチー氏、10日から初訪中、習主席と会談へ

  6月5日の日経電子版、及び6月6日の朝日より。NLDは5日、スーチー党首が6月10日~14日、中国への初訪問を発表、習主席ら幹部と会談する。スーチー氏は旧軍事政権と親密だった中国訪問に消極的だったが、今秋の総選挙で、NLDの優勢が予想されており、選挙後の政権参画をにらんで中国との関係構築が不可欠と判断。関係者は「今回の訪問は中国共産党からの招待」と説明。スーチー氏は12年春の補欠選挙で当選、現在下院議員を務める。中国については、中国側の要請にもかかわらず訪問を先送りした。今秋の総選挙では、政権与党のUSDPとNLDの一騎打ちとなるが、選挙後まで訪中を先送りすれば、重要な隣国の中国との関係が悪化しかねない。中国側には厚待遇でもてなして、スーチー氏を懐柔しようとの狙いがありそうだ。

2015年6月5日金曜日

(2580)日立、ミャンマー開拓、データセンター16年末稼働

  6月2日の日経電子版より。日立製作所社長は1日、テインセイン大統領と会談し、インフラ整備に協力して取り組む方針で一致した。また、ITを中心とする研究拠点を現地に設置することも合意。5月の鉄道設備受注に続き16年末までにはデータセンターを開設する。情報、電力、鉄道の3事業を柱として5年後に売上高を現在の60億円の5倍の300億円に伸ばす。ヤンゴンの情報技術系大学に10月をめどに共同研究室を設け、日立の技術者が指導する。現地雇用を20年に1000人まで増やす。情報分野では現地の大手企業(MICTDC)と10億円で合弁会社を設立する。欧米各国は経済制裁で進出に慎重であったが、日立は56年の発電設備受注の歴史を持ち、12年の支店開設とともに現地事業は加速している。(同日の朝日新聞も簡潔に掲載)。

2015年6月4日木曜日

(2579)孤児育む 宗教・民族超え

  6月4日の朝日より。副題に、「内戦続くミャンマーの施設」、「話し合い重視 共同生活学ぶ」、「寄付の文化、運営の支え」。イラワジ川中部のピイにある「ヤダナーミザリー(宝石の花園)孤児院」。戦闘や貧困で親を失った子供たちを、宗教や民族の別なく受け入れて育てる仏教の尼僧がいる。孤児院運営者のワナティリさん(47)によると、孤児院の1か月の運営費は60万円、すべて市民からの寄付に頼っている。托鉢によって在家信者が僧侶を支える仏教の伝統が根付くミャンマーでは、人々がよく寄付する。英国の慈善団体がまとめた「世界寄付指数」でミャンマーは米国と並び、慈善活動の世界1位にランクされた(以上概要)。私は以前から「寄付文化」に興味がある。私自身、在日ミャンマー人困窮者にいろんな寄付をしてきた。今後も続けて行きたい。

2015年6月3日水曜日

(2578)中国軍が実弾演習へ

  6月2日の朝日新聞より。中国軍は1日、ミャンマー政府と少数民族との内戦による爆弾被害が続いている雲南省の国境地帯で、2日から陸空軍の合同演習を行うと発表した。実弾演習も予定している。戦闘が収まらない状況を中国側が重く見て、事態の収拾を促す狙いがありそうだ。演習の期間は明らかになっていないが、演習区域には、3月にミャンマー軍機の爆弾が着弾して、住民13人が死傷した雲南省臨滄市耿馬タイ族ワ族自治県や、5月に5人が負傷した同市鎮康県などが含まれる。中国と国境を接するミャンマー北東部では2月以降、政府軍と中国系少数民族コーカン族の闘争が激化した。ミャンマー政府は関係者の責任を問う考えを示すなど鎮静化を図ったが5月に再び中国領内に被害が出たことから中国が強い対応に出たとみられる。

2015年6月2日火曜日

(2577)議員居眠り写真報道、取材締め出し

  6月2日の朝日より。ミャンマー国会が、記者の本会議取材を先週になって突然制限し始めた。議員の居眠り写真が報じられたり、フェイスブックなどに投稿されたりしたためで、議場が見える3階のブースでの取材を禁止した。首都ネピドーにある国会は2011年の軍事政権からの民政移管で設置。翌年には野党党首スーチー氏が下院議員として活動するなど「民主化」を象徴する場となってきた。記者の取材も本会議の様子が窓ガラス越しに見えるブースなどから自由に行えたが、地元記者らによると、5月26日以降締め出された。居眠りや欠席した同僚の電子投票ボタンを押す議員の写真がネット上などに流れたのが原因という。地元メディアの記者でつくる団体などが反発しているが与党議員からも「議員が居眠りしなければいい」との批判の声も。

2015年6月1日月曜日

(2576)ロヒンギャ族難民危機 仏教徒が国際社会に抗議

  5月30日のミャンマーニュースより。5月27日、ヤンゴンで僧侶を含む百人以上の仏教徒が集まり、ロヒンギャ難民問題について、抗議のデモを実施。「国連はロヒンギャ族の作り話を止めろ、難民はミャンマー人ではない」。大きな赤いプラカードを掲げ多くの人びとが街を歩いた。抗議はロヒンギャ族難民問題をすべてミャンマーの責任とする、国連や外国メディアなどに対して行われた。彼らは不法移民者であるロヒンギャ族をミャンマーに帰還させようとする国際社会の動きに反対の意を示している。参加者は「国際社会はミャンマーがイスラム教徒差別の国だと言うが、私たちは何世紀もの間彼らと共存している」、「ロヒンギャ族はバングラデシュから移民してきたベンガル人だ」、「私たちはベンガル人がミャンマー市民として定着することに反対」という。